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2019年11月03日

アリババのジャック・マー 冴え無い英語教師から如何に伸し上がったか




 アリババのジャック・マー冴え無い英語教師から如何に伸し上がったか

              〜現代ビジネス 11/3(日) 7:01配信〜

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 〜1999年、余りパッとし無い英語の教師が、数人の仲間と共にアパートの1室で小さなインターネットサイトを立ち上げた。それは、中国の中小企業の要求を見事に掴み、爆発的な成長を遂げた。今その企業は、世界を大きく変え様として居る〜





 中国に生まれた世界最先端企業

 10月6日公開の「中国は『長い長い停滞』の後、如何にして大転換を遂げたか」で述べた様に、改革開放以降、中国には、新しい企業が幾つも生まれた。取り分け、南巡講話以降、輸出産業が急成長した。但し、それ等の企業は、従来型産業の企業だ。アメリカで言えば19世紀末、日本で言えば高度成長期に登場した企業の中国版である。

 しかし、1990年代末に、新しい動きが生じた。中国にもシリコンバレー型の新企業が登場し、急成長したのだ。その代表がアリババだ。1999年に企業間の電子商取引をサポートするマッチングサイト「阿里巴巴」(アリババ)が設立された。
 続いて、2003年に個人対個人の電子商取引サイト「淘宝網」 (タオバオ)が、2008年に「天猫」(Tモール)が設立され、急成長した。ここ数年では、電子マネー等フィンテックの分野で急成長し、世界最先端の新しい世界を切り開いている。アリババは、新しい中国を象徴する存在だ。

 アリババを設立したのは、馬雲(ジャック・マー)だ。1964年生まれ。学生時代には劣等生で、大学受験に2度失敗し三輪自動車の運転手を遣って居た。その後、師範学院の英語科を卒業して、故郷の杭州で英語の教師と為った。1994年に、通訳としてアメリカを訪れた時に、インターネットと出会った。
 「ビール」と云う言葉を検索した処、アメリカ、日本、ドイツのビールは見付かったが、中国のビールに付いては、検索結果が無かった。詰まり、中国では、この当時インターネットは殆ど使われて居なかったのだ。これが、マーが巨大なビジネスチャンスを捉える切っ掛けと為った。

 中国の輸出業者に可能性を開いた

 帰国してから、仲間と共にアパートの一室で「チャイナ・イェローペー」を立ち上げた。但しこれは成功しなかった。
 1999年に十数人の友人を集めて、中小業者向けのeコマースサイト「阿里巴巴」を設立した。これは、企業と企業の間の電子取引だ。これを、BtoBと云う。中国の中小企業が世界に輸出するのを容易にするのが目的だ。

 10月21日公開の「多くの日本人が正しく理解出来て居ない『中国経済の基本構造』」で述べた様に、1990年代以降中国の輸出が爆発的に成長して居た。但し中国国内の中小企業が全て簡単に輸出出来た訳では無い。製品を購入して呉れる相手を見付けるのは、そんなに簡単な事では無いからだ。
 取引相手を見出すには、中国商務部と広東省政府が開催する広州交易会等の公式な見本市に出品するしか方法が無かった。しかし、多くの中小企業は、この見本市には出品させて貰え無い。処が、アリババのサイトに出品すれば、中小企業であっても大企業の下請けや系列に為らずに、外国の企業と取引出来る。そして、世界的な水平分業に参加出来る。

 他方、中国企業と取引したい外国企業は、適切な相手を見出す必要がある。フォックスコンの様な大企業なら誰でも存在が分かるが、中小企業の状況は分から無い。本当に適切な取引相手は、大企業で無く、町工場かも知れない。アリババで調べれば、そうしたサプライヤーにもアプローチ出来る。
 詰まり「中国のビール」と外国の輸入業者が入力すれば、中国のビール製造元を見付け出す事が出来る様にしたのだ。アリババのB to Bサイトは、中国のサプライヤーと全世界のバイヤーを結び付け、中国が世界の工場として成長して行く上で重要な役割を果たした。中国の膨大な数の中小企業に取って、文字通り「開けゴマ」と為った訳だ。

 サイトは誰でも見られる。中国語版だけで無く英語版もある。ココを見ると、中国中小企業の詳細を知ることが出来る。先ず、提供されて居る商品の価格の安さに驚く。日本の小売価格の10分の1等と云うケースはザラにある。有名メーカーが購入して居る場合もあるので、粗悪商品ばかりと云う訳では無かろう。
 又、企業の多さと、提供されて居る商品数の多さにも驚く。私がこのサイトを始めて見たのは2015年の事だが、日本企業はこう云う企業と競争出来るのだろうか?と考え込んでしまった。

 


