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2018年11月20日
小学生にだってわかるかも 封神演義 その3
![]() | 拡大推奨、表をつくる気力がなかったので 手書きですみません・・・ |
前回までのあらすじ〜
周の王様の師匠になった姜子牙さんは魔法のアイテムを仙人から貰って快進撃!
聞仲という仙人だけど派閥の違う相手と戦ってからは
他の仙人や超人の敵が現れてハチャメチャになりました。
〜おわり
今回は最後の部分の紹介と四大奇書に選ばれていない理由について考えてみます!
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2018年11月19日
小学生にわかるかな? 封神演義 その2
前回までのあらすじ〜
封神演義とは人対人の戦いに仙人たちが参加して争い、命を落としていった人を
まとめて神界に送って神様にしてしまおう、任せたよ姜子牙(太公望)さん!
〜おわり
天命でも殷の王朝が終わりを告げていたころ、当の殷王朝はというと、
一番偉い王様が妲己(狐の妖怪)にたらし込まれて堕落。
拷問やひどい政治を好むようになったので次第に人々の心は離れていきました。
仙人界で仙人としての修行を積んでいた姜子牙は増えすぎたり落ちこぼれたりした仙人を
再編するという使命を帯びて人間界に降りてきます。
ここで老婆と結婚することになる姜子牙。ですが出世の見込みナシとされたことで別れてしまうのですが、
彼が出世した後戻ってきた妻に対して言った姜子牙の故事が
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)です。
過ぎたことはもう取り返せないという事ですね。
場面は変わって、のちに反乱を起こし周の文王と呼ばれるようになる姫昌はある日、剣じゃと呼ばれる人物に会いに行くことになりました。
その人物はほとりで釣りをする老人。釣り餌がついていません。文王が、
何故餌を付けないのかと聞いたら、「釣ろうとしているのは天下です」
とかましてきた人物こそ人間界に降りてきた姜子牙なのです。
こんがらないように補足しますとこのお話は伝奇もの、千歳超えや世界が複数ある世界観なので
史実とは同じようで違うことに注意。
姜子牙とはなしている内に心を打たれた姫昌はこの人物をぜひ迎えたいと考えます。
そして姜子牙の事を師匠として自軍に迎えた姫昌。この時家来が
「このお方こそ、あなた(太公)が望んだ人物です!」といったことが
太公望の呼び名の由縁。
こうして殷を倒す準備を整えた周軍。この時仙人から姜子牙に仙獣・四不象と宝貝(パオパイ、パオペエとも)が渡されます。
ここから周軍の反乱、進撃が始まるというわけです!
はじめは宝貝や多くの仲間がいる周軍が圧倒的でした。
ちゃっかり文王が死に、武王へと世代交代していますがそれは置いておいて。
しかし中盤に差し掛かったころ紂王の師匠であり仙人の修行を積んだ聞仲という人物がたちはだかります。
姜子牙と聞仲は人間が仙術の修行をしたという所は同じですが、派閥が違いました。
姜子牙が修行した場所は崑崙山(こんろんざん)。
主に人間が修行する場所であるのに対し、
聞仲が修行した場所は金ゴウ島(きんごうとう)。
元々は聞仲も崑崙山で修業していたのですがパスポートのようなものがなかったので追い出されてしまいます。
諦められない聞仲は主に物質や動植物が修行している金ゴウ島で修業を積みました。
崑崙山サイドは絶対に金ゴウ島出身の仙人を人と認めません、要は差別です。
優等生(気取り)の崑崙山と落ちこぼれ(扱いされている)金ゴウ島、
この対決を境にして、両サイドから仙人や超能力者が現れ、
人間を巻き込んだ仙界の代理戦争へと発展していくことになります。
手助けにきた仙人たちのおかげもあって
辛くも聞仲を倒した姜子牙たち。しかしここから周軍の圧倒的な勝利はなくなり、
殷軍と敵の仙人が使う戦術、魔法のわからん殺しのオンパレードが幕を開けます。
激しくなる殷軍の反撃をかいくぐり、
姜子牙たちは殷の首都の朝歌にたどり着くことができるのでしょうか。
次は下巻の簡単な解説と今作の全体的な評価を紹介します。
あと一つでおわりますので、どうかお付き合いくださいませ。
