2009年10月14日
鞆の浦
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坂本龍馬は、京にいる妻、おりょうに当てた手紙の中で
彼女のことを“鞆”と呼んでいたそうです。
龍馬はそれほどまでに、ここ鞆の浦を愛していたのでしょう。
この国民の宝ともいうべき景観を守ってもらいたいと思います。
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船で仙酔島に渡りました。
トレッキングコースを行こうと思いましたが、途中で道がわからなくなって挫折。
仙人ヶ丘より、鞆の浦を眺めました。
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鞆の町に戻って・・・。
円福寺は“いろは丸事件”の際の紀州藩の宿舎であったところで
“ポニョ”の舞台になった場所だとも言われています。
円福寺・大可島城跡附近の路地には、猫ちゃんがいっぱい居ました。
私が休んでいると、足に頭をコツンコツンとぶつけにやってきます。
この子は鞆の浦の立派な観光大使のようです。
そして、円福寺の境内には松尾芭蕉の句碑がありました。
「疑うな うし保のはなも 浦の春」
この自然をつくられた神徳を疑うな・・・・。
この自然と共存していくことは、どうしてこんなに難しいのでしょうか。
投稿者:ゆう|17:14
|一人旅・尾道〜鞆の浦