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2019年11月05日

ライトオンを苦しめる「若者のジーンズ離れ」


 

 ライトオンを苦しめる「若者のジーンズ離れ」


          〜プレジデントオンライン 11/5(火) 11:15配信〜

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 2019年6月27日にライトオンがオープンした「浦添パルコ店」イメージ ジーンズセレクトショップの象徴として約2000本のジーンズを使用したデニムウォールを設置  写真 ライトオンプレスリリースより

 



 〜ライトオン・マックハウス・ジーンズメイトと云ったジーンズ量販店各社が苦しんで居る。店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏は「ジーンズの低価格化が進んだ事と、若者のジーンズ離れが大きな理由に為って居る。どう対処すべきなのか。正解は未だ見えて居ない」と分析する〜

 ライトオンは最終損益61億円の赤字

 ジーンズ量販店各社が苦境に立たされて居る。ジーンズ文化の変化に対応出来ず、各社の業績が急速に悪化して居るのだ。
 ライトオンの2019年8月期連結決算は、売上高が739億円(前期は767億円)、営業損益は21億円の赤字(同12億円の黒字)、最終損益は61億円の赤字(同4億円の黒字)だった。最終損益は、店舗閉鎖や収益性が悪い店舗に付いて減損損失を計上する等特別損失36億円が響いた。

 同社は19年8月期から決算の締め日を20日から31日に変更した為単純比較はでき無いが、前の期から売上高利益共に大きく悪化したと言って差し支え無いだろう。何れにせよ、ここ数年は厳しい状況が続いて居る。
 マックハウスの2019年2月期単独決算は、売上高が前期比9.2%減の280億円、営業損益は12億円の赤字(前期は2億円の黒字)、最終損益は28億円の赤字(同2億円の赤字)だった。減収は3期連続、営業赤字は8期振り、最終赤字は2期連続と為っており、こちらも厳しい業績が続く。

 何れも不採算店の大量閉鎖が続く

 ジーンズメイトの19年3月期単独決算は、売上高が85億円(前期は97億円)営業損益は9100万円の黒字(同6億900万円の赤字)、最終損益は1900万円の黒字(同7億8900万円の赤字)だった。尚、18年3月期に決算の締め日を2月20日から3月31日に変更して居る。18年3月期まで営業赤字が3期連続、最終赤字は10期連続と苦しい状況が続いて居たので黒字転換した事は喜ばしい事だが、とは言え、黒字幅は僅かで手放しでは喜べ無いだろう。

 大手ジーンズ量販店各社の売上減少の背景にあるのは、不採算店の大量閉鎖だ。ライトオンは店舗数の減少が続いて居る。15年8月期末には516店を展開して居たが、その後は減少し、19年8月期末には473店まで減った。
 マックハウスは09年2月期末時点で567店を展開。以降、減少が続き、19年2月期末は398店に減った。ジーンズメイトは12年2月期末に117店を展開して居たが、19年3月期末には76店と、二桁に落ち込んで居る。

 



 ジーンズがファッションの中核アイテムだった頃

 大量閉鎖の理由は3社とも共通して居る。ジーンズが売れ無く為ったからだ。その理由としては「ジーンズの低価格化」と「若者のジーンズ離れ」と云う2点が挙げられる。
 過つてジーンズはファッションの中核アイテムとして君臨し、量販店の主力商品として売り上げを大きく牽引する存在だった。
 ジーンズ文化の最盛期は1980年代だろう。ケミカルウォッシュ等様々なタイプの商品が発売され、若者を中心に人気を博した。日本ジーンズ協議会が主催するジーンズが似合う著名人を表彰する「べストジーニスト」が始まったのが1984年で、この頃から業界を挙げたジーンズ普及の取り組みが始まった。

 1990年代もヴィンテージジーンズがブームに為る等、盛り上がりを見せた。同時に「リーバイス」や「エドウィン」等高価格のジーンズを販売するライトオン等大手ジーンズ量販店が一大勢力を築いて行ったのもこの頃だ。

