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2020年05月04日

ポストコロナ「日本特殊論」との決別が必要な訳




 ポストコロナ「日本特殊論」との決別が必要な訳

            〜東洋経済オンライン 5/4(月) 5:40配信〜


     050407.jpg

 アジア・パシフィック・イニシアティブの船橋洋一理事長(右)と慶応義塾大学の細谷雄一教授(写真は何れも本人提供)

 〜新型コロナウイルスの猛威が世界を震撼させ、人々は底無し沼に喘いで居ます。何時終息するのか、その見通しすら立た無い現状の中、日本を含む世界の社会と経済は既に大きな打撃を受け、ポスト・コロナでは国際政治や世界経済の構造や秩序が大きく変化してしまう事が予想されます。
 ポスト・コロナの世界はどの様に変容してしまうのか。コロナウイルスが私達に突き付ける歴史的意味とは何か。ジャーナリストでシンクタンクのアジア・パシフィック・イニシアティブ・APIを率いる船橋洋一氏と国際政治学者でAPI上席研究員でも有る細谷雄一・慶応義塾大学教授の緊急対談を4回に渉りお届けします。本対談はオンライン会議で行われました〜


 世界史を動かしたパンデミック 

 船橋 洋一(以下・船橋) 新型コロナウイルスは全世界の社会を震撼させ、経済に打撃を与え、世界の秩序を変えつつ有る様に見えます。歴史・国際政治・日本の外交を研究されて来たお立場から、今回の危機をどの様に位置付けて居られますか。

 細谷 雄一(以下・細谷) 言う迄も有りませんが、我々は今、大変な世界の中に居るのだと思います。アメリカではこの1カ月で2,000万人が職を失いました。過去10年間の失業者数の合計と同じ数です。
 中国の経済成長率が第1四半期でマイナス9%(前年同期比)と云う数字も出て居ます。過つて、20年程前の事ですが、中国の専門家の中には「中国のGDPの成長率が7%を切ると、共産党の統治の正当性が失われて権力の維持が難しく為る」と云う見方をする研究者が居ました。今年の成長率は殆ど0%に近い、前例の無い数字に為って仕舞う事が予想されます。
 詰り、アメリカの膨大な数の失業者や中国の経済成長の鈍化等、今、世界で起こって居る事は、我々が全く想定して居なかった・想像も出来無かった事態です。先ず、私自身が、国際政治学者として感染症が世界に与える影響を過小評価し、そのインパクトの大きさを十分に理解出来て居なかった不徳を言わ無ければ為ら無いと思っています。
 又、これを機会に改めて歴史を紐解いて看て、感染症が世界史を動かして来た事に思い至り、これだけ重要な問題が、国際政治学と云う領域での私の視点から欠落して居た事を反省して居ます。

 船橋 世界史を動かしたパンデミック・感染症の世界的大流行と云うと、中世のペストが先ず思い浮かびますが。  
 
 細谷 世界史を概観すると、人類はパンデミックに依る世界史の激動を幾度か経験して居ます。ご指摘の中世の欧州で大流行したペストと、第1次世界大戦中のスペイン風邪がその典型です。
 先ず中世のペストです。カトリック教会が欧州の人々の精神的支柱で有ると同時に、欧州の社会と生活を事実上支配して居た時代ですから、当然の事として、人々は救いを求めて教会に殺到しました。当時の人々は勿論それを知りませんが、至る所が「3密」の空間と為った事で、ペストは一気に拡散しました。結果、ペストの脅威の前に無力を露呈したカトリック教会の権威は失墜します。
 ペストにより欧州の人口の3分の1が失われたと云われて居ます。人口の減少は社会構造に変化を与え、中世の封建制度のヒエラルキーの下で最下層に在った人々の地位が相対的に上がった事で封建制は動揺しました。
 そして、封建制の揺るぎとカトリック教会の権威の失墜により、国家が政治の中心と為る近代的な社会が誕生したのです。詰り、教会が支配した中世から国家が支配する近代への変化は、ペストを重要な1つの起因として居たのです。.

