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2020年05月11日

コロナで顕著に為った日本政府と国民の感覚のズレ! 自動車政策を見ればアジアの各国ヒドかった





 コロナで顕著に為った 日本政府と国民の感覚のズレ! 

 自動車政策を見れば アジアの各国酷かった


              〜WEB CARTOP  2020/05/11 19:02〜


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               Ads by Yahoo! JAPAN

 インドの現状では都市部で在っても電気自動車の普及は難しい

 世界的に猛威を奮う新型コロナウイルス。日本国内でもシビアな状況が続いて居り、政府や自治体が様々な対策を進めて居る。その中、報道の中では「政府や自治体と一般市民との間で、新型コロナウイルスに対する認識が異為るのでは無いか」等と云う意見が有る。
 これは新型コロナウイルス以外の話題で在ってもそうだ。しかし、これは何も日本に限った事では無さそうである。

 今年2月、インドの首都デリー近郊で行われる「AUTO EXPO 2020(通称デリーオートエキスポ)」取材の為デリーを訪れた。その時現地で聞いた話では「インド政府は一気にBEV・純電気自動車の普及を進めようとして居る」との事。インド政府は2017年に2030年迄に販売される自動車の全てをBEVにすると発表した。
 しかし、インドを訪れた外国人の多くは、首都デリーの市内を見てもそれが可成り厳しい事を短時間で実感する事に為る。

 カオスと呼ぶに、マサに相応しい喧騒に包まれた街中を見渡すと、BEVの充電に廻す程電力供給に余裕が有るとは到底思え無い風景が広がって居る。多くの建物の屋上には、工業用自家発電機が置いてあり、ショー会場にさえも大型の自家発電施設あり、とてもでは無いが電力供給事情にそれ程余裕が有るとは思え無い。
 その中でインド政府の「2030年迄に全てをBEVに・・・」と云うのは、余りに無謀と考える人が大半である。余談だが、携帯電話の電波状況も不安定で、4Gが直ぐに3Gに為る等と云うのはザラである。

 只事情通氏に聞くと「政府は可成り真面目に考えて居り、自動車業界から考え直してはどうかと度々アプローチしても、譲ろうとし無いそうです」との事。別の事情通氏は「インドのエリート官僚は、上流階級の人が多いでしょうから、大国意識が可成り強いと云えます。それだけに一般大衆レベル迄に至る、自国に付いての現状認識が出来ず。認めようとし無いのかも知れない。ミスマッチの様な事が起きて居るのではないか」と語って呉れた。

 BEVと云えば、世界的にもその普及率が著しく高い中国。ジャブジャブと補助金漬けにし、ナンバー発給規制地域で在っても、お構い無しにナンバープレートがアッと云う間に発給される等、可成り手厚いインセンティブもその普及に一役買って来た。しかし、昨年秋に補助金交付額が引き締められると、急激にBEVの販売が頭打ちと為った。
 筆者が北京や上海・広州等の街角で見賭けるBEVは路線バス、タクシー、ライドシェア車両が圧倒的に多く、更に日本ではライトバン等と呼ばれる商用車、詰り働くBEVばかりと為って居る。一般乗用車では、ポルシェ・カイエンやレンジローバー、テスラ等の超高級PHEVやBEVが結構目立って居た。
 事情通氏に依ると「中央政府の若手エリート官僚は『所詮補助金有りきでBEVを普及させる事自体無理が在った』と内々に語って呉れました」と話して呉れた。中国でも、一般大衆レベルと支配階級の間では、思い描く地図は大きく異なる様である。

 タイでは生活環境の違いが公共交通機関の発展にも影響

 次は所変わってタイのお話。首都バンコク市内の移動手段として日本人観光客でもお馴染みなのが、BTSと呼ばれる高架鉄道とMRTと呼ばれる地下鉄。日本では、例えば東京では交通系ICカードのSUICA・スイカ1枚を持って入れば、東京メトロや都営地下鉄・都営を初め各事業者が運行する路線バス等で幅広く運賃の支払いが出来るが、バンコクでは夫々専用のICカードが用意されて居り、東京等の様に相互利用する事が出来無い。

 その中で、筆者が確認した限りでは、間も無く(ヒョッとしたら既に運用開始と為って居るかも知れないが)BTSやMRTだけで無く、路線バス等幅広く使う事が出来るICカードの運用が要約スタートするとの事である。
 又、バンコク中央駅を建て替えるのでは無く、全く新しい場所に新バンコク中央駅を建設して居るのだが(2021年開業予定)、ソコから歩くには少々距離の有る場所に高速バスターミナルが在る。前出の事情通いわく「日本人の発想為らば、ICカードを事業者の枠を越えて使える様にして利便性を高めるとか、駅とバスターミナルを徒歩圏内に近付けて利便性を高めるでしょう。新バンコク中央駅近くの高速バスターミナル付近にも十分な土地が在るのですが、そもそも近付け様と云う発想が無い様です」

 「此処バンコクでは例えば、最寄り駅からショッピングモール迄微妙に離れて居て不便等と云うケースは数多く在ります。バイクタクシー等、新たなビジネスが発生するので良いのでは無いかとの話も在りますが、タイのエリート官僚は上流家庭で育った人が多いので、子供の頃から全てクルマで移動して居ます。ですので駅とバスターミナルを徒歩移動出来る様に建設すると便利に為る等、公共交通機関の利便性の向上等は考え持つか無い様なのです」と語って呉れた。

 政治家やお役人等と一般大衆の感覚にズレが有るのは、何も日本に限った話では無い。ASEANやインド等、アジア地域は日本より遥かに露骨な格差社会と為って居る事もあり、状況は日本を超えたレベルの様に見える。日本も格差社会は広がる一方と為って居るので、今後更に一般大衆感覚は政治家やお役人には届か無く為って行くのでは無かろうか。

                  以上



ベストセラー『未来の年表』の著者が語る 「アフターコロナで上書きされる未来」




 ベストセラー『未来の年表』の著者が語る 

「アフターコロナで上書きされる未来」


           〜〈dot.〉AERA dot. 5/11(月) 9:00配信〜


         051130.jpg

           『未来の年表』著者の河合雅司氏(本人提供)

 〜2017年に刊行された『未来の年表』(講談社現代新書)は、このママ人口減少が進むと「将来の日本」はどんな姿に為るかを緻密なデータから導き出した。その予測は世に衝撃を与え、累計で88万部突破の大ベストセラーと為った。だが、新型コロナウイルスの感染拡大で世界は一変した。未来の年表にも上書きされる部分は有るのか。著者でジャーナリストの河合雅司氏に「アフターコロナ」の日本の未来に付いて聞いた〜

 介護離職の大量発生に拍車が掛かる

 新型コロナウイルスの蔓延に依って、私達は世界が大きく変化する瞬間を目の当たりにしました。アフターコロナの世界はどう為るのか、懸念して居る人も多い事でしょう。私は、日本のアフターコロナは、世界各国とは少し様相を異にするだろうと見て居ります。と云うのも人口の激減期と重なるからです。
 例えば、介護を取り巻く環境です。私は、人口減少社会で起きる事を明らかにした『未来の年表』で、2021年には「介護離職が大量発生する」と警鐘を鳴らしましたが、コロナ禍の影響で状況は更に深刻に為る可能性が有ります。

 アフターコロナの世界では、国境を超える人の往来が細る事が予想されます。来日する外国人労働者の数が減り、介護者の人手不足が生じるでしょう。介護施設は思う様に人が集められ無い状況が続けば、閉鎖に追い込まれる施設が出て来るかも知れません。介護従事者が不足する一方で、要介護者が推計以上に増える可能性があります。
 その理由は、高齢者がコロナの感染リスクを恐れ、外出を避ける人が増える事が予想されるからです。動か無く為ると、身体的な衰えが進みます。その上、人と接する機会も減るので、会話が少なく為り認知症の悪化に繋がるリスクも高まります。対コロナに意識が向き勝ちですが、実はこうした間接的な影響も重大です。
 これに依って「受け入れ施設」と「要介護者」の需給バランスの崩壊が起こり、家族が在宅介護を余儀無くされる。その結果、止む無く離職せざるを得無い人々が増加すると云う悪循環が加速する事が予想されます。

 社会保障サービスが削られる一方、生活保護費は膨れ上がる

 企業活動の停滞が長期化すると収益が悪化する企業が多く出て来ます。結果的に、法人税や法人事業税等の税収が一気に落ち込みます。経済活動が「何時まで」「どの程度」抑制されるのかにも依りますが、国や地方自治体の財政悪化は先ず避けられ無いでしょう。今の状況では、来年度予算編成も危ういのでは無いでしょうか。財政悪化に伴い、元々抱えて居た社会保障を巡る課題が深刻化します。2024年には団塊の世代が75歳以上と為り、又3人に1人が65歳以上と為り、膨張する社会保障費の抑制が大きな課題と為ります。

 今回のコロナ禍による歳出は莫大な額なので、今後はこれ迄の様な社会保障費の伸びの抑制だけでは無く、医療や介護のサービス抑制等、社会保障の本体に切り込まざるを得無く為るでしょう。
 消費が落ち込めば、消費税収を財源とする幼児教育の無償化等、これ迄の政策で積み上げて来た事業も、賄えなくなる可能性が大きい。只、失業者が増えると生活保護の額は膨れ上がりますので、結果的に「サービスの質は低下するが、見掛け上の社会保障の額面は大きく為る」と云う状況が予想されます。
 勿論、社会保障だけで無く、防衛費や自然災害への対策等、多岐に渉る分野で予算削減を迫られるでしょう。救いは、現時点で余り株価が落ちて居ない事です。株価迄大きく下がる事態に為れば、年金財政も打撃を被りますし、国の財政は足元から崩れて行くでしょう。

 テレワークの普及で「成果主義」と「郊外分散」が進む

 コロナ禍がもたらしたテレワークの普及は、働き方を大きく変えて居ます。しかし、テレワークそのものは、コロナ禍が無くても普及すべきタイミングでした。少子高齢化に伴い働き手世代が減って居るので、企業は一人辺りの労働生産性を上げ無ければ為りません。社員が通勤に時間を賭ける働き方は余りに非効率だからです。
 テレワークと云うのは「個々の責任」や「成果」が明確に為る働き方です。同じ空間で仕事をする従来型のスタイルでは、成果や責任の所在が不明確に為り勝ちでした。テレワークの普及に依って、結果的に年功序列と云った従来型の人事評価制度から、成果主義へのシフトが加速するでしょう。

 私は『未来の年表』に於いて、深刻な労働力人口の減少に付いても指摘し、対策を急ぐ様求めましたが、テレワークによる成果主義が広まる事で、一人辺りの労働生産性は大きく向上する事が期待出来ます。今後の「人口減少社会」に於ける働き方としては適して居ると言えます。
 こうしたテレワークの普及に依り、東京一極集中が解消し「地方回帰」の流れが進む起点に為るかも知れないと云う声も多く聞かれます。

 多分、直ちに人々の東京離れが進む事には為ら無いでしょう。人々が東京に集まるのは、仕事を求めてと云う理由ばかりでは無いからです。仮に、通勤の必要性が無く為ったとしても、ショッピングや文化・イベント等と云った都市機能を求めて東京に住み続けたいと云う人は多いでしょう。
 一気に地方回帰の流れが強まると云うより、当面は人口過密を嫌って東京圏の郊外へと分散する動きが出て来るのではないでしょうか。

 しかし、テレワークが普及してオフィス街の職場に通う人が少無く為れば、企業は賃料の高い都心に大きなオフィスを確保する必要が無く為ります。郊外にサテライトオフィスを構える所も出て来るでしょう。又、アフターコロナの世界では、人と人とが距離を取る事が定着するでしょうから、地価の安い地方に拠点を移す企業も出て来るでしょう。
 この様な形で地方回帰の流れはジワジワと浸透して行く筈です。東京よりは規模が小さくても、それ為りに都市機能が整って居る県庁所在地の様な地方都市で、過密状態を避けながら暮らすと云う生活スタイルを求める人々が増えると思います。

 そう為れば、国土形成そのものが大きく変わるかも知れません。これ迄地価は大都市のオフィス街を初め「人の集まる場所」で高値が付いて居ました。しかし、通勤と云う概念が無く為ると、中心地が多様化します。何れは、従来の様な土地を大きな資産として経済を成り立たせると云う考え方も成り立た無く為るかも知れません。今後は土地に対する評価が大きく変わる筈です。 

 出生数が低下し、死亡数が増加する

 コロナ禍で不安が広がると、心配されるのは出生数の低下です。収入が下がり経済的な痛手が何時迄続くのかにも依りますが、先が見通せ無い状況が長引いたのでは「子供が生まれて家族が増えても、生活して行けるのか」と云った不安が大きく為ります。
 一般的には、不安心理が強まると、一時的に婚姻や出生が増えると云われて居ます。東日本大震災の後も、人との繋がりを求める機運が高まり、カップルが増えたとのデータが出て居ます。しかし、自然災害はそう長く続く訳ではありません。目の前の脅威が収束すれば復旧・復興へと切り替わりますし、エリアも限定されて居ます。

 この点、今回のコロナ禍は感染の長期化が避けられず、世界規模で経済が甚大な被害を受けましたので、何時本格復興のスタートラインに立てるのかさえ見通しが立た無いのです。状況が大きく異なります。
 こうした状況は自然災害よりも、寧ろ戦時中と近いかも知れません。太平洋戦争の際も、戦火が激しく為るに連れ出生率は低下しました。同様にコロナ禍も、先の見え無い状況が大規模化・長期化すればする程、出生率の低下が進んでしまう可能性は大きく為るでしょう。

 その一方で、今後は死亡数が増えると思います。コロナ禍が長期化するとストレスが溜る事に依って免疫力が低下し、他の病気を誘発したり、持病を悪化させたりするリスクが高まります。この他、経済的困窮による自殺等、ウイルスへの感染による直接的な死因では無くても、コロナ禍が「遠因」と為って亡く為る人の増加が予想されます。
 長期的に捉えれば、コロナ禍がもたらす経済の低迷が平均寿命の伸びを鈍化させ、縮む方向に転じる可能性もあります。平均寿命の伸びは、経済状況の影響を受けるとされて居ます。政府の推計では死亡数のピークは2040年頃として居ますが、ピークの山が早まる可能性もあります。