 1000円を切るジーンズの発売が相次いだ2009年

 そして2000年代に入ると、ファッション産業全体の潮目が変わり始める。1998年から2000年にユニクロがフリースブームを巻き起こし、ファッションセンターしまむらが2006年に1000店舗を達成する等、低価格帯の衣料品チェーンが台頭した。その結果、ジーンズにも低価格化の波が訪れた。

 中でも2009年は、大きなターニングポイントに為った。同年3月にユニクロの姉妹ブランド「GU(ジーユー)」が990円ジーンズを発売し大ヒット。これに続く形で同年にイトーヨーカ堂が980円ジーンズ、イオンが880円ジーンズ、ドン・キホーテが690円ジーンズを発売し、価格破壊が巻き起こった。しまむらで全身コーディネートする「しまラー」がブームと為ったのもこの年だ。

 



 男性用ボトムスの多様化が進む
 
 こうしたジーンズの低価格化が、ライトオン等ジーンズ量販店を直撃した。量販店が販売するジーンズは割高感が出る様に為り、売り上げは低迷して行った。
 特に2009年の価格破壊は各社の業績に大きなダメージを与え、ライトオンは2010年8月期の売上高が前期比13.5%減の869億円、マックハウスは10年2月期が13.6%減の489億円、ジーンズメイトは11年2月期が15.0%減の142億円と夫々大きく落ち込んだ。そしてここから大きく盛り返す事は出来ず、今日に至って居る。

 若者のジーンズ離れも大きいだろう。ボトムスの多様化でジーンズが選ばれ難く為った。過つては男性用のボトムスと言えばジーンズとチノパン位しか無かったが、カーゴパンツやショートパンツ、イージーパンツと云った非ジーンズが充実する様に為り、ジーンズの存在感は低下して行った。特にここ十数年は非ジーンズが目覚ましい勢いで進化して居る。

 ライトオンは「ジーンズ強化」を選んだ

 こうした流れにジーンズ量販店は対処し無ければ為ら無い訳だが、企業によって対処の仕方が大きく異なって居る事が興味深い。大きくは「ジーンズ強化」と「脱ジーンズ」の2つだが、ライトオンは「ジーンズ強化」マックハウスとジーンズメイトは「脱ジーンズ」に舵を切って居る。

 ライトオンは2018年から売り場のコンセプトを、陳列量を重視する「ジーンズショップ」から提案型の「ジーンズセレクトショップ」へと転換を図った。これは飽く迄販売手法の変更であって、ジーンズを核として居る事には変わりは無い。寧ろジーンズに力点を置く考えで、プライべートブランド(PB)を強化する等して「ジーンズ・ボトムスの品揃え・販売力と云う強みを継続して活かして行く」と云う戦略を打ち出して居る。

 ジーンズメイトは「脱ジーンズ」の道へ 

 一方、マックハウスとジーンズメイトは「脱ジーンズ」を選んだ。マックハウスは「ジーンズカジュアルショップ」から「ジーンズを中心としたファミリーカジュアルショップ」への脱皮を図って居る。
 具体策としては、従来の男性向け中心から、女性や子供向けも多く揃えた新業態「マックハウススーパーストア」や「マックハウススーパーストアフューチャー」の出店を強化する等して居る。ジーンズを核としながらもジーンズに拘り過ぎる事無く、幅広い品ぞろえで対応する考えだ。

 ジーンズメイトも脱ジーンズに大きく舵を切った。ジーンズを減らして女性向け衣料や小物を増やす戦略を打ち出して居る。新業態の「JEM」では敢えてジーンズの割合を極端に低くして居り、脱ジーンズを鮮明にしている。
 「ジーンズ強化」と「脱ジーンズ」のドチラが正しいのかは未だ分から無い。何れにせよ、待った無しの状況である事は確かだ。採った戦略に磨きを掛けて顧客に強く訴求して行く他無いが、遠く無い将来に答えは出るだろう。ドチラの戦略が正しいのか、何れの企業が生き残る事が出来るのか、注目が集まる。