 
 タオバオ Tmallの設立
 
 アリババグループの成長は、その後、本格的に為った。2003年に、個人対個人取引CtoCを行なう「淘宝網(タオバオ)」を設立した。淘宝網は「宝探し」を意味する。これは、個人が出品して個人が買う、ネットオークション・サイトだ。
 当初は小さなサイトだった。ミン・ゾン『アリババ』(文藝春秋、2019年)によれば、マーの仲間は、サイトを賑やかに見せる為に、アパートにあるものを掻き集めてフォーラムに投稿したそうだ。

 2008年には「天猫」Tmallを設立した。これは、楽天市場の様な企業対個人BtoC型のモールだ。タオバオには個人名義でも出店出来るが、天猫には中国国内で登記された法人しか出店出来無い。現在では、ナイキ、ギャップ、ユニクロ等有名ブランドも出店するサイトに為って居る。
 タオバオで売られて居る商品には粗悪品も多く、又コピー商品や知的所有権を侵害する商品も多いと指摘されて居る。それに対して、天猫では高級感を出せる。

 積極的にリスクを取る

 1980年代に中国で新しい企業が生まれたが、その経営者達は、何等かの意味でエスタブリッシュメントの世界から出て来た人々だ。彼等は、言わば上から降りて来た人々であり、創業する時に或る程度の事業基盤を持って居た。
 通信機メーカーの華為技術有限公司・ファーウエイのCEOである任正非は、中国人民解放軍の元幹部技術者だ。家庭電気器具メーカー海爾集団ハイアールグループのCEOである張瑞敏は、国有企業から派遣されて来た人だ。PCメーカーの聯想集団レノボの創業者である柳伝志は、中国科学院計算技術研究所の科学者だった。

 彼等は、能力の点でも、そして、人脈や資金調達面でも、経営者に為る条件を持って居た。しかし、マーは違う。マーはエリートで無い。マー自身が2018年5月に早稲田大学で講演した時「僕の様に勉強が出来無いクズは、どこの会社にも入れ無い。だから自分で起業するしか無い」と語って居る。
 中国で、マーの様に、エスタブリッシュメントとは関わりが無くても、積極的であればチャンスを掴目る様な社会が形成されて来たのだ。それは、インターネットと云う新しい手段によって可能に為った事だ。

 企業家精神に満ちたワンマン経営者が、積極的にリスクを取って経営出来ると云う意味で、16世紀にヨーロッパに株式会社が現れてリスクを採ったと同じ状況だと言える。今の中国には、世界で最も積極的な企業家が現われて居ると言っても過言で無い。そして、若者達も、大企業で働くより起業したいと思って居る。
 これは、終戦直後の日本とも似て居る。その頃のソニーやホンダと同じ様な企業が、中国に多数誕生して居る訳だ。これは、原始的な資本主義経済に近い世界だ。それが、共産党独占政権の下で誕生したのは、極めて興味深い現象だ。
 ロシアでも東欧でも、こうした現象は生じ無かった。この頃、アメリカでも、インターネットを巡って新しい動きが生じて居た。

 1992年に、ブラウザの「モザイク」が発表された。
 1993年に、後に「ヤフー」と為るサイトが設立された。
 1998年には、Googleが法人格を取得した。


 中国でも、アリババと似た企業が多数現れた。特に重要なものとして、百度バイドウ検索エンジンと騰訊テンセントがある。インターネットと云う新しい技術が生まれ、それと中国の成長と上手くタイミングが合った訳だ。


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           野口 悠紀雄氏   以上

 野口 悠紀雄氏のプロフィール 早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問 一橋大学名誉教授

 1940年東京に生まれる 東京大学工学部卒業 大蔵省入省 エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得 一橋大学教授 東京大学教授(先端経済工学研究センター長)スタンフォード大学客員教授などを経て早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授 
 現在、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問 一橋大学名誉教授 著書に『財政危機の構造』(東洋経済新報社、サントリー学芸賞受賞)『バブルの経済学』(日本経済新聞社、吉野作造賞受賞)『1940年体制―さらば戦時経済』(東洋経済新報社)『「超」整理法』(中公新書)『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)『戦後経済史』(日経ビジネス人文庫)『マネーの魔術師』(新潮選書)『「超」AI整理法』(KADOKAWA)など多数 連絡先はnoteの「野口悠紀雄」ページを参照















萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと




 萩生田大臣「身の丈」発言 聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと


             〜現代ビジネス 11/3(日) 8:01配信〜

          11-3-23.jpg

 「身の丈」発言と謝罪
 
 萩生田光一文部科学大臣の「身の丈」発言に注目が集まって居ます。発言があったのは生放送のBSテレビ討論番組。2020年度実施の大学入学共通テストの概要が紹介され、新しく導入される民間英語試験によって受験生の間に「格差」が生じるリスクが取り上げられました。