 産業の転換が起こる
 
 コロナ禍で社会のニーズが大きく変化し、それに伴いテクノロジーの進歩や産業の転換も進むでしょう。例えば、ソーシャルディスタンスの浸透に依り、不特定多数の人が接触する事へのオートメーション化が進むと思います。飲食店での接客スタイルも、ロボットが配膳する等、接触を避ける流れが進むでしょう。
 こうした分野は日本の高い技術力を大いに発揮出来ます。世界中で同様のニーズが高まる筈なので、他国に先駆けて対応出来れば、新たな日本の成長路線が見えて来ます。

 最後に、アフターコロナを見据え、日本はどの様に立ち回るべきかを考えてみましょう。人口減少が急速に進む以上、日本はコロナ禍からの復興策も他国と同じ様には行きません。例えば、各国とも医療資材の国内生産回帰を推し進めようとして居ますが、生産年齢人口が減り続けて居る日本が、人手を集めて同じ様な体制を維持出来るでしょうか。
 又、他国では消費喚起策で経済復興を推し進めるでしょうが、日本は人口が減って行き、しかも「老いた国」なので、単純な消費喚起策では上手く行きません。「老いた国」に取って、コロナ禍のダメージは若い国よりも大きいのです。
 日本は例えて言えば、人口減と云う「慢性疾患」を抱える患者そのもの。そこへコロナ禍と云う「急性疾患」が襲った訳ですから、対処法を間違えれば国が死んでしまい兼ねないのです。

 「命さえ有れば、経済の再興は後から何とでも為る」等、感染症防止を最優先にすべきだと云う意見も有ります。しかし、それは「若い国」でのみ成立する論理です。戦後の日本は「若い国」だったから復興出来ましたが、多くの国民が年老いた今、同じ様に復興で切るか判りません。
 今回の場合、日本経済が疲弊し切ってしまってからでは、社会復興は極めて難しく為るでしょう。それは、日本が「貧しい国」に為ると云う事です。これ迄の政府の政策は「医療崩壊」の抑制を優先して来ました。それが間違いだったと言う積りはありませんが、その裏で、人口減少も踏まえた大局的な政策を考えて居た政治家や官僚がどれだけ居たでしょうか。

 目先の感染拡大を止める為の課題が山積して居るので仕方が無い面も有った訳ですが、最終的にはウイルスと上手く付き合いながら社会経済活動をして行くしかありません。感染が少し収束した為らば、アフターコロナを睨んだ長期的な経済活動も含め、もう少し大局的に物事を考えないと日本は手遅れと為ります。


        構成 AERA dot.編集部・飯塚大和       以上














 

社会主義ですか? 日本の10万円給付に中国人が驚愕




 社会主義ですか?

 日本の10万円給付に 中国人が驚愕


              〜JBpress 花園 祐 5/11(月) 8:00配信〜
            
              花園 祐氏 中国在住 ジャーナリスト

 日本全国で猛威を振るうコロナウイルスに対する経済対策の内、国内外を問わず今最も注目されて居る政策と云えば「日本国内の全居住者(外国人居住者等を含む)に対する一律10万円の特別定額給付金」の他無いでしょう。筆者が住む中国に於いても日本の同政策に対する注目度は高く、メディア等で好く取り上げられて居ます。
 中国に於ける経済対策は今の処、企業への税金権限や雇用補助金支給・生活困窮者への支援金支給等が主と為って居ます。消費刺激策としては商品券の配布に留まって居り、現金を一律で支給する日本に対して「中国よりも社会主義的じゃないか」と云う声も聞かれます。
 そこで今回は、中国で行われているコロナウイルスへの経済対策の中身と、現金給付策に対する中国の見方を紹介します。併せて、今回のコロナウイルスの流行に依って見られた両国に於ける政府への依存意識の差に付いて考えてみたいと思います。

 中国の主なコロナ関連支援策
 
 世界に先駆けコロナウイルスが全土で蔓延した中国では、これ迄既に様々な経済対策や、生活補償支援策が実施されて居ます。法人向けの支援内容は主に税制上での減免です。医療・衛生対策用品や設備の購入や販売に関して税額を大幅に減免して居ます。又こうした製品を作るメーカーに対しては設備投資を促す為、新規設備購入代金に対する補助金が直接支給されて居ました。.

 この他休業中の企業に対しては、従業員の雇用を維持する前提で、一部賃金に対する補助金を支給する自治体も観られました。感染防止目的で営業停止命令が出されて居た映画館等娯楽施設運営業者に対しては、日本同様に休業補償金が支給されて居ます。
 個人向け支援に関しては自治体間で金額に差が有るものの、疫病流行に依って職を失い生活が困窮した市民への生活補償金を支給する自治体は少なく有りません。中には吉林省の様に、感染者の治療に携わる医療従事者に対して1日当たり300元約4500円の特別手当を支給する自治体も有りました。

 一方、現金給付の様な消費刺激策に付いては、中国国内の全居住者を対象とした一律給付と云うのは行われて居らず議論もされて居ません。現金給付を独自に行って居る一部自治体も有りますが、その大半は、食品等の購入に用途を限定した商品券を配布する形態が取られて居ます。尚、こうした商品券を電子商品券で支給する自治体に対しては、機械操作に慣れ無い高齢者への配慮に欠けるとの指摘が出て居ます。

 10万円に中国人留学生「助かる」

 今回、日本が10万円を給付すると発表した事に付いて、中国では、その金額の大きさに驚くと共に、国内の全居住者へ一律支給すると云う点に注目が集まりました。中でも日本国内で勤務、又は留学して居る中国人も受け取れると云う点に付いて「非常に公平」だとして好意的な評価が観られます。
 現在、日本の大学に留学して居る中国人の知人に10万円の給付に付いてどう思うか尋ねた処「素直に助かる」との答えが返って来ました。その知人に依ると、外国人留学生は日本国内でのアルバイトで学費や生活費を賄って居り、新型コロナ流行に依ってアルバイト勤務日数が減らされる等、金銭的に苦しい立場に置かれて居る学生が少無くないそうです。それだけに10万円が給付される事に依って助かる学生は多いのではないかと話して居ました。

 「日本だけ支給は不公平」
 
 一方、中国国内での反応はどうでしょうか。メディアの反応としては、現金支給がどれ程消費を引き上げる効果が有るのかに付いて議論が観られます。「非常に効果的」と分析するメディアも有れば「大半が貯蓄に回る恐れが有る」と云う慎重論もあります。
 その他「2009年のリーマンショック時に支給された1.2万円の定額給付金の時よりも、立案から施行迄が早かった」「日本のヤクザは10万円を受け取ろうとしない」と云った内容の報道も目に付きました。

 筆者の周りの上海在住の中国人にも尋ねた処、驚きの反応を見せると共に「羨ましい」と云う意見が大半でした。中には「資本主義の日本で現金が支給されるのに、社会主義の中国で支給され無いなんて不公平だ」等と、現金を一律支給しようとしない中国政府を厳しく批判し始める者も居ました。
 この知人に限らず、今回の日本の政策をみて「ドッチが社会主義国なのか判ら無い」と云う意見は、中国在住の日本人からも聞かれます。

 自助努力意識で差が

 前述の通り、中国のコロナ関連経済対策は企業向け支援が主で、個人に対する補償や支援は一部に留まって居ます。又企業に対する支援に関しても、報道の制限も有るでしょうが、日本国内と比べると休業中の補助金支給を求める業界団体等の主張や要請はそれ程多くは見られません。
 筆者が見て居る限り、今回のウイルスの流行に依って打撃を受けた事業者は中国でも少なく無いものの、その打撃の補償の埋め合わせに関して政府の支援を当てにして居る事業者は余り多く無い様に感じられます。当てにして居ない、と云うより当てに為ら無いと云う諦めの様な意識と言い換えた方が好いかも知れません。
 只その結果、今回のコロナ関連事態に対しても「頼れるものは自分だけ」の様な、自助努力意識では中国の方が日本より優って居る様に見えます。

 一方、日本国内の報道を見て居ると、業界の逸失利益はどれ程か・どれ程補償を受けるべきか・国と自治体のドチラが補償するのか・・・等と云った議論が多い様です。事業主は普段税金を払って居るのだから補償を求める事自体は筋違いでは無いでしょう。しかし、日本と中国のドチラが資本主義でドチラが社会主義なのかと問われると、少し言葉に詰まる思いを禁じ得ません。

 中国は資本主義と社会主義の好いとこ取り? 

 過つて筆者の知人(日本人)は、中国に付いて「資本主義と社会主義の好いとこ取りな体制をして居て狡い」と評した事が有りました。今回のコロナウイルス対策の動きを見ていて改めてその友人の言葉を思い出しました。
 中国は政治体制でコソ社会主義を採用して居るものの、経済体制に於いては最早日本以上に激しい競争主義が敷かれて居り、国民の政府に対する依存意識も日本と比べると希薄です。逆に日本は、パチンコ店の休業一つ取っても「補償はどうする?」と云う議論から始まる等「想定外の負担は政府が当然補償するもの」と云う意識が一般的の様です。
 こうした日本人の政府への依存意識は、21世紀に入ってより強く為って居る様に思えます。日中両国のコロナ関連経済対策の違いは、こうした政府への依存意識の差がそのママ対策の中身に反映されて居ると言って好いのではないでしょうか。今や日本も中国も、国の掲げる政治体制と国民の意識との間で互いに「ズレ」が生じて居るのかも知れません。


 花園 祐 中国・上海在住のブロガー 過つては通信社の記者 好きな食べ物はせんべい、カレー、サンドイッチ

                  以上




 中国共産党の辞書に 「現金給付」が無い訳

            〜ニュースソクラ 5/11(月) 16:31配信〜

 
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      亜細亜大学教授 元日本経済新聞論説委員兼編集委員 後藤 康浩氏

 経済の裏側に潜む共産党的な統制思想
 
 世界各国が新型コロナ・ウイルス感染で壊滅的な打撃を受けた自国経済の立て直しに苦闘して居る。金融、財政両面で様々な政策が打ち出される中で、日米欧やアジア諸国で採用されたのが、国民への現金支給や収入が大幅に減った自営業・フリーランスへの所得補償である。
 一方、コロナ感染の発信源である中国では減税・社会保障費用の減免等中小企業向け対策が打ち出されては居るものの、国民への現金給付は無く、各地域が使途限定の金券を配付する程度。習近平政権が直接給付に消極的なのな何故か? ソコには中国共産党の本質が潜んで居る。

 安倍政権の対コロナの経済政策の目玉は、公明党の要求で急転直下決まった条件無しの国民1人当たり10万円の「特別定額給付金」事務経費含め総額は12兆8803億円に上り、2019年の日本の国内総生産・GDPのおよそ2.4%に当たる空前の規模の直接給付。
 米トランプ政権は年収7万5000ドル・約830万円以下の世帯に大人1200ドル・子供500ドルを支給する。それを上回る収入の世帯も減額されるものの一定金額が付与される。給付総額は5000億ドル・約53兆円に上る見通しで、GDPの2.3%程度に為る。
 欧州各国も自営業者・フリーランス向けの大口の現金給付、シンガポールやタイ・インド等も直接給付を検討して居る。

 コロナ・ウイルス感染の発端と為った中国は早い段階で中小企業向け対策を打ち出すと共に、預金準備率引き下げ・政策金利の引き下げ等矢継ぎ早の対策を打ち出したが、日米の様な国民への直接給付は政策議論にも上って居ない
 広東省、浙江省、山東省の一部の都市や上海市等が50元〜500元・780円〜7800円と云った規模の使途限定の商品券を配付するのみで、それも配付枚数に上限がある。中国経済は政府の経済活動再開の大号令と共に3月に入って力強く回復して居る様に見えるが、経済活動が止まって居た2カ月間に払い出した在庫を補充する動きを含んで居る。製造業購買担当者指数・PMIは2月の35.7から3月には52.0と急回復したものの、4月は50.8と再び低下して居る。

 消費の回復が鈍い事が大きな要因だ。雇用と収入に不安が有る中で、必需品の消費すら抑制して居る消費者の空気を変える一案に現金給付が有り、経済学者や一部メディアから提案も出始めて居る。
 四川省成都に在る西南財経大学の家金中心・家計金融研究センター主任の甘犁教授は、

 (1)16歳未満の子供及び高齢者に1人当たり1200元・約1万9000円
 (2)賃貸住宅居住者に大都市で1800元・中規模都市で1320元・その他で960元
 (3)住宅ローン利用者に1200元

 等夫々1回限りの現金給付を提案して居る。甘教授の試算では、中国の全世帯の70%に当たる3億2,600万世帯が支給対象と 、総額は7500億元・約11兆6250億円に為ると云う。ホボ日本と同規模の給付総額。

 中国政府の予算規模(中央一般予算)は2019年に約11.2兆元・当時のレートで約185兆円で、101.4兆円の日本の約1.8倍。公的部門の累積赤字の対GDP比は共に260〜280%と云う深刻な規模だが、中国政府に取って7500億元は決して支出出来無い額では無い。
 しかも国民の90%以上が支付宝(アリペイ)微信支付(ウイチャットペイ)のスマホアプリの電子決済を利用して居り、給付の事務作業は日米に比べ遥かに容易な筈だ。にも関わらず、国民への直接給付が話題にすら上らないのは何故か?

