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2020年05月09日

9年前と重なる「国難」に国民はどう立ち向かうか?




 9年前と重なる「国難」に 国民はどう立ち向かうか? 

 全てが後手の政権 決死の覚悟で戦う現場
 

        〜夕刊フジ 作家・ジャーナリスト 門田隆将氏 5/9(土) 16:56配信〜


           050920.jpg

             門田隆将氏【コロナに負け無い 緊急提言】  

 〜新型コロナウイルスの感染が世界中に広がって居る。日本も遂に感染者数が1万人を上回った。政府は過去最大規模の緊急経済対策を打ち出す等対応に当たっては居るが、どうすればこの「国難」を乗り切れるのか。9年前に起きた「3・11」を緻密に取材し、真実を追求し続けた作家でジャーナリストの門田隆将氏。気鋭の論客による特別寄稿〜

 何故こう何だろう。私は、悪い予感が当たり続けて居る事に背筋を寒くしながら、9年前の国難を思い出して居る。目に見え無い新型コロナウイルスとの戦いは、放射能による東日本壊滅の危機に直面した2011年3月の福島第一原発事故に酷似(こくじ)して居る。
 危機への冷静な判断や的確な対策も無く、全てが後手に廻る政権・・・当事者能力を持た無いリーダーに率いられた数々の出来事は今も記憶に鮮明だ。

 9年後の2020年、史上最長政権を率いる安倍晋三首相は4月16日、全国に緊急事態宣言を発した。9日前の7都府県対象では間に合わず、イベントや劇場の営業自粛は勿論、飲食店や遊興施設等が、全国で休業に追い込まれた。
 その翌日、日本の映画界で初めての試みがスタートした。何と公開中の映画がインターネットでのストリーミング配信を始めたのだ。3月6日の公開以来、観客動員でトップを直走って居た映画『Fukushima50』が劇場関係者その他の反対を押し切って配信に踏み切ったのである。ネットでダウンロードすれば、そのママ家庭でこれを観(み)る事が出来る様に為ったのだ。

 映画は、拙著『死の淵を見た男−吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)が原作であり、デリケートな原発事故を扱うと云うテーマに、どの社も尻込みする中で出来たものである。だが、順調に滑り出した上映がコロナで映画館自体が自粛に為ったのだ。「観たくても観られ無い」私の基にも勿論製作したKADOKAWAにも、ファンから悲鳴の様な要望が殺到して居た。そして、歴史上初めての決断が為されたのである。

 「ダウンロードして家族で観ました。全員、涙、涙でした」「日本が壊滅し無かったのは現場の人達のお陰です」「福島の人に日本が救われた事を初めて知りました」等の感想が寄せられて居る。
 それ等を読ませて貰いながら、現場はコンなに凄いのに、何時も政府は何故どうしようも無いのかと考えざるを得無かった。使命感と責任感と不屈の闘志で新型コロナウイルスと戦う医療従事者達。家族を犠牲にして疲労困憊(こんぱい)の中、それでも踏ん張る人々に、私は9年前に死を覚悟して原発事故の現場に残って戦ったプラントエンジニア達の姿が重なったのだ。

 思い返せば1月中旬、新型コロナの凄まじさにパニックに陥った中国・武漢から、SNSを通じて阿鼻叫喚の有様が続々と伝えられた。医療現場は完全崩壊し、ビニール袋に入れられた遺体が積み上げられた映像迄アップされて居た。私は、それ等をイチイチリツイートし警鐘を鳴らし続けた。
 1月23日、武漢は遂に封鎖された。それ迄に500万人が脱出して居り、中国全土への爆発的な感染拡大は必至の状況だった。だが、驚くべきは日本の厚労省が「過剰な心配は要りません」と言い続けた事だ。

 武漢封鎖3日後の1月26日。厚労省はホームページで「Q&A」を公開。ソコでは〈中国国内ではヒトからヒトへの感染は認められるものの、程度は明らかではありません。過剰に心配する事無く、風邪やインフルエンザと同様に、先ずは咳エチケットや手洗い等の感染症対策を行う事が重要です〉と書いて有った。結局、1月中に日本を訪れた中国人は史上最高の「92万人」に達した。
 国民の命を危機に晒して迄、中国人のインバウンド収入に賭けた安倍政権。結果、日本にはコロナの無症状感染者が蔓延(まんえん)する事に為った。厚労省内に「新型コロナウイルス クラスター対策班」が設置され、本格的な戦いが始まるのは約1カ月後の2月25日の事だ。ソコには、それ迄「過剰な心配は要りません」と言って居た専門家が入って居た。

 「今に為って何が外出自粛だ。武漢からのSOSに『心配は要ら無い』と言い続けた厚労省と専門家は先ず国民に詫(わ)びよ」
 
 そんな事を言いたい人も多かろう。だが、危機管理が出来無いのが戦後日本。虚(むな)しいがその事を自覚し、只管国民は我慢と自己努力するしか無いのである。


 門田隆将(かどた・りゅうしょう) 作家・ジャーナリスト 1958年6月16日 高知県生まれ 中央大学法学部卒業後 新潮社に入社 週刊新潮デスクから独立し 歴史・スポーツ・事件・司法等幅広いジャンルで活躍する。『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)など著書多数



 【管理人のひとこと】

 冒頭に2011年3月11日の東日本地震・福島第一原発事故が取り上げられて居るが、この対策に翻弄された当時の民主党政権の政策に、今更何を批判すべきだろう・・・原発政策、特に自然災害に対するエキスキューズは元々の政権が御座なりにして来たものであり、ホンの一時政権を預かった民主党を批判しても何も生まれては来ない。
 その観点で筆者の立ち位置に疑問を感じ、更にFUKUSHIMA50の原作者と名乗る筆者の映画を推薦する立場としてのPRとしか受け取られ無いのが残念に思う。しかし、それまで国内一番の観客を誘う映画がコロナに依り上演が中止と為り《観たくても観られない》状態から《ネット配信に決断した》のは大いに共感出来るものだ。










  新型コロナ 世界のPCR検査は日本の技術が支えて居るのに 

 日本では活躍出来無い 岩盤規制の皮肉


         〜木村正人 在英国際ジャーナリスト 5/9(土) 18:52〜

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             在英国際ジャーナリスト 木村正人氏 

 駐日フランス大使からの感謝状

 [ロンドン発]新型コロナウイルスの感染拡大に伴い論争が激化して居るPCR検査に付いて、開発ベンチャー会社プレシジョン・システム・サイエンス(以下PSS社・千葉県松戸市)が全自動PCR検査システムの共同開発で駐日フランス大使から感謝状を送られました。田島秀二社長はこうコメントして居ます。

