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2019年10月16日

米国が勝った戦争は過去60年間で一度だけ



 米国が勝った戦争は過去60年間で一度だけ


           〜J-CASTBOOKウォッチ  10/16(水) 6:30配信〜


       アメリカは何故戦争に負け続けたのか(中央公論新社)

 アメリカは強い。戦争には何時も勝って居る・・・先の戦争でアメリカに負けた日本人は何と無くそう思って居る。だからアメリカに付いて行けば間違い無いと。
 処が本書『アメリカは何故戦争に負け続けたのか』(中央公論新社)はマルっ切り正反対の事を言う。アメリカは負け続けて居るのだと。エ−そうなの、と驚く日本人が少なく無いのではないか。

 戦後も戦争を続けて居る
 
 評者は或る時軍事問題の専門家から「アメリカは毎年の様に戦争して居る国だ」と聞いて、一寸驚いた事がある。第二次世界大戦が終わってから、朝鮮戦争を戦って、ヴェトナム戦争に介入した事位は知って居たが、その後も戦争を続けて居る事に付いては直ぐに思い浮かば無かったからである。本書はその辺りを見透かしたかの様にこう説明する。

 冷戦が正式に終結した1991年から現在まで、アメリカは実にその三分の二を超える年月を、戦争、或は大掛かりな武力衝突や武力介入に費やして来た。・・・1991年のイラクとの戦争、1992〜1993年のソマリア内戦への介入、2001年から継続中のアフガニスタン紛争と世界規模の対テロ戦争、2003年から継続中のイラク戦争、2016年に始まったシリアとイエメンでの紛争等・・・1991年以降の26年間の家、併せて19年にも渉ってアメリカの軍隊は戦争に従事して来たのである・・・
 そして時計の針を戻し、第二次世界大戦後の72年間の内、半分超の37年間は戦争状態に在ったと観る。しかも戦績はそれ程目覚ましいものでは無かったと云うのだ。

          10-18-64.jpg ヴェトナム戦争

 「朝鮮戦争は引き分けだった。ヴェトナム戦争は不面目な敗北に終わった。サイゴン(現ホーチミン)のアメリカ大使館は包囲され、その屋上から最後の救出用ヒューイ・ヘリコプターが飛び立つ映像は、痛恨の敗北を象徴する忘れられ無い光景と為った」





 「戦後戦争史」を総括

         10-18-65.jpg サダム・フセイン

 この60年間で唯一明白な勝利と呼べるのは、1991年の第一次イラク戦争(湾岸戦争)だけだと云う。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、戦争の目的をサダム・フセインとイラク軍をクウェートから追い出す事に限定し、その目的を達した処で大部分の軍隊を引き揚げると云う賢明な判断をした。
 しかし、その息子のジョージ・W・ブッシュ大統領は、後に第二次湾岸戦争の指揮を執ったものの「イスラム国(IS)」の興隆に繋がり、現在も未だ戦闘が続く。

 本書は以上の様にアメリカの「戦後戦争史」を振り返りつつ総括する。

 ・アメリカ人の殆どは、この数十年間に自分の国がどれ程長く軍事紛争に関わって来たかに気付いてすら居ないか、マルで懸念を抱いて居ない。 
 ・世界最強の軍隊を持つと誰もが認める国でありながら、戦争や武力介入の結果がこれ程失敗続きなのは何故なのか、と疑問を持つアメリカ人も殆ど居ない。


 そこで本書は「国民全般の無関心を踏まえた上で、この国が大きな紛争或は武力介入を決断した時に、常に成功出来る様にするにはどうすれば好いか?」と問題を投げ掛ける。

 そして
「第1章 何故失敗するのかを分析的に考える」を起点に
「第2章 ソ連、ヴェトナムへの道 J・F・ケネディ」
「第3章 泥沼化するヴェトナム L・ジョンソン、R・ニクソン、J・カーター」
「第4章 悪の帝国とスターウォーズ計画 R・レーガン」
「第5章 冷戦終結から第一次湾岸戦争へ G・H・W・ブッシュ」
「第6章 ソマリア内戦、ユーゴスラヴィア紛争 W・J・クリントン」
「第7章 対テロ戦争――G・W・ブッシュ」
「第8章 バラク・オバマからドナルド・トランプへ」
「第9章 どうしたら勝てるのか 歴史が答えを教えて 」
「第10章 将来への道 健全な戦略的思考への頭脳ベース・アプローチ」

 と 組立てに沿って「勝つ」 の方策を示す。

 大統領との関係を重視

 この目次からも分かる様に、本書は「戦争と大統領」の関係を重視して居る。言う間でも無くアメリカの大統領は、軍の最高司令官としての指揮権を保持する。事実上、宣戦布告無しで戦争を開始する事が出来るし、大統領が使用命令を出す事で初めて核兵器の使用が許可される。
 詰まり「核のボタン」も握って居る。日本の総理大臣とは比べ物に為ら無い程の強大な権力者であり、その力量差が戦争にも付き纏う。

 本書では、戦争の趨勢について「最高司令官である大統領の経験不足も足を引っ張る一因」とし「司令官としての経験不足が、最近の三人の大統領に不利な状況を強いて来た」と見て居る。そして「現在その地位にある現職大統領にも同様の影響を与えるだろう」と予想する。

 辛口のジャーナリストの書いた本かと思ったが、意外な事に著者のハーラン・ウルマンは米戦略国際問題研究所、アトランティック・カウンシルのシニアアドバイザー。1941年生まれ。
 米海軍士官学校を卒業し、ハーバード大、タフツ大で博士課程修了。安全保障の専門家として米政府や経済界に助言し、米国内外のメディアにも出て居る人だと云う。米国国防大学特別上級顧問、欧州連合軍最高司令官管轄下の戦略諮問委員会のメンバーも務めて居る。著書も色々ある様だ。

 本書の訳者、中本義彦・静岡大学教授の解説によると、著者はヴェトナム戦争への従軍を切っ掛けに、軍、大学、ビジネス、シンクタンクの世界に身を置きながら歴代政権にアドバイスして来た大御所的な存在。豊かな学識と実務経験を兼ね備え、どの政権とも適度な距離を保ちながら、率直に意見具申して来た人物だと云う。「敢えて言えば共和党寄りだが、間違い無く穏健派」であり、本書では「アメリカの武力行為の多くに付いてバランスの取れた判断を下して居る」との事だ。

 



 選挙に勝つ能力とは次元が違う

              10-18-66.jpg
 
 アメリカと云う国はニューヨークの「自由の女神」が象徴する様に「自由と民主主義」を旗印にして居る。この女神の正式名称は「世界を照らす自由」と云うそうだ。
 世界各国から来る移民に対し、アメリカでの「自由」を保証すると共に、海外の自由を抑圧する国に対しても目を光らせる。アメリカが武力行使に踏み切る時「自由」「民主主義」等と云う立派なスローガンが掲げられる事は良く知られて居る。

           10-18-67.jpg

 一方でアメリカは、新大陸に上陸した移民が先住民を制圧し、版図を広げた歴史も持つ。去る精神病理学者の本で読んだ様な気がするのだが、そうした過去は国家として一種のトラウマに為って居り、常に関与する戦争を「正義」と理由付けし「戦争の正当化」をしようとする内的契機にも為って居るそうだ。
 即ちアメリカの大統領とは、単に強大な権限を持つと云うだけで無い。アメリカと云う国の歴史や精神も体現する存在だと言える。選挙に勝つ能力とは又次元の違う資質が要求される。そして過去の例を振り返れば、任期中に一度か二度は「開戦」の決断をし無ければ為ら無いのだ。

 本書では「ケネディ、レーガンにも十分な資質があったとは言い難いが、カーターにはそれが殆ど無かった。そして更に深刻なのは、1992年当選のクリントン以降の4人の大統領である」(中本氏)とされて居る。

 気に為るのはトランプ大統領だが、著者が「常識」の持ち主と評価するマティス国防長官とマクマスター国家安全保障補佐官は既に事実上解任されて居る。本書の米国での刊行予定が、トランプ大統領の就任から間も無かった事もあり、十分な記述は無いが、最近の4人の中でも「トランプ程、政治経験の乏しい大統領は居ない」とシビアだ。
 選挙期間中からシバシバ公約や発言を翻して居る事を考えれば「幾ら情報に基づいた分析をしても、数時間、或は一日か二日で意味の無いものに為るだろう」と突き放す。そんな大統領に率いられたこれからのアメリカは何処に向かうのか。日米関係はどう為るのか。安倍首相を始め、日本の政治家や官僚も一読して置くべき本と言えるだろう。永田町の書店で特に売れる事を願う。



 BOOKウォッチでは関連で、『移民国家アメリカの歴史』(岩波新書)『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)『恐怖の男 トランプ政権の真実』(日本経済新聞出版社)『ドナルド・トランプの危険な兆候 精神科医たちは敢えて告発する』(岩波書店)『誰が世界を支配しているのか?』(双葉社、『主治医だけが知る権力者  病、ストレス、薬物依存と権力の闇』(原書房)『サイバー完全兵器』(朝日新聞出版)『「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア』(NHK出版)等も紹介して居る。

 書名 アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか サブタイトル歴代大統領と失敗の戦後史
 監修・編集・著者名ハーラン・ウルマン 著 中本義彦 監修 田口 未和 訳
 出版社名中央公論新社 出版年月日2019年8月 7日
 定価本体3200円+税 判型・ページ数四六判・347ページ ISBN9784120052248



        BOOKウォッチ編集部    以上


 




 【関連記事】 『点と線』の舞台が福岡の香椎(かしい)だったのは何故?

