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2020年05月10日

「公共の為に個人の権利を制限した」田中角栄から今 日本人が学ぶべき事





 「公共の為に個人の権利を制限した」田中角栄から
  
 今、日本人が学ぶべき事
 


          〜プレジデントオンライン 田原総一朗 5/10(日) 11:16配信〜


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               ジャーナリスト 田原総一朗氏

 田中が取りまとめた「都市政策大綱」の恐るべき内容

 僕は田中角栄以降、日本の総理大臣とは全て一対一で会って話をして居ます。田中の特徴は、何と云っても構想力でしょう。凄い政治家だと初めて認識したのは、1968年に田中が自民党都市政策調査会長として〔都市政策大綱〕を発表した時でした。
 前年の東京都知事選挙で、社会党と共産党が推薦した美濃部亮吉が当選しました。それ以前に京都は革新知事だったし、その後は名古屋や大阪でも革新が勝った。その状況に危機感を覚えて、田中は「中央公論」に〔自民党の反省〕と云う論文を書きます。

 当時、太平洋側の都市は工業化が進み、過密と公害が問題に為って居ました。そうした不満を吸い上げて当選したのが革新系の首長達です。それに対して田中は、革新は反対だけで対案が無く、政権を任せられ無い。だから自民党が力を着けなくてはいけ無いと反省したのです。
 では、どうすれば好いのか。その答えを示したのが都市政策大綱でした。ここで示されたのは、日本全体を1つの大きな都市にするという構想でした。新幹線や高速道路・航空路線網を張り巡らせ、日本全国を日帰り圏にする。そうすれば日本海側や内陸部にも工場が出来、過密や公害で悩む太平洋側の問題も解決出来ると云う訳です。こんな構想を示した政治家はそれ迄居ませんでした。
 素晴らしいと思ったポイントは2つ。先ず公共の為に個人の権利を制限する事。もう1つは、開発する具体的な地名を挙げ無かった事でした。
 
 都市政策大綱が出来た背景には、田中の長所である膨大な法律の知識が有ったでしょう。田中は、議員立法で33本の法律を成立させて居ます。堺屋太一さんに言わせると、これは途轍も無い事だそうです。新しい法律を作るには、それ迄の法律を全部理解して居ないといけません。だから専門分野の官僚が必死に勉強して作るのが普通。それを尋常高等小学校卒の田中が遣ったのは凄いと。
 後の話ですが、本人に「どうしてそんなに法律を知って居るのか」と聞いた事があります。すると、彼は子供の頃から吃音症で、それを治す為に毎朝畑で六法全書を読み上げる内に暗記したと教えて呉れました。

 田中が衆議院議員に初当選した時の首相は吉田茂です。吉田は、何時も六法全書を脇に抱える田中を揶揄(からか)う積りで法律の条文を3つ尋ねた。全部答えた事に感心して、当選1回なのに法務政務次官にしたと云う逸話も有りましたね。
 サテ、類いまれな構想力と法律知識を背景に都市政策大綱を作った田中は、それを下敷きに〔日本列島改造論〕を1972年に書き、同書は大ベストセラーに為ります。只、都市政策大綱と違うのは、公共の為に個人の権利を制限すると言わ無く為り、開発の具体的な地名を挙げた事。
 秘書の早坂茂三等が反対したら「これは医者の処方箋だ。処方箋は患者を喜ばせ無いといけ無い。列島改造論も国民を喜ばせるものだ」と答えたそうです。直後の総裁選で勝って、田中は総理大臣に為ります。し19かし、開発する地名を出した事で地価が上がりインフレに。
 国民の間で疑問が起き始めた処に1973年秋に第四次中東戦争が起きて石油ショックです。石油の価格が5倍に上がって悪性インフレに為り、田中の政治は金権政治だと批判が沸き起こりました。

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 田中が呉れた茶封筒、厚みから100万円は入って居たと思います

 それ迄は田中の遣り方を悪く言う人は居ませんでした。田中のライバルは東大卒で大蔵省出身の福田赳夫。福田を囲む会は当時政財界に34も在りました。それに対して、田中は「俺は新潟県人会と二田小学校の同窓会しか無い。だから自分で井戸を掘らないといけ無い」と云って自分でお金を作って居ました。それで他の政治家の面倒を見る。社会党の政治家にも渡して居たし、その政治家が裏切っても怒ら無い。それは支持が増えますよ。
 その頃福田派だった亀井静香は「田中派は軍隊だ」と評しました。田中の言う事は聞か無くてはいけ無いが、選挙のお金の面倒も見て呉れる。一方、福田派は単なるサロン。福田は何もして呉れないから、結局、田中に頼みに行かなくてはいけ無いと。処が、石油ショックを契機に国民はそれを許さ無く為った。その後の参院選でも大敗です。

 アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄
 
 石油ショックは、ロッキード事件にも繋がって居ます。日本は石油の供給をアメリカの石油メジャーに依存して居た。そんな中、中東諸国はイスラエルの味方をするアメリカやその同調者には石油を売ら無いと宣言した。田中はエネルギーで自立する為に中東諸国やソ連に接近した。
 これにアメリカが怒り、ロッキード事件で田中を失脚させたと云うのが僕の見立てです。僕は中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を発表してその顛末を書きました。それを田中が読んで信用して呉れましてね。1981年に初めてインタビューする事が出来ました。

 出会いは強烈に印象に残って居ます。僕は30分前に目白の田中邸に入った。処が約束の時間を30分過ぎても田中が遣って来ない。秘書の早坂に聞いたら「実は昨日、オヤジ(田中)に言われて君の資料を集めて来た。朝からそれを読んで居て、未だ終わって無い」と。
 普通、資料を読むのはインタビュアーの僕の方。でも、田中は逆にインタビュアーの事を徹底的に知ろうとして居た。これは面白い政治家だなと改めて感じました。

 結局、インタビューは1時間遅れで始まりました。終わった後、又難題が降り掛かった。田中が金庫から茶封筒を出して僕に渡すのです。恐らく厚みから100万円は有ったと思います。これを受け取ったらお仕舞です。しかし断って怒らせたら、自民党の取材が出来無く為る・・・悩みましたよ。
 結局、一旦受け取ってその足で田中事務所に行き、最敬礼して返しました。2日後に早坂から「田原君、オヤジがOKしたよ」と電話があって首の皮一枚繋がった。OKが出て居なければ、僕のジャーナリスト生命は絶たれて居た筈です。

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 それ以降、田中とは本音の付き合いをさせて貰いました。田中は娘の眞紀子さんを可愛がって居てね「眞紀子は早稲田を出て居て賢いのに、時々本を持って来て『お父さん、この字はどう読むの?』と聞いて来る。親孝行だ」と自慢して居ました。
 1985年に脳梗塞で倒れて、以降は政治への影響力を失って行きました。日本に取って残念なのは、田中以後、アレ程の構想力を示す政治家が出て居ないと云う事です。


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 田原 総一朗(たはら・そういちろう)ジャーナリスト 1934年 滋賀県生まれ 早稲田大学文学部卒業後岩波映画製作所へ入社 テレビ東京を経て1977年よりフリーのジャーナリストに 著書に『起業家のように考える。』ほか
 
 ジャーナリスト 田原 総一朗   構成 村上 敬 撮影 的野弘路       以上





























日本企業で出世する人達 実は「超低学歴」ばかりに為って居た!




