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2020年02月16日
映画「鬼戦車T-34」- ナチスの包囲網を突っ切れ! 爆走するT-34
「鬼戦車T-34」(Жаворонок) 1965年 ソビエト
監督ニキータ・クリーヒン
レオニード・メナケル
脚本ミハイル・ドウジン
セルゲイ・オルロフ
撮影ウラジミール・カラセフ
ニコライ・ジーリン
〈キャスト〉
ヴャチエスラフ・グレンコフ ゲンナジー・ユフチン
ワレリー・ポゴレリツェフ ヴァレンチン・スクルメ
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜収容所で捕虜となっていたソ連の兵士たちはドイツ軍が開発中の新型砲弾の射撃訓練の標的にされていて、このままでは殺されてしまうから逃げようぜ、といって脱走を図るお話で、ソビエト兵3名とフランス兵1名の4人が一台の戦車に乗り込んだまま逃走を図った実話によります。
捕虜収容所からの実話をもとにした脱走劇といえば「大脱走」(1963年)が有名ですが、この「鬼戦車T-34」も娯楽性にあふれた、かなり見ごたえのある映画です。
1942年、ドイツ東部の捕虜収容所。
ソ連軍の捕虜イワン(ヴャチェスラフ・グレンコフ)は戦車操縦の経験を買われ、収容所で行われている戦車の整備を命じられます。
戦車の整備には他のソ連兵もあたっていましたが、イワンだけがドイツ軍に特別視されていることで、彼は捕虜仲間からは冷たい視線を向けられます。
ドイツ軍が取り組んでいたのはソ連戦に対しての新型砲弾の実験で、ソ連の最新戦車T-34に向けての射撃訓練でした。
演習場での訓練にあたって、その標的とされた戦車に乗り込んだのはイワンを始めとして、ピョートル(ゲンナジー・ユフチン)、アリョーシャ(ワレリー・ポゴレリツェフ)、そして、フランス兵ジャン(ヴァレンチン・スクレメ)の4名。
次々と砲弾の飛び交う中、イワンの操縦するT-34は砲弾をかわして走りますが、このままではやられてしまうと判断したイワンは、衣類を燃やして煙を出し、砲弾が命中したフリを装い、ドイツ軍が油断をしたスキを見て、そのまま演習場を突っ切って逃走を図ります。
慌てたドイツ軍は、30分以内に捕まえろ! とT-34捜索に軍用犬まで駆り出してやっきになりますが、相手は戦車とはいえ快速をもって聞こえたT-34。そう簡単には捕まりません。
森を抜け、街を突っ走り、街道を爆走してT-34はソ連領を目指しますが、じりじりと迫りくるドイツ軍の包囲網の前にジャンが倒れ、ピョートル、アリョーシャも死に、行動力の権化のようなイワンだけが残り、ドイツ軍が待ち構える中、道路を突っ切ろうとしたT-34の前に、道を横切ろうとした少年がつまずいて倒れ、戦車を止めて駆け寄ったイワンをめがけてドイツ軍の銃弾が火を吹きます。
原題は「ヒバリ」。
爆走に次ぐ爆走、記念碑や映画館をぶち壊し、死に物狂いで突っ走る戦車の映画で“ヒバリ”とはのどかすぎて感覚がズレているような気もしますが、チャイコフスキーのピアノ曲にもあるように、ロシアでヒバリは新しい生活をもたらす、といったような特別な意味があるらしく、T-34に乗って必死で逃走するイワンたちにとって、その先にあるものは新しい人生であるはずでした。
邦題の「鬼戦車…」というのは少年漫画にでも出てきそうな題名で、映画の内容からすればたしかに鬼のような戦車の話であるのには間違いないのですが、一方で、次第に芽生え始めるイワンたちの友情や、捕虜のロシア女性たちの牧草地での労働、花畑、森林、流れる小川、それらの詩情あふれる映像などは素晴らしく、娯楽性の中に抒情性を盛り込んだ、深みのある内容を持つ映画です。