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封神演義とは人対人の戦いに仙人たちが参加して争い、命を落としていった人を
まとめて神界に送って神様にしてしまおう、任せたよ姜子牙(太公望)さん!
〜おわり
天命でも殷の王朝が終わりを告げていたころ、当の殷王朝はというと、
一番偉い王様が妲己(狐の妖怪)にたらし込まれて堕落。
拷問やひどい政治を好むようになったので次第に人々の心は離れていきました。
仙人界で仙人としての修行を積んでいた姜子牙は増えすぎたり落ちこぼれたりした仙人を
再編するという使命を帯びて人間界に降りてきます。
ここで老婆と結婚することになる姜子牙。ですが出世の見込みナシとされたことで別れてしまうのですが、
彼が出世した後戻ってきた妻に対して言った姜子牙の故事が
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)です。
過ぎたことはもう取り返せないという事ですね。
このお方こそ、わが太公が望んだ人物
場面は変わって、のちに反乱を起こし周の文王と呼ばれるようになる姫昌はある日、剣じゃと呼ばれる人物に会いに行くことになりました。
その人物はほとりで釣りをする老人。釣り餌がついていません。文王が、
何故餌を付けないのかと聞いたら、「釣ろうとしているのは天下です」
とかましてきた人物こそ人間界に降りてきた姜子牙なのです。
こんがらないように補足しますとこのお話は伝奇もの、千歳超えや世界が複数ある世界観なので
史実とは同じようで違うことに注意。
姜子牙とはなしている内に心を打たれた姫昌はこの人物をぜひ迎えたいと考えます。
そして姜子牙の事を師匠として自軍に迎えた姫昌。この時家来が
「このお方こそ、あなた(太公)が望んだ人物です!」といったことが
太公望の呼び名の由縁。
こうして殷を倒す準備を整えた周軍。この時仙人から姜子牙に仙獣・四不象と宝貝(パオパイ、パオペエとも)が渡されます。
ここから周軍の反乱、進撃が始まるというわけです!
仙人たちにも派閥あり、中盤の大ボス聞仲
はじめは宝貝や多くの仲間がいる周軍が圧倒的でした。
ちゃっかり文王が死に、武王へと世代交代していますがそれは置いておいて。
しかし中盤に差し掛かったころ紂王の師匠であり仙人の修行を積んだ聞仲という人物がたちはだかります。
姜子牙と聞仲は人間が仙術の修行をしたという所は同じですが、派閥が違いました。
姜子牙が修行した場所は崑崙山(こんろんざん)。
主に人間が修行する場所であるのに対し、
聞仲が修行した場所は金ゴウ島(きんごうとう)。
元々は聞仲も崑崙山で修業していたのですがパスポートのようなものがなかったので追い出されてしまいます。
諦められない聞仲は主に物質や動植物が修行している金ゴウ島で修業を積みました。
崑崙山サイドは絶対に金ゴウ島出身の仙人を人と認めません、要は差別です。
優等生(気取り)の崑崙山と落ちこぼれ(扱いされている)金ゴウ島、
この対決を境にして、両サイドから仙人や超能力者が現れ、
人間を巻き込んだ仙界の代理戦争へと発展していくことになります。
手助けにきた仙人たちのおかげもあって
辛くも聞仲を倒した姜子牙たち。しかしここから周軍の圧倒的な勝利はなくなり、
殷軍と敵の仙人が使う戦術、魔法のわからん殺しのオンパレードが幕を開けます。
激しくなる殷軍の反撃をかいくぐり、
姜子牙たちは殷の首都の朝歌にたどり着くことができるのでしょうか。
次は下巻の簡単な解説と今作の全体的な評価を紹介します。
あと一つでおわりますので、どうかお付き合いくださいませ。
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2018年11月13日
剣の達人でも、将軍でも死ぬときは死ぬ 足利義輝 紹介(巻きモード)
皆さんは足利 義輝という人物をご存知でしょうか?
まあ大体の人は「?」だとおもうので、軽く紹介をすると、
室町幕府の13代将軍であり、剣豪であり、
ミスター下克上(される側)だという事です。
将軍という地位にいながら下の者に倒されてしまったかわいそうなお人。
今回はこの人物について「駆け足で」紹介していきたいと思います!
足利 義輝

