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2020年05月05日

《異例の安倍批判? 只の嫌中?》コロナショックで「保守界隈」は分裂したのか?




 《異例の安倍批判? 只の嫌中?》

 コロナショックで 「保守界隈」は分裂したのか?


          〜文春オンライン 古谷経衡 5/5(火) 18:00配信〜

 〜今次コロナ禍では、社会のアラユル階層を巻き込んだ大きな悪影響が大波の如く押し寄せて居るのは自明である。にも関わらず迷走するかに見える政府の対応に、これ迄安倍首相を熱心に応援し続けて来た保守界隈にはイヨイヨ動揺が観られる様に為って居る。彼等は、遂に安倍全面批判に走るのだろうか?〜

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                古谷経衡氏 コピーライトマーク文藝春秋

 「アホの集まりか」口火を切った百田氏の政権批判

 今年1月に入って、中国湖北省発の新型コロナウイルスが猛威を振るい出すと、保守界隈の一部から早期の中国人入国禁止を求める声が上がった。「兎に角中国人を締め出せ。何故中国人を入国させるのか。そこ迄経済優先なのか」と声高に主張し、その先鋒に居た象徴的存在が、今や保守界隈の「重鎮」と為った作家の百田尚樹氏である。
 アメリカ政府は1月31日に厚生省のアザー長官がホワイトハウスの記者会見で公衆衛生上の緊急事態を宣言。武漢の在る中国湖北省に滞在した自国民の隔離措置、並びに過去2週間に中国に滞在した外国人の入国拒否等の措置を矢継ぎ早に執った。

 百田氏はこの段に為っても思い切った「対中隔離策」を採ら無い日本政府と安倍首相に付いて〈安倍総理には危機管理能力が欠如して居るのが明らかに為った・・・1月30日Twitter投稿〉と猛批判を繰り返したのである。その後、感染が拡大しアベノマスクと海外からも呆れられた布マスク2枚配布が決まった際には、再び百田氏から、

〈一つの家庭に2枚の布マスク?なんやねん、それ。大臣が勢揃いして決めたのがそれかい!アホの集まりか。全世帯に郵便で2枚のマスクを配るって・・・そんなことより、緊急事態宣言とか、消費税ゼロとか、金を配るとか、パチンコ店禁止とか、エイヤッ!とやることあるやろ・・・4月1日Twitter投稿〉

 と云う声が上がる等、これ迄強力な安倍首相支持を続けて居た保守界隈からの政権批判は、その後も大きく取り上げられるに至った。今では、コロナ禍で保守界隈の風向きも変わったのでは無いかと云う指摘迄出て居るのである。

 保守界隈の批判の原動力は・・・

 一方で、新型コロナウイルスの感染拡大と云う世界的な危機に対しても、日本の保守界隈ではお馴染みの光景が繰り広げられて居る。そのひとつが「反中・嫌中」と云う「隣国嫌悪」である。
 思えば、前述した通り早期に中国からの旅行者や帰国者の入国制限措置を講じたアメリカの感染者数は、世界で最も多い約114万8000人・死者6万6700人(5/4日現在)を記録した。航空機全盛でヒト・モノが広範囲に一瞬で移動するグローバル社会では、仮に早い段階で当該地域からの入国者を謝絶しても、瞬く間に潜伏期間に有る人々が接触者にウイルスを感染させる。

 その意味で、今次新型コロナウイルスはその発生地コソ中国湖北省武漢市で在るが、結果だけ見れば中国だけに拘って警戒するのでは、水際対策として不十分で在ったと言わざるを得無い。確かに事実上の島嶼国家で在る台湾等ではそう云った措置が奏功した例も在る。が、それは国のサイズが小さいからコソ著効した対策で、アラユル方面から人々が流入して来る大陸国家や大国では余り意味を為さ無かった。
 我々は、世界中からの瞬間的な人の移動と感染を考慮し無ければ為ら無い、と云う21世紀社会の難問に直面して居たのである。にも関わらず、保守界隈は殊更に中国が全て悪玉であると「戦犯」狩りを続け責任を追及した。
 彼等が先の大戦を「太平洋戦争」では無く「大東亜戦争」と金科玉条の如く呼称し続けるが如く、保守界隈では現在でも新型コロナウイルスを頑なに「武漢ウイルス」「武漢肺炎」と呼び続けて居る。理屈では無く中国への感情的な嫌悪が批判の原動力に為って居ると見做さ無ければ為ら無い。

 新型コロナウイルスは生物兵器なのか

 更に保守界隈では「武漢ウイルスは同地の研究所から流失した生物兵器」と云うトンデモ論が、マルで事実の如く語られる迄に為った。
 この新型コロナ生物兵器説を一度落ち着いて考えてみよう。4月14日、アメリカのワシントン・ポストに、在中アメリカ大使館職員が武漢の研究施設を訪問した際、安全管理への懸念を報告して居たと云う寄稿記事が掲載された。トランプ米大統領も「徹底的な調査を進めて居る」と語った。一見すると、生物兵器説が後ろ盾を得た様に見えるが、アメリカ政府は「流出した可能性を調査する」とは云って居ても「生物兵器だ」とは云って居ない。