それまで、ソ連の戦車は快速性はありましたが防御力に難点があり、その快速性を受け継ぎながら防御力を強化したのが機動戦を重視した中戦車T-34で、実戦投入されたのが1941年6月に始まった独ソ戦序盤のバルバロッサ作戦でした。
T-34を攻略すべくナチスは新型砲弾の開発を急いだのですから、「鬼戦車T-34」の主役はまさしく戦車T-34になろうかと思いますが、「ヒバリ」という原題が示すように、T-34をヒバリになぞらえ、それに乗って新たな人生に進もうとしたイワンたちの人間ドラマでもあるともいえます。
しかし、演習用の戦車ですから砲弾は無く、燃料も限られています。
「暁の七人」(1975年)のような悲劇的な末路が透けて見えるのですが、行動力あふれるイワンの存在が大きいためか、悲壮感はあっても一面では「俺たちに明日はない」(1967年)や、「明日に向かって撃て!」(1969年)のようなアメリカン・ニューシネマ的雰囲気を持っています。
ソ連映画といえば、国家予算をつぎ込んだ長大な映画が多い中で、エイゼンシュテインに代表される芸術的に優れた映画、レフ・トルストイの原作を忠実に映画化した超弩級の大作「戦争と平和」(1965年)、戦場での勲功によって、母親に会うために休暇をもらった通信兵の心の動きを追った「誓いの休暇」(1959年)などの名作があります。
そういったソ連映画の中で「鬼戦車T-34」は娯楽性、抒情性ともにすぐれた傑作で、分けても、捕虜となって農作業に従事しているロシア女性たちの間を縫って走るT-34と、味方だ! と叫んで戦車の後を追いかける女性たちの悲愴と歓喜の入り混じった映像は、白黒であるだけ余計に現実感をもって迫ります。
また、街に突入したT-34が、ドイツ将校たちのたむろする酒場を目がけ、実弾の入っていない砲身を向けて脅し、ビールをかっさらってくる場面の粋なこと。
アメリカン・ニューシネマならぬ、“ロシアン・ニューシネマ”と呼んでもいいような傑作です。
監督ニキータ・クリーヒン
レオニード・メナケル
脚本ミハイル・ドウジン
セルゲイ・オルロフ
撮影ウラジミール・カラセフ
ニコライ・ジーリン
〈キャスト〉
ヴャチエスラフ・グレンコフ ゲンナジー・ユフチン
ワレリー・ポゴレリツェフ ヴァレンチン・スクルメ
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜収容所で捕虜となっていたソ連の兵士たちはドイツ軍が開発中の新型砲弾の射撃訓練の標的にされていて、このままでは殺されてしまうから逃げようぜ、といって脱走を図るお話で、ソビエト兵3名とフランス兵1名の4人が一台の戦車に乗り込んだまま逃走を図った実話によります。
捕虜収容所からの実話をもとにした脱走劇といえば「大脱走」(1963年)が有名ですが、この「鬼戦車T-34」も娯楽性にあふれた、かなり見ごたえのある映画です。
1942年、ドイツ東部の捕虜収容所。
ソ連軍の捕虜イワン(ヴャチェスラフ・グレンコフ)は戦車操縦の経験を買われ、収容所で行われている戦車の整備を命じられます。
戦車の整備には他のソ連兵もあたっていましたが、イワンだけがドイツ軍に特別視されていることで、彼は捕虜仲間からは冷たい視線を向けられます。
ドイツ軍が取り組んでいたのはソ連戦に対しての新型砲弾の実験で、ソ連の最新戦車T-34に向けての射撃訓練でした。
演習場での訓練にあたって、その標的とされた戦車に乗り込んだのはイワンを始めとして、ピョートル(ゲンナジー・ユフチン)、アリョーシャ(ワレリー・ポゴレリツェフ)、そして、フランス兵ジャン(ヴァレンチン・スクレメ)の4名。