 大きな要因は、選挙の無い非民主的な政治制度に有る。公明党が安倍政権に連立離脱もチラつかせて「一律10万円」の現金給付を迫った背景には、支持母体で在り集票組織で有る創価学会の意向が有る事は広く知られて居る。自民党内にも選挙を考えそうした要求があった。
 米国やカナダ・欧州諸国でも直接給付は国民の支持獲得の有力な手段であり、政権党は飛び着いた面がある。選挙の無い一党支配の中国では、共産党はバラマキに依る支持獲得に走る必要は無く「コロナ戦勝利に於ける中国共産党の目覚ましい成果」を宣伝するだけで好い。

 もうひとつ見逃せ無いのは、市場経済化して30年近く経っても変わら無い中国共産党の計画経済的・中央集権的な発想と政策手法。消費者たる国民に資金を渡し、自由な消費に任せるよりも、国有企業を中心とする企業に資金を回し、投資・雇用等を政府がコントロールしようと云う発想と云える。

 日米欧等の国民へのバラマキ政策が好いのか、中国の統制型対策が効果を生むのか、言い換えれば、日米欧等のデマンドサイドへのアプローチと中国のサプライサイドへのアプローチのドチラが効果的なのか、アフターコロナの世界のひとつの見所でもある。


 後藤 康浩 亜細亜大学教授 元日本経済新聞論説委員兼編集委員   以上























日本が社会を壊さずに コロナを終息させる唯一の道




 日本が社会を壊さずに コロナを終息させる唯一の道

             〜JBpress 木村 もりよ 5/11(月) 8:00配信〜


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                医師 作家 木村 もりよ氏 

 世界の感染状況を集計するジョンズ・ホプキンズ大学

 新型コロナウイルスの報告の中で米ジョンズ・ホプキンズ大学の名前を目にする機会が多く為ったが、それは、2020年1月24日、同大学のCSSE・Center for Systems Science and Engineeringシステム科学工学センター)が、世界の新型コロナウイルス発生状況のデータベースを公開したからではないかと思う。
 それ以来、世界各国の新型コロナウイルスの広がりをアップデートして居る。これ等の情報は、WHO・世界保健機関、米国CDC・疾病予防管理センター、各国の政府が発表する報告だけでは無く、世界の医療関係のSNSから得て居る様だ。

 日本では余り馴染みが無い名前だが、ジョンズ・ホプキンズ大学は医学に於いては世界ナンバー1と称され、諸外国では最も知名度の高い大学である。隣接するジョンズ・ホプキンズ病院は1889年に開院したが、1991年から2011年迄米国病院ランキング第1位に選ばれて居る。2020年は第3位。
 ジョンズ・ホプキンズ大学と病院は、起業家であるジョンズ・ホプキンズ氏の遺言に基づいて設立された。当時ビッグ4と呼ばれた4人の医学の権威を招き、医学教育システムを確立した。研修医制度を導入したのも同大学である。
 特にビッグ4の1人である内科医ウイリアム・オスラーWilliam Oslerの名前は医療従事者で知ら無い者は居ないだろう。毎朝、教授と専門医達が患者のベッドを訪れる回診は、オスラーに依って開始されたものである。

 リサーチ重視の姿勢と潤沢な資金
 
 この様に医学に於いて有名な大学だが、今回の新型コロナウイルスに関して、非常に莫大なデータを発表し続けて居るのは、幾つか理由が有ると考えられる。その1つが、リサーチを重要視する姿勢であり、もう1つが潤沢な資金であろう。
 医学の分野は日進月歩であるが、それと同様に医学を取り巻く分野も多様化して居る。その大きな分岐点が、近代疫学の導入である。疫学とは疾患の広がりを研究する学問であるが、近代疫学が花開いたのは、20世紀初め以来世界を脅かして居る結核対策が欧米で大きな社会政治的問題と為ったからと言われて居る。

 1919年、ジョンズ・ホプキンズ大学は、世界初のパブリックヘルス大学院を設立した。当時、WHOがキャンペーンを展開したBCG・結核予防ワクチンの有効性を確かめる為「RCT」Randomized Controlled Trial・ランダム化比較試験と呼ばれる極めて信頼度の高い研究手法を確立し、米国CDCの前身である米国公衆衛生チームと共に、世界各地で中長期的な大規模研究を行い、データ解析を行った。RCTは現在流行りのEBM・Evidence-Based Medicine・根拠に基づく医療を構築する研究手法である。

 米国の医学校を目指す学生の中で、最も人気の有るのがパブリックヘルスである。日本では公衆衛生学と訳されるが、恐らくその内容は可成り異なって居る。
 パブリックヘルスは、患者対医師と云う、所謂医療の枠を超えて、国として世界として、疾患に対してどの様な対策を行うかを、メガデータを用いて行う分野として位置付けられて居る。それ故、医学だけで無く、統計学、生物学、経済学、政治学、国際関係学等多種多様の領域に跨って居る。

 こうした状況に対応するが如く、ジョンズ・ホプキンズ大学は、様々な分野に進出して居る。特に今回のデータベースを公表したCSSEは、同大学のメディカルエンジニアリング部門に有る。此処は、情報工学やロボット等のリサーチを産官合同で行って居る。この他SAISと云う国際政治大学院は、国際関係と軍事データに特化したデータベースを持って居る。

 こうしたリサーチに賭ける情熱は、数字としても表れて居る。ジョンズ・ホプキンズ大学の研究者が獲得する政府からの研究費は他の医学校と比して約5億円多いと云うデータが有る。資金が有れば優秀な人材を集める事が出来る。
 2019年にノーベル生理学賞を受賞したグレッグ・セメンザを含め、同大学は21人のノーベル学者を研究者として迎えて居る。また、マイケル・ブルームバーグ元ニューヨーク市長は、2018年に個人としては過去最高の約2,000億円を母校に寄付して居る。

 筆者は同大学のパブリックヘルス大学院で学び、ポスドク時代には、米国CDCのプロジェクトコーディネーターとして勤務出来た。何よりも大きかったのは、コリン・パウエル時代の米国保健省特別顧問を務めたD・A・ヘンダーソン、BCGワクチンの結核予防効果は不明として米国のBCG導入を留まらせたG・W・カムストック、ヘンダーソン及びWHOと共に天然痘根絶を行った蟻田功等の優れた恩師と出会った事である。

 以下では、こうしたデータ解析の重要性を学んだ土台を元に、現在の新型コロナウイルス対策に関して論じてみたい。

 集団免疫が得られる状況迄は程遠い

 日本では緊急事態宣言が延長されたが、現在迄の処、新型コロナウイルスに関しての中長期的な見通しは示されて居ない。
 一方、新型コロナウイルスは未知のウイルスであるが、4カ月以上の世界的流行の中で分かって来た事が有る。それは、重症化するのが高齢者と基礎疾患を持つ集団に特化して居る事である。その危険因子を踏まえてどの様に対策を取って行ったら好いだろうか。

 先ず、感染症には原則がある。感染する能力を持つ人は、短期間で複数の人に遷す、第2に、一度感染して治癒すると、短期間は自分がその感染症に対して免疫を持ち、遷る事も無いし人に遷す事も無い。
 短期間でどれだけ複数の人に遷すのかを表す数字として、基本生産数「R0」と云う専門用語が使われる。R0が2.5と云うのは、1人が2.5人に感染させると云う意味である。1週間に1人の人が2.5人遷すと仮定すると、10週後には2.5の10乗で9,536.74人、20週後には、9,094万9,470人の感染者が出る 。この数字は何の対策も講じ無かった場合である。

 では、何も対策をし無かったら永久に感染者数が増加し続けるのかと云うとそうでは無い。或る集団の中で感染して居る人が多く為ると、感染して居ない人が感染して居る人と出会う機会が少無く為り、最終的に感染症はその集団を諦めて出て行ってしまう。
 これが集団免疫と云う概念である。言い換えれば、全部の人が罹ら無くても或る割合の人が罹れば、その集団は、或る一定期間その感染症から守られると云う事に為る。集団免疫は、今流行して居る感染症の病原体が1種類で有る事、人の交流がランダムに行われると云う前提が在るが、感染症に当て嵌る一般原理である。

 しかしながら、当該集団の中、どの程度の人が罹れば集団免疫が成立するかは感染症により異なる。致死率が高い感染症程、多くの人が罹ら無いと集団免疫が成立し無いと云われる為、今回の新型ウイルスの比較的低い致死率を考えると、約60%程度の人が罹れば、日本の中での集団免疫が成立するのでは無いだろうか。

 では現状ではどの程度の人が感染して居るのであろうか。これを正確に把握するには国民全員に検査・PCR検査と抗体検査・・・PCRは現在ウイルスに感染して居るかどうかを調べる検査・抗体検査は既にウイルスに罹ったかどうかを調べる検査・・・をすべきで在ると云う議論に為るが、物理的に不可能である。
 又、検査自体の信頼度は100%では無い為、年齢や性差等の個人に依る特性が偏ら無い様に、出来るだけ多くの集団を選んで検査し、それ等の集団での結果を下に推測するのが適当である。現在迄の処、個別の自治体や医療機関で抗体検査等が行われて居るが、その結果は5%程度で、集団免疫が得られる状況とは程遠い。
 この結果が正しいとすれば、多くの人々に新型コロナウイルスへの免疫が出来て居ないと云う事に為る。この状況下では、新型コロナウイルス流行終息に向けての今後の見通しは極めて悲観的なものに為る。

 感染防止対策のプランAとプランB

 今回の政府の緊急事態宣言は「医療崩壊を食い止める為の時間稼ぎ」で有ると筆者は理解して居る。と云うのも日本に先んじて流行が起こった諸外国での致死率を上げたのは、高齢者の院内感染とそれに依る重症化に依り、集中治療室と人工呼吸器が足り無く為った・・・即ち医療キャパシティを遥かに上回ったからである。
 日本は諸外国と比して、病床数は多い為、医療崩壊は起こら無いと云う指摘も有ったが、実際は、ICUのベッド数や人口対の医師数は他国と比して少なく、僅かな感染者数の増加に依って、医療キャパシティを超えてしまう恐れが出て来たからである。

 現在行われている人の移動の制限等は一時的に感染者を少なくするが、手を緩めればリバウンドにより感染者数が増加する事が判って居る。感染者数を徹底的に抑え込む為には、強力な感染防止対策をワクチンや特効薬が利用可能に為る迄継続する事の必要性が指摘されて居る。(以下では「プランB」)

 しかし、こうした徹底的な封じ込め戦略を長期に渉って続ける事が出来無い事は、欧米諸国等が自粛規制を解いて来た事からも明らかである。そこで、厳しい自粛を行い、感染者数が少なく為った事が確認されたら緩める、そして又医療キャパシティを超えそうに為ったら厳しい規制を行う事を繰り返す方法が示唆される・・・以下では「プランA」。程度や、遣り方の違いは有るにしても、日本並びに諸外国が実際的に取ろうとして居るのはプランAである。

 しかしながら、プランA・Bに類似したものはこれ迄どの国でも長期的に行われた事が無い。この為、実際どれだけ続けられるかどうかは好く判ら無い。最近出されたハーバードの研究では、プランAに類似した対策を続けるカギは、医療キャパシティに依る事が報告されて居る。即ち、医療キャパシティが増え無い場合は、都度都度の厳しい自粛と緩和の1タームが感染終息迄、恐らくは2022年迄、同じ長さで何回も繰り返される事に為る。

 だが何度も同様の自粛が起こる事に依り、経済恐慌・社会不安・暴動・自殺の増加・人々の心身の健康悪化・教育水準の低下等、様々な問題が発生する事も懸念されて居る。そうした懸念の現実化により、プランAやプランBの成功に依って新型コロナウイルスによる死亡率が減少しても、経済不況、社会不安に依る自殺、孤独死、餓死等の総死亡率が増加する恐れがある。
 又、このプランが失敗した場合、多大な被害を医療現場にもたらす事に為るかも知れない。感染症は新型コロナウイルスだけでは無い。年間12万人が命を落とすインフルエンザを含めた肺炎は秋から冬に流行し易い事が分かって居る。特にインフルエンザは若年層でも重症化するリスクが有る事から、今回の新型コロナウイルスの第2波と、インフルエンザ流行が重為れば、医療崩壊を加速させる事は必至である。

 過つて猛威を振るった1918年の当時の新型インフルエンザ・所謂スペイン風邪は、今回の新型コロナウイルスと対比される事が多い。当時の報告に依れば、第1波を免れても第2波があり、第1波が大きかった地域は第2波が小さかったと云う事だ。
 これが今回の新型コロナウイルス流行に当て嵌るとするなら、今抑え込んでも何カ月か先に第2波が来る可能性が有ると云う事である。今回の新型コロナウイルスは致死率がスペイン風邪と比して低く、重症患者は高齢者が多い事等、単純比較は出来無いにしても、100年に一度の感染症で有る事は間違い無く、過去のデータから学ぶことは多い。

 (*)プランA・Bに関しては、関沢洋一氏・藤井聡氏と共著の「高齢者と非高齢者の2トラック型の新型ウイルス対策について」を参照されたい。

 2022年迄は終息し無い積りで備える

 以上、医療のキャパシティと社会経済の損失は大きな関係が有る事が分かったが、実際にどの様に医療キャパシティを増やすかと云うのは極めて難しい。ICUや人工呼吸器を増やす事が出来ても、そこに投入される人的資源を増やす事は難しい。
 現在の状況下では、感染の広がりを上記のPCR検査と抗体検査でモニターしながら、医療崩壊を起こさ無い様にして行くと共に、未だ感染が拡大して居ない地域から、人工呼吸器を扱える医療従事者等を掻き集める努力をするしか無い様に思える。

 中長期的な政策決定をどうするのか、は政府が決定する事であるが、最終的には2022年迄は感染症は終息し無い積りで備えるべきである。最終的にワクチンや治療薬が開発される事を期待するが、それがどれだけ効果が有るかを見極めるには時間が罹る。寧ろ現存のワクチンを試す事も視野に入れる必要があるだろう。
 確実なエビデンスは無いものの、BCGワクチンの接種に依って新型コロナウイルスの発症が予防されると云う指摘があり、BCGワクチンが高齢者の肺炎を減らすと云う報告も有る事から、今の内から増産し、他国での臨床試験の結果次第では、高齢者に接種する事が良いと思う。医療だけで無く、社会、経済等全ての英知を集め、長期戦に為るであろうこの感染症と立ち向かって行か無ければ為ら無い。


 (参考文献)

 1. Ferguson, N.M., et al., Impact of non-pharmaceutical interventions (NPIs) to reduce COVID-19 mortality and healthcare demand. 16 March 2020
  2. Kissler, S.M., et al., Projecting the transmission dynamics of SARS-CoV-2 through the postpandemic period. Science, 2020: p. eabb5793.
  3. 新型コロナウイルス国内感染の状況(東洋経済オンライン)


