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2019年12月30日

2020年の日本経済が 長期停滞から脱せ無い理由




 2020年の日本経済が 長期停滞から脱せ無い理由

        〜東洋経済オンライン 村上 尚己 12/30(月) 6:01配信〜


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 〜2020年度当初予算案では「過去最大規模」「100兆円台」と云った言葉で財政規律の緩みばかりが指摘される。だがそうでは無いとの見方も。政府から12月20日に2020年度当初予算が発表され、歳出規模は102兆6000億円と為った。
 「過去最大規模100兆円台を超え歳出が膨らんだ」「財政規律に課題」等とメディアで報じられて居る。こうしたメディアの伝え方は果たして妥当なのだろうか?〜


 2020年度の歳出総額は102兆6000億円だが、2019年度予算が101兆4000億円なので、前年から約1.2%の増額予算である。先ず、政府歳出が経済成長に及ぼす影響をみる為に、名目GDP(国内総生産)と比較した伸び率を比較する観点がある。
 2013〜2018年度の名目GDPは平均約プラス1.8%、そして政府は2020年度約プラス2%の名目経済成長を想定して居り(これは相当楽観的だと筆者考えて居るが)、ホボ変わら無い。2020年度の歳出の伸びが、名目経済成長率より低いので、政府歳出は経済成長率を抑制する方向に作用する可能性が高い。

 より厳密に見る為に、政府の税収の伸びと歳出の伸びを考える。2013〜2017年度の名目GDPは平均約プラス2.1%、同期間に2014年度の消費税率引き上げ(5%から8%)の影響を除いて税収は平均約3.4%増えた。経済成長率よりも税収の増減率が大きく為る為、2020年度が政府の想定通りの経済成長率なら10月からの消費増税が無くても税収は3%以上増える。

 2020年度予算は「可成りの緊縮財政」

 少なくとも税収(2017年実績106兆8000億円、地方を含めた国全体ベース)がプラス3%以上増え、政府歳出(同121兆8000億円)がプラス1%程度であれば財政収支は改善する。これは、家計・企業等の民間部門から政府に対する支払いが増える緊縮財政である。

 更に2019年10月からの消費増税によって、教育費無償化等の家計への恩恵を含めても恒久的に家計に2〜3兆円負担が増えると筆者は試算して居る。この為、2020年度の税収は更に1〜2%ポイント上乗せされる。この結果、税収と歳出のバランスで見ると、2020年度は可成りの緊縮財政に為るだろう。只、消費増税で経済成長率がゼロ%前後に落ち込むと見られ、実際の税収の伸びはプラス3%を大きく下回るだろう。

 この為、2020年度予算では、歳出が抑制される中で増税が行われるので、緊縮財政が続くと見るのがより正確だろう。詰まり「過去最大規模」「100兆円」と云う2つのワードを強調するメディアは的外れである、と云うのが筆者の考えである。
 12月12日のコラム「安倍政権の対策では、殆ど経済成長しない」で、12月初旬に政府が発表した「安心と成長の未来を拓く総合経済対策」において公的支出は13兆円の規模だが、これが日本の経済成長率を高める可能性は極めて低い、とした。
 又、同様の大規模対策と為った2016年8月の経済対策によって、その後の政府支出の伸びが全く高まら無かった事を紹介した。こう為る理由の一つは、補正予算で事業規模が増えても、その影響で当初予算ベースの歳出が減る事である。

 建設業等に恩恵が偏る歳出拡大は資源配分を歪める

 そして、筆者の予想通り、12月の経済対策で公共投資が上積みと為った為、2020年度の予算では公共工事関係費は前年から減額に為った。なお、消費増税によって家計の実質所得が目減りする個人消費への悪影響を、建設業等に恩恵が偏る歳出拡大で対応する政策は資源配分を歪める弊害が大きい。
 この為、当初予算で公共投資を減らす事は問題では無いとしても、個人消費の落ち込みへの手当として、低所得者向けの社会保障関連等の歳出を拡大させる余地が大きいと筆者は考えて居る。
 何れにしても、大規模な経済対策を発表しても、政府による歳出上乗せが実現し無ければ、先に述べた通り2020年は増税によって緊縮財政と為る。2%インフレの早期実現の為に、金融財政双方において景気刺激的な運営が求められるとすれば、これは大きな問題である。

 アメリカでは、著名経済学者であるラリー・サマーズ教授が、2013年に長期停滞論を唱え始め、政府による歳出拡大の必要性を訴えて居る。長期停滞論そのものに対して筆者は懐疑的に考えて居る部分がある。只、同氏が2013年に主張した後、先進国の中で経済正常化が最も進んだアメリカでも、極めて低い金利とインフレ率が長期化したママである。
 同氏が主張する拡張財政政策には説得力があり、その慧眼に感服せざるを得無い。更に、アメリカの大物経済学者であるオリビエ・ブランシャール元IMFチーフエコノミストは、国債金利が名目経済成長率を下回る場合に、総需要を増やす財政政策が必要であり、特に日本は長期停滞に陥って居る為金融・財政政策でテコ入れする必要があると主張して居る。

 これ等アメリカの一流の経済学者の提言は、日本の経済政策運営には残念ながら殆ど生かされて居ないと言える。標準的経済理論を軽視した政策運営が続く為、オリンピック・パラリンピックを迎える2020年の日本経済は長期停滞から脱する事は極めて難しいと筆者は予想して居る。
 そして、従来から当コラムで指摘して居るが、現在の経済政策運営が安倍政権の政治的土台を揺るがすリスクが高まると見ている。


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             村上 尚己 エコノミスト   以上









 【関連記事1】  「消費税10%」に日本経済は耐えられ無い懸念

  決定間近「骨太の方針」に対する根本的な疑問


       〜東洋経済オンライン 村上 尚己  エコノミスト  2018/06/04 7:00〜

 消費税が10%に為ると、対策を打っても家計への実質的な増税額は3兆円超に為る可能性がある・・・今年も「骨太の方針」の作成が佳境を迎えて居る(6月に政府が発表予定、正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針」)
 方針を決める経済財政諮問会議では、2019年10月の消費増税が予定される中で、2014年の増税時の様な景気の落ち込みを防ぐ対応策が議論されて居る。

 「消費増税による悪影響」が、正しく認識されて居ない

 この中には、消費増税前の駆け込みと反動減がもたらす「経済の振れ幅」を平準化する対応策がある。だがこれらは本質的な対応とは言え無いだろう。何故なら消費増税の悪影響とは、増税による家計所得の目減りによって個人消費が落ち込む事だからである。
 「増税による恒久的な家計所得の目減りを、家計への所得補填政策でどの程度カバーするか」が、増税のインパクトを決する。2%の消費増税分から軽減税率分を引いた4.6兆円程度が、2019年10月から恒久的に家計所得の押し下げに作用する。

 一方、予定されて居る消費増税分の内、約2兆円に付いては幼児教育や大学授業料無償化等の対策に使われると云うのが安倍政権の公約と為って居る。実際には、増税ショックを和らげる恒久的な家計への所得補填がどの程度の規模に為るかは、制度設計によって変わると筆者は考えて居る。
 消費増税と共に実現する、家計に対する所得補填の規模がホボ明らかに為って居る政策では、幼児教育無償化に約0.7兆円、低所得年金生活者(対象800万人)に対する支援金等に約0.5兆円が充てられる、と筆者は見積もって居る。

 以上は増税開始と同時期に始まる見通しだが、この恩恵を受けるのは、子育て世帯、低所得高齢世帯であり、消費性向が高い一部世帯への所得補填は、増税ショックを多少和らげるだろう。
 もう一つの所得補填の目玉は、大学等高等教育の授業料無償化、支援金支給等の政策である。だが、これを通じた所得補填に付いては、規模や対象範囲は依然明確に為って居ない。なお、この制度は2020年4月から始まるので、2019年10月の消費増税には間に合わ無い。
 家計が支払う大学等の授業料の総額は年間3.7兆円と試算され、個人消費の1.5%の割合と為る。この対象世帯の範囲によって、授業料無償化による家計への所得補填は数千億円レベルで異なって来る。

 結局、家計所得への補填は1兆円程度?

