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2021年04月20日

安い!速い!イタリアン「豆戦車」 作りまくったら戦争で足かせに




 安い!速い!イタリアン「豆戦車」 作りまくったら戦争で足かせに


 4-20-1.png 4/20(火) 6:20配信


 軍縮の時代が生んだコスパ優秀な新兵器



  4-20-2.jpg

 1934年8月に実施されたイタリア陸軍の大演習の際、CV33型(L3/33型)豆戦車の上に乗り、居並ぶ将兵に向けて演説を行う軍服姿のムッソリーニ統帥(吉川和篤所蔵) 安い!速い!イタリアン「豆戦車」 作りまくったら戦争で足かせに 4-20-2


 4-20-3.jpg

  1939年夏 3色迷彩が施されたCV35型(L3/35型)豆戦車 手間の掛かる電気溶接風の化粧処理は廃止され、剥き出しのリベットが見える(吉川和篤作画)4-20-3


  4-20-4.jpg

 レストアされて現在も可動するCV38型(L3/38型)豆戦車 CV33やCV35と異なるトーションバー式サスペンションと大型の4個転輪が特徴 人間と比較してL3系の小ささが良くわかる(吉川和篤所蔵)4-20-4


 第1次世界大戦で初めて戦場に登場した戦車は、塹壕戦(ざんごうせん)で膠着(こうちゃく)した前線を突破する為に用いられました。その為、当初は大型で鈍重な陸上戦艦的な存在でしたが、大戦後半、小型で回転式砲塔を装備し機動性に優れたフランスのルノーFT軽戦車が登場したことで、各国の戦車開発はそれ迄の鈍重で大型のものから、小型で機動性に優れたものにシフトして行きます。

 処が第1次世界大戦後、緊張の緩和から世界情勢は軍縮に向かい始め戦車開発も停滞する様に為ります。その様な中、イギリスでトラクター製造を行って居たカーデンロイド社は、1920年代後半に履帯(りたい・いわゆるキャタピラ)式の牽引車を元に超小型の戦車を開発しました。  
 全長約2.5m・全幅約1.7m・重量約1.5tと云うコンパクトな車体に、出力は40馬力のエンジンを搭載、二人乗りで武装は機関銃1丁のみと云う、戦車と云うには余りにも小柄なものでした。

 只、小型かつ安価でありつつ、移動式銃座や偵察車両としては有用な為、世界中に輸出されてベストセラーに為り「タンケッテ」(豆戦車)と云う新たなジャンルを築きます。ちなみに日本も、旧陸海軍の双方が購入して居ます。  
 そうした時流の中で、第1次世界大戦後の戦車開発に出遅れて居たイタリア陸軍も1929(昭和4)年にカーデンロイド社製の豆戦車21輌を輸入し更に4輌は部品を輸入して国内で組み立てます。

 イタリア陸軍はこの豆戦車を「Carro Veloceカルロ・ベローチェ」29型として採用しました。ちなみに「カルロ・ベローチェ」とはイタリア語で「快速戦車」と云う意味です。また頭文字のCVから「CV29」とも呼ばれました。

 豆戦車をイタリアが独自にアレンジ


  4-20-5.jpg

 イギリスから輸入したカーデンロイド豆戦車に6.5mm口径のフィアット製空冷機関銃を搭載したCV29型豆戦車 後のCV33型より小型でエンジンや操縦席の位置も異なっていた(吉川和篤所蔵)4-20-5

 CV29を製作するフィアット・アンサルド社は、その後、同車を徹底的に研究し、同様の走行性能を持ちながらエンジンを後ろに移して密閉式戦闘室を備えた武装タイプと、オープントップの無武装・物資運搬タイプの2種類、新車種を試作します。
 その結果、6.5mm口径の機関銃を1丁装備した武装タイプがCV33型(後にL3/33型に改称)として制式化されました。同車はエンジンも43馬力と出力が向上して居り、路上では最大速度42km/hを発揮することから「CV快速戦車」の名に相応しいものでしたが、装甲厚は正面でも14mmしか無く戦車と呼ぶには貧弱で、精々小銃弾や機関銃弾を防ぐ程度の防御力しかありませんでした。  

 それでも戦車としては安価であったことから、各タイプ合計で2,000輌以上が生産されて自国のみ為らず、ブルガリアやオーストリア・ハンガリー・スペイン・クロアチア・ギリシア・イラク・アフガニスタン・ブラジル・ボリビアにも輸出されて居ます。  
 尚、1937(昭和12)年からまとまった数のCV33型が中国に輸出され、日中戦争では中国軍戦車として旧日本軍を相手に戦って居ます。

 イタリアン豆戦車の初陣は散々な結果に・・・

 こうして1930年代後半、ベストセラー豆戦車に為ったCV33型は、国内の戦車部隊の拡充や輸出増加により大量生産が求められる様に為ります。しかし、製造に手間の掛かる造りであった為、量産数を増やすのには問題がありました。
 そこで、工作技術を敢えてスペックダウンし、又戦闘室の形状も簡略化する等したCV35型(L3/35型)が造られます。CV35型は、強力な8mm口径の機関銃を2丁装備して居り、CV33型よりも攻撃力がアップして居たものの、不整地で履帯が外れ易い等足回りの脆弱さが問題に。この為1938(昭和13)年には設計を一新し、サスペンション構造をトーションバー式にして新設計の履帯などを装備したCV38型(L3/38型)が開発されます。  

 後に派生型として火炎放射器搭載車も生産された他、架橋車や戦車回収車も試作され、更に軽量であることから輸送機での空輸等も研究されました。しかし実戦では、矢張り車体が小型で防御力も低かった為、性能の限界を露呈することに。それが起きたのが、スペイン市民戦争(スペイン内戦)でのことでした。

 イタリアは1937(昭和12)年に義勇軍を派遣し、装備の一つとしてCVシリーズを持ち込みましたが、敵のソ連製T-26戦車とブツカルと性能的に対抗出来ず惨敗して居ます。それでも安価で数が揃え易く、軽便でイタリア北部の山岳国境では運用し易い等の理由から大量調達され、第2次世界大戦にイタリアが参戦した1940(昭和15)年6月時点で、総数1,384輌が様々な部隊で運用されて居ました。
 これは同国の戦車総数において75%を占めており事実上の主力戦車と云えるものでした。処が、ここ迄広く配備されて居た事で、その後のイタリア戦車の開発と配備が遅れる元凶に為ったのも確かでした。

 北アフリカの戦いでは、先のスペイン市民戦争の時と同様、イギリス戦車に大敗してしまい、その後のロシア戦線でも一冬で全滅。矢張り本格的な戦車と比べると、L3形豆戦車は戦車とは言え無い実態であったと云えるでしょう。
 最前線で使え無い為、忽(たちま)ち後方用の二線級兵器と為ります。それでも戦車を持た無いパルチザン(いわゆるゲリラ)等に対する戦い等では使えた為、治安部隊用として大戦終結まで使われたのでした。

 吉川和篤 軍事ライター イラストレーター




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