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2020年02月27日
映画「ノー・マンズ・ランド」−予想を超えたラストの残酷な滑稽さ
「ノー・マンズ・ランド」(No Man’s Land) 2001年
ボスニア・ヘルツェゴビナ スロベニア イタリア
フランス イギリス ベルギー
監督・脚本・音楽ダニス・タノヴィッチ
撮影ウォルター・ヴァンデン・エンデ
〈キャスト〉
ブランコ・ジュリッチ レネ・ビトラヤツ
フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
第54回カンヌ国際映画祭脚本賞/ セザール賞最優秀新人監督賞
第74回アカデミー賞外国語映画賞/他受賞多数
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争下、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)に取り残されたボスニア兵とセルビア兵の二人の憎しみや、ふとした会話から芽生え始める融和。
しかし、ボスニア兵の死体(後に生きていることが判明)の下に仕掛けられた地雷の撤去をめぐって、国連の防護軍やジャーナリスト、サラエボ本部の二転三転する緊迫した状況が展開され、一瞬たりとも目が離せません。
戦争の残酷さを、ときにはユーモアを交えて突き付ける反戦映画で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が扱われますが、戦争という普遍的なテーマを追求しているためなのか、その背景となっている紛争の説明はほとんどありません。
なので、簡単に経緯をたどってみましょう。
中世から20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨して絶大な権力を誇ったハプスブルク家の帝国のひとつオーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦を経て解体され、1918年にバルカン半島の西にユーゴスラビア王国が誕生。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツや他の諸国によって侵攻を受け、ユーゴスラビア王国はそれらの国々の支配地域のために分断されてゆきます。
後にユーゴスラビアで大きな影響力を持つことになるチトーの登場と、ナチス・ドイツの降伏、ゲリラ戦を戦い抜いたパルチザンたちの手によってユーゴスラビアの統一と独立がなされ、ユーゴスラビア連邦が樹立。
しかし多様な民族を抱えたユーゴは民族紛争が激化、内戦に突入します。
1991年にはスロベニアが独立。続いてマケドニアが独立。
さらに分離独立とセルビア系住民との対立からクロアチア紛争が勃発し、激しい戦いの末にクロアチアが独立。
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立しますが、ボスニアからの独立を目指したセルビアとの間で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が勃発することになります。
映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争における戦場の一コマを扱い、人間同士の憎しみや、戦場においてひとつの命を救うことの困難さと地雷という小さな兵器ひとつに右往左往させられる悲劇的な滑稽さを描いた人間ドラマです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯。
闇に紛れて霧の中を進むボスニア軍の兵士たちは道に迷ってしまいます。
セルビア軍の陣地にまで入り込んだことが判ったときにはすでに遅く、夜明けと共に始まったセルビア軍の攻撃にさらされたボスニア軍の兵士たちは壊滅しますが、チキ(ブランコ・ジュリッチ)とツェラ(フィリップ・ショヴァゴヴィッチ)の二人は、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の附近まで走り込み、容赦のないセルビア軍の砲撃によってチキとツェラは吹き飛ばされてしまいます。
砲撃を停止したセルビア軍の陣地から、古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と新兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)の二人が偵察に向かいます。
一方、塹壕の中で意識を回復したチキは、銃を手に物陰に隠れ、セルビア兵の様子をうかがいます。
地面に倒れているツェラの死体の他に誰もいないことを確認した古参兵は、ツェラの死体の下に地雷を埋め込みます。
どうしてそんなことをするのか、と聞くニノに古参兵は答えます。
「こうしておけば、こいつを動かそうとした途端に、爆発だ」
二人は立ち去ろうとしますが、物陰に潜んでいたチキは隙をみて飛び出し二人を銃撃します。
古参兵は死亡しましたが、ニノは負傷しただけで助かり、チキとニノの間には緊張した空気が生まれます。
