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2020年02月14日

首相補佐官とスイートルーム外遊 それでも 厚労省女性幹部が更迭され無い理由


 

  「首相補佐官とスイートルーム外遊」

 それでも 厚労省女性幹部が更迭され無い理由


  〜プレジデントオンライン フリーランス麻酔科医・医学博士 筒井 冨美 2/14(金) 20:15配信〜


         2-14-35.jpg

            フリーランス麻酔科医・医学博士 筒井 冨美

 「安倍首相補佐官 海外出張でも公私混同の疑い 厚労省女性幹部とコネクティングルーム宿泊」
 
 『週刊文春』にそう報じられた「厚労省女性幹部」は、2月6日、新型コロナウイルスに関する記者会見に堂々と出て来た。何故更迭され無いのか。麻酔科医の筒井冨美氏が考察する・・・

          「公費で京都不倫出張」疑惑の厚生女性官僚がノコノコ出て来るワケ
 
 新型コロナウイルスによる肺炎のニュースが日々報道されて居る。感染者が増える中、厚生労働省は連日会見を開いて居る。2月6日は「ダイヤモンド・プリンセス号における集団感染」に関する会見が在ったが、そのニュース映像を見て筆者は「マサか」と驚いた。
 厚労省を代表して会見に登場した女性官僚は『週刊文春』(2019年12月19日号)で「公費による京都不倫出張」と云う疑惑を報じられた大坪寛子厚労大臣官房審議官(52)だったからだ。

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 2011年に「部下との路チュー写真」を報じられて辞職した原子力保安院の審議官 2018年に「女性記者へ『胸触って好い』発言」を報じられて辞職した財務省の事務次官等、高級官僚の世界は異性とのスキャンダルには厳しい。にも関わらず、現在も要職に在り記者会見にも出られるのは何故か。その一つは彼女が「医系技官」と云う「医師免許を持った官僚」で有るからだろう。

 『週刊文春』は2020年2月13日号でも「安倍首相補佐官<和泉洋人>美人官僚と税金でスイートルーム外遊」との見出しで、和泉補佐官が昨年9月に大坪審議官と海外出張した際、ホテルの部屋割りを巡って外務省に異例の要望を出し、2人の部屋が繋がって居るスイートルームに宿泊する等公私混同の疑いがある事等を報じて居る。
 大坪審議官はこの疑惑に付いて衆院予算委員会で「和泉補佐官が体調を崩したから」と衆人環視の中で臆面も無く回答した。今回は、この医系技官と云うシステムに付いて解説してみたい。

 「東大法卒」だけでは無いキャリア組官僚の世界
 
 キャリア組官僚と言えば、何と云っても「東大法学部卒」である。「国家公務員試験合格中央官庁課長・局長・次官と出世レース」と云うイメージが強い。しかし国家公務員総合職(旧一種)試験では「法律」「経済」の様な人文系の他に「工学」「物理」「化学」「自然環境」の様な理系分野も募集されて居る。

 大まかに言えば、人文系は事務官として広い知識が要求され、理系は技官として専門分野の深い知識が要求される。そして医系技官とは「医師免許を持った国家公務員総合職」であり、国家公務員試験無しで厚労省キャリア組としての就職試験を受ける事が出来る。

 医系技官とは「医師」と「官僚」の最強ハイブリッドである

 医系技官の採用は厚労省が窓口と為って居り、その数は現在約280人。厚労省本省や地方厚生局・検疫所等の付属機関で働くケースが多い。内閣官房や環境省・文科省等に出向するポストもあり、国立病院やオリンピック組織委員会、更には国連・世界保健機構と云った国際的分野で活躍するコースもある。
 勿論厚労省には法学部卒の事務官も勤務して居る。記憶に新しいのは、2017年6月、秘書を「このハゲー! 」と罵倒するパワハラ音声を『週刊新潮』に報じられた豊田真由子元衆院議員だ。豊田氏は「東大法学部卒厚労省入省ハーバード大院留学」と云う経歴で、キャリア組官僚として典型的なキャリアパスだった。

 過つて医系技官は「出世しても局長レベル迄、官僚トップの事務次官には事務官で無いと為れ無い」と言われて来たが、2017年には次官級の医系技官ポストとして「医務技監」が新設されて居る。しかしながら「医師として成功」「官僚としての出世」を両立する事は困難だ。

 初代医務技監の鈴木康裕氏や新潟県副知事を務めた北島智子氏等「厚労省内の出世コース」を歩むには、医学部卒業後に医師キャリアを重ねるよりも「卒業して直ぐ中央官庁に入り、官僚として多様な部署を経験」する「生え抜き組」が有利である。
 一方で「感染症対策」「国際貢献」等、医師キャリアを積んだ後に担当したい職務を明確にして入省する「中途採用」パターンもあるが、コチラは出世も限定的であり、数年間の医系技官経験の後には病院や研究機関等に再度転職するケースが多い。

 『週刊文春』2020年2月13日号が報じた「コネクティングルーム疑惑」で、一部のメディアでは大坪氏を「異例の出世」と報道して居る。確かに、彼女は16年間の医師キャリアを経てからの中途入省にも関わらず、2015年に内閣官房に出向した直後に審議官と云う主要ポストに抜擢されて居る。

 「医系技官」は最近のドラマや映画にシバシバ登場する花形

 最近、医療ドラマが数多く制作されて居るが、この「医系技官」が登場するドラマは余り無い。海堂尊の長編小説『チーム・バチスタの栄光』に登場する白鳥圭輔は「厚生労働省・大臣官房秘書課付技官兼医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長」と云う肩書で大学病院に多発する医療事故を解決する。
 映像化もされて居て、映画(2008年公開)では阿部寛が、又テレビドラマ(2009年放映)では仲村トオルがこの役を演じて居る。筆者が見た処、恐らく白鳥圭輔がドラマに初登場した医系技官だ。

 又、映画『シン・ゴジラ』(2016年公開)に登場する厚生労働省医政局研究開発振興課長の森文哉(演・津田寛治)は、ストーリー中で医系技官と明示された初めてのドラマでは無いだろうか。彼のセリフ内に「遺伝子情報の解析」「血液凝固剤」等が度々登場し「医師免許を持って居る」事を匂わせて居る。

 「医系技官」がアンチ厚労省に走り易いワケ

 図表に、歴代の医系技官の著名人をマトメた。特徴的なのは、在職中に「アンチ厚労省」の本を出版したり、退職後にテレビのニュースバラエティ番組等で厚労省批判のコメンテーターと為ったりする人材が目立つ事だろう。
 国交省や農水省等にも「土木」や「森林」等の分野で技官が採用されて居るが、退職後に元職場の批判活動をする様なケースは殆ど無い。理由は簡単だ。「官僚は、辞めればタダの人」だからだ。

 キャリア組官僚の生涯収入は、現役中よりも退職後の再就職先に依存する部分が大きいと言われる。そして再就職先を確保する為には出身省庁と揉め無い事が必須と為る。女性スキャンダルが報道された原子力保安院の審議官や財務省の事務次官が役所と争う事無く辞めたのも「再就職先の確保」と云う生命線を握られて居るからであろう。

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  2020年1月29日 参院予算委員会で山中伸弥氏が所長の京都大iPS細胞研究所の事業予算に関しての質問を聞く厚生労働省の大坪寛子官房審議官 写真 毎日新聞社 アフロ

 では、医系技官はどうか。こちらは「官僚を辞めても医師」で有り続ける。大坪審議官は元々、私立医大・東京慈恵会医科大学の学費約3000万円を出せる富裕層の家庭の出身者であり、医師免許が有れば役所を敵に回しても食べて行くには困ら無い。そうした背景が、アノ厚労省での記者会見や衆院予算委員会での「ヤケに堂々とした答弁」には有るのでは無いだろうか。自分もそうだが、医師免許を持った女が開き直るとトテモ怖いのである。

 大多数の医系技官はマジメな公務員
 
 とは云え、大多数の医系技官はアンチ本等書か無い真面目な公務員である。医師免許を持って居れば、モッと楽に稼ぐ事が可能なのに「国際貢献」「医療IT化」等の社会貢献を目指して入職した若者も多い。国会待機やコピー取り等不毛な雑用も多い。薄給・長時間労働・多い転勤・古い官舎・・・そうした中「京都アーン不倫」「コネクティングルーム不倫」の疑いを持たれた大坪審議官の存在によって、新型コロナ対策を含む、医療の最前線で働く医系技官に対する世間の目が一層厳しく為ってしまわ無いか心配である。


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 筒井 冨美(つつい・ふみ)フリーランス麻酔科医・医学博士  地方の非医師家庭に生まれ、国立大学を卒業 米国留学・医大講師を経て2007年より「特定の職場を持た無いフリーランス医師」に転身 本業の傍ら2012年から「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」等医療ドラマの制作協力や執筆活動も行う 近著に「フリーランス女医が教える「名医」と「迷医」の見分け方」(宝島社)「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」(光文社新書)

    フリーランス麻酔科医・医学博士 筒井 冨美    以上






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小池栄子39歳『八日目の蟬』の悔しい思いを経たヒロインの覚悟とは




 小池栄子39歳 『八日目の蟬』の悔しい思いを経た
 
 ヒロインの覚悟とは


            〜webマガジン mi-mollet 2/14(金) 15:18配信〜


        2-14-21.png

                  mi-mollet(ミモレ)

 太宰治の未完の原作をベースに、演出家ケラリーノ・サンドロヴィッチが書き上げた戯曲を舞台化したロマンティック・コメディ『グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜』 
 戦後の日本を舞台に、優柔不断で憎め無い編集者・田島周二が、数多の愛人達との関係を解消する為に、「偽装妻」である美女・キヌ子と共に彼女達を訪ね歩くと云う物語です。美女ではあるけれど大食いで怪力・・・と云うこのキャラクターを、舞台版で生き生きと魅力的に演じたのは、俳優の小池栄子さん。
 映画化に際して「同じ役を演じるのは……」と云う躊躇いも有った様ですが、それを覆したものは、一体何だったのでしょうか?



 小池栄子39歳『八日目の蟬』の悔しい思いを経た ヒロインの覚悟とは

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 映画版で田島周二を演じるのは大泉洋さん コピーライトマーク2019「グッドバイ」フィルムパートナーズ 配給キノフィルムズ

 「小池をヒロインに、絶対に映画化したい」と電話が掛かって来た

 お互いに「正かコイツなんかと・・・」と思って居た、優柔不断のモテ男・田島周二と、気の好い豪快な美女・永井キヌ子。夫婦を偽装して愛人達を訪ね歩く内に、二人は距離を縮めて行きます。サテ、二人は一体何処で恋に落ちたのか? 舞台でも映画でも、スタッフとそんな話をしたと小池さんは語ります。

 「田島がキヌ子に持ち掛けた計画に付いて、二人が初めてご飯屋さんで交渉する場面があるんです。仲村トオルさんが演じる舞台版の田島とは、お互いに目を見て直球でブツカリ合う感じで、キヌ子は『この交渉には私が絶対に勝つ』と思って居るんですよね。
 でも映画版の大泉さん演じる田島は、目線を外したり、ハグラカサレル様な感じが有り、チャンと伝わってるのかなとキヌ子がヤキモキして来る。最初から、何か勝てる気がしないんです。映画ではその後に恋に落ちた場面を或る程度判り易く作って居るのですが、最初からそう云う感じ・・・
 恋愛経験が無いキヌ子に取っての、初めての感情みたいなものは、大泉さん演じる田島に有ったんだと思います。芝居って共演者によって全然変わるんだな、面白いなと改めて思いました」


 俳優の喜びの一つは「小池にこう云う役を遣らせたい」と求められる事、そうした関係それ自体が嬉しいと小池さん。
 自分の気持の中で既に終わった役を、再び演じる事には抵抗が有りましたが、それでも引き受けたのは、映画『八日目の蟬』でご一緒した成島 出(なるしま いずる)監督の存在が大きかったと言います。

 「舞台版の『グッドバイ』を見た後に、物凄く興奮した感じで電話を頂いて、その時に『小池をヒロインに、絶対に映画化したい』と仰って下さって。『八日目の蟬』の後にも『何時か君をヒロインに映画を撮ろうと思う』と云うお手紙を頂いたんですが、本気で言って下さって居たんだなと。決まった時はドキドキしましたし、凄く嬉しかったですね」.

