2017年08月17日
お菓子雑考
食べ物で何が好きかというと、パティシエが作った宝石のようなケーキと、季節の移り変わりが表現されている繊細な和菓子と、よくここまで研究したなぁと感心してしまうようなコンビニスイーツです。
私はスナック菓子はめったに食べないし、コーラなどの清涼飲料水もまず飲むことはありません。カップ麺を食べることもないし、ハンバーガーショップにも行きません。いわゆるジャンクフードにはあまり興味がありません。焼き肉を口にするのも年に数回といったところです。ラーメンもまず食べません。お酒を飲むこともめったにありません。実は太ると言われている果物も自分から積極的にいただくことはありません。
それなのに、なぜこれほど高度な脂肪肝になってしまったのでしょうか。
普通の人なら到来物としてしかいただかないような、値段の高いケーキや和菓子を私は頻繁に買っていました。スーパーマーケットなどで、野菜や果物、お肉やお魚などだと、これは高いからやめておこうと自制することはありますが、お菓子に関してはそういう感覚が麻痺していて、値段にかかわらず買ってしまいます。
ケーキケースの端から端まで全部1つずつなどという大人買いもよくやっていました。帰宅して、一度に3個を昼と夜、などというペースで平らげてしまうのです。和菓子売り場では日持ちのしない和菓子をこれからお得意様周りでもするのですというように何包みも購入してしまうのです。
そうです。私はよく「フリ」をしていました。お得様周りをするフリ、これから友人が来るフリ、家で子どもが大勢待っているフリ…などです。当然のことながら、お店の人にお菓子の使用目的など聞かれることなどないのですが、心の中でしばしば言い訳を準備していました。
もはや高級菓子に負けないくらいに進化を遂げたコンビニスイーツに至っては、値段を気にせずたくさん、しかも色々な種類が買えるので、一度に8種類くらい買い込むこともありました。そういう時には心の中で言い訳が必要でした。明日また買いに来ればいいのにと思いながらも、一度にたくさん買って、その日のうちに完食してしまいました。私は過食嘔吐をしたことは一度もありませんが、どう考えてもお菓子の買い方が病的でした。
これまでにも、医師やカウンセラーなどの専門家に、お菓子の異常摂取については繰り返し相談してきました。専門家によっては、甘えたいという欲求を甘味で満たそうとしているとか、性的欲求不満が甘味を求めさせているとか、母親との愛着障害が根本にあるとか、様々な原因が検討されてきました。でも結局のところ、行動としてのお菓子の衝動的な買い方や食べ方は止めることができませんでした。
「パスカルの賭け」という言葉があります。
パスカルとは、17世紀のフランス人。思想家、数学者、神学者などにとどまらない巨人です。体の弱かったパスカルはその生涯の多くをベッドの上で過ごしましたが、計算機、今のレジスターの原型を作ったり、断章『パンセ』を著したりしました。最近では毎日の天気予報で、彼の名が元になった単位「ヘクトパスカル」を耳にします。
「パスカルの賭け」とは、神が存在するかしないかについて賭けをしなくてはならないとしたら、神は存在するという方に賭けるべきだというものです。神が存在するという方に賭けた場合、神は存在していても存在していなくても失うものは何もない。しかし反対に神は存在しないという方に賭けたとしたら、神が存在していた場合、失うものはあまりにも大きいからだいうものです。
私のお菓子に「パスカルの賭け」を用いるのは、まったく見当違いなのは、自分でもよく解っているのですが、最近では、気がつくと「パスカルの賭け」と心の中で口ずさんでいるのです。それは「今後の人生において、お菓子を食べるか食べないか、どちらかに賭けなければならないとしたら、お菓子を食べない人生に賭けるべきなのです。お菓子を食べないと人生の楽しみは半減するかもしれませんが、残された人生は輝きに満ちているでしょう。しかしお菓子を食べる人生を選ぶとしたら、失うものがあまりにも大きいのです。下肢切断、透析、失明、脳梗塞、心疾患と人生そのものを根こそぎ失いかねないのです」
