2018年11月25日
古代編 銅鐸って?

銅鐸ってなんて読むんですか?
そもそもここからわからない方もいるかも・・・?
まあそうですね、知らなくても、生きてゆけますから。
学校でも習わなかったり、習ったりとまちまちですしね
銅鐸
読み方はドウタク。
弥生時代に造られたとされる謎の器物。
その名のとおり銅でできている鐘のようなものです。
用途・・・不明
大体の説は出ているのですが、確実にこれだというようなものはわかっていません。
祭りの飾りだったり、田畑の測量に使うものを収納するものだったり、戦いで号令用に使う、だったり・・・
個人的には、お祭り用が一番説得力あるなとは思うのですが、
なぜそう思うのか、簡単に各説をみてみます。
まず戦いの号令用としてはどうでしょう?
昔の戦争では、軍勢に合図を送るために太鼓やドラを使用していました。
この銅鐸もそのように使われていた、または使うつもりだったか?
銅鐸は大体の重さが60KG位あるといわれています。
こんな重量物を運ぶのは苦労しますし、
なにより戦いにこれを持ってくるなら鉄器持ってきたほうが勝てますよ!
当時にも、技術による力の差はありましたので、
この
逃げる時も攻める時も、台車を使うにしても不便ですよね。
次に田んぼのサイズを測るものの収納具としての使い方。
不便でしょう。持ち歩けない収納具はただの家具ですから、そのまま道具を持って行くほうが楽なのでは?
そしてどうやらこれは
田んぼなどの測量に使う糸を収納するための道具、という説らしいです。
確かに物を測る時に糸は使えますし、糸をだしてくれる蚕(カイコ)を育てたり、麻を栽培していた形跡がこの弥生時代にはあります。が、
この時代に検地の技術が果たして倭国にありますかね

まだおまじないで政治を行う時代ですし、口分田や荘園の考えも存在しないですからね・・・
ネタばらししますと、こちらはインターネット上の一説です(すみません!)
調べると出てくると思いますので、気になった方は調べてみてくださいませ。
最後にお祭り用としての使い方。
先も紹介しましたが、この時代はまじないによって色々な事を決める時代です。
銅鐸の表面には稲穂の絵が描かれていたりするのですが・・・
雨ごいや豊作願い&祝いで使ったと考えればどうですか?
色々な場所にこの重量物を動かす必要もないですし、収納具として使う事もありません。
やっぱり私はこの使い方が一番しっくりくるのです。
結局一つの結論に誘導するような形になってしまいましたが

最初に述べたように、完全な用途は不明であるというのが現状の銅鐸。
その分様々な説があるので、中には面白い物もありました。
どれを信じるかは皆さん次第です。
今回はいつもより気楽に紹介しました(内容が内容ですからね)
もしこの記事を読んでくださった方は、
「ふーん」といって、忘れましょう。私も来月には忘れる自信があります。
でももしかしたら銅鐸について、雑学として誰かに紹介できる日がくる・・・!
かもしれません。
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