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2019年05月17日

何故多くの日本人が「原発問題」に付いて思考停止に陥ってしまうのか?



 





 何故多くの日本人が「原発問題」に付いて思考停止に陥ってしまうのか



 現代ビジネス 5/16(木) 6:01配信より引用します




 何故多くの日本人が「原発問題」に付いて思考停止に陥ってしまうのか?


  精神科医師 堀 有伸氏署



          5-17-1.png

             精神科医師 堀 有伸氏


 堀 有伸氏 1972年東京都生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。大学病院勤務を経て、2012年から福島県南相馬市で精神医療に携わる。現在、ほりメンタルクリニック院長。うつ病や自殺等について精神分析学や社会病理から考察する論文を発表。著書に『日本的ナルシシズムの罪』がある。


 




 原発問題は面倒臭い? 進まぬ議論


 2019年4月8日、原発メーカーである日立製作所の会長で経団連会長でもある中西宏明氏が、原発の再稼働や新増設を提言する発言を行いました。その提言では原発の再稼働が遅れて居る事が問題視され、

 その為に電力の安定供給に疑問が生じコストも高く為って居る事、
 化石燃料を使う火力発電への依存度が現状で8割を超え環境への負荷が予想される事、
 再生可能エネルギーに付いては送電網の整備が遅れて居ること

 等が指摘されました。反原発を主張する動きに付いては、

 安全対策を尽くして居るのに、地元の自治体の理解が得られ無いと云った非難を行い、
 反原発を掲げる団体からの公開討論の申し込みについては「感情的な反対をする方と議論しても意味が無い」とそれを断った事

 が伝えられて居ます。正直、その中西会長の言葉を聞いた時には「福島での事故に付いての責任をどう考えて居るのか?」と私が感情的な反発を覚えてしまった事を白状して置きます。


 ソモソモ、東京電力福島第一原発の事故に付いての検証が終わって無いのに、長く原発推進の立場に在った当事者が日本経済に於ける重要な地位を占め続けて居る事、原発メーカーの当事者としての立場からの発言をその肩書きで行う事には違和感を覚えます。
 それと同時に、一部の反原発運動に関わる方の主張が感情的で「議論しても意味が無い」と感じさせてしまう点に付いては共感を覚え、自分の心が混乱をして居るのを感じました。

 多くの人が「面倒臭い」と感じて、日本の原発、そしてこれからのエネルギーをどうするのかを考えることを諦めてしまって居るかの様です。その結果、2011年の事故が起きて8年以上の月日が経つのに、本格的な議論は進んで居ません。私はこの現状に強い危機感を覚えます。


 原発推進派と反対派が声高に自分達の主張を述べるだけで、それ等が噛み合った議論に為りません。いかに相手の主張を潰すかに夢中に為って居る様に思います。本来は同じ国に暮らし将来を一緒に作って行かねば為ら無い国民同士の筈です。
 それなのに、未来に向けたビジョンを共有しながらも、夫々の立場の違いを認めながら「日本の良い将来を作る為にどの様なエネルギー政策を選択するべきか」と云う主題を離れずに議論を続ける事が全く出来て居ません。

 直ぐに目の前の議論での勝ち負けに夢中に為ってしまい、その議論が何処を目指すべきかと云う事を忘れてしまいます。中西会長の言葉で共感するのは、感情的な発言に終始するのは望ましく無いと云う点です。それ為らば、中西会長ご自身も、反原発の立場の方々への感情的な反発を煽(あお)るのでは無く、原発を再稼働する事が望ましいと云う根拠を、数字を用いて示して頂きたいと考えます。


 




 東京電力福島第一原子力発電所事故でどれ程の損害が生じたのか、それが明確にされ無ければ議論を進める事が出来ません。勿論、事故で失われたものの中には、お金に換算出来無いものも多く含まれて居ます。それでも矢張り、経済の専門家であり日本経済に於ける主導的な立場から再稼働に付いて発言されるの為らば、事故によって生じたコストに付いての評価を示して頂きたいのです。

 私は東京都出身ですが、2012年4月から福島県南相馬市に暮らし、原発事故の影響に付いての見聞を広める機会がありました。地域のコミュニティが蓄積して居た富がどれ程失われたのか想像も着か無い程です。
 除染や廃炉や賠償にこれ迄どれ位の費用が生じてしまい、この先もどの程度の予算を計上する必要があるのか、明確にし無いままでは国の将来が危ういと感じます。コストに付いての妥当性のある数字が示された上で、原発再稼働に付いての感情的では無い議論が可能に為るでしょう。
 それを欠いたまま議論するのは、放射線の健康被害に付いての、実際の被ばく「量(数字)」に付いての考慮が行われて居無い議論と一緒で、感情的で無意味です。


 




 何故思考停止に陥ってしまうのか


 本来為らば、ここで原発に付いての現実的な議論に進みたい処です。しかし私にはそこを科学的に論じる為の専門的な知識や経験はありません。然るべき方々がその作業を行って下さることを切望します。その代わりに、他の部分では妥当性のある行動を取ることも出来る日本人が、何故ここで全くの思考停止に陥ってしまうのかを、深層心理に迄さかのぼって考察したいと思います。
 そうするのは、自分の持てる能力を用いて、日本社会が危機的な状況を乗り越える事に貢献したいと願って居るからです。


 原子力発電は国策として行われて来ました。そして、日本人に取っての「国」詰まり日本を巡る表象群は、他国以上に強烈な無意識のコンプレックスを形成して居ます。国策の是非を論じる事は、このコンプレックスが刺激される事であり、その際には意識的な統制を失った言動が現れ易く為ります。
 それを避ける為に、為るべくこの主題に触れ無い様にして自分の心を守ろうとする反応が出現する事も珍しくはありません。この無意識のコンプレックスに私は「日本的ナルシシズム」と名前を着け、考察を積み重ねて来ました。その根本は、重要な他者への「融合的な関わり方」です。

 
 日本の組織では、独立した個人が、夫々の個性や基本的人権を尊重しながら構築して行く関係性が組織運営の基盤には為って居ませんでした。その代わりに組織への心理的な融合が強く求められたのです。
 組織への批判的な発言を行うことは、組織の活動に「水を差す」行為であると忌避されます。明確に言葉で表現されたルールや契約はその価値を軽んじられ易く、その代わりに、全体の空気や相手の意向を忖度して行動する技術の洗練が求められる様に為って行きます。
 そしてヤガテ、組織内部の感情的な一体感を、理論的な考察よりも重視する人間で無ければ、組織における重要な地位を与えられ無い様に為ります。

 この様にして、殆どの日本の重要な組織が外部の世界の変化に対応出来無く為り、多くのものが失われたのが平成の日本社会だったのかも知れません。


 




 戦後と原発事故後の日本社会


 ここで戦後日本の民主主義の受容に迄さかのぼって、批判的な考察を簡単に行って置きます。

 私は、全体主義的な社会から民主主義的な社会への移行の為には、深層心理における「他者との融合的な関わり方」が解消されて、一貫した個人としての責任を担える、独立した主体としての意識の有り方が確立される事が不可欠だったと考えます。
 精神分析の用語を使う為らば、社会のメンバーの為に、自我機能を適切に機能させる為の仕組みが確立されて居る事が、民主主義的な社会を作る為の前提です。

 しかし、戦後の日本では、その様な心理構造の奥深くに達す様な改変が必要である事は多くの場合に理解されず、心理的な「他者との融合的な関わり方」を重視したままで、その融合的な場で「民主主義」や「基本的な人権」の題目が語られると云う奇妙な事態が生じました。
 語られる言葉は、反権威の様な内容でリベラル風の雰囲気であるものの、その内部運営の有り方は全く民主的では無く、権威主義的だったりカリスマ的な指導者への心理的な融合を求めたりする様な組織や集団が、戦後の日本には頻繁に出現しました。但しこれは日本に於いて深刻であるものの、所謂、先進的な西欧の諸国でも認められる状況の様です。
 この事態への不満が、近年の世界的な潮流に於ける保守派の勢力拡大の一因だと感じて居ます。更に心理の深層に潜ります。


 





 「他者との融合的な関わり方」を求める傾向が強い事は、乳幼児的な「母子一体感」の境地が成人に為っても色濃く残って居る事を意味して居ます。
 この境地から心理的な分離が行われ無い要因に付いて、私の考察が依拠して居るクライン派の精神分析理論では、分離を試みる事で二種類の乳幼児的な不安が刺激される事に耐えられ無く為ってしまう事を指摘して居ます。少し専門用語を使う事をお許し下さい。

 一つは、妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安です。大雑把には、加害や復讐と云ったテーマを巡る被害感情や強い敵意や攻撃性が刺激される様な心理状態です。

 自力で生存する力を持たず、生存を全面的に母親的な存在に依存する乳幼児は「母の不在」と云う事態に強烈な欲求不満を覚えます。そこで生じる強い母への怒りや攻撃性は乳幼児の心を圧倒する程に強まります。
 今度は、強まり過ぎた自分の敵対的な感情も不安の原因と為ります。無意識的な空想では「自分が誰かを攻撃する」のは容易に「自分が誰かに攻撃される」に反転します。
 これは、自分が抱えて居た強い攻撃性を他者に投影出来る事を意味するので(正確には投影同一視と云う心理機制が働きます)、少し気持ちは楽に為る部分もあるのですが、今度は敵意を帯びた他者に囲まれて迫害されるのではないかと云う不安に苛(さいな)まれる様に為ります。


 原発事故後の日本社会は或る側面で、無意識的なこの妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安が高まって居たとも言えます。そこでは、日本社会に付いての理想化と扱き下ろしの意識の分裂も生じました。
 集団がこの様な心理状態の中にある時に、そこに属するメンバーの緊張感と警戒心は高まり、交感神経優位の「戦うか逃げ出すか」と云った行動の選択が優勢に為ります。放射線に付いての議論が感情的なものに為って居る時には、この妄想分裂ポジションへの心理的退行が起きて居る事が多い様です。


 




 日本的ナルシシズム


 しかし震災後8年が経過し、関係者が様々な努力を積み重ねて来た甲斐があり、この妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安は可なり改善して来た印象も持って居ます。そこで、今回の論考で重視したいのは、クライン派の理論に於ける乳幼児的な二つの不安の残りの一つ、抑(よく)うつポジションに於ける抑うつ的な不安です。


 妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安に巻き込まれた乳幼児は、ヤガテ自分が破壊的な言動を行った事が母親に与えたダメージの大きさに気が付きます。その時には、自分が大切なものを失ってしまった事についての罪悪感や後悔・悲しみを経験します。
 同時に、自分が攻撃性を向けた母親が生き残って呉れた事の喜びと感謝、自分の攻撃性の影響に限度がある事への安堵が生じます。この段階を超えて先に進む事で、一貫した責任を負う事が出来る様な成人の心の成立に近づく事が出来ます。


 原発事故に於ける被害に付いて、先に述べた様な数字を用いての現実的な評価を行え無いのは、日本社会が無意識の心理に於いて、この抑うつ的な不安を乗り越える事が出来て居無いからでは無いでしょうか。
 抑うつ的な不安は、成人では、自分の失敗によって「貧乏に為ってしまった」「富を失ってしまった」と云う情緒的な感覚とも親和性が高いものです。20年程前為らば、日本が経済大国である事を疑う人は居なかったでしょう。
 しかしその後、原発事故等を通じて、その地位は大きく揺らがされる事に為りました。経済力が失われた事・失われつつある事を直視する事が引き起こす不安に耐えられず、その為に現実的な対応が出来無く為って居る心理状態として、近年の日本人の心理状況を解釈する事が出来るかも知れません。

 その様な不安を回避する為に弱い人間が縋(すが)ってしまう心理的なズルが「躁的防衛(そうてきぼうえい)」と呼ばれる心の動きです。

 自分が引き起こしてしまった損害に付いて、それを償え無い・治せ無いと云う絶望的な悲哀の感情を持ち堪(たえ)える事が出来無い時に起ります。自分が傷付けた対象に付いての価値下げが行われます。自分が相手より優位に立って居るかの様に思ったり、実際にその様に振る舞う事で、失敗を認めて落ち込んだり大事なものを失った悲しみに囚(とら)われる事から自分を守ろうとします。
 そしてこの躁的防衛ばかりを繰り返し、抑うつ的な不安を味わえ無く為って居る現代日本社会の心理状況の事を「日本的ナルシシズム」と名指して考察の対象と致しました。

 躁的防衛にはポジティブな意味も有るのですが、矢張りそればかりを長期に使い続ける場合には弊害が目立って来ます。先に進む為には、「日本的ナルシシズム」に耽溺して居たい誘惑を超え、抑うつ不安を自分の心の中に抱えて味わい、それを一つの個としての心の全体性の中に統合して行くプロセスが必要なのです。


 





 日本人の道徳と共同体


 何故日本人に取っての自我の確立は難しく、周囲との融合的な関わり方ばかりが維持・継続されてしまうのでしょうか。それは日本社会に生きる上で、近しい人々とのズルズルベッタリした関係を断ち切って自己主張をする事は理解され難く、それとは反対に、融合的な関わりに留まる事で周囲からの報酬を何らかの形で与えられる可能性が高かったからだと考えます。
 前者は激しく価値下げされますが、後者は理想化されます。精神分析だけでは無く行動療法の話が混ざります。

 私は「問題行動を繰り返す人の治療に役立つ『シンプルな方法』」と云う小論を発表した時に「人間は、他の人から注目される(褒められる)行為は増えて行く」「逆に、他の人から無視される行為は減って行く」と云う原則があることを説明しました。
 それを踏まえて、現在の日本人は全体として「自己主張を行う人間は無視し、報酬を与え無い様に気を付ける」「自分を抑えて空気を読んで黙々と行動する人間を丁重に扱う」と云う道徳を共有し、それをお互いに強化する様な共同体に為って居るのでは無いかと考える様に為りました。


 精神科医の仕事をして居ると、先に述べた様な抑うつ的な不安・・・詰まり重要な存在を失った事による悲しみや怒り罪悪感を受け止めて呉れる場が失われて居る事を痛感します。
 詰まり、そう云う心情を吐露しようとしても多くの場合に無視される訳です。情緒的な一体感に水を差すものは忌避されます。それとは逆に、明るく前向きな姿勢を示すことが好まれ注目を集めます。これが「日本的ナルシシズム」が存続し、次第に強化されて行くメカニズムです。
 「明るく華やかで前向きに」して居る限りでは人が集まって来ますが、一寸でも弱みを見せれば、孤立しかねません。


 





 「1940年体制」と「タテ社会」の論理



 この様な日本的ナルシシズムの心性と不即不離の関係があるのが「1940年体制」です。これは経済学者の野口が主張したもので、太平洋戦争に向かう時代の日本に於いて成立した
 「国中の富が一度は中央に集約され、その後〈タテ社会〉のルールに則って、序列の中で中央に近い所から有利な条件の仕事や報酬が割り振られて行く様な社会体制」

