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2017年08月06日
ご飯の量
入院生活で食事療法の勉強をしました。私の指示エネルギーは1日で1,500kcalです。ご飯の量は1食当たり150gです。入院するときにいつも使っているお茶碗を持ってくるよう言われ、自分で150g秤で計って盛り付けし体得しました。
私の場合、毎食3単位を表1から摂取するよう指示されているので、3単位 = 80kcal x 3 = 240 kcal が毎食の主食です。1,500kcal/日なので、1食当たり500kcalです。その内の48%を主食であるご飯やパンで摂取するようにというのが病院の指示です。
150gのご飯…。今回入院してから多くのブログを拝見しました。糖質制限をしていらっしゃる方が多い中、病院の指示に従って治療している方でも、ご飯の量は80gや100gというのが主流のようです。
私は去年2016年2月から9月までの8ヶ月間に、自己流の糖質制限で105.6kgから91.4kgまで14.2kgの減量に成功しましたが、また8ヶ月で106kgまで14.6kgリバウンドさせてしまいました。リバウンドに関してはまた項を改めたいと思いますが、前回減量していくときには、朝食はトーストや目玉焼きなど普通の食事を摂りましたが、昼食と夕食はほとんど主食を取らず、耐え難い空腹に悩まされることもなく、するすると減量に成功しました。
2016年1月25日のHbA1cは6.56で糖尿病と診断されましたが、3月15日には6.15に下がり、5月17日には5.93となりました。
結局のところリバウンドさせてしまったわけで、2017年7月18日にはHbA1cも7.6に上昇させてしまいました。そこで今回は糖質制限ではなく、糖尿病学会推薦のカロリー制限で減量を試みているわけですが、何だか面倒な計量と悲痛な空腹感に苦しんでいる割には血糖値下降に効果があるか不安にかられています。
昨年は、入院当日102.4kgだった体重は、2週間の教育入院+1週間で98.7kgとなり、3.7kgの成果でした。今回は、入院当日106.0kgだった体重は、同じ入院+1週間で本日現在102.4kgと3.6kgですから、ほぼ同じ効果です。
今回、なぜ私が糖質制限を選ばずにカロリー制限を選んだかといえば、理由は大きく分けて2つあります。
1つ目の理由は、糖質制限には不自然さを感じていたからです。高タンパク高脂肪になりがちな食事に不安がありました。外食がちな私の場合、不経済だったこともありました。また古今東西の多くの民族の食生活を考えてみても穀物が食事の中心にあったと思うのです。
2つ目の理由は、私と体質がよく似ている母が私と同年代の頃糖尿病を発症したのですが、母はカロリー制限ダイエットで体重をほぼ半減させ、糖尿病を克服していました。傘寿を超えた今日も元気に暮らしています。
色々な思いが脳裏を交差しますが、ご飯の量についてはこのままでいくかどうか迷うところです。
私の場合、毎食3単位を表1から摂取するよう指示されているので、3単位 = 80kcal x 3 = 240 kcal が毎食の主食です。1,500kcal/日なので、1食当たり500kcalです。その内の48%を主食であるご飯やパンで摂取するようにというのが病院の指示です。
150gのご飯…。今回入院してから多くのブログを拝見しました。糖質制限をしていらっしゃる方が多い中、病院の指示に従って治療している方でも、ご飯の量は80gや100gというのが主流のようです。
私は去年2016年2月から9月までの8ヶ月間に、自己流の糖質制限で105.6kgから91.4kgまで14.2kgの減量に成功しましたが、また8ヶ月で106kgまで14.6kgリバウンドさせてしまいました。リバウンドに関してはまた項を改めたいと思いますが、前回減量していくときには、朝食はトーストや目玉焼きなど普通の食事を摂りましたが、昼食と夕食はほとんど主食を取らず、耐え難い空腹に悩まされることもなく、するすると減量に成功しました。