 「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

 シンプルに言えば、費用の異なる民間英語試験を2回まで受ける事が可能と云う制度設計や、試験会場が満遍無く準備されて居ない状況が「不公平」を生むと云う指摘です。経済的に恵まれて居ない家庭では試験の受けられる回数も減るだろうし、試験会場から遠方の地域に住む受験生は試験を受け辛いと云う訳です(交通費の負担も大きく為ります)大臣はこう反論しました。

 「そう云う議論もね、正直あります。ありますけれど、ジャアそれ言ったら『アイツ予備校通ってて狡いよな』と云うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップが出来るみたいな事は、もしかしたら有るかも知れ無いけれど、ソコは、自分の、アノ、私は身の丈に合わせて、2回をキチンと選んで、勝負して頑張って貰えば」@ 
 試験会場が少ない地方の受験者に不利であると云う点に付いては、会場追加を試験団体に依頼して居ると言及した上で「だけど、人生の内、自分の志(こころざし)で、1回や2回は故郷から出てね、試験を受ける、そう云う緊張感も大事かなと思うんで」と述べました。

 これ等の発言に対してインターネットでは強い反発が渦巻き、野党も注目A大手メディアは批判的な論調で報道しました。発言から4日後、大臣は説明不足であったと陳謝B翌朝、大臣は発言の撤回を明言し、再び謝罪しましたCそして「身の丈」発言から8日後の11月1日、民間英語試験の導入延期を会見にて表明するに至りましたD今後は1年掛けて民間試験の活用有無も含めて制度を再検討し、2024年度からの実施を目指すと云う事です。

「逆境を乗り越えて行け!」と云う発想
 
 大臣の発言はどの様な考え方に基づいて居るのでしょうか。 発言撤回翌日の衆議院文部科学委員会Eでは「私は教育格差の拡大を容認して居る議員では無くて、ドチラかと言えば、経済的に困窮されて居る子供達の支援を今までもして来た積りで居りますので、そう云う思いでのエールを送った積りだった」そして「色々厳しい環境、色々、夫々人によって異なるものがあるけれど、それに負けるな、と云う思いで発した言葉で御座います」と答弁して居ます。これ等の弁明も踏まえて、敢えて好意的に「身の丈」発言の意図を汲みとるとしたら、こう解釈出来無いでしょうか。

 現状でも予備校等によって教育機会の格差がある。これ位の制度変更は「身の丈」にあった準備・努力をして好い結果を出せば好い。それ位の事は出来る筈だ。若者よ、逆境を乗り越えて行け! ――そんな処でしょうか。
 もしこの様な「大丈夫、自分に合った遣り方で努力すれば、逆境だって克服出来る」と云う意図が咄嗟の発言の背景にあったとすれば、実の処少なく無い人が大臣の考え方に同意して居るのでは無いでしょうか。「教育機会の格差は周知の事実だが、義務教育があるし、本人の遣る気次第。私だって努力して来た」と。

 



「生まれによる格差」は、乗り越えられるか

 しかし、日本の教育における不公平さ、所謂「教育格差」の実態は、この様な激励によって容易に克服出来る程度のものなのでしょうかF 詳しくは、拙著『教育格差』(ちくま新書)に様々な視点によるデータをマトメたのでお読み頂きたいのですが、端的に述べますと、戦後日本社会は何時の時代も「出身家庭」と「出身地域」と云う、本人が選んだ訳では無い「生まれ」によって最終学歴が異なる教育格差社会です。

 日本全体を対象とした大規模社会調査のデータを分析すると、出身家庭の経済状態等に恵まれ無かった人、地方や郡部の出身者が低い学歴に留まる傾向が、どの世代・性別でも確認出来るのです。付け加えて置けば、日本の教育格差は、経済協力開発機構(OECD)のデータと報告書に基づいて国際比較すると、OECD諸国の中では平均的・・・日本は国際的に凡庸な「教育格差社会」なのですG この様な実態と向き合って居れば「身の丈」と云う言葉も咄嗟に出て来無かったのでは無いでしょうか。

 「実態」と「個人の実感」の乖離

 では、何故、大臣(と無言の賛同をする人達)は、教育格差の実態を把握出来て居ない、或は教育格差が激励によって乗り越えられる程度のものであると過小評価して居るのでしょうか。「身の丈」発言の根底にあるのは、データが示す「社会全体の実態」「個人の見聞に基づく実感」の乖離であると私は考えて居ます。
 それはこう云う事です。データは、出身家庭と出身地域と云う「生まれ」による教育格差が戦後全ての世代・性別に存在して居る事を明確に示して居ます。しかし一方で、経済的に恵まれ無い家庭や地方の出身で在っても、大学に進学し卒業して親と比べて社会的地位の上昇を果たした・・・そんな知り合いを思い浮かべるのは、それ程難しくは無いでしょう。もしかしたら、これを読んで居る皆さん自身がこのケースに当て嵌るかも知れません。