 2017年の自民党部会における資料によれば、低年収世帯には「授業料無償化」+「年収300〜500万円世帯へ半額無償化等」で、0.7兆円の財源(家計への所得補填)が必要と試算されて居る。この対象と為るのは、大学授業料を負担する世帯の2割程度と見られる。
 一方、最近の報道によれば、大学等の授業料無償化に付いて、授業料全額無償化は世帯年収約200万円以下に限り、世帯年収380万円まで、年収毎に段階的に授業料の一部を補填する案が検討されて居る模様である。この案だと、大学無償化による所得補填を受けるのは対象世帯の1割以下に為るとみられ、上記の自民党案で示された0.7兆円の半分以下の規模に増税時の家計所得補填が抑えられる可能性がある。

 これは授業料無償化に限る話で、別途、学生への生活支援の枠組みも検討されて居ると報じられて居る事から、或る程度の上積みはあるかも知れない。最終的には、今後固まる制度設計次第ではあるが、霞が関から漏れ伝わる報道を踏まえると、2兆円分とされる消費増税の使い道の内、家計所得補填にまわる規模は1兆円程度に留まる可能性がある。

 そう為ると、消費増税による家計負担は3兆円を超える可能性があり、家計所得の1%超に相当する可能性が出て来る。2014年の消費増税時の8兆円の家計負担と比べると小さいものの、2019年の賃金上昇率がどの程度高まるかで、個人消費に及ぶ影響は異なって来る。
 もし賃金が1%前後の伸びの状況で3兆円を超える増税負担と為れば、可処分所得の伸びはホボゼロ迄抑制される。2014年程では無いが、個人消費に相当なブレーキが掛かるリスクがある。

 1〜2兆円規模の追加国債発行は、殆ど問題が無い

 2%インフレの実現が難しい2019年度半ばの時点で、家計所得と個人消費にブレーキを掛ける緊縮財政政策の妥当性をどう考えるか。教育無償化には人的資産を底上げする性質があり、この恒久的制度の財源を国債発行によって調達する合理性はある。
 又、既に国債発行残高GDP比率は低下して居り、1〜2兆円規模の追加国債発行は殆ど問題に為らない規模である。そして、日本銀行による現行の金融緩和の枠組みでは、日銀による国債購入が減少して居る事が金融緩和の効果を弱めて居る可能性がある。国債発行の拡大は、金融緩和の効果を高め総需要安定化政策の強化と為り、遅れて居る脱デフレを後押しする。

 国税・地方税を併せて、税収規模は既に100兆円に達して居るが、早期に名目GDPが3%程度伸びる経済状況を実現する事は、3兆円規模の税収増が確保される事を意味する。であれば、長期的に財政収支を安定させる為には、道半ばにある脱デフレと正常化完遂を最優先する事が最も確実なプロセスに為る。
 1990年代半ばからの不十分な金融緩和政策、緊縮財政政策の帰結としてデフレ不況が長期化して来たことが、公的債務拡大の最大の要因だと筆者は考えて居る。

 そう考えると、総需要安定化政策を徹底する堅実な政策運営が、最終的に将来世代の税負担を減らすことに為る可能性がある。政治的な事情が優先され、インフレ率が極めて低い中で再び個人消費に大きなブレーキを掛ける緊縮政策に踏み出す可能性が高まって居る様に見えるが、そうであれば脱デフレ完遂を前に日本経済に暗雲が漂っても可笑しくは無い。


                    以上









  【関連記事2】 「日本は借金まみれ」と云う人の根本的な誤解

   「政府の借金」と「家計の借金」は同じでは無い

             〜村上 尚己 エコノミスト 2017/11/21 5:00〜

 「日本は年収500万円の家計が1000万円の借金を抱えて居る様なもの」等と説明する人が居る。筆者はこうした例えに疑問を投げ掛ける。日本の経済メディアでは「金融緩和・財政政策拡大を遣り過ぎると問題・弊害が起こる」と云う論者のコメントが多く聞かれる。

 日銀は本当に「危険な金融緩和」を続けて居るのだろうか
 実際の処2008年のリーマンショック直後から、米国の中央銀行であるFRBは、国債などの大量購入に果敢に踏み切り、それが一足早い米国経済の正常化を後押しした。その後、2012年の第2次安倍晋三政権誕生後の日銀総裁・副総裁人事刷新を経て日本銀行はFRB(米国連邦準備制度理事会)にホボ4年遅れる格好で大規模にバランスシートを拡大させる政策に転じた。

 これが、アベノミクスの主役と為った量的質的金融緩和政策が始まった経緯である。筆者には日本のメディアがこれを正しく伝えて居る様には思われず、未だに日銀は「危険な金融緩和」を続けて居る等と言われて居る。
 実際には、最も金融緩和に慎重とされたECB(欧州中央銀行)も含めて、多くの先進国の中央銀行は大規模な資産購入拡大を行って居り、日銀もその1つに過ぎ無いと云うのが投資家の立場での筆者の見方である。

 詰まり、雇用を生み出し国民生活を豊かにする為に、米国などで実現している金融緩和政策が、日本でも2013年に為って遅ればせながら実現しただけである。始めるのが遅かったのだから、FRBよりも日銀の出口政策が遅れているのは、止むを得ない側面がある。
 また、アベノミクス第2の矢とされた拡張的な財政政策は、政府部門の債務を増やす政策である。「日本の財政は危機的な状況にある」と云うのが通説に為って居る。
 「借金が増え続けて居る」と云うフレーズだけを聞くと、不安に思う一般の人々が多いのは仕方無いかも知れ無い。例えば年収500万円の人が、1000万円の借金を抱える事に為れば、その負担が大きいのは確かだ。そして、日本は国民1人当たりの借金が数百万円に達する等と頻繁に伝えられて居る。

 しかし、メディアで云われる「日本の借金」とは、個々の家計が抱える借金とは可成り異なるのが実情である。国民1人当たり数百万円の借金があると云う言い方は、機械的に計算するとそう云う数字が出て来るだけに過ぎない。
 これは、日本の財政状況の危機が深刻であるかの様に政治的にアピールする方便の1つだと筆者は常々考えている。この事実を理解するには、政府・企業・家計と云う主体別にバランスシートを分けて考えた上で、俗に云う「日本の借金」は、実は政府の負債であり、家計や企業から政府が借金して居ると云う貸借関係を頭に入れる必要がある。

 そうすると「日本の財政状況は、家計が大規模な借金を抱えている状況」と云うイメージと実情が全く異なる事が理解出来る。好く知られている話かもしれないが、政府部門では、2017年3月末時点で、借金である国債などが1052兆円の負債として計上されて居る。

 政府は借金の一方、日本人は国債と云う資産を保有

 だが、政府よりも大きなバランスシートを持つ金融機関と家計・企業によって、この1000兆円規模の国債(政府負債)の多くが「資産」として保有されている。詰まり、政府は借金しているが、一方で日本人が「国債と言う資産」を保有して居ることに為る。
 実際に国債を大量に直接購入しているのは銀行・生命保険会社などの金融機関であり、約1000兆円の国債などを金融機関が資産側に保有して居る。
 一方、家計・企業が国債を資産として保有して居る分は限られる。ここで、何故銀行や生命保険会社が国債を大量に保有するかを理解する前提として、金融機関と家計・企業のバランスシートの関係を理解する必要がある。

 政府負債である国債を巡る貸借関係を整理すると、家計・企業の預金(約1200兆円)を原資にして、金融機関を通じて、政府の負債である国債の殆どが国民によって金融資産として保有されて居ると云う事に為る。要するに、政府部門は1000兆円の負債を、家計や企業などの国民から一時的に借りて居るだけである。
 金融資産を蓄積している家計・企業の預金や保険料(将来の保険支払いに充当する)が、金融機関に取っての負債に相当するが、その見合いで金融機関は何らかの金融資産を保有し無ければ為ら無い。その投資先が、1000兆円規模の安全資産である国債に為って居る訳である。

 これを理解すれば、日本人全体で見れば、例えば500万円の収入の家計が、収入の2倍の規模(1000万円)のローンを抱えて居ると云うイメージと、現実が全く異なることが理解出来るのではないか。
 「借金大国日本」のイメージはバランスシートの1面にフォーカスしているだけで、バランスシートの別の部分をみれば、家計・企業の収入は500万円有るが、同時に安全資産である1000万円の金融資産を保有して居ると言う事も出来る。そう言えば、日本は大変豊かな国であると多くの方は感じるのではないか?

