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2019年09月30日

叩かれる程信者を増やす「MMT」の怪しい魅力




 叩かれる程信者を増やす「MMT」の怪しい魅力


           〜プレジデントオンライン 9/30(月) 15:15配信〜


        9-30-10.jpg

 7月都内で行われたケルトン教授(中央赤い服)の講演に集まった、松尾匡氏(ケルトン氏の右隣)・浜田宏一氏(その隣)・飯田泰之氏(左隣)等日本の経済学者や研究者  筆者撮影







 日本経済の有り方がMMT理論の正しさを証明

 「MMTがココ数十年主張して来た事が正しいと立証して呉れた」

           9-30-11.jpg

              ステファニー・ケルトン教授
 
 7月に来日したニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授はこう話す。MMT(Modern Monetary Theory現代貨幣理論)とは、独自の通貨を発行出来る国は、低インフレが続く限り無制限に国債を発行出来ると云う主張。米国で論争を巻き起こして居るが、ケルトン教授は今の日本経済の有り方が、その理論の正しさを証明して居ると云う。        
 
 「れいわ新選組」はMMT支持を鮮明にした

 米国を中心に突然巻き起こったMMT旋風。民主党左派のアンドレア・オカシオ・コルテス議員が旋風を巻き起こす原動力と為ったが、それ以上にこの旋風の裏には財政緊縮派(主流派)が主導する経済が大きな壁にブチ当たって居ると云う現実がある。

       9-30-12.jpg アンドレア・オカシオ・コルテス議員

 2015年1月、ギリシャで急進左派連合と右派の独立ギリシャ人による連立政権が樹立された。新政権はEUの財政緊縮路線に反旗を翻(ひるがえ)し、大幅な赤字予算の編成を訴えた。この動きを封じ込めたのがEUの盟主とも云うべきドイツとフランスを中心とした主流派。
 押さえ込まれたとは言え、ギリシャの連立政権が提起した積極財政論が、燻って居た反緊縮派に火を点けた。イタリアでは極右の「同盟」と左派の「5つ星運動」が手を結んで連立政権を樹立した。この政権は内部対立から遂最近瓦解したが、左翼と右翼が手を結んだ裏には反緊縮で、EUに一矢報い様とする政治的な思惑があった。

        9-17-25.jpg

 安倍一強で政局に波風ひとつ立た無い日本。立憲や国民等既成野党の支持率は低迷したママだ。そんな野党を尻目に「れいわ新撰組」が反緊縮にMMTを結び付けて政界に波紋を巻き起こした。
 「れいわ新撰組」は参議院選挙では予想外の票を獲得、重度身体障害者2人を国会に送り込んだ。選挙公約は@消費税廃止A奨学金チャラ(徳政令)B全国一律最低賃金1500円等、兎に角分かり易い。財源としてMMTを受け入れ「新規国債の発行」を容認した。これによって大胆な財源の投入が可能に為り、公約のアピール度が高まった。

 ちなみに立憲民主党の選挙公約は「立憲ビジョン2019」5つあるビジョンの第1は「ボトムアップ経済ビジョン」ここでは暮らしから始まる経済成長がテーマ。第2は「多様性ビジョン」個人の可能性が芽吹く社会へ、第3が「エネルギー・環境ビジョン」原発ゼロを実現し新エネ・環境立国を掲げて居る。
 何れも理念先行気味で、一見しただけでは何を言いたいのか判ら無い。「消費増税凍結」も掲げるが、代替財源は「金融所得課税や法人税等を見直し、税の累進性を強化して公平な税制へ転換します」と歯切れが悪い。

 政権を狙う左派勢力に取って鬼門は、政策の裏打ちと為る財源をどうするかだ。立憲民主の様に金融所得への課税や法人税の見直しを掲げるのは簡単だが、実現可能性と為ると途端に怪しく為る。その点国債の増発は分かり易い上に、取り敢えず有権者の負担も伴わ無い。そこにお墨付きを与えたのがMMTである。政策を訴えたい野党には渡に船とも云うべき理論だ。






 「ばら撒く」キャンペーン

        9-30-7.jpg 立命館大学の松尾匡(ただす)教授

 「れいわ新撰組」は国債発行を容認する事によって財源論をクリアした。代表を務める山本太郎の経済ブレーンは、立命館大学の松尾匡(ただす)教授である。松尾は日本を代表するマルクス経済学者。左翼系経済学者に付き纏(まと)う悲壮感は無く、明るく楽しく経済成長の必要性を説く学者だ。
 その松尾は「薔薇マークキャンペーン」を主宰して居る。緊縮財政に反対し積極財政への転換を求める政治運動だが、その一環として賛同する野党の政治家に薔薇マークのスタンプを贈呈して居る。ちなみに「薔薇マーク」は財政資金を「ばら撒(ま)く」に引っ掛けた造語。松尾らしいネーミングだ。
 
 薔薇マークキャンペーンでは4月の統一地方選挙や7月の参院選挙で、野党候補者に「反緊縮の経済政策」を掲げる様に呼び掛けた。具体的には消費増税の凍結・社会保障や福祉への大胆な財政資金の投入・最低賃金の引き上げ・公共インフラの拡充等。財源は国債である。
 ヨーロッパを初め世界中で今反緊縮キャンペーンが勢い付いて居る。欧州では右派と左派が連携してEUの緊縮財政路線に反旗を翻そうとして居る。来年に大統領選挙控える米国では、バーニー・サンダース上院議員を初め民主党左派が積極財政主義への転換を主張して居る。

         9-30-8.jpg サンダース上院議員

 サンダースは社会民主主義者を自称する民主党左派の政治家。その経済政策の顧問を務めて居るのが、ステファニー・ケルトンNY州立大学教授だ。ケルトン教授こそは、MMT推進派の第一人者である。国債を財源にすれば選挙で訴える政策の幅が大きく広がる。
 その教授と長年に渉って親交を温めて来たのが松尾である。ギリシャの元財務大臣を務めたヤニス・バルファキスとも親交がある。世界中の左派が反緊縮で手を結ぼうとして居る。

 新星オカシオ・コルテス議員の登場
 
 米国では主流派の新自由主義、或はリフレ派に対抗する経済理論としてMMTが頭角を現して来た。主流派はこの理論を「クズだ!(garbage)」(ブラロックのラリー・フィンクCEO)と批判するが、元を辿ればケインズに源を発する列記とした経済理論の一つ。
 MMTはこれ迄理論としては知られて居たものの、注目を集める事は殆ど無かった。それを政治の表舞台に押し上げたのは、昨年の中間選挙でNY州から民主党候補として立候補、弱冠29歳の最年少で下院議員に当選したアンドレア・オカシオ・コルテス(AOL)議員だ。

 ヒスパニック系の彼女は当選間も無い今年の2月、気候変動対策法案を仲間の議員と一緒にまとめた「グリーン・ニューディール」と呼ばれるこの法案は、環境対策に要する莫大な財源を国債で賄おうとして居る。
 政治家が政策を掲げる以上、財源を明記する義務がある。オカシオ・コルテスは莫大な財源の調達手段としてMMTを容認したのである。巨大な財政赤字を抱える米国で、新たな国債の発行と云う主張は一般的には理解され難い。だが同氏は財政赤字を積み増しても、必要な対策は遣るべきだと主張する。
 この辺は保守の中でも右寄りで、思想や理念で対立するトランプ大統領と相通じるものが有りそうだ。財政の健全性より経済成長や国民生活の向上を優先しようとする。思想信条は違っても、考え方は似て居る。欧州で左派と右派が連携を強める根拠もココに有る。






 主流派が批判すればする程増える賛同者

 オカシオ・コルテスの主張に、真っ向から異論を唱えるのは寧ろ主流派の人達だ。リベラリストの代表とも云うべきローレンス・サマーズ元財務長官はMMTを「フリーランチ」と感情的に批判する。その上で「MMTには重層的誤りがある」と理論そのものを否定。前FRB議長のジャネット・イエレンも「MMTは超インフレを招くものであり、非常に誤った理論だ」とサマーズに同調する。

 ココに挙げたのはホンの一例に過ぎ無い。何れも現在の米国や世界経済に大きな責任を有して居る主流派の官僚や学者・経済人である。この人達はミルトン・フリードマンの流れを汲む新自由主義或はリフレ派を代表するエスタブリッシュメントである。
 そんな人達がポッと出のオカシオ・コルテスの主張に怒りを込めて反論する。主流派が批判すればする程MMTの賛同者は増える。

 日本も事情は同じだ。麻生財務大臣・黒田日銀総裁等主流派はこの理論を「異端」として排除して居る。財務省は7月に開かれた経済財政審議会への提出資料の最後に「MMTについて」と云う4ページの説明文を潜り込ませた。この資料は世界中の有識者の反論や批判を集めたもので、さり気無く反MMTの雰囲気作りに精を出して居た。
 既成野党も今の処目立った動きを示して居ない。そんな中で「薔薇マーク」運動と「れいわ新撰組」が組んで、反緊縮の政治運動が芽吹いたのである。八方塞がりの世界経済。先行きの不透明感は強まる事は有っても弱まる事は無い。主流派から強烈なバッシングを受けるMMT。だが、叩かれれば叩かれる程支持者が増える。何やら宗教戦争の様な雰囲気を醸し出し始めて居る。

 欧米と異なり日本では保守派が推進役

 日米を初めドイツ・フランス・英国等主要先進国は、今保守派が中心と為って政権を担って居る。そして政権を担う主流派は、どの国も新自由主義をベースに緊縮財政を貫き、経済成長は金融政策に大きく依存して居る。
 MMTが飛び火した日本。安倍政権も例外では無い。消費増税で財政再建を図り、異次元緩和でデフレ脱却を目指して居る。だが、一向に成果が上がら無い。そんな中で安倍政権に近い保守派が、MMT推進のエンジン役を担い始めて居る。保守派と目される人々は、デフレ脱却と経済成長を実現する手段としてMMTを称揚して居る。

       9-30-9.jpg 藤井聡(さとし)京都大学教授

 第一人者は安倍内閣で官房参与を務めた藤井聡(さとし)京都大学の教授で、同大のレジリエンス実践ユニット長を務めて居る。安倍内閣ではアベノミクスのアドバイザーを務めた。
 7月にケルトン教授が来日、記者会見や講演を行った。この時の主宰者の一人が藤井である。立命館大学の松尾や経済評論家の三橋貴明等と組んでケルトン招聘(しょうへい)で主要な役割を担った。

    9-30-13.jpg 経済評論家の三橋貴明氏
 
 元経済産業省の官僚で、経済評論家の中野剛志は理論面でMMT普及を担う第一人者。『富国と強兵』と云うタイトルの大著がある。政治家では自民党参議院議員の西田昌司、若手では「日本の将来を考える勉強会」の代表である衆議院議員の安藤裕等が居る。

          9-30-17.jpg 衆議院議員の安藤裕氏

          9-30-14.jpg 経済評論家の中野剛志氏

 藤井はこの「勉強会」の講演(2017年4月)で「今日のテーマは二兎(財政再建と経済成長)だが、二兎では無い。成長すれば自ずと財政は再建される」と述べて居る。レジリエンスな公共投資を主張する藤井は、この頃既にMMTによる積極財政論を考えていた節がある。

        9-30-15.jpg 自民党参議院議員の西田昌司氏

 自らはリフレ派でありリバタリアン(※1)と自称する駒澤大学准教授の井上智洋もユニークな存在だ。AIの進化によって人間は労働所得が無く為り、ヘリコプターマネーやベーシックインカム(BI)(※2)が必要に為る時代が来ると説く。

        9-30-16.jpg 駒澤大学准教授の井上智洋氏

 その井上は、積極財政派としてMMTと重なる部分がある。安倍政権はデフレ脱却を経済政策の1丁目1番地に据えながら、一方でデフレ政策そのものである消費税を引き上げると云う矛盾を犯した。リフレ政策である大胆な異次元緩和と、これを否定する消費増税の推進。二兎を追った結果として、日本経済に再びデフレの足音が忍び寄ろうとして居る。

