トルコ冒険記21 〜 『アヤソフィア 〜 Hagia Sophiā』U
一時期はモスク、一時期は大聖堂・・・
そんな波乱万丈な運命をたどってきた、歴史と宗教に翻弄されてきたアヤソフィア。
その歴史を簡単にたどってみました。
・・・
★キリスト教の大聖堂
アヤソフィアは、元々はキリスト教の大聖堂として立てられました。コンスタンティウス2世の手によって350年頃に建設が始まり360年に、アリウス派僧侶の司教アンティオキアのユードクシウスによって献堂されたのです。360年!!!!古いですね。私の生涯で、入った最もと古く歴史ある建物になりました・・・
しかし、その後、天災や反乱などによって破壊された大聖堂は、537年にユスティニアヌス1世によって再建され、以来、ほぼ当時のままの姿を現在まで保ち続けているんだそう!!!それでも、古い!
確かに入った瞬間、なんというか、重い念みたいなのを感じました。冗談ではなくて、本当になんというか、歴史の重みが感じられるんです。
★イスラム教モスク
さて、キリスト教の大聖堂だったアヤソフィアですが、15世紀半ばに転機が訪れます。
1453年、オスマン帝国軍によってコンスタンティノープルが陥落しました。
そして、今のイスタンブールになりました。
キリスト教だった街はイスラム教で埋め尽くされ、アヤソフィアはキリスト教聖堂からイスラム教モスクへ改造されていったのです。
しかし、この建物の美しさと凄さには、コンスタンティノープルを蹂躙し略奪し陥落させたオスマン帝国軍も目を見張りました。オスマン帝国スルタン・メフメット2世は、アヤソフィアの優れた建築技術と稀有な芸術に感銘を受けたのです。
そして、大聖堂を完全に破壊するのではなく、改修してモスクへ転用するように命じたのでした・・・
内装のキリスト教のモザイク画は、塗りつぶされてしまいました・・・
(のちに、1931年、アメリカ調査隊により壁の中のモザイク画が発見され、今の博物館になっている。)
そして、アヤソフィアは、オスマン帝国時代、君主が毎週の金曜礼拝で訪れ、帝国内で最も高い格式を持つモスクとなりました。
★ 博物館
そして、今度は、モスクにも20世紀前半に転機が訪れます。
20世紀前半に、トルコ共和国が誕生すると、建物はモスクから博物館へと姿を変えられました。
そして今に至ります・・・
博物館になった今は、キリスト教にまつわるものも多数展示されております。
アヤソフィアの数奇な運命、いかがでしょうか・・・
長い歴史の中、宗教に翻弄されてきましたが、今では、誰もが訪れることができる博物館となりました。
しかし、危険とまではいかないものの、最近のトルコ情勢も少々危ういので・・・もう10年前みたいに気軽に旅行にはいけないですけどね。
記事は、これで終わりではありません。
内装の、もっともっと凄い写真が多々ございますので、また別の記事で紹介いたします。
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