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 佐藤 昌司(さとう・まさし) 店舗経営コンサルタント 立教大学社会学部卒業。12年間大手アパレル会社に従事。現在は株式会社クリエイションコンサルティング代表取締役社長。店舗型ビジネスの専門家として、集客・売上拡大・人材育成のコンサルティング業務を提供している。       

     店舗経営コンサルタント 佐藤 昌司     以上


 




 【管理人のひとこと】

 ジーンズに魅了されたのは、ハリウッド映画のディームス・ディーン演じる「エデンの東」や「ジャイアント」の映画を観て魅了された人達が多いと想像する。作業服の様で上にはラフなテーシャツスタイルが、アメリカの若者のスタイルの象徴の様に思われた。その他の西部劇も同じで、ジーンズにガンベルトを腰に颯爽と馬に乗り荒野を駆け廻る・・・アメリカに憧れた戦後日本人の劣等感の裏返しの様に感じる。
 確かに若者達の脚は伸びジーンズに似合う体系へと変化したが、カントリー・ロック等の音楽にも影響され、日本でも日常的な普段着として普及した。

 しかし、古いビンテージ物や高級品がマニアに重宝される様に為ると、途端に気楽な普段着からマニアチックな「色物」に下落してしまった感がする。詰まり、一着何十万以上もするボロボロのジーンズに魅力を感じる人達が現れるのが、一つのブームの終わりを告げて居たのだろう。スタイル・機能等を度外視する金銭的価値を余りにも重視過ぎたのだ。反動として、価格の安い商品が次々と出て来て・・・ジーンズとはそんなものでは無い、気楽に着熟す普段着なのだと訴える。
 何時洗濯したのかも判ら無い、茶色に変色した穴だらけのボロボロのジーンズに顔を顰める人も居るだろうし、少しもお洒落に感じ無い人も。不清潔で見た目にも不愉快なシーンを曝け出してしまったのは、ジーンズ業界の儲け主義の失敗もあるだろう。洗いざらしの清潔感・スポーティー・身軽・場所を選ば無い・・・この地位を得るのに何十年も掛かったのに・・・誠に残念だ。美人が細いジーンズを履き、ピチピチのヒップを晒すのは実に健康的で、それが飛びっ切りオシャレに感じる・・・そんな時代は又必ず来るだろう・・・






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自然災害時に活躍する偵察機に注目 偵察機とは?




 自然災害時に活躍する偵察機に注目 偵察機とは?


           〜マイナビニュース 10/28(月) 9:01配信〜

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          航空自衛隊のRF-4E偵察機 撮影 井上孝司

 日本国内で自然災害が発生すると、航空自衛隊のRF-4E(又はRF-4EJ)偵察機が、被災状況把握の為に出動する。元が戦闘機だから足が速いし、高い解像度で広い範囲を写真に収める事が出来るカメラも備えて居る。唯一の泣き所は……その話は追って書く事にして。


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 RF-4Eの機首には、前下方・下面・両側面にカメラ窓が付いて居て、複数のカメラを併用して一航過でマトメて撮ってしまう 撮影:井上孝司


 




 軍用機の発端は偵察機

 古来、戦争では高所の奪い合いが発生して居た。日露戦争における激戦の1つとして旅順攻略戦の激戦地と為った「203高地」が知られて居るが、これも高所の奪い合いの一種だ。では、どうして高所の奪い合いに為るのか。
 理由は色々あるが、その1つに「高い所に登れば、遠く迄見渡す事が出来る」が有るのは確かだ。低い所から近隣だけを見るよりも、高い所から遠方迄見る方が、状況認識の面で有利である。何よりも、敵の来襲を早期に察知出来ると期待出来る。