 (※1)個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治思想・政治哲学の立場に立つ人のこと。
 (※2)全ての国民に生きるのに必要な最低限の金額を支給すると云う制度。


 




 積極財政主義への転換を模索する動き広がる

 そんな中で、反緊縮派(左派)と保守派(右派)がMMTを通して結び付こうとして居る。これにリバタリアンやBI主導者が加わり、積極財政への転換を模索する動きが水面下で広がり始めた。異次元緩和を推進した日銀にも政策的な手詰まり感が漂い始め、主流派であるリフレ派の主張も微妙に揺れて居る。

 財政均衡主義を頑(かたく)なに貫いて来たあのドイツで、気候変動対策として赤字国債を容認する動きもある。表舞台では米中の貿易戦争が華々しく火花を散らして居る。その陰に隠れて目立た無いものの、積極財政路線への転換を模索する動きがチラホラ散見される様に為って来た。
 今の処参加者は右と左のマダラ模様。この先大きな動きに為るのか、線香花火で終わるのか、先の事は判ら無い。只、新自由主義に牛耳られて来た経済政策の世界に、MMTと云う異論が国際的に広がりつつある事は間違い無さそうだ。
 (文中敬称略)


           松崎 秀樹(まつざき・ひでき)ジャーナリスト

1950年長野県生まれ 74年慶大卒 時事通信社入社 東証、日銀、大蔵省等担当 98年経済部次長、解説委員等を経て2009年6月取締役 13年7月からフリージャーナリスト ブログ「ニュースで未来を読む」運営 著書に共著『誰でもわかる日本版401k』(時事通信)今年1月には塩田良平のペンネームで初の小説『リングトーン』(新評論、著)を出版

     ジャーナリスト 松崎 秀樹    以上














山本太郎の政権奪取宣言に中身はあるのか



 山本太郎の政権奪取宣言に中身は在るのか

 「次の衆院選には100人を立てる」

         〜プレジデントオンライン編集部 PRESIDENT Online〜


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 今回の参院選で唯一の勝者と為った「れいわ新選組」

 〜今回の参院選は、勝者無き戦いだった。自民党は3年前より獲得議席を僅かに増やしたが、安倍晋三首相が執念を燃やす改憲の発議に必要な参院での「3分の2」を失った。野党・立憲民主党は議席を伸ばしたとは家、17議席では野党第1党の迫力には欠ける。
 そんな中で唯一の勝者を上げるとすれば、山本太郎氏が率いる「れいわ新選組」だろう。当初、泡沫政党扱いをされていたがが比例代表で2議席を獲得した。今後、さらなる飛躍を遂げることはあるのだろうか〜








 「小泉フィーバー」や「民主党政権」を超える盛り上がり

 「お早うございます。元気やな。もう直ぐ(電車の)始発が出ますよ皆さん」

 参院選の大勢が判明した7月22日午前4時半過ぎ、山本氏は底抜けに明るい笑顔で記者団に声を掛けた。公職選挙法などで政党要件を持たない「れいわ」は、新聞、テレビなどでは「その他大勢」を意味する「諸派」扱いをされ、殆ど報道されなかった。新聞、テレビだけを情報源にしていた人は、存在すら知ら無かったかも知れない。
 しかしツイッターなどのSNSを介して「れいわ現象」は急速に広がった。選挙戦最終日の20日夕刻から東京・新宿駅西口で行われた街頭演説は、SNSで知って集まった人で埋め尽くされ異様な盛り上がりと為った。

 長年、選挙取材をして来た全国紙記者は「1989年の参院選での社会党・土井たか子委員長、『郵政選挙』と言われた2005年衆院選での小泉純一郎首相、09年の民主党ブーム等よりも、遥かに大きなウネリだった」と証言する。それ位の「事件」だったと云う。

 「消費税廃止」に焦点を絞った訴えが奏功

 知名度もなく、マスコミにも無視される中での2議席獲得は大健闘ではある。但し、街頭の熱狂は、もっと議席を獲得するのではないかと予感させるものだった。比例区に「特定枠」として2人を擁立したため、3議席以上獲得し無ければ当選出来ない立場に身を置いていた山本氏も議席は得られ無かった。そう云う意味では「うれしさも中位」の結果だった。
 それでも山本氏は「10人擁立して10人通せ無かったのは私の力不足。私自身も議席を得られ無かったのは残念な事だ。しかし、一切後悔は無い」と前を向いた。次に繋がる結果だったと受け止めているのだろう。

 何故「れいわ」の声は国民に届いたのか。これは山本氏の存在感と演説に尽きる。元俳優だけにトーク力の高さは国会質問等で実証済みだったが、今回の選挙戦では「消費税廃止」に焦点を絞った訴えが分かり易かった。他の野党の訴えが「10%に上げるのは反対」等と回りくどかったのとは対照的だった。

 次の選挙では「100人位候補者を立てないといけ無い」

 中でも最も歯切れ好かったのが「政権を獲る」と宣言したことだ。今回の参院選で国会に足掛りを作り、来る衆院選等を通じて国会で多数派を形成すると断じて居る。その実現性はさて置き、兎に角聞く者に響いた。安倍1強と言われる現状に不満を持って居た人達の受け皿と為ったのだ。
 山本氏は22日未明の会見で「私達は無視出来ない存在に為っている。(次期衆院選には)100人位候補者を立てないといけ無いだろう。メンバーも揃えて皆さんの力を借りながら、政権を取りに行く気迫で行きたい。(自身も候補者として)出るしかないのではないか」と自ら衆院選に出馬する考えも明らかにした。

 「れいわ」がイメージするのは、細川護熙氏が代表を務めた日本新党ではないか。日本新党は1992年の参院選で国政初挑戦し4議席を獲得。そして翌年の衆院選では35人の当選者を出し、その流れで同年8月、細川氏は首相の座に上り詰める。まさにホップ、ステップ、ジャンプ。ゼロからスタートして1年で政権政党に上り詰めた日本新党の再来を「れいわ」は目指す事に為る。
 今の政治状況を見ると早ければ年内に衆院選があると云う予測もある。遅くとも2021年秋の衆院任期満了までには必ずある。山本氏も日本新党のことは頭の中に有る筈だ。







 同じ選挙区に野党が乱立すれば、共倒れに為るだけ

 ただし山本氏と「れいわ」の前途がバラ色と云う訳では無い。先ず難しいのは、野党の枠組みの中での立場だ。山本氏は「最も厄介な抵抗勢力」を自任するだけに安易な妥協は出来ないだろう。この為立憲民主、国民民主等の野党の中には、山本氏の発言を「人気取りのスタンドプレー」と見る向きもある。
 共闘関係が築け無ければ、同じ選挙区に野党が乱立して共倒れに為る。そう為れば共通の敵である自民党を利するだけだ。
 一方、野党内には「れいわ」との連携に期待を抱く向きもある。そこで野党共闘を優先して、山本氏が参院選で発言して居た事と違うことを口にし始めたとしたらどう為るか。参院選で山本氏の訴えに熱狂した人達は一気に冷めるだろう。

 「100人と云う数字には野党共闘も入って来る」

 山本氏は22日未明の会見では次のように述べ、野党共闘に含みを持たせた。

 「消費税廃止は譲らない。しかし、他党が減税と云う事で舵を切る為らば、話し合いの余地はある。一番は、この国に生きる人々の為に、本気で仕事をする気があるかってこと。そう為った上で一緒に為れる方とは、一緒に遣って行く。政権を撮る為らば、衆院選には100人位候補者を立てないといけない。この数字には野党共闘も入って来るので、立てる場所、立て無い場所も話し合いで出るだろう」

 社会党の土井氏、民主党の鳩山由紀夫氏、希望の党の小池百合子氏……。野党側からは新党や新しい指導者が次々に誕生して時代を作ったが、人気のピークは長続きし無かった。17年の衆院選でブームを起こした立憲民主党の枝野幸男代表も、今回の参院選では集客力に陰りが見られた。
 それ等の原因は、選挙では歯切れの好い事が言えても、現実の政治はそう簡単では無いからだ。過去の新党と同じ轍を踏ま無い為には、どうすれば好いのか。山本氏が支持を拡大する為には、他の野党との連携を意識しながら「最も厄介な抵抗勢力」で有り続ける必要がある。山本氏の道のりは険しい。


                 以上







 【管理人のひとこと】

 山本太郎氏の北海道での活動を動画数本で見させて頂いた。相変わらず精力的な活動を続けて居るのだが、その戦略はとても地味でコツコツとした歩みだ。それは、全国津々浦々を辻説法する法師の如く、自分の政治に対する真摯な考えを理解して貰う為の小さな石の積み重ねを続けて居る。
 無論、大きなイベントで盛大な催しを行うでは無く、小さな集会を重ね必死に同調者を求め資金を募り仲間を増やす着実な行動なのだが、余りにも個人プレーで始まりそれで終わって居るのではないかと心配だ。一応は全国的に名前を広めたのだから、次は組織としての拡大発展に取り掛からねば為ら無い時期に来て居るのでは無いだろうか。

 勿論彼の周りには優秀なブレーンが揃い一応の快挙を為したのだが、一過性の話題で終わらず、次のステップへの用意バンタンな計画を練る参謀がどうしても必要だろう。どの様なプランが必要なのかのアイデアが直ぐには無いのだが、管理人は、他の野党が恐れる共産党との共闘に興味がある。どの政党以上の清潔感があり、政治的に真摯なこの党には全国的組織がありそれなりに根強いファンが存在する。
 「共産党とは・・・」と二の足を踏む他野党とは異なり、山本氏ならそれに負けない個性と実行力が期待されるので、清新なムードを持つ実行力のある集団だと国民から熱望されると思うのだが・・・そして、他与野党へのシンパを拡げ組織の拡大へと躍進して頂きたい。自民党にも他野党にも山本氏の主張に同調する議員も取り込まねば為ら無い。イデオロギーを下ろし、完全な政策主義での共闘は互いに望むものだろう・・・消費税を増税せよ、と叫ぶ同盟に力を借りる元民主の諸党とは、どうしても相容れぬ素地が拭い切れ無いのだ。








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枝野氏も豹変させた山本太郎の圧倒的な存在感



 枝野氏も豹変させた山本太郎の圧倒的な存在感

 密かに進む「野党結集」の中心か


         〜プレジデントオンライン編集部 PRESIDENT Online〜


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 〜野党再編の動きが活発化して居る。野党と云うと、今は山本太郎代表が率いる「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」と云った新興政党が注目されて居るが、秘かに立憲民主党を中心とした旧民主党勢力が、再結集に向けて動いて居るのだ。最大の要因は、参院選での「れいわ」旋風だと云う。野党結集の裏事情を解説しよう〜







 何故このタイミングで「超然主義」を捨てたのか

 「豹変」と表現しても好いだろう。立民の枝野幸男代表はこれ迄、他党から合流や統一会派、比例区での統一名簿作成等のラブコールを繰り返し受けて来た。しかし、その都度「永田町の数合わせと見られたく無い」等と拒否。結局、参院選での選挙協力は、1人区で野党を1本化する等限定的なものに留まった。その、頑なな姿勢は「超然主義」等と揶揄されて来た。

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 その枝野氏が8月5日、国民民主党の玉木雄一郎代表・衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」の野田佳彦代表と相次いで会談し、衆院で統一会派を組もうと提案したのだ。提案後の記者会見では、当然の様に枝野氏の豹変に付いての質問が続いた。枝野氏の答えは「そうした事が必要なフェーズに入った」と云う歯切れの悪いものだった。
 ソモソモ枝野氏が国民民主等に手渡した文書も分かり難い。文書では、安倍政権が「数の力」を背景にした横暴を繰り返して居る事を強調した上で、それに対抗する為に「数の上でも、論戦力の上でもより強力な野党第1会派を作る」事が必要だとして居る。理屈は分かるが、安倍政権が数の力を背景にした政権を運営する状態は、もう何年も続いて居る。「何故今なのか」と云う疑問は残る。