2016年1月25日のHbA1cは6.56で糖尿病と診断されましたが、3月15日には6.15に下がり、5月17日には5.93となりました。
結局のところリバウンドさせてしまったわけで、2017年7月18日にはHbA1cも7.6に上昇させてしまいました。そこで今回は糖質制限ではなく、糖尿病学会推薦のカロリー制限で減量を試みているわけですが、何だか面倒な計量と悲痛な空腹感に苦しんでいる割には血糖値下降に効果があるか不安にかられています。
昨年は、入院当日102.4kgだった体重は、2週間の教育入院+1週間で98.7kgとなり、3.7kgの成果でした。今回は、入院当日106.0kgだった体重は、同じ入院+1週間で本日現在102.4kgと3.6kgですから、ほぼ同じ効果です。
今回、なぜ私が糖質制限を選ばずにカロリー制限を選んだかといえば、理由は大きく分けて2つあります。
1つ目の理由は、糖質制限には不自然さを感じていたからです。高タンパク高脂肪になりがちな食事に不安がありました。外食がちな私の場合、不経済だったこともありました。また古今東西の多くの民族の食生活を考えてみても穀物が食事の中心にあったと思うのです。
2つ目の理由は、私と体質がよく似ている母が私と同年代の頃糖尿病を発症したのですが、母はカロリー制限ダイエットで体重をほぼ半減させ、糖尿病を克服していました。傘寿を超えた今日も元気に暮らしています。
色々な思いが脳裏を交差しますが、ご飯の量についてはこのままでいくかどうか迷うところです。
2017年08月05日
土曜日の過ごし方
土曜日を、これかはら少しずつ充実させていきたいと思っています。多くの人にとっては当たり前のことができない私には、少しずつです。
まず、土曜日だからこそ普通の日よりも少しだけ早起きをして、朝の散歩に出かけたいと思います。帰宅したら、お昼はできるだけ手作りのものを食べたいと思います。
午後は、思いっきりダラダラ過ごします。ぐーぐー寝ちゃうのもありです。夕方は近所の公民館のヨガに出かけます。1時間呼吸を整え、姿勢を整えます。夕食はいつもの宅配弁当で軽くすませます。
夜は、お風呂に入って、湯船にゆっくりとつかります。寝る前に、丁寧にフットケアをします。かかとツルツルを目指します。
毎週全部できなくても、少しずつ充実の土曜日に変えていこうと思っています。
まず、土曜日だからこそ普通の日よりも少しだけ早起きをして、朝の散歩に出かけたいと思います。帰宅したら、お昼はできるだけ手作りのものを食べたいと思います。
午後は、思いっきりダラダラ過ごします。ぐーぐー寝ちゃうのもありです。夕方は近所の公民館のヨガに出かけます。1時間呼吸を整え、姿勢を整えます。夕食はいつもの宅配弁当で軽くすませます。
夜は、お風呂に入って、湯船にゆっくりとつかります。寝る前に、丁寧にフットケアをします。かかとツルツルを目指します。
毎週全部できなくても、少しずつ充実の土曜日に変えていこうと思っています。
タグ:目標
2017年08月04日
朝食の時間
今朝は寝坊をした上にいくつかの悪条件が重なって、朝食時間が大幅に遅れ、結局10時半近くになってしまいました。その上、今日はパートが午後からの日だったので、早目のお昼を食べ始めたのが12時前で、食間がたった1時間半しかありませんでした。
昨日の晩は、ひもじい思いをしながら布団をかぶって早々に寝るという状態だったので、今朝、なかなか朝食にありつけなくて、倒れてしまったらどうしようと心配していました。でも倒れることも気分が悪くなることもなく朝食まで過ごすことができたので、今日のことも自信につながりました。そうはいっても、今朝もっと早く起きていれば何の問題もなかったわけなので、明日からちゃんと早起きをしようと思います。
午後は続けて食事をしたせいか、強烈な空腹感を感じることもなく、夕食まで平常心でいられました。そうはいっても帰り道には「子どもの頃はいつも腹をすかせていた」とか「飢えとマラリアに苦しめられた南方戦線」などというフレーズが脳裏をよぎったりしました。一日1,500kcalの生活に慣れるにはどれくらいの月日が必要なのでしょうか?