次々と砲弾の飛び交う中、イワンの操縦するT-34は砲弾をかわして走りますが、このままではやられてしまうと判断したイワンは、衣類を燃やして煙を出し、砲弾が命中したフリを装い、ドイツ軍が油断をしたスキを見て、そのまま演習場を突っ切って逃走を図ります。
慌てたドイツ軍は、30分以内に捕まえろ! とT-34捜索に軍用犬まで駆り出してやっきになりますが、相手は戦車とはいえ快速をもって聞こえたT-34。そう簡単には捕まりません。
森を抜け、街を突っ走り、街道を爆走してT-34はソ連領を目指しますが、じりじりと迫りくるドイツ軍の包囲網の前にジャンが倒れ、ピョートル、アリョーシャも死に、行動力の権化のようなイワンだけが残り、ドイツ軍が待ち構える中、道路を突っ切ろうとしたT-34の前に、道を横切ろうとした少年がつまずいて倒れ、戦車を止めて駆け寄ったイワンをめがけてドイツ軍の銃弾が火を吹きます。
原題は「ヒバリ」。
爆走に次ぐ爆走、記念碑や映画館をぶち壊し、死に物狂いで突っ走る戦車の映画で“ヒバリ”とはのどかすぎて感覚がズレているような気もしますが、チャイコフスキーのピアノ曲にもあるように、ロシアでヒバリは新しい生活をもたらす、といったような特別な意味があるらしく、T-34に乗って必死で逃走するイワンたちにとって、その先にあるものは新しい人生であるはずでした。
邦題の「鬼戦車…」というのは少年漫画にでも出てきそうな題名で、映画の内容からすればたしかに鬼のような戦車の話であるのには間違いないのですが、一方で、次第に芽生え始めるイワンたちの友情や、捕虜のロシア女性たちの牧草地での労働、花畑、森林、流れる小川、それらの詩情あふれる映像などは素晴らしく、娯楽性の中に抒情性を盛り込んだ、深みのある内容を持つ映画です。
それまで、ソ連の戦車は快速性はありましたが防御力に難点があり、その快速性を受け継ぎながら防御力を強化したのが機動戦を重視した中戦車T-34で、実戦投入されたのが1941年6月に始まった独ソ戦序盤のバルバロッサ作戦でした。
T-34を攻略すべくナチスは新型砲弾の開発を急いだのですから、「鬼戦車T-34」の主役はまさしく戦車T-34になろうかと思いますが、「ヒバリ」という原題が示すように、T-34をヒバリになぞらえ、それに乗って新たな人生に進もうとしたイワンたちの人間ドラマでもあるともいえます。
しかし、演習用の戦車ですから砲弾は無く、燃料も限られています。
「暁の七人」(1975年)のような悲劇的な末路が透けて見えるのですが、行動力あふれるイワンの存在が大きいためか、悲壮感はあっても一面では「俺たちに明日はない」(1967年)や、「明日に向かって撃て!」(1969年)のようなアメリカン・ニューシネマ的雰囲気を持っています。
ソ連映画といえば、国家予算をつぎ込んだ長大な映画が多い中で、エイゼンシュテインに代表される芸術的に優れた映画、レフ・トルストイの原作を忠実に映画化した超弩級の大作「戦争と平和」(1965年)、戦場での勲功によって、母親に会うために休暇をもらった通信兵の心の動きを追った「誓いの休暇」(1959年)などの名作があります。
そういったソ連映画の中で「鬼戦車T-34」は娯楽性、抒情性ともにすぐれた傑作で、分けても、捕虜となって農作業に従事しているロシア女性たちの間を縫って走るT-34と、味方だ! と叫んで戦車の後を追いかける女性たちの悲愴と歓喜の入り混じった映像は、白黒であるだけ余計に現実感をもって迫ります。
また、街に突入したT-34が、ドイツ将校たちのたむろする酒場を目がけ、実弾の入っていない砲身を向けて脅し、ビールをかっさらってくる場面の粋なこと。
アメリカン・ニューシネマならぬ、“ロシアン・ニューシネマ”と呼んでもいいような傑作です。