 歴史上最悪のパンデミックと言われて居るスペイン風邪は、第1次世界大戦の戦況や戦局・趨勢に大きな影響を与え、更に、戦後の国際機関の誕生の流れに竿を指しました。スペイン風邪は、第1次世界大戦最中の1918年から世界中で大流行しました。
 正確な数字は明らかではありませんが、世界全体の死者数は1,700万人から5,000万人とも推定され、第1次世界大戦の戦死者推定1,600万人を遥かに上回ります。スペイン風邪は当然の事として、ドイツやフランス・イギリス等の交戦国にもその兵士にも蔓延し、取り分け感染拡大に依り戦争継続が困難と為り、ドイツ敗北の遠因と為ったと指摘する研究も有ります。

 ドイツ敗戦の遠因と為り、WHOを生んだスペイン風邪

 第1次世界大戦中、交戦国は国内や軍隊での感染の事実を公表して居ませんでした。軍隊の士気の低下や、志願兵の減少を懸念したからです。唯一、国内のパンデミックを公表したのが中立国のスペインでした。それをメディアが世界中に発信した為「スペイン風邪」の名を残す事に為ってしまったのです。
 スペイン風邪の発生源には諸説有りますが、アメリカ起源説も有力です。1917年にアメリカが欧州戦線に参戦した事が切っ掛けで、欧州に蔓延したと推測されて居ます。詰り、兵士の移動でアメリカとヨーロッパが繋がれた事に依り、感染症が拡大したと考えられました。所謂グローバル化の流れですね。

 戦後、設立された国際連盟は、こうした分析を基に、国際的な協力無しには感染症には対処出来無いと云う認識を深め、1923年に国際連盟保健機関が設立されました。その後、保健機関は今日の世界保健機関・WHOへと引き継がれます。ペストが近代社会の生みの親と為り、スペイン風邪が現代の国際秩序の礎と為った事からも判る通り、世界史は、パンデミックが社会の有り方や世界の秩序を激変させる事を示唆して居ます。
 詰り、現在進行形で起こって居る新型コロナのパンデミックは、我々の社会や世界を今とは別の場所に連れて行ってしまう可能性が高いと云う事です。国際政治学的な視点では「アフター・コロナ」或いは「ポスト・コロナ」の世界を的確に見通して、それに適切に対処出来た国が、ポスト・コロナの世界秩序をリードして行く事に為ると予想して居ます。しかし、コロナの前と後の変化の質やその大きさ、そしてこれから変化して行く方向を見極めるのは非常に困難だと思われます。

 通信技術の支配者がポスト・コロナの世界をリードする

 船橋 予測のヒントと為る様な事は有りますか。

 細谷 何時の時代もそうですが、社会や世界には変化する事と、変わら無いものがあり、それを見極める事がトテモ重要に為るのだと思います。ポスト・コロナの世界でも、継続し変わら無いのは、国際社会が国家を単位として動いて行く事と、人々が最後に救済を求められるのは国家しか無いと云う事だと思います。
 国連やWHOは人々に経済援助して呉れる訳でも大量のマスクを配って呉れる訳でも有りません。他国の政府からも一定程度以上の援助を期待するべきでは無いのでしょう。人々は、結局の所は、自国政府に救済を依存せざるを得ない。こうした現実は、人々をナショナリズムの方向へと誘導して行く可能性が高いと思われます。

 他方で、グローバル化が止まる事は無いと思います。コロナの影響で、インターネットを利用してのコミュニケーションやビジネスは、国境を越えた形も含めて寧ろ加速して居ます。
 詰り、政治に於ける国家主義的な傾向が強まるのと同時に、我々の生活がより一層、インターネットに依存したスタイルに変わって行く事に為ろうかと思います。その前提が正しければ、19世紀にイギリスがシー・コミュニケーションを支配して、シー・パワーとして「7つの海」を支配し「パクス・ブリタニカ」を確立した様に、ポスト・コロナの世界では、テレコミュニケーション・通信技術を支配した国や勢力が、国際秩序の形成に大きな影響を与える事が予測されます。

