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第10回/浮世なんか子供だましさ。ほら、吹く風が気持ちいいじゃないか。 2012/03/13.17:16 .STORY

人はものごとそれ自体によってではなく、自分がそれをどう見るかによって混乱する。(エピクテウス)

冷たい朝、僕は欠伸をかみ殺して蒲団から這い出た。鏡を見ると髪が中村獅童になっていた。昨夜、髪を洗ったとき、よく乾かさなかったからだ。水道で顔を洗い、タートルネックとジーンズに着がえていると、妻はスリップとストッキングのまま化粧台の鏡に立って化粧を始めた。

「どうしてそんな寒い格好で化粧をするの」妻に訊いてみた。
「だっていつもこの格好でしてるもん」そんなことを訊く方がおかしいという表情をした。
「スカートが皺になっちゃうの」そう、妻は言い、スカートを器用にくるくると回して身に着けた。

玄関の鍵を閉め、駅にむかった。途中、通行止めの看板が針金で巻かれた保安柵が置かれて、その先に、これから舗装される砂利道が続いている。駅に行くにはこちらの方が近道なんだ。僕は保安柵を乗り越えた。妻も黙ってついてくる。微かな雨の匂いを胸に吸って歩く。空はどんよりとした雲に覆われ、地は雨に濡れて靴に泥がつく。まだ寒いというのに、すれ違う女性の薄着姿が気になる。

信号待ちをしていると、女性の後ろ姿があった。髪は金髪で、肩を露出した淡いピンクの服を着て、そしてスカートはパンチラのミニスカだ。信号が青に変わったとき、女性がうしろを振り返った。化粧を厚く塗った老婆がセクシーな胸元で笑う。老婆の笑いは異質な雰囲気があった。どうしておばあちゃんがこんな格好をしているんだろう。祭りの仮装?まさかね。うむ、そうか、ちょっといっちゃっているのかな。

黒い雲が早送りのように流れる。南風を受けながら僕は安全靴で軽快に歩く。公園内に植えられた桜のつぼみが大きくなっていたり、舗道の脇に並んだ葉がガサガサと乾いた音をたてる。3階建ての木造が並び、その向かい側にボンジュールという看板が見えた。引き寄せられるように妻と店内に入る。

「いらしゃいませ」と女性の声がしたが、姿はみえない。僕は通路側に座り、彼女はソファーに座る。しばらく考えてポークソテーに決める。店員がくるあいだ、店内を眺める。クリーム色の壁に絵が1枚。淡いピンクのカーテン。そして誰もいない。客は僕と妻だけだった。

テーブルに置かれたカーネーションが気になった。なぜ、枯れたカーネーションが置いてあるんだろうか。カーネーションは一年草だったっけ。僕は花瓶に挿してあるカーネーションを観察した。ふむ、これ、もしかして造化。枯れた造化なんてあるのかな。そういえばドライフラワーがあったよね。

「やーだー、かわいいっ」唐突に彼女が言う。彼女の視線を追うと、出窓のところに崖の上のポニョのぬいぐるみがこちらを見ていた。へー、かわいいんだ。そっか、かわいいのか。

店員は水をテーブルに置き「何にしますか?」と訊いた。店員の女性は大きなお腹で、今にも赤ちゃんが生まれそうな感じだ。注文を確認して、店員は微笑んで奥に入っていった。その笑顔がとてもまぶしかった。

壁に飾ってある絵を眺める。
「ね、あれってムンクだよね」と僕。
「えー」と彼女。

血のような赤い空。青い水に浮かぶ2隻の船。斜めにのびる欄干の上で、頬に両手をあてて、体を捩じらせて目と口を大きくあけている人物。あの人は何を恐れているのかな。叫んでいるように見えるし、耳をふさいでいるようにも見える。ゆらゆらと揺れて、自分の存在に身悶える姿。人生辛いことばかりさ。楽しいことなんてひとつもないと言っているよう。

ありのまま生きていくしかないじゃん。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。あの空は血なんかじゃない。君の見間違いさ。静かな夕日が君の頬を染めているんだ。僕は君の手を優しく握って、潮の匂いに包まれながら、「南半球には偽南十字星があるんだ」なんて、つまらない話をして君の心を落ち着かせる。ところで君は男かい?それとも女?

