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2020年01月21日

施政方針演説「何時も通り、薄っぺらい」れいわ山本氏




 施政方針演説 「何時も通り、薄っぺらい」れいわ山本氏

             〜朝日新聞デジタル 1/20(月) 20:57配信〜


       1-20-15.jpg

     日本記者クラブでの記者会見に応じる「れいわ新選組」の山本太郎代表


 「れいわ新選組」山本太郎代表(発言録)

 施政方針演説があった。何時も通り、薄っぺらいと云う事以外申し上げる事は無い。この7年間、政権を担当しながら、デフレ脱却も行え無い。お金の量は増やしたが、そのお金が世の中に回る様な財政出動は、ホボ為されて居ない。
 揚げ句の果てには、一番最後に憲法改正の話が出て来た。憲法改正を無理矢理選挙の争点にする事で、これ迄の失策に関して余り目が向か無い様な選挙の争点作りを今から遣って居る様に感じた。権力の私物化に対してケジメを取る、事実関係を明らかにする事が重要だ。
 (20日 記者会見で)

   朝日新聞社  以上









【関連報道】「桜」で安倍首相VS野党の直接対決 

 「白塗り」「総理枠」の真相は・・・国会攻防の見処



         〜FNN.jpプライムオンライン 1/22(水) 12:06配信〜

 桜を見る会巡り安倍首相と野党が全面対決 攻防の見処は

  「ヒアリングに出て来ない人事課長に付いて、私の部屋に来る事に為って居たんですけれども…スッポかされました。人事課に電話すると誰も居ない。人事課長の携帯番号も判らんと。誰一人何処に行って居るか判らない。ここまで来ましたからね。課長補佐電話に出て下さいと言ったら拒否。総理案件ナンだからでしょうかね。立法府の要請に神隠しの様な事を遣って居る。凄まじいですよね」 (立憲民主党 黒岩宇洋衆議院議員)

 呆れ・・・苛立ち・・・官僚に向けられたこの言葉は、野党の「桜を見る会追及本部」での出席議員の発言だ。この様に追及本部では毎週の様に野党と政府の攻防が繰り広げられて居る。しかし、実際には政府側にノラリクラリと交わされて居る印象だ。
 追及本部での議論が停滞し勝ちな中で、真相解明の場として注目されるが矢張り国会だ。特に注目されるのが、本会議での代表質問に続いて来週月曜から行われる予算委員会だ。此処で野党と安倍首相が丁々発止の矢理取りを繰り広げる事に為るが、野党がどの様に追及し安倍首相はどの様に答えるのか。攻防の見処をまとめた。

 見処(1) 杜撰な公文書管理 一体なぜ?

 野党側が最近特に追及を強めているのが、杜撰な文書管理の問題だ。この問題では2011年から17年に掛けての名簿が、文書管理のルールに則って管理簿に記載されて居なかったことが判明。政府側は民主党政権時代の前例が漫然と引き継がれたと説明して居る。
 これに対して野党は、当時の桜を見る会は東日本大震災の影響で中止されて居ると指摘、中止に為った会の前例をそのママ引き継いだのは可笑しい等と反論して居る。又去年11月に政府が国会に提出した文書では、一部の資料が「白塗り」即ち消されて居たことも判明。
 政府側は人事課長の判断であり極めて不適切だったとしつつも、飽く迄担当者ベースの問題だと主張、一方の野党側は意図的な隠ぺいだとして政府を追及して居る。こうした文書管理の問題に安倍首相がどう答弁するかが注目だ。

 見処(2)  60番の謎、総理枠・昭恵夫人枠

 60−2357と云う数字。これはマルチ商法を展開して破綻した「ジャパンライフ」の元会長に2015年に送られたとされる桜を見る会の招待状に振られた数字だ。過去の資料を元に野党は60番が「総理枠」だと主張、桜を見る会の招待状でマルチ商法の被害が拡大したと追及して居る。
 しかし政府側は名簿や資料が既に廃棄されて居るとして、明確には認めて居らず、誰が呼ばれたかは「個人情報で答えられ無い」と云う立場だ。安倍首相が国会答弁でこの総理枠に付いてどの様に説明するかも注目だ。

  野党側は又、後段の「2357」の数字は、1番から順番の通し番号に為っているのではないかとして調査を要求したが、政府側は明確な説明をして居ない。政府側は、去年の総理枠に付いて1000人程度として居るが、野党側はこの数字の大きさから、総理枠が数千人だった可能性があると指摘して居て、この点も国会で追及すると見られる。

 見処(3)  名簿は本当に削除・廃棄されたのか

 こうした多くの疑問の根幹と云えるのが「名簿は本当に残って居ないのか」と云う問題だ。それは名簿や資料が出て来なければ多くの問題が結局は手詰まりに為る為だ。政府側の説明によれば、去年5月に名簿等の資料はシュレッダーに掛けられ、データも同じ時期に削除された。
 野党側は廃棄の経緯が不自然過ぎるとして、本当に消したのかデータ削除のログ等を提出する様要求して居るが政府側は「これ以上の調査は必要無い」と応じて居ない。野党側は又「政治枠」の名簿等を1年以内に廃棄すれば、翌年誰を呼んだかも判ら無く為る、不自然だとも主張。本当は名簿が残って居るのではないかと疑って居る。

 この他にも、安倍首相夫妻が出席した地元後援者向けの「前夜祭」や、昭恵夫人と関連するとされるケータリング会社の選定の問題等、桜を見る会には多くの論点が残されて居る。

 首相の答弁姿勢は?野党の追及何処まで? 問われる「政治への信頼」

 これ迄政府側は「記録が残って居ない」「個人情報で答えられ無い」「担当者の記憶が不明瞭」等と云う答弁を判を押す様に続けて居る。国会論戦の焦点は、久々に予算委員会でこの問題で答弁に立つ安倍首相が「対決姿勢」なのか「身交わし戦術」なのか、どの様な姿勢で論戦に応じるかだろう。又「桜を見る会」の見直し策の検討を進める事で批判を交わす事も考えられる。
 一方で、安倍内閣の支持率を見ても、一時は桜を見る会や閣僚の相次ぐ辞任等で下落傾向と為ったものの、下げ止まったり反転したりと、現時点で危機的な状況に為っては居ない。

 対する野党の政党支持率もこの問題で浮上したとは言え無い水準だ。これは安倍政権が一連の問題に説明責任を果たしたと云うよりも、野党側が現政権に代わる受け皿として期待を受けられて居ない表れに思える。
 更に、この問題を追及すれども名簿や新たな事実等が出て来なければ、桜を見る会の問題の追及は何れ限界を迎え下火に為る事が予想される。その中で追及が長期化すれば「桜よりも政策論争をすべき」と云う声も強まると見られ、或る野党幹部も「問題には旬がある。何時までも続けられる訳では無い」と認めて居る。

 去年の参議院選挙では「れいわ新選組」やNHKから国民を守る党の議席獲得が大きな話題と為ったが、桜を見る会を巡る政府与党の不十分な説明と野党の進展の無い追及が続けば、 既存の与野党共に国民からの大きな不信を招き、次の衆議院総選挙に向けて既存勢力とは異なる勢力の台頭に繋がるかも知れない。
 何れにしろ、時の政権与党の「特権性」と云う要素を孕み「文書管理」と云う民主政治の根幹に繋がっているこの桜を見る会の問題の行方は、政府・与党・野党、全ての当事者に取って「政治への信頼とは何か」と云う問題を突き付けて居る様に思える。
    

   フジテレビ政治部 柴木友和 FNN PRIME編集部   以上


 








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ゴーン逃亡劇で日本は悪者か 欧米メディアの見方を「デーブ・スペクター」が解説




 ゴーン逃亡劇で日本は悪者か 

 欧米メディアの見方を「デーブ・スペクター」が解説


             〜デイリー新潮 1/20(月) 11:31配信〜


 米は冷笑、仏は同情的!?

 日本人は海外の反応を非常に気にすると言われる。2019年12月、日本時間の31日に「私は今レバノンに居る」との声明を出したカルロス・ゴーン被告(65)の逃走に関する報道はその代表例だろう。
 試しに編集部のパソコンを使い、検索エンジンに「日本人 海外 反応 気にする」と入力し、ニュースを探してみた。するとトップ10本の内何と3本が、ゴーン被告に関する記事だった。勿論PC毎に違う結果が出る訳だが、表示順のリストをご紹介して置く。

 「ゴーン被告記者会見・日本の当局は何故効果的な反論が出来ないのか」(YAHOO! ニュース:1月13日 ※江川紹子氏の署名記事)
 「劇的な脱出に成功したゴーン被告 海外はどう見て居るか」(Forbes JAPAN:1月5日 ※ピーター・ライオン氏の署名記事)
 「ゴーン被告『逃亡正当化』日本の司法制度“痛烈批判” 『保釈中の逃走』法改正の動き」(MBSニュース:1月9日)


 因みに他の7本はプロレス、外国人労働者、サッカー、カジノ問題とバラバラであり、時事性が低い記事もある。ゴーン被告のニュースが3本も表示されるのは、矢張り突出して居る。どれ程日本人が“前代未聞の逃走劇”に付いて、海外の評価を知りたがって居るか一目瞭然だ。
 そうしたニーズに応えた記事の1つに、共同通信が1月9日に配信した「ゴーン被告会見、報道様々 各国メディア、肯定や皮肉」が有る。レバノンに8日で開かれた会見を海外メディアがどう報道したかと云う記事だ。

 《カルロス・ゴーン被告が逃亡先のレバノンで8日行った記者会見に付いて、各国メディアの報じ方は様々だ。フランスのフィガロ紙は、陰謀で投獄された後、脱獄して報復に出るアレクサンドル・デュマ作の物語に例え「現代のモンテ・クリスト伯(巌窟王)は全世界を魅惑する」と報道。レバノン英字紙デーリー・スターは、被告が「長く待ち望んだスピーチ」を行ったと伝えた。
 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は、スクリーンに資料を映しながら説明する様子を「企業のプレゼンテーションの様」としつつ「文字が小さ過ぎて誰も読め無かった」と皮肉交じり》


 ルノーの本社があるフランスは同情的、アメリカは意外に冷笑的・・・こんな傾向があるのかと読者は推測する訳だが、実情はナカナカ見えて来ない。

 欧米の報道内容を総まとめ

 日本人としては、次の様な疑問を持って居るのではないか。
 「海外メディアはゴーン被告と一緒に為って日本を“人質司法の国”と批判するキャンペーン報道を繰り広げて居るのではないか?」
 「逃亡劇を詳細に報じ、日本の出入国管理は穴だらけとバカにして居るのではないか?」
 「ゴーン被告の妻、キャロル・ナハス容疑者(53)に同情し、日本を批判する報道を繰り広げて居るのではないか?」


 そこでデーブ・スペクター氏に取材を申し込んだ。デーブ氏はニュース番組でコメンテーターを務めて居り、海外番組の買い付け等も行って居ることから、海外メディアの報道に詳しい。当然ながらゴーン被告に関する報道も高い関心をもってウォッチして居る。

        1-20-14.jpg デーブ・スペクター氏

 「結論から言えば、日本の人質司法をセンセーショナルに批判する様な報道は行われて居ないに等しいですね。元々日本と欧米の報道では、相当な温度差があるのです。欧米のメディアは、ゴーン被告の逃亡を事件としてでは無く経済ニュースとして取り上げて居ます。日本は逃げられた側ですから、社会部が事件として大きく報道して居ます。嫌、今や芸能ニュース並みの扱いかも知れません(笑)」
 
 アメリカの場合なら、ゴーン被告のニュースを報じて居るのは、自国のウォール・ストリート・ジャーナル、ブルームバーグ、そしてイギリスに本社を置くロイターと云う経済メディアが中心だ。記者と読者の関心は「ルノーと日産の将来は今後、どう為るのか?」がメインだと云う。

  「ドラマチックな逃亡劇ではありましたが、そもそもルノーに高い関心を持って居るのはフランス人だけでしょう。アメリカ人は日産の車が大好きですし、欧州車はドイツ車もイタリア車も人気があります。しかし、ルノーの車がアメリカ国内を走って居る処は余り見た事がありません。日本とフランスを除けば、カルロス・ゴーンと云う人物に対する関心はそれ程高く無いのです」
 
 こうした欧米の報道姿勢は、ゴーン被告にも好ましい状況だと云う。彼の主張の根幹は「ルノーと日産の合併を阻止する為に日本政府が動き、日産社内のクーデターを検察が応援した」だ。このストーリーに、海外の経済メディアも高い関心を持って居る。

 「テレビ東京が会見に出席を許された事が大きな話題を呼びましたが、同じ理由だったと思います。『ワールドビジネスサテライト』(平日・23:00)は経済ニュースが中心で、検察のリーク報道を流す番組ではありません。ゴーン被告は『アノ番組なら、自分の主張に関心を示す筈だ』と判断したのでしょう」

 “手記”と“映画”の制作が進行中!?

 レバノンでの会見が行われる前は「政治家の名前が暴露されるのではないか」と、日本でも高い関心を集めて居たが、結局の処ゴーン被告は「レバノン政府に迷惑を掛けたく無い」として名前を伏せた。ゴーン被告が「ルノーと日産の合併を阻止する為に日本政府が動き、日産社内のクーデターを検察が応援した」と訴えて居るのは前に見た通りだが、デーブ氏も「耳を傾けるべき主張だと思います」と理解を示す。

 「特捜部の立件対象は、全て日産社内で解決出来るものばかりです。日産の調査でゴーン氏の不透明な金の流れを明らかにした上で解任し、民事訴訟で返還請求をすれば済む話でしかありません。
 しかし、ルノーと日産の間で行われて居たことは、日本政府とフランス政府の戦争であり、ロッキード事件級のスキャンダルだった筈なのです。この問題を追及しない日本の野党には、強い失望を覚えて居る程です」


 会見で政治家の名前を暴露し無くとも、手記に書く手はある。それが映画やドラマ化されれば、ゴーン氏には巨万の富が転がり込むかも知れない・・・こうした観点での記事も頻繁に報じられて居る。

 「ゴーン被告、ネットフリックスと独占契約 仏紙報道」(朝日新聞デジタル:1月3日)
 「ハリウッド関係者と面会 ゴーン被告、逃走前に映画の相談―米紙」(時事ドットコムニュース:1月4日)
 「ゴーン被告が本を出版へ 海外メディアで主張を展開も」(NHK NEWS WEB:1月9日)

 
 朝日新聞デジタルの「仏紙」とあるのは、高級紙のルモンドだ。しかし、ネットフリックス側は直ぐに、「契約ない」と否定したが、信じる人は少無い様だ。

 「ネットフリックスは世界中で人気ですし、オリジナルの映画とドラマシリーズも制作して居ます。実際に放送されるのは“氷山の一角”で、無数の企画書が書かれ映画化権を取得し、大多数はボツに為ります。そう云う意味で云えば、ゴーン被告の人生に関心を持た無い担当者は居ないと思います。ネットフリックスなら、日本とフランス・ブラジルと中東諸国、そしてアメリカでのヒットが見込めるので、権利を確保しようとしても全く不思議はありません。但し、実際に制作して公開されるかは未知数です」
 
 TBS NEWSが1月13日に報じた「ゴーン被告、“逃亡劇”のハリウッド映画化に前向き」の記事と動画は、アメリカのCBSテレビがゴーン被告に行ったインタビューを紹介したものだ。これによるとゴーン被告は、今後の見通しに付いて、次の様に語ったと云う。

 《アメリカのハーバード法科大学院や投資家のイベント等多くの講演依頼が来て居るとした一方で、何か固定された役職に就く事は考え難く、在ったとしても投資分野に為るだろうとの見通しを語りました》
 
 デーブ氏も「私はゴーン被告の今後を、母国のレバノンで半ば引退に近い状態に為ると思います」と予測する。


 「ゴーン被告は1954年生まれで、今年の3月で66歳に為ります。ビル・ゲイツさんは1955年生まれで、今は64歳。彼の引退が発表されたのは2008年でした。今やIT業界では30代のリタイアも珍しく無く為りました。手段は問題が在りましたが、ゴーン被告は逃亡した事で故郷に帰り、妻と生活を共にする事が出来ました。再起を期して経営の表舞台に戻るとは考え難く、安穏とした日常生活を選ぶのではないでしょうか」

           新潮社 2020年1月20日 掲載    以上










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2020年01月20日

カジノ業者が警告! 「日本にカジノは要らない」客を外に出さ無い様に作るカジノで、街が儲かる訳が無い




 カジノ業者が警告! 「日本にカジノは要ら無い」

 客を外に出さ無い様に作るカジノで 街が儲かる訳が無い


           〜HARBOR BUSINESS Online 1/20(月) 8:34配信〜


        1-20-12.jpg

             ZARost  PIXTA(ピクスタ)


 日本国民を米カジノ業者に売り渡した安倍総理

 2016年11月、アメリカ大統領就任を控えて居た当時のドナルド・トランプ氏と安倍晋三総理は初会談を行った。その直後、政府はカジノ実現に向けた動きを一気に加速させ、翌12月には「カジノ解禁法」(正式名称 特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律)を成立・施行してしまった。