糖尿病の治療の基本は食事療法と運動療法といいますが、私の場合、今はまだ運動療法など目が回ってできそうもないのですが、食事療法だけは何とか継続していこうと思っています。
昨日の晩は、ひもじい思いをしながら布団をかぶって早々に寝るという状態だったので、今朝、なかなか朝食にありつけなくて、倒れてしまったらどうしようと心配していました。でも倒れることも気分が悪くなることもなく朝食まで過ごすことができたので、今日のことも自信につながりました。そうはいっても、今朝もっと早く起きていれば何の問題もなかったわけなので、明日からちゃんと早起きをしようと思います。
午後は続けて食事をしたせいか、強烈な空腹感を感じることもなく、夕食まで平常心でいられました。そうはいっても帰り道には「子どもの頃はいつも腹をすかせていた」とか「飢えとマラリアに苦しめられた南方戦線」などというフレーズが脳裏をよぎったりしました。一日1,500kcalの生活に慣れるにはどれくらいの月日が必要なのでしょうか?
糖尿病の治療の基本は食事療法と運動療法といいますが、私の場合、今はまだ運動療法など目が回ってできそうもないのですが、食事療法だけは何とか継続していこうと思っています。
タグ:空腹
2017年08月03日
一日三食
今朝は7時半に朝食を摂り、午前中はパートに出掛け、午後1時過ぎに友人と待ち合わせしてスープとステーキの昼食を摂りました。午後は一緒に映画を観てコーヒーを飲み、帰宅して夜7時半に夕食を摂りました。
ごくごく一般的な食事のサイクルですが、私にとっては画期的な一日でした。まず仕事をしたり、友人と会ったりという普通の生活を送りながら、三食以外口にしなかったということです。間食なし。そして、一食当たり凡そ500kcalと計算しているということです。
それにしても、普通の人は毎日こんな食生活を送っているのでしょうか?
今日のような食事ができたことは私にとっては奇跡的なことなのです。胃酸の出過ぎで胃が痛くなったり、インシュリンの出過ぎで低血糖症状がでなかったというだけで私には驚くべきことなのです。今日のような食生活に耐えられたのも、2週間に及ぶ入院生活と、退院後にも厳密に計算して継続してきた食事療法あってのことだと思います。
それにしても、今日一日の食事サイクルは、大きな自信となりました。しかし、いたたまれないような空腹感、とにかく何でもいいから甘いものを体内に摂り込みたいという圧倒的な欲求を抑えるのに、この瞬間も精一杯です。こういう時は、布団をかぶって寝てしまうに限ります。
ごくごく一般的な食事のサイクルですが、私にとっては画期的な一日でした。まず仕事をしたり、友人と会ったりという普通の生活を送りながら、三食以外口にしなかったということです。間食なし。そして、一食当たり凡そ500kcalと計算しているということです。
それにしても、普通の人は毎日こんな食生活を送っているのでしょうか?
