2011年11月14日
英語 楽しい 読む 書く インプット アウトプット マスター 幼児 会話 英字新聞
皆さんこんばんは。山梨のあきおです。
さて前回は
言葉は我々人間の一部であり
本来そんなに力み返って学ぶものではない
というところで終わりました。
そうなんです。
言葉は我々人間の一部です。
故になんらそこには
隔たりも壁もないのです。
言葉を学ぶということは
我々自身を学ぶということに等しいのです。
言葉は我々人間にとって身内であると同時に
我々自身でもあるのです。
だから言葉を特別視する必要は
どこにもないのです。
言葉は我々人間自身です。
ですから
言葉を特別視した瞬間から
我々人間は
人間としての立場を失ってしまうのです。
と、また力み返って極端なことを言ってしまいましたね。(*>∀<*)
言いたいことは
言葉というものは楽に楽しく
必要に迫られて学べばいいのだ、
ということなのです。
もちろん
日本社会では
英語は
偏差値やら
受験の手段として用いられてきました。
それはそれでいいのです。
それで
普通は英語という言語に
触れられているのですから。
問題は
それからなのだと思います。
つまり
言葉を道具として
というか
出世(古いかな^^)の道具としてしか
考えられなくなってしまう。。。
そういった辺に
あるのではないでしょうか。
言ったように言葉は我々人間自身です。
我々人間から言葉を取ったら
そこにはなにも残らないといてもいいでしょう。
言葉によって
我々人間は人間たらしめられているのです。
ですから
普通にやっていけばよいのではないか。。。
と思うのです。
時代は変化し、考え方は変わります。
しかし根本は変わりません。
ということで
前にも書いたとおり
私の英語生活に
話を戻しましょう。
書いたとおり
私はこの13年間英字新聞を読み続けています。
その継続は決して楽ではありませんでした。
格好から始めたその歩みは
ある意味
一人の人間を変えてくれました。
地味な日々のその努力は
楽しくもあり苦しくもありでした。
まあ1日ほんの30分かそこらの戦いでしたが
それが10年以上ともなると
確かな実績・土台が出来上がるのです。
言いたいのは
子供時代のことですね。^^
当然その頃は頭も柔らかいですし
学ぶ能力は一番秀でています。
しかしそんなことではなくて
何かを本気でものにしようとする努力は
一人の人間を
決定的に変えてくれる
ということなのです。
それは言葉だけのことではなく
どんなことにも共通なことであると思います。
あれあれ、
また話が脱線してしまったようですね。
まあ、今私が言いたいことは
言葉の価値というか
その存在力なのです。
先にも書いてきたとおり
言葉は
我々人間を人間たらしめてくれました。
その言葉に対して
もっと率直に簡単に楽に接したら
もっとずっと語学習得が楽に楽しくなるのではないかということなのです。
何事も楽しくやれたらいいと思うのです。
ちょっと力んでしまった感はありますが
今回はこの辺にしたいと思います。
わたしの拙い話に
貴重なお時間を頂き
最後までお付き合い頂いて
本当に有難うございました。
では次回にまたお会いしましょう。
山梨のあきお
さて前回は
言葉は我々人間の一部であり
本来そんなに力み返って学ぶものではない
というところで終わりました。
そうなんです。
言葉は我々人間の一部です。
故になんらそこには
隔たりも壁もないのです。
言葉を学ぶということは
我々自身を学ぶということに等しいのです。
言葉は我々人間にとって身内であると同時に
我々自身でもあるのです。
だから言葉を特別視する必要は
どこにもないのです。
言葉は我々人間自身です。
ですから
言葉を特別視した瞬間から
我々人間は
人間としての立場を失ってしまうのです。
と、また力み返って極端なことを言ってしまいましたね。(*>∀<*)
言いたいことは
言葉というものは楽に楽しく
必要に迫られて学べばいいのだ、
ということなのです。
もちろん
日本社会では
英語は
偏差値やら
受験の手段として用いられてきました。
それはそれでいいのです。
それで
普通は英語という言語に
触れられているのですから。
問題は
それからなのだと思います。
つまり
言葉を道具として
というか
出世(古いかな^^)の道具としてしか
考えられなくなってしまう。。。
そういった辺に
あるのではないでしょうか。
言ったように言葉は我々人間自身です。
我々人間から言葉を取ったら
そこにはなにも残らないといてもいいでしょう。
言葉によって
我々人間は人間たらしめられているのです。
ですから
普通にやっていけばよいのではないか。。。
と思うのです。
時代は変化し、考え方は変わります。
しかし根本は変わりません。
ということで
前にも書いたとおり
私の英語生活に
話を戻しましょう。
書いたとおり
私はこの13年間英字新聞を読み続けています。
その継続は決して楽ではありませんでした。
格好から始めたその歩みは
ある意味
一人の人間を変えてくれました。
地味な日々のその努力は
楽しくもあり苦しくもありでした。
まあ1日ほんの30分かそこらの戦いでしたが
それが10年以上ともなると
確かな実績・土台が出来上がるのです。
言いたいのは
子供時代のことですね。^^
当然その頃は頭も柔らかいですし
学ぶ能力は一番秀でています。
しかしそんなことではなくて
何かを本気でものにしようとする努力は
一人の人間を
決定的に変えてくれる
ということなのです。
それは言葉だけのことではなく
どんなことにも共通なことであると思います。
あれあれ、
また話が脱線してしまったようですね。
まあ、今私が言いたいことは
言葉の価値というか
その存在力なのです。
先にも書いてきたとおり
言葉は
我々人間を人間たらしめてくれました。
その言葉に対して
もっと率直に簡単に楽に接したら
もっとずっと語学習得が楽に楽しくなるのではないかということなのです。
何事も楽しくやれたらいいと思うのです。
ちょっと力んでしまった感はありますが
今回はこの辺にしたいと思います。
わたしの拙い話に
貴重なお時間を頂き
最後までお付き合い頂いて
本当に有難うございました。
では次回にまたお会いしましょう。
山梨のあきお
【英語の楽な習得法の最新記事】
この記事へのコメント