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2019年09月23日

日本はアメリカに裏切られた!どう見ても衰弱する日本




 日本はアメリカに裏切られた!


              〜J-CASTBOOKウォッチ  9/23(月) 6:50配信〜


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                     金子勝さん
              
 失われた10年が20年に為り、今や30年と言われる様に為った。本書『平成経済 衰退の本質』 (岩波新書)もそうした視点から平成経済を総括したものだ。著者の金子勝さんは経済学者。法政大や慶応大の教授を経て、現在は立教大経済学研究科特任教授。多数の著書があり、メディアに登場する機会も多い。

 どう見ても衰弱する国

 読者の中には「日本は頑張って居る」「失われて居ない」と思って居る人も少無く無いだろう。しかしながら、本書18ページの図表「各国のGDPの推移」を見ると、ガックリするに違い無い。
 日本のドル建てで見たGDPは明らかに停滞したママ。これに対し、アメリカは1995年段階では日本の1.4倍の約7兆6400億ドルだったが、2017年は日本の約4倍の19兆4850億ドルに。中国は1995年段階では日本の僅か7分の1の7370億ドルだったのが、2017年には日本の約2・5倍の12兆ドルに急成長して居る。

 似た様なデータは経済評論家・森永卓郎さんの著書『何故日本だけが成長出来無いのか』(角川新書)にも出て居た。世界のGDPに占める日本のシェアは1995年には17.5%に達して居た。しかし、その後は転落を続け、2010年には8.6%、16年には6.5%迄落ち込んだ。
 詰まりこの20年余りで日本のGDPシェアは約3分の1に縮小した。アベノミクス以降も確実に落ち込みが続いて居る。金子さんは「どう見ても、日本は衰弱する国である」と書いて居る。

 「ナショナリズムを掻き立てて、幾ら中国が嫌いだと言った処で、何も始まら無い。実際、中国のファーウェイや韓国のサムソン(本書表記)に勝てる日本企業は見当たら無いからだ。過つて世界有数のシェアを誇って居た日本製品は自動車を除いて次々とシェアを落とし、情報通信・バイオ医薬・エネルギー関連等の先端分野では、日本企業は完全に立ち遅れてしまった」


 




 日米半導体協定が「衰退の始まり」
 
 先のGDPデータで、日本人が「アレっ」と思うのは、日本とアメリカとの差では無いだろうか。1980年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とさえ言われて居たのに、何時の間にか日本は置いてきボリに為り、アメリカだけが躍進を続けて居る。米国と「日米同盟」「日米協調」で二人三脚だった筈なのに、どう為って居るのか。何だかパートナーに裏切られた気分だ。

 金子さんは問題の起源を1986年〜1991年の「日米半導体協定」に見る。日本の半導体は1980年代に技術力・売上高で米国を抜いてトップに為り、世界シェアの50%を超えた事もあった。処が日米半導体協定のダンピング防止で価格低下が止められ、更に日本市場における外国製半導体のシェアを20%以上に引き上げる事も強いられた。
 その結果、日本の半導体産業が競争力を失い、情報通信産業で決定的に取り残される事に為った。「産業のコメ」と言われた半導体交渉で大きな譲歩を強いられた事が日本の衰退に繋がったと云う訳だ。

 「日米半導体協定以降、政府が先端産業に付いて本格的な産業政策を執る事がタブーと為り『規制緩和』を掲げる『市場原理主義』が採用され、全ては市場任せと云う『不作為の無責任(責任逃れ)』に終始する様に為った」
 「アメリカの要求に譲歩すれば、日本の産業利害を守れると云う思考停止が今も政府(特に経産省)を支配して居る。寧ろ、安倍政権に為ってから、より一層強まって居ると言って好い」


 エネルギー問題と自動車が不安

 本書では「アベノミクス」にも触れられて居るが、当然ながら全く評価されて居ない。「日銀や年金基金等による官製株式相場と財政ファイナンスによるバラマキによって、見せ掛けの景気を演出」と手厳しい。この当たりは、既に多くの論者の指摘する処でもある。
 シバシバ言われて居る事ではあるが、今後の事で一般の読者が気に為るのは、以下の三点ではないだろうか。

 一つはエネルギー問題・・・日本は原発に固執して居るが、世界は転換を図って居り、日本だけが取り残されつつあると云う事。核燃料サイクル政策を止めれば、使用済み核燃料は「原料」と為る「資産」から膨大な費用の掛かる「経費」に為り、電力会社の経営が傾く。即ち原発は不良資産の塊なのだと云う。
 もう一つは次世代の自動車・・・自動運転はアメリカがリード、電気自動車(EV)でも日本は出遅れて居る。更に研究投資額の多い企業の世界ランキングによると、1位はアマゾン2位グーグル3位インテル4位サムスン。ファーウェイは6位と推定されトヨタは11位。この先の競争でも日本は立ち遅れそうだ。

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                      森永卓郎さん

 本書の指摘は、森永卓郎さんの『なぜ日本だけが成長できないのか』と重なる部分が少無くない。森永さんも、1985年のプラザ合意以降「対米全面服従」によって、長い時間を掛けて日本はアメリカに叩き売られて来たと見る。金子さんも「アメリカに着いて行けば、全て上手く行くと云う思考停止の『外交』が産業の衰退を一層加速させる様に為って居る」と指摘して居る。

 トランプ大統領が、アレコレ理由を付けて日本に更なる譲歩を迫って居る事はシバシバニュースで報じられて居る。日米経済交渉は、アメリカが得をして日本が我慢を強いられることの連続で、それが今日の日本の停滞を招いて居るのではないか。
 結果的にアメリカの陰謀に嵌められ、経済面で「第二の敗戦」を強いられて居るのではないか。本書を読んで、そんな気がして来た。現在の「米中対決」等も、この文脈で考えると分かり易いかも知れない。米国は自分達を凌駕しようとする国に対しては容赦無い。

 BOOKウォッチでは関連で、経済学者の野口悠紀雄氏が「失われた30年」を分析した『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)社会学者の吉見俊哉氏による『平成時代』(岩波新書)ジャーナリスト堤未果さんの『日本が売られる』(幻冬舎新書)なども紹介して居る。



 書名 平成経済 衰退の本質 監修・編集・著者名金子勝 著
 出版社名岩波書店 出版年月日2019年4月20日
 定価本体820円+税 判型・ページ数:新書判・206ページ ISBN9784004317692


 (BOOKウォッチ編集部)
     以上


 



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【現代史】東京に「営団」「都営」の2大地下鉄が共存する意外な歴史




 【現代史】東京に「営団」「都営」の2大地下鉄が共存する意外な歴史


            〜ダイヤモンド・オンライン 9/23(月) 6:01配信〜


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 2つの地下鉄が合体して出来た銀座線。この時代の事情が原因で、今なお東京には「東京メトロ」と「都営地下鉄」と云う2つの地下鉄事業者が並存して居る Photo:PIXTA
 

 〜地下鉄銀座線が現在の運行形態に為って80年。日本初の地下鉄が東京に誕生したのは、第一次世界大戦や関東大震災が勃発した、まさに混乱相次ぐ時代であった。そして当時を振り返ると、東京に何故「営団」と「都営」と云う2つの鉄道事業者が存在する事に為ったのかが見えて来る。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)〜


 




 銀座線は「2つの地下鉄」が 合体して誕生した

 特にニュースに為る事も無く、東京メトロがコメントを発表する事も無かったが、1週間前の9月16日は、地下鉄銀座線が現在と同じ浅草〜渋谷間の運転を開始して丁度80年と云う記念すべき日であった。

 日本初の地下鉄が浅草〜上野間に開業したのは92年前の1927年だから、銀座線は12年の歳月を掛けて現在の形に為った事に為るが、浅草から渋谷迄徐々に線路を延ばして行った訳では無い。実は銀座線は、浅草〜新橋間は「東京地下鉄道」新橋〜渋谷間は「東京高速鉄道」と云う異なる鉄道会社が建設した2つの地下鉄を接続して出来た路線なのだ。

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                 早川徳次(のりつぐ)氏

 東京地下鉄道は「地下鉄の父」と呼ばれた早川徳次(のりつぐ)が1920年に創立した鉄道会社で、1927年に日本初の地下鉄を浅草〜上野間に開通させると、上野から都心に向かって徐々に線路を延ばして行き、1934年に新橋まで到達した。
 一方、後の東急グループを創立した五島慶太が率いる東京高速鉄道は、東横線のターミナル・渋谷と都心を結ぶ地下鉄を整備し、1938年11月から1939年1月に掛けて渋谷〜新橋間を開業させた。

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                    五島慶太氏

 両社は地下鉄建設の主導権を巡って激しく火花を散らしたライバルであったが、最終的に直通運転に合意し、1939年9月16日から直通運転を開始する。同年の1月から9月迄の8ヵ月間は、新橋を境に浅草〜新橋間新橋〜渋谷間が夫々折り返し運転を行って居たと云う訳だ。
 東京に存在する2つの地下鉄・・・何処かで聞いた事がある話だが、偶然の一致では無い。今も東京に、東京メトロと都営地下鉄と云う2つの地下鉄事業者が存在して居るのは、実はこの時から続く「因縁」が関係して居るのである。

 急速な人口増に耐え兼ねて 民間事業者に地下鉄開発を委ねた

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              日本最初の地下鉄!(上野駅)

 最初に地下鉄建設に向けて動き出したのは、前述の地下鉄の父こと早川徳次であった。視察先のロンドンで地下鉄の有用性と先進性を目の当たりにした早川は、当時、路面電車の殺人的混雑が問題化して居た東京にも地下鉄建設が必要だと確信。1916年に帰国すると地下鉄建設運動を開始する。

 それ以前にも東京に地下鉄構想が無かった訳では無いが、早川は都心の地質・地下水位等を独力で調べ上げ、政治家や資本家に地下鉄は実現可能であると訴え掛けたのだ。折しも第一次世界大戦の特需で日本経済は急成長し、東京府(現在の東京都)の人口は1915年から1920年迄の5年間で約280万人から80万人以上も増加。交通混雑は益々激化し、東京市(現在の東京都特別区の前身)も地下鉄網の整備に積極的な姿勢を示す様に為って居た。
 処が、1923年に関東大震災が発生。国家予算が15億円の時代に50億円とされる甚大な被害が生じ、東京市は市域の4割以上が焼失してしまう。政府と東京市は「帝都復興事業」に着手するが、当初30億円を見込んだ予算が6億円迄削減された事で、地下鉄整備は延期される事に為ってしまったのである。

 当時の地下鉄計画は5路線の整備が予定されて居り、その内4路線(2〜5号線)は東京市の担当であった。残る1路線(1号線)の建設は、将来的に東京市の地下鉄に統合されると云う条件付きで、最初に出願した東京地下鉄道に認められた。詰まり、東京の地下鉄は東京市の手に依って整備され、運営されて行く計画だったの。
 実際、営団地下鉄が民営化した東京メトロと、大阪市営地下鉄が民営化した大阪メトロを除けば、日本の地下鉄は全て公営地下鉄である。莫大な建設費が必要で、都市計画とも密接な関係にある地下鉄は、都市が主体と為って整備するのが世界的な常識だからだ。

 しかし、東京市の地下鉄整備は遅々として進ま無かった。東京地下鉄道は1927年に浅草〜上野間を開業させ、徐々に路線を延ばして行くが、東京市は地下鉄の建設費を確保出来ずに居た。そうして居る間にも、震災復興の進展と共に東京の人口は益々増加して行き、1930年には震災前を大きく超える約540万人に達して居た。
 東京市は止む無く地下鉄の免許を民間企業に譲り渡し、市の代わりに地下鉄を建設させる事を決定。それこそが銀座線の新橋〜渋谷間を建設した東京高速鉄道だったのである。


 




 地下鉄免許を国が没収! 「営団」と「都営」の由来とは

 とは言え、東京高速鉄道側からして見れば東京市の都合の好い存在で終わる積りは毛頭無かった。東京市は東京高速鉄道との免許譲渡契約で、将来的に建設した地下鉄を無償で譲渡する事、東京地下鉄道と合併する事を条件とした。
 この条件は、地下鉄網が最終的に東京市営地下鉄として統合される計画に従ったものだったが、東京高速鉄道はこれを逆手に取り、東京地下鉄道と合併して東京の地下鉄事業を一手に収め様と考えて居たのである。地下鉄のパイオニアを自認する東京地下鉄道はこれに強く反発し、東京高速鉄道との主導権争いが勃発。最終的に敵対的買収を仕掛けて経営権の奪い合いと為り、大きな社会問題と為ってしまう。

 見兼ねた政府は、東京市や民間企業に地下鉄建設を委ねる事は出来無いと考え、東京市と両社から地下鉄免許を取り上げ、国主導の新組織を設立した。これが帝都高速度交通営団、詰まり営団地下鉄である。
 東京市は国主導の地下鉄建設に反発し、東京の地下鉄は東京市が建設すると主張したが、免許を取得してから10年以上工事に着手出来無かった上、免許を民間企業に譲り渡して混乱を招いた東京市に地下鉄整備を進める能力は無いと判断されてしまう。日中戦争勃発後の戦時体制下において、首都の地下鉄は「国家的インフラ」と考えられた事も大きく影響した。

 東京都は戦後直後にも営団の廃止と地下鉄の都営化を国に求めて居るが、都には地下鉄建設のノウハウは無く、戦災復興で手一杯だった事もあり、現実的には不可能だった。「帝都」を冠する古めかしい名称が示す様に、営団地下鉄は戦時体制下に生まれた組織であったが、軍国主義と直接的に関係する団体では無かった為、幾つかの制度を改める事でGHQに存続が認められ、戦後の東京においても営団が地下鉄建設を担う事に為ったのである。

 処が高度経済成長が始まると、東京都の人口は戦前の水準を超えて増加し始める。戦前から遅れて居た地下鉄建設は、イヨイヨ間に合わ無く為り、止む無く政府は1957年に東京都の地下鉄参入を認める。東京都は悲願の都営地下鉄を設立し、地下鉄1号線(現在の都営浅草線)の建設を分担する事に為ったが、1つの都市に2つの地下鉄事業者が存在するヤヤコシイ事態と為ってしまった。

