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2019年12月12日

「ニトリ・イケアには行った事が無い」匠大塚会長が描く家具市場の再興





  「ニトリ・イケアには行った事が無い」 

 匠大塚会長が描く家具市場の再興 [4]

 

       〜経営・戦略 今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久 2018.1.29 5:00〜


 〜大塚家具の経営権を巡る長女との争いを経て2015年に新会社「匠大塚」を立ち上げ、70歳を過ぎての「第2の創業」に挑んで居る大塚勝久氏。今後、匠大塚は家具業界の中でどの様な存在に為ろうとして居るのかを聞いた。(聞き手 ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)〜


 ジッと我慢して居たこの2年半

 ・・・2017年12月から、匠大塚は全アイテムの値下げに踏み切り、大塚会長もこの連載の中で「イヨイヨ本当の勝負に為る」と述べられました。
 大塚 マァ、それ程気色ばんだものではありません。直ぐに本格的な商売を再開して大塚家具と直接競合するのも嫌でしたし、社員の事も心配だったので、大塚家具を辞めてから2年半はジッとして居たと云うことです。
 ・・・品揃え等も準備が整った。
 大塚 大塚家具はアレ程大きな会社ですから、我々が同じ様な家具を調達すると云うのは簡単ではありません。メーカーさんも大塚家具と取引があるので遠慮があります。幾ら私に信用があっても、取引出来無い事もありました。又強引に仕入れて売った処で迷惑を掛けてしまいます。
 只、今では逆にメーカーさんから「うちの商品を扱って呉れませんか」と言われる様に為りました。「やっと思い切り仕事が出来る」と実感して居ます。今迄は時間が掛かりましたが、これからはスピードが速まると思って居ますよ。

 ・・・会社の総合的な戦略として「値下げ」が可能な状況に為って居るのですね。
 大塚 ソモソモ私は「値引き」と云う行為が嫌いなのです。従業員には一所懸命お客様の為に、品質の説明や室内デザインでのアドバイスに力を注いで貰いたい。だから私は大塚家具時代から、そして今の匠大塚でも、お客様との商談で値引き交渉等をするのでは無く、値下げした実売価格表示で販売して来ました。
 最初から「これは値下げして幾らのものです。同一商品で当店よりも安い店があれば、その値段に合わせます」と云う訳です。
 ・・・(大塚家具の)大塚久美子社長と経営方針で一番合わ無かったのはどの辺なのですか。
 大塚 合わ無かった事は無いと思うんですけれどね。只、私の退任後の新聞報道等を見ると、大分変わってしまった様ですね。接客に対する考え方もそうです。何故、今迄のお客様を大切にしない形にしてしまうのか。何故アア云う風にしてしまうんだろう。一寸私には判ら無い。一人の商売人として考えても不思議ですね。

 ・・・退任以前にも同様の議論はあったのですか。
 大塚 ありましたよ。只、それは「成功する為に反対して居る」と云うか、私への諫言役として、敢えて反対の態度を取って居るのだと思って居ました。ですが(退任後を見ると)本当に遣りたかった事だったのだなと分かりました。本当に、それが好いと思って居たのですね。







 ニトリにもイケアにも行った事が無い

 ・・・久美子さんは久美子さん為りに「今の時代はこう云う時代だ」と云う認識があるのではないですか。
 大塚 時代や環境の変化に応じて事業を見直して行くのは当然あるべき事です。只「大塚家具モデル」とでも呼ぶべきビジネスモデルは、それ程脆弱ではありませんし、今の大塚家具が遣って居る事は、環境変化への対応と云うよりは自らの事業基盤では無いと感じるのです。
 どう云う事かと云うと、大塚家具は競争を切り抜けて、他社が真似出来無いビジネスモデルを確立したのです。家具業界は、一部の高級ブランドとニトリさんやイケアさんの普及価格帯製品に二極化して居る様に言われて居ますが、中間価格帯で品質の良い家具マーケットはキチンとあるのです。そこに盤石な基盤を築いて居たのが過つての大塚家具です。

 ・・・詰まりニトリやイケアとは違う方向を目指すべきだと。
 大塚 そうです。ニトリさんやイケアさんの売り上げが伸びて居るのを見て「矢張りアチラの方向に進ま無いとダメなのかな」と思い込んでしまって居る様に見えます。周りにその様に進言をする人も居るのでしょうし、私が居た頃にも盛んに「セカンドブランドの育成が必要だ」と訴えて居ました。
 でも、大塚家具は殆ど競争相手が居無かったのに、どうして競争の激しい方向に行ってしまったんだろう、と思います。
 ・・・残念ながら大塚家具の業績は思わしくありません。
 大塚 詰まり今の経営戦略が上手く行って居無い。それをキチンと認識して、従業員の意見に耳を傾け、もう一度、大塚家具のビジネスモデルの原点に戻れば好いのにと。社長として、先ず自分から見直す事が出来るかどうかですね。
 又、お客様へ利益を還元する意味でも好いとは思えません。売り上げが増え無ければ利益が出無い。利益が出無ければ、お客様に還元する為の値下げ幅を拡大する事も出来無く為りますから。

 ・・・大塚会長ご自身は、今は株式等も売却され、大塚家具とは完全に切れて居るのですよね。
 大塚 ハイ。退任前には株式の約20%を持って居ましたが、それ等も全て売りました。資本に付いてのグリップ力が無ければ大きな立て直しは出来ませんから、戻る事もありません。
 ・・・70歳を過ぎて「寧ろ新しい事を遣りたい」と云う気持ちが出て来るのは凄い事ですね。
 大塚 嫌、大塚家具では最後に随分苦労しました。遣り残した事が未だあるから70歳を過ぎて会社を興したので、必ず匠大塚を大成功させますよ。

 ・・・競合に対してはどの程度意識して居るのですか。
 大塚 実は私は、他所の家具屋さんって見た事無いんですよ。昔、今から40年位前に大正堂さんに1回行った切り。実は、ニトリさんにもイケアさんにも一度も行った事無いんです。人から、扱って居る商品を聞けば大体分かりますしね。プライドも高かったんでしょうね、真似したって言われるのが嫌でしたから(笑)。それが好い事かは分かりませんが、自分はそうです。







 家具業界は自ら需要と市場を潰して来た

 ・・・そもそも何故、家具は売れ無く為ったのでしょう。

 大塚 大きな背景としてあるのが百貨店の影響ですね。昔は百貨店には電気製品と家具の大きな売り場があり、百貨店が市場をリードする力がありました。
 簡単に言えば「こう云うライフスタイルを実現したい」と云う夢を百貨店が世間に広め、それと連動する形で街の家具屋さんも商売をして居ました。しかし今、百貨店の市場や需要そのものを掘り起こす力が弱く為って居ると感じます。
 その結果、量販店型のニトリさんやイケアさんが成長し、街の家具屋さんが衰退して行きました。すると家具屋さんは「ニトリと戦わ無ければ」と同じ事を遣って、更に衰退が進みました。大塚家具では、海外の有名店を意識して店作りを進め、海外・国内の商品を幅広い価格帯で揃える事に注力しました。

 ・・・詰まり自分のライフスタイルやライフサイクルに合う良い家具の需要は必ずあり、それをリーズナブルな価格で届ける事コソが重要だと云うことですか。

 大塚 そうです。実際、匠大塚の春日部本店のお客様は、若い層からご年配の層迄実に幅広い。例えばベッドは、年齢によって楽に感じるものが違いますから。又、住環境が変わり、家族構成等によっても好みや欲しいモノは変わって来ます。その時々に合ったインテリアを求められた時に、質の良い商品をご提供出来るかだと思います。
 又「新しい家具に買い換えたいのだが、今使って居る家具をどうしたら好いか分から無い」と思われて居るお客様は沢山いらっしゃる。「もし息子さん為り娘さん達が家具を貰って呉れ無いの為らば、私共で引き受けましょう」と、大塚家具時代にリユース事業構想を描いて居た。その為に春日部に用地を確保し、加工組立・販売・物流拠点を1箇所で構築しようと計画して居たのです。

 ・・・それが「独断で100億円の投資判断」と言われたものですね。
 大塚 そうです。でも独断でも何でもありませんよ。そう云う事業プランは議論して居たのですから。
 ・・・引き取った家具は、どうするのですか。
 大塚 大塚家具で検討して居た時は、大塚家具で販売した商品を引き取り、歪みを補正したり色を塗り直したりして家具として甦らせ、リユース品として取り扱ったり。大きな市場に為ると考えて居ました。
 後は、意外に思われるかも知れませんが、匠大塚には沖縄や北海道からもいらっしゃいます。自分は買い換えたいと思って居るけれど、気に入った家具が見付から無い。欲しい家具を扱っている店が無い。そうしたお客様が匠大塚にいらっしゃると本当にビックリ為さっている。お客さまは待って居るんですよ。

 ・・・今後はどの様な店舗展開を考えて居るのですか。
 大塚 実はもう一度、百貨店と組むのが好いと思って居るんです。恐らく、百貨店のスペースがこれから空いて来るでしょう。そこで、家電と我々の家具でコラボレーションする。家電メーカーや家電販売店も品質の良いものを広めたい、と思って居る会社は多いんですよ。
 これからは、百貨店も家電販売店もライバルでは無くて、一緒に組む相手に為って来ると思います。単独では無く、色々な人と一緒に遣る事が大事に為って来て居ますね。







 「引っ越し魔」である理由

 ・・・話題を変えますが、大塚会長は大変な引っ越し魔だそうですね。
 大塚 ハイ、独立してから14回、引っ越しました。会社の規模に応じて住まいを変えました。家具屋である自分の会社を育てて行くには、自分自身が様々な暮らしを経験し無ければ為ら無いと思って居たのです。
 4畳半や6畳一間から始まり、倉庫の中にも住みましたし、戸建て住宅は勿論マンションにも住みました。色々な生活を自分で見て、体験し無ければ日本の住宅事情は理解出来ず、お客様に好い提案は出来ませんよ。藤沢市の鵠沼海岸に住んで居た時は、東京の職場迄マルで別荘から通って居る様なもので「別荘を住まいにすると仕事はキツイな」と、足ったこれだけの教訓を得る為だけに引っ越して居た様なものです。
 「子供達は引っ越しの度に学校が変わって可哀想だ」と言われました。今、幾ら反省しても取り返しの着か無い事ですがね(笑)

 ・・・今回の連載では、ご家族に付いてのお話も随分して頂きました。

 大塚 同族経営の事業承継の難しさを身を以て知った出来事でありますが、これ迄の事業に深く関わって居ると同時に、私の人生の大切なものは矢張り「家族」です。色々あってお客様・お取引先様・社員に大変ご迷惑をお掛けし申し訳無く思って居ます。
 私自身も苦労しましたし、世間をお騒がせしてしまったと云う気持ちがあります。こう云うことが起き無い様に、二度と同じ様な経験をする会社が無い様に、お役に立てれば好いと思って居ます。

 ・・・ありがとうございました。







【インタビューを終えて】

 二十数年前に結婚した時、大塚家具の日比谷ショールームで家具を買い揃えたのを思い出します。販売員と共に半日掛かりで広いショールームを巡り、ダイニングセットやソファ、ベッド等を選んで行ったのは、ナカナカ楽しい体験でした。しかし、アレから引っ越しも経験し家族も増え、気が付くと当時買った家具は殆ど残って居ません。入れ替わりで増えたのは、ご多分に漏れずニトリとイケアの商品ばかりです。
 インタビューの中で印象的だったのは、ニトリにもイケアにも「真似したと言われるのが嫌で、一度も行ったた事が無い」と云う発言でした。

 自ら作り上げたビジネスモデルに圧倒的な自信を持ち、拘る勝久氏に対し、恐らく娘の大塚久美子さんは、ニトリもイケアも視察した事があるのでしょう。経営方針を巡り、最後迄折り合いが着か無かった背景が見えた気がします。
 前述の通り、私自身の生活からは高級家具は姿を消して居るだけに、匠大塚の方向性にどれだけの需要と市場があるのか肌感覚では分から無い処があります。しかし「環境変化に対応して自分達の事業基盤を変える」のでは無く「環境変化の中での自分達の居場所を確保する」と云う考え方には共感しました。

 果たして匠大塚と大塚家具の経営判断はドチラが正しいのか。これからの行方には、今まで以上に注目して行きたいと思います。


             深澤      以上


 【管理人のひとこと】

 暫くのお付き合い有難うございます。企業創業者の一つの物語としても、そして家具業界の変遷の物語としても貴重なお話でした。確かに、日本の経済はジリ貧状態であり、高いものは売れ無い時代。しかし、直ぐに壊れそうな家具が多い昨今、合板の上に化粧紙を被せた様な紛い品の価格もそれ程安くは無く、或る程度の価格で購入したものが温度の変化や経年劣化で変形したりするものが多い。
 特に家具は例え高価でも長持ちするのが好い筈で、その様な需要は無く為ら無いものとも思います。ニトリやIKEAも近くにあり何度か見に行ったが、矢張りそれ為りの物の様です。大塚会長の今までのご苦労が実を結ぶと好いのですが、ご健闘を祈って居ます。







