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2020年05月07日

世界中で日本だけ「コロナ感染のグラフが可笑しい」と云う不気味




  世界中で日本だけ
 
 「コロナ感染のグラフが可笑しい」と云う不気味


          〜プレジデントオンライン 5/7(木) 19:16配信〜

 〜新型コロナウイルスに依る日本の死者数は欧米に比べて少ない。だが感染者数と死亡者数を「対数グラフ」で分析すると、日本だけが異常な推移を辿って居る。統計データ分析家の本川裕氏は「他国の様に収束へ向かう横ばい化への転換が認められず、増加ペースが落ちて居ない。ソコには3つの理由が考えられる」と云う〜


      050725.jpg

       似たテンポで感染拡大が推移した欧米諸国に対して東アジアの推移は特異

 新型コロナウイルスは、海外でも日本でも「感染爆発」と呼ばれた一時期程の急拡大は見られ無く為って来た。だが、それでも尚深刻な感染状況が続き、医療が対応し切れ無い事も有って各国で死者が増えて居る。
 1月に中国・武漢で始まった新型コロナの感染拡大は、その後、韓国、イラン、イタリア等と広がり、又、更に欧州各国や米国等を中心に全世界に拡大して来て居る。この4カ月余りを過ぎた時点で、地域に依って感染拡大のテンポや規模がどの様に違って居るかを、世界各国と日本の国内で振り返ってみたい。

 感染拡大を表すデータとしては「累積の感染者数の推移」を折れ線グラフで表す事が多かった。その後、感染拡大のピークを過ぎたかどうかに焦点が移り「毎日の新規感染者数の推移」の棒グラフをみる機会が増えている。
 本稿では、地域間の比較に重点を置いて「累積の感染者数の推移」の折れ線グラフ、しかも「対数」でのグラフを使用する。対数グラフは、データの大きさが大きく異なる系列の比較に適して居り、又指数関数的な拡大のテンポを傾きで表現出来る事から、欧米メディアでは定番に為って居る。
 又欧米メディアでは、グラフの時間軸の起点を「累積感染者数が100人を超えた時点」とするのが通例だ。コレは、感染拡大の時期が大きくズレて居る中国とイタリア、英国等を比較する上で適切だからである。

 コロナ感染者数・死者数 日本だけ「増加ペース」が一向に落ち無い

      050726.jpg

 主要感染国の感染者数推移の対数グラフをまとめたのが図表1だ。Y軸(縦軸)の目盛りが100人、1000人、10000人と10倍ずつ増えて行くのが対数グラフの特徴だ。米国と日本では感染者数の規模は大きく異なって居る。グラフの最終日で有る5月4日時点で米国が118万人に対して日本は1万5000人と100倍違う。
 普通のグラフでは米国の推移は追えても、日本の推移はX軸(横軸)に張り付いた横ばいの線にしか見え無いだろう。対数グラフの場合、軌跡線の傾きが直線の場合は、指数関数的な増加、即ち、ネズミ算式の倍々ゲームで増えて居る事を示している。
 図表中に、参照線として「黒の点線」で、累積感染者数が「1日目100人から始まって、2〜3日に2倍のペースで増え、25日目からは1カ月に2倍のペースで増える様にペースダウンした場合」の軌跡線を描いた。この参照線より傾きが急で有るなら拡大テンポもより高い事を示し、より緩やかなら拡大テンポもより低い事を示す。

 こう理解した上で各国の軌跡を追うと、欧米諸国(米国、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス等)では感染拡大と収束へ向かう右方向に折れ曲がる動きが相互に非常に似て居り、参照線に近い形で推移して居る事が分かる。
 勿論、米国は人口規模が3億3000万人と6000万〜8000万人の欧州諸国の数倍大きいので感染者数の規模も異なって居るが、拡大テンポと収束へ向かう横ばい化傾向は好く似ているのである。

 世界で日本だけ「横ばい化」せず、「右肩上がり」の不気味

 更に興味深いのはこうした欧米諸国と東アジア諸国との対照的な推移パターンである。感染の発生地である中国、そして次に感染が拡大した韓国は、感染100人を超えてからの経過日数別の推移で観ると、当初はホボ欧米諸国と同様の拡大テンポが続いたが、欧米諸国より可成り早い段階で横ばいに転じて居る点が目立って居る。中国の人口規模は特段に大きいので人口当たりの感染者数の推移で見れば、感染拡大と収束へ向かうパターンに付いては中国と韓国は見掛けよりモッと似て居ると云う事に為ろう。

 一方、これ等の海外諸国の推移と全く違うパターンで進んで居るのが日本である。日本の感染拡大のペースは、これ迄の処、他国の様に当初急速に拡大(所謂オーバーシュート)、そして一定の日数を経て、伸びが急速に落ちると云ったパターンで無く、一貫して「9日間に2倍位のテンポ」(図表1のグレーの点線)で増加して居る。他国のドラスチックな変化とは明確に異為って居るのである。

 日本の感染者数・死亡者数が「横ばい化」しない3つの理由

 次に、累積死亡者数の数に付いて、同様の対数グラフにまとめたのが図表2だ。こちらでは感染拡大の起点を累積死者数が10人に達してからの経過日数にして居る。グラフを見れば、感染者数の推移グラフと似たようなパターンが認められるが、各国のバラつきはより大きい事が分かる。
 例えば、ドイツは、感染者数は他の欧米諸国と殆ど同じパターンだが、死亡者数は可成り早い段階で拡大テンポが落ち、他の欧米諸国より良好なパターンを示して居る。理由としては、感染拡大の地域的な偏りの小ささ、ベッド数など医療体制の充実、PCR検査の充実により感染者が高齢者に偏って居ない点等が指摘される(『The Ecomist』March 28th 2020)

 韓国等も早い段階で増加ペースが落ち、或る時点から日本を下回る良好な推移を示して居る。日本は死亡者数自体の規模は大きく他国を下回って居るものの、推移パターンは可成り日数が経過して居るのに、他国の様に収束へ向かう横ばい化への転換がナカナカ認められ無い点が懸念される。
 感染者数の推移にせよ、死亡者数の推移にせよ、日本の感染拡大のパターンが諸外国と大きく異なって居る事は、この2つのグラフから明らかだ。問題は、その理由である。考えられるのは、以下の要因、或いはその組み合わせであろう。