 『八日目の蟬』での悔しい思い出 ヒロインを張れる人の違いを知る

 『八日目の蟬』の現場で、小池さんの心に強く残って居る事があります。それは、主演の井上真央さんと友人役の小池さんが、片田舎の写真館から出て港に走ると云う場面を撮影した撮影最終日の事。

 「当時は未だフィルム撮影だったし、日落ち寸前で何テイクも撮れる状況では無くて。結局3テイク遣ったと思います。
 1テイク目は『良かったけど、もう1回やろう』と。2テイク目は『真央ちゃんがスッゴイ良かったけど、栄子ちゃんはサッキの方が良かった』最後の3テイク目では何も言葉が貰えず、何で1テイク目に遣れた事を、もう一回出来無かったんだろう・・・って落ち込んで。
 そうしたら監督が仰ったんです『そう云うトコキメられるのがヒロイン何だよ』って。そうだよな、って思ったんですよね。真央ちゃんがどうこうと云う事では無くて、詰まり持ってる人ってそう云う事だし、映画としては主演俳優が好かったテイクを使うのが当たり前だし・・・兎に角監督のその言葉がズーっと心に残って居て。だからコソ、何時か成島作品でヒロインを演じたいと思って居たんです・・・と、今回、監督にもこの話をしました」


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 実はこの映画でも、似たような局面がありました。非常に大事な場面で、手が掛かる為に何度もは繰り返せず、撮影は日落ちのタイミング。

 「その撮影の1テイク目で、何故か頭が真っ白に為って、セリフが出て来なかったんです(涙)『八日目の蟬』のアノ撮影が、マルで走馬灯の様に頭の中にバーっと蘇って来て。絶対にキメないとダメだって思い過ぎて、チョット怖いって思っちゃってたんですよね」

 勿論その後の撮影ではリベンジを果たし、場面は映画の見事なクライマックスに為って居ます。コンなエピソードにも、小池さんの人柄と俳優業に対する思いが滲みます。

 苦手な事を無理して克服し無くても好いと思える様に

 ここ数年はメキメキと俳優としての存在感を増して来た小池さんですが、それ以外の分野でもマルチに活躍して居る印象があります。

 「挑戦する事が怖いナと思う様な仕事もありますよ。でも或る時、凄く信頼して居た友達から『期待されてる、期待以上の結果を出したいと思うから、不安に為るんじゃん?』って言われて、それが腑に落ちたんですよね。
 『どれだけ自己評価が高いんだよ。周りは大して期待して無いって思えば、モッと楽に為るんじゃないの』って。多分苦しく為ってしまう人って、そのオファーを失いたく無い、そのポジションにシガミ付きたいと思い過ぎて居るんじゃないかと思うんですよね。後、直ぐにモノにして評価されたいと思って居るのかも。私自身、例えば『カンブリア宮殿』何て、10年超える位迄ズッと緊張しっパなしでした」


  同時に、30代後半辺りからは「自分が出来る事と出来ない事、得意な事不得意な事」が見えて来て、それを覆そうと躍起に為る事が無く為ったのだとか。

 「私が苦手なのは、ゼロからイチを生み出すと云う作業です。与えられたものを1から3に、1から5にと云うのは大丈夫なんですけど。同世代にはコンな作品が遣りたいこの監督と遣りたいと云う具体的な目標を持って遣って居る役者さんも居ますが、自分は若い頃からそう云うのが余り無くて。
 20代の頃はそれがコンプレックスで、何か作らナキャ考えナキャって思って居たんですが、歳を重ねて、色んなタイプの人が居て好いんじゃないかと思える様にも為りましたね」
.

 お芝居の仕事は、旅に出た様な幸福感がある

 20代の頃は多く出演して居たバラエティ番組に対しては、自分の言葉で瞬発的に笑いを作る芸人さんの「ゼロイチ」のスゴさを見るに付け「自分には遣り切れ無い」という思いがあったと云います。そんな中で見付けたのがお芝居の楽しさでした。

 「お芝居の役って、自分とは違う人が作ったものじゃないですか。でも、長期に渉る撮影で役に付き合って居ると、最初は全然共感出来なかった感情が、何時の間にか自分のものに為って居たりする。作品を遣る毎に役に教えられ自分の感情が豊かに為って行き、何処かに旅に出た様な幸福感があるんですよね」

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 小池栄子 1980年生まれ 東京都出身 1998年 TVドラマ「美少女H」で女優デビュー 2008年主演映画『接吻』で毎日映画コンクール女優主演賞やヨコハマ映画祭主演女優賞などを受賞。映画、舞台、TVと幅広く活躍。主な出演作は映画『パーマネント野ばら』『乱暴と待機』(10)『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(18)『記憶にございません!』(19)ドラマ「わたし旦那をシェアしてた」(19)「俺の話は長い」(19)など多数。成島出監督作品は、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した『八日目の蟬』(11)のほか、『草原の椅子』(13)『ふしぎな岬の物語』(14)『ちょっと今から仕事やめてくる』(17)がある。

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 小池さんが演じるキヌ子初め、愛人達一人一人の衣装も見所の一つ。コピーライトマーク2019「グッドバイ」フィルムパートナーズ 配給 キノフィルムズ


 <作品紹介>『グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜』2020年2月14日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー

 没後70年を経ても尚人気の衰え無い昭和の文豪・太宰治。彼の未完の遺作を、鬼才・ケラリーノ・サンドロヴィッチが独自の視点で完成させ、舞台で上演したのが2015年。
 この舞台「グッドバイ」は観客を笑いと多幸感で包み込み、第23回読売演劇大賞最優秀作品賞に輝いた。情け無いのに何故かモテるダメ男・田島役に大泉洋、美貌を隠し我が道を生きるパワフル女・キヌ子には、舞台版で同役を「当たり役」とした小池栄子と云う最強キャストを得て、新たな魅力に満ちた人生喜劇映画として生まれ変わる。
 共演は、水川あさみ・橋本愛・緒川たまき・木村多江・濱田岳・松重豊と云う華麗な実力派俳優陣。監督は『八日目の蟬』で日本アカデミー賞最優秀監督賞に輝いた成島出。嘘(にせ)夫婦の計略を見届けた時、アナタの人生もモッと愉快に輝き出す―!


 撮影 塚田亮平 ヘア&メイクアップ/山口公一(スラング)スタイリング えなみ眞理子 取材・文 渥美志保 構成/川端里恵  小池 栄子    以上



 【管理人のひとこと】

 丁度最近、女房と小池英子氏の話をした処でこの記事にお目に掛かった。最近のTVドラマで面白かったのが「俺の話はながい」だったので、彼女の最近の安定した活躍が「何故」なのかを夫婦で論じて居たのだった。丁度この年齢の女優が少ないのか?との私の問いに「そんなことは無い、彼女の実力でしよう・・・」との答えだったのだが、杏ちゃん主演の「偽装不倫」でも恋人の姉を演じた自然な演技も決まって居た。
 どの様な役も控え目に出しゃばらず、確りと脇を締める重要な役を熟している・・・これが実力なのだろう。「俺の話はながい」でも主人公の姉の役で、コミカルで何て事も無い昔の姉弟喧嘩が重要な伏線を持って居たりした。心から弟を心配し、何とか正業に就かせ様とする姉の気苦労が実らず翻弄されるのだが、根は優しく朗らかでテキパキしたキャリアウーマン。それをそのママの個性の様に演ずるのが実力なのだろう。
 恐らく、身体も調子好く心身共に充実する毎日を送られて居るのだろうが、真実は、何事にもチャレンジするのを厭わないその気前の良さと努力で補われた人生観でもあろう。









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国民の命を守る為 安倍内閣総辞職を





 国民の命を守る為 安倍内閣総辞職を

     〜郷原信郎   郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士  2/14(金) 9:31〜

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 新型コロナウィルスで、日本国内で感染経路の判ら無い感染者が多数確認され、又、初の死亡者も出た事で、昨日から事態の深刻さは一気に高まった。ザルの様な「水際対策」に頼り「37.5度以上の発熱」「呼吸器症状」に加えて「湖北省への渡航・居住歴」を検査の条件として居た事で、多くの感染者が「水際対策」をスリ抜け、日本国内で急速に感染が拡大して居た事は明らかであり、日本政府の対応の拙劣さは、全く弁解の余地が無い。

 横浜港で停泊中のクルーズ船ダイヤモンドプリンセスでは、3000名を超える乗客乗員が船内に閉じ込められ、感染者が急増して居り、下船した乗客の多数が重症と為って居る。乗員乗客を長期間船内に閉じ込める対応が不合理極まり無いものである事が指摘され、国際的な批判が相次いで居る。

 クルーズ船の日本政府対応 海外で非難の声も・・・常識的に見て、政府の対応は「船内監禁感染拡大事件」と言って好い大失態だ。この様な政府の対応に対しては、早くから、上昌弘氏・医療ガバナンス研究所理事長が、1月24日の時点で既に「新型肺炎」日本の備えに不安しか募ら無い理由・・・で問題を指摘して居た。又、船内検疫の専門家の指摘も相次いで居た。
 余りに拙劣な日本政府の対応によって、国民を新型ウイルス感染の重大な危険と恐怖に晒す事に為ったのは何故なのか。その「根本的な原因」は何処にあるのか。

 7年以上も続いた安倍政権下において、官僚の世界が強大な政治権力に支配され、自己保身の為の忖度ばかりして都合の悪い事は隠蔽する事が罷り通って来た。そう云った緊張感の無さが常態化してしまった事による「官僚組織の無能化」が根本的な原因としか考えられ無い。
 それは「桜を見る会」問題に見る、政権の意向を唯々諾々と受け入れるしか無い官僚組織の対応とも共通する。

 安倍政権の危機管理能力の欠如は、森友・加計学園問題の際にも指摘して来た・・・籠池氏問題に見る”余りに拙劣な危機対応”・加計学園問題のアラユル論点を徹底検証する 〜安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」
 只、これ等の問題は、その拙劣さが政権内部の問題に留まって居た為、国民に被害・損失を被らせる事には為ら無かった。しかし、今回の新型コロナウイルスの問題は全く異なる。今後、日本政府の適切な対応が行われ無ければ、多くの日本国民が生命の危険に晒される事に為る。

 では、今の安倍内閣に、国民の生命に危険が生じて居る状況への適切な対応が期待出来るだろうか。それは「絶望的」と言わざるを得無い。これ迄多くの問題に対して安倍内閣が行って来た事に照らせば明らかであろう。
 最大の問題は、これ迄の安倍内閣は、政権の維持・責任の回避を最優先し、問題の根本に目を向けようとして来無かったと云う事だ。今回は、何より国民の生命が最優先されるべきだが、果たして安倍内閣にそれが行えるのか。全く期待出来ない。