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「ニトリ・イケアは競合では無い」と言い続ける匠大塚会長の勝算




 「ニトリ・イケアは競合では無い」と言い続ける匠大塚会長の勝算

        今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久【3】


       経営・戦略 今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久  2018.1.22 5:00


 「家賃はタダ」の発想で商品価格を下げる

 私が信じる商売の鉄則は「良い物を、十分な説明で、ご納得頂いて、値引き無しで売る」である。それは桐箪笥職人である父の仕事を手伝い、中学生に為ると経理を任される迄に為った頃から常に考えて居たもので、実際、それを具現化する努力が大塚家具の成長の歴史そのものだった。

 大塚家具は、春日部で開業後は埼玉県内で出店を進めて居たが、1978年、35歳の時に東京に出る決意をした。マーケットの大きい東京で一勝負したかったからだ。東京への本社移転と1号店は、板橋区のボウリング場だった建物だ。
 3階建てで、1フロアが1200坪もある巨大なもので、ボウリング場時代は1フロアに50レーンもあった。1階はショールームと配送センター、2〜3階は倉庫にした。その倉庫に全国のメーカーから直で仕入れた商品を集めた。問屋を介さ無いから価格を抑えられる。更にメーカーと相談してお客様のライフスタイルに合わせたオリジナルの家具を造って売った。メーカーと一緒に努力して造った家具は好く売れた。

 この東京出店で価格を安く出来るモデルを構築出来たと思って居る。特に重要だったのは、店舗に付いては「家賃はタダ」と云うものだ。
 1970年頃に「中山律子・須田開代子」が起こしたボウリングブームは、1973年頃には下火に為り、経営不振に喘ぐボウリング場が続出した。そうした駅前に近くフロア面積が大きく、それで居て業態転換等に苦しんで家賃が下がって居る施設を狙う。
 メーカーとの直取引は粗利が高いので、売値を1割下げても売上高が増えれば家賃はアッと云う間に元が取れる。これが「家賃はタダ」の発想だ。東京に出て、売上高はそれ迄の20億円から、2年間で100億円に増えた。

 以後、大塚家具の出店地は、この業態転換に苦労して居る建物を確保すると云う方針を貫いて居る。1970年代はボウリング場、その後は駅前の量販店、バブル崩壊後はウォーターフロント、そして1990年代後半からは百貨店跡への出店だった。そうした方針の最大の成果が、現在、大塚家具の本社兼旗艦店と為って居る「有明本社ショールーム」だろう。
 1996年に東京臨海副都心で開催される予定だった世界都市博覧会は、バブル崩壊の直撃を受けて中止された。都が見込んで居た臨海部のオフィス需要も萎み、空いて居たのが東京ファッションタウンビル、詰まり現在の有明本社ショールームだ。

 当時、大塚家具は東京・日比谷の朝日生命日比谷ビル(現・日比谷マリンビル)に本社を移し、そこに1170坪の「日比谷ショールーム」を開いて居た。対して有明は広さが7020坪と日比谷の6倍あり、しかも家賃は日比谷と同等だった。
 「品質の良い商品を世界中から集め、大塚家具に来れば他の店に行か無くても自分の好みの家具を揃えられ、しかも値引き無しの実売価格」と云う事業の夢は、全て有明を基盤に展開出来る様に為った。実際、有明ショールームの開店日には長蛇の列が出来た。







 家具業界の慣習を破り「値引きで無く値下げ」を断行

 東京に出て来てもう一つ、どうしても実現したかったのが「値引き販売の廃止による実売価格での販売」だった。しかしそれは、家具業界の長年の慣行に反するものであり、格好好く書けば「家具の販売革命」への挑戦でもあった。

 家具業界では、メーカーは高級イメージを維持する為に価格を高めに設定して、実際は販売店で2〜3割の値引きをするのが慣行に為って居た。大塚家具も1993年に日比谷ショールームを開店する迄は、値引き後の販売価格は予め決まって居た。
 しかし、この慣行にはどうしても不満があった。ソモソモ一物二価の慣行は、お客様では無く自分達が中心のものの考え方だ。品質が良く適正な利益を得られる為らば、その基準でお客様に公明正大に価格を提示すれば好いだけである。「値下げはしても値引きはし無い」これコソがお客さま本位の販売ではないのかと考えて居た。この慣行への挑戦は「会員制」と云う新手の販売方法を開始した事で実現する。

 1993年、大塚家具は「日比谷ショールーム」を開店した。この時出店したのはオフィスビルで、小売店舗を許可して居無かった。その為、お客さまに来て頂く為には入口で名前と住所を書いて頂く必要があり、これが「会員制」と云う形に為ったのだ。
 過つての大塚家具の代名詞とも為って居た会員制は実は止むを得無い事情から生まれたものだった。処がこれが怪我の功名と為った。「会員登録をしたお客さまだけを対象に値下げ販売する」と云う言い方で、お客様に、適正価格での販売を開始する切っ掛けが出来たのだ。

 しかし、これで業界は騒然と為った。あらゆるメーカーが「商品を引き揚げる」と怒り、実際、ショールームから商品を引き揚げるメーカーが続出した。私の試みに異論がある社員も居て「こんな業界慣行を無視した商売をして居たら、この会社は潰れる」と辞めて行った社員も居た。
 だが、私は此処で後戻りすることはせず、日比谷ショールームの開店から半年もせずに大塚家具の全店舗を会員制ショールームに転換した。すると、メーカーの不満は抑え切れ無い程に強まり、他の店舗でも商品を引き揚げられる動きが頻発した。

 そんな状態だったが、私は会社の危機は全く感じて居無かった。何故なら、会員制の導入以後、お客様の満足度や信頼の高まりを日に日に強く実感出来て居たからである。
 会員制では、お客様に会員登録をして貰い、来店時にはお客さま一人ひとりに担当が付いてご案内し、家具や寝装品等をメーカー希望小売価格の2〜5割引で販売した。彼等は「お客様」とは呼ばず、お客さまの名前で接した。それは行き届いた接客サービスでは当然の事だ。
 会員登録は、営業活動を緻密にする効果もあった。ご購入後には、お礼状や季節のご挨拶を出したり、インテリアでお困りの事等をお伺いした。するとご友人を紹介して下さることもあった。

 結局、会員制による実売価格の断行は、お客様の「品質の良い家具を安く手に入れたい」と云う心理に訴えるものに為ったのだ。
 日比谷ショールームのお客様単価は40万円を超えた。売れ筋のダイニングセットが、同業他社では10万円以下が多かったが、大塚家具では品質の高い商品が15万円と云った具合だった。それだけ、良い物を買って頂けたと云う事である。







 もう一つの個性 輸入家具販売が生まれた理由

 「会員制による、値引き無しの実売価格」により、大塚家具に商品を納入して呉れ無いメーカーが続出した。しかし、これも怪我の功名で、この事を切っ掛けとして大塚家具は更にもう一つの個性を手にする事が出来た。輸入家具の販売だ。

 大塚家具が最初に輸入家具の取り扱いを始めたのは、1983年に平塚店を出店した時だった。駅前の百貨店跡の店舗を借りて出店したのだが、国内家具だけを扱うと地元商店街の家具屋さんと競合してしまう。その為出店の際に「輸入家具を扱う事」と云う条件を付けられたのである。その頃の輸入家具は価格が高く、大塚家具の売り上げを牽制出来ると見たのだろう。
 「それ為らば海外で買い付けて遣る」と意地を見せて欧州に飛んだら、品質の良い家具が実に安い。日本の数分の1だった。詰まり日本では現地価格の数倍で売られて居たのだ。

 私が、現地のメーカーにブツケタのはロット買いだ。「日本でこの価格で売るには、これだけの数を造って貰う必要があるが、遣って呉れますか」と迫る。最初の頃は相手にされず、発注書だけ置いて帰ったこともあった。
 その内商談を早く纏める為の攻略法が分かって来た。現地ではメーカーでは無く、先ず小売店舗に行き価格を調べて置くのだ。その上でメーカーを訪ね、価格と買い付け量を示す。首を横に振れば「貴方の所の家具は、此処を改善すれば原価をこれだけ下げられる。品質に変化は無い」等と、こちらが提案するのである。

 「此奴は只のバイヤーでは無いな」と思われたらコチラのものだ。規格と価格、数量を詳細に詰めて、ドンと買う。
 もう一つ、輸入家具の買い付けでメーカーに要望したのは、現地サイズとは別に日本向けのサイズ、詰まり小さ目のサイズの家具も造って貰った事だ。日本人の体型も大きく為ったが、とは言え欧米サイズでは大きいと感じられるお客様も多い。

 そして日本で従来の半値で売る。お客様が「こう云うヨーロッパの家具を一度は欲しかった。でもサイズが・・・」と戸惑われる事があれば「少し小型のサイズもございます」と答える。喜んで下さるお客様が本当に沢山いた。
 しかも大量に買い付けて在庫を持って居るので、お客様が「欲しい!」と思われた時に直ぐに届けられる。これでお客様の満足度は一段上がる。

 日比谷ショールームを開店した1993年の暮れは、少し切羽詰まった状況に為った。実売価格表示に反発した国内メーカーが商品を引き揚げたので、店頭の商品に欠配が出る危険性があったのだ。そこで私はアメリカ各地を飛び回り、数社と販売総代理店の契約を結ぶ事が出来た。
 そうした経験を何度か積み重ねて、輸入家具の販売を本格化させたのが有明ショールームが開店した1996年だ。当時は円高が進み、ものによっては内外価格差がゼロと云う事もあった。メーカーとの直取引だから、同じ家具でも同業他社の半額で売れた。それでも利益が出たのである。

 只忘れて為ら無いのは、ココでも社員の「価値を納得して頂くにはキチンと説明する」と云う前回述べた販売精神が、素晴らしい力を発揮して呉れて居た事だ。海外の家具だから社員も一から勉強し無ければ為ら無い。日本の家具との違い、その家具メーカーの特徴、家具そのものの良さ、そして価格とのバランスの良さ等を、一つの文化としてお客様に伝えられ無ければ、お客さまも安心して買え無いのだ。
 輸入家具の扱いを本格化させる事で大塚家具は「海外も含めた品質の良い家具があり、実売価格。だから大塚家具に行けば全てが揃う」と云う評判と信頼を得られる様に為ったのである。







 ニトリ・イケアと競合する必要は無い

 読者の皆三もご承知の通り、現在の日本の家具業界は、イケアさんやニトリさんが成長を続け、若い人達は所謂断捨離でモノを所有し無い風潮がある。「家具って必要でしょうか」と言う人も珍しく無い。
 確かにニトリさんとイケアさんの快進撃によって街の家具屋さんはドンドン無く為って居る。ここで問題なのは、家具業界では数百万円もする高級家具と、数万円の普及品しか無い状況に為り、中間価格帯製品を売る店がドンドン減って居る事だ。

 これは家具産業とすれば由々しき事態で、消費者の皆さんが、家具のある生活を知ら無い状態を作ってしまう。詰まり自ら潜在的な顧客を創り出せ無い構造を生み出してしまって居るのだ。昔は、家具の販売では百貨店が大きなシェアを持って居て、家電製品も実はそうであったが、現在では売り場が縮小されてしまって居る。

 大塚家具は、1999年に新宿三越の南館を丸毎借り受けて首都圏最大級の「新宿ショールーム」を開店した。新宿で売る事、増してや三越さんの店舗をお借りして売れる事には大きな達成感があったが、それは、消費者を育て需要を創造する能力がズバ抜けて居る百貨店での家具販売を、何とか維持したいと云う思いでもあった。
 消費者の商品を見る目は非常にシビアだ。だが、価格だけで商品価値を判断されて居るかと云えば、決してそうでは無い。良い品質で、何とか頑張れば手に入りそうな価格であれば、そこに需要はある。それが私の言う、中間価格帯製品であり、私がトップで居た頃の大塚家具はそれを目指して来たし、今の匠大塚でもその考え方に変わりは無い。

 ニトリさんは「お、ねだん以上」をキャッチフレーズにコストパフォーマンスを前面に打ち出して居る。対して匠大塚は「確かな価値との出会い」だ。但し、同じ製品であれば、匠大塚は最低価格を保証して居る。同一商品であれば匠大塚の方が絶対に安い。それに社員の説明や配送、アフターフォローがあり、お客様対応では私達は絶対的な自信を持って居る。
 それは買ったお客様しか分から無い事かも知れない。只、分かって頂ければ静かに支持の輪は広がるし、その為には辛抱強く遣って行けなければ為ら無い。

 それでもなお匠大塚は、良い品質のものを納得の価格で出し続ける仕組みを持って居る。2017年12月に約1万7000アイテムの一斉値下げに踏み切ったのも、中間価格帯製品を価格訴求出来るだけの体制が整ったからだ。
 何を申し上げたいかと言えば、匠大塚はニトリさんやイケアさんと競合する必要等無いし、競合する余地も無いマーケットに生きて居ると云うことだ。ニトリさん等が普及品中心のマーケットで頑張って居る事と、私達が扱う「もう少し手を伸ばせば手に入れられる品質の良い家具」は別物であり、私達は、そのマーケットこそが新しい日本の家具需要を創造すると考えて居る。