 @感染拡大抑止対策の違い
 
 「クラスター潰し」等個別ケースに密着した極め細かな感染拡大抑止策が、当初、功を奏して感染拡大を低く抑える事が出来たが、或る一定レベルの累積数に至ると、この対策では限界が生じ一方で当初の成功体験から別個の対策へと大きくシフト出来ず、ジリジリと感染拡大を許してしまって居るのかも知れない。
 最も対策の差が、感染拡大パターンの差に繋がって居るのでは無く、逆に、感染拡大パターンの差が対策の差に繋がって居ると云う考え方も有り得る。

 Aもともとの体質や生活習慣の差

 BCG接種を行って居るかどうかが欧米と東アジアの感染率の差に為って居ると云う説が有るが、それに加え、お酒に弱いと云った日本人が持って居る遺伝的な体質が逆に新型コロナには強いと云った可能性も考えられる。
 体質的な差では無く、日本には、ハグやキス等個々人が身体を密着させる習慣が無い、風呂に好く漬かる、家の中では靴を脱ぐと云った独自の生活習慣が有る為、感染拡大に差が生じたと云う可能性も有ろう。

 Bウイルスの変異

 国立感染症研究所によるウイルス検体の検査・分析に依ると、国内で初期に発生した複数のクラスターやダイヤモンドプリンセス号の患者から検出されたウイルスは、1月初旬に中国・武漢市で検出されたウイルスと関係が深く、これは3月以降、国内で広がる事は無く、終息したと観られると云う。
 一方、これに代わって国内で確認される様に為ったウイルスは、武漢市で確認されたウイルスよりも、欧州各国で感染を広げたウイルスの遺伝子に特徴が近く、3月以降、欧州等海外からの旅行者や帰国者を通じて全国各地に広がった可能性が有ると云う。

 こうしたウイルスの変異が、@と組み合わさって、ナカナカ感染拡大が収束へと向かわ無い理由に為って居るのかも知れない。

 都道府県別の感染者数と感染率(人口10万人当たり感染者)ランキング

 次に、国際比較から国内の地域差に目を転じよう。先ず、都道府県別の感染状況のランキングを感染者数自体と人口10万人当たりの人数とで16位迄掲げたグラフを図表3に掲げた(何れも5月4日確定分までの累計、以下同)感染者数そのものに付いては、1位の東京が4708人と2位の大阪の1674人の2倍以上と為って居る。東京、大阪と云った大都市圏の中心地域で特別に感染率が高く為って居る。
 3位以下、10位迄の上位地域としては、北海道を除くと東西の大都市圏の近郊地域や愛知、福岡と云った中枢都市が占めて居り、概して都市部の感染がウエートとして大きいと云える。

 処が、人口当たりの感染者数(感染率)の都道府県ランキングは実数規模のランキングとは可成り様相を異にしている。1位は34.3の東京であるが、2位の石川も23.5人、3位の富山も19.7人で高い値を示して居る。今は6位の福井は一時期1位だった事もある。
 首都圏近郊の神奈川、埼玉は、実数規模では3〜4位と大きいが、感染率のランキングについてはズッと低く為る。神奈川は11位であるし、埼玉は13位である。感染率は両県の場合、全国平均と同水準である。そして、飲み会、ライブ、高齢者施設、医療機関等を通じた特定の感染集団に依るクラスター感染が偶発的に発生し、それが連鎖的にある程度の広がりを持った特定感染地域とも云うべき都道府県が寧ろ上位を占めているのである。
 しかし、石川、福井、富山と云った北陸3県が人口当たりで揃って上位なのは何故だろうか。偶発的にしては地域的なまとまりが有るのが気になる処である。

 東京は他地域と比べ、感染拡大の規模とテンポが群を抜いている

 こうした状況を踏まえ、国際比較と同様に対数グラフで主要な都道府県の感染者数の推移パターンを比較してみよう(図表4参照)。

        050727.jpg

 前出の各国の動きを表した対数グラフと同じように、主要都道府県別に感染拡大経過日数別の対数グラフを描いてみると感染拡大傾向の地域別の違いが明らかに為る。東京は他地域と比べ、感染拡大の規模とテンポが群を抜いて居る事が判る。
 埼玉、神奈川などの東京圏の近郊県も100人超過後15日ぐらいは、東京とほぼ同様の軌跡を描いていたが、それ以降は、やや横ばい方向に転じており、大きな都心部を抱える東京とはその点が異なっている。実は福岡はこうした東京近郊県と同様のパターンを辿って居る。

 これら地域に対して、大阪、兵庫、京都と云った大阪圏の府県は拡大のテンポが一段低く為って居る事が判る。名古屋圏の愛知、或いは北海道は拡大ペースでは更に緩やかである。

      050728.jpg

 但し、北海道に付いては、緩やかだったと過去形で言わ無ければ為ら無い。最近の北海道は再度拡大テンポが上がって居り、第二波に襲われて居ると云う印象が強い。

 政府は都心部特有の感染拡大要因をどう抑えたら好いか判ら無い

 図表4を好く見ると、東京と大阪では感染拡大のレベルでは違いがあるが、最初はやや遅く始まり、一気に加速し、最近やや拡大テンポが落ちて居ると云う感染拡大のカーブでは、お互いに似通って居る点に気付く。
 東京・大阪以外では、クラスター連鎖の勃発による急拡大と、その後、それを強力に抑えて収束へと向かう、と云う動きが認められるが、大きな都心部を抱える東京や大阪では、都心部特有の感染拡大要因が作用して、どう抑えたら好いか判ら無い様な感染拡大の軌跡を描いて居るのではないかと思われる。

 この都心部特有の感染拡大要因に付いては、

 @ 接待を伴う様な飲食店が多い大きな繁華街からの波及
 A 海外赴任や海外旅行からの帰国者が多く海外からのウイルスの持ち込みが多い
 B 都心に居住する事が必要な職業人が抱えるその他の感染拡大要因