 船橋 中国がカギに為ると云う事でしょうか。

 細谷 その可能性は少なく無いと思います。その事をいち早く察知しコロナ前からその様に動いて来たのが中国でした。既に、世界中にファーウェイの5Gシステムを構築しようとし、テレコミュニケーションの支配を確立しようとして居ます。
 しかし、中国は幾つかの点で国際社会の信頼を失って居るので、その様な未来は流動的だと考えます。日本を含めた国々が、今後、中国が作った5Gのシステムに依存して行くのか、それとも、別の選択肢を求めるのか、それに依って世界の趨勢は大きく違って来ると思います。


 「最悪のシナリオ」通りの危機
 
 船橋 示唆に富んだお話を有難うございます。私も今回のコロナには心底、衝撃を受けて居ます。全く違う世界が現れて来るのでは無いかと云う予感と共に、その中で日本がどう為るだろうかと云う不安を感じます。未だ、これからどう為るか見通しが着か無い、それでも日本はこの敵に一丸と為って戦えるだろうかと云う漠たる不安です。
 私もジャーナリストとして日本の戦後の危機を色々取材して来ました。1971年のドルショック、1973年の石油危機、1985年のプラザ合意、1991年の湾岸戦争を取材しました。今世紀に入ってからも北朝鮮の核保有やリーマンショックや福島の原発事故と云った国家的危機を取材して来ました。 
 夫々の危機は世界の秩序を大きく揺るがし、日本の国益や戦略にも大きなインパクトを与えました。そして、危機が通り過ぎ、それを取材し記事に書き本として世に出す度に或る種の敗北感を味わいました。何故、日本はコンな戦いしか出来無かったのだろうと云う敗北感ですね。
 特にフクシマでは、政府の危機対応の根本的問題はガバナンスの欠陥に有ると痛感しました。国家として言えば統治の欠陥です。本当の国家的危機を戦い抜く為の「国の形」に為って居ないのでは無いかと云う敗北感です。福島原発危機の有り様を総括する積りで著した本のタイトルを『原発敗戦』としました。

 特に対外的な危機に直面した時は、どの様な戦略を構想したとしても、内政にそれを支える裏打ちが無ければ、チャンとした統治が機能し無ければ戦略は貫徹出来無い。戦略は統治を超えられ無い・・・と云うのが、フクシマに対する私の総括でした。
 アノ時、民主党政権の菅直人首相は危機の最中に近藤駿介原子力委員会委員長に「最悪のシナリオ」を作らせました。しかし、既にそれは起こってしまって居た。「最悪のシナリオ」は有事に備えて平時に作って置かなければ意味が無いと云う事です。そして、常に新しいリスクを想定しながら、プランを更新し続けて居なければ・プランニングし続け無ければ、本当の備えには為ら無いと云う事を学びました。
 福島の原発事故の後、私達は「福島原発事故独立検証委員会・民間事故調」を立ち上げ報告書を刊行しましたが、その経験を踏まえ、第2弾のプロジェクトとして「日本政権の為の危機管理」の有り方を研究し『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(新潮社、2013年)と云う緊急レポートを刊行しました。
 9つの死角として「尖閣衝突」「国債暴落」「首都直下地震」「サイバーテロ」等と共に「パンデミック」も取り上げました。「医療が消えた日」と云う副題を着け、当時、東京慈恵医大の准教授だった浦島充佳先生に執筆して頂きました。 

 「未知のウイルスが猛威を振るう中、人工呼吸器等の医療機器・医師や医療スタッフの不足に依り医療現場は崩壊の危機に直面する。問題解決の糸口と為るのは『死ぬ順番』を決められるかどうかなのだが・・・」と云う非常に衝撃的な内容でしたが、実際に、私達は今、その「最悪のシナリオ」の危機に直面して居ます。
 只、浦島先生に執筆をお願いし、恐ろしい程迫真性の有る最悪のシナリオを描いて頂いたにも関わらず、パンデミックの危機に関しては十分にイメージ出来ませんでした。今、改めて浦島先生の慧眼に驚くと同時に、自らの不明を恥じて居ます。同時に、日本がコロナウイルスの脅威を前に「最悪のシナリオ」に向かわ無い為に何が必要なのか、それを確り見て置かなくてはと思って居ます。