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 木村 もりよ 元厚労省医系技官・医師 1965年生れ 筑波大学医学群卒業 米国ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院疫学部修士課程修了・MPH公衆衛生学修士号 ジョンズ・ホプキンス大学デルタオメガスカラーシップを受賞 米国CDC・疾病予防管理センター・財団法人結核予防会に勤務後厚生労働省入省 厚生労働省医系技官を経て、現在はパブリックヘルス協議会理事長 医師・作家 著書に『厚労省と新型インフルエンザ』(講談社現代新書)『厚労省が国民を危険にさらす』(講談社)『辞めたいと思っているあなたへ』(PHP)など

                  以上
















池上彰が解説!今更聞け無い日本と韓国「対立の闇」




 池上彰が解説!今更聞け無い

 日本と韓国「対立の闇」


           〜現代ビジネス 佐藤 優 5/11(月) 6:01配信〜


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              池上彰氏 写真 現代ビジネス

 解釈が分かれた、日韓基本条約
 
 『知らないと恥をかく 東アジアの大問題』は、ジャーナリストの池上彰氏と漫才コンビ「南海キャンディーズ」ツッコミ担当の山里亮太氏に依る優れた国際情勢解説だ。池上氏が持つ大量の知識から読者が関心を持つ内容を山里氏が巧みに引き出して居る。
 韓国は日本の植民地支配を脱したのが1945年であるが、国交が正常化する迄に20年掛かった。その際に両国間の歴史認識の深刻な差異を玉虫色にして外交関係を樹立したツケを清算しなくては為ら無い状況に今日至っている。


 山里 日本が引き揚げてから国交正常化迄可成り時間が有りますよね。

 池上 時間が掛かりましたね。1965年に国交を正常化して〔日韓基本条約〕を結びました。その時、韓国を併合した条約〔韓国併合条約〕に付いてはどうなのか、と云う議論に為って、日本と韓国が激しく対立したんです。
 日本にしてみれば、韓国併合は国際的に認められたものだ、何処からも文句が無かったと〔正当性〕を訴えた。韓国は「アノ時、日本は武力で無理遣り調印させたから無効だ」と。その結果、日韓基本条約は〔玉虫色の表現〕に為ったんです。

 「日韓基本条約に依って、1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結された全ての条約及び協定は、最早無効で有る事が確認される」

 ・・・こう云う言い方。詰り日本にしてみれば「前の条約も有効なものだったけど、新しい条約を結んだから前の条約が無効に為った」と解釈し、韓国は「嫌々、ソモソモ無効な条約だったと云う事を此処で改めて確認したよね」と。夫々が自分に取って都合の好い言い方が出来る様な条約に為って居ると云う事で、日本がソモソモ朝鮮半島を植民地化した事が合法か非合法かは決着し無いママ玉虫色で結んだと云う事です。

 山里 で、同時に〔日韓請求権協定〕を。

 池上 日韓基本条約を巡って日韓の間で交渉して要る時に、韓国が日本に対して「戦時賠償金を払え」と要求して来たんですよ。日本は戦争に負けた後、東南アジアの各国に、戦時賠償金を払って居るんです。だから韓国にも払えと。処が日本は韓国と戦争をして居ませんよね。

 ・・・最も韓国は〔亡命政府が日本と戦争して居た〕と強弁する。この辺りの事情に付いても詳しく解説して居る。

 山里 だって、当時は日本の一部だった訳ですよね。

 池上 そう、先の大戦で日本兵として戦った人も大勢居る。戦争をした訳じゃ無いからと拒んだ。でも、日本の朝鮮半島支配に反対する組織が上海に〔大韓民国臨時政府〕と云うのを作り、これが日本と戦争をして居たんだと言うんですよ。
 事実〔大韓民国臨時政府〕は上海に出来たんですが、中華民国の庇護の下の形だけの存在で、実際は殆ど無いに等しい組織でした。処が韓国にしてみれば、この〔大韓民国臨時政府〕が日本と戦って韓国と云う国が出来たから戦時賠償金を払えと。

 山里 それで売り言葉に買い言葉で、日本も韓国に対して請求権が有ると言い出したんですね。

 池上 その通りです。

 事実関係は2人が議論して居る通りだ。しかし、1965年当時と比べて韓国の国力は向上して居る。更に日韓基本条約は第3条で「大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号(三)に明らかに示されている通りの朝鮮に在る唯一の合法的な政府で有る事が確認される」と定められて居る。
 将来、日本が北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と国交正常化交渉を始めると、日韓基本条約第3条と矛盾する事に為るので、この条約の改定が必要に為る。外交は力と力の均衡で決まるので、1965年当時と比べ圧倒的な経済力が着いた韓国に対して日本は可成り譲歩し無くては為ら無く為るであろう。


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 コロナウイルスの「歴史」
 
 新型コロナウイルスに関する遣り取りも興味深い。

 山里 でも今回のウイルスは「新型」って付いて居るから。
 
 池上 コロナウイルスが突然変異を起こしたんですね。ウイルスは生き物の細胞に入り込んで自分の遺伝子のコピーを作って増殖して行くんですけど、その過程でコピーミスを起こすんです。
 このコピーミスこそがウイルスの変異。ミスなので大体はそこから生き延びる事は出来無いんですが、極稀にこれが強力なものに為る。

 山里 突然変異して、確か、過去にも有りましたよね。
 
 池上 コロナウイルスが突然変異したものって、過去に2種類見付かって居ます。ひとつは2002年に中国・広東省で発生したSARS・重症急性呼吸器症候群・(中略)もうひとつは2012年、サウジアラビアで発生したMERS・中東呼吸器症候群。

 ・・・通常の風邪の約3割はコロナウイルスが原因と言われて居る。普段は大した事の無いコロナウイルスが突然変異を起こして猛威を振るって居るのだ。

 山里 人間って、考えてみれば小さなウイルスに勝て無い存在なんですね。
 
 池上 その通り。人々は新型ウイルスと云う不条理と直面して居るんです。歴史を振り返ると、中世にはペストが大流行して大勢の人間が犠牲に為りました。(中略)全世界で少なくとも5000万人以上が死んだと云われる第1次世界大戦の頃の「スペイン風邪」は、インフルエンザウイルスに依るものだと判明して居ます。


 ・・・当時は風邪との区別が着か無かったんです。今回の新型肺炎も、言わば現代のペストであり現代のスペイン風邪なんでしょうね。新型コロナウイルスの致死率は、ペストやスペイン風邪と比べると遥かに低いが、経済に与える影響が深刻だ。

     週刊現代2020年4月4日号より 佐藤 優 作家   以上


















【ベストセラー散歩】第二次世界大戦に従軍した女性達が、確かに存在して居る 『戦争は女の顔をしていない』




 【ベストセラー散歩】

  第二次世界大戦に従軍した女性達が確かに存在して居る 

 『戦争は女の顔をしていない』


               〜婦人公論.jp 5/10(日) 7:00配信〜


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 『戦争は女の顔をしていない(1)』作画・小梅けいと 原作・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

 原作に加わった伸びやかな描写

 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの著作のコミカライズ作品。Web連載が始まった時は本当に驚いた。2015年にノーベル文学賞を受賞したアレクシエーヴィチは、1948年ウクライナ生まれのジャーナリストであり『戦争は女の顔をしていない』は彼女が30代の時の第1作だ。
 第二次世界大戦時ソ連では、数多くの女性が従軍し兵士として前線で戦った。だが、それ故戦後は差別的な目で見られる事に為り、戦争体験を隠して生き無ければ為ら無く為った・・・そう云う女性達500人以上を訪ね、一人一人の思いや記憶に寄り添い、語られる言葉に耳を傾け続けた結実としての著作なのだ。

 そんな言葉を、マンガでどう遣って表現するのか・・・しかし読み始めると直ぐ危惧は消えた。言葉から立ち上がるイメージは、伸びやかで誠実な描写に依って奥行きの有る絵と為り、目の前に広がる情景がエピソードの中で動き出す。
 ソコには、洗濯部隊に配属されたワレンチーナや狙撃兵のマリヤや、戦闘機の飛行士だったアントニーナ達が確かに存在して居て、生々しい情感に引き込まれて行く。監修の速水螺旋人に依れば、原作のインタビューでは判ら無い軍隊の制服や階級章等も調べた上で正確に描かれて居るとか。

 強く美しい女達、等と云う陳腐な讃美は要ら無い。愚かさも残酷さも持った彼女達はその時代の戦場を只必死に生きた。私達が出来るのはそれを無かった事にし無い、黙ったママで終わらせ無い事だと思う。Web連載で反響を呼んだ後、単行本として1月に出版されて10万部(紙+電子)を突破。岩波現代文庫の原作も重版された。


 『戦争は女の顔をしていない』 作画◎小梅けいと 原作◎スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 監修◎速水螺旋人 KADOKAWA 1000円  文 川口晴美     以上


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 第二次世界大戦中に活躍した

 ロシアのスナイパー女性兵士達 の写真をカラー化


          〜カラパイア 2017年4月28日 22:30 〜


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 第二次世界大戦(1939〜1945)が世界規模の戦いに拡大し始めた1941年、ドイツ軍がソ連に侵攻した。ソ連では国民は全て奴隷化されると云う噂が流れた。これに対し、母国の危機を救う為2,000人を超えるロシア人女性が狙撃兵として軍に入隊。
 その中でも類まれな才能を発揮し、前線で優秀なスナイパーとして名を馳せドイツ兵を恐怖に陥れた兵達が居た。中には、309人ものナチスを射殺してレディ・デスと呼ばれて恐れられた女性も居る。そんな彼女達の姿が、ロシアのデジタルアーティスト、オルガ・シルニナに依ってカラー写真として蘇った。

 【ナチス兵も恐れた伝説の女性スナイパー】

 女性狙撃兵達は残忍で過酷な前線に立ち、ドイツ兵を恐怖に陥れた。中でも彼等が最も恐れて居たのはリュドミラ・パヴリチェンコだった。

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 彼女はドイツ兵の間で レディ・デス・Lady Deathと云う名で恐れられた。史上最も腕の建つ女性スナイパーと言われ、309人のナチスの狙撃に成功したと云う。又、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの額縁写真の下で、軍服で決めた彼女の別の写真もある。パプチリシェンコは1942年に前線の砲撃で顔を負傷、その後は前線を離れ、狙撃手を養成する教官に為った。

 ローザ・シャーニナ 彼女は16歳の頃に59人のドイツ兵を射殺し、東プロイセンの見えない恐怖と呼ばれた。1945年、20歳の頃に東プロイセンの戦場で砲弾の直撃に遭い亡く為った。当時彼女が綴って居た日記は後に書籍として出版された。

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  Yevgenia Makeeva Makeeva(左)は68人のドイツ兵を射殺したと伝えられて居る。写真右はリュドミラ・パヴリチェンコ。

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  Ziba Ganiyeva ウズベキスタン出身のアゼルバイジャン人で、18歳でロシア軍に入隊し、前線を16回も越えた。

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 ナデジダ・コレスニコフ(左)とリューバ・マカロワ(右) 彼女達はソ連の大祖国戦争(1941〜1945)の頃に東部戦線で戦った。

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 当時、母国の為に立ち上がった女性達の数は2,000人を超えた。

【ロシア史を鮮やかに甦らせるデジタルアーティスト】

 モノクロだったこれ等の写真をカラー化したオルガ・シルニナはこう語る。
 

 ・・・赤軍の兵士を撮った写真は殆ど有りません。だから、その不足を補おうと考えました。元々ロシアの歴史に興味が有りましたから、これは国と世界の両方の歴史に取って、インパクトを与える劇的な出来事だと思う。多くの言葉で語るよりも、写真は沢山の事を教えて呉れる事が有ります。私がカラー化したこれ等の写真に依って、人々がモッとロシアやロシア人に付いて知って呉れたら嬉しい。特にこの国に居た勇敢な女性達に付いて知って貰えたらと思います。
 これは一つの現象だったと言って好いでしょう。こんなに沢山の女性の兵士、スナイパー、パイロット、医師が居た国は他にはないと思う・・・


 彼女はウラジーミル・レーニンやヨシフ・スターリン、ニコライ2世等の偉人の姿もカラー化し、ロシア史の魅力をより鮮やかに伝えている。彼女の作品の一部はFacebookでも公開中だ。

 via:dailymail、facebook・translated D/ konohazuku / edited by parumo 記事全文はこちら:第二次世界大戦中に活躍したロシアのスナイパー女性兵士たちの写真をカラー化 http://karapaia.com/archives/52238013.html

                 以上



 【管理人のひとこと】

 第二次世界大戦で女性兵士が登場したのは、このソ連の例が初めてだった様だ。日本を含め他の国々では女性は看護師や医師の様に直接戦場には投入された場合を除くと、殆どが一線から退いた比較的安全な環境下での支援業務の様だ。日本の場合は、従軍看護婦の様に部隊と共に行動した場合が殆どだっただろう。
 何故、この様にソ連では直接戦場へ赴く、上記の様なスナイパーで在ったり戦闘機に乗るパイロットで在ったり戦車に乗る等の第一線に就いたのか・・・共産主義ならではの何か精神的なものでも有ったのか。共産主義と云えど男女平等がそれ程進んで無かったにも関わらずにである。
 しかし、ドイツに占領された各国の地下組織には多くの女性兵士が居た事は知られて居る。云わば国内の抵抗運動に参加する女性達だ。彼女達は男性と共に戦地を駆け巡っただろう。愛国精神で銃を持ち共に戦う女性が居たとしても可笑しくは無い訳だ。ソ連映画で戦闘機乗りの女性パイロット部隊を描いたものを観た事がある。男性に負けず過酷な訓練を受け、女性特有の感性で戦い続ける・・・その姿は、男性よりも純粋で一途なものとして描かれて居た。

















2020年05月10日

「公共の為に個人の権利を制限した」田中角栄から今 日本人が学ぶべき事





 「公共の為に個人の権利を制限した」田中角栄から
  
 今、日本人が学ぶべき事
 


          〜プレジデントオンライン 田原総一朗 5/10(日) 11:16配信〜


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               ジャーナリスト 田原総一朗氏

 田中が取りまとめた「都市政策大綱」の恐るべき内容

 僕は田中角栄以降、日本の総理大臣とは全て一対一で会って話をして居ます。田中の特徴は、何と云っても構想力でしょう。凄い政治家だと初めて認識したのは、1968年に田中が自民党都市政策調査会長として〔都市政策大綱〕を発表した時でした。
 前年の東京都知事選挙で、社会党と共産党が推薦した美濃部亮吉が当選しました。それ以前に京都は革新知事だったし、その後は名古屋や大阪でも革新が勝った。その状況に危機感を覚えて、田中は「中央公論」に〔自民党の反省〕と云う論文を書きます。