 と云ったものが可能性として考えられるが、未だ定かではない。

 「繁華街&富裕層」中央区、港区、世田谷区、渋谷区に感染者多いワケ

 最後に最も感染拡大が突出している東京に付いて、都内の地区別のこれ迄と同様な対数グラフを描いてみた(図表5参照)都内でも感染拡大が大きく進んでいるのは、銀座、新宿、赤坂、六本木と云った我が国の代表的な繁華街を有する「都心地区」(中央区、港区、新宿など)、及び富裕層も多い住宅地域である「西部地区」(世田谷区・渋谷区など)であり、この2地区が感染者数規模に置いても、又感染拡大のテンポに置いても他地区を圧倒している。
 他方、感染拡大のテンポが緩やかなのは「下町地区」と「東部地区」であり、累積感染者数100人以上の本格的感染拡大が始まる時期も遅かったし、その後の拡大規模も比較的小さい。こうした「都心・山の手方面」と「下町方面」との間の地域的な傾向差からも、偶発的なクラスター感染の連鎖とは異なる上述の様な都心部特有の構造的な感染拡大の要因が作用して居る筈だと感じられる。

 ともあれ、都道府県別に見ても都内の地区別に見ても、エリアによって感染者数の偏りは有るものの、全体として数の「横ばい化」は認められず、日本国内に置いて予断を許さ無い事は確かだ。


 本川 裕(ほんかわ・ゆたか) 統計探偵 統計データ分析家 1951年神奈川県生まれ。東京大学農学部農業経済学科、同大学院出身。財団法人国民経済研究協会常務理事研究部長を経て、アルファ社会科学株式会社主席研究員。「社会実情データ図録」サイト主宰。シンクタンクで多くの分野の調査研究に従事。現在は、インターネット・サイトを運営しながら、地域調査等に従事。著作は、『統計データはおもしろい!』(技術評論社 2010年)、『なぜ、男子は突然、草食化したのか――統計データが解き明かす日本の変化』(日経新聞出版社 2019年)など。

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         統計探偵 統計データ分析家  本川 裕    以上

















【仏紙が分析】「春本には鞭打ちは有りません」 日本独自の性表現が花開いた「春本」の世界




 【仏紙が分析】 「春本には鞭打ちは有りません」 

 日本独自の性表現が花開いた 「春本」の世界


           〜クーリエ・ジャポン Ellis Tinios 5/7(木) 18:00配信〜      

 男女或いは同性同士の性的な場面を赤裸々に描き、江戸時代に人気を集めた「春本」この春本には西洋の所謂「エロティカ」(エロティック本)には無い、独自の性表現が見られると云う。英リーズ大学名誉准教授エリス・ティニオがその独特な世界を解説する。

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           英リーズ大学名誉准教授エリス・ティニオ氏

 大衆の為の性表現

 江戸時代(1603〜1868年)の日本では、正確に性行為を表現する事は重要な芸術ジャンルの一つだった。「春本」の登場以前には、位の高い武士や裕福な商人達は高名な画家に依頼して、エロティックな絵画の巻物を作らせて居た。しかし、17世紀半ばに商業出版が発展すると「春本」と云う挿絵本が登場し、性表現が広範な大衆にも手が届く様に為った。
 春本は1923年の関東大震災の時の大火災と第二次世界大戦終盤の空襲に依って多くが焼失してしまったが、およそ2,000部が現存して居る。春本は既に江戸末期の1680年には、画家・作家・版元・貸本屋等の可成り大きな収入源と為って居た。

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       喜多川歌麿『歌まくら』(1788年)Photo  Wikimedia Commons

 性表現のタブーが無かった日本

 春本は、浮世絵師達の独壇場だった。様々な興奮状態・交接状態に有る男女の性器を包み隠さず表現する事に於いて、彼等の作品は際立って居た。性器乃至性行為を表現する事に対する宗教的或いは倫理的な禁止は、日本には存在し無かった。
 儒教の影響の下で、エロティックな文章やイメージを出版し普及させる事に反対する武士階級の人々も少なからず存在したが、その事は画家達の障害とは為ら無かった。

 しかし、1722年に為ると幕政改革の広範な動きの中で、春本は「扇情的な書物」で有ると非難され、検閲を受ける様に為った。こうした禁令は江戸時代が終わる迄続いたが、実際の処、この禁令が春本の出版を差し止めて居たのは約20年の間の事に過ぎ無かった。
 更に、1791年・1804年・1843年には、検閲の強化する散発的な試みが為されたが、それ等も長期に渉って春本の出版を止める事は出来無かった。

 性は好いが、政治は駄目

 政府が主に不安視して居たのは先ず、多くの読者に向けられた印刷物が、法と徳川幕府の正当性に疑いを持たせるのでは無いかと云う事だった。そこで春本の著者達は春本を政治的目的に利用する事を避けた。
 江戸時代を通じて描かれた(或いは印刷された)エロティックなイメージは、愛の冗談から挿入・絶頂から性交後の充足へと至る・・・一連の独立した情景として創案されて居た。画家達はアラユル年齢の、アラユル社会状況のカップルをバラエティに富む場所や状況に於いて表現し、官能的な成り行きを描き出して居た。
 そして18世紀には、春本全体が、当時は負の烙印を押されてい無かった同性愛のテーマに特化して行った。能動的な成人男性と受動的な少年と云うのが、当時の文学と芸術に於ける基本的なモデルである。しかし1800年以降は、男性のカップルは稀にしか登場し無く為り、他の異性カップルと共に登場する様に為った。

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    歌川国貞『春夏秋冬 色の詠 冬の部』(1827年頃)Photo  Wikimedia Commons