 実はニトリの似鳥昭雄さんと私は、同年齢・同級生だ。そして2人とも家具業界の全盛期を知り、衰退する中でいかに存在感を維持するかに全力を注いで来た。置かれた状況は同じでも、経営者として、事業の着目点は異なって居る。
 私自身は、誰にも真似の出来無いビジネスモデルを創ってみたいと考えて来た。それが過つての大塚家具であり、今は匠大塚に凝縮されようとして居る。


       匠大塚会長 大塚勝久    つづきは次ページ

















ヤマダ電機が大塚家具を子会社化 40億円超で第三者割当増資を引き受けへ




 ヤマダ電機が大塚家具を子会社化 40億円超で第三者割当増資を引き受けへ


            〜ダイヤモンド・オンライン 12/12(木) 12:20配信〜


 ヤマダ電機が、経営再建中の大塚家具を子会社化する方向で最終調整に入ったことが12日、分かった。大塚家具の第三者割当増資を40億円超で引き受ける方針で調整を進目手織り、週内にも発表する。
 大塚は売り上げの減少が止まらず、最終赤字が続いて来たが、ヤマダの傘下に入る事で、経営再建を進める事に為る。(ダイヤモンド編集部副編集長 布施太郎)

 大塚の既存株主は希薄化に直面  それでも背に腹は変えられ無い

 ヤマダ電機は大塚家具の第三者割当増資を引き受け、出資比率50%超を確保し子会社化する。取得金額は40億円超と為る見込みだ。年内の払い込み完了を目指す。
 大塚は発行済み株式数のホボ倍を新規発行する為、既存株主は大規模な希薄化に直面する事に為る。しかし、このママ売り上げの減少が続けば経営破綻も視野に入って来る為、ヤマダからの資金を受け入れ、子会社化を決断した。大塚は単独での生き残りを目指して来たが、事実上の身売りによって経営再建を図る。大塚久美子社長は続投する見通しだ。

 両社は今年2月に業務提携を締結し、大塚の商品をヤマダの店舗に供給して来た。ヤマダは家具やインテリア商品に品揃えを増やす事で、シナジー効果が得られると判断したとみられる。
 大塚家具が11月に発表した2019年第3四半期(1〜9月期)決算は、売上高が前年同期比23.2%減の210億0300万円、営業損益は29億1800万円の赤字(前年同期は48億6300万円の赤字)、純損益は30億6200万円の赤字(同30億5300万円の赤字)と為り、売上高は5年連続の減収、営業赤字も6年連続と為り、危機的な状況が続いて来た。

 昨年以降、資本・業務提携している貸し会議室大手のティーケーピーを初め、ヨドバシカメラやヤマダ電機等の家電量販店にも増資引き受けを求めたが、出資比率等で折り合わずに頓挫。今回、ヤマダの子会社化の条件を飲んだ為に纏まったとみられる。


           ダイヤモンド編集部 布施太郎    以上







 【関連報道1】匠大塚会長が父娘喧嘩を経て語る「事業承継ここを誤った」

         〜今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久[1] 2018.1.9 5:00〜

 〜大塚家具を創業、過つて「家具業界の風雲児」と呼ばれた大塚勝久氏。創業者である父と長女の経営権を巡る争いは記憶に新しいが、大塚家具を去った2015年に新会社「匠大塚」を立ち上げ、70歳を過ぎての「第2の創業」に挑んで居る。
 その大塚勝久氏が、第2の創業に掛ける意気込みと、多くの同族経営企業が抱える事業承継の難しさに付いて、自身の経験を踏まえて語った〜


 70歳過ぎての創業 経営の集大成

 私が「大塚家具」から身を退いて2年半「匠大塚」東京日本橋(2016年4月)春日部本店(2016年6月)の開業で家具小売業に復帰して1年半経った。匠大塚は、70を過ぎての第2創業であり、私がこれ迄家具の小売業界で学び培って来た経営の集大成と為るものだ。
 私を慕って大塚家具から匠大塚に移って来て呉れた社員達の為にも絶対に成功させ無ければ為ら無いプロジェクトである。

 一方、長女の久美子が社長を務める大塚家具は、2016年末決算では売上高を対前年比で20%も減らす等苦戦を強いられて居ると聞く。今は袂を分かってしまったが、経営者としてはこれからが本当の勝負である。
 「家具が売れ無い時代」「最早高級家具は必要とされ無い時代」等と言われて久しい。ニトリやIKEA等の低価格な家具と日用製品を売る店が注目される一方で、高・中級家具を軸とする路線を取るのは匠大塚と大塚家具だけである。ドチラが世の中に受け入れられるのか、74歳の身にファイトが湧いて来る。これから又楽しく為るのだ。

 2015年の創業以来、大塚家具との争いに為ら無い様、匠大塚は専らホテルの家具やオフィスの応接家具等のコントラクト関連と百貨店への納品に力を注ぎ、小売りには大きな力を注いでは来なかった。大塚家具時代のお取引先からお声掛け頂いても仕入れを急がず、価格帯でブツから無い様にして来た。
 その一方で、仕入商品を徐々に増やし、私達なりの売り方で売れる体制を整えて来た。2017年12月には春日部本店や東京・日本橋のショールームで扱っている約1万7000アイテムの一斉値下げを行なったのだが、これは、言ってみれば匠大塚の反撃の号砲だ。社員達には「競争をするのだから勝ちなさい」と発破を掛けて居る。

 私自身、創業会社を追われた身である。二度と失敗は出来無い。親子なのだから久美子の健康も業績も心配だが、ナカナカ浮上の兆しが見え無い大塚家具の状況を見るに着け、此処で私達匠大塚が頑張ら無ければ、日本の家具文化が完全に消えてしまうと感じて居る。
 ソモソモ日本の家具業界が衰退した訳を肌で知る身には、第2創業は何としても成功させ無ければ為ら無いものだ。







 大塚家具の事業承継は何が問題だったのか

 この連載では私のこれ迄の経営、これからの経営に付いて述べようと思っているが、先ずは大塚家具の経営権を巡る争いに付いて触れて置きたいと思う。それは、私が経営者として身を以て難しさを感じた「事業承継」に付いて、少しでも皆さんのお役に立てればと思うからだ。

 大塚家具における事業承継での最大の失敗と反省点は、私自身が「私の時代認識や事業観、経営観等を子供達が分かって呉れて居る」と過信して居た事にある。と云うよりも「言うまでも無い事」と云う感覚があった。それは私の甘さでもあった。
 私達夫婦には5人の子供が居り、何れもが自慢の子だった。仕事の忙しさにカマケテ家庭を顧み無い父親であったのに反発する事も無く、学校も自由に選び、父親の仕事を手伝いたいと皆が思って居て呉れた。それは子供達が大学で専攻した学部を見ると好く判る。長女は経済、長男(匠大塚の勝之社長)は彫刻科、二女は法律、三女が芸術学部、次男が建築であり、誰もが「大塚家具の為に役に立つだろう」と考えての選択だった様だ。

 子供達が夫々に「自分を認めて貰おう」と思って遣って居た事であるが、私はそれを積極に認めて挙げ様として居無かった。その気遣いの無さは責められて然るべきものだったかも知れない。
 子供達が大塚家具の仕事と関わる様に為っても、それは基本的に同じだった。「親子だから」と云う帝王学を施す訳では無いし、飽く迄も一社員として他の社員と同様に叱ったり褒めたりして居ただけだ。それでもなお私には「見て居れば分かるだろう」と云う期待があったのだ。

 私は心の中では、長女と長男が協力して遣って行くのが一番だと思っていた。2人で遣ったら、絶対に何処にも負け無い会社に為ると思っていた。子供達の大学での専攻が異為る様に、夫々が得意な分野で力を発揮して貰う。長男の勝之が営業を担うなら、長女の久美子は財務を担うと云った具合だ。
 その上で、将来的には大塚家が大塚家具の経営から身を退き、所謂「資本と経営の分離」の体制を作る事が望ましいと考えて居た。実際、その為の準備も始めて居た。

 例えば、普通ならば「長男が跡を取るのだろう」と云う事で、長男には資産管理会社の株の半分を持たせていた。しかし資本と経営の分離を考えればこうした状態が好い訳では無く、実際、他の子供達からも異論が出たので株を均等に分ける事にした。長男は不満だったかも知れないが、将来の事業経営を考えれば均等に持つ事が大塚家や大塚家具に取って最良の方策なのだと納得して貰った。
 その際、妻には株を配分し無かった。詰まり5人の子供達が19%位ずつ株を持つ形にした。私は「これで好いのだ」とホッとした気持ちで居た。

 しかし、この均等に分け与えた事が、後に私や長男の役員解任に繋がるものに為ったのは何とも皮肉だ。妻にも同じ様に株を持たせて居れば対抗が出来たかもしれないが、今さらそれを言っても始まら無い。もう一つの反省点は、これは私の欠点でもあるのだろうが「経営を楽しく見せ無かった」と云うことだ。

 私は小学生の頃から、桐だんすの職人であった父の仕事を手伝い、お店で家具を売って居たから、家具を見る目は誰にも負け無い自負があった。だから商品仕入も全て私一人で判断して来た。それは全責任を私自身が引き受けると云う覚悟なのだが、そこで経験して居た苦悩によって「経営は楽しいものでは無い」と云うムードを周囲に発して居たのかも知れない。
 それでも久美子は、「経営を遣りたい」と言って来た。当初私は、それは私に対する彼女なりの応援だと思って居た。







 「社長を遣らせてみよう」と思ったが

 長女の久美子は1994年に大塚家具に入社した。当時、バブル崩壊後に大規模小売店舗法が改正され、更にバブル期に計画された建物が完成はするものの借りるテナントが無く家賃は下がり続けて居た。この2つの流れを追い風に、大塚家具は全国に店舗網を拡大、急速に社員が増えたりして組織体制の構築が急務に為って居た。
 そこで私は、当時、富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に初の女性総合職として入行し融資業務や国際広報等を担当して居た久美子に、人材育成等の内部体制作りを任せたいと思い大塚家具に入社させた。先にも書いた様に、子供達が夫々の能力を発揮して会社を育てて行く最初の一歩とする考えもあった。
 結局、久美子はプロジェクトを終える形で2004年に一度、取締役を辞任した。経営会議等では異論があれば遠慮無く意見を言って居た。今でも思い出すのは、九州地区初出店と為る1999年の「小倉ショールーム」の開設を巡る議論だ。

 「九州地区への初出店であれば、小倉では無く先ずは博多を目指すべきだ」と久美子が説くのに対して私は「それは十分に分かっている。小倉よりも博多が好いのは言うまでも無い。しかし初出店に、より難しい場所で成功させれば好条件の勧誘が必ず出て来るものなのだ」と諭したのである。
 本人が納得して居たかどうかは兎も角、異論をブツケテ来るのは私への応援であり、私への「諫言役」を担って呉れて居るのだと頼もしくさえ感じて居た。そこで「それ程遣りたいのならば遣らせてみよう。何しろ長女で、5人姉弟の一番上だし、長男は営業部門で頑張って居るから大丈夫だろう」と考え、2009年、社長を譲ると決めた。

 その決断をした際、私は痛み始めて居た大塚家具の財務体質を一掃した。2008年はリーマンショックの影響で、どの企業も減収減益の決算を余儀無くされた。大塚家具も同様だった。2008年12月期決算は、売上高が8%減、営業利益が73%減、経常利益が70%減で、当期赤字に為る惨憺たるものだった。
 そうした決算の中で敢えて私は、投資有価証券や固定資産の減損を決め、それが当期利益の赤字に繋がって居た。しかし言葉を換えれば、これは身綺麗にして次の決算に負担をかけ無い為の措置でもある。

 私としては次期社長に負担をかけ無い為の決断だった。「社長が代わったら好く為った」と言って貰える基盤と云うか前提を用意した積りだったのだが、周囲から聞こえて来たのは「社長交代は、先代が経営不振の責任を取って辞めた」と云うものだった。こうした捉え方をされた事は非常に残念だと思って居る。
 減損処理に付いての言われ方は、私に取っては大変不愉快なものであったが、会長として社長を育て、会社の業績も徐々にだがリーマンショックから抜け出して行く中で「私も我慢と云うものを学ば無ければ為ら無い歳に為ったな」等と思って居た。

 しかし、久美子の強い意志に気付かされたのは2013年だった。私が、会社を離れて居た長男の復帰を求めたのに対して、或る社外取締役の就任を提案したのである。それは自分の思う経営路線、詰まり、私とは違う経営方針を推し進める為の準備であったのだろう。しかも「その選任案が認められ無いのであれば、私は社長を辞める」と云う条件まで付いて居た。
 それ迄は「次の世代の人達の事だから」と若い人達の人事にも賛成して来たのだが「就任案を認められ無ければ辞める」と云うのは経営責任としても許されるものでは無い。「辞めたければ辞めれば好い」と反論したものの、彼女の意図をハッキリと実感させられたのである。