 財政健全化に傾倒する「緊縮策」は危険な思想 

 米国の経済学者である、ブラウン大学のマーク・プライス教授は、財政健全化などを至上命題とする政策を「緊縮策・Austerity」として、それに傾倒する考えを、危険な思想であると批判して居る。
 日本においては、金融市場・経済当局・メディアの関係者の多くが、この「危険な思想」に捕らわれて居る様に筆者には見える。安倍政権に為ってからの2014年の消費増税の失政により、脱デフレ完遂に時間が掛かってしまった経緯等をみれば明らかに思える。

 日本が「借金まみれ」と云うのは誤解で、寧ろ実際には世界一の資産保有国である。財政赤字や公的債務問題は、日本の「有権者」が自ら選んだ政府に一時的に貸している資産(借金)が増えている、と云うだけである。
 そして政府から有権者である国民への借金返済ペースは、国民経済を豊かにする為に、余裕を持って決める事ができる。性急な増税が妥当な政策なのか、我々国民は冷静に賢く判断出来ると筆者は考えて居るが「危険な思想」に傾倒した方々には、冷静な判断が難しいのかも知れない。


                   以上






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強引過ぎた「大学入試改革」・・・その断念から考える「日本の難題」





 

 


 強引過ぎた「大学入試改革」

 その断念から考える「日本の難題」


          〜現代ビジネス 山下 祐介 12/30(月) 9:01配信〜


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               山下祐介 首都大学東京教授

 何故、無理な入試改革が進んだのか

 2019年11月の大学入学共通テストにおける英語民間試験の導入断念に続いて、12月には国語と数学の記述式問題の延期が決まった。様々な批判を浴びて居るが、萩生田光一文部科学大臣の決断に敬意を表したい。
 と云うのも私も又大学に勤務して居て、一連の入試改革に付いては疑念や疑問を内心抱きながらも、文科省の引いたラインに黙従して来た一人であったからだ。口には出せ無いが、今回の改革が此処で中止と為った事で、ㇹッとして居る関係者は多いと思う。
 勿論その為に準備して来た受験生には気の毒だが、英語四技能も記述式を解く力も、大学において社会において、更には受検一般において必要な力だ。身に着けておいて損は一切無いものだから安心して欲しい。

 問題は、今と為っては無理押しに見えるこの改革が「何故、進んで来たのか」である。それも大学と云う、或る意味では知の集積を誇るべき現場を舞台にして。此処では、自己反省を込めてこの事件を振り返って置きたい。と共に、この問題から見えて来る令和日本の政治的課題に付いて、私見を述べたいと思う。詰まりは安倍政権後の、次の政権の課題が此処から見えて来ると云う事である。

 文部科学省が進めて来た大学入試改革

 この内、国語と数学の記述式問題の延期に付いては、大学そのものは直接関わら無い案件であり、私自身にも取り敢えずの責任は無いと云える。これに対し、英語の民間試験の導入は、各大学で、自らの意志で主体的に進めて来た形に為って居る。
 それ故、一部の大学では民間試験の導入に否定的な立場を表明し、一時は導入し無い事を決めて居た大学もあった。しかし最終的には殆どの大学が民間試験の導入を呑み、大臣がストップを掛け無ければこのままスタートする処迄改革は進んで居た。
 何故、これ程迄、全国の大学の殆どで、民間英語試験の導入が決められて行ったのか。今ソコに、前大臣の圧力が取り沙汰される報道も為されて居るが、私には次の二つの問題が大きい様に思える。

 「文科省が進めて居るのだから大丈夫」

 第一に「この改革は文科省が進めて居るのだから、大丈夫」と云う思い込みである。私の専門は社会学である。民間英語試験の導入に付いては確かに最初「えっ」とは思ったが、当然それは、英語学や教育学等の専門分野の議論が尽くされて出て来たものと解釈して居た。
 今回露呈した地域間格差等は私の専門領域でもあるのだから「お前は何故その時、専門家としてその事を指摘しなかったのか」と読者のご批判を受けそうだが、そこは私だって一個人。

 この改革は中教審で審議し、文部科学省が旗を振って出て来たものである。ソコは当然、問題点は全て検討し尽くされ、且つそれがクリアされて大学に来て居るものと思い込む。そう思うのが当たり前ではないだろうか。それがフタを開けてみれば、多くの問題が未解決処か十分な議論も為されても居なかった。大学関係者の多くが「一体何故?」と狐に摘ままれた様な気持ちで居る筈だ。
 結局、アノ時、勇気を出して批判して居た人達コソが正しかったと云う事に為るが、それも極一部であり、あの東大でサエ最後は折れ、民間試験の活用に転換して居た。経緯はどうアレこの改革には見な乗っかって居り、現大臣の決断無しには最早止められ無い流れであった事は間違い無い。

 だが、一体何故文科省で、ココ迄杜撰とも云える改革が進んで居たのか。考えてみれば、霞ヶ関の各省庁・官僚達は、本来コンな形で仕事をする集団・人々では無い。嫌、現行の文科省だって、基本的には着実、誠実に、石橋を叩いて渡る様な遣り方で、今もこの国の文部科学行政のあるべき姿を調整して居る筈だ。
 それが何故入試改革でこんな事が生じたのか。この点に付いては、もう一つの改革、国語の記述式問題の導入に付いて私が感じて居た事を挙げ、第二の問題点として指摘してみたい。







 「記述式問題」が持つ機能

 私は国語の専門では無い。しかし、これ迄も小論文や総合問題の作成・採点には携わって来たから、この改革の問題性は好く判る。記述式問題の採点は難しいのである。採点は簡単には行かない。慣れが絶対に必要だ。答案には、文字がキチンと書けて居なかったり誤字脱字も様々ある。その判別さえ難しい事も。
 結局は、形式的な事以上に、キラリと光る回答や、明晰な分析力、或いは文章力等、その受験生が持って居る人間としての力を評価出来るかどうかが重要に為る。そうした人間の力はリジッドに採点出来る様なものでは無い。矢張り最後はセンス(感覚)で評価して以下ざるを得ない。

 センスと云うと、好い加減に採点して居る様に思われるかも知れない。処がこのセンス、一定のスキルを積むと、採点者の間ではホボ共有出来るものでもあるのだ。
 不思議だが、誰が採点しても大体同じ様な点数に為る。人によって採点がズレる答案も勿論有る。だがソコには又、そのズレにそれ為りの意味があり、何等かの長所と共に欠点も持って居るものなのだ。私達にはそれが判る。何故か、大学教員は、日々、そうした鍛錬を続けているからである。
 学生達の文章は勿論、学術論文の査読も行い、自分自身の論文や文章の推敲も含めて、毎日が採点業務に近い作業の連続なのである。