 日本特殊論の誤謬

 その1つが「日本特殊論」の幻想を持た無い事だと思います。福島の時も最初の1・2日は「日本の技術が有れば、最終的にはメルトダウンは食い止められる」と祈る様にそれでも日本を信じて居ました。しかし、その楽観は3月14日の午前11時に3号機の建屋が爆発した時吹っ飛びました。
 今回も、正直に申し上げれば「日本は何とか持ち応えるのでは無いか」と云う様な、祈りにも似た気持ちが私の中には未だ有ります。専門家会議の尾身茂副座長は「2009年、新型インフルエンザの流行を抑え込んだ成功の体験を基に今回も『日本モデル』で成功する様希望して居る」と述べて居ますが、私もその様な「希望」を持って居ます。
 しかし、もしそう為ったとしても、それを「日本特殊論」詰り日本人は我慢強いからとか、日本人は組織的団結をするからと云ったそう云う或る種の文化論は信じ無い事にして居ます。勿論そうした国民性や民度と云った要素を無視する事は出来ませんが、安全と安全保障はそうした文化論に甘える余地の殆ど無い国力と技術と備えと、冷酷なリスク評価とリスク管理そして確率論的リスクと、そしてリーダーシップの分野です。 

 此処では「最悪のシナリオ」を常に考え、出来るだけ備えて置かなくては為ら無いのです。最後の所それは「小さな安心」よりも「大きな安全」を優先させ無ければ為ら無い心理的且つ戦略的トリアージュの世界です。
 もう1つ、これも福島原発事故とも関連して居ますが、日本の技術は何故、イザと云う時役に立た無いのか・・・と云う敗北感です。危機に際して問題を解決する決め手に為ら無いと云う事です。第2次世界大戦の戸き、日本はゼロ(零戦)と云った匠の芸は有りました。しかし、持続的な量産体制、戦いながら技術を更新し、バックフィットして行く事が苦手でした。レーダーや原子力の様なパラダイム・シフト的な技術革新を生み出す力は備わって居ませんでした。
 福島の時もそうでした。日本はそれ迄「ロボット大国」を誇って居ましたが、原子炉相手にセンサー機能にしても撮影にしても運搬にしても、無人化作業を行うロボットは最後迄出て来ませんでした。最後に駆け着けて呉れたのはアメリカのアイロボット・iRobotです。フクシマの時「負けたな」と云う気持ちと共に「恥ずかしい」と云う気持ちも有りました。

 技術面で日本は明らかに後れを取って居る

 今回も何処かにその様な気持ちが有ります。中国や韓国やシンガポールや香港等感染者の割り出し・追跡・ソーシャル・ディスタンシング警報・人流管理等大胆にデジタル技術を活用し感染拡大を防止し出口戦略を模索して居るのに対して、日本は明らかに後れを取っています。
 少し前迄は「3Dプリンター」で何でも作れると云わんばかりだったのに、人工呼吸器は出来無いのでしょうか。国民を守る為の技術とイノベーションが何故こう迄進まないのか。セキュリティーの為の技術革新とイノベーション、取り分けデジタル・イノベーションが行われ無い。
 細谷さんのご指摘通り、ポスト・コロナの世界には新しい国際秩序が生まれて来る筈です。そして、今後、新秩序を巡って国々の興亡を懸けた賭けた闘争が繰り広げられるでしょう。その時、科学技術とイノベーションの力・・・中でもデータの力を社会課題の為に活用し、国民の安全に役立たせる事が出来る国が、レファレンス・参考事例と力を発揮するでしょう。
 コロナとの戦いと同時に、ポスト・コロナの世界でどの様な地位を得て、どんな役割を果たす事が出来るのかと云う戦いも行われて居るのです。その双方の戦いの最中の今「戦後」を構想する事が出来るかどうか、日本がそうした歴史的役割を果たす時だと思います。


