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2018年11月30日

チョコレートが日本に来た後に

チョコレート。

始まりはアメリカの紀元前ともいわれる、今ではお菓子を代表する食べ物ですね。

メキシコから始まったといわれ、ヨーロッパを経て、日本に来たのは江戸時代のことです。

最初のチョコレートは液体の飲み物であり、甘くない物でした。

これに砂糖などを加えて甘くしたのが現代のチョコレート。

今回は江戸時代に始めてチョコの表記が確認されてからの出来事を簡単に紹介します。



寛政の時代に「しょくらあと」登場


寛政の時代は江戸時代の後期です。この時代はまだ鎖国といって、

外国との交流を長崎だけに絞って貿易を行っていました。取引できる国も

オランダと中国の2国のみ。その一国オランダの人が、

長崎の遊女(遊び人)にあげたものの中にチョコがあったそうです。

「しょくらあと」として資料に登場したのがこの時代ですので、

本当はもっと早くに渡っていたかもしれません。

因みにこの時はもうお菓子としてのチョコですので、甘くておいしいおなじみの味です。





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タグ:食べ物

2018年11月25日

古代編 銅鐸って?

s-3610.jpg

銅鐸ってなんて読むんですか?
そもそもここからわからない方もいるかも・・・?
まあそうですね、知らなくても、生きてゆけますから。
学校でも習わなかったり、習ったりとまちまちですしね


銅鐸

読み方はドウタク
弥生時代に造られたとされる謎の器物。
その名のとおり銅でできている鐘のようなものです。


用途・・・不明


大体の説は出ているのですが、確実にこれだというようなものはわかっていません。
祭りの飾りだったり、田畑の測量に使うものを収納するものだったり、戦いで号令用に使う、だったり・・・
個人的には、お祭り用が一番説得力あるなとは思うのですが、
なぜそう思うのか、簡単に各説をみてみます。


まず戦いの号令用としてはどうでしょう?
昔の戦争では、軍勢に合図を送るために太鼓やドラを使用していました
この銅鐸もそのように使われていた、または使うつもりだったか?

銅鐸は大体の重さが60KG位あるといわれています。
こんな重量物を運ぶのは苦労しますし、
なにより戦いにこれを持ってくるなら鉄器持ってきたほうが勝てますよ!
当時にも、技術による力の差はありましたので、
この粗大ゴミドラ代わりがいくらあったって勝てません。
逃げる時も攻める時も、台車を使うにしても不便ですよね。


次に田んぼのサイズを測るものの収納具としての使い方。
不便でしょう。持ち歩けない収納具はただの家具ですから、そのまま道具を持って行くほうが楽なのでは?
そしてどうやらこれは
田んぼなどの測量に使う糸を収納するための道具、という説らしいです。
確かに物を測る時に糸は使えますし、糸をだしてくれる蚕(カイコ)を育てたり、麻を栽培していた形跡がこの弥生時代にはあります。が、
この時代に検地の技術が果たして倭国にありますかね
まだおまじないで政治を行う時代ですし、口分田や荘園の考えも存在しないですからね・・・
ネタばらししますと、こちらはインターネット上の一説です(すみません!)
調べると出てくると思いますので、気になった方は調べてみてくださいませ。


最後にお祭り用としての使い方。
先も紹介しましたが、この時代はまじないによって色々な事を決める時代です。
銅鐸の表面には稲穂の絵が描かれていたりするのですが・・・
雨ごいや豊作願い&祝いで使ったと考えればどうですか?
色々な場所にこの重量物を動かす必要もないですし、収納具として使う事もありません。
やっぱり私はこの使い方が一番しっくりくるのです。
結局一つの結論に誘導するような形になってしまいましたが


最初に述べたように、完全な用途は不明であるというのが現状の銅鐸。
その分様々な説があるので、中には面白い物もありました。
どれを信じるかは皆さん次第です。

今回はいつもより気楽に紹介しました(内容が内容ですからね)
もしこの記事を読んでくださった方は、
「ふーん」といって、忘れましょう。私も来月には忘れる自信があります。
でももしかしたら銅鐸について、雑学として誰かに紹介できる日がくる・・・!
かもしれません。

2018年11月24日

土偶とはにわ 違いって?