「ねえ、聞いてる?」
「えっ」
僕はポテトフライを食べながら空想に浸っていた。
「このポークソティ、おいしいって言ったのよ」
「うん」
僕はにこやかに笑いながら汗をかいた。
「それでね。宇多田ヒカルどうしてるのかしら。私、わりと……」

僕はムンクの絵を見ながら、やっぱりどうも似合わないと思った。セザンヌとかモネがいいと思うんだ。まあ、人の趣味をどうこうと言うこともないけどさ。あれはきっと主人の好みなのかな。マッシュルームのスープ、皮付きポテトフライ、ポークソティ、どれもおいしかった。

第9回/梅の花、桃の花、やがて桜が咲く。ああ、なんてきれいなんだろう。 2012/03/12.13:26 .STORY

海辺の方向に丸いガラスのドームがあって、更にその向こうには観覧車が見えた。道の両わきで揺れる木々の緑。白い息。潮の匂い。何もかも呼吸みたいに静かだ。空を見る。東の薄暗い雲から、ほのかな明るさが漂う。

僕は藤木くんと一緒に公園の中に入った。ドームの横を通って、まっすぐ行って海岸に出た。砂浜を安全靴で歩く。僕はいつも安全靴を履いている。運動靴のように軽い靴は足が上がり過ぎてしまう。とても不恰好で、デューク更家のような歩き方になってしまうのだ。

足元の砂が逃げて歩きにくい。砂は波の白い泡で敷きつめられている。靴が波に濡れそうになり、慌てて後ろにさがって腰を下ろす。東京湾だ。遠くに、化学工業、火力発電所、石油コンビナートの工場の煙突が林立して、工場の灯りが輝いている。やがて雲の間から柔らかい陽が射して、僕の体を包む。目に映る何もかもが朝をたたえていた。海は真っ白に光って、まぶしすぎて光のかたまりのように見えた。僕も光になって空気に溶けてしまうかな。

翌朝、朝食をすませて東野圭吾の本を読んでいたら、うつらうつらして、いつのまにか寝入ってしまったらしい。本のしおりがわりに挟んだ指が押し花のようになって痛い。まぬけだ。

ひと雨ごとに暖かくなっていく。暖かくなるのはいいけれど、どうも虫の存在は苦手だ。網戸にひょろっとした蝿が1匹とまっていた。いやだな。蝿や蚊はいいけれど。いや、よくはないけれど怖くはない。でも、黒いあいつは考えただけでぞくっと身震いがする。

午後からぶらっと外に出た。商店街を散策していたら、「うわー、すげー!」と思わず僕は声をあげる。空き地の一角に映える桃の花。枝に沿ってびっしりと花がついて、まるでピンクの絨毯を敷きつめたと比喩されるとおりだ。

濃い桃の花の前で露天商が出ていた。通りかかった僕に、おばさんが何か言った。おばさんはバナナを折った形状のものを差し出したので僕はそれを口の中に入れてみた。噛んでみるとタクアンの味がした。ほくそ笑むおばさんに、これはタクアンではないのかと訊いた。

おばさんはビニールの手袋を手にはめて、鉢に入っていた草の根元をつかんで引っこ抜いた。グロテスクな根元を僕に見せて、「これ、ケーショ、ケーショ」と言った。
えっ!何を言っているのかわからない。どうも日本語の使い方がおかしい。中国人か韓国人なのか。おばさんはゴソゴソと台の下から紙をとりだして僕に見せた。