 性とユーモアが緊密に結び付いて居た日本独自の性表現

 春本が、単独の個人やカップルの艶話だけに絞られた筋書きに基づく事は殆ど無かった。又同様に、西洋の「エロティック本」所謂「エロティカ」ではお馴染みのテーマがソコには不在である。春本に鞭打ちは無い。絶望の中で処女を守ろうとする少女も、暴力・拷問・殺人を含めたサディズムもそこには無く、辛うじて江戸末期に為って極少数の作品に於いて現れ始めるのみである。
 その一方で春本ではパロディーが重要な役割を果たして居る。仏教的な説話・歌舞伎・大衆小説・医学書・学習書等のエロティックでは無いテキストの多くがパロディーにされて居る。性とユーモアが緊密に絡み合った日本に於いては「書き換え」が興奮と楽しみをもたらして居たのである。
 春本はこの様にして、浮世絵師達に名声をもたらした。しかし、作品に自分の名字をサインして居た画家達は、1722年以降、偽名を用いる様に為る。例えば歌川国貞(1786〜1865)は「又平」と云う名を使って居た。追跡される可能性を残しながらも、偽名は作品の質の保証と為った。

 最大限の利益をもたらす消費財

 本の市場は非常に競争が激しく、他の木版の著作と同様に、春本は最大限の利益をもたらす消費財だった。春本は、江戸時代の極めて洗練された出版物の代表なのである。最も高価な顔料を用いた、その色彩のバリエーションは非常に豊かである。格別に精妙で高価な印刷の効果が見て取れるのも春本に於いては普通の事である。最も美しい紙・最も複雑な装丁・そして最も洗練された「表紙」の装飾等も当たり前の事だった。
 これ等の挿絵本は1800年から1868年迄豪華本の市場を支配して居た。恐らく、それ等の出版に至る迄には、1つ2つの出版元が手を組み、新作を発表して裕福な愛好家から予約金を取る事で前借資金を確保して居た事だろう。
 19世紀の多くの春本の最初と最後の頁には、貸本に特化して居た本屋の屋号が確認されて居る。貸本屋の経営者は、貸本に依って出資金が倍増する事が確実視出来たので、春本の在庫獲得に多額の資金を投資する事が出来た。取り分け19世紀に於いては、こうした本屋が、出版の資金面に於いて重要な役割を担って来た。

 国際化の中で排除された春本

 しかし、日本が国際的な市場へと強制的に開かれ、それに伴って政治経済に混乱が生じると、春本の出版は落ち込んで行った。その一方で春本が初めてヨーロッパに辿り着いた1860年代の終わりに、その出版は再び盛り上がりを見せたが、1870年代の初めには、外交官や外国商人の非難を受けて、当局は春本を陳列棚から排除し出版を制限した。
 その後、発展目覚ましい日本の指導者達は、外国人の目に汚らわしく見えそうなものを排除した。春本はその範疇へと落とされてしまったのである。


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 英リーズ大学名誉准教授エリス・ティニオ Ellis Tinios Honorary Lecturer, University of Leeds.

 Dr Ellis Tinios taught East Asian History in the School of History, University of Leeds, for 24 years. In those years, he served as curator for three exhibitions on Japanese art at the Leeds University Gallery. Since taking early retirement in 2002, he has pursued his interest in the illustrated books and prints produced in Japan between 1600 and 1900. His institution links include visiting researcher at the Art Research Center, Ritsumeikan University, and special assistant to the Japanese Section of the Department of Asia, British Museum. He teaches a course of Japanese illustrated books each year at the Freer-Sackler Gallery in Washington, D.C. under the auspices of the Rare Book School, University of Virginia. His most recent publication is Japanese Prints: Ukiyo-e in Edo, 1700-1900 (British Museum Press, 2010).

                   以上













コロナ危機のウラで 中国・習近平が「ヤバ過ぎる計画」を進めて居た!




 コロナ危機のウラで 

 中国・習近平が 「ヤバ過ぎる計画」を進めて居た!


            〜現代ビジネス 橋爪大三郎 5/7(木) 8:01配信〜


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                photo by GettyImages

 〜新型コロナウイルスの感染後遺症が中国経済を直撃して居る・・・中国の2020年1〜3月期のGDPは「初のマイナス」に大きく沈み込み、中国経済の急落下振りが明らかに為って来たのだ。
 そんなコロナ危機の衝撃が走るウラで、今中国では習近平国家主席が自らの権力維持の為の「或る企て」を進めて居る事をご存じだろうか。習近平の計画がこのママ進めば、世界に取って新型コロナウイルス以上に警戒を要する事態にすら為り兼ね無い・・・そう警告する社会学者・橋爪大三郎氏による緊急レポート!〜


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               社会学者・橋爪大三郎氏

 習近平が「死ぬ迄権力の座に」!?

 習近平とプーチン・・・両大国のリーダーが、この処益々、独裁の傾向を強めて居る。果たしてこれは、アノ忌まわしい全体主義の再来なのだろうか。その権力の正体を見据えてみよう。
 習近平は、二期10年で交替すると云うこれ迄のルールに従わず後継者を選ば無かった。本来なら、2017年の全国代表大会で、若い世代のリーダーが後継候補に抜擢される筈だった。トウ小平(とう・しょうへい)の決めたルールである。
 それを無視したのは、三期目も、もしかするとそれ以降も続投する積りでは無いか。毛沢東の様に終生、権力の座に留まる積りか。様々な憶測を呼んで居る。習近平が長期政権を望んでも、彼一人の考えで実現する訳では無い。それを支持する、大勢の共産党の幹部が居ると云う事だ。

 世界でも「初めての出来事」

 習近平政権を支える力学は、どの様なものか。それを考えるには「社会主義市場経済」なるものを、理解し無ければ為ら無い。1949年に建国した中華人民共和国は、社会主義計画経済を進めようとした。まず農業・・・地主から土地を取り上げて小作農等に分配し、その後それを又取り上げて人民公社に集約した。人民公社は改革開放の直ぐ後辞めに為った
 工業はどうか・・・当時、工業は立ち遅れて居て、幾つかの地域経済の寄せ集めで国単位の計画経済処では無い。それでも国の計画に基づいて、地方政府が製品の価格や数量を管理して居た。都市部の土地・家屋や工場が全て接収されて、国有に為ったのは言う迄も無い。

 この計画経済を30年続けた後、始まったのが改革開放だ。初めはオッかなビックリで、価格の一部を自由化し、商品経済ですと言い訳をした。
 計画経済の一部が商品経済なのはマア好いとされて居た。市場経済ですと言おうものなら大変な事に為った。市場経済とは資本主義経済の同義語・・・がマルクス主義の常識で有るからだ。
 1992年に、トウ小平が「社会主義市場経済」と言い出したので、皆ビックリした。これからは共産党が資本主義経済を遣る、と云う意味に為るからだ。共産党が、資本主義経済を遣る。こんな事は、経済学の教科書にもマルクス主義の教科書にも書いて無い。世界史でも初めての出来事だ。一体どう遣るのか。

 「資本家」は中国共産幹部?