 日本政府の適切な対応の障害に為り得るのが、先ず、今後の感染の拡大如何では、今年の夏開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックへの影響が生じ兼ね無い事だ。勿論「国民の生命」と「東京五輪の開催」と、ドチラを優先すべきかは言う迄も無い。しかし東京五輪開催中止が日本経済に与える影響が、安倍内閣の判断に様々な影響を及ぼす可能性がある事は否定出来ない。
 また、最大の懸念は、これ迄の日本政府の拙劣な対応の責任を回避する事を優先する対応が行われ、当初の中国で問題に為った様な、責任回避の為の隠蔽的な行為が行われる恐れもある事だ。「桜を見る会」問題での対応を見れば、最早この点に付いて、安倍内閣を信頼しろと言っても無理だ。

 この様な日本政府の大失態に対して、今後、野党が国会で追及姿勢を強めて行くのは当然だが、それが政府の対応を益々「自閉的」にする事に為り、政府の対応を一層混乱させる可能性もある。
 この様な状況において、国民の生命を守る方法は「安倍内閣総辞職」しか有り得無い。そして、この危機的な状況を突破する為の超党派の「大連立内閣」を作る事だ。危機的な状況を脱したら、再び内閣総辞職し、総選挙によって、新たな国会の下で政権を組織すれば好い。

 「内閣総辞職」によって、国会でのこれ迄の安倍内閣の失態や失政に対する論戦には一気に終止符が打たれ、国会での論戦を、危機対応の為の重要な議論の方に向ける事が出来る。そして、元々有能で有る筈の日本の官僚組織も、安倍政権による「責任回避」の呪縛から逃れ、国民の生命を守る為に、自ら考え主体的かつ積極的な行動を起こす事も期待出来る。
 新型コロナウイルスから国民の生命を守る為に「安倍内閣総辞職」を求める声を上げて行く事が出来るのは、我々国民しか無い。



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 郷原信郎 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士 1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。
 これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。


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望月『東京』記者に示した『毎日』官邸キャップの忠告の中身




 望月『東京』記者に示した 『毎日』官邸キャップの忠告の中身

               〜週刊金曜日 2/14(金) 13:28配信〜


 「アナタのツイートを削除して欲しい」 『毎日新聞』政治部の官邸キャップは『東京新聞』社会部の望月衣塑子記者にそう迫った。

 「質問が下手過ぎる」「質問は国会が終わった後に」男の口から次々と飛び出して来た。菅義偉官房長官の記者会見で厳しい質問をブツケル望月記者への苛立ちを吐き出して居るかの様だ。

 「会社の方に聞いて下さいと云うコメントで好いですね?」突然、確認を求められた。翌2月6日早朝『毎日新聞』デジタル版は「『望月記者は指させ無い』事実に反するツイート拡散 菅長官会見巡る異常事態」と云う番記者による記事を配信「望月氏は『会社を通じて下さい』とだけ述べた」と掲載した。

 政治部記者の本音か

 手元にある2人の遣り取りの記録(概要)には政治部記者の本音が露骨に現われて居る。2月5日午前。菅長官の記者会見が終わり会場を出た望月記者は先述の官邸キャップに呼び止められた。

  「予算委員会は今一番忙しい時期だから時期を間違えちゃいけ無い。6月とか国会が終わった後に遣ればもうチョット指されますよ」官邸キャップは、来るな・質問するなとは言わ無いが、忠告にしてはキツイ言葉だ。

 「私は官房長官番も遣って居た。その立場から言わせると質問が下手過ぎる。完全に喧嘩売って居る。もう少し上手く遣らないと引き出せ無い」

 望月記者の質問には、様々な評価があり、この意見も典型例の一つだ。そして次の様にも言って居る。

 「外野で言って終わり。負け犬の遠吠え。ハッキリ言って」
 「官房長官会見で政権の事を追及するより別の方法で追及した方がお互いの為になる」

 菅長官の都合で指名が制限されて居る現状には「それが政治ですから」

 望月記者は、自分の質問に絡んで菅長官が番記者とのオフレコ懇談を拒む手口を批判した。しかし、官邸キャップは「それは菅さん個人の問題では無く、政治家はそう云うものだから。その中で我々は如何に情報を取って行くか。菅さん個人の問題じゃ無い。単純過ぎる」と否定して居た。

 〈先週菅官房長官に抗議して以降、3回連続で指されず。何と番記者達が「望月が手を挙げても指させ無い」と内々で決めたとの情報が届いた〉(1月29日抜粋)
 
 官邸キャップはこのツイートを印刷した紙を望月記者に突き出し「コレって事実と違いますよね」と現われたのだった。
 菅長官は昨年11月に「桜を見る会」問題が浮上して以降『毎日』を初め番記者からの厳しい追及に晒された。関係者によると、菅長官は指名権を都合好く利用し、次第に質問を制限する様に為ったらしい。この流れの中で、元々菅長官が答えたく無い望月記者の指名も極端に減った。
 1月は参加した14回の内足った2回(3問)1月22日、遂に質問の際「非常に不当な扱いを受けて居る」と抗議したのだ。この日以降、菅長官は番記者による夜回り等オフレコ取材にも応じ無く為り、幹事社(朝日)と『東京』の番記者に望月記者への対応を求める声が相次いだと云う。

 望月記者がツイートしたのは、そんな最中だった様だ。望月記者を批判した『毎日』だが、希望する記者が質問出来る様に努力して呉れるのだろうか。本誌編集部を通じて聞いてみた。

 「記者が質問出来る様にするのは当然の事だ。内閣記者会に加盟して居るか否かに関わらず、出席し質問が出来る環境を維持すると同時に、出席したいとの新たな要望があれば、積極的に受け入れるべきだと考える」(同社広報)

 ぜひ、期待したい。


 佐藤和子・ライター 2020年2月14日号 佐藤和子   以上








 
 政治・国際 望月衣塑子 市民の一人が望月衣塑子だ

            〜週刊金曜日 阿部岳 2019年5月5日7:00AM〜


 直径約2・4ミリの鉛の粒が『朝日新聞』阪神支局(兵庫県西宮市)に展示されて居る。1987年の襲撃事件で散弾銃から発射された。一つひとつは小さなその粒が記者1人を殺害し言論を永久に封じた。今、首相官邸が発する言葉の一つひとつがジャーナリズムを撃ち衰弱させて居る。
 2015年、フランスの風刺週刊紙『シャルリエブド』が武装テロリストに襲撃され、編集長等12人が犠牲に為った。世界中のジャーナリストと市民が「私はシャルリ」と連帯の言葉を語った。そして今。私は望月衣塑子である。ジャーナリスト、市民の一人ひとりが望月衣塑子ではないか。

 菅義偉官房長官は、記者会見で質問する『東京新聞』の望月衣塑子記者に対し「貴女に答える必要はありません」と言った。国会では「取材じゃ無いと思いますよ。決め打ちですよ」と言った。誰になら答えるのか、ドレを取材と認めるのか、権力が一方的に選別すると云う宣言である。

 他方、首相官邸から内閣記者会への要請文は「問題意識の共有」を求めた。「メディア、政府の双方に取って有意義な形での」会見と続く文脈にも「貴方方も望月記者には手を焼いて居るでしょう」と、記者クラブを抱き込む意図が覗く。
 権力による同業者の排除を黙認し、自らは排除され無い様に阿るとしたら、権力を監視するジャーナリズムは死ぬ。職業人、プロフェッショナル為らば闘う以外の選択肢は無い。仕事の流儀・価値観の違いがあったとしても二の次である。存在意義と存立基盤そのものが揺さぶられて居る。

 自由な取材に基づく自由な表現は、市民の為に存在する。権力を巡る多様な情報が無ければ、市民が判断材料を選び取る事も出来ない。ジャーナリストの目、耳、口が塞がれる時、市民が見る聞く話す力が弱められる。
 だから、官邸の執拗な抗議に対し『東京新聞』が「記者は読者、国民の代表として質問に臨んで居る」と述べたのは極当たり前の事だった。これに対し、官邸は「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員」「記者は国民の代表とする根拠を示せ」と迫った。

 強気の背景には、市民の既存メディアへの反発が強まって居る事がある。SNSを中心に「マスゴミに私の代表を頼んだ覚えは無い」と云う声が存在感を増し、逆にメディアは弱気に為って居る。でも、臆する事は無い。極論すれば例え一人だけの為でも、ジャーナリストは市民に代わって職責を果たす。国会議員は、市民に代わって議論し、国の方針を決める仕事。ドチラも民主主義社会の主役である市民の代行者に過ぎない。
 違うのは、国会議員が一部では無くこの国に住む市民全体を代行して居る点だ。だから税金を使う事が出来、その決定は全体を縛れる。全ての質問・意見に応答するのは義務である。事実と違うなら、そう説明すれば足りる。

 言う迄も無かった根本の処から、民主主義が掘り崩され様として居る。この危機にあって「私達」と云う曖昧な主語は力が足り無い。一人ひとりの「私」が自らの足で立って言葉を発し、その上で繋がって行く覚悟が無ければ、対抗出来無い様に思う。
 (一部敬称略)

 あべ たかし『沖縄タイムス』記者 2019年3月29日号   以上









 望月衣塑子記者にエール WiMNが政府に抗議声明

             〜週刊金曜日 2019年3月7日8:39PM〜


 安倍政権が、官房長官会見における『東京新聞』の「特定の記者」(望月衣塑子氏を指す)の質問内容を「事実誤認」とし、質問妨害等した行為に付いて「メディアで働く女性ネットワーク・WiMN」が2月25日「安倍政権による記者の弾圧・排除やこれらを正当化する閣議決定に抗議する」声明を発表した。

 提供 メディアで働く女性ネットワーク・WiMN

 声明は「『特定の記者』は約1年半、質問する順番を後回しにされ、質問中には数秒置きに何度も『簡潔にお願いします』等と言われて制止され、妨害」された事、政府側が「質問が『事実誤認』『度重なる問題行為』であるとする『問題意識の共有をお願い申し上げる』との『申し入れ』を内閣記者会の掲示板に貼り出す」等した事を「特定の記者を吊し上げ、その排除に記者クラブを加担させ様として居る様」と批判。

 「政府によるジャーナリストへの弾圧・言論統制そのものであり『特定の記者』を超えて、ジャーナリスト一人一人に向けられた『刃』」であると指摘し「安倍政権は(略)直ちに記者に対する弾圧・排除を辞め、記者会見を正常化する事を強く求め」て居る。

 財務事務次官によるテレビ朝日記者へのハラスメントを切っ掛けに昨年結成されたWiMNには現在45社123人が参加。望月氏も会員だ。
 代表世話人の林美子氏は「ジャーナリズムに携わる集団として、今回の事態に強い危機感を持って居る。取材先や組織内でのセクシュアル・ハラスメントや女性蔑視により、女性記者が仕事をし難くなる状況と通底するものを感じる。この事態を見過ごせば、私達の仕事の基盤が根底から揺らぐ」と話す。
 そして「ターゲットとされた望月記者を心から応援したい。一人ひとりの記者がその能力を十分に発揮出来る事が、日本の民主主義に取って不可欠だ」と強調した。

 声明はhttps://www.facebook.com/WiMNJapan/で読める。<
span style="color:#0000FF;">宮本有紀・編集部、2019年3月1日号  以上








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安倍官邸が「禁じ手」を使って迄 検事総長にしたがる男の正体




 




 安倍官邸が 「禁じ手」を使って迄 

 検事総長にしたがる男の正体


           〜まぐまぐニュース!  2/14(金) 4:45配信〜


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                 黒川弘務検事長

 1月31日に政府が閣議決定した、黒川弘務検事長の半年の定年延長を巡り、与野党が対立して居ます。
 何故官邸は、違法性迄指摘されたこの様な禁じ手を使うに至ったのでしょうか。元全国紙社会部記者の新 恭さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で今回、黒川氏の過去の「功績」を紹介すると共に、政府の魂胆を白日の下に晒して居ます。


