2011年11月18日
リスニングパワー(作者 スコット・ペリー) 英語 リスニング 洋画 字幕 聞き取る リスニング力 リスニングテスト 教材 楽しい 1石2丁 レビュー ※あきおの英語の楽しみ方
皆さんこんにちは。山梨のあきおです。
さて前回は
言葉は我々人間の一部であり
本来そんなに力み返って学ぶものではない
というところで終わりました。
そうなんです。
言葉は我々人間の一部です。
故になんらそこには
隔たりも壁もないのです。
言葉を学ぶということは
我々自身を学ぶということに等しいのです。
言葉は我々人間にとって身内であると同時に
我々自身でもあるのです。
だから言葉を特別視する必要は
どこにもないのです。
言葉は我々人間自身です。
ですから
言葉を特別視した瞬間から
我々人間は
人間としての立場を失ってしまうのです。
と、また力み返って極端なことを言ってしまいましたね。(*>∀<*)
言いたいことは
言葉というものは楽に楽しく
必要に迫られて学べばいいのだ、
ということなのです。
もちろん
日本社会では
英語は
偏差値やら
受験の手段として用いられてきました。
それはそれでいいのです。
それで
普通は英語という言語に
触れられているのですから。
問題は
それからなのだと思います。
つまり
言葉を道具として
というか
出世(古いかな^^)の道具としてしか
考えられなくなってしまう。。。
自然の成り行きとして
英語が勉強の対象としてしか考えられなくなり
英会話ということも
なにかテストや資格のためという具合になって
なんかぎこちなくなってしまう。。。
固くなってしまうというか。。。
言ったように言葉は我々人間自身です。
我々人間から言葉を取ったら
そこにはなにも残らないといてもいいでしょう。
言葉によって
我々人間は人間たらしめられているのです。
ですから
普通にやっていけばよいのではないか。。。
と思うのです。
もちろん日本人の置かれた地理的環境は
英語など外国語習得には実に不利なものがあるわけで
リスニングやヒアリング練習についても
それなりの場面設定や教材が必要になってくるのは仕方ないでしょう。
話を戻しますね。
時代は変化し、考え方は変わります。
しかし根本は変わりません。
言葉が人間の一部であるということです。
ということで
前にも書いたとおり
私の英語生活に
話を戻しましょう。
書いたとおり
私はこの13年間英字新聞を読み続けています。
その継続は決して楽ではありませんでした。
格好から始めたその歩みは
ある意味
一人の人間を変えてくれました。
地味な日々のその努力は
楽しくもあり苦しくもありでした。
まあ1日ほんの30分かそこらの戦いでしたが
それが10年以上ともなると
確かな実績・土台が出来上がるのです。
言いたいのは
子供時代のことですね。^^
当然その頃は頭も柔らかいですし
学ぶ能力は一番秀でています。
しかしそんなことではなくて
何かを本気でものにしようとする努力は
一人の人間を
決定的に変えてくれる
ということなのです。
それは言葉だけのことではなく
どんなことにも共通なことであると思います。
あれあれ、
また話が脱線してしまったようですね。
まあ、今私が言いたいことは
言葉の価値というか
その存在力なのです。
先にも書いてきたとおり
言葉は
我々人間を人間たらしめてくれました。
その言葉に対して
もっと率直に簡単に楽に接したら
もっとずっと語学習得が楽に楽しくなるのではないかということなのです。
何事も楽しくやれたらいいと思うのです。
ちょっと力んでしまった感はありますが
今回はこの辺にしたいと思います。
最後に
素晴らしいリスニング効果で
今すごい評判を博している
英語教材を紹介して終わりにしたいと思います。
アメリカで英語の実践教育者として第1人者である
スコット・ペリー先生が作成した教材です。
短期間で英語ビギナーが
字幕なしで映画の会話が聞き取れる、
という例は普通のようです!!