 先ず、価格統制を辞める・計画も辞め、需要・供給は市場に任せる。次に、国営企業を株式会社にする。就職も、国が分配するのでは無く自由契約にする。国中の土地建物も私有にする・・・建前は国有のママなので、70年の使用権・・・等を私有させる。こう遣って、資本市場・労働市場・土地市場・・・何れも資本主義に必須のものを成立させたのだ。
 私企業・株式会社が成立して資本家が出現する。でもどう遣って? マルクスは言った・・・原始蓄積過程だ。為り掛けの資本家は、労働者をトコトン搾取し資本を貯め込む。それが資本主義の始まりだと。

 中国には、工場や生産設備も労働者も社会インフラも、もう存在した。国有の工場や生産設備を私有財産にすれば好かった。
 政府の指示で、地元の省や市が工場を民間企業にする。株券を発行して、一部を政府に渡し一部を労働者に渡し残りを共産党の幹部で分けてしまう。共産党の幹部が資本家を遣ります・・・が社会主義市場経済の中身である。
 改革開放が進むと、企業のオーナーが中国共産党に加入して好いのか問題に為った。結局、加入出来る事に為った。共産党は、資本主義経済を推進する為の政党に性格が変わったと云う事だ。

 「美味しい仕組み」だ
 
 冷戦が終わっても何故、中国共産党は解体し無かったのか。何故、中国では独裁が必要なのか。その謎を解き明かす秘密が此処にある。
 そもそもマルクスは、何故資本主義に反対したのか。資本の所有者である資本家が、剰余価値・・・労働者が賃金以上に生み出した価値を手にするからだ。こんな不公正が有るだろうか。ソコで資本家から資本を奪い取って労働者のものにする・・・プロレタリア独裁である。

 サテ、資本家から資本を奪い取っても、資本が無く為る訳では無い。誰かが資本を管理し無ければ為ら無い。それが共産党だ。共産党は労働者を代表して、国全体の資本を管理する。絶大な権力だ。しかしこれは、効率が悪い。国全体に一人の資本家しか居ないのと同じで、資本を適切に配分出来無いからだ。
 そこで中国共産党は、市場経済を採り入れ共産党の幹部自ら資本を私的に所有する事にした。経済の私物化だ。世にも奇妙な、共産主義と資本主義の二人三脚が始まった。

 共産党は、社会を管理し経済を管理し国家を指導する権力を持って居る。この権力(の一部)をバラバラにし、共産党の幹部に企業の所有権としてバラ撒いた。幹部は莫大な利益を手にする。
 企業のトップに為ら無かった共産党幹部も、夫々権力を持って居る。権力が有れば、それを経済的利益に変換する事が出来る。何れにしても、共産党幹部に取って美味しい仕組みが社会主義市場経済だ。

 共産党の思惑

 共産党の一党支配は何の為か。元々は、資本家を遣っ付けて共産主義革命を実行する為・・・詰り人民の為だった。それが今や、資本家で有る共産党の幹部の利益を守る為・・・に為った。コンな政党が存在する必要が有るだろうか。中国の人民は、段々疑問に思い始める。
 だから中国共産党は締め着けを強化する必要が有る。先ず、共産党の必要性を強調する。共産党が無く為ると政治的混乱が生じますよ。これ迄の実績の事も思い出して下さい。共産党は人民の為に頑張って居るのです。そして、反対の声が上がら無い様にする。それには単位制度が役に立つ。

 「単位」と云うものが有るのが現代中国だ。新中国では、都市部の職場が全て単位に再編された。単位は職住接近の共同体で、労働者とその家族の福利は勿論、物資の配給やアパートの分配や、身分の証明や旅行の許可や、医療サーヴィスや年金や、個人情報の管理や、全てを丸抱えにした。
 そして単位には党委員会が在って書記が居て単位を指導する。どの単位にも党委員会が在るので、中国共産党の支配は磐石だ。
 単位の縛りは改革開放が進むと緩く為った。物資やアパートや医療や年金や・・・多くの事がアウトソーシングされて市場に任される様に為った。その代わり、単位は企業に生まれ変わり、幹部を中心とする利害のネットワークに組み込まれた。

 コロナウイルス以上に「警戒」を要する
 
 こうした利権は、巨大な闇経済を生み出す。GDPの10%以上に為ると云う推計も在る。言葉を変えれば腐敗である。中国共産党の高級幹部は大半が、子弟が海外に市民権か永住権を持ち、巨額の資産を海外に持ち出して居る。
 習近平が、独裁の傾向を強めて居るのは何故か。それは、習近平を担ぎ出した共産党の幹部等が共通の危機を感じて居るからだ。

 1) 共産党の幹部の利害と人民の利害とは矛盾して居る
 2) 幹部等は政治的権力から大きな経済的利益を得て居る
 3) 以上の事を正当化する事が出来無い

 
 正当化出来無いのに現状を維持しようとすれば強権支配に頼るしか無い。その為の監視技術を大々的に使用して居る。こう云う政治体制を備えた国家が、世界をリードして好いのか。国際社会は益々疑惑を目を向けて居る。

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 ロシアのプーチン人差し指サイン政権の独裁は、中国の習近平政権とは又違ったメカニズムに基づいて居る。ロシアには共産党が無い単位も無い。国家権力を操る旧内務省・秘密警察系の人脈が有力な独占企業と結び付いてロシアを支配して居る。旧ロシア帝国の時代の遣り方と好く似て居る。
 中国の習近平政権もロシアのプーチン政権も、近代化が不徹底な伝統社会にグローバル経済が浸透した結果生れた、新しいタイプの独裁体制だ。新型のコロナウイルス以上に警戒を要する。心在る人々は継続的に監視を続けて行か無ければ為ら無い。


