20本目ユーチューブ動画は「個人資産1000億円を手にした
サラリーマン社長・ヤフー井上さん編」です。
井上さんの仕事人生は、ソフトバンク孫さんのよき
パートナーとしての役割だったのでしょうか?
『ならずもの 井上雅博伝 ヤフーを作った男』などを
参考文献に制作しています。
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《個人資産1000億円を手にしヤフーのサラリーマン社長》
編を御覧ください。
井上さんがパソコンやプログラミングに関心を持ったのは
東京理科大の学生時代です。
卒業後の1979年、日本のパソコン業界をリードしていたソードに入社
ビジネス知識を深めていきます。
しかし、ソードは株式上場などに関連して経営に失敗します。
業績が低下したことでソードを退社、ソフトバンク入に転職します。
ソフトバンクでは、井上さんは孫さんのよきパートナーとして
ソフトバンクの事業拡大に取り組みます。
孫さんは技術的なことはわかりませんが、「この技術が伸びるか?
使えるか?」の判断に大変優れていました。
誰よりも先んじてビジネスチャンスをキャッチする能力は
日本一だったようです。
孫さんがキャッチした各技術の価値について
裏付けを取っていくのが井上さんだったようです。
1995年ごろ、孫さんの5000億円も投資したクレージーな
買収劇のパートナーを務めます。
孫さんは自分のそんなビジネススタイルを
タイムマシン経営ともいっていました。
1996年7月、井上さんはソフトバンクが100億円を投資した
ヤフーの日本社長に就任します。
インターネット好きの優秀なヤフー(ならず者)を集め
日本有数のネット企業に成長させていきます。
ヤフーは順調に業績を伸ばし、2000年1月にはITバブルの影響もあり
ヤフーの株価は1株1億6,790万円を記録します。
会社の成長にともない、ストックオプション制度や株式分割などで
井上さん自身の持ち株が増えていきます。
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一説によると、個人資産1000億円といわれたりします。
ヤフーの成功で、孫さんはソフトバンクをソフトの
販売業から通信事業の会社へ発展させようとします。
孫さん主導で、インターネットの高速通信
「ヤフーBB」事業がすすめられます。
このころから孫さんは、それまでノータッチであった
ヤフーの経営に関与しだします。
「ヤフーBB」事業は、4年間で4000億円の赤字をだし
5年目にようやく黒字化を実現します。
ヤフーも、当然この赤字を負担します。
そして、孫さんは携帯電話市場に進出したく
携帯電話会社ボーダフォンの買収に動きます。
井上さんは、孫さんの事業熱にあおられ
精神的な疲労を感じだしたみたいです。
資産もでき、会社を辞めるタイミングを模索していたようです。
ある日、孫さんが主宰する将来の後継者を育てる会議で
若手社員から「ヤフーはダメになる」と批判する意見が出てきます。
それを聞いた孫さんは社長交代を決断します。
井上さんへの交代の言葉は「もうきめたらから」でした。
2012年 井上さんは55歳で社長を退任します。
新社長には、「ヤフー批判の発言者」宮坂さんが就任します。
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社長を退任した井上さんは、クラッシックカーの収集に打ち込んでいきます。
退任から5年、クラッシックカーレース中に自損事故で死亡します。
60歳でした。
井上さんの人生、どのように受け止めたらいいのでしょうか?
「やりたいことをやった充実した人生」ということでしょうか?
あるいは、「もう少し長生きすれば、またもう一つの人生があったのでは」
ということ意見もありそうです。
はたして、井上さん自身は何と思っているのでしょうか?
1000億円の個人資産はどうなったのでしょうか?
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