埴輪(はにわ)土偶。名前は聞いた事があるのではありませんか?

どちらも土から生まれた人形です。そして、造られたとされる時代も近いのですが・・・
この2つの違いは?
あまり大した事でもないのですが、一応紹介したいと思います。


といっても、すぐに証明を終了してしまえるのですが。
埴輪・・・古墳時代に造られた馬、兵などを模した人形
土偶・・・縄文時代に造られた主に女性などを模した人形

です。これにて今回の紹介は終わります。お疲れ様でした
・・・ではあまりに味気ないので、少し補足すると・・・




513ZcEZdeHL._SY445_QL70_.jpg

埴輪とは、主に力の強かった有力者のお墓と一緒に埋葬されたといいます。
主に種類は2種類。円筒埴輪形象埴輪です。

円形埴輪はそのまま、筒を模したもので、正確な用途は不明なのですが、
西域としてのエリアを確保するためにこれで囲ったという説があります。

形象埴輪はよく見る人や動物を模した形
埋葬される人がさみしくならないようにとか、死後も兵を率いることができるようにとか、
生贄の代わりとか・・・
時代が古いので明確な用途はわかりませんが、保存の状態のいいものが多いです。


c0111057_25399.jpg

一方の土偶は、正直造られた用途が不明の土製の人形。
日本最古のフィギュアのようなものと考えるのがいいかもしれません。
時代が弥生なら雨ごいのおまじないをする巫女的なものだったのでしょうが・・・
縄文ですからね(米の文化がない)
そして、保存状態は壊れているものが多いのも特徴です。


どちらとも造られた時代が古いので、明確は用途はこれです!とはいえません。
この時代にはほかにもヘンテコな像があったりするので、
これらもその仲間の一つなのかもしれませんね。

2018年11月22日

時代年表 大和・飛鳥編

卑弥呼による邪馬台国の統治があったとされる弥生時代。
女王が即位したわけは、国内の争いをしずめるためといわれています。
じっさい卑弥呼時代はおとなしかったようです
彼女の死後、一度男の王が即位したようですが、
邪馬台国内で争いが再燃したため、新しく女王が即位。
ここから先はどうなったかは、今はわかっておりません


時は進んで、ヤマト政権時代
各地に豪族と呼ばれる有力者が現れ、自分たちの領土獲得のため戦います。
このころもまだ詳しいことまではわかっていないといった所。
この時代の特徴を一つ挙げるなら、
おまじないでの統治から力での統治に変わっていったことです。
この時代自分の力を示すために盛んに造られた自分専用の墓、古墳
古墳には当時の有力者の遺体と一緒に道具や装飾などが埋められました(副葬品)。
その副葬品が、
最初は勾玉や鏡などのお祈りで使うものから剣などの武具へ変わっていきます
今回はこの時代の年表語呂合わせを紹介します。が、
この時代は縄文、弥生時代よりもややこしいかもしれません
大切な事を中心に挙げていきますので、マニアックな事が知りたかったかたにはごめんなさい


  • 好太王作・意(391年)味はない碑文
  • 百済の仏にご参拝(538年)
  • 号泣、皆(593年)の聖徳太子
  • 群れよ (604年) 人々、憲法発布
  • 群れな (607) す遣隋使
  • 曽我氏無視しろ(646年)大化の改新
  • ロクな人(672年)間じゃない壬申の乱



おまけ 
無闇(683年)に発行富本銭
なまる (701年)人にも大宝律令
菜っぱ (708年) と交換、和同開珎


本当は他にもあるのですが、テストなどが大好物のものを選んでみました。
よろしければ続きをご覧ください!




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2018年11月20日

小学生にだってわかるかも 封神演義 その3 

えんぎ.jpg拡大推奨、表をつくる気力がなかったので
手書きですみません・・・



前回までのあらすじ〜
周の王様の師匠になった姜子牙さんは魔法のアイテムを仙人から貰って快進撃!
聞仲という仙人だけど派閥の違う相手と戦ってからは
他の仙人や超人の敵が現れてハチャメチャになりました。
〜おわり

今回は最後の部分の紹介と四大奇書に選ばれていない理由について考えてみます!