 当時、太平洋側の都市は工業化が進み、過密と公害が問題に為って居ました。そうした不満を吸い上げて当選したのが革新系の首長達です。それに対して田中は、革新は反対だけで対案が無く、政権を任せられ無い。だから自民党が力を着けなくてはいけ無いと反省したのです。
 では、どうすれば好いのか。その答えを示したのが都市政策大綱でした。ここで示されたのは、日本全体を1つの大きな都市にするという構想でした。新幹線や高速道路・航空路線網を張り巡らせ、日本全国を日帰り圏にする。そうすれば日本海側や内陸部にも工場が出来、過密や公害で悩む太平洋側の問題も解決出来ると云う訳です。こんな構想を示した政治家はそれ迄居ませんでした。
 素晴らしいと思ったポイントは2つ。先ず公共の為に個人の権利を制限する事。もう1つは、開発する具体的な地名を挙げ無かった事でした。
 
 都市政策大綱が出来た背景には、田中の長所である膨大な法律の知識が有ったでしょう。田中は、議員立法で33本の法律を成立させて居ます。堺屋太一さんに言わせると、これは途轍も無い事だそうです。新しい法律を作るには、それ迄の法律を全部理解して居ないといけません。だから専門分野の官僚が必死に勉強して作るのが普通。それを尋常高等小学校卒の田中が遣ったのは凄いと。
 後の話ですが、本人に「どうしてそんなに法律を知って居るのか」と聞いた事があります。すると、彼は子供の頃から吃音症で、それを治す為に毎朝畑で六法全書を読み上げる内に暗記したと教えて呉れました。

 田中が衆議院議員に初当選した時の首相は吉田茂です。吉田は、何時も六法全書を脇に抱える田中を揶揄(からか)う積りで法律の条文を3つ尋ねた。全部答えた事に感心して、当選1回なのに法務政務次官にしたと云う逸話も有りましたね。
 サテ、類いまれな構想力と法律知識を背景に都市政策大綱を作った田中は、それを下敷きに〔日本列島改造論〕を1972年に書き、同書は大ベストセラーに為ります。只、都市政策大綱と違うのは、公共の為に個人の権利を制限すると言わ無く為り、開発の具体的な地名を挙げた事。
 秘書の早坂茂三等が反対したら「これは医者の処方箋だ。処方箋は患者を喜ばせ無いといけ無い。列島改造論も国民を喜ばせるものだ」と答えたそうです。直後の総裁選で勝って、田中は総理大臣に為ります。し19かし、開発する地名を出した事で地価が上がりインフレに。
 国民の間で疑問が起き始めた処に1973年秋に第四次中東戦争が起きて石油ショックです。石油の価格が5倍に上がって悪性インフレに為り、田中の政治は金権政治だと批判が沸き起こりました。

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 田中が呉れた茶封筒、厚みから100万円は入って居たと思います

 それ迄は田中の遣り方を悪く言う人は居ませんでした。田中のライバルは東大卒で大蔵省出身の福田赳夫。福田を囲む会は当時政財界に34も在りました。それに対して、田中は「俺は新潟県人会と二田小学校の同窓会しか無い。だから自分で井戸を掘らないといけ無い」と云って自分でお金を作って居ました。それで他の政治家の面倒を見る。社会党の政治家にも渡して居たし、その政治家が裏切っても怒ら無い。それは支持が増えますよ。
 その頃福田派だった亀井静香は「田中派は軍隊だ」と評しました。田中の言う事は聞か無くてはいけ無いが、選挙のお金の面倒も見て呉れる。一方、福田派は単なるサロン。福田は何もして呉れないから、結局、田中に頼みに行かなくてはいけ無いと。処が、石油ショックを契機に国民はそれを許さ無く為った。その後の参院選でも大敗です。

 アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄
 
 石油ショックは、ロッキード事件にも繋がって居ます。日本は石油の供給をアメリカの石油メジャーに依存して居た。そんな中、中東諸国はイスラエルの味方をするアメリカやその同調者には石油を売ら無いと宣言した。田中はエネルギーで自立する為に中東諸国やソ連に接近した。
 これにアメリカが怒り、ロッキード事件で田中を失脚させたと云うのが僕の見立てです。僕は中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を発表してその顛末を書きました。それを田中が読んで信用して呉れましてね。1981年に初めてインタビューする事が出来ました。

 出会いは強烈に印象に残って居ます。僕は30分前に目白の田中邸に入った。処が約束の時間を30分過ぎても田中が遣って来ない。秘書の早坂に聞いたら「実は昨日、オヤジ(田中)に言われて君の資料を集めて来た。朝からそれを読んで居て、未だ終わって無い」と。
 普通、資料を読むのはインタビュアーの僕の方。でも、田中は逆にインタビュアーの事を徹底的に知ろうとして居た。これは面白い政治家だなと改めて感じました。

 結局、インタビューは1時間遅れで始まりました。終わった後、又難題が降り掛かった。田中が金庫から茶封筒を出して僕に渡すのです。恐らく厚みから100万円は有ったと思います。これを受け取ったらお仕舞です。しかし断って怒らせたら、自民党の取材が出来無く為る・・・悩みましたよ。
 結局、一旦受け取ってその足で田中事務所に行き、最敬礼して返しました。2日後に早坂から「田原君、オヤジがOKしたよ」と電話があって首の皮一枚繋がった。OKが出て居なければ、僕のジャーナリスト生命は絶たれて居た筈です。

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 それ以降、田中とは本音の付き合いをさせて貰いました。田中は娘の眞紀子さんを可愛がって居てね「眞紀子は早稲田を出て居て賢いのに、時々本を持って来て『お父さん、この字はどう読むの?』と聞いて来る。親孝行だ」と自慢して居ました。
 1985年に脳梗塞で倒れて、以降は政治への影響力を失って行きました。日本に取って残念なのは、田中以後、アレ程の構想力を示す政治家が出て居ないと云う事です。


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 田原 総一朗(たはら・そういちろう)ジャーナリスト 1934年 滋賀県生まれ 早稲田大学文学部卒業後岩波映画製作所へ入社 テレビ東京を経て1977年よりフリーのジャーナリストに 著書に『起業家のように考える。』ほか
 
 ジャーナリスト 田原 総一朗   構成 村上 敬 撮影 的野弘路       以上





























日本企業で出世する人達 実は「超低学歴」ばかりに為って居た!




 日本企業で出世する人達 

 実は「超低学歴」ばかりに為って居た!


           〜現代ビジネス 5/10(日) 10:01配信〜
   

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             冨山和彦氏 写真 現代ビジネス

 〜過つては世界から称賛された「日本的経営」だが、最早時代遅れの産物と化して居る。それにも関わらず、多くの経営者は未だ過去の成功体験に縋り付き、大きく会社を変化させる事を出来ずに居る。日本企業は今や世界の時価総額トップランキングに入れ無い程に凋落したが、その原因は会社の上層部で決断出来ずに居る「だらしない」トップ達、社長や役員等幹部達に有ると指摘する声は多い。
 今日本のトップ層達が直面して居る本質的な問題とは何か。では、日本企業は今本当はどんな改革に踏み出すべきなのか・・・
 今回、経営共創基盤代表取締役CEO(最高経営責任者)として様々な企業の再生や成長支援に取り組む日本を代表する経営コンサルタントで、新著『コロナショック・サバイバル 日本経済復興計画』を上梓したばかりの冨山和彦氏と、新作小説『よこどり 小説メガバンク人事抗争』でメガバンクの未来や組織の在り様な度を独自の視点で描き出した作家の小野一起氏が緊急対談を敢行。日本企業に蔓延する「偉い人達の可笑しさ」に付いて語り尽くした〜
 

 対談 撮影 小川光 編集協力 村上結希


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                 作家の小野一起氏

 「時代劇化」した日本企業

 小野 日本的経営での成功体験がアダに為って、バブル崩壊と共に経営危機が顕在化した代表例がカネボウやダイエーですね。冨山さんは、政府系の産業再生機構のCOO(最高執行責任者)として、日本的な経営の無残な失敗とリアルに向き合う事に為りました。

 冨山 特にカネボウは最も強固な日本的経営の会社で、日本的経営を作った原型のひとつでも有る訳です。運命共同体みたいに日本型経営を信じて居たので、新しい時代には不適合な会社だった訳です。しかし、最も強烈に変革の波に晒されたのは三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)や3C(自動車、カラーテレビ、クーラー)で過つて成功体験を味わったエレクトロニクス産業でしょう。半導体で日本が世界を席巻したのも成功体験に為って居ると思いますが、精々1990年代の話です。もう時代劇の世界ですよ。

 小野 そうした危機に直面したエレクトロニクス産業の中には変革の波に乗れ無い処も出て来て居ますが、一方、日立製作所等は中西宏明会長等のイニシアディブで強烈な改革が始まって居ますね。中西さんは冨山さんとの共著『社長の条件』の中で日立の人事改革に言及されて居ますが、典型的な日本的大企業と思われて居た日立で大胆な組織改革が此処迄進んで居たのかと驚きました。
 グローバル化に対応する為に年功序列を廃止し、トップの選定も社外取締役が主導して、30代を含む50人近い候補者と遣り取りしながら選定作業をして居ると云う話は刺激的でした。逆に言えば、日立の様な企業でもこの位の改革に取り組ま無ければ生き残れ無いと云う事ですね。
 

 社長が「次の社長」を決めると云うムラ社会
 
 冨山 遅ればせながらだと思います。こうした日本的経営の問題点に付いては気付く人は気付き、分かって居る人は分かって居ました。例えばスタンフォード大学名誉教授の故・青木昌彦さんは、以前から課題を指摘して居た。それなのに、例えばカネボウの経営が傾いた時等、日本の経済界では「アレは変な経営者が居たからだ」と説明してしまう人が大半だったんです。

 小野 日本的な経営が構造的な問題を抱えて居るとは考えずに、カネボウが個別に経営問題を抱えて居ると説明されてしまった。

 冨山 日本的経営の普遍的な病理に付いて経済界全体が認め始めたのは、本当に極最近の事です。安倍晋三政権に為ってから要約企業統治(コーポレート・ガバナンス)改革が本格的に始まりましたが、それ迄は全て人の所為にして居た。
 ソモソモ日本企業の低迷は、世界の時価総額ランキングを観ると明らかです。平成元年は可成りの数の日本企業が上位50社に入って居ました。でも平成の終わりには、精々トヨタ自動車位じゃないですか。この平成の大敗北で、流石に自覚が生まれた。

 小野 「平成最後の時価総額ランキング。日本と世界その差を生んだ30年とは?」(https://media.startup-db.com/research/marketcap-global)に依ると平成元年(1989年)は、世界の時価総額ランキングで、トップ50の中に日本企業は32社入って居て、トップはNTTでした。しかし、平成31年4月(2019年4月)に為ると、トップ50に入った日本企業はトヨタ自動車のみです。トップ3は、アップル、マイクロソフト、アマゾン・ドット・コムと云うデジタル革命の勝ち組のアメリカ企業ですね。
 こうした危機感に直面してヤッと、日本企業の中からコーポレートガバナンス改革で独立社会取締役を導入する企業も出て来ました。そして社外取締役で構成される指名委員会でトップを決める仕組みにした会社も出始めて居ます。これは、社長が次の社長を決めると云うムラ社会の掟の心臓部を変える改革です。只、こうした制度を入れて居る大企業は未だ少数ですね。


 冨山 一桁パーセントでしょうね。

 日本のリーダーが「可笑しな」理由
 
 小野 日本企業に取って「社外取締役の導入」や「指名委員会の設置」が進む事は重要な動きですが、此処からはキチンと定着する事が大切に為って来るのだと思います。その点、折角仕組みを取り入れたにも関わらず、キチンと機能して居ない企業も多い様です。
 ヨクヨク聞いてみると、社外取締役が皆さん社長の「お友達」みたいなケースが有りますよね。形式は整って居るけど、魂が入って居ない。導入した企業の中にはそう云う企業が多い印象があります。
 

 冨山 最初は仕方が無いでしょうね。先ずは形式を先行させて、実質を整えて行く。長い目で見れば実質が変わった会社だけが生き残り、実質が変わら無い会社は消えて行くと云う事でしょう。
 そもそもリーダーシップが必要と云うのは、今や大半の経営者が口にして居ます。しかし、本質的に問題と為るのはリーダーシップの中身で有り、リーダーの在り様でしょう。古き良き日本のリーダー像って有りますよね。人望が在って、皆の気持ちが好く判って、それで現場の状況を理解して・・・と云う良き上司像です。勿論今でもそうした上司像は否定されませんが、それだけで良いのかと云う事が問われて居る訳です。

 小野 日本企業のリーダーシップに付いて、他に冨山さんが問題だと思って居る事は何でしょうか。

 冨山 日本の経営者が好く使う言葉に「現場主義」と云うのが有りますが、これが本当の意味での現場主義で無く「現場迎合主義」に為って居る事が多い。
 例えば或る業界で破壊的イノベーションが遣って来るとします。テレビを作って居ればこれ迄儲かって居たエレクトロニクス産業で、最早新興国企業が台頭して来てテレビを組み立てて居ても儲から無く為ると云う様なケースです。その時に、テレビの製造現場の人達に「テレビの組み立てを止めようか」と聞いたら、誰も「そうですね、止めましょう」とは言いませんよね。
 紙の新聞が売れ無いからと言って「紙の新聞を止めるか」と言っても、紙の新聞を作って居る人は誰も止め様とは言わ無いでしょう。こう云う現場の声を重視する経営者は現場主義とは言いません、単なる現場迎合主義です。

 小野 苦しくても現場の反対が在っても、より収益の高い処に戦略的に事業をシフトして行く判断をするのが経営者。それが出来無いのならば会社は消滅へと向かいます。

 冨山 そうです。しかし、日本企業にはそう云う決断が出来無い経営者が多い。現場と云うのは、言い換えると競争の最前線です。最前線で何が起きて居るかをリアルに認識する事が大事なのは当たり前です。それと現場の思いに引き摺られて決断が出来無い事は全く違う。

