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2017年09月15日
食卓の光景
あたたかな食卓というと、脳裏に一枚の光景が浮かび上がります。高校生の時、友人の家で夕食に招かれた時の光景です。湯気が立ち昇る食卓を、驚きを持って見つめたあの時の自分の戸惑いと共に思い起こされます。
その日、いつものように学校帰りにバス停の目の前にあった友人宅に上がり込み、あれこれおしゃべりしていたら、友人のお母さんが「夕食時だからよかったら食べてって。あり合わせのものだけど。家族とおんなじものしかないけど、どうぞ」と呼びにきてくれて、友人も「そうだよ、そうだよ、一緒に食べようよ」といってくれ、階下の食卓に向かいました。
お父さんはその時はいなかったように思います。まだ仕事から帰ってきていらっしゃらなかったのかもしれません。友人と、友人の妹と、友人のお母さんと、私の4人でした。「なんにもないけど、遠慮しないで」という友人のお母さんの目の前には、揚げたての一口カツ、みずみずしいキャベツの千切り、たっぷり盛られた大根おろし、茄子のお味噌汁、炊き立てのご飯、そして他にも小鉢がいくつか並んでいました。
友人は私に向かって「遠慮しないでどんどんお代わりしてね」といい、妹と一緒に「いっただきまーす」と声を上げてソースをたっぷりかけた一口カツにかぶりつきました。友人のお母さんも「カツもまだまだあるからたくさんお代わりしてね」と言いました。
私にとってこの時の食卓の光景は、40年経っても脳裏に焼きついたままの衝撃的なものでした。
私の家ではカツを自宅で揚げたことはありませんでした。カツはお肉屋さんで揚げてもらうものでした。小学生の頃の、母が得意そうに言った言葉を今でも覚えています。「今日、お肉屋さんでカツを(家族の人数分の)4枚揚げて貰っていたら、(弟の同級生の)○○君のお母さんに『お宅は贅沢ねぇ、うちなんてそんなに高いお肉は買えないわ』って言われたの。これは特上のカツなのよ」
母は、特上とか、舶来とか、一流とかという言葉が大好きで、このような言葉をいつも枕詞に使っていました。幼い私は、素直にそのまま信じ、うちは他の家より贅沢をさせて貰っているのだと思っていました。
しかし、友人の家ではカツは「あり合わせのもの」だったのです。確かにひとくちカツ用の肉は、一枚の特上の肉に比べれば値段は安いかもしれません。でも、我が家のようにもったいぶって恭しく供されるものではなく、日常の食卓に並ぶ普段のおかずであり、子どもの友人が来たらついでに枚数を増やす程度のものだったのです。
ちなみにお母さんが「そんな贅沢はできない」と言っていた弟の同級生は、当時はまだ珍しかった受験をして、有名私立中学に進学しました。カツ代は教育費として貯金されていたのでしょう。
私が驚いたのは、カツを自宅で揚げていたからだけではありませんでした。そこには食卓としてのまとまりがあったのです。献立と表現したら良いのでしょうか。カツもあるけれど、他にも旬野菜やらお浸しが並んでいて、それぞれがバランス良く互いを引き立てあっていました。
それは一家の主婦が家族のことを思って、健康を考え、愛情をもって作った献立でした。そこには温かさがありました。
私の育った家では、「特上のカツ」の日にはおかずは「特上のカツ」だけでした。キャベツの千切りはもしかしたら自分たちで刻んで並べていたかもしれませんが、でも、テーブルの上にはカツと、キャベツと、お味噌汁とご飯だけでした。そして、そのお味噌汁は気味の悪いものでした。キラキラした煮干の背がたくさん浮いている「特別な」お味噌汁でした。お味噌汁には、苦くイヤな思い出がたくさんあります。時間のある時に後述しようと思います。
その日、いつものように学校帰りにバス停の目の前にあった友人宅に上がり込み、あれこれおしゃべりしていたら、友人のお母さんが「夕食時だからよかったら食べてって。あり合わせのものだけど。家族とおんなじものしかないけど、どうぞ」と呼びにきてくれて、友人も「そうだよ、そうだよ、一緒に食べようよ」といってくれ、階下の食卓に向かいました。
お父さんはその時はいなかったように思います。まだ仕事から帰ってきていらっしゃらなかったのかもしれません。友人と、友人の妹と、友人のお母さんと、私の4人でした。「なんにもないけど、遠慮しないで」という友人のお母さんの目の前には、揚げたての一口カツ、みずみずしいキャベツの千切り、たっぷり盛られた大根おろし、茄子のお味噌汁、炊き立てのご飯、そして他にも小鉢がいくつか並んでいました。
友人は私に向かって「遠慮しないでどんどんお代わりしてね」といい、妹と一緒に「いっただきまーす」と声を上げてソースをたっぷりかけた一口カツにかぶりつきました。友人のお母さんも「カツもまだまだあるからたくさんお代わりしてね」と言いました。
私にとってこの時の食卓の光景は、40年経っても脳裏に焼きついたままの衝撃的なものでした。
私の家ではカツを自宅で揚げたことはありませんでした。カツはお肉屋さんで揚げてもらうものでした。小学生の頃の、母が得意そうに言った言葉を今でも覚えています。「今日、お肉屋さんでカツを(家族の人数分の)4枚揚げて貰っていたら、(弟の同級生の)○○君のお母さんに『お宅は贅沢ねぇ、うちなんてそんなに高いお肉は買えないわ』って言われたの。これは特上のカツなのよ」
母は、特上とか、舶来とか、一流とかという言葉が大好きで、このような言葉をいつも枕詞に使っていました。幼い私は、素直にそのまま信じ、うちは他の家より贅沢をさせて貰っているのだと思っていました。
しかし、友人の家ではカツは「あり合わせのもの」だったのです。確かにひとくちカツ用の肉は、一枚の特上の肉に比べれば値段は安いかもしれません。でも、我が家のようにもったいぶって恭しく供されるものではなく、日常の食卓に並ぶ普段のおかずであり、子どもの友人が来たらついでに枚数を増やす程度のものだったのです。
ちなみにお母さんが「そんな贅沢はできない」と言っていた弟の同級生は、当時はまだ珍しかった受験をして、有名私立中学に進学しました。カツ代は教育費として貯金されていたのでしょう。
