ミャンマー 3日の死者38人に 安保理が緊急協議へ
朝日新聞社 3/4(木) 4:12配信

3日 ミャンマー情勢について会見で語る国連のバーグナー担当特使=国連ウェブTVから
クーデターで権力を握った国軍側の治安部隊と、抗議デモの参加者の衝突が激化しているミャンマーで3日、計38人の死者が出た。国連のバーグナー担当特使が同日、会見で明らかにした。国連安全保障理事会は5日午前(日本時間6日未明)に非公開の緊急協議を開き、対応を話し合う。
ミャンマーでは2月28日にも18人が死亡したばかりだったが、3日はクーデター発生後、過去最悪の死者数と為った。バーグナー氏によると、治安部隊は実弾を備えた短機関銃を使用したとみられると云う。クーデター発生後、拘束された人数は約1200人に上るが、家族は何処に拘束されて居るのか、健康なのかに付いては知らされていない。バーグナー氏にはミャンマー市民から、1日2千通ものメッセージが寄せられていると云う。
情勢が緊迫する中、安保理は英国の要請で、5日に対応を議論することを決めた。バーグナー氏は「我々は非常に強い手段を執ら無ければならない」と述べ、安保理に行動を促した。経済制裁決議の採択が念頭にあったとみられる。
朝日新聞社
【解説】 ミャンマー国軍のクーデターなぜ今? これからどう為る?
2021年2月2日 フローラ・ドルリー記者、BBCニュース

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ミャンマー国軍は1日早朝、議会召集の数時間前にアウンサンスーチー氏ら複数の政治家を拘束した。写真はヤンゴン市内の仏塔スレー・パゴダ(1日撮影)
ミャンマー国軍は1日、国家の権力を掌握したと宣言した。同国では1962年の軍事クーデター以降軍事政権が続き、10年前に民政移管の合意が為された。
今回のクーデターは、2011年に民主的統治に移行する迄の約50年間、抑圧的な軍事政権に耐えて来たミャンマーの人々を恐怖で震え上がらせた。与党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー国家顧問(75)や複数の政治家が1日早朝に拘束されたことで、多くの人が過去に置き去りにしたいと思っていた日々を思い出した。
アウンサンスーチー氏と、かつて国内での活動を禁じられたNLDは、2015年に行われた25年間で最も自由で公正な選挙で勝利を収めてから5年間、ミャンマーを率いて来た。同政権は1日に2期目に入る筈だった。しかしその裏で、軍はミャンマー(ビルマとしても知られる)における権力を可成り確りと維持して来た。
連邦議会の4分の1の議席を予め国軍に割り当てることや、同国で最も権力のある省庁を支配する権限を憲法で保障されて居るからだ。では何故今、国家の権力を掌握したのだろうか。そしてもっと重要なことだが、次に何が起きるのだろうか。
「トランプ前米大統領的」不正疑惑
何故このタイミングなのかは簡単に説明が着くと、BBCのジョナサン・ヘッド東南アジア特派員は指摘する。1日朝には昨年11月の総選挙後初の議会が召集される筈だったからだ。総選挙ではNLDが得票率80%以上で大勝した。軍によるムスリム(イスラム教徒)系少数派ロヒンギャの虐殺疑惑に直面する中でも高い人気を維持した。軍の後ろ盾を受ける野党派は投票直後、不正行為があったと主張し始めた。
今回のクーデターで大統領代行に任命されたミン・スエ氏は、自身の署名入りの声明の中で、総選挙で不正があったと繰り返し主張。1年に及ぶ非常事態宣言を正当化した。
「ミャンマー選挙管理委員会(UEC)は2020年11月8日に行われた複数政党による総選挙で、大規模な有権者名簿の不正を解決出来なかった」と、国軍出身でNLD政権下で副大統領を務めたミン・スエ氏は述べた。しかし、この不正疑惑を裏付ける証拠は殆ど無い。
「アウンサンスーチー氏が総選挙で圧勝したのは明らかだ」と、人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ」(HRW)アジア支部のフィル・ロバートソン氏はBBCに述べた。「選挙で不正行為があったとの疑惑が出ている。どれも証拠の無いものばかりで、いささかトランプ氏的な主張だ」
仮に不正があったとしても、今回の国軍の行為は「不可解」だとロバートソン氏は指摘する。「(総選挙の結果が)権力の喪失を意味したと云うのか? 答えはノーだ」
「国家の父」に取ってきまりの悪い理由が?
昨年11月の総選挙では、国軍系の最大野党・連邦団結発展党(USDP)は僅かな票しか獲得出来なかったように見えるかも知れない。だがそれでも、国軍は政府に対して大きな影響力を維持出来ている。軍事政権下の2008年に制定され物議を醸した憲法のお陰だ。
現行憲法は国軍に議会議席の4分の1を自動的に与えるだけで無く、内務省や国防省・国境省の主要3省の支配権も付与して居る。詰り、現行憲法が変わら無い限り、国軍は或る程度の支配力を維持出来る訳だ。だが、多数派のNLDが改憲する事は出来るのだろうか。BBCのヘッド東南アジア特派員は、改憲には議会で75%の支持が必要であることから、少なくとも25%を軍が占めている状況では実現はホボ不可能だと指摘する。