 処が、地べたの上を行動して居る限り、既存の山や丘等の高地を占領する以外に「高所を手に入れる」手段が無い。木の上に登る程度では、見通せる範囲が広く為ると言っても多寡が知れて居る。空を飛ぶ手段を手に入れる事が出来れば、その状況が一変する。
 だから、最初は飛行船、続いて飛行機によって、高所から偵察すると云う発想が生まれた。初めて登場した軍用機が、戦闘機では無く偵察機だったのは、好く知られて居る通りである。

 では、偵察の手段はどうするか。最初はパイロットとは別に偵察員を乗せて、目視、或は望遠鏡や双眼鏡を使って観測した。目視観測の場合、どんなものを見たかを報告する手段は、その偵察員の記憶と言葉しか無い。報告の際に添えられるエビデンスが無いのだ。こんな書き方をすると、偵察員の能力に疑義を呈するみたいで申し訳ないのだが。
 ミッドウェイ海戦の時に、日本海軍が飛ばした偵察機の中の一機から「空母らしきもの一隻を伴う」と云う報告が上がったのは有名なエピソードだが、この報告は無線電信によって文字情報として送られて居た。だから、それを受け取った機動部隊の指揮官にしてみれば、文字情報に基づいて判断を下すしか無い。写真が添えられて居れば、それを受け取った側でも「これは何だろう?」と検討出来ただろうけれど。


 




 写真偵察機の登場

 では、偵察機が現場でどんなものを見たかを説明出来るエビデンスを確保するにはどうするか。それには映像を記録する手段が要る。そこで、カメラを搭載した偵察機、所謂写真偵察機が出来た。昔は前述の様に、人が眼で見て文字で報告する偵察機もあったから、それと区別する為に、ワザワザ写真偵察機と云う呼称を必要とした。しかし現在では、映像で報告を上げるのは当たり前だから、殊更に写真偵察機と呼ぶ理由は無く為った。
 その映像も、当初は銀塩カメラでスタートした。情報を受け取る側の立場からすれば「高精細な写真が欲しい」と云う当然の要求だけで無く「広い範囲をカバーした写真が欲しい」何て云う話も出て来る。

 しかし、同じ敵地の上空を何回も行ったり来たりしながら写真を撮って居たら、危なくて仕方が無い。そこで、パノラミックカメラで左右の広い範囲をカバーしたり、複数のカメラを搭載して一度に多様な偵察写真を撮影出来る様にしたり、と云った工夫をして居る。
 更に「夜間でも偵察したい」と云う要求も出て来る。しかし夜間には可視光線は使え無いし、撮影の為に照明弾を投下すれば「今、頭上から覗き見して居ますよ」と敵に知らせる結果に為ってしまう。実際には、レーダーで上空を捜索すれば分かってしまうけど。そこで、夜間でも使用出来る赤外線カメラを搭載する偵察機が出て来た。

 合成開口レーダー SAR  Synthetic Aperture Radarを使用すれば、目標地域が雲に覆われて居ても地表のレーダー映像を得る事が出来るが、波長の関係で可視光線より質が落ちるのは致し方無い。

 偵察手段のデジタル化

 我々が使用するカメラがデジタルに移行した様に、偵察機が使用するカメラも銀塩からデジタルに移り変わって来た。 「嫌、実は銀塩の方が高精細な写真が撮れるんですよ」と言っても、戦術的観点から言ってデジタルの優位は覆せ無い。コンピュータで処理したり保存したり出来る他、撮ったその場でデータを送れるからだ。銀塩だと、撮って持ち帰って来たフィルムを、現像してそれを印画紙に焼き付ける迄結果が分から無い。

 と云う訳で次回からしばらく、この「現代の航空偵察システム」について色々書いてみようと思う。意外な程情報通信技術が活用されて居る分野だ。

 写真偵察機を実現する2種類の方法

 写真偵察機を実現する方法は2種類ある。1つは、偵察専用機をゼロから開発する方法で、もう1つは、既存の戦闘機や爆撃機を改設計してカメラを搭載する方法だ。
 第2次世界大戦中、日本軍はドチラかと云うと専用機を開発する傾向にあった。それに対し、アメリカ軍やイギリス軍は、既存の戦闘機や爆撃機から派生させる傾向にあった。