 当初は、都営地下鉄の設立は飽く迄も緊急措置であり、将来的に営団地下鉄と都営地下鉄は統合すべしとされて居たが、有耶無耶のママ現在に至って居る。2つの地下鉄が再び、1つに為る事は有るのだろうか。今も尚、地下鉄の歴史・銀座線の歴史から学ぶ教訓は少なく無い。


        枝久保達也     以上


 



 




「水・水・・水!」と叫び乍ら殺された兵士達 〈ノモンハン事件〉の裏側




 【近代史】 最近、前の戦争(太平洋戦争)に関わる記事と云えば、緒戦の真珠湾攻撃や敗戦への転換点と為ったミッドウェー海戦(この敗戦で海軍は連合艦隊としての組織的作戦が失われた)を超え、それ以前の、今回取り挙げた〈ノモンハン事件〉が注目されて居る様だ。
 〈事件〉と呼ぶには不釣り合いで、双方共多大な犠牲を生んだ大規模な戦争だった。それは、その後の日本の未来を占う様な徹底した敗戦であり、その経験を我が国は少しも学ばず、日本国内で詳しい発表は為され無かった。軍内での責任者への強制的自殺(切腹の強要)迄行われた貴重な敗戦だった。今回は新たな資料からの解説に期待したい・・・



 




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 「水・水・・水!」と叫び乍ら殺された兵士達 悲惨過ぎる戦争の始まりだった
 
 〈ノモンハン事件〉の裏側


           〜文春オンライン 9/22(日) 17:00配信 〜
 

      文字・文章は読み易く修正してます・・・管理人


 〜昭和14年5月12日未明に来襲したソ連軍を迎えて火ブタを切ったノモンハンの徹底的敗北を、軍事通たりし筆者がその裏面史を描く〜

 初出 文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)原題「ノモンハンの敗戦」( 解説を読む)


 関東軍には以前から一種の悪癖(あくへき)が有った。陸軍省・参謀本部を小馬鹿にしたり、時の政府の方針等屁(へ)とも思はず、自分達の遣りたい放題の事を遣る。それが日本として対内的にも対外的にもドンなマイナスに為ろうと知らぬ顔で通そうとする気風である。

 この関東軍の悪癖は軍部全般に伝染し、ヤガテ日華事変を巻き起すのであるが、それは本題から外れるので省略する。兎に角、昭和初頭、高級参謀河本大作大佐が軍司令官や参謀長にも内緒で満洲王張作霖を暗殺し田中義一内閣を瓦解に至らしめ、次いで間も無く満洲事変を惹(ひ)き起して成功してからは、関東軍はイヨイヨ本領(?)を発揮して張皷峯事件からノモンハン事件に発展させたり、満洲国協和会問題で中央に楯着(たてつ)いたり、手に負えぬ狼籍振(ろうぜきぶ)りを見せた。その中のノモンハン事件を取り上げて解剖してみよう。

 国境線の侵犯から起きた紛争事件

 ノモンハン事件と云うのは、満洲国の、外蒙と内蒙との国境線の侵犯から起きた紛争事件だ。外蒙と内蒙と区分はしても、元々広漠(こうりょう)果て無い蒙古平原に、ソ連とか日本とかが人為的に線を引っ張ったのだから、住民の蒙古人に取っては迷惑この上も無い障害線だ。

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 中国のチチハル省に近い所にハルハ河と云う幅3〜40メートルの河が流れて居る。蒙古平原は沙漠(さばく)と草原地帯である上、降雨降雪が少なく飲料水に乏しい。偶々湖水が有っても塩分が多くて飲め無い。井戸も少ない。少無い井戸もボウフラが湧いて居ないと蒙古人は飲ま無い。ボウフラが湧くと云う事は、その水に塩分の無い証拠と為る。
 処で、このハルハ河の水は塩分が無く飲料に為る。そこで蒙古人に取っては非常に有難い河で、昔からこの河を独占しようとして、蒙古人同志で幾度も戦争をした事が有る程だった。

 その大切な河を満洲国は、コレが内蒙と外蒙との境界だと決めた。満洲国成立前には外蒙(そともう)の所領に為って居たので外蒙側は怒った。怒ったけれども取返すと為れば、河の向うには満洲国軍が頑張って居る。これを外蒙独自の力で破る事は難しい。満洲国軍の後には関東軍が控えて居るからだ。
 下手に手出しをしては為らぬ、とソ連側から強く手綱を緊められて居たので、7〜8年来隠忍して居たのである。そこにクレムリンから「もう好かろう、取り返せ」と命ぜられたので、一挙に河を渡って満洲国領内に雪崩れ込み、満洲国軍を追払って旧領のノモンハン附近迄占領した。それが昭和14年5月12日未明だ。

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 第23師団は、ハイラルに司令部を置き内蒙(うちもう)の鎮護(ちんご)に就いたが、師団としての戦力は頗(すこぶ)る貧弱なものだった。けれども既に国境侵犯事件が起きた以上、否応無しにこれを撃退せねば為らぬ。
 師団長小松原道太郎中将は直ちに事件の内容と対処方策を関東軍司令部に報告し、飛行隊の出動を促すと共に騎兵第23聯隊長東八百蔵中佐に外蒙軍の撃攘を命じた。


 




 敵情偵察不十分による「全滅の悲劇」

 連隊長は乗馬部隊と装甲部隊を率いてノモンハンに馳せ着けると、外蒙軍は多少の抵抗はしたがそれ程の抵抗はせずにハルハ河を越えて外蒙領に退いた。それを飛行隊が上空から爆撃したので、この一戦は完全に勝った。そこで満洲国軍に守備を命じて東連隊はハイラルに引揚げた・・・これが16日である。

 東連隊が引揚げると外蒙軍は直ぐその後を追って又ハルハ河を渡って来た。そこで小松原師団長は山県歩兵連隊長東騎兵連隊と連隊砲を附して一支隊を編成し第2回目の攻撃に向わせた。
 この時は外蒙軍は、騎兵部隊ばかりで無く、戦車・装甲車を繰り出し飛行機も満領内に進入して偵察し爆撃をする。事態は本格的戦闘の様相を呈して来た。
 山県支隊長は、東騎兵隊戦勝の後を承けて出動したので「外蒙軍等鎧袖一触(そともうぐんなどがいしゅういっしょく)」だと不用意に掛ったので、スッカリ外蒙軍の包囲に遭い、歩騎兵間の連絡を断たれ、東連隊は連隊長以下殆ど全滅してしまった。これは山県支隊長の大失敗であると共に、小松原師団長の敵情偵察不十分によるものである。

 山県支隊が大打撃を受けて敗退したと云う報を受けて、関東軍司令部の作戦課は色めき立った。最初は簡単な越境事件として軽視し、局地的に解決出来ると信じて居たのが、今や外蒙軍と云うのは仮面で、明らかにソ連が書き卸した挑戦状だと云う事が判った。
 ソ連がその気で居るのならコチラにも覚悟がある。徹底的に粉砕して遣らねば為らぬと決意し、その旨を参謀本部にも報告した。参謀本部は驚いて事件不拡大・局地解決の方針を指示して来た。

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 必ず旋風を巻き起す問題人物・辻政信

 これに対し関東軍の幕僚の中には、参謀本部の主張を是認する者も在ったが、作戦課の空気は次第に主戦論に傾いて行った。その主唱者は辻政信少佐である。
 辻参謀の主張は、局地解決勿論結構である。然し、早期に局地解決するには関東軍の実力を敵に満喫させるのが近道である。下手に弱腰を見せると、何処迄も追打を掛けて来るのがソ連の常套手段だ。ノモンハンを敵の手に委ねる事は、ヤガテ興安嶺以西の内蒙吉を併呑される事に為ろう。更に足許を見透かして東部から北部から手出しをさせる結果に為る。此処では徹底的な撃滅戦の強行のみが、解決の唯一の途であると云うのであった。

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                  服部卓四郎氏

 作戦課長寺田大佐は、参謀本部から転任して間も無いから中央部の空気は好く知って居る。初めは不拡大方針を執って居たが、作戦主任の服部卓四郎中佐が辻参謀の説を支持し、村沢・島貫の参謀連もこれに同調する。殊に航空班の三好中佐が熱心な主戦論者である。
 辻は関東軍に転ずる以前から、彼の行く所必ず旋風を巻き起す問題の人物だった。その頭脳と弁舌は如何なる論敵も圧倒するのみ為らず、実行力に至っては何人の追従をも許さ無い。

 ノモンハンに砲声の挙がるや、時を移さず現地に出現し戦況を視察するだけで無く、戦場に赴いて連隊長を叱曹オ中隊長を指揮する。上海事変・山西作戦と実戦の経歴を持ち、機宜(きぎ)に適した助言や処置をするので、戦歴の無い将校達は一目も二目も置く。
 又軍司令官植田大将は上海事変の第9師団長であり、辻はその下に一中隊長として奮戦したので植田の信任殊に厚く、参謀長磯谷廉介中将に対してはその連隊長時代に連隊旗手を勤めて居ると云う特殊の関係が有るから、辻の主張は概ね上層部で採用される。地位は一少佐参謀であるが、実力は課長以上に評価されて居た。

 対等の兵力に為ると信じて居たが・・・

 服部は辻より2年先輩である。辻の如く我武者羅(がむしゃら)な処が無く、諄々(じゅんじゅん)として説く言説には何時か相手を引込む魅力を持ち、辻を「力」を以て表現する為らば服部は「智」を以て評さるべく、しかも東北人特有の粘りと芯の堅さがある。
 服部と辻とが一体と為れば、その向うを張り得る者は無いと言っても好い程であった。この2人は2年後に太平洋戦争を控へて、服部は大本営作戦課長、辻はその下の作戦主任で在った事は人の知る処である。

 陸軍の中央部と関東軍とは事件解決策を繞(まと)って正面から対立した。こう云う空気の中にも現地では連日死闘が繰返され双方とも戦力は増強されたが、我が方では小松原師団が山県支隊の敗戦以来士気頓(とみ)に衰(おとろ)へ、到底外蒙軍に対抗する実力は無い。
 そこで第七師団の一部と戦車二聯隊を小松原の隷下に入れて地上軍を増強すると共に儀峨中将の統率する飛行第2集団の大部分を挙げて空中から援護させる事にした。これによって最も劣勢だった火器も112門と為り、戦車70輛・自動車400輛そして第一線機は180機を算するを得たので、ホボ敵と対等の兵力に為ると信じて居た。

 処が実戦に臨んでみると敵の兵力は遥かに我が方を圧し、辻参謀によると約五倍、服部参謀によると約7倍である事が判った。殊に火砲に至っては大口径の長距離砲が300門は下らず、これに山砲・速射砲が戦線近くに並べられて居る。
 一度酷く叩かれた軍隊は、仮令(たとい)それに兵力を補充しても心理的に敗戦意識が先立ち士気が振い立た無いものである。小松原師団も又その例外で無く、如何に師団長以下の幕僚が気負い立っても、戦場に在る兵隊は気後(きおく)れがする。


 




 「こう為っては已むを得無い」一大攻勢に転じ様と決心

 そればかりでは無い。最初の程は勇敢なる兵の肉迫攻撃によって鹵獲(ろかく)された戦車も、その後は幾らガソリン壜を投げ着けても炎上し無い。重要部分にはチャンと金網が張られてガソリンは金網によって防がれる。戦車も小型は殆ど姿を没し中型・大型と為り、余程至近距離に引き着け無ければ山砲弾位は撥ね返してしまう。
 これに反して我が戦車に対しては、ピアノ線で作った鉄条網を縦横に張り廻らして、一旦この網に入ると、キャタピラの中に線が喰い込み速力は落ち遂には擱挫(おざ)する。進退窮(きわ)まってる処を砲火を集中されては手の施しようが無い。

 又航空戦術も変化し、初めは相当の高度を以て襲撃して来たから、我が偵察機のみ為らず地上からも早期に発見する事が出来たけれども、次第に高度を落し、地上スレスレに戦場に現われ、アッと云う間に爆撃銃撃をして反転して行く。我が戦闘機が発見して追っても奥深く逃げ込んで捕捉する事が容易で無い。
 敵機は戦場のみで無く満領内のカンジュル廟やハロンアルシャン等にも侵入し、後方に集積して居る糧食とか弾薬を爆砕し、嫩江(わかえ)の鉄橋迄爆弾を投下する様に為った。我が方は外蒙領内への進攻は中央から固く禁ぜられて居るので対抗策が無い。こう為っては已むを得無い。中央の方針にばかり従って居ては敗戦の連続だ。軍司令官の命令を以て一大攻勢に転じ様と決心をした。

 地上撃破25機、撃墜99機合計124機の大戦果

 6月20日 小松原師団長に攻勢準備命令を伝える。儀峨集団長には全力を挙げて敵の根拠地タムスクを急襲し制空権の確保を命じた。
 そして事前にこれが中央に知れては中止を命ぜられるから計画は極秘に進めるが、サリとて全然参謀本部に連絡し無いでは後難が面倒だと、島貫参謀を東上させて計画を報告させる。しかもその報告する時刻と空襲決行時とをマッチさせる必要がある。報告が1時間でも早ければ直ぐ中止命令に接する。千番に一番の兼ね合いである。こう云う事情を勘案してタムスク爆撃は、6月27日早暁と決定した。

 北国の夏の夜は早く明ける。午前4時頃に為ればもう明るい。第12飛行団長東少将は戦闘機約80機、第七飛行団長宝蔵寺少将・第九飛行団長下野少将は重爆軽爆約60機を率いてタムスク爆撃を敢行する為夫々の基地を発し、午前6時頃鵬翼(ほうよく)を揃えて国境線を突破し一路西を指して飛ぶ。
 高度3000メートル、上空は寒気が身に沁むが誰も決死の爆撃行だから寒さ等覚え無い。誘導する戦闘機群に従って黙々と付いて行く。敵機は未だ現われ無い。

 午前7時 目指すタムスクの上空に来た。見下ろせば敵機が銀翼を連ね朝日を受けて地上に眠って居る。飛行場上空を通過した我が編隊はグルッと180度反転するや編隊長から爆撃命令が出た。爆弾は生命の有るものの様に一発一発飛行場に吸い込まれて行く。
 8時少し前夫々の基地に帰投したが、数えてみると我が方にも4機の未帰還機がある。直後に綜合した処によれば地上撃破25機・撃墜99機合計124機と云う大戦果で在った。