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日本で暮らすミャンマー市民は既に抗議活動を行っている。写真は路上に落ちたミン・アウン・フライン国軍総司令官の顔写真
元ジャーナリストのアイミンタント氏は、国軍の行動には別の理由があるかも知れないと示唆。軍に取っての「不面目」を挙げる。彼ら(国軍)は(総選挙で)負けるとは思っていなかった」と、アイ・ミン・タント氏はBBCに述べた。「軍関係者の家族を持つ人達が、反対票を投じたに違い無い」
勿論それだけでは無い。「国軍がこの国における自分達の地位をどう見ているのか、理解する必要がある」と同氏は付け加える。「国際メディアはアウンサンスーチー氏を(ミャンマーの)『母』と呼ぶのを通例としている。国軍は自分達のことをこの国の『父』だと考えている」
その結果、軍は国の統治において「義務と資格」が有ると感じている。又、ここ数年で国際貿易が更に開かれつつある中、現在の社会状況が気に食わ無いのだと云う。
「彼ら(国軍)は特に余所者を危険視して居る」
新型コロナウイルスのパンデミックや、昨年11月の総選挙でロヒンギャに選挙権が与えられ無かった事を巡る国際的懸念が、国軍を今行動させたのかも知れないと、アイミンタント氏は示唆している。そうだとしても、矢張り今回の行動は驚きだった。
今後どうなる
専門家たちは、国軍が何故今この様な行動に出たのか、確信が持ててい無い様だ。国軍が得られるものは殆ど無いと思われるからだ。
「現行制度が国軍に取って非常に有益である事を忘れては為らない。国軍には完全な指揮権や、商業的利益における大規模な国際投資、戦争犯罪を巡る民間人からの政治的保護がある」と、シンガポール国立大学アジア研究所の博士研究員、ジェラルド・マッカーシー氏はBBCに説明する。
「国軍が発表した通り1年に渉って権力を掌握すれば、中国以外の国際パートナーと孤立し、軍の商業利益が損なわれ、アウンサンスーチー氏とNLDを権力の座に就かせた数百万人からの抵抗が強まることに為る」