 官邸は何故黒川弘務氏を検事総長にしたいのか

 安倍首相は何時頃、このアイデアを思い着いたのだろうか。誰かに吹き込まれたとしても悪知恵が過ぎる。検察のナンバー2、黒川弘務・東京高検検事長を、半年だけの定年延長で、丁度その頃退任時期を迎える稲田伸夫・検事総長の後釜に据えようと云う魂胆。

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               稲田伸夫・検事総長

 「桜を見る会」の問題点が国会で指摘され、ジャーナリストや弁護士等約50人が昨年11月20日、東京地検に告発状を提出した事、他の弁護士グループも告発の準備を進めて居る事、何より、安倍首相自身が違法性を自覚して居る事が、少なくともこの人事に何がしかの影響を与えて居る様に思える。
 7年にも渉り、幹部官僚人事を思うがママに動かした安倍官邸は、恰も霞が関全体を掌中に収めたかの如く振る舞って居る。だが、安倍首相に気掛かりな点が無いとは云え無い。

 忖度とやらの横行と共に、人事権の乱用への反発心も又、各府省の中には燻って居る。裸の王様と揶揄される安倍首相でも、その位の事を察するのは容易だろう。取り分け検察は、建前上、政治からの独立性が求められる。検察が本気に為って腐敗を暴き出せば、如何に政権側に指揮権発動と云う伝家の宝刀が有ろうとも、メディアを味方に着けて政権を転覆させる事も可能である。
 この処の問題は、その検察が安倍政権の中枢部から数々の腐敗ネタが零れ落ちて居るのを知りながら、厄介な内部力学が働いて拾おうとし無かった事であるが、それ故にコソ現場の検事達には、不満のマグマが溜りに溜って居る。

 官邸への忖度の中心に居たのが、正に、今回の異常人事で検事総長の座が目の前にチラ付いて居るであろう黒川弘務・東京高検検事長なのである。

 黒川氏と云えば、検察と云うより、法務省官僚の印象が強い。若い頃は地方検察庁で検事の仕事をしたが、その後の大半は、法務省の大臣官房か刑事局に在籍し、大臣官房長を経て2016年9月、法務事務次官と為り、2019年1月に東京高検検事長に就任して居る。
 実は黒川氏の法務事務次官就任は、官邸のゴリ押しによるもので、当時、法務・検察内部に立った波風は可成りのものだったらしい。法務事務次官には黒川氏と同期の林眞琴氏が就くと云うのが既定路線だったのだが、官邸はこの人事案を拒否し、官房長だった黒川氏を充てる様要求した。

 何故官邸は黒川氏なのかと云うと、遡(さかのぼ)れば長い話に為る。小沢一郎氏を陥れようとした陸山会事件に迄触れ無ければ為ら無いからだ。詰まる処、黒川氏は小沢潰しを画策した麻生政権時代から、検察と政治の間を小器用に立ち回って来たと云えるだろう。
 後援会観劇ツアーで有権者を買収した小渕優子・元経産大臣、URへの口利きで現金を受け取った甘利明・元経済再生担当大臣。明白な証拠が揃って居るこの二人の事件を潰したのは、当時の黒川官房長だったと言われる。

 東京地検特捜部が政界の捜査に入ろうとする際、法務省に、何故かお伺いを立てる事に為って居る。表向きは特捜が暴走する事が無い様、と云う事だが、実際には政権の怒りを買う様な捜査を避けたがる法務省幹部の保身に起因して居る。
 特捜がお伺いを立てる窓口が官房長と云う訳で、意外に官房長は威張り易い。一説によると、小渕・甘利の両事件共に、黒川氏が突き返したらしい。勿論、黒川氏は抜かり無く菅官房長官当たりに手柄を報告しただろう。

 特捜の検事達は大層悔しがったと云うが、官邸にして見れば、黒川氏を法務・検察の中枢に置いて置くメリットは計り知れ無い訳である。官房長から事務次官に黒川氏が昇格したのは、甘利氏の不起訴が決まって数か月後の事だった。
 安倍首相のお気に入りは、大体人物像が共通して居る。黒を白と言ってでも強引にコトを進めて行くタイプだ。法務事務次官は法務・検察の中での序列としては、検事総長次長検事検事長よりも下位だが、黒川氏は官邸との距離の近さを強みに剛腕を振るって来たのでは無いだろうか。

 それ故にコソ、官邸サイドが黒川氏を事務次官に指名するに当たり「任期は1年」と約束して居たにも関わらず、次官ポスト待ちの林眞琴氏を名古屋高検検事長に出して迄、2年4か月も黒川氏を次官に居座らせたのに違い無い。
 黒川氏が昨年1月、東京高検検事長に為った事で東京地検特捜部は、官邸のくびきから脱したのか、これ迄の鬱憤(うっぷ)を晴らすかの様な動きを始めた。敏腕で鳴らす森本宏特捜部長の元、IR事業を巡る汚職事件で約10年振りに現職国会議員の逮捕に踏み切った背景には、そうした事情の変化もあった。黒川氏が法務省を取り仕切って居たら、どう為って居ただろうか。

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                森本宏特捜部長

 定年が迫りつつあった黒川氏。安倍官邸は検察対応のキーパーソンを失いたく無かった。検察庁法によると、検事総長以外の検察官は63歳に達したなら退官する事に為って居る。とすれば、1957年2月8日生まれの黒川氏の退官日は今年2月8日であった。
 一方、検事総長の退官は65歳に達した時だ。2018年7月から検事総長を務める稲田伸夫氏は1956年8月14日生まれなので、定年は2021年8月14日。マダマダ先である。

 安倍首相と官邸の面々は、黒川氏を法務・検察組織に留め置く為の秘策を練った。一番手っ取り早いのは現検事総長の稲田氏が退任し、黒川氏が定年に達する前に検事総長の座を明け渡して呉れる事だ。検事総長は後任者を自ら指名するのが慣例だ。
 ソコで、昨年末から稲田検事総長に退任する様説得して来たが、稲田氏が頑として応じ無かったと云う。そうこうして居る内に、黒川氏の63歳到達日が迫って来た。検察庁法を守るならもう時間切れだ。禁じ手しか残されて居ない。

 今年1月31日の閣議で、黒川東京高検検事長の勤務を8月7日迄とする事を決めた経緯(いきさつ)は、そんな処だ。「重大かつ複雑、困難な事件の捜査・公判に対応する為黒川氏の経験が不可欠」と森雅子法務大臣は述べたが、理由の説明に為って居ない。
 国会では渡辺周議員の「検察庁法の脱法行為ではないか」との質問に森法務大臣はこう答えた。

 「検察庁法は国家公務員法の特別法に当たる。検察庁法には勤務延長の規定が無い。特別法に書いて居ない事は国家公務員法が適用される」

 詭弁としか言い様が無い。検察庁法には、検事総長以外の検察官は「年齢が六十三年に達した時に退官する」と為って居る。そのママ受け取れば非常にシンプルである。処が、森法相は検察庁法に定年延長する場合の決まりが書いて無いから国家公務員法を適用すると云うのだ。
 検察庁法を普通に読めば、63歳に達したら定年延長する事無く退官するものとして書いてある。人の一生を左右する程の大きな権限を持つ検察官だからコソ、厳しい年齢規定がある。

 安倍官邸に掛かれば、常識は意図も容易く覆(くつがえ)されてしまう。理屈に為って居ない理屈を恥かし気も無く振り廻し、これまで何度、強行突破を重ねて来た事か。
 検事総長の任命権者は内閣である。しかし、内閣からの独立性を保つ為、これ迄は検事総長が後任者を指名し禅譲して来た。歴代の内閣には、それを是とする寛容さと良識があった。

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              名古屋高検・検事長 林眞琴氏

 法務・検察組織内部で、順当な次期検事総長候補が今年7月30日に満63歳と為る林眞琴氏と云う事は衆目の一致する処らしい。稲田検事総長は林氏の誕生日前に退任し、林氏にバトンタッチする腹積もりと思われるが、そうは問屋が卸さ無いとばかりに、安倍官邸は黒川氏の定年延長カードを切って来た。
 任命権者は内閣である事を振り翳し、官邸は稲田氏に圧力を掛けるだろう。これでは、検事総長さえも、時の政権の都合の好い人物を配置すると云う悪しき前例を政治史に残す事に為る。

 内閣が任命する事に為って居ても、内閣からの独立性が求められ、時の政治権力の思惑に左右されては行けないポストが他にもある。日銀総裁・内閣法制局長官・最高裁判所判事・会計検査院長・NHK経営委員会メンバー等だ。
 しかし現実には、日銀も、内閣法制局も、NHK経営委員会も、安倍政権の色に完璧に染められて居る。最高裁すら「統治行為論」に逃げ込んで政府に対しては及び腰だ。

 国民の生活を向上させる政策が一向に進ま無い中、トップの幼児性に起因する官邸独裁だけは、可笑しな完成形に近付いて居る様に見える。


 東京高等検察庁HP MAG2 NEWS 最終更新  2/14(金) 4:45 まぐまぐニュース!  以上










  「検事長定年延長」森法相答弁は説明に為って居ない

    〜郷原信郎  郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士 2/4(火) 18:01 〜

             2-15-1.jpg

 2月1日の【黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い】と題する記事で、検察庁法が、刑訴法上強大な権限を与えられて居る検察官に付いて、様々な「欠格事由」を定めて居る事からしても、検察庁法は、検察官の職務の特殊性も考慮して、検事総長以外の検察官が63歳を超えて勤務する事を禁じる趣旨と解するべきである。
 検察官の定年退官は、国家公務員法の規定では無く、検察庁法の規定によって行われると解釈すべきだとして、違法の疑いを指摘した処、大きな反響を呼び、この問題は、昨日(2月3日)の衆議院予算委員会でも取り上げられた。渡辺周議員の質問に、森雅子法務大臣は、

 「検察庁法は国家公務員法の特別法に当たります。そして特別法に書いて居ない事は一般法である国家公務員法が適用される事に為ります。検察庁法の22条をお示しに為りましたが、ソチラには定年の年齢は書いて御座いますが勤務延長の規定に付いて特別な規定は記載されて居りません。
 そして、この検察庁法と国家公務員法との関係が検察庁法32の2に書いて御座いまして、ソコには22条が特別だと云う風に書いて御座いまして、そうしますと勤務延長に付いては国家公務員法が適用される事に為ります」


 と答弁した。森法相は、検察庁法と国家公務員法が特別法・一般法の関係にあると説明したが、何とかして、黒川検事長の定年延長を理屈付け様とした政府側の苦しい「言い逃れ」に過ぎ無い。
 問題は、検察庁法22条の「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」と云う規定が「退官年齢」だけを規定したもので「定年延長」に付いては規定が無いと言えるのかどうかである。検察庁法の性格と趣旨に照らせば「退官年齢」と「定年延長は認め無い」事の両方を規定して居ると解するのが当然の解釈だろう。

 裁判官の定年退官に付いて、憲法80条では「その裁判官は、任期を十年とし、再任される事が出来る。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する」と定められ、裁判所法50条で「最高裁判所の裁判官は年齢70年、高等裁判所・地方裁判所又は家庭裁判所の裁判官は年齢65年、簡易裁判所の裁判官は年齢70年に達した時に退官する」とされて居る。
 憲法の規定に基づく裁判所法の「年齢が〜年に達した時に退官する」と同様に、検察庁法で規定する「定年」は、その年齢を超えて職務を行う事を認め無い趣旨だと解するべきである。

 森法相は「裁判官も国家公務員だから、裁判所法の定年退官の規定は、年齢だけを定めたもので、定年延長に付いては規定して居ないので、一般法の国家公務員法の定年延長の規定が適用される」とでも言うのであろうか。
 ソモソモ、検察庁と云う組織において、国家公務員法82条の3の「その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」と云う様な事態が生じる事が有り得るのか。検察庁法が規定する検察官の職務と検察庁の組織に関する「検察官一体の原則」からすると、その様な事は想定出来無い。