 旧民主を結集してから「れいわ」と協議する戦略

 枝野氏が変わった理由はハッキリして居る。7月の参院選挙で立民が思う様な議席を確保出来無かったからだ。初めての参院選を改選7議席で臨んだ立民は17議席獲得。躍進した様に見えるが、選挙前には20議席を超えるとの見方も在った。伸び悩んだのだ。
 2017年の衆院選で見せた「枝野人気」も、今回は明らかに陰りが見えた。今のママでは「安倍1強」を脅かす事は出来無いと総括せざるを得無い結果だった。特に枝野氏が危機感を持ったのは山本太郎氏の存在感だった。参院選での山本氏の人気は、2年前の衆院選で自分に寄せられた期待を遥かに上回るものがあった。

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 立民と「れいわ」は、脱原発・弱者目線等、政策的に立ち位置が似て居る。しかも「れいわ」の方が、よりリベラルでより歯切れが好い。つまり「れいわ」は立民に取って強力なライバルと為る可能性がある。実際、「れいわ」が参院選比例区で獲得した228万余りの票は、本来為らば立民に行く票が多く含まれて居た。

 「数の力」を背景に参院でも共闘関係を作る

 仮に次の衆院選で「れいわ」と選挙協力が出来ず、競合する事に為ったら、間違い無く沈んでしまう。「れいわ」も含む野党共闘を確立するのが唯一の生きる道。しかも自分が主導する形で野党共闘を築きたい。そう云う枝野氏の心理を読めば、旧民主党勢力の国民民主と「社会保障」で統一会派を組もうと声を掛けた理由が手に取る様に分かる。先ず、旧民主党勢力で大きな塊を作った後、山本氏との交渉に入る考えなのだろう。

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 そもそも今回の枝野提案が衆院に限定した統一会派を念頭にして居る理由は何だろうか。「れいわ」は参院で2議席確保したが衆院はゼロ。衆参同時に統一会派を組むと云う事に為れば「れいわ」にも声を掛けるのが筋だ。しかし、枝野氏はその手は取ら無かった。先ず「れいわ」の居ない衆院で塊を作り、その後で「数の力」を背景に「れいわ」の居る参院でも共闘関係を作る。そう云った思惑が透けて見える。

 旧民主党勢力内で内輪揉めして居る暇は無い

 今の処衆院統一会派構想は、成就しそうな空気に為って来て居る。国民民主も、野田氏等「社会保障」も、枝野氏の声掛けを基本的には歓迎して居る。枝野氏の声掛けは、好く読むと「院内会派『立憲民主党・無所属フォーラム』に加わって、衆議院で共に戦って頂きたく」とある。 国民民主や「社会保障」と新しい統一会派を組もうと云う呼び掛けでは無く、自分達の会派に入る様求めて居る。対等合併では無く吸収合併を呼び掛けて居るのだ。

 これは玉木氏や野田氏に取っては屈辱的な提案だ。実際、国民民主内には反対論も根強い。それでも玉木氏が前向きの姿勢を示して居るのは、玉木氏も、枝野氏と同様に、嫌それ以上に自分達の党の将来に危機感を持って居るからだ。彼等も「れいわ」と競合する事の恐怖を感じて居る。旧民主党勢力内で内輪揉めして居る暇は無いのである。
 枝野氏が提起した「統一会派」構想は多少の曲折は在るだろうが、会派名を変えるとか、参院側の結集に付いても文書を交わす等の妥協を経て、成就するのではないか。

 「100人擁立」は取り下げへ 山本氏も共闘に乗る構え

 これ迄野党内では何度か結集の機運が出たが、その都度、温度差が露呈し、それをマスコミが報道する事で成就し無い事が続いて来た。
 今は山本氏やN国に注目が集まり、旧民主党勢力は余り関心を持たれて居ない。ネガティブな報道が出無いお蔭で、結集もし易いかも知れない。だとしたら、これも「れいわ」現象の余波と云う事に為るのだろう。

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          同じ方向性を確認した共産党との関係も注目される

 山本氏の方はどう考えて居るのか。参院選直後には、衆院選に候補者を独自に100人立てると云うアドバルーンを揚げた山本氏。この発言が、枝野氏等を「統一会派」に走らせたとも言えるのだが、山本氏は最近、時事通信社のインタビューに対し「(100人を立てると云うのは)単独で遣る場合だ。野党が共闘して行くなら協力する」と述べて居る。
 参院選期間中は、自分達の事を「最も厄介な抵抗勢力」と呼んで居た山本氏だが、野党共闘に向けては柔軟な様だ。

 衆院選は289ある1人区(小選挙区)が主戦場と為り、自民党候補との一騎打ちに勝た無ければ為ら無い。単独で戦うよりも野党結集に乗った方が成算があると云う計算が山本氏の頭の中には在る。山本氏は最近、政権交代の必須課題として「野党共闘の深化」を挙げて居る。

 天王山は10月27日の参院埼玉補選

 立憲・国民・「社会保障」の3会派が衆院で統一会派を組むと117人の勢力と為る。自民党は285議席なので「1強」を脅かす存在と迄は言え無いが、安定した支持を持つ立憲・労組の支持を受ける国民民主・首相経験者の野田氏等政治経験豊かで選挙にも強いメンバーが揃う「社会保障」が手を組めば、それ為りにインパクトが在る。そこと山本氏の「れいわ」が手を組めば、有権者は「今度コソやる気だ」と思うかも知れない。

 当面の天王山は10月27日に行われる運びの参院埼玉補選だ。そこで野党が統一候補を擁立し、街頭演説で枝野・玉木・野田の3氏と山本氏と並ぶ事が出来れば、ゲームは面白く為る。

 補選候補が山本氏なら更に盛り上がる

 この際、山本氏が補選の候補と為ると云うウルトラCも浮上して来るかも知れない。今、国会議員バッジを持た無い山本氏は、次期衆院選に出馬する意欲を見せて居る他、来夏の東京都知事選にも色気を見せて居る。
しかし、衆院選や都知事選よりも早く行われる埼玉の参院補選で山本氏「野党共闘深化の象徴」として立ち振る舞えば、注目度も高まる。当選すれば国会での野党の戦力も上がるだろう。
 枝野氏は自身の地元でもある埼玉の補選で、何処までリーダーシップを発揮出来るか。真価が問われる処だ。そして、その推移は野党共闘の行方を左右するのは勿論の事、安倍晋三首相の衆院解散戦略にも影響を及ぼす事に為る。

 



 【関連記事】安倍首相が怯える山本太郎の発想と爆発力


 「1強」が、足った2議席の新政党に怯えて居る

 参院選が終わってからも、永田町の話題は山本太郎氏が率いる「れいわ新選組」が独占して居る。山本氏は、相変わらず歯切れ好く破天荒な発信を続けて居る。「れいわ」から当選した重度障害者の2人の為に国会は突貫工事でバリアフリー化を進める。
 安倍晋三首相は、早ければ今秋にも衆院解散する選択肢を持って居たのだが、今は「来年の五輪後」に傾いて来た。これは「れいわ」の実力を慎重に見定め様と云う判断によるものだと云う。「1強」が、足った2議席の新政党に怯えて居て居るのか。 

 「総理大臣を目指す」とテレビ番組で明言

 25日朝、山本氏は、テレビ朝日の「モーニングショー」に出演した。参院選挙期間中は政党要件の壁に阻まれ、テレビでの露出は殆ど無かった山本氏。冒頭は「『放送禁止物体』としてこれ迄生きて来たので、今日、地上波で呼ばれる何てビックリです」とお道化て見せた。
 しかしコメンテーターの玉川徹氏から「総理大臣を目指すのですか」と聞かれると「そう云う事に為ります。本気じゃ無かったら(れいわを)旗揚げし無いですよ」と神妙な顔で語った。

 参院選で「れいわ」が2議席獲得したとは言え、山本氏自身は議員バッジを失った。「首相を目指す」と言っても普通なら誰も見向きもし無いだろうがが、今の彼の口から出る言葉は「大風呂敷」には聞こえ無い。

 小泉進次郎氏でも進められ無かった国会改革に動き

 山本氏の発言以外でも「れいわ」は注目を集める。筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の舩後靖彦さんと、重度障害者の木村英子さんの当選を受け、与野党は参院議院運営委員会を開き国会の改修や、代理投票を認める等の改革方針を確認した。

 「日本で一番改革が遅れて居る処」と揶揄される事が多い国会。単にバリアフリー化が進んでいないだけで無く、ペーパーレス等民間企業なら当たり前の改革が手着かずの部分が多い。自民党の小泉進次郎衆院議員らが、妊娠中や出産直後の議員が「遠隔投票」出来る改革等に取り組み「平成の内に」実現しようとしたが、実現には至ら無かった事は記憶に新しい。
 にもか変わらず「れいわ」の2人が当選した事で、これ迄崩され無かったバリアーがアッと云う間に崩された。障害が在る当事者が議席を得た事のインパクトと、山本氏の存在感の賜物だろう。

 「当分、衆院の選挙は無い」と森元首相が暴露

 山本氏は政見放送で「(重度障害者の擁立を)発表した際、こんな声が届きました。『障害者を利用する積りか』この言葉に対して私は言います。上等です。障害者を利用して障害者施策を変え様じゃないか」と訴えて居る。選挙が終わってから、僅か数日で山本氏は公約を実現した事に為る。

 「当分、衆院の選挙は無いと安倍首相は言って居る」東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は24日、都内で開かれた五輪関係の会合でこう語った。現職衆院議員である組織委副会長の遠藤利明氏に「選挙は未だ先だから五輪に向けた仕事に専念して欲しい」と云う意図での発言だったが、会場に居た人達は前段の「当分衆院選は無い」と云う部分に驚きザワツイタ。
 森氏は安倍氏の「元上司」に当たる。森氏が首相の時、安倍氏を官房副長官に抜てきした事もある。引退したとは言え、生臭い政界情報好きの森氏に対し、安倍氏は報告を怠ら無い。その森氏の発言だけに、多くの人は「ガセネタでは無い」と受け取った。

 「太郎」への警戒で解散戦略は変更に

 元々参院選に合わせて衆院解散し、衆参同日選に持ち込む事を考えて居た安倍氏は、同日選を見送った後も、今秋に衆院解散する「時間差同日選」を軸に政治日程を組み立てて居た。しかし選挙結果を踏まえて「五輪後の20年秋以降」に軸足を移した様だ。

 理由は2つ有る。1つ目は、参院で自民・公明・日本維新の会による「改憲勢力」で、改憲に向けた国会発議に必要な「3分の2」を割り込んだ事。足り無いのは「4」なので、今後野党に揺さ振りを掛ける事で回復は不可能では無いが、その前に衆院選を行って衆院の方も「3分の2」割れに為ると、憲法改正への動きが事実上ゲームオーバーに為ってしまう。だから、衆院選は「3分の2」回復後にしたい。

 もう1つの理由が、まさに山本太郎氏の存在だ。参院選で「れいわ」が獲得したのは僅か2議席だが、安倍氏はその存在感を過小評価して居ない。特に都市部での爆発力には脅威を感じる。
 例えば東京都では、比例代表で「れいわ」は45万8151票獲得した。これは日本維新の会の47万9908票とホボ同じ。社民党は勿論、国民民主党よりも多い。最早主要政党と言って好い。今の勢いのママ衆院選に突入したら「れいわ」は、無党派の若者層から大量得票して多くの議席を獲得する。その場合、最近の選挙では若者層の支持が高い自民党に対する影響は甚大だ。

 山本氏のスキャンダルをジックリ待つ作戦へ

 「れいわ」の躍進を受けて今、日本新党と云う1990年代に存在した政党が再注目される。細川護熙氏が立ち上げた日本新党は緒戦と為る1992年の参院選で4議席確保。翌年の衆院選では35議席獲得して注目を集めた。そして同年8月、党代表の細川護熙氏は非自民連立政権の首相の座に駆け上がる。