 それを大量に、大学教員でも無い人々を動員して遣る? それは無理だろう・・・と、記述式の作問や採点に携わった事の有る人なら誰もがそう感じて居た筈だ。更に次の点も重要である。
 採点者のセンスが採点に関わって好いのは、二次試験と云う、最後の最後、その受験生を取るか取ら無いかを決める段階においてだからである。受験は、当確のボーダーを超えるか超えられないかで決まる無い、だから最高点とか最低点とかは基本的に問題に為ら無い。
 受験生から見れば、そこで1点でも多く点けて欲しいと云う事に為るが、これを採点する側から見れば違う世界に為る。採点する側はボーダーラインを明確にする為に、受験生の評価に差を着け無ければ為ら無い。

 力の有る学生には全員入学して欲しいが、定員の関係でそれが出来無いから入試をするのである。そのボーダーは適正で無ければ為ら無いが、屡々そのラインには同じ様な力の学生が並んで居る。その一人ひとりの力の差を適切に評価する採点が出来るのも・・・そう大学が自信を持って入試結果を提示出来るのも・・・記述式だからコソなのである。
 二次試験を多くの大学がマーク式では無く、手間暇の掛かる記述式で行うのは、受験生の力を細かく見てその差を的確に差異化し判断したいからだ。そしてそうした判断が、少なくとも我々プロの手によれば適切に行われ得るのだと確信して居るからでもある。

 これに対し、一次試験とは、受験生が自分の学力を先ずは全国共通の問題で観測し、全体の中でどの辺りに居るのかを確認すると共に、そこで取れた点数で(挽回のチャンスも含めて)自分の行きたい大学・学部のボーダー突破の可能性を見極め、的確に受験校を設定する為のものである。
 それは又、自分の学力が未だ届か無い大学の受験にトライするリスクを回避する為でもある。そこに一次試験の機能はあるのだ。それには当然、マークシート式のデジタルな測定が適して居る。採点が曖昧では困るからだ。

 一次試験は選択式でデジタルに。これに対し、最終決定の二次試験は記述式のアナログで。定員によってはそれが出来無い大学もあるが、国公立大学の多くがこの遣り方を採用して来たのには、チャンと理由がある訳だ。その記述式を一次試験に導入するって? 
 一寸待てよ・・・と、多くの大学関係者が思った筈だし、私もそう思ったと続けたい処だか、実はそうは思わ無かった。そして多分、多くの大学関係者も同じだったと思うのだ。それは何故か。それがココで指摘したい第二の問題である。

 「文科省に逆らっても仕方が無い」

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                    萩生田文科大臣 

 この時私はこう思った。論理的にはソウだが「文科省に逆らっても仕方が無い」と。「可笑しい」と抗議しても仕方が無いと云う以上に「文科省がそう言って居るのだから、もうどうにも為ら無い」と云う諦念(ていねん)である。そして実はこの諦念コソ、一連の改革に対して大学が感じて居た最も重要な事だったのではないかと思うのである。
 この事も又、大学に関わりの無い人が見れば「それは無責任だ」と思うかも知れない。だが、これもこの間の事情を確り認識して欲しいのである。この無責任体制、何故そうしたものが大学の中に出て来ているのか。

 大学、特に国立大学は、この十数年間、文科省による大学改革に晒されて来た。国立大学は国立大学法人に。研究費の競争化、任期制の導入、FDにSD、COEにイノベーション・・・大学のアリとアラユル面に様々なメスが入れられて来た。
 しかもそうしたことで、大学に当初目指した様な国際競争力が着いたの為らば未だ好い。だが実際には、改革を進めれば進める程、研究・教育以外の業務が増え、日本の大学の研究力・教育力は寧ろ着実に転落して来た。息が詰まる様な環境の中で今、大学の教育・研究は行われて居る。

 多くの研究者が実感して居るのは、この20年程の大学改革は失敗だったのではないかと云う事である。しかしながら、この間に強められた文部科学省との力関係の中で、その失敗の責任さえもが大学に向けられて居る。大学は、この間の改革の評価さえ論じる事が出来ない立場に追い込まれて居るのである。
 結局、大学改革の結果として現れて来た確実な成果とは、大学に対する文部科学省の絶大な権力の確立だったと言える。大学に取って「文部科学省が言って居るのだから仕方が無い」は、倫理的にどうこう出来るものでは無く、現実的なパワー(権力)の問題なのである。








 誰の為の入試改革だったのか
 
 だが・・・問題の核心は更にその先にある。これだけ杜撰な入試改革。一体誰が何の目的でこんなものを強引に進めて居たのか。こう「問い」を立てて観た時に、先ず気が付くのは、それは勿論文部科学省の為では無いなと云う事だ。
 霞ヶ関の各省には、各省の「省是(しょうぜ)」とも云うべきものが有る。省としてのミッションが有ると共に、これは絶対に遣って行け無いと云う事も厳然として有ると云う事だ。文科省に取っては、受験が不正確に或いは不平等に行われる事コソ、絶対に有っては為ら無い事だ。その省是を越える様な無理な改革が今回、進んで居た事に為る。これは勿論、文科省自身が望む事で有る筈が無い。

 だとすれば、それは矢張り政治からの強制に為るのではないか・・・と云う事だが、これも考えてみると、今回、安倍内閣の中枢に居る萩生田大臣がその進行をストップさせたのである。無理なゴリ押しは、政権運営に取っても望むものでは無く、寧ろ今回の改革は遂行する方が危険だと判断した事に為る。
 だとすると、この入試改革、無理に進めても得するものは誰も居ないと云う事に為る訳だ。結局、問題は、何故コンナ、誰も得をし無い、杜撰とも言える改革が、実施寸前に迄無理押しで進んで居たのかに為る。それも、もし仮に実施して居たら、政権運営にさえ悪影響が及びかね無い様な状態で。

 私達は恐らく、こう議論を進め無くては為ら無い。何故、コンナものが進んで居たのか。それは矢張り、権力が絶大化して居るが故にでは無いかと。その権力とは勿論、大学が直接、向き合って居る文科省では無く、その向こう、政府であり、官邸であり、安倍晋三内閣であると云う事に為るが、問題の核心は更にその先にあると云う事だ。
 要するに、官邸の周囲で生じた声が、その声の主の思い以上の絶大な力を行使する様に為って来て居り、そうした声が過剰に政治化され政策化されると共に、その政策に対する異論や反論は一切起き無い、問題点の整理やリスクの排除等が為され難く為って居ると云う事だ。

 嫌、こうした異論・反論の排除は、その末端に迄行き渡って居り、この現象は中枢だけのものでは無い。そこが最も重要なのかも知れない。
 この入試改革では、その現場である大学においてサエ、批判の声は少数だった。その事よって、本来、政策化に伴って現場から挙がって来るべき声が挙がらず、問題点が放置されたママ政策だけが只実施化される・・・正にその寸前迄行って居たのが今回の入試改革であったと言える。








 過剰集権が齎(もたら)すもの
 
 この様に論じて来て思うのは次のことだ。安倍政権の「一強」が言われて久しい。だがもう本当に、この強権体制を解か無いと政治が主導する事サエ、真面には動か無く為って居ると云う事だ。恐らくこの入試改革は氷山の一角で、色んな局面で同じ様な事が起きて居るのではないか。政策が標的とする現場で、強い政権への事無かれ主義、責任転嫁が進んで居る。

 現場として「本来こう有るべきだ」「こうで無ければ困る」よりも「反対しても仕方が無い」「逆らわ無い方が好い」が強く為って居り、協力するにしても「やった振り」を装ってさえ居る。それ故政権に取っては、政策が実現して居る積りで居たら、後に為ってみれば「真面目にそれを遣って居なかった」と云う事さえ生じて居り、今回の様に、実施寸前でそれを急遽、政治主導で止め無ければ為ら無いと云う事が現れ始めて居ると云う事だ。