 その背景には、それ迄クリントン勝利と踏んで居てトランプ側との接点が無かった安倍政権が、大統領当選を受けて何とかパイプを繋ごうとし、頼った先がアメリカのカジノ大手「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン会長だったからだと言われて居る。
 しかし、ギャンブル依存症の問題が既に深刻化して居る日本で、カジノは本当に必要なのか? 安倍政権は、トランプに媚び諂う為に日本国民を米国カジノ業者に売り渡したのではないか。

 21日発売の『月刊日本 2020年2月号』では、第3特集として「カジノが国を滅ぼす」と題した特集を打ち、真正保守の立場から断固としたカジノ反対の主張をして居る。今回はその中から、同誌編集部による、カジノ建築を手掛けて来た日本人建築デザイナー・村尾武洋氏への取材記事を紹介したい。


        1-20-13.jpg 日本人建築デザイナー・村尾武洋氏


 客が破産する迄カネを貸すカジノ

 2019年12月26日、横浜市内で「カジノ・ニューヨークからの警告」と題する講演会が開かれた(主催「カジノを考える市民フォーラム」)講師はニューヨーク在住の建築デザイナーの村尾武洋氏。村尾氏は2004年から米国でカジノのデザインに携わり、これ迄数十件もの仕事を手掛けて来たプロだ。カジノの内幕を知る人物は、何故「日本にカジノは要ら無い」と警告するのか。

 「私は2004年からカジノのデザインを請け負って来た。最初の仕事は4億円でニューヨークに在るカジノの内装デザインだった。その店がオープンしてから6週間後、事業主から『好く遣った。モトは取った』と言われた。次は12億円の内装デザインで、オープン8週間後に同じ事を言われた。こうしてカジノの内装を毎年2〜3件ずつ請け負う様に為り、カジノからカジノへ全米を回る様に為った」

 だが、段々とカジノの正体に気付いたと云う。

 「カジノが儲かると云う事は、誰かが損をして居ると云う事だ。カジノの収益は誰かの負け金だ。忘れられ無い光景がある。ネバダ州リノに在るカジノタウンの近くで、紳士然とした男性が高級なオープンカーを手で押して居た。
 彼は私に『5ドル貸して呉れ』と頼んだ。話を聞くと、週末に新婚の妻とカジノに来て、全財産をスッたと云う。クレジットカード・普通預金や当座預金も使い果たした。家も抵当に入れた。妻には別れられ、結婚指輪も失った。手元に残ったのは腕時計と愛車だけで、ガソリン代も無い。彼は普通の人だったのだと思うが、2〜3日のカジノで全て失ってしまった」
 

 カジノでは驚く様な大金が動く。

 「例えば、バカラ・・・インディアンポーカーとホボ同じゲームで、1勝負5秒で終わる。レートは色々だが、最高レートだと1勝負に1000万円を賭ける。負ければ5秒で1000万が無く為る。パチンコで1000万を無くそうとしたら何十日も掛かるが、カジノでは数秒、1億も1時間在れば無く為る」

 構造そのものが客からカネを搾り取る「罠」

 しかも、カジノには破産する迄賭けさせる仕掛けがある。

 「カジノには必ずクレジットルームがある。そこで客は職業や給与を示してカネを借りる。クレジットカードの上限一杯迄借りる事も出来れば、家を抵当に入れて借りる事も出来る。カジノは客が限界迄負けられる様にカネを貸し出すのだ」

 更に、カジノには客を逃がさ無い仕掛けもあると云う。

 「客はカジノに居れば居る程カネを使う。だから我々は客をカジノから出さ無い様にする。先ず時間が分から無い様に時計は置か無い、窓も作ら無い。屋内照明は夕方5〜7時位の落ち着いた明るさに調整する。光の調子、音の反響具合、カーペットの厚さ、肘掛けの高さ、クッションの柔らかさ、全て計算して居る。非常出口は在るが、出口も見え無い様に複雑に作る」
 
 カジノの外側も客を逃がさ無い様に作られて居る。

 「先ずカジノを中心に置いて、その周囲に関連施設を作る。駐車場からホテル、レストラン、コンサートホール、何処へ行くにもカジノを通る様に設計して居る」
 
 カジノは構造そのものがなのだ。

 ターゲットは日本人

 そのカジノが何故今日本で開かれ様として居るのか。

 「リーマンショック後、カジノ業界はベガスやマカオも含めて全体的に苦しい。その中で日本は数少ないフロンティアの一つだ。日本にカジノを作るのは、日本人のタンス預金を獲りたいからだ。日本のカジノは外国人が対象だと言われるが、実際のターゲットは日本人だ。
 アメリカでは2004年から都心にカジノを作り始めた。ニューオーリンズを皮切りに、ボルチモア、セントルイスと続いたが、都心にカジノを作る狙いは地元住民のカネを獲る事だ」

 
 横浜市等カジノ誘致に名乗りを上げた自治体は、街の活性化等のメリットを挙げている。

 「我々は客がカジノから出無い様に、街に出無い様に作って居る。だから、カジノの恩恵が街に還元される何て事は在り得ない。在れば、我々の負けだ。シカゴやインディアナのカジノは、周辺にガソリンスタンドが数軒在るだけ。客はカジノの中だけでギャンブル、宿泊、食事、買い物を済ませるから周りはスッカラカンだ」
 
 実は、自治体が強調して居るメリットは、カジノ業界のプロパガンダなのだと云う。

 「カジノ業界が自治体に進出する際は新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを利用しながら、2年程掛けて少しずつカジノ誘致の素晴らしさを広告する。税収増や雇用増の具体的数字を予想グラフにしてプレゼンも行う。そして市長や地元有志を抱き込み、住民の賛成が51%以上に為れば勝ちだ。そう為れば、49%以下の反対派の住民が何を言おうがカジノはオープン出来る」

 実際にカジノで国や自治体は儲かるのか。政府の方針では、カジノ収益の分配率は国15%、自治体15%、事業者70%だと云うが。

 「カジノは産業の一つとしてネイティブの居住地区に作られる事が多いが、その場合、収益の配分は自治体70%事業者30%位。日本では数字が逆転して居るから驚いた」

 予想通りに収益が上がら無かったらどう為るのか。今の処、IRのカジノは1店舗、IR全体のうち3%の面積とされて居るが。

 「蓋を開けて収益が上がら無かった場合はカジノの面積を5%⇒10%と拡大して行く、それでも収益が上がら無ければ、カジノを増やして競争原理を働かせると云う方向に行くのではないか。しかしカジノが成功したら、それだけ損をする人が増える。カジノの成功は良い事では無い」

 カジノに付きものな「売春システム」も必ず出来る

 ギャンブルで負ける以外に、どんなデメリットがあるのか。

 「一番怖いのは売春。カジノでは『飲む・打つ・買う』がセットだ。ラスベガスやマカオで遊んでいる客を呼ぶのに、日本だけ『女性が居ない』と云う訳にはいかない。裏でそう云うシステムは必ず出来る。言い方が悪いが、日本人女性は世界的に人気がある。横浜にカジノが出来れば、地元の女のコに声が掛かるだろう」

 女性だけで無く子供にも影響が有ると云う。

 「カジノの近くにはレストランやビュッフェ、ブティック等家族が足を運ぶ場所を作る。カジノの隣に保育所すら作る。子供達はカジノを目で見て耳で聞いて楽しみ『何時か自分も遊びに行ける』と思う。こうして次世代の顧客を育てる。カジノはソコに存在するだけで身体の一部になる。
 『日本にカジノを作る必要は無い』唯々それを伝えたかった。横浜はカジノが無くても人が来る。粋な街だ。このママで良い」

 カジノが国民を不幸にする事は火を見るよりも明らかだ。


      取材・文 月刊日本編集部 ハーバー・ビジネス・オンライン 

 【月刊日本】げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」と云う偏狭な枠組みに囚われ無い硬派な論調とスタンスで知られる。


                    以上









 【関連報道1】カジノ誘致を巡る「利権」と云う幻想 甘い汁を吸えるのは誰なのか?

           〜ハーバー・ビジネス・オンライン 2019.11.10〜


 カジノ誘致を巡る2つの「利権争い」

 カジノ誘致に付いては、現在水面下の利権争いが段々激しさを増して居る。今回は、余り表に出て居ない「飛んでも無い話」も含めて解説する。  
 現状はカジノを含むIR(統合型リゾート)を何処に誘致するのかと、夫々においてどのカジノ運営会社に運営を委託するのかの2つの大きな「利権争い」がある。ドチラにも桁違いの利権が想定されて居り、各自治体を含めた各社各様の思惑が複雑に絡み合い、段々その激しさを増して居る様子がハッキリと見える。  

 カジノを含むIRの誘致は、取り敢えず2020年夏の東京オリンピック後に3か所に絞る様で、現状では大阪府・市と横浜市が先行して居る。残る1枠を長崎県と和歌山県が追って居る。更にその前段階の「検討中」には北海道、東京都、千葉市、名古屋市辺りが続く。  
 IRの誘致は2025年の万博も招致した大阪府・市(どちらも会場は大阪湾の人工島である夢洲)が日本維新の会主導で先行して居た。此処に来て官邸主導で横浜市(横浜港の荷揚げドッグを撤去して会場とする)と、検討中である筈の北海道(苫小牧市)が「当確」かの様に報じられて居るが、マダマダ流動的な処がある。

 カジノ利権に食い込む「港湾局」の陰

 振り返ると、日本において「カジノ」が最初に話題と為ったのは、1999年に東京都知事と為った石原慎太郎氏が都知事選挙中から「お台場カジノ構想」を提唱した辺りからである。
 しかし今から考えてみると、この発言は「カジノ」よりも「お台場」の方に力点が置かれて居り、バブル真っ盛りの1989年に着工した臨海副都心計画(お台場)、2001年に決定されたとされる築地魚市場の豊洲移転計画と全く同じ構造であり、最初から東京湾岸に全ての利権を集中させる方策の1つだった筈である。

 「お台場カジノ構想」も「築地魚市場の豊洲移転計画」も石原都知事や2000年に就任した浜渦武生副知事の影響力ばかりが大きく伝えられて居るが、臨海副都心計画も含めて一貫して「目立た無い様に」取り仕切って居たのが東京都港湾局であり、そこに膨大な利権が隠されて居たことは余り知られて居ない。  
 バブルが弾けて臨海副都心計画の見直しが議論された時、強行継続させたプロジェクトリーダーの高橋俊龍・副知事や、後にお台場の魚市場用地を東京都に売却する東京ガスに天下って居た今沢時雄・取締役等は東京都港湾局の出身である。(今沢氏は港湾局長だった)
 詰まり当時も現在も、カジノ(東京に限らず各自治体の)港湾局が深く関わって居ることは覚えて置か無ければ為ら無い。

 2000年代から加速した議員とカジノの関係

 しかし、石原都知事のカジノ構想で、カジノ=利権と安直に結び着ける国会議員が続出し、2002年12月には早くも「カジノと国際観光産業を考える議員連盟(野田聖子会長)」が超党派で発足して居る。この議員連盟には「我も我も」と多数の議員の参加希望があり、その後も同じ様な議連には必ず参加者が200人近く犇めく状態が続く。  
 そして2006年1月には自民党政務調査会・観光特別委員会に「カジノ・エンターテインメント検討小委員会(岩屋毅委員長)」が発足し、自民党内で正式に議論が始まる。又この頃から、海外のカジノ運営会社が色んなツテを頼って委員会に接近し、勉強会だけで無く海外カジノ視察と称してアゴアシ付きの海外旅行に委員会メンバーを頻繁に「ご招待」する様に為った。

 当時よく名前を聞いたカジノ運営会社は、MGMとWynn(ウィン)である。MGMはセガサミーと、Wynnはアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)と、親密だったからである。  
 2009年8月に民主党に政権が移ってもこの流れは止まら無い。2010年4月にはこれも超党派で「国際観光産業振興議員連盟(IR連盟=古賀一成会長)」が発足し、この頃からカジノ法制化(合法化)の動きが出始める。当時の与党・民主党の方が積極的で、複数のワーキンググループを立ち上げてIR推進法案の準備を進めるも、2012年12月の総選挙で下野して頓挫してしまう。  

 政権交代を受けて自民党がIR議連を改組し、細田博之・元内閣官房長官が会長に就任。2013年6月に日本維新の会が単独でIR推進法案を衆議院に提出すると、自民党と生活の党が相乗りする形で「カジノを中心とした統合型リゾート(IR)を推進する法案」として同年12月に衆議院に議員立法で提出する。しかし、ロクに議論され無いうちに、2014年12月の衆議院解散で廃案と為る。  
 2015年4月に再び「統合型リゾート(IR)整備推進法案」として自民党、日本維新の会等が衆議院に議員立法で提出するも、自民党の連立相手である公明党が積極的で無い等の理由で審議される事は無かった。

 工事需要は在れどその後の損益は誰も考えて居ない愚

 法案は飽く迄も統合型リゾートの一環としてカジノを全国に何か所か解禁すると云う建て付けであるが、日本の各議員や主要企業等は全て「兎に角何でも大掛かりなハコモノ(統合型リゾート施設)を建てて、そこでカジノを開設させしてしまえば明日からでも外国人を含む観光客が押し寄せてカネを落として呉れる」と非常に楽観的に考えて居た。  
 そしてこの認識は現在でも殆ど変わって居ない。だから、カジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致すること自体が「利権」だと考えられて居る訳である。確かに公共事業と同じで一度は工事需要がある為「利権」ではある。だが、その後の損益計算等は誰も考えて居ない。   

 「甘い汁」は全て海外のカジノ運営会社が吸う

 サテ統合型リゾートに含まれるカジノであるが、日本人には当然にその運営ノウハウが無い為、海外のカジノ運営会社に「丸投げ」するしか無い。そしてこの統合型リゾートで唯一大儲け出来る処が、このカジノ運営である。
 先ず統合型リゾート(IR)の運営主体は各自治体であるが、本来はテナントであり家賃を徴収し無ければ為らないカジノ運営会社から家賃も取らず、逆に高額の成功報酬等を支払う契約と為る筈である。又カジノ運営会社がこれ等ハコモノ建設の為の資金を出す事等絶対に無い。  

 確かにカジノ運営とは簡単では無い。世界中から大手客(大金を賭けても平気な大金持ち)を呼び寄せて適度に巻き上げ、同時に世界中から集まって来るイカサマ師を排除し無ければ為らない。日本人には絶対に無理である。  
 もし日本人がカジノを運営するなら、アッと云う間に世界中から腕利きのイカサマ師が押し寄せ、多分1日で数百億円位は持って帰られてしまう。消えた仮想通貨の様な問題が毎日起こる訳である。

 一筋縄ではいか無い「カジノ運営」のノウハウ

 余談であるが、イカサマ師で無くても偶々大勝ちしてしまう大手客も居る。その大手客をアノ手コノ手で帰さずカジノに留め、スッカリ取り戻すのも運営会社のノウハウである。実際にラスベガスでは自家用機で来た大手客が大勝ちすると、空港の管制官を買収して離陸許可を出させず、ホテル代も食事もサービスするからと誘われて帰って来た大手客からスッカリ取り戻してしまう事等お手の物。幾らでも裏技がある。
 又大負けした大手客には賭け金を信用貸しする事もある。こう為るとモッと負けてしまうもので、その回収もカジノ運営会社の重要な仕事と為る。  

 更に余談を加えると、コンな大手客の1人に日本人の柏木昭男氏が居た。世界のカジノで大勝ちを続け、映画のモデル(1995年公開の映画「カジノ」にK.K.イチカワとして登場)にも為っていたが、1992年に自宅で何者かに暗殺されて居り、事件は迷宮入りしている。
 この柏木氏が訪れたカジノの中にはトランプ大統領が経営して居たアトランティック・シティのトランプ・プラザ(2014年に倒産)も含まれる。実際に2人は面識があり、トランプが自分のカジノに誘った様で、結果は1勝1敗だった筈である。

 カジノ無しでも訪日外国人が増える中、効果は有りや?