 の事です。この事に付いては「原発事故から7年、不都合な現実を認め無い人々の『根深い病理』」と云う小論で詳しく紹介しました。


 このシステムの内部に生きる者に取っては、全体の雰囲気に合わせて行動する事で注目され報酬を与えられますが、それにソグワ無いものは無視され孤立して行きます。そして日本での原発は国策としてこのシステムを駆動する形で運営されて来ました。
 2011年の原発事故と関連して、事故前に津波による事故の危険性が指摘されて居たのにも関わらず、それが適切に取り上げられること無く無視されたのは、まさに「日本的ナルシシズム」が現実化した事態だったと考えます。

 私は原発事故が起きた事を切っ掛けに、この「日本的ナルシシズム」に付いての見直しと反省が為されるべきだと考えました。しかし、2012年から福島県南相馬市に暮らして見聞したのは「日本的ナルシシズム」が強化して再生産される事態です。
 原発事故による喪失の否認に貢献する内容為らば賞賛し、それを顕在化させる内容為らば軽視し、場合によっては非難すると云う日本社会全体が示した傾向は明確でした。被災者達の間でも「後ろ向きな事を口にするべきでは無い」と云う自己規制・相互監視が在りました。他に印象的なのは「自主避難者」達への冷徹な取り扱いでしょう。

 しかしこの事態を受けて、反原発派の一部が放射線の直接的な被害を強調し、上述したのとは反対の、原発の再稼働に貢献する内容為らば攻撃や無視を行い、その問題点を明らかにする内容為らば賞賛する・・・と云う逆方向のナルシシズムに振れてしまったのは残念なことでした。


 




 私の立場からは、もし原発の再稼働に本気で反対したいの為らば、強調するべきなのは放射線の直接的な健康被害では無く、膨大する賠償や廃炉の費用を送電の費用に上乗せし電気料金として国民に大きく負担させる制度を準備し、本格的に運用しようとして居る事のアンフエアさだと考えます。
 電力事業の中で、発電は自由化されて居ますが送電は自由化されて居ません。従って、送電の為の費用を支払うと云う形で、新電力の事業者も利用者も原発事故の賠償や廃炉の費用を負担する事に為ります。広く浅く国民から電気料金として費用を徴収し、タテ社会の上位に位置する電力会社は保護的な扱いを受ける様に為って居ます。

 震災の復興が進む中で、目立た無い様に着実に「タテ社会」の論理が復活し強化されて来ました。印象的なのは除染や復興の事業費の使われ方です。その予算は、大手ゼネコンに先ず分配され、そこから系列の協力企業(下請け)に更に分配されるお馴染みの風景が再現されました。
 そのこと自体を必ずしも悪い事だとは思いません。因みに、詳細は書けませんが、私が担当して居る震災のトラウマの影響が大きい患者さんで、福島第一原発近くの仕事に生活の為に関わって居る人が複数居られます。そう云った人々が「メンタルが病んで居ると元請けに知られ無い様に」等と気を使い乍ら、時にパワハラ的な状況にも対応しつつ働いて居る様子を聞く事があります。


 




 問題は何処にあるのか


 しかし問題としたいのは、他の大きな後ろ立て無く事業を誠実に行って居る地元の事業者への保護の為に使われて居る金額との差の大きさです。

 先日、南相馬市の企業で「凍天(しみてん)」と云う商品が愛されて居た「もち処木乃幡」が事業停止と為り自己破産を申請した事が報じられました。
 本店工場が原発事故による避難指示が出た地域に在った為に移転を余儀無くされ、様々な経営努力を行ったのにも関わらず、東京電力から賠償に付いても不十分な条件しか提示され無かった事情もあり、前述した様な結果に為った様です。

 昨年位から、住民の申し立てを受けた原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の和解案を東京電力が拒否する事例が増えて居ると報じられて居ます。2014年末には、東京電力が自ら「3つの誓い」と称して、

 @)最後の一人迄賠償貫徹
 A)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底
 B)和解仲介案の尊重」

 と掲げて居た事との一貫性の無さを、どの様に理解すれば好いのでしょうか。原発への反発の空気が強い期間だけは身を低くして耐え、その空気が退潮して来たと見極めた上で震災前から占めて居た「タテ社会の上位」の立場を自覚した言動が増えて来たと云う事かも知れません。
 原発事故を巡る東京電力と云う存在の在り方は、この数十年の日本社会に於いては、自主独立の精神等涵養(かんよう)しようとせず、日本社会の空気に融合してその上位に居る事を保つ事が、どれ位社会的・経済的に報われるものであったのかを示して居ます。

 私の問題意識に引き付けるの為らば、一貫した責任を担える主体であろうとする自我の機能は育たず、全体の空気への融合的な在り方から万能感が保障される日本的ナルシシズムばかりが肥大する社会の風潮が続いて来たのだと考えて居ます。
 只この場合にも、現実に好く目を配って、過度に東京電力に付いて価値下げし無い事も大切です。私は、特に現地の東京電力の職員達が、命懸けで2011年の事故とその後の対応を行って呉れた事への恩を忘れ無い様にしたいと思います。
 現在も続く、廃炉の作業もそうです。そして今後に付いて最低限の技術水準を維持する意図からも、東京電力の持つ原子力発電に付いての知識と経験の蓄積は貴重なもので在り続けます。

 「日本的ナルシシズム」と呼ぶ社会システムも、そのタテ社会の系列の上位を占める人々が、高い理念を持って外部の現実を好く観察し、それに対応する為の施策を打ち出して行く為らば、その内容が効率良く実施される事が期待出来る等利点も多いシステムです。


 出る杭が打たれ易い社会


 しかし問題は、融合的な一体感の中だけに引き籠(こも)って外部や他者との出会いに耐えられ無く為り、他者を尊重出来ず慇懃(いんぎん)に自分達が作って居る一体感が醸成する空気に融合する様に強(し)いたり、それを拒否する対象を排除したりする傾向が、特に影響力の大きいタテ社会の系列上位の人々の間で強まった場合に、社会の硬直性が著しく高まってしまうことです。
 経験出来る情緒(じょうちょ)の幅がとても狭く為り、自分が慣れ親しんだ空気と融合する事によるナルシシズムの満足ばかりを求め、それを超える驚きをもたらす他者や外部との出会いに耐えられ無いので、それ等を回避する様に為ります。
 当然、刹那的(せつなてき)で内向きの傾向が強まり、長期的な大きな視野からの見解は敬遠される様に為ります。

 この状況が更に進むと、自分が融合して居る空気の影響力が大きい事が、詰まりそれを信奉する人の数が増える等して勢力が拡大する事が、自らのナルシシズムの満足と社会的な成功に繋がり易く為り、それ以上の思考を放棄して、融合して居る一体感を強める事だけに邁進する心性が出来上がります。
 この様な心性の持ち主が、往々にして非常に立派な理念を語る事がありますが、それに相応(ふさわ)しい情緒の成熟が伴(ともな)って居無い事が普通です。


 




 日本的ナルシシズムが優勢な状況では、「出る杭は打たれる」と云う様な状況が生まれ易く為ります。「出る杭」と見做(みな)される人物は、融合的な一体感を何等かの意味で破る存在です。
 適切な思考が存在する場為らば、自集団の外部を意識した上で長期的な視点も踏まえて、その「出る杭」の示して居るものの妥当性に付いて判断し対応を決める事でしょう。しかし短期的な視点からの融合的な一体感を破られた事による不快な情緒だけが行動の駆動力に為る場合は、その「出る杭」は自動的に攻撃されるでしょう。
 そして攻撃を通じて再び一体感の中に飲み込む事が出来無い場合には、その対象の事を無視したり、敢えて似た別の存在を優遇する等してその存在を排除しようと試みる様に為ります。ここには、全体に一致することばかりを続けて「自分」を失って居る人からの、主体的な言動を示す人への羨望の念も働いて居ます。

 例えば「感謝の思い無く仕事を押し付ける」ことも羨望の現れと解釈される事があります。集団において何等かの美徳を示すものは、全体が許容出来る狭い情緒の幅に一致し無い限り、反対に攻撃や批判の対象と為ります。
 しかしこのことは、長期的なビジョンからの改革が不可能に為る事を意味し、過去の遺産を食い潰しつつ現状を変えられ無い状況を作り出します。名目は様々でしょうが、その目的は全体に融合する事でナルシシズムを満たして居る多数のメンバーの情緒的な満足を維持する事だけですから、その結果は不毛なものと為ります。


 





 平成は不毛な時間だったのか?


 しかし、この「日本的ナルシシズム」も、今後何時迄維持されるか分かりません。何故なら、日本の富が減少して行くのに連れて「全体と一致して居れば報われる」と云う期待が次第に維持され無く為って行くと予想されるからです。
 今までは潜在的だった「タテ社会」の上位に居れば優遇され保護されるが、下位に居る場合には切り捨てられると云った不信感が強まりつつあります。全体の空気への融合が、一部の層の利益だけを確保して居るのでは無いかと云う疑念です。

 その時に、より徹底した無秩序な状態が社会の中に出現する事を防がねば為りません。その問題意識からと思われますが、保守的な立場の人の一部が、日本的な道徳教育を強化して日本的ナルシシズムを維持しようとする動きがあります。しかし私は、この遣り方だけに頼る事は現実的な裏付けを欠いて居ると考えます。
 道徳を強調するよりも、例えば原発の再稼働を行いたいの為らば、本論の冒頭で求めた様な原発の収支に付いて根拠のある数字を用いて説得を試みる等、タテ社会の上位の位置を示して居る人々が、その場を占めるのに相応しい貢献を行って居る事を示す方が大切です。ソモソモ信頼出来る統計情報が記録・保存されて居ない等は論外でしょう。


 




 遠回りに思われるかも知れませんが、私が提唱する解決策は、抑うつ不安に繋がる情緒(喪失の痛みがもたらす悲しみや怒り等)を確りと味わう事を重んじる文化の醸成です。この事こそが重要であり、それを軽視してナルシシズムばかりを強化する風潮に抵抗する事が求められて居ます。
 何故なら、抑うつポジションの情緒的な課題を通り抜ける事で人間は、ナルシシズムの傷付きをもたらす体験の価値下げや切り捨てで自分を守ろうとするだけでは無く、自らの有限性を自覚した上で、自分が傷つけてしまった対象への配慮を示し、自分を支えて呉れた存在への感謝や、適切な罪悪感によって駆動される一貫した償いの行為が可能に為るからです。


 その様な情緒的な成熟を果たしたメンバーが社会の中で増えた時に、外部や他者に適切に関わることが出来る様に為ります。その上で、将来に向けたビジョンや長期的な展望が可能に為るでしょう。その先に真の日本の誇りが取り戻されます。
 残念ながら平成の日本は、自らが喪失したものを直視すること無く、自らのナルシシズムの傷付きを回避するばかりで不毛な時間を過ごしてしまった印象があります。

 令和の時代が、情緒的な成熟の重要性が認識され、喪失したものを「見る」事による痛みを通り抜け、外部や他者の有り様を正確に認識した上で、自らの有り様や行動を適切に考える事が出来る様な時に為ることを祈念して居ます。

   堀 有伸氏     以上



 






 【管理人のひとこと】


 本ブログでは、時折原発の状況を取り上げます。今回は、精神医的原発への関わり方への日本人の反応・・・とも呼ぶべき思考です。福島原発事故にソモソモ日本が原発に対応した精神的特徴を「日本人的ナルシシズム」「タテ社会」等の典型的症例だと述べられています。
 お上が考えた事だから敢えて反発しない、皆の考える様に沿って行こう・・・集団の思うままに同調することで、虐められる事も無く高く評価して貰える・・・それが、原発安全論を確立させ為すがままに全国に50以上の原発を作らせてしまったのだと。

 原発を再稼働させたいのであれば、正直にその利点を訴えて堂々と主張すべきだ。例えば経済性の利点であれば、正確な計算を行い、それに疑問を持たれ無い様な確固たる根拠を示せば好い。現在の様な計算は、不確かな上に根拠も不明確。
 例えば、原発の電力の原価計算で一番低く見積もられて居るが、他との比較が誠に否合理的で不正確だ等の批判が強い。単にランニングコストの低さを強調するだけで、放射能のゴミの処理・使用済み燃料棒の処理・青森六ヶ所村の経営費等全てがカットされています。更に一番重要なのが「核のゴミの最終処理」の問題です。

 ハッキリ言って、何処の国でもこの問題が原発問題の一番のネックに為って居ます。それでも。これを無視して原発を進めて居る国は、その問題を置き去りにして「問題を未来に放り投げて」居るからで、見切り発車をして居るだけ。
 経済的には現在考えられる安全対策を全て行うと莫大な経費を必要とし、既に計画段階で先には進め無い状況で、東芝も日立も海外輸出を諦めて居ます。幾ら努力しても原発は採算に合わ無いのです。それを国内での再稼働を望むのが経団連会長であり、国民を叱咤する言葉・・・これを素直に受け取れ無いのは致し方無いのです。



 






 

2019年05月15日

「愛子さま天皇論」に違和感 「女性・女系天皇」皇室記者らの見解は?〈AERA〉



 





 【ネットニュースより】




「愛子さま天皇論」に違和感 「女性・女系天皇」皇室記者らの見解は?〈AERA〉


 5/15(水) 8:00配信 AERA dot. より引用します



 天皇の「代替わり」で新しい時代を迎えた。現憲法下で、退位によって 新天皇が即位した事は〈変わる皇室〉を強く印象付けた。だが実際は課題が山積であり、皇位継承問題もその一つだ。長年の取材経験を持つ皇室ジャーナリスト3人が「女性天皇」「女系天皇」の容認の可能性等意見を交わした。


 座談会参加者

 久能靖さん  元日本テレビアナウンサー。数々の報道番組を担当。「皇室日記」のキャスターを長年務めた
 近重幸哉さん 「女性自身」皇室担当記者。長年皇室取材を担当。著書に『明仁天皇の言葉』など
 山下晋司さん 元宮内庁職員・元「皇室手帖」編集長。現在はBSテレ東「皇室の窓」監修等


 




 ・・・祝賀ムードに沸く一方で、将来の皇位継承に付いての議論も急がれて居ます。皇位継承権を持つ皇族が少ないと云う問題に直面して居ます。


 久能 私が好い機会だと思ったのは、1日にあった「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」です。これには、皇位継承権のある男性皇族しか出られません。30年前は両側に3人ずつ6人の男性皇族が立っていらっしゃったが、今回は秋篠宮さまと常陸宮さまの2人だけでした。アノ場面を見た人は「これは大変なことだ」と思った筈ですよ。
 山下 継承者の減少を、誰もが認識しただろう場面でしたね。
 近重 皇統は男系男子の継承で、126代にわたり繋いで来ました。それが現実問題として難しいと為ると、対策を考えねば為らなく為ります。今回、光格天皇から202年振りに生前でのご譲位と為りましたが、光格天皇の2代前は女性の後桜町天皇です。
 女性天皇はこれ迄にも8人10代いらっしゃったので、女性天皇の復活は難しく無いとも思います。そして、女性宮家に付いては早急にと思います。しかし、女系天皇と為ると、これ迄の天皇家には無かったものですから、国民に説明し慎重に検討し無ければ為りません。