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 橋爪 大三郎 社会学者 1948年生まれ 社会学者 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学 東京工業大学名誉教授 著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)『ほんとうの法華経』(ちくま新書)『戦争の社会学』(光文社新書)『丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ)など 社会学者・大澤真幸氏との共著に『ふしぎなキリスト教』(新書大賞2012を受賞)『げんきな日本論』(ともに講談社現代新書)がある

                    以上







スマリッジで変わる出逢い







沢木耕太郎が 40年訪れたかった土地で見たもの




 沢木耕太郎が 40年訪れたかった土地で見たもの

         〜東洋経済オンライン 沢木耕太郎 5/6(水) 7:50配信〜


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 沢木耕太郎氏が訪れた宮城県塩竈市 鹽竈神社には202段もの石段がある(写真 クロチャン PIXTA)

 「旅のバイブル」の名を欲しいママにして居る不朽の名作『深夜特急』その著者、沢木耕太郎が東北を歩いて綴った初の「国内旅エッセイ集」である『旅のつばくろ』が刊行された。
 その中からエッセイを一篇お届けする。新型コロナウイルスの影響で外出自粛が求められて居り、暫く旅に出て居ない人も多いだろう。沢木のエッセイで旅への想像を巡らせてみては如何だろうか。沢木は大学卒業後、銀行に就職したものの入社初日に退職した。丸の内の交差点で信号待ちをして居る時に決心したと云う。それ迄は濡れて困る服等持って居なかった自分が、雨の中傘を指し着慣れ無いグレーのスーツを着て居る自分に違和感を覚えた。
 そうしてフリーランスのライターとしての沢木が誕生した。爾来、半世紀近くを書く事に費やして来た過去を回顧する・・・
(敬称略)

 過去への想い 

 先日、図書館で話をする為宮城の塩竈(しおがま)に行った。所謂「講演」の為だったが、以前にも述べた様に、私は余り講演をする事を好ま無い。そこで講演の依頼は為るべく断らせて貰う事に為るのだが、それでも断り切れ無いものも有る。取り分け学校と図書館からの依頼は断り難い。
 学校は予算が少ないだろうから、私に断られたりすると代わりの方を見付けるのに苦労するだろう。又、図書館は、少年時代から様々な形で恩恵を被って居る大切な場所だ。 それでも、出来るだけ先の約束はしたく無い為断る事が多いのだが、塩竈の図書館からの依頼が有った時、私としては例外的にアッサリ承諾したのは、それが図書館だったからと云うだけが理由では無かった。塩竈と云う処に1度行ってみたかったのだ。

          050714.jpg 棋士の中原誠氏

 私は22歳でフリーランスのライターとしての仕事を始めた。その私に取って、初めての大仕事と為ったのは24歳の時の「若き実力者たち」と云う雑誌連載だった。同世代のフロントランナーを描く人物論のシリーズで、その1回目の対象に選んだのは棋士の中原誠人差し指サインだった。
 私と同年生まれの中原さんは、現代の羽生善治や藤井聡太程では無いが、当時の絶対王者だった大山康晴の牙城を脅かす新世代の棋士の登場と云う事で、棋界の外からも熱い視線を向けられる様に為って居た。将棋に付いて殆ど無知だった私は、多くの本を読み多くの人に会い必死に取材を進めた。その結果、何とか「神童天才凡人」と云う35枚程の人物論を書く事が出来た。そして、それが或る程度の評価を受けられたお陰で1年に及ぶ長期連載を無事乗り切る事が出来たのだった。

 暫らくして中原さんに会うと「沢木さんはアマチュアの何級位の棋力なんですか」と訊ねられた。駒の動かし方が要約判る位です・・・そう正直に答えると「そんな人に有れは書けません。何級位ですか」と重ねて訊ねられてしまった。困惑しながらも、私は内心で快哉を叫んで居た・・・遣ったぜ! 
 しかし、書き終えて、1つの心残りが出来てしまった。中原さんは塩竈の出身だった。生まれたのは鳥取だが、幼い頃に両親と共に移り住み、十歳で東京の師匠宅に弟子入りする迄塩竈で成長して居た。ご家族は既に東京に出て来て居たので、ワザワザ塩竈迄取材に行く必要は無かったのだが、中原さんが育った土地の雰囲気を知ら無いママ人物論を書か無くては為ら無かったと云う無念さが残ってしまった。
 当時の私は極端に収入が少なく、土地の光や風を味わう為だけに塩竈迄行くと云う金銭的な余裕が無かったのだ。以後、何時か行きたいと思って居たが果たせ無かった。それが今回、図書館で話をすると云う機会を得て、要約塩竈に行かれる事に為った。

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 講演は夜だったが、昼前に仙石線の本塩釜に着いた私は、兎に角塩竈の街を歩いてみる事にした。駅の近くのレストランで牡蠣フライ定食を食べると、古い商店や蔵が点在する道を通って鹽竈神社に向かい、202段と云う飛んでも無い数の石段を上って参拝した。更に、又その石段を降りると、今度は松島観光の一つの起点と為って居る港まで歩いて行った。
 途中の商店街が寂しく為って居るのは何処の地方都市でも同じだが、もし四十数年前に塩竈を訪れて居たらもう少し異なる貌の街並みを見る事が出来たのだろうなとチョッピリ残念に思った。

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 「タイムシップ塩竈」を訪れると・・・
 
 夕方に為り、チェックインをする為ホテルに向かい掛けたが、フト思い付いて、近くにある「タイムシップ塩竈」為る施設に足を運んでみる事にした。そこは縄文時代からの塩竈の歴史をコンパクトに説明してある展示スペースだった。
 その最後の所に、塩竈に縁の有る有名人として、三人の人物のパネルとその縁の品が展示されて居た。1人は画家の杉村惇、1人は俳人の佐藤鬼房、そしてもう1人が棋士の中原さんだった。見ると、中原さんのパネルの前には、母親の裁縫用の台を利用し、父親が自分で作って呉れたと云う将棋盤が飾られて居た。