 強力な中央集権体制は必ず腐敗する。安倍政権が駄目だとかそう云う事では無い。強力な体制には必ずそうした欠落が生じるものだ。
 それでも現行の政権は憲法改正を目指して居るだけで、特段何かの政策実現を志向したものでは無いから、精々森・加計や桜を見る会程度で済んでは居る。とは言えこれでも十分に、公文書が次々と消える等の内政崩壊を示して居るのではあるが。
 しかし、もし同じ様な事が外交や軍事・経済領域で起きれば、国民全体の暮らしに与える影響は計りしれ無い。この状態は兎も角早く解かねば為ら無い。

 他方で、私達はもう既に、この長期政権を観察して、今回の権力強大化を引き起こした原因が判って来ても居る。
 それは第一に小選挙区制であり、第二に内閣人事局が持つ人事権であり、そして第三に首相による解散権の乱用であった。これ等が相互に絡まり合って、安部一強体制を支えて来たと、既に何度もそう報じられて来た。権力の強大化は或る意味でこの政権の実力では無く、構造的制度的に生じたものだと。

 私達はもう好い加減に、現行の政治体制が持つこうした問題点を直視して、その改善に手を着け無くては為ら無い。既に来年に向けて、報道では次の総理は誰なのかが噂されて居る。
 この入試改革の顛末を見ていて思うのは、次の政権には、自らの政策内容を提示し、実施する前に、先決で遣らねば為ら無い課題があると云う事だ。それは、首相及び内閣に集まり過ぎた権力をどう元に戻し、どの様にして真面な政治・行政運営の体制を取り戻せるのかである。
 怖いのは、次の政権が、今の政権と同じ環境の元で更なる政治運営を行う事である。絶大な権力を、間違った形で振るわれれば、この国の未来は危うい。

 次の政権には・・・それが今の与党であれ野党であれ・・・先ずはこの政治体制の健全化・自浄化装置の取り付けを第一の政治使命として貰わなくては為ら無い。そしてそれを1年以内で実施した上で速やかに解散し、新しい体制で新しい政治運営を行う政権を、改めて選挙で選ぶと云う段取りが理想だし必要だろう。
 問題は、それ程の危機感を持って、この数年の政権運営が持って居たリスクを国民が感じて居たかと云う事である。この国の、一見みえ無い危機に警鐘を鳴らす意味を込めて、この年の暮れに自己弁解にも似たこんな小論を認めてみた。

 令和2年が好い年に為ればと真に願う。


 山下 祐介氏 首都大学東京都市社会学部准教授 1969年生まれ 九州大学大学院文学研究科博士課程中退 弘前大学准教授等を経て現職(現在は教授) 専攻は都市社会学、地域社会学、農村社会学、環境社会学。東北の地方都市と農山漁村の研究を行い、津軽学・白神学にも参加(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されて居たものです)

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               山下 祐介     以上



 【管理人のひとこと】

 素人にも判り易く丁寧に、そして核心を突く理路整然とした論文だと感心した。徒に激せず抑えた論調にコソ多くの人に訴える力が有るのだとも再確認した。私は「殊、教育に関して」は、不確かな政権が干渉しては為ら無い、全ての国民の持つ犯しては為ら無い「聖域」だと思って居る。
 教育とは、生まれてから成年に為るまでの間の「次の国民」を育てる、0歳から30歳前後までの人間形成に影響する・・・それコソ基本的な権利であろう。それを、数度の選挙の結果出来た「政権」が改革とか生産性とかの尺度で干渉し、増してや指導・強制はしては為ら無い筈なのだ。
 時の政権の教育政策の出来次第で、次の国の方向性が曲げられる様な事が在っては為らず、教育とは50年・100年以上先を見詰め思考した結果の崇高な使命があるのだから、もし「文科省」的行政機関が必要だとしても、そこの使命は、教育界の提言に基づく「予算執行」「提言の遂行」に絞っての権限に限定し、先ずは、縁の下の力持ちとして行動を採るに留めるべきだろう。戦前の教育を考えたら、時の政権に全権を委ねるとどの様な事に為るのかは、経験済みの筈である。







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連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(5)ポーランドから最後の返礼 「ヤルタ密約」連合軍を震撼させた




 連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(5)

   「ヤルタ密約」連合軍を震撼させた


          〜nippon.com 岡部 伸 12/30(月) 11:32配信〜

 北欧唯一の中立国・スウェーデンの首都は、連合側と枢軸側機密情報が交錯する「諜報のメッカ」だった。小野寺信(まこと)陸軍武官は、親密な人間関係を築いたバルト3国やポーランド等の情報士官から情報を得て、日米開戦後も欧州情勢や連合軍情報を東京に送り続けた。
 1944年9月、ストックホルムを訪ねた海軍の扇一登大佐(当時)は「小野寺さんは他国の情報将校から、諜報の神様と慕われて居た」と戦後、回想して居る。1945年2月、米英ソ首脳がクリミアのヤルタで、ソ連がドイツ降伏3カ月後に対日参戦する密約を交わした連合国最高機密を、小野寺は会談直後にポーランドから入手した。

 ヒムラーが忌み嫌った「世界で最も危険な密偵」

 ポーランドの大物情報士官、ミハウ・リビコフスキが小野寺と「心の絆」で結ばれたのは、小野寺が草木も靡(なび)くナチスに反抗し、危険承知でリビコフスキを守り抜いた為だ。
 小野寺が赴任して約半年後の1941年7月。ベルリンの中心地ティア・ガルテンでリビコフスキの部下がドイツの秘密国家警察(ゲシュタポ)に摘発され、リビコフスキが満州の偽造パスポートで、ストックホルム日本陸軍武官室職員として諜報活動を行って居る事が発覚した。
 ナチス親衛隊(SS)の第四代指導者、ハインリヒ・ヒムラーが「世界で最も危険な密偵」と忌み嫌い、リビコフスキ逮捕に躍起に為った。

 ベルリンに出張した小野寺に面会して、リビコフスキからの預かり物(指令書や活動資金)を受け取った直後に逮捕された部下は、ポーランド地下組織のリーダーで、ベルリン満州公使館で雇われて居た。その前は、リトアニアのカウナス日本領事館で杉原千畝領事代理に協力して居た。
 「敵」はナチスだけでは無かった。日独伊三国同盟締結後、ドイツ一辺倒に為ったベルリン日本大使館で、満州国参事官としてポーランドとの諜報協力を主導して居た陸軍中野学校の初代校長・秋草俊も露骨にリビコフスキを嫌悪して居た。ドイツは、ベルリンの大島浩大使を通じて再三、リビコフスキの身柄引き渡しを求めた。

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                  小野寺とリビコフスキ

 しかし、小野寺は頑として受け付け無かった。ゲシュタポに四六時中命を狙われるリビコフスキを、武官室で保護し続け、更なる身の安全の為、ストックホルム公使館の神田襄太郎代理公使に依頼して、日本パスポートを発給した。偽名ピーター・イワノフに漢字を当てて「岩延平太」名義とすると、リビコフスキは「日本人に為れた」と深謝した。
 2人を親密にしたのは、一つには、リビコフスキ等ポーランド人が、日本に対して並々ならぬ好意を抱いて居た事があった。18世紀からロシアの侵略と圧政に苦しめられたポーランドは、そのロシアを日露戦争で打ち負かした日本を尊敬して居た。又、この戦争で、日本軍は望まずにロシア軍に従軍したポーランド人捕虜に寛容に接した。

 更に両国の距離を縮めたのが、ロシア革命後にシベリア出兵して居た日本軍が、ボルシェビキ(ソ連共産党の前身)に両親を惨殺されたポーランド孤児765名を救出した出来事だ。
 ポーランドの新聞は「日本人の親切を絶対に忘れては為ら無い。我々も彼等と同じ様に礼節と誇りを大切にする民族であるからだ」と伝え、ポーランド人は感謝の念を抱いた。日本も1919年の国交樹立後、ポーランドから暗号技術を学ぶ。
 そして1940年、カウナス領事館で杉原千畝領事代理が「命のビザ」を出して5000人を超えるユダヤ人を救ったが、その多くはポーランドから逃れたユダヤ人だった。