 「戦場を馳駆した者の判断の方が正しい」関東軍の伝統

 参謀本部では、島貫参謀の報告と有末中佐からの電話連絡によって越境爆撃の事実を知り、参謀次長以下色を為して激怒した。アレ程厳重に越境爆撃を禁じて居るのに、事も有ろうに関東軍飛行隊の大部の勢力を傾けて実施するとは狂気の沙汰である。
 稲田作戦課長は関東軍に電話して寺田課長を呼び出した。寺田は今日の戦果に対する祝詞でも受ける心算で気軽に受話機を握り「ヤッタよ、大戦果だ、これで当分敵機の跳梁(ちょうりょう)は無く為るだろう」と上機嫌で報告し始めると「何が大戦果だ、アレだけ喧(やかま)しく言って居たのに何たる事をヤッタのだ、この報復が無いとでも思って居るのか、馬鹿な!」と大変な権幕である。寺田の紅潮して居た顔は見る見る蒼褪めミ奮した唇はワナワナ顫(ふる)える。

 その時の事を稲田は回顧して「実際腹が立った。余りに中央部を無視し過ぎた遣り方だ。電話口には服部中佐や辻少佐も居る様子であった」と云う。中央が何と言っても、イザと為れば現地軍で引摺れる。机上の作戦論よりも戦場を馳駆した者の判断の方が正しいとするのが関東軍の伝統である。
 参謀本部では植田軍司令官や磯谷参謀長を動かして居るのは寺田大佐でも無ければ矢野参謀副長でも無い。1人の辻参謀だと睨んで、板垣陸相に辻の更迭を進言した者も在った。辻は有能では有るけれども現在の関東軍参謀としては不適当だと云うのであったが、板垣は「マア、好いじゃないか、余り辻を過大評価して居るのでは無いか」と同意し無かった。

 タムスクの爆撃は果してソ連側を刺戟した。まさか内陸深く侵入して来るとは考えて居なかったらしい。モスコーと現地との間には無電が引っきり無しに交換されて居る。極東軍司令官は殆ど抜きにして、直接クレムリンが戦闘を指揮して居る模様である。
 暫くの間は敵の機影を見る事が少なかったが、ヤガテ前に倍した新鋭機が投入されたらしく、戦場上空の制空権は再び敵手に委(い)せられた。我が方の戦闘機が如何に高性能であっても搭乗者の技術が優秀であっても、連日休む暇無き邀撃(ようげき)に人も機も疲弊困憊(ひへいこんぱい)し次第に損害が大きく為る。

 制空権を奪われては地上軍の作戦は滅茶滅茶に為る、1台の乗用車・トラックにも敵機が跳り掛かって銃爆撃をする。一樹の遮蔽物も無い草原・沙漠では身を入れるだけの蛸壺壕(たこつぼごう)を掘って隠れるより仕方が無い。折角据え着けた砲門も1発放てば忽ち敵戦車や砲弾の好い目標に為る。


 




 殺されても、水を飲めた者は未だ幸福だった

 第一線の将兵が最も苦しんだのは飲料水の欠乏である。応急的に掘った井戸水をトラックで配給しようとしても敵機の目を掠める事は容易で無い。真夏の昼は気温が上昇して口はカラカラに為る。軍服は体内から発散する汗の塩分が乾いて真白に為ってしまう。馬も喘(あえ)いで動け無く為る。
 敵弾に傷着いた将兵は「水、水、水」と叫び乍ら息を引取って行く。水筒1本の水で1日、どうかすれば2日我慢せねば為らぬ。中には辛抱し切れず夜秘かに敵陣を突破してハルハ河に辿り着き、腹一杯水は飲んだが敵に発見されてそのママ殺される者もある。それでも水を飲めた者は未だ幸福だった。河に到着しない前に発見されて、アノ世に送られた者も多い。
 戦友の屍(かばね)を発見して先ず手に触れるのは水筒である。中に水の有るか無いかが最大の関心事であり、如何にも辛抱出来無いと自ら銃を口中に含んで自殺する者も出る。戦場の悲惨は到底筆舌(ひつぜつ)の尽し得る処では無い。

 これ以上の積極攻撃は不可能

 この惨状を他所に関東軍司令部では小松原師団長を鞭韃(むちだつ)して、地上軍による大攻勢計画を進めた。7月1日を期してハルハ河を渡り、敵を国境外に駆逐しようとするものである。
 攻撃は順調に進んで一旦ハルハ河を渡って敵を圧迫したが、間も無く敵は逆襲に転じた。幾100輛とも数え切れぬ戦車が右から左から縦横に狂い廻る。火炎壜や地雷では粉砕出来無い。200メートル300メートルの至近距離に引き着けて砲弾を浴びせる外は無いのである。しかも弾薬も補給が十分で無い。

 百数十輛に及ぶ敵戦車を潰したが味方の損害も酷く、後援の続か無い急襲作戦では、持久態勢に持ち込まれては失敗である。一度渡ったハルハ河を再び越えて戻らねば為ら無かった。そして外蒙軍撃滅の夢は破れ、今は却って守勢に立ち敵の侵攻を防衛するのみである。
 橋本第一部長はこの地上戦を現地に見て関東軍司令部の無理な戦闘方式に呆れ、イヨイヨ不拡大方針堅持の必要を感じた。然し外蒙軍が満領深く入って来ることに為れば手を拱いて居る訳にも行か無いから、帰京すると同時に野重第3旅団と独立野重第7連隊を関東軍に送る手配をした。

 これと相前後して、関東軍幕僚の現地指導を封ずると共に戦力の増強を為す為第6軍を編成し、その下に第23・第7・第2・第4師団を配属する事にした。
 軍司令官は荻洲立兵中将、参謀長は藤本鉄熊少将で在った。「外蒙軍と言っても何程の事が有ろう」と荻洲軍司令官は戦力をヤヤ回復した第23師団と第7師団の一部とを以て8月下旬攻勢に転じたが、今度は最も酷い反撃を受け、旅団長・聯隊長以下負傷し戦死する者、或は軍旗を焼いて自決するもの相次ぎ、小松原師団長は500の手兵を提げて敵陣突撃を敢行せんとする直前、漸く軍司令官命令で敵の重囲を破って帰還した。
 又8月21日には再度のタムスク爆撃を敢行したが、これも敵機の地上撃破90機に対し、我が未帰還機数十機を出して、最早これ以上の積極攻撃は不可能である事を覚らされた。


 




 一個師団を潰滅させ、1万数千の生霊を失ったノモンハン事件の教訓

 この惨敗を取り返す為マタマタ9月上旬を期して第7師団と第2師・第4師団を主力として攻勢に転ずる準備をして居る所に8月31日、続いて9月3日奉勅命令が発せられた。
 その要旨は「情勢に鑑(かんが)み大本営は爾今(なんじいま)ノモンハン方面国境事件の自主的終結を企図す、関東軍司令官はノモンハン方面における攻勢作戦を中止すべし」と云うのであった。この奉勅命令説明の為新京に飛来した中島参謀次長は、植田軍司令官が「第23師団の屍体収容だけは許して頂きたい、要すれば自分が直接戦場に出て、大命の趣旨に反せざる様に指揮を執るから」と泣訴したけれども、次長はそれさえ許す訳には行かぬと拒絶した。

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 それでは軍司令官として1日も現職に留まる訳に行かぬから、即刻後任者を銓衡(せんこう)して更迭させて貰いたいと云うと、それだけは上司に伝達しようと約した。
 中央では華北に第1軍司令官として駐屯して居た海津美治郎大将を関東軍司令宮に、陸軍大学校長飯村穰中将を参謀長に補し、矢野参謀副長・寺田第一課長以下作戦参謀を尽(ことごとく)く入れ変えた。植田・磯谷両将軍は一時参謀本部附と無し、間も無く予備役に編入された。

 本意為らずも関東軍に引摺られて無理な戦闘をさせ、戦死・行衛不明7000、負傷9000と云う大損害を受け、惨敗のママ自主的に戦闘を中止せねば為らぬ様な結果を招いた事は、参謀本部としても責任無きを得無い。
 そこでこの責任は中島次長1人で負い、橋本第一部長は支那総軍参謀副長に転出する事に為って居た処、関東軍首脳者2人が馘に為った以上、参謀本部も次長1人では均衡が取れ無いと云う議が起き、遂に橋本中将も次長と共に現役を去らされた。

 梅津司令官は着任するや否や、外蒙側が主張せる国境線を事実上認めて兵を引き、着任1週間を出ずして停戦協定を成立させ、翌年6月国境劃定が出来た。梅津は軍司令部並に隷下部隊に対し、軍紀の振粛を厳命しまた国境紛争が如何に重大結果を招来するかを訓示して、卑しくも軍司令官の意図に反する者は仮藉無く処分する事を明らかにした。
 かくて一個師団を潰滅させ、1万数千の生霊を失ったノモンハン事件が何等の殷鑑(いんきょう)とも為らず、更に大きな犠牲を積み重ね無ければ為ら無かった事を惜しむ。

 「白い衣類を着けて居れば難を避ける事が出来る」と言いながら……

 広島に原爆を落されて軍部が非常に慌てたのは云う間でも無かった。どうも原爆に違い無いと思うが、矢張りそれと決めるには科学者の調査が必要である。そこでこの方面の権威である仁科芳雄博士に広島へ出向いて貰う事にした。博士はガイガー管を持って立川飛行場に駆け付けたが、その日は飛行機が出無いとかでムダ足。
 翌日に為ってヤッと東京から飛び立ったが、広島上空に行くと家屋の倒れ方等から判断して、ガイガーの厄介に為るまでも無く直ぐに原爆と判ったとか。

 これを大本営は“新型爆弾”と名付けて発表、白い衣類を着けて居れば難を避ける事が出来る等と、無責任極まる指導をして新型爆弾恐るるに足らずと豪語した。処が廟議が無条件降伏と決まり、イヨイヨ陛下の御放送があると云う前日に為ると情報局は「原子爆弾の残虐さを大いに紙面で張調する様に」と新聞に指導して来た。国民は全く愚弄されて居たと言って好いだろう。


  高宮 太平 文藝春秋  増刊号 昭和の35大事件   以上


 【管理人のひとこと】

 学の無い管理人としては、難しい漢字に必死にルビを着ける作業に追われましたが、文章の内容は何とかご理解頂けたかと思います。それにしても、何とも難解で無意味に難しい漢字を用いるものです。これが、文語体から発した文章の読み辛さでしょう。
 現在の様に口語体の文章だと、読めない漢字でもそれ為りに予想して理解出来ますが、一つの漢字の意味を間違えると取り返しが着かないと思うと一つ一つ確認せざるを得なかったのです。

 日本政府や帝国陸軍としては、このノモンハンの敗戦から学ぶべき数知れぬ教訓を得た筈です。それが、軍と政治が一緒に為ってしまえば、その教訓の全てが都合の好い方へと捻じ曲げられ、安易に次の戦争へと雪崩れ込み少しのフレーキにも役立て無かったのです。
 明治以来の古い装備のママで近代戦に向かう・・・装備で劣るなら気と心と身体で補えと精神論をブチ挙げ、将兵の血を湯水の如く惨禍させてしまう戦法を最後迄続けて行くのです。彼等戦争指導者に取って、国民の血である将兵の生命や血は少しの価値も見出す様なものでは無かった。国民の生命・血を尊敬しない国・軍隊が、戦争に勝てる訳は無かったのです。

 後一年戦争を早く辞めて居たら・・・恐らく300万人以上と言われる総戦死者の半分以上は生き残って故郷の地へ戻れたのでは無いでしょうか。クレグレモ、戦争を決意した瞬間が既に全てを決定して居たのです。
 当時は、政府や軍部より、多くの国民が開戦を望んで居た。それは、多くのメディア・報道機関がその様な民意を育て挙げて居たのです。「戦争を遣らねば我が国の未来は無い」と毎日の様に国民に訴えて居たのです。
 如何に報道が国民の民意を作り上げるか・・・メディアにはその責任があるのですが、如何せん商業主義で成り立つ企業にドレ程の正義を貫けるかは難しい問題です。太平洋戦争が始まると新聞の購読数は倍々ゲームで上り続けます。その他の戦争雑誌も活況を呈します。そんなムードが今現れたら、又や戦争への道が開かれても可笑しくは有りません。この様な歴史を学ぶことが、一つの教訓に為ると考え取り上げました。



 




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2019年09月22日

対韓国「歴史戦」の布陣に 日韓基本条約揺らぐ事態も




 対韓国「歴史戦」の布陣に 日韓基本条約揺らぐ事態も

            〜47NEWS 9/21(土) 17:52配信〜


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              日韓基本条約調印式

 〜新たな安倍改造内閣がスタートした。見えて来るのは、喫緊の課題である社会保障改革や経済対策もさること乍ら、更なる関係悪化が予想される韓国との「歴史戦」に臨む布陣にしたと云う事だ。展開次第では、両国関係の基礎と為る日韓基本条約が揺らぐ事態も想定されるが、安倍晋三首相は文在寅政権と強い姿勢で向き合う様だ。(共同通信=内田恭司)〜


 




 ニューヨークで日韓外相会談へ

 安倍首相は今回、茂木敏充氏を経済再生担当相から外相に、河野太郎氏を外相から防衛相に横滑りさせ、思想・信条が自身と近い萩生田光一・衛藤晟一・西村康稔・高市早苗各氏を文部科学相を、一億総活躍担当相・経済再生担当相・総務相として入閣させた。
 今回の組閣は色々と特徴付けられるが「対韓国」と云う視点で見れば、安倍首相は実務面でも・姿勢の面でも文政権に対して一歩も引か無い態勢を整え様としたのだと言える。「歴史戦に受けて立つ陣容」(野党幹部)だと言って好い。

 対韓国「歴史戦」の布陣に 日韓基本条約揺らぐ事態も

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 8月25日 島根県の竹島(韓国名・独島)で、防衛等を想定して訓練する韓国海軍の特殊部隊(韓国海軍提供・共同)