 検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括する処とする」と云う規定から、個々の検察官は独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。それは、官庁のトップの有する権限を、各部局が分掌すると云う一般の官公庁とは異なる。
 詰まり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長が全ての検察庁の職員を指揮監督する(7条)検事長・検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされて居る事から、検事総長・検事長・検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたり出来ること)を有して居る。
 それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分・公判活動等に付いて、検察全体としての統一性が図られて居る。

 検察官の処分等に付いて、主任検察官がその権限において行うとされる一方、上司の決裁による権限行使に対するチェックが行われて居り、事件の重大性によっては、主任検察官の権限行使が、主任検察官が所属する検察庁の上司だけで無く、管轄する高等検察庁や最高検察庁の了承の下に行われる様に為っている。
 この様に、検察の組織では、検察官個人が独立して権限を行使すると云う「独立性のドグマ」と、検察官同一体の原則による「同一性のドグマ」との調和が図られて居るのであるが、少なくとも、検察官の職務については、常に上司が自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたり出来ると云う意味で「属人的」なものでは無い。特定の職務が、特定の検察官個人の能力・識見に依存すると云う事は、元々予定されて居ないのである。

 検察庁と云う組織には、定年後の「勤務延長」を規定する国家公務員法81条の3の「職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由がある時」と云うのは、元々想定されて居ないと云うべきである。森法相は、黒川検事長の「勤務延長」の理由に付いて、

 「東京高検検察庁の管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応する為、黒川検事長の検察官としての豊富な経験知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠であると判断した為、当分の間引き続き東京高検検察庁検事長の職務を遂行させる必要がある為、引き続き勤務させる事とした」

 と答弁した。しかし、少なくとも、黒川検事長の「検察官としての豊富な経験知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠」とは考えられ無い。此処での「部下職員」は、主として東京高検の検察官や、東京地検幹部の事を指すのであろうが、黒川検事長の勤務の大半は「法務行政」であり、検察の現場での勤務は、合計しても数年に過ぎ無い。
 又、検事正の勤務経験も松山地検検事正着任直後に、大阪地検不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」の事務局に異動した為、僅か2か月程度に過ぎ無い。他の、東京高検検察官・東京地検幹部の方が、遥かに「検察官としての経験」は豊富である。

 黒川検事長の定年延長に付いての森法相の答弁は、法律解釈としても疑問だし実質的な理由も全く理解出来ない。それが、次期検事総長人事を意図して行われたとすれば「検事総長自身による後任指名」の慣例によって「独立性」を守り、それを「検察の正義」の旗頭として来た検察に取って「歴史的な敗北」とも言える事態である。

 予てから、内部で全ての意思決定が行われ、外部に対して情報開示も説明責任も負わ無い閉鎖的で自己完結的組織が「検察組織の独善」を招く事を指摘して来た私は「検察の独立性」を守る事に拘る積りは毛頭ない。しかし、内閣固有の検事総長の指名権を正面から行使するのでは無く、違法の疑いが有る定年延長と云う方法迄用いて検察トップの人事に介入しようとする遣り方には、重大な問題がある。
 責任を回避しつつ、意向を実現しようとする「不透明性」なヤリ方で、安倍政権は、検察組織をもアカラサマに支配下に収め様として居ると言え様。


                   以上









 東京高検検事長の定年延長は矢張り違法

          〜渡辺輝人 弁護士 京都弁護士会所属 2/14(金) 12:04〜


       2-14-12.jpg

              京都弁護士会所属 渡辺輝人弁護士


 本稿は長文ですが、以下の構成によって居ます。1〜3は検察庁法・・・国家公務員法の従前の政府解釈をマトメ、で2020年通常国会での政府による解釈の変更の内容を検討し、でその解釈の変更が成り立た無い事を述べます。

  検察庁法の退官(定年)の規定は例外的延長制度を置か無い趣旨
  国家公務員法と検察庁法の特例の関係
  検察官には国家公務員法の定年制度は適用され無い事
  今国会で示された「解釈の変更」
  安倍政権による「解釈の変更」は成り立た無い


  検察庁法の退官(定年)の規定は例外的延長制度を置か無い趣旨
 
 検察庁法が制定された1947(昭和22)年の帝国議会では、検察官の63歳の退官(定年)制度に付いても議論がされて居ます。興味の有る方は下記の議事録を読んで頂ければと思いますが、長文なので要約すると、

  裁判所法に置ける最高裁判事の退官年齢が70歳とされた事
  新憲法(日本国憲法)で最高裁判所の地位が非常に高められ、最高裁判事に為る国民の信頼の厚い人物を得るのはナカナカ容易では無いから色々考慮して最高裁判事の定年は70歳とされた事
  検察事務は、裁判事務と余程違い相当活発性が必要な事から総長は65歳、普通の検事は63歳とするのが適当な処であると議論が落ち着いた事
  他の行政官との振合(比較)

 から検察官の退官年齢を63歳(検事総長は65歳)とし「原則は六十五歳を定年と致し、例外の場合に更に此の年齡を延長し得るやうな彈力性の有る制度」とはし無かった旨を述べて居ます。これが検察庁法の特例定年制度の立法者意思だったのです。

 ○伯爵橋本實斐君  更に細かい點に為りますが、二十二條に、此の定年が六十五歳と御座いますが、是は先程御意見も出ましたやうでありますが、人に依りましては六十五歳に達しても、尚有能な方もあり得る事で、殊に非常に練達達識な方で御座いますれば六十五歳に達しても、之を職を去らせるのは非常に惜しいと云ふやうな例外もありますから、
 私の考では、原則は六十五歳を定年と致し、例外の場合に更に此の年齡を延長し得るやうな彈力性の有る制度を設けらば如何かと存じますが、併し斯う致しますと、一面それに伴ふ弊害も有るかも存じませぬが、是は運營宜しきを得れば宜しいかと思ひます、さう云ふ點に付きまして御意見如何ですか。


 ○國務大臣(木村篤太郎君) 其の點私から御答へ致したいと思ひます、此の年齡の點に付ては非常に議論の有る所であります、どの邊を以て退職年齡を定むべきかと云ふことは、相當我々も考慮したのであります、御承知の通り「裁判所法」では、最高裁判所の判事は七十歳、檢察方面に於きまして、少くとも檢事總長の年齡は七十歳迄引延ばして宜いのぢやないかと云ふ意見も出たのであります、
 併し此の檢察事務は、裁判事務と餘程違ひまして、相當活溌性を有せ無くちや為らぬ、殊に他の行政官との振合の點から考へまして先づ六十五歳、普通の檢事は六十三歳にした方が宜いぢやないかと云ふことに一先づ落附いたのであります、
 露骨に申しますると、是は關係方面との間にも色々議論もあつたのであります、我々も隨分退職年齡に付て各國の實例をも調査したのであります、外國辺りでも御承知の通り、隨分高齡な人が裁判官を奴て居ります、現に昨年亡く為りました有名なアメリカの最高法院の長官でありましたストーン氏、是は六十五歳であります、今の最高裁判所の長官は、是はズツと若くて五十八歳になつて居ります、まちまちであります、
 但し凡そ人間の活動の能力と云ふものは、先づ六十五歳位が相當ぢやないかと云ふ事に落附いたのであります。

 それでは最高裁判所の判事を七十歳にしたのはどうかと云ふ事に為りますが、是はナカナカ人を得るのにむづかしい、殊に新憲法上、最高裁判所の地位と云ふものが非常に高められて、此の長官に為る判事為るものは、國民の極めて厚い信頼を得無ければいかぬのであります、
 さう云ふ人を得るのはナカナカ容易な事ぢやないと云ふ點から色々考慮致しまして、七十歳にしたのであります、是も打明けての話は、關係筋では六十八歳と云ふ議論も出たのであります、我々は七十五歳でも宜いのぢやないかと云ふ氣持を持つて居つたのでありますが、マア七十歳に落附いたのであります、
 檢事の方では、總長は六十五歳、普通の檢事は六十三歳、先づ人間の活動能力の點から見て、是等が適當な所ぢやないかと云ふ事から、斯樣に落附いた次第であります、併し御議論の點は能く分るのであります、我々と致しましても、實は斯う云ふやうな檢事總長辺りの人は、ナカナカ容易に見附から無いのでありますから、相當高齡の人でもなつて戴く事が望ましいことぢやないかと考へて居りますが、一應先づ斯樣な觀點から六十五歳に落附いたのであります。


 出典 第92回帝国議会 貴族院 検察庁法案特別委員会 第1号 昭和22年3月28日

  国家公務員法と検察庁法の特例の関係

 次に問題と為るのは、この退官(定年)を定めた検察庁法22条の性格です。これに付いては下記の検察庁法32条の2があり「検察官の職務と責任の特殊性に基いて」国家公務員法附則13条の特例を定めたものと明記されています。

 第三十二条の二 この法律第十五条、第十八条乃至第二十条及び第二十二条乃至第二十五条の規定は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)附則第十三条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。
 検察庁法32条の2に付いては、法務省人事課長、法務次官、最高検次席検事等を歴任し検事総長在任中だった伊藤栄樹が1986年に書いた『新版検察庁法逐条解説』(良書普及会)の180頁に趣旨が書かれて居ます。

 この条は、庁法制定当初は存在し無かったが、国家公務員法の施行に伴い、昭和二四年法律第一三八号による改正で追加されたものであり、検察官の級別、任命資格、欠格事由、定年、適格審査、剰員及び身分保障の規定は、検察官の職責の特殊性に基づき、国家公務員法の施行によって影響を受けず、同法の特例として効力を存続するものとする事を明らかにしたのである。

 この本は、伊藤が検事総長在任中に書かれて居る事から、公権解釈が記載された本と見る事が出来るでしょう。そして、上記の様に、検察官の定年に付いては、国家公務員法の施行によって影響を受け無い、と明記して居ます。後述の安倍政権による「検察庁法32条の2は定年年齢と退職時期だけの特例でその他(退職の特例たる勤務延長)は一般法たる国家公務員法が適用されるから定年延長は出来る」と云う解釈は(当たり前ですが)取ら無かったのです。
 この事に付いては、1949(昭和24)年に検察官の定年制度が導入された際の国会議事録にも下記の様な政府委員の説明が残って居ます。

 068 高橋一郎  第三十二條の二は、檢察官は、刑事訴訟法により、唯一の公訴提起機関として規定せられて居ります。從つて、檢察官の職務執行の公正なりや否やは、直接刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼすものであります。
 この様な職責の特殊性に鑑み、從來檢察官に付いては、一般行政官と異り裁判官に準ずる身分の保障及び待遇を與えられて居たのでありますが、國家公務員法施行後と雖も、この檢察官の特殊性は何ら変る事無く、從つてその任免に付いては、尚一般の國家公務員とは自ずからその取扱を異にすべきものであります。よつて、本條は、國家公務員法附則第十三條の規定に基き、檢察廳法中、檢察官の任免に関する規定を國家公務員法の特例を定めたものとしたのであります。

 
 出典 第5回国会 参議院 法務委員会 第12号 昭和24年5月11日

 特例を設ける理由に付いて、一般の国家公務員とは自ずからその取扱を異にすべきものだ、と明言して居るのです。

  検察官には国家公務員法の定年制度は適用され無い事

 検察官に国家公務員法の定年制度(定年年齢、定年延長)が適用され無い事に付いては、前述の検察庁法の解釈の観点から書かれた本欄の2月1日郷原信郎弁護士の「黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い」国家公務員法の解釈の観点から書かれた2月3日筆者の「安倍政権による東京高検検事長の定年延長は違法ではないか」を経た後、後述の本年2月10日の衆議院予算委員会に於ける山尾志桜里議員の質問がハイライトです。
 この質問で、山尾議員は筆者が上記論考で指摘した『逐条国家公務員法<全訂版>』(学陽書房 2015年)の記述の原典と為る政府の国会答弁を発掘して来たので、先ずこの1981(昭和56)年の政府答弁を検討しましょう。具体的には以下の部分に為ります。