「花の茎から液体が滲みだして、それ凝固します。洞窟つららのように、茎の液体は時間をかけて根に沁み込んでふくらんで大きくなるです。やがて花は溶けて葉と根が残って。弾力があって、そう、まるでタクアンみたいです。精力!精力!増強!」
日本語でそのようなことが書いてあった。僕はタクアンのようなものなんだなと勝手に推察して、おばさんにタクアンと言った。

「タクアンない。マンドラゴラ、マンドラゴラ」
「えっ、マ、マ、マ…」僕は面倒になってどうでもよくなった。
やれやれ、僕は手を左右に振って、ジーパンのポッケに手を突っ込んで草むらを飛び越えた。

そのとき松毬が枝から落ちて、舗装された路に転がった。きっと、落ちたとき音がしたんだろうけれど、風の音で聞こえない。透き通った冬は遠くの山脈をはっきり見せる。富士山と秩父山脈。こんなに山が近くにあるとは思わなかった。春のような日差しが注ぎ、風は強かったり弱かったりで気持ちいい。

第8回/遠い空から風のうなる音がする。屋根のアンテナや電線が大きく揺れる。 2012/03/10.15:54 .STORY

「なんてのろまな娘なんでしょう!」と女王は叫んだ。「さあ。ここではね、同じところに止まっているためには、できる限りの力で走っていなければならないのよ。もしどこか他の所に行きたかったら、少なくとも、その二倍の速さで走らなくてはならないのよ」(ルイス・キャロル)


それは平日のラッシュ時を避けて電車に乗ったときのことだった。車内はがらがら。僕と妻は中央の座席に座った。梅の花は咲いているだろうか、と考えながら通り過ぎる風景をぼんやり眺めていた。ふと、僕の向かい側にいる男の視線が気になった。電車に乗ったとき、お互いの視線は気になる。なるべく乗客と視線が合わないようにして、外を眺めたり妻と話をする。だが、このとき、向かいの男が僕を睨んでいるように感じたので視線を合わせてみた。しかし、男の視線は僕と合わず、僕の後ろの風景を見ているようだった。

しばらく僕は男を観察した。どうもその男に違和感を感じる。なにがどうおかしいのかよくわからない。普通の人間と違うところがある。それは耳が異様にでかいとか、鼻が少し右に傾いているとかじゃなくて、なにかおかしい。そして僕は気づいた。ミステリー小説でいえば意外な伏線。男は瞬きをしないのだ。目を開けたまま瞬きをしないで何かをみつめている。車窓の景色を見ているようでもない。ただ、瞬きをしないで何を一心に考えているようにも思える。

もしかして超能力者か。未来の映像が目に映っているとか。それとも殺人犯。乗客はみんな善人ばかりじゃない。人を殺して、行く末を考え呆然としているのかも。梅の花も忘れて、僕は空想に浸った。男の目は赤く充血していた。僕たちが電車を降りる20分間、とうとう一度も瞬きをしなかった。

梅林公園のベンチに座って、梅の白い花を眺めながら、あの男について妻に訊いてみた。
「あの男、瞬きしなかったよね」
「え、後から乗ってきた人?」
「いや、そうじゃなくて僕たちが乗ったとき、真向かいの席に座ってたじゃん」
「うーん、どうだったかな」
妻は首をかしげて、「そんな人いたかな」と言った。
「ほら、なんか耳がでかくて、白髪まじりの髪の短い人」
「えー、だって電車に乗ったとき、前の座席にいなかったと思うよ」

妻と僕のズレはなにが原因なのか。妻は外の風景ばかり見てたし、きっと勘違いしている。後から乗車してきた人がたくさんいたから見当がつかないんだ。そうに決まっている。僕はそう思うことにした。

梅の花は満開を過ぎたのと、これからもっと大きく花を咲かせる藤牡丹枝垂があった。持参したおにぎりを頬ばりながら梅の花を堪能した。

第7回/きっと紗央里ちゃんの家にもゴミがあるんだと思うよ。 2012/03/08.12:43 .STORY

夕方になって、僕は「紗央里ちゃんの家」を読み終えた。妻がどうだったと訊いたので、面白かったよと答えた。ふふふ。でも夜読むのはどうかな。ちょっと怖くなるかな。そう思いながら妻に薦めた。