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2018年11月19日

小学生にわかるかな? 封神演義 その2

 前回までのあらすじ〜
封神演義とは人対人の戦いに仙人たちが参加して争い、命を落としていった人を
まとめて神界に送って神様にしてしまおう、任せたよ姜子牙(太公望)さん!
〜おわり

天命でも殷の王朝が終わりを告げていたころ、当の殷王朝はというと、
一番偉い王様が妲己(狐の妖怪)にたらし込まれて堕落。
拷問やひどい政治を好むようになったので次第に人々の心は離れていきました。
仙人界で仙人としての修行を積んでいた姜子牙は増えすぎたり落ちこぼれたりした仙人を
再編するという使命を帯びて人間界に降りてきます。

ここで老婆と結婚することになる姜子牙。ですが出世の見込みナシとされたことで別れてしまうのですが、
彼が出世した後戻ってきた妻に対して言った姜子牙の故事が
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)です。
過ぎたことはもう取り返せないという事ですね。


このお方こそ、わが太公が望んだ人物


場面は変わって、のちに反乱を起こし周の文王と呼ばれるようになる姫昌はある日、剣じゃと呼ばれる人物に会いに行くことになりました。
その人物はほとりで釣りをする老人。釣り餌がついていません。文王が、
何故餌を付けないのかと聞いたら、「釣ろうとしているのは天下です」
とかましてきた人物こそ人間界に降りてきた姜子牙なのです。
こんがらないように補足しますとこのお話は伝奇もの、千歳超えや世界が複数ある世界観なので
史実とは同じようで違うことに注意

姜子牙とはなしている内に心を打たれた姫昌はこの人物をぜひ迎えたいと考えます。
そして姜子牙の事を師匠として自軍に迎えた姫昌。この時家来が
「このお方こそ、あなた(太公)がんだ人物です!」といったことが
太公望の呼び名の由縁。
こうして殷を倒す準備を整えた周軍。この時仙人から姜子牙に仙獣・四不象と宝貝(パオパイ、パオペエとも)が渡されます。
ここから周軍の反乱、進撃が始まるというわけです!



仙人たちにも派閥あり、中盤の大ボス聞仲


はじめは宝貝や多くの仲間がいる周軍が圧倒的でした。
ちゃっかり文王が死に、武王へと世代交代していますがそれは置いておいて。
しかし中盤に差し掛かったころ紂王の師匠であり仙人の修行を積んだ聞仲という人物がたちはだかります。
姜子牙と聞仲は人間が仙術の修行をしたという所は同じですが、派閥が違いました。

姜子牙が修行した場所は崑崙山(こんろんざん)
主に人間が修行する場所であるのに対し、
聞仲が修行した場所は金ゴウ島(きんごうとう)
元々は聞仲も崑崙山で修業していたのですがパスポートのようなものがなかったので追い出されてしまいます。
諦められない聞仲は主に物質や動植物が修行している金ゴウ島で修業を積みました。

崑崙山サイドは絶対に金ゴウ島出身の仙人を人と認めません、要は差別です。
優等生(気取り)の崑崙山と落ちこぼれ(扱いされている)金ゴウ島、
この対決を境にして、両サイドから仙人や超能力者が現れ、
人間を巻き込んだ仙界の代理戦争へと発展していくことになります。




手助けにきた仙人たちのおかげもあって
辛くも聞仲を倒した姜子牙たち。しかしここから周軍の圧倒的な勝利はなくなり、
殷軍と敵の仙人が使う戦術、魔法のわからん殺しのオンパレードが幕を開けます。
激しくなる殷軍の反撃をかいくぐり、
姜子牙たちは殷の首都の朝歌にたどり着くことができるのでしょうか。

次は下巻の簡単な解説と今作の全体的な評価を紹介します。
あと一つでおわりますので、どうかお付き合いくださいませ。



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2018年11月17日

小学生にわかるかな? 封神演義の世界観 その1

先日封神演義(児童文庫)について紹介を行いました。
今回は補足程度に勢力、世界観についての紹介をしていきたいと思います
よろしければどうぞご覧ください。


殷王朝に対して周の王様が革命を起こす

史実では殷の力が弱くなった&悪政が続いたため
周の文王が太公望を軍師に迎えて蜂起。殷王朝を倒しにいく、という流れですが・・・
大筋は変わりません。周の革命マーチが封神演義のメインの部分です。
ここにフィクション要素を入れるのですね。