      〜書名「松本清張」で読む昭和史 監修・編集・著者名 原武史 著〜

            〜デイリーBOOKウォッチ 2019/10/14〜  


 新天皇の即位礼が、2019年10月22日に行われる。又11月には大嘗祭が予定されて居る。改めて皇室儀礼等に注目が集まりそうだ。

 天皇と鉄道で清張作品を読み解く

 そんな折に本書『「松本清張」で読む昭和史』(NHK出版新書)が発行された。著者は放送大学教授の原武史さん。著書に『大正天皇』(朝日文庫)『昭和天皇』(岩波新書)『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)等があり、天皇と鉄道に詳しい事で知られる。
 そんな原さんが、松本清張の代表作を天皇と鉄道に注目して読み解いたのだから、面白く無い筈が無い。昨年(2018年)3月、NHKのEテレで4回に渉って「100分de名著 松本清張スペシャル」が放送された。原さんが講師として出演。そのテキストに加筆修正し、新たに2章を加えたものが本書である。

 各章のタイトルと取り上げられた作品は以下の通りである。


 第1章 格差社会の正体『点と線』
 第2章 高度経済成長の陰に『砂の器』
 第3章 占領期の謎に挑む『日本の黒い霧』
 第4章 青年将校はなぜ暴走したか『昭和史発掘』
 第5章 見えざる宮中の闇『神々の乱心』
 終章 「平成史」は発掘されるか

 
 最初に原さんは、清張作品に惹かれる理由を二つ挙げている。一つはその作品が戦後史の縮図である事、都市と地方の格差等が好く判ると云う。もう一つはタブーを作ら無い事だ。天皇制・被差別部落・ハンセン病と云う避け勝ちなテーマに切り込んで居る事を評価する。

         10-18-63.jpg

 『点と線』に付いては、先日『上京する文學』(ちくま文庫)を紹介した際にも「上京者の清張は、作品の舞台として東京を多く描きながら、同時に東京を起点に地方への目を向けた」 「清張の作品群は、地方を好く知る者の目が、東京と云う巨大な都市を見た時にどう映るかと云う実験でもあった」と云う岡崎武志さんの分析を引用した。地方と東京の格差だ。
 原さんは更に殺人事件の舞台と為った福岡市郊外の「香椎」にも注目する。香椎には第14代天皇とされる仲哀天皇とその妃・神功皇后を祀る香椎宮が在る。又、駅名として国鉄香椎駅と西鉄香椎駅が登場。この二つの駅が近接して居る事が推理の重要なカギと為る。鉄道と古代史。この二つが重なって居る事が、香椎を舞台にした理由だと推測する。

 秩父宮が遠回りした理由
 
 二・二六事件を扱った『昭和史発掘』に付いて、原さんは幻の宮城占拠計画に注目したのが、清張の画期的な処と評価して居る。新史料からその中心に居た中隊長の中橋基明に焦点を合わせたのだ。
 更にもう一人の青年将校、安藤輝三にも注目して居る。安藤は昭和天皇の弟・秩父宮と親交があった。秩父宮は決起将校の人気が高かった事は好く知られて居る。

 天皇と鉄道と云う二つのテーマが交錯する本書の最大の読み処と評者が思ったのは、当時、青森県弘前の歩兵連隊の大隊長として赴任して居た秩父宮が事件を知り、上京する際のルートに付いて、原さんが考察したコラムだ。最短の東北本線ルートを取らず、何故奥羽・羽越・信越本線・上越線と云う遠回りを選択したのか。 「水上駅から東大教授平泉澄が乗車した」と清張も書いて居るが、原さんは皇国史観で知られる「歴史学者・平泉澄との密談の時間を作る為ではなかったか」と推理して居る。

 保阪正康さんの『秩父宮』と立花隆さんの『天皇と東大』で夫々秩父宮の決起将校に付いて食い違う見解を書いて居る事を紹介。「どちらも捨て難い」と書いて居る。
 未完の遺作『神々の乱心』のスケールの大きさに付いても本書で教えられた。大正天皇が亡く為った後に残った貞明皇后が、皇太后としてその後も宮中に君臨した事が書かれて居り『昭和天皇実録』の公開によって、清張の先見性が明らかに為った、と高く評価して居る。

 原さんが『実録』を読んで一番驚いたのは、1945年7月30日に大分県の宇佐神宮、8月2日に香椎宮に昭和天皇が勅使を送り、敵国撃破を祈らせて居た事だと云う。二つとも神功皇后に関係があり、当時皇太后だった貞明皇后の思い入れがあった神社だ。戦争末期まで、昭和天皇にその意向を反映させる力が皇太后にあったと見て居る。
 「祈り」を重視したと云う貞明皇后。そうした伝統は令和の時代、どう為って行くのか。皇室儀礼が続く時期、目が離せ無い。


 BOOKウォッチでは、松本清張関連として、『松本清張「隠蔽と暴露」の作家』(集英社新書)『清張鉄道1万3500キロ』(文藝春秋)又二・二六事件関連では『妻たちの二・二六事件』(中公文庫)『保守と大東亜戦争』(集英社新書)等を紹介して居る。

                  以上


 




 【管理人のひとこと】

 軍事巨大国アメリカ・・・アメリカに反発心は有っても武器を持って正面から戦おうとする国は、世界を眺め廻しても存在しない。北朝鮮がアメリカに向かって敵対的程度を示すのは、アメリカの力を持って体制の温存を図る為のゼスチャーに過ぎ無く、アメリカに匹敵する力を持つとされる中国も心の中は別にして、表には自ら自重を課している。
 朝鮮戦争は、アメリカの戦後以来の敗北の始まりを迎えたものだった。38度線で休戦状態のまま現在を迎えて居るが、地続きの中国がバックに在っては、日中戦争と同じくアメリカの勝利は覚束無いのである。侵攻軍・侵略軍が成功するには相当な準備と期間が必要で、単に戦力だけでは何億と云う中国を打ち負かす事は具体的に無理なのだ。

 それを知りアメリカは停戦に合意し退きざるを得なかった訳で、ベトナム戦争では完全な敗北を迎える。これも、同じく侵略・攻撃軍は数倍の戦力で向かわないと敵地での戦闘には不利なのは百も承知で干渉したアメリカの浅知恵でしか無い。
 本書で唯一の勝利が、フセイン大統領攻撃で幕を下ろした戦いだったとするが、結局は新たなイスラム国を作る事に為った騒乱を引き起こしただけで終わってしまった。詰まり、現地に自由と権利を与える処が、複雑な紛争を拡大させただけに終わった・・・詰まり、実力・軍事力の限界がこの様な結果を迎えた訳だ。

 そして、アメリカのこの様な戦争の継続に、アメリカ人自身が余り関心を持って居ないのが・・・アメリカらしいのだ。戦うのは軍人であり、彼等はその為に存在する。莫大な国家予算を与えられ世界各地に分散され派遣される若者達もそれを自任して居るのだろう。
 我が国にも何万人と言われる若者が駐留して居るが、陸軍・海兵隊・海軍・空軍と太平洋の安全・防衛を任じて居るのだが、過去には日本から朝鮮やベトナムから中東への戦地に行かされた。その本拠が日本だった。私達の足元から世界最強の軍隊が蠢き出している訳だ。
















世界一労働時間が短いドイツが超好景気なワケ




 世界一労働時間が短いドイツが超好景気なワケ


           〜プレジデントオンライン 10/16(水) 11:15配信〜


        10-16-1.jpg


 OECDによるとドイツ人の労働時間は加盟国の中で最も短い。それなのに、景気は1990年の東西統一以来最も良い状態にあると云う。対して日本は長く働いて居るのに、経済成長は鈍いママ。この差は何処から来るのだろうか。