僕がパソコンに向かっているとき、妻は床に入って「紗央里ちゃんの家」を読んでいた。もう11時を過ぎた。そろそろ寝ようと妻に声をかける。妻は本を閉じて、「この本もう読まない。気持ち悪い」と言った。やっぱり。やったね。僕の思ったとおりだ。

血が飛び散ったり、台所や冷蔵庫が殺人現場なんだから気持ち悪い。ところどころ意味の分からないところがあるけれど、ホラー独自の怖さが伝わってくる。

どのくらい寝たんだろう。何やら物音がして僕はふと目を覚ました。おや、隣の部屋の襖から明かりが漏れている。どうして電灯がついているんだろう。僕は布団の中から腕を伸ばして襖を開けた。

妻がいた。「どうしたの」と僕は驚いて訊いたら、「眠れないから起きているの」うふふと笑った。夜中に笑う人間は怖い。炬燵の上に本が広げてあるから、本を読んでいたようだ。まさか「紗央里ちゃんの家」を読んでいるんじゃないよね。

枕元の時計を見たら午前4時。いったい、いつ起きたんだろう。こんな時間まで本を読んでいるなんて。もしかして僕の鼾がうるさくて起き出したのかもしれない。それとも、あの本が原因で眠れなかった。ぼんやりした意識の中で僕の頭は混乱した。突然、妻は寝ると言って電灯を消した。

翌朝、曇り空から雨が降ったりやんだり。そして寒い。上着を羽織って温かいコーヒーを飲む。「虹が消えるまで」をYouTubeで聴いていたら、あっというまに時間が過ぎちゃって、これといって何もしてない。

町内のごみ当番なので籠を片付けに行ったら、なんと燃えないごみが籠の中に置いてあった。今日は白色トレイ、危険ごみ、ビンなので収集車はガラス板はもっていかない。ガラス板は燃えないごみになるのだ。リサイクルとかで細かく分類するから、いまでも分からない人がいるんだな。ほったらかしにもできないのでガラス板を持ち帰った。

いらなくなったものを捨てるって難しい。木材と銅が一緒になった飾り物とか、鉄とプラスチックでできた栓抜きとか。これって、バラさなきゃならない?ふむ、どう考えてもこれは分離できないよな。バーナーなんかで溶かさなくちゃ。どちらに分類したらいいのか分からないものは困る。


第6回/ああ、なんて怪しい空なんだ。そう呟いて、また僕は歩きだした。 2012/03/05.20:22 .STORY

翌朝、僕は円盤が見えた河川敷に行った。空は青く晴れ渡って、近くの桜の樹にとまった蝉が煩く鳴いていた。どこまでも青が続く空。僕は土手の道に座って、雲のない空を眺めた。昨夜の円盤が夢のように感じた。あれは見間違いだったのではないか。ケータイで撮影した写真に光は写っていなかった。人間は精神状態で変なものを見てしまうものだ。

川岸に人が集まって、その中のひとりが川面を指差して何やら叫んでいる。何かあったんだろうか。僕は下流からその人たちに向かって歩いた。川に近づくにつれ、大きな木のようなものが流れていることに気づいた。

それがとても変だ。川の流れに対して浮遊物は水平に流れるものだ。その大木は川の流れと垂直に流れていた。しかもその大きさは川幅いっぱいの長さだから、30メートルはあるだろう。大木はだんだん僕の方に近づいてきた。

黒っぽい大木の先端を見て、僕は恐怖に慄いた。先端には頭のようなものがあった。逆三角の形をしたものに大きな耳がついていた。これは大木ではなく生物なのか。人間の形をした30メートルの生物。それは僕の視界から橋のある下流に流れていった。