 そもそも、生物兵器説は、イギリスのタブロイド紙・デイリーメールに端を発したものであり、それですらも当初はそこ迄断定的な書き方では無かった。処が記事が拡散されるに連れ「武漢の研究所から流失した」が「武漢の研究所から流失した中国の人工的な生物兵器である」等と置き換えられ、欧米の陰謀論者の間で次第に尾ひれが着いたものである。
 生物兵器としての実際の運用でキモに為るのは、局所的にバラ撒いて敵軍兵士を感染させ致死させる事だ。感染力が強過ぎると自軍兵士迄が感染する恐れがある。又兵器としての有効性を考えると、致死率はウンと高く無ければ為ら無い。詰り生物兵器には「低感染力・高致死率」が求められるのだ。しかし、新型コロナウイルスの致死率は、群を抜いて高い湖北省やイタリアでも10%強。日本や韓国では1%台と低い。一方で感染力は強いのである。

 世界中の専門家がゲノム(塩基)配列を分析した結果、人工的にウイルスが加工された可能性はホボ完全に否定されて居る。WHOもこの見解を支持して居る。しかし保守界隈では、医療関係者でも感染症の専門家でも無い人物に依って「武漢ウイルスは生物兵器の一種」で有るかの様な言説が雑誌媒体で撒き散らかされて居る。

 保守界隈の「伝統芸」に変化無し

 「反中・嫌中」の他にも、新型コロナ禍に託(かこつ)けた野党揶揄も「ルーチン」の如く保守界隈から聞こえて居る。曰く、立憲民主党を中心とした野党は「このコロナパニックに於ける非常時に、桜を見る会の追及ばっかり遣って居る」と云う定型文句である。
 又、朝日新聞批判にも抜かり無い。2020年5月号の保守系雑誌『月刊Hanada』の鼎談「武漢肺炎大闘論!」でも櫻井よしこ氏等が、朝日新聞は政府の対応を後手後手だと云いながら全国の小中高校等への一斉休校要請の時は唐突だと批判して居たと強調して居る。要するに「野党や朝日新聞は批判有りきで建設的では無い」と云う事なのだろう。
 嫌中・野党揶揄・朝日新聞批判・・・保守界隈のこうした攻撃は、既に「伝統芸」である。新型コロナウイルスと云う難題を前にしても「お家芸」が続き、大きな変化が有る訳では無い。結局の所、コロナ禍に仮託した「左翼批判」の「伝統芸」「お家芸」が継続されて居るだけだ。

 本当に保守界隈が「分裂」して居るのか

 こうしてコロナ禍に直面した保守界隈を俯瞰すると、百田氏の様に一部で政権を批判する存在が目立って見える一方、他方ではこれ迄通りのネット右翼的姿勢を執り続けて居る。一見するとコノ現象はモザイク的とも言え、保守界隈の中に溝や分裂が起こって居るかの様に観察する事が出来る。しかし、本当に保守界隈が「分裂」して居るのだろうか。
 政権を批判して居る様に見える一方で、彼等は「ポスト安倍」への言及や他に持ち上げる相手を見付けられて居ない。百田氏も〈安倍総理の緊急事態宣言の会見は好いものだったと思う。多くの国民は覚悟も出来たし、共に頑張って行こうと思ったと思う・・・4月7日〉と云うツイートでも分かる様に、根源的に「安倍離れ」して居る訳では無い。

 一部では百田氏のこう言ったツイートを指して「安倍政権と云う泥船から真っ先に逃げ出した保守」と揶揄されて居るが、私からすると全く彼等は泥船から逃げ出す兆候は無い。政権批判が飛び出しても、結局は「安倍一択」と云う状況は変わって居ないからだ。
 更に、百田氏等一部のビッグネーム以外に政権批判して居る人物がホボ居ないのも特徴である。保守界隈の「ムラ」の仲間内から離脱しても経済的に困ら無いビッグネーム以外には、政権を批判すると云うリスクは取れ無い。それ故に批判が一部に留まって居るのである。

 ソモソモ、百田氏等の政権批判の主張が目立つのは、政権に批判的に為って居る一般世論と、百田氏の主張がコロナ禍で重なった事で、メディア(取り分けスポーツ紙)に大きく取り上げられ、実態以上に保守界隈からの政権批判が肥大して見えたに過ぎ無い。
 実はこれ迄も、保守界隈から政権に批判が出る事は数多く有った。取り分け象徴的なのは、朴槿恵政権下に於ける日韓慰安婦合意(2015年12月)である。飽く迄「従軍慰安婦」では無く「売春婦・・・*保守界隈呼称・追軍売春婦」だと云う立場を堅守して居た彼等に取って、日韓合意は「従軍慰安婦」の存在を日本側が認めたと云う事実に於いて、或る種の「屈服」と映った。