 以後は、皆三もご承知の様な久美子の社長解任と私の社長復帰、そして2015年の私の解任へと争いが続いてしまった。







 大塚家具には早く立ち直って欲しい

 私の商売の鉄則は「良い物の価値を、十分な説明でご納得頂いて、値引き無しで売る」と云うことだ。家具業界に大きな反発を受けながらも取り組んで来た改革であり、大塚家具は消費者に支持されて来た。その考え方は、今後この連載で詳しく述べさせて貰おうと思って居る。

 振り返れば、売上高が数百億円から1000億円を狙える迄に急成長を遂げて居る過程で久美子は入社し、内部体制の整備に力を注いで呉れた。しかし一方で、彼女は物を売る現場で私の鉄則を学び、身に着けて来た訳では無い。会社を離れて居た時には法科大学院にも学び、コンサルティングの会社を設立した様に、キチンと理屈立てて考えるのが好きだし、それが正しいと思って居るのだろう。
 それ自体を間違って居るとは思わ無い。だが、創業者がどの様な環境の中で、或る意味でワンマンで理屈に合わ無い様な鉄則を駆使しながらも企業を成長させて来たかを、後継者として学ばせる必要があった様に思う。そして「姉弟の役割分担」を学ばせ無かった事を深く反省する気持ちもある。

 匠大塚の社長を務める長男の勝之は、既に四半世紀に渉って私の側で私の経営を見て居る。久美子とは逆に、私の感性や営業への姿勢等は十二分に学んで来た。
 一体「私と長男」「久美子」のドチラが今後の家具販売の潮流を作れるのか。今後、匠大塚は大塚家具の一番のライバルに為るだろう。只、その勝負の行方よりも、私は、大塚家具には早く立ち直って貰いたいと思って居る。


           匠大塚会長 大塚勝久   以上









 【関連報道2】匠大塚会長がそれでも家具販売に「説明と接客」を貫く理由

              今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久【2】


    〜経営・戦略 今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久  2018.1.15 5:00 〜


 桐箪笥職人だった父の下で商売を学ぶ

 私が生まれ育ち、大塚家具の創業の地でもあるのが埼玉県春日部市だ。ここは家具と共に生きて来た町だと思う。江戸時代の初期に、日光東照宮の造営に関わった腕の好い宮大工達が、日光街道の宿場町であった「粕壁」に住み着いたのが今の春日部の始まりと言われる。
 彼等は、作った長持や指物を船に乗せ、現在の大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)を下って江戸に向かい、着物を沢山持って居た江戸の富裕層に売って居た。昭和の初期には、春日部一帯で数百軒もの桐箪笥職人が集まる一大産地と為る。

 大塚家具も、桐箪笥職人だった私の父、大塚千代三が1928年(昭和3年)に開いた工房に創業のルーツがある。自宅と工房は、現在の春日部駅前にあった。私は、11歳年上の兄と5歳年下の弟の3人兄弟の真ん中だ。兄は父の技術を受け継ぐべく桐箪笥職人に為った。
 父は、職人仲間からは「名人」と言われる程の腕の好い職人だった。幼かった頃は、工房で父の仕事を眺めて居るのが本当に好きで、飽きる事が無かった。鉋で桐の板が薄く削られる不思議さ、その木目の美しさ、香しい香り、そして何と言っても名人と呼ばれるだけのキビキビとした無駄の無い動き。家具に纏わる知識は、全て父を見て居て覚えたものである。

 小学生に為ると父の仕事への関心は一層に強く為った。良い材料とは何か、それを見極めるにはどんな眼力が必要なのか、良い材料を安く買うにはどうしたら好いか等々、子供乍ら一つひとつ英才教育を受けて居る様なものだった。
 小学校の高学年に為ると、既に工房を訪ねて来たお客さまの相手をして居た。生意気にもお客様に桐箪笥に付いて蘊蓄(うんちく)を垂れ商品を説明する。そんな私を父が嬉しそうに見て居るので、こちらも又調子に乗って遣る気を見せた。

 兄が職人に為って居たので、自然と「私は店の方の担当だな。兄弟が力を合わせて行けば父の工房はもっと繁盛するだろう」と思う様に為って居た。そして父も又、私には職人としての才能は無いと見抜いて居た様で、お客さまの対応等、営業や経営に目を向かせるようにして居た様だった。
 学校の勉強をして居たのは中学校の1年生位までだ。既に商売が中心の生活で、それが又楽しかった。店の経理も任される様に為り、中学2年生の時には初めて決算書を作ったのを憶えて居る。簿記の貸方・借方の分類など分から無いが、元帳と実際の製品やお金の流れを突き合わせて行くと、自然と貸方・借方の考えが理解出来た。

 中学生の頃には理解して居た「お金の心配をしない商売のあり方」

 私が中学生でありながら工房の経理を任される様に為った1956年は、経済白書が「最早戦後では無い」と宣言し、これが流行語にも為った年だった。前年の1955年には、1人当たりの実質国民所得が、戦前の好況期の水準を抜き、同時に戦後最大の好況期と為る神武景気が始まって居たからだ。

 同時に日本では、猛烈な耐久消費財ブームが沸き起こった。桐箪笥を中心とする婚礼家具は、真っ先に揃えられるもので、面白い様に売れて行った。
 日本橋や銀座の百貨店でも家具は稼ぎ頭で、春日部から桐箪笥をリヤカーに積んで日本橋の三越などに運んで居た。通称「バタバタ」と呼ばれる三輪車が使われるのは1955年頃からだが、大塚の工房では未だリヤカーでの搬送だった。

 工房の経理を任されて遣り繰りに格闘して居ると、子供ながらに色々な事が分かり、又疑問に感じる要にも為る。先ず感じたのは「お金の心配をして居無いと商売は続か無い」と云う素朴なものだった。それは「お金の心配をしないで商売が出来る様に為ら無いとダメだ」と云う思いにも繋がった。
 大塚家具も、創業からリーマンショック迄の約40年間は一度も赤字にしなかった。お金の流れをキッチリと管理して赤字にせず、内部留保を厚くする事に専念した。第2創業と為った匠大塚は、規模はマダマダだが、準備した資金の範囲内で想定通りに進捗して居る。

 「お金の心配をしないで商売をしよう」と云うのは、私が経営して居た当時の大塚家具の出店戦略にも直結していて「コストを抑えた出店方法」を模索し、それが高収益に繋がるビジネスモデルに結実した。その詳細は次回に述べようと思う。
 もう一つ、経理を見て居てツクヅク考えさせられたのは「良い品を安く売るのは何と難しい事か」と云うことだった。

 桐箪笥は実は、一人の職人の手によって造り上げられるものでは無い。例えば最終工程には「塗り」があり、これは専門の職人が担って居る。
 父の様な名人の職人の仕事には、同じく名人と呼ばれる仕上師が付く。名人同士の仕事であるし、しかも材料は最高の桐を使って居る。だから価格が高く為るのは当然なのだが、子供心には「良い家具をもっと安く売る事が出来れば、お客様がもっと増える筈」と思えた。
 純朴な誠実さとでも言うべきか、良いから高いのでは無く、良いものだからコソ安く届けるべきだと考えてしまう。

 これも結局は、後の商売の大きな鉄則に為って行く。現在の匠大塚でも、真っ先に掲げて居るスローガンが「確かな価値との出会い」だ。品質の良い製品を、お客さまが納得出来る価格で提供するには、どんな仕組みを作るべきなのか。ズッと考え続けて来た事だった。
 当時は答えが分から無かったものの、父の作業をジッと見て「箪笥の部位によっては、その部材は使わ無くても品質に問題は無いのではないか」とか、製材工場に出掛けて行って「半端な材料でも使い様があるし、場所によってはコチラの部材を使った方が安く且つ品質も好く為る」等と、一人で仮説を立てては父や兄に話して居た。







 良いものの価値を納得して頂く為の「説明」が必要

 もう一つ、小学校以来の接客経験から私の商売鉄則の一つに為ったのが「商品説明」だった。小学生がお客様相手に「良い桐箪笥とは」等と蘊蓄を傾けるが、それを「生意気だ」等と叱責される事は無かった。丁稚と呼ばれる子供達が居た時代でもあり、お客様も説明を聞いて呉れた。
 そして、キチンと説明して納得して貰えれば買って下さった。名人の父が作る桐箪笥がどれ程良いもので「だからコソ、この価格なのです」と胸を張れば、お客さまも納得して買い喜んで呉れた。「価値を伝える為には十分な説明が居る」と、この時に学んだ。

 だが、それは考えてみれば当然の事なのだ。お客さまは、家具と云う耐久消費財の象徴の様な製品を買おうとして居る。しかも決して安くは無い出費である。だからコソ納得して買いたいし、その為には自分で調べるかお店で聞くしか無い。だから、大塚家具を創業してからも従業員の説明能力を高める事に力を注いで来た。
 当時の店長会議では「例えば比較的安価な豆腐も納豆も卵も、キチンとその価値を説明すれば、競合より高価でも選んで貰える」と口を酸っぱくして言った。

 実際、最近の消費者の動きを見てみれば、私の言って居る事が分かって頂けるだろう。「有機栽培で育てた豆を使い、これだけの手間暇を掛けて作って居る豆腐です、納豆です」とアピールし、その真価を消費者に納得して貰えれば、200円も300円もする豆腐や納豆でもキチンと売れて居る。
 増してや価格の高い家具である。先ず自分の店にしか無い良い製品を用意し、それを全部説明出来無ければ為ら無い。お客様に納得頂ける情報をお伝えし、悔いの無い判断をして頂けるようにする。それが伝わら無い時は、製品の何処を好くしたら良いのか、又自分の説明の何処を改めればお客さまに納得して頂けるのか。それを考え続ける。

 又、私達は家具を売る事によって給料を得ているが、それは「説明を含めて、その家具の価値をご納得頂けたから」と云うことだ。心底、そう考えられる様に為ら無いと「売りたい、儲けが欲しい」と云う思いが表に出てしまい、決して実績には繋がら無い。
 余談に為るが大塚家具時代には、お客様や、お客様のご家族と結婚する社員が沢山居た。詰まりお客様が気に入って下さるのだ。それ位心を込めてご案内をし無ければ、良いものの価値は伝わら無い。

 家具屋に取って「在庫は悪」と言われたが・・・

 私が20歳に為った1963年頃は高度成長期の真っ只中で、婚礼家具も本当に好く売れた。その後、18人の仲間と共に独立したのは25歳、1969年の事だ。この年の3月に会社「大塚家具センター」を設立し、4月に春日部駅の西側に1号店を開店した。
 だが、西側には駅の出入口が無く、店は人通りも殆ど無い畑のど真ん中。営業車を持つ余裕が無くて、沿線駅に自転車を駐輪して朝に為るとそこから外商を行い、お客様をお店までご案内して居た。兎に角好く働いた。朝6時には起きて店の掃除から始まり、夜中の12時頃まで。車を持つ様に為ると、深夜迄いらっしゃったお客様をお送りした。

 独立する前からの事だが、婚礼家具が売れるのは春と秋だけだった。夏は全く商売に為ら無い。するとメーカーさんは、どうしても在庫を抱えてしまう事に為るから、私は父の許しを得て夏に為ると、良い家具であればメーカーさんからドンドン仕入れた。製品を持って居れば秋には必ず売れたからだ。
 又、当時、春日部の信用金庫が地場産業発展の為に大変有難い取り組みをして呉れて居た。家具の町の信用金庫なので、貸金の担保と為った家具を置いて置く自前の倉庫を持って居たのだ。その倉庫に家具を持って行くと、相場の6割位の評価でカネを貸して呉れた。その融資金で又在庫を買い集めて行く。そして秋に為ると全て売り切り、借金も返すのである。

 今から考えれば、父親は好く許して呉れたものだと思う。「預けて借りる」「借りて預ける」何か分かった様な分から無い様な仕組みだが、独立後もこの仕組みは商売のバネに為って行った。
 その頃「家具屋は在庫を持つな」と云うのが業界の常識だった。身軽にして置いてお客様の注文に応じて良いものを提供すれば生き残って行けると考えられて居たのだ。しかし私の遣って居る事は真逆だった。在庫を買い上げるのはメーカーに取っては有難い事だろうが、そうした行為自体が競争の激しい春日部の家具業界の中では、余り好ましい商売手法とは見られて居無かったのである。

 だが、商売の理で考えれば、売れるのだから在庫は持って居た方が好いのは自明だ。実は、現代においても同じだと云うのが私の考えだ。「在庫は悪」として効率的な管理をすべきだとする意見が強いが、こと高級家具においては今日注文して明日出来上がるものでは無い。寧ろ在庫を持ち、それだけの事が出来る資金が無ければ、ライバルには勝て無い。
 大手ネット通販会社を見ても、彼等の強大な競争力の一因には「在庫を正しく持って居る」事があるだろう。在庫を持って居るからコソ即日発送と云う満足度の高いサービスを提供出来、早い決済も可能にして居る。増して専門店として、彼等に負けないサービスを提供しようとすれば在庫を持つ事コソが競争力の源泉に為る。

 勿論何度も書くが、それが出来る資金管理と余裕が前提に為る。結局、商売は、商品作りも営業力も資金管理も全てが関連した中で競争力が生まれるのだ。そんな考えで商売を続けて居たら更に地盤を広げたいと感じる様に為って居た。
 「もっとお客様を増やせる東京で勝負したい」そう思って私が東京進出を決意したのは1978年、35歳の時の事だった。


      匠大塚会長 大塚勝久   つづきは次ページへ



























旧民主党の皆さん 国民は貴方方が考えて居るより冷ややかだ でも攻め込む隙はある




 旧民主党の皆さん 国民は貴方方が考えて居るより冷ややかだ
 
 でも攻め込む隙はある


          〜FNN.jpプライムオンライン 12/11(水) 18:12配信〜

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             フジテレビ 解説委員 平井文夫氏

 永田町の暮れの風物詩

 立憲民主の枝野代表が国民民主等会派を組んで居る野党に合流を呼び掛けた。数合わせを嫌って居た枝野氏が野党結集に舵を切ったと見られるが、もし一緒に為るなら党名も党首も変える、詰まり「合流」で無く「新党」で無いと駄目だろう。

 新党結成は最近の永田町の暮れの風物詩だ。何故暮れなのかと言うと、1月1日時点での議員数等に応じて320億円の税金が政党交付金として各政党に配られる。今から25年前にこの制度が出来て以来、新党結成は暮れの新しい風物詩と為った。
 この話はシンプルな様で複雑だ。日本の政治システムは2大政党制を前提にして居るので、選挙に勝つにも、国会で質問するにも、2大政党の一員で無いと損をする仕組みに25年前に変わった。

 「よりを戻しても又別れる」?