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 為る程、マサにその将棋盤から、中原さんの十六世名人への道は始まって行ったのだ。昭和45年生まれの羽生さんも、平成14年生まれの藤井さんも、流石に手作りの将棋盤は使わ無かっただろう。そこに、如何にも戦後直ぐの頃に生まれた「昭和の棋士」の名残りが感じられ、微笑ましく為った。そして思った。此処にだけは四十数年前の塩竈と繋がる回路が有った、と。


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 沢木 耕太郎  ノンフィクション作家 1947年東京生れ 横浜国立大学経済学部卒業 程無くルポライターとして出発し鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める 1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞 1982年に『一瞬の夏』で新田次郎文学賞 その後も『深夜特急』や『檀』等今も読み継がれる名作を次々に発表し 2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞を 2014年に『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞して居る 近年は長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』を刊行 その他にも『旅する力』『あなたがいる場所』『流星ひとつ』「沢木耕太郎ノンフィクション」シリーズ 対談集「沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉」『銀河を渡る 全エッセイ』『作家との遭遇 全作家論』等がある

                 以上



 【管理人のひとこと】

 塩釜神社は、宮城県の中では仙台市内にある大崎八幡宮・岩沼市の竹駒稲荷に並ぶ初詣客で賑わう3大スポットである。塩釜から松島湾遊覧の観光船の発着場があり人手で溢れ返るのが正月の風景だ。著者の沢木耕太郎氏はサラリーマンに為る初日に何を思ったのか、突然進路を変更し自由業・ライターへの道に歩まれたと云う。この閃き・決断力・・・は持って生まれた或る種の感性なのだろう。
 無論、現在に至る迄数々の困難を乗り越えて努力されて来られたのだろうが、何かを遣り遂げるには出発点としてのこの様な感性を持って居たからだろう。未来への洞察力・現状を観察する力・・・全てが合わさって現在の沢木耕太郎を形作って居るのだろう。今後のご活躍を陰ながら応援したい。


 
 在宅ワークに励んでいる方々・・・確りと将来の伴侶を・・・
















「補償」巡り報道に噛み突いた厚労省 お門違いの理由




 「補償」巡り報道に噛み突いた厚労省 お門違いの理由

             〜47NEWS 今野晴貴 5/6(水) 7:02配信〜


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             NPO法人「POSSE」の今野晴貴代表

 〜4月12日、厚生労働省がツイッターで報道に噛み突いた。国の休業要請を巡り「補償無き休業要請」と評した記事に対して「事実では無い」6回の投稿に分けて反論を繰り広げたのだ。
 しかし、労働問題に関わる専門家からは、この投稿に疑問や批判の声が上がる。「ブラック企業」等の著書があり、労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」の今野晴貴代表に、現場から上がる悲鳴と、応え切れて居ない政策の限界に付いて解説して貰った〜


 企業には休業手当の支払い義務が有るのに 生活不安を抱える理由

 改正特別措置法の緊急事態宣言の発令から3週間以上が過ぎたが、事態は収束せず、5月末迄の延長が決まった。国からの協力依頼や要請に従って多くの企業が営業を自粛して居り、労働者は休業を余儀無くされて居る。
 労働基準法には、労働者の最低生活を保障する事を目的に、休業手当の支払義務が定められて居るにも関わらず、収入が途絶え生活に不安を抱えて居る人も少無く無い。理由は後で説明するが、現実には、これを支払わ無い企業が多い為だ。

 「補償無き休業要請」

 諸外国で実施されて居る大胆な所得保障政策と比較すると、日本に於ける対策は不十分と言わざるを得無い。「補償無き休業要請」との批判も根強い。
 処が、厚労省はこうした批判は正しく無いとする。公式ツイッターに置いて「ヤフーニュース等、インターネットニュースサイトで『補償無き休業要請』との報道が有り、外出自粛や出勤者の最低7割減は、休業補償が無いと不可能だと報じられて居ますが、正確では有りません」等と、異例の反論を展開して居る。

 貼られたレッテル 厚労省が覆(くつがえ)せぬ現実

 確かに、企業が支払う休業手当や賃金の一部を国が助成する雇用調整助成金の特例措置等、企業に依る休業補償を促進する施策が外形的には講じられて居る。
 しかし、現実には「休業手当が支払われ無い」「会社が助成金を申請して呉れ無い」と云った労働相談が相次いで居る。新型コロナウイルスに関連するPOSSE及び関連団体への相談は、3日迄に1,470件を超えた。雇用調整助成金は十分に機能して居らず、とても「補償無き休業要請」のレッテルを覆すものとは云え無い。

 「知ら無い」のでは無く「使え無い・使われ無い」

 「補償無き休業要請」と批判して居る人の多くは、雇用調整助成金等の制度を知ら無い訳では無く「制度が使われ無い」と云う内実を問題視して居る。多くの場合、制度の存在を知って要るにも拘らず、様々な事情に依り企業が申請を断念して居るのだ。

 後を絶たぬ解雇

 例えば、支給額には上限があり・・・対象労働者1人1日当たり8,330円・・・西村康稔経済再生担当相は3日、引き上げの検討を表明した。上限額を上回って休業手当を支払った場合には、企業が負担し無ければ為ら無い。又、申請には多くの書類が必要とされ、資金繰りに奔走する中小企業の経営者が準備するのは容易では無い。
 企業に依っては、法律で定められた賃金台帳等の書類を整備して居らず、申請を諦めるケースも有る。更に、申請後の審査が完了し、実際に支給される迄に相当な時間が掛かる事もネックに為って居る。

 こうした事情から、助成金を活用せずに解雇に踏み切る企業が後を絶た無い。退職勧奨を受けた労働者が、雇用調整助成金を活用して雇用を維持する事を求めても、応じ様とし無い企業が多い。
 実際、ロイヤルリムジングループが運転手約600人に解雇通告した問題では、会社側は「助成金が支給される迄の数カ月間、事業を継続する事が難しい」との判断から、助成金を申請し無かったと云う。幾ら制度を整備しても、企業が制度を活用しない限り、労働者がその恩恵を受ける事は無い。

