アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2020年05月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
ヨリちゃんさんの画像
ヨリちゃん
プロフィール

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年05月07日

コロナ危機のウラで 中国・習近平が「ヤバ過ぎる計画」を進めて居た!




 コロナ危機のウラで 

 中国・習近平が 「ヤバ過ぎる計画」を進めて居た!


            〜現代ビジネス 橋爪大三郎 5/7(木) 8:01配信〜


        050710.jpg

                photo by GettyImages

 〜新型コロナウイルスの感染後遺症が中国経済を直撃して居る・・・中国の2020年1〜3月期のGDPは「初のマイナス」に大きく沈み込み、中国経済の急落下振りが明らかに為って来たのだ。
 そんなコロナ危機の衝撃が走るウラで、今中国では習近平国家主席が自らの権力維持の為の「或る企て」を進めて居る事をご存じだろうか。習近平の計画がこのママ進めば、世界に取って新型コロナウイルス以上に警戒を要する事態にすら為り兼ね無い・・・そう警告する社会学者・橋爪大三郎氏による緊急レポート!〜


              050711.jpg

               社会学者・橋爪大三郎氏

 習近平が「死ぬ迄権力の座に」!?

 習近平とプーチン・・・両大国のリーダーが、この処益々、独裁の傾向を強めて居る。果たしてこれは、アノ忌まわしい全体主義の再来なのだろうか。その権力の正体を見据えてみよう。
 習近平は、二期10年で交替すると云うこれ迄のルールに従わず後継者を選ば無かった。本来なら、2017年の全国代表大会で、若い世代のリーダーが後継候補に抜擢される筈だった。トウ小平(とう・しょうへい)の決めたルールである。
 それを無視したのは、三期目も、もしかするとそれ以降も続投する積りでは無いか。毛沢東の様に終生、権力の座に留まる積りか。様々な憶測を呼んで居る。習近平が長期政権を望んでも、彼一人の考えで実現する訳では無い。それを支持する、大勢の共産党の幹部が居ると云う事だ。

 世界でも「初めての出来事」

 習近平政権を支える力学は、どの様なものか。それを考えるには「社会主義市場経済」なるものを、理解し無ければ為ら無い。1949年に建国した中華人民共和国は、社会主義計画経済を進めようとした。まず農業・・・地主から土地を取り上げて小作農等に分配し、その後それを又取り上げて人民公社に集約した。人民公社は改革開放の直ぐ後辞めに為った
 工業はどうか・・・当時、工業は立ち遅れて居て、幾つかの地域経済の寄せ集めで国単位の計画経済処では無い。それでも国の計画に基づいて、地方政府が製品の価格や数量を管理して居た。都市部の土地・家屋や工場が全て接収されて、国有に為ったのは言う迄も無い。

 この計画経済を30年続けた後、始まったのが改革開放だ。初めはオッかなビックリで、価格の一部を自由化し、商品経済ですと言い訳をした。
 計画経済の一部が商品経済なのはマア好いとされて居た。市場経済ですと言おうものなら大変な事に為った。市場経済とは資本主義経済の同義語・・・がマルクス主義の常識で有るからだ。
 1992年に、トウ小平が「社会主義市場経済」と言い出したので、皆ビックリした。これからは共産党が資本主義経済を遣る、と云う意味に為るからだ。共産党が、資本主義経済を遣る。こんな事は、経済学の教科書にもマルクス主義の教科書にも書いて無い。世界史でも初めての出来事だ。一体どう遣るのか。

 「資本家」は中国共産幹部?

 先ず、価格統制を辞める・計画も辞め、需要・供給は市場に任せる。次に、国営企業を株式会社にする。就職も、国が分配するのでは無く自由契約にする。国中の土地建物も私有にする・・・建前は国有のママなので、70年の使用権・・・等を私有させる。こう遣って、資本市場・労働市場・土地市場・・・何れも資本主義に必須のものを成立させたのだ。
 私企業・株式会社が成立して資本家が出現する。でもどう遣って? マルクスは言った・・・原始蓄積過程だ。為り掛けの資本家は、労働者をトコトン搾取し資本を貯め込む。それが資本主義の始まりだと。

 中国には、工場や生産設備も労働者も社会インフラも、もう存在した。国有の工場や生産設備を私有財産にすれば好かった。
 政府の指示で、地元の省や市が工場を民間企業にする。株券を発行して、一部を政府に渡し一部を労働者に渡し残りを共産党の幹部で分けてしまう。共産党の幹部が資本家を遣ります・・・が社会主義市場経済の中身である。
 改革開放が進むと、企業のオーナーが中国共産党に加入して好いのか問題に為った。結局、加入出来る事に為った。共産党は、資本主義経済を推進する為の政党に性格が変わったと云う事だ。

 「美味しい仕組み」だ
 
 冷戦が終わっても何故、中国共産党は解体し無かったのか。何故、中国では独裁が必要なのか。その謎を解き明かす秘密が此処にある。
 そもそもマルクスは、何故資本主義に反対したのか。資本の所有者である資本家が、剰余価値・・・労働者が賃金以上に生み出した価値を手にするからだ。こんな不公正が有るだろうか。ソコで資本家から資本を奪い取って労働者のものにする・・・プロレタリア独裁である。

 サテ、資本家から資本を奪い取っても、資本が無く為る訳では無い。誰かが資本を管理し無ければ為ら無い。それが共産党だ。共産党は労働者を代表して、国全体の資本を管理する。絶大な権力だ。しかしこれは、効率が悪い。国全体に一人の資本家しか居ないのと同じで、資本を適切に配分出来無いからだ。
 そこで中国共産党は、市場経済を採り入れ共産党の幹部自ら資本を私的に所有する事にした。経済の私物化だ。世にも奇妙な、共産主義と資本主義の二人三脚が始まった。

 共産党は、社会を管理し経済を管理し国家を指導する権力を持って居る。この権力(の一部)をバラバラにし、共産党の幹部に企業の所有権としてバラ撒いた。幹部は莫大な利益を手にする。
 企業のトップに為ら無かった共産党幹部も、夫々権力を持って居る。権力が有れば、それを経済的利益に変換する事が出来る。何れにしても、共産党幹部に取って美味しい仕組みが社会主義市場経済だ。

 共産党の思惑

 共産党の一党支配は何の為か。元々は、資本家を遣っ付けて共産主義革命を実行する為・・・詰り人民の為だった。それが今や、資本家で有る共産党の幹部の利益を守る為・・・に為った。コンな政党が存在する必要が有るだろうか。中国の人民は、段々疑問に思い始める。
 だから中国共産党は締め着けを強化する必要が有る。先ず、共産党の必要性を強調する。共産党が無く為ると政治的混乱が生じますよ。これ迄の実績の事も思い出して下さい。共産党は人民の為に頑張って居るのです。そして、反対の声が上がら無い様にする。それには単位制度が役に立つ。

 「単位」と云うものが有るのが現代中国だ。新中国では、都市部の職場が全て単位に再編された。単位は職住接近の共同体で、労働者とその家族の福利は勿論、物資の配給やアパートの分配や、身分の証明や旅行の許可や、医療サーヴィスや年金や、個人情報の管理や、全てを丸抱えにした。
 そして単位には党委員会が在って書記が居て単位を指導する。どの単位にも党委員会が在るので、中国共産党の支配は磐石だ。
 単位の縛りは改革開放が進むと緩く為った。物資やアパートや医療や年金や・・・多くの事がアウトソーシングされて市場に任される様に為った。その代わり、単位は企業に生まれ変わり、幹部を中心とする利害のネットワークに組み込まれた。

 コロナウイルス以上に「警戒」を要する
 
 こうした利権は、巨大な闇経済を生み出す。GDPの10%以上に為ると云う推計も在る。言葉を変えれば腐敗である。中国共産党の高級幹部は大半が、子弟が海外に市民権か永住権を持ち、巨額の資産を海外に持ち出して居る。
 習近平が、独裁の傾向を強めて居るのは何故か。それは、習近平を担ぎ出した共産党の幹部等が共通の危機を感じて居るからだ。

 1) 共産党の幹部の利害と人民の利害とは矛盾して居る
 2) 幹部等は政治的権力から大きな経済的利益を得て居る
 3) 以上の事を正当化する事が出来無い

 
 正当化出来無いのに現状を維持しようとすれば強権支配に頼るしか無い。その為の監視技術を大々的に使用して居る。こう云う政治体制を備えた国家が、世界をリードして好いのか。国際社会は益々疑惑を目を向けて居る。

            050713.jpg

 ロシアのプーチン人差し指サイン政権の独裁は、中国の習近平政権とは又違ったメカニズムに基づいて居る。ロシアには共産党が無い単位も無い。国家権力を操る旧内務省・秘密警察系の人脈が有力な独占企業と結び付いてロシアを支配して居る。旧ロシア帝国の時代の遣り方と好く似て居る。
 中国の習近平政権もロシアのプーチン政権も、近代化が不徹底な伝統社会にグローバル経済が浸透した結果生れた、新しいタイプの独裁体制だ。新型のコロナウイルス以上に警戒を要する。心在る人々は継続的に監視を続けて行か無ければ為ら無い。


             050712.jpg

 橋爪 大三郎 社会学者 1948年生まれ 社会学者 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学 東京工業大学名誉教授 著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)『ほんとうの法華経』(ちくま新書)『戦争の社会学』(光文社新書)『丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ)など 社会学者・大澤真幸氏との共著に『ふしぎなキリスト教』(新書大賞2012を受賞)『げんきな日本論』(ともに講談社現代新書)がある

                    以上







スマリッジで変わる出逢い







沢木耕太郎が 40年訪れたかった土地で見たもの




 沢木耕太郎が 40年訪れたかった土地で見たもの

         〜東洋経済オンライン 沢木耕太郎 5/6(水) 7:50配信〜


      050705.jpg

 沢木耕太郎氏が訪れた宮城県塩竈市 鹽竈神社には202段もの石段がある(写真 クロチャン PIXTA)

 「旅のバイブル」の名を欲しいママにして居る不朽の名作『深夜特急』その著者、沢木耕太郎が東北を歩いて綴った初の「国内旅エッセイ集」である『旅のつばくろ』が刊行された。
 その中からエッセイを一篇お届けする。新型コロナウイルスの影響で外出自粛が求められて居り、暫く旅に出て居ない人も多いだろう。沢木のエッセイで旅への想像を巡らせてみては如何だろうか。沢木は大学卒業後、銀行に就職したものの入社初日に退職した。丸の内の交差点で信号待ちをして居る時に決心したと云う。それ迄は濡れて困る服等持って居なかった自分が、雨の中傘を指し着慣れ無いグレーのスーツを着て居る自分に違和感を覚えた。
 そうしてフリーランスのライターとしての沢木が誕生した。爾来、半世紀近くを書く事に費やして来た過去を回顧する・・・
(敬称略)

 過去への想い 

 先日、図書館で話をする為宮城の塩竈(しおがま)に行った。所謂「講演」の為だったが、以前にも述べた様に、私は余り講演をする事を好ま無い。そこで講演の依頼は為るべく断らせて貰う事に為るのだが、それでも断り切れ無いものも有る。取り分け学校と図書館からの依頼は断り難い。
 学校は予算が少ないだろうから、私に断られたりすると代わりの方を見付けるのに苦労するだろう。又、図書館は、少年時代から様々な形で恩恵を被って居る大切な場所だ。 それでも、出来るだけ先の約束はしたく無い為断る事が多いのだが、塩竈の図書館からの依頼が有った時、私としては例外的にアッサリ承諾したのは、それが図書館だったからと云うだけが理由では無かった。塩竈と云う処に1度行ってみたかったのだ。

          050714.jpg 棋士の中原誠氏

 私は22歳でフリーランスのライターとしての仕事を始めた。その私に取って、初めての大仕事と為ったのは24歳の時の「若き実力者たち」と云う雑誌連載だった。同世代のフロントランナーを描く人物論のシリーズで、その1回目の対象に選んだのは棋士の中原誠人差し指サインだった。
 私と同年生まれの中原さんは、現代の羽生善治や藤井聡太程では無いが、当時の絶対王者だった大山康晴の牙城を脅かす新世代の棋士の登場と云う事で、棋界の外からも熱い視線を向けられる様に為って居た。将棋に付いて殆ど無知だった私は、多くの本を読み多くの人に会い必死に取材を進めた。その結果、何とか「神童天才凡人」と云う35枚程の人物論を書く事が出来た。そして、それが或る程度の評価を受けられたお陰で1年に及ぶ長期連載を無事乗り切る事が出来たのだった。