 「れいわ」は「令和の日本新党」に為るのではないか。自民党は警戒して居る。この辺りの経緯は「山本太郎の『政権奪取宣言』に中身はあるか」を参照頂きたい。但し安倍氏は、山本氏の事を過大評価もして居ない。今が旬の政治家である事は確かだが、今がピークである事も見切って居る。
 多くの人も同意するだろうが、山本氏は攻めには強いが守りは弱いタイプ。それをカバーする組織も無い。時間が経てば、スキャンダルが噴出したり、党内で内輪もめが起きたりするに違い無いと踏んで居る。又、山本氏のスタンドプレーで野党共闘がボロボロに為る事も考えられる。

 それだけに、衆院選は暫く先送りして「れいわ」の自壊を待つと云う作戦に出たと云う事なのだろう。勿論、衆院解散を先送りする事で「れいわ」が更に大きく為り、来年には手が就けられ無い様な勢力に為って居る可能性もあるが、安倍首相はそうは見て居ないと云う事だろう。

 幽霊の 正体見たり 枯れ尾花。「れいわ」は今、政界を揺るがす幽霊だ。それが実体を伴う政権を狙う勢力に成長して行くのか。それとも、枯れ尾花で終わるのか。


                   以上


 




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2019年09月29日

中国を知りたい・・・「日本の何処がダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答




 中国を知りたい・・・「日本の何処がダメなのか?」
 
 に対する中国ネット民の驚きの回答 人気の質問サイト『知乎』で話題


            〜国際 安田 峰俊 2018・1・27〜







 中国で流行中の『知乎』

 中国の質問サイト『知乎(チーフー)』をご存知だろうか。これは日本で言えば『Yahoo!知恵袋』の様に、ユーザーの質問に他のユーザーが回答して呉れる集合知型のウェブサイトだ。
 中国では2005年からIT大手・百度(バイドゥ)が運営するQ&Aサイト『百度知道』等が存在したが、コチラはネタ質問やネタ回答・コピペ回答も多く、イマイチ信用が置け無かった。
 だが、2011年にサービスを開始した『知乎』は、一部のユーザーが所属や身元を明らかにした上で書き込んで居る事や(共産党青年団等が身元を明かして公式に回答を寄せて居る事もある)回答者を第三者が評価するシステム等が奏功して、ソコソコ真面目で信頼性が高い情報が遣り取りされるプラットフォームに為って居る。

 加えて言えば『知乎』は一種の大規模掲示板としての役割も果たして居り、寧ろ回答の数よりも元の投稿に付く質問の数の方が多い位だ。中国人には随分ウケるサービスであるらしい。『知乎』の運営企業は昨年1月、シリーズDの投資ラウンドに乗って1億ドルを調達したと伝えられ、評価額10億ドルを超えるユニコーン企業に為った。
 或るテーマに付いて『知乎』で検索すると、中国人がいかなる方向に関心を寄せ、どんな考えを持って居るかを大まかに知る事が出来る。過つて中国の世論を知れるツールだった『微博(ウェイボー)』(中国版ツイッター)が時代遅れに為り、又長文の議論に余り向か無い媒体だった事を考えれば、『知乎』はネットウォッチャーに取っては非常に有難いサイトだ。

 そこで気に為るのは、このサイトでは日本に付いてどう言った質問が寄せられて居るか、そしていかなる回答が付いて居るかである。スマホのAPPの『知乎』で「日本」を検索してみると、膨大な質問と回答が引っかかる。今回の記事ではそれを見て行く事にしよう。

 中国人は日本の何が気に為る?

 先ずは検索結果を上から順に(質問文と本文の乖離が大きいものを除いて)タイトルをズラッと紹介してみたい。『知乎』で「日本」を検索した結果。現代中国人の関心の内容はどう云うものか。

 ・日本のどの化粧品やスキンケア用品が特に好いでしょうか?
 ・日本のAV女優は大事な部分をどうヤッてケアしてるの?
 ・日本ではどう云う女性が美女だと言えるのか。
 ・日本の女性との恋愛ってどう云うのなの?
 ・日本の駄目な部分はどう云う処なのか?

 ・日本の主流の世論は中高生の性行為に付いてどう見て居るか?
 ・何故日本ではアンナに多くの綺麗な女性がAVに出るのか?
 ・日本人が中国に旅行に来たら何を買うのか?
 ・日本人の目に中国はどう映って居るのか?
 ・日本は中国人の定住に向いて居る国だと言えるか?

 ・日本の風俗店のサービスを楽しむと云うのはどう云うものか?
 ・日本に居て経験した事の中で中国よりも駄目だと感じた部分は何?
 ・昔中国を侵略した国は沢山在るのに中国は何故日本だけを憎んで居るのか?
 ・日本のお母さん達はどうやって弁当を作っているのか?
 ・日本人は民度が高いのに何故日中戦争の時に酷い事をしたのか?


 総じて言えば「民度」の高さや国情に付いてと、日本への旅行・在住経験者による現地の体験、そしてエロ関連の話題が現代の中国人の日本に対する関心事である様だ。

 私(筆者)は2008〜2010年頃に中国のネット掲示板を日本語に翻訳するブログを運営して居た事がある。10年前と比較すると、歴史問題等の地に足の付か無い話題や、近代日本の発展や日本の科学技術に対する賛美が減り、日本の現地事情に付いての生きた体験に基づく話題が増えた印象である。


 




 日本の好く無い事って…?

 個人的に、上記の中でも特に目を引いたトピックは「日本の駄目な部分はどう云う処なのか?」だった。閲覧者数は1431万1422件で、寄せられた回答は700件余りと、相当に好く読まれた投稿である。質問はこの様に書いている。

 サイト内の「日本はどう云う好い部分があるか」と云う質問に対する大部分の回答は、自分としても同意する。只、上記のトピックの回答は日本と云う国の一部分に付いての話に過ぎ無い様にも思う。良い部分も悪い部分もあってコソ正しい見方と言うべきだろう。なので、私がこの質問を投稿したのは別に日本をワザと貶め様と考えての事では無い。
 日本のラーメンは美味い、空気は だ、景色が美しい、 面白い事が沢山ある、日本人は礼儀正しくて民度が高い(少なくとも貴方の目の前では)と。でも、逆に好く無い事は何があるのか?この質問に対して、1600件の「いいね」を集めた、事実上のベストアンサーを紹介して置きたい。

 日本通の答え

 この回答の投稿者は、本人の自己紹介によれば日本生まれの中国人で、5歳で両親に連れられて中国に帰国。だが、その後も日本のアニメやドラマ、2ちゃんねるやニコニコ動画・ameba等日本のネットコンテンツに深く触れて来たと云い、中国人の中では相当な日本通のようだ。
 原文は長文かつ外国の一般人の文章なので、文意を損なわ無い範囲で或る程度は主語を補ったり省略したりして編訳させて頂く。彼が述べる日本の駄目な処は、こう云った部分だ。

 1. どんなものでも「日本化」した後は、器が小さく為り「井の中の蛙」的な雰囲気を纏う。
 2. 「井の中の蛙」に為るとは、自分達が永遠に他よりも優れて居ると陶酔的に思い込む事だ。日本は本当の改革を遣りたがら無いのに、世界が自分達から遠ざかって居る事を受け入れられ無い。中国が刻一刻と進歩を模索して居るのとは大違いだ。
 中国人の中には、中国がマダマダ非常に遅れて居るのに対して、日本は各方面で世界のトップクラスの水準に在って国民は幸福に暮らして居るのだから、日本人が「井の中の蛙」に為るのも当然だろうと考える向きもある。只、私は全てがあながちそうとは言え無いと思う。
 日本人が「井の中の蛙」に甘んじる理由は、安逸に流れて居る以上に深刻な怯懦(きょうだ)が有る故だ。中国人は通常「井戸の外」の景色を見る事を好み、外に出て行こうと考えて、世界に対して純粋な好奇心を持って居るのだが、日本人はこうした純粋さや勇敢さや「ものごとをモッと知りたい」と云う冒険心を全く失って居て、自分達の世界の狭さを感じる時があっても「マア仕方無いや」と自分を慰めるだけで終わる。

 3.(略)

 4.なのに日本人は非常に他国からの目を気にする。「外国人が大好きな日本の○○」と云った話が非常に流行って居て、取るに足ら無いクダラナイものごとを見つけて「世界で日本が大人気」と云った曲解を行いたがる。日本の庶民は今日に為っても、自分達の文化が十数年前の水準並みであると思い込んで居るが、この誤解には失笑を禁じ得ない。
 5. 日本人は毎回、自分達の誤りを総括する際に先ずは言い訳を考え、改善する方法を考える事は殆ど無い。
 6. 日本人は(こうした言い訳の際に)自分を守る余地を残して置いて、色々と婉曲な表現を行い、しかもそれこそが謙虚で大人らしい姿勢なのだと考えて居る。これが或る種の責任回避に過ぎ無い事に全く気付いていない。
 7. 日本人は兎に角組織に架空の責任を負わせたがり、個人の責任を宙に浮かせたがる。トラブルが起きた時は皆で「どうしよう」と言い合うが、誰一人として問題を解決しようと勇敢に立ち上がる事も、皆で団結して問題に蹴りを着け様とする事も無い。結局最後にどうしようも無く為れば、世論に頼って責任を追うべき人間を選び出す。そうして選び出された人間が遣るのは問題の解決では決して無く、謝罪して辞職して、後は列車に飛び込む事だけだ。

 8〜17. (略)

 私は日本人が悪であると言いたい訳では無い。彼等は極めて誠実で善良だ。只、彼等の骨身に何等明確な正義の概念が無いだけである。彼等は何が正しくて何が間違って居ると云ったことを明言する事が出来無いのだ。(以下略)


 

 手厳しい指摘だが、あながち否定出来無いのが悔しい処である。質問には他にも様々な回答があり、日本の人間関係の面倒臭さやスピード感の遅さ、問題解決の下手さ等が指摘される例が多かった。

 『知乎』には他にも興味深い質問や回答が数多く為されている。今後も機会があれば、記事の中で訳出して紹介して行く事にしよう。


                以上


 




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過つて先進文明だった中国が「長い停滞」から抜けた時に起きること




 過つて先進文明だった中国が「長い停滞」から抜けた時 起きること

           〜現代ビジネス 9/29(日) 7:01配信〜


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 〜中国の歴史が停滞したのは、個人や個人企業がリスクを取ってフロンティアを拡大する仕組みが無かったからだ。今それが変わろうとして居る。これは、極めて重大な変化だ。中国は、人類の長い歴史を通じて世界のトップに居た。しかし、或る時点から落伍した。歴史の転換点は何時だったのか?多くの歴史家によれば、それは明の時代だ。
 経済学者であるグレン・ハバードとティム・ケインによる『何故大国は衰退するのか・・・古代ローマから現代まで』(日本経済新聞出版社 2014年)は、次の様に述べて居る〜





 明の時代に成長が止まった
 
 歴史家のアンガス・マディソンが示したデータを見ると、明朝の頃に中国の成長が止まった。人口は増大したが、人口1人当たりのGDPが増え無く為った。1400年代以降の中国では水準の変動が無く為った。「明時代の早期に何か決定的な事が起きて、中国の運命を変えたのだ」と著者達は云う。
 経済学者のアンガス・マディソンが収集した新しいデータと著者等による経済力の測定法を用いると、1700年のイギリスを100とした場合の中国の経済力は、次の様に変化した。

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 1000年で52・1500年で163・1600年では375。詰まり、1600年の中国は、100年後のイギリスの4倍近い経済力を持って居たのだ。処が、1700年では218に為った。この時点でも未だ同時代のイギリスより3倍近い経済力を持って居るが、1600年代に転換点が有ったのは明白だと著者達は言う。
 此処で、以上で述べた事と、9月24日公開の「過つて中国は株式会社を持た無かったが故に没落した」で述べた事の関連に付いて注記して置こう。