僕は動揺して足の震えが治まらなかった。あれは宇宙から来た動物か、それとも宇宙人なのかも知れない。ようやく川岸の人たちに辿り着いたが、誰もが呆然としていた。川岸から少し離れた、雑草の茂ったところに先ほど見た生物が横たわっていた。複雑に折り曲がった屍は巨大なカマキリを想像させた。

僕はポケットからケータイを出して、奇妙な屍の写真を撮ろうとした。何度もケータイを操作したが、どうしても写真の撮り方を思い出せない。とうとう僕は諦めて警察に電話した。

「はい、どうされましたか?」
そこで僕は返答に困ってしまった。宇宙人の死体を発見したと言ったら、いたずら電話だと思われてしまう。
「あの、カマキリが……」
「はい?」
「いえ、ええと、川から大きな生物が流れてきてきました」
僕はしどろもどろになりながら、場所と自分の名前とケータイの番号を教えた。

いつの間にか野次馬が川岸に集っていた。やがて制服を着た警官たちが河川敷きを走ってきた。野次馬の喚声が上がった。屍の近くに捨てられたダンボールの蓋が動いた。ん、ネズミか?僕が思い浮かべたのはネズミだった。そこから出てきたものは人形だった。人間が作った何の変哲もない人形が動いていた。あの屍の影響なのか。生命のないものに生命を与えられたのか。人形はそこらを動きまわると川の中に入っていった。

なんだか随分変な夢みるのね。あわ

第5回/明治神宮の占い師 2012/02/25.17:33 .STORY

最近、お気に入りの本を二冊借りて図書館を出る。自販機で買ったコーヒーを飲みながら、道行く人たちを眺めた。街灯の下、コートの襟を立て急ぎ足で行き交う人の流れ。タバコの吸殻を投げ捨てるサラリーマン。そこらじゅうにタンを吐く老人。ベンチにいる僕の存在を気づかない。誰もが帰宅を急ぐ。

缶をゴミ箱に捨てると、夜の道を歩く。から松の葉をぬけて、誰が捨てたかわからない粗大ごみの横を通って、夜でもカラスが煩く鳴いている。家の前に着いたとき、空を見上げた。空はどんよりとした雲に覆われ星ひとつない。また雨が降るんだろうな。

正月の初め、明治神宮から表参道の交差点に向かったところで、僕は占い師に手相をみてもらったことがある。占いで毎日の行動を変える友人の強い要望があって、一緒に行こうと誘われていたのだ。

占い師は僕の左手を両手でつかんで「あなたの身に、よくないものがとり憑いているようにみえます。くれぐれも注意なさってください」そう、占い師は言った。

何より大切なのは、他者を思いやる心である。占い師だからといって、唐突にそんなことを言って許されるのだろうか。お金を払って不吉なことを言われて、まいったな、と思いながら、いつしか僕の心は深く暗い海の底に沈んでいった。

僕は宗教とか占いとか信じないけれど、それでも気持ち悪くて、その夜は寝つけなかった。ふと、目を覚ましてはトイレに行き、そして水を飲んだ。ふとんの中でバイクの音が聞こえ、新聞屋の気配を感じた。

占い師の予言を忘れていたころ、友人のまわりで不思議なことが起きた。その日は仕事が休みで本を読んでいた。窓の光が弱くなったので、柱の時計を見ると午後4時。あ、いけね。カレーライスを作っておくと約束したんだ。玉葱は3個にしようかな。じゃがいもは別の鍋で茹でよう。2個の玉葱を切り終えて、3個の玉葱を切ろうとしたときに電話が鳴った。僕は台所で手を洗って居間の受話器をとった。

「あ、オレ。今日さ、ランドリーの帰りに乳母車を押したおばあちゃんに会ったんだけど」
藤木だった。唐突で話がのみ込めない。「うん、それで」と僕は先を急がせた。
「それがさ、乳母車を押したおばあちゃんと、数百メートル先の場所で、もう一度会ったんだよ。バイクと同じ速さで移動したことになるけど。不思議だよね」