チキの隙を見て銃を奪ったニノと、武器を失ったチキの立場が逆転する中で、死んだと思っていたツェラは意識を失っていただけで、体の下に地雷が設置されていることを知ったツェラは、自分が身動きの取れない状況に置かれていることを知ります。
簡単に取り外せるものと高を括(くく)っていたチキとニノでしたが、それは特殊な地雷で、自分たちの手に負えないとみたチキとニノは、両軍に停戦を呼びかけ、地雷撤去のために国連の防護軍が現場に向かうことになりますが…。
「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島(地政学的にはバルカン地域)。
多くの民族、宗教、言語が混在し、紛争の絶え間のないバルカンでは幾度となく国境線が塗り替えられ、作り替えられてきました。
戦争の世紀と呼ばれた20世紀が過ぎ、21世紀になった現在でも数々の紛争は世界各地で起きており、おそらく、地球上に人類が存在する以上、地上から戦争がなくなることはないと思います。
「ノー・マンズ・ランド」では、一体どうしてこんなことが起こるんだ! お前たちが悪いんだ! いや、お前たちだ! といったやり取りがチキとニノの間で交わされますが、紛争に明け暮れたバルカン地域の中で、もう何がどうなっているのか、そんな絶望的な状況をヤケッパチとも思えるユーモアをぶつけて描き出しました。
そこには勝者もなく、敗者もなく、ただ、無意味で残酷な結末が観る者に戦争の愚かしさを突き付けます。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ。
「ノー・マンズ・ランド」以降も「「鉄くず拾いの物語」(2013年)、「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(2014年)、「サラエヴォの銃声」(2016年)など、社会性のある話題作を発表。数々の賞を受賞しています。
ボスニア兵チキに、俳優でミュージシャンでもあるブランコ・ジュリッチ。
セルビア兵ニノにクロアチア出身のレネ・ビトラヤツ。
サラエボ本部のソフト大佐に「アマデウス」(1984年)、「眺めのいい部屋」(1985年)、「オペラ座の怪人」(2004年)などの名優サイモン・キャロウ。
セクシーで美人の秘書を常に従え、状況を把握しながらも大事の中の小事は切り捨ててしまう、イヤな軍人像でありながらも強い印象を残しました。
野心に燃えるマスコミのジェーン・リヴィングストン特派員にカトリン・カートリッジ。
この人は「ノー・マンズ・ランド」の翌年2002年「デブラ・ウィンガーを探して」の出演を最後に41歳の若さで病死しています。
二転三転するストーリー展開、ひとり取り残されるツェラの映像と哀切な歌が流れるラストは、愚かしくも滑稽で、かつ残酷な人間世界の断面をえぐり出したといえます。
ボスニア・ヘルツェゴビナ スロベニア イタリア
フランス イギリス ベルギー
監督・脚本・音楽ダニス・タノヴィッチ
撮影ウォルター・ヴァンデン・エンデ
〈キャスト〉
ブランコ・ジュリッチ レネ・ビトラヤツ
フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
第54回カンヌ国際映画祭脚本賞/ セザール賞最優秀新人監督賞
第74回アカデミー賞外国語映画賞/他受賞多数
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争下、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)に取り残されたボスニア兵とセルビア兵の二人の憎しみや、ふとした会話から芽生え始める融和。
しかし、ボスニア兵の死体(後に生きていることが判明)の下に仕掛けられた地雷の撤去をめぐって、国連の防護軍やジャーナリスト、サラエボ本部の二転三転する緊迫した状況が展開され、一瞬たりとも目が離せません。
戦争の残酷さを、ときにはユーモアを交えて突き付ける反戦映画で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が扱われますが、戦争という普遍的なテーマを追求しているためなのか、その背景となっている紛争の説明はほとんどありません。
なので、簡単に経緯をたどってみましょう。
中世から20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨して絶大な権力を誇ったハプスブルク家の帝国のひとつオーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦を経て解体され、1918年にバルカン半島の西にユーゴスラビア王国が誕生。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツや他の諸国によって侵攻を受け、ユーゴスラビア王国はそれらの国々の支配地域のために分断されてゆきます。
後にユーゴスラビアで大きな影響力を持つことになるチトーの登場と、ナチス・ドイツの降伏、ゲリラ戦を戦い抜いたパルチザンたちの手によってユーゴスラビアの統一と独立がなされ、ユーゴスラビア連邦が樹立。
しかし多様な民族を抱えたユーゴは民族紛争が激化、内戦に突入します。
1991年にはスロベニアが独立。続いてマケドニアが独立。