私が驚いたのは、カツを自宅で揚げていたからだけではありませんでした。そこには食卓としてのまとまりがあったのです。献立と表現したら良いのでしょうか。カツもあるけれど、他にも旬野菜やらお浸しが並んでいて、それぞれがバランス良く互いを引き立てあっていました。
それは一家の主婦が家族のことを思って、健康を考え、愛情をもって作った献立でした。そこには温かさがありました。
私の育った家では、「特上のカツ」の日にはおかずは「特上のカツ」だけでした。キャベツの千切りはもしかしたら自分たちで刻んで並べていたかもしれませんが、でも、テーブルの上にはカツと、キャベツと、お味噌汁とご飯だけでした。そして、そのお味噌汁は気味の悪いものでした。キラキラした煮干の背がたくさん浮いている「特別な」お味噌汁でした。お味噌汁には、苦くイヤな思い出がたくさんあります。時間のある時に後述しようと思います。
2017年09月14日
工業製品
昨日は夕食を宅配弁当にしたら気持ちがとても楽になったと書きました。それでは昼食はどうかというと、実はほとんど毎日コンビニのお世話になっています。コンビニで買うものは、サラダやそのまま食べられる野菜、サンドイッチ、ブランパンなどのパン類、冷やし中華、カレーうどん、ピリ辛蕎麦などの麺類、あるいはビーフシチューやミートソースなどレトルトパウチ製品、それにカットフルーツなどです。色々と組み合わせて500kcalに納めるように工夫しています。
正直に言えば、毎日工業製品を食べているような感じです。規格に合った工業製品のような食品です。
多くのダイエットブログには、朝昼夕の食事の写真がたくさん載っています。腕をふるったお料理をなさっている方も多く、弟子入りしたくなるような方々もおられます。それに比べて私は、朝は外食、お昼はコンビニ、夜は宅配弁当なのです。夫がよく私の手料理を褒めてくれていたので、私はお料理は嫌いではないと思い込んでいましたが、きっと料理自体が好きではないのでしょう。
お料理上手というのは、女性としてポジティブポイントが高いという先入観があって、無理やり自分自身を料理上手と思い込みたかったのでしょう。毎日手作りの家庭料理をテーブルに並べたいというのが私のささやかな夢でしたが、現実にはデパ地下やスーパーマーケットのすぐに食べられるお惣菜をよく買ってきていました。
人間は育てられたようにしか育たないと思うのですが、今、自分の子どもの頃の食卓を思い浮かべると、今日私の食生活の原点は、やはり母の食卓にあったのだと感じます。何度思い出そうとしても、私の家には「あたたかい食卓」というものは存在しなかったのです。
私の育った家は、決して裕福な家ではありませんでしたが、だからと言ってことさら貧しい家でもありませんでした。食べるものに不自由したことは一度もありません。食後にいただくクッキーなどのお菓子も常にふんだんにありました。それでも、私が夢見てきたような手作りの家庭料理が並んでいたことはなかったように思います。いえ、もしかしたらあったのかもしれません。ただ私が思い出せないだけなのかもしれません。
ほうれん草の胡麻和えや、カレイの煮付け、オムライス、秋刀魚の塩焼き、蕗ご飯…。一品一品、断片的には母の手料理を食べていたことは思い出せるのです。幼い時の雛祭りのちらし寿司のご馳走とか、母と一緒にオーブンで焼いたシュークリームのことなどは懐かしく思い出せるのです。しかしまとまった集合体としての「あたたかな食卓」となると途端に記憶がないのです。これは一体どういうことなのでしょうか。
これから、時間を見つけては、子どもの頃の食卓の思い出を書いていこうと思います。
正直に言えば、毎日工業製品を食べているような感じです。規格に合った工業製品のような食品です。
多くのダイエットブログには、朝昼夕の食事の写真がたくさん載っています。腕をふるったお料理をなさっている方も多く、弟子入りしたくなるような方々もおられます。それに比べて私は、朝は外食、お昼はコンビニ、夜は宅配弁当なのです。夫がよく私の手料理を褒めてくれていたので、私はお料理は嫌いではないと思い込んでいましたが、きっと料理自体が好きではないのでしょう。
お料理上手というのは、女性としてポジティブポイントが高いという先入観があって、無理やり自分自身を料理上手と思い込みたかったのでしょう。毎日手作りの家庭料理をテーブルに並べたいというのが私のささやかな夢でしたが、現実にはデパ地下やスーパーマーケットのすぐに食べられるお惣菜をよく買ってきていました。
人間は育てられたようにしか育たないと思うのですが、今、自分の子どもの頃の食卓を思い浮かべると、今日私の食生活の原点は、やはり母の食卓にあったのだと感じます。何度思い出そうとしても、私の家には「あたたかい食卓」というものは存在しなかったのです。
私の育った家は、決して裕福な家ではありませんでしたが、だからと言ってことさら貧しい家でもありませんでした。食べるものに不自由したことは一度もありません。食後にいただくクッキーなどのお菓子も常にふんだんにありました。それでも、私が夢見てきたような手作りの家庭料理が並んでいたことはなかったように思います。いえ、もしかしたらあったのかもしれません。ただ私が思い出せないだけなのかもしれません。
ほうれん草の胡麻和えや、カレイの煮付け、オムライス、秋刀魚の塩焼き、蕗ご飯…。一品一品、断片的には母の手料理を食べていたことは思い出せるのです。幼い時の雛祭りのちらし寿司のご馳走とか、母と一緒にオーブンで焼いたシュークリームのことなどは懐かしく思い出せるのです。しかしまとまった集合体としての「あたたかな食卓」となると途端に記憶がないのです。これは一体どういうことなのでしょうか。
これから、時間を見つけては、子どもの頃の食卓の思い出を書いていこうと思います。
2017年09月13日
宅配弁当
教育入院の時、栄養士さんに宅配弁当のパンフレットをいくつかいただきました。栄養士さんに評判を聞いて、一番良さそうなところに連絡し、退院の日の夕食から届けてもらうことにしました。私のお弁当は、エネルギーとカロリーが計算されたおかずだけのお弁当です。