 日本企業で出世する人達 

 実は「超低学歴」ばかりに為って居た!


           〜現代ビジネス 5/10(日) 10:01配信〜
   

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             冨山和彦氏 写真 現代ビジネス

 〜過つては世界から称賛された「日本的経営」だが、最早時代遅れの産物と化して居る。それにも関わらず、多くの経営者は未だ過去の成功体験に縋り付き、大きく会社を変化させる事を出来ずに居る。日本企業は今や世界の時価総額トップランキングに入れ無い程に凋落したが、その原因は会社の上層部で決断出来ずに居る「だらしない」トップ達、社長や役員等幹部達に有ると指摘する声は多い。
 今日本のトップ層達が直面して居る本質的な問題とは何か。では、日本企業は今本当はどんな改革に踏み出すべきなのか・・・
 今回、経営共創基盤代表取締役CEO(最高経営責任者)として様々な企業の再生や成長支援に取り組む日本を代表する経営コンサルタントで、新著『コロナショック・サバイバル 日本経済復興計画』を上梓したばかりの冨山和彦氏と、新作小説『よこどり 小説メガバンク人事抗争』でメガバンクの未来や組織の在り様な度を独自の視点で描き出した作家の小野一起氏が緊急対談を敢行。日本企業に蔓延する「偉い人達の可笑しさ」に付いて語り尽くした〜
 

 対談 撮影 小川光 編集協力 村上結希


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                 作家の小野一起氏

 「時代劇化」した日本企業

 小野 日本的経営での成功体験がアダに為って、バブル崩壊と共に経営危機が顕在化した代表例がカネボウやダイエーですね。冨山さんは、政府系の産業再生機構のCOO(最高執行責任者)として、日本的な経営の無残な失敗とリアルに向き合う事に為りました。

 冨山 特にカネボウは最も強固な日本的経営の会社で、日本的経営を作った原型のひとつでも有る訳です。運命共同体みたいに日本型経営を信じて居たので、新しい時代には不適合な会社だった訳です。しかし、最も強烈に変革の波に晒されたのは三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)や3C(自動車、カラーテレビ、クーラー)で過つて成功体験を味わったエレクトロニクス産業でしょう。半導体で日本が世界を席巻したのも成功体験に為って居ると思いますが、精々1990年代の話です。もう時代劇の世界ですよ。

 小野 そうした危機に直面したエレクトロニクス産業の中には変革の波に乗れ無い処も出て来て居ますが、一方、日立製作所等は中西宏明会長等のイニシアディブで強烈な改革が始まって居ますね。中西さんは冨山さんとの共著『社長の条件』の中で日立の人事改革に言及されて居ますが、典型的な日本的大企業と思われて居た日立で大胆な組織改革が此処迄進んで居たのかと驚きました。
 グローバル化に対応する為に年功序列を廃止し、トップの選定も社外取締役が主導して、30代を含む50人近い候補者と遣り取りしながら選定作業をして居ると云う話は刺激的でした。逆に言えば、日立の様な企業でもこの位の改革に取り組ま無ければ生き残れ無いと云う事ですね。
 

 社長が「次の社長」を決めると云うムラ社会
 
 冨山 遅ればせながらだと思います。こうした日本的経営の問題点に付いては気付く人は気付き、分かって居る人は分かって居ました。例えばスタンフォード大学名誉教授の故・青木昌彦さんは、以前から課題を指摘して居た。それなのに、例えばカネボウの経営が傾いた時等、日本の経済界では「アレは変な経営者が居たからだ」と説明してしまう人が大半だったんです。

 小野 日本的な経営が構造的な問題を抱えて居るとは考えずに、カネボウが個別に経営問題を抱えて居ると説明されてしまった。

 冨山 日本的経営の普遍的な病理に付いて経済界全体が認め始めたのは、本当に極最近の事です。安倍晋三政権に為ってから要約企業統治(コーポレート・ガバナンス)改革が本格的に始まりましたが、それ迄は全て人の所為にして居た。
 ソモソモ日本企業の低迷は、世界の時価総額ランキングを観ると明らかです。平成元年は可成りの数の日本企業が上位50社に入って居ました。でも平成の終わりには、精々トヨタ自動車位じゃないですか。この平成の大敗北で、流石に自覚が生まれた。

 小野 「平成最後の時価総額ランキング。日本と世界その差を生んだ30年とは?」(https://media.startup-db.com/research/marketcap-global)に依ると平成元年(1989年)は、世界の時価総額ランキングで、トップ50の中に日本企業は32社入って居て、トップはNTTでした。しかし、平成31年4月(2019年4月)に為ると、トップ50に入った日本企業はトヨタ自動車のみです。トップ3は、アップル、マイクロソフト、アマゾン・ドット・コムと云うデジタル革命の勝ち組のアメリカ企業ですね。
 こうした危機感に直面してヤッと、日本企業の中からコーポレートガバナンス改革で独立社会取締役を導入する企業も出て来ました。そして社外取締役で構成される指名委員会でトップを決める仕組みにした会社も出始めて居ます。これは、社長が次の社長を決めると云うムラ社会の掟の心臓部を変える改革です。只、こうした制度を入れて居る大企業は未だ少数ですね。


 冨山 一桁パーセントでしょうね。

 日本のリーダーが「可笑しな」理由
 
 小野 日本企業に取って「社外取締役の導入」や「指名委員会の設置」が進む事は重要な動きですが、此処からはキチンと定着する事が大切に為って来るのだと思います。その点、折角仕組みを取り入れたにも関わらず、キチンと機能して居ない企業も多い様です。
 ヨクヨク聞いてみると、社外取締役が皆さん社長の「お友達」みたいなケースが有りますよね。形式は整って居るけど、魂が入って居ない。導入した企業の中にはそう云う企業が多い印象があります。
 

 冨山 最初は仕方が無いでしょうね。先ずは形式を先行させて、実質を整えて行く。長い目で見れば実質が変わった会社だけが生き残り、実質が変わら無い会社は消えて行くと云う事でしょう。
 そもそもリーダーシップが必要と云うのは、今や大半の経営者が口にして居ます。しかし、本質的に問題と為るのはリーダーシップの中身で有り、リーダーの在り様でしょう。古き良き日本のリーダー像って有りますよね。人望が在って、皆の気持ちが好く判って、それで現場の状況を理解して・・・と云う良き上司像です。勿論今でもそうした上司像は否定されませんが、それだけで良いのかと云う事が問われて居る訳です。

 小野 日本企業のリーダーシップに付いて、他に冨山さんが問題だと思って居る事は何でしょうか。

 冨山 日本の経営者が好く使う言葉に「現場主義」と云うのが有りますが、これが本当の意味での現場主義で無く「現場迎合主義」に為って居る事が多い。
 例えば或る業界で破壊的イノベーションが遣って来るとします。テレビを作って居ればこれ迄儲かって居たエレクトロニクス産業で、最早新興国企業が台頭して来てテレビを組み立てて居ても儲から無く為ると云う様なケースです。その時に、テレビの製造現場の人達に「テレビの組み立てを止めようか」と聞いたら、誰も「そうですね、止めましょう」とは言いませんよね。
 紙の新聞が売れ無いからと言って「紙の新聞を止めるか」と言っても、紙の新聞を作って居る人は誰も止め様とは言わ無いでしょう。こう云う現場の声を重視する経営者は現場主義とは言いません、単なる現場迎合主義です。