 一方で旧民主党の様に同じ党の中に違う意見の人が沢山居り、政権運営の途中に離党したりして政治を混乱させると国民の顰蹙を買う事に為る。鷹揚な人は、枝野さんも玉木さんも野田さんも小沢さんも、元々は民主党の人でそんなに考えが違う訳では無いのだから、共同政策を少し柔軟にして、先ず元の鞘に納まれば好いじゃないかと言う。
 しかし残念ながら可なり多くの人がこれに批判的で「どうせよりを戻しても又別れるんだろ」と大変冷やかにこの動きを見て居る。

 僕は鷹揚な人なので、先日も立憲民主の幹部に「原発政策も本質は違わ無いんだから、少しは妥協したら?」と勧めたのだが、彼は頑として妥協はしないと言い張った。多分、しないのでは無く政治的に出来無いのだろう。

 トップは新しい人で

 確かに小池百合子さんから排除された一昨年の選挙の時「枝野立て」の声が上がり、立憲の孤高の姿勢にシビれた有権者は居た。しかし立憲の孤高主義も世論調査を見ると国民には段々飽きられて居る。今は妥協の時、と云う事実を立憲の人々は受け入れるべきだ。
 しかし妥協して玉虫色の政策で新党を作っても国民は納得しない。だから1つの解決策は旧民主党政権の中枢を担った枝野さん・福山さん・安住さん等が何時までもトップに居たらダメだ。彼等は表に出無い方が好い。玉木さんはギリギリセーフ。
 山本太郎さんの人気の理由の1つは、既成政党の人では無いと云うことだ。それは世界的な傾向でもある。山本さんをトップに担ぐのは辞めといた方が好いと思うが、トップは新しい人で無いとダメだ。

 攻め込む隙はある

 世論調査によると、国民は安倍政権の桜を見る会への対応にとても怒って居る。この件で安倍さんを嫌いに為った人も多い。一方で政権は安倍さん、或は自民党に引き続き担って欲しいし、今の野党に任せるのは嫌だと思って居る。この気持ちをどう変えて貰うか。

 旧民主党の皆さん、国民は貴方方が思って居るより貴方方を許してませんよ。只一寸安心して好いのは、だからと言って自民党を物凄く好きかと云うと、そんな事も全然無いのです。攻め込む隙はある。それをこの7年間上手く出来て居無いだけだ。どうしたら国民に許して貰えるかを考えるのが、合流とか新党結成より先でしょうね。


 執筆 フジテレビ 解説委員 平井文夫   以上


 




 【関連報道1】立憲・国民の合流は「ブレたと映らぬ様」「分裂は運命のイタズラ」元王国・愛知の現在地

            〜東海テレビ 2019年12月9日 月曜 午後6:39〜

 9日閉会した国会「桜を見る会」の問題もアヤフヤなママ幕引きと為りそうな中、過つて民進党から分裂した二つの党、立憲民主党と国民民主党が再び合流しようと云う話が持ち上がって居ます。過つて袂を分かった二つの党の間には夫々の思惑が交錯。スンナリとは行か無い様です。
 「桜を見る会」を追及する為40日間の会期延長を求めた野党に対し、政府提出の法案の大半が成立したとして、与党はこれを拒否。結局、国会は与党の主張通り閉会しました。強い与党に対し、少数勢力が並び立ち、対峙する力に欠ける野党・・・状況を打破しようと立憲民主党の枝野代表が呼び掛けた内容が、

 立憲民主党 枝野代表「安倍政権に代わって政権を担い得る政党を築き上げ、次期総選挙での政権交代を現実のものとする為、会派を共にする皆さんに立憲民主党と共に戦って頂けるようお呼び掛けを致します」 
 実現すれば旧民主党勢力の再結集と為る合流への動き。過つて「王国」と呼ばれた愛知の有権者に話を聞くと、繰り返される離合集散に戸惑いを隠せ無い人や、中には変わり過ぎて党の名前が判ら無いと云う人も・・・

     12-12-7.png 国民民主党の牧義夫衆院議員

 国民民主党 牧衆院議員「元々僕等は一緒に遣るべきだったのが、色んな運命のイタズラでバラバラに為っただけの話ですから。落ち着くべき処に落ち着か無きゃいけない」地元の忘年会で合流に向けて積極的な姿勢を示したのは国民民主党の牧義夫衆院議員。
 牧衆院議員「野党がバラバラで幾ら与党が酷い政治を行ってても、それに代わり得る政権の受け皿が無いと云う、ホントに私達の責任であります。1日も早く1つの政党に纏まら無ければ、次の衆議院選戦え無い」
 2017年の総選挙では選挙区で敗れ、比例復活当選した牧議員。支持率が1%台と低迷する国民民主党の看板では選挙に勝て無いと合流に前向きです。しかし、同じ党内であっても決して一岩と云う訳ではありません。

 国民民主党 関衆院議員「『私達の処に入りたい人はおいで』と、立憲民主党の党名、政策、人事、今のママ国民民主党を潰しておいでと云うのは、私は出来ません」と話す東海比例ブロック選出の関健一郎衆院議員。
 合流自体は必要だと考えて居ますが、立憲民主党が国民民主党を吸収する形での合流を目論んで居る事に反発しての発言です。一方、その合流の主導権を握る立憲民主党の議員は・・・

       12-12-8.jpg 立憲民主党 松田衆院議員

 立憲民主党 松田衆院議員「立憲民主党としても『合流』では無くて、皆さんと一緒に立憲の理念として戦って頂ける状況を作り上げて行く事が・・・」週末に開かれた忘年会で支援者に状況を説明する立憲民主党の松田功衆院議員。
 党の創設から関わった松田議員は支持率が低い国民民主党との安易な合流は、支持者離れに繋がると警戒感を隠しません。

 松田衆院議員「立憲民主党を作って来た者からすると、理念や施策を曲げる事無く確り貫いて行く事が、今支持を頂いて居る方の思いだと思いますし、皆さんが『又元に戻るのか』とか、そう云う誤解を与える様な事は絶対避けた方が好い。ブレた様に映ら無い様にしなければいけ無いと云うことです」

「筋を通す立憲民主党」と云うイメージを崩さず、飽く迄国民側が立憲の政策等に歩み寄って果たされるべきと考えて居ます。夫々の立場で、過つて考え方の違いから袂を分かった立憲民主党と国民民主党。
 再び一つに為って有権者の理解と支持を得る為には、越得なければ為ら無いハードルはマダマダ高そうです。


                  以上







 【関連報道2】 「来年1月解散」が無ければ安倍政権は崩壊する
          
            〜プレジデントオンライン 12/11(水) 18:15配信〜

 首相サイドが考えているのは「説明」では無く「解散」

 首相主催の公的行事「桜を見る会」を巡る疑惑が噴出した臨時国会は、真相解明が進まぬママ12月9日閉幕した。野党側は、安倍晋三首相の後援会関係者が多数招待されて居た事等を「公私混同」と批判し、守勢に立った首相の答弁を二転三転させたが、招待者名簿が廃棄された事で決定打は出ず、国民の納得する説明は無いまま年越しする事に為った。
 野党は来年の通常国会でも徹底追及する構えだが、首相サイドの脳裏に浮かぶのは「説明」では無く「解散」の2文字だ。第2次安倍政権以降、2度の衆院解散・総選挙は内閣支持率の下降局面で実施されて居り、首相の「伝家の宝刀」をテコに疑惑払拭と求心力回復に結び着けて来た成功体験が過(よ)ぎる。

 「安倍一強」と言われる盤石な基盤の要諦とは 

 通算在職日数が11月20日に2887日に達し、戦前の桂太郎氏を抜いて史上最長の宰相と為った安倍首相。約1年の短命に終わった第1次内閣は政権運営に稚拙さが目立ったが、2012年末の政権奪還後は窮地も難無く乗り切るタフな宰相に変貌した。
 頼り無い野党に助けられた部分もあったが「安倍一強」と言われる盤石な基盤の要諦は、緻密に計算されて来た衆院の解散戦略にある。

 安倍首相による1度目の衆院解散が断行された2014年は、4月に消費税率が8%に引き上げられ、7月に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定、12月には特定秘密保護法が施行された。首相は11月、2015年10月に予定されて居た消費税率10%への再引き上げを1年半先送りする事を理由に衆院解散を表明。12月14日投開票の衆院選は自民党が大勝した。

 支持率45%前後で解散し、事態打開を図るのが手口

 ココでNHKが定期的に実施して居る世論調査を見て欲しい。2014年1月の内閣支持率は54%だったが、4月は52%、7月は47%、11月には44%に下降して居る。衆院選直前の12月は47%、その翌月の2015年1月は50%に回復した。

 2度目の解散が行われた2017年は、森友・加計学園を巡る問題が内閣を直撃し、7月の東京都議選で自民党が歴史的大敗。小池百合子都知事が立ち上げた新党「希望の党」の準備が整う前の9月末に衆院を解散し、10月の総選挙で圧勝した。
 NHKの世論調査を振り返ると、1月に55%だった内閣支持率は7月に35%に迄急落。その後ヤヤ持ち直し、9月は44%だった。衆院選後の11月は46%、12月には49%に回復して居る。

 データが示す通り安倍首相は、内閣支持率が下降局面に入ると、支持率45%前後で衆院を解散し、事態打開を図って来て居る。ちなみに最新(12月6〜8日実施)のNHK世論調査では、内閣支持率が2ポイント低下して45%、不支持率は2ポイント上昇の37%だった。
 同じ調査で「桜を見る会」を巡る首相の説明に納得出来無い人が7割を超え、不支持の理由に「人柄が信用出来無い」とした人が5割近くに上った事を合わせて考えると、此処から先は「解散局面」にあると言える。







 何故「解散カード」を2度も行使し無かったのか
 
 安倍首相は臨時国会閉幕を受けた9日の記者会見で「今後とも国民の負託に応えて行く上で、国民の信を問うべき時が来たと考えれば(衆院解散を)断行する事に躊躇は無い」と語った。メディアによっては「1月解散」の可能性を示唆したものだと受け止める向きもあるが、首相を間近で取材して来た全国紙の政治部記者達はこう口を揃える。

 「今年の安倍首相は過去2回の時とは、どうも違う」

 その理由を聞くと、アベノミクスの「障害」と延期して来た消費税率10%への引き上げは予定通り実施した一方で、選択肢として握って居た解散カードを2度も行使し無かった事が挙げられると云う。

 自民党圧勝が予想されたにも関わらず、解散し無かった

      12-12-9.jpg 亀井静香元金融担当相

 2019年は統一地方選と参院選がある「選挙イヤー」で、支援組織・団体は活動を活発化させて居た。7月の内閣支持率は45%で、これ迄通りの解散戦略から見ても「衆参ダブル選」を行う事がセオリーだった。
 首相に対する「ご意見番」的存在の亀井静香元金融担当相は4月、日本テレビ番組でダブル選に付いて「やるのが当たり前でしょ。安倍首相がバカで無い限りはヤルよ」と発言し、首相周辺からも「ダブル選の可能性がある」と云うアナウンスがあった。