そもそもお弁当をお願いしようと思った理由は、これまでのダイエットでは初めてのうちは気合が入っていたけれど、慣れるに従って段々量が増えてきてしまっていたからです。量を定期的に見直す意味でも週に一度か月に一度は宅配弁当にしようと思いました。ところがお試しコースを頼んだら、案外想像を超えるおいしさだったので、結局、退院以来夕食は日曜日を除いて毎日お弁当です。
ひと月半宅配弁当で過ごしてみて、思ってもみなかった御利益がありました。
それは、食べ物のことを考えずに済むという利点です。私はこれまで毎日毎日今日は何を食べようというより、今日は何を食べてはいけないかということを四六時中考えていました。食べてはいけないもので頭がいっぱいだったのです。特に夕飯がいけません。朝食・昼食はほとんど問題はないのですが、私の場合、夕飯は本当に鬼門でした。
まずお買い物で考え込む。これは食べてはいけない、あれもダメ。でも結局買い過ぎる。お菓子やアイスクリームを買ってしまう。買うこと自体に罪悪感。しかも帰宅してすぐに食べてしまい自責の念。罪悪感と自責の念から自暴自棄を起こして大量に食べて、夕飯などはいらなくなる…という日々をどれだけ送ってきたことでしょう。
宅配弁当になってみると、驚いたことに私にとっては夕飯のおかずなんて何でもよかったんだと気がつきました。250kcalに計算されたお弁当に、家で炊いたご飯をラップで包んで冷凍してあるご飯を解凍し、それを緑茶を淹れて、焼海苔と一緒にいただきます。初めの頃は病院の指導通り、ご飯を150g(240kcal)食べていましたが、今はご飯を50g(80kcal)にして、ヨーグルト100g(65kcal)と果物を適宜いただいています。極めて快適です。
私は長年に渡って自分のことをグルメかつグルマン、つまり美食家かつ大食漢だと思い込んでいましたが、それは大いに間違いでした。日々の食事の苦しみから救ってくれたのは、何を隠そう宅配弁当だったのです。毎日、何を食べようとか、何を食べてはいけないとかを考えることから解放されました。買い物からも、夕飯の支度からも、後片付けからも解放されました。本当に楽になりました。
経済的にも、食品を無駄にすることがなくなり宅配弁当の方がかえって安く済みそうです。それに夫の食事の準備や片付けは不思議と少しも苦になりません。いわゆる同じ釜の飯を食べなくなって(厳密に言えばご飯そのものは同じ釜の飯なのですが)夫婦の距離ができてしまったらどうしようという心配も夫の協力もあって今のところは大丈夫そうです。
家に帰ればいつでもお弁当が待っていてくれる。ご飯もチンすればよい。ヨーグルトと果物でデザート欲も満たされます。これまで一日中頭の中を占めていた食べ物から解放されて、本当に人生が変わりました。宅配弁当屋さんには足を向けては寝られません。心から感謝してます。
そもそもお弁当をお願いしようと思った理由は、これまでのダイエットでは初めてのうちは気合が入っていたけれど、慣れるに従って段々量が増えてきてしまっていたからです。量を定期的に見直す意味でも週に一度か月に一度は宅配弁当にしようと思いました。ところがお試しコースを頼んだら、案外想像を超えるおいしさだったので、結局、退院以来夕食は日曜日を除いて毎日お弁当です。
ひと月半宅配弁当で過ごしてみて、思ってもみなかった御利益がありました。
それは、食べ物のことを考えずに済むという利点です。私はこれまで毎日毎日今日は何を食べようというより、今日は何を食べてはいけないかということを四六時中考えていました。食べてはいけないもので頭がいっぱいだったのです。特に夕飯がいけません。朝食・昼食はほとんど問題はないのですが、私の場合、夕飯は本当に鬼門でした。
まずお買い物で考え込む。これは食べてはいけない、あれもダメ。でも結局買い過ぎる。お菓子やアイスクリームを買ってしまう。買うこと自体に罪悪感。しかも帰宅してすぐに食べてしまい自責の念。罪悪感と自責の念から自暴自棄を起こして大量に食べて、夕飯などはいらなくなる…という日々をどれだけ送ってきたことでしょう。
宅配弁当になってみると、驚いたことに私にとっては夕飯のおかずなんて何でもよかったんだと気がつきました。250kcalに計算されたお弁当に、家で炊いたご飯をラップで包んで冷凍してあるご飯を解凍し、それを緑茶を淹れて、焼海苔と一緒にいただきます。初めの頃は病院の指導通り、ご飯を150g(240kcal)食べていましたが、今はご飯を50g(80kcal)にして、ヨーグルト100g(65kcal)と果物を適宜いただいています。極めて快適です。
私は長年に渡って自分のことをグルメかつグルマン、つまり美食家かつ大食漢だと思い込んでいましたが、それは大いに間違いでした。日々の食事の苦しみから救ってくれたのは、何を隠そう宅配弁当だったのです。毎日、何を食べようとか、何を食べてはいけないとかを考えることから解放されました。買い物からも、夕飯の支度からも、後片付けからも解放されました。本当に楽になりました。
経済的にも、食品を無駄にすることがなくなり宅配弁当の方がかえって安く済みそうです。それに夫の食事の準備や片付けは不思議と少しも苦になりません。いわゆる同じ釜の飯を食べなくなって(厳密に言えばご飯そのものは同じ釜の飯なのですが)夫婦の距離ができてしまったらどうしようという心配も夫の協力もあって今のところは大丈夫そうです。
家に帰ればいつでもお弁当が待っていてくれる。ご飯もチンすればよい。ヨーグルトと果物でデザート欲も満たされます。これまで一日中頭の中を占めていた食べ物から解放されて、本当に人生が変わりました。宅配弁当屋さんには足を向けては寝られません。心から感謝してます。
2017年09月12日
毎週火曜日
毎週火曜日は、基本的に体メンテナンスデーにしています。鍼に行って、近くの公民館のヨガに行きます。
現在、生活習慣の変革中ですが、これまでの何十年にも渡る悪習慣によって凝り固まっってしまった私の体は、これからもある程度の歳月をかけて変革していく必要があります。肩も腰も脚も膝も、どこもかしこも鍼の先生方がびっくりするくらい凝り固まっっています。
ヨガのポーズも、インストラクターや周りの人とはひとりかけ離れたポーズをしています。例えば開脚して上体を前に倒してそのまま床にくっつけるポーズの時も、鏡にはひとりだけ首を下に向けただけの私の上体がばっちり映っています。