 小野 苦しくても現場の反対が在っても、より収益の高い処に戦略的に事業をシフトして行く判断をするのが経営者。それが出来無いのならば会社は消滅へと向かいます。

 冨山 そうです。しかし、日本企業にはそう云う決断が出来無い経営者が多い。現場と云うのは、言い換えると競争の最前線です。最前線で何が起きて居るかをリアルに認識する事が大事なのは当たり前です。それと現場の思いに引き摺られて決断が出来無い事は全く違う。

 「一億総玉砕」しない為に

 冨山 例えば戦場を見に行って、海戦の状況を確認して、飛行機を導入すれば勝てると考えるのは現場主義です。一方で長年苦労して居る水夫さん・一生懸命に機銃操作して居る兵士の気持ちに為って作戦を継続するのが現場迎合主義です。これは本当の現場主義では有りません。「現場主義」と「現場迎合主義」を混同して居る経営者が日本的大企業には矢鱈と多いんですよ。

 小野 終身雇用と年功序列を前提にすると、経営者は現場に居る人の人生を背負って居る気分に為りますよね。現場迎合主義では、その瞬間は好い上司の様に振る舞えるかも知れませんが、長期的には雇用を守る事は出来ません。

 冨山 ズッと苦労して頑張って居る事を知って居る訳ですから尚更なんでしょうね。現場の人達の貢献で日露戦争に勝った、現場の人達のお陰で高度成長に貢献した・・・その思いは判りますよ。成功体験が有るので、それを支えた現場の気持ちに寄り添ってしまう。只、ビジネスと云う戦争の現実はもっと厳しい。そう云う現場の情念を合理が超えて行くのです。
 中途半端に現場の情念に寄り添うと悲劇が起こります。だから、戦局が変われば水兵さん達を船から降ろして挙げれば好い訳でしょう。遣る気と能力が有る人には、パイロットに為れよって言って挙げれば好い訳です。
 今多くの日本企業がこうした課題に直面して居る訳ですが、未だおカネに余裕が有る段階で早く組織転換をした方が好いと思います。改革しようとすると、その瞬間は凄く現場にストレスが掛かります。しかし、それを恐れて居ては手遅れに為ってしまうのだから、タイミングは早ければ早い方が好い。心を鬼にして、寧ろ早過ぎる位のタイミングで転換を図れる様なリーダーじゃ無いと、結果的により多くの人を失業に追い込んでしまう。最後は絶対に一億総玉砕に為りますから。
 実は日本企業はそんな一億億総玉砕を何度も繰り返して居るんです。「半導体玉砕」「液晶玉砕」「テレビ玉砕」・・・流石に、これ以上は無理でしょう。

 小野 確かにそうですね。例えば東芝は半導体と原子力で玉砕して居ます。日立が、必死に為るのは当然とも言えます。

 「本当の学力」が評価され無いニッポン

 冨山 リーダーシップのモデルが、高度成長期からガラリと変わって居るんです。今は大きな変革期ですから、リーダーは「自分が言った事」を「遣って貰わない」といけ無い。詰り、今のリーダーは社員への影響力が重要なんです。しかも、人事権を振り翳す、所謂「ハードパワー」だけでは組織は動きません。
 ソフトパワーとしての人望や人間性も又トテモ大切です。そのソフトパワー的なものと合理性をどう両立させるかがポイントです。リーダーは必要な時は合理的で冷徹な決断を出来無ければ行け無い。只、人望が無いと「この野郎!」って恨まれて、本能寺の変で暗殺されちゃう。だから人望も必要です。この両立が出来無いと今の時代のリーダー務まら無い。要は組織の中でリーダーをどう育成するか、どう選ぶかが重要に為って来る訳です。

 小野 リーダーの育成は、高等教育とセットで考える必要が有りますよね。現状では「学歴主義」と云うより「学校名主義」に為って居ます。

 冨山 そうですね。合格歴ですよね。濁点が違って居ます。「高学歴」じゃ無くて「合格歴主義」(笑)   

 小野 社会学者の小熊英二さんは『日本社会のしくみ』と云う本の中で、学歴に付いて非常に興味深い指摘をして居ます。曰く、日本的経営は「学歴抑制効果」が働いて居ると。本来なら高学歴と云えば、博士号や修士号を取得して居る事です。日本の場合、特に文系だと修士号や博士号を取得して居ると、逆に出世出来無く為るケースすら有る。ムラ社会だと修士号や博士号を持って居ると「異端」に位置づけられて「本流」から外されてしまう訳です。
 欧米の場合、経営者を目指す人には必要な学位を求めますよね。修士号とか博士号です。ソコで培われた知識やスキルが、仕事に必要だと考えられて居るからです。東大卒や京大卒と云う学校歴・合格歴が求められる事は有りません。
 一方で、日本の終身雇用・年功序列だと、先ずはムラ社会のメンバーに入る事が重要。経営陣を目指す人も、皆現場のオペレーショナルな業務から入って、少しずつステップアップして行くしか道が無い。


 早慶卒・体育会系出身が「最強」と云う現実

 小野 日本企業で求められるのは潜在力を担保する有名大学の合格歴に為る訳です。余計な知的な能力は必要無い。ムラの中で必要な知識や掟は、ムラに入ってから叩き込んで遣ると云う訳です(笑)
 だから今のムラから別のムラに移る転職も難しく、会社が傾くと総玉砕に向かってしまうのではないでしょうか。


 冨山 そうですね。この話は結局、全部繋がって居ますよ。産業の構造が比較的固定的で、オペレーションの優劣で業績の優劣が決まる時はそれで良かった。極論を言えば、一つの工場の中で、ズッとその仕事のオペレーションを高度化して合理化して行く事が企業全体の競争力に直結して居た訳です。一本のネジの完成度を高め、作業工程を一つずつ見直して合理化する事が大切だったのです。
 只、今は産業構造がガラガラ変わる、競争構造もガラガラ変わる。要するに産業や社会がダイナミックに変化する様に為れば為る程、特定の業務の中で作られるノウハウは直ぐ陳腐化するのです。
 日本の歴史を振り返ると、様々な組織の中で似た様な事が起こり易い。例えば軍です。日本の軍隊と云うのは非常にスペシャリスト化・専門家して居ますが、割と初期の段階では皆ジェネラリストで、何でも屋さんだったんです。未だ明治維新の名残が在った明治期は特にそうでした。それが、ドンドン機能特化して行き、機能特化で技能を磨いて行く人達がそのママ偉く為っちゃう。そう云う仕組みを日本人は作り易い。
 大学と云う事で云えば、典型的に就職に強かったのは体育会でしょ。早稲田・慶応に入れるだけの能力が有りました。その上「ラグビー部です」「野球部です」と言えば、日本的経営の企業で有れば何処でも内定が貰える訳です。要するに地頭好い、体力が有る、これが要件。それに加えて、上下の秩序にチャンと従って行動出来る。最高じゃないですか。オペレーショナルな業務を磨く、ムラ社会の一員としては・・・と云う事に為る訳です。