 こうした経緯でポーランドは日本を「大切なパートナー」と感じた。既に記したが、杉原は1939年の独ソ侵攻で祖国を逃れたリビコフスキに満州国パスポートを発給した。「命のビザ」の1年前で、杉原もリビコフスキ等亡命ポーランド政府の情報士官達と協力して諜報活動を行った。

 戦後も交わした100通近い往復書簡

 戦後、カナダ・モントリオールに移住したリビコフスキは、1970年に日本を訪れ小野寺と再会を果たす。その数年後、小野寺もカナダのリビコフスキを訪問した。2人は、1961年から1987年に小野寺が亡く為るまで、100通近くの往復書簡を交わした。
 手紙でリビコフスキは「マコトは自分の命の恩人だ。自分をドイツのゲシュタポから護って呉れたのはマコトだ」と、小野寺が体を張って守り通して呉れた感謝の気持ちを生涯、忘れる事は無かった。

 リビコフスキは遂に1944年3月31日、英国の首都ロンドンに移った。ドイツからの圧力に抗し切れず、同1月、スウェーデン政府が「秩序を乱して好ましく無い」と「ペルソナ・ノングラータ」(好ましからざる人物)として国外退去を命じたのだった。
 退去理由を小野寺は百合子夫人に「単に女の問題だ」と説明した。スウェーデン秘密警察調書によると、リビコフスキには70人の協力者が居て、大部分は恋愛関係と為った女性だった。男気有るリビコフスキに女性は魅了されたのだろう。反ナチスの女性を操り、ドイツにサボタージュや人間を媒介とした諜報活動の「ヒューミント」を仕掛けて居た。

 「ロンドンの亡命ポーランド情報部が入手した情報を駐在武官のフェリックス・ブルジェスクウィンスキーを経由して届ける」退去に当たり、リビコフスキは小野寺に約束。終戦迄約1年半、ロンドンから機密情報が送り届けた。ブルジェスクウィンスキーはリガで知遇を得た友人だった。
 バッキンガム宮殿に近いルーベンスホテルにあった、亡命政府陸軍参謀本部に登庁したリビコフスキは、ポーランド軍に復帰し、旅団長としてイタリア戦線に赴いた。代わって情報を送り続けたのは、上司の情報部長・スタニスロー・ガノ大佐だった。

 「今度は我々が日本を救う」と「至宝」提供

 中立条約を結んで居たソ連が対日参戦を決めたヤルタ密約情報も、1945年2月、このルートで提供された。小野寺の『回想録』によると、会談直後の2月半ば、午後8時から始まる夕食前だった。ブルジェスクウィンスキーの長男の少年が、螺旋階段を最上階5階まで駆け上がり、小野寺の自宅郵便受けに手紙を落とした。差出人はブルジェスクウィンスキーだった。
 「ソ連はドイツ降伏より、3カ月を準備期間として、対日参戦する」と書かれ、小野寺は直ちに中央(参謀本部次長あて)に打電した。

 ヤルタ密約に付いて、小野寺は旧陸軍将校の親睦組織の機関誌「偕行」(1986年4月号「将軍は語る」)で「ポーランド亡命政府の公式情報だった」と証言して居る。
 日本に取って敗戦を決定付ける近代史上最大級の情報は、ポーランドからすれば、長年の日本の厚意への「返礼」で「今度は我々が日本を救う」との思いの表れだった。小野寺の誠実な人柄を信用して、密約と云う「至宝」を惜しげも無く提供したのだった。
 ガノは、終戦後の1946年1月、イタリアのナポリから、日本に引き揚げる小野寺に、こんな心温まる言葉を手紙で贈った。

 「貴方は真のポーランドの友人です。長い間の協力と信頼に感謝して、もし帰国して新生日本の体制が貴方と合わ無ければ、どうか家族と共に、ポーランド亡命政府に身を寄せて下さい。ポーランドは経済的保障のみ為らず身体保護を喜んで行いたい」

 祖国をソ連に奪われ、共産化されたポーランドは、世界の誰よりもスターリニズムの恐怖を皮膚感覚で知って居た。「大切なパートナー」を同じ目に遭わせまいと密約を伝え、小野寺に「何かあったら俺達のところに来い」と伝えたのだ。
 不幸にもヤルタ密約の情報は、ソ連に傾斜する参謀本部の中枢で握り潰され、日本の政策を変えるに至ら無かった。しかし、それを齎してくれたポーランドの人達の熱い思い。そして、彼等から絶大な信頼を受けて情報を提供され、戦火の欧州で祖国を救うべく奔走した一人の誠実な日本人が居た事を誇りにしたい。


                つづく






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安倍長期政権の終わり方 <自民党元幹事長・山崎拓氏>




 




  安倍長期政権の終わり方 

 <自民党元幹事長・山崎拓氏>


           〜HARBOR BUSINESS Online 12/29(日) 8:32配信〜

 もはや「安倍4選」など有り得ない
 
 今般の臨時国会ではご存知の様に菅原一秀前経産相・河井克行前法相が「政治とカネ」の問題で相次いで辞任したのを皮切りに、安倍晋三総理自身が主催する「桜を見る会」に地元講演者を招いて酒食を提供した事に関して公職選挙法違反の疑い、ニューオータニで開かれた「前夜祭」に付いては、政治資金規正法に抵触する可能性など続々と「不都合な真実」が発覚し、嘘と公文書破棄による言い繕いも破綻し始めて居る。最早安倍の4選など有り得ない。

 安倍総理が抜き去るまで、総理大臣として最長の在職日数を誇った桂太郎も、最後は護憲運動の盛り上がりの中で退陣を余儀無くされ、その後、失意のママ一年も経た無いうちに没して居る。国民の中には、安倍政権への不満がマグマの様に溜まって居る。その不満を掬い上げる政治家が与野党問わず出て来れば、国民はその政治家と共に声を挙げるだろう。
 『月刊日本 2020年1月号』では「安倍長期政権の終わり方」と云う第一特集を組んで居る。今回はその中から、自民党元幹事長である山崎拓氏の論考を転載・紹介する。



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 レガシー無き安倍長期政権

 ・・・11月20日に憲政史上最長政権に為った安倍政権を、どう評価して居ますか。

 山崎拓氏(以下・省略) 戦後の歴代内閣は夫々歴史的なレガシーを遺して来ました。戦後内閣の主だった功績を列挙すれば、吉田内閣は主権回復・岸内閣は安保改定・池田内閣は所得倍増・佐藤内閣は沖縄返還・田中内閣は日中国交正常化・中曽根内閣は国鉄・電電公社の民営化・小泉政権は郵政民営化・拉致被害者の救出(一部)を遣り遂げて居る。
 それに対して安倍政権は、憲政史上最長とは言いながら主だった功績は無い。アベノミクスはデフレ脱却を実現出来ず、北方領土交渉は膠着状態、公約した拉致問題は未解決のママ、憲法改正も迷走状態です。レガシー無き長期政権だと言わざるを得ません。

 ・・・先日、中曽根康弘元総理が亡く為りましたが、安倍政権と中曽根政権は好く比較されます。

 安倍政権と中曽根政権は表面的に似て居るかも知れませんが、その中身は全く違う。先ず「官邸主導」の意味が真逆です。中曽根総理は土光臨調に象徴される様に、飽く迄も民間の有識者の英知を活かして官僚を主導しました。
 しかし、安倍総理は逆に俗な官僚に主導されて居ます。安倍総理は「アベノミクス」「一億総活躍社会」等様々なキャッチフレーズを次から次へと出しますが、本人のアイデアでは無いでしょう。所謂、秘書官のグループの振り付けだと思います。安倍総理は官僚を使うのでは無く、面従腹背の官僚に使われて居る様にしか見え無い。