 




 山下 「女性宮家」と云う概念に付いて、余りにも誤解が多いですよね。先日、或る政治家が「女性宮家の問題を先に検討する」と言うのを聞いたのですが、明らかに誤解しています。本筋は皇位継承の問題であって、この二つを切り離すことは出来ません。民主党の野田政権の時に目新しい「女性宮家」と云う言葉が出て来て、マスコミが飛び着き言葉が独り歩きして居る様に感じます。
 近重 女性宮家の理由が「今いらっしゃる皇室の方々がこのまま残ることが好い」と云う考えが前提であれば、何の解決にも為りません。悠仁さまがお生まれに為る前、小泉政権で設置された「皇室典範に関する有識者会議」が、「女性天皇」「女系天皇」を容認する報告書を出しました。紀子さまの悠仁さまご懐妊に伴い、皇室典範改正案の国会提出は見送られ、それから13年。後継者減少と向き合う皇統の問題は、今も何も解決されて居ません。
 山下 「女性天皇」「女系天皇」の容認にも、積極的な容認と消極的な容認があるでしょう。消極的に容認して居た人達は、悠仁親王殿下がお生まれに為ってから、声が小さく為った。


 




 近重 今の不安定な状況を打開するには、女性・女系を認める必要があると思います。ですから、女性宮家の創設を認めると云う議論も成立すると思います。けれども、これ迄男系男子を大切にして来た訳ですから、先ずは男系男子を優先して行き「万が一の為に女系も認める」と云う考え方も将来的には必要なのかも知れません。
 山下 それに、今は未だ「女性」「女系」と云う選択肢があるから議論が出来るんです。現状の制度のままで居る内に、眞子内親王殿下も佳子内親王殿下も愛子内親王殿下もご結婚され皇籍を離脱されれば、選択肢が無く為る事態も起こり得ます。
 近重 悠仁さまが天皇に即位された時、お子様がどうかと云う事も大問題に為ります。
 山下 悠仁親王殿下が結婚された時に今の内親王、女王方がどなたもいらっしゃら無くても、新しいご夫婦に全て賭けるのか。お子様が生まれ無かったらどうするのか。女の子だけだったらどうするのか。
 近重 皇室の存続を願うのであれば、喫緊の課題として考え無ければなら無いと思います。


 




 ・・・世間では一部「愛子さま天皇論」が盛り上がりを見せて居る様です。


 久能 問題の本質に付いて、積極的な議論が交わされていないのが残念です。「愛子さまか悠仁さまか」と言った二者択一の議論には違和感があります。
 山下 人を見て居るからでしょうか、制度の議論がし辛く為って居ますね。こうした状況を、ご本人達にも申し訳無いと思わ無いのでしょうか。
 久能 今後の皇統をどうして行くのかと云うことを総括的に考え無いといけ無いと思います。
 近重 そして、愛子さまがもし女性天皇に為られるのなら、少しでも早く国は示すべきだと思います。お心構えもご準備も必要です。

 久能 上皇后陛下は天皇陛下がお生まれに為った時に「あづかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながらかひな畏(おそ)れつつ抱く」と云う御歌(みうた)を詠まれましたでしょう。将来の天皇を育てる覚悟をお持ちに為り、既にうたって居られた。
 山下:そうですよね。天皇陛下はそんな環境でお育ちに為りましたから、子供の頃から「将来は皇太子、何れは天皇に為る」と云う意識を持たれて居た筈です。考えを育まれる上でとても大切なことです。急に皇太子や天皇に為ると決まることは制度上有り得ると思いますが、出来れば将来を踏まえた上でお育ちに為るのが望ましいと思います。
 近重 現行の皇室典範のまま進めば、ユクユクは悠仁さまが皇位を継承されることに為ります。けれども、私は皇位継承者がお一人しか居ないと云う状況は避けるべきだと思います。先日報じられたお茶の水女子大学附属中での事件もあり、何が起きるか判りません。上皇陛下が望まれて居るのは、時代を超えた安定的な皇位の継承ではないでしょうか。


 (構成/編集部・小田健司)

 ※AERA 2019年5月20日号より抜粋



 





 もう一つのレポートを参照します。男系男子に固執する天皇・皇室学者の八木教授のお話です・・・


 





 『女系・女性天皇』6割超賛成の危険性


 八木秀次教授 皇統は「男系の血筋を継承すべき」 


 産経・FNN世論調査 5/15(水) 16:56配信 夕刊フジ



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     「皇統に付いてのの正しい認識を持つべきだ」と語る八木秀次氏



 産経新聞社とFNNが11、12両日に実施した合同世論調査で、極めて深刻な結果が出た。「女系天皇」に賛成が64・2%で、「女性天皇」に賛成は78・3%だった。女系天皇の誕生は「皇統の終わり」を意味するものだが、その危険性が明確に理解されて居ない様なのだ。皇室制度に詳しい麗澤大学の八木秀次教授に聞いた。


 





 「万世一系とされる皇統は一貫して男系継承で、天皇の正統性の根拠と云える。126代の天皇はこの原理を外れたことは無い。皇位継承を、感情論や女性活躍と言った次元で論じては為ら無い」


 八木氏はこう語った。先ず「女性天皇」「女系天皇」は全く違う。女性天皇は過去に8人10代存在したが、全て男性の天皇や皇太子の皇女だった女性が即位されたもので「男系女子」の天皇である。
 一方、「女系天皇」は、女性天皇と民間出身の夫の間に生まれたお子さま(男女問わず)が即位する場合であり、その時点で男系の皇統は終わる。男系を簡単に云うと、父方だけをさかのぼれば皇室と血の繋がりがある事である。八木氏は、皇位継承の基本を次のように示す。

 (1)皇統は一貫して男系継承
 (2)過去の女性天皇は「男系の女子」
 (3)女性天皇は、次期天皇(男系の男子)が幼少等の理由で中継ぎ役
 (4)女性天皇のお子さま(女系)が天皇に為ったケースは無い
 (5)過去の皇統断絶の危機には、別の男系の血筋から天皇と為って居る
 (6)皇位は直系継承では無く飽く迄男系継承である。

 こうした基本を踏まえて、八木氏は総括する。

 「GHQ(連合国軍総司令部)占領下だった1947年、皇籍離脱を余儀無くされた旧11宮家の系統の男子に皇籍に戻って貰うべきだ。初代天皇以来の男系の血筋を引く家系だ。その男系の男子を、男性の継承者が存在せずに廃絶する可能性がある宮家に『養子』として迎え、宮家を存続出来る様に皇室典範を改正するのも一案だ。何れにせよ、万策尽きるまで男系継承の道を探るべきだ」

                   以上



 






 【管理人のひとこと】



 色々なTV番組で何度この八木教授のお話を聞いただろうか・・・初代天皇以来の男系の血筋を引く家系こそが男系男子の正式な天皇である・・・詰まりさかのぼって行くと初代天皇とされる神武天皇の血に行き着くのだと云う。

 先ずこれを認めるとすると、神武天皇が実在の天皇だと誰が認めるかだ。神武天皇は神話上の天皇(当時、天皇と呼ばれる者は存在せず大王・おおきみと呼ばれた)であり、彼が生きて居たとする何等の確証も無い。そして、それが仮に実存したとしても、神武の血が男系を通じて現在まで流れて居るとする〈一統〉だと信じるに足る何物も無い。
 神話で云えば、西暦の起源何百年も前の血筋をどうこう云う根拠が何も無いし出し様も無い。詰まり、想像での話に過ぎ無い。

 昔の昔の大昔の話なので、〈一統〉だと云う方が無理なのだ。恐らく表向きは男系の血をひく何代か前の天皇の男系子孫だと作り話をした上で皇統を繋いで行った・・・と考える方が自然だ。都合好くその家系だけが生き延びるのは万に一つも有り得無い奇跡以上の奇跡・・・作り話に過ぎ無いと断定出来る。当時の人は、今以上に病に弱く医療も無に等しい。祈祷して占う程度であり治療するとの考えも無い。
 でも又、未だ有り得たと仮定したとして「男系男子」に一体何の価値があるのだろう・・・天皇の血をひくのは男女共同じで、天皇の娘が皇室以外の男性と結婚して出来た子供が天皇と為る(女系天皇)のが何処が拙(まず)いのかの説得力が弱い。

 間に皇室以外の血が混じっては為ら無いのだろうか・・・詰まり、皇室以外の血が混じるのが嫌なのだろう。それなら近親間結婚しか無いがそんな事は無いだろう。天皇のお妃に男子が生まれ無ければ、何人もの女官を次々と変えて男子が生まれるまで努力しただろうし、どうしても出来なければ、血の濃い者を養子として迎えたであろう。何れも血はドンドン薄く為り・・・ヤガテ消えて行く。
 この事に何で大層に騒ぐのだろう・・・何度聞いても理解出来無い。八木氏は「今迄そうやって来た」「それが真実であり、女系は存在しない」とのみ回答するだけ。何の説得力も無く根拠も無いのである。


 




 観念でも宗教的な信心でも無い、一体何なのか・・・思い込みとそうあるべき論に始終するので理解しようとしても無理なのだ。そして、この男系男子に加担するのが産経・フジグループや安倍氏のブレーンとして有名な八木氏の様な人達で固まって居る。後に出て来る橋下徹氏も指摘する様に、彼等の意図する事が廻りに決して広がら無い。
 何度質問されても「今までそうヤッテ来た」と云うだけなのである。家を継ぐのであれば、娘しか居なかったら養子を迎えてその子に家を継がせる。過去にヤッテ居た普通の家督の継承だ。その何処が拙いのか・・・特に商人の家は、下手な息子より娘に優秀な社員を迎えて後を継がすのも好い方法だ。それで今まで生き延びた家系も多数存在する筈である。何の根拠の無い「男系男子」のお話だ。








 

秀吉の朝鮮出兵 必ずしも無謀とは言え無い?



 




 【管理人】


 歴史のお話ですが、面白い記事を見ましたので皆様と一緒に考えたいと存じます。



 秀吉の朝鮮出兵 必ずしも無謀とは言え無い?



 5/14(火) 12:07配信 PHP Online 衆知(歴史街道)より引用します



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              東大・山本博文教授



 朝鮮出兵 秀吉の目的は何だったのか?




 





 後陽成天皇が秀吉の朝鮮渡海を止めた理由


 全国統一を実現した豊臣秀吉は朝鮮への出陣を命じ、天正20年(1592)第一軍の小西行長等は4月13日に釜山城を包囲します。その後、日本軍は破竹の進撃を続け、5月3日には首都・漢城(現在のソウル)を落とします。
 これに気を好くした秀吉は、同月18日、甥の関白豊臣秀次に朱印状を出し、後陽成天皇を北京に移すと云う構想を表明します。後陽成天皇を明の帝位に就け、大唐関白に秀次を当て、日本の帝位には若宮(後陽成天皇の皇子良仁親王)か八条宮(皇弟の智仁親王)を就け、羽柴秀保(秀次の弟)か宇喜多秀家を日本関白にすると云うものです。
 そして秀吉は、居ても立っても居られず朝鮮に渡海すると表明します。自ら軍勢を率いて明を征服しようと云う事でした。

 これを不安に思った徳川家康と前田利家は「船頭共の言うには、土用の内7月は不慮の風が吹く恐れがあるので、万一の時は天下一同が相果てる事に為ります。私と前田利家を先ず派遣頂ければ、上意の趣はおおむね命じます」と涙を流して秀吉を止めました。この為秀吉は自身の渡海を延期し、石田三成・増田長盛・大谷吉継の三奉行を朝鮮に派遣します。
 その後、秀吉は、大政所(秀吉の母)の葬儀の為京都に戻り、正親町上皇や後陽成天皇の止めるのも聞かず再び九州の名護屋に行き渡海の準備をします。


 




 翌文禄2年(1593)正月5日、正親町上皇が崩御します。祖父上皇を失った後陽成天皇は、渡海の準備をして居る秀吉に宛てて宸翰(天皇の手紙)を出します。これには、次の様な事が書いてありました。

 「高麗への下向、険路波濤を乗り越えて行く事は勿体無い事です。家臣を遣わしても事足りるのではないでしょうか。朝廷の為天下の為、発足は遠慮為さって下さい。遠い日本から指示して戦いに勝つ事にし、今回の渡海を思い留まって貰えれば大変嬉しく思う」

 後陽成天皇は、何故秀吉の朝鮮渡海を止めようとしたのでしょうか。これ迄の研究では、後陽成天皇が秀吉の方針にヤンワリと反対を表明した政治的な手紙だとしています。しかし、そうでしょうか。
 後陽成天皇は、秀吉から北京へ行幸すると云う話を聞いた時、連れて行く公家の人選を始めて居ます。(跡部信『豊臣政権の権力構造と天皇』)秀吉の方針に異を唱える事等考えて居ません。後陽成天皇は、未だ20歳ソコソコです。秀吉が日本から居なく為る事に、言い知れ無い不安を覚えたのではないでしょうか。この為、縋る様な思いで、秀吉の渡海を止めたのだと思います。


 





 秀吉の関心は明のその先にあった!?