 「一億総玉砕」しない為に

 冨山 例えば戦場を見に行って、海戦の状況を確認して、飛行機を導入すれば勝てると考えるのは現場主義です。一方で長年苦労して居る水夫さん・一生懸命に機銃操作して居る兵士の気持ちに為って作戦を継続するのが現場迎合主義です。これは本当の現場主義では有りません。「現場主義」と「現場迎合主義」を混同して居る経営者が日本的大企業には矢鱈と多いんですよ。

 小野 終身雇用と年功序列を前提にすると、経営者は現場に居る人の人生を背負って居る気分に為りますよね。現場迎合主義では、その瞬間は好い上司の様に振る舞えるかも知れませんが、長期的には雇用を守る事は出来ません。

 冨山 ズッと苦労して頑張って居る事を知って居る訳ですから尚更なんでしょうね。現場の人達の貢献で日露戦争に勝った、現場の人達のお陰で高度成長に貢献した・・・その思いは判りますよ。成功体験が有るので、それを支えた現場の気持ちに寄り添ってしまう。只、ビジネスと云う戦争の現実はもっと厳しい。そう云う現場の情念を合理が超えて行くのです。
 中途半端に現場の情念に寄り添うと悲劇が起こります。だから、戦局が変われば水兵さん達を船から降ろして挙げれば好い訳でしょう。遣る気と能力が有る人には、パイロットに為れよって言って挙げれば好い訳です。
 今多くの日本企業がこうした課題に直面して居る訳ですが、未だおカネに余裕が有る段階で早く組織転換をした方が好いと思います。改革しようとすると、その瞬間は凄く現場にストレスが掛かります。しかし、それを恐れて居ては手遅れに為ってしまうのだから、タイミングは早ければ早い方が好い。心を鬼にして、寧ろ早過ぎる位のタイミングで転換を図れる様なリーダーじゃ無いと、結果的により多くの人を失業に追い込んでしまう。最後は絶対に一億総玉砕に為りますから。
 実は日本企業はそんな一億億総玉砕を何度も繰り返して居るんです。「半導体玉砕」「液晶玉砕」「テレビ玉砕」・・・流石に、これ以上は無理でしょう。

 小野 確かにそうですね。例えば東芝は半導体と原子力で玉砕して居ます。日立が、必死に為るのは当然とも言えます。

 「本当の学力」が評価され無いニッポン

 冨山 リーダーシップのモデルが、高度成長期からガラリと変わって居るんです。今は大きな変革期ですから、リーダーは「自分が言った事」を「遣って貰わない」といけ無い。詰り、今のリーダーは社員への影響力が重要なんです。しかも、人事権を振り翳す、所謂「ハードパワー」だけでは組織は動きません。
 ソフトパワーとしての人望や人間性も又トテモ大切です。そのソフトパワー的なものと合理性をどう両立させるかがポイントです。リーダーは必要な時は合理的で冷徹な決断を出来無ければ行け無い。只、人望が無いと「この野郎!」って恨まれて、本能寺の変で暗殺されちゃう。だから人望も必要です。この両立が出来無いと今の時代のリーダー務まら無い。要は組織の中でリーダーをどう育成するか、どう選ぶかが重要に為って来る訳です。

 小野 リーダーの育成は、高等教育とセットで考える必要が有りますよね。現状では「学歴主義」と云うより「学校名主義」に為って居ます。

 冨山 そうですね。合格歴ですよね。濁点が違って居ます。「高学歴」じゃ無くて「合格歴主義」(笑)   

 小野 社会学者の小熊英二さんは『日本社会のしくみ』と云う本の中で、学歴に付いて非常に興味深い指摘をして居ます。曰く、日本的経営は「学歴抑制効果」が働いて居ると。本来なら高学歴と云えば、博士号や修士号を取得して居る事です。日本の場合、特に文系だと修士号や博士号を取得して居ると、逆に出世出来無く為るケースすら有る。ムラ社会だと修士号や博士号を持って居ると「異端」に位置づけられて「本流」から外されてしまう訳です。
 欧米の場合、経営者を目指す人には必要な学位を求めますよね。修士号とか博士号です。ソコで培われた知識やスキルが、仕事に必要だと考えられて居るからです。東大卒や京大卒と云う学校歴・合格歴が求められる事は有りません。
 一方で、日本の終身雇用・年功序列だと、先ずはムラ社会のメンバーに入る事が重要。経営陣を目指す人も、皆現場のオペレーショナルな業務から入って、少しずつステップアップして行くしか道が無い。


 早慶卒・体育会系出身が「最強」と云う現実

 小野 日本企業で求められるのは潜在力を担保する有名大学の合格歴に為る訳です。余計な知的な能力は必要無い。ムラの中で必要な知識や掟は、ムラに入ってから叩き込んで遣ると云う訳です(笑)
 だから今のムラから別のムラに移る転職も難しく、会社が傾くと総玉砕に向かってしまうのではないでしょうか。


 冨山 そうですね。この話は結局、全部繋がって居ますよ。産業の構造が比較的固定的で、オペレーションの優劣で業績の優劣が決まる時はそれで良かった。極論を言えば、一つの工場の中で、ズッとその仕事のオペレーションを高度化して合理化して行く事が企業全体の競争力に直結して居た訳です。一本のネジの完成度を高め、作業工程を一つずつ見直して合理化する事が大切だったのです。
 只、今は産業構造がガラガラ変わる、競争構造もガラガラ変わる。要するに産業や社会がダイナミックに変化する様に為れば為る程、特定の業務の中で作られるノウハウは直ぐ陳腐化するのです。
 日本の歴史を振り返ると、様々な組織の中で似た様な事が起こり易い。例えば軍です。日本の軍隊と云うのは非常にスペシャリスト化・専門家して居ますが、割と初期の段階では皆ジェネラリストで、何でも屋さんだったんです。未だ明治維新の名残が在った明治期は特にそうでした。それが、ドンドン機能特化して行き、機能特化で技能を磨いて行く人達がそのママ偉く為っちゃう。そう云う仕組みを日本人は作り易い。
 大学と云う事で云えば、典型的に就職に強かったのは体育会でしょ。早稲田・慶応に入れるだけの能力が有りました。その上「ラグビー部です」「野球部です」と言えば、日本的経営の企業で有れば何処でも内定が貰える訳です。要するに地頭好い、体力が有る、これが要件。それに加えて、上下の秩序にチャンと従って行動出来る。最高じゃないですか。オペレーショナルな業務を磨く、ムラ社会の一員としては・・・と云う事に為る訳です。

 小野 有名大学の体育会系の人材は、終身雇用・年功序列のムラ社会に、最も都合の良い人材と認められる訳ですね。

 冨山 そう云う人材の良さを全て否定する訳ではありませんが、そう云う人材だけで構成されて居る組織は極めて脆いですよ。丁度平成に入った頃に、ベルリンの壁が壊れ、完全なグローバルな世界に突入しました。インターネットの普及で、デジタル革命も始まって、産業の変化のスピードが爆発的に変化した。オペレーショナルな業務を磨くだけのムラ社会型の会社では、変化に対応出来無く為ったのです。

 国際的に驚く程「低学歴」な日本企業の経営陣達

 冨山 有名企業の経営者等経済界の人達が集まる宴会で、大学時代の話に為ると、皆不思議な位自分が如何に勉強をし無かったかと云う自慢話に為る訳です(笑)俺は大学に行かずに麻雀ばかり遣って居たとか、運動しかして居なかったとか、皆滔々と語る訳です。それで居て「最近の若い連中は、勉強して居ない」とか上から目線で言うから意味不明です(笑)
 ただ、そう云う人材育成モデルが或る段階迄機能して、実際に有名企業の経営陣迄登れたので成功モデルに為ってしまったのでしょうね。残念ながら、日本社会の構造がこうした変化に対応出来無い経営者を生み出したと云えるでしょう。なので、日本の政治家も官僚も経済人も、国際的に観ると驚く程低学歴に為ってしまった訳です。

 小野 学力のピークが有名大学に合格した18歳と云う様な人達が、日本の政治や経済をリードして居る訳ですね(笑)

 冨山 色んな組み換えや変化が起きる時、大事な事は物事の中で何が一般、普遍的原理原則を持つか、何が普遍性を持た無いかを区別する事なのです。これがチャンと自分の頭の中で整理出来無いと急激な変化に対応出来ません。
 詰り、自分が積み上げて来た個別的な体験だけで経営の舵取りをしようとすると失敗します。少なくとも自分の経験の中で、普遍的に通用するものと通用し無いもの位は仕分け出来無いと経営者失格です。
 飛行機の性能に例えれば、早く飛びたいのかそれともクルクルと回るのが好いのか。それともパイロットの命を守る事が最優先なのか。それを判断出来無いといけません。詰り、物事を一般化・抽象化して普遍の原理原則から演繹する思考法が、訓練されて無いと、変化に対応出来ません。だからコソ、高い学歴が価値を持つのです。
 18歳の時に答えを丸暗記して対応出来る試験に合格した、そのアプローチだけでは通用し無く為って居る。高校迄は、それで好いんです。日本は、そこ迄は寧ろ教育が上手く機能して居る。問題は、大学からです。一般原理原則から、新しく発生した出来事を演繹して考える。或いは、色々な物事を組み合わせて創造する。そう云う思考訓練をキチンと出来ないといけ無い。今危ないと思うのは、そう云う思考力を評価する仕組みが日本社会全体に無い事です。

 「徹夜で麻雀出来る人」が出世する社会

 小野 実際に某メガバンクで、土日に頑張って論文を書いて博士号を取得して、その事を人事部に報告した直後から昇進が止まったと云う話を聞いた事があります(笑)

 冨山 結局、自分の頭で考える人はメンドクサイ、と思われて居るんですよ。部下として使い難いと。変化の時代に対応する為に思考力を評価して、エリートを選抜しようとすると、それに見合った学力を付け無ければいけ無い。これが、年功序列の仕組みと矛盾する訳です。
 これ迄の日本型経営のモデルでは、皆一緒に横一線で競争する建前に為って居ます。少なくとも正社員は、組織内の階級的格差無しで競争して、一寸した差で段々選抜をして行くのが基本です。これが、組織全体のモチベーション維持にも上手く作用して居た。
 こうした組織に、高学歴の人が活躍出来る舞台を作るのは難しい。だから、大体アメリカの大学院で学んだ事なんて、全て捨てろ、忘れろ、経営陣から言われる訳です。それで徹夜で麻雀に付き合えと。そうし無いと本当に出世出来無かった訳です(笑)


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 小野 一起 作家  冨山 和彦      以上























日本のコロナ対応に欠けて居たのは「戦争」の意識かも知れない




  日本のコロナ対応に欠けて居たのは

 「戦争」の意識かも知れない


            〜現代ビジネス 部谷 直亮 5/10(日) 10:01配信〜


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             慶應義塾大学SFC研究所上席所員 部谷 直亮氏

 「ウイルスとの戦争」と云う表現の是非

 コロナウイルスとの戦いは〔戦争〕か?と云う議論が内外で起こりつつ有る。米国ではトランプ大統領が4月1日、対テロ戦争がそうで有る様に、コレはコロナウイルスとの戦争・・・それも全面戦争で有ると宣言した他、ムニューシン財務長官も「これは戦争だ」と表現した。
 一方、3月に船内でコロナウイルスが蔓延した事に依り危機的状況に為った米空母セオドアルーズベルトのクロジエ艦長は、海軍長官からの任務続行命令を無視した理由として「我々は戦争中では無い。故に乗員が死ぬ必要も無い」と主張した。

 専門家の間でも、見解が別れて居る。イアン・ブレマーが設立したシンクタンク〔ユーラシアグループ〕のシニアフェローであるマーク・ハンナは「全ての闘争が戦争で有るとは限ら無い。寧ろ戦争宣言は、同盟国との協力やサプライチェーンの供給国との関係を悪化させる」と、コロナウイルスとの戦いを〔戦争〕と見做すべきでは無いと主張する。
 一方、米外交問題評議会会長のリチャード・ハースや軍事史家のアール・ティルフォードは「コレは戦争だ、寧ろ積極的にそう見做すべきだ」との立場である。一体、どう考えるべきか。戦争研究の観点から、このコロナウイルスとの戦いを見てみたい。

 ソモソモ、戦争とは何なのか

 古来、戦争と云う社会現象を定義するべく人類は悪戦苦闘して来た。その試みの大きな画期を作ったのが、プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツである。彼は〔軍人に取っての聖書〕とされる『戦争論』を執筆した事で有名だが、この『戦争論』は、戦争の定義を語る上で、その主張に肯定的であれ否定的であれ言及せざるを得無い、マサに古典理論の地位を占めて居る。
 余談ではあるが、クラウゼヴィッツも、その良き上司で在ったグナイゼナウも、そして彼の『戦争論』の論理の中核で有る弁証法を考え出したヘーゲルも、皆当時大流行して居たコレラ・・・それも遠きインドからドイツに遣って来た・・・で死んで居る。クラウゼヴィッツは戦争の定義として、

 (1) 憎悪や敵意を伴う暴力行為
 (2) 確からしさや偶然性と云った賭けの要素
 (3) 政治の為の手段としての従属的性質


 これ等3つの要素を備えて居るのが戦争で在ると考えた。詰り、戦争とは憎悪や敵意を伴う暴力行為で有り、ソコには不確定な状況で判断を下して行動し無ければ為ら無い〔賭け〕の要素が多分に有るが、飽く迄もそれ等は、政治の為の手段で有ると云う事だ。果たして、現在の諸国家に依る〔コロナウイルスとの戦い〕はどうか。
 コロナウイルスの側から事態を眺めると、コロナウイルスの人類に対する行動は、

 (1) 拡散は一種の暴力行為と見做せるかも知れないが、ソコに憎悪や敵意は無い。生存を目的として居るだけだ。
 (2) 賭けの要素に付いては有るかも知れない。コロナウイルスが増殖出来るかどう変異するかは予測出来無いからだ。
 (3) 一方、政治の手段と云う定義は当て嵌ら無い。コロナウイルスには政治も政策も無い。但し、孫子やマーティン・ファン・クレフェルトは、戦争を〔生存の道〕と位置付けて居る。政治目的では無く単なる生存の為の戦争も在ると、クレフェルトはクラウゼヴィッツを批判する立場から指摘する。