リスニングパワー(作者 スコット・ペリー)
わたしの拙い話に
貴重なお時間を頂き
最後までお付き合い頂いて
本当に有難うございました。
では次回にまたお会いしましょう。
山梨のあきお
さて前回は
言葉は我々人間の一部であり
本来そんなに力み返って学ぶものではない
というところで終わりました。
そうなんです。
言葉は我々人間の一部です。
故になんらそこには
隔たりも壁もないのです。
言葉を学ぶということは
我々自身を学ぶということに等しいのです。
言葉は我々人間にとって身内であると同時に
我々自身でもあるのです。
だから言葉を特別視する必要は
どこにもないのです。
言葉は我々人間自身です。
ですから
言葉を特別視した瞬間から
我々人間は
人間としての立場を失ってしまうのです。
と、また力み返って極端なことを言ってしまいましたね。(*>∀<*)
言いたいことは
言葉というものは楽に楽しく
必要に迫られて学べばいいのだ、
ということなのです。
もちろん
日本社会では
英語は
偏差値やら
受験の手段として用いられてきました。
それはそれでいいのです。
それで
普通は英語という言語に
触れられているのですから。
問題は
それからなのだと思います。
つまり
言葉を道具として
というか
出世(古いかな^^)の道具としてしか
考えられなくなってしまう。。。
自然の成り行きとして
英語が勉強の対象としてしか考えられなくなり
英会話ということも
なにかテストや資格のためという具合になって
なんかぎこちなくなってしまう。。。
固くなってしまうというか。。。
言ったように言葉は我々人間自身です。
我々人間から言葉を取ったら
そこにはなにも残らないといてもいいでしょう。
言葉によって
我々人間は人間たらしめられているのです。
ですから
普通にやっていけばよいのではないか。。。
と思うのです。
もちろん日本人の置かれた地理的環境は
英語など外国語習得には実に不利なものがあるわけで
リスニングやヒアリング練習についても
それなりの場面設定や教材が必要になってくるのは仕方ないでしょう。
話を戻しますね。
時代は変化し、考え方は変わります。
しかし根本は変わりません。
言葉が人間の一部であるということです。
ということで
前にも書いたとおり
私の英語生活に
話を戻しましょう。
書いたとおり
私はこの13年間英字新聞を読み続けています。
その継続は決して楽ではありませんでした。
格好から始めたその歩みは
ある意味
一人の人間を変えてくれました。
地味な日々のその努力は
楽しくもあり苦しくもありでした。
まあ1日ほんの30分かそこらの戦いでしたが
それが10年以上ともなると
確かな実績・土台が出来上がるのです。
言いたいのは
子供時代のことですね。^^
当然その頃は頭も柔らかいですし
学ぶ能力は一番秀でています。
しかしそんなことではなくて
何かを本気でものにしようとする努力は
一人の人間を
決定的に変えてくれる
ということなのです。
それは言葉だけのことではなく
どんなことにも共通なことであると思います。
あれあれ、
また話が脱線してしまったようですね。
まあ、今私が言いたいことは
言葉の価値というか
その存在力なのです。
先にも書いてきたとおり
言葉は
我々人間を人間たらしめてくれました。
その言葉に対して
もっと率直に簡単に楽に接したら
もっとずっと語学習得が楽に楽しくなるのではないかということなのです。
何事も楽しくやれたらいいと思うのです。
ちょっと力んでしまった感はありますが
今回はこの辺にしたいと思います。
最後に
素晴らしいリスニング効果で
今すごい評判を博している
英語教材を紹介して終わりにしたいと思います。
アメリカで英語の実践教育者として第1人者である
スコット・ペリー先生が作成した教材です。
短期間で英語ビギナーが
字幕なしで映画の会話が聞き取れる、
という例は普通のようです!!
リスニングパワー(作者 スコット・ペリー)
わたしの拙い話に
貴重なお時間を頂き
最後までお付き合い頂いて
本当に有難うございました。
では次回にまたお会いしましょう。
山梨のあきお
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