 船橋 洋一 アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長     以上




























別荘地に残された「ヤバすぎる廃墟」 謎の男を追った5年間の観察と最悪の結末の全て




 別荘地に残された 「ヤバすぎる廃墟」
 
 謎の男を追った5年間の 観察と最悪の結末の全て


           〜文春オンライン 鹿取茂雄 5/4(月) 17:00配信〜


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           15年前に発見した岐阜県内の廃れた道

 始まりは15年前の事だった。その日、私は何時もの様にパトロールをして居た。廃墟探索を趣味にして居る私は、未だ誰も知ら無い廃墟を開拓するのが好きで、今も暇を見付けては車で各地を巡回して居る。既にネット等で公開されて居る廃墟を訪れるのとは異なり、何が飛び出すのか分から無いドキドキ感が溜ら無いのだ。

 計画が頓挫した別荘地に残された廃墟
 
 その日は、岐阜県内の人影も疎らな観光地の近くに、廃れた道の入口を発見した。建物が廃れると、そこに至る道も廃れる。詰り、廃れた道の先には廃墟が待って居る事が多い。私が発見した道路は、舗装されて居たものの、路面に落ち葉が堆積し穴だらけだった。左右から伸びた草木を車で掻き分けながら進んで行くと、大き目の枝が車体を擦るキーと云う音が聞こえて来た。余り聞きたい音では無いが、車の傷は廃墟探索を趣味にする者に取っては勲章の様なものだ。
 暫く進んで行くと、その場所の全体像が朧気乍(おぼろげなが)ら掴めて来た。同じ様な廃れた道が縦横に交差し網の目状に伸びて居るのだ。どうやら、別荘地として区画整理したものの計画が頓挫した土地の様だ。同じ様な光景を余所でも見た事が有った。しかし、これと云った建物は見付から無い「今日は空振りかな・・・」と諦め掛けた時、一軒の小屋が見えて来た。

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 小屋の中に広がって居た異様な光景
 
 過つては明るい青色だったと思しきトタン屋根は色褪せ、全体的に赤茶色に変色して居る。道路から見た正面側には2枚の窓が付いて居た様だが、片方は完全に無くなり、そこから建物の内部が見えてしまっている。もう一方は木製の雨戸が残って居たが、此方も所々木が剥がれ、此処が紛れも無い廃墟である事を物語って居た。
 私は車から降りて小屋に近付いた。そして、軽い気持ちで中を覗いたのだが・・その瞬間、異様な光景に背筋が凍り着いた。6畳程の狭い室内に、色鮮やかな雑誌の切れ端がビッシリと敷き詰められて居たのだ。何百枚・・・嫌、何千枚も有るだろうか。しかも、その全てに、裸の女性が写って居る。どうやら、これ等は全て元はエロ本だった様だ。

 雑誌は全て刃物で切り刻まれて居た
 
 予想外の展開に戸惑いながら中に入った。その部屋には、バラバラに為ったエロ本の紙切れが20センチ程堆積して居た。これは、飛んでも無い量だ。本能的にこの空間のヤバさを感じ取り、心臓の鼓動が大きく為る。警戒しながら室内を見渡すと私は有る事に気が付いた。
 これ等の切れ端は、単に雑誌がバラバラにされたものでは無く、全て刃物で切り刻まれたものだったのだ。しかも、大きさはどれも異なる。詰り、マトメて裁断したのでは無く、1つずつハサミで切り取られて居ると云う事だ。それ迄も多くの廃墟を見て来たが、これ程戦慄した事は一度も無かった。夕暮れ時だった事もあり気味が悪く為って早々に退散した。

