「キリンビール」を取り上げました。
ユーチューブ制作のため、参考にした本『キリンを作った男
マーケティングの天才 前田仁の生涯』を読み驚きました。
キリンを作った男 マーケティングの天才・前田仁の生涯 [ 永井隆 ] 価格:1,980円 |
キリンの関係者が、この本の出版を許したことです。
本文中に、1980年代後半からキリンの経営陣に対する
批判的な表現が何か所かあります。
後継社長問題の混乱を明らかにしています。
この本には、あまり世間や社員にしられたくないような
内容を含んでいる気がします。
ガバナンスの視点から、あえて公開したのでしょうか?
サステナブル経営とコーポレートガバナンスの進化 [ 松田千恵子 ] 価格:2,420円 |
1987年スーパードライ発売から
両社は激しいシェア争いを行います。
1972年から1985年まで
ビール市場でのキリンのシェアは60%台でした。
その看板商品が、苦み走った味の「キリンラガービール」でした。
一方、アサヒは1969年からシェア20%を切り
1985年にはシェア9.6%に落ちています。
そのアサヒが、1998年キリンを破りビール市場で
シェア1位になっています。
なぜ、マーケティングの常識では
考えられないような大逆転劇が起きたのでしょうか?
この逆転ドラマを、マーケティングの研修教材
にしたいと考えていました。
キリンがアサヒに負ける直接的な原因となったのは
「キリンラガーの生化」とされています。
この「生化」によって、キリンラガービールは味が変わり
固定ファンを失っていき、シェアを低下させます。
シェア逆転のため、アサヒはキリンに罠を仕掛けたとされています。
シェアトップを走ってきたキリンのプライドを傷つけるため
1995年「生ビールNO.1はアサヒ」の広告を打ちます。
「NO.1」の言葉は、王者キリンをいたく傷つけたはずです。
アサヒのスーパードライ広告の挑発にのり
1996年キリンはブランド別ではシェア1位の「ラガービール」
をモデルチェンジして「味が変わる生化」を行います。
業界では、「キリンがラガーの生化できないのは
技術力がないから・・」といった噂も広まっていたようです
1995年、キリンラのシェアは48.8%、アサヒのシェアは27.2%でした。
罠をしかけられキリンが「ラガービールの生化」決めたのは
人事出身の眞鍋社長です。
眞鍋社長は、キリンの本山社長が院政を
引くやすくするため指名されたと書かれています。
一方、罠をしかけたアサヒの社長は
2回も左遷経験ある営業一筋の瀬戸社長です。
瀬戸さんを後継社長に指名したのは、アサヒの大ヒット商品
「スーパードライ」を発売した樋口社長です。
樋口さんが瀬戸さんを後継社長にするにあたり
「瀬戸さんより頭のいい役員はいる。しかし、瀬戸さんには
社内からの人望がある」とかたっています。
瀬戸さん自身は、樋口さんに自分の意見を直言し
何度か会議の席でクビと言われていたようです。
樋口さんは、自分と対立することがあっても
社内の人望のあるということで瀬戸さんを社長に指名したみたいです。
価格:1,760円 |
社長がどこまでシェア争いに関与したかはわかりません。
ただ、キリン眞鍋社長が「ラガーの生化」を決定したのは事実です。
この当時、キリン社内で販売のメイン商品を「ラガー」にするか
「一番搾り」にするかで混乱もあったみたいです。
1997年ビールのブランド別売上で
スーパードライ(32.4%)がキリンラガービール(25.5%)
を上回りシェア1位になります。
そして、1998年ビール市場全体でアサヒのシェア(40.0%)が
キリン(37.7%)を上回り1位になります。
こんなシェア争いを研修用の教材にしたいと思っています。
しかし、社長人事までが絡んでいるかもしれてないとしたら
ちょっとむずかしくなります。
マーケティングの範囲を逸脱しそうです。
世紀のシェア逆転劇は、研修用教材にするには
ちょっと無理な感じがしています。
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