 暫らくして中原さんに会うと「沢木さんはアマチュアの何級位の棋力なんですか」と訊ねられた。駒の動かし方が要約判る位です・・・そう正直に答えると「そんな人に有れは書けません。何級位ですか」と重ねて訊ねられてしまった。困惑しながらも、私は内心で快哉を叫んで居た・・・遣ったぜ! 
 しかし、書き終えて、1つの心残りが出来てしまった。中原さんは塩竈の出身だった。生まれたのは鳥取だが、幼い頃に両親と共に移り住み、十歳で東京の師匠宅に弟子入りする迄塩竈で成長して居た。ご家族は既に東京に出て来て居たので、ワザワザ塩竈迄取材に行く必要は無かったのだが、中原さんが育った土地の雰囲気を知ら無いママ人物論を書か無くては為ら無かったと云う無念さが残ってしまった。
 当時の私は極端に収入が少なく、土地の光や風を味わう為だけに塩竈迄行くと云う金銭的な余裕が無かったのだ。以後、何時か行きたいと思って居たが果たせ無かった。それが今回、図書館で話をすると云う機会を得て、要約塩竈に行かれる事に為った。

        050715.jpg

 講演は夜だったが、昼前に仙石線の本塩釜に着いた私は、兎に角塩竈の街を歩いてみる事にした。駅の近くのレストランで牡蠣フライ定食を食べると、古い商店や蔵が点在する道を通って鹽竈神社に向かい、202段と云う飛んでも無い数の石段を上って参拝した。更に、又その石段を降りると、今度は松島観光の一つの起点と為って居る港まで歩いて行った。
 途中の商店街が寂しく為って居るのは何処の地方都市でも同じだが、もし四十数年前に塩竈を訪れて居たらもう少し異なる貌の街並みを見る事が出来たのだろうなとチョッピリ残念に思った。

           050716.jpg

 「タイムシップ塩竈」を訪れると・・・
 
 夕方に為り、チェックインをする為ホテルに向かい掛けたが、フト思い付いて、近くにある「タイムシップ塩竈」為る施設に足を運んでみる事にした。そこは縄文時代からの塩竈の歴史をコンパクトに説明してある展示スペースだった。
 その最後の所に、塩竈に縁の有る有名人として、三人の人物のパネルとその縁の品が展示されて居た。1人は画家の杉村惇、1人は俳人の佐藤鬼房、そしてもう1人が棋士の中原さんだった。見ると、中原さんのパネルの前には、母親の裁縫用の台を利用し、父親が自分で作って呉れたと云う将棋盤が飾られて居た。

  050717.jpg

 為る程、マサにその将棋盤から、中原さんの十六世名人への道は始まって行ったのだ。昭和45年生まれの羽生さんも、平成14年生まれの藤井さんも、流石に手作りの将棋盤は使わ無かっただろう。そこに、如何にも戦後直ぐの頃に生まれた「昭和の棋士」の名残りが感じられ、微笑ましく為った。そして思った。此処にだけは四十数年前の塩竈と繋がる回路が有った、と。


            050718.jpg

 沢木 耕太郎  ノンフィクション作家 1947年東京生れ 横浜国立大学経済学部卒業 程無くルポライターとして出発し鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める 1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞 1982年に『一瞬の夏』で新田次郎文学賞 その後も『深夜特急』や『檀』等今も読み継がれる名作を次々に発表し 2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞を 2014年に『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞して居る 近年は長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』を刊行 その他にも『旅する力』『あなたがいる場所』『流星ひとつ』「沢木耕太郎ノンフィクション」シリーズ 対談集「沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉」『銀河を渡る 全エッセイ』『作家との遭遇 全作家論』等がある

                 以上



 【管理人のひとこと】

 塩釜神社は、宮城県の中では仙台市内にある大崎八幡宮・岩沼市の竹駒稲荷に並ぶ初詣客で賑わう3大スポットである。塩釜から松島湾遊覧の観光船の発着場があり人手で溢れ返るのが正月の風景だ。著者の沢木耕太郎氏はサラリーマンに為る初日に何を思ったのか、突然進路を変更し自由業・ライターへの道に歩まれたと云う。この閃き・決断力・・・は持って生まれた或る種の感性なのだろう。
 無論、現在に至る迄数々の困難を乗り越えて努力されて来られたのだろうが、何かを遣り遂げるには出発点としてのこの様な感性を持って居たからだろう。未来への洞察力・現状を観察する力・・・全てが合わさって現在の沢木耕太郎を形作って居るのだろう。今後のご活躍を陰ながら応援したい。


 
 在宅ワークに励んでいる方々・・・確りと将来の伴侶を・・・
















「補償」巡り報道に噛み突いた厚労省 お門違いの理由




 「補償」巡り報道に噛み突いた厚労省 お門違いの理由

             〜47NEWS 今野晴貴 5/6(水) 7:02配信〜


      050701.jpg

             NPO法人「POSSE」の今野晴貴代表

 〜4月12日、厚生労働省がツイッターで報道に噛み突いた。国の休業要請を巡り「補償無き休業要請」と評した記事に対して「事実では無い」6回の投稿に分けて反論を繰り広げたのだ。
 しかし、労働問題に関わる専門家からは、この投稿に疑問や批判の声が上がる。「ブラック企業」等の著書があり、労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」の今野晴貴代表に、現場から上がる悲鳴と、応え切れて居ない政策の限界に付いて解説して貰った〜


 企業には休業手当の支払い義務が有るのに 生活不安を抱える理由

 改正特別措置法の緊急事態宣言の発令から3週間以上が過ぎたが、事態は収束せず、5月末迄の延長が決まった。国からの協力依頼や要請に従って多くの企業が営業を自粛して居り、労働者は休業を余儀無くされて居る。
 労働基準法には、労働者の最低生活を保障する事を目的に、休業手当の支払義務が定められて居るにも関わらず、収入が途絶え生活に不安を抱えて居る人も少無く無い。理由は後で説明するが、現実には、これを支払わ無い企業が多い為だ。

 「補償無き休業要請」

 諸外国で実施されて居る大胆な所得保障政策と比較すると、日本に於ける対策は不十分と言わざるを得無い。「補償無き休業要請」との批判も根強い。
 処が、厚労省はこうした批判は正しく無いとする。公式ツイッターに置いて「ヤフーニュース等、インターネットニュースサイトで『補償無き休業要請』との報道が有り、外出自粛や出勤者の最低7割減は、休業補償が無いと不可能だと報じられて居ますが、正確では有りません」等と、異例の反論を展開して居る。

 貼られたレッテル 厚労省が覆(くつがえ)せぬ現実

 確かに、企業が支払う休業手当や賃金の一部を国が助成する雇用調整助成金の特例措置等、企業に依る休業補償を促進する施策が外形的には講じられて居る。
 しかし、現実には「休業手当が支払われ無い」「会社が助成金を申請して呉れ無い」と云った労働相談が相次いで居る。新型コロナウイルスに関連するPOSSE及び関連団体への相談は、3日迄に1,470件を超えた。雇用調整助成金は十分に機能して居らず、とても「補償無き休業要請」のレッテルを覆すものとは云え無い。

 「知ら無い」のでは無く「使え無い・使われ無い」

 「補償無き休業要請」と批判して居る人の多くは、雇用調整助成金等の制度を知ら無い訳では無く「制度が使われ無い」と云う内実を問題視して居る。多くの場合、制度の存在を知って要るにも拘らず、様々な事情に依り企業が申請を断念して居るのだ。

 後を絶たぬ解雇

 例えば、支給額には上限があり・・・対象労働者1人1日当たり8,330円・・・西村康稔経済再生担当相は3日、引き上げの検討を表明した。上限額を上回って休業手当を支払った場合には、企業が負担し無ければ為ら無い。又、申請には多くの書類が必要とされ、資金繰りに奔走する中小企業の経営者が準備するのは容易では無い。
 企業に依っては、法律で定められた賃金台帳等の書類を整備して居らず、申請を諦めるケースも有る。更に、申請後の審査が完了し、実際に支給される迄に相当な時間が掛かる事もネックに為って居る。

 こうした事情から、助成金を活用せずに解雇に踏み切る企業が後を絶た無い。退職勧奨を受けた労働者が、雇用調整助成金を活用して雇用を維持する事を求めても、応じ様とし無い企業が多い。
 実際、ロイヤルリムジングループが運転手約600人に解雇通告した問題では、会社側は「助成金が支給される迄の数カ月間、事業を継続する事が難しい」との判断から、助成金を申請し無かったと云う。幾ら制度を整備しても、企業が制度を活用しない限り、労働者がその恩恵を受ける事は無い。

 国は改善図るも、困惑する経営者

 最も、厚労省は、申請書類の簡素化・助成率の引き上げ・審査の迅速化等・・・特例措置を何度も拡大し、制度の改善を図って居る。只、次々に変わる制度に振り回され困惑して居る経営者は少無く無い。何故「緊急対策」を小出しにし目まグルしく変化させるのか、理解に苦しまざるを得無い。上限額が維持されて居る点等課題も残って居る。

 厚労省がQ&Aで展開する論理の限界

 休業手当の支払義務に関する基準が曖昧で有る事も、混乱に拍車を掛けて居る。厚労省のQ&Aに依れば、改正特別措置法の緊急事態宣言に基づく協力依頼や要請を受けた場合で有っても、労基法に基づく休業手当の支払義務が一律に無く為るものでは無い。だが、次の2つの要素を何れも満たす場合には、不可抗力に依る休業に該当する為、支払義務は免除されると云う・・・尚、これは飽く迄も厚生労働省の解釈の基準であり、実際の裁判に依っては覆される可能性も有る。

 @ その原因が事業の外部より発生した事故で有る事
 A 事業主が通常の経営者としての最大の注意を尽くしても尚避ける事が出来無い事故で有る事

 
 @ には、特措法に基づく協力依頼や要請を受けて休業した場合が含まれるとされる。Aでは、自宅勤務や代替業務を検討する等、休業を回避する為の具体的努力を最大限尽くして居るかがポイントに為る。

 例えば、対人サービス業等、他の形での労務提供が困難な仕事の場合、休業要請を受けて居れば休業手当の支払義務が無く為るものと考えられる。実際、その様な発想で休業手当を支払わ無いと云う相談は多い。「支払い義務が無いのに、助成金を活用して休業手当を支払え」と云う論理にはどう考えても限界が有る。

 殺到して居る相談

 仮に休業手当の支払義務が無いとすれば、敢えて助成金を申請し・一部を負担して迄・休業手当を支払う・・・そんな企業がどれだけ有るだろうか。この厚労省のQ&Aを基に「我が社にはソモソモ支払いの義務が無い」と考える企業は多数在る筈だ。労働相談の現場で「会社が手当てを払って呉れ無い」「雇用調整助成金を利用して呉れ無い」と云う相談が殺到して居るのも頷けると云うものだ。
 大きな視点で見れば、この実態は、企業に助成を行う事を通じて労働者の生活を支え様とする「企業を介した政策」の限界とも云える。コレでも、厚労省は「補償無き休業要請」では無いと云えるのか。

 無く為る事の無い排除

 ソモソモ、日本の雇用・福祉政策は企業を介して給付するケースが多く、企業内の非正規雇用差別がそのママ福祉制度に迄及ぶ構造を持って来た。企業依存の政策が続く限り、非正規労働者等、ソコから排除される存在が無く為る事は無い。実際に、今回も「非正規だけ助成金を使わずに全員解雇」と云った相談が複数寄せられて居る。

 絶え無い批判の根本

 本来、この様な非常時の休業補償は、企業に依ってでは無く、国家の責任に依って担われるべきだ。それを回避し続けて居る事コソが、絶え無い批判の根本に有るのではないか。
 但し、現状では、労働者が休業補償を得る為には、雇用調整助成金を何とか企業に利用させる他に手立てが無い。そこで役立つのが労働組合だ。会社外の労働組合でも一人で加入すれば法律上の「団体交渉権」が成立し、会社は団体交渉に応じざるを得無く為る。