 小野 有名大学の体育会系の人材は、終身雇用・年功序列のムラ社会に、最も都合の良い人材と認められる訳ですね。

 冨山 そう云う人材の良さを全て否定する訳ではありませんが、そう云う人材だけで構成されて居る組織は極めて脆いですよ。丁度平成に入った頃に、ベルリンの壁が壊れ、完全なグローバルな世界に突入しました。インターネットの普及で、デジタル革命も始まって、産業の変化のスピードが爆発的に変化した。オペレーショナルな業務を磨くだけのムラ社会型の会社では、変化に対応出来無く為ったのです。

 国際的に驚く程「低学歴」な日本企業の経営陣達

 冨山 有名企業の経営者等経済界の人達が集まる宴会で、大学時代の話に為ると、皆不思議な位自分が如何に勉強をし無かったかと云う自慢話に為る訳です(笑)俺は大学に行かずに麻雀ばかり遣って居たとか、運動しかして居なかったとか、皆滔々と語る訳です。それで居て「最近の若い連中は、勉強して居ない」とか上から目線で言うから意味不明です(笑)
 ただ、そう云う人材育成モデルが或る段階迄機能して、実際に有名企業の経営陣迄登れたので成功モデルに為ってしまったのでしょうね。残念ながら、日本社会の構造がこうした変化に対応出来無い経営者を生み出したと云えるでしょう。なので、日本の政治家も官僚も経済人も、国際的に観ると驚く程低学歴に為ってしまった訳です。

 小野 学力のピークが有名大学に合格した18歳と云う様な人達が、日本の政治や経済をリードして居る訳ですね(笑)

 冨山 色んな組み換えや変化が起きる時、大事な事は物事の中で何が一般、普遍的原理原則を持つか、何が普遍性を持た無いかを区別する事なのです。これがチャンと自分の頭の中で整理出来無いと急激な変化に対応出来ません。
 詰り、自分が積み上げて来た個別的な体験だけで経営の舵取りをしようとすると失敗します。少なくとも自分の経験の中で、普遍的に通用するものと通用し無いもの位は仕分け出来無いと経営者失格です。
 飛行機の性能に例えれば、早く飛びたいのかそれともクルクルと回るのが好いのか。それともパイロットの命を守る事が最優先なのか。それを判断出来無いといけません。詰り、物事を一般化・抽象化して普遍の原理原則から演繹する思考法が、訓練されて無いと、変化に対応出来ません。だからコソ、高い学歴が価値を持つのです。
 18歳の時に答えを丸暗記して対応出来る試験に合格した、そのアプローチだけでは通用し無く為って居る。高校迄は、それで好いんです。日本は、そこ迄は寧ろ教育が上手く機能して居る。問題は、大学からです。一般原理原則から、新しく発生した出来事を演繹して考える。或いは、色々な物事を組み合わせて創造する。そう云う思考訓練をキチンと出来ないといけ無い。今危ないと思うのは、そう云う思考力を評価する仕組みが日本社会全体に無い事です。

 「徹夜で麻雀出来る人」が出世する社会

 小野 実際に某メガバンクで、土日に頑張って論文を書いて博士号を取得して、その事を人事部に報告した直後から昇進が止まったと云う話を聞いた事があります(笑)

 冨山 結局、自分の頭で考える人はメンドクサイ、と思われて居るんですよ。部下として使い難いと。変化の時代に対応する為に思考力を評価して、エリートを選抜しようとすると、それに見合った学力を付け無ければいけ無い。これが、年功序列の仕組みと矛盾する訳です。
 これ迄の日本型経営のモデルでは、皆一緒に横一線で競争する建前に為って居ます。少なくとも正社員は、組織内の階級的格差無しで競争して、一寸した差で段々選抜をして行くのが基本です。これが、組織全体のモチベーション維持にも上手く作用して居た。
 こうした組織に、高学歴の人が活躍出来る舞台を作るのは難しい。だから、大体アメリカの大学院で学んだ事なんて、全て捨てろ、忘れろ、経営陣から言われる訳です。それで徹夜で麻雀に付き合えと。そうし無いと本当に出世出来無かった訳です(笑)


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 小野 一起 作家  冨山 和彦      以上























日本のコロナ対応に欠けて居たのは「戦争」の意識かも知れない




  日本のコロナ対応に欠けて居たのは

 「戦争」の意識かも知れない


            〜現代ビジネス 部谷 直亮 5/10(日) 10:01配信〜


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             慶應義塾大学SFC研究所上席所員 部谷 直亮氏

 「ウイルスとの戦争」と云う表現の是非

 コロナウイルスとの戦いは〔戦争〕か?と云う議論が内外で起こりつつ有る。米国ではトランプ大統領が4月1日、対テロ戦争がそうで有る様に、コレはコロナウイルスとの戦争・・・それも全面戦争で有ると宣言した他、ムニューシン財務長官も「これは戦争だ」と表現した。
 一方、3月に船内でコロナウイルスが蔓延した事に依り危機的状況に為った米空母セオドアルーズベルトのクロジエ艦長は、海軍長官からの任務続行命令を無視した理由として「我々は戦争中では無い。故に乗員が死ぬ必要も無い」と主張した。

 専門家の間でも、見解が別れて居る。イアン・ブレマーが設立したシンクタンク〔ユーラシアグループ〕のシニアフェローであるマーク・ハンナは「全ての闘争が戦争で有るとは限ら無い。寧ろ戦争宣言は、同盟国との協力やサプライチェーンの供給国との関係を悪化させる」と、コロナウイルスとの戦いを〔戦争〕と見做すべきでは無いと主張する。
 一方、米外交問題評議会会長のリチャード・ハースや軍事史家のアール・ティルフォードは「コレは戦争だ、寧ろ積極的にそう見做すべきだ」との立場である。一体、どう考えるべきか。戦争研究の観点から、このコロナウイルスとの戦いを見てみたい。

 ソモソモ、戦争とは何なのか

 古来、戦争と云う社会現象を定義するべく人類は悪戦苦闘して来た。その試みの大きな画期を作ったのが、プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツである。彼は〔軍人に取っての聖書〕とされる『戦争論』を執筆した事で有名だが、この『戦争論』は、戦争の定義を語る上で、その主張に肯定的であれ否定的であれ言及せざるを得無い、マサに古典理論の地位を占めて居る。
 余談ではあるが、クラウゼヴィッツも、その良き上司で在ったグナイゼナウも、そして彼の『戦争論』の論理の中核で有る弁証法を考え出したヘーゲルも、皆当時大流行して居たコレラ・・・それも遠きインドからドイツに遣って来た・・・で死んで居る。クラウゼヴィッツは戦争の定義として、

 (1) 憎悪や敵意を伴う暴力行為
 (2) 確からしさや偶然性と云った賭けの要素
 (3) 政治の為の手段としての従属的性質


 これ等3つの要素を備えて居るのが戦争で在ると考えた。詰り、戦争とは憎悪や敵意を伴う暴力行為で有り、ソコには不確定な状況で判断を下して行動し無ければ為ら無い〔賭け〕の要素が多分に有るが、飽く迄もそれ等は、政治の為の手段で有ると云う事だ。果たして、現在の諸国家に依る〔コロナウイルスとの戦い〕はどうか。
 コロナウイルスの側から事態を眺めると、コロナウイルスの人類に対する行動は、