今日のような食事ができたことは私にとっては奇跡的なことなのです。胃酸の出過ぎで胃が痛くなったり、インシュリンの出過ぎで低血糖症状がでなかったというだけで私には驚くべきことなのです。今日のような食生活に耐えられたのも、2週間に及ぶ入院生活と、退院後にも厳密に計算して継続してきた食事療法あってのことだと思います。
それにしても、今日一日の食事サイクルは、大きな自信となりました。しかし、いたたまれないような空腹感、とにかく何でもいいから甘いものを体内に摂り込みたいという圧倒的な欲求を抑えるのに、この瞬間も精一杯です。こういう時は、布団をかぶって寝てしまうに限ります。
タグ:空腹
2017年08月02日
空腹に耐える
7月17日の海の日に2週間の教育入院をしてから、今日まで1,500kcalの食事療法を続けています。体から毒が抜けていくような感覚があって、良い方向に向かってはいるのは確かなのですが、正直に言えばお腹がすいて力が出ません。
入院したばかりの頃も、終日、本物の病人のようにベッドで寝てばかりいましたが、もう半月以上も経ったというのに、この空腹感には少しも慣れません。今日は予定がなかったので、午前中少し散歩しただけで、午後はほとんど眠ってばかりいまいした。眠るというより、お腹がすきすぎてクリアに意識を保っていられないという表現の方が近いという有様です。
朝食、昼食は、トーストやサンドイッチ、それにチーズや卵、さらに野菜に果物、そしてヨーグルトなどを組み合わせて、1食500kcalになるよう計算して食べています。
夕食は、退院してから毎日、カロリーと塩分が計算された宅配弁当とご飯を150g食べています。とにかく1,500kcalに体を慣れさせていくしかありません。それでもこの空腹感はかなりのものです。この状態を最も的確に表す言葉は「いたたまれない」だと思います。
入院したばかりの頃も、終日、本物の病人のようにベッドで寝てばかりいましたが、もう半月以上も経ったというのに、この空腹感には少しも慣れません。今日は予定がなかったので、午前中少し散歩しただけで、午後はほとんど眠ってばかりいまいした。眠るというより、お腹がすきすぎてクリアに意識を保っていられないという表現の方が近いという有様です。
朝食、昼食は、トーストやサンドイッチ、それにチーズや卵、さらに野菜に果物、そしてヨーグルトなどを組み合わせて、1食500kcalになるよう計算して食べています。
夕食は、退院してから毎日、カロリーと塩分が計算された宅配弁当とご飯を150g食べています。とにかく1,500kcalに体を慣れさせていくしかありません。それでもこの空腹感はかなりのものです。この状態を最も的確に表す言葉は「いたたまれない」だと思います。
タグ:空腹
2017年08月01日
鍼に通う
今日はヨガ教室のあと、鍼治療を受けに行って来ました。体の調子が整うのがわかります。
20代の頃、友人らと出かけた旅先のホテルで初めて鍼を受けて以来、思い出したように時々通っています。治療費は私にとってそこそこ高いものなので、そう頻繁には通えないのですが、宝くじにでも当たったら、毎日鍼治療を受けたいと思っているほどです。あっちこっちに散らかった神経の向きを整えてくれるような感じです。体がゆるんでくるのがわかります。
今日のヨガ教室はまだ3回目ですが、少しずつ体を変えていくつもりです。太り過ぎているので、私だけ他の皆様とはポーズが違うことが多いのですが、凝り固まった体を少しずつほぐしていこうと思います。できれば週に2回ヨガに通い、週1度は鍼治療に通うことが今の目標です。
今朝の体重は103kgちょうど。半月前の入院時に比べて3kg減らすことができました。本日も1,500kcalのダイエットは順調です。間食をしないと、お腹がすくというか、手持ち無沙汰に困っています。
20代の頃、友人らと出かけた旅先のホテルで初めて鍼を受けて以来、思い出したように時々通っています。治療費は私にとってそこそこ高いものなので、そう頻繁には通えないのですが、宝くじにでも当たったら、毎日鍼治療を受けたいと思っているほどです。あっちこっちに散らかった神経の向きを整えてくれるような感じです。体がゆるんでくるのがわかります。