 日本政府関係者によると、文政権は国内外で様々な軋轢(あつれき)を生んで居るが、政権基盤は尚強固で、強い反日姿勢を示した事で更に引き締まり、来年4月の総選挙は勝つ可能性が高いと、首相官邸は分析して居るのだと云う。「先鋭化する文政権に対抗して行く必要がある」(関係者)との認識が、今回の組閣に反映されて居ると云う訳だ。
 中でも注目されるのは茂木・河野両氏だ。二人は高い英語力と発信力が共通して居り、国家安全保障会議(NSC)のメンバーでも在る。一致した外交・安全保障戦略を基に、韓国に対して日韓両国と地域の安定に資する振る舞いを求める一方、国際社会に安倍政権の立場をアピールして行くのが、二人に要求される役割だ。

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                  茂木新外相 

 茂木氏は9月下旬に出席を予定する米ニューヨークでの国連総会に合わせ、韓国の康京和外相と初めて会談する方向だ。実現すれば政権の方針として、元徴用工訴訟問題への対応と国際法違反の早期是正・慰安婦合意の誠実な履行を求める構えだ。 
 河野氏に取っては、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を撤回させる事が当面のテーマと為る。北朝鮮非核化への連携強化も重要なミッションだ。

 2年半振りに閣僚が靖国参拝か

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                   萩生田新文科相

 萩生田氏等4人に付いては、先ずは何人かが10月に秋季例大祭がある靖国神社に「参拝するのではないか」(自民党ベテラン)と観られて居る。
 高市氏は前回の約3年に渉る総務相時代、春・秋季の両例大祭と8月の終戦記念日に毎年参拝した。萩生田・西村両氏は、参拝しない首相に代わり「安倍晋三」名の真榊や玉串料を奉納。衛藤氏は超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーとして常時参拝して居る。

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                   高市新総務相

 2012年12月の第2次安倍内閣発足後、両例大祭と終戦記念日には1〜3人の閣僚が参拝して居たが、2017年4月の例大祭を最後にゼロと為った。主に中国への配慮からとされて居るが、今回誰かが参拝すれば2年半振りだ。「国策に殉じた方々に感謝の誠を捧げた」等と参拝理由を述べるだろうが、韓国政府が強く反発するのは間違い無い。
 4人は何れも、新布陣における重要な役割も持つ。萩生田氏は、文科相として教科書検定で毅然とした姿勢を示し、高市氏は、総務相としてテレビ局の報道内容に目を光らせる筈だ。激化する日韓貿易摩擦の影響に目を配るのは、経済再生相の西村氏だ。

 一億総活躍相の衛藤氏はどうか。衛藤氏は領土問題担当相でもある。この為与党関係者は、韓国軍による半期毎の竹島(韓国名・独島)防衛訓練等で日韓間の緊張が高まった場合、衛藤氏が2月22日の島根県主催の「竹島の日」記念式典に「対抗措置として、閣僚として初めて出席する可能性がある」と指摘する。


 




 日朝国交正常化交渉への波及阻止
 
 元徴用工訴訟問題では国際法違反の早期是正を要求し、貿易面では輸出管理強化を徹底する。教科書検定への干渉は許さず、日本国内の「偏向」報道は目溢(めこぼし)し無い。領土や海洋権益の問題には厳しく対応する。各閣僚は連携して、安倍政権としての強い姿勢を示して行くと観られるが、こうした対応で、果たして文政権から譲歩を引き出せるだろうか。
 
 9月以降も文政権は、日本を世界貿易機関(WTO)に提訴し、韓国の輸出管理の優遇国から除外した。市民による日本製品不買運動の拡大も黙認し続けて居る。安倍政権が強く出た処で、文政権は譲歩する積り等、サラサラ無さそうに見える。
 勿論安倍首相はこうした展開を織り込んで居るだろう。今の日韓対立は、突き詰めれば日韓基本条約を巡る根源的な対立に起因して居る。日本が朝鮮半島を植民地化した日韓併合は合法か不法かと云う問いだ。文政権は「併合は不法であり、不当な植民地支配下での徴用は全て不法」との立場を取る以上、譲歩する事は絶対に有り得無いからだ。

 言い方を変えれば、まさに此処が日韓間の「歴史戦の本丸」でもある。今回の人事からして、安倍政権は場合によっては、ここで戦う事も選択肢に入れたのではないか。
 文政権が今後、不法論を声高に叫び始め「合法・不法論」を玉虫色の表現で棚上げした日韓基本条約の見直しに言及した時、安倍政権も「合法論」を真正面から展開するのではないか。「タフネゴシエーター」の茂木氏の出番と為るだろう。
 此処で日本が後退すれば、実は日朝国交正常化交渉に大きく響く事が予想される。日朝双方が「財産及び請求権を放棄」した筈の日朝平壌宣言の見直しにも波及し兼ね無いからだ。勿論、今の日朝間にそうした動きは全く無い。

 だが、安倍政権は将来有り得るだろう日朝国交正常化交渉迄視野に入れ、文政権との「歴史戦」に臨む方針を決めたのだとすれば、安倍政権の決意は固いと見るべきだ。

               以上


 




 【関連報道】 京都新聞 社説 日韓政府の対立 日本に出口戦略あるか


    コピーライトマーク株式会社京都新聞社 2019/7/29 12:06 (JST)7/29 13:17 (JST)updated 〜


 政府は韓国向け輸出規制を巡り、安全保障上の輸出管理で優遇措置を取って居る「ホワイト国」から韓国を除外する方針だ。既に半導体素材3品目を優遇措置から外したが、ホワイト国からの除外で対象が大幅拡大する。韓国政府は電子部品や工作機械等「千品目以上」が対象に為るとして反発を強めて居る。
 両国経済は相互依存して居る。日本の措置は韓国だけで無く、日本経済にも悪影響を及ぼし兼ね無い。対立をこれ以上深める措置は避けるべきだ。

 韓国に対するホワイト国指定は2004年からで、韓国へ輸出する企業は手続きの簡略化を受けて居る。指定から外れると、食品や木材等を除いた多くの品目で軍事転用の恐れがあるとされた場合、輸出企業は国の許可をその都度得る必要がある。
 日本から韓国への輸出がスムーズに進ま無い可能性が出て来る。半導体だけで無く、石油製品や自動車等、韓国経済を支える産業への影響は避けられまい。

 韓国政府は、日本の措置が元徴用工問題への報復で、自由貿易の原則に反するとして、世界貿易機関(WTO)の紛争処理委員会へ提訴する構えを見せて居る。韓国では日本製品の不買運動も起きて居る。
 一方、日本政府は24日のWTO一般理事会で、輸出規制はWTOが認めて居る「安全保障上の懸念」に対する措置だと訴えた。しかし、日本は「懸念」を具体的に説明し無かった。半導体素材の輸出規制を打ち出した際には、安倍晋三首相や菅義偉官房長官が徴用工問題に言及して居ただけに、日本の主張を字句通り受け取る国は少ないのではないか。

 疑問なのは、安倍政権が明確な出口戦略を持って居る様には思え無い事だ。それ処か、河野太郎外相が駐日韓国大使に公開の場で強い不快感を示す等、対立感を一層深めて居る。WTOの紛争処理委員会で日本が勝てる保障は無い。ドチラが勝利しても対立は深まったママに為り兼ね無い。
 勿論韓国の対応にも重大な問題がある。貿易問題で国際機関に訴えるなら、徴用工問題でも第三国が関わる仲裁委員会の設置に応じるのが筋ではないか。日韓対立の隙を突く様に、北朝鮮が短距離弾道ミサイルを発射した。日韓が緊張を高めて居る場合では無い。


    (京都新聞 2019年07月29日掲載)  以上


 




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2019年09月21日

「れいわ新選組」山本太郎に公民権停止中の〈極左活動家〉との関係を直撃!


 
 「れいわ新選組」山本太郎に公民権停止中の〈極左活動家〉との関係を直撃!

           〜文春オンライン 9/21(土) 5:30配信〜


 〜今年4月に新党「れいわ新選組」を旗揚げした山本太郎代表(44)。7月の参院選では比例代表で約228万票を獲得し、自身は落選したものの、特定枠を利用して重度障害者2人が当選を果たした。山本氏は9月18日から北海道利尻島を手始めに、更なる党勢拡大を目指し、有権者との対話を重ねる全国キャラバンをスタートさせる。その山本氏が「文藝春秋」10月号のインタビューに応じた〜
 


 



 
 「れいわ現象」の背後には誰が居るのか?
 
 ・・・一時は政党支持率で共産党に並ぶ野党第2党に躍り出た「れいわ新選組」果たして、この「れいわ現象」の背後には誰が居るのか。名前が挙がった1人が、極左の活動家で知られる「市民の党」の斎藤まさし代表(公職選挙法違反で有罪。2021年まで公民権停止)だ。
 斎藤氏はこれ迄も様々な地方選で無党派の選挙ブレーンとして暗躍して居た。官邸サイドも、斎藤が山本の街頭演説に現れて居た事を注目して居たと云う。この点を山本氏に尋ねると、


 「関係無い。彼は選挙運動出来無い立場ですから。演説の現場には来て居た様ですが『誤解を受けるから来るな』とは言えません。これはどの立場の方に対しても同じです。政治家の街宣の場での排除は、余程悪質で無い限りは遣ってはいけ無い事だと考えます」

 そして「私にはバックは居ない」として、こう続けた。「逆に軍師が欲しい位です」「政党運営のノウハウナンて無いんです。これ迄6年間の選挙で経験した事の集大成と云うだけ。私に知恵を着けるバックが居るとの噂もある様ですが、居るなら、もっと上手い事遣れて居るでしょうし、逆に軍師が欲しい位です」

 ・・・山本氏は「文藝春秋」の独占インタビューで、今回の参院選を振り返って居る他「ダンス甲子園」での芸能界デビュー、原発事故を機に政界を志す経緯、小沢一郎氏との出会いと訣別の理由、そして次期衆院選ではどの選挙区から出馬するか、等に付いて語って居る。
 更に 「文藝春秋」10月号 では、ノンフィクションライターの常井健一氏が「れいわ新選組・山本太郎の研究」と題し、甘利明・自民党選挙対策委員長(当時)、小池百合子都知事、菅直人元総理、渡辺喜美参院議員ら新党を旗揚げした経験を持つ政治家達や「れいわ新選組」の関係者等への取材を通じ「れいわ現象」の内実を徹底レポート。
 市民活動家から一国の指導者に上り詰めた菅元総理との共通点や、音楽ライヴの様な街頭演説の仕掛人の存在等に付いても解き明かして居る。


      「文藝春秋」編集部 文藝春秋 2019年10月号   以上



 


【関連記事】れいわ重度障害議員を「特別扱い」 

 「議員特権」と言ってしまう人達は何がズレて居るのか?


      〜舩後・木村両議員が巻き起こした議論 大山 くまお  2019/08/11〜


 先の臨時国会で注目を集めたのが「れいわ新選組」の舩後靖彦・木村英子両参院議員だ。舩後氏は難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者で、木村氏は手足が殆ど動か無い脳性まひの障害を持つ。参議院では2人が議員活動し易い様、介助費用を負担する事を決めたが、これに対して真っ向から反論する議員等が現れた。どの様な発言が行われたのか追って観たい。

 松井一郎 日本維新の会代表・大阪市長 「どなたにも適用出来る様制度全体を変えるなら好いが、国会議員だからと言って特別扱いするのは違う」
「国会議員は高額所得でスタッフも付く。政治家は個人事業主だから、事業主の責任で(費用支出に)対応すべきだ」 共同通信 7月30日


 「その場凌ぎでルールを変えるのは可笑しいでしょ!」

 7月30日、議員活動中も公費による介護サービスが受けられる様求めて居た舩後氏と木村氏に対し、参議院運営委員会の理事会は当面の間、参議院が費用を負担する事を決定した。木村氏は現在、生活全般にわたって「重度訪問介護」を利用して居るが、同制度は「通勤、経済活動に掛かる支援」を公的補助の対象外にして居り、議員活動は「経済活動」と見做される為利用出来無い。
 参院の決定に対して一早く反応したのが、日本維新の会の松井代表である。松井氏は舩後氏・木村氏を「特別扱い」するのは可笑しいと主張し、自費で対応すべきだとした。ツイッターでも「税金支出為らば、国会議員と云う職業の障がい者だけが、その他の就労中の障がい者の皆さんと比べて、公的支援優遇と為ります。立法府がその場凌ぎで福祉施策ルールを変えるのは可笑しいでしょ!」と強い調子で批判して居る。(7月30日)

 【Twitter】松井一郎氏のツイート

 松井一郎 日本維新の会代表・大阪市長 「介助制度が無いと働け無いのか。違うと思う。支援を受けずに働いて居る人も居る」 「公的補助を受けずに電車通勤して居る全盲の職員も居た。危険だが、努力で克服して居た」 東京新聞 8月1日 
 31日には記者団の取材に対し、松井氏は「介助制度が無いと働け無いのか」と批判を強め、自らが3月まで知事を務めて居た大阪府では「公的補助を受けずに電車通勤して居る全盲の職員も居た。危険だが、努力で克服して居た」と述べた。マルで障害者を危険な目に遭わせるのを肯定して居るかの様だ。そもそも舩後氏も木村氏も「介助制度が無いと働け無い」のだが、その事は知ら無いのだろうか。

 武井俊輔 自民党・衆院議員「維新の会の意見は論理的には正しいのかも知れませんが、その様な人の苦しみや歩みに思いを致して居る様には思えません。率直に言えば薄っぺらいのです」ツイッター 8月1日 【Twitter】武井俊輔氏のツイート

 吉村洋文 日本維新の会、大阪府知事  「『維新は薄っぺらい』との事ですが、障害者雇用率全国No.1は大阪府です」ツイッター 8月1日 【twitter】吉村洋文氏のツイート

「障碍者の実雇用率」が全国42位の大阪府

 自民党の武井俊輔衆院議員は、参院が負担する介護費用の自己負担を主張する松井氏を初めとする日本維新の会の意見を「論理的には正しいのかも知れません」と前置きしつつ「薄っぺらい」と批判した。
 これに対して日本維新の会の吉村洋文大阪府知事が「『維新は薄っぺらい』との事ですが、障害者雇用率全国No.1は大阪府です」と反発したが、吉村氏が提示したリンクは「知事部局における障がい者雇用率」を示すものであり(これは実際に大阪府が1位)大阪府のホームページには「現在、大阪に於ける障がい者の雇用を巡る情勢は、障がい者の実雇用率が2.01%(全国42位)で法定雇用率(2.2%)を下回ると共に、法定雇用率達成企業割合に付いては、41.0%(全国46位)と5割にも満た無い状況が続いて居ます」と記されて居た。

 小野田紀美 自民党・参院議員 「え!?バリアフリー化対応は分かるけども、これは議員特権に為りませんか…?」ツイッター 7月31日
【Twitter】小野田紀美氏のツイート

 
 文通費の流用を自白して居る?
 
