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2014年05月10日

ウィスキーと神戸

私は、大学が関西だった事や、就職するなら福岡よりも関西地区での方が有利と判断し、神戸本社の繊維系企業に何とか就職した。成績が特別良かったわけでもないため、学校推薦受けられず外国で勤務できる夢を持ち、主に商社関係に的を絞り受験した。

就職戦線は現在ほど過酷ではなかったが、企業によっては面接室が国立校と私立校に分かれていたのを鮮明に覚えている。不採用が連続し気持ちの萎えた事もあったが、何とかなるやろう〜の気持ちでスベリコミ入社出来た。

同期は15名位で私は念願の海外事業部に配属され有頂天になっていた。何せ海外「東南アジア」に赴任出来ることが条件だったので、内心「してやったり」とほくそ笑んでいた・・・・・・・・・・・・・・・が8ヶ月後関連会社の東京支店に営業職
で配属されることに(のちに韓国には行く事になるが)

その神戸の芦屋と言う所に在住してた時、会社の先輩達に連れられ週に1〜2回は飲みに誘われ何人かで夜更けまで飲み明かしていた。今では考えられないが、目を真っ赤にし酒の匂いプンプンで二日酔いで出社していた。
会社の女子社員が「味噌を凝縮した塊」をくれて会社の台所で飲んでた頃を思い出す。

飲みに行くところが決まっていて、神戸市中央区の中山手通にあった「ダニーボーイ」というイングリッシュパブ。
重厚な装飾の店内は、ゆったり落ち着けるソファー・木目調のセンス良いカウンター、モスグリーンとブラウン系で統一された天井・壁・絨毯〜とても素敵な今の洋酒酒場をオシャレにした憩の空間だった。

皆が口にするのは、ビールの後はウィスキーのオンザロック〜とお決まりコース。
マスターは、オカマで有名だったみたいで、先輩の一人が「少年愛の美学」なる書物をいつも携えていたが、何かの関係があったのか定かではない。ちなみにその先輩は、その後関連会社のお嬢さんと結婚し、今は代表取締役社長として会社四季報に掲載されている人物である。世の中ワカリマッセ〜ン・・・・・・・・。飲み代は当時全部先輩達がおごっていたので、酒代出費はあまりなかったが若いころは何かと遊ぶため、約2週間で底をついてた。

飲んだ後は、餃子のaaとこれまた決まっていたが、あの餃子の美味しかったこと未だに忘れられない〜・
震災で神戸吾妻通の会社は倒壊し、今では生田神社の近くに移転したらしい。
もし時間があれば、もう一度神戸のダニーボーイのあった中山手通を散策したいものである。
そしたら第二のダニーボーイに出会うかも・・(現在オールドイングランドというダニーボーイに似たお店があるらしい)

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