 「世界各国が新型コロナウイルスと戦って居ます。フランスに於いて弊社と仏エリテック社が共同開発した全自動PCR検査システムと試薬キットがウイルス検出に大きな役割を果たして居る事で駐日フランス大使よりお礼状を頂きました」

 PSS社がエリテック社ブランドとしてOEM供給(納入先商標による受託製造)して居る全自動PCR検査システムは、新型コロナウイルスで2万6000人を超える死者を出したフランスの医療現場で活躍して居ます。抽出試薬や付属の消耗品も供給して居ます。
 PSS社と東京農工大学は「ウイルス拡散を防ぐにはPCR検査診断と接触の最小限化が不可欠」として今年3月10日、核酸抽出からリアルタイムPCR迄を全自動化したgeneLEADシステムを活用して新型コロナウイルスの迅速診断技術の可能性を確認したと発表して居ます。

 「面倒臭くて、出来れば遣りたく無い」PCR検査

 PCR検査は高価で多大な労力を要する為「面倒臭くて、出来れば遣りたく無い」と云うのが日本の現状です。中国湖北省武漢市を基点とした新型コロナウイルス「武漢株」の封じ込めに成功した為、診断はコロナ特有の症状と肺炎のCTスキャンで十分でした。
 「武漢株」より感染力が強い可能性が有る欧州で大流行し深刻な被害をもたらした「欧州株」の第二波の感染が拡大した為、安倍晋三首相は4月7日、国家緊急事態宣言を行い、5月4日に同月末迄延長すると表明したばかり。獣医師も動物のPCR検査を行って居ます。埼玉県狭山市の中央動物病院のブログにこう書かれて居ます。

 世界の多くの国で実施されて居る全自動PCR検査を支えて居るのは、実は日本の技術なのです(4月18日)
新型コロナウイルスに対するPCR検査は(1)検体の採取 (2)ウイルス遺伝子(核酸)の抽出 (3)ウイルス遺伝子の増幅 (4)増幅産物検出 
 この中で最も人手を必要とする工程がウイルス遺伝子の抽出です。ウイルス遺伝子抽出は非常に手間が掛かり、コンタミネーション(汚染)や検体の取り違え等が起き易い工程で、全自動化されて居ない場合では検体数を熟す事は出来ません。イタリアの最前線で行われて居る全自動PCR検査機器の一つにエリテック社製のものが有りますが、日本メーカーのOEM製品です。詰り、日本の会社がエリテック社の製品を製造して挙げて居るのです。

 ロシュ社の全自動システムにも日本の技術

 PSS社の全自動PCR検査システムには同時に検査出来る検体数毎に8、12、24、96の4機種あり、8と12は実用化され、フランスやイタリア等欧州の医療現場で大活躍して居ます。スイス・ロシュ社の全自動PCR検査機器の中枢部分にもPSS社の技術が組み込まれて居ます。
 日本では富士フィルムや島津製作所が全自動PCR検査用の試薬やキットを開発する等競争が激化して居ますが、PSS社の装置や試薬は未だ厚生労働省に認可されて居ないそうです。海外では既に使われて居るのに国内では使え無いと云うのが日本の悲しい現実の様です。

 専門家会議の尾身茂副座長は「国内のPCR検査数が海外に比べて明らかに少なく、必要な人が受けられるようにするべきだと専門家は皆思って居る。早い時期から議論したがナカナカ進ま無かった。これにはフラストレーションがあった」と釈明しました。 (専門家会議の資料より)

    050923.png

 上のグラフを見ると日本のPCR検査能力が各国に比べると格段に劣る事が一目瞭然です。加藤勝信厚生労働相は4月30日、1日当たりの処理能力を現在の1万5000件から2万件に拡充するが「2万件検査するとは言っていない」と言葉を濁しました。

 【PCR検査を拡充出来無かった理由と原因】

 PCR検査を迅速に拡充出来無かった理由に付いても列挙して居ます。

 (1)制度的に地方衛生研究所は行政検査(衛生・環境関連法に基づき各自治体の保険当局が疫学調査のために行う検査)が主体。新興感染症について大量検査を行うことを想定した体制は整備されていない。
 (2)過去のSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)では国内で多数の患者が発生せず、PCRなど検査能力の拡充を求める議論が起こら無かった。
 (3)新型コロナウイルスの流行で重症例など診断のために検査を優先させざるを得なかった。
 (4)専門家会議の提言も受け、PCR検査の民間活用や保険適用などの取り組みを講じたが、拡充がすぐには進まなかった。
 (5)帰国者・接触者相談センター機能も担う保健所の業務過多。人員削減による人手不足。
 (6)入院先を確保する仕組みが十分に機能していない地域もあった。
 (7)地衛研は限られたリソースの中で通常の検査業務も並行して実施する必要があった。
 (8)検体採取者・検査実施者のマスクや防護服など感染防護具が圧倒的に不足。
 (9)保健適用後、一般の医療機関は都道府県との契約がなければPCRなどの検査を行うことができなかった。
 (10)民間検査会社などに検体を運ぶための特殊な輸送機材が必要だった。

 【改善目標】

 医師が必要と考える軽症者を含む疑い患者に対し「迅速かつ確実に検査を実施できる」体制に移行すべきだとして以下の7項目の改善目標を掲げました。

 (1)保健所、地衛研の体制強化、労務負担軽減
 (2)都道府県調整本部の活性化
 (3)地域外来・検査センターのさらなる設置
 (4)感染防護具、検体採取キット、検査キットの確実な調達
 (5)検体採取者のトレーニングとPCRなどの検査の品質管理
 (6)PCR検査体制の把握、検査数や陽性率のモニターと公表
 (7)PCR検査などを補完する迅速抗原診断キットの開発、質の高い検査の実施体制の構築

 田島社長はPSS社のHPにある動画(4月15日)で「日本の医療体制は整って居るので、他に診断する手段が有った。韓国では安くPCR検査が出来る為普及した。PCR検査は普通の人には出来ず、人材が不足して居る。これに対応するには自動化しか無い」と指摘して居ます。

 PCR検査 動画

 

