「スゴロクで学ぶユーチューブ」講座の37回目を公開しています。
ゲームのタイトルは
《スーパードライ対抗品「一番搾り」を開発も左遷》編です。
主人公は、キリンビールで
「一番搾り」発泡酒「淡麗」など次々のヒット商品を開発
「マーケティングの天才」と称された前田仁さんです。
「スゴロクで学ぶユーチューブ」でご覧いただけます。
前編・後編に分かれており、次回38回目で後編を取り上げます。
『キリンを作った男 マーケティングの天才 前田仁の生涯』
『ビール15年戦争』などを参考文献に制作しました。
キリンを作った男 マーケティングの天才・前田仁の生涯 [ 永井隆 ] 価格:1,980円 |
なお、「スゴロクで学ぶユーチューブ」の8回目で
「スーパードライのアサヒビール」がテーマで
「ビール戦争 どん底からナンバーワンに」を公開しています。
価格:229円 |
ゲームの内容は
1キリン入社、業務・営業をへて商品開発部に異動
2キリンビールは、家庭用ビール市場で成長
3じり貧アサヒが「スーパードライ」を発売
4「スーパードライ」対抗品「一番搾り」の開発
5「一番搾り」ヒットも開発の前田さんは左遷
6キリンの混乱に乗じ、アサヒが仕掛けた罠
7「アサヒの罠」で、キリンはシェア2位に転落・・・です。
1972年から1985年まで、ビール市場で
キリンのシェアは60%台で断トツでした。
一方、アサヒは1969年からシェア20%を切りはじめ
1985年にはシェア9%台に落ちています。
1987年、アサヒはスーパードライを発売します。
スーパードライが大ヒットしたことで
キリンのシェアは50%を切ります。
キリンはスーパードライ対抗品「一番搾り」の開発に取り組みます。
1990年「一番搾り」を発売、スーパードライの
人気にストップをかけるヒット商品になります。
この「一番搾り」を開発したのが前田さんでした。
ところが、「一番搾り」発売の1990年春
前田さんはワイン部門に左遷されます。
左遷された前田さんは、1991年「一番搾り」の
開発で、社長賞を受賞しています。
不可解な人事です。
前田さんが開発を去ったあと、キリン内部では主力商品を
「ラガー」にするか「一番搾り」にするかで混乱が起きます。
営業部門では、「キリンラガー」が看板商品だと主張します。
スーパードライの販売量を増やしたいアサヒは
キリンの看板商品「ラガー」のシェアを
落とさせるため罠をしかけます。
1995年2月〜3月 アサヒが「生ビール売上NO,1」の
「スーパードライ広告」を行います。
この広告は、キリン敵失を誘うアサヒの罠でした。
キリンが「ラガービールの生化=味や中身を変えること」
を誘う罠でした。
1888年発売の「ラガー」は中高年を中心に
根強い固定ファンがいました。
スーパードライをしても切り崩せない
「岩盤支持層」の強固なファンです。
アサヒの目的は、「キリンラガー」の
味の変更によるファン離れでした。
キリンはまんまとこの罠にはまり
「ラガービールの生ビール化=味を変更」を行います。
この結果、1998年キリンはシェアが40%を切り
業界1位の地位をアサヒに奪われます。
「キリンラガーの生化=味の変更」は見事に失敗します。
圧倒的シェアを誇ったキリンラガーより
スーパードライの売上が上回ります。
スーパードライが、ビールブランドのなかで
売上N0.1の商品になります。
そして、ビール市場の全体のシェア争いでも
45年ぶりにアサヒがトップに立ち、キリンが2位に陥落します。
このゲームでは、マーケティングの天才と称されながら前田さんの
「商品開発を成功させるための働き方」と「シェア争いの戦い方」
について学ぶことができます。
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