 それ故、合意発表直後から保守系市民団体らが議員会館・首相官邸・外務省前等で抗議活動を繰り広げたり、保守系雑誌で「安倍さんには失望した」「又韓国に土下座外交か」等の批判が相次いだのである。しかしそれ等は国民感情や常識的な日本人の歴史認識とは全くシンクロしないから保守系メディア以外で注目される事も無く、結局暫らくすると立ち消えに為って行った。
 これらを踏まえると「保守界隈が分裂して居る」とはとても云え無い。何を言っても安泰で、保守ムラの利権と良い意味で縁の薄い百田氏以外、保守界隈の自称論客は直接政権を叩く事が出来無い為、彼等の大部分は「反中・嫌中」のお家芸に走るか「布マスク2枚を批判する野党は、何か対案を出したのか? 朝日新聞の通販サイトでも3,300円で布マスクが売られて居るぞ」等と野党・朝日新聞叩きに問題を擦り替え、マタゾロお決まりの「左翼口撃」に走るのが関の山である。今次コロナ禍でも、保守界隈の実相とはこの様なものである。

 繰り出されるで有ろう「君側の奸」理論

 現状の保守界隈には、確固とした主義主張が有る訳では無い。増してE・バークの「保守主義」に根付いた思想や価値観と云うものは殆ど絶滅して居る。単にそこに有るのは、彼等が勝手に「左翼的」「反日的」だと認定したものへの反発と逆張りである。
 それ故、彼等の敵視する「左翼」が安倍政権に批判的で有る限り彼等は政権を支持する。この基本路線はこの8年、揺るぎ無く変わら無い。仮に安倍政権が保守界隈の「主流的意見」と外れた事をしても、勝手に脳内変換を行って政権擁護を続ける

 「君側の奸」と云う言葉がある。主君は英邁で民草の事を思って居るが、主君の傍に仕える奸臣(かんしん)の所為で主君の理想や慈悲は骨抜きにされ、以て悪政が蔓延ると云う意味である。1936年、世に云う「2・26事件」で決起した皇道派青年将校はマサにこの発想に取り着かれて居た。
 昭和天皇は恐慌で失業や餓死・身売りをする下層農民等民草の惨状を心痛憂いて居る。だが「君側の奸」たる重臣や財閥等が天皇陛下のお心を邪魔して居る。だから我々はその奸臣を実力で除去し無ければ為ら無い・・・こうした価値観の下で行われた「2・26事件」のスローガンこそ「尊皇討奸(そんのうとうかん)」であった。

 所がこの「君側の奸」思想は単なる妄想に過ぎ無かった。他でも無い昭和天皇自らが、決起将校の鎮圧を命じたのである。保守界隈は、この「君側の奸」理論に基づいて安倍首相を正当化し続けるだろう。事実、困窮世帯に30万円給付と云う当初案が、一律10万円に急転変更された際も「元来安倍首相は国民生活を偲び無く思って居たが財務省が邪魔をして居た」と云う「君側の奸」理論が界隈でもう出回って居る。
 処が実際は、支持母体に支えられた公明党に依る「連立離脱」の最終カードをチラ着かせた官邸への突き上げが変転の原因で在った。

 実はこの「君側の奸」理論は、安倍首相が消費増税を決断した際にもネット右翼・保守界隈で盛んに吹聴・拡散されたのである。「安倍首相は民草の窮状を心得て消費増税には反対だが、財務省の苛烈な妨害に在った」と云うもの。手垢の着いた財務省悪玉論であるが、結局安倍首相と財務省の増税路線が一致しただけ、と云うお話であった。
 更にコロナ禍が一服するや「この危機が民主党政権だったら、その人的被害は数倍・数十倍に悪化して居た。安倍政権だからこの程度で済んだ」と云う〔架空の民主党政権論・この程度で済んだ論〕と云う妄想的安倍擁護が一斉に噴き出すで有ろう事を、コロナ禍の只中に有る今から予言して置きたい。


          古谷 経衡 Webオリジナル(特集班)     以上




















130人の子供が失踪 謎の事件が伝説に変わる迄




 130人の子供が失踪 謎の事件が伝説に変わる迄

            〜JBpress 佐藤 けんいち 5/5(火) 8:00配信〜


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     現存する最古(1592年)の笛吹き男の絵画(出所 Wikipedia)

 本日5月5日は「こどもの日」だ。とは云え、新型コロナウイルスのパンデミックに伴い日本国内でも「緊急事態宣言」が発令中である。「不要不急」の外出は自粛する様要請されて居る事も有り、例年とは異なる「こどもの日」と為る事だろう。
 緊急事態宣言は昨日(5月4日)5月31日迄延長される事に為った。ウイルスと云う「見えない敵」との戦いである以上、仕方の無い事だ。本日もStay at Homeで行きましょう。

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     文 佐藤 けんいち 著述家 経営コンサルタント ケン・マネジメント代表
 