運動療法は充分とは言えませんが、週2回の公民館ヨガと、自宅で膝の曲げ伸ばし運動をしていますので、しばらくはこれでいきます。食事療法は、時には会食もありますが、基本的には愚直に1日1,500kcalを守っています。
体重は7kg以上減りましたが、周囲の誰にも気づかれていません。それどころか、今日も鏡に映る自分の姿を見みた私自身の目にさえ、変化はまったく感じられませんでした。千里の道も一歩からといいますが、まだ減量を始めて2ヶ月も経っていないので、すべてはこれからです。
現在、生活習慣の変革中ですが、これまでの何十年にも渡る悪習慣によって凝り固まっってしまった私の体は、これからもある程度の歳月をかけて変革していく必要があります。肩も腰も脚も膝も、どこもかしこも鍼の先生方がびっくりするくらい凝り固まっっています。
ヨガのポーズも、インストラクターや周りの人とはひとりかけ離れたポーズをしています。例えば開脚して上体を前に倒してそのまま床にくっつけるポーズの時も、鏡にはひとりだけ首を下に向けただけの私の上体がばっちり映っています。
運動療法は充分とは言えませんが、週2回の公民館ヨガと、自宅で膝の曲げ伸ばし運動をしていますので、しばらくはこれでいきます。食事療法は、時には会食もありますが、基本的には愚直に1日1,500kcalを守っています。
体重は7kg以上減りましたが、周囲の誰にも気づかれていません。それどころか、今日も鏡に映る自分の姿を見みた私自身の目にさえ、変化はまったく感じられませんでした。千里の道も一歩からといいますが、まだ減量を始めて2ヶ月も経っていないので、すべてはこれからです。
2017年09月11日
中華料理
昨日の日曜日は学生時代の友人5人で中華料理店に行きました。木曜日にフランス料理をフルコースでいただいたばかりなのに、また会食です。しかも中華料理。5人の内ひとりは、よく会う友人なので教育入院のことも知っていますが、他の3人は卒業式以来三十数年ぶりで、もちろん今の私の状況は知りません。
久しぶりの友人は、3人共一目でわかりました。全然変わっていなくて、道ですれ違っても、電車の中で会ってもきっとわかったと思います。でも3人は私のことは「すれ違ってもわからないと思う」と言っていました。「太ったからね」と私が言うと、「学生時代は細い人っていうイメージだった」と1人が言い、もう1人が「そうそう、すらっとしてたよね」と言ってくれました。
友人たちのいう通り、きっと私はすらっとしていたんだと思います。でもあの頃は、自分のことを心底太り過ぎでみっともないと信じていました。だからダイエットとリバウンドを繰り返し今日まで来てしまったのです。本当に18歳の私に「そのままでいいのよ。きれいよ、可愛いわよ」といってぎゅっと抱きしめてあげたくなります。
コース料理にはしないで、アラカルトで色々と注文することになりました。スープを2種類、野菜中心の炒め物を数品、それに点心を数品、さらに主食を数品、最後にデザートの杏仁豆腐でした。
いつもの「all or nothing 思考」を抜け出し、「うまくいかなかったこともあるけど、うまくいったこともある思考」に切り替えようと思い、昨日は成功しました。もしかして、生まれて初めての成功かもしれません。
まず最初に「医者から減量するように言われているの」と宣言しました。そして酢豚などは取り分けの際お肉を減らしてもらいました。でも取り分けられた自分の分は残さずいただきました。点心でチャーシュー饅が1人にひとつずつ配られた時にも、これはかなりのカロリーオーバーになりそうだと思いましたが、残さずいただきました。
チャーハンや焼きそばを注文する時には「減量しなくてはいけないので主食は遠慮させていただくわ」と言ったら、友人のひとりが「じゃ、替わりに大根餅なんていいんじゃない?」と言ってくれたので、アドバイスに従いました。大根餅のカロリーが高いのか低いのかはわかりませんでしたが、きちんと断れたこと、そして代替案を素直に受け入れられたことが自分なりに大きな進歩だと思いました。
デザートは周りの雰囲気に合わせて、私も杏仁豆腐を注文しました。でも半分くらいいただいて、半分残しました。帰宅してカロリー計算してみたら、夕食だけで1,100kcalを超えていたと思います(大根餅は200kcalで計算してみました)。それでも、1日の総カロリーは2,000kcalを下回っていました。そして今朝の体重測定でも、昨日の体重を維持することができました。
これまでうまくいかないことがあると、「どうせうまくいかなかったんだから」とすぐに自暴自棄に走ってしまいがちでしたが、今回は「うまくできなかったこともあるけれど、うまくできたこともある」と思うだけで、とっても気楽で伸びやかな気持ちになれました。食後にコーヒーを飲みに行った時も、ブレンドを1杯だけ注文することができました。友人のひとりが持ってきてくれたお菓子の詰め合わせも、帰宅後夫に渡して仕事場に持って行ってもらうことができました。
このブログを書いて、自分を省みることができて本当に良かったと思いました。
久しぶりの友人は、3人共一目でわかりました。全然変わっていなくて、道ですれ違っても、電車の中で会ってもきっとわかったと思います。でも3人は私のことは「すれ違ってもわからないと思う」と言っていました。「太ったからね」と私が言うと、「学生時代は細い人っていうイメージだった」と1人が言い、もう1人が「そうそう、すらっとしてたよね」と言ってくれました。
友人たちのいう通り、きっと私はすらっとしていたんだと思います。でもあの頃は、自分のことを心底太り過ぎでみっともないと信じていました。だからダイエットとリバウンドを繰り返し今日まで来てしまったのです。本当に18歳の私に「そのままでいいのよ。きれいよ、可愛いわよ」といってぎゅっと抱きしめてあげたくなります。
コース料理にはしないで、アラカルトで色々と注文することになりました。スープを2種類、野菜中心の炒め物を数品、それに点心を数品、さらに主食を数品、最後にデザートの杏仁豆腐でした。
いつもの「all or nothing 思考」を抜け出し、「うまくいかなかったこともあるけど、うまくいったこともある思考」に切り替えようと思い、昨日は成功しました。もしかして、生まれて初めての成功かもしれません。