 日本の技術を埋もれさせた「失われた30年」

 田島社長の話では検査技師の手作業に頼るPCR検査には6〜12時間掛かるものの、PSS社のシステムでは平均して2時間位迄短縮出来るそうです。日本は金融バブル崩壊後の「失われた30年」世界に冠たる日本の技術を埋もれさせてしまいました。
 日本は未だに利益団体と政官財の利権構造・既得権益・岩盤規制・官僚主義・お役所仕事に雁字搦めに為って居ます。その為にPCR検査の核心的な技術を持ちながらそれを拡大出来無いのです。少子高齢化が進む日本で人手不足を解消する為には思い切った自動・無人・IT化を進める他ありません。専門家会議の状況分析・提言にはそうした視点を全く欠いて居ます。新型コロナウイルス・パンデミックを機に岩盤規制を破壊出来無ければ日本の未来は開け無いでしょう。


 在英国際ジャーナリスト 木村正人 在ロンドン国際ジャーナリスト 元産経新聞ロンドン支局長 憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治・安全保障・欧州経済に詳しい 産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間事件記者をした後 政治部・外信部のデスクも経験 2002〜03年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員 著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)masakimu50@gmail.com

















人が生み出した「想像の共同体」国民国家の本質




 人が生み出した 「想像の共同体」国民国家の本質

           〜東洋経済オンライン 出口 治明 5/9(土) 7:55配信〜


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         APU・立命館アジア太平洋大学・学長 出口 治明氏

 〜新型コロナウイルスの問題を初め、変化の全く読め無い時代を私達は生きて居ます。この様な有事にコソ、社会を生き抜く力を子供達に与える必要があり、それが教育の目的の一つでもあります。『「教える」ということ』の著者で立命館アジア太平洋大学・APU・学長・出口治明氏が「子供に与えるべき力」に付いて解説します〜

 前回の記事で「教育の2つの目的」に付いて、@自分の頭で考える力を養う、A社会の中で生きて行く為の最低限の知識(武器)を与える・・・と説明しました。今回はこの2つ目 A社会の中で生きて行く為の最低限の知識(武器)を与えるに付いてお話します。
 実社会に出た時に困ら無い様に「生きるための武器」詰り、社会を生き抜く為に必要な基礎的な知識を与える事が大切です。大人に為ってから自分ひとりで社会と(或いは人生と)戦う時、手ぶらのママでは、勝敗は明らかだからです。最低限、現在の民主主義社会の根幹を為す次の7つの知識を教えるのが教育だと僕は思います。

 【社会を生き抜くための7つの武器】

 @ 国家の基礎を知る
 A 政府の基礎を知る
 B 選挙の基礎を知る
 C 税金の基礎を知る
 D 社会保障の基礎を知る
 E お金の基礎を知る
 F 情報の真偽を確かめる基礎を知る

 民主主義社会とは、成熟した市民の存在を前提として居るので、成熟した市民(最低限7つの武器を身に着けた市民)が居なければ、民主政治は直ぐに衆愚政治に陥ってしまいます。判り難い政治や経済に付いても、ひとつずつ知識を積み重ねて思考を深めて行く事で、主体的に理解・選択が出来る様に為ります。此処で上記の7つの内、例として「国家」と「選挙」の基礎的な知識を解説して置きましょう。

 国家の本質とは何か
 
 国家と云えば、エンゲルスの名作『家族・私有財産・国家の起源』を思い出す人が居るかも知れません。好く国家の3要素として、領土(そこに住む) 人民(領土と人民に対する) 統治権・主権が挙げられますが、国家の本質は、警察や軍等の暴力手段を合法的に独占して居る事に尽きると思います。
 誰かがケンカをして殺されたとします。するとその一族は仇討ちを考えます。赤穂浪士の世界です。放置して置くと仇討ちの連鎖が止まら無く為ります。そこで個人の自力救済を禁じて国家が暴力を独占して裁くと云う訳です。

 暴力(≒筋力)に付いては男性の方が優れて居るので、国家の誕生が男尊女卑、詰り太古の女系社会から男系社会に道を開いたと云う見方もあります。
 国家の統治権は人民に対して生殺与奪の権利を持つ訳ですから、恣意的に権力を振るわれたら人民は堪ったモノではありません。ソコで法律を作り、三権分立(立法権・行政権・司法権を各々独立させる)を図る等して国家権力の乱用を防いで来たのが人間の歴史なのです。
 処で、現在の国家は国民国家(ネーション・ステート)です。これは、単純化して述べると、フランス革命に依って新しく成立した概念で、国家内部の人民をひとつのまとまった構成員として統合しようとするものです。フランス革命では国王ルイ16世が革命政府に依って処刑されました。

 当時のヨーロッパの国々は殆どが君主政で、何処の国にも王様が居ます。王様を平気で殺したフランスの革命政府を放置して置いたら大変な事に為る(次は我が身)と考えて、大挙してフランスに攻め込んで来ました(対仏大同盟)そこに現れたのがナポレオンでした。
 ナポレオンは新聞を使って次の様に語りかけました。 「100年戦争の後半期、イングランド王ヘンリー5世にパリを占拠され、フランスが滅びそうに為った事が在る。その時、ひとりの乙女(ジャンヌ・ダルク)が田舎から現れてフランスを救った。諸君はジャンヌの子孫で、偉大なフランス国民なのだ。フランスを守ろう」と。

 それ迄のフランス人には、フランス国民と云う意識は有りませんでした。「俺はプロヴァンス人」「私はガスコーニュ人」等と考えて居たのです。ナポレオンはメディア(新聞・宣伝ビラ)を駆使して、想像の共同体で在るフランス国民を創り出したのです。ソ連が解体した後に独立した新しい国々でも同様に「国民を創り出す」作業が行われました。例えばウズベキスタンでは、英雄ティムールの子孫で在ると云う事が大々的に喧伝されて居ます。

 では我が国はどうしたか。明治維新の際に国民国家のコアと為ったのは天皇制でした。明治政府は朱子学の力を借りて、天皇の赤子である日本国民を創り出したのです。同時に、朱子学の特徴である男尊女卑や家父長制も刷り込まれてしまったのです。
 こうして創り出された国民(意識)を維持する為、各国の政府は国旗や国歌や国民の祝日等を制定して、一体感の醸成に努めて居ると云う訳です。

 国民国家を理解する不朽の名著が、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』です。僕はこの本は高校で教えるべきだと思って居ます。尚明治政府の国民国家創出に付いては、小島毅の『天皇と儒教思想』という新書が判り易いと思います。国家とは想像の共同体に他為ら無いのです。