 それでは、何故秀吉は明の征服を考えたのでしょうか。実はこれは秀吉の独創では無く、秀吉の主君だった織田信長も大陸出兵の構想を持って居た様です。
 日本の史料には無いのですが、宣教師ルイス・フロイスが1582年(天正10)11月5日付で、島原半島の口之津から発信したイエズス会総長宛日本年報の追信(『16・7世紀イエズス会日本報告集』第3期第6巻)に、信長の考えとして次の様に書いて居ます。


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 「毛利(氏)を征服し終えて日本の全六十六カ国の絶対領主と為ったならば、シナに渡って武力でこれを奪う為一大艦隊を準備させること、及び彼の息子達に諸国を分け与える事に意を決して居た」

 この文章は、信長が本能寺の変で死んだ後に書かれて居るものですが、信長がフロイスに語って居たか、もしくは信長の関係者から漏れ聞こえて来た事だと推測されます。恐らく秀吉もこの構想を聞いて居り、心の中に有ったのだと思います。
 秀吉が朝鮮に出兵したのは天正20年(1592)ですが、未だ九州も支配下に置いて居ない天正13年(1585)に既に中国への出兵を表明しています。では、明を攻める目的は何だったのでしょうか?これは、学説の中でも色々と推測されて居ます。


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 1)秀吉の征服欲、名誉欲があったとする説
 2)当時、明とは国交が無く、貿易も出来なかったことから、明を服属させて貿易を行おうとしたと云う経済的な面から説明する説
 3)国内の統一戦争が終わった為、不要に為った兵力を国外に振り向けさせて大名を統制しようとしたと云う説
 4)ヨーロッパ勢力が進出して来たことに対する反発と云う説

 1〜3は、古くから唱えられて居る説で、夫々秀吉の意図のある部分は掴んで居ると思います。
 4平川新・東北大学名誉教授が主張した新しい論点です。

 確実な事は、秀吉は明と講和交渉に為った時「勘合」と云う事を持ち出して居る事です。詰まり秀吉は、中国との直接的な貿易を望んで居たのです。これに関連して、4に近い説ですが、武田万里子氏が、

 「秀吉の目的は、明の征服では無く、明を屈服させて大明四百余州の内の百カ国を割譲させ様としたもので、秀吉の関心は明そのもの、内陸では無くて、東シナ海から南シナ海に有り、これはイスパニア(スペイン)やポルトガルと云うキリシタン国のアジア進出への警戒と軌を一にして居る」

 と主張して居ます。(「豊臣秀吉のアジア地理認識―『大唐都』は何処か・・・」)こう考えると、秀吉の大陸進出と云うのも、全く無謀な計画と云うのでは無いのかも知れません。私も、秀吉の意図は、キリシタン国に対抗する為、海禁政策を執る明に軍事的な圧力を掛け、中国沿岸から東南アジアに掛けて展開して居た東アジア海域の中継貿易の主導権を握ると云うものであったと考えて居ます。

 一撃を与えれば、明が譲歩すると云う可能性が全く無いとは言い切れません。秀吉は、ソモソモ明の軍隊を弱いと思って居ました。「明は長袖(貴族)の国だから、戦国の中で鍛えて来た日本の軍勢には敵う訳が無い」と檄を飛ばして居ます。


 




 朝鮮に出兵した大名達は、朝鮮国内を直ぐに制圧して平壌まで行きます。だから、秀吉もその感を強くしたのですが、そこへ明の援軍が遣って来ます。明の援軍は、北方警備に当たる軍隊で、明を圧迫して居た女真族との激烈な戦いを経験して居たので、戦争の中で鍛え抜かれて居ました。その為小西行長達は、平壌を放棄して漢城近くまで戻ら無ければいけませんでした。
 この為秀吉も、体面を保つ事が出来れば、明と講和しても好いと考える様に為りました。しかし、明は、秀吉を「日本国王にする」と言うだけで、他の条件は無視したことから、結局、戦いを再開することに為ったのです。


 ※本稿は、山本博文著『東大流 教養としての戦国・江戸講義』(PHPエディターズグループ』より、一部を抜粋編集したものです。

 山本博文(東京大学教授)



 






 【管理人のひとこと】


 私達の多くは、秀吉の朝鮮出兵を「歳を取って耄碌(もうろく)した秀吉の誇大妄想」「国内を平定した戦後処理の為、大名達への領地を分け与える為」等と習ったか聞いた様な覚えがあります。何れにしろ結果として失敗したことで、余り評判の好いものでは無かった様に受け取られて居る。
 朝鮮から引き揚げた大名達と、参謀・目付として派遣された石田三成・増田長盛・大谷吉継の三奉行との対立が始まるのも、延いては関ヶ原の戦いの元に為ったのもこの朝鮮出兵が大本の様です。朝鮮で苦労し逃げ帰った大名達と、参謀・目付としての立場の違いがハッキリと対立せざるを得無い状況へと育てて行き、結局は、豊臣から徳川家康へと天下が動いたのも、豊臣支持が二つに割れたのも、全ては朝鮮出兵の敗戦だったのだと思います。

 しかし、秀吉がヨーロッパ勢のアジアへの牽制を快く思わず、それを阻止しようと考えての出兵だと考えると、信長にしろ秀吉にしろ大した先見の明が在るものだと感心します。日本史は決して日本独自で形作られたのでは無く、世界史の中に世界史と共に存在して居たのです。



 





 


2019年05月12日

天皇の生前退位の歴史を振り返る




 




 天皇の生前退位の歴史を振り返る



 Go to the profile of 汎兮堂 Jul 23, 2016より引用します

 
 Go to the profile of 汎兮堂 薬剤師・スポーツファーマシスト / サイト→https://www.hankeidou.jp



 先日、天皇陛下が生前退位の意向を示されたと云う報道が為され様々な議論を呼んで居ます。実際に退位の意向を示されたのかどうか、事実は我々には知る由もありませんが、この際、天皇の生前退位の歴史を振り返ってみるのも無駄では無いかと思います。


 




 最初と最後の生前退位


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      乙巳の変 (左上の女性が皇極天皇)


 歴史上、初の天皇の生前退位は645年、乙巳の変(大化の改新)直後に、皇極天皇が同母弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲位した時です。退位した皇極天皇はその後、孝徳天皇の死去に伴い、再度天皇に即位し斉明天皇と為ります。この様に一度退位した天皇が再び即位する事を重祚と云いますが、斉明天皇は日本史上初の重祚した天皇でもあります。

 因みに天皇は生前退位すると「太上天皇(上皇)」と為りますが、実は皇極天皇の時代には未だ「天皇」の称号も「太上天皇」の称号も用いられて居無かった。「天皇」が用いられる様に為るのは天武天皇の時代(672〜686年)の為、皇極天皇は史上初の上皇ではありませんでした。史上初の上皇は697年に文武天皇に譲位した持統上皇です。
 現在迄の処、史上最後の生前退位は文化14(1817)年に仁孝天皇に譲位した光格天皇です。これ以降、生前退位した天皇は現在まで居ません。明治以降は制度的にも天皇の生前退位は認められ無く為りました。


 




 生前退位の理由


 (1) 「天皇の死」を避ける為 場合によっては「没後退位」


 史上初の上皇の持統上皇(第41代天皇)から最後の上皇の光格上皇(第119代天皇)迄59人が生前退位して上皇と為って居ます。詰まり79人の天皇の内59人が生前退位して居る訳ですから、可なり多い様に思えますが、実はこの中には亡く為る直前に退位した天皇も多く含まれて居ます。
 亡く為る直前に退位し無ければいけ無い理由は、日本独特の「ケガレ」を忌避する文化にあります。「死」はケガレの源と考えられて居た為、天皇が在位中に亡く為ってしまうと、天皇と云う地位そのものがケガレてしまうとされ、その様な事態を避ける為、天皇が亡く為りそうに為ると退位・譲位して上皇に為ってから亡く為って頂く事にした訳です。

 醍醐天皇・一条天皇・後朱雀天皇等皆この例です。只、何事も予定通りにはいか無い事が多いもので、譲位の手続きが間に合わずに容態が急変して亡く為ってしまう場合もありました。そう云う場合でも亡く為ったことを隠して譲位の手続きを完了した上で、上皇として亡く為った事にしたのです。
 平安時代の後一条天皇や江戸時代の後桃園天皇等がこれに当たります。こう為ると最早実際には生前退位では無く「没後退位」なのですが、形式上は生前退位したことに為って居るのです。


 




 (2) 権力者からの強制 「権威」と「権力」の抗争


 天皇が日本の歴史を通じて最高の権威で在ったことは間違いありませんが、実際の政治権力を握って居た時期はそれ程長くはありませんでした。
 殆どの時代、実際の政治権力を保持して居たのは天皇以外の者であり、それは蘇我氏であったり藤原摂関家であったり上皇であったり、征夷大将軍であったり執権であったり、織田信長であったり豊臣秀吉だったりしました。

 彼等の天皇との関わり方は夫々異なるものでしたが、場合によっては自分の意のままに天皇を交代させ様とした者も居ました。古代の蘇我氏の場合は崇峻天皇を殺害してしまいましたが、流石に臣下が天皇を弑逆すると云うのはこれ以外に例が無く、代わりに退位を強制すると云う手段を取った訳です。
 史上初の生前退位と為った645年の皇極天皇の退位も、乙巳の変で蘇我氏を滅ぼして実権を握った中大兄皇子の意向が働いて居たと考えられます。皇極天皇は中大兄皇子に取って実母ですが、蘇我氏の専横を許して居た皇極天皇を続投させる訳にはいか無かったのでしょう。


 




 平安時代、藤原氏の摂関政治が定着すると、自らの孫に当たる皇子を天皇に即位させて外戚の地位を得るために現天皇に退位を迫ると云う事が横行する様に為ります。「この世をばわが世とぞ思」って居た藤原道長は娘の彰子が産んだ敦成親王を即位させる為に三条天皇に退位を迫りました。
 三条天皇は抵抗しましたが、眼病が悪化したこともあって抗し切れず敦成親王に譲位しました。敦成親王は即位して後一条天皇と為り、道長は念願の摂政と為ります。

 院政の時代には、天皇家の家長たる「治天の君」の意向によって天皇の首が挿(す)げ替えられました。この時代天皇は「東宮(皇太子)のごとし」と評され半人前扱いでした。鳥羽上皇は寵愛する美福門院(藤原得子)の産んだ皇子(近衛天皇)を即位させる為、同じく息子ではあるものの待賢門院(藤原璋子)との間の子である崇徳天皇に退位を強制しました。後の保元の乱に繋がる皇室内の亀裂がここから始まって行ったと言われて居ます。


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          後鳥羽上皇(左)・順徳上皇(右) 


 又、鎌倉時代の後鳥羽上皇は長男である土御門天皇の温和な性格が物足り無かった為退位を迫り、激しい気性が自らに似て居る三男の順徳天皇を即位させました。そしてこの後鳥羽・順徳両上皇の父子が鎌倉幕府打倒を目指して失敗する承久の乱を引き起こすことに為ります。
 尚、順徳天皇の後を継いで即位して居た懐成親王は承久の乱後の処理により在位3ヶ月で「廃位」されました。「廃位」の場合は退位と異なり即位そのものが取り消され、歴代の天皇として認められません。但し、懐成親王は明治に為って天皇として認められることに為り「仲恭天皇」と追号されました。

 承久の乱の後は、武家政権の承認なしに皇位継承を行うことは不可能と為り、事実上、皇位決定権を武家が握ることに為りますが、武家と朝廷の力関係、或は武家政権及び朝廷双方の内部対立等様々な要因が絡み合う事と為り、全ての場合に武家政権の思い通りに為った訳ではありません。
 戦国の覇王織田信長も、時の正親町天皇に何度も譲位を迫ったものの天皇が最後まで拒絶した為実現し無かったと言われて居ます。只、逆に正親町天皇が譲位を望んだが、費用等の面から信長が同意し無かった、と云う説もあります。


 




 (3) 天皇自身の希望による退位 「サプライズ退位」も


 江戸時代迄は生前退位が普通に行われて居る事であった為、天皇自身の希望による退位も少なくありませんでした。理由は、a上皇と為って院政を敷く為 b退位して休養や治療に専念する為 c何らかの抗議の意思を示す為等色々です。

 只、天皇の退位とも為れば、 幾ら本人が希望したからと言って直ぐに実行と云う訳には行きません。退位と云う事態は自動的に次の天皇の即位を意味し更に次の皇太子も立て無ければ為らず、夫々に付いてキチンとした儀式を取り行わ無ければ為ら無い為、莫大な労力と費用が必要と為る訳で、各方面への根回しと調整を行った上で実際の退位の段取りに入るのが通常です。
 特に武家政治の時代に為ると、退位に伴う費用は武家政権が負担するのが慣例と為り、従って武家政権の承諾を得る事が必須と為ります。処が、この様な事前調整を無視して退位を強行した例があります。江戸時代初期の後水尾天皇です。


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               後水尾天皇


 後水尾天皇は慶長16(1611)年に父の後陽成天皇から譲位されて即位しました。即位後、江戸幕府は大坂の陣で豊臣家を滅ぼして支配体制を強化し、朝廷に対しても禁中並公家諸法度を制定してその行動を幕府の管理下に置き、朝廷が何かを決定する際には幕府の承諾を必要とする制度を確立して行きました。
 幕府は後水尾天皇に対し即位直後から2代将軍秀忠の娘和子の入内を申し入れ天皇もこれを受け入れましたが、大阪の陣や大御所家康の死、更に後陽成上皇の崩御等が重なり延期が続き、その間に天皇は四辻与津子(およつ御寮人)と云う女官を寵愛し二人の間には皇子・皇女が生まれてしまいました。この事が発覚すると幕府は激怒し、天皇側近の公卿の処罰と四辻与津子の追放を強制した上で和子の入内を強行しました。(1620年)


 




 更に1629年には、紫衣(朝廷が勅許により高徳の僧侶に与える紫色の法衣)の授与に付いて幕府に事前の相談が無かったことを理由に、後水尾天皇が与えた紫衣を僧侶から取り上げることを決定し、反抗した僧侶を流罪にすると云う「紫衣事件」が起こり、天皇は幕府によって勅許を踏みにじられると云う屈辱を受けます。
 度重なる幕府の横暴に反発した天皇は紫衣事件が起きた1629年の11月、幕府への通告をし無いまま、突如、皇女興子内親王(徳川和子の娘の明正天皇)に譲位します。事前に「密勅」を受けて居た極一部の側近を除いて関白以下の公卿達も何も知らされ無いままに、当日の朝、突然呼び出しを受けて参内しそこでいきなり「本日、御譲位行わるべし」と告げられると云う、前代未聞のサプライズ退位でした。

 この異例の譲位に付いて京都所司代から報告を受けた幕府は驚愕します。朝廷への統制を強化し要約それが確立したと思って居た幕府に取って、自らの承諾を得無いで行われた譲位は当然認められるものではありませんでした。その気に為れば力ずくで譲位を取り消させることも可能ではあったでしょうが、そんな事をすれば返って事が重大化し、天皇と朝廷の存在感が増してしまう事に為りかねません。
 江戸幕府の一貫した方針は、天皇と朝廷の存在を出来るだけ民衆から隠す事にありました。天皇と云う、将軍様よりも上の権威が存在する事を民衆が認識してしまうと将軍と幕府の権威が低下してしまうからです。従って、この件に関しても幕府は為るべく事態が表面化し無い様、非公式のルートで情報収集と朝廷工作を進めて譲位のモミ消しを図ります。

 しかし、後水尾上皇とその周囲の結束が意外に固く、穏便に譲位を取り消させることは適わ無いと悟った幕府は最終的にこの譲位を追認します。思い通りに譲位を成し遂げた後水尾上皇は、その後50年に渉って上皇として君臨、延宝8年(1680年)に85歳と云う長寿(当時、歴代最長記録。その後、昭和天皇による記録更新があり、現在では歴代2位)で亡く為ります。


 