1536~1565
室町幕府 第13代征夷大将軍
義輝が生まれた時から父(十二代将軍)足利義晴は管領である細川晴元と争っていました。
管領というのは簡単に言えば将軍を助けるための偉い人の役職です。
ところがこの細川晴元という人物、
父親は将軍を追放するわ当の自分は将軍と争うわで
なかなかめんどくさい実力者です。
しかも戦いの力も(義晴よりも)強いので、義輝は父と一緒に度々
近江(滋賀県)まで逃げていたらしいです。
足利義輝さんは幼少のころから苦労していたんです。
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まあ大体の人は「?」だとおもうので、軽く紹介をすると、
室町幕府の13代将軍であり、剣豪であり、
ミスター下克上(される側)だという事です。
将軍という地位にいながら下の者に倒されてしまったかわいそうなお人。
今回はこの人物について「駆け足で」紹介していきたいと思います!
足利 義輝

1536~1565
室町幕府 第13代征夷大将軍
管領・細川に振り回されっぱなし
義輝が生まれた時から父(十二代将軍)足利義晴は管領である細川晴元と争っていました。
管領というのは簡単に言えば将軍を助けるための偉い人の役職です。
ところがこの細川晴元という人物、
父親は将軍を追放するわ当の自分は将軍と争うわで
なかなかめんどくさい実力者です。
しかも戦いの力も(義晴よりも)強いので、義輝は父と一緒に度々
近江(滋賀県)まで逃げていたらしいです。
足利義輝さんは幼少のころから苦労していたんです。
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2018年11月06日
楽毅さん 補足と戦国後日談
前回の楽毅の紹介にて
少ない活躍で伝説級の働きと紹介しましたが・・・思いませんでしたか?
ちょっとパンチに欠けるんじゃ?と。
そう思ったので、楽毅が5カ国共同チームの監督になったことのすごさの補足をば。
そして彼の歴史に名を残した事が戦いだけではないということ、
ついでにその後の中華大陸のあらましの紹介をさせていただきます

五か国共同チームでの勝利
もう簡単にいってしまいましょう。
スポーツで特に一緒に練習していない合同チームが金メダルを取るようなものです。
当時の燕の相手国斉は圧倒的な国力を誇る巨大国家です。
例えるならスポーツの強豪。強豪ですから人一倍訓練していますし、
斉の兵士は弱いわけではありませんでした。そんな兵士が20万もいたにも関わらず、楽毅が勝ってしまったのです。合同チームで。
当時の滅ぼされそうだった国からすれば、彼の姿は英雄に映ったでしょう!
50万の大兵力で、山や峠での戦いではなく、
大将が馬鹿ではなかったから勝って当然
という話は内緒です。
済西の戦いで斉軍を破ってからは燕軍のみで約70もの城を落としたこと
こそ彼が優れた将軍と言われる理由かもしれません。
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2018年11月05日
仕事は伝説級 だけど社長に恵まれなかった男 楽毅 紹介
皆さんは楽毅という人物をご存知でしょうか?
漫画「キングダム」を読んだことがある方なら名前は聞いたことがあるでしょう。
作中でも伝説の将軍とされており、コーエーテクモゲームズのゲーム「三國志」では
お助けキャラとして登場するものすごく軍の扱いが上手い将軍です。
君主に恵まれず、十分に活躍することができずに更迭されてしまう不運な武将なのですが、逆をいえば、
その少ない活躍で後世まで伝わる伝説級の功績を上げた将軍なのです。
今回はこの武将について取り上げていきたいと思います

![]() |

今では缶数50を超える人気作。派手なアクション好きにはおススメです!
最初から大変な楽毅さん
中山国(今でいう中国の北にあった小国)で生まれたといわれる楽毅の名前が出てくるのは、
中山国に仕え始めた時からだといわれています。
仕えたのはいいものの、すぐにお隣さんの趙に滅ぼされてしまいます。
このままではいきなり無職の楽毅、しかし今回は趙の王様への仕官に成功。
彼の躍進はここから始まります!→すみません、始まりません。
彼が活躍するのはもうちょっと先です・・・
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2018年11月03日
小学生でもわかる源氏と平氏その2 そもそもゲンジとヘイシって?
そもそもGENJIやHEISHIって何?
![]() |

以前この時代についての児童文庫を紹介しましたが、そういえばこれらの名前のルーツを説明していませんでしたっけ

小学校の授業でさわる範囲、「武士のおこりと源氏、平氏」ですが、
まあほとんどの人はゲンジ(よくわかってない)と兵士と覚えるでしょう。かくいう私もそうでしたから。
結論からいうと、
源さんと平さん、です。そのまんまですね