意味がよく解らない。
「それって、よく似た人がふたりいたということ?」
僕はまな板の玉葱を早く切りたい衝動にかられる。
「そういうと思ったよ。でも同じおばあちゃんだよ。自分の方に2回とも振り向いて、そのとき、ちゃんと顔を確認してるからね」
「マジで。だって藤木君バイクに乗ってたんでしょ。そしたら乳母車を押して歩くおばあちゃんの方が遅いじゃん」
「うん。だから不思議だなぁって」
「あり得ないよ。よく似た人がいたんじゃないかな」
「まったく話にならないや。そんなことを言っていると、怖い経験をするかもよ。自分には関係ないけどね」
「あっ、そ、じゃあね」
なんだか僕はバカバカしくなって電話を切った。

台所に戻り玉葱を切って、人参と豚肉と玉葱を鍋で炒め、それから水を入れた。まったく藤木め。話にならないのは君の方だろ。同じ人がふたりいるわけないじゃん。それとも双子か。どうしても同じ人だというなら、それはドッペルゲンガー。それは霊。彼は霊感が強いと言っていたから幽霊をみたのか。いやだな。

カレーができたころは、窓の外は真っ暗になっていた。日が暮れると、辺りはすぐに闇につつまれる。風があるようで樹の葉が揺れている。たったひとつの外灯に映った葉の影がうごめく。

遠くから猫の声が聞こえた。きっと捨てられたシャム猫だ。シャム猫がアパートの空き地を散歩しているのを見かけたことがある。鳴き声は風とともに反響し、複数の猫が鳴いているように聞こえた。

第4回/ガスコンロ 2011/12/17.20:36 .STORY

午前中、国道沿いの歩道を走る。
ときどき後ろを振り返って妻の姿を確認する。
帽子も被らず、髪を乱し、赤い顔をした妻は自転車を漕いでいる。

万世は駅から徒歩で40分くらいのところにある。
それなら自転車で行こうということになった。

本屋を過ぎると、牛の絵が描かれた看板が見えた。
「あそこに止めよう」
僕は駐車場の隅を指さす。
自転車を並べていると、ふいにカラスのなき声がした。
見上げると、電線にとまった黒くて大きいカラスがこちらを窺っている。
不吉な。
カラスの声を聞くたび、誰か亡くなったのかと僕は思う。

店のドアを押して中に入ると、暖かい空気が体をつつむ。
「お二人様でしょうか?」
はい、と答える。
「おタバコはお吸いになりますでしょうか?」
「吸わないです」
妻と視線を合わせながら言う。
「では、こちらにどうぞ」

窓際に案内される。
窓の外は国道が見え、道路を挟んだ向こうにトンカツ屋がある。
そちらの駐車場は満車状態だった。
もうすぐ昼になるのに、こちらの客は数人しかいない。

「何にしよーか」
嬉しそうに妻が訊く。
「んー、やっぱり、鉄板焼きかな」と僕。
「でも、他のメニューも見てみようか」
妻は横に置いてあるメニューを広げる。
どれもこれも、うまそうなステーキの写真。
「へえー、ステーキ、五千円とかするんだ」
妻は儚げにつぶやく。
「やっぱ、鉄板焼きランチ」
妻のきっぱりした声がして、僕は顔を上げる。
「よし、それにしよう」と同意。

メニューを閉じて、呼び鈴を押す。
すぐに店の人が来る。
鉄板焼きランチを二つ注文する。
「ご飯はおかわり自由です」と店員。

ほのかな湯気とともに、香ばしい匂いが立ち昇る。
たれを焼肉にかけると、鉄板がぐつぐつと音を立てる。
やはり、肉は熱くなけりゃうまくないよな。
箸を動かし、僕は切り落としの牛肉を口に入れる。
唇に触れた牛肉が熱くて驚く。