 生前退位の歴史を踏まえて


 様々な生前退位の例を見て来ると、そこには天皇本人も含め関係各者の思惑が絡み合って居ることが判ります。現在、生前退位の法制化に懸念を示す人達の意見として
 「時の政府の意向で退位を強制されたり、天皇本人が政治的意向をもって退位したりする危険がある」 
 と云うものがあります。歴史上の退位の例を見れば確かにその懸念には一理あります。一方で
 「現在の象徴天皇に政治的な権能は一切無いのだから、政治的な意向でその地位を奪ったり放棄したりする懸念は無い」 
 と云う意見もありますが、それはどうでしょうか。

 江戸時代の天皇には政治上の権力は無く、当時の政府である幕府の統制下にありました。その意味では現在の象徴天皇に近いものがあります。更に当時の天皇は、上述の通り、幕府の意向で完全に民衆の目から隠されて居ました。
 現在、マスコミを通じて国民が日常的に天皇や皇室の動向を目にすることが出来るのとは大違いです。その様な当時の天皇でさえ、後水尾天皇のサプライズ譲位の様に幕府を揺さぶることが出来ました。結局の処、政治上の権力が有ろうが無かろうが、天皇に唯一無二の「権威」がある以上、それを政治的に利用することは可能でありその危険は常にあるのです。


 


 「政治的な退位」を防いだ上で生前退位を法制化すると為ると、退位の理由を健康上の問題に限定することが考えられますが、そう為ると、aそれを診断する医師は誰が指定するのか  b 政府が指定するとしたら、政府や特定の団体等がその医師に何等かの働き掛けをする可能性は無いのか cそもそもどの程度の健康問題であれば退位が認められるのか・・・等ナド検討し無ければ行け無い事が次々と湧いて来ます。
 又、天皇の生前退位が認められるのであれば、皇位継承権者に付いても同様に辞退が認められる必要があります。そうしないと「退位する為に即位する」と云う奇妙な事態が生じる可能性があるからです。

 色々と考えて来ると、生前退位の法制化には可なりの困難が伴いそうです。1年や2年では到底無理なのでは無いでしょうか。ヨーロッパの君主国等では生前退位が広く行われて居る様ですが、それ等の国の君主と日本の天皇を同列に論じる事は矢張り無理なのかも知れません。
 恒久的な「生前退位制度」の制定では無く、今上陛下の今回の事例に限定した特別措置法の様なものが制定可能であれば、比較的早期に退位出来る様に為るかも知れません。その様な法律を制定することが法的に問題無いのかどうか、正直、私には判りません。
 只、生前退位が問題に為るのはそう頻繁にあることでは無く、次に問題に為る頃には、医療も想像がつかない程進歩して居る可能性があるので、生前退位の制度化はそれに費やされる労力程には意味が無い様な気がするのです。従って恒久的な制度改変の議論に時間を費やすよりも、摂政制度の活用も含めて、取り敢えず今回の事例について為るべく早く解決が為される道を探るのが妥当ではないかと個人的には思います。

                  以上


 




 【管理人のひとこと】


 今回の生前退位に付いて、前回の平成時と異なり誠に賑やかに行われた事で、世の中は一時お祭り騒ぎに迄発展しました。多くの国民が「おめでとう」と言えるし、新たな年号の「令和」もつ恙(つが)無く受け入れられたと政府もホッとして居るでしょう。
 この間、生前退位に反対する大きな力も国民の多くの声に負け、今回一回の特例として法律化されました。筆者の予想通りです。そして、反対する人の立場や理由もこのレポートのお蔭で理解することも出来ました。この様に説明されると「なるほど」と頷けるのですが、世に出て来る専門の学者と言われる方々の説明は、何度聞いても納得出来なかったのは一体どうしてなのか・・・

 一つ気に為ったのは、「次に問題に為る頃には、医療も想像が尽か無い程進歩して居る可能性があるので、生前退位の制度化はそれに費やされる労力程には意味が無い様な気がするのです・・・」との言葉です。何か人間の生死を医療の発展に任せて・・・例えば医療で死を延ばす様な措置を採れば問題無い様な形容の仕方は頷けません。飽くまでも医療は、快く自然死を遂げられる為の補助なのです。植物人間として徒に延命する処置は人間の威厳を失わせるものですから・・・



 



 









消滅していく君主制



 





 消滅して行く世界の君主制



 2008年02月12日 XMLより引用します



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           著書「プリンセス・マサコ」


 





 オーストラリア人ジャーナリストのベン・ヒルズ氏は、20世紀の初めに世界の人口の90%は君主によって統治されて居たが、今では10%以下に為ったとして、著書「プリンセス・マサコ」(第三書館刊)で次の様に述べて居る。



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               ベン・ヒルズ氏


 ミレニアムを祝う花火が打ち上げられた頃には、君主を抱く国民は世界の10パーセント以下に減って居た。それ迄の百年間に、戦争があり革命があり偶には民主的な投票によっても君主の三分の二が消え去った。今日世界に残って居る王家は30家だけで、その殆どが、憲法や選挙による議会や独立した司法等によって権力を弱められて居る。三カ国(スペイン・カンボジア・ウガンダ)だけが後に考えを変えて君主制を復活させた。
 注目すべきはブルガリアのシメオン二世で、2001年に半世紀の亡命生活から国に戻り、新しい政党を作って首相として選出された。

 この変化が全て人類を幸せにしたと言えるなら好いのだろうが、中国・ソ連・マルクス主義独裁の北朝鮮・ラオス等を見れば、君主制の廃止が必ずしも民主主義や人権の尊重、国民の生活向上に繋がるとは言い切れ無い事が判る。その点では、君主制を創始する事も同じだろう。中央アフリカ共和国の国民は、その結果をこれから見ることに為って居た。
 20世紀の初め、皇帝(エンペラー)と呼ばれる統治者は5人居た。その内一つの系統だけが生き残って居る。それが日本である。但し、その帝国は既に消え去って久しい。実際、天皇をエンペラーと翻訳すべきかどうかと云う議論がある。天皇に充(あ)てられる漢字は「雲の上に居る神の様な支配者」と言った様な意味である。


 




 ハブスプルグ家最後の皇帝のオーストリア=ハンガリー皇帝カール一世、そしてドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の二人は、第一次世界大戦終結と共に帝位を追われその帝国は解体され、新しいドイツ共和国とオーストリア=ハンガリー共和国がヨーロッパの地図に書き込まれた。
 イギリスの最後の皇帝ジョージ五世はインドに皇帝位を返上、イギリス硬貨の裏に刻印されて居た「Ind Imp(インド皇帝)」の文字は取り除かれた。ベルナルド・ベルトルッチの息を呑む様な映像のお蔭で二十世紀で最も有名に為った皇帝と云えば、中国の最後の皇帝薄儀(ふぎ)だが、彼は1912年に皇位を失い、その後日本の支配する満州国の傀儡(かいらい)君主として第二次世界大戦が終わる1945年迄皇位に在った。しかし、実は薄儀は最後の皇帝では無かった。

 アフリカの角に位置する、飢餓と荒廃の広がる国エチオピアのハイレ・セラシエ一世は、王の中の王・君主の中の君主・ユダの部族を統べるライオン・神に選ばれし者・・・等々は、ホボ半世紀の間エチオピアに君臨し、1974年にマルクス主義者のクーデタによって退位させられ数カ月後に死んだ。(窒息死とも言われる)

 ベン・ヒルズ著、藤田真利子訳「プリンセス・マサコ」第三書館 104ページから引用


 




 尚、同書によると20世紀に君主制を廃止した国は次の通りである。以下の国は20世紀に君主制を廃止した。

  1910 韓国・ポルトガル
  1012 中国
  1917 ロシア
  1918 オーストリア・ドイツ・ドイツ帝国・ドイツ帝国内国家フィンランド・リトアニア・ポーランド
  1924 トルコ・モンゴル
  1931 スペイン(但し1975年に王政復古)
  1944 アイスランド
  1945 満州・ベトナム・ユーゴスラビア
  1946 ハンガリー・ブルガリア・イタリア・アルバニア
  1947〜1950 インドとインド太守国家
  1953 エジプト
  1956 パキスタン
  1957 チュニジア
  1958 イラク
  1960 カンボジア(1993年に王政復古)
  1961 南アフリカ
  1962 北イエメン
  1966 ブルンジ
  1967 ウガンダ内ブガンダ・トロ・ブンヨロ・アンコル(1993年に王政復古)・南イエメン、
  1968 モルジブ
  1969 リビア
  1973 アフガニスタン・ギリシャ・エチオピア
  1974 マルタ
  1975 ラオス・シッキム
  1979 イラン・中央アフリカ帝国
  1987 フィジー
  1992 モーリシャス

 同書 108ページから引用


 




 ベン・ヒルズ氏は上に引用した文章で、君主制の廃止が必ずしも民主主義の発展や国民の生活向上に繋がら無い事を指摘して居るが、それは事実としてその通りかも知れ無い。しかし、民主主義の理念が君主制とは相容れ無いものである事も又論を待た無い。君主制の下で一定の範囲内の民主主義は可能かも知れ無いが、より一層の発展の為には君主制は障害物以外の何物でも無い。


               以上



 





 【管理人のひとこと】



 天皇・皇室の方々の人権を認めよう・・・


 天皇や皇室の方々に、この文章は決して読まれたく無いのだが、恐らく殆どの方々は、既に充分この問題を熟知し悩み考えた事だろう。その末に、無理にでも自分を納得させて居られると思う。だから、彼等彼女等の心の中には、人に告げられ無い多くのものを抱えてお過ごしだろう。
 「普通の人に為りたい」「何度思い考え悩み抜いた」ことだろうか・・・そして、周囲の人々から忠告や励ましを贈られ、ヤット平常心を取り繕(つくろ)って居るに過ぎ無いのだ。そう考えると「天皇・皇室の方々の人権」に付いて、ご本人からご発言されぬこと故、猶更(なおさら)、私達国民の側から前以て充分な措置を執る様に動か無ければ為ら無い。それがどの様な法律なのかどの様な内容なのか・・・は、勿論当事者の方々のご意見を充分以上に汲み取ったもので無ければ為ら無い。

 我が国の天皇・皇室関係者は生真面目で優等生過ぎる。と云うより我慢し過ぎでは無いだろうか。時には政府に逆らい国民に反省を求める様な発言があってコソ国民統合の人間的な象徴と云えるのだ。彼等が、何も考えず何も感じ無い無機質な道具であって欲しく無いのは、国民が最も望むもので、何も100%の支持等は必要無い。好き嫌い半々もあればベターだろう。


 




 私達国民が、彼等に余りにも完全を求めてはいけ無い。嬉しい時に腹から笑い悲しい時は心から嘆き悲しむ・・・その姿こそが「国民と共に歩まれる天皇」の本当の姿だ。被災地に必ず出向く事も恒例化しては為ら
無い。心の中でお悔やみと励ましがあれば充分だ。
 色々なスキャンダルがあっても人間だからコソ。常識から外れた行いが目立っても好い。時にはヤンチャで不貞腐れた態度を取っても一向に構わ無い。それが自然な人間の姿だ。サイボーグやお人形が好いとは誰も思わ無い。それこそが拓(ひら)かれた皇室だとも言える。

 余りにも国民が干渉し過ぎると「天皇に為りたく無い」と言われたらそれ迄だ。そんな事態に為ったらそれコソ内閣総辞職でも足り無い、世界からお笑い者の国民に為ってしまう。国民と天皇・皇室の間には一方通行では無い、相互による理解と遠慮と思い遣りと愛情が無ければ為らぬ。その付き合い方を学ぶ為にも、ご本心を隠さず国民にブツければ好い。それが、身勝手だ政治利用だ等とは誰も思わ無い。

 世界にも特異な我が国独自の天皇制は、その制度を国民が求め承認する事で、或る意味天皇と皇室の方々の人生を大きく拘束する事に為る。それを好く理解した上で、国民も天皇や皇室も、出来るだけ少ない犠牲の上で互いに幸福な生活を送られる様な制度に変えねば為ら無い。
 その意味で、古い大昔からの伝統や仕来りや風習等は、都度、最小の犠牲に抑え最良な効果を挙げるべく改正するべきであり、それは早ければ早い程好い。



 






 







 


女性天皇実現に向けて本格議論、ハードルは決して高くない




 





 【ネットニュースより】



 女性天皇実現に向けて本格議論

 ハードルは決して高く無い



 5/12(日) 16:00配信  NEWS ポストセブン より引用します



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 「愛子さまを天皇に」待望論が再燃



 
 宮内庁では、古代日本から126代続く皇室の文化や制度、儀式や祭祀に関する膨大な文献が管理されている。今改めて、それ等の記録が丁寧に調べられて居ると云う。

 「過去に女性天皇が在位していた時の資料を掘り出して、その間に宮中祭祀や儀式がどのように行われていたかを調べて居るそうです。例えば、新天皇は即位の礼で、天皇の玉座である高御座(たかみくら)に立ち、皇后は御帳台(みちょうだい)に立たれます。過去の女性天皇は即位された時、高御座に立たれたのかどうか。
 又、皇室には古来から独特の〈血の穢れ〉の思想があり、女性皇族は生理中には宮中祭祀に参加されません。かつての女性天皇はどうされたのか。そうした具体的な事案まで調査し、女性天皇容認の本格的な議論に備えているようです」(皇室ジャーナリスト)


 改元を跨いで、女性天皇実現に向け水面下で着々と準備は進んで居る。


 




 愛子天皇待望論が浮上


 賛成79.6% 令和時代が始まった直後の5月1、2日に共同通信が実施した緊急世論調査が大きな話題となった。皇室典範で「男系男子」に限るとした皇位継承をめぐり、女性天皇を認めることの賛否を尋ねた結果、「賛成」が79.6%で「反対」の13.3%を大きく上回った。
 時代の移り変わりを目撃した国民は、皇室の歴史と女性天皇に大きな関心を持った様だ。5月4日には、歌手の宇多田ヒカル(36才)が《日本の皇室の長い歴史の中には、女性が天皇だったことが何度もある(8人、10代)と知り驚く》とツイッターに書き込み、大きな反響を呼んだ。

 5月1日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日系)は、現状で女性天皇の議論が遅々として進んでいないことを指摘し、将来的に天皇家の血筋が途絶えてしまう懸念があるとして「愛子天皇の即位」の可能性について一歩踏み込んだ報道をした。
 俄かに盛り上がる女性天皇の待望論。大きな理由は「安定的な皇位継承を実現する為」と云うものだ。長い歴史を持つ日本の皇室にとって、安定的に皇位を継承することは何にも増して優先される最重要事項である。

 皇位継承の規則を定める皇室典範の第一条には《皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する》と記される。「男系の男子」とは、父方が天皇の血筋をひく男性のことだ。このルールでは、現在、皇位継承資格を有するのは、継承順位順に【1】秋篠宮さま【2】悠仁さま【3】常陸宮さまの足った3人に限られる。


 