 (1) 拡散は一種の暴力行為と見做せるかも知れないが、ソコに憎悪や敵意は無い。生存を目的として居るだけだ。
 (2) 賭けの要素に付いては有るかも知れない。コロナウイルスが増殖出来るかどう変異するかは予測出来無いからだ。
 (3) 一方、政治の手段と云う定義は当て嵌ら無い。コロナウイルスには政治も政策も無い。但し、孫子やマーティン・ファン・クレフェルトは、戦争を〔生存の道〕と位置付けて居る。政治目的では無く単なる生存の為の戦争も在ると、クレフェルトはクラウゼヴィッツを批判する立場から指摘する。


 一方、コロナウイルスと戦う我々の側は、この三要件を満たして居る様に見える。明らかに我々はコロナウイルスに対して憎悪や敵意を抱いて居る。友好的な意志に基づいて、或いは純粋な利益追求の為にウイルスに対峙して居る人は、居たとしても極一部だろう。
 又〔確からしさ〕や〔偶然性〕と云った賭けの要素も非常に大きい。コロナ対策の為に各国で実行された一斉休校・アビガンを初めとする治療薬の緊急開発・行動接触の遮断と云った施策は、その多くが決行当時は〔賭け〕であった。日本の緊急事態宣言の延長も〔賭け〕である。スウェーデンの集団免疫戦略も〔賭け〕である。台湾の蔡英文総統に依るいち早い封鎖戦略も(成功した)〔賭け〕であった。

 〔賭け〕で在った事を批判して居るのでは無い。将来的な先行きも効果も結果も見通せ無い、クラウゼヴィッツが表現する処の〔戦争の霧〕の中で決断せねば為ら無いと云う点で、コロナとの戦いは戦争と酷似して居る。寧ろ、安倍首相もロベーン首相も蔡英文総統も〔賭け〕に挑んだと云う意味では評価されるべきである。戦争に際して〔賭け〕が出来無ければ絶対に勝利は得られ無いからだ。無論、結果責任は別に問われる。それも又戦争と同様である。

 コロナ制圧と政治権力と「総力戦」
 
 此処で特筆すべきは、コロナウイルスとの戦いが戦争の3つ目の条件・・・即ち〔政治の為の手段としての従属的性質〕をも満たして居ると云う事だ。各国の政治主体・・・小は自治体から大は国家迄が、その指導者や利益集団や国家全体に取っての様々な〔政治目標〕の為に動いて居る事は否定出来無い事実である。
 例えば、自治体の首長から国家元首迄のアラユル指導者が、今回のコロナ対応を通じて、そのリーダーシップを証明しようとして居る事は言う迄も無い。
 又中国を筆頭として、今回のコロナ対応で援助物資外交が既に発生して居る事、各国間で人工呼吸器等の医療物資の争奪戦が発生して居る事もマサにコロナ対応の〔政治の手段〕としての側面を示して居る。

 又、米陸軍戦略研究所研究部長を経験したアール・ティルフォード氏「戦争は、敵を特定し、様々な資源を集め、ソレを実行可能な戦略に結び付ける行為でもある。コロナウイルス対処は、マサにそれだ」と指摘して居る。マサにコロナウイルスとの戦いは、戦争行為そのものだと云うのである。
 勿論、全ての憎悪や敵意を伴う暴力行為が戦争を意味する訳では無い。ヤクザの抗争・猫の縄張り争いを〔戦争〕と言い表しても、それを比喩以外の意味で取る人が居ない様に。しかしながら、国家がクラウゼヴィッツの戦争の三要件を満たしながら、資源を集め戦略の下にその資源を行使する今般の事態は、最早戦争行為に類するものとして見るべきではないのか。

 加えるに、クラウゼヴィッツは戦争の注目すべき特徴として〔相互作用〕を挙げて居る。詰り、戦争に於いては、暴力・恐怖・力の応酬が互いにエスカレートして行くと云うのである。確かに、コロナウイルスは弱毒性から強毒性に変化し、我々人類側の措置も隔離や外出自粛と云った比較的緩やかなものから、緊急の治療薬開発・罰則付きの制限措置等へとエスカレートして居る。
 こうした〔相互作用〕が有ると云う点で、ウイルスは他の地震・津波・原子力事故・隕石と云った災害とは大きく異なるものだ。更には、我々のコロナウイルスへの恐怖もエスカレートして居る。最も、ウイルスの側には恐怖も何の感情も無い。力の応酬・・・即ち、自らの力を敵より優勢にしようと云う努力も同様に無い。
 
 勿論、これを戦争と見做す事の弊害を指摘する向きもある。冒頭のマーク・ハンナは「脅威の性質を根本的に歪め、政策立案者を最も現実的な解決策から逸らし、国際的な善意を浪費させる」と手厳しい。しかし、これは〔べき論〕でしか無い。
 この戦いには〔抑止概念が無い〕と云う指摘もある。ハドソン研究所研究員の村野将氏は「意思を持た無いウイルスを抑止したりは出来無い。問題は、コロナショック後の回復力・影響力を巡る米中の大国間競争」と指摘する。  
 後者に付いてはマサに卓見であり、有る種の「戦後」を見据えるべきとの重要な指摘である。一方、前者に付いては、寧ろ〔コロナウイルスとの戦い〕コソ、実は、人類がゴミ箱に叩き込んだ筈の、抑止概念等無かった時代の第一次大戦や第二次大戦の様な〔総力戦〕の復活かも知れ無い事を逆に示唆して居る。

 この様に、矢張り、コロナウイルスは、或る種の総力戦の復活で有り、戦争と見做すべきなのだ。勿論、人間の営みとしての政治と云う要素が一方に無い戦いを〔戦争〕と定義するかどうかに付いては更なる議論が必要であろうが、政策的な観点からもそう見做すべきだ。

 勝利の為には「作戦」が必要だ
 
 筆者は矢張り、コロナウイルスとの戦いは、或る種の総力戦の復活であり戦争と見做すべきと考えて居る。それは、平時とは異なる政策対応が求められると云う点に於いてだ。クラウゼヴィッツは、戦争は政治(≠政策)の延長で有ると指摘した。そして、戦争は軍人が指導するよりも、無能で有っても文民指導者が指導した方が増しであるとすら喝破した。
 詰り戦争とは、純粋な政策の延長でも無ければ単なる殺戮の延長に有るものでも無い。戦争とは、政治と云う総合的利益に基づいた観点での〔勝利〕に向かって、国家の様々な資源を効率的に様々な時系列で行使して行く事に依って遂行されるべきものである。そして、戦略的勝利の為には、複数の戦術的成果を使役する作戦構想が必要と為る

 これを現在のコロナウイルスとの戦いに当て嵌めれば、コロナウイルスとの戦いは、単なるウイルスの殲滅の延長に有るものでは無い。他方で、純粋な経済政策の延長に有るものでも無い。コロナウイルスとの戦いには、最終的な〔戦争目的〕が設定され無ければ為ら無い。
 そして、その目的を実現する為の戦略を設定し、複数かつ個別の戦術的成果に固執するのでは無く、それらをより大きな戦略に役立てる様な作戦構想が必要だ。此処で云う戦略とは短期的なものでは無く、開戦から終戦迄・・・詰り出口戦略を含むものである。

 医療的な視点だけでも経済的な視点だけでも無く、マサに村野氏が指摘する様な戦後構想を含む総合的な〔政治目的〕とその実現の為の戦略を策定し、それを国民に知らしめ、協力を要請するべきで在ると云う事だ。