 一方、コロナウイルスと戦う我々の側は、この三要件を満たして居る様に見える。明らかに我々はコロナウイルスに対して憎悪や敵意を抱いて居る。友好的な意志に基づいて、或いは純粋な利益追求の為にウイルスに対峙して居る人は、居たとしても極一部だろう。
 又〔確からしさ〕や〔偶然性〕と云った賭けの要素も非常に大きい。コロナ対策の為に各国で実行された一斉休校・アビガンを初めとする治療薬の緊急開発・行動接触の遮断と云った施策は、その多くが決行当時は〔賭け〕であった。日本の緊急事態宣言の延長も〔賭け〕である。スウェーデンの集団免疫戦略も〔賭け〕である。台湾の蔡英文総統に依るいち早い封鎖戦略も(成功した)〔賭け〕であった。

 〔賭け〕で在った事を批判して居るのでは無い。将来的な先行きも効果も結果も見通せ無い、クラウゼヴィッツが表現する処の〔戦争の霧〕の中で決断せねば為ら無いと云う点で、コロナとの戦いは戦争と酷似して居る。寧ろ、安倍首相もロベーン首相も蔡英文総統も〔賭け〕に挑んだと云う意味では評価されるべきである。戦争に際して〔賭け〕が出来無ければ絶対に勝利は得られ無いからだ。無論、結果責任は別に問われる。それも又戦争と同様である。

 コロナ制圧と政治権力と「総力戦」
 
 此処で特筆すべきは、コロナウイルスとの戦いが戦争の3つ目の条件・・・即ち〔政治の為の手段としての従属的性質〕をも満たして居ると云う事だ。各国の政治主体・・・小は自治体から大は国家迄が、その指導者や利益集団や国家全体に取っての様々な〔政治目標〕の為に動いて居る事は否定出来無い事実である。
 例えば、自治体の首長から国家元首迄のアラユル指導者が、今回のコロナ対応を通じて、そのリーダーシップを証明しようとして居る事は言う迄も無い。
 又中国を筆頭として、今回のコロナ対応で援助物資外交が既に発生して居る事、各国間で人工呼吸器等の医療物資の争奪戦が発生して居る事もマサにコロナ対応の〔政治の手段〕としての側面を示して居る。

 又、米陸軍戦略研究所研究部長を経験したアール・ティルフォード氏「戦争は、敵を特定し、様々な資源を集め、ソレを実行可能な戦略に結び付ける行為でもある。コロナウイルス対処は、マサにそれだ」と指摘して居る。マサにコロナウイルスとの戦いは、戦争行為そのものだと云うのである。
 勿論、全ての憎悪や敵意を伴う暴力行為が戦争を意味する訳では無い。ヤクザの抗争・猫の縄張り争いを〔戦争〕と言い表しても、それを比喩以外の意味で取る人が居ない様に。しかしながら、国家がクラウゼヴィッツの戦争の三要件を満たしながら、資源を集め戦略の下にその資源を行使する今般の事態は、最早戦争行為に類するものとして見るべきではないのか。

 加えるに、クラウゼヴィッツは戦争の注目すべき特徴として〔相互作用〕を挙げて居る。詰り、戦争に於いては、暴力・恐怖・力の応酬が互いにエスカレートして行くと云うのである。確かに、コロナウイルスは弱毒性から強毒性に変化し、我々人類側の措置も隔離や外出自粛と云った比較的緩やかなものから、緊急の治療薬開発・罰則付きの制限措置等へとエスカレートして居る。
 こうした〔相互作用〕が有ると云う点で、ウイルスは他の地震・津波・原子力事故・隕石と云った災害とは大きく異なるものだ。更には、我々のコロナウイルスへの恐怖もエスカレートして居る。最も、ウイルスの側には恐怖も何の感情も無い。力の応酬・・・即ち、自らの力を敵より優勢にしようと云う努力も同様に無い。
 
 勿論、これを戦争と見做す事の弊害を指摘する向きもある。冒頭のマーク・ハンナは「脅威の性質を根本的に歪め、政策立案者を最も現実的な解決策から逸らし、国際的な善意を浪費させる」と手厳しい。しかし、これは〔べき論〕でしか無い。
 この戦いには〔抑止概念が無い〕と云う指摘もある。ハドソン研究所研究員の村野将氏は「意思を持た無いウイルスを抑止したりは出来無い。問題は、コロナショック後の回復力・影響力を巡る米中の大国間競争」と指摘する。  
 後者に付いてはマサに卓見であり、有る種の「戦後」を見据えるべきとの重要な指摘である。一方、前者に付いては、寧ろ〔コロナウイルスとの戦い〕コソ、実は、人類がゴミ箱に叩き込んだ筈の、抑止概念等無かった時代の第一次大戦や第二次大戦の様な〔総力戦〕の復活かも知れ無い事を逆に示唆して居る。

 この様に、矢張り、コロナウイルスは、或る種の総力戦の復活で有り、戦争と見做すべきなのだ。勿論、人間の営みとしての政治と云う要素が一方に無い戦いを〔戦争〕と定義するかどうかに付いては更なる議論が必要であろうが、政策的な観点からもそう見做すべきだ。

 勝利の為には「作戦」が必要だ
 
 筆者は矢張り、コロナウイルスとの戦いは、或る種の総力戦の復活であり戦争と見做すべきと考えて居る。それは、平時とは異なる政策対応が求められると云う点に於いてだ。クラウゼヴィッツは、戦争は政治(≠政策)の延長で有ると指摘した。そして、戦争は軍人が指導するよりも、無能で有っても文民指導者が指導した方が増しであるとすら喝破した。
 詰り戦争とは、純粋な政策の延長でも無ければ単なる殺戮の延長に有るものでも無い。戦争とは、政治と云う総合的利益に基づいた観点での〔勝利〕に向かって、国家の様々な資源を効率的に様々な時系列で行使して行く事に依って遂行されるべきものである。そして、戦略的勝利の為には、複数の戦術的成果を使役する作戦構想が必要と為る

 これを現在のコロナウイルスとの戦いに当て嵌めれば、コロナウイルスとの戦いは、単なるウイルスの殲滅の延長に有るものでは無い。他方で、純粋な経済政策の延長に有るものでも無い。コロナウイルスとの戦いには、最終的な〔戦争目的〕が設定され無ければ為ら無い。
 そして、その目的を実現する為の戦略を設定し、複数かつ個別の戦術的成果に固執するのでは無く、それらをより大きな戦略に役立てる様な作戦構想が必要だ。此処で云う戦略とは短期的なものでは無く、開戦から終戦迄・・・詰り出口戦略を含むものである。

 医療的な視点だけでも経済的な視点だけでも無く、マサに村野氏が指摘する様な戦後構想を含む総合的な〔政治目的〕とその実現の為の戦略を策定し、それを国民に知らしめ、協力を要請するべきで在ると云う事だ。

 例えば「この様な状況に為ればこう対応する」と云った段階的な・・・例えば三段階程度の・・・出口戦略を策定・公開し、状況に合わせて随時更新して行くべきである。そして、政府は個別の戦術的問題に拘泥する事無く、戦術的成果を戦略の実現に向けて編み合わせて行く行為に専念すべきである。
 この〔戦術的成果を戦略に結び付ける〕と云う行為は、所謂〔作戦術・operational art〕と呼ばれる営みである。これを現況に当て嵌めれば、政府としては、先ず政治指導者がどの様な状況を作り出したいかを明確に・・・例えば、早期にウイルス感染・治療が完全にコントロール可能な状況に置かれて居る状態を目指すとか、若しくはウイルス感染を或る程度許容しながらも経済維持を優先する・・・等に示さねば為ら無い。

 そして、そこに至る為の方策を具体化し、有機的に組み合わせてシンクロさせ、時間軸に沿ってフェーズを管理し、何時何処で戦うか、或いは戦わ無いかを選択しつつ、与えられた人的・物的資源の範囲でマネジメントし、目標とする状況へと近づけて行く事が必要に為る。
 此処で特に重要なのが時間管理で有る。例えば冷戦下で、米国がソ連の圧倒的な物量を打破する為に編み出したのが〔エアランド・バトル・ドクトリン〕だが、これは敵の前方部隊を機甲部隊で、その後方部隊を航空戦力や砲兵で同時に打撃すると云うものである。これは一見、前後の敵を同時に打撃して居るだけに見えるが、その実〔目前の敵と将来の敵を叩く〕と云う〔時間管理〕にコソ本質が有るとされる。

 この時間管理に付いては、危機管理の混乱時には止むを得無い事であるが、今の日本に於いては、自治体から政府に至る迄出来て居る様には見え無い。想定される現状の脅威、少し先の脅威、そして近い将来の脅威に、夫々どの様に資源をブツけて行くかの作戦策定が重要だ。出口戦略を主張する自治体も在るが、そればかりに集中するのは、目の前に現れる敵だけ見て戦術的にだけ戦って居る事と変わりが無い。全体的な時間の管理を心掛けた作戦術が必要なのではないか。

 個別問題に囚われることの危険性
 
 同時にコレは、国民のレベルでも有効な考え方である。目前の特定の戦術的な問題・・・例えばマスク配布や首相の動画公開、そして、近所の店が自粛して居るかどうかと云った問題・・・に付いて、マスコミも国民も過剰に今は拘泥する事無く、追求すべき全体的な〔戦争目的〕と戦略に付いてモッと議論すべきだろう。
 一市民として、勿論筆者も国民の怒りや不満は好く判る。しかし憤懣遣るかた無い思いが在るので有れば、事態の収束後の早期総選挙実施を求め、そして、ソコで思いをブツケルべきである。

 勿論、国民の行動には政府や自治体やマスコミ等にも責任の一端がある。〔戦略〕や〔作戦〕を提示され無いママ〔戦術〕嫌、それよりも低いレベルの〔戦闘〕に於ける正しい行動・・・ソーシャルディスタンス云々等ばかりを求められるのである。コレは苦しい。
 しかも、人に依っては、コロナウイルス以上に目前に有る経済的破綻や生活上の様々な危険・・・DVや既往症の悪化等に対するリスクを強要されるのであるから、憤りによる迷走も判ら無くも無い。政府も自治体もマスコミも、区々(くくりかえし)たる戦術論を国民に提示するのでは無く〔戦略〕とそれに基づく〔作戦〕そして〔作戦術〕を提示すべきだ。国民はモッと賢明だ。

 国家が〔根性論〕に堕する責任の一端はマスコミと国民にも有る。これは先の戦争に於いて官僚と軍人とマスコミが率先して〔総力戦〕〔国家総動員体制〕を呼号し、全ての権力を官僚組織に委ねさせたものの、全く戦争の効率化に貢献する処か、都市防空も民間船舶護衛にも失敗した挙句、松根油増産や物資献納等の様に本末転倒な策へと追い込まれた事からも明らかだ。
 国民生活に付いて政府に過剰に期待するのでは無く、寧ろ市民同士の協力コソ重要で有る。寧ろ政府に期待するべきは、平穏な生活を取り戻す迄の道のりを示す〔戦争指導〕である。そして現在、飽く迄もコロナウイルスの殲滅を優先すべきと云う議論と、経済再建を優先すべきと云う両極端の議論が巷間為されて居るが、これも又、総合的な戦争目的とは何かと云う観点から議論の構図を見直すべきであろうし、戦略と作戦構想を議論すべきだ。
 
 コロナウイルスは、都内ではヤヤ落ち着きつつ有る事から、こうした議論を手遅れと見做す立場も有るだろう。しかし、コロナウイルスには、スペイン風邪と同様に第二波、第三波が来る可能性が有る以上、こうした議論は今からでも遅くは無い。そして、来るかも知れないCOVID-20・21、中国や北朝鮮との不幸な戦争に備える意味でも大事だ。今こそ、コロナウイルスとの戦いを「戦争」と見做し、戦争目的・戦略・作戦の議論を開始すべきだ。


   (本稿の執筆に当たり、国士舘大学准教授の中林啓修氏のご指摘に範を得ました事を、心より御礼申し上げます)

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 部谷 直亮 慶應義塾大学SFC研究所上席所員 一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構上席研究員 成蹊大学法学部政治学科卒業 拓殖大学大学院安全保障専攻博士課程(単位取得退学) 財団法人世界政経調査会 国際情勢研究所研究員等を経て現職 専門は安全保障全般

                 以上



 【管理人のひとこと】

 何かの事象(コロナ禍)を別のより具体的な特定な事象(戦争)に例えるのは、その事象をより適格に説明が出来更により具体的な印象を与える為の言い換えだ。例えられたより具体的な特定な事象(戦争)とは、過去の歴史に実存する誰にでも満遍なく想像し得るものだ。
 この場合の戦争であれば、必ず双方に犠牲者が生まれ、停戦・休戦・敗北・勝利・・・と色々な結果を生み出しその後の新たな歴史が生まれる。実にそれは全てが政治であり賭けであり、偶然の結果は万一にも起こり得ない。無論戦争であれば特に現代の戦争とも為れば、甚だしい犠牲・悲劇が繰り返されるものと為ろう。
 結果に依っては社会体制が変革し、新たな政治指導が求められる改革も為されよう。例えば経済的な仕組みも新たな物差しが生まれるかも知れない・・・壮大な歴史の転換点と為るかも知れない・・・この様な考えを導き出す新たな観点を想像させるレポートだったと管理人は高く評価する。

















 





安倍首相は何故「言い間違い」を連発するのか




 安倍首相は何故 「言い間違い」を連発するのか

            〜東洋経済オンライン 泉 宏 5/9(土) 5:45配信〜


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               政治ジャーナリスト 泉 宏氏 

 矢張りと云うか、結局と云うべきか。新型コロナウイルス対策の為の緊急事態宣言が5月31日迄延長された。安倍晋三首相は5月4日、当初の期限である5月6日に解除出来無かった事を「責任を痛感して居り、国民にお詫びしたい」と沈痛な表情で語り、8割接触削減等の努力を改めて国民に訴えた。
 只、頼みの綱とも為る宣言解除の具体的条件や出口戦略に付いて明確な説明は無く「コロナ時代の新たな日常」「人と人との絆の力」等情緒的セリフを連発。しかも、記者会見の冒頭、肝心の持続化給付金の給付開始時期を「8月から」と言い間違える等、コミュニケーション能力が改めて問われる事態と為った。