 話を戻すと、カジノはパチンコと同じで運営会社の儲け=客の損失であり、運営会社は、顧客の損益(即ち自分の損益)を自由に調節する事が出来る。詰まり、客が日本人なら、日本人トータルの損益がプラスに為る事は「絶対に」無い。  

 トランプが大統領選に当選した2016年11月8日から僅か9日後の11月17日、安倍晋三首相は当選したばかりのトランプをNYの自宅(トランプタワー)に訪問して居る。しかし、安倍首相は(官邸も外務省も)次期大統領はヒラリーと「決め打ち」して居た為、トランプとのルートが全く無かった。
 両者を繋いだのは、トランプの大スポンサーであるカジノ王のシェルドン・アゼルソン。この時、安倍首相は「日本も間も無くカジノを法制化(合法化)する」と口を滑らせてしまった筈である。  

 帰国した安倍首相は早速3年以上もホコリを被ったママに為っていた「統合型リゾート(IR)整備推進法案」を引っ張り出し、会期末の12月14日迄に衆参両院で決議する様に厳命。衆参両院とも僅か数時間の審議で強引に成立させてしまった。かくして日本でもカジノが法制化(合法化)されてしまった訳である。  
 当初のIR推進の目的は「外国人観光客の誘致」だったに違い無い。カジノ構想が出て来た2000年代の訪日外国人観光客は年間5〜600万人であり、カジノは外国人観光客誘致の1つの目玉と為って居たかも知れない。  

 処が日本を訪れる外国人観光客は2013年に1000万人を超え、2018年には3100万人にも為り、今後更に増えそうな勢いである。その日本を訪れる目的は多様化。日本は「親切で安全で文化的な国」との評価が固まりつつある。そこで「カジノが出来ましたよ」と言った処で、どれだけの効果があるのか?  次回は、日本のカジノ運営を何処が握るのかに付いて考えたい。


 文 闇株新聞 2010年創刊 大手証券でトレーディングや私募ファイナンスの斡旋、企業再生などに携わった後、独立。証券時代の経験を生かして記事を執筆し、金融関係者・経済記者などから注目を集めることに。2018年7月に休刊するが、今年7月に突如復刊(闇株新聞) 有料メルマガ配信のほか、日々、新たな視点で記事を配信し続けている。現在、オリンパス事件や東芝の不正会計事件、日産ゴーン・ショックなどの経済事件の裏側を描いた新著を執筆中



 【関連報道2】安倍首相 汚職発覚もカジノ推進 

 「桜」前夜祭 ホテル明細出さず 代表質問始まる


              〜時事通信 1/22(水) 15:34配信〜


 安倍晋三首相の施政方針演説等に対する各党代表質問が22日、衆院本会議でスタートした。首相は、汚職事件が発覚したカジノを含む統合型リゾート(IR)整備に付いて「高い独立性を有するカジノ管理委員会や国会での議論も十分に踏まえ、丁寧に進めて行きたい」と述べ、推進の方針を変え無い考えを強調した。立憲民主党の枝野幸男代表が「到底容認出来ない」と中止を要求したのに対して答えた。

 内閣府のIR担当副大臣だった衆院議員秋元司容疑者(自民党離党)の逮捕に付いては「誠に遺憾だ。副大臣に任命した者として事態を重く受け止めて居る」と語った。
 首相主催の「桜を見る会」を巡り、枝野氏は首相の地元支援者が多数参加して居た事を「公職選挙法違反の買収と実質的に何が違うのか」と追及。昨年4月に東京都内のホテルで開かれた会費5000円の「前夜祭」明細書を開示しない理由を質した。

 首相は、自身の事務所がホテル側に問い合わせた処「営業の秘密に関わる事から、公開を前提としての資料提供には応じ兼ねる」との回答があったと説明した。招待者名簿が残って居ないか枝野氏が再調査を求めたのに対し、首相は「既に廃棄されて居ることを確認した」と拒否。電子データ消去時の端末記録の開示も「不正侵入等を助長する恐れがある」と拒んだ。

 枝野氏は「政治とカネ」の問題を巡る菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の辞任に付いて「首相にも責任がある」と批判。首相は「一人ひとりが自ら襟を正すべきで、可能な限り説明を尽くして行くと考えている」と述べるに留めた。
 自民党の二階俊博幹事長は憲法改正論議の在り方を聞いた。首相は「改憲に対する国民意識の高まりを確り受け止め、憲法審査会で与野党の枠を超えた活発な議論が展開されることを期待している」と語った。国民民主党の玉木雄一郎代表は、自民党改憲案の柱と為る自衛隊の9条明記に付いて「論理的整合性が取れていない」として取り下げを要求。首相は「問題があるなら憲法審で(対案を)提示頂きたい」と反論した。


                  以上









【管理人のひとこと】

 安倍晋三氏も滔々(とうとう)落ちるべき処まで落ちてしまったのか・・・国内産業が軒並み疲弊し、これ以上落ち無い処迄弱り切ってしまった。遣る事為す事全て失敗し、日本は先進国最低の経済に陥って居る。辺りを見回すと、殆どの利権を漁り食い潰した。残るは最後に残された「公営博打」所謂、法律で禁じられた御法度の「ギャンブル」だけだ。
 今までは、国や地方公共団体の税収の補完にのみ認められた「ギャンブル」を、利権獲得の為に「国に許可権の有る民間の事業会社に委託して利益を上げ様」とする「利権の塊」を作ろうとした。飽く迄国に指導権があり、尚且つ「民間業者が事業者」と為る、事業者・ギャンブル産業と国との間に発生する利権を漁ろうとする魂胆しか無い。案の定、この構想による政治家と事業者間での利権を巡る暗躍が始まってしまったのは、鼻から判って居た事だ。

 それで無くともパチンコを初め、私達の周りには競輪・競馬・ボート・オート・・・数限り無い「ギャンブル」が揃い、無制限に門戸を開いて我々を待って居る。公営ギャンブルで収益を上げるのは、その対面に「ギャンブルで負けた」無数の国民が存在する。
 誰かが負けたのを前提とする「公営ギャンブル」での収入を、今度は「民間事業者の利益」に献上する制度を作った。国民の負けた分を吸い上げる事業者から、今度は、国が吸い上げ様とする・・・鬼畜な振る舞い以外の何物でも無い。日本人の入場を制限し、飽く迄海外からのギャンブラーから収益を上げる目的だそうだが、誰が鴨にネギを背負わせて海外から遣って来るものか。甘い身勝手な構想で儲ける算段をするのは、時代遅れの博徒でも発想だにしない暗愚な政策だ。
 ギャンブル場はIRの中の限られた面積であり、周囲には国際会議場やホテル・観劇・その他アラユル人を呼ぶイベント会場が主と為る・・・とするが、その様なものは民間や公共団体には既に無数に存在して居る。そこの中には維持費もママ為らぬものも在り、そんな状況も考えず、新たな土地で大掛かりな土建の利権を発生させ様とする・・・全てが利権より始まり利権で終わる・・・暗愚で醜い政策としか考えられ無い。span>










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徳川幕府は何故、260年も続いたのか〜家康の巧妙な分断政策



 徳川幕府は何故、260年も続いたのか〜家康の巧妙な分断政策

           〜童門冬二(作家) 2019年07月22日 公開〜

              1-20-7.jpg 徳川家康

 二分化された大名の役割

 徳川家康は所謂「御三家」を創った。九男・義直、十男・頼宣、十一男・頼房の三人の息子を、夫々尾張、紀州、水戸の三藩に配し、徳川家を名乗らせた。しかしこれは必ずしも自分の息子達を完全に信頼した上での行為では無い。徳川家康の幕府創設とその運営方針は「分断支配」である。
 詰まり組織を細分化し、夫々に責任者を置き、責任者同士の競争によって組織全体を活性化し、これを保とうと云う考え方である。

 その大きなものが、大名を先ず譜代大名と外様大名に分けた事だ。譜代大名は三河国以来、徳川家が未だ松平家と云って居た当時から忠節を尽くして来た武士が大名に為ったグループである。外様大名と云うのは、過つては織田信長や豊臣秀吉の部下だった者が、関ヶ原の合戦や大坂の陣以降徳川家に忠節を尽くす様に為った連中だ。家康はこう云う転向者を信用しなかった。
 だから、260年間、明治維新迄、徳川政権の政策担当者は全て譜代大名である。外様大名は絶対に幕政に参画する事は出来なかった。常に政権のカヤの外に置かれた。言ってみれば譜代大名は万年与党であり、外様大名は万年野党であった。

 しかし、家康の分断政策は、この大名の二分化だけでは無い。モッと皮肉な扱いをした。それは政権を担当出来る譜代大名の給与は低く抑え、逆に政権担当者に為れ無い外様大名の給与を莫大なものにしたのである。加賀前田100万石、薩摩島津77万石、仙台伊達62万石、肥後細川55万石、筑前黒田52万石等がその例だ。
 しかしそれは只高い給与を与えっ放しにしたのでは無く、参勤交代やお手伝い等によって、これ等の大名の財政が常に逼迫する様に仕向けたものだった。これも分断政策の一つだ。

 ポストを複数制にした効果

 又徳川幕府の管理職ポストを、全て複数制にした。一人の人間に限定しなかった。老中、若年寄、大目付、諸奉行アラユル役職ポストに二人以上の人間を配置する。そして「月番」と云って、一か月交代で仕事をさせた。周りから観れば夫々の仕事の評価が比較出来る。
 言ってみれば、これ等のポストに就いた人物は、衆人環視の下で競争させられたのである。ドッグレースをさせられたのと同じだ。勢い能力をフルに発揮し無ければ為ら無い。ここにも家康の叡知があった。御三家も同じである。

        1-20-8.jpg 童門冬二氏(作家)

 御三家を創った時、家康は「徳川本家に相続人が絶えた時は、三家が好く相談をして相続人を決める様に」
と言ったと云う。その限りにおいては、
 ●家康は別に、御三家の中から相続人を出せとは言って居ない
 ●例え御三家の中から候補者を出すにしても、その順位は決めて居ない
 
 と云う曖昧なものだった。この辺は家康の分断支配の巧妙な処で、彼は何時もこう云う不透明で曖昧な部分を残した。そして当事者が、アアでも無い、コウでも無いと考え尽くすのを期待する。意地が悪い。

 しかし御三家側では、ヤガテ「徳川本家に相続人が絶えた時は、御三家の中から候補者を出す」と云う事に申し合わせた。が、順位に付いては別段の定めは無かった。その為に、何回か争いが起こった。
 特に、第8代将軍を決める時に、尾張か紀州かの争いは切実なものと為り、その後にシコリを残した。しかしこの御三家の制度は、現在でも好く問題に為る後継者決定の時に「血か能力か」と云う問題を「飽く迄も血統を重んずる」と云うことに確定したと言って好いだろう。

 この血統重視の方針は、その後何回か徳川本家に相続人が絶えた時の危機に対応する有力な論理として通用した。5代将軍から6代将軍への移行の時、7代将軍から8代将軍への移行の時、そして10代将軍から11代将軍への移行の時、更に13代将軍から14代将軍への移行の時に遺憾なく発揮される。

 世界に例を見無い有効な管理システム

 この御三家制で確立された「血の尊重」を、最も有効な論理として振り翳(かざ)したのが、幕末の井伊直弼である。この時も、列強の開国要求に迫られて、日本国内は騒然として居た。有能な将軍が出現し無ければ、この混乱は収まら無いと観られた。その為今までに無かった、将軍に対する期待条件として「年長・英明・人望」の3条件が世論として湧き起こった。この世論を京都朝廷も支持した。危機を感じた井伊直弼は、
 「将軍を誰にするかと云うことは、徳川家内部の問題だ。例え年少の将軍が出現したとしても、その為に老中以下補佐役が控えて居る。徳川家に関わりの無い人物が、無責任に誰が好い等と云うことを言うべきでは無い」
 と言って、当時「年長・英明・人望」の3条件を満たして居た一橋慶喜を擁立した連中を全部罰してしまった。安政の大獄である。従って徳川家康が創始した御三家制度は、

 「徳川幕府を指揮する征夷大将軍は、全て徳川家の血を引く者の世襲制とする」

 と云うことを260年間守り抜いたのである。井伊直弼が主張したのも、この御三家制度に根拠を置く論理である。その意味では、御三家だけでは無く御三家を取り囲む形で、アラユル役職、或は大名達に対し分断支配の網の目を隙間無く張りめぐらした徳川家康の叡知は、世界のどの国にも例を見無いシステムを創造したと言って好いだろう。

 そして更にこれ等の武士の論理を貫く為に、士・農・工・商の四階級に日本人を分断してしまった身分制度は、色々な問題を生む。この事は目に見え無いソフトの面だけでは無い。目に見えるハードの面においても、例えば諸都市における「木戸(市内の要所に設けた警戒の為の門)」等によって、夜に為ればそこに住む住民が全く檻の中に住まわされて居る様なシステムが考案された。
 従って、徳川幕府の管理は人的にも物的にも、現代で言われる「高密度管理社会」を、既に実現して居たと云うことが言える。


 ※本稿は、童門冬二著『信長・秀吉・家康の研究』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。


 




 【関連記事】徳川光圀は、何故『大日本史』を編纂したのか

             〜童門冬ニ(作家)2019年02月21日 公開〜

        1-20-9.jpg 徳川光圀

 ※本稿は、童門冬二著『歴史人物に学ぶ 男の「行き方」 男の「磨き方」』より、一部を抜粋編集したものです。


 徳川光圀の若き日々

 不良少年

 徳川光圀の出生は、必ずしも幸福なものでは無かった。父の徳川頼房が歓迎しなかったからだ。頼房は、初代の水戸藩主だった。徳川家康は、九男、十男、十一男を夫々尾張、紀伊、水戸に封じて、所謂「御三家」を創った。もし、徳川本家に相続人が欠けた時は、この御三家の中から候補者を出すと云うことだ。

 母は谷久子と云った。水戸藩に仕える武士の娘で、水戸城の奥勤めをして居た侍女である。頼房に愛されて光圀を身籠った。しかし頼房は、三木仁兵衛と云う信頼する家臣に久子を預け「生まれて来る子は水にせよ」と命じた。「水にする」と云うのは、当時の言葉で「間引き」といって、赤ん坊が生まれると直ぐその命を絶ってしまう慣わしである。
 しかし三木仁兵衛は、非常に心の温かい人物で「この世で人の命程大切なものは無い」と信じて居た。三木は妻と相談して、主人の頼房には内緒で光圀を育てる事にした。母の久子は感謝した。

 父の頼房が「水にせよ」と云ったのは、光圀が初めてでは無かった。久子は七年前にも、頼房の子を身籠った。その時も頼房は「水にせよ」と云った。その子も、三木仁兵衛夫妻はソッと育てた。これが、後の四国高松藩主に為る松平頼重で、この兄の存在が、ヤガテ光圀に大きな心の転機をもたらす。

 光圀は幼名を長丸と云い、後に千代松と改めた。ヤガテ父に認知されて、世子(相続人)に指名されると、時の将軍・徳川家光から名前を一字貰って「光国」とした。「圀」と改めるのは50代に為ってからである。光圀は頼房の三男に為るが、2人の兄を差し置いて相続人に指名された。光圀は少しも喜ば無かった。
 彼には子供の時から心に受けた深い傷があった。それを、三木夫妻は必死に為って隠したが、何時しか少年光圀の耳にも「千代松様は、本当は水にされるお子様だったのだ」と云う噂が入った。(父は、私を殺す積りだったのか?)と云う思いは、身体を骨の底からガタガタにする様なショックだった。

 この頃は未だ戦国の余風が残って居て、武士らしさが求められたが、光圀は逆な生き方をした。三味線を弾いたりサイケな服装をした。自分でデザインを考えた衣類を、色取り取りに染めさせ、これを着て江戸の町を歩き廻った。
 世間の人々は「水戸様の若様はマルでかぶき者だ」と云って指をさした。かぶき者と云うのは、元々は「傾く」から来て居る。只歌舞伎役者の真似をすると云うことよりも、拗ねて世の中に対し斜に構える生き方を云った。

 事実、少年時代の光圀は斜に構えて居た。それは、胸の底にある父への不信感と怒りであり、同時に悲しみでもあった。彼は、その事を思い詰めると、真っ当に生きる事が出来なく為った。だから、斜に構えてかぶき者を気取り、江戸の町をサイケな格好で歩き廻るパフォーマンス活動を自ら許して居た。
 詰まり「自分は、この世に生まれた時から不幸な星の下に育ったので、この位のことはしても好かろう」と云う気持ちであった。

 云ってみれば、自分の個人的な不幸を社会への対抗要件として居た。斜に構える事は、自分の出生を喜ば無かった父を初め、世の中に対する報復でもあった。遊廓である吉原にも好く出入りした。此処で喧嘩もした。こうして、少年時代の徳川光圀は、世間から後ろ指を指されっ放しの、鼻持ち為らない不良少年であった。
 しかし、頭は鋭く、大人が理屈に合わ無い話をすると直ぐ「そんな馬鹿な事は在り得ない」と矛盾点を指摘した。話し手は得意の鼻を折られて白ける。この「常に真実を追求する」と云う態度は、光圀が成人してからの邪教の追放や『大日本史』の作成等でも見受けられる。

 『史記』で人生を悟る

 父の徳川頼房は、光圀を跡目相続人と決めた時に、傅役として、伊藤玄蕃、小野角右衛門、内藤儀左衛門と云う3人の武士を着けた。伊藤と内藤は、役目の範囲内で光圀を育てた為、光圀がいかにかぶき者振りを発揮しても、余り意見を云わなかった。云っても聞か無かったからだ。
 一人小野角右衛門だけがズケズケ意見した。口で云っても判らないので、小野は「諫草」と云うメモにして、シツコク光圀に読ませた。

 初めのうち光圀は「うるさい」と云って「諫草」を跳ね飛ばして居たが、ヤガテ書かれて居ることに関心を持ち、目を留める様に為った。と云うのは、小野の書いた「諫草」の中には、中国の文献からの引用が多かったからだ。
 孔子や孟子等の中国古代の聖人の言葉を引くと「貴方のこう云う行ないは、正に孔子や孟子の云う、人間としてやっては為ら無いことに当て嵌まります」等と書いてあった。光圀は小野の博識振りに感心し、次第に中国の人物と歴史に関心を持つ様に為った。