画像提供,REUTERS 画像説明 m3 ヤンゴン市庁舎内で兵士の姿が確認されている(1日、ミャンマー・ヤンゴン)
マッカーシー氏は、恐らく国軍は将来の選挙でのUSDPの地位を向上させたいと考えて居るのだろうとしつつ、この様な動きには「重大な」リスクが伴うとしている。HRWのロバートソン氏は今回の動きについて、ミャンマー国内の人々の怒りを買う一方で、同国を再び国際社会から疎外される「パーリア国家」にしてしまう恐れがあると指摘する。
「ミャンマーの人々がこれを受け入れるとは思わ無い」とロバートソン氏は付け加える。「国民は将来、軍事政権に戻る事は望んでいない。彼等はアウンサンスーチー氏を軍政回帰を防ぐ砦だと考えている」
ロバートソン氏は、交渉による解決の可能性も残されているが「大規模な抗議行動が始まれば、重大な危機に陥ることに為る」としている。(英語記事 Myanmar's coup: Why now - and what's next?)
2021年2月2日 ミャンマー総選挙、アウンサンスーチー氏率いる与党が過半数 公平性に疑問も 2020年11月13日 m5


ロヒンギャ虐殺めぐる国際裁判始まる、アウンサンスーチー氏も出廷 2019年12月11日m6

ロヒンギャの村、潰され政府施設に一変 BBCがミャンマーで取材 2019年9月11日 m7

ロヒンギャ虐殺 ミャンマー兵に懲役10年の筈が「既に釈放」2019年5月28日 m7


ミャンマー議会、新大統領にウィン・ミン前下院議長を選出 2018年3月28日 m10

スー・チー氏、外相等4閣僚ポスト兼務へ ミャンマー 2016年3月22日 m11
ミャンマーで25年ぶり総選挙、野党NLDは勝利を確信と 2015年11月9日 m12
ミャンマークーデター 日本の役割は?
「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」嶌信彦(ジャーナリスト)投稿日:2021/2/19
【まとめ】
・国軍最高司令官ミン氏が最高意思決定機関を設置し体制作りを進める。
・ASEAN各国は欧米の様な厳しい批判はせず慎重姿勢。
・ミャンマー各勢力と良好な関係を持つ日本が仲介役を果たせるか。
ミャンマー国軍が2月1日、クーデターを起こし、政権を率いるアウンサンスーチー国家顧問兼外相ら政府与党の幹部を拘束した。国軍最高司令官のミンアウンフライン氏が軍政の最高意思決定機関を設置して自ら議長に就任し、体制作りを進めている。
ミンアウンフライン氏は「規律ある民主主義を確立する為」と主張して居るが、最大都市ヤンゴンでは大規模な抗議デモがあり「軍政を倒せ、スーチー氏を開放しろ」と声を挙げながら市内を練り歩いた。軍政側はインターネットを遮断し、国内で2000万人以上が利用するフェイスブックなどへの接続も遮断した。
ミャンマー(旧ビルマ)が英国から独立したのは1948年。スーチー氏は1945年生まれで、父アウンサン将軍はビルマ建国の父と言われて居たが2歳の時に亡くなっている。1962年以降は、軍がクーデターを起こし政治を支配する事が多かった。
この為スーチー氏らが国民民主連盟(NLD)を結成、1990年の総選挙で圧勝したものの、軍は政権移譲を拒否。スーチー氏は自宅軟禁されたが1991年にノーベル平和賞を受賞したりした。2011年に 民政移管が完了すると2015年の総選挙でNLDが勝利し、スーチー氏が実質的な政権トップと為る国家顧問兼外相に就任した。

ミャンマー国家顧問アウンサンスーチー 2016年11月30日にシンガポールのイスタナで 出典:Suhaimi Abdullah / GettyImages m13
こうして約半世紀に及んだ軍政と、断続的に15年に及んだスーチー氏の軟禁にも終止符が打たれた。しかし国会議員の4分の1は軍人枠で占められる等国軍の政治関与は今も続いている。特に2017年には国軍が少数派のイスラム教徒ロヒンギャを迫害、約100万人が隣国のバングラデシュに難民として避難し、国際的批判を浴びている。
今回のクーデターに対するASEAN各国の態度は微妙だ。タイ・カンボジア・フィリピンは「内政問題だ」とし不干渉の立場だし、ベトナム・ブルネイは「状況を見守る」と介入し無い姿勢をみせている。
一方、シンガポール・マレーシア・インドネシア等は「政治状況に懸念を感ずる。正常化を望む」等として居るが、欧米の様な激しい批判を避け、ASEANとして一致した行動に出る事にも消極的だ。背後にアメリカ・中国・ロシア等の大国が控えて居り、大国の思惑が夫々違う上、ASEAN各国は独裁政権が多いのでハネ返りを恐れ軽々に動けないのだ。

