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謎解きはディナーのあとで 東川篤哉

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まさにシナリオありきといった作品だ。

映画で観ても、原作で読んでもどちらにしろ物語の展開に圧倒されるのではないだろうか。

僕は、映画の方を観たが、正直、俳優を全員変えても(決して悪いわけではない)面白さが半減することはない。

それくらい筋が通っていておもしろい作品だ。

ただ、変えるとしても中村雅俊と宮沢りえは個人的には変えないでほしい。

二人とも、雰囲気と存在感がすごい。

名探偵コナンやシャーロックシリーズが好きな方は、構成と伏線の張り方に驚嘆すると思う。

それでいて、犯人側にも犯行の動機にも深いストーリーがあり物語をいっそう引き締める。

こういうのを日本的だ。という人もいるが、個人的にはこっちの方が好きだ。

一方の視点から悪とか正義とか、わけるものではなく、そのどちらも、人間には混在してるものであって、画一的なものではないと思う。

作者の東川篤哉さんをこの作品で初めて知ったが、僕みたいに東野圭吾好きとしては、他の作品もチェックしようと思う。



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アカギ 闇に降り立った天才 福本伸行 

おもしろい。

めちゃくちゃおもしろい。

麻雀やる人は、どっぷり浸かれると思う。


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昔少年マガジンで連載されてた「哲也」もハマったが、また違った男気溢れるストーリーになってる。

「哲也」は麻雀がわからない人でもある程度読める感じはするが、こちらはある程度の知識がないと麻雀の深みを感じられない。


近代麻雀で立ち読みした事のある程度で、ほとんど筋を知らなかったが、1巻から読み出したら止まらなくなった。

ほんとに続きが気になってトイレの中でもお風呂の中でも、読みまくってしまった。













麻雀とか博打の、リングの中で、アカギは命を賭けて戦っている。

そして、それは相手が強ければ強いほど白熱していく。

逆に、そうでなければアカギは、戦いに興味を示さない。

望むのは、命のやり取りであって、その生きるか死ぬかの地獄の淵でしかアカギは生きてる実感を感じないだろう。

作者はアカギにモデルなど存在せず、ただ理想の男性像を投影して作ったとの事。

その男気溢れる闘志とギリギリのとこでの冷静さの描写に、男もアカギの虜になってしまう。



「不合理こそ博打 それが博打の本質 博打の快感 不合理に身をゆだねてこそギャンブル」

「まだだよ  まだ終わってない   まだまだ終わらせない! 地獄の淵が見えるまで 限界までいく!どちらかが完全に倒れるまで..........勝負の後は骨も残さない.......」

「どうせ死ぬなら強く打って死ね!」


ひとつひとつのワードにアカギの覚悟を感じる。

アカギ−闇に降り立った天才 1 highstone comic




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しごとのはなし 太田光[爆笑問題]

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最近呑み屋でお笑いの話をした。

その時、1人が「爆笑問題」で爆笑した事なんて一度もないしおもんない、と言って切り捨てられた時、内心『そんな嫌いじゃないんだよな』とか思いながら、聞き流した。

特に太田光は、確かに、空気を壊したり、悪性の滑り方をしたりと言わんとする事も理解はできるし、2chで叩かれてるのを見かけたりする。

ただ、NHKで教授と対談したり、政治討論番組なんかでは、【芸】として面白い事ではなく、【人間】として鋭い事を言ったりする。

そこにいるパネラーも、進行も、視聴者さえも思いつかないような隙間の隙間をつくような盲点を。

そういう意味で【人間】として面白いと個人的に思う。



そういう経緯があり、何気にこの本を手に取った。

読んでみると、その、空気を壊してしまったりする経緯も書いてあった。

「芸人の過剰なプロ意識が俺には似合わないし、好きじゃないのだと思う。特に、テレビのバラエティー番組での《プロだったら、このボケに対してこうツッこむべき》といったプロ意識が、俺には予定調和に感じられて壊したくなる」