まず最初に「医者から減量するように言われているの」と宣言しました。そして酢豚などは取り分けの際お肉を減らしてもらいました。でも取り分けられた自分の分は残さずいただきました。点心でチャーシュー饅が1人にひとつずつ配られた時にも、これはかなりのカロリーオーバーになりそうだと思いましたが、残さずいただきました。
チャーハンや焼きそばを注文する時には「減量しなくてはいけないので主食は遠慮させていただくわ」と言ったら、友人のひとりが「じゃ、替わりに大根餅なんていいんじゃない?」と言ってくれたので、アドバイスに従いました。大根餅のカロリーが高いのか低いのかはわかりませんでしたが、きちんと断れたこと、そして代替案を素直に受け入れられたことが自分なりに大きな進歩だと思いました。
デザートは周りの雰囲気に合わせて、私も杏仁豆腐を注文しました。でも半分くらいいただいて、半分残しました。帰宅してカロリー計算してみたら、夕食だけで1,100kcalを超えていたと思います(大根餅は200kcalで計算してみました)。それでも、1日の総カロリーは2,000kcalを下回っていました。そして今朝の体重測定でも、昨日の体重を維持することができました。
これまでうまくいかないことがあると、「どうせうまくいかなかったんだから」とすぐに自暴自棄に走ってしまいがちでしたが、今回は「うまくできなかったこともあるけれど、うまくできたこともある」と思うだけで、とっても気楽で伸びやかな気持ちになれました。食後にコーヒーを飲みに行った時も、ブレンドを1杯だけ注文することができました。友人のひとりが持ってきてくれたお菓子の詰め合わせも、帰宅後夫に渡して仕事場に持って行ってもらうことができました。
このブログを書いて、自分を省みることができて本当に良かったと思いました。
2017年09月10日
99.7→98.7kg
今週の平均体重は、98.7kgでした。先週の平均値に比べて丁度1.0kg減、入院前に比べると7.3kg減となりました。
2017/07/16 106.0kg
2017/07/23 104.6kg -1.4kg -1.4kg
2017/07/30 103.3kg -1.3kg -2.7kg
2017/08/06 102.7kg -0.6kg -3.3kg
2017/08/13 101.9kg -0.8kg -4.1kg
2017/08/20 101.2kg -0.7kg -4.8kg
2017/08/27 100.3kg -0.9kg -5.7kg
2017/09/03 99.7kg -0.6kg -6.3kg
2017/09/10 98.7kg -1.0kg -7.3kg
私ぐらいの体重だと7kgくらいの増減では、誰にも気づかれることはありません。去年14kg強減量し、その後15kg増量した時も、誰にもひと言も言われませんでした。
去年は、エステサロンを開業することになった知人の練習台として、毎月格安価格で全身のオイルマッサージをしていただいていたのですが、それでも14kgの減量に気づかれませんでした。14kgといえば2ℓのペットボトル7本です。体重の13%の減量でした。
50kgの人が体重の13%に当たる6.5%を減量して43.5kgになったり、逆に6.5kg増量して56.5kgになったら周囲の人はみんな気づくと思います。体重が三桁になるというのはこういうことなのだと思いました。
2017/07/16 106.0kg
2017/07/23 104.6kg -1.4kg -1.4kg
2017/07/30 103.3kg -1.3kg -2.7kg
2017/08/06 102.7kg -0.6kg -3.3kg
2017/08/13 101.9kg -0.8kg -4.1kg
2017/08/20 101.2kg -0.7kg -4.8kg
2017/08/27 100.3kg -0.9kg -5.7kg
2017/09/03 99.7kg -0.6kg -6.3kg
2017/09/10 98.7kg -1.0kg -7.3kg
私ぐらいの体重だと7kgくらいの増減では、誰にも気づかれることはありません。去年14kg強減量し、その後15kg増量した時も、誰にもひと言も言われませんでした。
去年は、エステサロンを開業することになった知人の練習台として、毎月格安価格で全身のオイルマッサージをしていただいていたのですが、それでも14kgの減量に気づかれませんでした。14kgといえば2ℓのペットボトル7本です。体重の13%の減量でした。
50kgの人が体重の13%に当たる6.5%を減量して43.5kgになったり、逆に6.5kg増量して56.5kgになったら周囲の人はみんな気づくと思います。体重が三桁になるというのはこういうことなのだと思いました。
タグ:体重
2017年09月09日
ヨガのポーズ
毎週火曜日と土曜日、週に2回、7月から近所の公民館にヨガをしに通っています。両膝、特に右膝に痛みがあることと、ギックリ腰になる3歩くらい手前の腰痛がある上、あまりにも太りすぎていてお腹や背中や太腿の肉が邪魔してインストラクターのポーズと私のポーズは似ても似つかぬ状態です。
例えば、脚を組むというポーズひとつをとっても、インストラクターのポーズはクロスさせた膝から左右の脚が綺麗に二本平行しているというのに、私はまるで弥勒菩薩の半跏思惟像のようにTの字になってしまうのです。それでもインストラクターは「無理はしなくていいですよ。少しでも体を動かす方がずっといいですからね」と、優しく見守っていてくれています。
ヨガのクラスでは私ひとり別次元のオチコボレなのですが、インストラクターの優しい眼差しと、他の参加者の温かい雰囲気の中で、マイペースで参加しています。ヨガの基本ポーズの多くができないのですが、今日は英雄のポーズ2というのをやってみたら、他の参加者とほぼ同じポーズができ、本当に英雄になったような気分になって、体が伸びていい気持ちでした。
鍼の先生が、「なにより大切なのは呼吸です」「ヨガは呼吸法が学べるからお勧めです」と仰っていたので、私もヨガをやってみようと思いました。けれども、今のところ腹式呼吸も心許ないし、ポーズはできないし、学ぶべき呼吸法とはどんなものかもよくわからないという有り様です。