 「これは安定的な皇位継承にとって危機的な状況です」と指摘するのは、前出の皇室ジャーナリストだ。

 「常陸宮さまは既にご高齢ですし、秋篠宮さまは天皇陛下と6才しか違わ無い為、将来にわたって天皇の地位を務められる皇位継承者は悠仁さまに限られます。悠仁さまが結婚された後、その妻との間に男子が生まれ無ければ、天皇家にとって何よりも重要な皇統が途絶え、天皇制が終焉してしまうのです」

 悠久の歴史を誇る日本の天皇制が終わる・・・余りにショッキングな事実に国民は震撼した。そこで愛子天皇の待望論が浮上したのだ。宇多田がツイートした様に、過去の日本には、推古天皇、持統天皇と云った女性天皇が実在した。今の時代の男女平等の理念に即しても女性天皇の気運が盛り上がる。加えて「秋篠宮家の諸問題」を指摘する声もある。

 「眞子さまのご結婚の目処が立たず、結婚を許されていない秋篠宮さまに対し、佳子さまは反発する姿勢です。ご夫妻はお子様方の自由意思を尊重される教育をされて来ましたが、ここに来て不安の声が上がっています。悠仁さまが天皇に相応しい人格に育たれるのかが注目されます。
 一方で愛子さまは、生まれた時から『皇太子の長子』の立場で、天皇陛下の立ち居振る舞いを暮らしの中で学ばれて来ました」(前出・皇室ジャーナリスト)


 政府も重い腰を上げた。菅義偉官房長官は5月1日、安定的な皇位継承について、今秋以降に検討を本格化する考えを示した。女性天皇容認が念頭にあるのは間違い無い。

 「小泉純一郎政権時代の2005年、皇室典範に関する有識者会議で『皇位継承は男女問わず、長子優先』と云う結論が出され、改正案が翌年の国会に提出される運びでした。処が、2006年2月に紀子さまが懐妊され、悠仁さまが誕生されると、お蔵入りに為ったんです」(皇室記者)

 女性天皇実現へのハードルは、決して高く無いのだ。

 ※女性セブン2019年5月23日号


 




 次にもう一つ引用します・・・



 何故日本に「天皇」と云う文化が生まれ育ったのか


 配信 THE PAGE 5/12(日) 9:00 より引用します


 5月1日、新天皇陛下が即位され「令和」の時代が幕を開けました。即位に関する数々の厳かな儀式を目にして、改めて日本における天皇の存在の大きさに思いを巡らせた人も多いのではないでしょうか?
 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「日本の天皇制は他国の王制とは異なる性質を持って居る」と指摘します。何故、日本には世界に稀な「天皇」と云う文化が存在して居るのでしょうか。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。




 何故日本に「天皇」と云う文化が生まれ育ったのか



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          名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏



 平成から令和への感慨


 平成から令和へと替わるに当たって、上皇、上皇后の、世界の平和を祈り国民の哀しみに寄り添う姿勢が印象に残った。
 戦後、急進的に民主主義を求める革新陣営に対して、天皇制は保守的な思想の上に存続したが、現在では、保守陣営がパワー・ポリティクスに傾斜する中で、飽くまで平和を祈る天皇の姿勢は、寧ろ革新に近い印象を与える。ジョセフ・ナイの唱える「ソフトパワー」と云うべきか。現在の天皇は政治とは切り離された象徴ではあるが、逆にそのことによって不思議な政治力を持ちつつある様に思える。この「天皇」と云う、世界にも稀な文化が、何故この国の風土に生まれ育ったのであろうか。


 天皇文化・・・保留民主制


 過つて三島由紀夫が『文化防衛論』と云う本を書いて、興味深く読んだのだが、三島に取って、日本文化とはそのまま天皇の事であった。勿論僕は、科学的な思考を基本とする理系の人間として、文化と云うものをより広範囲に捉えて居るが、天皇と云う象徴が日本文化の大きな部分に及んで居る事は認めざるを得ない。この「天皇文化」に付いて客観的に考えることは、日本の文化論者として避けることので来無い事の様に思えるのだ。

 世界に王制を抱える国家は少なく無い。先進国では北ヨーロッパに集中し、それ以外では中東が目立つ。これをどう理解すべきか。
 近代ヨーロッパでは、フランス革命、それに続くナポレオン戦争、プロイセン・ドイツの戦争(普墺戦争、普仏戦争、第一次・第二次世界大戦)、ロシア革命が、各国の社会体制を変革する大事件であったが、北ヨーロッパはこの影響を左程受けて居ない。
 又中東では、植民地支配からの独立に際して多様なアラブ民族の首長が夫々国家を形成した。古い王政に対する革命と国民投票による大統領制を完全な民主制であるとする為らば、何れも或る種の「保留」をして居るのだ。その意味で日本も又王制を維持する「保留民主制」なのである。しかし日本の天皇制は、こう云った他国の王制とは又異なる性質を持って居る。


 王、皇帝、天皇


 「天皇」と云う言葉と概念が登場するのは、天皇史上最も権力が集中した天武帝の御代とされる。文字、都市、法律、その他、中国を規範として国家制度が整えられて行く時期であり、天皇文化が中国文化との関係によって成立したことは明らかだ。しかしそのままでは無い。
 民族と文化の激しい戦いが続いた地中海文化と比べ、黄河長江文化には強力な一神教としての宗教が成立し無かった。儒教は道徳に近く、道教の源流と為った老荘思想は哲学に近く、宗教では無いと云う人も居る。詰まり比較的宗教色が薄い文化なのだ。しかし「天」と云う概念に対する尊崇の念は強かった。

 夫々の国を治める「王」を超えて、一つの文化圏としての中国全体を治める「皇帝」と云う概念が出来たのは始皇帝の時だが、以後、中国の歴代皇帝は天帝(天の支配者=北極星を象徴とする神の様な存在)の子として「天子」とされた。「天皇」はこの「天」を含むので、皇帝より上の感覚もあり、形而上学的(宗教的)な意味をより強く含む。
 又「天皇」は英語で「エンペラー」と訳されるのだが、西洋における「エンペラー=皇帝」は、元々古代ローマの「インペラトル」から来て居り、政治の実権を握った軍事指揮官の意味が強い。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がその象徴的人物で、ドイツのカイザーも、ロシアのツァーリもこの「カエサル」を語源とする*2。「天皇」には明らかにそれ以上の神聖感がある。

 詰まり中国やヨーロッパから見れば、一人の王の領域程しか無い日本列島が、今なお、皇帝さえ超える程の意味を持つ象徴を抱えて居ると云うことに為る。〈偉そうな処のある〉文化なのだ。とは言え、王朝が交代する中国(易姓革命)やヨーロッパと比べ、「万世一系」とされる様に圧倒的な歴史の長さがあることは事実である。と云うより「これ(天皇家)だけは変わら無い」と云うのが日本文化の特質である。

 現実の歴史においても「天皇」は、政治権力者である期間は殆ど無く、寧ろ権力者に担がれる存在であった。その意味で天皇と権力者の関係は、ヨーロッパにおけるローマ法王と各国の王或は神聖ローマ皇帝、イスラム圏におけるカリフとスルタンの関係に似て居るが、天皇は、ローマ法王やカリフの様な完全な宗教者とは言え無い。そこに、権力者でも無く宗教者でも無い、文化主催者としての姿が浮かび上がる。


                  以上





 【管理人のひとこと】


 「男系男子」との規定は、明治時代に作られた皇室典範をそのまま戦後の法律として引き継いだからだ。明治時代に作られたこの規定は、過去から色々な事情を学んで出来たもので、田原総一朗氏は「明治時代の天皇は軍隊を統べる大元帥だった。その時代女性は軍人に為れ無かった」「だから天皇は天皇の血を引いた男性」としたのだろう・・・と述べられて居る。
 「現在天皇は自衛隊の総司令官でも無く、女性でも自衛官に為れるのだから・・・」と愛子様が天皇に為ることへの否定はしていない。


 




 それでは具体的に考えてみよう。新天皇は1960年のお生まれで今年で59歳。80歳までお元気に天皇職に就かれるとして20年と一寸で次の御代と為ろう。21年後(2040年)は、愛子様は2001年のお生まれだから39歳に為られる。ご結婚されお子様も何人か居られ様。
 39歳の女性天皇・・・子育てもされた女性天皇とは何とも好いではないか・・・女性は長生きだし90歳位まではお元気で過ごされる筈である。自然に女系の天皇へと引き継がれる・・・これの何処が拙いのだろうか?女性でありご結婚されたらお子様も生まれるのが自然だ。そのお子様が男性でも女性でも好いのではないだろうか。

 皇統は「男系男子」とする方が不自然で危ういものだと感じるのは私だけだろうか? 女系では皇統の意味が無いと主張する人も居るのだが、どうも理屈や説得力か弱いのだ。外国の例を見るとマチマチで余り参考には為ら無い。「国民の思い」を汲んでみるのは好いのだが、国民投票の様な事だけはしないで欲しい。国民投票は究極の世論なのであるが、国民を二分する悪い事例がある。
 時間は未だあるので、何年も掛けて「新しい皇室典範」を作り上げて欲しい。その中には「天皇と皇室にも人権を認める」との項も入れて頂きたいものだ。成人と為ったら、住居・職業・結婚等の自由である。
 「天皇は、政治から離れる事で、権力者でも無く宗教者でも無い、文化主催者としての姿が浮かび上がる」
 詰まり、天皇は政治と離れて居るからこそ、多くの国民から象徴として認められ、親しみに似た愛情が湧き上がる。愛される天皇は、女性であってこそ新たな人気も出て来よう・・・





 

2019年05月11日

「令和」祝賀に水を差す朝日新聞  夕刊フジ




  





 【ネットニュースから】



 「令和」祝賀に水を差す朝日新聞


 平成最後の1面トップはメディアが騒ぐ「女性・女系天皇」デタラメ論 


 有本香の以毒制毒 5/10(金) 16:56配信 夕刊フジより引用します


 
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                  有本香氏


 【有本香の以毒制毒】


 




 新しい御代「令和」が幕を開けた。大型連休中だったこともあり、天皇陛下のご即位後初の一般参賀には全国から15万近い人々が詰め掛けた。東京駅から皇居までの道が人で埋まって居る様子を筆者も通りがかりに目にしたが、意外に若者や子供連れの姿が目立った。
 その人の列が4〜5時間待ちの長さと為っても、諍(いさか)い1ひとつ起き無い。改めて、日本は良い国だと感じた光景だった。処が、このお祝いムードに水を差す「恨み言」ばかり言う団体があった。その筆頭は、日本の「クオリティ・ペーパー」朝日新聞だ。

 先ず驚いたのは、ご譲位前の4月25日の「天声人語」が「世襲に由来する権威を何と無く有難がり、時に、拠り所にする。そんな姿勢を少しずつ変えて行く時期が、来て居るのではないか」と皮肉っポク書いて、国民を嗜(たしな)めた事である。
 この5日後、朝刊を開いて更に驚いた。平成最後と為るこの日(4月30日)の朝刊では、他の全国紙が揃って「天皇陛下(現上皇さま)のご譲位」を1面トップ、カラー写真付きで伝えて居た中、朝日新聞だけがこのトピックをトップから外して居た。しかも両陛下の写真は無い。では、一体この日の朝日新聞の1面トップは何だったかと云えば、安定の「反安倍」ネタである。

 《元号案、首相指示で追加「令和」3月下旬に提出 6原案、皇太子様に事前説明》

 との見出しを付け、記事では憲法学者の口を借りて「首相の行為は『新天皇の政治利用』に当たり、違憲の疑いがある」とある。
 30年振りの御代替(みよが)わりにも、平成時代の天皇陛下のご譲位と云う日本に取っての大事にも決して浮かれず、朝日新聞は自社の大事、自社に取っての不倶戴天の敵である安倍晋三首相への批判で平成を締め括った。この姿勢に好感は持て無いが、筋は通って居る。


 




 そして、令和が開け、天皇陛下のご即位の日に為ると、朝日新聞は早速《皇位継承資格、3人のみ 女性・女系天皇、政権は消極的》と云う見出しの記事を載せた。新しい御代が始まった日に、終わる時の話をする感覚が筆者には不快だ。
 一方、メディアはここへ来て「女性・女系天皇」の話題で騒いで居るが、そもそも、こんなデタラメな論の立て方も無い。

 「皇統安定の為」とのお為ごかしをメディアは一様に言うが、皇統とはイコール男系(父系)の血筋だ。それが一度「女系」に代われば、その瞬間今日迄の皇統の終わりを意味する。それで「持続可能」とか「安定」等、鼻から有り得無い。
 生真面目な保守派の人々は「国民の多くに『女系』の意味、危険性が理解されて居ない」と嘆くが、問題はそれよりも「女系」と云う、政治的レトリックが当たり前に用いられ、一般化されつつあることである。「女系」には天皇の血統は無い。先ずは目を覚まし、議論の主導権を奪い返すことから始め無ければ為ら無いのである。


 有本香(ありもと・かおり)氏 ジャーナリスト 1962年奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)『「日本国紀」の副読本 学校が教え無い日本史』(産経新聞出版)等多数。

                 以上


 





 【管理人のひとこと】


 人は自由にものを言い、この様にネット上でも自由に発言出来る。実に日本の国は、この面では中国に負けずに民主的で文化的だ。この好い面を何時までも続けて行こうと考えるのが私達大人の責務だ。そして、殆どのメディアが新元号・御代替わりを殊更アッピールするのもこれも自由である。
 但し全てのメディアが一色に染まる事が好いとは言え無いのでは無いだろうか。有本氏も指摘する様に、朝日新聞がこの記事をトップに持って来ず、普段の安倍攻撃を通したのは立派だと批評するのも自由だ。私はそれに共感する。全てのTVや新聞メディアが、この事で一色に染まることの方が異常であり恐ろしい面もある。


 




 それでは戦中の「大本営発表」を告げる当時のメディアと同じ。これ以外の記事を見たい人も居るだろうし、別の記事を読みたい人も安倍批判を聞きたい人も居るだろう。TVで連日聞かされ耳にタコが出来てる人も居るし、何を隠そう私もその一人だ。
 決して天皇の御代替わりを批判し新天皇を否定するのでは無く、単に「そればっかり」では詰まら無いだろうと思うからで、国民皆が同じ内容を見せられる事に飽きが来る。他に別の問題や話題もあるだろうし、何か切実な問題もある筈だ。

 新天皇が即位されると同時に「女系・女性天皇」の様な次の話をするのが不快だそうだが、私はそうは思わ無い。新天皇が話題の中心だからこそ、次のその又次の天皇の事を心配して《皇位継承資格、3人のみ 女性・女系天皇、政権は消極的》との記事を載せたのだ。
 安倍氏が女系に積極的で無い事は知れて居るが、現在の法律の皇室典範では、秋篠宮に次ぎ当家のご長男の順に継承される事に為って居る。が、アンケートでは新天皇のご息女の愛子様の人気が高い。多くの国民が、最も自然に新天皇のご長女の愛子様が「女性天皇」にとの願いが強い。

 「女系はダメだ、天皇の血統を継ぐとは男系継承にある」・・・とする一部の人が声高に叫んで居るが「血統」とは一体何だろうか・・・それに、男女同権・機会均等が当たり前の世の中で、何故女性だからと天皇を継げ無いのかの説明が弱い。
 「愛子様は天皇のご息女だから天皇を継いでも構わぬが、一生結婚もせず孤独な生活を続けさせることの方が残酷だ」と開き直るが、何故結婚出来無いのか、愛子様のお子様(男女どちらでも)が天皇位を継げられ無いのは「女系」に為るからダメだとする原則は誰がどの様に決めたのだろう・・・以前にこのブログでも取り上げたのだが「遺伝子」の問題だろうか?男のみが継承する「神の遺伝子」説に彼等も同調するのだろうか?