「それがさー、きいてよ」
僕は涙目になって、妻の顔を見る。
妻の友人がガスコンロを買った。
それはセンサーとかマイコンとか機能満載で、使いこなすための講習会を催された。
魚、肉、野菜などの食材を使って料理を作り、その料理の食事会も兼ねている。
友人に誘われて、妻も参加したそうだ。
「食べるのを楽しみで行ったのに、参加者が大勢で、ちょっとしか食べれなかったよ」と妻は頬を膨らます。
「でも、全部美味しかったよ。特にアスパラと魚が」
魚を焼いた後に、トーストを焼いても美味しく焼けたと感激している。

僕はうんうんと相づちを打って、氷の入ったコップを変な角度から当てて、痛みのある唇を冷す。
妻の声がしなくなったので、そっと顔を上げる。
妻はずっと僕の妙な行動を見ていたようだ。
しばらくして、「油の温度なんか----」と僕については何も言わず、ガスコンロの話は続く。

油を揚げる温度が、いつも一定の温度に設定できるのは凄い。
優れた道具を使えば、誰でも簡単にフランス料理を作ることは夢ではない気がする。
まあ、プロの料理人なら、道具を選ばなくても旨い料理が作れるだろうけれど。

第3回/やっぴ、なべ 2011/12/13.19:26 .STORY


寒い。
体をコタツに沈めて本をひろげる。
数分も経つと指や腕がしびれる。
小暮写真館の本ときたら、鉄アレーみたいに重い。
寝転んだ姿勢で読むのは無理かも。
大量のアドレナリンが分泌される前に本を机に置く。

さて、夕飯を作りますか。
今日は妻が遅番なので、鍋焼きうどんを作っておくと約束した。
台所に立ち、鍋に水を入れる。
鍋が沸く前に、焼きうどんに入れる野菜を切る。
ネギ、シイタケ、カブ、ほうれん草。

鍋から白い湯気が立ちのぼる。
その中に醤油、みりん、酒を加える。

台所の窓が結露して、つぶつぶの水滴が流れる。
ときどき窓から冷気が入り込む。

うどんを鍋に入れて菜箸でほぐしていると、コンコンと音がした。
ん、もうそんな時間かな。

しばらくして「こんにちは」という女性の声がした。
僕は鍋の火をとめて玄関のドアをあけた。

笑顔の美しい女性がいた。
「こんばんは!あの、あなたは神を信じますか?」
夕暮れの風にのってメロディがきこえてくる。
「え、かみ?あの、失礼ですけど…」
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」
「ええと、どなたでしょうか?」
「神の前には、すべてが裸であり、すべてさらけ出されています」
まるで要領を得ない。
「どういった用件ですか?」
ふっくらした唇の片方を少し上げて、「まだ分からないの」という表情をしたが、すぐに相好を崩した。
「いつも変わらずあなたを見守っているんです」
一瞬、沈黙がつづき「興味ありません」と僕は答える。
「では、このパンフレットをお読みください」
セクシーな女性は丁寧にお辞儀をして、ゆっくり去っていった。

ドアを閉めて台所に戻る。
気のせいか、鍋の汁が少なくなったみたいだ。
再びコンロに火をつける。
野菜を加え、そして卵を入れて蓋をする。
鍋はぐつぐつ音をたてる。

「さむー」
「おかえり」
「わ、いい匂い」

参考:高山なおみ「今日のおかず」

今日のおかず

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第2回/クリスマスの夜 2011/12/09.17:00 .STORY


どんよりとした曇り空だった。
家でごろごろしていたくせに、午後からたまらなくなって外に出た。
から松の葉を抜けて、アスファルトの道に出たとき、雨が馬鹿みたいに降りだした。

折りたたみ傘を手に持ち、電車に乗った。
電器街をぶらぶらしていたら、夕暮れはすぐにやってきた。
飲食店の並ぶ繁華街を歩く。
ごみの溜まったところから、ばたばたと黒いカラスが羽ばたいて近くの電線にとまる。
そして、くわくわと鳴く。
日夜、天候に関係なくカラスはどこからか姿を現す。
人と共栄共存か。
まったく夜鳴くカラスは不吉だな。