 彼は『史記』と云う本を読み始めた。ズバリ説教調の孔子や孟子の本よりも面白かった。中国古代の人間の生き方が、活き活きと描かれて居たからである。偶々その中の「伯夷伝」と云う文章を読んで、光圀は大きな衝撃を受けた。

 「伯夷伝」と云うのは伯夷と云う兄と叔斉と云う弟の物語だ。彼等の父は孤竹の国君だったが、死んだ時跡目を継ぐ者の指名をして居なかった。伯夷は、弟の叔斉に「父に愛されて居たお前が相続人に為れ」と云った。叔斉は「兄さんを差し置いて、私が家を継ぐ事は出来ません」と辞退した。何時迄話し合ってもまとまら無い。そこで兄弟は相談して「イッソの事、この国を捨てて、2人何処かで自然と親しみながら暮らそう」と決めた。

 偶々、周と云う国に行った。ここの王である武王が、自分の仕える紂王を武力で退ける企てをして居た。これを知った伯夷と叔斉は、周の武王の馬の手綱に縋って止めた。「いかに悪王と云っても、主人を武力で追放する事は不忠に当たります。好くありません」
 しかし武王は「紂王は悪王であって、既に王では無い。只の人間だ。私は只の人間を征伐しに行くのだ」と云って、言葉通り紂王を追放してしまった。

 光圀はこの話を知って居た。そして、小野が頻りに引用した孟子は「周の武王の行為は正しい。紂王は悪王であって徳を失って居た。徳を失った王は王では無く匹夫である。周の武王が退治したのは匹夫であって、王では無い」
 と武王を支持した。そして、孟子はこれを「放伐」と名付けた。孟子の放伐の理論は、下克上の論理として、戦国時代には日本でも活用された。処が、光圀が衝撃を受けたのは、孟子が肯定する周の武王の行為を、伯夷と叔斉は最後まで「間違った事だ」と否定した勇気に対してである。

 もう一つ事情があった。それは、この頃の光圀は既に自分に頼重と云う兄が居て、四国高松の藩主に為ったことを知って居た。同時に、その兄も罷り間違えば水にされて、生まれて直ぐアノ世に送られて居たかも知れ無いことも知って居た。
 同じ生まれ方をしたのにも関わらず、兄を差し置いて自分が水戸徳川家の当主に為った。その事が、光圀にはズッと引っ掛かっていた。彼の非行の一因にはこの兄の存在もあった。「伯夷伝」を読んで感動した光圀は、水戸徳川家の今後の相続に付いて、途轍もない方法を考え出した。

 同時に、それ迄の非行をピタリと辞めた。真面目な相続人に為り、民を治める知識や技術を学び始めた。そして、根底に為る「愛民」の思想を学んだ。光圀は生まれ変わったのである。『史記』と云う一冊の本が、光圀に根源的な自己変革を促したのだ。

 大義を正す日々

 寛文元年(1661)7月に、父の頼房が死んだ。59歳だった。8月19日、光圀は跡を継いで水戸徳川家の第2代藩主に為った。

 藩主に為って直ぐ光圀が出したのは「殉死禁止」の令である。殉死の禁止は、既に徳川本家でも触れて居たが、全く守られて居なかった。将軍が亡く為る度に、多くの武士が殉死した。
 10年程前、3代将軍・徳川家光が死んだ時も多くの大名や旗本が後を追って腹を切った。人命尊重の気持ちを募らせて居た光圀は、父の死に対して藩の武士が腹を切る事を禁止した。この厳命は守られて、水戸家では父・頼房の死に対する殉死者は1人も出なかった。

 光圀は、自分の政策を発表した。

 ● 民政を重視し、農民の暮らしを豊かにする
 ● 『大日本史』の編纂を続行する
 ● 領内に水道を建設する
 ● よこしまな宗教を禁止する
 ● 農民の負担を軽減する為に、雑税の幾つかを廃止する


 等であった。そして、最も藩内を驚かせたのは、相続人を定める方法である。光圀は「今後、水戸徳川家の相続は、四国高松の松平家と交代で行なう」と宣言した。皆目を見張った。光圀は実行した。即ち、兄・頼重の息子である綱条(つなえだ)を養子に迎えた。頼重には「私の息子を、高松の世子にして貰う」と告げた。頼重は「そこ迄遣らなくても好いのではないか」と云ったが、光圀は承知しなかった。
 18歳の時に読んだ『史記』の「伯夷伝」の衝撃が、ズッと胸の中に残って居た。三男の自分が、兄の頼重を差し置いて水戸の当主に為ったことに、何とも云えない後ろめたさをかんじて居たのである。

 水戸領内の民政を重視して、民の暮らしを豊かにしたいと云うのも、そう云う後ろめたさの裏返しであった。同時に『大日本史』の編纂を続行すると宣言したのも、その為であった。『史記』の「伯夷伝」に感動した光圀は(日本にも、探ってみればこう云う事例が沢山あるのではないか。それを掘り起こして整理し、後世に伝えよう)と思いたったのである。

 『大日本史』編纂の企ては、彼が当主に為る前の明暦3年(1657)から行なわれて居た。彼が30歳の時である。江戸駒込の中屋敷に史局を設け、編纂に従事する専門の学者達を集めた。特別な予算も用意した。この事業は相当な金食い虫であったので批判も多かった。
 しかし光圀は、藩主に為ってもこの編纂は続けると宣言したのである。実を云えば、この『大日本史』の編纂は明治39年(1906)迄掛かる。250年に渉る大規模な修史作業であった。彼は『史記』によって学んだ「人倫の道」即ち「大義を正す」と云うことを、水戸藩内だけで無く、日本全体のコンセンサスにしたかったのである。

 『大日本史』と云う本は、南北両朝に分かれて居た頃の皇統問題に言及し「南朝が正統である」とした。その為、楠木正成や新田義貞達が忠臣と為り、足利尊氏達は逆賊と呼ばれた。しかし、足利3代将軍・義満の時に、南朝の後亀山天皇は、北朝の後小松天皇に「三種の神器」を渡し両朝は合一した。そして以後は、後小松天皇系の天皇が続いて今日に至って居る。

 光圀の意図は何処にあったのだろうか。『大日本史』の思想は、後に「水戸学」と呼ばれ、幕末の尊皇運動の理論的根拠に為る。南朝を正統とし北朝を偽朝とすれば、徳川政権は足利政権と違って正当な武士政権として存立出来る。天下の副将軍・徳川光圀の真意はこんな処にあったのでは無かろうか。
 しかしその後、水戸思想は独り歩きをし、幕末の志士を奮起させた。もし、光圀に初めから倒幕思想があったとすれば、そう云う危険思想の持ち主を、幕府が副将軍として扱う筈は無い。この辺は謎だ。もっと追究されるべきテーマだ。

 愛される「ご隠居」に

 光圀は、元禄3年(1690)10月14日に藩主の座を退いた。63歳だった。後は、約定に従って四国高松藩主・松平頼重の子綱条を指名した。徳川将軍は、家光の後4代目は家綱が継いだが、家綱が死んで5代目に綱吉が就任して居た。処が、綱吉は有名な悪法である「生類憐みの令」を出した。これが拡大解釈されて民衆が酷い目に遭った。

 光圀は、この綱吉の悪政を諫める為に、藩主の座を退いたのだとも云われる。隠居の身なら思い切って意見が出来るからだ。それ迄の彼は副将軍として江戸城で政務に励んで居た。が、綱吉には柳沢吉保と云う側近が居て、殆どこの2人で政治が行なわれて居た。ナカナカ光圀には口を出す機会が無かった。又、綱吉も光圀を煙たがって居た。

           1-20-11.jpg 西山荘

 隠居した光圀は、常陸(茨城県)の太田と云うところに引っこんで「西山荘」と名付けた隠居所に籠った。『大日本史』の編纂は、駒込から小石川の本邸に移された彰考館で行なわれて居たが、これも水戸に移した。西山荘に移った光圀は、付近に梅の木が多かったので自分の号を「梅里」と名付けた。

 身近に『大日本史』を編纂する有名な2人の学者が居た。佐々宗淳(さっさむねきよ)と安積澹泊(あさかたんぱく)である。2人は『大日本史』の記事を正確にする為に好く諸国を探索して歩いた。
 宗淳の通称は介三郎、澹泊の通称は覚だったので、これが後の「助さん・格さん」に発展したのだと思う。『水戸黄門漫遊記』そのものは、全くのフィクションである。光圀が歩き廻ったのは、常陸国内か、精々近隣の地域に過ぎない。恐らく、佐々と安積が歩き廻ったことが漫遊記に発展したのだろう。

 『大日本史』の編纂は相当な金食い虫であり、又この編纂に携わる職員を優遇したので、藩内でも不平の声が多かった。光圀がこの頃寵愛して居た家臣に、藤井紋太夫と云う男が居た。才覚があるので光圀は重宝して居たが、この藤井が将軍・綱吉の側近・柳沢吉保に接近した。
 2人の動きを見て居ると、どうも光圀を力の無い立場に追い込む様な企てをして居る。藤井にすれば『大日本史』が余りにも金を食うので、この編纂を辞めさせようとしたのかも知れない。これを知った光圀は、或る日突然、藤井を刺殺した。天下は驚いた。

 光圀は同じ頃、江戸城に出掛けて行っては将軍・綱吉に『大学』等、中国の古典の講義を行なった。暗に「生類憐みの令」の様な悪法を、早く廃止すべきだと云う意見である。しかし、綱吉は聞か無かった。綱吉も又「生き物の命を大事にしたいと云うのは私も同じだ。だから、小動物の命を大事にする事が、即人間の命を大事にする事に繋がるのだ」と云って聞か無い。光圀は「そんな馬鹿な事は無い」と云ったが、綱吉とは見解の相違があった。

 『大日本史』の編纂だけで無く、この頃の光圀は頻りに領内を歩き廻った。藩主に為った時に約束した上水道も笠原水道として完成して居た。怪し気な宗教も全部無く為っていた。善政を行なったので、領民は光圀を「黄門様」と呼んで敬愛した。
 元禄13年(1700)12月6日、光圀は死んだ。生前の行ないを偲んで「義公」と贈名された。73歳だった。黄門と云うのは官位で中納言の事を云う。従って、中納言であれば誰もが黄門で、光圀の専売特許では無い。しかし、黄門と云えば直ぐ徳川光圀を思い出すのは、矢張り彼の人徳だろう。

 子供の頃、危うく「水」にされそうに為った彼は「人間の傷の痛み」を知って居た。自分の傷の痛みを知るからコソ、他人の傷の痛みが判った。それが弱い人間への優しさや思い遣りに為った。黄門漫遊記は、そう云う彼の気持ちをシンボライズしたドラマだ。明治22年(1889)の憲法発布の直後から流行し始めたと云う。明治天皇の積極的な地方巡幸と、果たして関わりは無かったのだろうか。


                以上

          1-20-10.jpg 童門冬二氏(作家)










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危機的な少子化問題 新しい発想で対策を考える




 危機的な少子化問題 新しい発想で対策を考える

              〜現代ビジネス 1/19(日) 11:01配信〜


 〜少子化が急速に進んで居る。急激な少子化が数々の深刻な社会問題を引き起こす事は、徐々に常識に為りつつある。少子化を何とか押し留め様と、政府は様々な手を打って来た。にも関わらず、少子化の勢いは鈍って居ない。少子化のスピードを遅らせる為には「何故人は子を持つのか?」と云う根本的な問題を考えてみる必要がある。動機付けの問題である。そこからは、これ迄とは全く違った少子化対策が浮かび上がって来る〜

 少子化対策の限界

 これ迄、様々な少子化対策が実施されて来た。が、その最大の問題は、どの対策も充分な効果を上げて居ないことである。児童手当の支給・保育園への助成等、施策は多岐に渡るが何れも少子化にブレーキを掛けるには至って居ない。
 もうひとつの大きな問題は、対策の多くが予算措置を必要とする事である。少子化対策に「成功」した例として、好くフランスが挙げられるが、そのフランス並みの対策を講じ様とすると、7兆円近い追加予算が必要に為ると試算されて居る。(1)

 一方、国の財政にはユトリが無い。「赤字国債」の残高は883兆円に上り、国民1人当たり700万円もの借金をして居ることに為る。(2)「先進工業国」の中では、突出した額の借金である。GDP(国内総生産)に対する比率でみると、フランスの場合、国債の残高はGDPとホボ同程度(96.3%)だが、日本の場合は、2倍半近く(236%)にも為る。(3)フランス並みの対策を講じる事は、極めて困難なのである。

 生物学的な動機付け

 これ迄の少子化対策は、何れも「誰もが『子を持ちたい』と望んで居る」と云うことを前提にして居る。子を持ちたくても、シバシバ「経済的に余裕が無い」「仕事と子育ての両立が難しい」と云った障害があり、その障害を取り除く事が、少子化対策の主眼に為って来たのである。
 確かに、多くの人は「子を持ちたい」と望んで居る。この望みは、自分の遺伝子を残そうとする生物の基本的な欲求に根ざして居る。しかし、こうした生物学的な動機付けだけで充分なのであれば、ソモソモ少子化問題が生じる筈は無い。

 遺伝子を残す為の生物学的な仕組みは、身体的には受精に繋がる行為が脳内の快中枢を刺戟する事であり、心理的には恋愛感情が生じる事である。処が、避妊や中絶の技術が発達した結果、こうした生物学的な仕組みは、出産には繋がら無く為って来た。生物学的な動機付けは、少子化対策の基盤としては、効力が弱まって来て居るのである。

 子育てのコスト

 一方、子育てには大きなコストが伴う。子を1人育てる為には、1千万円掛かるとも、2千万円掛かるとも言われる。夫婦と子供2人の世帯では、第2子が大学に進学すると子育てのコストは可処分所得の70%にも達すると云う。(4)
 更に、子育ては多大の時間と労力を要する。子育てと並行して仕事を続け様とすると、重い負担に喘が無ければ為ら無い。かと云って、子育てに専心すると、キャリアが中断して出世や昇給の上で不利に為ることが多い。一人親家庭の場合は、ソモソモ「子育てに専心する」と云う選択肢は無い。子が非行等の問題を起こす危険もあり、自分が子を虐待してしまう危険もある。

 子を持つ事を促す生物学的な動機付けの効力が弱まる一方で、子を持た無いことを促す社会的な動機付けは強まって来て居るのである。生物学的な動機付けの中には「子を持ちたい」と望む心理的な欲求も含まれているが、これには個人差があり、子供を「うるさい」とは感じても、特に「可愛い」とは感じ無い人も居る。
 価値観にも個人差があり、子を持つ事よりもキャリアを重視する人も少無く無い。子育てに何千万円もの金額を費やすより、その金額を自分の為に使いたいと考える人も居る。そうした人々は「子を持た無い」と云う選択肢を選び、少子化が進行する事に為る。
 
 経済的な動機付け

 しかし、過去を振り返ってみると、子を持つ事には、生物学的な動機付けの他に、経済的な動機付けも働いて居たことが分かる。年金制度が整備される前は、年老いて働け無く為った時、充分な資産が無い限り、老後の生活は自分の子に支えて貰う必要があった。
 年少児の死亡率が高かった時代には、子が居なく為ってしまうと云う危険を避ける為に、多くの子を設けて居た。子に恵まれ無ければ養子を取ることもあった。しかし、年金制度が整備された現在、老後の生活を支える為には、子を持つ必要は無い。年金が支えて呉れる。詰まり、現在は経済的な動機付けも働か無く為っているのである。

 年金制度の落とし穴

 その年金の仕組みを見ると「現役世代が支払って居る保険料を原資にして、高齢者に年金を支給する」と云う形に為っている。その「現役世代」は、子を持た無い人に取っては他人の子である。即ち、子を持たずに年金を受給して居る人は、他人が育てた子供達に老後を養って貰って居ることに為る。
 子を育てる為には何千万円かの費用が掛かるが、子を持た無い人はそれを自分の為だけに使う事が出来る。老後は、他人が何千万円かの費用を賭けて育てた子供達に生活を支えて貰う事が出来る。言い換えると、子を持つ人から子を持た無い人への所得移転が生じて居る事に為る。

 子を持た無い人は子を持つ人に「只乗り」して居る訳で、経済学で言う「フリーライダー問題」が生じて居ることに為る。これは道義的な問題として捉える事も出来る。何れにしても、経済的な動機付けは、現在では、子を持つ事を妨げる方向に作用して居るのである。

 ストレートな対策

 少子化のスピードを緩める為には、子を持つ事への動機付けを高める必要がある。生物学的な動機付けの効力が低下して来て居る現在、経済的な動機付け迄が子を持た無いことを促進して居る様では、少子化は進むばかりである。経済的な動機付けが子を持つ事を促進する様に、社会制度を設計し直す必要がある。
 ここ迄の考察から自然に出て来る少子化対策は「子を持た無い人には年金を支給し無い」と云う年金制度の改革であろう。この改革が実施されれば、経済的には、子を持た無いことは有利では無く為る。子を持つ人から子を持た無い人への所得移転も無く為る。