 国は改善図るも、困惑する経営者

 最も、厚労省は、申請書類の簡素化・助成率の引き上げ・審査の迅速化等・・・特例措置を何度も拡大し、制度の改善を図って居る。只、次々に変わる制度に振り回され困惑して居る経営者は少無く無い。何故「緊急対策」を小出しにし目まグルしく変化させるのか、理解に苦しまざるを得無い。上限額が維持されて居る点等課題も残って居る。

 厚労省がQ&Aで展開する論理の限界

 休業手当の支払義務に関する基準が曖昧で有る事も、混乱に拍車を掛けて居る。厚労省のQ&Aに依れば、改正特別措置法の緊急事態宣言に基づく協力依頼や要請を受けた場合で有っても、労基法に基づく休業手当の支払義務が一律に無く為るものでは無い。だが、次の2つの要素を何れも満たす場合には、不可抗力に依る休業に該当する為、支払義務は免除されると云う・・・尚、これは飽く迄も厚生労働省の解釈の基準であり、実際の裁判に依っては覆される可能性も有る。

 @ その原因が事業の外部より発生した事故で有る事
 A 事業主が通常の経営者としての最大の注意を尽くしても尚避ける事が出来無い事故で有る事

 
 @ には、特措法に基づく協力依頼や要請を受けて休業した場合が含まれるとされる。Aでは、自宅勤務や代替業務を検討する等、休業を回避する為の具体的努力を最大限尽くして居るかがポイントに為る。

 例えば、対人サービス業等、他の形での労務提供が困難な仕事の場合、休業要請を受けて居れば休業手当の支払義務が無く為るものと考えられる。実際、その様な発想で休業手当を支払わ無いと云う相談は多い。「支払い義務が無いのに、助成金を活用して休業手当を支払え」と云う論理にはどう考えても限界が有る。

 殺到して居る相談

 仮に休業手当の支払義務が無いとすれば、敢えて助成金を申請し・一部を負担して迄・休業手当を支払う・・・そんな企業がどれだけ有るだろうか。この厚労省のQ&Aを基に「我が社にはソモソモ支払いの義務が無い」と考える企業は多数在る筈だ。労働相談の現場で「会社が手当てを払って呉れ無い」「雇用調整助成金を利用して呉れ無い」と云う相談が殺到して居るのも頷けると云うものだ。
 大きな視点で見れば、この実態は、企業に助成を行う事を通じて労働者の生活を支え様とする「企業を介した政策」の限界とも云える。コレでも、厚労省は「補償無き休業要請」では無いと云えるのか。

 無く為る事の無い排除

 ソモソモ、日本の雇用・福祉政策は企業を介して給付するケースが多く、企業内の非正規雇用差別がそのママ福祉制度に迄及ぶ構造を持って来た。企業依存の政策が続く限り、非正規労働者等、ソコから排除される存在が無く為る事は無い。実際に、今回も「非正規だけ助成金を使わずに全員解雇」と云った相談が複数寄せられて居る。

 絶え無い批判の根本

 本来、この様な非常時の休業補償は、企業に依ってでは無く、国家の責任に依って担われるべきだ。それを回避し続けて居る事コソが、絶え無い批判の根本に有るのではないか。
 但し、現状では、労働者が休業補償を得る為には、雇用調整助成金を何とか企業に利用させる他に手立てが無い。そこで役立つのが労働組合だ。会社外の労働組合でも一人で加入すれば法律上の「団体交渉権」が成立し、会社は団体交渉に応じざるを得無く為る。

 例えば「飲食店ユニオン」では、都内の会社で営業自粛を理由に解雇通告が有ったものの、団体交渉の末、助成金の利用に転換して居る。又、総合サポートユニオンも、都内の小売店で解雇の撤回と助成金利用を実現して居る。同じ様に、既に全国の複数の労働組合で、団体交渉で助成金の利用を決定させたと云う事例が出て来て居る。
 交渉に依って、助成金の利用を要求して行く事が、国の制度を機能させる条件に為って居るのだ・・・POSSEでは、随時コロナ関連の無料労働相談を受け付けて居る

 政府に「現場」からの政策提言を行う為、生活困窮者の支援を行う市民団体を作り、筆者も共同代表を務める「生存の為のコロナ対策ネットワーク」では、労働者側から休業補償を請求する仕組みや、休業労働者に対する失業給付の支給を提言して居る他、相談会を実施して居る。国には、こうした現場の声を踏まえ、生活保障の仕組みを一刻も早く見直して欲しい。


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 今野晴貴 NPO法人POSSE代表 宮城県仙台市出身 仙台第二高等学校卒業 労働法を専攻して居た中央大学法学部の学生時代にNPO法人「POSSE」を立ち上げた 一橋大学大学院社会学研究科に進学後 労働問題の研究の傍ら、若者からの労働相談に関わり続けている
 労働相談の経験と労働政策研究の知見から、2008年から雑誌『POSSE』を発行して居る他 多数の著書を世に出して居る。又、経済雑誌、労務・人事雑誌等に多数論考を寄稿して居るほか、行政・大学・弁護士会・労働組合等で頻繁に講演活動を行って居る
 2013年には、公明党の国会議員団への講演・民主党の幹事長との対談等を通して各政党関係者に対しブラック企業問題に付いて告知 又厚生労働事務次官から勉強会の依頼を受ける等 日本国政府のブラック企業対策の実現に貢献した
 2013年9月からは「ブラック企業対策プロジェクト」の共同代表にも就任し 現在もブラック企業問題に精力的に取り組んで居る 2013年6月 著書である 『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』の記述に関しユニクロを運営するファーストリテイリングから、法的措置を窺わせる「警告状」が出された 2013年12月には「ブラック企業」が新語・流行語大賞の「2013トップテン」に選ばれ、授賞式でブラック企業に付いて「社会問題だ」と述べた 又同年同月20日には、同書で第13回大佛次郎論壇賞を受賞・・・ウィキより





















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