 又外交面では、中曽根総理は米ソ両国の間で一定の指導力を発揮しました。中曽根総理はレーガン大統領、ゴルバチョフ書記長と会談を行い、両者に冷戦構造の解消を提唱された。ベルリンの壁撤去と38度線の解消を持ち掛け、日本も積極的な役割を果たすと訴えたのです。
 私は首脳会談に陪席したので好く知って居るのですが、中曽根総理はその方向に米ソ両首脳を説得され、その心を動かした。この様な主体的な日本外交が、1989年12月に米ソ両首脳が冷戦終結を宣言するマルタ会談に繋がったのだと私は思って居ます。

 それでは、安倍総理は「新冷戦」と呼ばれる米中対立に十分な指導力を発揮出来て居るか。このママでは日本は米中の狭間で埋没してしまうと云う危機感は日本社会全体に広がって居るのが現状です。安倍総理は、レガシーを築き上げて歴史に名を残す名総理には為れ無いのでは無いかと思います。

 「エリート」でも「叩き上げ」でも無い安倍総理

 ・・・安倍総理は戦後生まれの世襲議員であり、それ以前の宰相とは異質な様に見えます。

 安倍政権は戦後政治の中で特殊な位置を占めて居ると思います。戦後政治を振り返ると、ソコには戦前から続く官僚主義と、戦後に始まった草の根民主主義と云う二つの潮流がありました。戦後政治の底流には、エリートと叩き上げ、そのドチラが日本を引っ張って行くのかと云う主導権争いがあったのです。
 それが最も好く現れたのが佐藤政権末期です。当時「ポスト佐藤」の座を巡って福田赳夫と田中角栄が争いましたが、福田は吉田茂・岸信介・池田隼人・佐藤栄作に連なる官僚主義の嫡子です。それに対して、田中は草の根民主主義の申し子です。

 佐藤総理には、戦前から続いて居る官僚エリートが国政を担うべきであるから、その系譜に連なる福田が新たな自民党総裁として政権を担当すべきだと云う思惑があったと思います。しかし結果的に田中がポスト佐藤の座を獲得した事で、官僚主義の流れは途切れました。田中派の系譜、即ち草の根民主主義の潮流はその後も脈々と受け継がれて行った。
 それでは、中曽根総理はどうか。中曽根総理は帝大卒業後、内務省を経て海軍主計中尉に為り、元々は戦前の官僚エリートです。しかし、政治家に為ってからは憲法改正の旗を立てて自転車で全国を遊説したり、又憲法改正の歌を作ったりして、草の根民主主義の在り方を実践された。その意味で中曽根総理はエリートと叩き上げの両面を兼ね備えた政治家だった。
 処が、現在の安倍政権はエリート主義でも草の根主義でも無く、言わば世襲主義です。エリートでも無ければ叩き上げでも無いボンボンが日本を引っ張って居ると云う状況は、これ迄に無かった事です。

 ・・・佐藤内閣の時には「三角大福中」と呼ばれる有力な後継者達が居ましたが、今では存在感の有る総理総裁候補は殆ど居ません。何故自民党は活力を失ってしまったのですか。

 それは安倍総理が後継者を育成し無かったからです。例えば、中曽根政権は「ニューリーダー」と呼ばれる後継者達を育てました。竹下登には大蔵大臣・幹事長、安倍晋太郎には外務大臣・総務会長、宮澤喜一には通産大臣・政調会長を任せる等、後継者達を政府与党の枢要ポストに起用して経験を積ませ、お互いに切磋琢磨させたのです。
 最終的に中曽根総理はご自身が遣り残した売上税(消費税)導入を遣り遂げると云う約束で、竹下登を後継指名されました。予め一定の方針を持って後継者を育成しバトンタッチしたと云う事です。

 それに対して、安倍総理は積極的に後継者を育成して居る様には見え無い。小泉進次郎を環境大臣と云う端役に起用したのが良い例です。勿論現代において環境問題は重要な問題ですが、伝統的に環境大臣と云うポストは端役とされて居ます。安倍総理には、国民が最も支持する若手議員である進次郎氏を枢要ポストに起用して育てる気が無いと云う事です。
 安倍政権の中で連続して主要閣僚に起用されて居るのは、麻生副総理兼財務大臣と菅官房長官ですが、これは色々な意味で後継者育成には該当しない。党三役では二階幹事長が目立って居ますが、総理を目指して居る訳では無い。総務会長や政調会長は誰が為って居るのか分から無い位存在感が無い。

 安倍総理が後継者を育成して来なかった為に「ポスト安倍」の自民党は後継問題を巡って四分五裂の状態に陥り、低次元の権力闘争の混乱だけが残るでしょう。詰まり「三角大福中」時代の様に超大物が競い合うのでは無く、小物が競い合うと云う感じに為る。
 最早自民党は「ヘソの無い政党」の様に為ってしまった。安倍総理が一強独裁体制を敷いて来たツケは大きい。

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 安倍にしがみ付くだけの自民党議員

 ・・・自民党議員が小物ばかりに為ったのは、小選挙区制の弊害でもあると思います。

 同感です。中選挙区制の時代では、派閥が議員を育成する役割を果たして居ました。中選挙区では一つの選挙区で複数の候補者が当選する為、派閥同士で熾烈な競争を行い、お互いに切磋琢磨する事が出来た訳です。しかし小選挙区では派閥同士の競争原理が働か無い。その為、派閥は過つての様な教育システムの機能を果たせ無く為ったのです。

 又中選挙区制では無所属非公認でも選挙に出て、当選する事も出来ました。私自身、1972年の初当選時は無所属でした。しかし現在の小選挙区制では無所属非公認では選挙に出られ無い。出ても当選出来無い。昔は志さえあればチャンスを作れたが、今は志が無いし、有ってもチャンスが作れ無い。その結果、地盤・看板・鞄は有るが志の無い世襲議員が増えて行き、自民党の質が著しく劣化して居る。「自分は生まれながらに政治エリートに為る資格がある」と勝手に思い込んで出て来る人間ばかりで、安倍と云う権力者にしがみ付くだけの政治家群像に為ってしまった。
 昔の自民党には「此奴は将来大物に為るぞ」と云う人材がゴロゴロ居ましたが、今の自民党には殆ど見当たら無い。人材が払底して居る。自民党OBとして私自身の責任も噛み締めて居ますが、本当に目を覆いたく為る状況です。自民党だけでは無く日本全体に取って由々しき事態です。

 ・・・小選挙区制度の弊害は明らかです。この制度は変えるべきだと思います。
 
 それはその通りですが、現実的では無いと思います。小選挙区制で当選して居る議員に選挙制度を変えるモチベーションは無いですからね。それ故問題は、現在の選挙制度のママでいかに人材を育成して行くか、と云う事です。答えは一つしか無い。派閥の競争が無く為った以上、矢張り与野党の競争で人材を育成するしか無いのです。

 元々小選挙区制の在るべき姿は、与野党の間で振り子の原理が働いて、政権交代の緊張感がある事です。与党は政権交代を防ぐ為に、野党は政権交代を実現する為に、お互いに党内で議論を重ねて魅力有る政策を打ち出し、有為の人材を育成して行く。
 処が、実際には与野党の実力に差が有り過ぎて振り子の原理が働いて居ない。十両相手じゃ横綱の稽古には為らんのです。その結果、稽古をして居ない横綱の実力も大関処か関脇・小結位に落ちる。野党が弱いだけでは無く、その状況に胡坐を掻いた自民党も劣化して、政治全体の質が落ちてしまって居る。
 今必要なのは、政権交代の緊張感を取り戻す事です。その為には野党が強く為ら無ければダメです。そうすれば自民党も負けん気を出して、与野党で切磋琢磨する事が出来る。