 自民党の小野田参院議員も参院の決定に疑念を示した。松井氏は舩後氏と木村氏に付いて「特別扱い」「公的支援優遇」と云う言葉を使って居たが、小野田氏は「議員特権」と云う言葉を使って居り、如何にもこの2人が「特別扱い」を求めて居ると印象付けている。
 小野田紀美 自民党・参院議員 「国会議員は文通費として歳費とは別に月額100万円が支給されます。皆このお金を使って、私設秘書さんとか事務員さんとか政策サポートとか、事務所開設の諸経費とか…要は自分が公務を行うサポートを揃えて居ると思って居ります」ツイッター 7月31日【Twitter】小野田紀美氏のツイート
 
 続いて小野田氏は、国会議員には月額100万円の「文通費(文書通信交通滞在費)」が支払われて居る事を挙げ、文通費を人件費等に使用して居る事を明かした。舩後氏・木村氏にも文通費を使う様求めて居ると考えられる。
 しかし、文通費については「公の書類を発送し及び公の性質を有する通信を為す等の為、文書通信交通滞在費として、月額百万円を受ける」と国会法によって定められて居る。現状、報告や義務が無い為、文通費を流用する議員が居る事が問題視されて居るが、小野田氏は自ら流用を認め、他の議員にも奨励して居るのだろうか?

 




 維新の会は小野田議員を追及すべき

 その後、小野田氏は「『〜と思って居ります』と事実確認をせぬ一部表記により誤解を招きました事お詫びし訂正致します」と謝罪し「弊事務所の文書通信交通滞在費も法令に従い適切に処理して居ります」と釈明したが、何に付いて謝って居るのか全く分からないし「法令に従い適切に処理して居ります」と言っても文通費を正しい目的で使って居る証明には為ら無い。
 日本維新の会は「領収書の要ら無い第二の報酬と言われて居る国会議員一人当たり月額100万円の文書通信交通滞在費の使途を公開する」と云う公約を掲げて居るが、それなら真っ先に小野田氏に対して使途の公開を求めるべきだろう。

 山本太郎 れいわ新選組代表 「障害者が自らポケットマネーを出して働ける状況を作るのは明らかに間違いだ。あしき前例に為る」 共同通信 8月1日 

 れいわ新選組の山本太郎代表は、松井氏の発言に真っ向から反発したが、これに対してネットでは批判の声が相次いだ。松井氏、小野田氏の「特別扱い」「議員特権」等の言葉の影響が窺える。
 経済評論家の池田信夫氏は「『弱者』を政治利用して税金を食い物にする人々」と題した文章で「身内の弱者だけ特別扱いを求めて、実力行使する」と記して山本氏らを批判した。(アゴラ 8月1日) 

 しかし、舩後氏と木村氏は「特別扱い」を求めて居るのでは無い。両氏が利用して居る障害者総合支援法に基づく「重度訪問介護」制度の対象拡大を求めて居るのだ。

 舩後靖彦 れいわ新選組・参院議員 「自立支援法(現在は障害者総合支援法)と言いながら、職場にヘルパーが着いて行く事は禁じられて居るからです。障害者は働くなと言う事でしょうか? この部分は絶対に変え無ければいけません」BuzzFeed News 7月21日

 「歩け無い人のお手伝いが何故法律で禁じられて居るのか」
 
 舩後氏は、選挙戦の最中から「重度訪問介護」制度の改革を訴えて来た。「障害者が仕事を持つ事コソ、自立支援だと思います。それなのに、歩け無い人のお手伝いが何故法律で禁じられて居るのか。全身麻痺でも働ける障害者は居ます。能力はあっても国の法律で制限されても良いのでしょうか?」とも語って居た。

 全国自立生活センター協議会の常任委員・秋山浩子氏「介助費は公的な制度で給付を認める必要がある」「現在の制度は事業者や個人の負担が前提で、費用負担出来ずに仕事を諦めて居る人が沢山居る」と訴えて居る。(日本経済新聞 8月1日)

 根本匠 厚生労働相 「障害者が働き易い社会を目指す上で、働く際に必要と為る介助は重要な課題だ。確り議論して行きたい」 共同通信 8月2日

 根本厚労相は2日の記者会見で、重い障害のある人が仕事中は介助費の公的補助を受けられ無い等の、現行制度の見直しに付いて議論する考えを表明した。国会内での介護費用を負担する事に決めた参院議院運営委員会でも、重度障害者の職場での支援に付いて早急な制度の見直しを政府に求める事で一致して居る。(朝日新聞デジタル 7月30日)

 舩後氏と木村氏の存在が議論を一歩前に進めた

 同委員会で与党筆頭理事を務める自民党の大家敏志参院議員は「これまで制度を整備して来なかった反省もあり、今出来る事をやって、臨時国会の召集日を迎えたい」と語って居た。(NHK NEWS WEB 7月30日)舩後氏と木村氏の存在が議論を一歩前に進めたのは間違い無い。

 木村英子 れいわ新選組・参院議員 「重度訪問介護を使っているすべての障害者の人が介護者をつけて社会参加できるように。そして、労働や通学に使えるような制度にして頂きたい」テレ朝news 8月5日
 「特別扱いに為ってしまう。全ての障害者が公費で社会参加できる様にすべきだ」 愛媛新聞ONLINE 8月7日
 
 木村氏は5日、仕事中は介助費の公的補助を受けられ無い重度訪問介護について、政府に早急な見直しを求める質問主意書を提出した。木村氏は主意書の中で「介護保障は国が障害者全体に対してする義務がある。私が国会議員で有ろうと無かろうと為され無ければ為ら無い」と指摘した。(共同通信 8月5日)
 なお「障害者雇用率全国No.1は大阪府です」と記した吉村大阪府知事は、その後「重度訪問介護」を受けて居る府民を対象に「通学や就労時に掛かる介助費用を府と市町村で支援したい」考えを示した。(日本経済新聞 8月7日)これも「れいわ新選組」の2人の議員が巻き起こした議論による結果だと考えられる。


              以上


 



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「中小企業の改革」を進めないと国が滅びるワケ




 「中小企業の改革」を進め無いと国が滅びるワケ


           〜東洋経済オンライン 9/20(金) 5:10配信〜


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 〜オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名を馳せたデービッド・アトキンソン氏。
 退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行って来た彼が、遂に辿り着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行されて8カ月。
 生産性を高める具体的な方法を示した新著『国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国に為るか』(講談社+α新書)が刊行された。「中国の属国に為る」とはどう云う事か。それと「中小企業改革」はどの様な関係があるのか。解説して貰った〜








 9月21日『国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか』と云う本を世に出しました。お蔭様で、この本は発売前にも掛からず非常に大きな反響がありました。未だこの本を読んで居ない方達には、サブタイトルの「中国の属国」と云う文言に対して「経済の話をして居るのに論理が飛躍して居ないか」「幼稚な陰謀論だ」と云う印象を受けるかも知れません。  そこで、本の内容を紹介させて頂く前に「中国の属国」と云う言葉に引っ掛かって居る方達に対して、何故この様なタイトルに為ったのかと云う真意を説明させて頂きます。

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 「日本が中国の属国になる」シナリオのリアリティー

 日本の人口動態を細かく分析して行けば、生産性を高めるしか最早道が無く、国も民間も真っ先に取り組ま無くてはいけ無い最優先課題であると云う事は、これ迄東洋経済オンラインの連載や著書、講演などでも繰り返し申し上げて来た通りです。
 この生産性向上を、過去に頓挫した様々な改革と同じく「他にも方法が有る筈だ」「生産性を急に上げる事が現実的に難しい」「最低賃金を1000円に上げたら、企業の倒産は続出するぞ」等と先延ばしにすれば、日本社会に致命的なダメージをもたらし、後世に大きな負の遺産をもたらすのは間違いありません。

 そこで、今直ぐに手を着けなくては手遅れに為ると云う警告も含めて「国運の分岐点」としました。では、具体的に生産性を上げるにはどうすれば好いか。判り易く言えば「中小企業改革」です。今の日本の産業構造では、生産性向上はホボ無理です。タブーとされて来た中小企業部門にメスを入れ無いと、どんなに技術とイノベーションで人口減少に対応が出来ると言っても、生産性は改善しません。
 その詳細に付いては、この記事の後半で説明しますが、この中小企業改革は中小企業経営者からすれば、簡単に受け入れられるものではありません。現状にそれ為りに満足をして居る中小企業経営者からすれば、我が身を破滅に追い込む様なものであって、猛烈な反対が予想されます。

 しかし、先程も申し上げた様に、これを先延ばしにすればする程、未来の日本の傷口が広く深いものに為ってしまいます。これまでの様に360万社ある中小企業を手厚く保護して、彼等全員に元気に為って貰おうと云う従来の優遇・猶予政策では、残念ながら日本全体は沈んで行くのです。
 そこで、是非とも日本の皆さんに、何故「中小企業改革」に取り組ま無いといけ無いのかを真剣に考えて頂く為、もしこれに取り組ま無いとどの様な最悪の未来が待って居るのかと云う事を考察した結果が「中国の属国」なのです。
 勿論、これは中国が日本に攻め入って来て、支配されたり主権を奪われたりと云う話ではありません。改革をし無いママで人口減少して、国力がスッカリと落ちてしまった日本に、様々な形で中国経済が関与をして来ると云う「経済的属国」です。

 その理屈は、次の通りです。社会保障負担が益々重く為る中、中小企業改革をし無ければ、生産性は改善せず、国の財政が更に悪化する。そのタイミングで、日本経済の特有なリスクである「首都直下型地震」か「南海トラフ地震」が起きたら、政府は復興の為に海外に依存する必要がある事を意味します。そのシナリオでは、中国に頼るシナリオが浮上します。
 中国は今や購買力調整で世界第1位のGDPを誇り、アフリカ等に「援助」の名目で経済的な支配力を強めて居ると云う事実もあります。このシナリオは論理の飛躍等と笑い飛ばせるものでは無く、最早何時起きても可笑しく無い可なり逼迫したものだと云う事は、この連載の最後に確りとご説明させて頂きます。

 生産性向上は痛みを伴います。大変な時代をもたらします。しかし、この最悪のシナリオを経済政策に結び着けて居るのは、決して机上の空論では無い事をご理解頂いた上で、何故生産性向上の議論を命懸けで進めないといけ無いのかを痛感して頂きたいからです。

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 中小企業改革=中小企業の統廃合

 サテ、タイトルの真意をご理解して頂いた処で、今回は「中小企業改革」に付いてお話をして行きましょう。その様に聞くと、殆どの人が、日本のものづくり等を支えて居る中小企業の強みをどう遣って生かすのかと云う改善策、日本の中小企業がこれ迄以上に元気に為る為にはどうするか、と云う様な方向性の話を想像する事でしょう。しかし私が申し上げて居るのはそう云う類の改革ではありません。
 人口減少と云う未曾有の危機に直面した日本が、この窮地を抜け出す為には、およそ360万社ある中小企業をどうすれば好いのか。これ迄好しとされて来た中小企業を中心とした産業構造が果たして今の日本に適して居るのか。詰まり、中小企業そのものを根底から変えると云う「中小企業改革」なのです。

 簡単に言えば、中小企業改革とは、今の360万社弱ある中小企業を、200万社弱に統廃合する事です。この様な方向性の改革は、何故か日本では殆ど語られて来ませんでした。「聖域」なのでは無いかと心配してしまう程、中小企業そのものに苦言を呈する論調は無いのです。
 事実、ネットで検索をしてみても、中小企業の働き改革や中小企業の経営改革の記事は山程ありますが、中小企業そのものを改革すべきと云う様な記事は殆ど見当たら無いのです。只、厳しい事を言わせて頂くと、今の中小企業を全て生かして、経営を改善する程度や働き方を変える程度と云う、表面的な改革の議論をして居る内は、これから日本に遣って来る危機を乗り切る事は出来ません。「中小企業改革」をする事無く、日本の明るい未来は遣って来ないのです。

 その中小企業改革の神髄は、中小企業の規模を大きくして、大企業と中堅企業を増やす事です。人口が減るので、それは結果として中小企業の数が減る事を意味します。

 何故中小企業の数を減らさ無ければ為ら無いか

 先ず、企業の規模が大きく為れば成程生産性が上がる、と云う経済の大原則があります。これは日本も例外では無く、業種別・都道府県別の平均企業規模と、生産性は見事な程一致して居るのです。だから、生産性向上は企業の規模が拡大する事を意味します。
 企業規模が大きく為れば分業が出来ますので、社員の専門性が上がって一人ひとりが自分のスキルを最大限に発揮出来る様に為ります。小さな企業よりも利益が集約されて、絶対額が大きく為りますので研究開発や人材開発等にも力を入れる事が出来ます。そして、中堅・大企業は体力があるので、生産性に大きく影響を及ぼす輸出をする事が出来ます。

 日本の中小企業の中には大企業に負け無い技術力を持って居るとか、大企業の中にも生産性の悪い会社だってあるとか反論をする方もいらっしゃるかも知れませんが、それは飽く迄個々の特殊ケースであって、国の経済全体を考えれば、カギが企業規模に有るのは疑い様の無い事実なのです。
 中小企業だって頑張って居る、技術レベルの高い労働者が犠牲と為ると言われますが根拠が有りません。合併をすれば、その労働者はより安定的な職場でより豊富な経営資源を活用して、中小企業で発揮出来無かった自分の技術を最大限迄発揮出来ます。要するに、中小企業で働いて居る事によってスキルが高く為ったと云う事実も無ければ、中小企業で働か無いといけないと云う事実も無いのです。
 又、規模が大きく為れば社員の働き方にも余裕が出来るので、有給休暇の取得率が上がります。当然、産休や育休の取得もハードルも下がりますので、女性活躍を促す事が出来ます。