 男女問わず第一子が継ぐのが自然だと声高に叫ぶ積りは無いが、女だからダメだでは現実には通ら無いだろう。末子相続や女性相続が有って自然なのだから、喫緊に皇室典範の見直しが必要であり、その為に国民多くの意見を聞く事を早急に開始すべきだと「朝日」は主張して居るのだと思う。



 








 




2019年05月10日

天皇のルーツとは?




 




 【管理人】


 「天皇って何時の時代から始まったの?」

 そう子供に聞かれて直ぐに答えられる親や祖父母が居るだろうか?私は、全く答える自信なぞ持たないのだが、私達は平気で「世界で一番に伝統ある天皇・皇室」と口にする。そして、世間でも多くのメディアも同じ。そこで、丁度好いレポートを目にしたので今回取り上げます。




 AERA dot 5/10(金) 11:30配信 記事より引用します 


 




 天皇のルーツとは? 歴史に翻弄され続けた「天皇の権威」を振り返る〈AERA〉




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         世界最大級の墓・大山古墳(大阪府)

 
 世界最大級の墓・大山古墳(大阪府)天皇のルーツである、大和政権の大王の墓と伝わる。世界遺産登録を目指している。
 平成時代から令和時代への転換期に、小中学生向けのニュース月刊誌「ジュニアエラ」2019年5月号では「天皇と日本の歴史」を大特集。日本の歴史の中でこれ迄天皇がどんな役割を果たして来たのかを調べました。


 





 権力者から実権の無い神様に 
 

 天皇のルーツは、古墳時代の大和政権の君主だ。ただし、当時は、「天皇」では無く「大王(おおきみ)」と名乗って居た。中国の「皇帝」より格下の名前だ。しかし、やがて中国に隋や唐と云う大帝国が生まれると、皇帝と対等な「天皇」を名乗り、隋や唐にならって天皇中心の律令国家を目指した。

 国家の中心と為った天皇は、最初は大きな権力を持って居て自ら政治にあたったが、神様の様に崇められるうちに、やがて実権を持た無い存在と為り、天皇の代わりに貴族の藤原氏が実権を握る摂関政治が始まった。藤原氏に代わって、天皇を退いた後の上皇や法皇が実権を握ったのが院政だ。


 




 天皇の権威が政治に利用された

 
 その後、政治の実権を握った武士は、天皇の権威を利用し、天皇から太政大臣や征夷大将軍に任命されることで権力を保った。実権を奪おうとする天皇も居たが何れも失敗した。この状態は、江戸時代まで長く続いた。

 江戸幕府を倒した人々は、天皇を中心とした強い国を創ろうと考えた。明治時代に出来た大日本帝国憲法では、天皇が日本の元首とされ、一般の国民は神様の様に崇めたが、立憲君主制の下、天皇の力は憲法で制限されて居た。
 やがて天皇の権威を利用し、軍部が実権を握って日中戦争に突入した。第2次世界大戦後、日本国憲法では、天皇は政治に関わることが禁じられ、日本国や日本国民統合の象徴と定められた。


 




 <律令国家> 律令(法律)に基づき、天皇をトップにした中央政府に権力を集中させた国家。 
 <摂関政治> 貴族が摂政や関白の地位に就き、天皇に代わって実権を握って行う政治。平安時代は藤原氏による摂関政治の全盛期だった。 
 <院政> 上皇や法皇が実権を握り、政治を行うこと。生前退位した天皇を上皇と言い、出家して仏門に入れば法皇と云う。
 <太政大臣> 律令国家での最高の役職。天皇から任命された。元々皇族の役職だが、後に貴族の役職と為り、平清盛が武士では初めて任命された。後に豊臣秀吉も任命された。
 <征夷大将軍> 元は、天皇から任命されて平安時代に東北地方の蝦夷の征伐にあたった最高司令官を云う。源頼朝の就任以来、武家政権のリーダーの役職と為った。略して「将軍」
 <立憲君主制> 国家を統治する最高位の君主(天皇など)が居るが、一方で君主は憲法の規制を受ける統治形態。

 ※月刊ジュニアエラ 2019年5月号より


                 以上



 






 もう一つのレポートを紹介する・・・



 天皇家の祖と為った人のルーツを想像する


 
  テーマ:古代史 2013-11-06 14:04:13 より引用します


 本当に夢想の段階ですが、私は天皇家の祖と為った人のルーツに大きく括ると3つの勢力が考えられると考えて居ます。全く考えが纏まって居ないと云うことですが・・・


 




 1 卑弥呼の弟とされる人


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           ニギハヤヒと物部氏  天下泰平より 


 一つは、卑弥呼の側近・重臣の一大卒の長官であった卑弥呼の弟とされる人が、現在の天皇家の祖と為ったのでは無いかと考えて居ます。倭国王の正嫡では無いが全く関連が無いとも言い切れ無いが故に、より倭国王の称号と権威を欲したことも考えられます。
 そうすると天照大神の弟であるスサノオ命の後裔であるニギハヤヒ命が王権を樹立したと云う私の持論には一番ピッタリと嵌ります。又、都市国家の芽栄えは北九州から起こったであろうことは考古学上の遺物からも証明されて居ます。中国・朝鮮半島との玄関口であり、文物が真っ先に入る土地であり、当時の最も栄えた地域であることは間違いがありません。

 そして多くの方が言う様に、北九州の土地名と奈良の地名には重為るものが多々あります。そもそも邪馬台国を「やまたいこく」と読みますが、これ自然に読めば「やまとこく」では無いでしょうか?今も九州にはヤマト地名が確りと残って居ます。
 又中国史書の邪馬台国は、倭国を中華思想で卑しめて「やまと」を邪馬台と書いて居ると考えるのがスッキリと来るのではないでしょうか?因みに卑弥呼と云うのも、中華思想で卑しめて「ひみこ」を卑弥呼と書いて居ることは間違いありません。本当は「日巫女」太陽神に奉仕する巫女さんと云うことでしょう。

(多くの学者さんがこんな簡単な推理を思いつか無い訳が無く、何だか無理矢理に邪馬台国論争を仕掛けることで真相を闇に葬ろうとして居るのでは?とさえ思えます)

 主体と為った人達は所謂「倭人」詰まり江南系の中国人と縄文系列島人の混血であると思われます。中国史書に云う分身をした人達です。


 




  2 求奈国(くなこく)の王の系譜 


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 二つ目は、若しくは邪馬台国の仇敵として描かれる求奈国(くなこく)の王が考えられます。この求奈国が何処なのかが確定されて居ないので定説に為ることは無いと思いますが、私は求奈国は現在の熊本県を中心とした地域ではと考えて居ります。
 コジツケに近いかもですが、古の天皇の別称は「日嗣御子」であり日を継ぐ方です。この日御子の国の名を連想しろと言われれば、真っ先に「日の国」と為るのではないでしょうか?

 そうすると思い付くのは「火の国(肥の国)」と為って不自然なことは何もありません。又この日御子ですが、多くの歴史ファンは自然と「ひのみこ」と読むと思いますが、何も知ら無い人が読んだら「ひみこ」ですよね。何やらここにも鍵がある様に思って居ます。
 又、記紀においても火の国と天皇家には深い繋がりを感じます。理由は火の国を治める火の君(阿蘇氏)は神武天皇のお兄さん神八耳井命の後裔であると云う事からも伺えるのです。で、又もやヒミコ様との関連も疑われる事もセットで残ります。阿蘇神宮に行くと分かりますが、ここには姫神様も奉られて居るのです。因みに塚もあります。こちらも主体と為った人達も「倭人」であると思います。ナ〜んだかね、匂いますでしょ?


 




 3 淀川水系〜琵琶湖〜若狭日本海の水運を支配した勢力が天皇家の祖


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              三輪大社 大神神社


 三つ目は、これは正直申し上げまして賛同される方ホボいないのでは?と云う説です。どんな説かと言うと・・・淀川水系〜琵琶湖〜若狭日本海の水運を支配した勢力が天皇家の祖と為ったのではと云うものです。

 何故そう思うように為ったのかと云うと、或る日近畿周辺にどの様な氏族が分布して居たのか?が気に為り地図上に新選姓氏録をもとにプロットしてみたのです。すると天皇家から分かれたとする皇別氏族の分布の多くが琵琶湖周辺から福井若狭三国に集中すること。又、自説で天皇家の祖と考えるニギハヤヒ大神が天孫降臨した地が淀川水系を見下ろす現在の大阪・京都・奈良の境に位置する大阪府交野市であること。
 また、諸説アリアリですが、もう一人の天下神話を持つ神である「天日矛命(ツヌガアラシト)」を奉る神社があるのもこの地域であること。一説にはこの方は新羅の王子であるとされ、神宝を持って天下ったとされる。播磨国風土記に多々登場するが、神話と云うよりも史実を神話として語り継いだ内容の様に思える。
 この方の持ち来たったと云う神宝と、ニギハヤヒ大神が天照から下賜された神宝は瓜二つなのである。ここから私には二人が同一人物ではないかと考えても居ます。

 そして一寸話が脇に逸れますが、天日矛がニギハヤヒ命だとすると、天日矛が国を求めて戦った相手である大国主命(伊和大神)とは、ニギハヤヒ命が入り婿したナガスネ彦のことなのでは?と云う推理も思い浮かぶのです。詰まり近畿を中心とする勢力の大王であった大国主命(三輪の神大物主神)に、半島(新羅)より海を南下し(あまくだった)若狭地方に拠点を築いた天孫が婿入りする事で出来た王統が天皇家なのではないかと。
 そして日本海と瀬戸内を繋ぐ水運を支配し、巨大な富を蓄えたこの王統が倭王の称号を奪うべく、度々九州を攻めたのでは?とも思えるのです。(神功皇后と仲哀天皇の熊襲征伐の伝承などなど・・・)別の視点では三輪山の信仰の要点である「太陽神」と「水の神」の合体が成ったとも考えられる。

 と云うのも、三輪大社に祭られる神を地元では「三輪さん」と気楽に呼ぶんですが、三輪さんは「巳さん」とも呼ばれます。要は「蛇さん」であり水の神様なのです。私は水の神をトーテムとする近畿を中心とした勢力の首領が三輪さんこと「大国主神」なのではないかと考えています。

 弥生時代を代表する祭祀の形態には2つの形がありました。1つは九州を代表する銅矛・銅剣を祭器とする勢力、もう一つは近畿〜東海を中心とした銅鐸を祭器とする文化です。この銅鐸こそは水の神を奉る勢力を現して居ると考えています。
 何故なら銅鐸は、トグロを巻く蛇を表しているという説や、またそのトグロを巻く蛇の姿こそが甘南備山の姿であり、詰まり三輪山は三輪さんであり蛇神が鎮座する姿そのものであると考えられます。事実、銅鐸には蛇の紋様を多く見ることが出来ます。
 そして、九州を中心とする銅矛・銅剣を祭器とする勢力とする神の姿とは?「天日矛」その名が思い浮かびませんか?詰まりこの方が太陽神であり、ニギハヤヒ命こと本当の天照大神なのではないかと思うのです。そしてこの方の周りには、様々な謎や示唆に富んだ伝承があり列島の歴史の謎の鍵を握る人なのではと云う思いが益々強く為っています。
 この主体と為った人達は、大国主を中心とする「倭人」と天の日矛を中心とする「倭人+朝鮮半島の倭人+北方民族(ツングース系)の混血」の人達では無かろうかと考えています。


                  以上


 






 【管理人のひとこと】


 至極簡単明瞭だ。この通り以上では説明に難しく、かと言って以下では何の説明にも為ら無い。だから、このまま答えたら好い。後は、学校の授業や自分で調べなさい・・・と云うのが大人としての理想的回答だと思う。
 色々な説明をしても、それが史実がどうかも確認出来ず子供達に間違った認識を与えてしまう結果と為る。神話の話と史実がゴッチャに為って居る現状ではそれで好い訳だ。そのうち新たな史実が見付かったりすると、正確な歴史も語られるのだから。

 先般、NHKが神話の話をあたかも史実の様に報道したと問題に為った。古い話では、卑弥呼の話は中国の文献に載って居るので、それは史実だと云えようが、天皇のことは何も出て来ないので、それ以降の4世紀から5世紀に掛けて「天皇」為る呼称も生まれたと予想されるが、飽くまでも推測の域を出ない。
 天皇が縄文時代からの系譜を持って居るのか、又や弥生時代からの渡来人の系譜を持って居るかも判ら無い現状では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は神話上の架空の女王だったとする以外は無い。神話は神話で史実では無い。それはハッキリと区分すべきであり混同しては為ら無い。
 だから、天皇の始まりだとされる神武天皇は、想像上の架空の天皇だとする以外無い。後の人々が便宜上拵えた天皇なのだと。

 天皇の血筋は何度か変わったのが真実だろうし、だから一統では決して無いし、初代からの数代は明治時代に作り上げられたもの。後々の為政者が政治を行う上で便宜上拵えたものだとするのが真実だ。だから説明も何も出来ないのが当たり前。
 古代の数居る王の中で、周囲から認められ大王(おおきみ)と為った家系が世襲して天皇と為ったと考えるのが自然だが、果たして都合好く世襲出来たかどうか・・・恐らく、色々な血統が入り混じった政治上の権謀の中で天皇の位が続いた。そう考えるしか無いだろう。

 そして、前記の様に天皇のルーツを色々と推測する楽しみも私達は知って居ます。実に色々な説があり物語として読むには大変興味深く面白いものです。



 









 


2019年05月09日

「切り売りされる北海道」鈴木・北海道新知事




 




 【ネットニュースより】


 「切り売りされる北海道」


  鈴木直道・北海道知事に届か無かった夕張市職員の警告


  HARBOR BUSINESS Online 5/9(木) 8:33配信より引用します



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     北海道知事選で鈴木氏の応援団長を勤めた似鳥昭雄・ニトリ会長(中央)



 〈菅チルドレン〉と呼ばれる鈴木直道・北海道知事(右)が夕張市長時代、中国系企業に市所有のホテルやスキー場を売却。10億円以上の転売益を供与したと云う疑惑が浮上



 




 届か無かった夕張職員の声


 「夕張市所有のホテルやスキー場の中国系企業への売却は『一帯が囲い込まれてチャイナタウン化する』と云うリスクがありました。市役所内で問題提起をしたのですが、当時の鈴木直道・夕張市長(現・北海道知事)が決めた売却方針が変わることはありませんでした」 


 こう振り返るのは、中国系企業「元大グループ」への市所有財産(ホテルやスキー場等)に関わった元・夕張市職員。勿論「チャイナタウン化」自体が「悪」だと云う見方には異論が残る。財政状態が苦しい夕張市に取って、人口増は大きな課題であるし、中国資本だからと云って日本人が雇用され無いとは限ら無い。
 しかし5月2日の記事「鈴木知事に中国系企業への利益供与疑惑」で紹介した、市の観光4施設を約2億4000万円で元大グループに売却、その企業が2年後の今年3月末に香港系投資ファンドに転売して10億円以上儲けた際に何等かの利益供与があったのではないか?と云う〈北海道版モリカケ事件〉とも云われる疑惑があると為れば話は別だ。


 




 北海道が、外資等を取り込んで経済振興を図る〈実験場〉に!?