 実際、安倍首相も参院選開票日の7月21日には「(ダブル選を)迷わ無かったと言えばウソに為る」と選択肢にあった事を明らかにして居る。野党が纏まら無い時期でもあり、自民党圧勝が予想されたにも関わらず、この時は解散カードを切ら無かった。
 参院選だけの「片輪走行」と為った結果、参院の改憲勢力は3分の2に届かず、臨時国会での国民投票法改正案の成立も先送りと為って居る。

 森友・加計問題を思い出させる行政文書の大量廃棄

 そして、2度目は「11月解散」の見送りだ。今夏の衆参ダブル選をスルーした理由に付いては様々な評論が出て居るが、首相側近の1人は「安倍首相の悲願である憲法改正に繋げる為に温存した。国会での憲法論議が停滞する様であれば『このママで本当に良いのか問いたい』と年末に総選挙を断行する考えもあった」と明かす。
 首相も参院選後の記者会見で「憲法改正は必ずや成し遂げて行く」とトーンを強めて居たが「伝家の宝刀」を抜く事は無かった。ちなみに11月の内閣支持率は47%だ。

 この「11月解散」が選択肢から外された最大の理由は、11月8日に火蓋が切られた「桜を見る会」を巡る国会での追及にあるのは言う迄も無い。森友・加計問題を思い出させる行政文書の大量廃棄が発覚し、1000人にも上る「首相枠」で後援会関係者やマルチ商法幹部、更には反社会的勢力が招待されて居た疑惑が持ち上がった。テレビのワイドショーはこの話題を連日取り上げ、政権の「体力」は削がれて行った。







 「1月解散、2月総選挙」で求心力回復を図ると云うシナリオ

 安倍首相が「2020年の新憲法施行」を本気で目指す為らば、2019年に憲法改正を争点に掲げた衆院選で勝利し、そこで与えられた民意を背景に改正手続きを加速させる必要があった。
 衆参ダブル選を実施して居れば、国会での憲法改正発議に必要な衆参3分の2以上の改憲勢力を維持出来て居た可能性は高く、12月9日迄の臨時国会中に国民投票法改正も成し遂げられて居ただろう。

 これまで安倍首相は絶妙なタイミングで解散権を行使し、国政選挙での勝利を重ねる事で求心力を維持して来た。その事を踏まえると、2度の解散見送りは計算が狂ったと言える。政府内には、来年の通常国会召集日を1月6日頃に早め、補正予算を成立させた上で衆院を解散すべきだとの声もある。「1月解散、2月総選挙」で疑惑払拭と求心力回復を図ると云うシナリオだ。

 「結局、何も出来無かった長期政権だった」
 
 しかし、相次ぐ閣僚の辞任や「桜を見る会」を巡る疑惑で予想以上に逆風が吹いて居り、与党内には慎重論も強い。1月解散を見送った場合、次のタイミングは来年度予算成立後の4月又は五輪閉幕後の早秋に模索する事に為るが、ソモソモ今夏の衆参ダブル選を見送った理由である「憲法改正の実現」に繋げる事を考えれば、その時期の解散では遅きに失して居るだろう。或る民放のベテラン記者は、安倍政権の現状を冷ややかに見る。
 

 「来年1月に解散出来無ければタイミングを失い、レームダック化して行くのではないか。憲法改正・拉致問題解決・北方領土返還・2年で2%の物価上昇目標達成・・・結局、何も出来無かった長期政権だった」

      プレジデントオンライン編集部     以上


 



 













安倍内閣の高支持率のワケ・・・野党も新聞の政治部も鈍いんだと思う田原総一朗氏 & 望月衣塑子氏が斬る!




 




 安倍内閣の高支持率のワケ・・・

 野党も新聞の政治部も鈍いんだと思う 田原総一朗氏& 望月衣塑子氏が斬る!



            〜BEST TIMES 12/12(木) 7:00配信〜


       12-12-10.jpg

               望月衣塑子氏と田原総一朗氏

 〜「桜を見る会」疑惑が次々と浮上し、安倍内閣に厳しい目が向けられて居る。11月に憲政史上最長在任の首相と為った安倍晋三氏と云う存在が「安倍一強」と呼ばれた強引な政権の瓦解が今始まったのだろうか・・・
 ジャーナリスト・田原総一朗氏と『「安倍晋三」大研究 』の著者で東京新聞記者・望月衣塑子氏の二人が、安倍政権の正体と今後を考える!〜
 

 「桜を見る会」疑惑が安倍政権の行方を変える!?

 田原総一朗(以下 田原)・・・ 「桜を見る会」の疑惑が次々と国会やメディアを騒がせて居る。僕は、この問題は、安倍内閣が7年も続いた為の神経の弛み・自民党の弛み以外の何ものでも無いと思う。望月さんはどう思われますか? 

 望月衣塑子(以下 望月)・・・そうですね。「5000円の会費は、ホテルに宿泊した客が殆どだったので、ホテルが設定した」と安倍首相がブラ下がりで説明した後に、ホテルでの宿泊が無い時期も5000円だった事等が報道で出て来たり、招待者の名簿を破棄したとする5月9日は、共産党の宮本徹議員が内閣府に資料要求をした僅か1時間後だった事が発覚する等、説明の全てで辻褄が合わ無く為って居ます。
 高速シュレッダーに付いても「予約で一杯だったから」と説明して居ましたが、シュレッダーの履歴を出したら、前日も含めて空いて居る時間がある。仕舞には「短期の障害者雇用の短時間勤務の職員の勤務調整をした結果」と迄説明する始末です。
 流石にその場凌ぎの理屈作りに番記者達も黙って居られ無いと云う感じで、桜を見る会の疑惑が国会で出て以降は、朝日・毎日・北海道新聞・西日本新聞等の若手の菅番の記者達が、連日シツコク質問をして居ます。政治部の番記者が聞いて居るのに、質問を打ち切った時も何度かありました。
 安倍首相側が、あのブラ下がりの異例の20分会見で「説明責任を果たした」と思って居るとの話もあり、内閣府・内閣官房での名簿の取り纏めの最終責任者でもある菅官房長官に質問が集中して居ます。

 田原・・・安倍首相は、公選法違反疑惑で菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の辞任に付いて「国民の皆さまに大変申し訳無く、責任を痛感して居る」と謝った。相次いで2人の閣僚が辞めるって云うのも尋常じゃ無い。第2次安倍政権発足後、第4次安倍改造内閣迄に累積9人の大臣が辞める事に為ったね。

 望月・・・安倍首相は「任命責任は私にある」と繰り返して居ますが、何時の間にか、アノ言葉は組織のトップとしての潔さだけを感じさせて、責任を取ら無くて済む様に為ってしまいました。「任命責任は私にあります」の発言が免罪符に為り、首相は責任を取ら無いと云う枕詞に使われて居ませんか? 
 狡猾(こうかつ)な言葉のマジックが見え隠れします。決まって「政権担当者として国民の為の政策を推し進めて行くのが私の責任の取り方だ」と付け加える。詰まり、任命責任に付いては、責任を取ら無くて好いと云う事が常態化してしまった。
 2週間で立て続けに重要閣僚の経産大臣と法務大臣が辞任ナンて、普通だったら政権はダッチロールします。安倍首相の言い方は、任命したのは自分だが、その後は個々の政治家の自己責任ですと言って居るのと等しいと思うのです。

 田原・・・モリカケ(森友学園と加計学園)問題で大騒ぎに為った時も「自分自身は何も知ら無いが、家内が籠池夫妻と会って居た」と云った、何処か我関せず。しかし、流石に昭恵夫人を表に出したら政治家として失格に為る・・・と云うことは分かって居る。だから、その一線だけは守り通そうと、昭恵さんは表に出さ無いと必死に守った。

 望月・・・2017年3月14日に「昭恵夫人は公人では無く、私人である」と閣議決定が行われて居ます。書籍『THE 独裁者』(KKベストセラーズ)で、安倍内閣の閣議決定に付いて紹介しましたが、驚かされるものが他にも色々ありました。

 【閣議決定】 内閣の意思決定の一形式で、実質的には行政において最高の意思決定と為る。法律案や政令・予算等、憲法や法律で内閣の職務権限とされる事項や、国政に関する重要事項が決定される。全国務大臣合意の下で決定される。以下は、安倍内閣が決定した閣議決定の例である

 そもそも」と云う言葉には「基本的に」と云う意味もある​(2017年5月12日)
 (「ポツダム宣言に付いては詳(つまび)らかに読んだ事は無い」と答弁しながら)安倍内閣はポツダム宣言を当然読んで居る(2015年6月2日)
 森友学園の国有地払い下げで、政治家からの不当な働きかけは無かった(2017年3月28日)
 『二〇二〇年改憲発言』は自民党総裁としてのもので、首相の職務のものでは無い。
 憲法九条は核兵器の保有および使用を禁止して居る訳では無い。


 (『THE 独裁者』望月衣塑子著 p136〜p139より)

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 望月・・・昭恵夫人が国会に引っ張り出されたら安倍政権は終わりだと思って居たでしょう。その事を或る国会議員にブツケタら「アノ時、昭恵夫人を国会に出して居たら、安倍政権は愚か、安倍晋三と云う政治家が終わって居ただろう」と言って居ました。だから、結局は、昭恵さんを守ったのでは無くて自分を守った訳ですよ。
 この間の2大臣の辞任劇、ドチラも菅官房長官の側近で菅人事と言われて居ました。トップとして責任があると言いながら、本当は「官房長官人事なんで、私は関係無い」と云った対岸の火事みたいな無責任さが垣間見えました。
 改造内閣を見ると、総裁選に出た石破議員や石破派は入閣させ無い報復人事で、安倍さん子飼いの萩生田光一文科相や衛藤晟一農水相等を入れ、菅サプライズと言われる小泉進次郎環境相と云う面々でした。内実は、菅人事の大失敗だったと云う訳です。だからコソ、菅長官の判断で更迭を素早く出来たのでしょう。
 比べると稲田朋美元防衛相の時は、本人が辞めたがっても安倍首相が引っ張りましたよね。様々な疑惑が出て来ても、矢張り最終的に判断する安倍さんがナカナカ首を縦に振ら無かった。お友達の色を過つて以上に、内閣に強め過ぎてしまった。その結果、バランスも働いて居無いし、自民党安倍一強の中で、自分達が遣りたい事は何でも出来ると云う驕(おご)りの部分が出てしまったと思います。

 田原・・・僕は、安倍さんの任命責任の前に、経済産業大臣と法務大臣は議員辞職するべきだと思う。何故要求しないのか? だって2人とも法律に違反して居るんだよ。違反行為をすれば議員辞職は当然の事。
 安倍さんの説明責任を追及しても、安倍さんが辞める筈も無い。大臣は辞めるべき、と云う方へ何故追及が行か無いのか。ヤッパリ野党も新聞の政治部も鈍いんだと思う。
 望月・・・もう一歩突っ込んだ質問は「日和って居る」と云う事ですか? 
 田原・・・そう。野党が日和るから、安倍内閣はドンドン自信過剰に為り、益々傲慢に為る。

 望月・・・自民党の或る議員は、安倍政権に取って「現在の様に野党が分裂して居る位が丁度好い」と平気で言って居ます。政権奪取をされる心配は無いからと。恐いのは、勢いがある「れいわ新選組」の様な政党だと。
 参院選では、メディアが報道を控えた事が影響し、結果として思った程支持率が上がらずホッと胸を撫で下ろしたとも聞きました。とは言え、山本太郎さんの人々の心を掴む力を評価して居る自民党議員等が居るのも印象的でした。或る議員は「今、一番怖いのは山本太郎」とハッキリ言って居ました。

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 安倍内閣高支持率の本当の理由とは? 

 田原・・・僕は安倍内閣はモリ・カケ問題が発覚した辺りで終わって居る・・・と見て居る。それなのに安倍内閣は、何故これ程長く続いて、しかも支持率が下がら無いのか、サッパリ理解出来無い。内閣支持率は歴代政権を見て居ても悪く無いんだよね。 本当に、何でこれ程高い支持率が保たれて居るのか、不思議で為ら無い。
 望月・・・一つは、特捜部が全く政権の不正を捜査する力が働か無く為り、機能し無く為った事だと思います。安倍政権に取って全く怖く無い存在に為ってしまったんでは無いでしょうか。森友問題の改ざんの捜査はしたけれど、全く事件化せず、官邸や佐川宣寿元理財局長の処分は曖昧なママでした。
 田原・・・不起訴だよね。起訴したら好いのに、何故出来ないのか?