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 「石破総裁」では無ければ選挙に勝て無い

 ・・・安倍総理の総裁任期満了迄2年を切りましたが、安倍政権はどの様な終わり方に為ると思いますか。

 安倍総理がドンな辞め方をしても、無傷で済む事は先ず無いと思います。これは非常に難しい問題で、私が総理の立場でも、どうして好いか分から無い程です。重要なのは、2021年10月に衆議院の任期が切れる為、2年以内に総選挙があると云う事です。それ故問題は、自民党は誰をトップにして戦うのか、誰をトップにすれば勝てるのかと云う事です。  
 仮に安倍総理が2021年9月の総裁任期満了で退陣した場合、新総裁は僅か1か月で総選挙を戦う事に為りますが、それは無理です。その為、安倍総理は2020年中に岸田文雄政調会長にバトンタッチするのでは無いかとも言われて居ますが、岸田氏に対する国民の支持率は僅か数パーセントです。これでは岸田氏に禅譲しても総選挙を勝ち切れるとは思え無い。

 かと云って、安倍総理が自分で解散総選挙を行ってから岸田氏を後継指名する事も出来無い。安倍総理が選挙を打っても敗ける可能性の方が高いからです。詰まり安倍総理・岸田政調会長がトップでは次の選挙で勝て無いだろうと云う事です。
 此処から、安倍総理が党内から退陣を迫られる可能性が出て来ます。自民党内では未だ「安倍4選」が既定路線であるかの様な錯覚が有る為「4選に為ったらどうしよう、今逆らうと大変だ」と云う空気が残って居る。しかし、既に「安倍4選」の可能性は無く為りつつ有り、潮目が変わろうとして居る。

 ・・・自民党が次の選挙に勝ちたい為らば、党内で反旗を翻すしか無い。

 それを出来るのは石破茂しか居ない。現にそうして居ます。確かに石破氏は自民党内で強く支持されて居る訳では無いが、国民からは強く支持されて居る。最近の世論調査では「次の総理」として石破氏への支持率が急上昇し首位に立って居ます。
 国民がこれ程石破氏を支持して居ると云う事実は重い。何故自民党議員がそれに注目しないのか。石破以外に次の選挙で自民党が勝てる総裁が居るのか。数パーセントの支持率しか無い岸田氏をトップにして総選挙を戦うと云う道はありませんよ。

 何故石破茂には国民的人気、特に地方の人気があるのか。それは本人が地方出身である事、全国を回って絶えず地方創生の重要性を訴えて居る事、政界屈指の勉強家である事が国民から理解され、その熱意が国民に伝わって居るからでしょう。
 実際、石破氏の演説はズバ抜けて優れて居る。他の「ポスト安倍」候補は迫力の有る演説が出来て居ない。明らかに勉強不足ですよ。石破氏は小物ばかりの自民党の中で、総理の任に堪え得る数少ない人物です。肚を括って決起すれば、必ずや総理の座を手にするでしょう。しかし、ここで引き下がったらダメです。それでは「怯儒にして兵を引く」と云う状況に為る。

 私は石破氏に期待して居ますが、それは私情では無く、将来は別にして当面の間は他に総理の任に堪え得る人材が居ないと思うから、国の前途を憂いて言って居るまでです。石破氏には是が非でも国家国民の為に奮起して貰いたい。


           12月3日インタビュー 聞き手・構成 杉原悠人

 【月刊日本】げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

          ハーバー・ビジネス・オンライン     以上




【関連記事】 単なる反韓・嫌韓本では無く 現在の韓国を憂えて記した憂国の書

 石破茂「反日種族主義」を語る


            〜文春オンライン 12/30(月) 12:00配信〜

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                  石破茂 衆議院議員

 〜竹島・徴用工や慰安婦問題等韓国で通説と為って居る歴史認識を検証した「反日種族主義」今夏刊行された韓国でば国前法相が批判する等物議を醸し11万部超、11月発売の日本版は36万部に。日韓で賛否両論・波紋を呼ぶ本書を識者が論じる〜

 今年の秋口の事です。日韓両国の要人が集まるフォーラムでスピーチを頼まれました。そこで私は「過つて韓国でインフラを整備したり、教育体制を整えたりする日本人が居たからと言って、併合時代を正当化しては為ら無い」と話そうと考えて居ました。
 しかし主催者側にそれを伝えると「例え『併合時代を正当化してはいけ無い』と云う趣旨でも、途中で怒って席を立つ方も居るかも知れないので、止めて下さい」と言われました。韓国に取って植民地時代はデリケートな問題なのだと改めて感じた瞬間でした。

 本書には発売当初から興味がありました。韓国内で若者を中心に読まれる一方、゙国前法相が「吐き気がする」と述べた様に、賛否両論が巻き起こって居る事は知って居た。又著者の李栄薫氏が同様の主張をした際、迫害を受けた事も聞いていました。
 その上で、通読して感じたのは、単なる反韓・嫌韓本では無く、著者等が現在の韓国を憂えて記した憂国の書だと云う事です。

 韓国で通説とされて居る歴史認識には誤りが多くあります。例えば徴用工。彼等は韓国では強制的に動員されて給料も満足に与えられ無かった存在であるとされて来ましたが、戦争末期迄は自発的な就労が中心で、給料も高かった。竹島に付いても、韓国が領有の根拠として居る安龍福の証言の信憑性は疑わしい事が判明して居ます。

 韓国の歴史を中立公正に学ぶ事が必要

 李氏は本書で、学問を職業とする研究者として、国民感情に配慮して誤った主張に固執したり、これを擁護する事は許され無いと述べて居ます。その様な姿勢は結果的に国益を損ねてしまうと。恐らく今後、韓国国内で、歴史に関する議論はより活発化して行くでしょう。本書を読んだ韓国の人々は自分達が学んで来た通説には誤りが多かったと知るでしょう。
 只日本人、特に政治家は本書を読んで、慰安婦や徴用工等「自分達の主張が正しかったのだ」と鬼の首を獲ったかの様に喜んで好い訳ではありません。日本と韓国は永久に隣国であり、大事なパートナーです。彼等が何故歴史的事実と異なる不可思議な主張をして来たのか、理由を歴史に沿って考えねば為りません。

 社会学者の小室直樹氏は「韓国の悲劇」で「日本人の韓国に対する文化的忘恩こそ、韓国人の対日的反感の淵源である」と指摘して居ます。日本人は韓国の歴史に対して、知ら無い事が多過ぎたのも事実です。その意味で「反日種族主義」は必読の書と言えます。
 日本もこれを機に、韓国の歴史を、特定の史観に偏ること無く、中立公正に学ぶ事が必要でしょう。それこそが悪化の一途を辿って居る日韓関係を、改善させる一歩に為るのです。


            石破 茂 週刊文春  2019年12月19日号   以上







 【管理人のひとこと】

 山崎拓氏の前半戦の政治舞台は、若くして防衛大臣と為り、行く行くは総理・総裁との期待の声が大きかった様な思いがする。小泉氏と加藤氏とでYKKグループと言われた「自民党改革グループ」は、今でも脳裏に残って居る。彼は、何時も主流派には属さ無かった覚えがある。
 かと言って、小泉氏の様にトップに立て無かったのは、正に天の巡り合わせであり、矢張り天性の楽天家・勉強家・・・所謂、懐疑派的な優柔不断な性格も有るのだろう。詰まり、考え過ぎてしまい即行動とは行かない人の様だ。確か、何かの疑惑を受け、謹慎したか一旦表舞台から去った記憶があるが定かでは無い。
 彼が防衛大臣に為った当時、丁度次男が誕生し、調子者の私は「拓」と名付けた位に、例え自民党でも親近感を覚えて居たものだ。彼が「次期首相」と押す石破氏も私としては異存は無い。残念だが、今の野党が例え一つの党に為っても、万が一多数を取り政権を取ったとしても、旧民主党の様に為りそうなのは間違い無いだろう・・・と、多くの人も同じ思いだろう。オール野党で山本太郎氏を担ぐ位の革新性・冒険性を持た無い限り無理なのだ。







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