今後、どうしてもお菓子が食べたくなったら、今日のこのブログを読み返そうと思います。
私はスナック菓子はめったに食べないし、コーラなどの清涼飲料水もまず飲むことはありません。カップ麺を食べることもないし、ハンバーガーショップにも行きません。いわゆるジャンクフードにはあまり興味がありません。焼き肉を口にするのも年に数回といったところです。ラーメンもまず食べません。お酒を飲むこともめったにありません。実は太ると言われている果物も自分から積極的にいただくことはありません。
それなのに、なぜこれほど高度な脂肪肝になってしまったのでしょうか。
普通の人なら到来物としてしかいただかないような、値段の高いケーキや和菓子を私は頻繁に買っていました。スーパーマーケットなどで、野菜や果物、お肉やお魚などだと、これは高いからやめておこうと自制することはありますが、お菓子に関してはそういう感覚が麻痺していて、値段にかかわらず買ってしまいます。
ケーキケースの端から端まで全部1つずつなどという大人買いもよくやっていました。帰宅して、一度に3個を昼と夜、などというペースで平らげてしまうのです。和菓子売り場では日持ちのしない和菓子をこれからお得意様周りでもするのですというように何包みも購入してしまうのです。
そうです。私はよく「フリ」をしていました。お得様周りをするフリ、これから友人が来るフリ、家で子どもが大勢待っているフリ…などです。当然のことながら、お店の人にお菓子の使用目的など聞かれることなどないのですが、心の中でしばしば言い訳を準備していました。
もはや高級菓子に負けないくらいに進化を遂げたコンビニスイーツに至っては、値段を気にせずたくさん、しかも色々な種類が買えるので、一度に8種類くらい買い込むこともありました。そういう時には心の中で言い訳が必要でした。明日また買いに来ればいいのにと思いながらも、一度にたくさん買って、その日のうちに完食してしまいました。私は過食嘔吐をしたことは一度もありませんが、どう考えてもお菓子の買い方が病的でした。
これまでにも、医師やカウンセラーなどの専門家に、お菓子の異常摂取については繰り返し相談してきました。専門家によっては、甘えたいという欲求を甘味で満たそうとしているとか、性的欲求不満が甘味を求めさせているとか、母親との愛着障害が根本にあるとか、様々な原因が検討されてきました。でも結局のところ、行動としてのお菓子の衝動的な買い方や食べ方は止めることができませんでした。
「パスカルの賭け」という言葉があります。
パスカルとは、17世紀のフランス人。思想家、数学者、神学者などにとどまらない巨人です。体の弱かったパスカルはその生涯の多くをベッドの上で過ごしましたが、計算機、今のレジスターの原型を作ったり、断章『パンセ』を著したりしました。最近では毎日の天気予報で、彼の名が元になった単位「ヘクトパスカル」を耳にします。
「パスカルの賭け」とは、神が存在するかしないかについて賭けをしなくてはならないとしたら、神は存在するという方に賭けるべきだというものです。神が存在するという方に賭けた場合、神は存在していても存在していなくても失うものは何もない。しかし反対に神は存在しないという方に賭けたとしたら、神が存在していた場合、失うものはあまりにも大きいからだいうものです。
私のお菓子に「パスカルの賭け」を用いるのは、まったく見当違いなのは、自分でもよく解っているのですが、最近では、気がつくと「パスカルの賭け」と心の中で口ずさんでいるのです。それは「今後の人生において、お菓子を食べるか食べないか、どちらかに賭けなければならないとしたら、お菓子を食べない人生に賭けるべきなのです。お菓子を食べないと人生の楽しみは半減するかもしれませんが、残された人生は輝きに満ちているでしょう。しかしお菓子を食べる人生を選ぶとしたら、失うものがあまりにも大きいのです。下肢切断、透析、失明、脳梗塞、心疾患と人生そのものを根こそぎ失いかねないのです」
今後、どうしてもお菓子が食べたくなったら、今日のこのブログを読み返そうと思います。
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