今日のヨガ教室はまだ3回目ですが、少しずつ体を変えていくつもりです。太り過ぎているので、私だけ他の皆様とはポーズが違うことが多いのですが、凝り固まった体を少しずつほぐしていこうと思います。できれば週に2回ヨガに通い、週1度は鍼治療に通うことが今の目標です。
今朝の体重は103kgちょうど。半月前の入院時に比べて3kg減らすことができました。本日も1,500kcalのダイエットは順調です。間食をしないと、お腹がすくというか、手持ち無沙汰に困っています。
2017年07月31日
体内の毒が抜けていく感覚
土曜日に、2週間の教育入院から無事退院しました。1,500kcalの食事を半月取り続けていると、体内の毒が抜けていくような感覚があります。全身の緊張も少しゆるんできたようです。入院するまでは「食べちゃダメだ、食べちゃダメだ」とまるでエヴァンゲリオンのシンジくんのように心の中で叫びながら、アイスクリームを食べ続けていました。
毎日、自分でも体内に糖が充満しているのがよくわかっていました。とても苦しいのに、自分の意志で食べることを止めることができませんでした。食欲を自らの意志でコントロールできないというのは、それ自体が病気だと思い、入院の日を心待ちにしていました。
この数ヶ月は常に倦怠感に支配されていて、帰宅するとすぐに横になったり、食後もそのまま倒れ込むように眠ってしまったりというようなことが続いていました。自分の中では薄々、食べ過ぎ・太り過ぎによる肝臓機能の低下が原因だと感じていました。今回の入院で、高度脂肪肝と診断され、なんだか少し安心しました。
退院してから、土、日、月曜日と、今のところ1,500kcalを少し下回る程度の食事療法は順調です。これまでの摂取カロリーの半分程度になったことで、なんとなく空腹感が続いていて、視界が狭くなるような気がして元気に運動療法というところまではいってはいないのですが、何もかも一度にすることはできないので、しばらくは1,500kcalを遵守するというこの一点を最優先にしていこうと思っています。
毎日、自分でも体内に糖が充満しているのがよくわかっていました。とても苦しいのに、自分の意志で食べることを止めることができませんでした。食欲を自らの意志でコントロールできないというのは、それ自体が病気だと思い、入院の日を心待ちにしていました。
この数ヶ月は常に倦怠感に支配されていて、帰宅するとすぐに横になったり、食後もそのまま倒れ込むように眠ってしまったりというようなことが続いていました。自分の中では薄々、食べ過ぎ・太り過ぎによる肝臓機能の低下が原因だと感じていました。今回の入院で、高度脂肪肝と診断され、なんだか少し安心しました。
退院してから、土、日、月曜日と、今のところ1,500kcalを少し下回る程度の食事療法は順調です。これまでの摂取カロリーの半分程度になったことで、なんとなく空腹感が続いていて、視界が狭くなるような気がして元気に運動療法というところまではいってはいないのですが、何もかも一度にすることはできないので、しばらくは1,500kcalを遵守するというこの一点を最優先にしていこうと思っています。
2017年07月30日
母の言葉
私の体型や体質は、母によく似ています。母が生まれた時、祖母はこの子は腕や足は太いのに胸が薄くお尻が大きい子だと思ったそうです。そのように母が私に繰り返し語りました。母も小さい頃虚弱体質で、毎朝熱を測って今日は学校に行けるかどうかを確かめていたそうです。母も走るのが遅く、まだ若い頃から横断歩道を走って渡るのが精一杯という状態でした。運動音痴は母から受け継いでいます。お転婆なところは父譲りです。
思春期の頃、母は私に「なんてお尻が大きくてみっともない子なんだろう」と言いました。
きっと母自身が祖母から言われ続けていた言葉なのだろうと思います。祖母は、柳腰というのでしょうか、ほっそりとした体つきで、着物姿の祖母の立ち姿は本当に美しいものでした。