 何故日本は「先進国の中で投票率が低い」のか

 選挙は議員を選んで立法府を作るものですが、立法府が定めた法律で行政や司法が動いて行く訳ですから、政府を作るのは選挙で有ると云っても決して過言ではありません。この基本が腹落ちすれば、選挙で「何をすべきか」が好く判ります。
 政府は市民の手で作るものであり、その政府をより良く作り変える為の手段が選挙です。政府に任せっ放しにするのでは無く、個人個人が自分の頭で好く考え、友人や知人と議論した上で、その結果を示す行動が選挙です。ですから、選挙の仕組み、法規、衆議院・参議院の定数等と云った、試験問題に答える為の知識だけでは決定的に不十分で、

 「選挙の時、具体的にどう行動すべきか」
 「投票しないと云う選択を取る事は、どう云う事か」
 「政治家とは、何をする人なのか」


 等と云った本質的な問題に付いても教える事が大切です。北欧のスウェーデンは、若者の選挙・政治参加意識が高い事で知られて居ます。スウェーデンでは、政治や選挙に関する基礎教育が充実して居り、小学校で使われて居る社会科の教科書には、次の様に書かれています。

 「投票は自主的なものです。そして、それは独裁制の国に住む人々が持って居ない民主制の権利です。人々は、或る政党の主張の全てに賛成出来無くても、彼等が最も重要で有ると思う問題に付いて好い意見を持って居るとすれば、その政党に投票します」(引用『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』ヨーラン・スバネリッド 著、新評論)
 
 スウェーデンの子供達は、小学生の時から選挙や政党政治の利点・欠点を学び、選挙を「自分の意見を表明できる機会」として捉えて居るのです。

 「白票や棄権は、現在の政治を信任する事と同じ」

 日本は「先進国の中で投票率が最も低い国のひとつ」と云われて居ます(OECDの2016年の報告書では、国政選挙の投票率は加盟国平均が約66%ですが、日本は、スイス、ラトビアに続きワースト3位の約52%)。日本の投票率が低いのは、政治や選挙に関するリテラシーが低いからです。
 例えば、国政選挙の投票日に「選挙に行っても世の中が変わる感じがしない」「ロクな候補者がいないから、投票には行く気がしない」等と無関心を口にする人コソ、率先して選挙に行くべきです。何故なら「世の中が変わる感じがしない」と不満を抱くのは「今の政治は良く無い」と思って居るからです。「世の中が変わる感じがしない」のなら、そこで諦めるのでは無く、政府を作り直す努力をするべきです。

 日本のメディアは「棄権が増えるのは、政治不信が増して居るからです」と行った論調ですが、僕の考えは違います。過つてロンドンに住んで居た時、次の様な話を聞きました。題して「選挙の仕方」.

 @ 選挙では、必ず事前予想が出る・・・ロンドンっ子は、お金を賭けて居ますね
 A その予想通りで満足なら3つの方法がある。投票に行ってその名前を書く・白票を出す・棄権する・・・この3つの方法のドレを採っても結果は同じに為る
 B 事前予想に不満なら、貴方の意思表示の方法は足った1つしか無い。投票に行って違う名前を書くことである
 C 以上が、選挙の仕方の全てである

 僕は、こう行ったシンプルな知恵を子供達に学校で教えるべきだと思います。「ロクな候補者がいないから投票には行く気がしない」と考える人は、前提・・・候補者は立派な人ばかりで在る筈・・・が根本から間違って居ます。そもそも選挙は「より良い人」を選ぶ為の制度では有りません。100年以上前の話ですが、英国の名宰相、ウィンストン・チャーチルが、次の様に明言しています。

 「自分を含めて選挙に立候補するのは、目立ちたがり屋やお金儲けをしたい人等、ロクでも無い人ばかりである。選挙と云うのは、こう云った信用の置けない人達の中から、相対的にマシな人を選ぶ忍耐の事である。従って、民主政は最低の政治形態で有る。但し、これ迄試されて来た王政や貴族政等過去の政治制度を除けば」
 
 こう云うリアリズムが理解出来れば投票は簡単です。女性議員が少ないのなら、女性の候補者に投票すれば好い。若い議員が少ないのなら、若い候補者に投票すれば好い。市民がすべきことは、忍耐を強いられながらも「100%満足は出来無いけれど、他の候補者に比べれば、多少はマシ」な政治家を選ぶ事です。これ等の事が判って居れば「良い候補者がいない」からと云って、白票を出したり、棄権したりすると云った誤った結論には至ら無いのです。
 政府と市民は、対立するものではありません。政府は市民が作るものなので、今の政府が気に入ら無ければ、選挙に行って政府をゼロから作り直せば好い。そして、新しいルールを作れば好い。政治を変えるのは自分達の1票であることを小学校や中学校で教える必要があるのです。

 今こそ必要になる「強い武器」  

 処で、新型コロナウイルスでは世界の指導者が全く同じ3つの課題に懸命に取り組んで居ます。

 1 命を守る他めの Stay home
 2 Stay homeを可能にする医療従事者ナどエッセンシャル・ワーカー(キー・ワーカー)への感謝と支援
 3 Stay homeは収入減をもたらすので、弱者への緊急の再分配政策の設計

 その様子はSNSで世界に同時に発信されます。それを見て居る市民の政治に対する関心は高まるのではないでしょうか。現に韓国では総選挙の投票率が10ポイント弱上がったと報道されて居ます。パンデミックは投票率を上げるかも知れません。
 人が生きて行く為には、自分の頭で社会の有り方を考える力が非常に大切です。だからコソ学校の現場で子供達に、社会に出れば直ぐにでも直面する基本的な問題に対する考え方や心構えを教えて、詰り、最低限の武器を与えて、リテラシーを育てて行く必要があるのです。

 強い武器を身に着け、そして武器の正しい使い方を教えられた子供達が、これからの世の中を変えて行くのです。


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           政商?と云われる不届きな人と並ぶ筆者

 出口 治明 APU・立命館アジア太平洋大学・学長      以上



 ペットにもコロナ対策を!