 例えば「飲食店ユニオン」では、都内の会社で営業自粛を理由に解雇通告が有ったものの、団体交渉の末、助成金の利用に転換して居る。又、総合サポートユニオンも、都内の小売店で解雇の撤回と助成金利用を実現して居る。同じ様に、既に全国の複数の労働組合で、団体交渉で助成金の利用を決定させたと云う事例が出て来て居る。
 交渉に依って、助成金の利用を要求して行く事が、国の制度を機能させる条件に為って居るのだ・・・POSSEでは、随時コロナ関連の無料労働相談を受け付けて居る

 政府に「現場」からの政策提言を行う為、生活困窮者の支援を行う市民団体を作り、筆者も共同代表を務める「生存の為のコロナ対策ネットワーク」では、労働者側から休業補償を請求する仕組みや、休業労働者に対する失業給付の支給を提言して居る他、相談会を実施して居る。国には、こうした現場の声を踏まえ、生活保障の仕組みを一刻も早く見直して欲しい。


              050702.jpg

 今野晴貴 NPO法人POSSE代表 宮城県仙台市出身 仙台第二高等学校卒業 労働法を専攻して居た中央大学法学部の学生時代にNPO法人「POSSE」を立ち上げた 一橋大学大学院社会学研究科に進学後 労働問題の研究の傍ら、若者からの労働相談に関わり続けている
 労働相談の経験と労働政策研究の知見から、2008年から雑誌『POSSE』を発行して居る他 多数の著書を世に出して居る。又、経済雑誌、労務・人事雑誌等に多数論考を寄稿して居るほか、行政・大学・弁護士会・労働組合等で頻繁に講演活動を行って居る
 2013年には、公明党の国会議員団への講演・民主党の幹事長との対談等を通して各政党関係者に対しブラック企業問題に付いて告知 又厚生労働事務次官から勉強会の依頼を受ける等 日本国政府のブラック企業対策の実現に貢献した
 2013年9月からは「ブラック企業対策プロジェクト」の共同代表にも就任し 現在もブラック企業問題に精力的に取り組んで居る 2013年6月 著書である 『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』の記述に関しユニクロを運営するファーストリテイリングから、法的措置を窺わせる「警告状」が出された 2013年12月には「ブラック企業」が新語・流行語大賞の「2013トップテン」に選ばれ、授賞式でブラック企業に付いて「社会問題だ」と述べた 又同年同月20日には、同書で第13回大佛次郎論壇賞を受賞・・・ウィキより





















2020年05月06日

「大量に建造された潜水艦」3選  WW2期から現代迄3選  WW2期から現代迄



    「大量に建造された潜水艦」3選WW2期から現代迄
 
 最多建造はやっぱりドイツ製


            〜乗りものニュース 5/6(水) 18:23配信〜


      050620.jpg

 1941年にイギリス海軍が拿捕した「Uボート」VII C型潜水艦のU-570(画像 帝国戦争博物館 IWM)

 史上最多の量産数を誇る潜水艦 

 21世紀の現代、安全保障に置いて潜水艦は無視出来無い存在に為って居ます。日本も海上自衛隊の潜水艦戦力を拡充しようとして居る最中で、2020年4月現在、練習潜水艦を除くと20隻を運用して居ます。
 過去には、単一の艦型で3ケタの建造数を誇る潜水艦が各国に有りました。世界に目を向けた際、どれだけ潜水艦が建造されて居たのか「史上最多」「第2次世界大戦後最多」「原子力潜水艦最多」の3項目で見て行きます。

 史上最も多く建造された潜水艦は、第2次世界大戦中のドイツ海軍に在ります。ドイツの潜水艦は「Uボート」の名称で比較的有名ですが、その中でも中心を担ったのがVII C型潜水艦でした。VII C型は、改良型のVII C41型と合わせて1940(昭和15)年から1945(昭和20)年迄の5年間で665隻が建造されました。この数は潜水艦として最多だけで無く、戦艦や空母等の水上艦を含めた軍艦全体で見ても史上最多です。
 VII C型は、潜水艦としては小振りで、浮上時の水上排水量は761トン・潜航時の水中排水量でも865トンです。同時期の日本やアメリカ等の潜水艦が水上排水量で1,000トン以上、水中排水量だと2,000トンを越えて居たのと比べると差は大きく、艦形が小さい分乗員数も約40名と、日本やアメリカの潜水艦乗員数と比べて3分の2から半分程度でした。

 ドイツは大量建造を可能にする為、工場で予め組み立てて置いて、造船所ではそれを繋ぎ合わせる形で工期を短縮するブロック構造を大々的に取り入れ、部品の共通化も進めました。この様な建造方法に依り短期間で数を揃え、北大西洋にてイギリスやアメリカの艦船に対し猛威を振るったのです。損失も多く、建造された665隻の内510隻が戦没し、終戦時には戦勝国への引き渡しを拒否して60隻弱が自沈して居ます。

       050621.jpg
 
  1964年アメリカ海軍の哨戒ヘリの監視の下航行する旧ソ連の613型潜水艦(画像 アメリカ海軍)

 中国も生産した第2次世界大戦後の最多潜水艦

 第2次世界大戦中は各国共潜水艦を大量に建造しました。では大戦後から21世紀の現代に限定した場合はと云うと、最も多く作られたのは旧ソ連の613型潜水艦です。所謂NATOコードは「ウィスキー級」で、日本では此方の方が通りは好いかも知れません。
 1951(昭和26)年から1958(昭和33)年迄の7年間で215隻就役した他、中国が旧ソ連から技術移転と部品供給を受けて21隻を国内建造して居り、合わせて236隻が建造されました。

 613型は、ディーゼルエンジンと電気バッテリーで航行する通常動力型の潜水艦で、長期航海を余り想定し無い沿岸警備用の潜水艦です。設計に際して、ドイツが第2次世界大戦後期に建造したXXI型潜水艦の技術を基に、独自の改良を施して居ます。大きさは浮上時の水上排水量で約1,100トン、潜航時の水中排水量で約1,350トンと、同時期のアメリカやイギリスの潜水艦よりも小振りです。
 建造技術の未熟さから水中での雑音が多かったそうで、後継艦が次々と建造されて行く中、ソ連本国では1980年代後半には全て退役して居ます。大量建造された為、冷戦中には前述の中国以外にも、旧ソ連の友好国で有ったアルバニアやエジプト、インドネシア、ポーランド、北朝鮮等に輸出されましたが、それ等の国々でも旧式化した為、2020年4月現在、殆ど退役して居ます。

 20年間建造が続いた 世界最多の原子力潜水艦

 第2次世界大戦後、潜水艦の性能向上に大きな影響を与えた要因の一つが原子力潜水艦の登場です。原子力潜水艦の保有は、その国の海軍力を計る一つの指標にも為って居ます。そうした原子力潜水艦の中で、2020年4月時点に置いて、世界で最も多く建造されたのがアメリカのロサンゼルス級です。

       050622.jpg

 ロサンゼルス級原子力潜水艦は、1976(昭和51)年から1996(平成8)年迄の20年間で62隻就役して居り、2020年4月現在も半数の約30隻が現役運用されて居ます。
 20年もの間建造が続いた為、同級の初期型と後期型では性能だけで無く舵の位置等も異なります。全長は約110m、搭載する原子炉は殆ど変わって居ませんが、排水量は初期型が水上排水量約6,080トン、水中排水量約6,930トンなのに対し、後期型は水上排水量約6,330トン、水中排水量約7,180トンと、250トン程度増えて居ます。

 この排水量の増加は船体全体の4%程度に当たる為、その文浮上速度や水中での機動性等に影響が出て居ると考えられます。
 尚、ロサンゼルス級原子力潜水艦は、敵の潜水艦や水上戦闘艦等を攻撃するのを主目的にした、所謂攻撃型原子力潜水艦です。依って、敵国の政治経済の中枢を直接弾道ミサイルで攻撃する為の・・・所謂戦略ミサイル原子力潜水艦・弾道ミサイル原子力潜水艦では無い為、弾道ミサイルは搭載して居ません。
 21世紀に入ってから、後継と為るバージニア級原子力潜水艦の建造が進められて居ます。バージニア級は66隻の建造が計画されて居ますが、2020年4月現在で就役数は19隻に留まって居る為、未だ暫くの間、ロサンゼルス級は現役で使われ続ける見込みです。


        050623.jpg バージニア級潜水艦
 
          柘植優介 乗りものライター    以上



 お子様やお孫様の在宅学習のお手伝い













中国にユダヤ共同体?「開封ユダヤ人」にハマった若きミステリーハンター




 中国にユダヤ共同体?「開封ユダヤ人」に

 ハマった若きミステリーハンター


         〜クーリエ・ジャポン Etan Smallman 5/6(水) 18:00配信〜


        050610.jpg

 清朝の開封ユダヤ人 辮髪等各時代の慣習を取り入れ、中国社会に同化しながら生き残って行った Photo Courtesy of Nicholas Zhang

 〜ユダヤ人が「ディアスポラ・離散」共同体を世界各地に築いて来た事は、世界史の授業で習った、様な・・・だが、中国にもユダヤ共同体が7世紀から有る事は、世界のユダヤ人達の間ですらホボ知られて居ない。
 「開封・かいほうのユダヤ人」と呼ばれるこの共同体に魅了され、その歴史を世界に発信する「非ユダヤ系」で香港出身、英国在住のティーンエイジャーが居る。何者なのか? そして何故? 謎が謎を呼ぶストーリーに、香港メディア「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が迫る〜


         050611.jpg

    開封ユダヤ人の歴史を世界に伝えるニコラス・チョウ氏 Photo from Chinesejews.com

 南、或いは西からの意外な大使

 ここのユダヤ人達にはラビ(師)が居らず、シナゴーグ(会堂)も無い。最後のラビが亡く為ったのは150年以上も前だ。シナゴーグも同じ頃に洪水で破壊されて以来残って居ない。このユダヤ人共同体は、中国河南省開封市に在る。
 北宋(960〜1127年)の首都だった河南省東部の中心都市だ。共同体の人口は減り続け、現在は1000人程、現役のユダヤ教徒は100人しか居ない。世界のユダヤ教徒の間では、殆ど知られて居ない。事実、開封市民の大半に取ってさえ、この共同体は謎めいた存在だ。

  「青い帽子を被ったイスラム教徒」と思って居る開封市民も居る。帽子とはユダヤ人が頭に被る「キッパ」の事だ。色は必ずしも宗教とは関係無いが、開封では彼等の特徴に為って居る。「腱(けん)を抜く人々」と思って居る市民も居る。これは食肉から坐骨神経を抜くユダヤ教の戒律が由来だろう。
 自前で建てた質素な博物館は在るものの、観光コースからは遠い。観光客は月に1人来れば多い方だ。だが近年、開封ユダヤ人の歴史を保存しようと云う意外な大使が現れた。イギリスの寄宿学校で学ぶ香港出身のティーンエイジャーだ。

 ニコラス・チョウ(18)に、ユダヤ人の先祖は居ない。香港大学の近くで、銀行員の両親の元育った。香港に在るシンガポール・インターナショナルスクール在学中は、中国のユダヤ人の事は何も知ら無かった。5年前、イギリスに来てから「その歴史に時めいてしまった」と云う。
 「香港では余り人文学は重視されません。2つの世界大戦に付いて学んだのもイギリスに来てからです。ホロコーストが、ユダヤ人とユダヤ教の歴史を学ぶ切っ掛けでした。それから、中国のユダヤ教に関心を持ったんです」
 ユダヤ人共同体が開封市に在る事は、夜ネットを眺めて要る時に見付けた。記事を次から次へと読む内に「ハマってしまった」と回想する。やがて「ニューヨーク・タイムズ」サイト上の記事へ辿り着く。 「それは或る古いユダヤ共同体に付いての記事でした」