高校生の頃、ジーパンが流行り始めました。女の子がジーンズをはき始めたのは1970年でした。私がクラスメートと同じようにジーパンをはくと、「あぁ、なんてみっともない!」と言われました。当時流行していたオーバーオールを着た時など、「そんな姿で近所を歩かないでちょうだい」とも言われました。母の言葉は、今でもずうっと耳の底でなり続けています。
母は、感情をぶちまけるようにそんな言葉を口にすることもありましたが、親身になって「本当にあなたの人生のために、もっと自分の体型を生かすファッションをしなさい。フレアスカートのようにお尻が目立たないような服を選んで着たらもっと素敵になるわよ」などとアドバイスしてくれることもありました。
いずれにしても、母は自分とよく似た娘の体型を、自己嫌悪のように嫌っていたのでした。
思春期の頃、母は私に「なんてお尻が大きくてみっともない子なんだろう」と言いました。
きっと母自身が祖母から言われ続けていた言葉なのだろうと思います。祖母は、柳腰というのでしょうか、ほっそりとした体つきで、着物姿の祖母の立ち姿は本当に美しいものでした。
高校生の頃、ジーパンが流行り始めました。女の子がジーンズをはき始めたのは1970年でした。私がクラスメートと同じようにジーパンをはくと、「あぁ、なんてみっともない!」と言われました。当時流行していたオーバーオールを着た時など、「そんな姿で近所を歩かないでちょうだい」とも言われました。母の言葉は、今でもずうっと耳の底でなり続けています。
母は、感情をぶちまけるようにそんな言葉を口にすることもありましたが、親身になって「本当にあなたの人生のために、もっと自分の体型を生かすファッションをしなさい。フレアスカートのようにお尻が目立たないような服を選んで着たらもっと素敵になるわよ」などとアドバイスしてくれることもありました。
いずれにしても、母は自分とよく似た娘の体型を、自己嫌悪のように嫌っていたのでした。
タグ:肥満症
2017年07月29日
ダイエット人生の下地
週刊マーガレットや月刊リボンを語らずして子ども時代を語ることができないほど、マンガは夢中になって読んでいました。もちろん、主人公に自分を重ね合わせて読むのですが、あの頃のマンガに主人公に多かった設定は「チビで、目ばかり大きな、痩せっぽちの女の子」。しかも主人公はその容姿にコンプレックスを持っているのです。私には大いなる疑問でした。「デカくて、目の小さな、太っちょの女の子」なら、決して少女マンガの主人公にはなれなかったでしょう。
@背が低い、A目が大きい、B痩せている、これは、白馬の王子と出逢うための三大必須条件として、当時の少女たちの潜在意識に刷り込まれていきました。もちろん私もそのひとりです。私は太ってはいませんでしたが、背が高くしっかりとした骨格でしたし、目だって大きくはありませんでした。
まだ幼いころから何年間か、私は近くのバレエ教室に通っていました。とてもバレエなどと呼べる代物ではなく、ただのお遊戯にすぎませんでしたが、私はその頃から、美しいもの、可憐なもの、愛らしいものが好きでした。トウシューズやチュチュ(レースのスカート)に限りない憧れを持っていました。大人になったらバレリーナかピアニストになりたいと思っていました。華奢な体に美しい衣裳を纏い、軽やかに舞ったり演奏する自分の姿を夢想していましたが、現実はそうではありませんでした。
5年生にって鼓笛隊に入ったらいきなり大太鼓担当に指名されました。もう半世紀近く前のことなのにとても傷いたことをよく覚えています。新入部員はみんなピアニカなのに、私だけ大きいから選ばれたことは明らかでした。決して悪意で指名されたのではないことはよくわかっていました。この中で誰が大太鼓にふさわしいかと問われれば、私でさえ自分自身を選んだと思います。今、初めて、長年心の奥深くにしまいこんでいた自分の気持ちを表しました。大役の大太鼓に選ばれて傷ついたなんて、誰にも言えませんでした。