 〜※本稿は熊谷 徹『ドイツ人は何故、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春新書)の一部を再編集しました〜







 高収入より自由時間が欲しい人が主流

 勿論、ドイツにも「ホドホドの生活」では満足出来無い人達が居る。この国の大企業には、出世欲に燃えた野心家も居る。彼等は、部長や取締役の座に就く為に自由時間を犠牲にして、日夜必死の努力を重ねて居る。顧客との交渉の為にファーストクラス、ビジネスクラスの飛行機で頻繁に世界中を飛び回り、数千万円・数億円の年収を得て居るビジネスパーソンも居る。しかし彼等は少数派だ。お金の奴隷には為らず、ホドホドの生活をする事で満足して居る市民の方が圧倒的に多い。

 実際、この国の企業関係者の間では「ドイツの新しい通貨は自由時間だ」と云う見方が強まって居る。お金よりもプライベートな時間の方が重要だと考える人が増えて居ると云う意味だ。
 若い労働者の間では賃上げよりも休暇日数の増加や時短を求める人の方が多く為って居る。「月給が増え無くても、家族と過ごす時間が増えれば好い」と考える人が主流に為りつつあるのだ。

 お金に振り回され無いドイツ人

 このメンタリティーは、ドイツ人がお金に振り回されて居ない事をハッキリと示すものである。この国では多くの人が「時間とカネ」をクールに天秤に掛けて居るのだ。お金以外の価値の比重が高まって居る為に、金銭の持つ意味が相対的に低く為りつつある。その点で日本に比べると余裕がある社会なのだ。
 現在、ドイツの景気は、1990年の東西統一以来最も良い状態に在る。企業では人手不足が深刻化して居るので、企業も若者達のこうした希望に合わせて対応し無くては、優秀な人材を採用する事が難しく為って居る。

 最小の労力で最大の成果を生む働き方

 ドイツ人の行動パターンを理解する上で最も重要なキーワードは効率性だ。彼等は常に費用対効果のバランスを考えて居る。端的に言えば彼等はケチである。仕事をする際に使う労力や費用を最小限にして労働生産性を高め様とする。その傾向が日本以上に強いのだ。
 例えば私の知人に、数学とITに強いドイツ人が居る。彼はエクセルの達人だ。エクセルの演算機能を駆使して、恐ろしく精密かつ複雑な計算ツールを構築出来る。極めて複雑な課題に付いて、1つ数字を入れるとエクセルが瞬時に答えを出す。その裏には、精緻で複雑な演算式が入力されて居る。彼の仕事振りは、石を積み上げてケルン大聖堂の様な建築物を構築する石工の執念を思い起こさせる。匠の技である。

 彼は「私は基本的にモノグサなので、仕事の時の労力を出来るだけ少なくする為に、エクセルを自動化して居るんだ」と説明した。勿論この人は、全然モノグサでは無く勤勉な人物である。だが彼の言葉には、仕事に掛かる労力を節約して生産性を高める為に工夫を凝らすドイツ人らしい態度が浮き彫りに為って居る。





 費用対効果が低い仕事は断る

 ドイツ人は、仕事をする際に慌てて取り掛から無い。仕事を始める前に、注ぎ込む労力や費用・時間を、仕事から得られる成果や見返りと比較する。仕事から得られる成果が、手間や費用に比べて少ないと見られる場合には、初めからその仕事は遣ら無い。

 もし日本為らば、仕事を発注する側の顧客が、担当企業から「見返りに比べて費用が掛かり過ぎるので、うちでは出来無い」と言われたら顧客は激怒するだろう。顧客は、その会社に二度と仕事を発注し無いかも知れ無い。だが、ドイツではこう云う説明を受けても激怒せずに納得する発注者が多い。発注者自身も常に費用対効果のバランスを考えながら仕事をして居るからだ。この様にドイツでは、日本に比べると「お客様(顧客)は神様」と云う発想が希薄なのだ。

 発注者と担当企業、若しくは買い手と売り手の目線がそれ程変わら無いのである。少なくとも日本の様に大きな格差は無い。受注企業、詰まり物やサービスを売る側が、客に対して遜(へりくだ)った態度を取らず、堂々として居る。これはドイツの商店やレストランの従業員の態度と同じである。
 詰まりドイツでは客も、企業の都合に配慮し無くては為ら無い。しかもこの国は法律や規則の順守を重視する国なので、企業は法律の枠内で仕事をし無くては為ら無い。日本との違いが最も際立つのが、労働時間と休暇の問題である。

 労働によって自己実現しようとする人は少無い
 
 「何故ドイツ人はこんなに労働時間が短いのに、経済が回るのでしょうか?」

 私はこの国に派遣された日本企業の駐在員から好くこう云う質問を受ける。結論から言えば、日独のワーク・ライフ・バランスの充実度を比べると、ドイツに軍配を上げざるを得無い。これは私が日本で8年間、ドイツで29年間働いた経験に基づく実感である。
 ドイツ人は無理をして迄、お金を稼ごうとはし無い。或る意味で労働に対する見方が、日本人よりも覚めて居る。「労働によって自己実現をする」と考えて居る人は、日本よりも少ない。況や健康を犠牲にしてまで長時間労働をする人は殆ど居無い。個人の暮らしを犠牲にする位為らば、お金稼ぎにブレーキを掛ける。

 彼等に取って、働き過ぎによって精神や身体の健康を崩す事は本末転倒なのだ。ドイツでは日本に比べると長時間労働による過労死や過労自殺、ブラック企業が大きな社会問題には為って居ない。
 大半のドイツ人は「仕事は飽く迄も生活の糧を得る為の手段に過ぎ無い。個人の生活を犠牲にはし無い」と云う原則を持って居る。だから、同じ成果を出す為の労働時間は短ければ短い程好いと考える。常に効率性を重視して居るのだ。

 「カローシ」と云う日本語が有名に
 
 日本為らば、ビジネスの最前線で戦う企業戦士達、特に高成長時代を生きて来た元モーレツ社員達から「怠惰な仕事態度だ」と云う批判が出そうだが、ドイツでは「自分の生活を重視する」事に付いて社会的な合意が出来上がって居る。この国では、産出されるアウトプットが変わら無いの為らば、労働時間を減らす事は悪い事だとは見做され無い。
 日本でシバシバ耳にする「仕事は終わって居るのだが上司が未だ帰ら無いので、自分も職場に残る」とか「基本給が低いので、残業をする事によって手取りを多くする」と言った事情はドイツでは全く理解されない。

 ドイツのメディアは日本で過労死や過労自殺が多い事に付いて時折報道するので、ドイツ人の間では「カローシ」と云う日本語が有名に為って居る。彼等に取ってカローシは、カミカゼ・スシ・フジヤマ・ゲイシャ・ツナミと並んで有名な日本語である。カローシ等と云う言葉が外国で有名に為るのは、日本に取って不名誉な事だ。





 男性が3カ月の育休を採るのは日常茶飯事

 日本企業からドイツ企業に出向して居た山田氏(仮名)は、毎日午後6時にはオフィスがホボ無人に為り、管理職位しか残って居ないのを見てビックリした。深夜まで残業をして居る社員は一人も居ない。2018年にはサッカー・ワールドカップ・ロシア大会のドイツ対韓国戦がドイツ時間の午後4時から行われたが、午後3時には大半の社員が家で試合の生中継を見る為に退社してしまった。

 この会社はフレックスタイムを導入して居る。同社は機械製造業なので、毎週の所定労働時間は35時間。詰まり1日7時間だ。1日当たり7時間以上働くと「労働時間口座」に残業時間(プラス)が記録され、7時間よりも短く働くとマイナスが発生する。
 この労働時間口座の収支が期末にマイナスに為ら無ければ、社員は業務に支障が出無い限り何時に出社、退社しても構わ無いのだ。ドイツでは大半の企業がフレックスタイムを導入して居る。

 更に、社員達は交替で2週間から3週間の有給休暇をマトメて取って居る。山田氏が驚いた事に、課長や部長も2〜3週間の休みを取る。有給休暇を残す社員は一人も居らず、管理職を除けば消化率は100%だ。
 女性社員だけでは無く、男性社員が2カ月から3カ月の育児休暇を取る事も日常茶飯事だ。しかも、企業は育児休暇を取って居る社員のポストを別の人で埋めては為ら無い。山田氏は、ドイツ人の営業マンが3カ月の育児休暇を取るのを見て「これで好くお客さんが怒らないな……」と感心した程だ。しかも労働時間が短いのはこの会社だけでは無く、ドイツの大部分の企業が似た様なシステムを執って居る。