ミンアウンフライン氏の写真を燃やす抗議者(2月4日タイ・バンコク) 出典:Lauren DeCicca/Getty Images m14
只ミャンマーは、約5500万人の人口と東南アジア最大の国土・豊富な宝石・鉱物資源等を持つ豊かな農業国で東南アジア最後のフロンティアと呼ばれて来た国だ。しかも東南アジアと中国・インドを結ぶ要衝の地域にも位置して居るだけに、国際社会はクーデター後の政治新体制の動きに注目して居るのだ。
ミャンマーではスーチー氏の釈放を求める抗議デモが続いて居るが、軍部は「国家を安定させて居るのは国軍の力だ」と主張し、ミン最高司令官は国政運営に野心を持って居るとも言われている。只スーチー氏のカリスマ的人気と国際社会の軍部批判やアメリカ等の経済制裁も気にして居り一挙に強力な軍政に戻れ無い様だ。
日本は安定化して来たミャンマーに400社超の企業が進出している。香港の様に圧政を実施すると、進出している外国企業が退避し、折角安定成長の軌道に乗り始めたミャンマーの成長がストップする可能性も強い。

ミャンマーへは世界各国から多数の企業が進出(ヤンゴン) 出典:Paula Bronstein/Getty Images m15
軍部とスーチー氏支援の民衆、そして国際社会との妥協がミャンマー発展のカギと為ろう。ミャンマーの各勢力と良好な関係を持っていた日本がどんな役割を果たせるかも注目されて居る。
以上
〜管理人のひとこと〜
ミャンマーとは旧ビルマの事です。昔の邦画に「ビルマの竪琴」と云う名画がありました。『ビルマの竪琴』のあらすじを簡単に紹介
1946年から1947年に掛けて、童話雑誌に掲載されて居た『ビルマの竪琴』小説家の竹山道雄が手掛けた児童文学です。では先ず、あらすじを紹介して行きましょう。
第二次世界大戦時の1945年、現在のミャンマーであるビルマに、音楽学校出身の隊長が率いる日本軍の部隊が居ました。彼等は歌を歌う事で隊の士気を高め、労わりあい団結しています。特に水島上等兵が奏でる竪琴は素晴らしく、隊員達は彼の演奏を聞きながら、何時戦闘が始まるかも知れない状況の自らを鼓舞して居たのです。
また水島はビルマ人に扮装する事も得意で、敵の様子を偵察して竪琴の音色で情報を伝える役割も担って居ました。
或る日のこと、彼等は敵を油断させようと、イギリスで生まれた民謡「埴生の宿・はにゅうのやど」を歌いながら戦いの準備を整えて居ました。すると、敵方も英語で「埴生の宿」を歌い始めます。結局両者は相まみえる事無く、日本軍はその時自国が戦争に負けたことを知り降伏するのです。
しかし別の地では、降伏をよしとしない者達が戦い続けて居ました。説得をする為に、水島が現場に赴くことに為ります。しかしその後何日経っても彼は戻って来ません。
そんな或る日、隊長は水島に好く似た見た目をした僧侶を見掛けます。肩に青いインコを乗せて居て、話し掛けても返事をせずに行ってしまいました。
やがて帰国の日が決まります。隊員達はこの地で歌うのも最後と、合唱を繰り返しました。すると日本に帰る前日、例の僧侶が彼らの居る場所に現れたのです。隊員が「埴生の宿」を歌うと、歌声に併せて竪琴を弾きました。矢張り僧侶は水島だと確信した彼等は、一緒に日本へ帰ろうと呼び掛けますが、僧侶は黙って「仰げば尊し」を弾き去って行ったのです。