 例えば「この様な状況に為ればこう対応する」と云った段階的な・・・例えば三段階程度の・・・出口戦略を策定・公開し、状況に合わせて随時更新して行くべきである。そして、政府は個別の戦術的問題に拘泥する事無く、戦術的成果を戦略の実現に向けて編み合わせて行く行為に専念すべきである。
 この〔戦術的成果を戦略に結び付ける〕と云う行為は、所謂〔作戦術・operational art〕と呼ばれる営みである。これを現況に当て嵌めれば、政府としては、先ず政治指導者がどの様な状況を作り出したいかを明確に・・・例えば、早期にウイルス感染・治療が完全にコントロール可能な状況に置かれて居る状態を目指すとか、若しくはウイルス感染を或る程度許容しながらも経済維持を優先する・・・等に示さねば為ら無い。

 そして、そこに至る為の方策を具体化し、有機的に組み合わせてシンクロさせ、時間軸に沿ってフェーズを管理し、何時何処で戦うか、或いは戦わ無いかを選択しつつ、与えられた人的・物的資源の範囲でマネジメントし、目標とする状況へと近づけて行く事が必要に為る。
 此処で特に重要なのが時間管理で有る。例えば冷戦下で、米国がソ連の圧倒的な物量を打破する為に編み出したのが〔エアランド・バトル・ドクトリン〕だが、これは敵の前方部隊を機甲部隊で、その後方部隊を航空戦力や砲兵で同時に打撃すると云うものである。これは一見、前後の敵を同時に打撃して居るだけに見えるが、その実〔目前の敵と将来の敵を叩く〕と云う〔時間管理〕にコソ本質が有るとされる。

 この時間管理に付いては、危機管理の混乱時には止むを得無い事であるが、今の日本に於いては、自治体から政府に至る迄出来て居る様には見え無い。想定される現状の脅威、少し先の脅威、そして近い将来の脅威に、夫々どの様に資源をブツけて行くかの作戦策定が重要だ。出口戦略を主張する自治体も在るが、そればかりに集中するのは、目の前に現れる敵だけ見て戦術的にだけ戦って居る事と変わりが無い。全体的な時間の管理を心掛けた作戦術が必要なのではないか。

 個別問題に囚われることの危険性
 
 同時にコレは、国民のレベルでも有効な考え方である。目前の特定の戦術的な問題・・・例えばマスク配布や首相の動画公開、そして、近所の店が自粛して居るかどうかと云った問題・・・に付いて、マスコミも国民も過剰に今は拘泥する事無く、追求すべき全体的な〔戦争目的〕と戦略に付いてモッと議論すべきだろう。
 一市民として、勿論筆者も国民の怒りや不満は好く判る。しかし憤懣遣るかた無い思いが在るので有れば、事態の収束後の早期総選挙実施を求め、そして、ソコで思いをブツケルべきである。

 勿論、国民の行動には政府や自治体やマスコミ等にも責任の一端がある。〔戦略〕や〔作戦〕を提示され無いママ〔戦術〕嫌、それよりも低いレベルの〔戦闘〕に於ける正しい行動・・・ソーシャルディスタンス云々等ばかりを求められるのである。コレは苦しい。
 しかも、人に依っては、コロナウイルス以上に目前に有る経済的破綻や生活上の様々な危険・・・DVや既往症の悪化等に対するリスクを強要されるのであるから、憤りによる迷走も判ら無くも無い。政府も自治体もマスコミも、区々(くくりかえし)たる戦術論を国民に提示するのでは無く〔戦略〕とそれに基づく〔作戦〕そして〔作戦術〕を提示すべきだ。国民はモッと賢明だ。

 国家が〔根性論〕に堕する責任の一端はマスコミと国民にも有る。これは先の戦争に於いて官僚と軍人とマスコミが率先して〔総力戦〕〔国家総動員体制〕を呼号し、全ての権力を官僚組織に委ねさせたものの、全く戦争の効率化に貢献する処か、都市防空も民間船舶護衛にも失敗した挙句、松根油増産や物資献納等の様に本末転倒な策へと追い込まれた事からも明らかだ。
 国民生活に付いて政府に過剰に期待するのでは無く、寧ろ市民同士の協力コソ重要で有る。寧ろ政府に期待するべきは、平穏な生活を取り戻す迄の道のりを示す〔戦争指導〕である。そして現在、飽く迄もコロナウイルスの殲滅を優先すべきと云う議論と、経済再建を優先すべきと云う両極端の議論が巷間為されて居るが、これも又、総合的な戦争目的とは何かと云う観点から議論の構図を見直すべきであろうし、戦略と作戦構想を議論すべきだ。
 
 コロナウイルスは、都内ではヤヤ落ち着きつつ有る事から、こうした議論を手遅れと見做す立場も有るだろう。しかし、コロナウイルスには、スペイン風邪と同様に第二波、第三波が来る可能性が有る以上、こうした議論は今からでも遅くは無い。そして、来るかも知れないCOVID-20・21、中国や北朝鮮との不幸な戦争に備える意味でも大事だ。今こそ、コロナウイルスとの戦いを「戦争」と見做し、戦争目的・戦略・作戦の議論を開始すべきだ。


   (本稿の執筆に当たり、国士舘大学准教授の中林啓修氏のご指摘に範を得ました事を、心より御礼申し上げます)

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 部谷 直亮 慶應義塾大学SFC研究所上席所員 一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構上席研究員 成蹊大学法学部政治学科卒業 拓殖大学大学院安全保障専攻博士課程(単位取得退学) 財団法人世界政経調査会 国際情勢研究所研究員等を経て現職 専門は安全保障全般

                 以上



 【管理人のひとこと】

 何かの事象(コロナ禍)を別のより具体的な特定な事象(戦争)に例えるのは、その事象をより適格に説明が出来更により具体的な印象を与える為の言い換えだ。例えられたより具体的な特定な事象(戦争)とは、過去の歴史に実存する誰にでも満遍なく想像し得るものだ。
 この場合の戦争であれば、必ず双方に犠牲者が生まれ、停戦・休戦・敗北・勝利・・・と色々な結果を生み出しその後の新たな歴史が生まれる。実にそれは全てが政治であり賭けであり、偶然の結果は万一にも起こり得ない。無論戦争であれば特に現代の戦争とも為れば、甚だしい犠牲・悲劇が繰り返されるものと為ろう。
 結果に依っては社会体制が変革し、新たな政治指導が求められる改革も為されよう。例えば経済的な仕組みも新たな物差しが生まれるかも知れない・・・壮大な歴史の転換点と為るかも知れない・・・この様な考えを導き出す新たな観点を想像させるレポートだったと管理人は高く評価する。

















 





安倍首相は何故「言い間違い」を連発するのか




 安倍首相は何故 「言い間違い」を連発するのか

            〜東洋経済オンライン 泉 宏 5/9(土) 5:45配信〜


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               政治ジャーナリスト 泉 宏氏 