確かに、テレビはどれだけ大衆に受けるかであるわけだから、紋切り型の内容の方が、視聴者は安心するのだろうが、そこの隙間に価値を見いだす少数派の方は、太田をおもしろいと感じてるのではないかと思う。

また、お金の価値観について、
「三ツ星レストランで何万円も払って食べるフルコースより、貧乏時代に、ちょっとだけ奮発して食べる800円のカツ丼のほうが絶対うまい。」
ここまでは、よく聞く話だが、
「俺は、思春期に、ピカソの『泣く女』を観て感動した。仮に今、『泣く女』を買い取れる収入があったとする。でも、その絵を家に飾ったとしても、思春期ほどの感動が得られるかといえば絶対に無理だと思う。」

なぜか、この一文に妙に納得してしまった。
美術や絵画に全くの門外漢であるのにも関わらず。


エンタメとアートの項は、すごく心に残った。

アートというのは、こうでなくてはいけない、といった格式みたいなものを太田は嫌っている。

「どこかの偉い先生が、造った何百万円もするような茶碗は普通には使えない。

それよりも、誰でも使える紙コップにアートを感じたりする。」

「ダ・ヴィンチやチャップリンだって、当時は大衆的だったわけで、だからこそ、時代や国境を越えて受け入れられた。」




太田は言う。
「論語いわく。40歳は不惑の年。けれど、俺は迷ってばかりいた。」
と、そしてそれは今も変わらないはずだ。

そして、迷いながらも、

「隙間を狙って笑わせるしか、今の俺にはできることなんてありはしないのだ」

と、綴っている。

記録よりも記憶に残ること。

記録は塗り替えられてしまうかもしれないが、記憶は覚えている限り消えない。


刃の裏にある繊細なタッチで綴られた、この本は少なくとも僕の記憶に残ると思う。


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空腹が人を健康にする 南雲吉則

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キャッチコピーが「一日一食で20歳若返る」という、斬新なもの。そしてほんとにそんな事は可能なのか?という疑念を持ちながら読み始めた。

一番、説得力を出していたのは、著者紹介の写真だ。

執筆時、56歳との事だったが、ほんとに20歳くらい若く見えなくもない。それでいて、自分も56歳になった時、これくらい若々しくいられたらと思えるくらい男前に写っている。

見た目は関係ないというが、そこを真っ向否定し、体の健康、不調は全て外面にサインとして表れてくる、と主張している。そこは、男も女も見た目を素通りして恋愛できない事の裏付けともいえる。下腹が出ているよりも、くびれているに越したことはない。

スポーツジムに通う人が、不健康に見えたり、ハゲ治療の先生がハゲていては、なんの説得力もない。

また、一般的に「食べてすぐねてはいけない」「身体は温めた方がいい」「朝御飯はしっかり食べた方がいい」という通説を医師として、医学的見地から否定し解説、実践している。

人類と生命力を上げるのは『飢え』と『寒さ』であり、17万年の人類史上、飽食の時代といわれているのはここ50年であり、一部の先進国である。

そして、その飽食社会を維持するために、生態系や食物連鎖に影響を与えている。


確かに、一日三食、食べてきた現代人にとって、一日一食というのはハードルが高い。
けれど、著者は、少しずつ減らすことで、一日の絶対量は減るわけだから、無理のないようにと提案している。

何事も長続きが苦手な自分みたいなタイプには肩の力がぬけていい。


この著書は単なるダイエット本というよりは、人がどう健やかに充実した人生を生きていくかという知恵袋みたいな様相を呈している。



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『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』(Knockin' on heaven's door) 監督 トーマス・ヤーン

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タクシードライバーで生計を立てていたトーマス・ヤーンがティル・シュヴァイガーに脚本を送ったところ、ティルがこの映画の脚本を気に入り、スポンサーを探し回った。
ティルはこの映画でモスクワ国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞。その後も監督・脚本なども手がけるティルの出世作となった。