コロナで浮き彫り 日本の統治能力の絶望的低さ




 コロナで浮き彫り 日本の統治能力の絶望的低さ

             〜JBpress 舛添 要一 5/9(土) 8:00配信〜


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            文 国際政治学者 舛添 要一氏
 
 新型コロナウイルスの感染拡大に対応する為、当初は5月6日迄として居た緊急事態宣言であるが、安倍晋三首相は、専門家会議に諮問して、5月4日に全国を対象に5月末迄延長する事を決めた。
 実は、安倍首相は5月1日に早々と1カ月の延長を発表したが、それは誰のアドバイスに依拠したものなのか。専門家会議の意見も聞か無かったのならそれも困るし、逆に専門家会議・・・それも一部のメンバーの見解だけに耳を傾けたのなら、それはそれで問題である。
 長期政権の弊害か、政策決定過程が極めて不透明に為って居る。アベノマスクやアベノコラボ等でも指摘されて来たが、官邸官僚の意見しか採用し無く為ったのか。国会や党と云う機関の存在意義が無く為る様な大統領的(無能)首相に為って居る。(注・カッコ内は管理人記)

 感染者数減少でも緊急事態宣言延長

 4日の会見で驚いたのは、緊急事態宣言延期の最大の理由が、感染者増では無く、医療提供体制の逼迫状態に為って仕舞った事である。実は、同日に行われた専門家会議の説明でも、感染者数は減少して居り、しかも実効再生産数が、4月1日には1.0を下回って居り、4月10日には、全国で0.7・東京で0.5迄低下して居ると云う。
 海外では、実効再生産数が1.0を切る事を都市封鎖解除の基準として居り、その論理で行くと、4月7日の緊急事態宣言そのものが必要だったのかと云う疑問すら呈したく為る。

 更に、13の特定警戒都道府県とそれ以外を同列に緊急事態宣言の対象とすると云うのも大きな問題である。只、自粛度合いは13の特定警戒都道府県とその他の地域とは対応を分けると云う。宣言を発する時に、そもそも、感染者が数千人に上る東京都とゼロの岩手県を同列に扱った事に問題は無かったのか。
 特定警戒都道府県以外の宮城県、岩手県、秋田県、青森県、香川県、高知県、鳥取県、熊本県等、全国の半分以上の県では、5月7日以降は営業自粛等の措置を解除したり緩和したりする方針を決めて居る。宮城県の村井知事が言う様に、今の措置をこのママ継続すれば経済が壊滅的に為るからである。妥当な判断で有る。

 感染防止の努力は必要であるが、日本中で同調圧力が増し「自粛警察」の様な過剰の反応迄出て来て居るのは問題である。県外との人の移動を規制するにしても、徳島県の様に県外ナンバーの車を監視し嫌がらせをする様な風潮は好ましく無い。
 中世のヨーロッパで流行ったペストに付いて調べてみると、ベニス等の貿易港に到着する船員が上陸して住民に感染させる場合も有れば、積み降ろした荷物からノミが出て来て、そのノミが人を咬んで感染させるケースも多々あった。
 今回のコロナウイルスも、金属やプラスチックに付着すると数日間は生き残る事が出来ると云うので、物品から感染する場合も有る。かと云って、完全に県外からの物品の移入を禁止してしまえば、県民の生活は成り立た無く為る。要は、感染防止策と経済とを如何にして両立させるかと云う事である。

 未だ医療機関へ十分なマスク・防護服の供給出来ず

 医療体制が逼迫して居ると云うが、これも都道府県別の詳細なデータが不足して居る。政府のコロナ対策の最大の問題点は、十分に情報が公開されて居ない事である。病床数のみ為らず、軽症者収容施設のベッド数・又医療従事者の数等が正確に把握されて居なければ、医療崩壊と云う「脅迫」のみでは、政策を前に進めることは出来無い。全国で医療崩壊が進む大きな原因が院内感染である。

 自衛隊中央病院では院内感染は起きず、クルーズ船感染者の支援に出動した自衛隊員は一人も感染して居ない。キチンと対策を打って居たからである。東京上野の永寿総合病院や都立墨東病院の様な中核病院が院内感染で機能停止に陥ると地域の医療が崩壊する。厚労省・東京都・医師会の責任も問われ無ければ為ら無い。
 院内感染の原因でもあるマスクや防護服等の不足に、全国の病院では悲鳴が上がって居るが、その解決の目処すら立た無い状況である。韓国や台湾ではマスクの問題は既に解決しており、日本政府の統治能力の欠如こそ厳しく問われ無ければ為ら無い。

 感染者数だけでは事態を正確に判断出来無い
 
 感染者数もPCR検査数にヨリケリと云う事態が続いて居り、しかも二つの数字が同時に発表され無い為、正確な判断基準とは為り得ない。感染者数を減らしたければ、検査数を減らせば好いからである。PCR検査が十分で無ければ、感染実態が把握出来無いので、緊急事態宣言の発令も解除も出来無い筈である。

 欧州諸国やアメリカの州では非常事態の解除が段階的に実行されて居るが、明確な解除基準が設けられて居る。例えばニューヨーク州では、二つの指標を掲げて居る。第一は入院率・・・詰り、新規入院患者数が14日間連続して減少傾向に有る事、第二に基本再生産数・・・R0/アール・ノート、アール・ゼロが1.1以下に為る事である。基本再生産数とは、一人の感染者が誰も免疫を持た無い集団に加わった時に平均して何人に直接感染させるかと云う人数である。実効再生産数(R)は、感染個体が既に存在するかも知れない集団内での数字である。後者の方が現実的なので、先述した様に普通は此方の数字を採用している。

 WHOに依れば、新型コロナウイルスの基本再生産数は1.4〜2.5である。従って、1.1以下と云う基準は妥当であろう。クオモ知事は「政治では無く、科学や医学に基づいて判断すべきである」と強調して居るが、その通りである。その為には、PCR検査を大規模に実施して感染の実態を正確に把握する必要が有るのである。基本再生産数にしても、より実態に近い形で計算するには検査の拡充しか無いからである。

 5月4日、専門家会議の尾身茂副座長は、PCR検査を求める世論に圧されてか、検査が拡充され無い理由として、

 (1) 保健所の業務過多
 (2) 入院先を確保する仕組みの機能不全
 (3) 地方衛生研究所の人員削減
 (4) 検体検査者・マスク等感染防護不足
 (5) 医療機関と都道府県の契約の必要性
 (6) 民間検査会社への輸送機材不足を挙げて居る

 
 しかし、専門家会議は評論家集団では無く、政府に政策を提言する機関である。以上の様な問題点の改善をもっと早く政府に提言すべきではなかったのか。余りにも無責任と言わざるを得ない。

 一日毎の数字に一喜一憂しても意味は無い

 実は、その背景には二つの問題がある。一つは、国立感染症研究所の情報独占体質、であり、コレが、民間検査会社への業務委託を阻害して居るのである。もう一つは、クラスター潰しに専念する余り、濃厚接触者にのみPCR検査をする事にした為、検査対象が広まらず市中感染が拡大してしまったのである。この二つの問題は、マサに専門家会議が抱える大きな闇だと言っても好い。