ネオンが夜にそびえて寂しい舗道。
ころころ転がるヘッドライン。
僕の立っている路が怪しく揺らいで夜に溶ける。
クリスマスツリーが眩しくて、一瞬目を閉じる。
そして、再び目を開けて歩き出す。
見知らぬ女性がひとり、ガードレールの隅にしゃがんでいた。
歩き疲れたのかな。
女性が前髪をあげたとき、僕はハッとした。
女性の頬がきらりと光った。
泣いているんだ。
女性はハンカチで拭こうともしない。

僕が声をかけたところで何も言わないに決まっている。
きっと、ひとりで感傷に耽りたいんだ。
僕は少し距離をおいて、クリスマスツリーを見るふりをしながら女性を見守っていた。

夜の風は冷たい。
あごが落ちそうだ。
僕は煙草に火をつけて、いかにも誰かを待っているふりをした。
いや、もう、ふりをやめて、女性に声をかけようと思った。
そのとき、ガードレールの横に赤い車がとまった。
ドアから茶髪の男が出てきた。
泣いていた女性の顔が輝いて、嬉しそうに笑った。
車は女性を乗せて走り去った。

僕の前には虹色のクリスマスツリーだけが残った。

第1回/奇跡のシンフォニー 2011/12/06.20:42 .STORY


冬の晴れた休日。
手をつなぎながら、僕たちは駅前の舗道を歩いた。
交差点に出ると、おどろくほどの強風が吹きつける。
僕は目に埃が入らないよう注意して歩く。

妻は首をひねって僕の顔をのぞき込む。
「あ、キム兄になってる」
そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
自分だって、サヤエンドウのような目になってるじゃないかと僕は思った。

新しくできた歩道を歩いて、電車の高架をくぐると、いつのまにか大型スーパーの前にいた。
スーパーで弁当を買って、店舗の中をぶらぶらとした。
そのとき100円レンタルののぼりが見えた。
ラッキー!と僕は思わず叫ぶ。
ツタヤが100円レンタルをしていた。

僕はCSIニューヨークを手にし、妻は奇跡のシンフォニーを持っていた。

帰宅して、DVD祭りを楽しむ。
奇跡のシンフォニー。
奇跡という言葉がなんだか宗教的で嫌だな、と僕は思う。
「ね、これはどんな映画?」と妻に訊く。
ポップコーンの袋に手を入れたまま、「少年が、両親をさがすの」と妻は言った。
へえ、両親を探すのかぁ。
で、それのどこが奇跡なんだろう。
僕が納得していないことを悟ったのか、「あのね、音楽でさがすんだよー」と妻はいたずらっぽく笑って、ドライブにDVDを入れた。
ふうん、ますます僕は分からなくなった。

ああ、なんかこの映画、まずいな。名前も顔も分からない両親を探し続ける、一途な想いの少年が描かれているんだ。
僕は人前で泣かないことを身上にしているのに。
まだ僕は妻に涙をみせたことがない。
とてもまずい。こういう映画に弱いんだ。

養護施設を飛び出し、ストリートミュージシャンになる少年。
少年のギターに引き寄せられるように現れる父。
父子、お互いに知らない2人が出会ってギターを弾く場面。
なんだか鼻の奥がつんとして、「あ、やべ」不覚にも涙が。
ちらっと妻を見たら、不自然なくらい顔が赤くなってる。

僕はそっと立ってトイレに逃げ込んだ。
ああ、場面を思い出しては感動の涙が。
トイレットペーパーで涙を拭いてトイレを出る。
「おそかったじゃない、ビデオ止めといたよ」と妻は言った。
「ああ、ありがとう」
僕は顔を見られないよう、そっけなく答えた。

クリスマスの夜。
カップルでみても、家族でみても、勿論、1人でみても
楽しめる感動の映画。
奇跡のシンフォニー。

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