 日本人より短い時間で1.5倍の価値を生むドイツ人

 ドイツ国民達がユトリのある暮らしをして居るからと言って、経済が停滞して居る訳では無い。意外な事に、ドイツ人は短い労働時間で、日本人よりも多くの付加価値を生み出して居る。

 OECDによると、2017年のドイツの国民1人当たりのGDPは4万3892ドルで、日本の3万8202ドルよりも14.9%多い。言い換えれば、日本人は毎年ドイツ人よりも354時間長く働いて居るのに、国民1人当たりのGDPはドイツよりも約13%少ないのだ。
 OECDが発表して居る国民1人当たりのGDPでは、ドイツは調査の対象と為った36ヶ国の中で12位、日本は17位だ。日本の数字はOECDの平均よりも低く為って居る。

 日本とドイツの間の労働生産性にも大きな差が開いて居る。OECDは、毎年各国の労働生産性を比べた統計を発表して居る。此処で使われて居る労働生産性の定義は、労働者が1時間当たりに生み出す国内総生産(GDP)である。OECDによると、ドイツの2017年の労働生産性は69.7ドルで、日本(46.9ドル)に比べて48.6%も高い
 詰まり彼等は我々よりも短く働いて、我々の1.5倍の価値を生んで居る事に為る。OECDのランキングに載っている36ヶ国の内、ドイツは第6位。日本は第20位と大きく水を空けられて居る。日本の労働生産性は、OECD平均よりも低く為って居る。

 



 サービス業の生産性が特に低い日本

 ドイツの労働生産性が高い最大の理由は、労働時間の短さにある。GDPでは世界第3位の日本の労働生産性が低いのは、長い労働時間の所為だ。

 勿論労働生産性は、業種毎に異為る。例えば日本の機械製造業界、特に自動車産業の労働生産性は、ドイツよりも遥かに高いと言われて居る。しかし、日本のサービス業の労働生産性はドイツよりも大幅に低い。O
ECDの統計には製造業からサービス業まで アラユル業種が含まれて居る。
 日本では、自動車等一部の業種で労働生産性が高いのに、サービス業の労働生産性が低いので、全体としてはドイツに水を空けられて居るのだ。ドイツ人よりも長く働いて居るのに、一人ひとりが1時間働く事で生む価値は低い。これは我々日本人の働き方に、ドイツよりも非効率な部分がある事を物語って居る。

 現在世界中の企業に取っては、労働生産性の改善が重要な課題に為って居る。日本も例外では無い。機関投資家も、投資先を選ぶ際に労働生産性が高い企業に注目する傾向がある。詰まり、労働生産性が低い企業には、投資家からの資金が集まら無く為る可能性もある。日本の全ての経営者に執って、労働生産性の改善は重要なテーマである。

 ユトリある働き方でも日本を凌ぐ経済成長率

 GDPの成長率においても、2017年のドイツは2.5%で、日本の1.7%に大きく水を空けて居る。2014年以降は、ドイツ経済が拡大するテンポは日本経済よりも速く為って居る。
 更に、財とサービスの貿易黒字を合計した経常黒字でも、ドイツは2017年に中国を追い抜いて世界1位と為った。その要因は自動車・機械・プラント等の輸出が好調である為だ。ドイツの経常黒字は日本を約41%上回って居る

 現在ドイツの景気は、1990年の東西統一以来最も良い状態にある。休みが長くても、物づくり大国ドイツの力は衰えて居ない。これ等の数字は、高いワーク・ライフ・バランスを維持しながら、経済成長を続ける事が不可能では無い事を示して居る。


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       著者 熊谷 徹(くまがい・とおる)氏 フリージャーナリスト

 1959年東京生まれ 早稲田大学政経学部卒業後NHKに入局。ワシントン支局勤務中にベルリンの壁崩壊 米ソ首脳会談等を取材 1990年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住 過去との対決・統一後のドイツの変化・欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材 執筆を続けている 『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞

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             フリージャーナリスト 熊谷 徹   以上






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中国は「長い長い停滞」の後 如何にして大転換を遂げたか



 中国は「長い長い停滞」の後 如何にして大転換を遂げたか

 本当の「新中国」発足は約40年前


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                野口 悠紀雄氏

      早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問 一橋大学名誉教授

             〜2019・10 野口 悠紀雄〜








 中国は10月1日に建国70周年を迎えた。しかし、新しい中国の出発点はこの時では無い。1970年代末に、改革開放政策に大転換した時だ。市場経済制度を導入して生まれ変わった中国は工業化を開始した。

 他国との、どうしようも無い実力差

 明時代の鎖国主義が中国を没落させたと「世界史が転換した中国明朝時代――巨大な先進文明を停滞させたもの」で述べた。そうした中国人の世界観は、清の時代にも続いた。朝貢貿易を改めようとし無かったのだ。

 自由貿易を求めて中国に赴任したイギリス大使ジョージ・マカートニーは、ヤッとの事で1793年、乾隆帝への謁見を許された。処が、清朝は彼を従属国の朝貢使節として扱い、三跪九叩頭(三回跪き、九回頭を下げる)の礼を要求した。「中国には何でも有るから、貿易の必要は無い」との考えだ。
 しかし、現実には、産業革命に成功したヨーロッパとの実力の差は、どうしようも無い程広がって居たのだ。

 アヘン戦争(1840-1842年)によって、中国は徹底的に打ちノメされた。そして、ヨーロッパ諸国による植民地化が始まる。更に日清戦争で日本に敗れた。内戦後に政権を獲得したのは共産党だった。中華人民共和国は、分権的民主主義国家では無く官僚帝国だ。官僚帝国が続いた中国の長い歴史から観て見て、これは、極自然な流れだったと言える。
 言い換えれば、この時に中国が大転換したとは言え無い。寧ろ、それ迄の鎖国主義、官僚主義、反市場主義は強化された。

 共産党独裁政権の下で、経済活動は、国或は国営企業によって行われた。国民の大半を占める農民は、人民公社に閉じ込められた。「大躍進政策」は、1958年から1962年迄の期間に、毛沢東が採った農業と工業の大増産政策である。これによってイギリスに追い付き追い抜く事が目的とされた。
 フランク・ディケーター 『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958−1962』(2011年、草思社)に、その惨状が描かれて居る。

 農民は農作業から徴発され、無益な貯水池やダム建設の為に手で土を掘る作業に投げ込まれた。土法高炉で鉄を生産した事にする為、調理器具や農具が押収された。当然の結果として農業生産は激減し、空前の飢餓が全土を襲った。
 人々は、死んだ鼠、屋根葺き用のトウモロコシの茎、革の椅子等を食べ尽くした後、泥を食べた。そして、遂に人肉を食べた(死体を掘り起し、更には家族間で子供を交換した)医療体制が崩壊したにも関わらず、伝染病で多数の死者が出無かったのは、病原菌に侵される前に餓死してしまったからだ。これが「大躍進」の実態だった。

 私は「中国がこの様な状態に有った為に、日本が高度成長出来た」と考えて居る。1950年代に中国が工業化に成功して居たら、日本の高度経済成長は無かっただろう。その意味で、毛沢東こそは、日本の大恩人なのだ。


                  以上


 




 【関連報道】200万人香港デモ 市民の怒りに火を着けたエリート官僚の傲慢 前代未聞の事件の深層
 
          フリーライター ふるまい よしこ氏(左の婦人)
   
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 香港を「追い込んだ」行政長官


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            林鄭月娥・中国香港特別行政区行政長官



 




 香港時間6月18日午後4時、等々、林鄭月娥・香港特別行政区行政長官がメディアのカメラの前に姿を現した。16日の200万人もの市民の抗議デモ以降、政府ビルは林鄭長官の辞職と、12日の同ビル付近での警察との衝突で逮捕された人達の釈放を求める抗議者で包囲されて居り、政府職員達は自宅での執務を命ぜられて居た。
 記者会見が準備されると、陸続と職員達も同ビルでの勤務に姿を現した。香港史上最大の、嫌世界的に見ても稀な、200万人と云う市民が街を練り歩いた6月16日のデモの後「真摯に反省し謝罪する」と同長官は述べたものの「後3年の任期に遣りた事がある」と何度も繰り返し、辞職の意思は無い事を強調した。

 更に、12日に起きた衝突を「暴乱」そして参加者を「暴徒」と呼んだ事に対して「抗議デモをそう呼んだ訳では無く、又抗議に参加した人、特に学生を『暴徒』とは呼んで居ない」と強調。「香港の抗議デモは非暴力で平和的であるべきだ」と繰り返して、各社の記者が手を変え品を変えて質問しても「警察は暴力を振るったり、政府ビルに飛び込む人を取り締まる役割を負って居る」と述べ続けた。

