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2017年03月11日
よろしかったでしょうか
「テレビで、『よろしかったでしょうか、は文法的に間違いだ』と言っていたけど、よろしいでしょうか、より丁寧だと思う」というコメントをいただきましたので、今日はその話をします。
これは敬語の話になるのですが、
まずみなさんは、
どんな場面で敬語を使いますか。
「小さい頃に偉い人に使うんだよ、と言われたような気もするけど、自分の周りにはそんな天皇陛下みたいに偉い人、いないし」…という人だって、毎日どこかで敬語を耳にしているし、使っていますよね。
たとえば、
知らない人に話しかけるとき。
自分の前を歩いている人が何かを落としたら、
「すみませんが、今、何か落とされましたよ。」
などと丁寧語で話しかけますよね。
相手が仲の良い知り合いかよほど幼い子どもでない限り、
「ねぇ、今何か落としたよ」
など軽い言い方はしないと思います。
それから、
公の場で話すとき。
スピーチの場が学校の教室で、
相手は同級生で敬う必要がないという状況でも、
話すときは「です・ます調」、丁寧語になるでしょう。
あとは、
店などでお客さん相手に話すとき。
「いらっしゃいませ」に始まり、
「またご来店ください」まで、
高級な店ほど丁寧な言葉で応対されます。
敬語を使わない間柄というのは、
身内や親しい人ですが、
敬語を使わなければならない間柄というのは、
自分と距離を置かなければならない人です。
「敬語」というのは、そもそも相手との距離を置く言葉なのです。
一緒に食事をしようと誘うときの言葉を、
至近距離から順に並べてみると、
「メシ食いに行こうぜ」
↓
「ご飯食べに行こうよ」
↓
「一緒にご飯を食べに行きましょう」
↓
「一緒にご飯を食べに行きませんか」
↓
「一緒にお食事でも(など)いかがですか」
↓
「これから食事をしに参りますが、ご一緒にいかがでしょうか」
もちろん、いろいろな言い方があるので、
これが全てではありませんが、
基本的に敬語の度合いが強くなればなるほど、
長く、まどろっこしい表現になります。
誘い方も、
「~しよう」と自分の意見を押し付けるのではなく、
相手の都合に合わせた「〜はどうですか」と尋ねる方法に変わります。
それは、相手との距離を取っているからです。
そこで、
問題の「よろしかったでしょうか」ですが、
実はこの「た」の訳し方に問題があります。
これは「過去のた」ではありません。
文法的には「過去のた」と説明されますが、
この「た」には、
@過去
A完了
B存続
C確認
D命令・勧誘
と、なんと5種類の意味があり、
「よろしかった」の「た」は、Cの確認の「た」なのです。
ちなみに、
@は、
「今朝は遅刻した。」「昨日は寒かった。」など、
動作や状態が過去のものであることを表します。
Aは、
「今、電車が到着した。」「やっと仕事が終わった。」など、
直前までその動作や状態が続いていたことを表します。
Bは、
「壁にかけた絵。」「よく晴れた日。」など、
今その動作・状態が続いているということを表します。
Cは、
「明日は祝日だったよね。」「それも私の仕事だったかな。」など、
すでに決まっている事実を確認するときに使います。
Dは、
「ほら、さっさと歩いた、歩いた!」「怖くないから、さあ、行った、行った!」など、
相手に命令したり促したりするときに使います。
それで、
Cの確認ですが、
最近の若い人に限らず、
日本人は昔から、
自分でズバッとものごとを断定するのを嫌います。
「明日は祝日だったよね。」なんて、
カレンダーを見りゃ分かる、って話ですが、
相手に「うん、そうだよ。」と肯定して欲しいから、
つい確認してしまう。
そうすることで、相手との「距離を取っている」のです。
だから、レストランなどで使われる
「ご注文は、こちらでよろしかったでしょうか。」
というのも、
「私が今あなたから承ったご注文のお料理は、こちらだと思うのですが、これで合っているかどうか確信が持てないので、正しいかどうかの判断は、あなたに委ねたいと思います。ご確認ください。」という気持ちの表れから使っているので、実はかなり日本人的な表現で、一概に間違いとは言えないのです。
「よろしいですか。」が正しくて、「よろしかったですか。」が間違っている、という意見は、
実は、「た」の使い方を言及しているのではなく、
無意識に別のことを主張しているものと思われます。
一昔前に比べ、
日本は大変クレーマーの多い国になってしまいました。
「観客を神に見立て、神前でするかのように身を引き締めて芸に臨み、舞台で最高の芸を観客に見せる」という心構えから「お客様は神様です」と表現したものを、
「客は神なんだから、店はどんなわがままも聞き入れなきゃだめなんだ」と解釈して傍若無人にふるまう人たちが現れ、まるで「言ったもん勝ち」とでも言うように、とりあえず文句を言う、という人が増えたのです。
店側も、小さなことで客が離れていっては困るから、
クレーマーの言い分を聞き入れてしまう。
本来、「売る人」と「買う人」は、対等な立場のはずです。
けれども、今、「お金を持っている人が偉い人」になり、
「売る人」と「買う人」の力関係が崩れてきてしまったんですね。
レストランのバイトが「よろしかったでしょうか」と必要以上にへりくだるのは、
ある意味、クレーマー対策とも言えます。
より丁寧な言葉で接待し、クレームを言われないようにしよう、
ということです。
その態度に対して、
「そこまで卑下するなよ、自信なさそうにするなよ、客はそんなに偉い人じゃないんだからさ。」