 同化に依って中国社会に溶け込んだユダヤ人

 開封にユダヤ人が入植したのは、7世紀に遡ると考えられて居る。ペルシャ商人としてシルクロードを経て黄河を渡ったユダヤ人が、大いに栄えて居たこの都市に着いたのが最初だ。ユダヤ人が居た事を証明する最古の文書は、718年にヘブライ文字で書かれたペルシャ語の商用文だ。1605年には、此処にユダヤ人が住んで居る事に衝撃を受けたイエズス会宣教師がバチカンに報告して居る。
 開封ユダヤ人は何世紀にも渉って、代々皇帝からの贈り物を誇らしく飾って居た事から、迫害は受け無かったと見られて居る。纏足(てんそく)や側室と云った中国の慣習と、割礼や豚肉忌避・安息日等のユダヤ教の規範をブレンドする事に成功したのだ。

        050612.jpg

  融合は大い為る成功だった。19世紀半ばには、漢族との婚姻が何代も続き、ユダヤ名も中国化しユダヤ人で有る事が判別出来無い程に為った。エルサレムに向けて建てられたシナゴーグが洪水で倒壊した後は、ヘブライ語原典を読める者が誰も居なかった為、保存して居たトーラー(律法)の巻物は世界中の博物館に送られて行った。倒壊したシナゴーグの材木は、1850年前後に地元のモスクに売られ、跡地は1953年に病院が建つ迄ゴミ捨て場だった。

      050613.jpg

         050614.jpg

「開封ユダヤ人歴史博物館」に展示された開封シナゴーグの絵の前に立つニコラス・チョウ Photo Courtesy of Nicholas Zhang

 ユダヤと儒教の伝統に適応

 16歳のチョウは、ニューヨーク・タイムズを読んでから5ヵ月もしない2017年冬、香港から列車で12時間掛けて開封市を訪れた。彼は事前に、エステルと云うヘブライ名を持つクオ・ヤンとWeChatで連絡を取って居た。ヤンは、自身の祖先の物語を伝える為に自宅に「開封ユダヤ人歴史博物館」を創設し、キュレーターも務めて居る。
 博物館だけでは無い。開封市の「啓典を教える民の道」と呼ばれる通りも、僅かに残るユダヤ人共同体の痕跡だ。チョウはヤンに案内されながら、1週間を開封で過ごした。

  「びっくりでした」とチョウは言う。「ヤンさんの家は、中国とヘブライに関する工芸品や絵画で溢れて居た。外見からヘブライ文化を見て執る事は出来ません。アジアの寺みたいなシナゴーグを描いた巨大な絵画は感動でした。正統派ユダヤ教徒とは言え無い彼等が、長い間、共同体のユダヤ性を保持して来たのは素晴らしい事だと思います」とチョウは言う。
 開封ユダヤ人の系譜がユダヤに連なる事はDNA検査で確かめられて居る。だが父系社会だった為、母系を採用する正統派ユダヤ教の戒律ではユダヤ人とは見做され無い。それでも、集団的な歴史に対する高い意識・祖先への尊敬は、ユダヤ・儒教何れの伝統にも旨く適応するものだった。

 「開封ユダヤ人」を世界に知らしめるティーンエイジャー達

 チョウはイギリスの学校に戻ると、開封ユダヤ人の遺産を伝える為「Chinese Jews」と云うサイトを立ち上げた。アイコンは、青いダビデの星の中央に赤い「中」の漢字をアシラッタデザインだ。「青から赤へのグラデーションは『中国のユダヤ人』と云うアイデンティティは分断出来無い事を表して居ます。彼等は中国人でもユダヤ人でも無く、両方です」とチョウは言う。

 チョウは、自分が通うセントクレアズ・オックスフォード校の同級生に、親善大使に為ら無いかと呼び掛けた。中国、ドイツ、ギリシャ、イスラエル、イタリア、日本、オランダ、フィリピン、ロシアの若者達が集まり、母国語で開封ユダヤ人の歴史を書きネットで広めて居る。
 チョウはイスラエルのオンラインメディア「タイムズ・オブ・イスラエル」のブログに連載して来たが、2019年にそれが纏まって『中国のユダヤ人──苦闘の歴史』(未邦訳)と云う本に為った。その中でチョウは、中国へのユダヤ人移民の4つの波を検証して居る。

  最初は開封入
  第2波は第一次アヘン戦争後に バグダードのユダヤ人が上海に移動した時期
  第3波は ロシアのユダヤ人が生活の安定を求めてハルビンに移動し 中国北東部の天然資源を欧州に売って繁栄した時期
  第4波は ナチスから逃れたドイツとオーストリアのユダヤ人が保護を求めて上海を訪れた時期だ


 「オックスフォード・ヘブライ・ユダヤ研究センター」の助けを得て書かれたこの本は、アメリカのペンシルバニア大学教授に支持された他、世界最古のホロコースト・アーカイブを持つロンドンのウィーナー図書館に所蔵され、ウィキペディアの「開封市のユダヤ人」ページの参考図書にも挙げられて居る。
 チョウは、当惑の眼差しを向けられる事もあるが「ニッチな分野なので」とユーモアで返して居る。学校で、揶揄(からか)われる事も有る。「オタクっポイですからね」とチョウは言う。

 ユダヤ人に助けられた母方の家族史

 チョウはクリスチャンホーム出身だが、彼の家系に重要な役割を果たしたユダヤ人が居ると云う。上海に住んで居たチョウの曾祖母チェン・メイユエは1949年に香港を訪れた。だが共産党革命が起こり、上海に戻れ無く為ったチェンは以後、30年に渉る異郷生活を送る事に為る。
 チェンは香港からアメリカに渡った。だが英語も話せず無一文で在留資格も無かった為、数年間は役人を避けながら暮らした。やがてチェンは「ボルシチ・ベルト」と呼ばれる、ニューヨーク州北部のキャッツキル山地に落ち着く。

 チェンは「コンコルド・リゾートホテル」のメイドとして働ける事に為った。そのホテルのオーナーは、ロバート・パーカーと云うユダヤ人だった。
 パーカーはチェンが市民権を得る為の引受人に為って呉れた。中国が西洋と外交関係を再開させると、パーカーはチェンの子供5人とその配偶者・孫10人の身元保証人と為り、ホテル内にあるコーシャ・レストランや家政婦の職を彼等に提供した。その1人がチョウの母親のリリーだった。「1家族が、20人もの中国人移民の保証人に為る何て革命的ですよね」とチョウは言う。

 「僕は中国の正月が来ると、正月の香料を燃やす母の横で話を聞き、ハヌカが来るとキャンドルを灯しました」過越し祭では、母が小さい時に覚えたヘブライ式の挨拶や料理を子供達に伝えたと云う。「ユダヤ人だと思われる事も有ります」とチョウは言う。「改宗する積りは?」と聞くと、チョウはこう答えた。
 「聞かれた事が無いので判りません。ユダヤ教はトテモ素晴らしいと思います。僕は全然ユダヤ人では無いんですが、共同体の一員の様な気はします。それが続けられたらと思って居ます」

        050616.jpg

 開封の旧ユダヤ人街「南教経胡同」の看板とイスラエルの国旗。開封ユダヤ人歴史博物館にて Photo Courtesy of Nicholas Zhang

 習近平体制の下で強まる監視

 しかし近年、開封ユダヤ人の歴史を広める活動には、或る困難が生じて居る。ユダヤ教は、中国政府に認められた5大宗教(仏教、道教、カトリック、プロテスタント、イスラム)では無いのだ。イスラエルの「エルサレム・ポスト」紙に依ると、2年前から開封ユダヤ人社会への監視が強化された。
 ユダヤ地域センターに家宅捜索が入り、金属製のダビデの星が砕かれ、壁に掛けて在ったヘブライ語文書が床に落とされ、ミクヴェ(身を清める沐浴場)として使われて居る井戸に、泥や石を投げ込まれたと伝えられる。

 「外国人による開封ユダヤ人の支援計画は即時中止に為った」と同紙は報じて居る。「シャーヴェイ・イスラエル」も中国での活動が停止された団体だ。彼等の活動は世界に散らばる「失われた」ユダヤ人を探し出し、ユダヤ教に改宗させイスラエルに移民させる事だ。
 ウェブサイトに依ると、ホロコースト後のポーランドの隠れユダヤ人や、ペルーの「インカのユダヤ人」等と共に、開封ユダヤ人も支援する8つの内の1つに挙げられて居る。「シャーヴェイ・イスラエル」は、開封ユダヤ人20人のアリヤ(イスラエルへの帰還)を手助けしたが、2014年、警察がその地域センターを閉鎖した。
 アメリカを拠点とする「中国ユダヤ研究所」も2015年、開封市から撤退を余儀無くされた。開封市の観光と中国でのユダヤ研究を推進する団体だ。抑圧はこれに留まらず、ユダヤ人は自宅以外で集会する事が禁止された。

 「聖地と中国の交差点に在る、長く忘れられた文明」

 中国では反ユダヤ主義は殆ど知られて居ない為、反ユダヤ主義とは関係の無い抑圧だと云うのが大方の見方だ。中国が、無許可の宗教活動や集団礼拝を警戒し、外国人との交流に危機感を持って居るからだとされて居る。

       050615.jpg

 中国ユダヤ研究所のアンソン・レイトナー所長は言う。

 「私達が開封市で活動を始めた頃は、規制は今より緩かったのですが、習近平国家主席の宗教政策が固まるに連れ、開封ユダヤ人の家系は無認可の宗教を実践して居るとされました。
 シャーヴェイ・イスラエルの学校は閉鎖され、私達のアメリカ系中国人のユダヤ人教師は追放、博物館の展示は閉鎖、歴史を記したプレートは外されました。開封ユダヤ人の何人かとは連絡が取れて居ます。苦難の時代を乗り切ろうと励まして居ます。理想かも知れませんが、中国政府が私達の歴史的な共同体を認め、その長い歴史を祝福し、中国ユダヤ文化の活動や学びを許可する事を望みます」


 一方、チョウは政治に関心が無い事を強調する。「2つの古代文明の見事な共存」や、その苦難の歴史とサバイバル・ストーリーに魅せられただけだと言う。「聖地(パレスチナ)と中国の交差点に在る、長く忘れられた文明」の歴史を研究し、その魅力を広める事が「こだわり」だそうだ。


              Etan Smallman   以上

















「この国にもう余力は無い」 賃金8割支給がイギリスに出来て、日本に出来無い理由




 「この国にもう余力は無い」 

 賃金8割支給がイギリスに出来て 日本に出来無い理由


           〜〈AERA〉AERA dot. 5/6(水) 9:00配信〜

 〜新型コロナウイルス対策に於ける政府の対応で疑問視される、補償の財源問題。我々には何が出来るのか。日本に未来は有るのか。AERA 2020年5月4日〜11日号では、経済学者の水野和夫さん、弁護士の明石順平さんの夫々の分析を紹介する〜

             050703.jpg

 寛容の精神で企業の内部留保を休業補償の財源に 水野和夫さん(67)経済学者

 未だに政府は、人命よりも経済重しと考えて居る。そう感じます。営業自粛を要請しながら休業補償しないのは、感染する以前に死んで下さいと言って居る様なものです。補償の為の財源は、企業の内部留保金で対処出来ます。
 財務省の法人企業統計によると、国内企業の内部留保金は約460兆円。その内、本来は従業員が受け取る筈の、労働生産性の上昇に応じて支払われるべき賃金分等「過剰」に蓄積したものが、約130兆円有ります。内、直ぐに現金に出来る資産である現金・預金、短期有価証券等が約70兆円・・・これを取り崩して使うんです。

 本来なら各社の従業員に還元すべきものですが、今は日本の危機ですから「日本株式会社の内部留保金」として国内の全雇用者6千万人に分ける。1人当たり約100万円・足り無ければ、第2弾として残りの60兆円も用意して置けば好い。
 企業経営者は「マサかの時に」と内部留保金を積み上げて来ました。今の日本の状況は「マサかの時」に該当しないのか。政府が頼り無い今こそ「財界総理」として経団連が先ず呼び掛けるべきです。

 その時に大切なのは、中世の思想家エラスムスが唱えた「寛容」の精神です。近代社会は「合理性」を重んじ、経済成長でアラユル問題を解決する時代でした。限られた土地・エネルギー・人間と云う中で成長する必要があり「一文たりとも無駄にしない、払わないぞ」と云う悪しき合理性基準が出て来た。
 しかしこれからは「此処はビタ一文払わ無い何て合理性を言わず、寛容主義で全員助け合おう」と云う、資本家に一番欠けて居る「寛容主義」の精神が必要と為って来ます。