 キリギリス問題

 しかし、このストレートな対策には問題もある。「キリギリス問題」である。イソップの寓話「アリとキリギリス」を想起しよう。現役の時には退職後のこと等考えずに、貯蓄もせず子も持たずに裕福な暮らしをしてしまう「キリギリス」が出て来る可能性がある。こうした「キリギリス」は、退職後、年金が支給され無ければ忽ち困窮することに為る。
 「キリギリス」の数が少なければ「自業自得」と突き放すことも出来るだろう。しかし、数が多く為れば、社会不安の源に為りかねないので、放置する事は出来ない。

 また、将来、自分が年金を受給出来ないと云うことに為れば、保険料を支払おうと云う動機付けは消える。その結果、子を持た無い人が保険料を支払わ無く為れば、年金制度を維持する事は困難に為る。従って「年金を減額する」事位は可能かも知れないが「年金を支給しない」と云う対策は現実的では無い。

 現実的な対策

 それより現実的で、しかも効果が期待出来る対策は「子を持た無い人には、社会保障(年金と健康保険)の保険料を増額する」と云う措置である。どれだけ増額するかは、子育ての費用を基準にして考えることになる。
 現在は、子を持た無いことが経済的に有利に為っている。しかし、子を持た無い人の保険料が高く為り、子育ての費用と変わら無くなれば、子を持た無いことの経済的な利点は消える。経済的な動機付けが子を持た無いことを促進する事は無くなる。一歩進んで、子を持た無いことが経済的に不利に為る様に増額幅を設定することもできる。

 「子を持た無い人には年金を支給しない」と云うストレートな対策の場合は、現役世代には年金の受給が遠い将来の事に感じられて「キリギリス問題」が生じる恐れがある。しかし「子を持た無い人の保険料を高くする」と云う対策の場合は、毎月、高い保険料を実感する事に為るので、経済的な動機付けが働き易くなる。子を持つ事が経済的に不利で無くなれば、或は有利に為れば、子を持つ人が増えると期待する事ができる。

 年金改革の利点

 この対策の最大の利点は、予算措置を必要とし無いことである。国が膨大な借金を背負って居る現在の財政事情の下でも実施が可能である。
 仮に「出生数を増やす」と云う効果が充分に大きく為らなかったとしても、保険料の増額によって生じた財源は、子育て支援など他の少子化対策に振り向ける事ができる。フランスで効果を上げた少子化対策が実施できるかも知れない。

 近年は、非正規雇用の増加などに伴って、低所得層の割合が拡大して来ており、特に年収が300万円に満たない層では「そもそも結婚すること自体が難しい」と云う問題も出て来た。財源が増えれば、こうした層の税額控除を拡充する等、結婚を支援する対策も実施出来る。又、保険料の増額に、所得に応じた累進制を導入すると云う措置も考えられる。

 出生率が低下する原因の一つは、晩婚化だと言われている。また、結婚はしても、出産を遅らせる結果、子を持とうとした時には高齢になっていて、出産が出来なくなっている、或は出産が1回しかできなくなっている、という問題も指摘されている。
 子を持たない人の保険料が高くなれば、高い保険料を支払い続ける事を避け様する心理が働いて、こうした晩婚化や出産年齢の高齢化に歯止めが掛かる可能性もある。

 大義名分

 この対策には道義的な大義名分がある。現在は、子を持たない人は、他人が育てた子どもたちに老後を支えて貰っている。しかし、子を持たない人の保険料を増額すれば「国の将来を担う新しい世代を育てる為に、国民全員が公平な経済的負担をする」と云うことに為る。子を持つ人から子を持た無い人への所得移転は無くなり、先の「フリーライダー問題」も解消する。

 少子化対策の財源を増やす為には「西欧諸国並みに税金を引き上げる」と云う方策が提唱されて居り、何れ、れが必要に為るかも知れない。しかし、この方策を取った場合は、子を持た無いことが経済的に有利になると云う現状は変わら無いことに為る。
 従って、この方策には経済的な動機付けの効果を期待する事が出来ない上に、年金制度の公平性と云う点に限っては大義名分も無い。

 目前の危機

 日本の人口は10年程前から減少に転じた。この先、人口は、崖から突き落とされる様な勢いで減って行くと予想されている。50年後には8千万人近くに迄落ち込むと云う予測もある。(5)人口がピークだった2008年頃と比べると、4千万人以上減る事に為る。これは、東京を中心とする首都圏(1都7県)の現在の人口がソックリ消えてしまうことに相当する。

 今後50年の間、少子化は人口の高齢化と同時進行することに為る。生産年齢人口が減り続ける一方で、年金を受給する高齢者の人口は増え続けて行くのである。何れ、現役世代は高齢者を支え切れなくなり、年金制度は崩壊する恐れがある。

 年金改革は不利益か?
 
 これまでの少子化対策は、助成金、無料化など、何れも経済的な利益を供与する形を取っていた。一方、「子を持た無い人の保険料を増額する」と云う措置は、子を持た無い人に経済的な負担を課す事に為る。その為この対策の実施には大きな困難が予想される。子を持た無い人は、保険料の増額と云う政策には好意的に為れないに違い無い。
 しかし、保険料の増額に反対して居ると、自分が高齢者に為った時には、年金制度が崩壊して居て、年金が受け取れ無く為っているかも知れない。人口の急減に伴って国内需要も急減し、自分の仕事が無くなってしまうかも知れない。

 今後、現役世代の割合は減少して行くが、保険料の増額と云う対策は、現役世代が減り過ぎると現実的では無く為る。現役世代の人口が未だ60%近い割合を占めて居る今が、最後のチャンスかも知れないのである。


 【出典】

 1. 「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議 2007年4月 (金子隆一 (2019) 「人口減少社会の歴史的位置づけ ― 2つの人口転換」)。
 2. 平成30年度現在。財務省「財政に関する資料」2019年5月30日
 3. 平成30年4月現在。財務省「財政に関する資料」2019年5月30日
 4. 厚生労働省「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」 1994年12月16日
 5. 国立社会保障・人口問題研究所 「日本の将来推計人口(平成29年推計)」


           近未来ビジョン  以上








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秀吉か森蘭丸か 明智光秀「信長殺し」8人の真犯人




 秀吉か森蘭丸か 明智光秀「信長殺し」8人の真犯人

              〜SmartFLASH 1/19(日) 6:31配信〜

 今日から放送されるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は明智光秀。ドラマのクライマックスとなるのが、アノ「本能寺の変」だ。1582年6月2日、天下統一を目前にして居た織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により本能寺で自害。

 だが光秀は「中国大返し」で戻った豊臣秀吉に敗れ、その天下は僅か11日で終わった。「戦国時代、最後にして最大の下剋上」と云われる。主君・信長にパワハラを受け続けた結果の謀反・・・詰まり「光秀の 私怨 が原因」というのが、人々が持つ本能寺の変のイメージだろう。だが近年、これを覆す「新説」が次々と発表されて居る。
 今回、紹介するのは、黒幕や共謀者と囁かれる8人の真犯人 。荒唐無稽な説もあるが、思わず膝を打つ説も。歴史上の大事件にも関わらず、未だ「信長殺し」の謎が解明され無いのは何故か。

 「信頼性の高い1次史料が、限られて居る為です。学者や作家は、自説の補完材料として、2次史料・3次史料を恣意的に利用する為、基本的な事実すら定まらず論旨が噛み合わ無いのです」

              1-20-1.jpg

 歴史アナリストで『明智光秀の生涯』(三笠書房)の著者 外川淳氏(56)はそう語る。

 「黒幕が居ると云う説を提起する人は、真実を解明したい訳では無く、歴史エンタテインメントとして支持を得られれば好いのでしょう。歴史学での研究成果を論拠としながら、ソコにフィクションを追加することで、真実を解明した幻想 を与え続けて居るだけとも云えます。
 私自身は『光秀は、黒幕に操られて謀反へ追い込まれたのでは無く、自らの意思で天下簒奪(さんだつ)を決めた』と考えて居ます。『共謀者も居た』と考えますが、山崎合戦で光秀が秀吉に敗北した事で、共謀者自身が証拠を消し去った筈です」(外川氏、以下同)


 大河ドラマでは、光秀の「謎めいた前半生」に光が当たる。

  「光秀は謀反人と見做され、秀吉の時代には、血縁者や関係者は、その事実を隠さざるを得無かった。その為、光秀に関して信頼に足る史料の殆どが失われ、生年月日や生まれた場所、父の名前さえ不明なのです。
 しかし生涯を辿ると、知性と行動力で逆境を克服した優れた武将だった事が判ります。精神状態が不安定で、突発的に謀反した様に語られますが、それは類まれなる名将に対する名誉毀損。天下人と為ることを夢見て、チャンスを逃さ無かった。僅かでも天下を奪い獲った成功者だったと思います」


 以下では、8人の “真犯人” についての新説を、外川氏に解説してもらう。あなたの知らない光秀がくる。

 真犯人(1)豊臣秀吉

 天下統一を目前にして居た信長に取って代わり、自らが覇者と為る為に、秀吉が光秀を謀反へと導いた・・・と云う説。最終的に、本能寺の変で最大の利益を受けたのが秀吉だった事や「中国大返し」の不自然な迄の動きの早さ等が根拠とされる。
 「黒幕と迄は云えませんが『光秀との共謀があった』とする事は否定し切れ無い有力な仮説。信長に対する不信感・警戒心は、光秀も秀吉も持って居た筈です。共謀の証拠は、勝者・秀吉により抹消されたとも考えられます」(外川氏の見解・以下同)

 真犯人(2)徳川家康

 「家康は『信長が自身(家康)の殺害を光秀に命じた』と察知し、光秀と共謀して返り討ちにした」と云う説。信長と徳川家康は同盟関係にあった。しかし、家康は嫡男と妻を信長の命により死に追い遣られて居た。「本能寺の変」直前、家康が光秀から持て成しを受けて居たことも根拠だ。
 「光秀と家康の接点は、それ程無かった筈ですが、この両者に仕えた武将が存在します。『この武将が、両者の間を繋ぐスパイ、或は連絡役の様な役割を演じ、謀議を交わした・・・』と想像する事も可能でしょう」

 真犯人(3)濃姫

 斎藤道三の娘で、後に信長に嫁いだ濃姫を『本能寺の変』の中心人物だと疑う説。『光秀と濃姫は、従妹であり幼馴染み、更に恋仲でもあった』と云う見解を前提として居る。信長を含めたこの3人の三角関係が変を引き起こしたとする筋立てだ。
 「ドラマとしては面白いのですが、光秀の出自自体が謎であり濃姫と血縁関係の可能性は低い。とは云え、血縁関係が事実なら、光秀は主君・信長と、濃姫は出世街道を走るエリート・光秀と縁戚に為り・・・互いに好都合です」

 真犯人(4)足利義昭

 「信長の後ろ盾で将軍と為りながら、後に京を追放された足利義昭が光秀を決起させた」とする説。義昭は京を追放後、毛利氏等の庇護を受けながら、反織田の有力武将と連絡を取り、打倒信長の策謀を続けて居たことは、幾つもの書状等から確認されて居る。
 「光秀は、義昭に仕えて居た時期が有り、彼の軽薄な人間性を知り尽くして居た。義昭は『本能寺の変』の頃には既にその価値に見切りを着けられて居り、仮に関与して居たとしても黒幕程の影響力は無かったとみる」

 真犯人(5)長宗我部元親

 「目前に迫った四国征伐を回避する為、長宗我部元親が光秀と共謀した」とする説。光秀と元親は、近年再検証された「石谷家文書」により、密接に関係して居たことが裏付けられている。光秀は信長を倒した後、元親の協力を得られる事を期待して居た。
 「『石谷家文書』からは、光秀と元親の深い関係を知る事が出来る上に、この文書が、光秀に謀反を決意させた可能性迄もある。とは云え『共謀の証拠』と迄は言い切れません」

 真犯人(6)正親町(おおぎまち)天皇

 「朝廷が信長を京へ誘き寄せ、光秀に襲撃させた」とする説。「本能寺の変」が起きる直前の5月、朝廷(当時は正親町天皇)は、信長に「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」の何れかへの就任を打診した。根底には、光秀が朝廷と築いて居た密接な人脈の存在がある。
 「『本能寺の変』前後の状況から、光秀と朝廷で謀議する事は可能。仮にその様な事実があっても、光秀が秀吉に敗れた時点で、証拠は抹消されたでしょう。否定は出来ませんが、実証する事も不可能」

 真犯人(7)森蘭丸  

 石原慎太郎の著書『信長記』で示された説。信長に対する森蘭丸の愛を主軸に描いた戯曲作品で、最終的には「信長の愛情を独占し心中する為に、蘭丸が光秀を唆(そそのか)し『本能寺の変』を起こさせた」とする。所謂、BL・ボーイッシュラブ的なストーリー。
  「『本能寺の変』を大胆に推理する為に、提起されたひとつ。史実としては齟齬(そご)が生じます。但し、蘭丸の小姓(秘書)としての役割を再評価すると、謎解明の為の新しい方向性と為る可能性も秘められて居る」

 真犯人(8)イエズス会

 信長は、海外の勢力とも密接な関係を築いて居たが・・・「自らを神格化して、余りに大きな野望を持つ信長を、イエズス会が危険視し光秀を唆し謀反に導いた」とする説だ。だが論拠には、資料の誤読や論理の破綻があり否定的な意見が多い。
 

 「戦国時代の日本は、スペインやポルトガル等、南蛮国からの侵略の危機に脅える様な、不安定な国家ではありません。その為、外国人宣教師の政治的影響力は皆無に等しく黒幕等には、為り様がありません」

         週刊FLASH 2020年1月28日号   以上 









 「関連記事」文章で紐解く 明智光秀が信長討った真の狙い

          〜東洋経済オンライン 加来 耕三 1/19(日) 5:20配信〜


            1-20-2.gif

     織田家一の出世頭、明智光秀は何故「本能寺の変」を起こしたのでしょうか?

 日本史の大い為る謎と称されるものの中に、明智光秀が織田信長を弑逆(しいぎゃく)した「本能寺の変」が挙げられます。
 次に挙げたのは、その光秀が謀叛(むほん)に及ぶ1年前に、自らの家臣団に宛てて述べた「家中軍法」の一節を現代語訳したものです。内容自体は、明智の兵としての心構えや軍編成に付いての記述なので、詳細は省略しますが、最後の締めの部分は興味深い文章です。

 「家中軍法」のポイントは? 

 「右の通り軍法を定め置く上は、実戦経験者は尚精進を怠らず未熟の者は好く理解せよ。私は瓦礫沈淪(がれきちんりん・瓦や小石の如く沈んで居た境遇)の様な低い身分から、信長様に取り立てられて、この様な莫大な軍勢を任される迄に為った。
 軍律も好く弁(わきま)えず、武勇も功績も挙げ無い者は、国家(織田家)の穀潰しで、公のものを掠〈かす〉め取るにも等しい。日々精進して居る者からは軽蔑・嘲笑の対象にもされるであろう。奮起して抜群の功績を挙げた為らば、必ず信長様に報告し、重く取り立てるであろうから、この家中軍法を好く守って欲しい。 
 天正九年六月二日 日向守光秀


 この時、光秀は主君である信長に、我が身の出世を感謝して居ます。これは「本能寺の変」の1年前。光秀本人が「瓦礫」(価値の無い者)と表現して居る様に、彼の前半生は、21世紀の令和の時代に居たっても尚、悉くが謎に包まれたママです。
 「本能寺の変」の動機も、光秀その人も全て不詳・・・好く美濃源氏の土岐氏の系譜に連なって居たとか、明智城の城主の息子であったとの話を耳にしますが、これ等は悉く、江戸時代中期に編纂された『明智軍記』の記す処であり、この書籍は「史料的価値には乏しいが類書も少無いので便宜使用されて居る」(国史大辞典)に過ぎ無い「軍記物」であり、全体が「物語」で、内容に史実では無い記述も多い、根拠の確認出来ないものでしかありません。

 只、明らかな事は、この人物が歴史の表舞台に登場してから「本能寺の変」迄、足った14年しか無かったことです。永禄12年(1569年)正月、光秀は確かな記録『信長公記』(太田牛一著)の中で、信長が京を留守にした機会を捉えて、三好三人衆が信長の後押しをする15代将軍・足利義昭を京の六条・本圀寺(ほんこくじ)に攻めた折、立て籠って奮戦した多くの人数の一人に数えられて居ました。
 それが僅か2年後、元亀2年(1571年)9月には、織田家筆頭家老の柴田勝家・信長のお気に入りの羽柴(後の豊臣)秀吉等を差し置いて、織田家中で最初の「城持ち」(城将では無く領地着き城主)の身分と為りました。

 拙著『心をつかむ文章は日本史に学べ』でも詳しく解説して居ますが、何故光秀は「中途採用」でありながら、織田家においてこの様な異例のスピード出世を遂げる事が出来たのでしょうか。