 239 斧誠之助(人事院事務総局任用局長)

 ○斧政府委員 検察官と大学教官に付きましては、現在既に定年が定められて居ります。今回の法案では、別に法律で定められて居る者を除き、こう云う事に為って居りますので、今回の定年制は適用され無い事に為って居ります。

 出典 第衆議院 内閣委員会 第10号 昭和56年4月28日

 当時の政府は、検察官には「今回の定年制は適用され無い」と明言して居たのです。ココで云う「定年制」に、定年年齢及び退職時期以外の退職の特例たる勤務延長が含まれるかは(当然含まれるのですが)、一応問題に為り得ますが、山尾議員が発掘して来た当時の議事録では、中山太郎大臣が以下の様に述べて居ます。答弁の時系列は、中山太郎大臣斧局長なので、斧局長の上記答弁は、当然ながら、中山大臣の答弁を踏まえて前提として居ます。

 政府と致しましては、この人事院見解を基本としつつ、関係省庁間で鋭意検討を進めて参った訳でありますが、この度、国に置ける行政の一癖の能率的運営を図るべく、国家公務員法の一部改正により国家公務員の定年制度を設ける事とし、この法律案を提出した次第であります。
 次に、この法律案の概要について御説明申し上げます。改正の第一は、職員は定年に達した日から会計年度の末日迄の間に置いて任命権者の定める日に退職する事とし、その定年は六十歳とすると云うものであります。但し、特殊な官職や欠員補充が困難な官職を占める職員に付きましては、六十五歳を限度として、別に特例定年を設ける事として居ります。
 改正の第二は、定年による退職の特例であります。これは、任命権者は職員が定年により退職する事が公務の運営に著しい支障を生ずると認める場合には、通算三年を限度とし一年以内の期限を定めてその職員の勤務を延長する事が出来ると云うものであります。(後略)


 出典 第94回国会 衆議院 内閣委員会 第9号 昭和56年4月23日

 一見して分かる様に「定年制度」の第二の柱が「退職の特例」(勤務延長)制度であり、定年制度に勤務延長は含まれて居ないと云う解釈は、政府の公権解釈としては成り立た無いのです。ソモソモ、国公法81条の3は見出しに「定年による退職の特例」と明記されて居るのですが、後述の森法務大臣の国会答弁は、この条文の文言に一切触れずに「勤務延長」とノミ述べて居り、不自然極まり無いものに為って居ます。

  今国会で示された「解釈の変更」

 以下では、今国会の衆院予算委員会に置ける、本年2月10日の山尾志桜里議員、2月12日の後藤祐一議員の質問に対する森法務大臣の答弁、人事院給与局長の答弁を検討します。(反訳は筆者が行ったもの)以下の時刻の記載は「衆議院インターネット審議中継」のビデオライブラリに置ける森法務大臣の答弁が出現するおおよその時刻を表します。

 2020年2月10日衆議院予算委員会 山尾志桜里議員(5:00:20〜)

 5:05:39 森法務大臣 検察庁法22条には、定年制を定める旨、そして、定年の年齢と退職時期の二点に付いて特例として定めたと理解して居ます。そして、32条の2だったと思いますが、そちらの方にですね、国家公務員法と検察庁法の関係が書いてあるんですけれども、そちらの方にですね、もし勤務延長を規定し無いと云う事である為らば、そちらの方に記載がされるべきだと思いますが、記載をされて居ないこと、そして検察官が一般職の国家公務員である事から、特例が定められて居る以外に付いては、国家公務員法が適用されると理解して居ります。

 5:19:52 森法務大臣 (前略)検察庁法で定められる検察官の定年による退職の特例は定年年齢と退職時期の二点であると、従って国家公務員が定年により退職すると云う規範そのものは検察官であっても一般法たる国家公務員法によって居ると云う風に解釈を致しました。
 又、特定の職員にも定年後も引き続きその職務を担当させる事が公務遂行上必要な場合に定年制度の趣旨を損なわ無い範囲で定年を超えて勤務の延長を認めるとの勤務延長制度の趣旨は検察官にも等しく及ぶものと云う風に解釈をして居ります。よって検察官の勤務延長に付いては、一般法たる国家公務員法の規定が適用されると云う風に理解して居ります。

 2020年通常国会における政府答弁の要点(以下「解釈変更の要点」とします)は

  検察庁法22条、32条の2は定年年齢と退職時期の二点だけを国公法の特例として定めて居る
  特例が定められて居る以外に付いては国家公務員法が適用される
  従って国家公務員が定年により退職すると云う規範そのものは検察官であっても一般法たる国家公務員法によって居ると云う風に解釈した
  勤務延長制度の趣旨は検察官にも等しく及ぶものと云う風に解釈をした


 の4点に収斂します。この前後で繰り返されて居る森法務大臣、菅官房長官の答弁はこれの繰り返しです。この国会質問では、驚くべき事に、この政府答弁を検討するに付いて、森法務大臣は(弁護士なのに)上記の1981年の中山太郎大臣、斧局長の答弁を知ら無かった事が発覚しました。山尾議員の質問の白眉と言えるでしょう。

 2020年2月10日衆議院予算委員会 山尾志桜里議員(5:00:20〜)

 5:11:44 森法務大臣 その議事録の詳細は存じ上げませんけれども、人事院の解釈では無く、検察庁法の解釈であると認識して居ります。
 5:12:54 森法務大臣 今答弁申し上げました通り、議事録を読まれましたか、と云うご質問で御座いましたので、議事録に付いては詳細を存じ上げて居りません。


 内閣(行政)が、立法府たる国会が定年制度を制定した時の自己の国会答弁を無視するのは、国会軽視の範囲を超えて三権分立の大原則に反するのでは無いかとも思われますが、何れにせよ、この政府答弁が日本国政府(行政権)の立場を踏まえ無い一政権の身勝手な解釈である事は明らかでしょう。
 次に2月12日の後藤祐一議員の質問で重要なのは人事院給与局長の答弁です。人事院が答弁するのは、国家公務員法の定年制度(分限)や「その他職員に関する人事行政の公正の確保及び職員の利益の保護等に関する事務関する事務」を所管して居るのが法務省でも内閣法制局でも無く人事院だからです。(国家公務員法3条2項)人事院は「行政委員会」と呼ばれる特殊な機関で、他の行政機関と異なり、内閣の命令に従う関係に無いのが特徴です。

 2020年2月12日 衆議院予算委員会 後藤祐一(5:00:20〜)

 問:過去の国会答弁の「定年制」に法81条の3の定年延長の規定が含まれるか

 3:02:30 人事院給与局長 お答え申し上げます。人事院と致しましては、国家公務員法に定年制を導入した際は、委員ご指摘の昭輪56年4月28日の答弁の通り、検察官に付いては、国家公務員法の勤務延長を含む定年制は検察庁法により適用除外されて居ると理解して居たものと認識をして居ます。
 
 問:現在もその解釈は変わり無いか

 3:04:26 人事院給与局長 お答え申し上げます。先程ご答弁した通り制定当時に際してはそう云う解釈で御座いまして、エー、現在迄もそれに付いて特に議論は御座いませんでしたので、同じ解釈を続いて居る訳ですが、他方、検察官も一般職の国家公務員で御座いますので、検察庁法に定められている特例以外に付いては、一般法たる国家公務員法が適用されると云う関係に御座います。従いまして、国家公務員法と検察庁法の適用関係は検察庁法に定められて居る特例の解釈に関わる事で御座いまして、法務省において適切に整理されるべきものと考えております。

 人事院局長の答弁の要点は

  国家公務員法の勤務延長を含む定年制は検察庁法により適用除外されて居る
  その解釈は現在も変わら無い
  国家公務員法と検察庁法の適用関係は検察庁法に定められて居る特例の解釈に関わる事で、法務省において適切に整理されるべき

 
 の3点に集約されます。要点3に付いて、同じ日の逢坂誠二議員への答弁でも同じ事を答えて居ます。 この要点3に付いて「人事院の見解は国家公務員法を延長の根拠とする法務省とは異なるものの、最終的な判断は法務省に委ねるとの姿勢を示した形だ」と評した新聞記事(朝日新聞2月12日三輪さち子記者記名記事)がありますが、人事院は、国家公務員法の定年延長制度は検察官に適用され無いから、法務省が適切に整理して下さいね(国家公務員法の勤務延長は出来ないから退職させて下さいね)と言って居るだけです。新聞記者は不正確な事を書くべきではありません。

 上記答弁で人事院が法務省に下駄を預けたのは、検察庁法の解釈(何故なら人事院の所管外)なのですが、本稿で既に述べた様に、検察庁法には定年の特例としての勤務延長制度は置か無いとするのが、制度制定時からの法務省の解釈なので、矢張り、法に従って退職させるしかありません。
 そして、これが重要なのですが、森大臣の答弁は、法務大臣の権限だと云う事なのか、検察庁法32条の2を勝手に解釈するのですが(これもソモソモ駄目です)その勝手な解釈の結果、結局、国家公務員法の定年の特例としての勤務延長が適用されるとして居るので(上記要点3)この点で、同制度は適用され無いと明言する人事院の答弁の要旨1及び2と完全に矛盾を引き起こして居ます。

 なお、この日の審議で森法務大臣が国公法81条の6の内閣総理大臣の「統合調整機能」為るものを持ち出して正当化しようとして居ますが、ここ迄来ると恥ずかしいと云うか、内閣総理大臣に勝手な定年の特例措置を認めたものでは無く、内閣総理大臣の権限が書かれた国公法18条の2の確認規程に過ぎません。そして、この条文は、内閣総理大臣に勝手な定年延長を認める根拠には為り得ないものです。

 5「解釈の変更」は成り立た無い
 
 ここ迄追い詰められた安倍首相は2月13日の衆議院本会議の答弁で「東京高検検事長の定年延長問題をめぐり、安倍晋三首相は13日の衆院本会議で、国家公務員法に定める延長規定が検察官には「適用され無い」とした政府の従来解釈の存在を認めた上で、安倍内閣として解釈を変更した事を明言した」との報道がされています(朝日新聞2月13日「首相、検察官の定年延長巡り「法の解釈変更」批判必至」安倍首相の本会議答弁の1:35:18〜)上記解釈変更の要点の3と4を指して「解釈の変更」と言って居るのではないかと思われます。

 しかし、政府(行政)の法解釈は、法律制定時の政府の国会答弁に拘束されます。それを含めて国会が定めた法律の解釈の内容に為って居るからです。三権分立の大原則が有るので、内閣は国会が定めた法の解釈を勝手に変更してはいけません。又「解釈の変更」は法文の文言に付いてA説・B説・C説と云う様に異なる理解が可能な場合に、A説からB説に変更する様な場合を云いますが、本件の場合、関係条文を上記解釈変更の要点3と4の様に読む説は存在し無かったと思われるし、法文上もその様な解釈自体に無理があります。
 安倍首相の本会議答弁は、最終的には、閣議決定がある事を根拠にして居る様ですが、上述の様に国家公務員法の解釈権限は人事院にあり、人事院は内閣から独立した行政委員会である為、閣議決定で拘束出来るのか疑問があるし、その点は置くとしても、前述の様に、行政は国会が定めた法律の解釈を勝手に変えられません。