 詰まり「暴徒」「暴乱」は撤回せず辞職もし無い。警察の判断は間違って居無かった、問題の「逃亡犯条例」改訂草案の推進は現時点でストップして居る・・・を何度も何度も繰り返すばかり。「市民の批判を受け止め、真摯に反省する」と述べつつ「それでは市民の声を聞いた事には為ら無いのではないか」の質問にも、未来3年の抱負で切り返した。 

 ここに置いて筆者は、林鄭月娥と云う人物は、どうしようも無い程の公務員根性に塗れ、政治的センスの全く無い行政長官なのだと云う、数日前から感じて居た思いを更に強くした。
 既に香港メディアでも、彼女のこうした「香港育ちのエリート公務員」としての性格が、今、香港を抜き差し為ら無い状況に追い込んだとする論評が、過つて彼女の行政長官就任を好意的に見守った知識層からも流れ始めて居る。彼女の行動コソがデモを引き起こす状況を準備して来た。
 彼女の来歴と行動を具(つぶさ)に検討する事は、今回の事件の問題点に付いて知る事、更に香港の「一国二制度」に付いて、そして中国との関係を知る為の重要な前提と為る筈だ。

 エリート中のエリート

 林鄭月娥氏は1957年生まれの純香港育ち。子供の頃から大変優秀で、香港のトップ大学である香港大学を卒業して直ぐに当時のイギリス植民地下の香港政庁に入職し、香港公務員の階段を上り詰めたエリート中のエリートである。
 香港出身でイギリス国籍の夫、林兆波と結婚して「鄭月娥」から「林鄭月娥」に為ったが、二人が知り合ったのも彼女が政庁内で選抜されてイギリス本国で研修を受けて居る最中だったと云うから、彼女の人生において「公務員である事」は切り離す事が出来無い程重要な意味を持つ事は想像に難く無い。

 大学で社会学を専攻した頃には、社会活動にも積極だったと言われる。公務員に為ってから、特に2000年からの社会福利署署長時代は熱心に現場に足を運び、当時100機関程あった民間社会福祉施設に顔を出し、ホームレスと一緒に食事をする等、現場に根ざした業務を熟した。
 又当時彼女と仕事をした事のあるNGO団体のケースワーカー達、そして彼女の下で働いた事のある職員も、彼女の熱意、真面目さ、そしてブツけられた質問にキチンと答える姿勢等を高く評価する。その為、2017年に次期香港行政長官候補として、当時行政長官を補佐する政務司を務めて居た彼女の名前が上がった時、一般に「中国政府の暗黙の指名による出来レース」と考えられて居た行政長官選挙だったにも関わらず、西洋的な教育バックグランドを持つ高学歴文化人やビジネスマンの間には大きな期待感が広がった。

 注意したいのは、こうした高学歴の文化人やビジネスマンと云うのは、現在に至るも可なり「ガチな」西洋民主主義の信奉者であると云う点だ。林鄭月娥氏の行政長官就任は、こうしたガチな民主派知識層達の一部に好感を持たれて多少なりとも歓迎され、2014年に雨傘運動が潰えて以来最悪の政治ムードに陥って居た香港に、僅か乍ら「希望」を持たらした。
 実際、中国政府も又彼女を通じて、これ迄それ程信用して来なかった「イギリス植民地政府下で育った香港公務員」の優秀さにヤッと気づいた筈だ。

 2代目行政長官(2005〜2012年在任)の曽蔭権(ドナルド・ツァン)氏も、1990年代半ばにイギリス人香港総督下で財政トップ迄務めた人物だった。しかし、イギリス植民地下からそのママ主権返還後の香港特別行政区の財政トップに横滑りした曽氏は、新たな宗主と為った中国政府との間で可なりギクシャクした関係が続いた。
 中国共産党の不信の目(しかし、他に適当な人物が居無かったと云うジレンマ)は、20年もイギリス人の基で働き、返還直前には「Sir サー」の称号迄与えられた曽氏に向けられ続け、任期終了直前の曽に汚職容疑が噴出、追われる様にして長官職を離れた後20ヶ月を獄中で過ごす嵌めと為った(注・曽氏の弟も公務員出身で、警視長官を務めた。この兄弟の父親も矢張り警察官出身の公務員家族。無罪を主張し続けた曽氏の思いは如何なるものだったか。

 



 中国中央政府と林鄭長官の関係

 それに比べ、林鄭氏はイギリス植民地政府で17年間、返還後の特別行政区政府で20年余り公務員生活を送って来た。末端の職員から梁振英・前行政長官の副官として政務トップに迄上り詰め、現場の経験も豊かで、前述した様に知識層の信頼も高かった。
 加えて興味深いのは、彼女と中国中央政府との関係である。根っからの親中派と言われて居た前行政長官の基で政務官を務めて居た2016年12月には、夫が大学教授として働く北京での休暇中に突然、行政長官の代理として北京故宮博物院と「故宮香港分館設立」に付いて合意書を交わして居る。

 北京にある故宮博物院の分館を巨額の資金を投じて香港に作ると云う、寝耳に水の話に香港市民はビックリ。林鄭氏はメディアの質問に対して、建設は政府予算では無く香港最大のチャリティー団体である「香港ジョッキークラブ」が資金を出す為「市民の同意は必要無い」と答えた。建設用地は政府の開発用地なのにである。
 実はこの故宮分館建設計画は、2014年の雨傘運動後に中国政府に対して激しい拒絶感を示す様に為った香港社会に対する、北京当局の「懐柔策」だと見られて居る。「自ら中華に属する事を再確認し、中華文明に帰す」事を香港市民に「目覚め」させる為の手段と云う訳だ。

 この「合意書」締結を切っ掛けに、中国政府はアカラサマに林鄭月娥行政長官の誕生に向けてバックアップを始めた。これ迄富豪ビジネスマン、親中派技能エリートを行政長官に指名して来たものの、香港市民の不興ばかりが高まる事に頭を悩まして居た中国政府は、初めて此処で「公務員」林鄭月娥氏が持つ、隅々まで知る香港政府機関との連携の上手さ、そして社会資本との協力、運用、交渉能力等、その経験に裏打ちされた能力の高さに気付き、又同時に「上司」である中国中央政府の意向をキチンと汲み取って動いて呉れる「許容量」を高く評価したからだった。

 



 何故「逃亡犯条例」改訂が提案されたのか

 前置きが長く為ったが、今回の「逃亡犯条例」改訂草案の話に戻る。筆者は、6月12日の立法会ビル前で起きた警察隊とデモ隊の衝突を見ながら、今回の焦点に為って居る「逃亡犯条例」改訂は、日本や西洋メディアが論じて居た様な中国中央政府の意図では無く、香港政府詰まり林鄭行政長官の発案ではないかと感じ始めた。その理由は幾つかある。

 一つは、この改定草案が元々、昨年台湾で起きた香港人同士の観光客カップルの殺人事件に起因して居る事。カップルの男性が女性を殺害、その死体を郊外に遺棄してその足で香港に戻った。女性の家族には「ケンカをして出て行った。その後は知ら無い」と言いつつ、そのATMカードを使って現金を下ろした事で足が付き殺人を自供。遺体は自供通りの場所で発見された。
 しかし、殺人罪で裁くには男性容疑者を事件発生地の台湾に引き渡す必要があるが、現行の「逃亡犯条例」には犯罪者の引き渡し対象条件として「中央人民政府あるいは中華人民共和国の如何なるその他の地区の政府を除く」と云う一文があり、香港の主権国である中国が自国領土の一部とする台湾に引き渡す事が出来無い。

 その為、香港政府は窃盗罪で服役中のこの男性容疑者が釈放される今年10月までに「逃亡案条例」の対象国及び地域を世界中の全ての国とする改訂草案を可決、施行し無ければ為ら無く為った。又、立法会が毎年7月から9月一杯迄夏休みに入る為、10月に間に合わすにはこの6月中に可決する必要に迫られたのである。
 林鄭月娥長官はこれ迄度々この改訂草案に触れる時、この事件の被害者と遺族への同情を口にして居る。審議の一時見送りを決めた15日の会見でも、被害者の両親を名指しして何度も「大変申し訳無い結果に為った。だが、ご両親の思いに報いる為に政府が力を尽くした事はご理解頂きたい」と口にして居る。