 望月・・・別名安倍晋三記念小学校とも言われた瑞穂の國記念小学校と為った国有地売却に関する公文書で、文書改竄が始まりました。
 この取引に付いて、官邸と菅さんの議員事務所では、太田允理財局長、改ざんを首謀したと言われる中村稔理財局総務課長(当時)、直属の上司であった佐川宣寿理財局長等が説明に来て居た訳です。財務省は「何も問題無い」と菅氏に説明して居たとの事ですが、改竄の直前に2回に渉って行われた菅事務所での遣り取りに付いては、メモも会議録も一切無いと答弁して居ました。
 しかし、その数日後に、中村稔理財局総務課長が、安倍さんと昭恵夫人、麻生大臣等政治家やその関係者のリストを作成しました。中村課長は、首相や夫人の名前が入ったリストを基に削除を指示、近畿財務局職員は、改竄の為に日曜出勤まで強いられて居ます。
 特捜部が本気為らば、中村課長が作成したリストを含め、官邸からどんな指示が出て居たのか否か、或る程度は解明出来た筈です。けれど、特捜部は改竄事件の関係者を全員不起訴とした。改竄を強いられた近畿財務局の職員は、報道後に自殺迄したのに、です。今の特捜部は現政権に全く斬り込ま無く為りました。一体何の為の特捜部なのでしょうか。

 田原・・・そう云うことは、国民の殆ども分かって居ると思う。僕が理解出来無いのは、それにも関わらず、何故支持率が高いのかと云うこと。
 望月・・・確かに安定して40〜50%の内閣支持率です。何か起きる度に下がるのですが、下がっても限定的で又持ち直す。モリカケ疑惑が過熱して居る時も30%迄下がりましたがその後盛り返しました。
 安倍政権は、不祥事や疑惑から国民の関心を逸らす為に、次々と新たなパフォーマンスを展開します。羽生結弦さんへの国民栄誉賞や令和の元号発表等、政権支持率が低調だった処で政権延命の為のカンフル剤を打つ。平成への代替わりも菅氏の令和おじさんブーム然り、安倍政権の支持率向上の為に利用された感さえありました。れいわの祈念式典は、ワイド―ショーでも時間を割いて取り上げました。以降、ジワジワそ政権支持率が回復して行ったのは確かです。
 今の政権は2年先、3年先のスケジュールを見ながらこのタイミングで何を発表するか、ドンな行事を行うかを戦略的に考えて居ると思います。



 




 田原総一朗(たはら・そういちろう)1934年滋賀県生まれ  1960年早稲田大学卒業後 岩波映画製作所 東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て1977年にフリーに テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』などの番組でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く 
 1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞 早稲田大学で「大隈塾」を開講 『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)の司会をはじめ テレビ・ラジオの出演多数  著書多数 近著は『殺されても聞く』(朝日新書)

 望月衣塑子(もちづき・いそこ)1975年東京都出身 慶應義塾大学法学部卒 東京新聞記者 千葉・埼玉など各県警担当 東京地検特捜部担当を歴任 2004年日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし自民党と医療業界の利権構造を暴く 社会部でセクハラ問題 武器輸出 軍学共同 森友・加計問題等を取材 著書に『新聞記者』(角川新書)『THE独裁者』『「安倍晋三」大研究』(KKベストセラーズ)『安倍政治100のファクトチェック』(集英社新書)他


      文 BEST T!MES編集部 柏原周平   以上


 




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国・数の記述式見送り 文科省が表明へ 大学共通テスト




 




 国・数の記述式見送り 文科省が表明へ 大学共通テスト


             〜朝日新聞デジタル 12/12(木) 0:32配信〜

 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題に付いて、文部科学省は、来週にも実施の見送りを表明する方針を固めた。複数の関係者が明らかにした。採点者の質の確保や自己採点の不一致率の高さ等が課題と為って居り、現状のママでは実施出来無いと判断した。

 記述式問題を巡っては、約50万人の受験生の答案を採点する為、民間委託で8千〜1万人の採点者が動員される。短期間で正確な採点が出来るか懸念がある事に加え、特に国語では自己採点が難しく、受験生が実力に合った出願先を選び難く為る等の問題点が指摘されて居た。
 受験生等の理解が得られ無いとして、野党が秋の臨時国会で追及。与党内にも見直しや延期を求める声が高まって居た。政府は11月1日に共通テストの柱だった英語民間試験の活用の見送りを表明して居る。もう一つの柱である記述式問題の導入見送りで、大学入試改革は振り出しに戻る事に為る。


            朝日新聞社 矢島大輔    以上 









 【関連報道】 「共通テスト記述式導入反対論」への難癖 此処が可笑しい

  センター試験も知らずに政策決定する愚


         〜HARBOR BUSINESS Online 12/11(水) 8:34配信〜


      12-12-20.jpg

 出演した番組で「従来のマークシート式では、本当の思考力や判断力・想像力が育まれ無い」と発言したり、東大に圧力掛けたり「共通テスト」にご執心な下村博文元文科相(時事通信社)

          12-12-5.jpg 文 清史弘 せいふみひろ氏

 2021年1月から実施予定の大学入学共通テスト(以下「共通テスト」)では、この試験の中で数学と国語に記述式の導入が問題に為って居ます。この記述式の導入に付いては、賛成・反対の意見が分かれて居ますが、賛成の方の中には現状がどの様に為って居るかをご存じ無いと思われる方も少無く無い様なので、今回は疑問に答える形で説明します。

 議論の出発点

 大学入試に限らず「試験」と呼ばれるものの最大公約数は「公平に評価出来るか」と云う事です。公平に評価出来無いものは試験では無く「くじ引き」と同じなのです。
 (注)ココでは、不自然な採点基準は問題にしません。不自然であっても、その採点基準で全員が採点されるのであれば平等と考えます。
 又、一部の私立大学は、慢性的な定員割れに悩み、しかも問題を作成するマンパワーも足りず、入試を行う事が可なり厳しい状況の処もあります。その様な大学を学生選抜が「出来無い大学」と定義する事にします。「で機内大学」では無い大学を「出来る大学」と定義します。







 記述式に賛成をする方に多い誤解

 共通テストの記述式の導入に「賛成」或は「問題が無い」と考える方の意見を集約すると、この試験に対する誤解に基づくものが多くあります。数学の試験に関してその誤解を次の様に分類しました。

 TypeA 殆どの国公立の2次試験が、論述形式の記述式である事を知ら無いタイプ
 TypeB 共通テストの問題が全て、記述式の問題の試験であると思って居るタイプ
 TypeC 共通テストの記述式の問題が、短答形式である事を知ら無いタイプ
 TypeD センター試験の内容を知ら無い、又はセンター試験がテクニック中心と考えるか何等かの苦い過去を持つ事が理由のタイプ

 次に、共通テストの数学の記述式を誤解して居る人の主な意見を挙げ、これがどのタイプに為るかを記します。

【意見内容誤解のタイプ】

 Q.1 数学の力を測るには、記述式で無ければ測れないのでは? AとC
 Q.2 センター数学は4択5択で解答するから思考力が育た無い。(元文科大臣) AとD
 Q.3 記述式はどんなマークシート方式よりも優れて居るものなんだ。(元文科大臣) C
 Q.4 野党は、今のマークシート型主体の入試のママで好いと思ってるのだろうか。(政治評論家・雑誌編集者) BとD
 Q.5 マークシートで本当の能力が測られる時代では無い事を認識すべき。(議員) AとBとC 
 Q.6 日本は詰込み式の教育から切り替えて行くべき。その為には記述式が必要。(ジャーナリスト) AとC
 Q.7 記述式の方が技量が如実に現れる。 AとC
 Q.8 マークシート何かテクニックで勝負出来、条件から絞り込む事も可能。これでは入試の質は下がってしまう。センターで厳しいなら、各大学の二次試験で数学・国語の記述式を必須にしたらどうか。 AとCとD
 Q.9 丸暗記の色塗りテストより記述の方が高度な試験だ C 
 Q.10 センター試験はテクニック的な様なものばかりだから、記述試験で数学の力をキチンと測って欲しい。 CとD

 発言者が書かれて居無いものは、SNS等での意見を集約したものです。これ等の中には同じ様な主張も含まれますが、次ページから夫々に対する回答を記します。







 センター試験の問題を見た事があるのか?

 Q.1 数学の力を測るには、記述式で無ければ測れ無いのでは?
 
 その通りです。数学の力を測る為にはマークシート方式でも或る程度は出来ますが、より正確に測る為には「論述形式」の記述式で無ければ為りません。しかし、共通テストの記述式は、答の数値・結果を書くものが主です。これは短答式と呼ばれるもので論述形式では無く、数学の力をマークシート以上に測れるものではありません。
 更に、この短答式の問題はマークシートで問う事も可能です。であれば記述式でもマークシートでも好いでは無いかと思われるかも知れませんが、記述式は実施するに当たって採点の公平性等多くのデメリットを伴います。

【記述式の問題点に付いてはこちらの記事を参照 大学入試共通テスト問題。「記述式」で生じる3つの大きな問題<短期連載:狙われた大学入試―大学入学共通テストの問題点―>】

 更に、論述形式の記述式の問題は既に国公立大学の個別試験(2次試験)で出題されて居ます。

 Q.2 センター数学は4択5択で解答するから思考力が育た無い。(元文科大臣)
 
 一度、今年のセンター試験の問題をご覧に為ってから発言されると好いと思います。確かに、或る条件が「必要条件」か「十分条件」か等を選ぶ問題では4択から選ぶ問題ですが、問題の殆どはその様に為って居ません。そこから、センター試験の性格が判ります。
 それから、共通テストの試行調査の問題はご覧に為って居るでしょうか。共通テストの方が多岐選択式問題は増えて居ます。残念な事に共通テストの方が思考力を測る点では後退しました。

 Q.3 記述式はどんなマークシート方式よりも優れて居るものなんだ。(元文科大臣)
 
 果たしてそうでしょうか。例えば「サイコロの目で3の倍数は何個あるか」と云う問題で「2と書く」のと「2をマークする」のはドレ程の違いがあるのでしょうか。それは、公平性が失われる事を犠牲にしても達成し無ければ為ら無い事かは疑問です。

 Q.4 野党は、今のマークシート型主体の入試のママで好いと思ってるのだろうか。(政治評論家・雑誌編集者)
 
 共通テストの試行調査の問題を見るとお判りに為る事ですが、共通テストに為ってもマークシート型主体である事には変わりはありません。記述試験は「数学I」「数学I・数学A」にノミ課される試験で「数学II」「数学II・数学B」の試験には出題されません。

 Q.5 マークシートで本当の能力が測られる時代では無い事を認識すべき。(議員)
 
 先ず、国公立大学に限れば82大学の中で81大学が2次試験に記述式、しかも共通テストよりも遥かに質の良い論述式の問題を出題して居ます。
 一方で、センター試験ノミで合否を判断する大学も少無くないのは事実です。その様な大学は、本来2次試験等の個別試験で記述式の問題を出題した方が好い「出来無い大学」です。もしも「出来無い大学」の為に共通テストに記述式を導入するのなら、キチンとした論述型のものを実施し無ければ意味がありません。勿論それには実施可能かと云う問題が常に存在します。今の共通テストの記述式では役に立ちません。
 一方「出来る大学」には何のメリットもありません。それよりも質の良い試験を実施して居るのですから。メリットは無く、公平性等のデメリットだけがある試験を押し着ける事に為ります。


 




 共通テストは難癖着ける連中の云う問題点を増してるだけ

 Q.6 日本は詰込み式の教育から切り替えて行くべき。その為には記述式が必要。(ジャーナリスト)
 
 先ず、教育を詰込み式にするかどうかは半分は教える側の問題です。教える人が詰込み方式にすればどんな問題を出題しても詰め込み教育に為ります。この場合は、教える側の問題で、記述式を出題すべきかどうかと云う問題とは別に議論する必要があります。
 次に、自前で入試問題を作る事が出来る「出来る大学」が出題して居る入試問題をご覧ください。例えば、東京大学程入試問題に多くの対策が取られる大学はありません。しかし、目先の対策では解ける様に為ら無い問題が殆どです。(時々、小手先のテクニックで解ける問題もあります)

 Q.7 (記述式の方が)技量が如実に現れる。

 一般には、その意見は正しいのですが、残念ながら共通テストで出題される問題は技量が如実に現れる問題では無いのです。又、マークシート方式でも技量が如実に現れる問題は或る程度は作る事は可能で、これ迄のセンター試験がそれを証明して呉れて居ます。

 Q.8 マークシート何かテクニックで勝負出来、条件から絞り込む事も可能。これでは入試の質は下がってしまう。センターで厳しいなら、各大学の二次試験で数学・国語の記述式を必須にしたらどうか。

 先ず「各大学の二次試験」と云う表現ですから、国立大学を指して居ると思われますが、国立大学は82大学中81大学が共通テストよりも良質の記述試験を課して居ます。
 又「条件から絞り込む事は可能」との事ですが、それはセンター試験の全ての問題に当て嵌まる訳では無く、センター試験の数学の場合はその様に出来無いものが殆どです。しかし、共通テストでは、逆にその様に絞り込む事が出来る問題が増えました。

 Q.9 丸暗記の色塗りテストより記述の方が高度な試験だ。

 出題の仕方にもよります。現在のセンター試験の問題は、大半が正しい数値が判ら無ければ、正しくマークが出来無い仕組みに為って居ます。マグレで正答する可能性は限りなく小さく、数字を書くか数字をマークするかの違いです。従って、現在のセンター試験の問題は、内容的には記述の短答型の試験に匹敵すると言っても好いものです。