@背が低い、A目が大きい、B痩せている、これは、白馬の王子と出逢うための三大必須条件として、当時の少女たちの潜在意識に刷り込まれていきました。もちろん私もそのひとりです。私は太ってはいませんでしたが、背が高くしっかりとした骨格でしたし、目だって大きくはありませんでした。
まだ幼いころから何年間か、私は近くのバレエ教室に通っていました。とてもバレエなどと呼べる代物ではなく、ただのお遊戯にすぎませんでしたが、私はその頃から、美しいもの、可憐なもの、愛らしいものが好きでした。トウシューズやチュチュ(レースのスカート)に限りない憧れを持っていました。大人になったらバレリーナかピアニストになりたいと思っていました。華奢な体に美しい衣裳を纏い、軽やかに舞ったり演奏する自分の姿を夢想していましたが、現実はそうではありませんでした。
5年生にって鼓笛隊に入ったらいきなり大太鼓担当に指名されました。もう半世紀近く前のことなのにとても傷いたことをよく覚えています。新入部員はみんなピアニカなのに、私だけ大きいから選ばれたことは明らかでした。決して悪意で指名されたのではないことはよくわかっていました。この中で誰が大太鼓にふさわしいかと問われれば、私でさえ自分自身を選んだと思います。今、初めて、長年心の奥深くにしまいこんでいた自分の気持ちを表しました。大役の大太鼓に選ばれて傷ついたなんて、誰にも言えませんでした。
タグ:肥満症
2017年07月28日
運動音痴
子どもの頃から背も高く、いわゆる体格のいい子どもでしたが、私は運動が苦手でした。早く走ることも長距離を走ることもどちらも苦手でした。ドッヂボールのように瞬発力が必要なゲームも得意ではありませんでした。
その割におてんばで、木登りや鉄棒、ジャングルジムなどは大の得意でした。5年生と6年生の時は夏休みに学校のプールで真っ黒になるまで泳ぎました。高い所によじ登っているか、水の中にいるのが好きな子どもでした。外でみんなと遊んだり、お友だちとリカちゃん人形で遊んだりもしましたが、基本的には、図書館にいるのが大好きで、本ばかり読んでいました。
小さい頃は虚弱体質で、毎学期のように熱を出して寝込みました。小学校3年生の時は気管支炎で、4年生の時は肺炎で2年続けて運動会には出られませんでした。いまだに冷房の季節になると年中行事のように気管支炎をおこしています。
とにかく走ることが苦手で、校庭一周400mを同級生の倍の時間をかけてなんとか回りきるのがやっとでした。走り終えると喉に血の味がしました。2kmマラソンなどとんでもないことでした。一緒に歩こうねと約束した友人らの背中がどんどん小さくなるを見つめながら、片腹を押さえてひとり歩いていました。
長じてからもテニスもスキーもゴルフも、友人に誘われて体験はしましたが、私にはつらいばかりで何ひとつ興味を持てず、もう決してやるまいと思いました。
その割におてんばで、木登りや鉄棒、ジャングルジムなどは大の得意でした。5年生と6年生の時は夏休みに学校のプールで真っ黒になるまで泳ぎました。高い所によじ登っているか、水の中にいるのが好きな子どもでした。外でみんなと遊んだり、お友だちとリカちゃん人形で遊んだりもしましたが、基本的には、図書館にいるのが大好きで、本ばかり読んでいました。
小さい頃は虚弱体質で、毎学期のように熱を出して寝込みました。小学校3年生の時は気管支炎で、4年生の時は肺炎で2年続けて運動会には出られませんでした。いまだに冷房の季節になると年中行事のように気管支炎をおこしています。
とにかく走ることが苦手で、校庭一周400mを同級生の倍の時間をかけてなんとか回りきるのがやっとでした。走り終えると喉に血の味がしました。2kmマラソンなどとんでもないことでした。一緒に歩こうねと約束した友人らの背中がどんどん小さくなるを見つめながら、片腹を押さえてひとり歩いていました。
長じてからもテニスもスキーもゴルフも、友人に誘われて体験はしましたが、私にはつらいばかりで何ひとつ興味を持てず、もう決してやるまいと思いました。