 香港、或はその他の国でも、或る法律の制定・改訂でここ迄個人的なケースが直接政府関係者の口から語られる事は稀である。この辺りはまさに、社会福利署長の職務を現場に分け入って立派に果たしたと言われる同行政長官「らしさ」が滲み出て居る。記者会見を見た人なら、その時の彼女の表情にワザとらしさや誇張が無かった事に同意する筈だ。これは極めて彼女の思い入れの強い改訂なのである。

 中国政府の思惑

 次に、中国政府にはその改訂を急ぐ理由も必要も無い事。中国の現在の最大の課題は米中貿易戦争である。貿易戦争によって既に国内の経済にも影響が見られるものの「経済悪化」と云う直接的な言葉で社会の不安を引き起こす事の無い様警戒して居る。その微妙なテンションは中国国内で発表されて居る経済評論を丁寧に読めば好く分かる。
 加えて今年は天安門事件30周年に辺り、中国当局は早々とそれに纏わる発言をしそうな人物達の口封じに動いた。更に香港では9月に雨傘運動から5周年を迎える。政治的亀裂が広がり社会が不安定に為り、更には中国政府に対する反感が過去最大の膨れ上がりを見せて居る時に、その気分を逆撫で擦る様なこの改訂草案可決を急ぐ必要は中国政府には無い。

 勿論「中国は早く香港を黙らせ、手中に収めたがって居る」ことは否定出来無い。だが、それに付いては今「粤港澳大湾区発展計画」が進んで居る。これは、香港とマカオの2つの行政特区とIT産業で中国全土を牽引する深セン、そして広東省で高い経済力を持つ8市を統合して「大湾区」とし、相互における資金、技術、人材、物流、ビジネス、生産等の往来をフラットにすると云う計画である。
 余り声高には論じられて居ないが、そこには目標達成過程として将来的な「法律の統一化」も書き込まれて居る。

 大湾区計画の巧妙さは「一国二制度」に直接挑戦するのでは無く、その名の通り広東省(粤)・香港(港)・マカオ(澳)の「融合」を目指す形で進められて居る事だ。それは更に、習近平国家主席が説く「一帯一路」計画への積極的な貢献も喧伝され、ビジネスチャンスと見做す企業家も少無く無い。
 香港には批判や不安の声はあるものの、林鄭月娥長官率いる香港政府も積極的にこれに応じる姿勢を見せて居り、その一環として香港とこれ等の地域との間を結ぶ高速鉄道も海峡大橋も既に完成した。それは文字通り着々と進んで居るのである。

 この様な状況下で、海外の目が注がれる香港で不要不急の法律改訂に拘る必要、そして余裕が中国にあるかどうか。

 



 中国の「外交」PRを読み解く

 更に日本のメディアは殆ど触れ様とし無いが、この10年程、中国政府は国内外の広報やPRに大変気を使って居り、その腕前も格段に向上して居て、時には日本等よりもズッと洗練された外交PRを展開する。昔の様に、どぶ水にドボンと石を投げ込んで周囲を大騒ぎさせる様な事は昨今では殆ど見られ無い。
 今回も「中国の圧力」と大きく報道されて居る事に対して、イギリスBBCテレビのニュース番組に劉暁明・駐英大使が出演し、流暢な英語で「今回の法改訂は中央政府が指示したものでは無い」と断言した。

 勿論、その言葉が信じられるかと云う声もあるだろう。だが、世界的なメディアに記録された前言を翻す事がどれ程世界的な不興を買い、自らの足枷に為るかと云う事を、今や熱心に世界の盟友作りに励む中国政府が知ら無い訳が無い。
 ちなみに、2013年末に安倍首相の靖国神社参拝を巡って日中間で大舌戦が起こった際、日中両国の駐英大使がBBCテレビに招かれた。当時の日本大使はシドロモドロの英語で日本の主張ばかり繰り返したのに比べ、英国人アンカーの質問に堂々と切り返したのがこの劉中国大使であった。YouTubeで公開されて居るこの時の「弁論」を見れば、中国が如何に海外広報戦を重視して居るか好く分かる。

 そして加えて「逃亡犯条例」改訂騒ぎに纏わる、中国政府系メディアの「論戦バックアップ」が鈍かったのも気に為った。
 2014年に中国政府下の全国人民代表大会(全人代)常務委員会が香港市民の希望を完全に無視して「行政長官及び立法会議員直接選挙細則」を決定し、香港市民が怒りを爆発させて雨傘運動に突入した時、連日の様に全人代決定の「権威性」と「正当性」を強調する記事が各紙に掲載された。だが、今回は香港政府の主張をそのママ繰り返すものが殆どで、中国政府の熱意は見られ無かった。

 勿論、改訂が為れば正々堂々と「容疑者」を中国国内に移送出来るのだから、中国政府に取って損は無い。だが、それを前提に見ても中央政府に取ってこの改訂は「それ程力を入れて論戦を貼る程のものでは無い」ことを意味して居る様に見えた。
 以上の諸々を総合しても、中国政府に取って、今、この改訂を急ぐメリットは全く無く、それは「香港側の都合」だったとホボ断定して好いだろう。

 エリート官僚の「傲岸さ」

 15日の「一時審議見送り」発表会見でも、林鄭月娥長官はハッキリと「これは我々が進めて居るもので、中央政府は我々の見解に理解を示した」と述べて居る。為らば、何故彼女は、アレだけの反対を無視しここ迄事態を悪化させたのか。
 それは、明らかに公務員出身の林鄭月娥長官自身の、自分の決定に誤りが無いとするエリート意識、そして改訂草案に対する市民感情への認識不足、そして問題が明らかに為っても非を認め無い頑固さ、更には過つて彼女に期待した知識層コラムニスト達が指摘する、彼女の「傲岸さ」だったと言える。

 100万人超えデモの後には一切顔を出さ無かったのに、衝突が起こった12日夜には二度も別々の形で市民の前に顔を出して「警官隊は自衛の為に暴力を使った。アレは暴徒で暴乱である」と言って退けた。それは彼女が信じる行政のトップとして自らの部下を守る為の責任感から来るものだった。
 確かに感情に駆られた抗議者も居た。現場には何処からか運び込まれたレンガが積み上げられて居た。だが、デモ隊参加者の多くは空の両手を挙げてそこで対峙して居た。又、当日現場に集まった抗議者の数は主催者側、警察側ともに公表していないが、現場に記者を送ったメディアによると「多分1万人弱」とされる。

 しかし、その後数々の報道や現場で撮られた写真や動画で、一人でポツンと立って居た抗議者を集団で取り囲み凪倒して警棒で殴り掛かったり、素手で近付いた抗議者に至近距離からゴム弾を発射したり、挙句の果てにはメディアに「クソ記者が!」等と怒鳴りながら掴み掛かって行く姿が記録されて居る。
 水平撃ちでゴム弾やビーンバック弾・催涙弾を撃ち込み、又現場から一寸離れた一般路で水の入った箱を運んで居た男性に飛び掛かり逮捕する映像も流れて居る。更には、衝突後メディアインタビューに答えた負傷者をその報道から割り出して逮捕する等、警察側に許された暴力と、両手を挙げて声を枯らしたデモ隊とのアンバランスが甚だしいと市民の誰もが感じた。

 だが、彼女は警察側には全く落ち度は無いと庇(かば)い、そこに集まった市民を暴徒と呼んで切り捨て、その日の抗議活動を暴乱と定義付けた。これに怒った市民が再び16日に街へ出て、今度は200万人もの人達がシュプレヒコールを叫んだのである。
 今や就任当時に彼女に好意的な視線を注いだ知識層もその批判の最前線に立って居る。自分の公務員チームを守り、政府のメンツと権威を守る為に一生懸命に為った彼女を好意的に捉える市民は素手に居なく為ってしまった。彼女は自分の広げた大風呂敷の中で溺れ、一国二制度を自らの手で壊滅させ掛けたのだから。

 だが、事態は林鄭長官が辞職すれば済むとも言え無く為ってしまった。と云うのも、2014年の雨傘運動以来、市民が求める直接選挙の予定は立って居らず、次期の行政長官選挙はどう為るのかも判ら無いからだ。
 一方で中国政府もこれ程までに上司に仕えて呉れる彼女をそう簡単には手放さ無い筈だ。もし市民のシュプレヒコールに中国政府が耳を貸し、林鄭長官に辞職を勧める為らば、それはそれで市民が希求する「港人治港」(香港人による香港自治)に取ってプラスには為ら無い。
 上司に尽くし同僚達を慈しむ。そう云う意味で林鄭月娥氏は大変に優れた香港人公務員だった。しかし、行政長官として求められる政治センスはゼロだった。上司の中国政府に気に入られた、この優秀な「香港育ちの香港人公務員」は如何にこの事態を、又香港の「一国二制度」を収めて行くのか。