あらすじ
「天国じゃ、みんなが海の話をするんだぜ。」 医師から余命わずかと宣告されたふたりの男は、そう言って海を見るために旅に出た。 しかし、乗り込んだ車は、大金を積んだマフィアのものだった……。 海を見たことのない二人の男の、明るく切ないロードムービー。



自分の大好きな映画の一つである「最高の人生の見つけ方」に少し似ている所もあるが、全くの別物である。

ただ、どちらも「死」「友情」「愛」といったテーマに関しては共通していて、やはり自分の好きな映画が人生のテーマだったりする。
こちらはしゃべくり007で有田哲平さんのプレゼンきっかけで観た。ぜひこちらも観ていただきたい。

日本版リメイクで長瀬智也と福田麻由子で作られたが、本作で受けた衝撃がでか過ぎて期待はずれとしかいいようがなかった。

当時、本作を観た後しばらく動けなくなった。それほど、自分にとってこの映画は影響を与えていて、自分の生き方のテーマですらある。

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ラストにボブディランのKnockin' on Heaven's Doorが流れる。生きてる意味とかはわからないけど、マーチンは海を見ながら生きてる実感は感じれたと思う。その曲の流れ出すタイミングとそっと見守るルディの横顔が印象的だ。













いまを生きる 監督 ピーターウィアー







ロビンウィリアムズの追悼と自分の中で銘打って、「今を生きる」を借りてきた。

多分高校生くらいに観た映画だったと思うが、ストーリーをほとんど忘れている自分に驚いた。

覚えているのは教科書を破り捨てたり、机の上にたったり、洞窟で詩を詠んだりといった、予告編とか使われるような印象的なカットばかりだ。



何故、教科書を破ったり、机の上にたったりするのか、もしくは、理解してなかったのか、いろいろ逡巡しながら観た。

当時、この映画は面白かったという記憶とジョンキーティング(ロビンウィリアムズ)みたいな先生がいたらいいのにと思った記憶はある。




同時期、グッドウィルハンティングでのロビンとマットデイモンにはまり何度も観たものだ。



観かえすと、いろんな記憶の断片がつながり、点が線で繋がる。

なぜ、教科書を破り、机の上に立ち、洞窟で詩を詠むのか、ipadairのcmでも、ジョンキーティングの名言を引用しているが、数多くの名言とともに、生徒のその意味を伝える。


ちなみにipadairのcmはこちら。




こんなにいろんな意味で教訓を与え、評価を得た映画だ。


それなのに、なぜロビンは自殺してしまったのだろう。

報道ではパーキンソン病を患っていたとあり、アルコール依存症といった憶測がとんでるがほんとの事は本人にしかわからない。

ジョンの教えに感化された生徒達が、自分らのやりたい事を見つけ、恋に走りと躍動する中で、ニール(ロバートショーンレナード)の自殺が、現実のロビンの自殺とフィードバックして、ほんとにやりきれない気持ちになった。

この映画を観ることによって、そういう意味では自分なりの哀悼の意を遠くからではあるが送れたと思えた。




この映画自体が生きる上での教科書みたいなものだ。

「いまを生きる」を観た人の中に、ロビンの魂は生き続ける

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ランボー 最後の戦場 シルヴェスター スタローン

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最近、子供の頃、土曜のロードショーなんかで観た映画を、20年ぶりとかに観る事にハマってる。

理由は、ストーリーもテーマも、ほとんど覚えていない。けれど、よくできててめちゃくちゃ面白い。
確かに観たはずなのに、初めて観た感覚になれる。

人間の記憶なんていい加減なもんだ(自分が特にそうなのかもしれないが)