 前回では、ヨーロッパの成長が大航海以降に加速した事を述べた。詰まり中国落伍の原因は、ヨーロッパ側に在ると云う見方だ。これは、多くの人が認める歴史的事実である。
 『大国は何故衰退するか』も、西欧の生産性が上昇した事は勿論認めて居る。実際「19世紀前半迄に、ヨーロッパの平均所得は中国の2倍の水準に達し、その頃始まった産業革命によってこの差は更に加速度的に開いて行った」と述べて居る。只、それだけでは無く、中国の成長が或る時に止まった事を重視して居るのだ。 では、この時に何が起きたと云うのか? それは、対外政策だと云う。これを以下に見よう。

 鄭和大航海の壮大さ

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 ヨーロッパ諸国による大航海に先立つ15世紀初頭に、明の鄭和が率いる船団が大航海を行ない、アフリカ大陸東岸に到達した。この航海に付いては、既に、2018年12月6日公開の「世界史の視点で観ると分かる、中国・アリババ台頭の『大変革』の意味」で述べた。但し重要な事であり、又その時に書いた事の修正もあるので、繰り返して述べたい。
 これは、1405年、明の第3代皇帝・永楽帝(1360~1424年 在位1402〜24年)の命によって開始された遠洋航海だ。第1次航海はセイロン・カリカット迄だったが、その後、数次の航海が行われ、アフリカ東海岸に達した。第6次と第7次遠征では、ザンジバルに迄達した。これは、タンザニアの東であり南半球である。

            9-29-4.jpg     

 「宝船艦隊」と呼ばれた鄭和の船団は、コロンブスやマゼラン等のヨーロッパの艦隊とは比較に為らぬ程大規模で立派なものだった。コロンブスの第1回航海は、3隻の帆船と約90人(120人との説も)の乗組員で行なわれた。最大船であるサンタ・マリア号の全長は 24 mだった。
 それに対して、1405年に南京から最初の航海に出発した時の鄭和の船団は317隻のジャンクで構成され、一隻には平均90人の船員が乗り込んで居た。船団全体では3万~4万の人員が居た。6~8本のマストを持つ商船には絹や磁器・漆器等が大量に積み込まれて居た。9本のマストを持ち、全長が約130m・全幅が約50mの船も在った。この幅は、コロンブスのサンタ・マリア号の全長の2倍以上だ。

 鄭和艦隊の巨大な船に比べれば、コロンブスやマゼランの船はオモチャの様だったのである。鄭和大航海の目的は何だったか?ここで問題は、大航海の目的である。「世界史の視点で観ると分かる、中国・アリババ台頭の『大変革』の意味」においては、次の様に述べた。

 中国は大帝国であり、中国の歴代王朝の君主は、周辺国の首長に国王の称号を授与して居た。周辺国は使節を派遣して貢物を献上し(朝貢)、返礼の品を受け取って居た。これは、「冊封」と呼ばれるものだ。鄭和の大航海も、明帝国の威光を世界に知らしめる為の使節団であり、進貢国を増やす事が目的だった。

          9-29-6.jpg 永楽帝・成祖

 これは通説であり、多くの歴史家が認める処なのだが『大国は何故衰退するか』は、これとは若干異なる見解を示して居る。詰まり、永楽帝は貢ぎ物だけで無く貿易を重視したと云うのだ。そして、ジャーナリスト・著述家であるルイーズ・リヴァシーズの継ぎの言葉を紹介して居る。

 「皇帝に為った永楽帝は、父帝の厳格な朝貢・貿易政策を直ちに否定した」
 「永楽帝は民間資易を認め、コショウや金に対する資易規制を解除した。『中国の繁栄の源は農業のみ』と云う理想を支持して居た儒者の顧問等に取っては不快な事に、永楽帝は外国人商人に中国の扉を開き『四つの海に囲まれた人々は皆一つの家族である』と語った」
 「彼は更にこう宣言した。『国境の柵を越えて相互貿易を行い、国に必要なものを入手すると共に、遠隔地の人々の来訪を促そう』」






 権力争いで対外政策が二転三転

 処が、その後の権力争いによって、対外政策が二転三転した。永楽帝が1424年に亡く為ると、息子の洪煕帝(1378~1425年 在位1424~25年)は、周囲を伝統的な儒者の一団で固めた。即位した洪煕帝は、その日の内に「宝船の航海を全て中止する」と云う勅令を出した。しかし1年で死去した。
 第5代の宣徳帝(1399~1435年 在位 1425〜35年)は、貿易や開放政策を望んだ。この為、鄭和の航海は更に10年続いた。但し、1431~33年の第7次が最後に為った。
 第6代の英宗帝(又は正統帝)(1427~64年 在位1435 ~49年)は、官吏寄りの立場を執り、貿易の時代に終止符を打った。こうして朝貢貿易は崩壊し、明の艦隊は港で朽ち果てた。永楽帝と鄭和が行った大航海は継続せず、一時的な事業に終わってしまったのだ。

 海岸地域の住民は、その後も貿易から利益を受けたが、明の宮廷はそれを好ましからざるものと見て居た。1500年には、3本以上のマストのある船の建造は死刑に当たる罪とされた。1525年には、外洋船を取り壊す命令が出された。1551年迄には、複数のマストがある船の航海は、例え貿易目的でも犯罪とされる様に為った。
 この様に権力闘争の結果、外洋航海が崩壊した。「政治が経済成長を止めた」と云うのが『大国は何故衰退するか』の見解だ。





 リスクに挑戦する仕組みが有るか?

 政治が発展を阻害したのは、間違い無い事実だろう。但し私は、(それと矛盾する事では無いが)前回述べた様な社会構造の違いを強調したい。
 ヨーロッパでは、個人や個人企業が利益を求めてリスクを取り、新しいフロンティアを広げる機会が存在した。ヨーロッパの大航海は、香辛料貿易の新ルートを開発すると云う、商業的利益に導かれたものだった。  株式会社も、この様なインセンティブを更に利用しようとして発展した社会組織だ。

 それに対して、中国と云う国家には、新しいフロンティアを求めるインセンティブが存在し無かったのだ。大航海もリスクへの挑戦では無かった。永楽帝は貿易を重視したと云うが、リスクに挑戦した訳出は無かった。
 鄭和も、官僚として職務を実行しただけであり、自らの利益を求めて冒険航海を行なった訳では無い。その意味で、コロンブスやマゼラン等の冒険家とは全く違う人種だ。中国には、この様な人物が活躍出来る社会的な基盤が無かったのだ。こうして、中国は高い技術水準を持ちながら、歴史の動きから大きく立ち遅れる事に為った。

 もし、太平洋の彼方に何が在るかを探るインセンティブを当時の中国人が持てる様な社会体制で在ったら、中国がアメリカ大陸を発見して居ただろう。そして、世界の歴史は今とは全く違うものに為って居たに違い無い。

 今起きて居る事が何故重要か?
 
 最後に、次の2点に付いて述べて置こう。第1は「制度が重要だったのかどうか?」だ。『何故大国は衰退するのか』は、政治学者フランシス・フクヤマの「明朝中国には、近代的経済の発展に不可欠だと現在考えられて居る制度の大半が存在して居たから、制度が衰退の原因では無い」と云う考えを紹介した後で「この主張は正しく無い」として居る。私もその通りだと思う。
 ヨーロッパに生まれた株式会社は、中国には生まれ無かった。それが生まれ無かったのは、官僚国家だったからだ。この様な制度の違いが、その後の歴史に重大な影響を与えたのだ。

 第2は「原因が中国に在ったのか、ヨーロッパに在ったのか?」だ。これに関して『なぜ大国は衰退するのか』は、経済史家ジョエル・モキアの次の様な言葉を紹介して居る。
 「答えるべき第1の問題は、何故中国がヨーロッパとは異なって居たのかでは無く、何故1800年当時の中国は1300年当時の中国と異為って居たのかである」そうだろうか? 私はこの意見には賛成出来無い。

 1800年当時の中国には株式会社が無かったと云う意味で、1300年当時の中国と同じであり、それコソが問題なのだ(注)。ヨーロッパが変わったのに、中国が変わら無かったのが問題である。それが、今変わりつつある。だからコソ、これは、世界史的な大事件であり第2の大転換なのだ。



 (注)清朝では、租界に住む外国人が次々と株式会社を設立した。これを清朝の洋務派官僚が取り入れた。1872年に上海で設立された輪船招商局は、中国で最初の株式会社と言われる。

             野口 悠紀雄    以上







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「鉄道員の息子」が講談社創業社一族に「婿入り」をした理由



 「鉄道員の息子」が講談社創業社一族に「婿入り」をした理由


            〜現代ビジネス 9/29(日) 14:01配信〜

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               高木省一氏(野間省一)


 〜ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料を紐解き、講談社創業家・野間家が歩んで来た激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」
 戦前、軍部の言論統制の中、講談社は暗中模索の戦いを強いられて居た。その頃、後に「講談社の祖」と呼ばれる一人の男が講談社に入る事と為る。その男、高木省一はどの様な人物で、何を機として野間家に入る事に為ったのだろうか。極秘資料を発見!日本の出版のあけぼのと、野間家の人々〜





 

 第七章 紙の戦争 省一の講談社入り(1)

 鉄道員の息子

 後に講談社中興の祖と呼ばれる事に為る高木省一(たかぎしょういち)は、明治44年(1911)4月、磯吉(いそきち)・ますの3男として静岡市に生まれた。磯吉は鉄道員で、省一が学齢期を迎えた時浜松駅に勤務して居た。
 住まいの官舎から左程離れて居ない所に小学校が在った。就学前の省一は好くこの小学校に行き、先生に見っから無い様教室の外にシャガンデ授業を聴き、地面に字を書いて居たと云う。 授業が終わると家に走って帰り、授業が始まると、又教室の窓の下にシャガンで授業を聴いて居た。それで就学した時にはスッカリ1年生の教科を修得して居たと言われて居る。

 頭の好い子と云う評判が立ち、アチコチから医者にしたいから養子に欲しいと云った様な話が色々在ったが、磯吉はそれ等を皆断った註@。 大正13年(1924)4月、省一は県立静岡中学に入り、昭和3年(1928)に4年修了(通常は5年修了だが優秀な者は1年短縮出来た)で静岡高等学校の文科甲類(第1外国語が英語)に進んだ。
 静高での成績は酷く優秀だったらしい。『野間省一伝』(講談社刊)はクラス担任だった佐々木順三(ささきじゅんぞう)教授(英文学者・神学者 戦後に立教大学総長。作家・佐々木邦[くに]の弟)の次の様な証言を伝えて居る。

 〈東京から来た生徒は概して好く出来たし、華々しく派手に活躍して居たが、省一は何時も黙って居て、派手な処が少しも無く、滅茶苦茶な事や突飛な事もせず、オットリとして控え目だった、自薦や他薦が無くても、自然とクラス全体が無条件で尊敬して居たし、何を遣らせても完全に出来て、私が教えた数多い生徒の中にも、省一程好く出来た生徒は他に居ない〉

 昭和6年(1931)4月、省一は東京帝大に入り、法学部法律学科に籍を置いた。

 シンパ学生?

