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2019年07月06日
映画「ゾンビ」-ゾンビ映画の元祖
「ゾンビ」(Dawn of the Dead)
1979年 イタリア/アメリカ
脚本・監督・編集ジョージ・A・ロメロ
撮影マイケル・ゴーニック
音楽ダリオ・アルジェント
ゴブリン
〈キャスト〉
デヴィッド・エムゲ ケン・フォリー
ゲイラン・ロス スコット・H・ライニガー
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968年)に次ぐジョージ・A・ロメロ監督によるホラー映画で、その後のゾンビのイメージを決定づけた、ゾンビ映画のルーツとも呼ぶべき作品。
死者がよみがえり、全米各地で人間を襲い始め、襲われて死体となった人間も次々とよみがえって人間を襲う、ゾンビ化した死者たちの群れ。
増え続ける「生きた死者」たちの街に見切りをつけたテレビ局のスティーブン(デヴィッド・エムゲ)は、恋人のフラニー(ゲイラン・ロス)とヘリでの脱出を考えています。
一方、スティーブンの友人でSWAT隊員のロジャー(スコット・H・ライニガー)は、アパートの暴徒制圧に駆り出され、銃撃戦の最中、ゾンビと化した暴徒の群れとの死闘の末に同僚の隊員ピーター(ケン・フォリー)とともに辛くも切り抜け、スティーブンたちと街からの脱出を図ります。
4人を乗せてヘリは飛び立ちますが、燃料が足りず、途中の給油所に立ち寄りながらもゾンビに襲われ、壊滅状態の都市を後にしながら、とある郊外の無人のショッピングモールに留まることになります。
モールの中にはゾンビたちが動きまわっていましたが、店内の食品や品物はそのまま残っており、事態が収束に向かうまでの間、4人はゾンビたちとのにらみ合いを続けなからも安全なショッピングモールに身を隠します。
郊外に続々と押し寄せるゾンビたちを避けながら、モールをふさぐため大型トラックを移動中にロジャーが襲われ、瀕死の体を横たえていましたが、やがて死亡。
ほどなくモールにはギャング団が現れ、ピーターは静観していましたが、略奪をほしいままにするギャング団に激怒したスティーブンが発砲。
ゾンビの大群も入り乱れる中、激しい銃撃戦となり、ピーターの活躍によってギャング団は退散しますが、スティーブンはゾンビに襲われ、襲われた者がゾンビ化することを恐れたピーターは、スティーブンの頭を撃ち抜きます。
生き残ったフラニーとピーターでしたが、押し寄せるゾンビの大群を前にしてピーターは自殺を決意。
フラニーはヘリに乗り込み、飛行の準備を始めてピーターを待ちますが、ゾンビの群れは数を増して夜明けの郊外を埋め尽くし始め……。
ブードゥー教の儀式に起源を持つことで知られる「死者の蘇り」は、永遠不滅の肉体を希求する土着信仰と結びついて混じり合い育っていったものと思われ、ヨーロッパのドラキュラやフランケンシュタインも思想の根っ子は同じところにあるのでしょう。
しかし、ドラキュラやフランケンシュタインが怪奇性の中にもロマンティックな雰囲気を漂わせているのに対し、ゾンビは不気味で残酷で、ハッキリ言ってキモチ悪い。なにしろ生きた人間の肉を食べるのですから(内臓もね)。
もっとも、世界的にみれば人肉食(カニバリズム)は古くから各地で行われていたようですから、死者とカニバリズムは相性がいいのでしょう。
死んでよみがえった人間が一人でもいたら怖くて大変だと思うのですが、それを大量に登場させ、襲い来る蘇った死者の群れからいかに脱出するかというのは、一種のサバイバルゲームでもあるわけで、理屈抜きに面白いです(見ているほうは)。
邦題では「ゾンビ」になっていますが、原題は「Dawn of the Dead」。
「死者の夜明け」なので、文字通り、死んだ人間がよみがえるわけですが、死者ですから肉体は腐乱しているし、動き方もぎこちない。だから意外と簡単にやっつけられるのですが、やっかいなのは、ゾンビに噛みつかれると、噛みつかれた人間もゾンビ化して次々と増殖を始める。
簡単にやっつけられるとはいえ、大量に襲い掛かられれば、なす術もなく噛みつかれて内臓を引きづり出され、ムシャムシャと食べられるわけですから、おぞましくも怖い話です。
無名だったジョージ・A・ロメロの名前を一躍世界に知らしめたこの映画、途中、ショッピングモールのシーンでは中だるみもありましたが、ヘリの羽根で頭のてっぺんを切り飛ばされるゾンビの怖さとユーモア、ロジャーとピーターのSWAT隊員コンビの軽快さ、意外と魅力的なゲイラン・ロス、乱入するギャング団との銃撃戦など、おぞましい怖さの中に60年代のマカロニ・ウエスタンを思わせる娯楽性にあふれています。