 実際のデータで考えてみましょう。ここでは「家庭の経済状態」と大きく重なる「父親の学歴」を基準にします。具体的に考える為に、対象を2015年時点の20代(1986〜95年生まれ)男性に絞ります。この年齢層の男性で「父親が大卒」の場合、その80%が大卒に為りましたH
 一方「父親が大卒で無い」場合は、本人が大卒と為る割合は35%に留まります。父親の学歴と云う粗い分類だけで明らかな格差が確認出来るのです。大きな格差ではありますが、裏を返せば「父親が大卒で無い」場合でも本人が大卒に為ったと云う人が35%は居る事に為ります。
 格差は確実に有るけれども、しかし社会的上昇を果たした実例を見付けられ無い事は無い・・・萩生田大臣の発言の背景には、こうした状況があると言えるのではないでしょうか。

 これ程大きな格差では無いですが「出身地域」でも格差は確認出来ます。大都市圏や大都市部出身だと大卒と為る傾向があるのです。例えば、先程と同じ年齢層の男性だと、大都市出身だと63%、郡部出身だと39%が大卒に為りました。勿論、地方出身でも大卒に為る人達は居ますが、それは同じ地域出身の中では少数派ですし、地方の中で相対的に有利な出身家庭の人が大卒に為る傾向があります。
 もう一つ例を出しましょう。出身家庭の有利・不利を示す「社会経済的地位(SES)」Iと云う指標があり、このSES指標が高いと高学力である事が知られています。しかし矢張り、少子化とは言え日本は人口規模が大きいので、相対的貧困層の出身であっても高学力の子を実際に見付けることは、そんなに難しくありません。

 具体的には、近年の子供の人口規模は1学年120万人前後なので、出身家庭のSESが下位16%の層であっても、その内の1.2万人位は高学力(偏差値60以上)です。同じく家庭のSESが下位16%で高学力では無い約18万人を無視し、何等かの理由で高学力と為った1.2万人だけに視線を注げば「日本は教育格差を乗り越えられる社会だ」と思い込む事が出来ます。

 



 「生まれ」によって「ふつう」が違う

 私達は小学校の時点で「生まれ」によって緩やかに学校間・地域間で隔離されて居るので、何を「ふつう」とするかの基準が異なりますJですので、データが示す「社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離が存在するのは自然だとも言えます。 
 社会全体の中で自分がどの様な「生まれ」なのかを自覚して居ないと「生まれ」によって人生の難易度が大きく違う事を想像する事すら難しく、教育格差は乗り越えられる程度のものだと考えてしまう。更にはそうした信念を補強する材料として「実例探し」をしてしまう事に為ります。

 データが示すのは全体の「傾向」です。或るデータが特定の傾向を実証して居たとしても「例外無く全てがそうだ」と云う意味ではありません。「傾向」と一致し無い例を意図的に探し出すのはそう難しく無いので、その「実例」を以て「日本の教育格差は大した事が無い。頑張れば成功出来る」と尤もらしい主張が出来てしまうのです。
 確かに血の通った実例に説得力はありますが、それで好いのなら、ドンナに教育格差が酷い国であっても、全体の「傾向」と一致しない「底辺からの成功」の実例を見付ける事が出来ます。自分から探そうとしなくても、アメリカン・ドリームの様な成功譚は物語として魅力的なのでメディアを通して実例を知る事に為る筈です。

 日本では少子化が進んでいますが、それでも1学年当たり100万人近く居れば、困難を克服し突出した「成功者」は出て来る筈です。その様な特殊な事例にスポットライトを当て「ヤッパリ本人の志が大切だ」とするのであれば、政府や文部科学省等公共機関は何もし無くても好い事に為ります。
 嫌、寧ろ教育予算を大幅に削減し教育制度の弱体化を通じて積極的に混沌を作り出し、それでも這い上がって来た者を表彰すれば好いのかも知れません。勿論、そんな「ディストピア(暗黒郷)ゴッコ」をして居る間に、現時点で存在する日本と他の社会の教育投資格差は更に拡大します。

 そう、日本は只でさえ教育に対する投資が、先進国の中で少ない国なのですK 国際競争力が低下する事に為ったら苦しむ事に為るのは次世代――自分の選択では無くこの社会に生まれて来た子供達です。

 大学入試改革と「教育格差」

 実は、2020年度実施の大学入試改革は、既に存在する教育格差を拡大すると考えられます。私が限られた紙面で以下お伝え出来るのは、とても単純な「傾向」です。
 ソモソモ志・能力・努力は、出身家庭によって大きく異なります。両親が大卒であると大学進学を具体的に想定し、学力は高く長時間学習努力をする傾向にあります。例えば、中学1年生時点で明確に大学進学を期待する生徒は両親大卒だと60%、親の内1人が大卒だと41%、両親が2人とも非大卒だと23%です。

