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家政婦のミタ 松島菜々子 第3話レビュー ※あきおの英語慈上達体験

第3話レビュー

ヾ( ´ー`)4人もも子供をつくっておいて
どうしようもない駄目おやじと
表情も変えず坦々と家事をこなしてよくミタ。。。

何か対照的でいて
どこか共通点がありそうな感じがおもしろいですね。
最初はどうかと思ったのですが

だんだんおもしろくなってきました。
なぜかこのドラマ
子供にすごい人気があるようです。ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ


第4話予告

家政婦の三田はニコリともせず言われた家事を黙々とこなすミステリアスな存在。やがて、家庭に内在した問題が浮き彫りになり、家族がバラバラになりかけた時、三田の想像を絶する行動が始まった・・・。


皆さんこんにちは。山梨のあきおです。

前回は、辞書を引き引き頑張って
英字新聞の方が
だんだんと読む範囲が広がって来た

というところで終わりました。
ここまで来ると
英語の記事を読むのが

結構苦にならなくなります。
というか、
英字を日本語文字と同じ感じで(これは言い過ぎか。。^^)

読むことが出来るようになります。
要するに英語に身体が馴染む
ということでしょうか。^^

確かに、外国語を読む
という力みといったものが
かなり消えて来ます。

もはや外国語であれどうであれ
問題は、じぶんが読む内容
になってきます。

そこの書かれてある内容の方が
問題になってくるということですね。^^
一つの壁が破れた瞬間です!!

結局のところ
言語はひとつのコミュニケーションの手段に過ぎない
ということです。

(と私は思うのですが。。。どうでしょうか。)
言語学というものも
おそらくはこの辺のことやら何やら

考察しながら、
人間やら歴史やら文化・国家やらを
研究するのでしょうが

言葉の最大の役割は
自分の思いを相手に伝える
ということですよね。

それが人間世界での
コミュニケーションの大きな柱ですし
また

他の生物のコミュニケーションの手段
についても
思いが馳せられる研究課題にもなっているのです。

要するに
言葉は、人間の思いを相手に伝える手段ということですね。
ですから人間ならば

言葉を操るのはごく当たり前のことであり
それが英語であろうがロシア語であろうが韓国語であろうが
何でも同じだということです。

問題はコミュニケーションをとることであり
言葉はその手段であるということです。
ですから

自分にとって新しい言葉を覚えることは
確かに新鮮なことですけれど
変に緊張する必要などさらさらない

と思うのです。
日本人は、島国に育って
必要以上に他の言語に緊張しすぎると思うのは

私だけでしょうか。
妙に外国語に憧れを覚えたり
厚い壁を感じたりし過ぎると思うのです。

島国に生まれ育つと
無理もない感覚かとも思うのですが。。。
西洋諸国などのように

国境を隔ててすぐ横が他国
という環境ですと
もう他国語は

自分が生きるために習得する当たり前の言葉になるわけです。
そこには緊張とか憧れとか言う前に
生きるための自然な必要性

がまず生まれてきます。
だからあっちの方面では子供でも平気で
3ヶ国語や4ヶ国語をしゃべるようになるのです。

そして、かれらもまた
それを何とも思っていない。
すごいことだとも特別なことだとも思っていないわけです。

その辺の感覚が
日本人にはわからないかもしれません。
島国で同属民族

であるが故に、内部的には当たり前
だが外部のものに対しては
必要以上に特別のものとして意識してしまう。

これが昔から相も変わらず続く
日本人の英語(外国語)に対する感覚のようの思うのです。
だから必要以上にしゃべる発音に神経を使いすぎたり

(つまりうまくしゃべろうとする、アメリカ人のようにしゃべろうとする)
文法から完璧に入ろうとしたりするのです。^^
この辺は、日本人特有の真面目さであり

それはそれで大きな特質であるとは思うのですが^^
やはりそこらへんは
日本人特有のコミュニケーションの不器用さ

が如実に出ているように思うのです。
ですからもっと自由に言葉を学ぶ
とうか、

言葉に接すればいいと思うのです。
もっと楽に、楽しく!!
ということですね。

楽しく。
ということは大変大切なことだと思いますよ、ほんと。
本来言葉などというものは、

生活上のどうしようもないコミュニケーションの必要から生まれたものでした。
人間が日々の生活を送っていく上で、
当たり前の道具に過ぎませんでした。

それが、
文化が発達していくにつれて
言葉が独り歩きを始めました。

といっても書いてきたように
それは日本人のような国民に特有な現象だったのではないでしょうか。

まあとにかく
言葉なんてそんなに特別視する存在ではないのです。
たしかに言葉は偉大な人類の財産です。

素晴らしい伝達手段でもあるし
文化の担い手でもあります。
また一方

言葉は人間社会の潤滑手段の一つに過ぎません。
英語も数ある言語の中のひとつに過ぎません。
日本人のように

あまりにも真面目に、大層なことの様に相手にするのは
ちょっとエネルギーの無駄のように思ってしまうのですがこれは言いすぎでしょうか?
言葉なんて

生活上の必要に迫られてはじめて覚えればそれでいいのです。
TOEICが何点だとか、英検何級だとか
そんなことはどうでもいい飾りというか

余計なたんこぶみたいなものです。
普通に生きていけばいいのです。
必要になったら他国語を覚えればよい。

その時は、必死になって覚えようとしますから
誰でも日常の話くらいは新しい言葉で出来るようになります。

さて、また今回も長くなりましたね。
貴重なお時間を割いて頂き
最後まで私の話しにお付き合いくださって

本当に有難うございました。
続きは次回にしたいと思います。

追伸

左のバーに紹介した外国語の習得法は
どれも効果の優れたものばかりです。
どれを試しても

本気でかかれば
当初の目的は早いうちに達せられるでしょう。
スコット・ペリー先生は

留学生などへの英語教授の偉大な貢献者として
広く知られています。



山梨のあきお

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