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2015年08月28日

子どもとの向き合い方から不登校脱出までの道のり

大変お待たせしました。



以前の記事の続きですが、
小学校四年生から急に不登校になった娘の話しですが、毎日お腹が痛いのは本当に痛いらしいです。
後娘の一言「死にたい....」さすがに私も泣き崩れました。原因もわからないのですから、その日はありとあらゆる、不登校ちついての相談を色んな所に電話して相談しました。

そうですね多くて1日30件」は電話したました。
でもどこに相談しても同じで、戻ってくる話しは「お母さんが泣いていてはダメ!まずはしっかりと勉強もさせて下さい。」
死にたいくらいに辛いのになんのアドバイスにもならない!
仕事も辞め娘ただひたすらベットにもぐって食事も取らない、どこに相談しても無理。
学校からは毎日連絡
家庭訪問がありもうプライベートにまで入って来られ、最後には夫婦中に問題があるのでは、と学校側は必ず
家庭に問題があると責任の転換をして来ます。
例えば母子家庭父子家庭の御宅でも元気に学校に通っているのにですよ!
毎日毎日娘の様子を見守るだけ、私まで死にたくなりましたね。
夫は一言「俺の人生の初の挫折だよ」
その一言で貴方が挫折してるんじゃない!今辛いのは娘本人なのに、全部私のせい?!涙が止まらず
娘と二人で無理心中まで考えました。

もしかしてうつ病かも、二人ともと考えて、児童も診てくれる、精神科まで娘を連れていったら、箱には療法の診断の結果、模型の中に人がいない、つまり、今誰も信頼している人がいないという結果、私には、過保護過ぎます。

そう言われただけでした。

保健室登校と言う方法もあると
先生が診断の時に言われたので試みようと思い、娘に進めたけれど、一人では行かない。と言うので、二人で保健室登校が、始まりました。でもただ、出席になるだけで、担任の先生が持ってくる課題をただひたすら解いて行くだけ、こんな日々が、3カ月くらい続き、私は疲れてしまいついに、精神科でうつ病と診断され、即入院になりました。



入院中は、母が保健室登校に行くと言うので、任せてみることにして、まずは自分が元気になるように3カ月精神科で療法しました。



退院後、やはり相変わらず、保健室登校でした。
またまた行きずまり、少し精神科で色んな患者さんとの交流や先生のカウンセリングを受けていたので、3カ月前とは違う視点で、娘とも向き合う事が出来ていたので、地元の不登校児童受け入れる、NPOに連れていったら学校は行かせなくても、義務教育は自然に終了するので、まずは自然と触れ合いながら、自分を解放する事、後はまず、お母さん自身が解放的に過ごしてみてはとアドバイスをもらい。「あっ!そうか!なるほど!」早速試みてみる事に、まずは学校側にはもう我が家の方針で行くので、しばらくそっとして置いて下さいと
伝え、娘と毎日毎日、魚釣りや海へ山へとドライブをしたりしして、毎日を過ごしていたら5年に上がると何といままで、ベットから出て来なかった娘が、当然学校に行く支度をしていたので、びっくり!何と1人で通う様になったのです!

もともと人見知りで感受性が強い子なので、どうかなぁ。と思っていたら、何事もなかった様に学校に行ったではありませんか。(驚)
それから何とか休んだりもしましたが、六年生小学校無事卒業。

中学に入り部活動にも(吹奏楽部)専念、授業にも追いついていたので安心していました。

でもまた始まりました、部活辞めるから、学校行かないが.....またかもういい加減しなさい!また?何で?と思い、ついに手が出てしました!「バシ!」ついに一番やっては行けない事をしてしまいました!

仕方なく謝りました。
もういいかな義務教育だし、娘の好きな様にさせようと思い心を落ち着かして、仕事復帰しました。
あまりべったりもお互い良くないとさっちしていたのて。
見守りつつ毎日を過ごしていたら私が仕事中には独学で勉強しでいたらしく中学三年までのレベルまで上がり、また一年過ぎると三年で学校に行き出し、集団生活の苦手な事もあり、成績は良かったものの、進学校ではなく、県立高校の通信制を進められて、入学しました。

週に一度のスクリーングもすごく楽しんで行きました。年齡層もある学校なので、おじいちゃんやおばあちゃんの友達もたくさん出来て、人生の先輩から、教わる事を楽しそうに、話してくれましたね。
レポート提出もしっかり守り何といっても先生方のフォローがとても良かったので、続いたのだと思います。

そうして無事卒業式を迎え、式に出席しましたが、様々な年齡の方かまいらっしゃって、今までお世話になった娘の御礼をして、無事に卒業式「人生の青春とは年齡ではなく、何かを始めようと思った時からが、青春です」と学校長の話しに涙しました。
娘も青春私も青春出来ると思いながら無事卒業しました。

今では県外に出て一人暮らしをして仕事もして、とても素敵な彼も出来て青春を謳歌ししています!


最後にまとめますね。
まだまだ不登校児童が数多いと思いますが、まず私の経験けら言うと、ある程度好きにさせること。
受け入れるまで時間かかるのを覚悟して見守る事!
本人が一番辛いと言う事、後自殺まで追い込まれな様に未然に何らかのsosサインを見逃さない事!
せっかく生まれて来てくれたのですから、たとえ暴れても、自傷癖があっても、受け入れる事です。
まずは命が一番大切だからそれだけです!

アドバイス一言「神は決して乗り越えられない試練は与えられない」
最後まで読んでくださった、皆様に少しでもお役に立てればと記事にしました。

どうか悩ます毎日を過ごして下さい!そして自分を解放して褒めてあげて下さい!
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