 




 【管理人のひとこと】

 中国の動向には何時も気に為って居ます。彼の国が今後どの様に為って行くのかは、恐らく私達の生活にも大きな影響を与えるだろうとも思うからで、そして何よりも、一応は共産主義と唄って居る大国家の行く末が大いに気に懸るのです。私の気持ちとしては、中国の二つの将来像が浮かびます。
 一つは、15億にも達する巨大な国家が中央政府に統一された政治形態が続くのだとすると、それは決して民主的な国家像では無く、現在の様な共産党独裁の国家で無ければ不可能では無いかと。
 もう一つは、個人の自由を制限し表現・政治思想等を制限する現在の方針を大転換し、自由に解放した場合、詰まり全国民に選挙権を与え自由意思を尊重すると、果たして統一された国家が出来上がるのかとの疑問です。

 余りにも多くの民族と宗教を抱えた多種多様な国民・民族を、一つの指導者・一つの政府でマトマれるのかと云う問題です。これを放って置くと、国内に多数の分裂国家が誕生し、結局は豊かな地域と貧しい地域が生まれ、そこから争いが始まり内乱状態へと発展する可能性も考えられるのです。世界に数知れぬ程存在する「否安定地域」が中国国内に無数に散開されて行く・・・この様な事は決して世界にとっては望ましいものでは無く、不安定要素が膨らむばかりで何の利益にも為ら無い。
 それならば、経済的に満足しているのであれば、多少の不自由は我慢して「共産党独裁」で平和で安全な生活を選択するのも一つの生き方ではあるのです。

 共産党独裁禁止・表現の自由・自由選挙・・・と多くの人達が望んだ結果、果たして自由で伸び伸びとした国家が健全に生まれるのかどうかは判ら無いのです。

 香港のデモ騒動は、中国政府の要求に香港市民が反発して起きたものだと考えて居ましたが、どうやら違う様です。アノ何とも形容も出来無い女性長官の強引な政治に反発して起きたものの様です。知りませんでした。頑固で融通が利かず思い込みが激しい・・・その上頭の良いエリート・・・女性の持つ悪い面が極端に集中して出来上がった様な顔をして居ます。余り近寄りたく無い女性の様ですネ。

























































何故中国共産党「だけ」が生き残ったのか? 天安門事件と中国の本質




 何故中国共産党「だけ」が生き残ったのか?

 天安門事件と中国の本質


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                  文 野口 悠紀雄氏


            〜現代ビジネス 10/15(火) 7:01配信〜


 1980年代末に他の社会主義国が崩壊したにも関わらず中国共産党政権が生き残ったのは、経済政策が成功して居たからでもあるが、それ以上に、強権政策によって共産党の権威を維持したからだ。ここに中国と云う国の本質がある。
 1980年代の末に、社会主義国家が大きく揺らいだ。1989年には、東欧で大きな変化が現実化した。ポーランド(6月18日)とハンガリー(10月23日)で非共産党政権が成立。11月9日には、ベルリンの壁が崩壊した。12月25日にはルーマニアのチャウシェスク政権が崩壊した。そして、1991年にソ連が崩壊した。こうして社会主義国が崩壊して行く中で、中国共産党政権は生き延びた。何故中国が残れたのか?
 
 これに関して、私はこれ迄「それは1970年代末以降の改革開放政策の成功の為だ」と考えて居た。ソ連を始めとする社会主義国家が崩壊したのは、経済運営に失敗したからだ。その当時のソ連の生産性はマイナスに為って居た。詰まり、工場に持ち込む材料に比べて産出物の価値の方が低い様な状況に為ってしまって居た。これでは国が続く筈が無い。
 それに対して、中国は、1970年代末以降、目覚ましい成長を続けて居た。深圳等では高層ビルが立ち並び、見違える程の変化が生じた 人々は「明日は今日より豊かに為る」と確信出来る状態に為って居た。これを実現したのが共産党政権であるから、人々は共産党政権を支持した。

 私は、この様に考えて居た。勿論、共産主義と市場経済は矛盾する。そして、共産党独裁体制においては、政治的な自由は無い。政治的な意見を言う事も不満を言う事も出来無い。但し、これは将来変わって行く事が期待されるものだ。
 経済的な豊かさの進展に伴って、何れ政治的な自由化も実現され、複数政党政治に移行するだろう。中国はそうした変化の過程にある。中国の国民も、その様な変化が将来生じる事を期待して居るのだろう。私はその様に考えて居た。

 



 経済成長したのに、民主化しない 

 しかし、ここ数年の事態を見ると、どうもそれ程簡単では無いと思う様に為って来た。先ず第一に、これ程経済が成長し、豊かさが実現したと云うのに、政治的には、一向に民主化・分権化の動きが見られ無い。寧ろ、集権化・独裁化の動きの方が目立つ。
 第2に「中国『超先進的電子マネー社会』の光と影 一方、日本は何周も遅れ」で述べた様に、AIの為のビッグデータに付いて、西側諸国では考えられ無い様なデータの収集と利用が行われて居る。プライバシーが無視され新しい管理体制が作られて居る。
 そして第3に米中経済戦争だ。経済情勢が明白に悪化して居るにも関わらず、中国は屈服せず対抗措置を取り続けて居る。そして、貿易赤字とか雇用の増加と云う様な次元の問題では無く、世界経済の覇権争いとしか考えられ無い状況に為って来て居る。中国はその国家原理において、譲れ無いものを持って居る様だ。香港のデモが長期化して居るのも気に為る。

 天安門事件と中国の本質

 こうした事を見て居ると、1989年の大変動を中国が生き延びた理由も考え直さ無ければ為ら無い。もう一度、30年前の1989年に戻る必要がある。

 天安門事件は、何故収束したのか?この時のヨーロッパの社会主義国と中国との違いは何だったのか?ソ連や東欧諸国に無くて中国に有ったものは、何だったのか?此処に、中国と云う国家の本質を解き明かす鍵が隠されて居るだろう。
 天安門事件に付いては、エズラ・ヴォーゲルが『ケ小平』(日本経済新聞出版社2013年)の中で詳しく書いて居る。それを読むと、2つの事が印象的だ。

 第一に、一般市民が学生を支援した為、最初の戒厳令は失敗に終わった。
 第二に、ケ小平は、強硬政策を終始し主張し続け、決して躊躇(ためら)わ無かった。そして、事件終結後においても、その事が正しかったと主張して居た。

 市民は軍に立ち向かった
 
 先ず第1点から述べよう。中国政府は、1989年5月17日、戒厳令の実施を決定した。19日の夕刻から兵士を送り込み、20日の朝に天安門広場に到着させる事と為った。処が、北京に遣って来た5万の軍隊を、北京市民が妨害し完全に立ち往生させたのだ。
 或る部隊は地下鉄を使って天安門広場に入ろうとしたが、地下鉄の入口が閉鎖されてしまって居た。郊外から電車で入ろうとした部隊もあったが、市民達が線路に横たわって妨害した。他の部隊は、列車から降りた途端に市民達に取り囲まれて動け無く為った。

 夜に為ると、数十万もの市民が北京の町に繰り出した。20日午前4時半、学生が占拠して居た天安門広場の拡声器が「軍隊は広場に到達出来無い」と放送しデモ隊は喝采を送った。学生達は、立ち往生する兵士に向けて演説を行ない、兵士の中には共感するものも居た。こうして、軍隊は50時間に渉って動け無かったのである。
 5月22日の午前7時、軍に撤退命令が下った。デモ隊は勝利を祝った。これ程多くの市民が自らの意思で党の指導に反対するデモを行なったのは、1949年以来の事であり、文化大革命の時にも無かった事だった。

 そもそも、天安門事件の始まりは学生デモだ。経済が成長したにも関わらず、豊かに為ったのは強欲な起業家や腐敗した役人であり、自分達は恩恵を受けて居ないと学生は考えて居た。そして、党幹部の子弟がコネで好機をものにして居る事に憤慨して居た。
 そうした学生達の憤慨が、胡耀邦党主席・党総書記 1986年の民主化運動に理解を示した為、辞任させられたの死を切っ掛けに、大規模なデモに膨らんで行ったのだ。
 
 ここ迄は好く知られて居る。但し、反政府デモは、学生だけが起こした動きでは無く、一般市民の支持を受けて居たものだったのだ。学生だけで無く市民も、成長の恩恵を受けて居ないと感じて居た。だから、経済成長があったにも関わらず、国民は共産党一党独裁を受け入れて居た訳では無いのだ。詰まり、程度の差コソあれ、中国も他の社会主義国と本質的には同じ問題に直面して居たのである。

 