 言葉の問題が大きかった

 取っ掛かりは、意外にも「コミュニケーション能力」でした。この時代には、我々が考える以上に「言葉の問題」がありました。室町時代の後期から戦国時代には、ソモソモ明治に創られた標準語が存在しませんでした。信長は丸出しの尾張弁を話し、光秀が仮に美濃出身者為らば、彼はどうにか隣国の信長の言葉が理解出来た筈です。
 九州の人と関東・東北の人が京の都で出会ったとしても、恐らく会話は成立し無かったでしょう。江戸時代に入っても、コミュニケーションの基本であるこの言葉の問題は、ナカナカ解決しませんでした。筆談「文章」にして相手にそれを見せ、相手も「文章」で応ずるか、さも無ければ謡(うたい・能の声楽部分)の節を着け、言葉を発して理解を乞うかで、他に方法はありませんでした。

 江戸時代「火事と喧嘩は江戸の華」と云われましたが、何故、喧嘩が頻繁に起きたのか? 筆者は「言葉が互いに通じ無かったから」だと考えて来ました。これでは諸事に困ると云うことで、武士の世界では、諸藩は藩士を代々江戸に住まわせて「江戸っ子」を作り、標準語に近い共通の言語を要約持つ事に成功しました。

 戦国時代は大変です。こうした方言に加えて「男言葉」「女言葉」が分かれて居たのです。平安中期に書かれた随筆『枕草子』には、聞いて違った感じを受けるものとして、清少納言は、法師の言葉と男の言葉・女の言葉・下衆(げす・身分の低い人)の言葉を挙げています。
 例えば、味の好い事を男性は「うまい」と云い、女性は「いしい」と云いました。これに接頭語が付いて、今日の「おいしい」が誕生したのです。

 戦国時代の日本では、この様に男性言葉と女性言葉が峻別されて居り、更には身分上の独特の言い回しがこれに重なり、その上での地方の乱雑な言葉が入り乱れた時勢でもありました。到底、何れも同じ日本語とは思え無いし聞こえません。
 言葉すらがこの調子です。礼儀・仕来(しきたり)の煩雑さは相当なものであり、室町風の武家が操る礼式言語「外交」には、専門職が成立して居ました。

 室町幕府が成立した折、殿中作法が定まって居らず、諸大名は雑然と屯(たむろ)し喧騒するだけで、何れが上位者か下位の者かそれすら明確化されて居ませんでした。貴人をそれなりに迎え、応ずる作法が無ければ、将軍と云えども尊重される筈がありません。
 慌てた幕府は、行儀作法に弓馬術・・・詰まり武芸の作法に、禅の「清規」(修行上の約束事)を加えた礼法を小笠原貞宗に創らせました。これが小笠原流礼法です。これを当時の流行語では別に「行儀」と云いました。狭くは振る舞い・仕業(しわざ)の事であり、広くは立ち居振る舞いの全てを指しました。

 筆者は、明智光秀が織田信長に最初に認められたのは、この「外交」の専門職としてでは無かったかと推察して来ました。加えて、行政官も出来れば、合戦の采配を振らせても光秀は抜群の才を発揮しました。信長の「天下布武」を助け、王手迄持って行った最大の功労者は光秀であった・・・と筆者は考えて居ます。
 その織田家一の出世頭、ナンバーツーとも云うべき彼が、では何故「本能寺の変」を起こしたのでしょうか? 

 光秀を「本能寺の変」に向かわせた理由

 筆者は、信長とのコミュニケーション不足・・・本来、筆も文章も得意の筈の光秀が、心身の疲労から、敢えてコミュケーションを自ら断つ方向へ向かった事が、何よりも大きかった様に思います。
 光秀は諸文献上、信長より6歳以上〜18歳以下の年上と為ります。その光秀が、天正4年(1576年)11月に、糟糠(そうこう)の妻を病で亡くし、自らも病床に伏してしまいます。同じ頃、光秀の同僚であり織田家の最高幹部・方面軍司令官の一人であった佐久間信盛が、大坂本願寺攻めの長期化・不首尾を理由にクビに為り、高野山へ追い遣られる事件が起きました。

 同様に、信長の幼少期から仕えた老臣・林秀貞や美濃併合に活躍した安藤守就(もりなり)等が、それコソ取るに足ら無い様な理由でクビに為る事件もありました。光秀は心身共に疲れ切った頭で、自分の行く末を考えた事でしょう。
 九州縁の「惟任(これとう)」の姓と「日向守」の官名を、彼は信長から授けられて居ます。好敵手である羽柴秀吉の中国方面軍の次は、自らが九州征伐に臨まねば為りません。この時、光秀は、自らの未来を悲観したのではないでしょうか。既に、何でも相談出来る唯一の妻もこの世には在りません。疲労した頭でフト魔が指した様に「今なら信長を亡き者に出来る」と。

 光秀は「空白地帯」の京の都へ、信長が少数の供だけを連れて入って来る事を、誰よりも詳しく知って居ました。信長の盟友・徳川家康も上洛中で、堺に居る事も、光秀は当然熟知して居ます。

 天生10年6月2日・・・

 天正10年(1582年)6月2日、光秀は本能寺を急襲して、信長を滅ぼしました。6月5日には秀吉の属城・長浜城と丹羽長秀の居城・佐和山城を陥落させて居ます。しかし、最も頼みとする親戚である細川藤孝・忠興父子への相談は後回しにしてしまい、その為「三日天下」は決定的と為りました。

 結局、光秀は「中国大返し」で畿内へ駆け着けた秀吉の軍勢と山崎に戦い、一敗地に塗(まみ)れて、最後は落武者狩りの農民の手に掛かってその生涯を閉じました。
 光秀が何故、得意の文章力・コミュニケーション能力を駆使して「三日天下」を「不朽の天下」にする努力をし無かったのか。云え、それ以前に、主君・信長との溝をどうして埋め様とし無かったのか。それを筆者も理解出来ずにいるのが正直な処です。

 妻を失った時、病後の体調の優れ無かった段階で、光秀が得意の文章力・コミュニケーション能力を発揮して、自らの隠退を信長に認めさせて居れば、日本の歴史は大きく方向を変えた様にも思われるのですが。光秀の悲劇は、現代でも形を変えて起こり得るものです。我々は、先人の知恵・言動に学ぶべきかも知れません。


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            加来 耕三 歴史家・作家    以上







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2020年01月19日

ゴーン氏の情報小出し戦略でケリー被告を有罪にしようと焦る検察




 ゴーン氏の情報小出し戦略でケリー被告を有罪にしようと焦る検察

       〜〈週刊朝日〉AERA dot. 1/19(日) 15:03配信〜



 「逮捕された時は驚かされたが、出国では彼等を驚かせた」

 〜こうスペインのメディアに語ったのは、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告(65)世界中の注目を集めたレバノンへの「大」逃亡の時期を昨年末にした理由に付いて、1月17日付のスペイン紙「パイス」がインタビューを報じたのだ〜


 ・・・逃げるのに12月30日を選んだのは何故ですか?

 「日本の人々はリラックスし、休暇を取り、スキーに出掛けたりする時期だからだ。良いタイミングだった」
 
 ゴーン被告は1月8日のレバノンでの会見以降、自ら選別した各国のメディアの取材に積極的に応じて居る。派手な逃亡の足取りもホボ分かって来た。様々な情報をまとめると、ゴーン被告は去年12月29日午後2時半頃に、帽子を被りマスク姿で港区の制限住居を出発。
 六本木のホテル「グランドハイアット東京」で2人の支援者、米国の民間軍事会社に所属する米陸軍特殊部隊グリーンベレーの元隊員マイケル・テイラーとジョージ・ザイエクと合流した。その後3人はタクシーを利用し、分乗して品川駅に行き、新幹線で新大阪駅に移動。同日夜、関西空港近くのホテルに入った。

 「ゴーン被告は当初から新幹線を使う事を考えて居た節がある。列車のカメラ解析は街頭に有る防犯カメラや警察のNシステム等に比べ、入手と解析に時間が掛かる為だ。元隊員が、或る程度街頭カメラ等に映っても構わ無いと考えたのでは。寧ろ解析の時間稼ぎを指南したのではないか」(警察関係者)

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 今回の逃亡、その後の会見の動きに付いて、ジャーナリストの須田慎一郎さんは次の様に分析する。

 「ゴーン被告は兎に角日本に居ることが精神的に耐えられ無かった。日本の司法制度では名誉回復が図れ無い。日本のメディアにも真意を話せ無かった。だから広報コンサルタント会社と提携し、早くから計画を進め、メディアを選択し取材に応じる形にしたのでしょう。
 日本での名誉回復を図る為に段階的に各国のメディアに情報を小出しにして居ると考える事が出来る。このイメージアップ戦略には明確なゴールが設定されて居る筈です」


 逃亡を結果的に許してしまった日本の司法当局。取り分け東京地検は汚名返上、反撃のチャンスを伺って居る様だ。今後のゴーン被告への責めてもの追及のカギとされて居るのが、共犯として起訴されて居る日産元代表取締役のグレッグ・ケリー被告(63)の裁判である。
 東京地裁は1月16日の公判前整理手続きで、ゴーン被告とケリー被告、更に法人としての日産の裁判を分離する事に決めた。

 起訴状等によると、ゴーン被告はケリー被告と共謀し、2010年度から17年度の自分の役員報酬を、退任後に受け取る分も含めて実際には計約170億円だったのに、約91億円少なく記載した虚偽の有価証券報告書を提出したとされる。
 金融商品取引法には、役員や従業員等が事業活動に関連して違法な行為をした場合に、個人だけで無く法人も罰せられる両罰規定がある為、法人としての日産も起訴されて居る。

 ケリー被告は、ゴーン被告と同様に「報告書に記載すべき確定した報酬では無かった」と無罪を主張して居り「ゴーン被告がサインした報酬の書面作成に関与して居ない」と検察が主張する共謀の成立を否定して居る。
 ゴーン被告を裁く事はホボ不可能と為っているが、検察がケリー被告や日産の罪を立証する為の証拠や証人は、ホボ共通して居る為、公判への影響は必至だ。

 「ゴーン被告に対して日本の司法当局は最早何も出来ない。4月から開始が予定されて居るケリー被告の公判は世界中から『衆人環視状態』に為ります。検察はケリー被告に付いては何が何でも有罪に持って行きたい。しかし慎重に事を運ば無いといけ無いでしょう。公判では、金商法が罪として認定されるかどうか、そして日本の人質司法の問題、司法取引の問題にも改めて注目が集まります」(須田さん)

 「日産幹部と検察にハメられた」と話したゴーン被告。果たして4月迄にゴーン劇場の第2幕はあるのだろうか。


       ※週刊朝日オンライン限定記事 本誌・野田太郎   以上









 【関連報道】ゴーン被告の在日フランス人の友人等が明かすレバノンへの逃亡劇の全真相

              〜週刊朝日 2019.12.31 16:16〜

 新年を目前に衝撃のニュースが飛び込んで来た。日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告がレバノン入りしたと海外メディアが一斉に報じたのだ。
 ゴーン被告は会社法違反(特別背任)等で起訴され保釈中だった。日本からどの様に出国したのか、その詳細は明らかに為っていないが、本誌はゴーン被告の知人等を独自取材、その足取りを追った。ゴーン被告が「私は今、レバノンに居る」「不正に仕組まれた日本の司法制度の人質には為らない」との声明をアメリカの代理人を通じて発表したのは12月30日。

 「ビックリした。出国禁止で、パスポートも持って居ない筈。どう遣って出国したんだろう…」
 
 検察幹部はこうショックを隠せ無い。2019年4月にゴーン被告の弁護団が公開した動画以外に保釈中、ゴーン被告の動静は余り伝わって来なかった。そんな中、ゴーン被告と連絡を取っていた在日フランス人の友人が本誌の取材に対し、こう語った。「ニュースを聞いて驚いた。だが、ゴーン被告がこう云う行動を取ることは止むを得なかったと思う」
 定期的にゴーン被告と接触して居た友人の1人もこう明かす。 
 「ゴーンさんは、様々な点で検察、日本に怒りを感じて居た。妻と長く会う事も許されず、最初から有罪有りきの検察の捜査にも非常に憤りを感じて居た。当初は日本で裁判を戦い、無罪を勝ち取ると意欲的だった。だが、保釈中、いかに日本の司法制度全体が検察主導で、有罪有りきの構造に為っているかを知り、絶望感を感じて居た」

 そしてゴーン被告の様子をこう語る。

 「例えば、ゴーンさんが逮捕される事と為った有価証券報告書の虚偽記載に付いても『日産の西川元社長も決裁して居る。何故私だけが悪く為るの?』『ゴーンが有罪であれば好いと云う捜査だ』と話して居た。西川氏等日本人を守り、ゴーン有罪有りきで進む、東京地検の捜査をアンフェアと批判して居た。弁護士が同席出来ない事情聴取、否認すると長期間の身柄を拘束される人質司法だ。保釈中でも、妻とも会えず『自由にならねば戦え無い』と大声で話す事もあった」

 ゴーン被告は保釈に当たってパスポートを弁護士に預け、日本国内に留まると約束して居た。仮にパスポートがあっても出国は不可能だ。
 「入管に問い合わせた処、ゴーン被告程の著名人なら見逃す事は無いと言って居る」(前出・検察幹部)
 海外メディアの報道を総合すると、ゴーン被告は12月29日〜30日に賭けてトルコからプライベートジェットでレバノンに到着したと云う。
 
 どの様にして、日本を出国したのか?

 「ゴーンさんには様々な友人が居ます。。レバノンでは大統領にと声が挙がる程の人物です。恐らく、レバノン等の政府の外交特権を駆使して出国させたのではないでしょうか。パスポートを偽造するなど、法を犯す事は有り得無い。何故なら、ゴーンさんは『私が悪い、悪く無いでは無い。日本の司法制度、民主主義と対決だ』とも言って居ました。戦いの為に敢えて、日本脱出を選んだのでしょう」

 元東京地裁検事の郷原信郎弁護士はこう話す。

 「公判前の被告人に海外逃亡されて声明まで出された。検察に取っては、正に赤っ恥。ゴーン氏の事件、東京地裁の捜査は酷いの一言でしたから。ゴーン氏は業を煮やして強硬手段に出た様に感じます。日本政府が要請して、ゴーン氏の身柄をレバノンから戻すと云うことは、恐らく難しいでしょう。
 ゴーン氏は自由の身に為ったことで、自身の事件だけでは無く、日本の司法制度の根幹がいかに問題か、徹底して訴えて来る筈です。そう為れば、検察はゴーン氏の有罪無罪処じゃ無く為りますよ」

 
 ゴーン被告の広報担当者が発表した声明の全文は以下の通り。

 私は現在レバノンに居ます。もうこれ以上、不正な日本の司法制度に囚われる事は無く為ります。日本の司法制度は、国際法・条約下における自国の法的義務を著しく無視して居り、有罪が前提で差別が横行し、基本的人権が否定されて居ます。
 私は正義から逃げた訳ではありません。不正義で政治的な迫害から逃れたのです。やっと、メディアの皆さんと自由にコミュニケーションを取る事が出来ます。来週から始められる事を、楽しみにして居ります。


 ゴーン被告の逆襲から目が離せ無い。


       ※週刊朝日オンライン限定記事  本誌取材班    以上







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「ユーラシア大陸」の復活が世界を大きく変える



 
 「ユーラシア大陸」の復活が世界を大きく変える

             〜東洋経済オンライン 1/19(日) 15:00配信〜


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      ユーラシアと 「スーパー大陸」が世界を支配しようとして居る

 〜アメリカにおける現代日本研究の第一人者が新境地を開いた。中国を軸にユーラシアの復活と国際秩序への影響の分析に挑んだ『スーパー大陸 ユーラーシア統合の地政学』は、イギリス・フィナンシャル・タイムズ紙の「2019年のベスト書籍(政治部門)」に選ばれた。著者のジョンズ・ホプキンス大学のケント・E・カルダー教授に聞いた〜

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 地域の再連結が起きて居る

 ・・・ユーラシアが「スーパー大陸」詰まり、決定的に世界を支配する大陸に為ると予見しています。.

 これまではアメリカの位置する北米大陸がスーパー大陸だった。1869年に大陸横断鉄道が完成し、アメリカは大西洋沿岸の限られた地域のみで機能していた国から、太平洋でも活動しうる国に変わった。続いて1914年にパナマ運河が開通したことで、アメリカは本格的に超大国への道を歩み始めた。
 同じように、新しいインフラによる地域の連結がユーラシアで起きている。シルクロードを現代に復活させる中国の「一帯一路」構想がまさにそれだ。世界人口の半数以上が住むユーラシアは、エネルギー的にも自立可能な大陸であり、その再連結は時代の基調といえる。.