 要するに、政府が進める「働き方改革」と云うのは、企業の規模を大きくする事によって初めて可能と為るものであって、それが無くしては、女性活躍や有給休暇に関する、どんなに厳しい規制をしても、どんなにPRをしてもそれ程効果は無いと云う事なのです。
 しかし、残念ながら日本では、経済学者、官僚、経営者と云う人々でさえ、殆ど「企業規模」の重要性を理解して居ません。それを好く示して居るのが、日本の製造業の生産性が高く、サービス業の生産性が低い事に付いての「俗説」です。

 この業種による生産性の「差」に付いて、一般的には「日本人はものづくりに向いて居るから製造業は生産性が高い」「日本のサービス業は損得を度外視したおもてなしの文化があるので生産性が低い」と云う様な国民性を好くおっしゃいますが、これは何の科学的根拠も無い思い込みです。寧ろ、自分達が理想とする国民性や文化をベースにした解釈と云う意味では「妄想」と言っても好いかも知れません。

 では、その様な先入観を抜きに客観的、科学的に分析をすればどう為るのかと云うと、企業規模以外に答えは見付かりません。日本の製造業の企業規模は平均すると、サービス業の平均よりも2倍以上大きいのです。それだけです。国民性では無いのです。何故製造業は企業規模が大きく、サービス業は小さいのかと云う事の理由は、次回詳しく検証します。

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 「聖域」に踏み込むべき3つの理由





 

 さて、この様な「企業規模」の重要性を訴えても「聖域」である中小企業のこれまでの有り方を変えたく無いと云う反発が予想されますので、日本が国として中小企業改革を断行しなくてはいけ無い、3つの本質的な理由を挙げておきましょう。

 1. 社会保障の負担が増える一方なのに、それを担う生産年齢人口が42.5%も減少するから
 2. 日本は他の生産性の高い先進国と比べて相対的に、小さな規模の企業が非常に多いから
 3. 人口減少が進行して、生産性の低い企業の割合が自然に減って行かないから

 先ず、1に関してはこれ迄の著書や連載でも度々お話をして居るので詳しい説明は不要でしょう。負担が雪ダルマ式に増える社会保障の費用を捻出する為にも、GDPを縮小させてはいけません。そして、GDPと云うのは人口×生産性ですので、人口が減る為らば生産性を上げるしかありません。かけ算を習って居れば、小学生でも判る簡単な理屈です。そして、生産性を上げるには企業規模を大きくすると云う事が、最も確実で最も効果のある方法なのです。

 次の2に関しては、アメリカが判り易いでしょう。彼の国の労働人口は49.8%が大企業で働いて居て、20人未満の小規模事業者で働く労働人口は全体の11.1%に過ぎません。詰まり、企業規模の大きな会社で働く人の割合が多いので生産性が高いと云う、経済の原則通りの現象が起きて居るのです。
 これに対して、日本はどうかと云うと、大企業で働く労働人口は全体の12.9%で、87.1%の労働人口が中小企業で働いて居ます。又、20人未満は20.5%とアメリカの2倍近い水準なのです。

 これだけ小さい規模で働く人の割合が多いと云う事は、ドンなに大企業の生産性を上げても、その効果が他の先進国に比べると可なり小さく、限定的に為ると云う事です。それは裏を返せば、ドンなに大企業が賃金を上げて生産性を高めた処で、問題の根幹である「中小企業」の生産性を上げ無い事には効果が無いと云う事なのです。

 最後の3は、世界一の技術大国だ、ものづくり大国だと言いながらも、何故日本からアップルやグーグル等、ベンチャーから世界的大企業へ成長する会社が現れ無いのか、と云う事が大事な視点です。

 ベンチャー企業と云うのは、人口が増えて居る国で多く誕生します。世界的に見れば、新しい企業と云うのは、起業する時点の技術等をベースにして居るので、その国の平均生産性よりも高い生産性を最初から実現して居る事が多いです。詰まり、人口が増えれば増える程、産業構造の中で、生産性の高い企業の割合がドンドン増えて、生産性の低い企業による悪影響が希薄化されるのです。
 過つての日本の様に人口が右肩上がりで増加している国と云うのは、国が上手な中小企業支援策を実施すれば、ソニーやホンダの様にベンチャーから成長を遂げた大企業が増えて、国全体の生産性も向上して行くのです。しかし、残念ながらこれからの日本ではその様な好循環は期待出来ません。人口が減るので、新しい企業も減ります。生産性の低い企業による悪影響は、希薄化される処か顕在化(けんざいか)して行くのです。

 以上の3つの理由を突き詰めれば、結局の処、問題は日本に非常に小さな規模の企業、詰まり中小企業が他の先進国よりも余りに多過ぎると云う事に集約します。日本経済を客観的に俯瞰(ふかん)すれば、中小企業が多い事で、産業構造が非効率と為る等様々な弊害をもたらして居るのは明らかです。

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 「中小企業神話」を打ち破れ


 



 
 只、中小企業改革に強固に反対する様な人々は、日本が高度成長してから、世界第2位の経済大国に迄発展した事と、同時発生的に小さな規模の会社が増えた事を恰(あたか)も因果関係がある様に混同して居るだけです。それが日本の中小企業神話の根源です。
 実は元々日本は中小企業が多かった訳ではありません。それが何時かを辿って行くと、日本の人口が右肩上がりで増えて居た1964年と云うタイミングを境にして、中小企業の数が爆発的に増えて居るのです。ココから日本は世界でも有数の「中小企業大国」と為って、産業構造がドンドン非効率に為って、現在の様な先進国でダントツに生産性の低い国と為る道を歩み始めるのです。
 人口増加時代の下、その問題は表面化し無かっただけで、今と為って、人口減少によって表面化して居ます。何故1964年に中小企業が爆発的に増えたのか。一体何がこの辺りに在ったのか。次回ではこの日本の命運を大きく変えた「1964年体制」と云うものが何故作られたのか検証する事から始めて行きましょう。


     デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社社長   以上


 【管理人のひとこと】

 デービッド・アトキンソン氏は、本当に好く日本を研究されて居ると感心します。確かに、小規模・少人数の手で何かを夫々が別々に勝手に遣って居ては、重複したり無駄に生産したり無理を重ね、結果は誰の利益にも為ら無い。
 人に使われるのは嫌だと、自分で起業するのは悪くは無いのですが、その様な人がテンでバラバラに夫々が同じ様な事をして居れば、単に競争のみが生じて誰の利益にも為ら無い。しかし、それが自由競争の資本主義経済だと嘯いて居ても始まら無い。

 特に少子高齢化時代を迎えた我が国では、貴重な人材とその志を、有意に集中化し生産性を高める事を意識的に遣って行かないと為ら無いと氏は提言して居る。
 その一つの機動力として、現在は弱体化した組合・・・従業員の生活を守る為の組織の再編が望ましいのでは無かろうか・・・政治や主義・主張から離れた純粋な労働者の生活向上に徹した組織です。賃金・労働環境・将来の生活設定を含んだ外部の社会環境を健全化に全うする組織です。それには、企業単位では無く職業組合の見直しては如何でしょうか。
 同じ職業の人達が横に拡がり、大企業・中小企業・零細企業を飲み込んだ全国規模の組織を育てる事です。組織同士が互いに競争し連結し総合的な向上を目指すのです。大企業と堂々と戦い働く男女の経済的地位を向上させるのです。
 消費増税を遣らねば為らぬとする大組織は既に役目を終えて居ます。徒に政治に口を出し、無様な態度を続ける組織は今や社会悪そのものです。もっと健全で透明な組織は不可能では無いと存じます。



 



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「国民安全保障」の問題を徹底的に考えてみた




 「国民安全保障」の問題を徹底的に考えて観た

           〜東洋経済オンライン 9/20(金) 6:30配信〜


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 そろそろ日本国民も真剣に、自衛隊の在るべき姿を考え、結論を出さねば為ら無い時機に来て居る


 「前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持し無い。国の交戦権は、これを認め無い」

 この1文は、好く知られて居る様に、日本国憲法第9条第2項で記されて居るものである。

 



 自衛隊は軍隊か

 この条文が明瞭に示して居る様に、日本は、所謂「戦力」を保持する事が出来無い。憲法の中核的な理念として平和国家としての理想を掲げ、戦力不保持をその柱として居るからである。もしも日本が「戦力」を持つ必要があるとすれば、それは憲法を改正する事が必要と為る。
 処が、現在の自衛隊が保有する装備に目を向ければ、航空自衛隊は世界でも有数の戦闘能力を有する第5世代戦闘機のF35を保有して居り、海上自衛隊は空母への転用が可能と言われて居る、ヘリコプター搭載型の護衛艦いずもを擁して居る。イージス艦やミサイル防衛等、自衛隊は世界でも有数の最先端の装備を保有して居り、日本は自国民や自国の領土を防衛する為の高い水準での防衛力を持って居る。

 だが、これ等は「戦力」では無い。それは自衛の為の「実力組織」であり「実力」を行使する事は、憲法上許容されて居る。これでは、実に判り難い。日本は、軍隊を持つ事が許されて居るのか許されて居ないのか。自衛隊は軍隊なのかそれとも軍隊では無いのか。憲法が許容する「実力」と、禁止をして居る「戦力」との間で、明確な線引きをする事は可能なのだろうか。
 その様な用語を使い分ける事で、憲法の理念と現実の防衛力整備との間の整合性を確保しようとする政府のこれ迄の姿勢に対して、国民の間で不信感が見られても不思議では無い。その様な判り難く位置付けが不安定な自衛隊の地位を正す為に、憲法を改正する事を求める強い磁力が存在する。

 私が編者と為った『軍事と政治 日本の選択 歴史と世界の視座から』でも詳しく解説して居るが、憲法改正を巡り、これ迄日本政治は、左右の間のイデオロギー対立を繰り返して来た。とは言え憲法改正を主張する保守勢力の側も、憲法改正を阻止しようとするリベラル勢力の側も、自衛隊の憲法上の位置付けが不安定なものであると云う事に付いては、恐らく意見を一致させて居るのではないか。

 問題は、自衛隊の憲法上の位置付けに付いて不安定な状態を解消する為に、憲法改正が必要か或は不必要かと、政治的立場が分裂して居る事である。 2012年に自民党が発表した憲法改正草案において、9条2項を次の様に改正する事が提唱されて居る。

 「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保する為、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」
 
 この自民党の憲法改正草案では、1954年に吉田茂政権下で設立された自衛隊を「国防軍」と云う名称に変更して、所謂一般的な軍事組織へと変貌させる事が提案されて居る。現在の自衛隊の規模・予算・装備・任務を考えた時に、何時までもこれを「軍隊では無い」と言い続ける事は確かに不自然である。
 それでは、国民はこの問題をどの様に考えて居るのか。2018年4月にNHKが行った世論調査では「今の憲法を改正する必要があるか」と云う問いに対して「改正する必要があると思う」と答えたのが29パーセント「改正する必要は無いと思う」と答えたのが27パーセントと、ホボ拮抗して居る。

 他方で「どちらともいえ無い」と返答したのが、最も多い39パーセントで、「わからない」と答えたのが5パーセントであり、これ等を合計すると44パーセントが態度を保留して居る。
 言わば、日本国民の多くは、自衛隊の活動に高い信頼を置いて居るのに対して、自衛隊が軍隊であるかどうかと云う問題に付いては、態度を決め兼ねて居ると言えるだろう。これから日本が、どの様な危機に直面するのか判ら無い。

 1990年の湾岸戦争も、1995年のオウム・地下鉄サリン事件も、2001年の9.11テロも、2011年の東日本大震災も、日本国民の多くを驚愕(きょぅがく)させた。安全保障上の脅威は、見え無い処から遣って来る。そろそろ日本国民も真剣に、自衛隊の有るべき姿を考え、結論を出さねば為ら無く為るであろう。議論の引き延ばしは最早限界である。





 政軍関係と云う宿痾(しゅくあ)

 2018年は、明治維新150年を記念する年であった。過去150年間、日本は政軍関係の問題に対する苦悩を続け、その問題への望ましい答えを導け無いで居る。戦前においては、明治憲法の下で陸海軍の統帥権は天皇に在るとされて居た。言わば、憲政上内閣が陸海軍を統制する事が困難なのであって、政府と軍事組織との関係を巡って様々な試行錯誤が行われて来た。
 最終的に、真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争を経て、日本は連合国に無条件降伏を喫して、明治憲法体制は崩壊する。だが、明治憲法体制の崩壊を以て、政軍関係を巡る日本の問題が解消した訳では無かった。言わば、近現代の日本の歴史において、政軍関係を巡る問題は宿痾(しゅくあ)の如く、繰り返し痛みを伴った困難をもたらしたのである。

 戦後の日本は、新憲法の下で、9条2項において「戦力不保持」を宣言した。処が「戦力不保持」と云う措置が、自動的に日本の安全を保障して呉れる訳では無い。一方では日米安保条約によりアメリカの圧倒的な軍事力の庇護の下に入り、他方では自衛隊を創設して日本への侵略を阻止する為の態勢を構築しようと努力を続けて来た。
 この両者が車の両輪の如く、戦後日本の安全を維持する事に貢献して来た事を指摘したい。但し、現実世界における安全の確保の為の努力の蓄積は、必ずしも望ましい形での政軍関係が確立される事を前提として居なかった。それは残された宿題として、日本国民に問いを投げかけ続けて居る。

 戦前の日本においては「不磨(ふま)の大典」である欽定憲法(きんていけんぽう)に記された統帥権が天皇に帰属する事から、国民は望ましい政軍関係を構想する機会を大きく制限されて居た。
 他方で戦後日本においては「戦力不保持」と云う憲法の理念と自衛隊と云う「実力組織」の存在と云う矛盾から、国民は目を逸らす事でこの困難な問題を放置し続けて来た。戦前においても戦後においても、幅広い国民的な討議に基づいて政軍関係の構想を固める事が出来ずに居る。望ましい政軍関係を模索する試みは、戦前の日本政治でも戦後の日本政治でも、言わば「隠された論争」と為って居たのである。

 