よくわからない人は、
「昔天皇家の一族だった人がこれらの名字を与えられたのが始まり」でOKかと思います。
もう少し詳しく紹介しますと、以下のようになります。簡単にやっていきましょう!
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2018年10月31日
モンゴルの暴れん坊将軍 チンギス・ハーン 人物紹介
季節は秋、寒くなってくるこの時期はお鍋がおいしくなる季節でもありますね。
私は根っからの北海道民なので(関係ないか)、一念を通してジンギスカンを食べる機会があるのですが・・・
ラム肉を使った鍋料理ジンギスカン。モンゴル発祥で、ラムの他に現在ではピーマンやらもやしやら、多数の野菜と一緒に食べますよね
これ以上話せば食べたくなってしまうのでこの辺に致しまして、
今回はそのモンゴルの英雄チンギスハンについて、(できるだけ誰でもわかるように)簡単に砕いて紹介していきたいと思います!
チンギスハン(ジンギスカン) 1162-1227
左はKOEI、右はWIKIより
移動しながら家畜を育てる遊牧民系であり、一族でリーダーシップを持った人が登場して皆をまとめ、この遊牧民は有力な集団に発展していきました。
馬や弓を使った素早さ重視の戦いを得意とし、彼の子孫フビライハンは日本をその戦法で苦しめました。
続きを読む
私は根っからの北海道民なので(関係ないか)、一念を通してジンギスカンを食べる機会があるのですが・・・
ラム肉を使った鍋料理ジンギスカン。モンゴル発祥で、ラムの他に現在ではピーマンやらもやしやら、多数の野菜と一緒に食べますよね
これ以上話せば食べたくなってしまうのでこの辺に致しまして、
今回はそのモンゴルの英雄チンギスハンについて、(できるだけ誰でもわかるように)簡単に砕いて紹介していきたいと思います!
チンギスハン(ジンギスカン) 1162-1227
![]() | ![]() |
左はKOEI、右はWIKIより
移動しながら家畜を育てる遊牧民系であり、一族でリーダーシップを持った人が登場して皆をまとめ、この遊牧民は有力な集団に発展していきました。
馬や弓を使った素早さ重視の戦いを得意とし、彼の子孫フビライハンは日本をその戦法で苦しめました。
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2018年10月30日
敵は本能寺にあり! 明智光秀 尊敬ルート
前回まででの紹介では、彼の生い立ちから信長と面識を持つところまでを紹介させて頂きました。
今回はその残りの部分を新説ルートでたどっていきます
お好きな方を読んで頂けたら幸いです。
※今回は研究でわかった事、小学生の頃に読んだ光秀や信長の紹介とは逆の方向です。
そしてこのルートは漫画「センゴク」が採用しているので、少々活用させていただきます!続きを読む
今回はその残りの部分を新説ルートでたどっていきます
お好きな方を読んで頂けたら幸いです。
※今回は研究でわかった事、小学生の頃に読んだ光秀や信長の紹介とは逆の方向です。
そしてこのルートは漫画「センゴク」が採用しているので、少々活用させていただきます!続きを読む
2018年10月28日
敵は本能寺にあり! 明智光秀 ノイローゼルート
前回まででの紹介では、彼の生い立ちから信長と面識を持つところまでを紹介させて頂きました。
今回はその残りの部分を通説ルートでたどっていきます
お好きな方を読んで頂けたら幸いです。
※今回は昭和期などの通説、信長や光秀について紹介した本を参考にしているものです!
現在のウィキペディアとは違った解釈が多いかもしれません
続きを読む
今回はその残りの部分を通説ルートでたどっていきます
お好きな方を読んで頂けたら幸いです。
※今回は昭和期などの通説、信長や光秀について紹介した本を参考にしているものです!
現在のウィキペディアとは違った解釈が多いかもしれません
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2018年10月26日
敵は本能寺にあり! 明智光秀 その1
大河の主人公が決まったり、彼が主人公の漫画も出たりと、
少しづつ脚光を浴び始めている武将。
今回は明智 光秀について、今風の表現を使って稚拙な文でわかりやすさ重視の文で
紹介していきたいと思います
それにつきまして、この人物には色々な人物像がございまして
大体2つのルート(主に信長に対して)にわかれるかなと思っています。
その二つとは、私の見解では、恨みか尊敬か、です。
まずは織田信長と出会う前までの説明から〜
明智 光秀
実をいうと彼は誕生年から所説ある謎の人なんです。
生まれた年は1528年とも1540年とも。
美濃(岐阜県)の殿様土岐氏の一族、という説が有力だとされています。
青年時代も実は謎。下の立場の者が上の者を倒す下克上により誕生した斎藤家に仕えたとも、諸国で修業したとも、はたまたお寺で坊主をしていたとも言われていますね。
このあたりの説明、お話のつなぎ方は光秀主人公の作品の腕の見せ所といったところです。
本格的に明智光秀という武将が活躍し始めるのが1565年、室町幕府13代将軍足利義輝が暗殺された頃から。
自分が将軍になるために後ろ盾が必要な足利義昭は、全国の力のある大名に
「強い人募集!(自分を守ってくれる)やる気のある人大歓迎!!」
と書いた求人(のようなもの)を全国にばらまきます。
最初は越前(今の福井県あたり)の朝倉氏を頼ろうとしますがこの国の殿様は引きこもりであり、中々頼りになりません。
そんな中美濃で力を伸ばす織田信長に光秀さんは目を付けるわけです。
将軍(候補)義昭に、「信長の力、借りてみませんか?」と誘い、信長に対する使者として向かう事に。
(最近では、この頃はまだ重要な立ち位置にはいなかったとされる話もあります)
ここで光秀と織田家か関わってくるのですね。
因みに光秀さんはこの時は足利と織田両方の家来。
武士は二君に見えず、とよく聞く言葉もこの時代では存在しません。強いほうが正義ですから。
この頃すでに織田家の力は強く、山城(京都府)への行く先を邪魔する勢力をなぎ倒していきます。
こうして義昭は無事将軍になれたのですが・・・
明智光秀 としての人物が分岐するのはここからだと私は思います、ので
あえてルートを分けて紹介します。どちらでもできるだけ簡単に紹介しますので、
お好きな方をご覧いただけたら幸いです!
少しづつ脚光を浴び始めている武将。
今回は明智 光秀について、今風の表現を使って
紹介していきたいと思います