 森法務大臣は、2月13日の国会答弁で、東京高検検事長の定年延長を認めるべき理由として、

  勤務延長制度の趣旨は検察官にも合致する
  どの様な場合にも一切延長出来ないのは不合理


 と云う2点も挙げます。しかし、に付いては、検察官は元々一般職の国家公務員が最大限に特例で延長可能な63歳迄身分が保障されて居り、又、最高裁判事との均衡や柔軟な制度の導入を否定した検察庁法の退官制度の制定時の経緯からすれば、趣旨を踏まえる程延長は出来ない、と云う結論に為るでしょう。
 に付いて云うと、実は、国家公務員法附則13条では(ア)別の法律 (イ)人事院規則 (ウ)人事院の所掌する事項以外の事項に付いては政令で、定年制度の特例を設ける事が出来ます。

 元々検察庁法22条は(ア)に基づく定めです。そして、そして、前述の今国会における人事院局長の答弁の要点を前提にすると、内閣には検察庁法22条の特例を政令で定める権限が有りそうです。但し、勿論、それは「職務と責任の特殊性に基いた」一般的基準で無ければ為りませんし「職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得る様に、民主的な方法で選択され、且つ、指導さるべき事を定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障する事を目的とする」とする国家公務員法1条の精神に反するものであっては為りませんので、特定の人物だけを依怙贔屓する特例を定める事は出来ません。
 モッと言えば、本当に必要であれば、政府は何時でも検察庁法22条の改正案を国会に提出する権限があったのです。今回の東京高検検事長の定年延長は、そう云う真っ当な措置を取れ無い裏口のものだった事は、安倍政権自体の挙動が示して居ると言えるでしょう。

 国家公務員法1条3項は「何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀しては為ら無い。又、何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令の施行に関し、虚偽行為を為し、若しくは為そうと企て、又はその施行を妨げては為ら無い」と明記して今す。
 内閣が法律違反をする行為はソモソモ許されませんが、憲法15条1項の「公務員を選定し、及びこれを罷免する事は、国民固有の権利である」2項の「全て公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者では無い」と云う規定に由来する国家公務員法を内閣が勝手に解釈変更する事は、猶更許され無いでしょう。


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 渡辺輝人 弁護士 京都弁護士会所属 1978年生。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。基本はマチ弁なので何でもこなせるゼネラリストを目指して居ます。著作に『残業代請求の理論と実務』(2018年 旬報社)

美容院     nabeteru1Q78  official site 京都第一法律事務所   以上























リベラル化する世界の中で日本の危機は「男女格差が大きく移民に不寛容」な事 ジャレド・ダイヤモンド





 リベラル化する世界の中で  日本の危機は「男女格差が大きく移民に不寛容」な事
 
 世界の危機は「核兵器」と「気候温暖化」への対応


       〜ダイヤモンド・ザイ【橘玲の日々刻々】2/13(木) 21:00配信〜

 昨年末に相次いで刊行された話題の翻訳書から、これ迄2回に渉ってスティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』(草思社)とユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(河出書房新社)を紹介して来た。  

 今回は進化人類学者で、世界的ベストセラーと為った『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』 (草思社文庫)で知られるジャレド・ダイヤモンドの新刊『危機と人類』(日本経済新聞出版社)を取り上げたい。
 原題はUpheaval: How Nations Cope with Crisis and Change(大変動 国家は如何に危機と変化に対処するか)最初に断って置くが、正直、この本の評価が一番難しい。


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              ジャレド・ダイヤモンド氏

「進行中の危機」としてアメリカの他は日本だけが分析の対象に

 『危機と人類』の構成は、第1部で「個人的危機」第2部で「国家的危機」第3部で「進行中の危機」が取り上げられる。ダイヤモンドは、世界が抱える様々な危機を、自身の個人的な危機・・・それ迄ズッと順風満帆のエリート学生だったのに、ケンブリッジ大学に留学した時に研究に行き詰った・・・と重ね合わせて理解し様とする。
 ここ迄読んで、行き成り腰が引けた人も居るだろう。国家と個人を一体のものと見做すのは「ナショナリスト」の発想で、歴史学はこうした手法を徹底して退けて来たからだ。

 勿論ダイヤモンドは、この事を承知して居る。だったら何故危うい立場を執るのか。その理由は二つ挙げられて居るが、その一つは判り易いから(一般の読者に取って、個人的危機の視点からそれに相当する国家的危機を見て行く方が簡単だし、複雑な問題も理解し易い)で、もう一つは個人的危機が異なる結果を生む重要な12の要因が判って居るからだと云う。
 「これらの(12の)要因は、国家的危機で生じる様々な帰結を導く要因を読み解く上で役に立つだろう」とされるのだが、何故そう為るかは説明され無い。

 それにも関わらず本書が話題に為って居るのは「国家的危機」として、フィンランド、チリ、インドネシア、ドイツ、オーストラリアと並んで近代日本が取り上げられて居る事と「進行中の危機」として、アメリカの他は日本だけが分析の対象に為って居るからだろう。
 こうした構成から、本書はアメリカ(英語圏)と日本の読者市場を対象にして居る様に思われる。本書の魅力の一つは、フィンランドやチリと云った余り縁の無い国の危機体験を知る事が出来る事だ。「近代日本の起源」の章は明治維新の卒の無い解説で、日本の読者に取っては新たな発見は無いかも知れない。

 ここで登場する7カ国に何等かの関連が有る訳では無く、単に「好く知って居るから」選んだのだとされる。その内6カ国は留学や研究の為に長期の滞在経験があり、日本だけは住んだ事が無いが、妻の親族が日本人と結婚して居て日本人の従妹や甥、姪が居り、教鞭を執るカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の日本人学生と親しく為ったので、一般のアメリカ人よりも日本に付いて好く知って居るのだと云う。
 ダイヤモンドは、これは「国家的危機の比較研究」の第一ステップに過ぎず「国家的危機を個人的危機で分析する」と云う方法論を発展させるには、更に多くのサンプルを必要とすると認めて居る。だが本書の調査だけで6年を要したと云うから、80歳を過ぎた著者にはこれ以上の研究をする積りは無さそうだ。

 この批判的な見方は私の独断と云う訳では無く、Wikipedia(英語版)に紹介されて居る本書の書評でも「個人的危機の12ステップを歴史に当て嵌め様とする試みは無視しなさい」「国家的危機を理解する為では無く、紀行文として読む方がズッとマシ」等と書かれて居る。ニューヨークタイムズのレビューでは「多くの(歴史的)事実の誤りを含んで居る」とも指摘されて居る。

 と云う訳でここでは「個人的危機=国家的危機」説は脇に置いて、第3部「国家と世界――進行中の危機」から「日本を待ち受けるもの」を中心に見て行きたい。「世界を待ち受けるもの」では、ピンカー『21世紀の啓蒙』との比較もする積りだ。








 「日本は男女格差が大きく移民に不寛容」と指摘

 知日派のジャレド・ダイヤモンドは過つて日本の新聞のインタビューで「日本での会議に呼ばれて何時も驚くのは男しか居ない事だ」と述べて居た。人種的多様性が無い日系日本人しか居無いのは仕方無いとしても、今ではアメリカやヨーロッパで開かれる会議では女性が半分を占める事も珍しく無いのに。
 こうした印象から、本書でもダイヤモンドは日本における女性の地位の低さに苦言を呈す。「日本は表向きは男女平等の国であるが、現実には、日本の女性は平等を阻む数多くの社会的障壁に直面して居る」と云うのだ。ダイヤモンドは日本の女性が置かれた状況を、以下の様なデータを挙げて記述する。

 日本の職場では、女性の関与は少なく賃金も低い。責任のレベルが上がる程女性の割合は下がる。大学生の49%新入社員の45%を女性が占めて居るのに、大学教員のポストにおける女性の比率は僅か14%。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスでは33〜44%。
 中間及び上級管理職では2%役員では1%であり、CEOでは1%にも満た無い。他の主要先進国に対してこれ程遅れを取って居るのは、又しても、韓国を除けば日本のみである。

 政界でも女性は少数派であり、これ迄女性首相は居ない。正社員における男女の賃金格差は富裕な先進国35カ国の中で3番目に大きい。日本より賃金格差が大きいのは韓国とエストニアのみ。日本では同レベルの職における女性の平均賃金は男性の73%に留まるのに対し、富裕な先進国の平均は85%、ニュージーランドでは95%に達する。
 女性が働く上で障害と為って居るのは、労働時間の長さや終業後も社員同士の交流を期待される事、そして働く母親がそうした交流を期待されるなら誰が子供の世話をするのか。夫も同じ状況で子供の世話が出来ない、或は、したがら無いなら、と云う問題である。

 「終業後の社員同士の交流」とは飲み会の事だろうが、流石に子供の居る女性社員に迄強要する会社は減って来て居るだろう。しかし日本の会社が「滅私奉公」の度合いで社員を評価して居るのは事実で、大卒総合職の女性社員でも労働時間が短い(残業しない)と出世競争から脱落してしまう。

 ダイヤモンドが指摘するもう一つの問題が「移民」で「世論調査が示す日本人の意見は、他の富裕国では極論扱いされるものに偏って居る」と述べる。
 「日本人の63%は外国人居住者を増やす事に反対であり、72%は移民が犯罪率を増加させると云う見解に同意する。アメリカやカナダ、オーストラリアでは国民の57〜75%が移民は社会を良くすると考えて居るのに対し、日本人の80%は移民が新しい考え方をもたらし社会を改善すると云う見解を否定して居る」のだ。

 移民国家と日本を同等に比較するのはどうかと思うが、興味深いのは、その結果、日本では少子高齢化で労働人口が減少するにも関わらず、働いて居ない母親達を労働市場に投入する事が出来ないとの指摘だ。その理由は単純で「アメリカの働く母親達の多くは移民女性を保育サービス提供者として個人で雇って居るが、その方法は日本にはホボ存在しない」からだ。
 香港やシンガポールもこれは同じで、どの家庭にも「アマさん・・住み込みの家政婦」が居て家事・育児や老親の介護を任されて居る。私はこの事を『2億円と専業主婦』(マガジンハウス)で書いたが、未だに日本では家事・育児は母親の「専権事項」で、赤の他人に任せる様な事は飛んでも無く不道徳だと考えられて居る。

 狭い平地に多くの人間が集住する日本では、7世紀の「建国」(或はそれ以前)から人口過剰が問題だった。それが今有史以来初めて人口過少の時代を迎え様として居る。その大きな変化に、政治家や官僚も含め殆どの日本人が適応出来て居ないのだろう。
 ちなみにダイヤモンドは、人口が減る事自体は、日本を困窮させるよりも裕福にさせるだろうと楽観的だ。日本は資源の無い国だから、人口が少なければ必要な資源の量も減る・・・一人当たりの分配が増えると云うのだ。

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 日本を制約して居るのは「人口が多く資源が少ない」と云う条件

 地理学者でもあるダイヤモンドは、日本を制約して居るのは「人口が多く資源が少ない」と云う条件だとして居る。明治維新で「近代国家」に為って以降、アジアを侵略したのもそれが理由だとされる。こうした「海外資源の簒奪」は現在も続いて居て「不法に、或は持続可能で無い方法で収穫された林産品の(日本の)輸入量は、国民一人当たりにせよ輸入林産品全体に占める割合にせよ、アメリカやEU諸国より遥かに多い。遠洋漁業や捕鯨に関する真っ当な規制に付いても日本は反対勢力の先頭に立って居る」と批判される。