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 航空自衛隊のRF-4EJ 胴体中心線の下に吊して居るのが偵察ポッド。左右の主翼に吊して居るのは燃料タンク 撮影 井上孝司

 どちらにも一長一短はある。専用機なら偵察の為に必要な機能・性能を備え易いが、所帯が小さい機体の為に、ワザワザ開発・生産・維持管理の態勢を必要とするので効率が悪い。既存機の派生では逆に為る。詰まり部分最適化か全体最適化か、と云う話に為る。
 勿論、どうしても専用の機体を開発し無ければ為ら無い場合もある。既存の戦闘機では上がれ無い様な高高度を飛行するロッキードU-2や、マッハ3と云う超高速性能を追求したロッキードSR-71と言った機体がそれ。

 偶々U-2はコックピットに座らせて貰った事があるが「こんな狭い場所に、高高度飛行の為の分厚い与圧服を着て乗り込んで、ロクに身動きの出来無い状態で十時間以上も飛ぶのは辛いナア」と思ってしまった。
 閑話休題。そう云う、すこぶる特殊な性能を求められる場合は別として、一般的には、既存の戦闘機を改造、或は改設計して偵察機にする方法を執る様に為った。主力戦闘機の派生型として偵察機を用意すれば、パイロットや整備員を訓練するにも機体を整備するにも、元が同系列の機体だから効率が好い。そして、元が戦闘機なら飛行性能も優れて居る。

 只、戦闘機だとスペースと重量の関係で、搭載出来る機材に限りがある。だから、大掛かりな機材を搭載したり、操作・解析の為に人を乗せたりし無ければ為ら無いELINT Electronic Intelligence 電子情報収集機、或はSIGINT Signal Intelligence信号情報収集機だと、もっと大型の爆撃機や輸送機をベースとする事が多い。


 




 偵察専用機要らずの偵察ポッド

 航空自衛隊で使用しているRF-4Eは、戦闘機を改設計して偵察機に仕立てた典型例。機首にカメラ用のスペースを幾つか設けてあって、任務様態に合わせて最適なカメラを搭載する。機首の下面には前方、側方、下方を向いたカメラ窓が幾つか設けてあり、それに合わせてカメラを取り付ける。
 処が最近では、こう云う偵察専用機すら作られ無く為って来た。戦闘任務に使用する機体が、偵察任務に就く時だけ必要な機材を携えて行く様に為ったから。カメラを初めとする偵察用の機材を収めたポッドの事を偵察ポッドと言い、これを兵装ステーションに吊して飛んで行く。
    
 航空自衛隊の偵察機の内、RF-4EJが偵察ポッド式だ。F-4EJ戦闘機を偵察機に転用した為、偵察機材は外付けにせざるを得ず、それでポッドを胴体下面に吊り下げて飛ぶ様に為った。使用するポッドは長距離斜め写真(LOROP)戦術偵察(TAC)戦術電子偵察(TACER)の3種類がある。

 偵察ポッドが一般化した背景には、カメラのデジタル化も影響したかも知れない。銀塩だと、ファインダー乃至はファインダー代わりに使える様な下方視界デバイスを用意し無ければ為ら無いから、それを備えた専用機が必要に為ってしまう。しかしデジタルなら、データを機体側に送ってコックピットのディスプレイに表示する手も使える。
 幸い、グラスコックピット化のお蔭でコックピットには多機能ディスプレイMFD Multi Function Displayが幾つも付いて居るから、その中の一つを拝借して偵察ポッドからの映像を表示させる事が、少なくとも理屈の上では可能だ。