 Q.10 センター試験はテクニック的な様なものばかりだから、記述試験で数学の力をキチンと測って欲しい。
 
 センター試験を「テクニックで解決出来る試験」と見做すかどうかは受検する人の学力によります。学力が高い人は「テクニック」等と意識せずに考えて正解に達します。しかし、数学が苦手な人は「好く判ら無いけれど正解に達する魔法の方法」を期待して、実際にそれで問題が解ける事もあります。
 何故その方法で解けたのかが判ら無いで解けた場合、解いた人は「テクニック」とか「裏技」と言います。これが好いかどうかはここでは議論しませんが、それは、センター試験だから起こる事ではありません。







 政策決定者は、もっとセンター試験の事を深く知るべき

 サテ、共通テストの記述式の問題点は、最近知った方に取っては判り難い問題なのでしょう。それは「記述式」と云う言葉の響きに多くの期待を持たせてしまうからかも知れません。
 この共通テストの「記述式」に付いては、歴代の文科大臣さえも好く理解して居無いのではないか(個人の感想です)と思える事もあります。少なくとも政策決定者は、共通テストの試行調査の問題を解く位の事は実行して貰いたいと思います。勿論満点を取ら無ければ為ら無い訳ではありません。

 なお、今現在、およそ60代以上がこの様な全国の共通テストは未経験であり、50代が共通一次世代、それ以下がセンター試験世代です。
 政策決定者が50代の場合、国立大学を受験する場合は共通一次を受ける事に為りますが、この共通一次と今のセンター試験では質の面で可なり異なるので、共通一次試験をイメージして政策を決めると誤った判断になります。

 センター試験を受けた事の無い安倍政権下の歴代文科相

 参考までに、安倍内閣における文部科学大臣とセンター試験受験の可能性をマトメてみました。次の表は、2012年12月に発足した第2次安倍内閣以降の6人の文部科学大臣と大学入試センター試験を受検した可能性です。
 1979年〜1989年までは厳密には共通1次試験(大学共通第1次学力試験)として実施されて居り、この6人の大臣は全員がこの共通1次試験かそれ以前の世代に辺ります。
 共通1次試験は私立の大学には課せられません。しかし、入学した大学が私立大学であっても国立大学を受験した可能性はありますのでその様な場合は「受けた試験」の欄には、括弧()着きで(共通1次試験)と記してあります。各大臣がどの大学を受験したかに付いては手に入り難い情報ですので、その様に記してあります。

   氏名  生年月日  就任した期日 入学した大学と学部 受けた試験

 ・下村博文 1954年5月23日 2012年12月26日 早稲田大学教育学部 (共通1次試験以前)
 ・馳浩 1961年5月5日 2015年10月7日 専修大学文学部 (共通1次試験)
 ・松野博一 1962年9月13日 2016年8月3日 早稲田大学法学部 (共通1次試験) 
 ・林芳正 1961年1月19日 2017年8月3日 東京大学文科1類 共通1次試験
 ・柴山昌彦 1965年12月5日 2018年10月2日 東京大学文科1類 共通1次試験
 ・萩生田光一 1963年8月31日 2019年9月11日 明治大学商学部
 (共通1次試験)
 
 この様に、各大臣経験者が今の共通テストを体験して居無いのは明らかですが遅くはありません。何故センター試験を変え無ければ為ら無いか、共通テストはどの様な試験に為ってしまったかに付いては、今からでも十分に研究すれば好い事です。少なくとも問題文を読んで考える処迄は遣って頂けたらと思います。
 この大学入試改革は、人口減少社会において学生募集に苦労した大学が、AO入試或は推薦試験等と称して事実上の無試験で入学出来る様な大学、好い加減な募集をする大学が増えた事も発端の一つでした。それを改革しようとした事は好い事だと思いますが、途中から真の専門家の意見よりも民間業者を優先しした事が現在地に到着した理由です。今一度、真の専門家を集め直して、もう一度確りと意味の有る実行可能な制度を作って行く事が望まれます。


 文 清史弘 せいふみひろ Twitter ID:@f_sei。数学教育研究所代表取締役・認定NPO法人数理の翼顧問・予備校講師・作曲家。小学校、中学校、高校、大学、塾、予備校で教壇に立った経験をもつ数学教育の研究者。著書は30冊以上に及ぶ受験参考書と数学小説「数学の幸せ物語(前編・後編)」(現代数学社) 、数学雑誌「数学の翼」(数学教育研究所) 等。 

           ハーバー・ビジネス・オンライン     以上


 



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「桜を見る会」問題が象徴する安倍政権の体質




 




 「桜を見る会」問題が象徴する安倍政権の体質


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              文 薬師寺 克行  東洋大学教授


            〜東洋経済オンライン 12/11(水) 12:16配信〜


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      臨時国会が閉会 記者会見する安倍晋三首相 12月9日 写真 時事通信  


 又もや首相が逃げ切ったと云う感じの臨時国会の幕切れと為った。安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に関する野党の追及に、菅義偉官房長官や官僚等が矛盾だらけの説明を繰り返す一方、安倍首相は真面に対応しようとはし無かった。
 国会が閉幕した12月9日の記者会見も「招待者の基準が曖昧であり、結果として招待者の数が膨れ上がってしまった」等と他人事の様な説明に終始した。

 この間、日米貿易協定等の重要政策の審議は国民の視野から遠退いてしまった。自らの関与が疑われて居る問題に付いて誠実に説明しようとしない安倍首相の倫理観の欠如した姿勢は「森友・加計問題」以降繰り返されて居るが、今やそれが政界と官界に迄拡散して居る。

 責任感が見られ無い安倍首相の姿勢

 桜を見る会に対する安倍首相の説明回避の姿勢は徹底して居た。不都合な事実関係が次々と表面化すると、首相官邸で記者団に一方的に説明する「ブラ下がり」を数回行い、それを免罪符だと考えたのか、予算委員会は結局開かれ無かった。
 代わりに説明役を引き受けたのは内閣府の官僚や菅官房長官だったが、その説明も新たな事実を前に矛盾だらけと為って行った。

 廃棄した出席者名簿がバックアップデータとして残って居た事実が出ると、菅官房長官は「バックアップデータは行政文書に該当し無い事から、情報公開請求の対象には為ら無いと聞いて居る」と説明するしか無かった。記者からの質問に答えられ無い為、繰り返し秘書官に説明を求める菅長官の遣る気の無さそうな映像が、安倍政権の体質を象徴して居た。

 国会審議では政権の成果を強調し、都合の好い主張を繰り返す。野党の追及には時に自席からヤジ迄飛ばす。処が不都合な事実が表面化すると、委員会出席を拒否し、普段は遣ら無い「ブラ下がり」で一方的に話す。この様な安倍首相の対応には、国民にキチンと説明しようと云う責任感は見られ無い。
 9日の記者会見でも、問題なのは「招待者の基準が曖昧」だった事であり、自分の責任で見直すとして、自らの関与や後援会の関わり方等問題とされて居る点に付いては何も触れ無かった。

 首相の代わりに説明役を担わされた閣僚や官僚は、事実関係を明らかにする事よりも、安倍首相を傷付け無い事を重視し、場当たり的に辻褄を合わせ様と無理な理屈を作り上げて行った。そして、この理屈が破綻すると、知らぬ存ぜぬを通すしか無く為る。こうした光景に倫理感の欠片も感じる事は出来無い。


 




 安倍首相が軽視する議院内閣制の根幹
 
 同じ事は安倍政権でこれ迄何度も繰り返されて来た。森友・加計問題が沸騰した2017年は、財務省の局長による公文書の改ざんや虚偽答弁まで明らかに為った。中央省庁の局長が首相を守る為に公務員としての最低限の矜持であるべき倫理観まで放棄した。
 そして、これだけの重い事実が明らかに為ったにも関わらず、上司である麻生太郎財務相は責任も取等無いまま今も財務相を続けて居る。

 野党が憲法の規定に基づいて臨時国会召集を要求すると、外交日程等を理由に拒否し続け、挙句に9月に臨時国会を召集すると、委員会審議等しないママ、行き成り冒頭で衆院を解散してしまった。安倍首相は自分に不都合な事を国会で追及される事がどうしても嫌な様だ。
 国会は、首相が遣った事が犯罪であるかどうかを調べ判断する様な場では無い。それは捜査機関の仕事である。国会の果たすべき役割は、国政が公正、公平に行われて居るかチェックする事である。予算の編成や執行、或は政策等が特定の人達の利益に為る様恣意的に作られたりして居無いか、執行されて居無いか等をチェックするのである。

 憲法には、内閣は行政権の行使に付いて、国会に対し連帯して責任を負うと書かれて居る。内閣の行政運営に付いて国会が問題ありと判断すれば、最終的手段として不信任決議を行う事が出来る。しかし、行き成りそこ迄遣ら無くても日常的には、国会が本会議や委員会等の場で説明を求めたり改善を要求し、首相以下内閣のメンバーがそれにキチンと対応すれば好い。
 内閣と国会がアラユル事で対立したのでは国政は滞ってしまい、経済も社会も混乱する。詰まり、首相が国会の場でキチンと説明し、問題があれば謝罪する為り改善する為りして行けば好いのである。

 それが議院内閣制の根幹である。処が、安倍首相は明確な根拠を示さ無いまま自らの正当性を主張し、後は頬かむりして時間が過ぎるのを待つと云うことを繰り返して居る。これでは政権の透明性は失われ、国民の目の届か無い処で限られた人達だけの判断で、重要な事柄が決められてしまって居るのではないかと云う疑念が湧いて来る。
 より深刻な問題は「安倍一強」と言われる政治状況の中で首相のこうした姿勢が、政界や官界にも広がって居る事だ。

 桜を見る会の様な問題が表面化しても、安倍首相は非を認めず、説明もし無い。代わりに対応する官僚は、首相の対応に合わせて答弁したり、辻褄を合わせる為の理屈を作り出さ無ければ為ら無く為る。その結果、前述の様に首相を守る為に公文書を書き換えると云う様な行為も出て来るのである。
 逆に首相の対応には問題があった等と正論を主張すれば、潰されてしまい兼ねない。こんな空気が官僚機構の中に広がって居るのだ。







 長期政権の下で広がる「忖度」

 無論、多くの官僚が私欲を捨てて真面目に仕事をして居る事は事実である。桜を見る会に付いても、複数の中央省庁幹部が、官庁に割り振られた招待者の推薦名簿に付いては「OBで叙勲等を受けた人を対象に厳格に選んで居る。恣意的に招待する等と云う事は有り得無い」と話して呉れた。しかし、首相官邸主導の下で物事が決められて行く中、官僚の行動様式に変化が生まれて居る事も事実である。

 政界も同じである。政治資金を巡る問題で辞任した菅原一秀前経済産業相や河井克行前法相とその妻の参院議員は、結局、国会開会中には姿を現さ無いママに終わった。彼等も何の説明もする気が無い様だ。時間が経てばホトボリが冷めるとでも思って居るのであろう。
 悪い冗談の様な話だが、安倍首相は2018年4月、国家公務員合同初任研修の開講式で国家公務員に為ったばかりの若者を前に「国民の信頼を得て負託に応えるべく、高い倫理観の下、細心の心持ちで仕事に臨んでほしい」と訓示して居る。首相が言う様に私益を追求するのでは無く、公益の実現が使命である公務員や国会議員に、倫理観は最低限必要なものである。

 処が長期政権の下で「首相に逆らう訳にはいか無い」「云うことを聞いて置けば守られる」と云う忖度の空気が広がれば、行政における恣意性が高まり、その結果、公平さ公正さが損なわれ、不平等が生まれかね無い。そう為ると官僚機構のみ為らず統治システム全体に対する国民の不信感が拡大して行く。そして、一度壊れた倫理観を修復する事は容易では無い。


          薬師寺 克行  東洋大学教授    以上


 【管理人のひとこと】

 安倍氏と云う人は、何度同じことを繰り返すのだろう・・・反省して学習すると云う能力がポカっと抜け落ちて居る。それにしても酷過ぎる幕切れだった「知らぬ存ぜぬ、俺は全く知ら無い!」と逃げおうせ、又同じ様な問題を引き起こす・・・そして、何か別の問題をデッチ挙げ「国民の信を問いたい」と選挙へ逃げる・・・この繰り返しで、今回デッチ挙げるのは憲法改正だろうか?
 多くの国民は「他に適当な人が居無い」「比べると安倍さんしか居無い」と諦めて選挙に出掛け、憲法改正何か興味が無いと、半分以下の投票率で同じ様な政権が出来上がり、マタマタ同じ様な場面が続く。既視感に溢れる政権を維持するのが得意なのだろう・・・少しの進歩も無い。
 その間、日本の経済はジリ貧を続け先進国最低の貧乏国へとマッシグラに急降下する。国民の多くは生活するだけでも大変な状況に置かれて居る。それもこれも・・・彼等を選択する人が存在する・・・奇跡と云って好い、神様が奇跡を起こす「神国・日本」なのだから。令和の時代、少しは進歩するだろうか・・・



 



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