 クロマグロの資源保護は兎も角、反捕鯨に付いては反発があるだろうが、日本人が理解し無ければ為らないのは世界が益々「リベラル化」し「人権」が動物に迄拡張されて居ると云う現実だ。
 過つてはアフリカで象やライオンの狩猟するサファリは洗練された男の遊びとされて居たが、今では人間を殺す以上の大罪と見做されている「ジンバブエで最も有名なライオン」を誤って射殺したアメリカ人歯科医は、正式な狩猟許可を得て現地のガイドと共に狩猟区域に居たにも関わらず、世界中から凄まじいバッシングに晒された。最早文化を理由に、大型動物や高い知能を持つ動物の捕獲・殺害を正当化する事は出来なく為った。
 こうした価値観の変化は不可逆的なものなので、日本一国がどれ程抵抗しても覆す事は出来ない。「捕鯨を守れ」と主張する人達は、この歯科医の様な扱いを受ける覚悟が出来ているのだろうか。

 リベラルな知識人であるダイヤモンドの批判は「歴史問題」にも向けられる。『危機と人類』には、UCLAで学ぶ日本人学生から聞いたと云う次の様な話が紹介されて居る。








 日本の学校の日本史の授業では、第二次世界大戦に付いて殆ど時間を割か無い。数千年の日本の歴史の内ホンの数年に過ぎないからと云い、侵略者としての日本に付いては殆ど、或は全く触れ無いし、何百万人もの外国人や数百万の日本の兵士と民間人の死に付いては責任よりも、寧ろ被害者としての日本・・・原爆によって十数万人が殺された事を強調し、日本が戦争を始める様に仕向けたとしてアメリカを非難すると云う・・・公平を期して述べて置くと、韓国、中国、アメリカの教科書も、第二次世界大戦に付いて自国に都合好く紹介して居る。
 私の日本人の学生達は、ロサンゼルスのアジア人学生連盟に参加し、韓国人や中国人の学生と出会い、戦時中の日本人の行動を知り、それが今も他国の学生達の反日感情を醸成して居る事を知ると、ショックを受ける。
 
 戦後日本の歴史教育が、自虐史観だと批判される歴史教科書を使って居た頃から、現代史に殆ど時間を割いて来なかったのは事実だろう。大学入試の日本史では、日清・日露戦争は出題出来ても、朝鮮半島の植民地化や日中戦争(満州国)、第二次世界大戦に付いての問題は避けられるとも云われる。出題傾向を調べた訳では無いが。その結果日本からの留学生は、歴史認識以前に、歴史的事実のレベルで中国や韓国の若者と話が通じ無く為って居るのだ。

 日本では「反戦リベラル」ですら、戦争の犠牲のみを強調し加害を無視して居る。その象徴が大ヒットしたアニメ映画『この世界の片隅に』で、時代に翻弄される庶民の日常が活き活きと描かれるが、軍艦は呉の造船所から出航して行くだけだ。
 これは宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』も同じで、空を飛ぶ夢に魅せられた航空技術者と結核の少女との悲恋が美しく描かれる一方で、戦争の時代は全て省略され航空機の残骸にその残酷さが象徴されて居るだけだ。

 東アジアの歴史問題はこれから始まる「リベラルの視点での近代の再定義」と云う文化戦争の先行事例と考えるべき。ダイヤモンドは歴史問題に付いて「ドイツの手法が過つての敵国を概ね納得させて居るのに対して、日本の手法は主要な犠牲者である中国と韓国を納得させ損ねているのは何故だろうか」と問う。その上で、日本に対して次の様な提言をする。

 日本の首相が南京を訪れ、中国人が見守る中で跪き、戦時中の日本軍による残虐行為への許しを請うてはどうだろうか。日本中に在る博物館や記念碑や元捕虜収容所に、戦時中の日本軍の残虐行為を示す写真や詳しい説明を展示してはどうだろうか。
 日本の児童が国内及び南京、サンダカン、バターン等海外のこうした場所を修学旅行や遠足で定期的に訪れる様にしてはどうだろうか。或るいは、戦争の犠牲者としての日本よりも、戦時中に日本の残虐行為の犠牲と為った非日本人を描く事にモッと力を入れてはどうだろうか。

 勿論私は、ホロコーストと一般の戦争犯罪は違うし、ドイツと日本では戦後の国際環境も異なるから同一に語る事は出来ないと考えるが、ここで強調したいのは、このアドバイスをするダイヤモンドが「日本人では無いが日本を愛する」者だと云う事だ。
 アメリカの「親日」知識人がこの様な認識だとすると、日本に然したる関心が無い大多数の世界のリベラルがどの様に考えて居るのかは押して知るべしだ。ダイヤモンドは日本の歴史に付いても勉強し、アジアへの理解も深いが、これは世界のリベラルの中では稀なケースだろう。

 「日本の歴史を正しく理解して居ない」と云うかも知れないが、ソモソモ何かを主張するのに相手の国の歴史を知悉して居無ければ為ら無いと云う決まりは無い。日本の保守派の知識人にしても、然したる知識も無しに外国に付いて好き勝手な事を云って居るだろう。
 ここで理解し無ければ為らないのも、矢張り「リベラル化と云う巨大な潮流」だ。慰安婦問題が典型だが、リベラルな価値観と整合的な主張は受け入れられ、それに反する主張は「反動」として切り捨てられる。誤解の無い様に言って置くと、私はこれが「正しい」と云って居る訳では無い。只、日本国内で幾ら騒いでも、「リベラル化する世界」と云う現実を変える事は出来ない。

 最早ダイヤモンドの様な「親日」知識人ですら、歴史問題で日本を擁護しようとはしない。不愉快に思う人も多いだろうが、日本人にこの現実を突き突けた事が、恐らくは本書の一番の意義だろう。
 最もこれは、世界が益々「反日」に為って行くと云う話では無い。「リベラル化する世界」では、広島・長崎への原爆投下はアウシュビッツと並ぶ「戦争犯罪」だと見做される様になった。オリバー・ストーン(オリバー・ストーンが語る もう一つのアメリカ史)やマイケル・サンデル(これからの「正義」の話をしよう)が、アメリカは、原爆投下を日本に謝罪すべきだと主張するのはこれが理由だ。
 この2人はリベラルなので、当然の事ながら、日本は慰安婦問題で韓国に謝罪すべきだとも云う。ちなみにダイヤモンドは、原爆投下を「日本人の被害者意識」で片付けて居るが、これは「リベラル」としては認識が甘いのでは無いだろうか。

 欧米の知識人は未だ気付いて居ない様だが、こうした「リベラル化」の潮流は、やがてイギリスのヴィクトリア時代やフランスのアフリカ植民地政策を全否定する様に為り、大航海時代のスペインによる新大陸征服、アメリカ開拓時代のインディアン虐殺や黒人奴隷問題が改めて蒸し返される事に為るだろう。事実、アメリカの大学ではそう為りつつある。
 そう考えれば、東アジアの歴史問題は日韓や日中のナショナリズムの衝突と云うよりも、これから始まる「リベラルの視点での近代の再定義」と云う文化戦争の先行事例と考えるべきだろう。


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 アメリカの問題は「格差と停滞」世界の問題は「核兵器」と「気候温暖化」
 
 最後に「アメリカと世界を待ち受けるもの」に付いてダイヤモンドがどう考えて居るかを見て置こう。

 アメリカの問題は、政治だけで無く様々な分野で「二極化、不寛容、暴力的な言動」が増大して居る事だとされる。その結果「エレベータに乗る為に待つ人は、以前よりも降りる人を待た無く為って居る」し「他の車に道を譲ら無く為って居る」し「40歳未満のアメリカ人は40歳以上のアメリカ人に比べて知ら無い人に挨拶をしない」のだと云う。
 その理由はSNSだと云うが、巷間に広く流布するこの説は「最近の若い者は…」と云う老人の繰り言の可能性がある。

 もう一つのアメリカの問題は「格差と停滞」で、此処では「アメリカンドリームは嘘だった」と云う興味深い研究が紹介されて居る。経済学者が成人の所得(或は世代事の所得順位)とその親達の所得の相関関係を比較した処「アメリカは他の主要な民主主義諸国に比べて所得の世代間相関は高く、社会的流動性は低かった」と云うのだ。
 その上でダイヤモンドは、アメリカに必要なのは「未来への投資」だと述べる。それにも関わらずアメリカの超富裕層は「解決策を見付ける事に富と影響力を注ぐのでは無く、自分と家族だけがアメリカの社会問題から逃避する方法を探し求めて居る」として「ニュージーランド・・・先進国の中で最も孤立して居る・・・に不動産を買う事」や「大金を費やしてアメリカ国内に在る打ち捨てられた地下ミサイル倉庫を豪華な防空壕に改装する事」に血道を挙げて居ると批判して居る。

 世界を待ち受けている問題は「核兵器」と「気候温暖化」だ。取り分け気候変動に付いては、代替エネルギー源として有力なのは原子力発電だとしてこう述べて居る。

 広島と長崎の記憶は・・・スリーマイル島やチェルノブイリ、福島によって強化され・・・アメリカ人や他の国の人々の原子力発電に対する思考を麻痺させてしまって居る。繰り返すが、それでも、私達は問わねば為らない・・・原子力のリスクは何か、代替エネルギーのリスクは何かと。
 スティーブン・ピンカーは『21世紀の啓蒙』で、格差の拡大よりも社会全体の富が増える事の方が重要だと主張し、核の脅威は確かに本物だが過大に喧伝されて居るとする。この様にピンカーはアラユル点で「典型的なリベラル知識人」であるダイヤモンドと対立するが、気候変動では2人の主張が一致する。

 楽観主義のピンカーは「様々な面で地球環境は改善されて居る」として「1970年以降、アメリカでは5つの汚染物質の排出量が約3分の2下がった」「農業の効率が増すに連れ、農地は温帯林に戻されつつある」「熱帯林に関しては未だに破壊が甚だしいが、20世紀半ば頃と21世紀への変わり目頃を比べると、そのペースは3分の2低下した」等の証拠・エビデンスを並べるが、気候変動に付いては「間違い無く憂慮すべき事態にある」と認める。

 だが「自己犠牲の精神ではこの問題は解決しない」し「解決の為に途上国に犠牲を強いるのは間違い」だとして、人類が温暖化の危機から脱する為の3つの方法を提言する。「炭素税」「原子力発電」「大気中の二酸化炭素を減少させる将来のイノベーション」だ。
 何故風力発電や太陽光発電の様な代替エネルギーではダメなのか。それは広大な土地を必要とし、逆に環境を破壊してしまうからだ。ピンカーは「世界のエネルギー利用の増大に追い着くには、毎年ドイツと同面積の土地を風力発電所にし無ければ為らない」し「2050年迄に再生可能エネルギーで世界のエネルギー需要を満たすには、アメリカ(アラスカを含む)に加え、メキシコと中央アメリカ、それにカナダの居住地域を合わせた面積と同程度の土地を、風車と太陽光パネルで埋め無ければ為ら無い」と云う。

 それに加えて、可燃物の燃焼による大気汚染や、化石燃料の採掘中や輸送中の事故では毎日多数の人が死亡して居り「石炭火力発電の場合、年間100万人が死亡して居る可能性がある」とされる。気候変動から地球を守り、尚且つ人命も守りたいなら原子力発電を推進すべきなのだ。
 殆どの事で全く話が合わ無いだろうダイヤモンドとピンカーが、共に原子力発電の大幅な拡大を主張して居る事は興味深い。

 ちなみに、此処でも日本の立場は極めて危ういものに為って来て居る。福島原発事故以来、日本の電力は化石燃料、取り分け石炭発電に頼る様に為って居るが、スウェーデンの少女が気候変動と闘うジャンヌ・ダルクに為る時代には、こうした政策は早晩、維持不可能に為る事を覚悟して置か無くては為ら無いだろう。


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 橘 玲(たちばな あきら)作家2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)

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     橘玲 最終更新:2/13(木) 21:00 ダイヤモンド・ザイ   以上



















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