 薄給の鉄道員の息子である省一が旧制高校─帝大のエリートコースを歩む事が出来たのは、静岡県を代表する物流企業「鈴与(すずよ)」の援助があったからである。
 省一は静高1年の時「鈴与」の御曹司である鈴木清司(当時静中3年)の家庭教師に為った。静中の英語教師の推薦だった。ヤガテ省一は、清司の祖母・たつの隠居所に清司共ども住み込む様に為った。帝大進学後も「鈴与」の主人が上京した時使う渋谷区金王町(こんのうちょう現在の渋谷区渋谷2〜3丁目の一部)の家に、青山学院に入った清司と同居した時期があった。

 清司の祖母・たつは孫の清司等と同じ様に省一を可愛がったらしい。高校時代の省一はたつの隠居所で豊かな家庭の子供と同じ生活を送った。
 当時の卵は安く無く、ヤヤ贅沢な食品であったにも関わらず、たつの隠居所の朝食には生卵が出た。省一はその生卵の割り方が判らず、初めの日、粗相をしてしまった。母のますに、生卵等食べさせて呉れ無かったから粗相したのだと言うので、ますは辛い思いをしたと話して居たと云う。

 静高〜帝大時代の省一で見逃せ無いのは、社会主義運動との関わりである。静高は全国の高等学校でも左翼活動の盛んな処として知られ、省一の友人達にもマルクスボーイが居た。省一自身は「目立つ様な運動はしては居なかったものの、通常社研と略称される社会科学研究会の様な処には入って居た様である」と『野間省一伝』は伝えて居る。
 省一は大学時代、左翼運動で本富士署に検挙された友人の差し入れに行ったり、セツルメント(貧民救済施設)の世話をして居た事もあった。

 それに「実家が裕福で無い高木がもしも警察に捕まれば再起出来無いだろうから、どんな事が在っても高木の事は隠そう」と仲間達が言い合って居たと云う話も残って居る。 これㇻの事からイメージ出来るのは、本格的な活動家では無いが、左翼運動に同情的なシンパ学生としての省一の姿である。忠君愛国主義の清治とは思想的な立ち位置が可なり違う。






 満鉄入り

 昭和8年、省一は大学3年目で高等文官試験(高文)の行政科と司法科を受け、2つとも合格した。在学中に行政・司法の両試験に受かるのは超エリートの証である。当然、省一は内務省か大蔵省に入るのだろうと周囲は思って居た。
 処が、省一は南満洲鉄道株式会社(略称・満鉄)を選んだ。 これには戦後「新幹線の父」と呼ばれる事に為る十河信二(そごうしんじ)の影響が大きかった様だ。鉄道官僚の十河は「鈴与」の6代目鈴木与平と親しく、その縁で省一とも度々話す機会があったらしい。与平の長男の7代目与平が『追悼 野間省一』(講談社刊)にこう書いている。

〈(省一の満鉄入社は)その頃満鉄の理事で在った十河信二氏(後の国鉄総裁)の推薦によるものではあるが、当人としても何か考える処があっての事と思う。兎に角友人達は、東大出身でもスポーツや何かで成績の良く無かった連中の志望する処だとビックリし、満鉄では素晴らしい玉が入って来たと喜んだと伝えられて居る。
 氏(省一)と十河信二氏の関係は、それより先、私の父と十河氏とは長い間の親交があり、私も可愛がって頂いて居たが、偶々私の二番目の弟清司(死亡)の家庭教師に一時来て頂いた事があり、私と一緒に本郷のお邸にシバシバ伺って先生から色々薫陶を受けたご縁による〉


 昭和9年4月、省一は大連の満鉄本社に赴任した。当時の満鉄は日本人社員が約3万4000人、中国人や朝鮮人、ロシア人の合計が約1万人だった。 この年11月、満鉄の象徴とも言える特急「あじあ号」が運転を開始した。「あじあ号」は日本国内の特急「つばめ号」より平均時速が15キロ程速い82.5キロ、最高時速も15キロ速い110キロだった。

 省一は本社の総務部文書課文書係に配属された。文書課は満鉄の中枢である。そこに配属されたと云う事は、将来の満鉄を担う人材として処遇されて居たと云う事である。
 文書課の中には本社中のタイピストが一所に居て、そこをプールと呼んで居たが、当時豊かな黒髪を頭の中央で分けて、黒縁の丸い眼鏡を掛けて居た省一が新任の挨拶にそのプールに現れた時、白皙長身(はくせきちゅうしん)で日本人離れしたその顔に、タイピスト達は熱い眼差しと嘆息をもって歓迎した、と当時の文書課の人々が語って居る。

 直ぐ辞去する積りだったのに

 「満鉄の若きプリンス」省一と野間家の縁が出来たのは、それより少し前、大連赴任の前月の昭和9年3月の事だった。省一の兄・三吉が、同じ高木姓で講談社重役の義賢の4女・辰子と結婚したのである。既に述べた様に、義賢の妻・操は左衛の実妹だった。
 東京高等師範学校(現・筑波大学)を出て文理大(同)に進んだ三吉は、同じ文理大出身で、義賢の次女・幹子と結婚した大須賀瑛司と親しかった。新婚当時の大須賀は義賢の家に同居して居たので、三吉が遊びに行く内、義賢とも昵懇(じっこん)に為った。義賢は三吉の人柄を見込んで、4女・辰子の婿にしたいと考えたと云う次第である。

 三吉と辰子の結婚式は上野の精養軒(せいようけん)で行われた。この時省一は野間清治と生涯一度切りの出会いを果たして居る。その時の印象を省一は後に「体の大きさは大して感じ無かったですが、人間の大きさと云うんですかね。これに打たれた記憶がありますね」と語って居る。
 次に省一が野間家と接触するのは4年後の昭和13年11月。前月に清治が亡く為り、四十九日を迎える直前、省一の父・磯吉が腎臓病で他界した。当時、満鉄哈爾濱(ハルビン)鉄路局の総務処文書科の科長だった省一は、自分が帰る迄葬式をし無いで欲しいと頼み軍用機で帰国した。

 父の葬儀を済ませた後、葬儀に来た高木義賢と兄の三吉が清治の四十九日の法要に参列する為帰京する事に為った。省一もお悔やみに行った方が好いだろうと言われ、一緒に目白の野間邸に行った。これが省一の野間邸に行った最初である。
 省一はこの時、お悔やみを言って直ぐ辞去する積りだったのに、控室のある2階に通されてしまい、法要を行う芝の増上寺(ぞうじょうじ)に、行く積りも無かったのに連れて行かれ、それから東京会館でのお斎(とき)にも列席させられた。
 それが終わると、野間邸まで戻り、左衛が下の部屋に居たのでそこへ連れて行かれた。省一が左衛と言葉らしい言葉を交わしたのはその時が初めてであった。

 迷うのは当然……

 翌年、登喜子の婿として養子に来て欲しいと云う左衛の意向が義賢から三吉を通じて省一に伝えられた。三吉は辰子と結婚後、岡山高等女学校の教師として赴任したが、講談社への入社を要請され、女学校を退職して、昭和14年8月に入社したから、その前後の事だろう。註C
 降って湧いた様な登喜子との結婚話に省一はどう反応したのだろうか。彼は自伝や回想録を殆ど残して居ないので、本当の処は判ら無い。相手は、皇族の血を曳くお姫様でしかも再婚である。果たして互いの気持ちが通じ合うかどうか不安だったに違い無い。

 省一はハルビンで上司の本多静の官舎に下宿して居たので、登喜子の写真を本多の妻・せいに見せて相談した。せいは省一に「満鉄にズッと勤めて理事に為っても退職金は20万円だから、養子に為った方が好い」と勧め、しかし「講談社に行っても、古い人達が居て大変だろうし、お姑さんも居て苦労するだろうけど、苦労は若い内にしとき為さい」と付け加えた。
 省一が登喜子との結婚を決意する迄随分時間が掛かった。それはそうだろう。このママ満鉄に居れば、将来は理事処か総裁に為るのも夢では無かったのだから。迷う省一を説得する為兄の三吉が態々(わざわざ)ハルビン迄遣って来た事もあったらしい。


 



 朝鮮・満洲旅行の真の目的

 結婚話が本格的に動き出すのは昭和15年5月、左衛と登喜子・高木義賢夫妻・左衛の姪である服部喜美子と野間鉱業部を監督する小幡公の六名が朝鮮・満洲旅行に出発してからである。
 野間鉱業部は、清治存命中の昭和9年、朝鮮の金山開発の為に開設された機関だ。日本が外国から物資を購入するには金が必要だと云う国家的要請を受け、清治が側近の小幡を朝鮮に派遣し、泰昌鉱山・大源鉱山・永同金山等を次々と買収させ、採鉱に着手して居た。

 左衛等の旅行の表向きの目的は、これ等の金山と、野間家が満洲・奉天(ほうてん)郊外に所有する榊原農場の見学だが、実際には省一と登喜子のお見合いだった。左衛一行が京城に着くと、そこへ省一が遣って来て、一緒に平壌も見物して満洲に入り、省一の案内で先ず榊原農場視察から初め、奉天・撫順(ぶじゅん)・新京(しんきょう)・ハルビンと廻った。
 この時登喜子は省一との結婚話を知らされて居らず、省一を服部喜美子の見合い相手かと思って居たと云う話が伝えられている。 万一、省一に断られたら登喜子が傷着くので左衛が伏せて居たのだろう。兎に角左衛は満洲での省一の案内振りに頗(すこぶ)る満足し、野間家の後継者は省一しか居ないと確信したらしい。

 省一が満鉄を辞めて野間家に入る事を決心したのは、早くて昭和15年の終わり頃、遅くても翌16年に入って直ぐ頃と思われる。同年5月、省一と登喜子の華燭の宴が開かれた。場所は三吉の時と同じ上野の精養軒である。

 左衛の一念

 その時撮った記念写真が残って居る。 前列中央に、モーニング姿で白手袋を右手に持った省一と、日本髪を結い上げた登喜子が座って居る。二人ともスラリとした長身で、絵に描いた様な美男美女のカップルである。
 その両脇に仲人の吉田秀人(台湾興業監査役)夫妻。向かってその右側に軍服姿の賀陽宮恒憲(かやのみやつねのり)王(登喜子の母・由紀子の弟・陸軍少将・騎兵第二旅団長)と同敏子妃(九条公爵家の出)が並び、前列右端は当時、陸軍教育総監部化兵監で中将・子爵の町尻量基(まちじりかずもと・登喜子の父)である。登喜子の母・由紀子は病の為式には出て居ない。

 前列の左側は吉田秀人の隣りに左衛、そして省一の実母・ます、三吉の順で並んで居る。 ますは浮かぬ顔で居心地が悪そうだ。彼女は元々この結婚に乗り気で無かったらしく「父(磯吉)が生きて居たら、省一を養子に出す様な事は無かった」と後に漏らして居る。
 皇族・華族の血を曳く者と、市井の庶民と云う当時では余り考えられ無い婚姻を実現したのは、清治が残した事業を潰しては為らぬと云う左衛の一念である。彼女には、講談社には省一の様な人材が絶対必要だと云う確信があったらしく、キリっと引き締まった唇の両端には微かな笑みが浮かんで居る。 では、講談社の社員達はこの結婚をどう受け止めたのか。

 我々とは関係の無い人

 当時の講談社の従業員総数は530名余。その内少年部員及び少年部出身者が大半を占めて居た。「(彼等は)団結心が強く、好く働き、特に清治が没する前に入社した者は、文字通り清治を神の如く崇拝して居た。(略)彼等には、講談社を支え、日本一の出版社にして来たと云う自負があり、愛社心が極めて旺盛であったが、反面、排他的傾向も無くは無かった」と『野間省一伝』には記されて居る。

 講談社の社員構成でもう一つの特徴は教育出身者が多い事だった。清治自身が教育者であったから、その友人や、友人で無くとも地方の小学校の校長や教師をして居た者を積極的に採用した。詰まり講談社は家庭の事情で学歴エリートに為れ無かった少年達と、そう云う彼等の気持ちを好く知る元教師達から為る集団だった。
 少年部出身者に取っても、元教師達にトッテモ、学歴エリートの頂点に位置する省一は、自分達が馴染んだ講談社の社風とは全く異質な存在だったろう。

 戦後、雑誌『群像』の名編集長として知られる大久保房男(おおくぼふさお)は昭和21年に入社した時、社員達の中に「何も知ら無い、我々の関係の無い人(省一)に講談社を横取りされた」と話す者が居て「アア、講談社にはそう云う雰囲気があるんだなと云う感じ」を持ったと云う。