 と云う訳で「こどもの日」だから子どもに因んだ話にしたいと思うのだが、内容は子供向けの話では無い。子供達が集団で誘拐された事件に付いて打。それもヨーロッパ中世の話である。しかも、今から700年以上も前の13世紀の話である。
 ここ迄書いて来れば、判って居る人は直ぐにピンと来る事だろう。ドイツ北部の都市ハーメルンで発生した「事件」の事だ。所謂「ハーメルンの笛吹き男」の事である。
 医療活動やビジネスと比べたら、歴史等「不要不急」と見做され勝ちだが、コンな時期だからコソ、株価や円相場の様にリアルタイムで更新されて居るコロナ関連情報に一喜一憂するのでは無く「アフターコロナ時代」に向けて、長期或いは超長期のスパンでものを考える為の機会としようではないか。本当は、歴史コソ重要なのだと云う話をしたいと思うのである。

 「ハーメルンの笛吹き男」伝説に反映する黒死病

 今から736年前の1284年6月26日、ドイツ北部の都市ハーメルンで、子供が130人も集団で失踪すると云う事件が発生して居る。これは否定しようが無い「歴史的事実」である。だが、明らかに為って居るのはそこ迄だ。何時、何処で、誰が消えたのか迄は判って居る。
 と云っても、失踪した子供達の名前が全て判って居る訳では無い。だが、どの様に失踪したのか、何処に行ってしまったのか、何故130人も一緒に蒸発してしまったのか、迄は判ら無い。正にミステリーである。謎は謎のママ伝説化されて現在に至る。

 そんなミステリーに挑戦したのが歴史家の阿部謹也先生である。『ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界』(平凡社 1974 文庫版はちくま文庫から1988年)がその成果だ。大学学部時代の恩師なので、敬称付きで記述する事をお許し頂きたい。
 この「伝説」は、観光用に再現されて居て有名だ。カラフルな衣装を身に纏ったネズミ獲り男の寸劇を、現地で実際に見学した人も居るだろう。ストーリーを極簡単に要約すると以下の様に為る。

 「高名なネズミ獲り男」と云う触れ込みでハーメルンに現れた「異人」。収穫した小麦がネズミに食べられる被害に困って居たので大いに歓迎された。
 見事にネズミを駆除して見せたが、約束の報酬が支払われ無かった事に腹を立てたネズミ獲り男は、笛に釣られて集まって来た子供達を連れてそのママ忽然と姿を消す。戻って来たのは、耳は聞こえるが目が見え無い子供と、目は見えるが耳が聞こえ無い子供の2人だけだった。

 中世後期の13世紀の「歴史的事実」がコアと為って、何度も何度も繰り返し語られる内に尾鰭(おひれ)が付いて「伝説」と為ったのだが、元々は「笛吹き男」が子供達を連れ去ったのだった。それが、中世から近世への転換期であった激動の16世紀には、魔術的能力を持つ「ネズミ獲り男」と合体し「笛を吹くネズミ獲り男」として現在迄伝承されて居る形に為ったのだ。
 そのプロセスを「社会史」と云う歴史学の新しい手法で描いたのが、阿部先生の『ハーメルンの笛吹き男』なのである。

 「笛吹き男伝説」から「ネズミ獲り男伝説」への変貌に当たっては、16世紀前半に都市ハーメルンが体験した大火・黒死病(ペスト)・大洪水等の人間がコントロール出来無い災害が反映して居る事が明らかにされた。自然災害と感染症の蔓延は半端では無かった。
 民衆が苦しむ状況に、更に追い打ちを掛けたのが、16世紀前半のドイツで始まった「宗教改革」である。ハーメルンは都市ぐるみでルター派と為ったのだが、キリスト教徒同士の「宗教戦争」に巻き込まれ、同時代の日本と同様、当たり前の様に人が殺されて行く戦国時代の様相を呈するに至ったのであった。21世紀の現在とは比べようも無い程、生きる事そのものが過酷な時代だった。

 そもそも「ネズミ獲り男伝説」を育て上げた都市下層民達の生活は、恒常的に続く飢えに苛(さいな)まれて居た。都市は城壁に依って防衛されて居たが、警察制度は誕生して居らず自力救済が当たり前の時代であった。この中世の延長線上に有るのが現代の米国なのである。参考・・・コレだけ事件が起きても米国で銃規制が進ま無い理由。
 西洋も日本もそうだが、過酷な中世に比べたら、21世紀の新型コロナウイルス等ものの内にも入ら無いではないか!そう思うべきでは無いか。
 『ハーメルンの笛吹き男』は、1988年にちくま文庫で文庫化されロングセラーと為って居るが、何故か今ブームが再燃して居るのだと云う。新型コロナウイルスの国内感染発生以前の事だが、今年の初めに大手書店でコンな感じで陳列されて居たのには大いに驚かされた。

 阿部先生が亡く為ってから既に14年。月日が経つのは早いが、こう遣ってブームが再燃する事で、それ以外の著作への関心が拡がって呉れると好いナアと、弟子の一人として切に願う・・・勿論『ハーメルンの笛吹き男』と同時期の研究成果で「東方植民運動」を扱った、500ページ強の本格的研究書 『ドイツ中世後期の世界-ドイツ騎士修道会史の研究』(未来社 1974)を読めと迄は言わないが。