ただ、中には、このシーンだけは、めちゃくちゃ覚えている、みたいなとこもあって、そういうシーンは今でも曖昧だが夢に出てきたりしている。

そういう記憶を再構築しながら、当時の自分を思い出したりと、なんだか、催眠療法でもしているみたいで、リラックスできる。

他にも、伊丹十三監督の「マルサの女1.2」や「ぼくらの七日間戦争」や「エイリアン」も観たけど、懐かしいけど新鮮、みたいな不思議な気持ちになれた。

また、特に印象に残った映画は、別の機会に書いてみる。


と、この、ほとんどランボーシリーズを、観てきたはずなのに、このシリーズは1ミリも、記憶がないと思っていたら、後で調べたら、ほんとに観てなかったのである。笑


2008年5月24日に公開された映画で、主演、監督、脚本はシルヴェスター・スタローン。

「ランボー3怒りのアフガン」から20年振りの続編で、どおりで観た記憶が全くなかったわけである。

キャッチコピーが
ムダに生きるか 何かのために死ぬか お前が決めろ。


以下wikiあらすじ引用
ジョン・ランボーはタイ北部のジャングルで、ボートによる運搬やヘビ狩りを生業としながら、ひっそりと暮らしていた。人権弾圧が続く隣国のミャンマーでは、軍事政権が少数民族カレン族を凌虐し、土地や天然資源を略奪していた。

ある日、ランボーの前にキリスト教系NGOの一団がやって来て、ミャンマーへの案内を依頼する。最初は断ったランボーだったが、NGOの1人サラ・ミラーの熱心な頼みに心動かされ、彼らをミャンマーに送ることを決意する。なんとか彼らをミャンマーまで送り届けたランボーだったが、数日後、あのNGO一団がティント率いるミャンマー軍に捕らえられたことを聞く。

救出のための傭兵団を送るため、ランボーは再びミャンマーへ向かう。到着後、同行を希望するランボーだったが、リーダー格のルイスに船の見張りを命じられる。傭兵団はカレン族のビエンにNGO一団がいた村へ案内され、そこで惨殺されたカレン族を目の当りにし、継続か中止かで言い争いになる。そこにミャンマー兵が現れ、彼らの残虐な行為を目撃するものの、傭兵団は何もせず隠れてやり過ごそうとする。すると突然ランボーが現れミャンマー兵を全滅させる。それを見ていた傭兵団らは敵に気づかれる前に脱出しようするが、ランボーの言葉に動かされ、NGO一団救出の継続を決意する。

ランボーと傭兵団は、敵の根拠地に潜入し、夜の闇に紛れての救出が始まる。ルイスたちがサラ以外の生存者を救助。別の場所に居たサラもランボーに救助されるが、二人は集合時間に間に合わず、ルイスらは先に撤収する。脱出しようとするランボーとサラは敵に見つかるものの彼を待っていた狙撃兵スクールボーイに救われ、彼を加えた3人で逃走する。しかし、夜が明けるとミャンマー軍が救出に気づき、山狩りを始める。その頃、先行していたルイスたちだったが彼が地雷で重症を負い逃走が困難になっていた。別ルートで逃走していた三人だったが、サラが足を負傷。さらに追跡部隊の移動速度が速いことをランボーは悟る。そこでサラをスクールボーイに託し、自らが囮となることを決意。ランボーは第2次大戦時に落とされた不発弾を使って追跡部隊を罠にかけ、その部隊を壊滅させる。

その頃、サラとスクールボーイはボート付近の森に到着。だが、そこからボートの様子を伺うと、ティントを含むミャンマー軍の一団がおり、先行していたルイスたちは捕まっていた。ティントが彼らを処刑しようとし、二人は何もできず諦めかけていた時、ランボーが現れ、重機関銃を奪取。ミャンマー軍に向けて乱射する。傭兵たちも敵の銃を奪うなどして反撃。一時は不利になるものの、ビエンが連れてきたカレン族(カレン反乱軍)の登場により、ミャンマー軍は潰走し、ティントは戦場から逃走するが、ランボーによって倒される。