 合理性基準が有る限り、人間も企業も「より速くより遠く」を行動原理とせざるを得ません。今は異常なグローバル化、詰り異常な合理化が進んで居ます。過剰なグローバル化を辞め、例えばEU程の小さい単位で、経済だけでも纏まるのが理想だと考えます。
 長い年月は掛かりますが、これを機に合理性社会を終わらせる。大きな発想の転換も求められるのではないでしょうか。

            050704.png

 史上最悪の事態も日本に取っては入り口に過ぎ無い 明石順平さん(35)弁護士

  一律10万円給付だけではトテモ足り無い・・只、配る余力は本当は国には有りません。元々、日本の財政は危機的でした。集中治療室に入って居たら、その中で別の病気に罹っちゃった・・・みたいな。財政再建と云うより「財政延命」して居たに過ぎません。

 一つ例を挙げるなら、アベノミクス以降、借換債(国債の借り換えの為に発行されるもの)も含めた国債の総発行額は年間150兆円程。内5〜7割程を実は日銀が民間銀行等を通じて買い入れるインチキをして居る。
 日銀が手を引けば国債が暴落し金利が急騰し、国の資金繰りが着か無く為る・・・詰り出口が有りません。この状態で財政支出を極端に増やすと、財政への信用を失う恐れがある。財政と通貨の信用は表裏一体ですから、何時為替相場で円が暴落しても可笑しく有りません。

 10万円給付しても、キッと「足り無いからもっと配れ」と為ります。しかし、給付は財政への信用を低下させ、円安インフレの要因に為り得る。給付を繰り返すとインフレスパイラルに嵌る可能性も有ります。
 賃金の8割を支給する・・・イギリス等には出来て何故日本に出来無いのか。政府総債務残高の対GDP比がその明白な理由です。多くの国は100%未満ですが、日本は約240%で世界ダントツ1位。財政の持続可能性が異次元に悪いですから。

 新型コロナによる経済への影響は「人類の歴史上、最悪の事態」です。この後世界的に金融危機も国家債務危機も起きる。でも未だ始まりに過ぎません。日本では通貨崩壊と食料危機の発生も有り得る。真っ暗ですね、私の見通しは。でも、キット現実はモッと暗い。
 今「ウケる」のは安心に訴える話。皆それに飛び付いちゃう。でも私はウソは着けません。間違った明るい希望を持つよりも、歴史上最悪で有る事を確りと自覚する。今は一筋の光さえ見えませんが、先ずはその認識からです。


 構成 編集部・小長光哲郎 ※AERA 2020年5月4日号〜11日号

                 以上



 【管理人】どうもお二方のお話は、建設的な意見では無く余りにも近視眼的な・・・オチの無い結論に為って仕舞いました。国家財政と企業・家計の財政を同一視するとこの様な悲観論に陥ってしまいます。もう一度山本太郎氏の国家財政に対する考えを参考にしてください。だからアメリカやイギリス・ドイツ等が日本よりは増しな「生活保障政策」を打ち出して居るのです。


 山本太郎のコロナ対策 動画

















危機の時代を生きる【地方紙・専門紙から気に為る記事】




  【地方紙・専門紙から気に為る記事】

  ジェレミー・シフマン教授 危機の時代を生きる

           〜某専門紙 5月6日 1面・2面 より〜

 〜米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、新型コロなウイルスの感染者数は全世界で360万人・死者は25万人を超えました。(5月5日時点)WHO・世界保健機関は、中南米アフリカでの感染拡大が懸念され、パンデミック・世界的大流行は「終息には程遠い」として居ます。感染者数が世界人口の25〜30%に上ったとされるスペイン風邪の流行以来、100年に一度の危機に国際社会は如何に立ち向かうべきか・・・同大学のジェレミー・シフマン教授にインタビューしました 聞き手 樹下智記者〜

   050601.jpg

 Jeremy Shiffman 1999年 ミシガン大学で博士号を取得 途上国の保険政策・国際保健ネットワークを研究 アメリカン大学教授を経て2018年 公衆衛生の分野で全米トップを誇るジョンズ・ホプキンス大学「ブルムバーグ公衆衛生大学院」に特別教授として迎え入れられた 同大学・高等国際問題研究大学院の教授も兼任する

 ・・・米国では感染者数が118万人以上・死者は約6万9000人以上となり、共に世界最多です。

 私は疫学者ではありませんから、政治学者として所感を述べると、米国の感染拡大が深刻に為った要因の一つは、政策担当者が感染症の専門家の意見を軽視した事だったのではないかと考えます。勿論全員では有りません。私が住むメリーランド州の州知事は、専門家の意見に基づいて政策を決定して居ます。一方、政治的圧力に反応し、専門家の指摘を採用しない州知事が居る事も確かです。
 今回のコロナ危機に際し、専門家で無い多くの人々がメディアに露出し、感染症との闘いに付いて「ああすべきだ・こうすべきだ」と騒ぎ立てて居ます。トランプ大統領が新型コロナウイルスの感染者への治療法として「消毒薬の注射」を挙げ、問い合わせが殺到し、実際に洗浄剤を誤用する人が居る状況はその最悪の例です。
 必要なのは、国立アレルギー感染研究所のアンソニー・ファウチ所長の様な、科学的根拠を元に本当に何を為すべきかを提案出来る第一人者の声を、全ての人が聞ける機会を作る事です。

 ・・・教授は一方、専門家も科学的根拠を示すだけではいけないと指摘されて居ます。

 これ迄途上国の医療体制の充実の為に、専門医による政策担当者への働き掛けを支援して来ました。多くの専門家は、科学的根拠やデータを示せば十分だとする傾向が有ります。もし人々が耳を傾け無ければ、それはこの人達の責任で有ると考えてしまうのです。
 しかし社会科学の研究が示すのは、証拠やデータは絶対に必要ですが、政策担当者や人々の行動を変えるには不十分で有ると云う事です。人々がどの様に現状を捉えどの様な悩みを抱えて居るのか。その心に寄り添う努力が無ければ、根拠やデータも行動変革には繋がりません。
 ですから、専門家だけでは無く、正確な情報を、人々の心に届く形で伝える役割を担う人達も重要です。
日本では、専門家の意見を尊重する傾向が強い。それは感染症との戦いでは必要な事です。日本の皆さんには、米国社会の苦しみを経験して欲しく無いと切に願います。

 ・・・教授はジョンズ・ホプキンス大学のウェブセミナー「新型コロナウイルス感染症との闘い・・・東アジアからの政策的教訓」で「危機と怠慢の連鎖」を終わらせる重要性を主張されました。

 2003年の重症急性呼吸器諸侯群・SARS、2009年の新型インフルエンザ・・・そして今回の新型コロナウイルスの世界的流行へと続く・・・国際社会の対応の経過を観察すると、流行が終わって危機感が薄れ、次の危機への準備を怠り、又危機を迎える「連鎖」が見られます。危機が終息した時コソ「次の危機」の準備をすべきです。
 SARSを経験した台湾や香港は、その危機を真剣に捉え今回の新型コロナウイルス対策の準備が出来て居ました。2015年に中東呼吸器症候群・MERSを経験した韓国もそうです。米国とは初動の対応が違いました。東アジアの多くの国々や地域は、他より、政府も社会も、新型コロナウイルスに上手く対応出来て居る様に見えます。
 この「危機と怠慢の連鎖」に終止符を打つには、国内の国民意識と制度改革のみ為らず、多国間の協調と国際的な保健機関の強化が必要に為ります。情報の透明性や科学的根拠に基づいた対策の検証は不可欠ですが、特定の国や団体又は人物を「スケープゴート・生贄」として批判するだけで、協調体制を後退させては逆効果です。

 途上国での感染抑止と医療支援を

 ・・・今後、途上国に於ける新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されて居ます。

 先進国であれ途上国であれ、全ての人の生命は平等に価値があります。「ソーシャルディスタンス・社会的隔離」の政策は必要不可欠ですが人に依って影響が違う。米国は貧富の格差が大きく、多くの人が経済的損出を被って大変な事に為って居ますが、耐えられる人も居ます。
 途上国では、新型コロナウイルスの感染拡大で深刻な貧困に直面し、感染症よりも飢餓で亡く為る可能性が高まって居ます。今回のコロナ危機で陰に隠れて居ますが、世界では今この瞬間も、マラリアやエイズで亡く為る人が大勢居ます。麻疹・はしかのワクチンが接種出来無くて助から無い子供達、医療体制が脆弱な為亡く為って仕舞う妊産婦が沢山居るのです。
 コロナ危機の影響で、こうした途上国の人々命を救う、国際医療体制の能力が低下して居る事を忘れ無いで欲しい。だからコソ、自分達の命を守る為にも、コロナ危機の一日も早い終息の為に、国際社会は協力しなければ為りません。
 WHOへの支援も含め、日本にはその主導的な役割を担って貰いたい。今自分自身を大切な家族と友人を新型コロナウイルス感染症から守る闘いは、救える筈の世界中の人々の命をも救う事に繋がると信じて欲しいのです。


 ご感想をお寄せください・・・kansou@seikyo-nn.jp fax 03-5360-9613


















2020年05月05日

《異例の安倍批判? 只の嫌中?》コロナショックで「保守界隈」は分裂したのか?




 《異例の安倍批判? 只の嫌中?》

 コロナショックで 「保守界隈」は分裂したのか?


          〜文春オンライン 古谷経衡 5/5(火) 18:00配信〜

 〜今次コロナ禍では、社会のアラユル階層を巻き込んだ大きな悪影響が大波の如く押し寄せて居るのは自明である。にも関わらず迷走するかに見える政府の対応に、これ迄安倍首相を熱心に応援し続けて来た保守界隈にはイヨイヨ動揺が観られる様に為って居る。彼等は、遂に安倍全面批判に走るのだろうか?〜

         050510.jpg

                古谷経衡氏 コピーライトマーク文藝春秋

 「アホの集まりか」口火を切った百田氏の政権批判

 今年1月に入って、中国湖北省発の新型コロナウイルスが猛威を振るい出すと、保守界隈の一部から早期の中国人入国禁止を求める声が上がった。「兎に角中国人を締め出せ。何故中国人を入国させるのか。そこ迄経済優先なのか」と声高に主張し、その先鋒に居た象徴的存在が、今や保守界隈の「重鎮」と為った作家の百田尚樹氏である。
 アメリカ政府は1月31日に厚生省のアザー長官がホワイトハウスの記者会見で公衆衛生上の緊急事態を宣言。武漢の在る中国湖北省に滞在した自国民の隔離措置、並びに過去2週間に中国に滞在した外国人の入国拒否等の措置を矢継ぎ早に執った。

 百田氏はこの段に為っても思い切った「対中隔離策」を採ら無い日本政府と安倍首相に付いて〈安倍総理には危機管理能力が欠如して居るのが明らかに為った・・・1月30日Twitter投稿〉と猛批判を繰り返したのである。その後、感染が拡大しアベノマスクと海外からも呆れられた布マスク2枚配布が決まった際には、再び百田氏から、

〈一つの家庭に2枚の布マスク?なんやねん、それ。大臣が勢揃いして決めたのがそれかい!アホの集まりか。全世帯に郵便で2枚のマスクを配るって・・・そんなことより、緊急事態宣言とか、消費税ゼロとか、金を配るとか、パチンコ店禁止とか、エイヤッ!とやることあるやろ・・・4月1日Twitter投稿〉

 と云う声が上がる等、これ迄強力な安倍首相支持を続けて居た保守界隈からの政権批判は、その後も大きく取り上げられるに至った。今では、コロナ禍で保守界隈の風向きも変わったのでは無いかと云う指摘迄出て居るのである。

 保守界隈の批判の原動力は・・・

 一方で、新型コロナウイルスの感染拡大と云う世界的な危機に対しても、日本の保守界隈ではお馴染みの光景が繰り広げられて居る。そのひとつが「反中・嫌中」と云う「隣国嫌悪」である。
 思えば、前述した通り早期に中国からの旅行者や帰国者の入国制限措置を講じたアメリカの感染者数は、世界で最も多い約114万8000人・死者6万6700人(5/4日現在)を記録した。航空機全盛でヒト・モノが広範囲に一瞬で移動するグローバル社会では、仮に早い段階で当該地域からの入国者を謝絶しても、瞬く間に潜伏期間に有る人々が接触者にウイルスを感染させる。