 この「意欲」格差の背景には、学校外の習い事等を含む、出身家庭による教育経験の蓄積量の差があると考えられます。学力も、小学校入学時点で親の学歴による格差があります。又、親の学歴によって子育て戦略に差があり、小学校4年生から「学校外学習時間」の格差は拡大します。
 これ等の格差は全て学校間・地域間でも確認出来ます。前述した「生まれ」の状況を示す指標であるSESが高い地域である事を背景に、大学進学を目指すこと学力が高いこと学習努力をすることが「規範」となっている学校があります。一方、小学校であっても、恵まれ無い地域では、大学進学を目指す児童の割合が低く、学力も低く学校外学習の時間まで短い事が「ふつう」である学校があるのです。

 大学進学意欲を持つ、一定以上の学力に達する、努力する事が「当たり前」に為ると云う受験競争で実質的なスタートラインに立つ為の条件を誰もが持って居る訳では無いのです。意欲も学力も学習時間も目には見えません。
 子供達は視界に入る同級生を基準にして自分が「ふつう」なのかを判断して居る筈です。しかし、小学校や中学校と云った狭い範囲で「ふつう」な事は、大学入試の様な全国区の競争の中での「ふつう」を必ずしも意味しません。

 出身家庭のSESや出身地域によっては、目に見え無い障壁が数多くあり、結果として大学進学に至ら無いと考えられる訳ですが、今回実施が予定されて居た入試改革はそんな障壁を更に増やす事に為ります。
 センター試験に比べれば明らかに試験制度は複雑です。どの民間英語試験を何時受けるのか、どの大学・学部がどの程度重視するのか、国語・数学の記述式問題で高得点を取る為の手法の練習等、選択肢が増えると言えば聞こえは云いですが、ゲームのルールが複雑に為ると、親、親戚、予備校や家庭教師、進学校と云った様々な「支援者」から、上手く立ち回る為の援助を受ける事が出来る生徒ばかりが有利になるでしょうL 

 元々大学進学意欲を持ち辛い家庭環境・地域の生徒は、そこ迄して大学に行か無くても好い、と「自発的」に受験そのものを諦めたり、背伸びして有名大学を狙う必要は無い、と選抜度の低い大学を「志願」したりする様に為るかも知れません。
 試験制度を単純化し、基準を明確にして筆記試験による選抜にすれば、高SES層の有利さは減ると考えられます。勿論、高SES層は未就学段階から様々な教育的刺激を受けて育って居るので、この層が有利な事に変わりはありません。筆記試験による苛烈な受験競争が話題に為った1980年代辺りに大学受験を経験した世代であっても、出身家庭のSESと最終学歴には明快な関連が確認出来ます。

 「生まれ」が最終学歴に変換される経路は数多くあるので、後はどの程度の家庭・地域の有利さ・不利さを社会として許容出来るのか・出来無いのかと云う価値判断の問題に為ります。では、今回の入試制度改革は、制度を複雑化する事で目に見え無い障壁を増やし、低SES層と地方出身者を自発的に諦めさせると云う代償を払う程価値のある便益を、一部、或は全体に持たらすのでしょうか。
 当面は延期に為った民間英語試験、それに、国語・数学の一部に記述式問題を予定通り導入した処で、学生が英語を話す事が出来る様に為る、採点可能な範囲の記述式問題の対策をする事でモノを考える事が出来る、その様な結果を支持する研究は何処にあるのでしょうかM

 




 日本の伝統芸「改革のヤリっ放し」

 私が最も気に為るのは、制度を変更する前に、キチンとした「データ取得計画」が作られて居ないことです。これは「改革を実行する」事自体が目的であって、ソモソモ効果を検証する積りが無い事を意味します。こうした点を自覚的に変え無い限り、今回の入試改革も又、戦後日本の教育行政で繰り返されて来た「改革のやりっ放し」に為りますN 
 恐らく今回の改革に付いても、制度変更の後、早くて数年後に研究者が工夫して、低SES層と地方出身者に不利な「改革」だったと云う実証知見を提出する事に為ると思います。その頃には、制度変更によって不利益を受けた生徒達は成人と為り、変更が無ければ受けて居たかも知れない教育機会を喪失したママ、人生100年時代を生きて行く事に為ります。

 「身の丈」に合わせてしまった所為で、低SES家庭の生徒・地方出身者が、自身の可能性を追求出来無い事は、社会としても非効率です。只でさえ少子高齢化で子供の数が減って居る訳で、恵まれた家庭出身・都市部出身者の中「だけ」から各分野を将来牽引する人達が出て来ることを期待するのは、とても効率が悪い訳です。
 低SES家庭・地方在住の子供達が直面する有形無形の経済的・文化的障壁を可能な限り取り除き、一人でも多くの子供達が挑戦する教育的価値のある選抜試験に向かって切磋琢磨する事コソが、この社会を強化します。