 そんな偵察ポッド製品の1つが、グッドリッチ社(今は買収によってコリンズ・エアロスペース社に為った)のDB-110偵察ポッド「デュアルバンド」「焦点距離110インチ」に由来した製品名だ。このDB-110はパナビア・トーネード戦闘機も搭載して居るが、ここではRAPTOR Reconnaissance Airborne Pod for Tornadoと云う独自の名称が付いて居る。

 この他、タレス社製のReco NGや、その後釜と為る AREOS Airborne REconnaissance Observation Systemと云う偵察ポッドもある。AREOSは可視光線用と赤外線用のカメラに加えて、赤外線ラインスキャナーも備えて居る。撮影したデータは容量1TBのストレージ・デバイスに記録するだけで無く、無線データリンクで直ちに送る事も出来る。

 参考  AREOS偵察ポッドのブローシャ 尚、偵察ポッド式の場合、ポッドを降ろせば普通に戦闘機として使えるので、運用上の柔軟性が増す利点もある。


                以上

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 著者プロフィール 井上孝司  鉄道・航空と云った各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
 マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、様々な分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』等にも寄稿して居る。



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「金持ち」イングランドを破った南アフリカの必然




 「金持ち」イングランドを破った 南アフリカの必然


          〜ニューズウィーク日本版 11/5(火) 11:31配信〜

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     12年ぶり3回目の優勝を喜ぶ南アフリカ代表チーム Matthew Childs-REUTERS


 




 〜大成功のラグビーワールドカップ日本大会は、南アフリカの12年振り3回目の優勝で幕を閉じた。グローバル化でラグビーの「南高北低」が崩れつつある中、それでも南アがイングランド有利の下馬評を覆して優勝出来た理由は〜

 ラグビーは足し算では無い

 ラグビーワールドカップ日本大会の決勝を見ながらツクヅク思った。南アフリカに初戦で快勝したニュージーランドをイングランドが準決勝で完璧に抑え込んだが、そのイングランドに南アフリカは決勝で殆どラグビーをさせ無かった。
 何故、南アは劣勢の前評判を覆してニュージーランドに並ぶ3回目の戴冠と云う偉業を達成したか。細かいプレーや戦術の分析は他のスポーツライターに譲る。私は違う観点から、南アフリカ対イングランドの決勝について考えてみたい。

 10月27日の準決勝でウェールズに勝利した後、イングランドと決勝を戦う事に為った南アのヨハン・エラスムス監督が試合後の記者会見で気に為る事を言った。

「我々はイングランド(協会)の様にお金は無い。南アフリカのラグビー市場は豊かでは無い。2年前にヘッドコーチに就任した時は、選手にプロとしての当事者意識が無かった」

 「金持ち」イングランドを破った南アフリカの必然

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 決勝戦後、記者会見する南アフリカ代表キャプテンのコリシ(左)とヘッドコーチのエラスムス Newsweek Japan

 そもそも「ノーギャラ」だった

 それ迄少なくとも建前上、選手全てが「ノーギャラ」でプレーして居た15人制ラグビーは、第3回ワールドカップが開かれて居た1995年6月、プロ化容認に向けて動き始めた。
 そこからラグビーは大きく変わり、選手はプロ契約を選択する者が増え、プレーはより高速に、肉体はより巨大に為った。選手はより高額の報酬を求めて世界を渡り歩く様に為る。経済的に豊かな国はラグビー市場も豊かだ。

 南太平洋の島々の肉体的・身体能力的に優れた選手は、ニュージーランドやオーストラリア、更にヨーロッパへ。ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの選手も、夫々のラグビー協会が流出を防ぐ手立てを講じ無ければ、ヨーロッパや日本に移籍する様に為った。
 決勝を前にしたエラスムスの言葉はイングランドのヘッドコーチ、エディー・ジョーンズとの舌戦の一環或は謙遜だろうが、実は南アの本音でもある。

 南アフリカ協会の2018年の収入は8300万米ドルなのに対して、イングランド協会は2億2200万米ドル。その差は3倍近い因みに代表チームのオールブラックスが世界的ブランドであるニュージーランド協会は1億2100万米ドル