 その意味で、今次新型コロナウイルスはその発生地コソ中国湖北省武漢市で在るが、結果だけ見れば中国だけに拘って警戒するのでは、水際対策として不十分で在ったと言わざるを得無い。確かに事実上の島嶼国家で在る台湾等ではそう云った措置が奏功した例も在る。が、それは国のサイズが小さいからコソ著効した対策で、アラユル方面から人々が流入して来る大陸国家や大国では余り意味を為さ無かった。
 我々は、世界中からの瞬間的な人の移動と感染を考慮し無ければ為ら無い、と云う21世紀社会の難問に直面して居たのである。にも関わらず、保守界隈は殊更に中国が全て悪玉であると「戦犯」狩りを続け責任を追及した。
 彼等が先の大戦を「太平洋戦争」では無く「大東亜戦争」と金科玉条の如く呼称し続けるが如く、保守界隈では現在でも新型コロナウイルスを頑なに「武漢ウイルス」「武漢肺炎」と呼び続けて居る。理屈では無く中国への感情的な嫌悪が批判の原動力に為って居ると見做さ無ければ為ら無い。

 新型コロナウイルスは生物兵器なのか

 更に保守界隈では「武漢ウイルスは同地の研究所から流失した生物兵器」と云うトンデモ論が、マルで事実の如く語られる迄に為った。
 この新型コロナ生物兵器説を一度落ち着いて考えてみよう。4月14日、アメリカのワシントン・ポストに、在中アメリカ大使館職員が武漢の研究施設を訪問した際、安全管理への懸念を報告して居たと云う寄稿記事が掲載された。トランプ米大統領も「徹底的な調査を進めて居る」と語った。一見すると、生物兵器説が後ろ盾を得た様に見えるが、アメリカ政府は「流出した可能性を調査する」とは云って居ても「生物兵器だ」とは云って居ない。

 そもそも、生物兵器説は、イギリスのタブロイド紙・デイリーメールに端を発したものであり、それですらも当初はそこ迄断定的な書き方では無かった。処が記事が拡散されるに連れ「武漢の研究所から流失した」が「武漢の研究所から流失した中国の人工的な生物兵器である」等と置き換えられ、欧米の陰謀論者の間で次第に尾ひれが着いたものである。
 生物兵器としての実際の運用でキモに為るのは、局所的にバラ撒いて敵軍兵士を感染させ致死させる事だ。感染力が強過ぎると自軍兵士迄が感染する恐れがある。又兵器としての有効性を考えると、致死率はウンと高く無ければ為ら無い。詰り生物兵器には「低感染力・高致死率」が求められるのだ。しかし、新型コロナウイルスの致死率は、群を抜いて高い湖北省やイタリアでも10%強。日本や韓国では1%台と低い。一方で感染力は強いのである。

 世界中の専門家がゲノム(塩基)配列を分析した結果、人工的にウイルスが加工された可能性はホボ完全に否定されて居る。WHOもこの見解を支持して居る。しかし保守界隈では、医療関係者でも感染症の専門家でも無い人物に依って「武漢ウイルスは生物兵器の一種」で有るかの様な言説が雑誌媒体で撒き散らかされて居る。

 保守界隈の「伝統芸」に変化無し

 「反中・嫌中」の他にも、新型コロナ禍に託(かこつ)けた野党揶揄も「ルーチン」の如く保守界隈から聞こえて居る。曰く、立憲民主党を中心とした野党は「このコロナパニックに於ける非常時に、桜を見る会の追及ばっかり遣って居る」と云う定型文句である。
 又、朝日新聞批判にも抜かり無い。2020年5月号の保守系雑誌『月刊Hanada』の鼎談「武漢肺炎大闘論!」でも櫻井よしこ氏等が、朝日新聞は政府の対応を後手後手だと云いながら全国の小中高校等への一斉休校要請の時は唐突だと批判して居たと強調して居る。要するに「野党や朝日新聞は批判有りきで建設的では無い」と云う事なのだろう。
 嫌中・野党揶揄・朝日新聞批判・・・保守界隈のこうした攻撃は、既に「伝統芸」である。新型コロナウイルスと云う難題を前にしても「お家芸」が続き、大きな変化が有る訳では無い。結局の所、コロナ禍に仮託した「左翼批判」の「伝統芸」「お家芸」が継続されて居るだけだ。

 本当に保守界隈が「分裂」して居るのか

 こうしてコロナ禍に直面した保守界隈を俯瞰すると、百田氏の様に一部で政権を批判する存在が目立って見える一方、他方ではこれ迄通りのネット右翼的姿勢を執り続けて居る。一見するとコノ現象はモザイク的とも言え、保守界隈の中に溝や分裂が起こって居るかの様に観察する事が出来る。しかし、本当に保守界隈が「分裂」して居るのだろうか。
 政権を批判して居る様に見える一方で、彼等は「ポスト安倍」への言及や他に持ち上げる相手を見付けられて居ない。百田氏も〈安倍総理の緊急事態宣言の会見は好いものだったと思う。多くの国民は覚悟も出来たし、共に頑張って行こうと思ったと思う・・・4月7日〉と云うツイートでも分かる様に、根源的に「安倍離れ」して居る訳では無い。

 一部では百田氏のこう言ったツイートを指して「安倍政権と云う泥船から真っ先に逃げ出した保守」と揶揄されて居るが、私からすると全く彼等は泥船から逃げ出す兆候は無い。政権批判が飛び出しても、結局は「安倍一択」と云う状況は変わって居ないからだ。
 更に、百田氏等一部のビッグネーム以外に政権批判して居る人物がホボ居ないのも特徴である。保守界隈の「ムラ」の仲間内から離脱しても経済的に困ら無いビッグネーム以外には、政権を批判すると云うリスクは取れ無い。それ故に批判が一部に留まって居るのである。

 ソモソモ、百田氏等の政権批判の主張が目立つのは、政権に批判的に為って居る一般世論と、百田氏の主張がコロナ禍で重なった事で、メディア(取り分けスポーツ紙)に大きく取り上げられ、実態以上に保守界隈からの政権批判が肥大して見えたに過ぎ無い。
 実はこれ迄も、保守界隈から政権に批判が出る事は数多く有った。取り分け象徴的なのは、朴槿恵政権下に於ける日韓慰安婦合意(2015年12月)である。飽く迄「従軍慰安婦」では無く「売春婦・・・*保守界隈呼称・追軍売春婦」だと云う立場を堅守して居た彼等に取って、日韓合意は「従軍慰安婦」の存在を日本側が認めたと云う事実に於いて、或る種の「屈服」と映った。

 それ故、合意発表直後から保守系市民団体らが議員会館・首相官邸・外務省前等で抗議活動を繰り広げたり、保守系雑誌で「安倍さんには失望した」「又韓国に土下座外交か」等の批判が相次いだのである。しかしそれ等は国民感情や常識的な日本人の歴史認識とは全くシンクロしないから保守系メディア以外で注目される事も無く、結局暫らくすると立ち消えに為って行った。
 これらを踏まえると「保守界隈が分裂して居る」とはとても云え無い。何を言っても安泰で、保守ムラの利権と良い意味で縁の薄い百田氏以外、保守界隈の自称論客は直接政権を叩く事が出来無い為、彼等の大部分は「反中・嫌中」のお家芸に走るか「布マスク2枚を批判する野党は、何か対案を出したのか? 朝日新聞の通販サイトでも3,300円で布マスクが売られて居るぞ」等と野党・朝日新聞叩きに問題を擦り替え、マタゾロお決まりの「左翼口撃」に走るのが関の山である。今次コロナ禍でも、保守界隈の実相とはこの様なものである。

 繰り出されるで有ろう「君側の奸」理論

 現状の保守界隈には、確固とした主義主張が有る訳では無い。増してE・バークの「保守主義」に根付いた思想や価値観と云うものは殆ど絶滅して居る。単にそこに有るのは、彼等が勝手に「左翼的」「反日的」だと認定したものへの反発と逆張りである。
 それ故、彼等の敵視する「左翼」が安倍政権に批判的で有る限り彼等は政権を支持する。この基本路線はこの8年、揺るぎ無く変わら無い。仮に安倍政権が保守界隈の「主流的意見」と外れた事をしても、勝手に脳内変換を行って政権擁護を続ける

 「君側の奸」と云う言葉がある。主君は英邁で民草の事を思って居るが、主君の傍に仕える奸臣(かんしん)の所為で主君の理想や慈悲は骨抜きにされ、以て悪政が蔓延ると云う意味である。1936年、世に云う「2・26事件」で決起した皇道派青年将校はマサにこの発想に取り着かれて居た。
 昭和天皇は恐慌で失業や餓死・身売りをする下層農民等民草の惨状を心痛憂いて居る。だが「君側の奸」たる重臣や財閥等が天皇陛下のお心を邪魔して居る。だから我々はその奸臣を実力で除去し無ければ為ら無い・・・こうした価値観の下で行われた「2・26事件」のスローガンこそ「尊皇討奸(そんのうとうかん)」であった。

 所がこの「君側の奸」思想は単なる妄想に過ぎ無かった。他でも無い昭和天皇自らが、決起将校の鎮圧を命じたのである。保守界隈は、この「君側の奸」理論に基づいて安倍首相を正当化し続けるだろう。事実、困窮世帯に30万円給付と云う当初案が、一律10万円に急転変更された際も「元来安倍首相は国民生活を偲び無く思って居たが財務省が邪魔をして居た」と云う「君側の奸」理論が界隈でもう出回って居る。
 処が実際は、支持母体に支えられた公明党に依る「連立離脱」の最終カードをチラ着かせた官邸への突き上げが変転の原因で在った。

 実はこの「君側の奸」理論は、安倍首相が消費増税を決断した際にもネット右翼・保守界隈で盛んに吹聴・拡散されたのである。「安倍首相は民草の窮状を心得て消費増税には反対だが、財務省の苛烈な妨害に在った」と云うもの。手垢の着いた財務省悪玉論であるが、結局安倍首相と財務省の増税路線が一致しただけ、と云うお話であった。
 更にコロナ禍が一服するや「この危機が民主党政権だったら、その人的被害は数倍・数十倍に悪化して居た。安倍政権だからこの程度で済んだ」と云う〔架空の民主党政権論・この程度で済んだ論〕と云う妄想的安倍擁護が一斉に噴き出すで有ろう事を、コロナ禍の只中に有る今から予言して置きたい。


          古谷 経衡 Webオリジナル(特集班)     以上




















130人の子供が失踪 謎の事件が伝説に変わる迄




 130人の子供が失踪 謎の事件が伝説に変わる迄

            〜JBpress 佐藤 けんいち 5/5(火) 8:00配信〜


      050507.jpg

     現存する最古(1592年)の笛吹き男の絵画(出所 Wikipedia)

 本日5月5日は「こどもの日」だ。とは云え、新型コロナウイルスのパンデミックに伴い日本国内でも「緊急事態宣言」が発令中である。「不要不急」の外出は自粛する様要請されて居る事も有り、例年とは異なる「こどもの日」と為る事だろう。
 緊急事態宣言は昨日(5月4日)5月31日迄延長される事に為った。ウイルスと云う「見えない敵」との戦いである以上、仕方の無い事だ。本日もStay at Homeで行きましょう。

              050508.jpg

     文 佐藤 けんいち 著述家 経営コンサルタント ケン・マネジメント代表
 
 と云う訳で「こどもの日」だから子どもに因んだ話にしたいと思うのだが、内容は子供向けの話では無い。子供達が集団で誘拐された事件に付いて打。それもヨーロッパ中世の話である。しかも、今から700年以上も前の13世紀の話である。
 ここ迄書いて来れば、判って居る人は直ぐにピンと来る事だろう。ドイツ北部の都市ハーメルンで発生した「事件」の事だ。所謂「ハーメルンの笛吹き男」の事である。
 医療活動やビジネスと比べたら、歴史等「不要不急」と見做され勝ちだが、コンな時期だからコソ、株価や円相場の様にリアルタイムで更新されて居るコロナ関連情報に一喜一憂するのでは無く「アフターコロナ時代」に向けて、長期或いは超長期のスパンでものを考える為の機会としようではないか。本当は、歴史コソ重要なのだと云う話をしたいと思うのである。