 今回の制度変更は、この方向の真逆に向かって行く「改革」です。民間英語試験の延期だけでは無く、記述式問題を含め2020年度の大学入試改革を延期し、もう一度ゼロから、一人でも多くの子供達の潜在可能性を最大限に開花させる為には、どの様な選抜制度が有り得るのか専門家を交えて議論すべきではないでしょうか。
 そして、今後ありとあらゆる制度に付いて、それを変更する「前」から専門家と行政が協力してデータ取得計画を練り、全ての「改革」の効果がデータによって検証され、一人でも多くの子供達に機会を提供出来る様教育政策が改善され続ける体制が構築される事を願って居ます。

 本稿で紹介した知見は『教育格差』(ちくま新書)に基づいて居ます。戦後から現在までの動向(1章)、就学前〜高校迄の各教育段階(2〜5章)、それに国際比較(6章)に付いて、議論の叩き台に為る様に多角的なデータをまとめてあります。
 データに基づいて社会全体の実態を俯瞰した上で、皆さんと「私達はどの様な社会を生きたいのか」(7章)を議論する事が出来ればと願います。


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 尚、出口治明氏(立命館アジア太平洋大学(APU)学長)による朝日新聞掲載の書評の全文が下記に掲載されていますのでご参照ください。「教育格差」書評 数字で示す「緩やかな身分社会」


 *@ 「BSフジLIVE プライムニュース」ハイライトムービー(10月24日)から文字起こし(後数日でリンク切れ)
 *A 「萩生田大臣の「身の丈」発言追及へ 立憲 枝野代表」
 *B 「萩生田文部科学相 「身の丈」発言で陳謝 「説明不足な発言」」
 *C 「“身の丈” 発言撤回し改めて陳謝 萩生田文科相」
 *D 「萩生田文科相 英語試験 抜本的に見直し 5年後実施に向け検討」
 *E 衆議院文部科学委員会2019年10月30日。動画で確認
 *F 「生まれた環境」による学力差を縮小できない〈教育格差社会〉日本(2019年7月24日)
 *G 拙著でデータを示しているのは出身階層による格差の国際比較です。地域格差について同等のOECDデータは見当たりませんが、各国の研究を概観する限り、一定以上の人口と地理的な規模があれば地域格差が見られると思われます。
 *H ここでの大卒は、最終学歴が4年制大学あるいは大学院を意味します。
 *I 社会経済的地位(Socioeconomic status=SES)とは経済・文化・社会的な有利さ・不利さを統合した概念で、一般的には、世帯収入や親の学歴・職業などで構成されています。前述の現代ビジネスの記事でも解説しています。
 *J 前述の現代ビジネスの記事で解説しています。
 *K 日本はOECD諸国と比べて、国内総生産と政府総支出に占める教育支出の割合がそれぞれ低いです。「日本:カントリーノート:図表でみる教育 2018」
 *L 高SES層の親が制度に対応して有利になろうとする実態を示す研究については、拙著と巻末の引用文献をご参照ください。
 *M 入試改革はかなり多岐にわたりますので、各論点については中村高康先生(東京大学)の論稿をご一読ください。シリーズ「学力」新時代3「大学入試をめぐる改革論議迷走の背景:部分的延期を提案する」(pp.148-155)中村高康
 *N 議論の詳細は拙著7章「わたしたちはどのような社会を生きたいのか」をご参照ください。


              松岡 亮二     以上


 



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【ラグビー】興奮と感動 44日間の楕円球の祭典閉幕 WR会長「日本大会はラグビーの印象を劇的に変えた」




 【ラグビー】興奮と感動 44日間の楕円球の祭典閉幕
 
 WR会長 「日本大会はラグビーの印象を劇的に変えた」


        〜ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)11/3(日) 13:53配信〜


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 表彰式後、観客に挨拶するチャンピオンチームの南アフリカ代表(Photo: Getty Images)

 




 日本中に感動と希望を持たらし、こんな素晴らしいスポーツがあったのかと楽しませ、世界の多くの人々を熱くしたラグビーワールドカップ2019日本大会が終わった。台風により3試合を中止せざるを得なかったが、ボランティアを含めた全ての大会関係者、ファンの応援、そして選手・チームの奮闘等で盛り上がり、44日間の楕円球の祭典は無事に幕を閉じた。

 今大会期間を通じての観客動員数は延べ170万4443人、1試合の平均観客数は3万7877人だった。プール戦での最多観客動員は横浜国際総合競技場で行われた日本対スコットランド戦の6万7666人。ノックアウトステージでの最多観客動員は、決勝のイングランド対南アフリカ戦の7万103人で、これは同会場の歴代最多動員数を記録した。
 チケットの販売数は、最終的に約185万3000枚を販売可能席とし、約184万枚(販売率は約99.3%中止の3試合を含む)と為った。