と思っている人が、
「よろしかった、なんて言い方は間違っている!」と主張していると思うのです。
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これは敬語の話になるのですが、
まずみなさんは、
どんな場面で敬語を使いますか。
「小さい頃に偉い人に使うんだよ、と言われたような気もするけど、自分の周りにはそんな天皇陛下みたいに偉い人、いないし」…という人だって、毎日どこかで敬語を耳にしているし、使っていますよね。
たとえば、
知らない人に話しかけるとき。
自分の前を歩いている人が何かを落としたら、
「すみませんが、今、何か落とされましたよ。」
などと丁寧語で話しかけますよね。
相手が仲の良い知り合いかよほど幼い子どもでない限り、
「ねぇ、今何か落としたよ」
など軽い言い方はしないと思います。
それから、
公の場で話すとき。
スピーチの場が学校の教室で、
相手は同級生で敬う必要がないという状況でも、
話すときは「です・ます調」、丁寧語になるでしょう。
あとは、
店などでお客さん相手に話すとき。
「いらっしゃいませ」に始まり、
「またご来店ください」まで、
高級な店ほど丁寧な言葉で応対されます。
敬語を使わない間柄というのは、
身内や親しい人ですが、
敬語を使わなければならない間柄というのは、
自分と距離を置かなければならない人です。
「敬語」というのは、そもそも相手との距離を置く言葉なのです。
一緒に食事をしようと誘うときの言葉を、
至近距離から順に並べてみると、
「メシ食いに行こうぜ」
↓
「ご飯食べに行こうよ」
↓
「一緒にご飯を食べに行きましょう」
↓
「一緒にご飯を食べに行きませんか」
↓
「一緒にお食事でも(など)いかがですか」
↓
「これから食事をしに参りますが、ご一緒にいかがでしょうか」
もちろん、いろいろな言い方があるので、
これが全てではありませんが、
基本的に敬語の度合いが強くなればなるほど、
長く、まどろっこしい表現になります。
誘い方も、
「~しよう」と自分の意見を押し付けるのではなく、
相手の都合に合わせた「〜はどうですか」と尋ねる方法に変わります。
それは、相手との距離を取っているからです。
そこで、
問題の「よろしかったでしょうか」ですが、
実はこの「た」の訳し方に問題があります。
これは「過去のた」ではありません。
文法的には「過去のた」と説明されますが、
この「た」には、
@過去
A完了
B存続
C確認
D命令・勧誘
と、なんと5種類の意味があり、
「よろしかった」の「た」は、Cの確認の「た」なのです。
ちなみに、
@は、
「今朝は遅刻した。」「昨日は寒かった。」など、
動作や状態が過去のものであることを表します。
Aは、
「今、電車が到着した。」「やっと仕事が終わった。」など、
直前までその動作や状態が続いていたことを表します。
Bは、
「壁にかけた絵。」「よく晴れた日。」など、
今その動作・状態が続いているということを表します。
Cは、
「明日は祝日だったよね。」「それも私の仕事だったかな。」など、
すでに決まっている事実を確認するときに使います。
Dは、
「ほら、さっさと歩いた、歩いた!」「怖くないから、さあ、行った、行った!」など、
相手に命令したり促したりするときに使います。
それで、
Cの確認ですが、
最近の若い人に限らず、
日本人は昔から、
自分でズバッとものごとを断定するのを嫌います。
「明日は祝日だったよね。」なんて、
カレンダーを見りゃ分かる、って話ですが、
相手に「うん、そうだよ。」と肯定して欲しいから、
つい確認してしまう。
そうすることで、相手との「距離を取っている」のです。
だから、レストランなどで使われる
「ご注文は、こちらでよろしかったでしょうか。」
というのも、
「私が今あなたから承ったご注文のお料理は、こちらだと思うのですが、これで合っているかどうか確信が持てないので、正しいかどうかの判断は、あなたに委ねたいと思います。ご確認ください。」という気持ちの表れから使っているので、実はかなり日本人的な表現で、一概に間違いとは言えないのです。
「よろしいですか。」が正しくて、「よろしかったですか。」が間違っている、という意見は、
実は、「た」の使い方を言及しているのではなく、
無意識に別のことを主張しているものと思われます。
一昔前に比べ、
日本は大変クレーマーの多い国になってしまいました。
「観客を神に見立て、神前でするかのように身を引き締めて芸に臨み、舞台で最高の芸を観客に見せる」という心構えから「お客様は神様です」と表現したものを、
「客は神なんだから、店はどんなわがままも聞き入れなきゃだめなんだ」と解釈して傍若無人にふるまう人たちが現れ、まるで「言ったもん勝ち」とでも言うように、とりあえず文句を言う、という人が増えたのです。
店側も、小さなことで客が離れていっては困るから、
クレーマーの言い分を聞き入れてしまう。
本来、「売る人」と「買う人」は、対等な立場のはずです。
けれども、今、「お金を持っている人が偉い人」になり、
「売る人」と「買う人」の力関係が崩れてきてしまったんですね。
レストランのバイトが「よろしかったでしょうか」と必要以上にへりくだるのは、
ある意味、クレーマー対策とも言えます。
より丁寧な言葉で接待し、クレームを言われないようにしよう、
ということです。
その態度に対して、
「そこまで卑下するなよ、自信なさそうにするなよ、客はそんなに偉い人じゃないんだからさ。」
と思っている人が、
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