 1年後に再訪してみると・・・

 その後も、アノ小屋で見た猟奇的な光景を思い出す事は有ったが、私は近寄ら無い様にして居た。それでもどうしても気に為り、再訪してしまったのは1年以上が過ぎた日の事だった。
 久々に中を覗き込むと、積み重ねられた切れ端の量も内容も前回とは変わって居た。何者かが雑誌の切れ端を大量に持ち込み、更新して居る様だ。この小屋の猟奇さが更に増した気がした。此処で一体何が起きて居るのか。こんな事を続けて居るのはどんな人物なのか。
 この小屋の事が気に為り、好奇心が止められ無く為ってしまった。以後、私の訪問ペースは格段に上がって行った。

 小屋に潜む者からのメッセージ

 朝から雨が降って居たその日も、小屋へと至る廃れた道を走って居ると、道中に木が倒れて居た。車から降りて倒木を除け様とした時、フト木の根元を見ると、ナタでバッサリと切り落とされて居る事に気付いた。木が自然に倒れたのでは無く、何者かが切り倒して道を塞いだのだ。
 誰がこの木を切り倒したのか・・・その理由も含めて安易に想像が着いた。小屋に潜む者からの「ここに来るな!」と云うメッセージだ。
 このママ進んで、もしも当人と鉢合わせしたら・・・そう考えると、躊躇せざるを得無かった。しかし、好奇心には勝て無かった。折角此処迄来たんだから少しだけでも・・・そんな思いで先を急ぐと、小屋の前には、真新しい飲み掛けのペットボトルが放置されて居た。

 恐る恐る小屋を覗き込むと、矢張り切れ端は更新されて居る。しかし、背後が気に為って、気が気では無い。こうして居る間にも、何時彼が現れるとも限ら無い。しかも、その人物はナタを所持して居るのだ。数分で早々に切り上げて車に戻ると、暑く無いのに大量の汗を掻いて居た。

 遂に彼と遭遇する日が遣って来た

 小屋の観察を始めて数年が経った頃、私はソコで見た光景を自分のホームページで紹介する様に為った。観察開始から4年も経つと探索仲間が何人か出来、回数を重ねる内に様々な事が分かって来た。雑誌の切れ端は小屋だけに留まらず、付近の山林数か所に於いて広域的に観察される事。又、切れ端と共に惣菜類のゴミや空き缶・スポーツ新聞等も捨てられて居る事。
 それ等の残留物から、彼の嗜好や訪問月日を推測し、私達は勝手に人物像を想像して居た。そして、遂に彼と遭遇する日が遣って来た。

 その日、探索仲間と一緒に現地を訪れると、小屋の横に1台のセダンが停まって居た。コレは、ヒョットして彼かも知れない。逸る気持ちを抑えて遠巻きに観察すると、彼はマサにハサミを使って、車の中でエロ本を切り刻んで居た。嫌、切り刻むと云う表現は適切では無かった・・・切り取って居た。だが、丁寧に切り取る割りに、切った後には興味が無いらしく、そのママ小屋や山中に捨てて居たのだ。
 その日を境に、私達は何度も彼と遭遇する事に為った。初めの内は、彼は私質の事が視界に入っても完全に無視を決め込んで居たが、何度も顔を合わせる内に、次第に言葉を交わせる様に為った。

「僕は切って居ない」と彼は言った

 只、彼はトテモ人見知りが激しく接触には気を使った。仲間の中から最も話が合うメンバーを一人選定し、他は離れた場所で待機して居た。そのメンバーは、先ず雑談で盛り上げた後、何故エロ本を切るのかと本題を切り出した。
 しかし彼は「僕は切って居ない」の一点張りだった。そして「遠くから不法投棄しに来る奴が居るんだ」と、不可解な言い訳を放った。私達の目の前で切って居るのに・・・その後も、我々と彼との不思議な交流は続いた。それと並行する様に、彼は小屋周辺に留まる時間が増えて行った。だが、事態は此処から思わぬ展開を見せる。男が小屋の前で、車上生活を始めたのだ。そして1ヶ月後・・・最も恐れて居た事が起きた。