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「ラグビーワールドカップ2019は、最高の大会のひとつであり、私達が愛するラグビーに新たな観客を持たらしたと云う点で非常に画期的でした。全世界のラグビーファンを代表して、この様な素晴らしく、謙虚で、歴史的なホスト国であった日本と日本人に、心の底から感謝したいと思います」

 ワールドラグビーのビル・ボーモント会長が大会を総括した。優勝した南アフリカ代表に付いては「傑出したラグビーを続け、ウェブ・エリス・カップを掲げるに相応しいチーム」と称賛。アイルランド代表、スコットランド代表と云う強豪を破る快進撃で初のベスト8入りを果たした日本代表に付いては「日本代表の驚くべきパフォーマンスも、間違い無く大会の最も記憶に残る瞬間でした」と振り返る。

 台風と云う非常に困難な災害に対する日本の対応に付いては「この素晴らしい国の人々の回復力と復興への決意の表れであると感じます。我々は、この悲劇的な出来事の影響を受けた全ての人々に付いて思い続けて居ます」と語った。そして最後にこう結ぶ。
「ラグビーワールドカップ2019が記憶に残る大会である為に、全力を尽くした全20チームと関係者の皆様に感謝したいと思います。日本大会は様々な意味で記録を破り、ラグビーの印象を劇的に変えたのです」

 大会組織委員会の嶋津昭事務総長は「数々の熱戦、名勝負は、世界中から注目を集め、日本中を夢中にさせました。ラグビーワールドカップ2019日本大会は、多くの人に取って永く記憶されるであろう、素晴らしい大会と為りました。この大会を本当に特別なものにして頂いた全ての選手、海外そして日本のファンの皆様に改めて感謝を申し上げます」とコメントした。

 



 今大会の盛り上がりは、ラグビーのゲームの魅力と共に、選手の振る舞い等、ラグビーの持つ「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」と云う5つの価値が日本人の心に響いたのではないかと嶋津氏は見る。

「この大会が多くの日本人、アジアの人々に取ってラグビーへの理解や関心を深める事に繋がり、今後の世界的なラグビーの普及発展に結び着きます事をお祈り致します。私共組織委員会は、2023年フランス大会の組織委員会に向けて、確りとバトンを繋いで参ります」

                 以上


 




 【関連報道】

 W杯優勝を遂げた南ア代表黒人初主将シヤ・コリシ物語(ラグマガW杯展望号再録)

            文 竹中 清氏

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   ワールドカップ優勝を成し遂げ、金メダルを胸に、娘を抱くシヤ・コリシ(Photo: Getty Images)


 人種差別問題を抱えて居た南アフリカ社会で闘い、黒人・白人様々な人種が居るレインボーネーションを一つにしたネルソン・マンデラは、1995年の自国開催ラグビーワールドカップで優勝の歓喜に包まれたスタジアムで、フランソワ・ピナール主将と同じ背番号6が着いた緑色のジャージーを着て、笑顔で誇らし気に大観衆の祝福に応えて居た・・・

 アレから24年。英雄マンデラと同じ6番を付けるのは、南ア代表「スプリングボックス」の第61代主将、シヤ・コリシだ。過つて白人ナショナリズムの象徴と言われたスプリングボックスの127年の歴史で、初めての黒人キャプテンである。
 2018年6月9日にジョハネスバーグのエリスパークで行われたイングランド戦で、初めて主将としてスプリングボックスを牽引した。その年に引退したレジェンド、ブライアン・ハバナは「これは南アフリカのラグビーに取って記念すべき瞬間だ」とコリシの主将就任を称賛した。

 「コリシ率いるスプリングボックスが2019年のワールドカップで優勝すれば、1995年の歴史的な勝利と同じ位の衝撃に為るかも知れ無い」

 ラシー・エラスマス監督は、人口の約9割が非白人(黒人・カラード等)と云う国で、政府の絶え間無いプレッシャーを受けて居るが、肌の色でコリシを主将に選んだのでは無いと断言する。

「私はシヤが素晴らしいプレーヤーであり、優秀なリーダーだと知って居た。彼は謙虚で、仲間から尊敬される勤勉な男だ。派手では無いプレーも黙々と熟す彼を私は好きだ」

 コリシは、今日の自分があるのはラグビーのお蔭だと感謝する。アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止に為る1991年に、ポートエリザベス近くの非白人居住区にある貧困家庭に生まれた。当時、母は16歳、父は18歳で、若い両親は我が子を育てられず、一緒に暮らした祖母が育てて呉れた。
 しかし、愛情を注いで貰ったが、何時も空腹だった。小学校の1年間の授業料50ランド(約350円)が払え無い程貧しかった。

「貧しい地区の子供達が夢見るのは、乗り合いタクシーの運転手に為る事位。遣っちゃいけ無い事を考える者も居た。増してや、スプリングボックスのキャプテンに為るなんて夢にも思わ無かった」