 外資や外国人富裕層の誘致に熱心な北海道財界人は他にも居る。例えば、2010年に中国人富裕層向けの別荘を千歳市泉沢向陽台の文京区に17棟建設・完売して話題に為ったニトリの子会社「ニトリパブリック」だ。
 このニトリホールディングスを率いる似鳥昭雄会長こそ、北海道知事選で鈴木氏の応援団長を務めた北海道出身のカリスマ経営者。安倍首相への大口献金者としても有名な人物なのだ。横浜政経懇話会が2012年10月10日に東京・港区で開いた「すが義偉君を励ます会」では、同社は100万円分のパーティ券を購入して居たと云う(参照「しんぶん赤旗」)その為、道庁関係者は警戒心を募らせて居た。

 「鈴木氏は知事選で、道外からカネと人を引っ張って来る『ほっかいどう応援団会議』を提案して居ました。今後、中国人向け別荘販売の実績があるニトリの似鳥会長が応援団会議メンバーに就任し、北海道を切り売りして行く拠点と為る可能性があります。北海道が、外資等の道外マネーを取り込んで地域経済振興を図る〈実験場〉と化して行くのでは無いでしょうか」

 勿論、JR北海道の窮状等、先行きが不安視される北海道の財政・経済再生の為にはインバウンド需要等が注目を集めるのは至極当然で全て否定出来るものでは無いが、鈴木知事の基本的立場は「公共財売却等、兎に角民間企業に委ねるのが効率的で好ましい」と云う新自由主義的路線であり、似鳥会長と共に、外資への北海道切り売りに邁進することは十分に考えられる、と自民党支持層も知って置く必要はあるだろう。


 

 
 

 市議会や道議会、国会で疑惑追及の可能性も


 この〈北海道版モリカケ事件〉に付いては、今年の夕張市長選(4月21日投開票)で次点だった多喜雄基・元市議が、
 「平成22年に(資本金)100万円で設立された会社の実態は調べたのか。夕張市政のブラックボックス化が心配だ。情報公開をして、議会や市民の理解を得るべきだ」(4月8日の公開討論会)と疑問呈示をして居た。

 地元の夕張市議は「市議会で(夕張市施設売却の件について)追及したい。億単位の損害を市に与えたとして住民訴訟も視野に入れて調査中」と意気込み「6月の道議会で質問する準備をして居る」と野党系道議も話す。市議会や道議会だけで無く、国会でも取り上げられる可能性は十分にある。
 8億円値引きの森友事件と同等以上のスキャンダルとして「中国系企業が10億円以上の転売益を得る一方で、数億円単位の損害を夕張市に与えたのではないか」と追及されても不思議では無いからだ。

 官邸主導で与党系候補と為った〈菅官房長官チルドレン〉とも呼ばれる鈴木知事を直撃するこの利益供与疑惑。それと同時に、北海道が外資に切り売りされて行く事態を放置しても好いのかと云う問題も併せ持つ。夕張市議会や道議会や国会での追及が期待される。


 




 <取材・文・撮影/横田一>

 ジャーナリスト 小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」に関する発言をまとめた『黙って寝てはいられない』(小泉純一郎/談、吉原毅/編)に編集協力。その他『検証・小池都政』(緑風出版)など著書多数

 ハーバービジネスオンライン




 【管理人のひとこと】


 夕張市長が北海道知事に為ったからと言ってケチを着ける者では無い。若く行動力のある人が熱意と情熱を持って北海道の発展に尽くして呉れるとして多くの道民が彼を選択したのだから。彼の活躍を心から祈り北海道を盛り立てて頂きたい。
 そして、この方は確か東京都から夕張市に派遣された人だと記憶する。夕張を応援する派遣職員が市長に立候補して当選した。そして、色々と活躍した・・・その実績も実力も買われての事だ。

 しかし、此処で似た様な事が取り沙汰されて居るとの事。アカラサマに安倍氏と明恵夫人が絡んだことが明白な「森友事件」のイヤーな感じが残ったままで、又もや職権を持って払下げをした上での疑惑事件。構造がソックリなのも後味が悪い。
 「規制改革」「夕張市の発展の為」とハッキリした意図の下で行われたと主張するが、明らかに払下げ価格実勢価格の差が不明瞭なのだ。この様な「政商」染みた「竹中流」が北海道でも・・・と考えると、実に残念だ。疑惑は疑惑としてハッキリと説明し、道民に向かって正々堂々と申し開きをするべきだろう。



 










 

2019年05月07日

日米地位協定は何故不平等と言われるのか?




 




 【管理人】


 多次元にこの問題を見てみたく、もう一つのレポートを参照したいと思います。





 日米地位協定は何故不平等と言われるのか?その背景と問題点に迫る


 2019年01月8日公開  コラム:国民目線  政くらべ編集部  沖縄 米軍基地 日米地位協定 より引用します



 





 日本はアメリカ合衆国との間で日米安全保障条約を締結して居り、この条約に基づいて日米地位協定が定められて居ます。しかし、日米地位協定は日本に不利な内容で、在日アメリカ軍の治外法権を認めて居るとも言われて居り、改定が求め続けられて来ました。日本に取って不利な内容にも関わらず、何故これ迄日米地位協定は改定され無かったのでしょうか。



 日米地位協定とはそもそも何?歴史と全文を見る


 第二次世界大戦後の1951年、日本はアメリカ合衆国のサンフランシスコに於いて、連合国とサンフランシスコ平和条約を締結しました。その際、日本は二国間協定によってアメリカ合衆国と「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」に署名をしました。

 この条約は、日本が攻撃を受けた場合、アメリカ軍が日本に協力してこれに立ち向かうと云う内容です。又、条約はアメリカ軍が日本に駐留し続ける事を認めて居ました。その為アメリカ軍は在日アメリカ軍として日本に留まることに為りました。
 その後1952年には「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」の発行と同時に「日米行政協定」が調印されて居ます。この条約は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」と合わせて「日米安保条約」とも呼ばれて居ます。日米行政協定では、在日アメリカ軍の日本における地位および権能が取決められました。

 しかし日米行政協定では、日本の刑事裁判権がアメリカ軍人やその家族等に及ば無い場合がある為、不平等ではないかと指摘されて居ます。この協定は1960年に「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が結ばれた際に「日米地位協定」と名称が変更されましたが、刑事裁判権に付いては改定されませんでした。


 




 
 日米地位協定における日本のメリットとは?


 他国の軍が自国で無い地域に駐留する場合には、一般的に地位協定が結ばれます。アメリカ軍が日本に拠点を置いて、日米安保条約に基づいて行動する為には日米地位協定は欠かせ無いものです。

 では日米安保条約にはどの様なメリットがあるのでしょうか。最大のメリットは強大なアメリカの軍事力によって日本が防衛出来る点です。ストックホルム国際平和研究所の調べでは、2017年度のアメリカ合衆国の軍事費は6098億ドルです。これは全世界の軍事費を合計した額のおおよそ35%を占めて居り、アメリカ合衆国は世界で最も軍事費を使って居る国であると言えます。
 第二次世界大戦後、日本はどの国とも戦争状態には為っておらず攻撃も受けて居無い為、直接にアメリカ軍に保守されては居ません。しかし、日米安保条約があるので日本への攻撃はアメリカ軍による報復行為に繋がる可能性があります。その為アメリカ軍の存在は大きな抑止力と為って居ると言えます。
 又、抑止力としてアメリカ軍が存在して居るので、日本は軍事費に大きなお金を使う必要がありません。本来、国防には莫大なお金が必要ですが、日本の軍事費はGDPのおよそ0.9%と、主要先進国の中ではかなり低い数値になっています。


 




 治外法権?!日米地位協定の問題点とは?



 アメリカ軍の駐留と日米安保条約の維持に日米地位協定は必要なものです。しかし、そこには多くの問題点やデメリットがあります。

 例えば「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の第6条には「国際の平和及び安全の維持に寄与する」為「日本国において施設及び区域を使用する事を許される」と記されて居ます。これは全土基地方式と呼ばれて居り、アメリカ軍は日本全国何処にでも基地を置くことが可能です。
 また日米地位協定ではこの問題に関して、日米で合同委員会を設置して協議する旨記されて居ますが、その協議内容に関しては非公開と為って居ます。

 日米地位協定第3条によって、アメリカ軍は基地の運営や管理等、必要な全ての措置を独自で執れます。基地や施設の排他的な利用権が認められて居るので日本政府の監視が及びません。又、経済的な特権が在日アメリカ軍には認められて居り、物品税や揮発油税等が免除されて居ます。更に、日本から在日アメリカ軍への経済的な支出として2,000億円を超す予算※が計上されて居ました。


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   在日米軍駐留経費負担の推移(歳出ベース)出典:全部ブランク 防衛省HP


 ※防衛予算に計上される在日米軍駐留経費負担、所謂「思いやり予算」平成5年度〜20年度まで歳出ベースで2,000億円を超えている。平成30年度1,968億円


 




 この様な様々な特権が在日アメリカ軍には認められて居り、日米地位協定への不信感を産む要因と為って居ます。その特権の中でも、アメリカ軍人や軍属及びその家族等に日本の刑事裁判権が及ば無い事は、最も大きな問題です。


  日米地位協定 沖縄で度々起こる凄惨な事件との関連


 アメリカ軍が日本に駐留すると、アメリカ軍の軍関係者も日本で生活をし無ければ為りません。日本で生活をするアメリカ軍人やその家族は日米地位協定がある為、事件を起こしても日本で裁く事は大変難しいのが実情です。
 1995年に沖縄で起きた、アメリカ海兵隊員が女子小学生を拉致し集団で暴行を行った事件では、実行犯が日本に引き渡されませんでした。この事件は犯人への処罰感情と反基地感情が相まって、大きな社会問題に発展しました。この様な問題は沖縄を中心に、21世紀に入ってからも多く起きています。


 




 2004年には沖縄国際大学にアメリカ軍ヘリコプターが墜落しました。この事件では日米地位協定が拡大解釈され、事故現場もアメリカ軍管轄地として取り扱われました。その為十分な捜査が行われず、公訴時効期間内に事件の全容が解明出来て居ません。この様な日米地位協定の拡大解釈は他の事件にも影を落として居ます。
 2002年にアメリカ軍整備兵が窃盗容疑で逮捕された事案では「急使」の身分証明書を持って居た事を理由に、アメリカ軍は事件が公務中に起きたものとしました。その結果、逮捕されて居た容疑者は釈放されて居ます。
 2008年に海兵隊員の家族が窃盗で現行犯逮捕された際には、アメリカ軍は容疑者を警察に引き渡さず、アメリカ軍基地に連れて帰りました。本来ならば日米地位協定はアメリカ軍兵士が公務執行中に起こした事件について、アメリカ軍がその第1次裁判権を持つと云う内容です。
 しかし、被疑者が公務中だったかはアメリカ軍が裁定する為、アメリカ軍兵士が事件を起こしても、直ぐには身柄が日本に引き渡されません。その為、事件の捜査が難しく為って居るのです。


 日米地位協定は何故改定されないのか


 日米地位協定は不平等な取決めがされて居るとして、アメリカ軍基地が置かれて居る地域を中心に社会問題と為って居ます。しかし、何故日米地位協定はこれまで改定され無かったのでしょうか。

 日米地位協定の基礎と為る日米安保条約は、日本の安全保障を考える上で大きな役割を担っています。そして在日アメリカ軍が滞り無く活動する為には、日米地位協定は欠かせません。
 又、地位協定は在日アメリカ軍の地位や権能についての取決めたものです。それは日本とアメリカ合衆国のどちらが有利であるかを決めるものではありません。その為日本とアメリカ合衆国の両国政府は日米地位協定の改正を必要と考えて居ないと云う見解です。


 




 更に日本の刑事司法制度の不備も日米地位協定を改定する妨げに為って居ると考えられて居ます。日本では逮捕された被疑者は、取り調べの際に弁護士を立ち会わせられません。加えて、その状態で最長23日間の勾留が可能です。これは世界的には珍しい司法制度であり、容疑者の権利保護に不十分であると指摘されています。
 日米地位協定を改定すると、在日アメリカ軍で働く者が逮捕された時に、権利保護が不十分に為る恐れがあります。この様な理由から、日米地位協定の改定は進んでいないと云うのが現状なのです。


                 以上


 






 【管理人のひとこと】


 何と無く尻すぼみなレポートで申し訳ありません。以上見て来た様に、こ問題は直近の課題を抱えた早期に解決を求められるものなのですが、歴史的にも根が深く一朝一夕に済む話でもありません。日本の存在を懸けた「国防問題」が根本にあるのです。
 或る意味我が国は、大切な国防問題をアメリカに全面的に頼って居るのですから、単なる同盟国以上の義務も有る訳です。それが、日本の国土(陸海空)を或る意味で自由に使用出来たりする超法規的な措置です。今までは有りませんが、その為には日本の海岸や港湾を自由に使用する権限もあります。ご存じの通り日本の空域はアメリカ軍との共同管理下にあると言っても過言でありません。

 民間より軍事が優先するのは、その重要性から言ってもしかな無い事なのですが「日本を守る為」と言われれば最優先されるのです。この現状がそのまま「日米地位協定」に顕著に現れていることを認識しなくては為ら無いのです。
 国民に余り関心の無い「国防問題」ですが、災害救助活動のみが自衛隊の任務ではありません。彼等は「命がけで日本を守る」と宣誓して任官した人達です。それを理解し共にこの問題を考えることが必要なのです。





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