 中世史研究にはイマジネーションが不可欠
 
 世界的なベストセラーであり、未だにロングセラーとして売れ続けて居る『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社 2006)を読んだ人も、少なく無いだろう。ホモ・サピエンス・人類が、大脳の発達に依って言語を獲得し、様々なフィクション・虚構を構築する事で、如何に生物学的制約を乗り越えて急速に発展して来たか、その歴史を辿った作品だ。
 ホモ・サピエンスが急速に地球上の覇権を握った先史時代から、人工知能・AIの進展に依って覇権を失うで有ろう近未来迄、超長期の歴史を一気通貫に記述して居る。

 『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ教授は、最近では自ら哲学者と名乗って居るが、元々はイスラエルの歴史学者である。だが、歴史学と云っても、ソモソモの専攻が何で在ったか迄気にして居る人は余り多く無いのでは無いだろうか。
 ハラリ氏の専攻は、実はヨーロッパ中世史と軍事史であり、この分野で数冊の著書も有る。例えば Special Operations in the Age of Chivalry, 1100〜1550 (日本語だと、『騎士の時代の特殊作戦』と為ろう)は、電子書籍版で入手可能だ。

 1948年に建国されたイスラエルの在るパレスチナ地域は、中世に於いては「十字軍」の舞台であった。中世史の研究は、現代に生きるイスラエル人に取っては、自分が暮らして居る土地の歴史を研究する事に為る訳だ。この様に中世史の研究者が、本来の専門分野を超えて活躍する事は少無くない。
 自らの捕虜体験を描いたノンフィクション『アーロン収容所』で一躍有名に為り、文明評論家として活躍した会田雄次氏は、元々中世後期のイタリア・ルネサンスの研究者であった。『ハーメルンの笛吹き男』の阿部先生も又、研究生活の後半に於いては「世間論」で、日本社会の「見えざる構造」を明らかにする事に注力し、旺盛な評論活動を行って居た。

 ソモソモ中世史は、近現代史と比較すると、残された史料が余りにも少ない。だから、限られた史料を基に、イマジネーションをフルに発揮する事が求められるのである。これは西洋史だろうが日本史だろうが変わら無い。
 失われたパズルのピースを仮説的推論に依って再現し、全体像を再構築すると云う知的作業が、中世史の研究者に求められるのである。専門の歴史学に留まらず、考古学や人類学、その他の関連諸分野をフル動員する事も求められる。
 又、中世史とは文字通り、古代史と近現代史と中間に位置する時代である。遡れば古代であり、下って行けば近現代と為る。詰り、古代と近現代を共に相対化して見る事の出来るポジション云う事に為る。

 現在は当たり前と為って居る事も、時代を遡ってみたらそうでは無かった事、又未来永劫に続くものでは無い事も判るのである。相対化とはそう云うことだ。これはモノだけで無く、コトに付いても、目に見え無い意識に付いても同様だ。
 こう云った知的訓練を受けて来た中世史の研究者が、狭い専門分野を超えて社会的発言をするのは、或る意味では不思議な事では無いのである。
 阿部先生はゼミナールでは、中世や古代に遡る事は、未来世界を想像するSF・サイエンス・フィクションの様なものだと語って居た。過去も未来も、共に未知の世界だからだ。過去と未来では向かう方向が違うが、現在を軸にして働かせるイマジネーションの質は、基本的に似た様なものだと考えて好いのだろう。

 大学時代のゼミナールを振り返ってみる
 
 ゼミナールの話が出たので、どの様な授業が行われて居たのか、参考迄に私の学生時代のゼミナール経験を記して置きたいと思う。
 ゼミナールとは少人数で行われる演習の事だが、近代ドイツの大学制度に由来するものである。教師と学生との双方向の対話を前提として居り、一方通行のレクチャーとは根本的に異なる性格を持つ。しかも、参加メンバー同士のインタラクションも促されるので、様々な気付きを得る事も出来る。合計3年間、教えを受けた訳だが、大学2年に時の前期ゼミでは、20世紀前半の米国の著名な中世史家C.H.ハスキンズの『12世紀ルネサンス』を輪読して居る。当時は未だ日本語訳は無かったと思う。

 この時は参加人数が多かったが、大学3年に為ってからの本格的な後期ゼミでは参加メンバーは足った6人であった。阿部先生は当時既に著名人であったが、ソモソモ歴史学は就職に直結する訳では無く、しかも履修に当たってはドイツ語かフランス語のドチラか一方は必修と云う前提条件も有り、語学的にキツいゼミだとして敬遠されて居た様だ。
 後期ゼミでは、フランスの歴史家エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリーの『モンタイユ-ピレネーの村 1294〜1324』を輪読した。中世のフランス南部を描いた作品だ。フランス語が読める学生は原文で、ドイツ語の判る学生はそのドイツ語訳で読む。この時点では未だ日本語訳は無かった。何故この本が購読に使われたのか好く判ら無いが、自分が読みたい本を輪読のタイトルとして指定された様だ。

