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コミュ力と肩書き

プレジデント(11月29日号)の特集で

「1日2400時間 吉良式発想法」の著者 吉良俊彦氏が

対談後期で語っていたことの一部が気になったので

引用しました。




p115
誰かとコミュニケーションしようとするとき、
それは自分から近づいていくことである。
待ちの姿勢で誰かが近づいてきてくれるとすれば、
それは概ね地位や肩書きがある場合だ。
役職者というのはコミュニケーション能力が高いように見えるものだが、
それは肩書きが人を引き寄せているに過ぎない。
個人と個人がコミュニケーションする場合には、
やはり自分から心の距離を近づける努力が必要だ。


吉良氏は、コミュニケーションは心を近づけることだといいたかったと思うが

私は、「肩書きが人を引き寄せる」ということが目に付いた。

しかし、肩書きは人を引き寄せるというが

逆に日本では、レッテルというものが

実際のコミュニケーション能力に影響を与えてると思う。

人は見た目が9割ではないが

肩書きやレッテルは、ある意味では色眼鏡になって

その人自身を歪に見せてるのだろう。



ただ、日本では肩書きだけではなく、

年齢によっても左右されると思う。

年長者は多少若者に無礼にしても許されるのは、「年齢」も

一部の肩書きとなってるのだと思う。

年長者を大事にしなさいということは、個人的にも良いことだと思うが

そのことが「若者がケシカラン」の材料に使われることは

個人的にあまり良いこととは思わない。

なぜなら、年長者は下の世代に少なからず影響を与えていると思うからだ。

にちゃんねるでは、「わしがそだてた」というネタがあるが

現実の年長者(特に知識人)から、こんな言葉は聞いたことがない。

(少なくとも私は)

おそらく、年長者が「若者はケシカラン」といってるのに

その年長者が、今の若者に影響を与えたことにしたくないのだろう。

影響を与えたことを認めてしまうと、

必然的に年長者の質が若者の質と比例してしまうことになり、

「年長者もケシカラン」ということになるの


わかっているのだと思う。

子供の親でさえ、自分たちが子供を育てたと

認めたくなくなっている気がする。

モンスターペアレントという言葉ができてきたのが

その証拠だと思う。



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