それでも毎週2回休まず通っているのは、家から近いということと、全身カチコチだった体をほんの少しでも動かすのが気持ち良いからです。インストラクターと周りの参加者の温かい視線に本当に感謝しています。
例えば、脚を組むというポーズひとつをとっても、インストラクターのポーズはクロスさせた膝から左右の脚が綺麗に二本平行しているというのに、私はまるで弥勒菩薩の半跏思惟像のようにTの字になってしまうのです。それでもインストラクターは「無理はしなくていいですよ。少しでも体を動かす方がずっといいですからね」と、優しく見守っていてくれています。
ヨガのクラスでは私ひとり別次元のオチコボレなのですが、インストラクターの優しい眼差しと、他の参加者の温かい雰囲気の中で、マイペースで参加しています。ヨガの基本ポーズの多くができないのですが、今日は英雄のポーズ2というのをやってみたら、他の参加者とほぼ同じポーズができ、本当に英雄になったような気分になって、体が伸びていい気持ちでした。
鍼の先生が、「なにより大切なのは呼吸です」「ヨガは呼吸法が学べるからお勧めです」と仰っていたので、私もヨガをやってみようと思いました。けれども、今のところ腹式呼吸も心許ないし、ポーズはできないし、学ぶべき呼吸法とはどんなものかもよくわからないという有り様です。
それでも毎週2回休まず通っているのは、家から近いということと、全身カチコチだった体をほんの少しでも動かすのが気持ち良いからです。インストラクターと周りの参加者の温かい視線に本当に感謝しています。
2017年09月08日
all or nothing
昨日、朝食の際食べきれなかったクロワッサンをひとつ、持ち帰りました。昼間はフルコースだったので、夜は控えめにお弁当だけで済ませました。そして昼と夜のカロリー計算をして見たのですが、どう転んでも1,500kcalをオーバーしているのは間違いないことがわかりました。
それまでクロワッサンは明日にとっておくつもりでしたが、「どうせ指示カロリーを守れないなら…」という気持ちがむくむくと頭をもたげてきました。一晩おけばクロワッサンの味は落ちるのは当然ですが、「どうしても今食べたい、おいしいうちにいただきたい」という衝動が押し寄せ、結局、夜になってその「衝動」に負けてしまいました。
さらにクロワッサンを入れて再計算してみたら、1日のカロリーの合計が2,000kcalまでまだ少しあることがわかりました。すると「どうせ指示カロリーを守れないなら…」という気持ちが再び湧き上がってきて、ヨーグルトを50g、33kcalだけいただくことにしました。
今回の衝動は、むちゃ喰いと呼ぶには小規模な爆発ですが、メカニズムとしては過食衝動と同じだと思いました。私の場合、思考パターンが all or nothing になりやすいのです。私の最大の欠点のひとつです。「どうせ…」という考え方がなによりいけないのだと思います。
「きちんとできたか、全くできなかったか」どちらかしかないという思考パターンです。「きちんとできた部分もあったし、うまくできなかった部分もあった」、あるいは順番を変えて「うまくできなかった部分もあったけれど、うまくできた部分もあった」と考えれば、過食衝動が湧き上がることもなく過ごせたと思いました。
そうすれば「フルコースをいただいて指示カロリー以内に抑えることはできなかったけれど、クロワッサンやヨーグルトなどの過剰エネルギーは抑えることができた」となります。長年の思考パターンを一夜にして変えることは難しいかもしれませんが、これからはこの考え方でいきたいと思います。
それまでクロワッサンは明日にとっておくつもりでしたが、「どうせ指示カロリーを守れないなら…」という気持ちがむくむくと頭をもたげてきました。一晩おけばクロワッサンの味は落ちるのは当然ですが、「どうしても今食べたい、おいしいうちにいただきたい」という衝動が押し寄せ、結局、夜になってその「衝動」に負けてしまいました。
さらにクロワッサンを入れて再計算してみたら、1日のカロリーの合計が2,000kcalまでまだ少しあることがわかりました。すると「どうせ指示カロリーを守れないなら…」という気持ちが再び湧き上がってきて、ヨーグルトを50g、33kcalだけいただくことにしました。
今回の衝動は、むちゃ喰いと呼ぶには小規模な爆発ですが、メカニズムとしては過食衝動と同じだと思いました。私の場合、思考パターンが all or nothing になりやすいのです。私の最大の欠点のひとつです。「どうせ…」という考え方がなによりいけないのだと思います。
「きちんとできたか、全くできなかったか」どちらかしかないという思考パターンです。「きちんとできた部分もあったし、うまくできなかった部分もあった」、あるいは順番を変えて「うまくできなかった部分もあったけれど、うまくできた部分もあった」と考えれば、過食衝動が湧き上がることもなく過ごせたと思いました。
そうすれば「フルコースをいただいて指示カロリー以内に抑えることはできなかったけれど、クロワッサンやヨーグルトなどの過剰エネルギーは抑えることができた」となります。長年の思考パターンを一夜にして変えることは難しいかもしれませんが、これからはこの考え方でいきたいと思います。
2017年09月07日
フルコース
昔から憧れていたレストランに、ご縁があって初めて伺うことになりました。もう何十年も前からの憧れで、見ず知らずのレストラン店主の凛とした姿を紙面を通じて知って以来、心密かに憧れてきたレストランです。
友人と共に伺いました。とても迷いましたが、結局友人と同じ品数をいただくことにしました。シャンパン、アミューズ、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザート、コーヒー、それにプチガトーです。久しぶりにフルコースでいただきました。
このレストランには、教育入院前に予約を入れていたので、真剣にダイエットをすると心に誓ったとき、私だけキャンセルさせていただこうかどうしようか散々悩みました。でも、何十年も憧れていたレストランなのです。この機会を逃したら、もう一生お伺いすることはできないかもしれないと思いました。