 1991年にアパルトヘイト(人種隔離政策)関連法が撤廃され、1994年には総選挙を経て故ネルソン・マンデラが大統領に就任して国際社会に復帰した南アだが、人種間の軋轢(あつれき)は今も続く。最も深刻な問題は、人口約5900万の8割を黒人が占めるのに、74%の土地を白人が所有する土地問題だ。
 決勝を日本で観戦したシリル・ラマポーザ大統領は補償無しの土地強制収用を検討して居るが、当然白人はこれに反発して居る。加えて、最近は南アで働くナイジェリア移民へのゼノフォビア(外国人嫌悪)による襲撃事件が続発して居る。多くのラグビー選手が海外移籍を選択するのも、治安の悪化や経済の不安定化と無関係では無い。

 



 南ア代表選手の3分の1が日本でプレー

 実際に、今回の南ア代表メンバー31人の内、日本でプレーした経験のある選手は11人も居た。現在海外チームに所属する選手は8人。内5人がイングランド、2人がフランス、1人が日本のチームである。
 ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカの3協会は以前、国外のチームに移籍した選手を国代表として選ば無い方針を守って居た。国内の選手層の維持が代表強化に不可欠だからだが、それでもヨーロッパや日本に渡る選手が絶え無い為、南アとオーストラリア協会は既にその方針を撤回して居る。

 南アフリカと対戦したイングランドは対照的に、選手全員が国内のプロチームでプレーして居る。イングランドのプレミアリーグは、報酬もプレーのレベルも最高だから当然だが、全員が国内でプレーして居れば代表チームを招集しても集まり易く、集まり易ければ連携も取り易く、結果戦力の強化に繋がる。

 ラグビーのプロ化を先導したのは、ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカの3協会だった。3カ国の地域チームが国境と時差を超えて対戦するスーパー12(現在のスーパーラグビー)3カ国の代表が毎年激突するトライネーションズ(現在はアルゼンチンが加入してザ・ラグビーチャンピオンシップ)は、1987年に始まったワールドカップで牧歌的時代を終え様として居たラグビーをアッと云う間に興行化した。

 だが南半球のアドバンテージは、プロ容認から24年が経って徐々に消え様として居る。これ迄9回開かれたワールドカップで、南半球チームの優勝は実に8回なのに対し、北半球は03年のイングランドの1回のみ。前回のワールドカップで4強に残ったのは全て南半球のチームだった。但し、今回は北半球が2チーム、南半球が2チーム。北半球はジリジリと南半球に迫りつつある。
 それでも今回、決勝で南アフリカがイングランドを蹴散らしたのは、ラグビーが「足し算」だけでは計れ無いスポーツだからだ。金持ちの協会が有利なら、イングランドが南アフリカに負ける筈が無い。ニュージーランドや南アフリカに取って、ラグビーは単なるスポーツを超えた文化である。宗教と言っても好い。

 加えて、今回の南アフリカ国内にはキャプテンのシヤ・コリシが何度も言った様に「色々な問題」があるが、困難な時にラグビーがこの国をマトメル大きな力に為る。1995年の第3回大会でマンデラが白人支配の象徴だった代表チームであるスプリングボクスのジャージを着て優勝を祝った。
 今回はチーム史上初めての黒人キャプテンであり、貧困層出身でもあるコリシが優勝杯のウェブ・エリス・カップを高々と掲げた。

 経済力だけを比較すれば、ラグビーの「南高北低」は崩れ掛けて居る。水は高い所から低い所へと流れる。選手が高額の報酬とハイレベルなプレーを求めて海外移籍するのを止めるのは難しい。今は頑ななニュージーランドも何れ容認するかも知れない。