 政軍関係におけるトリニティ

 しかしながら、ここで1つの重要な問題に直面する。それは「政軍関係」と云う用語を用いる事の限界である。政軍関係は、英語では「シビリアン・コントロール」(文民統制)「シビル・ミリタリー・リレーションシップ」(民軍関係)と称されて検討される事が一般的である。
 即ち、日本語での「政軍関係」と、英語での上記の様な2つの用語は、基本的に異なる概念である為に、議論にズレが生じてしまう。

 現在では日本においても、この問題は「政」と「軍」の2者の間の関係と云うよりも、より広い視座から論じられる事が多い。言わば「軍事組織と社会(armed force and society)」との関係として、様々な問題が論じられて居る。その中の1つの側面として文民統制の問題がある。

 イギリス国防省が2011年に刊行した『軍事組織盟約(The Armed Forces Covenant)』において、この問題は「軍事組織(armed forces community)」「国民(nation)」「政府(government)」との3者の関係として論じられて居る。
 政府がどの様に軍事組織を統制するかが「政軍関係」の問題であり、国民がいかに軍事組織を統制するかが「文民統制」の問題である。

 但しそれは、統制に付いての問題だけでは無い。究極的には生命を失う覚悟を含めた自己犠牲を強いる事に為る軍人に対して、国民や政府がその困難を理解して、共感し尊敬の念を抱き、更には補償措置も用意して初めて、軍人も又その様な統制に服する事に為る。それは相互的な関係であり、三角関係の3つの辺の全てにおいて信頼関係が必要と為る。
 戦前の日本においても戦後の日本においても、結局の処この3者の間での望ましい調和的な信頼関係を構築する事が出来無かった。確かに明治憲法体制下においても明治の初期には、政治指導者と軍事指導者との両者の間で円滑なコミュニケーションが可能と為り、その事が相互の信頼と政戦両略統合が可能と為って居た。

 問題は、その後に陸海軍の指導部が、国民や内閣に対して優越的な地位を模索する様に為り、相互の不信感が拡大して行く事であった。他方で、戦後の日本においては「実力組織」としての自衛隊を統制する事ばかりに議論が集中して、望ましい調和的な関係を構想する機会が限られて居た。
 即ち、戦前においても戦後においても、この3者の間で望ましい信頼関係が醸成される事には限界があったのだ。





 「軍による安全」「軍からの安全」「政治からの安全」

 それでは、戦前においても戦後においても、何故日本では健全な形で政軍関係に付いて議論が発展して来なかったのか。3つの視座からこの問題を考えたい。即ち「軍による安全」「軍からの安全」そして「政治からの安全」である。
 戦前の日本では「軍による安全」が余りにも重要視される事で、陸海軍が日本政治において優越的な地位を得る機会がシバシバ見られた。それは、対外的な危機意識から明治維新が起こり、更には自国の安全を求めて「富国強兵」としての近代化が進められた現実を背景として居る。

 国民の間で対外脅威認識が高まれば、必然的に国民は「軍による安全」を求めるであろう。その事が、戦前日本における政軍関係における両者の間の均衡を崩し、軍事組織の発言権が拡大する契機と為った。他方で戦後の日本では、戦前の経験の反省の上に立って「軍からの安全」が模索される様に為る。
 「軍からの安全」を過剰に求めた結果「実力組織」である自衛隊は軍事組織が備えるべき機能の幾つかを奪われて、実効的な運用を行う上での障害が山積して行った。何れの場合においても、軍事組織と国民との間に、十分な信頼関係が醸成され無かった事が、摩擦や機能不全の原因であった。

 更に「政治からの安全」も又、日本型政軍関係を理解する上で重要な視点と為るだろう。即ち、作為であれ不作為であれ「誤った政治」が国民の安全を損ない軍事組織の活動を歪める事がある。その様な政治の介入から、職業的で中立的であるべき軍事組織を守る事も又重要と為る。
 取り分け、ポピュリズムが苛烈と為り、更には宗教過激派が政治権力を握る事も有る現代世界においては、「政治からの安全」と云う視角は重要であろう。

 



 国家形成と政軍関係

 何故政軍関係が重要な問題なのか。それは発展途上国においては国家形成と政軍関係の発展が緊密に結び付いて居るからである。問題は、民主化への移行後に、軍隊が政治権力を文民政治家に戻すと云う「民政移管」が実現するか否かである。
 逆説的にインドネシアでは、国民から軍事組織が高い信頼を得て居る事で、政府が十分に軍隊を統制出来無い事である。国家建設と国民統合が軍事組織を中核に実現した場合には、取り分けその傾向が強い。

 他方で先進民主主義国として、政軍関係における1つの模範と見なされる事も多いイギリスにおいて、新しい種類の問題が浮上して居る。
 イギリスも又インドネシア同様に、17世紀のイングランド内戦の時代の国家形成の頃に、議会勢力の擁護者として陸軍が成立した経緯がある。国家形成と国民統合、そして国軍建設は緊密に結び付いて居る。処が、人権意識が高まり、国民の政府に対する要求が反映され易い現代において、政府が軍人に十分な水準の補償を提供する事は容易では無い。
 取り分け、冷戦後の国際社会で、積極的な海外での軍事介入を続けるイギリス軍の場合には、アフガニスタン戦争やイラク戦争でイギリス軍人の犠牲者数が増加する中で十分な説明を行う事は、容易では無かった。

 夫々の国で夫々の難しい問題を抱えて居る。国家形成や国民統合の形に応じて、夫々の国で政軍関係が抱えて居る問題も異なる。換言すれば、政軍関係に光を当てる事で、夫々の国の国民統合の様相をより深く理解出来るのではないだろうか。そこに、現代政治において政軍関係を論じる重要性が示されて居る。

 「国民安全保障」の構想

 国民統合の1つの態様として政軍関係を考える事は、安全保障問題を国民が自らの問題として包容する事を意味する。「ナショナル・セキュリティー」と云う言葉は、これ迄日本語では「国家安全保障」と訳されて来た。
 それが「国家」の問題、即ち政府の問題として矮小化されて「国民(ネーション)」自らが考えるべき問題として、直視する事を避けて来た傾向が見られる。国民が自らの問題として防衛問題を直視せずに、自衛隊と云う「実力組織」にその判断を委ねてしまうとすれば、望ましい政軍関係が育まれ無いであろう。

 冷戦後に日本国民が経験した湾岸戦争も、オウム・地下鉄サリン事件も、対テロ戦争も東日本大震災も、何れも「ナショナル・セキュリティー」が脅(おびや)かされる経験であった。問題は、その様な危機を直視して、国民の安全を確保する為に、果たしてどの様な措置を執る事が望ましいのか、そして自衛隊がどの様な活動を行う事が必要なのかに付いて、十分な議論が深まって来なかった事である。
 国民が自らの問題として、安全保障問題を直視して、自らの問題として安全を確保する努力を行う事。歴史比較と国際比較の2つの座標軸を用いて、問題の本質を抽出すると共に、今後の日本が進むべき針路に付いて考える必要がある。


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          細谷 雄一 慶応義塾大学 法学部教授  以上







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【芸能界うらばなし】「愛のコリーダ」公開後 藤竜也〈2年間仕事なし〉




 【芸能界うらばなし】 「愛のコリーダ」公開後 藤竜也〈2年間仕事なし〉当時の心境は?

           〜バックナンバー 2019.5.11 11:30 週刊朝日〜


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               藤 竜也(ふじ・たつや)氏

 1941年北京生まれ。大学時代に日活に入社。1962年に「望郷の海」でスクリーンデビュー。1976年に「愛のコリーダ」(大島渚監督)で第1回報知映画賞主演男優賞受賞。近作に「人生、いろどり」(2012年)「私の男」(14年)「龍三と七人の子分たち」(15年)「お父さんと伊藤さん」(16年)「光」(17年)等多数。19年公開作に「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」(5月10日公開、小林聖太郎監督)「空母いぶき」(5月24日公開、若松節朗監督)等がある (撮影 写真部・小原雄輝)





 〜もし、アノ時、別の選択をして居たなら。著名人が岐路に立ち返る「もう一つの自分史」俳優・藤竜也さんが登場します。渋みと色気を纏いつつ、時にニコリともせず観客をプッと噴き出させる。そんな魅力的な役者の出発点は「デートの待ちぼうけ」からでした〜


 大学時代にデートで待ちボウケを食らってね。「チットモ来ないナア」なんて思ってたら、中年の男性が近付いて来て「俳優に興味は有りますか」と。元々映画は好きで随分見て居た。「お金に為るよ」と言われてね。「そんなに好い話があるかな?」と思いながら渡された住所を頼りに日活に行ったんです。
 重役さんが数人待って居て「君、名前ナンて云うの」「伊藤竜也です」「伊藤は芸名にはピンと来ないね。『伊』を取れよ」それで「藤(ふじ)」面接ナンてものでも無かったけど、そのママ俳優に為っちゃった。マア大学にも殆ど行か無い学生で「これから、どうしたもんカナ」と思って居た処だったから、渡りに船って云うかね。

 ・・・21歳の時、小林旭主演の「望郷の海」でスクリーンデビュー。その後も石原裕次郎主演の「夜霧のブルース」等に出演を重ねるが、数年は試行錯誤の連続だったと云う。

 芝居ナンて右も左も判ら無いから、困っちゃってね。最初の3、4年はカメラが回ると自分の足が地に着いて居るのか判ら無い様な、そんな状態でした。でも遣る為らば、或る程度の落とし前をつけ無いとダメだなと思ってね。自分為りに「演技とは何だろう」と考え始めた。簡単には判ら無かったですけどね。

 ・・・最初の転機と為ったのは、1969年の「野獣を消せ」基地の街を舞台に、過激な暴力と非道を繰り返す若者グループのリーダーを演じた。

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 台本を読んだ時に「これは、出来そうだ!」って感じがしたんです。僕に決まって居た役じゃ無くて、偶々手に取った台本を拾い読みしちゃったんですけどね。このどうしようも無く悪い青年って俺じゃ無いか?この役を理解出来ると感じた。それで「俺、アノ役遣りたいんだけど」と周囲に言って居たら、監督の耳に入って役を頂けたんです。

 映画と云うものは、ヤッパリ大なり小なり時代を反映して居るんです。当時は若者達が既成のものを否定する様な、物凄いエネルギーが在った。そう云う時代の空気を役へのアプローチにして、狂気とも言える様な野獣を演じた。これがひとつの転機だったカナ。役者を続けて行けそうだと切り口が判ったと云うかね。

 



 ・・・1976年、更に大きな転機が訪れる。大島渚監督の「愛のコリーダ」だ。阿部定事件をモチーフに男女の情愛を官能的に描き、映画史に残る名作であると共に問題作ともされて居る。
 
 矢張り大島さんとの出会いは大きかったです。「愛のコリーダ」は結果的に問題作として扱われ、僕も世間にそう云うラベルを貼られもしたけど、逆にそれがバネに為りましたしね。
 毎日、飯を食う様にセックスをしてる二人。そう云う風に惚れ合うのって好いな、こう云う切り口のラブストーリーも有るのかと思った。アノ切り口で一種の純愛を描く大島さんは凄いなと。大島さんは撮影中に「こうしろ」とかの演技指導は一切しないんです。「愛の亡霊」(78年)と2作で使って頂いたけど、どちらでも「ダメだ」とか一辺も無かった。
 役者に取って代表作と云うものを持てることは僥倖(ぎょぅこう)ですから。それが僕に取っては「愛のコリーダ」だったと思います。

 ・・・海外でも高く評価された「愛のコリーダ」だが、日本では物議を醸し、その後、出版物を巡る裁判にも発展して行く。

 アノ映画は出資者がフランス人でフランス映画。日本映画じゃ無いから、映画そのものではワイセツ罪に問え無かった。そこで大島さんが出した台本と写真の入った豪華本が「わいせつだ」と起訴されたんです。
 僕の方も公開後、次の「愛の亡霊」迄の2年間、一本も仕事が無かったんです。でも全く気に為ら無かった。清々しいものでしたよ。「遣るべき事を遣って、それで終わるならそれで好いじゃん」と思って居た。
 仮にアノ時「これから、自分は社会的にどう為るんだろう」とか何かで怖がって演じたら、演技もダメだったと思うんです。僕はこの物語を純粋な話だと心から思ったんです。それに自分が賭けたんだから、それでダメに為ったらそれで好いと。

 実際、アノ2年間、毎日が楽しくて仕方無かった。当時はスカッシュに凝ってましてね、毎日スカッシュ三昧(ざんまい)(笑)。もう結婚して息子も居たのに全然気に為ら無かった。凄いエネルギーが有ったんです。「大丈夫だ!」と云う根拠の無い自信みたいなものがね。それに周囲にネガティブな見方をされると、それをポジティブにして遣ろう、乗り越えて遣ろうと燃えるじゃないですか。で、2年後に大島さんの「愛の亡霊」に出演し、その後にNHKの銀河テレビ小説で主役の話が来た。

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 ・・・実は68年、日活のスターだった芦川いづみさんと結婚した時も、冷たい目で見られたと云う。藤さんが、俳優として現在程の地位を築く前のことだ。

 彼女とは一緒に仕事をして、マアそう云う事に為って1カ月位で結婚したんです。どんな処が好かったかって?そりゃあ判りませんよ(笑)言葉で説明出来無いでしょう。でも1カ月ですから、何と無くね、お互いに何かを感じたんでしょうね。
 結婚後、女優を辞めると云うのも彼女の意思です。これは余程頑張ら無きゃと思いましたよ。でもね、当時はスタッフも皆僕のこと「無視!」ですよ。そう云うのがね、僕は好きなんですよ。ドチラかと云うと打たれ強いのかも知れない。そう云う状況に為るとアドレナリンが出るんです。
 「ようし、オモシレエじゃん!」みたいな。それに少数だけど僕を支持して呉れる人も居てね、寧ろ結婚後の方が野心的な役を貰える様に為りました。


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 ・・・俳優人生も56年。様々な役を演じて来た。新作「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」は結婚50年程に為る夫婦が主人公。藤さんは飼い猫の「チビ」を可愛がる倍賞千恵子さん演じる妻に、或る反乱を起こされてしまう亭主関白な夫を演じて居る。

 