 大阪府の吉村洋文知事は、独自の解除基準を決めて居る。それは、

 (1) 陽性率が7%未満
 (2) 感染経路不明者が10人未満
 (3) 重症者用病床の使用率が60%
 (4) 前週に比べ感染経路不明者が増えて居ない事であり、
 (5) これ等の基準を7日間連続で満たして居る事


 を条件として居る。(3)以外は、何処迄正確な数字が出せるかが問題であるが、何も基準が無いよりは分かり易い。

 ドイツのメルケル首相は、制限措置を大幅に緩和して、段階的に全店舗の営業再開を認める方針を決めた。理由は、新規感染者が数日千人以下と減少が続き、実効再生産数も0.7程度で推移した為だ。只、大規模集会の禁止・他者との距離を1.5メートル以上保つ事・公共交通機関でのマスク着用の義務化等の制限は6月5日迄継続する事にした。
 更には、1週間で新たな感染者が人口10万人当たり50人を超えた自治体に付いては、厳しい制限を復活させると釘をさして居る。この様な基準の設定も又、国民が感染防止の為の努力を止め無い為には有効である。

 もう一つの重要な点は、一週間単位で数字を設置して居る事である。東京都の様に、毎日の数字の推移に一喜一憂して居ても、検査数もマチマチなので余り意味が無い。一週間単位で判断をすると云うのは、新型コロナウイルスの潜伏期間が2週間と長いだけに適切な対応である。
 ドイツ政府の規制緩和は、その判断基準も明確であるし極めて分かり易いが、日本の場合、基準も緩和内容も不明確である。

 コロナ終息後は政治と行政を見直す必要が

 もう一つの問題は「新しい生活様式」である。新型コロナウイルスとの共存が必要なのは分かるが、何時迄なのか。「生活様式」で有る以上、緊急事態宣言が解除された後も定着されると云う事だろう。ワクチンの開発迄には、最低1年半は掛かると言われて居る。それ迄続けるのだろうか。
 手洗いの励行等は「新しい生活様式」等と政府に指示され無くても皆実行して居る。飲食店で外食する時に「横並びで、会話せずに」等と言うが、それでは外食の意味が無い。オランダの或るレストランの様に、透明のビニールのテントで食卓を囲い、別のテーブルと遮断して家族や友人同士で食事と会話を楽しむ様にするほうが洒落て居る。

 ウイルスは研究しても、人間社会の研究はした事の無い学者が決めた非常識な「新しい生活様式」である。コレでは、飲食業界は消滅せよと言って居るのに等しい。将来を悲観して自殺する経営者も出て居る。
 休業補書の請求にしても、手続きが煩雑で提出すべき書類の山を見ただけで、請求を諦めたく為る様なお役所仕事が続いて居る。官庁には、パソコンやスマホを活用して迅速・簡潔に手続きを進め様と云う意欲も能力も無い。政治家がリーダーシップを執るべきなのだが、先端技術を理解し、使い熟せる政治家は少数派である。

 台湾では天才大臣がマスク供給を確実なものとする仕組みを作り上げて居る。優秀な人材が参入するには、日本の政界は余りにも魅力の無い職場と為って居る。コロナ終息後、日本の政治行政の大掃除が必要である。


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 <お知らせ> 舛添要一YouTubeチャンネル『舛添要一、世界と日本を語る』では、新型コロナ問題についても集中的に解説して居ます。

             舛添 要一
     以上









【管理人のひとこと

 舛添要一氏は矢張り学者である。この文章では、彼の若かりし頃の特異な感受性を取り戻した如く、鋭く正確な指摘に溢れて居る。矢張り只者では無い、その片鱗が要約復活した。市中からの人気で、学者から政治家へと変身したが、最後には複雑な人間関係に翻弄されて自分の立ち位置を見誤った。
 が彼は、今のこの立場で自由に持論を展開する方が日本の為に為る・・・そう見受けるのは私だけでは無いだろう。下手に政界に色目を使うより、国際政治学者として教壇に立ち若者を指導する道へと歩まれたら如何だろう。無論、自由にFNSを用いて発信も続ければ好い。政治経験者・その失敗も含めて貴重な歴史を持たれる稀有な存在であるからには、最大限に活躍して頂きたいものだ。それには、先ずは自分の至ら無さを充分意識出来る程自分を磨く事も忘れては為ら無い。
























保阪正康の「不可視の視点」  明治維新150年でふり返る近代日本(46)  「忠君愛国」推進したのは「維新の要人」だった




  保阪正康の「不可視の視点」 

  明治維新150年で振り返る近代日本(46) 

 「忠君愛国」推進したのは「維新の要人」だった


           〜J-CASTニュース 5/9(土) 11:00配信〜


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 第2期の国定教科書には「キグチコヘイ ハ ラッパ ヲ クチ ニ アテタ ママ シニマシタ。」の1節が登場する 写真右ページ 写真は国立公文書館ウェブサイトから

 1910(明治43)年の国定教科書の改定は、徹底したナショナリズムの高揚に意が注がれて居た。とは云え忠君愛国が説かれたにせよ、偏狭な民族意識礼賛と云う様な内容では無かった。例えば、日露戦争時の「水師営の会見」は乃木希典とロシアのステッセルとの会見を指すが、こう云う時の表現は相手の立場を思い遣る優しさも一方で強調するのである。
 『教科書の歴史』(唐澤富太郎編)に依る為らば、尋常小学唱歌の5年生で歌わせる「水師営の会見」にはその精神が込められて居る。この唱歌の4番には「昨日の敵は今日の友」で始まり「我はたたへつ かの防衛 彼はたたへつ 我が武勇」と言った一節迄も含まれて居る。

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                 文 保阪正康氏

 「西洋紙」と「日本紙」の会話が教えたバランス感

 愛国心や祖国愛を説くのにも、相手の気持ちを思い遣る精神や心配り思い遣りが強調されたのは「国を想う」と云う感情は偏(かたよ)ってはいけ無いからだ。相手を認める余裕を持つ様に強調されて居た。詰り謙虚なのである。唐澤が紹介して居るのだが「西洋紙」と「日本紙」が会話を交わすシーンを教科書に取り上げて居ると云う。西洋紙は日本紙に自慢げに話し掛ける。
 「世の中が開けて行くに連れ、君達の仲間より自分達の仲間の方が、用いられる事が多く為った」と言うのである。そして「先ず毎日の新聞は西洋紙であるし、書物もた居て居西洋紙で拵える様に為った」(引用に当たっては片仮名を平仮名に直した 以下同じ) すると日本紙は反論する。 「この座敷を見私てもこの沢山の障子は皆僕等の仲間で貼って在るではないか。此処に在る扇子や団扇も矢張りそうだ」