お料理も迷いました。私だけスープはいらないとか、魚料理だけにしたいとか、その場の雰囲気を壊すような真似はしたくないと思い、結局友人と皿数を合わせ、運ばれてきたお料理はすべて残さずいただきました。パンは最初から辞退し、チーズも辞退、2種類あるデザートはひとつだけにしましたが、それでもフルコースでした。どのお料理も大変おいしくいただきました。
ただ告白すれば、実はフルコースをいただいた直後にも、もう一回同じフルコースを食べられると思うのです。私は基本的に大喰いなのです。デザートなど5品出てきたとしても、難なくすべて味わい尽くせると思います。満腹中枢に大いに問題があることは間違いありません。
私は、バッグも服もブランド物などほとんど持っていないし、家も賃貸だし、実に庶民的な暮らしをしているのですが、食べ物だけには惜しみなく贅沢をしてしまうところがあります。エンゲル係数が非常に高い暮らしをしてきました。お酒に関しては、今日のように前菜からデザートまで一杯のシャンパンで持ってしまうほど、アルコールには弱いのですが、お料理には熱中してあれこれと注文してしまいがちです。
このような暮らしが、肥満を増長させ、遂には糖尿病になってしまったことは重々承知しています。これまでの生活習慣をよくよく反省しなければなりません。しかし、今後の人生をどのように生きていったら良いのでしょうか? 交友関係も美食家が多く、職場の会合なども少なくありません。以前医師に「普段の食事に気をつけていれば、たまの外食くらい多目に見ていいと思います」と言われた時に、「普段の食事」自体が、私の場合大問題なのだと感じたことがあります。
帰宅してから、今日のフルコースのカロリー計算をしてみました。非常に手の込んだお料理ばかりだったので、材料や調味料を推測するのはとても難しいのですが、手計算では680kcalになりました。2割り増しとしても810kcalです。どんなに見積もり違いをしても、1,000kcalを超えることはないでしょう。
私の場合は、1日の合計カロリーが1,500kcalであれば良いというようなカロリーダイエットではなくて、基本的には糖尿病の食品交換表に従って、毎食コンスタントに500kcalになるような食事療法を行なっているのですが、たまにはお昼や夜にドンと食べて、残り2食で調整する1日合計カロリーダイエットを臨機応変に取り入れていってもいいように思います。でもその一方で、蟻の一穴を甘く見てはならないとも思います。
今日は、教育入院以来ひと月半に渡って控えてきたデザートもいただきました。まだ恐る恐るという状態でしたが、このデザートひと口で一気に元に戻ってしまうというようなことはなかったものの、デザートは私にとって大き目の蟻の一穴になりかねないので、本当に気をつけなくてはなりません。
あれこれと雑然と書いてきましたが、一生ダイエットをしなければという気持ちと、これまでの生活習慣を捨てきれない気持ちとが、相変わらず葛藤しています。
友人と共に伺いました。とても迷いましたが、結局友人と同じ品数をいただくことにしました。シャンパン、アミューズ、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザート、コーヒー、それにプチガトーです。久しぶりにフルコースでいただきました。
このレストランには、教育入院前に予約を入れていたので、真剣にダイエットをすると心に誓ったとき、私だけキャンセルさせていただこうかどうしようか散々悩みました。でも、何十年も憧れていたレストランなのです。この機会を逃したら、もう一生お伺いすることはできないかもしれないと思いました。
お料理も迷いました。私だけスープはいらないとか、魚料理だけにしたいとか、その場の雰囲気を壊すような真似はしたくないと思い、結局友人と皿数を合わせ、運ばれてきたお料理はすべて残さずいただきました。パンは最初から辞退し、チーズも辞退、2種類あるデザートはひとつだけにしましたが、それでもフルコースでした。どのお料理も大変おいしくいただきました。
ただ告白すれば、実はフルコースをいただいた直後にも、もう一回同じフルコースを食べられると思うのです。私は基本的に大喰いなのです。デザートなど5品出てきたとしても、難なくすべて味わい尽くせると思います。満腹中枢に大いに問題があることは間違いありません。
私は、バッグも服もブランド物などほとんど持っていないし、家も賃貸だし、実に庶民的な暮らしをしているのですが、食べ物だけには惜しみなく贅沢をしてしまうところがあります。エンゲル係数が非常に高い暮らしをしてきました。お酒に関しては、今日のように前菜からデザートまで一杯のシャンパンで持ってしまうほど、アルコールには弱いのですが、お料理には熱中してあれこれと注文してしまいがちです。
このような暮らしが、肥満を増長させ、遂には糖尿病になってしまったことは重々承知しています。これまでの生活習慣をよくよく反省しなければなりません。しかし、今後の人生をどのように生きていったら良いのでしょうか? 交友関係も美食家が多く、職場の会合なども少なくありません。以前医師に「普段の食事に気をつけていれば、たまの外食くらい多目に見ていいと思います」と言われた時に、「普段の食事」自体が、私の場合大問題なのだと感じたことがあります。
帰宅してから、今日のフルコースのカロリー計算をしてみました。非常に手の込んだお料理ばかりだったので、材料や調味料を推測するのはとても難しいのですが、手計算では680kcalになりました。2割り増しとしても810kcalです。どんなに見積もり違いをしても、1,000kcalを超えることはないでしょう。
私の場合は、1日の合計カロリーが1,500kcalであれば良いというようなカロリーダイエットではなくて、基本的には糖尿病の食品交換表に従って、毎食コンスタントに500kcalになるような食事療法を行なっているのですが、たまにはお昼や夜にドンと食べて、残り2食で調整する1日合計カロリーダイエットを臨機応変に取り入れていってもいいように思います。でもその一方で、蟻の一穴を甘く見てはならないとも思います。