悲しみの中帰国の途に着いた隊員達のもとに、1羽のインコが手紙を運んで来ます。そこには、水島が仲間の降伏の説得に出発してからの出来事と、ビルマの地で命を落とした日本兵を弔う為に現地に留まる事を決心したこと、その為に出家をして僧侶に為ったこと、更に仲間への感謝の気持ちが綴られていました。水島の想いを知った隊員達は、惜別の気持ちを込めて静かに合唱を始めたそうです。
『ビルマの竪琴』に登場する歌「埴生の宿」に込められた想いとは
作中で何度も歌われる「埴生の宿」原曲は、1823年に作詞作曲された「ホーム・スウィート・ホーム」です。イギリスで上演されたオペラの中の1曲で、宮殿暮らしをする事に為ったヒロインが、貧しくも満ち足りていた故郷の家を懐かしむと云う内容。
日本では1889年に発表された歌集に掲載され「埴生の宿」として知られる様になりました。「埴生の宿」は「みすぼらしい、粗末な家」と云う意味ですが、歌詞を見てみると「みすぼらしくとも我が家に勝るものはない」と云う真意が含まれて居る事が判ります。
『ビルマの竪琴』では、水島たちが歌う「埴生の宿」に併せ、イギリスの兵士達も歌い出し、敵も味方も関係ない大合唱と為る様子が描かれて居ます。双方に取ってこの歌は、故郷を彷彿とさせるものだったのでしょう。
戦争で疲弊し傷ついた彼らに取って、遠く離れた我が家を恋しく想う気持ちは同じ。「埴生の宿」には、故郷に帰りたいと云う国を超えた切実な願いが込められて居るのです。
『ビルマの竪琴』は実話だった?モデルがいる!
主人公の水島上等兵には、モデルが居ると云われています。復員後に群馬県利根郡昭和村にある雲昌寺の住職と為った中村一雄です。『ビルマの竪琴』は、彼と同じ部隊に所属して居た人物から聞いたエピソードをもとに書かれました。
13歳で仏門に入った中村は、福井県永平寺で修行中の1938年に徴兵。中国やフィリピンなど東南アジアをめぐり、多くの戦死者を出したビルマで終戦を迎えました。所属して居た「吉本隊」の中にオーケストラ団員が居た事から、捕虜と為って収容所に入れられた後に合唱団を結成。歌の力で死者の魂を慰めようと尽力したそうです。
1946年に軍務を解かれ帰郷。群馬県昭和村で僧侶に為ります。村の開拓に奮闘する一方で、慰霊の為に度々ビルマを訪れ、1998年にはミャンマーキンウー市に小学校を寄贈。戦没者の為の慰霊碑も建立しました。2008年に92歳でこの世を去るまで、生涯を掛けて戦争犠牲者の鎮魂と平和交流に力を注ぎ続けたそうです。
『ビルマの竪琴』から考える「インパール作戦」の白骨街道
1944年3月、ビルマにおけるイギリス軍の拠点と為っていたインパールを占領する為に、日本軍が決行した作戦を「インパール作戦」と云います。準備や計画が十分では無く、多くの犠牲者を出し「史上最悪の作戦」と云われているのです。
激しい雨が降る中敵の攻撃に晒され、兵士は次々と倒れて行きます。食料も尽き不衛生な環境下で伝染病も流行りました。作戦が中止された後の撤退路には3万を超える死体が並び「白骨街道」と呼ばれる程の惨状だったそうです。
こんな地獄の様な光景を見た水島は、見過ごす事が出来なかったのでしょう。日本に帰ることを辞め、鎮魂の為にビルマに留まる選択をするのです。
以上