婚約者マイケルのもとに走るサラを見つめるランボー。そして彼は、オレゴンの自宅に帰るのだった。



シルヴェスタースタローンは何歳になっても、色褪せない。

いつまでたってもランボーだし、ロッキーのままである。

寡黙だが眼で語る怒りや哀しみは、スタローンのランボーの真骨頂であり、強さと優しさをあわせ持つ。

敵を一掃した後の、ランボーの表情が、この作品の全てを物語っている。

すなわち、戦争の無残さ、哀しみ、意味。

残虐なシーンは、これでもかと描かれていて、これはスタローン監督の強い意向に沿って撮影されている。

これが、戦争の現実であり、現在進行形で行われている。

僕らは、映画という作品を通して、それを垣間見る事はできる。

だが、91分という上映時間の中で、ハッピーエンドであれそうでなくても、確実に終わりに向かって行く安心感の中でしかその現実を知る事はできない。

現実は、映画の中では伝わらない、死体の匂い、地雷を踏むかもしれない恐怖、終わりが見えないままの失望と、全てを伝える事は出来ない。

けれど、その一部分でもランボーの最後の表情から、汲み取れる事はできる。



『神様は助けてくれねぇぞ』という傭兵が言った一言が、現実的でスゴく心に残る。


現実は神様どころか、ランボーみたいな正義のヒーローはいない。



ミャンマー軍からすれば、ランボーは正義ですらない。













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好きだ、 監督 石川寛


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自分が映画監督だったら、こんな作品をこんな役者を使い、こんな演出で、一度は撮ってみたい、観賞後、そう思わせる作品だった。


評価や興行成績は、監督にとってどうでもよくて、こんな作品を撮ったんだぞ、というのを一部の理解者だけに、嫉妬されることを望んでるかのように自分には感じた。


僕も嫉妬した一部の理解者だ。



ちなみに作品は、2003年撮影・2005年製作の日本映画。第1回ニュー・モントリオール国際映画祭のコンペティション部門に出品され、監督賞を受賞している。






17歳の頃の二人の日常と、34歳になってからの再会を描いたもの。

ストーリーは、変化や展開が少なく、台詞も少なく、単調で退屈な部分がある。

後で調べえたら台本はあってないようなものだったらしい。

ワンシーンは長めなのだが、そのワンシーンを撮るのに数時間費やしたりしたみたいだ。

作品を生産という点においては、極めて効率が悪い。


けれど、宮崎あおいと瑛太のキスシーンは、この手法でないとあそこまでの透明感は出せないと思う。

役者も演じてるというより、本人達のリアルストーリーにさえ感じる力を画面に感じた。



恋愛青春映画の青い空、爽快感、そういうものとは真逆で、曇り空と陰鬱、横顔を写す影、そんな空気感がある。


34歳になってからもこの空気感は続く。

「好きだ、」というタイトルと宮崎あおいや永作博美、瑛太、西島秀俊という豪華なキャストで釣られて観た方で、想像と違うと思った方もいるだろう。

その裏切りさえも、自分には心地よく感じた。



この映画は、17歳が観る映画ではなくて、34歳が観るべきだろう。

人生に光と影があるなら、影の部分を突き詰めようとしている。

けれど、ラストにわずかながらの光も照らされて救われる。

どことなく村上春樹の「ノルウェイの森」の世界観を思い起こさせた。






いずれにしても、この作品に自分は嫉妬し続けている。

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おとうと 山田洋次監督

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2010年、松竹配給原作幸田文、山田洋次監督の映画で興行収入は21億円。