 ゼミナールが始まって最初に言われたのは「ゼミでは日本語の本は読みません。外国語の本の読み方は判ら無いだろうからトレーニングします」更にこう云う意味の事を言われた。「私は就職の世話はしませんのであしからず」
 後者の発言には気が引き締まる思いをしたものだ。こう云う事は、予め最初の段階で言って置いて貰った方が好い。自分の道は自分で切り開か無くては為ら無いと云う覚悟が出来るからだ。「歴史では喰え無い」と云うのは、昔から言われて来た事だ。

 『モンタイユ』も最初の100ページ位迄読んで、それで終わり。4年生に為ってからは、夫々卒論テーマを決めて、進捗状況の報告を行い、その場で質疑応答とコメントが為される。卒論を執筆する事は必修であり、最初の段階からテーマを決める事が求められて居た。
 「卒論テーマは、何を選んでも好い」と言われて居たのだが、これが想像以上の難題で在った。テーマを最終的に決める迄1年も掛かってしまった。『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』と云うのが卒論のタイトルだ。自分のアタマで考え抜いて自分で決める訓練の一環だったのだろう。こう云う訓練は、速い段階で遣って置いた方が好い。

 「そう云うテーマで書くなら、この本を読んだら好い」と行って、夏休み前に参考と為りそうな原書を蔵書から何冊か貸して頂いた。為る程アカデミックな歴史学者と云うものは、こんな風に線を引いたり書き込みをしながら本を読むのかと思ったものだ。これも又実地教育で在ったのだろう。
 その中の1冊が、米国の中世史家Lester K. Little のReligious Poverty and Profit Economy in Medieval Europe(日本語なら『中世ヨーロッパにおける清貧と営利経済』と為ろう)と云う本だった。「贈与経済」から「営利経済」への移行期に在った中世社会を扱った論文集である。残念ながら、現在に至る迄日本語訳が無い。
 こう行った「資本主義成立前」の世界を扱った本を読んで居ると、資本主義が飽く迄も歴史的存在で有る事が判るし「資本主義衰退後」の世界に付いてイメージする事も或る程度迄可能と為る。中世史を研究する事の効用の1つとして加えて置こう。

 ケーススタディは歴史研究に通じる 

 ビジネスの世界でも歴史研究が行われる。所謂経営史であるが、それ以外にも、ビジネススクール(経営大学院)の経営教育で行われるケーススタディは、歴史そのものだと云って好いだろう。ビジネススクールとは、所謂MBA・経営学修士の事である。私も、20歳代の終わりに米国に留学してMBAを取得して居るので、その経験を基に簡単に説明して置こう。

 ケーススタディと云えば、ハーバード・ビジネス・スクール・HBSが最も有名だ。ケーススタディとは事例研究の事だが、元々は法律学の分野で発達して来た判例研究を、ハーバード大学が20世紀初頭にビジネス教育にヨコ展開したものだ。これも又イノベーションの一形態と行って好いだろう。
 ケーススタディで扱われるのは、その性格上、全て過去に起こったビジネス上の出来事が文字化され、経営数字と共にまとめられて居る。従って、ケーススタディに記載されて居る情報は、リアルタイムのものでは無い。
 ケーススタディを使用した授業とは、記載された情報とデータだけを基にして思考を展開し、授業で発言し、ファシリテーターである教師や参加メンバー同士で対話するのである。自分が経営者だったら、或いはその他のポジションに居る立場だったら、こう考えこう実行して行くと云うストーリーを作る事が求められる。

 大抵のケースに付いては、扱われた企業が如何なる経過を辿って現在に至って居るかは、ネットで調べれば直ぐにでも判る事だ。だが、重要な事は、ビジネスでは答えは一つでは無いと云う事。何故なら、主体で或るビジネスパーソンの意志と行動は、競合の存在や外部環境に依って制約を受ける為、必ずしも自分が思っている通りには進ま無いからだ。現在の状況は、飽く迄も結果に過ぎ無いのであり、誰も結果そのものを事前にコントロールする事は出来無いのである。
 だからこそ「もし〜なら・・」と云う「イフ」による仮定思考が重要に為る。制約条件の基で、如何に最適な行動を執るかに依って、結果は自ずから変わって来るのであり、もしかすると、今有る状態だって、そう為ら無かった可能性も有るからだ。

 こう云う思考訓練を行うのが、ビジネススクールのケーススタディなのである。そして、出来る歴史家は、実は同じ事を遣って居るのである。凡庸な歴史家は得意気に「歴史にイフは無い」と口にするが、騙されてはいけ無い。そう云う考えに拘って居たら、ビジネスと歴史は永遠に相交わる事等在り得ないではないか。

 ビジネスパーソンは誰もが日々歴史を作って居る

 ビジネスに限らず、仕事をと云うものは、常に先を見据えて行うと云うマインドセットがベースに有るので、ビジネスと歴史は本来的に異なる存在だと見做され勝ちだ。だが、こう考える事も出来るだろう。ビジネスパーソンは或る意味で歴史を作って居る訳であり、自分が日々遣って居る事の軌跡が歴史に為るのだと。そう考えると、自分が遣って居る仕事に意味を見い出す事が出来るのでは無いだろうか。
 またどんな仕事であっても、実際にプリントアウトしなくてもペーパーワークから逃れる事は出来無い。文書を読み文書を作成すると云う作業だ。ビジネス関連資料を読み、作成する作業をしながら20歳代の前半に私が思って居たのは、ビジネスパーソンとして遣って居る子とは、歴史家が遣って居る事と余り変わら無いのではないか、と云う事だ。