さらに分離独立とセルビア系住民との対立からクロアチア紛争が勃発し、激しい戦いの末にクロアチアが独立。
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立しますが、ボスニアからの独立を目指したセルビアとの間で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が勃発することになります。
映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争における戦場の一コマを扱い、人間同士の憎しみや、戦場においてひとつの命を救うことの困難さと地雷という小さな兵器ひとつに右往左往させられる悲劇的な滑稽さを描いた人間ドラマです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯。
闇に紛れて霧の中を進むボスニア軍の兵士たちは道に迷ってしまいます。
セルビア軍の陣地にまで入り込んだことが判ったときにはすでに遅く、夜明けと共に始まったセルビア軍の攻撃にさらされたボスニア軍の兵士たちは壊滅しますが、チキ(ブランコ・ジュリッチ)とツェラ(フィリップ・ショヴァゴヴィッチ)の二人は、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の附近まで走り込み、容赦のないセルビア軍の砲撃によってチキとツェラは吹き飛ばされてしまいます。
砲撃を停止したセルビア軍の陣地から、古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と新兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)の二人が偵察に向かいます。
一方、塹壕の中で意識を回復したチキは、銃を手に物陰に隠れ、セルビア兵の様子をうかがいます。
地面に倒れているツェラの死体の他に誰もいないことを確認した古参兵は、ツェラの死体の下に地雷を埋め込みます。
どうしてそんなことをするのか、と聞くニノに古参兵は答えます。
「こうしておけば、こいつを動かそうとした途端に、爆発だ」
二人は立ち去ろうとしますが、物陰に潜んでいたチキは隙をみて飛び出し二人を銃撃します。
古参兵は死亡しましたが、ニノは負傷しただけで助かり、チキとニノの間には緊張した空気が生まれます。
チキの隙を見て銃を奪ったニノと、武器を失ったチキの立場が逆転する中で、死んだと思っていたツェラは意識を失っていただけで、体の下に地雷が設置されていることを知ったツェラは、自分が身動きの取れない状況に置かれていることを知ります。
簡単に取り外せるものと高を括(くく)っていたチキとニノでしたが、それは特殊な地雷で、自分たちの手に負えないとみたチキとニノは、両軍に停戦を呼びかけ、地雷撤去のために国連の防護軍が現場に向かうことになりますが…。
「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島(地政学的にはバルカン地域)。
多くの民族、宗教、言語が混在し、紛争の絶え間のないバルカンでは幾度となく国境線が塗り替えられ、作り替えられてきました。
戦争の世紀と呼ばれた20世紀が過ぎ、21世紀になった現在でも数々の紛争は世界各地で起きており、おそらく、地球上に人類が存在する以上、地上から戦争がなくなることはないと思います。
「ノー・マンズ・ランド」では、一体どうしてこんなことが起こるんだ! お前たちが悪いんだ! いや、お前たちだ! といったやり取りがチキとニノの間で交わされますが、紛争に明け暮れたバルカン地域の中で、もう何がどうなっているのか、そんな絶望的な状況をヤケッパチとも思えるユーモアをぶつけて描き出しました。
そこには勝者もなく、敗者もなく、ただ、無意味で残酷な結末が観る者に戦争の愚かしさを突き付けます。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ。
「ノー・マンズ・ランド」以降も「「鉄くず拾いの物語」(2013年)、「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(2014年)、「サラエヴォの銃声」(2016年)など、社会性のある話題作を発表。数々の賞を受賞しています。
ボスニア兵チキに、俳優でミュージシャンでもあるブランコ・ジュリッチ。
セルビア兵ニノにクロアチア出身のレネ・ビトラヤツ。
サラエボ本部のソフト大佐に「アマデウス」(1984年)、「眺めのいい部屋」(1985年)、「オペラ座の怪人」(2004年)などの名優サイモン・キャロウ。
セクシーで美人の秘書を常に従え、状況を把握しながらも大事の中の小事は切り捨ててしまう、イヤな軍人像でありながらも強い印象を残しました。
野心に燃えるマスコミのジェーン・リヴィングストン特派員にカトリン・カートリッジ。
この人は「ノー・マンズ・ランド」の翌年2002年「デブラ・ウィンガーを探して」の出演を最後に41歳の若さで病死しています。
二転三転するストーリー展開、ひとり取り残されるツェラの映像と哀切な歌が流れるラストは、愚かしくも滑稽で、かつ残酷な人間世界の断面をえぐり出したといえます。