今日は、教育入院以来ひと月半に渡って控えてきたデザートもいただきました。まだ恐る恐るという状態でしたが、このデザートひと口で一気に元に戻ってしまうというようなことはなかったものの、デザートは私にとって大き目の蟻の一穴になりかねないので、本当に気をつけなくてはなりません。
あれこれと雑然と書いてきましたが、一生ダイエットをしなければという気持ちと、これまでの生活習慣を捨てきれない気持ちとが、相変わらず葛藤しています。
2017年09月06日
腹六分目
運動療法は相変わらず前途多難ですが、食事療法については、それなりに順調にやっています。最初の頃は、「低血糖症状」に悩まされて、お腹がすくことが怖かったのですが、最近では空腹を感じていても、実際にめまいがしたり生あくびがでたりすることはなくなりました。これだけで、日々のQOLは大きく改善されました。
それでも1食500kcalというのは、栄養的には充分なのかもしれませんが、私にとっては腹八分目どころか腹六分目にも満たないというのが実感です。約500kcalの食事の直後でも、ひとりで宅配ピザ一枚くらいなら軽く平らげてしまうことでしょう。
最近の食事の内容ですが、朝はトースト(160〜240kcal)のことが多く、それにバター、サラダ、ドレッシング、卵などとコーヒーでおおよそ450kcalです。お昼は、コンビニで食品の包装紙に書いてあるカロリーを足したり引いたりしながら、大体500kcalにすることが多いように思います。表1の主食、表3のタンパク質、表6の野菜をうまく組み合わせて500kcalにするのは、ちょっとしたゲーム感覚で楽しくやっています。
夜は、日曜日以外は宅配弁当をいただいています。毎食バランス良く計算された250〜280kcalのお弁当に、家で炊いて冷凍してあるご飯です。教育入院中や退院直後は、きちんと栄養指導の指示通りご飯の量は150g(240kcal)を厳格に守っていましたが、最近では自己流で勝手に50g(80kcal)に減らしています。変更の理由は、やはり私もゆるい糖質制限をしたいという気持ちが抑えられないことと、ご飯を100g(2単位分の160kcal)減らした代わりに、ヨーグルト100g(65g)と大体1単位80kcal分のフルーツ(150〜200g程度)をいただきたいからです。
ヨーグルトはお通じにいいし、デザートとしてのフルーツはお菓子代わりになって過食スイッチから私を遠ざけるという働きをしてくれています。今のところはこのように3食とも主食は抜かず、50gでも摂取するようにしています。家の冷凍庫には50gずつラップに包まれた小さなご飯がたくさん入っています。
野菜は毎日欠かさず350gを摂るのは難しいと感じています。朝は糖質オフの野菜ジュースを飲んだり、お昼はコンビニの洗わずに食べられるサラダシリーズのお世話になりっ放しです。それでも350gに届かなかったと感じる日は珍しくありません。それから生野菜だとドレッシングのカロリーが気にかかります。1食の手持ちカロリーは500kcalしかないのに、ドレッシングごときで大匙1杯(約15g)で30〜50kcalを使ってしまうのはもったいないとつい思ってしまいます。そのためそのまま食べられるほうれん草やブロッコリーを茹でる頻度が、近頃では高くなってきました。
こんな感じで食事療法はようやく軌道に乗りつつあります。しかし、これまでは友人や知人との会食も控えてきましたが、これからの問題点としては、友人・知人との会食、旅行、それに私にとっての難題であるお菓子問題をどう解決していくのか、この辺りをしっかり考えていかなくてはなりません。
それでも1食500kcalというのは、栄養的には充分なのかもしれませんが、私にとっては腹八分目どころか腹六分目にも満たないというのが実感です。約500kcalの食事の直後でも、ひとりで宅配ピザ一枚くらいなら軽く平らげてしまうことでしょう。
最近の食事の内容ですが、朝はトースト(160〜240kcal)のことが多く、それにバター、サラダ、ドレッシング、卵などとコーヒーでおおよそ450kcalです。お昼は、コンビニで食品の包装紙に書いてあるカロリーを足したり引いたりしながら、大体500kcalにすることが多いように思います。表1の主食、表3のタンパク質、表6の野菜をうまく組み合わせて500kcalにするのは、ちょっとしたゲーム感覚で楽しくやっています。
夜は、日曜日以外は宅配弁当をいただいています。毎食バランス良く計算された250〜280kcalのお弁当に、家で炊いて冷凍してあるご飯です。教育入院中や退院直後は、きちんと栄養指導の指示通りご飯の量は150g(240kcal)を厳格に守っていましたが、最近では自己流で勝手に50g(80kcal)に減らしています。変更の理由は、やはり私もゆるい糖質制限をしたいという気持ちが抑えられないことと、ご飯を100g(2単位分の160kcal)減らした代わりに、ヨーグルト100g(65g)と大体1単位80kcal分のフルーツ(150〜200g程度)をいただきたいからです。
ヨーグルトはお通じにいいし、デザートとしてのフルーツはお菓子代わりになって過食スイッチから私を遠ざけるという働きをしてくれています。今のところはこのように3食とも主食は抜かず、50gでも摂取するようにしています。家の冷凍庫には50gずつラップに包まれた小さなご飯がたくさん入っています。
野菜は毎日欠かさず350gを摂るのは難しいと感じています。朝は糖質オフの野菜ジュースを飲んだり、お昼はコンビニの洗わずに食べられるサラダシリーズのお世話になりっ放しです。それでも350gに届かなかったと感じる日は珍しくありません。それから生野菜だとドレッシングのカロリーが気にかかります。1食の手持ちカロリーは500kcalしかないのに、ドレッシングごときで大匙1杯(約15g)で30〜50kcalを使ってしまうのはもったいないとつい思ってしまいます。そのためそのまま食べられるほうれん草やブロッコリーを茹でる頻度が、近頃では高くなってきました。
こんな感じで食事療法はようやく軌道に乗りつつあります。しかし、これまでは友人や知人との会食も控えてきましたが、これからの問題点としては、友人・知人との会食、旅行、それに私にとっての難題であるお菓子問題をどう解決していくのか、この辺りをしっかり考えていかなくてはなりません。