 清治への崇拝心は根強く、清治の血を曳く「昭和の武蔵」寅雄に対する待望論は社内に未だ息衝(いきづ)いて居た。省一は逆風の中での船出を余儀無くされたのである。



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               魚住 昭氏    以上


















ノーベル賞経済学者が直言「税金を高収入の人が払えば解決」




 ノーベル賞経済学者が直言 「税金を高収入の人が払えば解決」


          〜PHP Online 衆知 9/28(土) 6:01配信〜





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            経済学者・ポールクルーグマン氏

 国際ジャーナリストの大野和基氏が世界の最先端の知に迫った『未完の資本主義』では、ポール・クルーグマン氏が世界経済の未来に思いを巡らせて居る。2008年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者・ポールクルーグマン氏。世界最高の知性は「テクノロジーと経済の未来」をどう見通すのか――ニューヨークの彼のオフィスで聞いた。(撮影:常盤武彦)
 
 ※本記事は大野和基インタビュー・編『未完の資本主義 テクノロジーが変える経済の形と未来』(PHP新書)から抜粋して編集したものです。


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              国際ジャーナリストの大野和基氏


 AIによる大量失業は当分訪れ無い

 ・・・テクノロジーが更に進化すれば、何れ機械が人間の労働を奪ってしまうかも知れない……この様な脅威論をどう捉えますか。

 【クルーグマン】AIに付いては誇張されて居る面が多いと思います。テクノロジーの変化によって排除される人は常に居ますが、AIによる大量失業の時代が来るのは未だ先のことでしょう。
 一度機械に人間の仕事を奪われたら、ヤガテ全ての仕事が奪われるんじゃないか、と云う恐怖心は何時の時代もあります。しかし歴史的にみれば、仕事の代謝は何時の時代にも起こって居ます。アメリカでは過つて国民の多くは農業従事者でしたが、今は効率化が進み農業従事者は数百万規模に迄減って居ます。代わりに別の仕事が生まれました。

 テクノロジーが資本主義を脅かすと云う強い偏見が在り、労働力の使用に反して居るとした処で、では賃金の低い仕事しか得られ無い方が好いんですかと云う事です。そうでは無いでしょう。
 AIが全ての仕事を奪うと云う話は、現実の出来事からは全く乖離して居ます。ロボットの生産性は未だ低いママです。仮に人間の様に考える事が出来るAIや機械が現れたとしても、それでどう為ると云うのでしょう。
AI達が我々全員を殺すと云うのでしょうか。AIに付いて現時点で話されて居る様な事は、下手なSF映画の類です。現在の処、全くそう云う兆候は見られません。

 どの分野で仕事が求められて居るかと云うと、その多くはヘルスケアです。1対1で面と向かって行なうパーソナル・サービスです。AIがこの仕事に取って代わる様なビジョンは今の処有りません。

 格差を解決する2つの方法

 ・・・「AIによる大量失業」が取り沙汰される背景には、世界的に進む格差の問題が有るでしょう。経済格差を解決する政策はありますか。

 2つの政策が考えられます。先ず「前/分配」です。詰まり、実際に支払われる賃金を変えるのです。労働組合を作って最低賃金を保証させる。その仕事から得られる賃金が正当なもので有る様にするのです。労働者の交渉力が限られたものだとしても、歴史的に見るとそれは上手く行って居ます。
 現在、アメリカでは労働組合は最低限の働きしかして居ませんが、多くのサービス業の仕事は、集団交渉によって賃金を上げる事が出来ます。パーソナルケア・サービス業では労働者が不足して居ますが、賃金を上げれば解消するでしょう。それで人は集まり、中間層の仕事を作り出します。パーソナルケア・サービス業だけでは、中間層の仕事を全て作り出すには不十分かも知れませんが。

 次は「再/分配」です。これは税金と資本移転を意味します。なお、近年AIの普及によって失業する者に対し、ユニバーサル・ベーシックインカム(現金支給や、所得が一定水準に達していない人に税金を還元する「負の所得税」と言われる仕組みによって国民全員に社会保障を与える)を保障せよ、と云う議論があります。
 しかし、そもそもアメリカで誰もが暮らして行けるだけのユニバーサル・ベーシックインカムを提供しようとしたら莫大な額に為る。個々の状況に応じてベネフィットを提供する方法、詰まり本当に給付を必要として居る人にだけ提供する方が遥かに安く着きます。

 だから私は、ユニバーサル・ベーシックインカムに賛成出来ません。繰り返しますが、余りにも莫大なお金が必要に為るからです。仮にAIの普及によって大量に失業者が出るとしても、その時再考すれば好いと思います。現状では、そう云った問題は起きて居ません。





 分配の為の富は既に在る。どう使うのかが問題だ

 先程も述べましたが、現在最も雇用が求められて居るのは、ヘルスケアとパーソナルケア・サービスの分野です。この分野はAIに代替される処まで行っていません。詰まり、ロボットの看護士は未だ登場して居ない。日本はテレプレゼンス(遠隔操作)の実験をして居ますが、大きなインパクトをもたらす迄には遠いでしょう。

 ユニバーサル・ベーシックインカムはその極端な形ですが、全ての人にヘルスケアを提供する等、他にも出来る事は沢山あります。現在アメリカは、国民皆保険制度の実現にこれ迄に無い程近付いて居ますが、それも再分配の一つです。
 誰がその資金を払うのかと言えば、基本的には高給の人がそれを支える税金の殆どを払います。子供にも助成金を出すとか、苦境に居る人の収入のサポートをするとか、様々な給付の方法が考えられます。最終的にはそうした給付が基礎的な収入の保証に為るかも知れません。

 ポイントは、分配の為の富は既に有ると云う事です。税金を集めて、国民に真面な生活水準を保証する為に使えば好い。実際には、この問題は経済的なものでは無く、政治的なものだと言えるでしょう。


    ポール・クルーグマン(訳・大野和基)  以上


 



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原子力発電をどうする?  その5(最終回)



 原子力発電をどうする?  その5(最終回)


 




 5 原発の寿命

 核発電設備には寿命があります。世界的には30年と言われて居ます。何故寿命があるかと云うと、普通の火力発電設備は、部品を取り替えて居る内に全部が新品に為ったりして寿命は無限です。ボイラーでもタービンでも半年も休止すれば交換出来ます。ですから、一度火力発電所が建設されたらズッと発電し続ける事が出来ます。
 しかし核発電の設備は、部品交換が出来ません。圧力容器や格納容器等の主要部品を交換しようとすると、何年も冷やして放射能が落ちて来る迄作業が出来ません。その間ズッと発電せずにそこに建って居る訳ですから、新しい場所に新設し無ければ為ら無いのです。

 30年と言われて居た寿命を延ばして、日本では40年使う事にして来ました。更に福島では40年が過ぎても使って居て、地震の揺れで津波が来る前に配管がズタズタに為りました。
 核発電設備の寿命は40年。政府や電力会社が安全を言うなら、今後はこれは厳守されねば為りません。すると、今後の40年で、これ迄の40年間に作られて来た核発電設備が次々に寿命を迎えます。

 これまで40年間に新設して来たのと同じペースで廃炉に為りますから、今後新設が無ければ、次の40年間で青い棒はドンドン下降して、2050年に日本の核発電はゼロに為ります。もし2010年のピークを維持したいと思えば、今後40年間に廃炉に為る分をソックリ新設し無ければ為りません。詰まり、これ迄40年間に作って来たのと同じペースで核発電設備を新設し続ける事で、要約現状を維持出来るのです。
 増してや政府の核発電政策は、更に核発電を増やして総発電量の40%〜50%にしようと云うものです。その為にはこれ迄の40年に倍する核発電をドンドン新設し続けねば為りません。

 この事は政治家や評論家を含めて多くの人々に取って盲点と為って居ます。何もし無ければ現状が維持出来ると思って居る人が殆どですが、そうでは無くて、何もし無ければ核発電は消えて無く為ります。

 NHKテレビの報道ですが、核発電を増やすべきだと云う人は1%しか居ません。 「減らすべき47%」と「全廃18%」で65%の人が核発電を減らす事を望んでいます。
 しかし「現状維持27%」の中には、何もし無ければ維持出来ると思って居る人が居て、今迄と同じ様に作り続け無ければ現状維持は出来無い、と云う事を知ら無い人が多いと思われます。そう云う人々も「減らす」に勘定すると、国民の80%以上の人が核発電を減らすべきだと考えて居る事に為ります。

 この様に、福島の惨状を見て国民の多くが核発電の縮小廃止を求めて居ますから、現状維持等出来ず、増してや増設等出来ません。
 即ち、2030年に電力需要の40%以上を核発電で賄(まかな)おうと云う政策は実現不能です。逆にこのママでは早晩、核発電の比率は20%を切り10%に落ちて行きます。そう為ると、事故の危険を冒(おか)して足ったの10%では、一体何の為に遣って居るのか・何の意味が有るのかと云う事に為るでしょう。詰まり、既に政策は破綻して居ると云う事です。

 世界の核発電の発電設備容量と世界の太陽光や風力での発電設備容量を比較すると、地球温暖化防止の切り札の様に言われた割には、核発電は全く増えて居ません。太陽光や風力は2000年頃までは横バイでしたが、21世紀に為って急加速し、2010年に遂に核発電の発電設備容量を追い越しました。
 これが世界のトレンドです。日本では全くと言って好い程、遣って居ません。特に洋上での風力発電はヨーロッパで有力視されて居て、2010年以降、急速に拡大しようと云う意欲的な計画があります。


 




 核発電の歴史 増殖炉の失敗

 今から60年程前に核発電は、人類の夢のエネルギーとして登場しました。しかしそれは結局は一時の夢でしか有りませんでした。核発電には全く将来が有りません。核エネルギーが夢のエネルギーと思われたのは、燃料がホボ無限だと云う話だったからです。
 核分裂するウラン235は、ウラン全体の1%しか無く、99%は核分裂し無いウラン238です。ウラン235しか使え無いならウラン資源は直ぐに枯渇してしまいますが、増殖炉では炉の中でウラン238がプルトニウム239に変化し、プルトニウムは核燃料に為るので核燃料が増殖して行きます。それを再処理すれば核燃料は幾らでもリサイクルされて増加すると思われて居ました。

 しかし増殖炉は技術的に難しく、世界中が既に撤退してしまいました。日本だけが「もんじゅ」を遣っていますが、去年再開した途端に炉内に金属部品を落として抜け無く為ってしまい、核反応炉の中は燃料が一杯で止めも出来ず、只冷やし続けるだけで電気も出来無いと云う、全く危険でバカバカしい状況に為り、担当課長が自殺した程です。
 その金属部品は要約回収されましたが、稼働の見込みは建って居ません。増殖炉の冷却剤は10年前に爆発したナトリウムですから、何時又爆発大火災に為るかも知れません。今度爆発が起きれば、炉内にプルトニウム燃料が沢山充填されて居ますから大変な事に為ります。

 「もんじゅ」が福島の様に為ると、プルトニウムが大量に入って居ますから、日本の殆どが疎開対象に為ります。こう為ったら日本は終わりです。

 夢のエネルギーである為には、核燃料をリサイクルして使う必要があります。その為の施設が青森県六カ所村の再処理工場です。しかし工事が遅れ金額が嵩(かさ)み再処理は技術的にも未完です。そして、もんじゅが成功し無ければ核燃料サイクルは出来ませんから、再処理する事に意味が無く為ります。
 残る意味は、使用済みの核燃料を廃棄する為の処理工場と云う事ですが、それも又、ハッキリとした方法が決まって居ません。その内日本中が使用済み核燃料で溢れ返ります。今福島でプールに入って居るだけでも相当の量に為ります。それが各地の核発電設備でドンドン溜まって行きます。

 野田政権は、核発電の新設はしない、寿命が来たものは廃炉にする、20年で核発電を無くす、と云う方針ですから、額面通りだとすれば「もんじゅ」も「再処理」も今や無用のものです。予算も削られ始めて居ます。54基の核発電の敷地内に沢山の核廃棄物が山積みに為って居ます。ヤガテ、日本のアチコチで核廃棄物の山が出来るでしょう。