 西洋紙は「僕らは裏表が使える」と反論する。日本紙も「自分達は紙縒(こよ)りにも為れば、物を縛る事も出来る」と応じる。この遣り取りを子供達に教えると言うのは、西洋紙で近代の西洋文化を教え、日本紙で伝統を教えて居るのである。
 この様な明治の精神を児童生徒に教える事で、ナショナリズムのバランスを保とうとするのは、一方で忠君愛国を説きながらも、それが歪んではいけ無いとの配慮も在ったと言う事に為る。

 日露戦争を戦った政治・軍事の指導者達は、この国の実力が世界の枠組の中でどの程度なのかを理解して居たのである。偏狭なナショナリズムを排除しようとの意思は充分に感じられるのである。最も次の時代の指導者達は、この事を西欧へのコンプレックスと云う視点でのみ受け止めたのが不幸でも在った。

 第2期で日清戦争の木口小平が登場した理由
 
 同時に第2期(明治43年からの国定教科書)の中心軸に為った忠君愛国は、天皇に対する絶対的服従と云う教えであった。
 1904(明治37)年の第1期の国定教科書は、実は日露戦争半ばから国粋主義者に依って非難攻撃の対象に為って居た。 「忠孝の大義こそ日本の国体の精華であるから、これを日本国民の永遠の特色として子々孫々に迄伝える様に修身教科書を改正すべし」(前出の唐澤書)との声が広まった。この方向での改正で在ったのだが、これを主張した中心人物が、貴族院議員で帝国学士院の重鎮である穂積八束であった。

           050909.jpg 穂積八束

 一般的な評価に為るのだが、穂積は強力な家族国家観を持って居て、それを国家の軸に据えようとして居たのだ。この穂積の他に、東久世通?(伯爵・枢密院副議長)田中不二麿(元文部大輔・枢密院副議長)野村靖(子爵・元内務大臣)の3人は、文部省の第1次国定教科書では忠君の意味が曖昧と批判する意見書を提出して居る。
 こう云う有力者の意見が 第2期の教科書の骨格に為ったとも言えるであろう。付け加えて置けば、東久世・田中・野村は何れも1871(明治4)年の岩倉使節団の一行に加わり、欧米の事情をタップリと見聞して来た。彼等をして日本はそれから40年近くの時間を経て、欧米に国力が及んだとの判断をして居たのかも知れない。

 歴史の年譜から可視化出来る彼等の動きは、その心中に於いて天皇中心の国家造りを実行する事で、国家の繁栄に持って行こうとの心理や自信があったのではないかと私には思える。その部分は不可視の領域で有ったとも言えるのだが、敢えて言えばこう云う要人が恐れたのは、社会主義運動が活発に為って来て、公然と天皇制への批判を持つ社会主義者や無政府主義者が官憲と衝突する事態(明治41年の赤旗事件)に為ったからである。
 維新を潜り抜けて来た要人達は、自分達の創設した明治国家が反体制派に依ってヒックリ返されるのが何よりも恐怖だったのである。この恐怖心を不可視のものとして捉える事で歴史の裾野はより広まって行く事に為るだろう。

 第2期の国定教科書は、1年生から「忠義」や「忠君愛国」の例として、日清戦争時の木口小平が取り上げられて居る。第1期では全く取り上げられて居なかったのにである。それは以下の様に書かれて居た。

 「キグチコヘイ ハ ラッパ ヲ クチ ニ アテタ ママ シニマシタ。」

 そして日露戦争では、旅順港を閉塞した海軍の軍人達の行動が、忠義だとして讃えられて居る。例えば次の様にだ。旅順港の港口に船を沈めてロシアの艦隊が出られ無い様にしたのだが「ソノトキ ワガ グンジンハ イノチ ヲ ヲシマズ イサマシク ハタライテ チュウギ ヲ ツクシマシタ」と云うのである。
 「忠義」は軍国主義に直結して行ったのは、明治43年からであった。これが暴走して行くのである。

 (第47回に続く)

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 保阪正康(ほさか・まさやす)1939(昭和14)年北海道生まれ ノンフィクション作家 同志社大学文学部卒 『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)『昭和陸軍の研究(上下)』『昭和史の大河を往く』シリーズ 『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数 2004年に菊池寛賞受賞

                    以上















ドイツ帝国の降伏から75年 EUで再び高まる「反ドイツ」感情




 ドイツ帝国の降伏から75年 

 EUで再び高まる「反ドイツ」感情


         〜現代ビジネス 川口 マーン 惠美 5/8(金) 6:01配信〜


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                 写真 現代ビジネス

 第二次世界大戦が終わった日

 5月8日はドイツ帝国の無条件降伏の日・・・75年前のこの日、ヨーロッパでの第二次世界大戦は終わった。その10日前の4月28日、ドイツ帝国の総統ヒトラーとその愛人エファは、ベルリンの総統地下壕で結婚式を挙げた。
 奇しくも同日、同盟国で在ったイタリアの独裁者ムッソリーニが愛人ペタッチと共に殺害され、その夜、死体はミラノ迄運ばれて、29日、建設中のガソリンスタンドで逆さ吊りにされた。ヒットラーが地下壕でエファと共に自殺したのは、その翌日30日の事だ。戦後、イタリアは戦勝者側。

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            文 ドイツ在住作家 川口 マーン 惠美氏

 ヒトラーが遺書で自分の後継者に任命して居たのが、海軍の大提督カール・デーニッツ。本命の筈だったゲーリングは、アメリカ軍と和平交渉をしようと提案してヒトラーの怒りを買って居たからだ。ソコで、デーニッツはバルト海の港町フレンスブルクに政府を移動し、自分がドイツ帝国の大統領と為る。
 フレンスブルクと云うのはドイツの北の果て、デンマークとの境の田舎町で軍港が在った。その頃、ベルリンは連合軍の激しい爆撃で既に跡形も無く為って居り首都の機能は失われて居た。

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              カール・デーニッツとヒトラー

 言う迄も無い事だが、この時点のドイツは、何処から見ても既に崩壊して居り、特に東部地域にはソ連軍が侵入し、ドイツの領地は日に日に縮んで居た。しかし、デーニッツの目にはそれが映ら無かったのか、ドイツがソ連に占領される事は断固阻止し無ければ為ら無いと考えて居た様だ。
 そこで彼は、西側連合国にだけ無条件降伏を申し出て西部戦線を停戦に持ち込み、その後、東部での対ソ戦を継続しようと云う計画を立てた。詰り、連合軍を分断出来ると思って居たらしいのである。そして実際、5月6日にヨードル陸軍大将を全権大使として、連合軍の最高司令部の在ったフランスのランスに送った。交渉の相手は米軍のアイゼンハワー元帥。