第60回ベルリン国際映画祭特別功労賞(ベルリナーレ・カメラ)受賞。


吉永小百合はそれにしてもすごい。

時代が自分らの世代とはかけ離れた、往年の大女優なのに、少しも古臭くなく、奥ゆかしさと魔力を持っている。


吟子(吉永小百合)が酒癖の悪い弟の鉄郎(笑福亭鶴瓶)に小春(蒼井優)の結婚式を台無しにされ、おとうとの借金130万をなけなく肩代わりをし、一時は縁をきると言って突き放してしまったが、そんなどうしようもない弟が気になり、捜索願を出し、再開をはたす物語。

淡々と進んでいくストーリーの中に、侘び寂びがあり、退屈する事無く、一気に観る事が出来た。

東京の郊外でほそぼそと薬局を女手一人で営む吟子の、昔ながらの商店街や近所との付き合いは、話の筋とは関係なく観ていてホッコリする。

縁を切ったはずの弟が、病院に運ばれたという連絡を受け、小春の制止を振り切り、大阪に向かう。


そこで変わり果てた姿を、見られたくないと、吟子を遠ざけるが、やっぱり嬉しかったのだろう、次の日には打ち解けわだかまりがとれる。

そこには、離れていても姉弟の見えない絆の存在が、はっきりと表れていて、弟と離れて暮らす自分もすごく共感出来た。

弟の最期、吟子は鉄郎の食べたいといって注文した鍋焼きうどんを一緒に食べ、夜中に目が覚めるという鉄郎の手と吟子の手を、リボンで繋ぐ。

このシーンは、山田洋次監督が、1960年に『おとうと』を撮った市川崑監督にオマージュとして捧げられた。

リボンで結びながら「おおきに」「おおきに」と何度もいう鉄郎には、吟子はもちろん、観ている人もみんなつい許してしまう。










どんな人生を送ろうが、死ぬ間際にみんなに「頑張ったね。お疲れ様」といわれる人生の最期は決して悪いものではない。


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その夜の侍 赤堀雅秋

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暑い日差しの中、堺雅人演じる中村が、妻の復讐のために山田孝之演じる木島を追いかける所から始まる。

主に、後ろ姿中心のカットと、暗鬱なBGMでオープニングで、画面に釘付けにされる。

レビューなどは、結構低めで、「意味がわからない」「リアリティーが足りない」という意見もみた。

リアリティの部分は、確かに無理があるなと感じる所もあるし、レビューを低くつける人もいるだろうなと、理解できるところもある。

ただ、個人的には、少数派になるかもしれないが、好きな作品の一つだ。

まず、役者の演技が素晴らしい。


他の出演者には、新井浩文、綾野剛、坂井真紀、田口トモロヲ、谷村美月、高橋努、安藤サクラ、でんでんなど、そうそうたる顔ぶれで、どの方がでてる映画やドラマもおもしろかったイメージがある。

それから、知らなかった女優さんで山田キヌヲという方の演技もいい感じで物語のスパイスになっていた。

この顔ぶれで観ないという選択肢がまず自分の中にない。

もしかしたら、このメンツで脚本が違うものだったらどうなるのだろうとか、邪推もしてしまったのだが、役者の力って大事だなと感じさせられた。

そのうまさをいまさら、ここで説明してもしょうがないけど、うまい俳優というのは、日常にある喜びや悲しみや怒りを、人一倍感じ取ってるんじゃないかと思う。

しかも、感じたそれを、文章を綴る作家のように表現する。

だれにでもできる仕事ではない。


全体として、大掛かりなセットやアクションがあるわけでもなく、静かで人との会話でや表情だけで、物語は進む。

地味で長回しじゃないかと思われるシーンもあるが、わざと長回しにして、視聴者に時間を与えてる監督の思惑が隠れてるような気がする。






そして、ラストは意味がわからないと言われるシーンの一つだが、妻との日常との決別、生きる意志を感じる。

映画のラストらしいラストだと思う。

わからないからつまらないのじゃなくて、わからない事もおもしろい。

日常と一緒だ。

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それにしても、山田孝之は、タバコと傘がよく似合う。









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ちゃあ
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