 「ハーメルンの笛吹き男」伝説に反映する黒死病

 今から736年前の1284年6月26日、ドイツ北部の都市ハーメルンで、子供が130人も集団で失踪すると云う事件が発生して居る。これは否定しようが無い「歴史的事実」である。だが、明らかに為って居るのはそこ迄だ。何時、何処で、誰が消えたのか迄は判って居る。
 と云っても、失踪した子供達の名前が全て判って居る訳では無い。だが、どの様に失踪したのか、何処に行ってしまったのか、何故130人も一緒に蒸発してしまったのか、迄は判ら無い。正にミステリーである。謎は謎のママ伝説化されて現在に至る。

 そんなミステリーに挑戦したのが歴史家の阿部謹也先生である。『ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界』(平凡社 1974 文庫版はちくま文庫から1988年)がその成果だ。大学学部時代の恩師なので、敬称付きで記述する事をお許し頂きたい。
 この「伝説」は、観光用に再現されて居て有名だ。カラフルな衣装を身に纏ったネズミ獲り男の寸劇を、現地で実際に見学した人も居るだろう。ストーリーを極簡単に要約すると以下の様に為る。

 「高名なネズミ獲り男」と云う触れ込みでハーメルンに現れた「異人」。収穫した小麦がネズミに食べられる被害に困って居たので大いに歓迎された。
 見事にネズミを駆除して見せたが、約束の報酬が支払われ無かった事に腹を立てたネズミ獲り男は、笛に釣られて集まって来た子供達を連れてそのママ忽然と姿を消す。戻って来たのは、耳は聞こえるが目が見え無い子供と、目は見えるが耳が聞こえ無い子供の2人だけだった。

 中世後期の13世紀の「歴史的事実」がコアと為って、何度も何度も繰り返し語られる内に尾鰭(おひれ)が付いて「伝説」と為ったのだが、元々は「笛吹き男」が子供達を連れ去ったのだった。それが、中世から近世への転換期であった激動の16世紀には、魔術的能力を持つ「ネズミ獲り男」と合体し「笛を吹くネズミ獲り男」として現在迄伝承されて居る形に為ったのだ。
 そのプロセスを「社会史」と云う歴史学の新しい手法で描いたのが、阿部先生の『ハーメルンの笛吹き男』なのである。

 「笛吹き男伝説」から「ネズミ獲り男伝説」への変貌に当たっては、16世紀前半に都市ハーメルンが体験した大火・黒死病(ペスト)・大洪水等の人間がコントロール出来無い災害が反映して居る事が明らかにされた。自然災害と感染症の蔓延は半端では無かった。
 民衆が苦しむ状況に、更に追い打ちを掛けたのが、16世紀前半のドイツで始まった「宗教改革」である。ハーメルンは都市ぐるみでルター派と為ったのだが、キリスト教徒同士の「宗教戦争」に巻き込まれ、同時代の日本と同様、当たり前の様に人が殺されて行く戦国時代の様相を呈するに至ったのであった。21世紀の現在とは比べようも無い程、生きる事そのものが過酷な時代だった。

 そもそも「ネズミ獲り男伝説」を育て上げた都市下層民達の生活は、恒常的に続く飢えに苛(さいな)まれて居た。都市は城壁に依って防衛されて居たが、警察制度は誕生して居らず自力救済が当たり前の時代であった。この中世の延長線上に有るのが現代の米国なのである。参考・・・コレだけ事件が起きても米国で銃規制が進ま無い理由。
 西洋も日本もそうだが、過酷な中世に比べたら、21世紀の新型コロナウイルス等ものの内にも入ら無いではないか!そう思うべきでは無いか。
 『ハーメルンの笛吹き男』は、1988年にちくま文庫で文庫化されロングセラーと為って居るが、何故か今ブームが再燃して居るのだと云う。新型コロナウイルスの国内感染発生以前の事だが、今年の初めに大手書店でコンな感じで陳列されて居たのには大いに驚かされた。

 阿部先生が亡く為ってから既に14年。月日が経つのは早いが、こう遣ってブームが再燃する事で、それ以外の著作への関心が拡がって呉れると好いナアと、弟子の一人として切に願う・・・勿論『ハーメルンの笛吹き男』と同時期の研究成果で「東方植民運動」を扱った、500ページ強の本格的研究書 『ドイツ中世後期の世界-ドイツ騎士修道会史の研究』(未来社 1974)を読めと迄は言わないが。

 中世史研究にはイマジネーションが不可欠
 
 世界的なベストセラーであり、未だにロングセラーとして売れ続けて居る『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社 2006)を読んだ人も、少なく無いだろう。ホモ・サピエンス・人類が、大脳の発達に依って言語を獲得し、様々なフィクション・虚構を構築する事で、如何に生物学的制約を乗り越えて急速に発展して来たか、その歴史を辿った作品だ。
 ホモ・サピエンスが急速に地球上の覇権を握った先史時代から、人工知能・AIの進展に依って覇権を失うで有ろう近未来迄、超長期の歴史を一気通貫に記述して居る。

 『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ教授は、最近では自ら哲学者と名乗って居るが、元々はイスラエルの歴史学者である。だが、歴史学と云っても、ソモソモの専攻が何で在ったか迄気にして居る人は余り多く無いのでは無いだろうか。
 ハラリ氏の専攻は、実はヨーロッパ中世史と軍事史であり、この分野で数冊の著書も有る。例えば Special Operations in the Age of Chivalry, 1100〜1550 (日本語だと、『騎士の時代の特殊作戦』と為ろう)は、電子書籍版で入手可能だ。

 1948年に建国されたイスラエルの在るパレスチナ地域は、中世に於いては「十字軍」の舞台であった。中世史の研究は、現代に生きるイスラエル人に取っては、自分が暮らして居る土地の歴史を研究する事に為る訳だ。この様に中世史の研究者が、本来の専門分野を超えて活躍する事は少無くない。
 自らの捕虜体験を描いたノンフィクション『アーロン収容所』で一躍有名に為り、文明評論家として活躍した会田雄次氏は、元々中世後期のイタリア・ルネサンスの研究者であった。『ハーメルンの笛吹き男』の阿部先生も又、研究生活の後半に於いては「世間論」で、日本社会の「見えざる構造」を明らかにする事に注力し、旺盛な評論活動を行って居た。

 ソモソモ中世史は、近現代史と比較すると、残された史料が余りにも少ない。だから、限られた史料を基に、イマジネーションをフルに発揮する事が求められるのである。これは西洋史だろうが日本史だろうが変わら無い。
 失われたパズルのピースを仮説的推論に依って再現し、全体像を再構築すると云う知的作業が、中世史の研究者に求められるのである。専門の歴史学に留まらず、考古学や人類学、その他の関連諸分野をフル動員する事も求められる。
 又、中世史とは文字通り、古代史と近現代史と中間に位置する時代である。遡れば古代であり、下って行けば近現代と為る。詰り、古代と近現代を共に相対化して見る事の出来るポジション云う事に為る。

 現在は当たり前と為って居る事も、時代を遡ってみたらそうでは無かった事、又未来永劫に続くものでは無い事も判るのである。相対化とはそう云うことだ。これはモノだけで無く、コトに付いても、目に見え無い意識に付いても同様だ。
 こう云った知的訓練を受けて来た中世史の研究者が、狭い専門分野を超えて社会的発言をするのは、或る意味では不思議な事では無いのである。
 阿部先生はゼミナールでは、中世や古代に遡る事は、未来世界を想像するSF・サイエンス・フィクションの様なものだと語って居た。過去も未来も、共に未知の世界だからだ。過去と未来では向かう方向が違うが、現在を軸にして働かせるイマジネーションの質は、基本的に似た様なものだと考えて好いのだろう。

 大学時代のゼミナールを振り返ってみる
 
 ゼミナールの話が出たので、どの様な授業が行われて居たのか、参考迄に私の学生時代のゼミナール経験を記して置きたいと思う。
 ゼミナールとは少人数で行われる演習の事だが、近代ドイツの大学制度に由来するものである。教師と学生との双方向の対話を前提として居り、一方通行のレクチャーとは根本的に異なる性格を持つ。しかも、参加メンバー同士のインタラクションも促されるので、様々な気付きを得る事も出来る。合計3年間、教えを受けた訳だが、大学2年に時の前期ゼミでは、20世紀前半の米国の著名な中世史家C.H.ハスキンズの『12世紀ルネサンス』を輪読して居る。当時は未だ日本語訳は無かったと思う。

 この時は参加人数が多かったが、大学3年に為ってからの本格的な後期ゼミでは参加メンバーは足った6人であった。阿部先生は当時既に著名人であったが、ソモソモ歴史学は就職に直結する訳では無く、しかも履修に当たってはドイツ語かフランス語のドチラか一方は必修と云う前提条件も有り、語学的にキツいゼミだとして敬遠されて居た様だ。
 後期ゼミでは、フランスの歴史家エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリーの『モンタイユ-ピレネーの村 1294〜1324』を輪読した。中世のフランス南部を描いた作品だ。フランス語が読める学生は原文で、ドイツ語の判る学生はそのドイツ語訳で読む。この時点では未だ日本語訳は無かった。何故この本が購読に使われたのか好く判ら無いが、自分が読みたい本を輪読のタイトルとして指定された様だ。

 ゼミナールが始まって最初に言われたのは「ゼミでは日本語の本は読みません。外国語の本の読み方は判ら無いだろうからトレーニングします」更にこう云う意味の事を言われた。「私は就職の世話はしませんのであしからず」
 後者の発言には気が引き締まる思いをしたものだ。こう云う事は、予め最初の段階で言って置いて貰った方が好い。自分の道は自分で切り開か無くては為ら無いと云う覚悟が出来るからだ。「歴史では喰え無い」と云うのは、昔から言われて来た事だ。

 『モンタイユ』も最初の100ページ位迄読んで、それで終わり。4年生に為ってからは、夫々卒論テーマを決めて、進捗状況の報告を行い、その場で質疑応答とコメントが為される。卒論を執筆する事は必修であり、最初の段階からテーマを決める事が求められて居た。
 「卒論テーマは、何を選んでも好い」と言われて居たのだが、これが想像以上の難題で在った。テーマを最終的に決める迄1年も掛かってしまった。『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』と云うのが卒論のタイトルだ。自分のアタマで考え抜いて自分で決める訓練の一環だったのだろう。こう云う訓練は、速い段階で遣って置いた方が好い。

 「そう云うテーマで書くなら、この本を読んだら好い」と行って、夏休み前に参考と為りそうな原書を蔵書から何冊か貸して頂いた。為る程アカデミックな歴史学者と云うものは、こんな風に線を引いたり書き込みをしながら本を読むのかと思ったものだ。これも又実地教育で在ったのだろう。
 その中の1冊が、米国の中世史家Lester K. Little のReligious Poverty and Profit Economy in Medieval Europe(日本語なら『中世ヨーロッパにおける清貧と営利経済』と為ろう)と云う本だった。「贈与経済」から「営利経済」への移行期に在った中世社会を扱った論文集である。残念ながら、現在に至る迄日本語訳が無い。
 こう行った「資本主義成立前」の世界を扱った本を読んで居ると、資本主義が飽く迄も歴史的存在で有る事が判るし「資本主義衰退後」の世界に付いてイメージする事も或る程度迄可能と為る。中世史を研究する事の効用の1つとして加えて置こう。

 ケーススタディは歴史研究に通じる 

 ビジネスの世界でも歴史研究が行われる。所謂経営史であるが、それ以外にも、ビジネススクール(経営大学院)の経営教育で行われるケーススタディは、歴史そのものだと云って好いだろう。ビジネススクールとは、所謂MBA・経営学修士の事である。私も、20歳代の終わりに米国に留学してMBAを取得して居るので、その経験を基に簡単に説明して置こう。