 幼少期、父と過ごす事は殆ど無かったが、シヤはひとつ重要なものを受け継いだ。それは、ラグビー愛だ。父も祖父もラグビーが大好きで、コリシ少年は8歳の頃から楕円球に夢中に為った。
 ラグビーを教えコリシの才能を見抜いて居た小学校時代の校長がブーツを買い与えて呉れた。貧しく辛い少年時代だったが、周りの人々に助けて貰ったと感謝する。そして、12歳の頃に出場した地元の大会で光り、東ケープ州の名門、グレイハイスクールから奨学金のオファーを貰い、貧困地区を後にした。

 人生が大きく変わった。公用語が11言語もある南アフリカで、コーサ語を話して居た黒人のコリシはハイスクール入学当初、英語が出来ず言葉の壁に苦労したが友達が助けて呉れた。コミュニケーション力を着けて行き、ラグビーの才能も着実に伸ばし、18歳でプロへの扉を開けてウェスタン・プロヴィンスのアカデミーに入る。
 20歳の時にストーマーズでスーパーラグビーデビュー。22歳の誕生日を迎える前日にスプリングボックスで初キャップを獲得した。

 ストーマーズでは当初、ユーティリティープレーヤーと見られ、FW3列は何処でもプレーした。特にフランカーでの出場が多く、コリシのベストポジションは6番か7番か、ファンは議論した。だが、ブラインドサイドでは、サイズとフィジカルがヤヤ物足り無かった。
 オープンサイドに集中させて貰える様に為り、豊富な運動量で背番号6を勝ち取った。南アでは、優秀なオープンサイドフランカーにその数字を与える。コリシは、伝統的なボールハンターと云うより、パワフルなボールキャリアーであり、シツコクハードタックルを繰り返す強いディフェンダーとして高く評価される。
 仲間がジャッカルで奮闘し、ボールを支配する事はコリシに任されBKとリンクする。ビジョンが広く、パススキルも優れて居る。

 スプリングボックスの主将に選ばれてから暫く、コリシは一選手としてパフォーマンスを落とした。途轍も無い責任を背負い、プレッシャーがあった事を認める。
 だがワールドカップでは重圧に屈する積りは無い。ドウェイン・フェルミューレン、エベン・エツベスなど、周りにはリーダーシップスキルを持つ多くの仲間が居る。「助けが必要な時は何時でも、チームメイトを頼る」と云うコリシ。痛めて居た膝ももう不安は無く、フィールドでベストを尽くすのみだ。

 尊敬する偉大な故マンデラは、スポーツには「世界を変える力」「刺激する力」「人々を結び着ける力」があると言った。貧困から、誇り高き南アラグビーの大将に為ったコリシは「私は黒人の子供達だけで無く、アラユル人種の人々を鼓舞したい。恩返しがしたい。全ての南ア人の為にプレーする。我々は想像以上に大きなものを代表して居る」と自覚する。

 2016年に白人の女性と結婚し一男一女の父だ。コリシは2009年に母が亡く為った後、孤児院や里親の元で育てて貰って居た異父兄妹の弟と妹を探し、法的手続きを経て養子にし、家族として一緒に暮らして居る。コリシは自分の家族を持ちたいと常に思って居たと云う。それは、貧しく父親が居なかった子供時代に根付いた最初の願望だ。
「私は彼等のヒーローに為りたい」ワールドカップでコリシがウェブ・エリス・カップを掲げる事があれば、南アフリカだけで無く世界中の人々の胸を熱くするヒーローに為るだろう。
 

                以上


 【管理人のひとこと】

 ラグビーの試合を初めて観る様な管理人も、全ての試合で感激し涙を流した一人だった。何故この様に涙が湧いて来るのだろう・・・ノーサイド・試合が終われば、何故かしら、敵も味方の選手以上に無性に好きに為り健闘を称えたく為る・・・この気持ちがラグビーの本髄なのだろう。
 それにしても何とも不可解なルールで「何が何だか判ら無い内にゲームは進み、それでも素晴らしいプレーには思わず声を挙げ拍手する・・・」「ルールは判ら無くとも素晴らしいプレーは観て居たら理解出来る筈・・・それを楽しんで欲しい」との解説者の言葉に素直に頷き観戦を続けた。
 ルールが敢えて意図的に複雑なのは、選手の安全を最大限に考慮した結果なのだろうが、ペナルティーを犯した際の罰則にも、スクラムやライン外からのボール入れで両者にボール獲得のチャンスを残して居る。これも何と無く紳士的な感じがする。初心者には複雑なルールに追い付いて行け無いが、それにしても巨体がブツかり合う格闘技には変わら無い。毎試合数人の怪我人が出る事と、もう少し簡単なルールであればなと思うのは素人のヒガミだろうか。スポーツとしての奥の深さを教えられた競技だった。


 



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