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 小屋執り付かれた日々の終わり
 
 或る週末の午後、探索仲間の一人から「今、警察の事情聴取を受けて居ます」とのメールを受け取った。詳細を聞くと、小屋の前で男の死体を発見し通報したのだと云う。
 発見した時には、彼は小屋の前で倒れ既に事切れて硬直して居る状態だった。警察や消防が駆け付け、付近は緊迫した空気に包まれたと云う。ハッキリとした死因は判ら無いが、車上生活を始めてからはキチンと食事を摂る事も無く為って居た様だ。

 後日、私は第一発見者と為ったメンバーと共に現場を訪れ、お線香を挙げて献花した。最悪の結末を迎えてしまったが、何時かこう為るんじゃ無いかと云う予感が頭の片隅に有ったのも事実だった。何とか防ぐ事は出来無かったのか。そんな事を思いながら、心からご冥福をお祈りした。約5年に及ぶ“小屋に取り着かれた日々はこうして終わった。


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                 撮影・文 鹿取茂雄

                   以上






















経済と命の比較が全てを狂わせる




 経済と命の比較が 全てを狂わせる

          〜ニューズウィーク日本版 小幡績 5/4(月) 14:53配信〜


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  ゴールデンウィーク中にも関わらず人毛が無い東京駅前(4月27日)Issei Kato-REUTERS

 〜新型コロナウイルス対策で、日本だけが世界で迷走を続けて居るのは、経済より命が優先と思考停止に陥って中途半端な自粛要請と腰の引けた経済対策ばかり繰り返して居るからだ〜

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          文 慶應ビジネススクール准教授 小幡績氏

 日本のコロナ対応の政策が間違ってしまう理由は、経済と命を比較して居る事に尽きる。そして、その比較の結論が逆に為って居る事が致命的に日本を滅ぼす。 今回の緊急事態宣言の延長が本来で有れば不必要であったにも関わらず実行された理由が此処に有る。
 延長決定の経緯に付いての報道を読むと、1年延長の強硬論も有ってこれに比べれば5月末と云うのは、比較的最小限に見えてしまったと云う失敗も有る様だが・・・そう云う意味で、専門家会議のメンバーの、恐怖を煽って自己主張を通すと云う戦略は成功したのであるが・・・どうも最大の理由は、専門家メンバーでも穏当なグループも、延長し無かった場合に人々に「緩み」が出てしまう事を一番恐れて延長が望ましいと主張し、これが大勢を占めて決定されたようだ。
 愚かだ。詰り、緩ま無ければ必要が無かった訳で、それなら延長せずに「緩むな!」と伝えれば好いだけの事だ。それなのに人々は、どうせ緩むと云う不信感に依る不安で延長と云う手段に出た。

 自粛を「お願い」する矛盾

 世界で日本だけがコロナ対策で迷走して居るのは「自粛要請」と云う論理的に破綻した手段に拠って居る事に尽きる。緊急事態宣言と云うのは、戦時動員体制・戒厳令に近いものであるから強制力が無ければ意味が無い。導入の時の野党の反対・世論の圧力に依り、中途半端な緊急事態法制に為ってしまったのが直接の敗因だ。
 失業や倒産への対策・救援策は必要だが、それは補償では無い、有り得無い。普通の法制なら命令だから、補償する必要は無い。ソモソモ補償する必要は無い。国民の為・社会の為・国の為に行って居るのだから、補償は悪い事をする代償で有るから、国の為に緊急事態宣言をして居るのだから補償は有り得無い。

 しかし、個人商店も有権者も自粛の代償を求めた。その慰謝料が休業お礼見舞金であり、10万円のお見舞金である。これは何度も述べた事だ。今回の問題の一番目は、緩むと云う不信感を強く持って居る人々に対して、その人々を信頼し無い事には成立しない「自粛要請」と云う手段でお願いして居る事だ。
 論理的に上手く行く筈が無い。そして、もう1つ重要なのは、経済と命と云う2つの目的に対する手段の割り当ては180度逆に行って居る事だ。今回、何が何でも延長すると云う結論を出した理由は、命を救う為と云う事だ。少なくともそのポーズを執る事を最大限優先すると云う事だ。

 経済は好いのか?