それにつきまして、この人物には色々な人物像がございまして
大体2つのルート(主に信長に対して)にわかれるかなと思っています。
その二つとは、私の見解では、恨みか尊敬か、です。
まずは織田信長と出会う前までの説明から〜
明智 光秀
時代 安土桃山時代 死没 1582年 ニックネーム 十兵衛 キンカン など 画像はwikipediaより | ![]() |
岐阜県ゆかりのお人?
実をいうと彼は誕生年から所説ある謎の人なんです。
生まれた年は1528年とも1540年とも。
美濃(岐阜県)の殿様土岐氏の一族、という説が有力だとされています。
青年時代も実は謎。下の立場の者が上の者を倒す下克上により誕生した斎藤家に仕えたとも、諸国で修業したとも、はたまたお寺で坊主をしていたとも言われていますね。
このあたりの説明、お話のつなぎ方は光秀主人公の作品の腕の見せ所といったところです。
いよいよ登場!時代は激動!
本格的に明智光秀という武将が活躍し始めるのが1565年、室町幕府13代将軍足利義輝が暗殺された頃から。
自分が将軍になるために後ろ盾が必要な足利義昭は、全国の力のある大名に
「強い人募集!(自分を守ってくれる)やる気のある人大歓迎!!」
と書いた求人(のようなもの)を全国にばらまきます。
最初は越前(今の福井県あたり)の朝倉氏を頼ろうとしますがこの国の殿様は引きこもりであり、中々頼りになりません。
そんな中美濃で力を伸ばす織田信長に光秀さんは目を付けるわけです。
将軍(候補)義昭に、「信長の力、借りてみませんか?」と誘い、信長に対する使者として向かう事に。
(最近では、この頃はまだ重要な立ち位置にはいなかったとされる話もあります)
ここで光秀と織田家か関わってくるのですね。
因みに光秀さんはこの時は足利と織田両方の家来。
武士は二君に見えず、とよく聞く言葉もこの時代では存在しません。強いほうが正義ですから。
この頃すでに織田家の力は強く、山城(京都府)への行く先を邪魔する勢力をなぎ倒していきます。
こうして義昭は無事将軍になれたのですが・・・
明智光秀 としての人物が分岐するのはここからだと私は思います、ので
あえてルートを分けて紹介します。どちらでもできるだけ簡単に紹介しますので、
お好きな方をご覧いただけたら幸いです!