 持続化給付金の入金時期に上がる悲鳴

 安倍首相は記者会見で、全国の感染者数がピーク時の約3分の1迄減少した事等を挙げ「皆さんの行動が未来を確実に変えつつ有る」と語った。その上で、1カ月近く解除を先延ばしする理由に付いて「現時点では感染者の減少が十分なレベルとは言え無い」「医療現場が過酷な状況に置かれて居る現実は変わら無い」等と強調した。そして「5月は収束の為の1カ月で、次為るステップに向けた準備期間だ」として、6月からの宣言解除に強い決意を滲ませた。

 会見の冒頭発言は、左右に設置されたプロンプターに映し出される発言要領と、手元のメモを見ながら約23分間続いた。テレビ画面では身振り手振りで熱弁して居る様に見えたが、ネットのライブ中継では「ガッカリ」「悲しい」等と云う不満や落胆の書き込みが続いた。
 中でも批判の的に為ったのは、事業者等が待望する持続化給付金に言及した際。安倍首相が「5月1日から最大200万円の持続化給付金の受け付けを始めたが、最も早い方で8月から入金を開始します」と説明した途端「遅すぎ!」「もう駄目!」等と云う悲鳴の書き込みで溢れた。

 どうやら、メモに有った「8日」(5月8日)を「8月」と読み間違えた様だが、安倍首相は全く気付かずに発言を続けた。発言後、会見に同席した専門家会議の尾身茂副座長が置いたメモを読んで、要約誤りに気付いたと観られる。
 施政方針演説や国会答弁で、安倍首相の言い間違いや読み間違いは少なく無い。只、持続化給付金は安倍首相が強くアピールして居た政策で、この言い間違いに気付か無かったのは「全く考えられ無い事態」(閣僚経験者)だ。

 解除先送り後の対応は 知事に丸投げ
 
 安倍首相はその後の質疑応答の中で「先程『8月から』と申し上げましたが『5月8日から』の間違いでした」と訂正したが、テレビ中継を見守った野党幹部は直ぐ様「一番大切なメッセージを何故間違えるか」等とツイート。更に「ソモソモこれは間違う筈が無い。メモ読みばかりに集中して、伝えるべき内容は上の空だったのでは」(自民長老)との慨嘆も広がった。

 緊急事態宣言の延長に付いては、政財界幹部や小池百合子東京都知事・吉村洋文大阪府知事らも「止む無し」との受け止めだった。直後の世論調査でも国民の7割近くが期限延長を支持した。只、解除先送り後の具体的な対応を各都道府県知事に丸投げした事への不満も多く、全国知事会は5月5日に解除基準を明示する様求める提言をまとめた。
 大阪府の吉村知事は「出口戦略を是非示して貰いたかった」とした上で、休業と外出自粛要請の段階的解除に向けた「大阪モデル」を発表。多くの知事も、各地の事情に合わせた解除方針に言及した。これに対し、西村康稔コロナ担当相は「吉村府知事は何か勘違いして居る。強い違和感を感じる」と不快感を示した。

 安倍首相が数値目標も含めた宣言解除条件を明確に出来無かったのは、専門家会議の議論が紛糾した事が原因だ。安倍首相は「全国で毎日100人を超える方々が退院して居るが、その水準を下回るレベル迄更に新規感染者数を減らして行く必要がある」と述べた。これは専門家会議の主要メンバーに依る「新規感染者数100人以下が続く状態」との指摘に符合する。
 只、その前提と為る新規感染者数に付いては、諸外国と比較して少ない日本のPCR検査数から「実態を表して居ない数字」(医療関係者)で有る事は否定出来無い。尾身氏も「PCR検査を増やすには根源的な問題があり、簡単には増やせ無いのが実情」と説明した。と為れば「感染者数を基準にする限り、出口戦略も組み立て様が無い」(感染症専門家)事に為る。

 外交日程を理由に1時間余で打ち切られた会見で安倍首相は、新たな日常の具体的行動基準だけで無く、政治決断を求められる出口戦略とその前提条件に付いても、その判断を専門家会議に丸投げした。これも「首相と専門家会議メンバーとのコミュニケーション不足」(有力県知事)の様に映る。

 14日の中間報告は安倍首相の独断

 安倍首相が会見で政治決断をアピールしたのは、5月31日迄の期限延長と、専門家会議に14日の中間報告を求めた事だ。期限延長に付いては、6月6日迄との案も在ったが、安倍首相は5月末を選択した。与党幹部は「限が好かっただけ。6月初めと5月末では全く印象が違うからだ」と突き放す。
 一方、14日の中間報告は安倍首相の独断と観られて居る。専門家会議メンバーも「突然持ち出されて困惑した」と漏らす。ソモソモ、当初期限の6日ギリギリ迄推移を見極め様として居た専門家会議に取って、次の状況判断として適切な時期は、大型連休の自粛の結果が見極められる5月20日以降と観られて居たからだ。

 首相は会見で「14日に中間報告で成果が認められれば、期限に先立っての解除も可能と為る」と胸を張った。しかし「兎に角は屋く解除したいと云う政治的願望と、6月以降に持ち越したら今度コソ政治責任を問われるとの焦燥感が理由」(自民長老)との指摘が多い。
 医療現場の逼迫に付いては、安倍首相は「東京が」を繰り返した。「小池都知事の独自路線への牽制」(自民若手)とも見える。宣言解除に付いて、首相側近の西村コロナ担当相が「総合的に判断」と繰り返すのも「決断の怪しさを問われた際の逃げ口上」(同)と勘繰る声が相次ぐ。

 安倍首相は大型連休最後の6日夜、生中継のインターネット動画番組に出演。京都大学の山中伸弥教授と共に質疑に応じ「14日を目途に宣言解除に向けた判断基準を示す」等と踏み込んだ。加藤勝信厚労相は、PCR検査が進ま無い原因と為って居た「37.5度以上が4日間続く事」等の受診目安に付いて「見直しを進める」と軌道修正した。

 大阪府知事に世論の高い支持
 
 こうした安倍首相等の反応は、広がる政府批判に焦ったパフォーマンスと観る向きが多い。5月6日の世論調査で「コロナ対策で最も評価する政治家」は、吉村府知事が安倍首相の5倍以上の支持を得て居る。この為「政府と地方のワンチーム対応が求められるのに、政府が分断を加速させて居る」(閣僚経験者)との批判も広がる。

 これ迄の安倍首相のコロナ会見には「説明不足」「言葉に力が無い」等の不評と不満が付き纏って来た。新たな期限と為った5月31日迄に想定される会見は「常識的には後2回」(政府筋)と観られ、首相の周辺から「次からは会見の方法を見直したらどうか」との声も出る。「メモ等見無いで、自ら絞り出した言葉で訴える」事への期待だ。

 再登板以来、安倍首相が事有る毎に口にして来たのは「政治は結果責任」だ。首尾好く6月からの宣言解除に踏み出す事が出来るか、それとも長期戦の泥沼が続くのか。自ら定めた5月末の記者会見では、コミュニケーション力も含めてトップリーダーの「結果責任」が厳しく問われる事に為る。


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 泉 宏 政治ジャーナリスト 1947年生まれ 時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上 永田町・霞が関で政治を見続けて居る 時事通信社政治部長 同社取締役編集担当を経て2009年から現職 幼少時から都心部に住み半世紀以上も国会周辺を徘徊して来た「生涯一記者」がモットー

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  「コロナショック」で生き残る為に 

 修羅場でリーダーがしてはいけ無い「8つのこと」


             〜文春オンライン 冨山 和彦 5/9(土) 6:00配信〜


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                冨山和彦氏 コピーライトマーク文藝春秋

 〜リーマンショックを超える経済危機と言われる「コロナショック」企業も個人も今迄の遣り方が通用しない時代が遣って来る。この未曾有の状況でカギを握るのは、矢張りリーダーの存在だ。今リーダーは何をすべきか、或いは何をしてはいけ無いのか。
 JAL・カネボウ・ダイエー等数々の企業再生に携わり、この程『 コロナショック・サバイバル 』(文藝春秋)を緊急出版した企業再建の達人冨山和彦氏が、修羅場でリーダーがしてはいけ無い8つの「べからず」を直言する〜


 【見たい現実を見る経営】〇

 カエサルが喝破した通り「見たい現実を見る」人間の本性に流される経営では会社は潰れる。有りのママの現実、自分達に取って不都合で見たく無い現実から目を逸らして舵取りをして、危機を乗り切れる筈が無い。もしそう云うタイプがリーダーなら手立てを尽くしてサッサと更迭するか、それが出来無いならサッサと会社を辞めた方が好い。

 【精神主義に頼る経営】〇

 苦しく為ると経営陣が部下や現場に精神論を説く、合理的に不可能な指示を出して、現場がソレを実行出来無いと「根性が有れば何とか為る」「出来ないのは遣る気が無い所為だ」と喚き出す。危機の現場で私達は何度も目撃した光景だが、ソンな経営陣が居座り続けたらその会社は終わりである。

 【人望を気にする経営】〇
 
 一般社員からの目や人望を気にして、急に社員食堂で食事を始めたり、現場社員との車座行脚を始めたり、電車で通勤したりする経営者はヤバい。会社や事業の生死が懸かって居る、自分や家族の生活や人生が懸かって居る時に、社員は経営者が「好い人」かどうか「人望」が有るかどうかに関心何て持って居ない。この窮地をリアルに脱する的確な判断力・行動力・胆力の有りそうな人物に付いて行くものだ。

 【衆議に頼る経営】〇

 厳しい決断に際して、人から恨まれたり批判されたりするのが怖いリーダーは衆議に頼り、時間を掛け熟議をして、皆で決めた事にしたがる。危機時の衆議╳熟議は衆愚に直結。どの選択肢にも誰かがケチを付けてものが決まらず、最後は何を遣りたいのか分から無い結論に為り、その先には悲惨な末路が待って居る。中堅・中小のオーナー経営者でも、二代目・三代目と世代が下り、育ちも学歴も良く為って来ると、こう云うタイプが増えて来るので要注意だ。

 【敗戦時のアリバイ作りに走る経営】〇

 サラリーマン経営者に多いが、自分が最善を尽くした証拠を残す、後で訴訟を受け無い為の証拠を残す事に熱心で、実際の決断は行わ無い。そしてリアルな生き残りに必要なリアルなリスクを決して取ら無い。社外取締役の中にもサラリーマン体質の人間は、元役人や学者でもこう云う手合いが出て来る。
 肝心な時に戦場から逃げる奴が最高司令官や司令部メンバーでは戦争に為ら無い。アリバイを作って居る間に会社は潰れてしまう。このタイプは他責も得意だ。苦しく為ると「世の中が悪い」「政府が悪い」「部下に人材が居ない」と言い出す。そして、敗戦処理もチャンと遣らずに何処かに消えてしまう。

 【現場主義の意味を取り違える経営】〇

 「危機の時コソ現場主義だ!」とか言って、現場に降りて行って現場の意見を聞き、その意見に共感してその通りにすると約束し、本当にその通りに遣ろうとする経営者もダメ。
 真珠湾攻撃の後でも、戦艦大和を建造中の現場で頑張って居る連中は「もう航空戦の時代なんだからこんな巨大戦艦は要ら無い」とは言って呉れない。撃沈寸前の大和の甲板でも、水兵に「未だ頑張れるか?」と聞けば「頑張れる」と答えるに決まって居る。
 真の現場主義経営とは、現場の実態・最前線の実態を有りのママ知った上で、そして勿論現場で汗を掻き血を流して居る仲間に共感した上で、時には現場に厳しい決断を下す事である。現場の思いに迎合する事では無い。

 【情理に流される経営】〇
 
 経営力は決断力╳実行力で決まる。実行力は優れて情理の産物で有り、組織全体が一団と為って盛り上がれば大きな力が出る。しかし、決断力は優れて合理の産物であり、ソコで意思決定権者が情に流されると大きな判断ミスに繋がる事は、歴史上の幾多の決断局面で証明され、古典作品にもそう云う場面は沢山登場する。
 キャッシュ残高の戦い等は典型だが、これは殆ど血も涙も無い数理の世界であり、合理的にしか動か無い。危機の経営は明確に合理が情理に優先するのだ。中途半端で薄っぺらな情けを掛けるリーダーは、返って多くの人々を不幸にする文字通り「薄情者」の経営者に為る。修羅の世界は「非情の情」の世界である。その場はドンなに恨まれても、10年後・20年後に(未だ自分が生きて居れば)感謝されたら御の字と覚悟出来無い奴は危機時に操縦稈を握っては為ら無い。

 【空気を読む経営】〇

 べからず集のエッセンスはこの一言で置き換えても好い。危機に於いてその場の空気何てソモソモどうでも好い。コンセンサス何てクソくらえだ。必要なのは、生き残る確信とその為の合理的で冷徹で迅速な判断力と実行力のみである。
 危機後を睨んだ取り組みの始動も同様だ。大量のリストラの後、或いは最中に、新しい事業に投資し必要な戦力を新規採用する・積極果敢にM&Aをする・・・と云った迅速果敢な「手のひら返し」は、喪中な会社の空気を読んで逡巡して居たら不可能だ。グズグズして居る間に再成長のビッグチャンスはアッと言う間に目の前から消え去る。


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 冨山 和彦 ボストンコンサルティンググループ コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年に産業再生機構設立時に参画しCOOに就任 解散後IGPIを設立  パナソニック社外取締役 東京電力ホールディングス社外取締役  経済同友会政策審議会委員長 財務省財政制度など審議会委員 内閣府税制調査会特別委員 内閣官房まち・ひと・しごと創生会議有識者 内閣府総合科学技術・イノベーション会議基本計画専門調査会委員 金融庁スチュワードシップ・コードおよびコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議委員 経済産業省産業構造審議会新産業構造部会委員他  近著に『なぜローカル経済から日本は甦るのかGとLの経済成長戦略』『選択と捨象』『決定版 これがガバナンス経営だ!』『AI経営で会社は甦る』他

                  以上