 ・・・何がユーラシアの再連結を促したのでしょう。

 最大の要因は中国の高度成長だが、それはもっと大きなドラマの一部にすぎない。欧州、ロシア、東南アジアの政治・経済の変容、さらにインドやイランの動きなどすべてが関係している。転換点は3つある。まず1991年のソ連崩壊によって、中国の西側に巨大な空白が生まれた。
 ユーラシアの中心部、ハートランド(心臓地帯)への中国の勢力拡張が始まったのだ。中国は膨大なエネルギー需要を背景に中東との結び付きも深めた。これを19世紀にハートランドで帝国主義列強が覇を競った「グレートゲーム」の再来だとみる向きもあるが、今回は中国の力が圧倒的に強い。かつてのような勢力均衡の構図とは異なる。

 2つ目は2008年のリーマンショックだ。その後に中国の西方シフトには拍車がかかり、中国は四川省や甘粛省、新疆ウイグル自治区など西部地域のインフラ整備を大規模に進めた。
 最後が2014年のウクライナ危機だ。クリミア半島に侵攻したロシアに対して西側が制裁を加えたことで、欧州とロシアの関係は複雑化した。中東欧諸国は、ロシアとの関係を見直す一方で中国との関係を強化した。これにより生まれたのが、中東欧の16カ国と中国の首脳会談である「16プラス1」だ。

 アジアと欧州をつなぐインフラはこれまでシベリア鉄道しかなかったが、中国により鉄道網の整備が進んだ。さらに中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)のような新しいタイプの国際金融機関の登場により、欧州とアジアの関係がより近くなった。

 中ロは平等ではなく上下の関係

 ・・・中ロの接近もユーラシアの再連結を後押ししています。

 ウクライナ危機で孤立したロシアは中国との関係緊密化に動き始めた。ただし中ロは平等ではなく上下の関係だ。西側との関係の悪化や経済的な補完関係、対米戦略の一致などで結び付いているが、ソ連崩壊時は中国と同水準だったロシアのGDPは、今や中国の6分の1しかない。ロシアは中国に軍事技術面でも協力しており、この不平等なタッグは世界の戦略環境に大きな影響を及ぼしている。
 日本には日ロの緊密化で中国とのバランスを取ろうと考えている人もいるようだが、効果があるか疑問だ。ロシアは弱すぎるからだ。

 ・・・ユーラシアの台頭は国際秩序をどう変えますか? 

 第2次世界大戦後にアメリカ主導で作られたブレトンウッズ体制など現行の国際秩序は、ルールをベースにしたものだ。これに対して中国が目指すのは、多国間のルールによらず、2国間の交渉で国際問題を解決するという仕組みだ。
 中国はお互いの内政には干渉せず、ウィンウィンの関係で多元的な秩序を作ろうという方向に進んでいる。その先にあるのは、緩やかな地域覇権からなる分権化された国際社会だろう。

 ・・・内向きになるアメリカは、中国に圧倒されるしかないのでしょうか。

 そうは思わない。アメリカには中国に勝るものが3つある。食料、エネルギー、そしてテクノロジーだ。人口が多く、輸入に依存する中国の食料問題はアメリカより厳しい。その傾向はますます強まるかもしれない。エネルギーも同じで、経済発展に伴い輸入が増える。2030年までに中国は石油消費量の7〜8割を輸入するようになる見通しだ。一方でアメリカではシェールガスの生産が増えその輸出国になる。

 日本は部分的に一帯一路に協力すべき

 テクノロジーについては、中国に特定の分野で競争力があるのは間違いない。ビッグデータの収集や利用に中国の体制は有利かもしれないが、全体としてはテクノロジーでのアメリカの優位は続くだろう。アメリカにはシリコンバレーのような、テクノロジー開発に資金を融通するためのエコシステムが確立されている。知的財産が保護されていることもプラスだ。
 これら3つに加えて、人口動態の違いもある。アメリカは移民が流入するため若年人口が増えていく。中国は逆で、2030年代以降に高齢化が深刻になる。ユーラシアのスーパー大陸化は中国に追い風だが、中国が第2次大戦後のアメリカのような圧倒的に強い力を持つとは思わない。

 ・・・スーパー大陸を背景にする中国に、日本はどう向き合うべきでしょうか。

 習近平国家主席が近く訪日する一方、アメリカのトランプ政権の外交方針は予想しにくい。こういう状況下で日本は中国との関係を安定させる必要がある。その意味で、日本は部分的に一帯一路に協力する必要があるだろう。しかし、長期的にみれば日中の国益はかなり異なることを忘れてはいけない。
 ユーラシアの再連結は中国に有利になるので注意したほうがいい。日本にとって大事なのは、スーパー大陸を中国一極ではない多元的な構造にすることだ。

 日本とEUとの協力も重要だ。アメリカがTPP(環太平洋経済連携協定)から撤退したタイミングで日本とEUのEPA(経済連携協定)が結ばれたのはよかった。日本は一帯一路とは別の枠組みで、バルト諸国や中央アジアなどに関与するとよい。そのためにEUと連携するのも選択肢の1つだ。


        西村 豪太 東洋経済記者    以上










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エジプト版「明治維新」が失敗した本質的理由




 エジプト版「明治維新」が失敗した本質的理由
          
     〜東洋経済オンライン 歴史キュレーター 尾登 雄平 1/18(土) 5:50配信〜


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      カイロにある ムハンマド・アリ・モスク(写真 HiRo PIXTA)

 
 〜日本の政治・経済・社会の大変革を成し遂げた明治維新。同じ様に近代化を目指したのがアフリカの大国エジプトですが、その改革はエジプト社会に光と闇を生む事に為ります。『あなたの教養レベルを劇的に上げる 驚きの世界史』の著者、尾登雄平氏にエジプトの近代化への改革に付いて歴史を流れと共に判り易く解説して貰いました〜

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 エジプトに遣って来た西洋の衝撃

 第7回十字軍の混乱の中で生まれたエジプトのマムルーク朝は、1517年に「イスラムの盟主」オスマン帝国に滅ぼされその支配下に入りました。

 処が、16世紀からオスマン帝国の無敵神話は崩れ始めます。エジプト南部は、過つては小麦の一大産地でオスマン帝国の穀倉庫でしたが、土着の領主がフランスから生糸や綿花を取り入れて栽培し始め、フランスや仏領西インド諸島と経済的に強く結び付き、フランスの世界的な商業ネットワークの一翼として取り込まれてしまいました。

 ナポレオンの時代、フランスはイギリスのインド支配の打破と通商路の破壊を目指してエジプトに侵攻。マムルーク主体のエジプト軍は、カイロ西部のインバーバで行われた「ピラミッドの戦い」でナポレオン軍に大敗を喫し、2年間ではありますがフランスの支配を受ける事に為ります。
 この敗北によりエジプト人は、西洋の軍や技術の脅威をマザマザと見せ付けられました。フランスの支配はエジプト人に民族意識や攘夷意識を芽生えさせカイロでは大規模な抵抗運動に発展しました。この人々のエネルギーを束ねて近代化を目指したのが、エジプトの維新の立役者、ムハンマド・アリーです。

          1-19-7.jpg その後のムハンマド・アリー

 ムハンマド・アリーはオスマン帝国のアルバニア人非正規部隊を率いてフランス軍との戦いに参戦し、そこから急速に頭角を現して行きます。ナポレオンのフランス軍が降伏しイギリス軍も撤退した後、エジプトは諸勢力が主導権を巡って争う内戦状態に突入します。
 ムハンマド・アリーはその中で競争に打ち勝ってエジプト人の支持を得て総督に就任。オスマン帝国の承認も得る事に成功します。

 ムハンマド・アリーのエジプト維新

 エジプト総督と為ったムハンマド・アリーは、オスマン帝国の名目的な宗主権の下、実質的な独立国を築き近代化政策を進めて行きます。先ずムハンマド・アリーが乗り出したのは軍事改革です。
 それ迄の特定の部族や集団に依存して居た軍の組織を廃止し、初めてエジプト農民に徴兵制を敷き兵力を増強し、フランス人の軍事顧問を招聘し訓練を施しました。近代的に生まれ変わったエジプト軍は、オスマン帝国軍が手古摺(てこず)って居たワッハーブ派やエジプトの反オスマン騒乱・ギリシアの独立勢力を瞬く間に鎮圧して見せ列強を驚かせました。

 しかし、英仏露の3カ国は、オスマン帝国にギリシアの自治と停戦を要求。オスマン帝国は同意出来る筈も無く、1827年10月、オスマン帝国とエジプトの連合艦隊と英仏露3カ国連合艦隊との間に戦闘が勃発し、オスマン・エジプト連合艦隊は敗れてしまいます。
 激怒したオスマン帝国の皇帝マフムト2世は、3カ国に宣戦布告しますが連戦連敗。1829年9月にアドリアノープル条約を結び、ギリシアとセルビアの自治を認めさせられ、翌年ギリシアは独立する事に為ります。

       1-19-8.jpg オスマン帝国のマフムト二世

 この頃、ムハンマド・アリーは、オスマン帝国にギリシア戦役の論功行賞として要求して居たシリア・・・現在のシリア・ヨルダン・イスラエル・パレスチナの総督職を要求します。しかしオスマン帝国も財政難でマフムト2世も首を縦に振ら無い。
 ムハンマド・アリーは実力でシリアを奪取すべく、急ピッチで軍の再建を進め、2年後の1831年10月に歩兵と騎兵計八個連隊がシナイ半島に向けて出発。海でも軍艦16隻を始めとする海軍がシリアへ向けて出港しました。ムハンマド・アリーの息子で有能な将軍イブラーヒム率いるエジプト軍は、新たに設立されたオスマン帝国の洋式軍隊相手に連戦連勝を続け、滔々(とうとう)首都コンスタンティノープルの近くに迄迫りました。

 此処で、エジプトの強大化を恐れるロシアとイギリス・フランスの介入があり休戦協定が結ばれ、シリア地方のエジプトの領有が認められました。イブラーヒムは獲得したシリア地方の土地の国有化や税制改革・教育等近代化策を進めて行きます。この様なエジプト軍の成功は、社会、経済、産業、教育等広範囲な面での近代化に裏打ちされて居ました。
 ムハンマド・アリーは権力奪取後、直ぐに財政・税制改革に乗り出し中間搾取層を撤廃し、農地を一元的な管理の下に置き、効率的な徴税を可能にしました。又、農産物の専売制を実施し、小麦や米の輸入で外貨を獲得します。専売制や国の独占は農業のみ為らず工業面でも実施されました。

 ムハンマド・アリーは国家主導で製造業を育成し、軍需工場、綿工業、毛織物等様々な分野の国営工場を設立。同時に安くて品質の高いイギリス産の製品の輸入を規制し、産業の保護を図りました。ムハンマド・アリーは「後発国を発展させる為には自由貿易は規制すべき」と考えて居り、国産品の品質が上がり国際的に競争出来る水準に為るまで、国による保護と育成が行われるべきとしました。
 ムハンマド・アリー統治下のエジプトの経済開発体制は「軍・政治エリートの強力なリーダーシップの下、有能な官僚テクノクラートが経済政策を立案・実行して行き、上から企業・資本家・労働者を育成して行く」と云う典型的な開発独裁型でした。

 これは20世紀半ば以降に、韓国やタイ・台湾・シンガポール等の国々が経済発展を成し遂げた遣り方の先駆的なものでした。しかし、運悪くこの様な成功は長続きしませんでした。

 エジプトの敗北と挫折
 
 イブラーヒムが統治するシリア地方では、エジプト流の急速な近代化政策が採られますが、各地で反乱が相次ぎました。これに乗じてオスマン帝国のマフムト二世は失地の回復を図ろうとして対立が深まり、1838年5月にムハンマド・アリーはエジプトの独立を宣言する迄に至ります。(後に撤回)
 翌年、マフムト2世はエジプトに宣戦布告。アナトリア方面軍ハーフィズ・パシャ率いる8万の軍がシリアに向かいますが、又してもエジプト軍はオスマン帝国軍を各地で打ち破り、オスマン帝国はエジプトに降伏してしまいます・・・これは、オスマン帝国の実質的な解体と新興国家エジプトの台頭、そしてロシアの南下を決定付ける出来事でした。

 これ以上の事態の進展は自国の外交・通商政策の障害と為ると判断したイギリスが介入に乗り出します。イギリスは列強に働き掛けた上でオスマン帝国にエジプトとの妥協を禁止し、エジプトにこれ迄獲得した領土の内スーダンを除く全てをオスマン帝国に返還する様に要求。
 この強硬姿勢に、オスマン帝国も方針を転換しエジプト軍の撤退を要求する通告を突き着けます。ムハンマド・アリーはフランスの介入を期待しますが叶わず、イギリス・オーストリア・オスマン帝国連合軍の攻撃を受け、シリア各地で連戦連敗・・・エジプト軍は壊滅寸前に陥り1841年に降伏。ロンドン条約を結びました。

 この条約でエジプト国軍は必要最小限にまで縮小させられ、主要産品の政府の独占・専売も廃止され、治外法権や低率の関税等、経済的にも不利な条項を認めさせられました。ここにおいて、ムハンマド・アリーの「維新」は完全に崩壊と為ります。
 彼が生涯を賭けて築き上げて来た新興大国エジプトは、その後イギリスの経済的な従属国と為って行くのです。ムハンマド・アリーはその後も、イギリスの軛(くびき)の下で何とかエジプトの財政や国際関係を再生させようと努力しますが、失意の中で1849年8月に80歳で亡く為りました。

 エジプト近代化政策がもたらした光と闇

 ムハンマド・アリーは一代でエジプトを強大国に成長させたドエライ男ですが、彼がエジプトにもたらしたのは好いことばかりでは無く、近代化に伴う様々な歪みも社会にもたらしました。

 ムハンマド・アリーは急速な国の近代化を進める為に、軍備拡張やインフラ整備や工場投資に莫大な費用を投じました。ギリシアで壊滅させられた海軍を再建するのにも相当な費用を使って居ます。しかし結局、領土拡張も失敗に終わり、経済開発の為の多額の投資もコストに見合うだけの充分なリターンを得られず、借金は天文学的に膨れ上がって行きました。
 その財務赤字の皺寄(しわよ)せは、支配層を介した農民への無茶な労働ノルマや重税として降り掛かりました。農民の中には生活費にすら困窮し土地を売って逃げたり、借金をして破産したりする者が相次ぐ様に為ります。

 農民を困窮させたのが、政府が強制した無償労働です。エジプトでは伝統的に「アウナ」と呼ばれる、共同体のメンバーが集まり地域の為に無償で働く慣習がありました。
 村々を囲む灌漑用水路を掘ったり、川の氾濫を防ぐ堤防を築いたり、その地域の農業に深く根ざしたものでしたが、ムハンマド・アリーはこの慣習を拡大解釈し「エジプトと云う故郷の為に」農民達を遠方に派遣し、様々な土木工事を課しました。この労働に対し報酬が支払われる事はありませんでした。

 農民は困窮し、一家で逃散する者が相次ぎ、無人耕作地帯が多数出現します。政府はそれ等無人の地を王族やトルコ人支配層・ザワート層に下賜しました。農民の中には、ザワート層に取り入って特権を手に入れ、村落の有力者・アーヤーン層と為る者が出現しました。
 彼等は各村落を支配して農民を支配下に置いて綿花栽培の経営層と為り、エジプト農民を収奪する国際金融資本の手先と為ります。

 イギリスによって借金漬けと為ったエジプト

 ロンドン条約によって海外資本の規制が撤廃され、様々な海外資本がエジプトに進出して来ますが、大きな影響力を持ったのがギリシア人の金融業者でした。彼等は治外法権を盾にしてヨーロッパ式の商習慣を持ち込み、困窮するエジプト農民に高利で金を貸しました。
 勝手を知ら無い農民は土地を担保にして金を借り、返済出来ずに破産して土地を奪われてしまいます。金融業者は、財政危機にあるエジプト政府が進めるインフラ整備に投資する事で、有利な条件でインフラの使用を認められました。

 エジプトが借金塗れに為ると彼等は特権的に港湾施設を利用する権利を得て、綿花の輸入業を独占的に行う様に為ります。この様な金融業者はグローバル金融資本の末端組織であり、中心部はイギリスの大銀行や証券会社。イギリスの金融業者は上は政府から下は農民迄エジプトを借金漬けにしました。
 エジプト政府の公的債務は1864年〜73年には6520万ポンドに迄膨れ上がり、滔々1876年、借金が国庫の45%にも達し、エジプト政府はイギリス・フランス両国による財政管理下に入る事に為りました。

 こうしてエジプトの近代化改革の結果は日本とは異なり、欧米に比する列強の仲間入りを果たす処か、半ば植民地状態に置かれる事に為ってしまったのです。


           1-19-6.png

             歴史キュレーター 尾登 雄平氏   以上







 【管理人のひとこと】

 日本は明治維新が起き、西洋列強からの干渉に屈せず何とか独立を維持しますが、何故、大国であるエジプトが植民地としてその後も支配され続けたのか・・・実に色々な因果関係が有ったのでしよう。日本とエジプトの違いとは・・・地理・地勢的問題・歴史・・・管理人には理解出来ませんが、その中の地理的な問題が大きかったのでは無かったのかと想像します。
 エジプトの地理は、地中海を挟んで直ぐにヨーロッパ諸国が控え、更にこの地を支配した強大なイスラム教国・オスマン帝国が存在して居る。更には、東方には土着の各種族が群雄割拠する中東地域が・・・詰まりこの様に、当時の世界を動かして居る歯車の中に埋没する脆弱性を元々持って生まれた地域だった。

 東洋の一番端の海の彼方にポツンと浮かぶ日本とは、地理的環境が余りにも異なります。幕末時、西洋列強が日本を植民地として侵略し無かった、その理由はハッキリしませんが「植民地として武力で支配する価値」に有ったのでは無いでしょうか。詰まり、何等の資源も無い、当時として5千万人弱程度の人が暮らす貧しい島国にその魅力が無いとされたので無いでしょうか。
 エジプトの様に西洋列強が、維新側・徳川側にドンドン資金を貸し付けて内戦を盛んにし・・・借金漬けにし荒廃した国を得た処で、その後の国を維持するだけで相当な投資が必要と為り、借金の取り立ても空しくなる・・・詰まり赤字経営の植民地と為るのが目に見えて居たのです。超大国・オスマン帝国の衰退と共に時代が大きく変わり始めた時代も在ったのでしょう・・・それとも、日本は幸運に恵まれた「神の国」だったからか・・・歴史を学ぶのは、この様にドンドン想像を膨らませ架空の夢や物語を創造出来る楽しみにあります。








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何故、国際世論はゴーン氏を支持し、ジャパン・バッシングに傾いたのか




 何故、国際世論はゴーン氏を支持し

 ジャパン・バッシングに傾いたのか?