 矢張りと云うか、結局と云うべきか。新型コロナウイルス対策の為の緊急事態宣言が5月31日迄延長された。安倍晋三首相は5月4日、当初の期限である5月6日に解除出来無かった事を「責任を痛感して居り、国民にお詫びしたい」と沈痛な表情で語り、8割接触削減等の努力を改めて国民に訴えた。
 只、頼みの綱とも為る宣言解除の具体的条件や出口戦略に付いて明確な説明は無く「コロナ時代の新たな日常」「人と人との絆の力」等情緒的セリフを連発。しかも、記者会見の冒頭、肝心の持続化給付金の給付開始時期を「8月から」と言い間違える等、コミュニケーション能力が改めて問われる事態と為った。

 持続化給付金の入金時期に上がる悲鳴

 安倍首相は記者会見で、全国の感染者数がピーク時の約3分の1迄減少した事等を挙げ「皆さんの行動が未来を確実に変えつつ有る」と語った。その上で、1カ月近く解除を先延ばしする理由に付いて「現時点では感染者の減少が十分なレベルとは言え無い」「医療現場が過酷な状況に置かれて居る現実は変わら無い」等と強調した。そして「5月は収束の為の1カ月で、次為るステップに向けた準備期間だ」として、6月からの宣言解除に強い決意を滲ませた。

 会見の冒頭発言は、左右に設置されたプロンプターに映し出される発言要領と、手元のメモを見ながら約23分間続いた。テレビ画面では身振り手振りで熱弁して居る様に見えたが、ネットのライブ中継では「ガッカリ」「悲しい」等と云う不満や落胆の書き込みが続いた。
 中でも批判の的に為ったのは、事業者等が待望する持続化給付金に言及した際。安倍首相が「5月1日から最大200万円の持続化給付金の受け付けを始めたが、最も早い方で8月から入金を開始します」と説明した途端「遅すぎ!」「もう駄目!」等と云う悲鳴の書き込みで溢れた。

 どうやら、メモに有った「8日」(5月8日)を「8月」と読み間違えた様だが、安倍首相は全く気付かずに発言を続けた。発言後、会見に同席した専門家会議の尾身茂副座長が置いたメモを読んで、要約誤りに気付いたと観られる。
 施政方針演説や国会答弁で、安倍首相の言い間違いや読み間違いは少なく無い。只、持続化給付金は安倍首相が強くアピールして居た政策で、この言い間違いに気付か無かったのは「全く考えられ無い事態」(閣僚経験者)だ。

 解除先送り後の対応は 知事に丸投げ
 
 安倍首相はその後の質疑応答の中で「先程『8月から』と申し上げましたが『5月8日から』の間違いでした」と訂正したが、テレビ中継を見守った野党幹部は直ぐ様「一番大切なメッセージを何故間違えるか」等とツイート。更に「ソモソモこれは間違う筈が無い。メモ読みばかりに集中して、伝えるべき内容は上の空だったのでは」(自民長老)との慨嘆も広がった。

 緊急事態宣言の延長に付いては、政財界幹部や小池百合子東京都知事・吉村洋文大阪府知事らも「止む無し」との受け止めだった。直後の世論調査でも国民の7割近くが期限延長を支持した。只、解除先送り後の具体的な対応を各都道府県知事に丸投げした事への不満も多く、全国知事会は5月5日に解除基準を明示する様求める提言をまとめた。
 大阪府の吉村知事は「出口戦略を是非示して貰いたかった」とした上で、休業と外出自粛要請の段階的解除に向けた「大阪モデル」を発表。多くの知事も、各地の事情に合わせた解除方針に言及した。これに対し、西村康稔コロナ担当相は「吉村府知事は何か勘違いして居る。強い違和感を感じる」と不快感を示した。

 安倍首相が数値目標も含めた宣言解除条件を明確に出来無かったのは、専門家会議の議論が紛糾した事が原因だ。安倍首相は「全国で毎日100人を超える方々が退院して居るが、その水準を下回るレベル迄更に新規感染者数を減らして行く必要がある」と述べた。これは専門家会議の主要メンバーに依る「新規感染者数100人以下が続く状態」との指摘に符合する。
 只、その前提と為る新規感染者数に付いては、諸外国と比較して少ない日本のPCR検査数から「実態を表して居ない数字」(医療関係者)で有る事は否定出来無い。尾身氏も「PCR検査を増やすには根源的な問題があり、簡単には増やせ無いのが実情」と説明した。と為れば「感染者数を基準にする限り、出口戦略も組み立て様が無い」(感染症専門家)事に為る。

 外交日程を理由に1時間余で打ち切られた会見で安倍首相は、新たな日常の具体的行動基準だけで無く、政治決断を求められる出口戦略とその前提条件に付いても、その判断を専門家会議に丸投げした。これも「首相と専門家会議メンバーとのコミュニケーション不足」(有力県知事)の様に映る。

 14日の中間報告は安倍首相の独断

 安倍首相が会見で政治決断をアピールしたのは、5月31日迄の期限延長と、専門家会議に14日の中間報告を求めた事だ。期限延長に付いては、6月6日迄との案も在ったが、安倍首相は5月末を選択した。与党幹部は「限が好かっただけ。6月初めと5月末では全く印象が違うからだ」と突き放す。
 一方、14日の中間報告は安倍首相の独断と観られて居る。専門家会議メンバーも「突然持ち出されて困惑した」と漏らす。ソモソモ、当初期限の6日ギリギリ迄推移を見極め様として居た専門家会議に取って、次の状況判断として適切な時期は、大型連休の自粛の結果が見極められる5月20日以降と観られて居たからだ。

 首相は会見で「14日に中間報告で成果が認められれば、期限に先立っての解除も可能と為る」と胸を張った。しかし「兎に角は屋く解除したいと云う政治的願望と、6月以降に持ち越したら今度コソ政治責任を問われるとの焦燥感が理由」(自民長老)との指摘が多い。
 医療現場の逼迫に付いては、安倍首相は「東京が」を繰り返した。「小池都知事の独自路線への牽制」(自民若手)とも見える。宣言解除に付いて、首相側近の西村コロナ担当相が「総合的に判断」と繰り返すのも「決断の怪しさを問われた際の逃げ口上」(同)と勘繰る声が相次ぐ。

 安倍首相は大型連休最後の6日夜、生中継のインターネット動画番組に出演。京都大学の山中伸弥教授と共に質疑に応じ「14日を目途に宣言解除に向けた判断基準を示す」等と踏み込んだ。加藤勝信厚労相は、PCR検査が進ま無い原因と為って居た「37.5度以上が4日間続く事」等の受診目安に付いて「見直しを進める」と軌道修正した。

 大阪府知事に世論の高い支持
 
 こうした安倍首相等の反応は、広がる政府批判に焦ったパフォーマンスと観る向きが多い。5月6日の世論調査で「コロナ対策で最も評価する政治家」は、吉村府知事が安倍首相の5倍以上の支持を得て居る。この為「政府と地方のワンチーム対応が求められるのに、政府が分断を加速させて居る」(閣僚経験者)との批判も広がる。

 これ迄の安倍首相のコロナ会見には「説明不足」「言葉に力が無い」等の不評と不満が付き纏って来た。新たな期限と為った5月31日迄に想定される会見は「常識的には後2回」(政府筋)と観られ、首相の周辺から「次からは会見の方法を見直したらどうか」との声も出る。「メモ等見無いで、自ら絞り出した言葉で訴える」事への期待だ。