 「経費が掛かるのに売り上げが立て難い」スポーツ

 でも、人はカネだけを求めてラグビーをするのでは無い。金儲けだけならもっと他に効率の好いスポーツやビジネスがある。スポーツで最も多い1チーム15人がプレーするが、肉体的なダメージが大きいので基本週に1回しか試合の出来無いラグビーは「経費が掛かるのに売り上げが立て難い」厄介なビジネスモデルだ。
 他のプロスポーツに比べて、選手の報酬がナカナカ上がら無い理由はそこにある。それでも人がラグビーをするのは、そこにカネ以外に価値を見出すからだ。ラグビーは変わった。でも、ラグビーは変わら無い。だからコソ、南アフリカは横浜でイングランドを打ちノメす事が出来たのだ。


      長岡義博(本誌編集長)  以上


 




 【関連報道】 「どん底」からの改革 南ア監督「困難抱える国の力に」


       〜有料記事 朝日新聞 菅沼遼  2019年11月3日19時07分

 ・・・有料記事を個人のブログに掲載してはいけ無いのかも知れません。しかし、南アの優勝に免じ、好い記事を紹介したいとの思いをご了承ください・・・管理人

          11-5-3.jpg

 ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会を制した南アフリカは、2年前のテストマッチでナカナカ勝て無い「どん底」に居た。そこからの躍進は、ワールドラグビーの年間表彰式で3日、最優秀監督に選ばれたヨハン・エラスムス氏(46)の存在無くして語れ無い。 
 「ラグビーは困難を抱える国の力に為る」そんな信念で選手の意識を改革し、チームを頂点に導き国を熱狂させた。

 エラスムス監督は大会後の退任を2日の決勝前から表明して居た。32ー12でイングランドに勝ち、表彰式で金メダルを受け取り、共にチームをマトメタ主将のコリシと壇上で固く抱き合った。「多くの人は優勝出来無いと思って居た。でも、南アの人は決して諦め無い。誇りに思う」
 南アは前回大会後、2016・17年の2年間のテストマッチで11勝12敗2分けと負け越し、前任監督が辞めた。W杯迄1年半と為った昨年3月にエラスムス監督は就任した。現役時代はFW第3列の選手で代表36キャップ。欧州クラブを率いた事もある指導者だ。

 ヨハネスブルクでの初めてのミーティングで選手に言った。 「ラグビーで大金を貰って居るのに、グラウンド外の事を気にし過ぎだ。ラグビーを一番に考えて居ない。それを変えよう」主将のコリシは「アレから選手の意識が変わった。SNSを辞めて、気持ちと魂をラグビー場に向けた」と振り返る。
 そこから成績が上向く。昨年9月に当時世界ランク1位のニュージーランドを破り、今年は南半球の強豪が集まる大会で10年振りの優勝。強みであるFWのパワーを全面に押し出し、スクラムやモールで押し込む伝統的な戦い方に加え、W杯決勝でトライを決めたマピンピ、コルビと云う2人の快足WTBを抜擢(ばってき)した。

 練習場でも記者会見でも、笑顔を絶やさ無い。フッカーのムボナンビは「監督は何事も隠さず、オープンに話す。だから各選手がどんなプレーを求められて居るか皆理解し合って居る」四つの異なる言語を母語とする選手が集まったチームで、誰もが自由に意見を言い合える雰囲気を作って居ると云う。

 エラスムス監督は「ラグビーは希望を生み出す」と語る。大学生だった1995年、自国開催のW杯で南アが初優勝した時、人種間の経済格差等様々な問題を抱える国で、多くの人が一緒に一つのチームを応援した光景を好く覚えて居る。
 「良いプレーをすれば、80分間、政治的・宗教的に意見が違う人が一緒に試合を見てバーベキューをする。意見が一致する。それを出来るのが代表チームの特権です」 
 選手に事ある毎に「You can do it(君達は出来る)」と言い続けて来た。その言葉を信じて来た選手が勝ち取った優勝杯「ウェブ・エリス・カップ」を、南アに12年振りに持ち帰る。


        朝日新聞デジタル 菅沼遼      以上


 



 













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