 〜平成のバカな先祖の置き土産 これより先は立ち入るべからず〜

 そんな看板が立つ廃棄場が日本中に溢れます。これは子孫に対する犯罪です。フィンランドでも核発電の新設で、核廃棄物をどうするかが問題に為っています。開けるな・近寄るな、と云う警告の看板を立てるにしても、10万年後にこの地域に住む人々はフィンランド語が読めるだろうかと真剣に議論されて居ます。この「10万年後の安全」と云う映画は今全国で順番に上映されて居ます。

 まとめるとこの様に為ります。核発電は「安くて、安全で、必要で、地球温暖化防止に為り、政策は着々で、将来性がある」と云う事で推進されて来ましたが、ここ迄述べて来た様にその様な話は全て虚構でした。
これ等は数値で比較出来る「ダメな理由」ですが、他にも、健康被害、労働搾取、危険な労働、データの捏造、事故隠し、やらせ、地元民の分断支配、不正選挙、買収工作、権力による冤罪捏造、倫理の欠如等、数値化出来ない反社会的な要素が多々あり、核発電は日本中に、アリトアラユル悪徳をばら撒いて来たと言っても過言ではありません。

 では、ナンで未だ核発電を遣って居るのでしょう。本当に不思議ですね。
 


       おわり


 




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原子力発電をどうする?  その4



 原子力発電をどうする?  その4


 




 4 原発は熱効率が悪く地球をより温暖化する  

 アル・ゴア米国元副大統領の「不都合な真実」と云う映画で、CO2が地球温暖化の原因だと言われ、二酸化炭素の排出を減らすには化石燃料を燃やさ無い核発電が好いと云う説が、実(まこと)しやかに言われて居ます。
 しかし二酸化炭素説は科学的に確定した話ではありません。因果関係は逆で、太陽等の活動によって地球が温暖化した事で、海中から二酸化炭素が放出されて増加したのだと云う説もあります。又、地球は寒冷化に向かって居ると云う説もあります。地球温暖化説や二酸化炭素説の真偽は別にして、実際は核発電は地球を加熱して居ます。

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 上のグラフは18世紀から21世紀に掛けて、ボイラーやタービン等の熱機関が効率を改善して来た様子です。故馬野周二さんと云う工学の権威が発明した評価法です。
 タテ軸は、利用されたエネルギーの量を利用されずに捨てられたエネルギーの量で割った値を、対数でプロットして居ます。例えば、最新の火力発電は熱効率が50%近くあり、利用されたエネルギーと捨てられたエネルギーがホボ等しいので、割った値は1に為ります。ヨコ軸は年です。そして、この様にグラフ化すると、熱機関の効率が過去300年間直線的に上昇して来た事が分かります。

 処が核発電はその上昇ラインから外れて、効率が悪く人類のトレンドに乗って居ません。折角の核エネルギーで、只お湯を沸かして居るだけでは、利用方法としてセンスが無いのですが、その上、核燃料棒のジルコニウムの被膜が高温に耐えられ無い事から、核発電は300度C以下で運転されて居ます。
 その為、熱効率は33%しか無く67%が捨てられて居ます。利用したエネルギー(33%)と捨てたエネルギー(67%)の比率は0.5に為ります。一方、新鋭火力発電所は500度C以上の高温で運転されて居ます。核発電は効率が悪いのです。

 二酸化炭素説を認めたとしても、核発電は地球温暖化を抑止しては居ません。効率が悪いからです。核発電で100万kwを発電する為には、300万kw分の熱が必要で200万kwが海に捨てられます。新鋭火力発電なら200万kwの熱で100万kwの発電が出来、捨てるエネルギーは100万kwと半分で済みます。
 又、核発電は消費地から遠い所に作られるので、送電ロスが大きく6%位に為りますから、都会で100万kwを得る為には発電所で106万kwを発電し無ければ為りません。しかも核発電は途中で止められず、電力需要が減る夜間でも夜通し運転し続け無ければ為らず、夜通し排熱を出して居ます。

 又、海水温が上昇すると海水に溶けて居た二酸化炭素が放出されますから、余り二酸化炭素の削減にも為りません。核発電を増設して、電力需要の大きな部分を原発で賄うと云う日本政府の長年の政策目標は実現不能に為って居ます。
    
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 先ず、これは世界の核発電建設の歴史です。1980年代迄は急増して来ましたが、スリーマイル島事故・チェルノブイリ事故でブレーキが掛かり、そのママ急降下して来ました。そして最近、二酸化炭素排出を減らす為に原発を再度推進しようと云う動きが在った中で、今回の福島の事故です。核発電への期待は一気に冷えました。
 同時に、二酸化炭素が地球温暖化の主因だと云う説の怪しさも露呈されて来ました。このグラフを普通に見れば、世界的には、少なくとも先進国では核発電はもう終わって居ると云う事です。

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 これ迄の40年間で日本では核発電設備が上図の黄色い棒グラフの様に建設されて来ました。その結果、合計の発電量は青い棒グラフの様に毎年大きく為って来て、2010年現在は図のピークの所に為っています。(この様な直線的な伸びは、自由経済では考え難い現象で、核発電が官僚主導の計画経済として推進されて来たことを物語って居ます)


 その5につづく








原子力発電をどうする?  その3



  原子力発電をどうする?  その3







 3 日本独自の原発の危険性

 3-1 地震が頻発する火山国

 日本の核発電には日本独自の危険性があります。先ず地震国である事で、欧米人は日本で地震に遭うとビックリ仰天します。欧米から見れば日本中何処でも地震の巣窟です。足った1ヶ月で日本列島が隠れる程に地震が起きて居ます。
 そして既に、日本の核発電は大きな揺れ加速度には対応出来無い事がアチコチで実例が出て居ます。福島第一原発も、津波で遣られたと公式には発表されて居ますが、その後に出て来る情報では、

 ・ 地震の一撃で配管が遣られて冷却水が降り注いだ事
 ・ 津波が来る迄の30分の間に既に1号基と3号基の緊急冷却装置が作動し無く為って居た事
 ・ 地震で送電鉄塔が倒れて外部電源を失って居た事等が言われて居ます。


 3-2 日本は人口密集地  

 次に日本は人口密集地です。一度事故が起きたら人々が疎開するのに巨額の費用が掛かります。スリーマイルやチェルノブイリは人口が希薄ですから半径200キロ位疎開出来ましたが、日本ではそれは出来ません。もし福島で大規模な疎開を実行すると為ると、それは新幹線や高速道路も通れ無いと云う事ですから、福島以北の経済が壊滅してしまいます。
 特に大津波からの復興が絶望的に為ります。地震直後の政府の対応に批判が多くありますが、どんな政府でも容易に対応出来る状況では在りませんでした。

 地震多発国で人口密集・産業密集の国に、大した備えも心構えも無しに54基もの核発電設備を作って来たことが間違って居たのです。

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 上の表は、左側が最近の地震の加速度(ガル)で、右側が核発電設備の設計上のガル耐久値です。自動車で追突されたりすると、急に突き動かされてガーンと云う衝撃が有りますが、在れが加速度です。因みに地球が引っ張る加速度(重力加速度)は980ガルです。日本の核発電設備が、この20年間に実際に起きた地震に全く耐えられ無い設計である事が分かります。

 菅前総理は7月、九州電力の玄海核発電の再稼働に際して、国際基準のストレステストを実施してそれにパスする事、と云う条件を着けました。このテストはコンピュータに数値を打ち込んでシミュレーションするテストだそうですが、玄海のガル耐久値は270でしかありませんから受かる訳がありません。これで受かったら、何のテストだ?と云う事に為ります。

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 上の表は、左側が最近の地震での津波の高さで、右側が核発電設備の設計における津波想定高さです。日本の核発電設備が、この20年間に実際に起きた津波で全て水没する設計である事が分かります。
 玄海の津波想定高さは3.7mでしかありません。核発電設備が林立する若狭湾では、津波は全く想定されて居無いと言って好いでしょう。野田総理は、定期点検の後に安全が確認された核発電設備は、住民の承諾を得て再稼働すると言って居ますが、こんな津波の想定では安全は確認されませんし、政府が安全が確認されたと言っても住民は納得しません。詰まり核発電の再稼働は出来ません。

 浜岡核発電の危険性は、作る時から言われて居ました。地震学者は、アソコだけは核発電設備を作ってはいけ無い、アソコに作るのは狂気の沙汰だと警告して居ました。福島で、地震によって核発電設備が脆(もろ)くも崩壊した以上、浜岡で運転を続けるのは自殺行為です。
 2011年5月6日、菅前総理は突然記者会見をして、浜岡の停止を要請したと発表しました。そして驚いた事に、政府が中部電力に浜岡の停止を要請すると、静岡県知事もトヨタ・スズキ・ヤマハ等の東海地域の有力な企業も、挙(こぞ)って政府の決断を英断と称え、中部電力も要請を受けて粛々と浜岡を停止しました。詰まり核発電は止められると云う事です。

 そして浜岡の核発電が全て停止しても、この夏の間、電力不足は起きませんでした。経団連の米倉会長は、唐突だ・オレは聞いて無い・産業をどうする気だと怒って居ましたが、経団連に相談して居たら浜岡の停止等出来無かったでしょう。
 産業をどうする気だと怒鳴り散らしても、トヨタやスズキが歓迎して居ますし、浜岡が止まっても電力不足には為ら無かったのですから、米倉会長の発言が単なるコケ脅しであったことは明白です。それに、政府が決めることに、イチイチ私企業の連合に過ぎ無い経団連にお伺いを立て無ければ為ら無い等と云うルールはありません。事前に相談されるのが当然だと思って居る米倉会長の心得違い傲慢振りが露呈しました。こう云う人々が核発電の推進派です。

 処で、浜岡を停止してみたら、最新鋭の炉内に海水が400トンも入って居た事が分かりました。何処かに穴が開いて居て、それに気付かず運転して居た訳です。大事故に為りかね無い処でした。これをもってしても日本中の核発電で杜撰(ずさん)な管理と運転が為されて居る事が分かります。
 人々は、核発電は危険でも、必要だから仕方が無いと洗脳されて来ました。しかしそれは事実ではありません。核発電が無くても電力不足は起こりません。原発は必要が無いのです。

 下の図は日本の発電能力で、黄色い所まで発電出来ます。実際に使って居るのは青い部分で、水力は20%、核発電は63%、火力は50%で、残りは休止して居ます。休止して居るのは故障して居る為では無く、核発電を優先する政策によって核発電以外は止められて居ます。
 グラフから分かる様に、稼働中の核発電が全部止まっても、火力や水力で余裕を以てカバー出来ます。又、日本には企業の自家発電が6000万kw、核発電の合計よりも沢山あり、その4割近くが政府の規制の為に遊休して居ます。政策や規制を変える事でこれ等の遊休分も利用する事が出来ます。

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 電力需要にはピークがあります。一番のピークは夏場の日中です。しかし今年の夏、核発電の多くが停止して居る中で、日本中何処も停電に為りませんでした。国民が節電に努力し、ガスタービンや自家発電等を緊急に活用する事で夏場のピークを乗り切る事が出来たのです。


 




 将来の需要はどうか

 電力需要は増えません。人口が減って居るからです。2010年をピークに人口は減って行きますから、電力消費はこれからドンドン減少して行きます。又、各分野で省エネルギーが進みます。

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 上の図は電気事業連合会の電力需要予測ですが、こうは為りません。自然にして居てもこんなに電力需要が増えることは無いのですが、その上、福島の事故によって国民の節電意識が高まり、省エネ製品が広く使用される様に為ります。
 又、福島の事故を見て子供を作ろうと云う人々が減る事が予想され、人口は予想以上に減る可能性があります。ですから電力需要は伸びず、赤い線の様に減少して行き、現在の設備能力の3分の1位で済む様に為るでしょう。


 その4につづく












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