 只、当然の事ながら、ソ連を外しての停戦等有り得ず交渉は始まる前に瓦解。7日には英軍とソ連軍の立会いの下、ヨードルは無条件降伏文書に調印させられ家路に着いた。停戦発効は8日。そして、その日・・・正確には9日に為ったばかりの深夜、スターリンの命令で、ベルリンで再度、ロシア語の降伏文書に今度はカイテル元帥が調印。そんな訳で、ロシアを始め旧ソ連諸国に於ける戦勝記念日は、今でも5月9日である。
 蛇足ながら、デーニッツはこの後も未だ毎日、ヒトラーの使って居たベンツで仮の官邸に登庁し閣議を開いて居た。そして、この茶番は5月23日、連合軍がデーニッツと大臣達を逮捕する迄2週間続いた。これに依り、ドイツは一時的とは云え国家が消滅した訳だ。
 同年11月に始まったニュルンベルク軍事裁判では、デーニッツも被告席に座ったが、ヨーデルやカイテルとは違って死刑には為らず、禁固10年の刑期満了後1980年迄生きた。

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 EUの連帯感が崩壊中
 
 サテ、そんな訳で、今年はアチコチで終戦75周年記念の大セレモニーが計画されて居たが、コロナ騒ぎで全て中止。一部はネットで開催されると云うが、厳かさには欠けるだろう。只、それよりも気に為るのは現在の状況だ。
 一方には、悲惨な戦争の後、75年経って要約ヨーロッパの平和を勝ち取ったと云う人々の感慨が有り、他方には、直近の思いも掛け無かった感染症のショックが有る。だからコソEUは、今コソ心を一つにし無ければ為ら無い筈なのに、よりに依って今、連帯感はガラガラと崩れて居る

 コロナ危機では、勿論、ドイツの幾つかの病院がフランスやイタリアの重症患者を受け入れたりして居たが、これ等は美談では有るけれど、困って居る国々の苦境を根本的に改善する話でも無い。それ処か、こう云うアクションにも関わらず、実際にはイタリアやフランスでは、ドイツに対する反発が高まって居ると云う。
 ソモソモ、何故、ドイツの医療が崩壊せず、イタリア・フランス・スペイン等の医療が崩壊してしまったかと云うと、元々、医療システムが脆弱だったからだ。何故、医療システムが脆弱だったかと云うと勿論お金が無いから。

 イタリア・フランス・スペイン・ポルトガル・ギリシャと云った南欧組は、言わずもがなの大負債国だが、大幅な財政出動はEUでは認められず、此処10年程厳しい金融引き締めを強いられた。
 膨大なお金の懸かる医療は、当然、切り詰めざるを得ず、例えば、経済崩壊後のギリシャでは医療が崩壊し、一時「国境無き医師団」が入った時期さえ有った程だ。只、何故、これ等の国が大負債国に為ったかと云う事を考えてみると、勿論、税金の放漫管理や不適切な危機対応等と云う理由も大きいが、ユーロの構造的問題の所為でもある。

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                   gettyimages   

 ユーロ圏の財政格差

 先々週も触れたが、ユーロ圏では経済力の異なる国々が同じ通貨を使い一律の金融政策の下に在る。だから、各国に財務大臣は居るが、独自の金融政策・・・詰り通貨の切り下げと云った景気対策は打て無い
 経済大国ドイツに取っての適正為替レートが、ギリシャにトッテモ適正で有る筈が無く、ソコで、ユーロの為替レートはその中間を取って有るのだが、結果として、ドイツに取ってのユーロは何時も安目で、ギリシャに取ってのユーロは何時も高目と為る。フランス・イタリアも然り。

 一方、ドイツ経済は万全だと思われて居るので、ドイツの銀行には利子が無くてもお金が集まって来る。その反対に金融破綻国の国債等は、飛び切り高い利子を着けなくては誰も買って呉れ無い。こうして、経済力の弱い国は更に競争力を失い、経済の格差は益々開いて行く。
 これを解決する為には財政も統合すれば好いのだが、そう簡単にはいか無い。そこで、リーマンショックの時、フランスやイタリアが提案したのが「ユーロ債」だった。ユーロ圏の国が共同で発行する債券だ。

 これなら弱い国もお金を調達し易く為る筈だが、ドイツ・オランダ・オーストリア・スウェーデンと云った財政健全国の反対で潰れた。「これを認めると、借金の歯止めが利か無く為る」「放漫経営の国の作った借金の尻拭いを、勤勉な国の国民に強いる事は出来無い」と云うのが、健全国の反対した主な理由だった。
 処が、このユーロ債のアイデアがコロナ禍で再び浮上して来た。その名も「コロナ債」ユーロ債と中身は同じだ。

 75年前と同じ構図に・・・

 只、結論から言うと、矢張りコレは今回も、特にドイツの強硬な反対で潰れた。理由も当時とホボ同じ。以来、イタリアやフランスでは反ドイツ感情が高まって居ると云う。ドイツの経済的な強さが露わに為る事に依って、元々これ等の国々に潜んで居た反独感情が、堰が切れた様に表に出て来たのかも知れない。
 尚EUには、南北の亀裂だけで無く東西の亀裂も在る。戦後、人道国家に為ろうと涙ぐましい努力をして来たドイツは、難民受け入れに前ノメリに為り過ぎイスラム教徒の受け入れに消極的な東欧諸国との摩擦が増して居る。

 これ迄のドイツは、絶対にスタンドプレーはしまいと常に自重して来たものだが、今や圧倒的な経済的優位と優等生的な人道国家振りで周辺国との温度差が激しい。結局、何をしても目立ってしまうのが、ドイツと云う国の宿命かも知れない。と云う訳で、現在のEUの様相は、75年前の「ドイツvs.その他の国々」と云う図に心無しか似て来た。早急な修正が必要である。


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 川口 マーン 惠美 作家 ドイツ在住 日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業 シュトゥットガルト国立音楽大学院ピアノ科修了 『ドイツの脱原発がよくわかる本 日本が見習ってはいけない理由』(草思社)が第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞を受賞 『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)『ヨーロッパから民主主義が消える』(PHP新書)等著書多数 

                  以上



















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