 再登板以来、安倍首相が事有る毎に口にして来たのは「政治は結果責任」だ。首尾好く6月からの宣言解除に踏み出す事が出来るか、それとも長期戦の泥沼が続くのか。自ら定めた5月末の記者会見では、コミュニケーション力も含めてトップリーダーの「結果責任」が厳しく問われる事に為る。


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 泉 宏 政治ジャーナリスト 1947年生まれ 時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上 永田町・霞が関で政治を見続けて居る 時事通信社政治部長 同社取締役編集担当を経て2009年から現職 幼少時から都心部に住み半世紀以上も国会周辺を徘徊して来た「生涯一記者」がモットー

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  「コロナショック」で生き残る為に 

 修羅場でリーダーがしてはいけ無い「8つのこと」


             〜文春オンライン 冨山 和彦 5/9(土) 6:00配信〜


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                冨山和彦氏 コピーライトマーク文藝春秋

 〜リーマンショックを超える経済危機と言われる「コロナショック」企業も個人も今迄の遣り方が通用しない時代が遣って来る。この未曾有の状況でカギを握るのは、矢張りリーダーの存在だ。今リーダーは何をすべきか、或いは何をしてはいけ無いのか。
 JAL・カネボウ・ダイエー等数々の企業再生に携わり、この程『 コロナショック・サバイバル 』(文藝春秋)を緊急出版した企業再建の達人冨山和彦氏が、修羅場でリーダーがしてはいけ無い8つの「べからず」を直言する〜


 【見たい現実を見る経営】〇

 カエサルが喝破した通り「見たい現実を見る」人間の本性に流される経営では会社は潰れる。有りのママの現実、自分達に取って不都合で見たく無い現実から目を逸らして舵取りをして、危機を乗り切れる筈が無い。もしそう云うタイプがリーダーなら手立てを尽くしてサッサと更迭するか、それが出来無いならサッサと会社を辞めた方が好い。

 【精神主義に頼る経営】〇

 苦しく為ると経営陣が部下や現場に精神論を説く、合理的に不可能な指示を出して、現場がソレを実行出来無いと「根性が有れば何とか為る」「出来ないのは遣る気が無い所為だ」と喚き出す。危機の現場で私達は何度も目撃した光景だが、ソンな経営陣が居座り続けたらその会社は終わりである。

 【人望を気にする経営】〇
 
 一般社員からの目や人望を気にして、急に社員食堂で食事を始めたり、現場社員との車座行脚を始めたり、電車で通勤したりする経営者はヤバい。会社や事業の生死が懸かって居る、自分や家族の生活や人生が懸かって居る時に、社員は経営者が「好い人」かどうか「人望」が有るかどうかに関心何て持って居ない。この窮地をリアルに脱する的確な判断力・行動力・胆力の有りそうな人物に付いて行くものだ。

 【衆議に頼る経営】〇

 厳しい決断に際して、人から恨まれたり批判されたりするのが怖いリーダーは衆議に頼り、時間を掛け熟議をして、皆で決めた事にしたがる。危機時の衆議╳熟議は衆愚に直結。どの選択肢にも誰かがケチを付けてものが決まらず、最後は何を遣りたいのか分から無い結論に為り、その先には悲惨な末路が待って居る。中堅・中小のオーナー経営者でも、二代目・三代目と世代が下り、育ちも学歴も良く為って来ると、こう云うタイプが増えて来るので要注意だ。

 【敗戦時のアリバイ作りに走る経営】〇

 サラリーマン経営者に多いが、自分が最善を尽くした証拠を残す、後で訴訟を受け無い為の証拠を残す事に熱心で、実際の決断は行わ無い。そしてリアルな生き残りに必要なリアルなリスクを決して取ら無い。社外取締役の中にもサラリーマン体質の人間は、元役人や学者でもこう云う手合いが出て来る。
 肝心な時に戦場から逃げる奴が最高司令官や司令部メンバーでは戦争に為ら無い。アリバイを作って居る間に会社は潰れてしまう。このタイプは他責も得意だ。苦しく為ると「世の中が悪い」「政府が悪い」「部下に人材が居ない」と言い出す。そして、敗戦処理もチャンと遣らずに何処かに消えてしまう。

 【現場主義の意味を取り違える経営】〇

 「危機の時コソ現場主義だ!」とか言って、現場に降りて行って現場の意見を聞き、その意見に共感してその通りにすると約束し、本当にその通りに遣ろうとする経営者もダメ。
 真珠湾攻撃の後でも、戦艦大和を建造中の現場で頑張って居る連中は「もう航空戦の時代なんだからこんな巨大戦艦は要ら無い」とは言って呉れない。撃沈寸前の大和の甲板でも、水兵に「未だ頑張れるか?」と聞けば「頑張れる」と答えるに決まって居る。
 真の現場主義経営とは、現場の実態・最前線の実態を有りのママ知った上で、そして勿論現場で汗を掻き血を流して居る仲間に共感した上で、時には現場に厳しい決断を下す事である。現場の思いに迎合する事では無い。

 【情理に流される経営】〇
 
 経営力は決断力╳実行力で決まる。実行力は優れて情理の産物で有り、組織全体が一団と為って盛り上がれば大きな力が出る。しかし、決断力は優れて合理の産物であり、ソコで意思決定権者が情に流されると大きな判断ミスに繋がる事は、歴史上の幾多の決断局面で証明され、古典作品にもそう云う場面は沢山登場する。
 キャッシュ残高の戦い等は典型だが、これは殆ど血も涙も無い数理の世界であり、合理的にしか動か無い。危機の経営は明確に合理が情理に優先するのだ。中途半端で薄っぺらな情けを掛けるリーダーは、返って多くの人々を不幸にする文字通り「薄情者」の経営者に為る。修羅の世界は「非情の情」の世界である。その場はドンなに恨まれても、10年後・20年後に(未だ自分が生きて居れば)感謝されたら御の字と覚悟出来無い奴は危機時に操縦稈を握っては為ら無い。

 【空気を読む経営】〇

 べからず集のエッセンスはこの一言で置き換えても好い。危機に於いてその場の空気何てソモソモどうでも好い。コンセンサス何てクソくらえだ。必要なのは、生き残る確信とその為の合理的で冷徹で迅速な判断力と実行力のみである。
 危機後を睨んだ取り組みの始動も同様だ。大量のリストラの後、或いは最中に、新しい事業に投資し必要な戦力を新規採用する・積極果敢にM&Aをする・・・と云った迅速果敢な「手のひら返し」は、喪中な会社の空気を読んで逡巡して居たら不可能だ。グズグズして居る間に再成長のビッグチャンスはアッと言う間に目の前から消え去る。


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 冨山 和彦 ボストンコンサルティンググループ コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年に産業再生機構設立時に参画しCOOに就任 解散後IGPIを設立  パナソニック社外取締役 東京電力ホールディングス社外取締役  経済同友会政策審議会委員長 財務省財政制度など審議会委員 内閣府税制調査会特別委員 内閣官房まち・ひと・しごと創生会議有識者 内閣府総合科学技術・イノベーション会議基本計画専門調査会委員 金融庁スチュワードシップ・コードおよびコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議委員 経済産業省産業構造審議会新産業構造部会委員他  近著に『なぜローカル経済から日本は甦るのかGとLの経済成長戦略』『選択と捨象』『決定版 これがガバナンス経営だ!』『AI経営で会社は甦る』他

                  以上