 丁度、うちも結婚して50年なんです。夫婦で寄り添って来た老夫婦の空気がどんなものかと云うのは毎日、実生活で遣って居ますから。只、この主人公は余り細やかで無いし、普通の話が出来無い男。彼にして観れば、居間で新聞を読んで居ると妻がソコに居る。
 そんな空気に幸せを感じながら、日々暮らして居る訳です「この人が居なく為ったらどうしよう」ナンて考えてるかも知れないけど、チャンとした言葉で「ありがとう」と言え無い。でも、僕はチャンと言ってますよ。年を取れば取る程、妻には優しく為りますね「本当に申し訳無い事ばっかりして来た。ありがとう!」って。

 父を子供の頃に亡くし、僕は母子家庭で育ったんです。母は何軒かのレストランで働いて、3人の子を育てて呉れた。だから「父像」は判ら無い。それに幾ら夫婦でも「本当にこの夫で、こんな父親で好かったのか?もう少しマトモで有って欲しかったのでは?」ナンて心のヒダまでは問えませんよ、怖くて。

 ・・・自身、映画で猫と関わるシーンは殆ど無いが、実は猫好きで3匹飼って居た事がある。50代から陶芸に凝り、個展も開く程の腕前だ。

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 陶芸は足掛け20年位趣味で遣って居ましたけど、もう辞めました。作品展を遣ったりしてると、段々趣味を超えて「作らなきゃ」と為る。そう為ると負担に為って来ちゃうんだね。俳優の仕事もね、為るべく少ない方が好いと思ってる。食って行ける程度あれば、それ以上のお金は要らないし、遣り過ぎると飽きるんですよ、キッと。沢山仕事をし過ぎると、僕みたいな拙(つたな)い才能の男は多分ダメに為っちゃうんです。
 泉の様に湧き出る才能がある人はズッと遣り続けても好いんだろうけど、僕はそうじゃ無い。自分に合った遣り方で遣ら無いとね。だからエネルギーを溜めて「アア、俺はこのママだったら、将来は飲んだ暮れのジジイじゃないか!何とかしないと!」と渇望した時に俳優を遣る。そうすると勃起するんですよ、精神がね。だからそのエネルギーを溜めて居る時に、陶芸をしたり絵を描いてみたりするんです。

 役には勿論没入します。だってそれが楽しいんだもん。自分の肉体を貸して他の人間を描いて行くなんて、絵描きみたいなものですから。体がまさに筆に為る訳で。役に苦しむ事もありますよ。何もして居ないと1カ月ナンてアッと言う間だけど、役で苦しんで居る時は、1日がナカナカ終わら無い。時間が「伸びる」感覚ですよ。面白いよね。
 年を重ねても、一つの仕事を頂いて、それに入る時の瑞々しい感じは、始めた頃と何も変わって無いですね。只、今は仕事を頂いたら、それを遣り切るまで死んじゃいけ無いな、と思いますけどね(笑)


  (聞き手/中村千晶) ※週刊朝日  2019年5月17日号   以上


 



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消費税が「悪魔の税制」と言えるワケ・・・お金は知って居る 




 政治も「ガチョウの沈黙」に便乗!?  

 消費税が「悪魔の税制」と言えるワケ お金は知って居る

          〜夕刊フジ 9/20(金) 16:56配信〜






 【お金は知って居る】

 日本の法人税率は29・74%と云う建前だが、ソフトバンクグループは税引前純利益1624億2200万円もあるのに、納税額は500万円税負担率0・003%。日本製鉄は税引前純利益1109億2200万円、納税額は16億1500万円税負担率1・46%
 これは、元国税マンで税制研究の大家の富岡幸雄・中央大学名誉教授が近著『消費税が国を滅ぼす』(文春新書)で明らかにした。

 大企業が真面に納税すれば約9兆円の税増収と為り、消費税増税は不要処か消費税減税が可能に為ると云う。消費税率を下げれば、家計の消費は上向き内需は拡大、20年以上もの間日本経済を停滞させて来たデフレ圧力は解消し日本再生の見通しが立つ。
 消費税増税による日本経済破壊ぶりを論じて来た拙論に取って、まさに正鵠(せいこく)を居た想いだ。消費税と云うのはツクヅク「悪魔の税制」だと思う。

 消費税を世界で初めて導入したのは第二次世界大戦後のフランスだが、その基本的な考え方は17世紀、ルイ14世の財務総監、ジャン・バティスト・コルベールの「徴税の極意」に由来する。
 吉田寛・千葉商科大学教授の近著『市場と会計』〔春秋社〕によると、コルベールは、生きて居るガチョウを騒がせずにその羽を出来るだけ多くムシリ獲る事だと嘯(うそぶ)いた。騒ぐと厄介な貴族や僧職には課税せず、宮廷に出入りする事の無い平民を徴税の対象とした。





 日本でも消費税が1989年に導入されて以来、財務官僚は何かと煩い財界には法人税率を引き下げる一方、収入をムシリ取られても大人しい家計に対しては消費税率アップで臨む。そればかりか、法定税率は飽く迄も見掛だけで、内実は企業規模が大きく為れば成程実際の税負担率は下がって居る。忠実に税を納めて居るのは主に中堅規模の企業だと云う。
 日本国の国土、文化・伝統や国民の献身等アラユル資源を最大限利用して居るソフトバンク、日本製鉄の様な超大企業が巨大な利益を稼いで居るのに税負担が小さくても、お上から咎め立てられる事は無い。

 政治の方も「ガチョウの沈黙」に便乗して居る。安倍晋三政権は、消費税率を2014年度にそれ迄の5%から8%に引き上げたばかりか、今年10月には10%とするのだが、安倍政権は消費税増税にも殆ど影響されずに安定した世論の支持率を保って居る。
 このママだとどう為るか。家計なるガチョウは1997年度の消費税増税以来の慢性デフレに苛(さいな)まれて居る。子育てや教育にカネの掛かる30歳から50歳未満の世代の2018年の給与は2001年よりも少ない。

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 グラフは家計消費と消費税・法人税・所得税等一般会計税収総額の推移である。税収増減額はホボピッタリと家計消費増減額に連動して居る。政府税収は消費税率を上げ無い限り増え無い。法人税は上記の様な不公正振りだ。ガチョウを太らす事を考え無い処か、やせ細ろうとも気にしない。そして平然と毛をムシリ取る。


           産経新聞特別記者  以上






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2019年09月20日

人口急減時代の「日本」と云う国のたたみ方




 人口急減時代の「日本」と云う国のたたみ方

          〜東洋経済オンライン 9/20(金) 5:50配信〜


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       佐々木 信夫 行政学者 中央大学名誉教授 法学博士





 〜人口減少時代を見据え、国と地方の統治システム全体を賢く畳(たた)み、再構築する必要性が明白に為って居ます。
 2018年は明治維新から150年の節目の年でした。西郷どんコト西郷隆盛等維新革命を起こした人物がテレビ等で話題に為り、明治維新150年を祝う行事も各地で行われました。明治維新へのこうしたノスタルジーは、日本に今何と無く漂う不安感、先の見え無い閉塞感の表れなのかも知れません〜



 経済の「広域化」自治体の「狭域化(きょうえきか)」

 これから日本は、歴史上経験した事の無い人口減少期に入って行きます。明治維新からここ迄の150年間、只管ヒトは増え、所得は増え税収は増えました。成長の続く「右肩上がり社会」でした。人口は1世紀で3倍強に増えました。日本に取って20世紀は異常な「人口大爆発」期でした。しかし、この先は坂を下る様に人口が減り始め、年を追う毎に下り坂がキツク為って行きます。
 染み付いた過つての成功体験に囚われる事無く、時代に合う様色々な分野で見直しが必要に為って居ます。筆者の専門分野である地方自治に関して言えば、人口減少時代を見据え、国と地方の統治システム全体を賢く畳み、再構築する必要性が明白に為って居ます。

 1つ数字を挙げて置きましょう。現在、人口100万人に届か無い県が既に10県有ります。しかし、2045年には、これが19県に増えると見られます。しかも人口の減り方が凄まじいのです。現在97万人の秋田県は60万人に迄減る予定で、このママでは人口70万人規模の政令市よりも人口が少無く為ってしまいます。
 市町村と云う「基礎自治体」と、県と云う「広域自治体」の逆転現象がアチコチで生じて行くのです。人口減少は、都道府県と云う広域自治体の持続可能性に疑問符を着けざるを得無い程、劇的に進んで行くのです。

 今「広域化」が世界の1つの潮流に為って居ます。EU(欧州連合)は言うに及ばず、お隣の中国は、アジア・ヨーロッパ・アフリカ大陸に跨る経済圏「一帯一路」構想を掲げて居ます。香港・マカオ・広東省の9市を1つにマトメて6900万人の巨大都市を作る「グレーターベイエリア構想」も動き始めて居ます。
 日本にも東京・名古屋・大阪の間にリニアを通して1時間で結ぶ予定があり、数字上此処に6000万人のメガリージョン(大都市と周辺都市で構成される新しい経済活動単位)が生まれるかに見えますが、果たして現在の細切れな都道府県体制のママで上手く行くのか疑問です。
 1つのメガリージョンの中とは言え、各県には公選の知事・議会・独自の計画・予算が夫々に有り、夫々が自己主張をする可能性が高いからです。





 47都道府県の枠組みは時代に合うか

 時代は大きく変わって居ます。人口減少で「入れるもの」が少無く為って行くのに「入れる器」が人口増時代のママと云うのは常識的に考えて可笑しいです。中でも移動手段が馬・船・徒歩の時代に作られた47都道府県と云う枠組みは、現在の高速化し広域化した時代には合って居ません。
 人々の生活、経済の活動が「広域化」して居るにも関わらず、行政の仕組みは事実上「狭域化」して居るのです。今の都道府県は、恰も47の国であるかの様です。ひと頃、改革派知事らが中心に為って東北・中部・関西・九州等幾つかの県をマトメる広域圏行政の仕組みを模索した事がありましたが、今は自治体主導によるこうした府県の地域連携は、関西広域連合等一部の例外を除き無く為って居ます。

 知事も職員も議員の多くも自県の事以外は殆ど知ら無い。隣接県の人口も計画も予算も関心すら無い状況です。地方自治における都道府県の壁は実に高く厚いのが実際です。
 47知事の集まる全国知事会の様子を見ると、日銀の支店長会議に似て居ます。知事同士での論戦、地方からの提案は殆ど無く、総務大臣や国の官僚からの一方的な話を粛々とメモして帰る。何処か上意下達の風土が宿って居る。知事は相互に当たらず障らずで、こうした風土は自県至上主義の表れとも言えるでしょう。

 各県の横並び意識による「隣に有るからウチにも作る」と云う「フルセット行政」の蔓延(まんえん)が、日本の財政を悪化させて居ます。広域圏に1つ在れば十分な空港が各県に1つ2つと作られ、アメリカのカリフォルニア州1州の面積しか無い日本に、ヘリポートを除いても97もの空港が出来て居ます。しかも、その9割以上が赤字なのです。
 海外交易の拠点として大型船の出入りする基幹港湾も広域圏に1つ在れば十分なのに、各県は競う様に小舟しか入港出来無い港を次々と作って来ました。結果、海運の国際競争力は落ち、韓国・香港・シンガポールに交易の主力港を奪われて居る始末です。





 行政圏をリセット

 経済活動の範囲が広がり、人々の活動が広域化した今、自県に篭り自県の事だけを考えて居ても発展はありません。そうでは無く、夫々の県が持つ好さを広域圏の中で生かし、潜在的な資源・人材等を互いに出し合ってブレンドし、自由な交流と地域の魅力をアピールして攻勢に出るべき時です。
 世界がそうである様に、国内も今やボーダーレス社会です。経済圏と行政圏を一致させてコソ力が出ます。現状の狭域圏でのフルセット行政に思い切った改革のメスを入れ、東京一極集中を緩和して日本全体に活力を生む統治の仕組みに変え無ければ為りません。

 広域化した地域圏に合う様行政圏をリセットし、各広域圏が主体的に競う様な形にすれば、活力が生まれます。自治体の職員らも狭い圏域に閉じ篭る事無く、もっと能力を発揮出来る。古い上着を脱ぎ捨て、新しい上着を纏(まと)う。そうした新たな「国のかたち」を作って行く事が、今最も重要な政治の仕事ではないでしょうか。

 日本は戦後、アメリカのカリフォルニア州位の面積しか無い所に高速道・新幹線・ジェット空港の3大高速網を張り巡らせました。結果、移動の利便性は飛躍的に高まって居ます。しかし、政治行政の意思決定の仕組みは依然中央集権のママであり、企業本社の多くが東京に集まったママです。
 この集権構造に高速網を通じたストロー効果も加わり、東京集中は益々進んでしまいました。戦後の日本が一貫して続けて来た高速インフラの整備は、元々は地方分散型の国土を目指したものでしたが、狙いとは逆の結果に為って居ます。

 それは、ソフトインフラとも言うべき高次の意思決定の仕組みを集権構造のママ温存して来たからです。移動に時間は掛かりませんが、移動のコストが高過ぎる点も分散の進ま無い要因です。こうした人の流れを変える構造改革コソが、日本が今最も必要として居る国家政策ではないでしょうか。





 改革の時代は終わったのか

 最近、地域の再編とか自治制度の見直しと云う「国のかたち」を変える改革の時代は終わったと云う意見を散見します。これからは、国だろうが自治体だろうが中間的な団体だろうが、社会保障等最低限のサービスを提供すれば好い。極論すれば、最早団体自治の有り方は問題で無く、住民自治の有り方コソが問題だと云うのです。
 そうでしょうか。確かにAIなどハイテク技術を公共サービスの分野に活用する必要は有るし、それは進め無ければ為りません。ですが、どの主体がサービス提供者に為ろうが、最少の費用で最大の効果が上がれば統治の仕組みはどうでも好いと云う機能論的な考えで上手く行くでしょうか。

 誰がどのレベルで意思決定をし行政経営を行って行くのか、その主体を問わ無いと云う姿勢は少し乱暴ではないでしょうか。時代は右肩上がり社会から、これ迄経験した事の無い「右肩下がり」社会へ急速に移行して居ます。これ迄の目一杯に膨れ上がった仕組みを賢く畳み、再編して行く事がどうしても不可欠です。

 近著『この国のたたみ方』では、そうした問題意識から、今議論の欠けて居る「中長期から観た国のかたち」に付いて考察して居ます。


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         佐々木 信夫 行政学者 中央大学名誉教授 法学博士

                 以上





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