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2018年07月06日

【落語】歌丸さん直前までユーモア…最後の小言は

2日に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患で亡くなった落語家桂歌丸さん(享年81)について、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会(芸協)で会長代行を務める三遊亭小遊三(71)らが3日、
芸協がある東京・西新宿の芸能花伝舎で会見した。病床でもユーモアを忘れなかった歌丸さんの姿が語られ、泣き笑いの会見となった。
会見には、日本テレビ系「笑点」で長らく共演した小遊三をはじめ、同番組司会を歌丸さんから引き継いだ春風亭昇太(58)弟弟子のヨネスケ(桂米助=70)一番弟子の桂歌春(68)が出席した。
小遊三は先月26日に病院を見舞った時、歌丸さんが芸協の今後について熱く語ったとした。「一丸となって協会の色を出してくれ、と。すごい迫力で、そんなに力まないで〜、と早々に退散しました」と振り返った。
同30日までは会話もできたそうで、小遊三は「小言言ってたみたい。最後の小言は、弟子に『俺が死にそうなのに、おめえたちは来ねえ!』だった」と、ユーモアを忘れなかった歌丸さんの姿を明かした。

さんずの川から歌丸さんを呼び戻した仰天話も飛び出した。危篤状態だった4月29日に見舞ったヨネスケは「『師匠ーっ!』と呼んだら、その声でよみがえった。大きな声が無駄じゃなかった」。
歌丸さんも「さんずの川へ行こうとしたら、ヨネスケがでけえ声を出していた」と話していたという。
周囲を気遣い、楽しませようとする歌丸さんの病床でのエピソードが次々に明かされると、報道陣からも笑いが起こり、歌丸さんの人柄をしのばせる会見となった。
それでもヨネスケは「ありがとうございました、それしかない」と言い、涙をため天を仰いだ。

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めったに弱音を吐くことがなかった歌丸さんだったが、弟子や家族の前では苦しさを訴えたこともあったという。歌春は「最近は『楽にしてくれ』と言うこともあった。その言葉がつらかった」。
亡くなった後、酸素吸入器を外すと、鼻の頭がすりむけていたそう。歌春は「全部から解放されて、師匠、お疲れさまでしたと声を掛けました」と沈痛な思いを語った。
小遊三が「晩年、円朝ものに取り組む姿が強烈だった。やるだけでなく完璧にやる。まねできないこと。爆笑も取れて、長屋ばなし、こっけいばなしもやって、円朝ものもやる。
思い出しただけですごい」と言うように、歌丸さんが落語界で果たした功績は大きい。それだけに昇太は「落語界の損失というだけになってはいけない。後に続く者が大事」と、自分たちに言い聞かせた。

2018年7月4日7時36分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807040000032.html

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