 ケーススタディと云えば、ハーバード・ビジネス・スクール・HBSが最も有名だ。ケーススタディとは事例研究の事だが、元々は法律学の分野で発達して来た判例研究を、ハーバード大学が20世紀初頭にビジネス教育にヨコ展開したものだ。これも又イノベーションの一形態と行って好いだろう。
 ケーススタディで扱われるのは、その性格上、全て過去に起こったビジネス上の出来事が文字化され、経営数字と共にまとめられて居る。従って、ケーススタディに記載されて居る情報は、リアルタイムのものでは無い。
 ケーススタディを使用した授業とは、記載された情報とデータだけを基にして思考を展開し、授業で発言し、ファシリテーターである教師や参加メンバー同士で対話するのである。自分が経営者だったら、或いはその他のポジションに居る立場だったら、こう考えこう実行して行くと云うストーリーを作る事が求められる。

 大抵のケースに付いては、扱われた企業が如何なる経過を辿って現在に至って居るかは、ネットで調べれば直ぐにでも判る事だ。だが、重要な事は、ビジネスでは答えは一つでは無いと云う事。何故なら、主体で或るビジネスパーソンの意志と行動は、競合の存在や外部環境に依って制約を受ける為、必ずしも自分が思っている通りには進ま無いからだ。現在の状況は、飽く迄も結果に過ぎ無いのであり、誰も結果そのものを事前にコントロールする事は出来無いのである。
 だからこそ「もし〜なら・・」と云う「イフ」による仮定思考が重要に為る。制約条件の基で、如何に最適な行動を執るかに依って、結果は自ずから変わって来るのであり、もしかすると、今有る状態だって、そう為ら無かった可能性も有るからだ。

 こう云う思考訓練を行うのが、ビジネススクールのケーススタディなのである。そして、出来る歴史家は、実は同じ事を遣って居るのである。凡庸な歴史家は得意気に「歴史にイフは無い」と口にするが、騙されてはいけ無い。そう云う考えに拘って居たら、ビジネスと歴史は永遠に相交わる事等在り得ないではないか。

 ビジネスパーソンは誰もが日々歴史を作って居る

 ビジネスに限らず、仕事をと云うものは、常に先を見据えて行うと云うマインドセットがベースに有るので、ビジネスと歴史は本来的に異なる存在だと見做され勝ちだ。だが、こう考える事も出来るだろう。ビジネスパーソンは或る意味で歴史を作って居る訳であり、自分が日々遣って居る事の軌跡が歴史に為るのだと。そう考えると、自分が遣って居る仕事に意味を見い出す事が出来るのでは無いだろうか。
 またどんな仕事であっても、実際にプリントアウトしなくてもペーパーワークから逃れる事は出来無い。文書を読み文書を作成すると云う作業だ。ビジネス関連資料を読み、作成する作業をしながら20歳代の前半に私が思って居たのは、ビジネスパーソンとして遣って居る子とは、歴史家が遣って居る事と余り変わら無いのではないか、と云う事だ。

 歴史家は、過去の「史料」を読み熟して読解するが、ビジネスパーソンは現代の「資料」を読み熟し処理して行く必要がある。ビジネスパーソンが日々作成して居るビジネス文書も、時間が経過したら歴史的資料、即ち「史料」に為り得るのである。
 そう云うマインドセットを持って仕事をして居ると、例え間接的で囁かな形であっても、自分が歴史の形成に参加して居る事が判る筈だ。そうで在ってコソ、ビジネスパーソンが歴史を知る意味が生まれて来ると云うものだ。

 ビジネスパーソンである私が『ビジネスパーソンの為の近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)を執筆したのは、そう云う背景がある。是非皆さんも、歴史形成に参加して居ると云う意識を持って、日々の仕事に取り組んで欲しいと思う。


             佐藤 けんいち      以上



















コロナで判った ヤッパリ日本は公務員を「減らし過ぎ」だ




 コロナで判った ヤッパリ日本は

 公務員を「減らし過ぎ」だ


            〜現代ビジネス 大原 みはる 5/5(火) 7:01配信〜

           050501.jpg

                 写真 現代ビジネス

 明らかに人手不足

 新型コロナウィルスの蔓延・感染拡大防止に伴う全国的な外出自粛で、飲食・小売り・レジャー・エンタメを初めとする様々な業界で需要が蒸発し、幾多の企業・個人が苦境に陥って居る。
 一方で、そんな社会・経済の大混乱も何処吹く風、と云った職業が有る。経済の停滞で税収が減っても給料には影響しないし、解雇のリスクも無い「公務員」だ。安定した身分・待遇故「国民一律10万円を公務員には配る必要は無い」とか、県職員に自発的な寄付を求めて地元の財源に活用しようと考える知事迄現れる始末だ。

 公務員は昔から「ロクに働か無い無能な人でも、高給を食みながら居座り続けられる」と云うイメージがマスメディアや一般国民の意識に刷り込まれて居る。そうした背景も在って、今回の事態で生活が苦しく為ったり家に閉じ込められたりで、苛立った人達の不満の捌け口として格好のバッシング対象に為って居るのだろう。
 それは止むを得無い面もあるが、冷静に考えれば公務員は社会に必要な職業である。例えば、新型コロナウィルスに関して、無くては為ら無い働きをして居る保健所や公的医療機関。感染者の把握や感染拡大防止で後手に回ったとして批判を受けて居るが、元々「平時」を基準に体制が構築されて居り、緊急時に於いては明らかに人手不足である事が今回判った。

 国の各省庁の職員も、時々刻々と状況が変化する中で、国会議員の動きに振り回される等、普段の激務に輪を掛けた混乱状況に忙殺されて居る。
 又、外出自粛で誰もが家に籠って鬱憤が溜まり、児童虐待や家庭内暴力が増えるのではないかとも懸念されて居る。普段から、不幸な児童虐待事件が明らかに為る度「何故事前に防げ無かったのか」と批判を浴びる各地の児童相談所が、今後槍玉に挙げられ無いか心配で仕方が無い。彼等は元々激務であり「平時」であってさえも、プライバシーや家庭の自治を盾に介入を拒む家庭をケアし切れ無い事は、関係者なら好く知る事実だ。

      050502.jpg

             文 行政評論家 大原 みはる氏 

 この20年、減らし過ぎた

 今挙げた例は飽く迄極一部に過ぎないが、何故行政の現場はこれ程疲弊してしまって居るのか。主な理由は、此処20年以上に渉り、国も地方自治体も、行財政改革に依り職員を軒並み削減して来た事、その一方で行政が対処し無ければ行けない仕事は減って居らず、寧ろ増えて居る事に有る。
 そう云うと「どうせ役人なんて、自分の組織や椅子(役職)を守りたいから仕事を残そう、増やそうとして居るだけだろう」と云う意見が聞こえて来そうだ。確かに、行政組織の肥大化に関する有名な法則(パーキンソンの法則)も有る位なので、それは一理ある。しかし、仕事が増えて居る理由が、決して役所・役人のエゴだけでは無い事は、冷静に考えれば判る筈だ。

 我が国は、医療費は民間保険に入る為りして自分で賄え、身の安全は銃を所持して自分で守れ、と云う自己責任思想が根付くアメリカとは国民性が大きく異なる。少子高齢化・総人口減少と云う社会の大きな構造変化の中で、何か社会的課題が生まれると直ぐ「お上頼み・・・政治・行政が何とかすべき」と為り易く、役所はそうした要望に機敏に対応・・・立法化・予算化・事業化を求められる。
 又、昔は政治・行政は、国民・住民に対して「由らしむべし、知らしむべからず」・・・国民には施策の道理を説いても理解出来無いから、説かずに只従わせて置けば好い・・・と云う姿勢でも特に叩かれる事は無かったが、社会の成熟化に伴い、そうした考え方は通用し無く為って居る。

 今や行政がインターネットで積極的に情報発信するのは当たり前。行政内部情報も請求が有れば原則として公開し無ければ為ら無いし、国民はSNS等を駆使して様々な意見をブツけて来る。各種制度の策定時に国民から広く意見募集する仕組み・パブリックコメント等、昔は無かった丁寧な手続きも次々と作られて居る。
 ネットやメディアを見れば、公務員に対する国民の不満は高まって居る様に見えるが、その一方で国民は以前より役所から情報を入手し易く為り、意見も云い易く為り、役所はそれ等に丁寧に対応し無ければ為ら無く為った現実がある。勿論それ等は国民に取っては良い事なのだが、その分、役所の仕事は増える一方である。

 画して現代の公務員の職場の実情は、多くの人が想像する「ヒマで安定して居る」と云うユトリあるイメージとの間に大きなギャップが有る。一般論として云えば、多くの職場では寧ろ人手不足なのだ。

 「任期付き緊急雇用」と云う策

 今回、新型コロナウィルスの蔓延を機に、テレワークの本格的導入等社会変革の機会にすべきだと云う意見が様々な筋から出て居る。マサにその流れで云えば、今回の行政の混乱を省みて、ダイエット(人員削減)し過ぎてしまった行政の組織体制を見直し、必要に応じて体制強化を図るべきなのではないかと筆者には思える。

 そんな事を考えて居た矢先、幾つかの地方自治体が、民間企業の雇用悪化等に対応して、任期付きでは有るが公務員の緊急雇用を始めると云う報に接した。マサに今の話を地で行く様な取組みではないか。例えば神戸市は2020年3月に、今回のコロナ禍で企業等から採用内定を取り消された市内在住・在学の新卒者を経済的に支援する為、100人を市の職員として臨時採用すると発表した。
 2021年3月末迄の期間限定・会計年度任用職員での採用で有るが、この方式は民間企業のパート・アルバイトと比べると労働条件が優れて居て、最初から10日の有給休暇が貰え、しかも1時間又は45分単位で取得出来る為、就活との両立にも適して居る。社会が苦境に陥る中で、行政として遣るべき事の範を示したと云える。既に採用実績も有るそうだ。

 この様に、民間の雇用が不安定化する中で、役所が一時的では在っても、人手不足の解消と雇用のセイフティネット維持の一石二鳥を狙って機敏な動きを見せ始めた事は歓迎出来る。同趣旨の採用は、東京都・神奈川県・大阪府・大阪市等、各地の地方自治体に広がりを見せて居る。

 これ迄の「非正規化」との違い

 最も、任期付きの地方自治体職員と云う採用方式は、実は今回初めて繰り出される手立てでは無い。従来は非常勤職員・臨時職員等と呼ばれ、常勤職員・・・定年迄働く事が前提と為る、任期の無い正規職員との待遇差や縁故採用等、様々な問題を抱えながらもズッと続いて来たものだ。深く追及して行くと、実は余り筋の良い話では無い面が有る。
 と云うのは、先程地方自治体の人減らしに付いて指摘したが、退職者不補充等の方法で働き手を「本当に減らしてしまう」と業務遂行に支障が出る為、行政は止むを得ず「ズルい手」を使って来たのである。それは人件費負担の大きい常勤職員を減らし、非常勤職員等に置き換えて業務を熟すと云うものだ。

 役所の組織規模・定員は常勤職員数でカウントする習慣が有る。こうすれば「ムダな役人を減らせ!」と云う声に対して「コンなに減って居ますよ」と答えられると云う、支出削減以外のメリットも有ったのだろう。その結果、何が起きたのか。非常勤だが仕事が出来る有能なスタッフは重宝され、任期明けの度に別の部署で再任用を繰り返す。こうした形で「非常勤のベテラン」が長く働き続ける例が、各地で結構見られて居る。細かい相違は有れど、この構図自体は非正規化が進んだ民間企業と何ら変わら無い。

 今回、コロナ禍に端を発した緊急対応とは云え、こうした慣行とは全く異なる建て付けで、若者を期間限定で地方自治体に登用し、雇用創出・人手不足解消の両立を図ろうとする試みは、大変注目に値する。過去に資格試験スクールの講師として公務員採用試験対策に関わって来た筆者から見ると、大きな可能性を秘めて居る様に思える。
 何故なら、この仕組みは少しでも運用を誤れば「任期付き公務員」と云う、常勤職員と比べて著しく不安定で差別的な雇用形態を常態化・増加させる結果に終わり兼ね無い一方で、神奈川県の黒岩知事が、この緊急対策で採用した職員に付いて「優秀な方はそのママ県職員に登用する道も作って行きたい」と発言して居る様に、公務員の採用に一石を投じ得る力をも秘めて居るからだ。

 そこで次回は、役所の常勤職員の採用を巡る積年の課題を含めて、今回の緊急対策がもたらす様々な可能性に付いて考えてみることにしたい。
   (つづく) 
 
 大原 みはる 行政評論家











 




×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。