 経済が死ぬのはコロナの所為?好いのだ。それは政策の所為では無い、コロナの所為だ。経済が滅茶苦茶に為っても、アア・・・コロナだったから仕方ないね。しかし、命がひとつでも失われると、特に有名人の命が失われると、命には代えられ無いと云う論理が台頭し全ての事が許される。
 非合理で有っても矛盾が有っても妥当で無くとも、そして、命を救う為に実際には逆効果で有っても、命を守る為に行って居る事は全て許されるのだ。

 しかし、政府に出来る事は逆である。政府が何をしようとコロナに直接働き掛ける事は出来無い。それは科学であり医学でありそして人々自身の行動・対策である。政府はそれを促す事しか出来無い。そして、それを促す手段としては、日本政府は最弱の手段しか持って居ない。
 強制力の全く無い緊急事態宣言・・・刀の入って居ない鞘だけしか持って居ない。鞘で十分国民を脅せると思って居るらしいが、万が一、1回目は脅しを信じても、経験すれば鞘の中に刀は納まって居ない事を誰もが知ってしまう。

 感染症が来る度日本は衰退する

 一方、経済に対しては、政府は直接働き掛ける事が出来る。経済活動を活発にしたりカネを直接出したり、命に直接関わら無いから、合理的に判断出来、効率的な経済対策は本来は議論出来、実施出来る可能性が有る。論理的には有る。
 処が、命優先である。命は何ものにも代え難い。そこで思考停止である。そして、全てはコロナの所為に出来る。しかし、政治が命を一つでも犠牲にして経済を優先すると、政治は徹底的に非難される。役人は非難される。こんな詰まら無いコラムを書いて居る人間にも非難が殺到する。

 そして、結果がどう為ろうと、命を守ろうとして頑張ったんだからしょうが無い。そして、失われた命に対しては涙を流して後は忘れるのである。政府の政策では、命は直接は救え無い。科学と医学を側面的に支援する事しか出来無い。
 経済には直接働来掛ける事が出来る。しかし、国民は、前者に全力を尽くし、後者は諦める事を政治的には許容する。政府に出来無い事を要求し、出来る事はさせ無い・・・それが日本だ。

 その結果が、現在の混乱である。感染症は、21世紀、嫌次の10年間に限っても何度も来る。その度に、日本は衰退して行くだろう。


 *この記事は「小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記」からの転載です

 小幡績 慶應ビジネススクール准教授       以上









 【管理人のひとこと】

 この文章を3度読み返した・・・私には何度読んでも意味が通じ無かった。何を言いたいのか・・・その結果が、現在の混乱である。感染症は、21世紀、嫌次の10年間に限っても何度も来る。その度に、日本は衰退して行くだろう・・・文末のこの数行に凝縮されて居るのだろうが、この様な悲観的意見を発表して、国民に向けて警告を発して居るのだろうか?
 コロナ対策の政府の役割とは命に関しては無力である。・・・それは科学で有り医学で有りそして人々自身の行動・対策で有る。政府はそれを促す事しか出来無い・・・だから政府は国民に自制・自粛を促す事しか出来無いと云う。
 先ず果たしてそうなのか・・・先ずは初期から政府が全面的に主導権を握ってそれを指導し指揮して居たでは無いか、医学・化学・科学全てを集め、そしてPCR検査を意図的に抑制し全体的把握を遅らせ・・・と全て「命」に関わる事に口と手を出し続け・・・現在に至るではないか。
 政府の命令だから保障は不要だ・個人商店も有権者も自粛の代償を求めた・・・自粛の代償を求めてはいけ無かったのか? 国民が間違って居たのか? 自粛命令と保障をセットにしろと云ってはいけなかったのだろうか?
 恐らく御用学者として、政府の失敗を誰かの所為にする言わば「云い訳・誤魔化しキャンペーン」の一つだろうが、論理が初めから最後まで破滅している。依って、筆者の云わんとするものが読者には一つも理解できずに終わって、日本は衰退して行くだろうとの捨て台詞で終わって居る。