         〜現代ビジネス 歳川 隆雄 1/18(土) 10:01配信〜


         1-19-3.jpg

 日本の司法制度そのものへの批判

 日産元会長・最高経営責任者(CEO)のカルロス・ゴーン被告の逃亡と、レバノンの首都ベイルートで1月8日に行われた記者会見は、欧米メディアが大々的に報じ、今やその逃亡劇がハリウッドで映画化されると云うのだ。

 「人質司法」hostage justiceと云う言葉に象徴される様に、欧米では日本の司法制度そのものに対する批判が強い。その中には勿論、事実誤認や誤解・偏見が散見で切る。だが、日本の法務・検察当局によるゴーン逮捕後の取り調べ、勾留環境・期間に付いての批判、特に取り調べに弁護士の同席を認めて居ないのは主要国の中で日本だけとの指摘はジャパン・バッシングの様相を帯びて居る国際世論に大きく影響して居る。

 取り分け厳しい論調で日本の司法制度批判の先頭に立って居るのが米紙ウォール・ストリート・ジャーナルWSJである。同紙社説の概要を時系列で紹介する。

 (1) 2018年11月27日付 共産党が支配する中国の話で有ろうか。嫌、資本主義の日本で起きた事だ。日本の検察当局は、不正会計問題に揺れた東芝やオリンパスの容疑者に対してこの様な扱いをし無かった筈だ。日産とルノーの経営統合を阻止する動きの一環では無いかと思っても可笑しく無い。
 (2) 2019年1月9日付 日本の検察の遣り方は、有罪を認める迄容疑者を拘束し、弁護士の立ち会い無しに尋問する。裁判は基本的に形式的なもので、予め有罪は決まって居る。
 (3) 同3月6日付 自分達の司法制度がマルで「第三世界」の様に映って居る事を要約理解し始めたのではないか。本件は企業のCEOの行動を巡る見解の違いの様であり、法廷では無く役員会議室で処理出来たのでは無いかと思われる。
 (4) 2020年1月3日付 逃亡したゴーン氏を責めるのは難しい。ゴーン氏が法廷で身の潔白を証明出来れば好かったが、公正な裁判を受けられたかどうかは定かでは無い。日本の不透明な企業統治と法に基づくデュープロセス・適正な手続きの欠如を白日の下に晒した。日本が現代的な自由市場経済により相応しく為る様司法制度と企業統治を改革する事が正義を果たす最善の方法である。


 手厳しい日本の司法制度批判である。筆者は上述の社説に異論があるが、特に米メディアが最も力点を置いて報じて居る「日本の裁判では有罪率99%を超えて居り、とても公平とは言え無い」との指摘を問題視して居る。

 一方、米国の有罪率は・・・

 果たして、その通りなのか。司法取引による有罪答弁・plea of guiltyも含めれば、米国も有罪率は99%超である。
 某有力省庁のワシントン駐在員の説明によると、米国の司法取引制度には「自己負罪型」と「捜査協力型」の2種類があり、何れも量刑の軽減等を得るが、自己負罪型は「自ら」の罪を認めるのに対して、捜査協力型は「他人」の捜査公判に協力するものだ。そして米国では前者の司法取引が過半だと云う。

 日産内の権力闘争本が出版される
 
 WSJ紙は米国にこの様な司法取引制度があり、有罪率が99%超である事に言及して居ない。正に不公平である。「ファクト事実・ファインディング・ライター」を自任する筆者は、日本批判に短絡的に反発する「愛国者」では無い。
 只、取り調べに弁護士の同席が認められ無いのは、米・英・仏・独・伊・韓等主要国で、日本のみと云う指摘には謙虚に耳を傾けたい。この一点が「日本は人質司法」と言われる所以である。

 畏友の仏人ジャーナリストの、レジス・アルノー氏・仏フィガロ紙東京特派員とその友人のヤン・ルソー・仏経済紙レ・ゼコー東京特派員の共著『Le fugitif - Les secrets de Carlos Ghosn』逃亡者‐カルロス・ゴーンの秘密が2月5日に出版される。翻訳は東洋経済新報社から5月頃刊行。
 四半世紀を超える友人であるアルノー氏は、ゴーン被告の逮捕直後からベイルートでのゴーン・ファミリー取材を含め、日産内の権力闘争をフォローして来た。同書には今迄日本で報じられ無かったゴーン被告の「秘密」満載だと云う。楽しみである。


            歳川 隆雄     以上









 【関連報道】冷静に考えてゴーン氏の逃げ得を許すべきでは無い「明確な理由」

 レバノンで「旧会長社宅」に逃避の厚顔


            〜ジャーナリスト 井上 久男 2020・1・6〜


           1-17-23.jpg


 逃亡の是非と司法制度批判は「別問題」

 日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が、保釈の条件を破って国外に逃亡した。逃亡先は、ゴーン氏の第二の故郷であるレバノンだ。レバノン移民の子としてブラジルで生まれ、中等教育をレバノンで受けて国籍も持つゴーン氏は、同国では英雄的な存在である。
 報道によると、同国大統領もゴーン氏の保護を約束して居る。ゴーン氏の逃亡は、どう考えても単独での実行は無理であり、国内外に複数の関係者が居ると見られ、レバノンの国家としての関与も疑われる。

 今回の逃亡に付いては、国内外で大きな議論が巻き起こって居り、日本もレバノンにゴーン氏の身柄引き渡しを求めて居る。今後、一刑事事件から外交問題に発展する可能性もある。そして対応次第では、国際世論で日本政府が批判されるリスクもある。
 此処は、事態を冷静に分析し、今後、ゴーン氏が仕掛けて来ると見られる海外メディアを使った「情報戦」に備え、それに対抗する手段を構築する必要性があるのではないか。

 先ず、今回の逃亡は、日本の出入国に関する正規の手続きを踏んで居ないことから、明らかに違法行為と言える。ゴーン氏は保釈条件も破ったのだから、民主主義国家における司法手続きを無視した行為でもあり、到底許されるものでは無い。ゴーン氏の逃亡劇を受けて、
  日本では被疑者の拘留期間が長い
  取り調べに弁護士が同席出来ない
  日本の刑事事件は有罪率が99%なので判決前に既に有罪が決まって居る
  保釈後の制限事項に夫人と会え無い
 ・・・事が掲げられて居るのは人道的では無い。


 と云った日本の司法制度への批判が再び起こって居るが、逃亡事件の是非と日本の司法制度が抱える課題を一緒にして論じるのは適切では無いと筆者は考える。
 拘留期間の長さや弁護士が同伴出来ないこと等は、ゴーン氏の事件に限らず指摘されて来たことであり、徐々に改善して行けば好い話だ。刑事事件の有罪率が高いと云う指摘も、日本の検察は証拠が固く、有罪を取れそうな事件だけを起訴して居るから有罪率が高く為る。警察が容疑者を逮捕し送検しても、警察の証拠固めが甘いと、検察が不起訴処分にしてしまう事も多々ある。
 これは、行政機関である警察の仕事を、司法機関である検察がチェックする行為とも云える。只、特捜部の場合は、司法機関が逮捕・起訴までを一貫して行う為、そこにチェックの入る余地が殆ど無いことは課題と言えるだろう。

 保釈後もゴーン氏がキャロル夫人と面会出来無いことは、当然だと筆者は考える。東京地検特捜部が立件したゴーン氏の特別背任事件の内「オマーンルート」では、キャロル夫人が代表を務める会社にカネが流れて居るとされ、夫人は事件関係者と見られても無理は無い。
 事件関係者と云うよりも、重要参考人と言うべきかも知れない。検察の肩を持つ訳では無いが、裁判で口裏を合わせる可能性も否定出来ない為、面会を制限するのは当然と言えるのではないか。
 仮に日本の司法制度が課題を抱えて居るとしても、だからと言って、保釈条件を破り法を犯して迄も国外逃亡して好い訳では無い。同一の問題として論じる事自体が可笑しい。

 レバノンの邸宅は日産保有の物件

 筆者が強調したいことは、今回の逃亡事件によって、ゴーン氏が姑息でセコイ人間であると云うことが分かった点だ。名経営者と言われて来た自らの「看板」を汚す行為であった事は間違いあるまい。
 日産は、ゴーン氏が日産の事件関係者と接触するのを監視する為、警備会社に監視を依頼して居たが、その行為がプライバシーの侵害に当たると抗議を受けた警備会社は、12月29日にゴーン氏の監視を止めたと云う。監視を止めた直後に、ゴーン氏は協力者と会い、不法出国して逃亡したと見られる。「プライバシーの侵害」と云う大義名分を掲げて監視を解かせ、その隙を突いたと言える。

 そして、レバノンに逃亡したゴーン氏が、現在住んで居る自宅は日産保有の邸宅だ。日産の会長・取締役の職からは既に解任されて居るのに、逃亡後に日産保有の邸宅に住んで居るのである。この邸宅に付いては、逃亡前に日産が取り返そうとした処、レバノン政府が居住権を盾に認め無かったと云う。こうした点からも、レバノン政府がゴーン氏の逃亡に協力したのではないかと勘繰ってしまう。
 この邸宅は、ゴーン氏が日産の資金を不正流用して建てたものだ。日産の社内調査によると、ゴーン氏等が2012年5月に会社資金を不正流用して950万ドル約10億円で日産に取得させ、2回の改築費計870万ドル約9億4000万円も社内規定に反して日産に負担させたと云う。
 更に、キャロル夫人が会社に対して「シャンデリアの修理費6万5000ユーロ約780万円を支払う様に」と要求したメールも確認されて居る。余談に為るが、この邸宅は「遺跡の跡に建てられたもので、リビングのガラス張りの床からは埋葬された本物のミイラを見る事が出来る」(日産関係者)そうだ。

 明らかな「不正隠し」のスキーム

 邸宅保有の構図にも、不正を隠す意図が伺える。その詳細を説明しよう。ゴーン氏等は、ベンチャー企業に投資をする為に、日産の子会社としてオランダにジーア社を設立。処が設立直後にジーア社は子会社から外され、日産本体との間に3社が介在する様に為った。
 そのジーア社が、租税回避地の英領バージン諸島にハムサホールディングスを設立。更に、同諸島に2つの子会社を設置し、孫会社としてレバノンのベイルートにフォイノスを置いた。そのフォイノスが、ゴーン氏が今逃げ込んだ邸宅を保有して居る。

 実際にはジーア社はベンチャー企業に投資して居らず、最初からゴーン氏が不正に利用する為に設立した会社と見られる。日産の社内調査では、ジーア社は当初中近東のアブダビに設立される計画で、ゴーン氏に対する「隠れ報酬」を払い込む目的で作ろうとして居た動きが、社内メールの遣り取りから把握されて居ると云う。

 ゴーン氏を擁護する人の中には「ゴーン氏位の世界的な経営者であれば、ホームパーティ等の接待用として使う為に、世界各地に会長社宅を持って居るのは当たり前だ」とする声もある。確かに、日産の様なグローバル企業の経営トップが接待用の邸宅を持って居ても全く可笑しくはない。
 しかしそうであれば、正々堂々と日産保有にして置けば好いのに、連結から意図的に外した会社が租税回避地に子会社を作り、更に孫会社まで作って、ソコに邸宅を保有させると云う行為自体が不自然だ。日産はこれを「会計監査の目を逃れる為だった」と見て居る。1999年の来日以来のゴーン氏の功罪も含めて、こうした不正の構図は、拙著『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文春新書)に詳しく書いて居る。

 日産の社内調査による内規違反に該当する「不正」は、特捜部が立件した特別背任事件の中には含真れていない。しかし、フォイノスの法人登記上の所在地は、特別背任として立件された「オマーンルート」の中で、資金が不正に流れたとされるGFI社と同じだ。豪華邸宅保有は本来、事件として立件されても可笑しくなかったのではないかと思いたく為る。

 日本は狼狽えるべきでは無い

 今後、ゴーン氏はレバノン政府の支援を得て、海外メディアを巧みに利用しながら、日本の「人質司法」への大批判を展開するだろう。一部報道によると、ハリウッド関係者にも会ったと云う。恐らく、ゴーン氏の行動を美化した映画作りでも画策して居るのだろう。
 これは決して民族差別的に言うのでは無いが、ビジネスの世界では「レバシリには気を付けろ」と云った言葉がある。「レバシリ」とはレバノンとシリアの事だ。一般論として、商売上手の華僑でもインドの強(したた)かな商人には勝てず、そのインド商人が束に為ってもレバノン・シリア出身の商人には敵わ無いと言われる。

 ゴーン氏も巧みに、言い方を変えれば詭弁を弄しながら、自己を正当化し日本に逆襲して来ることは容易に想像が着く。こうしたゴーン氏の逆襲に、日本政府も日本の司法も狼狽えてはいけ無い。ゴーン氏がメディアを使って「逆襲」を仕掛けて来るのであれば、日本側も国際的に、ゴーン氏の捜査に問題が無かったことをハッキリ主張して行くべきだ。
 検事総長が、日本外国特派員協会で記者会見すべきかも知れない。特捜部の捜査に関する情報開示の手法は「リーク」中心の様に見えるが、これを機会にそれも改め、海外メディアも同席する発表形式に改めた方が好い。

 それと、ゴーン氏の逃亡に付いては明らかに違法行為であるので、警察の協力も得て、国内に協力者がいないかを徹底的に捜査するべきだ。昨年12月29日にプライバシーの侵害を理由に監視を解かせ、その日に日本に入国したトルコのプライベートジェット機に乗って、夜には密出国と云う流れは、余りにも手際が良過ぎる。
 こうした状況から推察しても、ゴーン氏の逃亡が単独で可能だったとは思え無い。繰り返すが、日本の司法制度に課題が有るから逃げて好いと云う話でも無い。

 日産は社内調査を公表すべき

 裁判所も、15億円の保釈保証金等保釈条件が本当に妥当だったのか真摯に受け止めるべきだ。例えば、保釈保証金の額に付いて、ゴーン氏の様な富豪外国人が被告に為ったケースでは、どう判断するのか研究すべきだろう。保証金は、被告の資産状況等を勘案しながら、逃げられ無いことを担保する額で決まるとされる。要は、没収されては困る額を設定すると云うことだ。
 しかし一般論として、富豪外国人の中には、租税回避地に隠し資産を持って居るケースが有ると言われる。「パナマ文書」のケースは象徴的だ。だから、こうした人達の資産を把握する事は簡単では無い。であれば、被告の身体にGPSを装着する等、科学的に逃亡を回避出来る様な手法の導入が求められる。

 日産側も社内調査の結果を正式に発表すべき時期が来たのではないか。裁判への影響を考慮していると見られ、社内調査で判明したゴーン氏等の不正の内容を公式に公表することを避けて来たが、今の流れでは、裁判がもう開かれる事は無いだろう。
 そう為ると、ゴーン氏の不正が明るみに出る機会は無く為る。司法判断とは別に、企業としてゴーン氏の不正をどう把握したのか、その全容を世界に知らしめるべきではないか。今回の逃亡を受けて、或る日産社員は筆者にこう語った。

 「20年近くこうした人間性を疑われる様な男が経営トップを務めた会社で働いて居たかと思うと、何か裏切られた様な気分に為る」

 最後に敢えて言わせて貰うが、ゴーン氏が取った行動は完全に日本を舐めているし、彼に従って来た日産社員の会社を思うプライドをも傷着けた。ゴーン氏の「逃げ得」を許すべきでは無い。


                以上


 




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45歳:女性
『役所・病院など様々なところに相談に行ったのですが、
調べるのが大変で困っていました。施設の紹介だけでなく、
介護全般に関わる相談も聞いてもらえて安心しました。』

※ お客様のお声をそのまま掲載させていただいております。
  効果には個人差がございます。

〜ご相談の流れ〜
1. お問い合わせ
  ホームページよりお気軽にお問い合わせください。
2. ご相談
  弊社相談員よりご連絡させていただき、ご希望条件等をお伺いし
  ご相談内容に応じたお住まいを提案いたします。
3. 見学・体験入居
  条件に合った住まいがありましたら、見学していただきます。
  相談員も同行しますので、ご安心ください。
4. ご入居手続き
  ご本人様・ご家族様にご満足いただける施設が見つかりましたら
  施設とご契約になります。
  ご入居までサポートさせていただきアフターフォローも万全です。

老人ホーム無料紹介センター
老後のあんしん【ライフケア相談窓口】
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