2009年02月21日
気の持ち方
私の母85歳、曲者と皆に言われてきましたが、流石に弱ってきました。いつも何を思い、生きてるのだろうと思ったりする事もあります。友人、知人も年と共に一人二人と亡くなっていきます。昔からの顔なじみと言えば家族親戚だけですが、母の兄弟も亡くなっていくと、どんな気持ちだろうとも思います。次女が同居し、月の半分は長女の家へ泊まりに行ってます。私と妻は週3日ほど、交代で実家に母を世話しに行ってますが、最近以前より元気になってきてます。要介護4で歩行器でどうにかトイレや、リビングまで食事に行く程度しか歩いてません。長女がよく母を外に連れ出し、食事に行ったり公園に行ったり刺激を与えていますし、デイサービスでゲームしたり、施設から色んな所に見学に行ったりして適度の刺激がいいのかなとも思います。母はいまだに女を捨てず、やせ細った指にお気に入りの指輪を空回りさせながら、ブラウスやジャケットのコーディネイト考えたり美容院に行き数少なくなった毛髪をセットしに行ったり、マニュキアして歓んだりしてます。私は頭が下がります。いつも見られてる自分を意識している行動は、とても偉大で気の持ち方ひとつなのだと・・・・・・・・。
ただ、歳のせいで共有していた思い出が時間と共に、消えうせていくのはなんとなく寂しく、「しっかりしてよ!」と言った事もありますが、仕方ないことなのかもしれません。今の私に出来る事は、母と会話をして一緒にいる時間を積み重ね、「ありがとう」の気持ちを込めて、昔の思い出話に花を咲かせる事かなとも思う今日この頃です。
ただ、歳のせいで共有していた思い出が時間と共に、消えうせていくのはなんとなく寂しく、「しっかりしてよ!」と言った事もありますが、仕方ないことなのかもしれません。今の私に出来る事は、母と会話をして一緒にいる時間を積み重ね、「ありがとう」の気持ちを込めて、昔の思い出話に花を咲かせる事かなとも思う今日この頃です。
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