 歴史家は、過去の「史料」を読み熟して読解するが、ビジネスパーソンは現代の「資料」を読み熟し処理して行く必要がある。ビジネスパーソンが日々作成して居るビジネス文書も、時間が経過したら歴史的資料、即ち「史料」に為り得るのである。
 そう云うマインドセットを持って仕事をして居ると、例え間接的で囁かな形であっても、自分が歴史の形成に参加して居る事が判る筈だ。そうで在ってコソ、ビジネスパーソンが歴史を知る意味が生まれて来ると云うものだ。

 ビジネスパーソンである私が『ビジネスパーソンの為の近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)を執筆したのは、そう云う背景がある。是非皆さんも、歴史形成に参加して居ると云う意識を持って、日々の仕事に取り組んで欲しいと思う。


             佐藤 けんいち      以上



















コロナで判った ヤッパリ日本は公務員を「減らし過ぎ」だ




 コロナで判った ヤッパリ日本は

 公務員を「減らし過ぎ」だ


            〜現代ビジネス 大原 みはる 5/5(火) 7:01配信〜

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                 写真 現代ビジネス

 明らかに人手不足

 新型コロナウィルスの蔓延・感染拡大防止に伴う全国的な外出自粛で、飲食・小売り・レジャー・エンタメを初めとする様々な業界で需要が蒸発し、幾多の企業・個人が苦境に陥って居る。
 一方で、そんな社会・経済の大混乱も何処吹く風、と云った職業が有る。経済の停滞で税収が減っても給料には影響しないし、解雇のリスクも無い「公務員」だ。安定した身分・待遇故「国民一律10万円を公務員には配る必要は無い」とか、県職員に自発的な寄付を求めて地元の財源に活用しようと考える知事迄現れる始末だ。

 公務員は昔から「ロクに働か無い無能な人でも、高給を食みながら居座り続けられる」と云うイメージがマスメディアや一般国民の意識に刷り込まれて居る。そうした背景も在って、今回の事態で生活が苦しく為ったり家に閉じ込められたりで、苛立った人達の不満の捌け口として格好のバッシング対象に為って居るのだろう。
 それは止むを得無い面もあるが、冷静に考えれば公務員は社会に必要な職業である。例えば、新型コロナウィルスに関して、無くては為ら無い働きをして居る保健所や公的医療機関。感染者の把握や感染拡大防止で後手に回ったとして批判を受けて居るが、元々「平時」を基準に体制が構築されて居り、緊急時に於いては明らかに人手不足である事が今回判った。

 国の各省庁の職員も、時々刻々と状況が変化する中で、国会議員の動きに振り回される等、普段の激務に輪を掛けた混乱状況に忙殺されて居る。
 又、外出自粛で誰もが家に籠って鬱憤が溜まり、児童虐待や家庭内暴力が増えるのではないかとも懸念されて居る。普段から、不幸な児童虐待事件が明らかに為る度「何故事前に防げ無かったのか」と批判を浴びる各地の児童相談所が、今後槍玉に挙げられ無いか心配で仕方が無い。彼等は元々激務であり「平時」であってさえも、プライバシーや家庭の自治を盾に介入を拒む家庭をケアし切れ無い事は、関係者なら好く知る事実だ。

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             文 行政評論家 大原 みはる氏 

 この20年、減らし過ぎた

 今挙げた例は飽く迄極一部に過ぎないが、何故行政の現場はこれ程疲弊してしまって居るのか。主な理由は、此処20年以上に渉り、国も地方自治体も、行財政改革に依り職員を軒並み削減して来た事、その一方で行政が対処し無ければ行けない仕事は減って居らず、寧ろ増えて居る事に有る。
 そう云うと「どうせ役人なんて、自分の組織や椅子(役職)を守りたいから仕事を残そう、増やそうとして居るだけだろう」と云う意見が聞こえて来そうだ。確かに、行政組織の肥大化に関する有名な法則(パーキンソンの法則)も有る位なので、それは一理ある。しかし、仕事が増えて居る理由が、決して役所・役人のエゴだけでは無い事は、冷静に考えれば判る筈だ。

 我が国は、医療費は民間保険に入る為りして自分で賄え、身の安全は銃を所持して自分で守れ、と云う自己責任思想が根付くアメリカとは国民性が大きく異なる。少子高齢化・総人口減少と云う社会の大きな構造変化の中で、何か社会的課題が生まれると直ぐ「お上頼み・・・政治・行政が何とかすべき」と為り易く、役所はそうした要望に機敏に対応・・・立法化・予算化・事業化を求められる。
 又、昔は政治・行政は、国民・住民に対して「由らしむべし、知らしむべからず」・・・国民には施策の道理を説いても理解出来無いから、説かずに只従わせて置けば好い・・・と云う姿勢でも特に叩かれる事は無かったが、社会の成熟化に伴い、そうした考え方は通用し無く為って居る。