1979年 イタリア/アメリカ
脚本・監督・編集ジョージ・A・ロメロ
撮影マイケル・ゴーニック
音楽ダリオ・アルジェント
ゴブリン
〈キャスト〉
デヴィッド・エムゲ ケン・フォリー
ゲイラン・ロス スコット・H・ライニガー
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968年)に次ぐジョージ・A・ロメロ監督によるホラー映画で、その後のゾンビのイメージを決定づけた、ゾンビ映画のルーツとも呼ぶべき作品。
死者がよみがえり、全米各地で人間を襲い始め、襲われて死体となった人間も次々とよみがえって人間を襲う、ゾンビ化した死者たちの群れ。
増え続ける「生きた死者」たちの街に見切りをつけたテレビ局のスティーブン(デヴィッド・エムゲ)は、恋人のフラニー(ゲイラン・ロス)とヘリでの脱出を考えています。
一方、スティーブンの友人でSWAT隊員のロジャー(スコット・H・ライニガー)は、アパートの暴徒制圧に駆り出され、銃撃戦の最中、ゾンビと化した暴徒の群れとの死闘の末に同僚の隊員ピーター(ケン・フォリー)とともに辛くも切り抜け、スティーブンたちと街からの脱出を図ります。
4人を乗せてヘリは飛び立ちますが、燃料が足りず、途中の給油所に立ち寄りながらもゾンビに襲われ、壊滅状態の都市を後にしながら、とある郊外の無人のショッピングモールに留まることになります。
モールの中にはゾンビたちが動きまわっていましたが、店内の食品や品物はそのまま残っており、事態が収束に向かうまでの間、4人はゾンビたちとのにらみ合いを続けなからも安全なショッピングモールに身を隠します。
郊外に続々と押し寄せるゾンビたちを避けながら、モールをふさぐため大型トラックを移動中にロジャーが襲われ、瀕死の体を横たえていましたが、やがて死亡。
ほどなくモールにはギャング団が現れ、ピーターは静観していましたが、略奪をほしいままにするギャング団に激怒したスティーブンが発砲。
ゾンビの大群も入り乱れる中、激しい銃撃戦となり、ピーターの活躍によってギャング団は退散しますが、スティーブンはゾンビに襲われ、襲われた者がゾンビ化することを恐れたピーターは、スティーブンの頭を撃ち抜きます。
生き残ったフラニーとピーターでしたが、押し寄せるゾンビの大群を前にしてピーターは自殺を決意。
フラニーはヘリに乗り込み、飛行の準備を始めてピーターを待ちますが、ゾンビの群れは数を増して夜明けの郊外を埋め尽くし始め……。
ブードゥー教の儀式に起源を持つことで知られる「死者の蘇り」は、永遠不滅の肉体を希求する土着信仰と結びついて混じり合い育っていったものと思われ、ヨーロッパのドラキュラやフランケンシュタインも思想の根っ子は同じところにあるのでしょう。
しかし、ドラキュラやフランケンシュタインが怪奇性の中にもロマンティックな雰囲気を漂わせているのに対し、ゾンビは不気味で残酷で、ハッキリ言ってキモチ悪い。なにしろ生きた人間の肉を食べるのですから(内臓もね)。
もっとも、世界的にみれば人肉食(カニバリズム)は古くから各地で行われていたようですから、死者とカニバリズムは相性がいいのでしょう。
死んでよみがえった人間が一人でもいたら怖くて大変だと思うのですが、それを大量に登場させ、襲い来る蘇った死者の群れからいかに脱出するかというのは、一種のサバイバルゲームでもあるわけで、理屈抜きに面白いです(見ているほうは)。
邦題では「ゾンビ」になっていますが、原題は「Dawn of the Dead」。
「死者の夜明け」なので、文字通り、死んだ人間がよみがえるわけですが、死者ですから肉体は腐乱しているし、動き方もぎこちない。だから意外と簡単にやっつけられるのですが、やっかいなのは、ゾンビに噛みつかれると、噛みつかれた人間もゾンビ化して次々と増殖を始める。
簡単にやっつけられるとはいえ、大量に襲い掛かられれば、なす術もなく噛みつかれて内臓を引きづり出され、ムシャムシャと食べられるわけですから、おぞましくも怖い話です。
無名だったジョージ・A・ロメロの名前を一躍世界に知らしめたこの映画、途中、ショッピングモールのシーンでは中だるみもありましたが、ヘリの羽根で頭のてっぺんを切り飛ばされるゾンビの怖さとユーモア、ロジャーとピーターのSWAT隊員コンビの軽快さ、意外と魅力的なゲイラン・ロス、乱入するギャング団との銃撃戦など、おぞましい怖さの中に60年代のマカロニ・ウエスタンを思わせる娯楽性にあふれています。