妲己
殷の紂王を完全におかしくした張本人。
正体は女媧という女神クラスの仙人が召喚した女狐(が娘の体を奪った状態)です。
本来女媧は良い人側なのですが、妲己を紂王にけしかけたのは、彼が不敬を働いたせいです。
それは女媧をかたどった像に紂王が惚れて「側に置きたい」と言ったから。
すぐにでも紂王を消したかった女媧ですが、この当時は
まだまだ殷王朝は続くから手出し不能という神様の決まりがあったため、
腹いせの代わりに三匹の妖怪を人間界に送り込んだのです。紂王を堕落させ滅ぼすために。
その一匹が千年生きた狐なのです。
妖術を覚え人の姿になれるようになった妲己は人間になりすまし、紂王に接近。
まんまとお気に入り認定された妲己は紂王をたぶらかし、
民や家来を残酷に扱い始めます。


この頃はもう天界で「殷王朝終了のお知らせ」が発表されていたので、
これを機に一気に天下が動いていくことになります。






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2018年11月16日

これからの指針 雑記なのでスルーしましょう。

私は基本毎日記事を上げています。
「とりあえずブログ初心者は毎日あげましょう」とか書かれていたからです。
昨日は、仮眠をとったつもりだったのが気づいたら朝でしたorz
そうして思いました。

やっぱり睡眠時間を削ってまでやるものじゃないな、と。
そう、ブログを毎日更新するためにネタや経験を拾ってきて、
下手なりにうまくまとめて、他の作業もしてたら
睡眠時間ないやこれ(笑)な状態がありました。ここは仕事している人の辛さですねー
じゃあ何かやめよう、と思うでしょうが
ゲームや趣味をやめるくらいなら迷わずこれを辞めます。
というのももったいないので、続けますけどね

と、いう訳で更新頻度を少し緩めます
そして初心者ブロガーは失踪していくんですね。


今回は完全な雑記なのでここから先の閲覧はご自由にどうぞ!
今後の指針と近況を軽くまとめます。




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タグ:雑記

2018年11月14日

小学生でもわかる封神演義 児童文庫

今回は久々に漫画でもなくマニアックな人の史実紹介でもありません。
字ばかりの本です、しかも児童向けの。
早速紹介していきたいと思います。
成人している私から見ても魅力的な部分を3つほどにまとめてみました

軽装版 封神演義(上) 妖姫乱国の巻 (軽装版偕成社ポッシュ) [ 許 仲琳 ]



封神演義
上、中、下、巻の3巻構成(完結済)

封神演義、と聞くと某週刊少年誌で「封神演義」として連載していたものがありました。
面白いそうなのですが、残念ながらこちらは未読なんですよね・・・

簡単に説明すると、
史実を題材とした超・ファンタジー小説」ということです。

本書のポイントを3つにまとめてみましたので、よろしければご覧ください!



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2018年11月13日

剣の達人でも、将軍でも死ぬときは死ぬ 足利義輝 紹介(巻きモード)

皆さんは足利 義輝という人物をご存知でしょうか?
まあ大体の人は「?」だとおもうので、軽く紹介をすると、
室町幕府の13代将軍であり、剣豪であり、
ミスター下克上(される側)
だという事です。
将軍という地位にいながら下の者に倒されてしまったかわいそうなお人。
今回はこの人物について「駆け足で」紹介していきたいと思います!

足利 義輝
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1536~1565
室町幕府 第13代征夷大将軍



管領・細川に振り回されっぱなし


義輝が生まれた時から父(十二代将軍)足利義晴は管領である細川晴元と争っていました
管領というのは簡単に言えば将軍を助けるための偉い人の役職です。
ところがこの細川晴元という人物、
父親は将軍を追放するわ当の自分は将軍と争うわで
なかなかめんどくさい実力者
です。
しかも戦いの力も(義晴よりも)強いので、義輝は父と一緒に度々
近江(滋賀県)まで逃げていた
らしいです。
足利義輝さんは幼少のころから苦労していたんです。






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