 今や行政がインターネットで積極的に情報発信するのは当たり前。行政内部情報も請求が有れば原則として公開し無ければ為ら無いし、国民はSNS等を駆使して様々な意見をブツけて来る。各種制度の策定時に国民から広く意見募集する仕組み・パブリックコメント等、昔は無かった丁寧な手続きも次々と作られて居る。
 ネットやメディアを見れば、公務員に対する国民の不満は高まって居る様に見えるが、その一方で国民は以前より役所から情報を入手し易く為り、意見も云い易く為り、役所はそれ等に丁寧に対応し無ければ為ら無く為った現実がある。勿論それ等は国民に取っては良い事なのだが、その分、役所の仕事は増える一方である。

 画して現代の公務員の職場の実情は、多くの人が想像する「ヒマで安定して居る」と云うユトリあるイメージとの間に大きなギャップが有る。一般論として云えば、多くの職場では寧ろ人手不足なのだ。

 「任期付き緊急雇用」と云う策

 今回、新型コロナウィルスの蔓延を機に、テレワークの本格的導入等社会変革の機会にすべきだと云う意見が様々な筋から出て居る。マサにその流れで云えば、今回の行政の混乱を省みて、ダイエット(人員削減)し過ぎてしまった行政の組織体制を見直し、必要に応じて体制強化を図るべきなのではないかと筆者には思える。

 そんな事を考えて居た矢先、幾つかの地方自治体が、民間企業の雇用悪化等に対応して、任期付きでは有るが公務員の緊急雇用を始めると云う報に接した。マサに今の話を地で行く様な取組みではないか。例えば神戸市は2020年3月に、今回のコロナ禍で企業等から採用内定を取り消された市内在住・在学の新卒者を経済的に支援する為、100人を市の職員として臨時採用すると発表した。
 2021年3月末迄の期間限定・会計年度任用職員での採用で有るが、この方式は民間企業のパート・アルバイトと比べると労働条件が優れて居て、最初から10日の有給休暇が貰え、しかも1時間又は45分単位で取得出来る為、就活との両立にも適して居る。社会が苦境に陥る中で、行政として遣るべき事の範を示したと云える。既に採用実績も有るそうだ。

 この様に、民間の雇用が不安定化する中で、役所が一時的では在っても、人手不足の解消と雇用のセイフティネット維持の一石二鳥を狙って機敏な動きを見せ始めた事は歓迎出来る。同趣旨の採用は、東京都・神奈川県・大阪府・大阪市等、各地の地方自治体に広がりを見せて居る。

 これ迄の「非正規化」との違い

 最も、任期付きの地方自治体職員と云う採用方式は、実は今回初めて繰り出される手立てでは無い。従来は非常勤職員・臨時職員等と呼ばれ、常勤職員・・・定年迄働く事が前提と為る、任期の無い正規職員との待遇差や縁故採用等、様々な問題を抱えながらもズッと続いて来たものだ。深く追及して行くと、実は余り筋の良い話では無い面が有る。
 と云うのは、先程地方自治体の人減らしに付いて指摘したが、退職者不補充等の方法で働き手を「本当に減らしてしまう」と業務遂行に支障が出る為、行政は止むを得ず「ズルい手」を使って来たのである。それは人件費負担の大きい常勤職員を減らし、非常勤職員等に置き換えて業務を熟すと云うものだ。

 役所の組織規模・定員は常勤職員数でカウントする習慣が有る。こうすれば「ムダな役人を減らせ!」と云う声に対して「コンなに減って居ますよ」と答えられると云う、支出削減以外のメリットも有ったのだろう。その結果、何が起きたのか。非常勤だが仕事が出来る有能なスタッフは重宝され、任期明けの度に別の部署で再任用を繰り返す。こうした形で「非常勤のベテラン」が長く働き続ける例が、各地で結構見られて居る。細かい相違は有れど、この構図自体は非正規化が進んだ民間企業と何ら変わら無い。

 今回、コロナ禍に端を発した緊急対応とは云え、こうした慣行とは全く異なる建て付けで、若者を期間限定で地方自治体に登用し、雇用創出・人手不足解消の両立を図ろうとする試みは、大変注目に値する。過去に資格試験スクールの講師として公務員採用試験対策に関わって来た筆者から見ると、大きな可能性を秘めて居る様に思える。
 何故なら、この仕組みは少しでも運用を誤れば「任期付き公務員」と云う、常勤職員と比べて著しく不安定で差別的な雇用形態を常態化・増加させる結果に終わり兼ね無い一方で、神奈川県の黒岩知事が、この緊急対策で採用した職員に付いて「優秀な方はそのママ県職員に登用する道も作って行きたい」と発言して居る様に、公務員の採用に一石を投じ得る力をも秘めて居るからだ。

 そこで次回は、役所の常勤職員の採用を巡る積年の課題を含めて、今回の緊急対策がもたらす様々な可能性に付いて考えてみることにしたい。
   (つづく) 
 
 大原 みはる 行政評論家