 国家の威信が必要だ

 次に第2点に付いて述べよう。ケ小平は、これよりズッと以前から、国の支配体制に関して深い関心を抱いて居た。1956年にフルシチョフが全面的スターリン批判を行なった時、共産党の権威が失墜した事を見たケ小平は、これは間違いだと考えた。そして、共産党の尊厳を守り抜く事が極めて重要だと考えて居た。この為、ケ小平は、毛沢東を批判する事が無かった。
 ヴォーゲルによれば、ケ小平は、ゴルバチョフの改革に関しても批判的な考えを持って居た。改革は、政治から始めて経済に向かうのでは無く、経済から先に行わ無ければ為ら無いと語って居た。ケ小平は、如何に批判されても、自分の決断が正しかった事を一度も疑わ無かったとケの家族は語って居る。

 処で、天安門では、5月末に為って、風向きが変わり始めて居た。北京に来る人よりも出て行く人の方が多く為った。デモ参加者の多くは、処罰を恐れ、それが軽く為る可能性を探った。学生達は、指導方針に付いて意見をマトメられ無いで居た。
 天安門広場の群衆の数は減って行ったので、暴力を使わ無くとも一掃は可能だと多くの人が考えた。しかしケ小平は、党の権威が全国的に揺らいで居る事を懸念し「当局の威信を回復するには強行な措置が不可欠」との結論を下して居た。

 彼は、ソ連と東欧の指導者が、国家と党の権力を維持する為に手を尽して居ないと信じて居た。「天安門広場に武装軍の投入を決断するに当たって、ケ小平が多少なりとも躊躇した事を示唆する証拠は無い」とヴォーゲルは言って居る。

 人民解放軍が国民に実弾を放つ

 5月末から、秘密の内に兵士が少しづつ北京近郊に潜入した。覆面トラックで武器を隠したり、徒歩や自転車で遣って来た者も居た。6月2日には兵士の数が増大した。地下トンネルを通って、天安門広場に隣接する人民大会堂に到着した兵士も居た。6月3日、ケは「アラユル手段を用いて秩序を回復せよ」と総参謀長に命じた。
 3日の午後6時半に「生命の安全の為、労働者は職場に留まり、市民は自宅から出無い様に」との緊急通知がテレビとラジオで流された。この緊急通知は引切り無しに放送され、広場でも拡声器から流された。この通知にある「生命の安全の為」と云う部分が極めて重要な意味を持って居る事は後に為ってから分かる。

 軍のトラックは、市街地に近づいたもののバリケードで阻止された。市民は軍用車のタイヤを切り付けて、動け無い様にした。そして、エンジンの部品をムシリ取りレンガや石を投げ着けた。最も激しい抵抗があった大通りには、数千人の市民が集まって居り、何台ものバスが装甲車の行く手を阻んで居た。軍は催涙弾を発射したが効果は無かった。
 午後10時半頃、部隊は空に向かって発砲を始めた。但し、この時点では死者は出なかった。午後11時、軍は遂に群衆に向かって実弾を放ち始めた。そして、トラックと装甲車が全速力で突進を始めた。行く手を遮る者を全て跳ね飛ばして進んだ。それでも、6キロ先の天安門に到達するのに4時間掛かった。

 午前1時には、アラユル方向から軍が天安門に到着し始めた。この時、広場には約10万のデモ隊が残って居た。軍は彼等に対して発砲を続けた。まさか実弾を撃ち込まれるとは考えて居なかったデモ隊はパニックに陥った。午前2時には、広場の残留者は僅か数千人に迄減少してしまった。
 3時40分、デモ隊のリーダーが戒厳部隊と接見し平和退去を申し入れた。軍はこれに同意し、学生達は退去を始めた。5時40分には、デモ隊の姿は完全に無く為った。






 中国は「異質の国家」で在り続けるのか?

 以上の経緯から分かるのは「中国共産党が生き残ったのは、経済的な成功のお蔭でもあるが、より本質的には、強権的な手段の為である」と言う事だ。
 ヨーロッパの共産主義国では、戦車が出動する事があっても、ルーマニアのチャウシスク政権を別とすれば、軍が自国民に銃を向ける事は無かった。天安門事件では、それが現実のものに為った。その意味で、中国と云う国家は、西側の国家とは異質の存在であったと云う事が出来るだろう。そして、その様な本質が、中国の著しい経済発展にも関わらず、依然として残って居るのだ。

 現在の香港のデモも、基本的には天安門事件と同じ性格のものである。だから、簡単に収束しそうに無い。残って居るだけでは無い。「中国『超先進的電子マネー社会』の光と影 一方、日本は何周も遅れ」で述べた様に、AIとの関連で管理が強化されて居る面もある。
 中国と云う国家の本質をこの様なものと理解する為らば、それはAIの発展や米中経済戦争の見通しに関して、極めて重要な意味を持つだろう。


              野口 悠紀雄  以上


 【管理人のひとこと】

 台風19号で被災された方々にお見舞い申し上げます。散々メディアで「生命の・・・」と喧伝されても、現実には身動き取れ無いのが人情です。全てが地球温暖化に依る異常気象だと諦めても、悔やみ切れ無いものです。地方自治体や政府に文句を言っても後の祭り、後は復旧が一日も早く済むことを祈るばかりです。
 日本の何処に住んで居ても、何時被災するかは判りません。その為に日頃から最寄りの防災マップを一度は目にする事も必要。普段から家族で地震・水害・崖崩れ・火災等の非常時の際の打ち合わせを行う事も必要。共通の連絡先や避難所の相互確認も必要です。



 




 次は、中国は「長い長い停滞」の後、如何にして大転換を遂げたか


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トランプの信念は「他人の為に犠牲に為るのは無意味」同盟国日本との関係は?


 

 トランプの信念は「他人の為に犠牲に為るのは無意味」 

 シリア撤退から予測する 同盟国日本との関係は?

          〜FNN.jpプライムオンライン 10/15(火) 18:31配信〜


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 トランプ大統領は根っからの「ペイリオコン」

 「ペイリオコン」と云う言葉がある。「paleo-conservatism」の略で「paleo」はギリシャ語で「古い」詰まり「古い保守主義」「ネオコン(neo-con)」と対比する伝統的保守主義の事を言う。
 ウィキペディア英語版で見ると「ペイリオコン」「移民を制限し、政治の非中央集権化、貿易関税の強化による保護主義、経済民族主義、孤立主義と性別や人種問題で伝統的に保守的な考えを持つ」とある。

 これを具体的な政策にして見ると「移民締め出しの壁建設」「規制半減」「対中貿易制裁」「アメリカファースト」「TPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱」「アファーマティブ・アクション(人種差別是正措置)の見直し」等と為るが、これはトランプ政権そのものではないか。詰まりトランプ大統領は根っからの「ペイリオコン」と言えるだろう。
 であれば、トランプ大統領がシリア北部駐留の米軍を撤退させて同盟関係に在ったクルド族の存在を危うくさせる様な事をしたのも説明が着く。米国は他国の為に尽くす必要は無いと云う「ペイリオコン」の基本的な考えがあるからだ。

 これに対して「トランプは気紛れから同盟国を捨て去る」等と批判の声が上がって居るが、同大統領はツィッターでこう反論して居る。
「様々なグループが何百年にも渉って争って居る中東に米国が介在すべきでは無かったのだ。50人の米兵は撤退させる。トルコは、クルド族が捕まえたISIS(イスラム国)の戦闘員は欧州が帰還させる事を拒否して居るので拘束をを引き継ぐべきだ。米国に執ってこのバカげた終わりの無い戦いはもう終わりだ!」

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              ジャーナリスト 木村太郎氏

 「ネオコン」が生まれた経緯

 「ペイリオコン」の世界観を知る為には、それと真逆の「ネオコン」が生まれた経緯を観るのが良い。「ネオコン」は、元々はウッドロウ・ウィルソン大統領からジョン・ケネディ大統領に至る米民主党の理想主義者達が掲げた世界平和や民主主義等の理念が、ベトナム戦争で破綻し民主党が内向きに為ったのに失望した民主党リベラル派が共和党に走って旗上げしたものと言われる。
 その基本的な考えは、米国の国益よりも自由や民主主義の確立を優先し、その為には武力介入も厭わ無いと云うもので、経済的にはグローバリゼーションを理想とする。9.11の同時多発テロ以降米政界に深く関与し、二つの湾岸戦争を始めたブッシュ親子も「ネオコン」の側近の影響を受けた。共和党だけで無く、民主党のヒラリー・クリントン氏も基本的に「ネオコン」の世界観を支持して居る。

 「他人の為に犠牲に為るのは無意味」

 トランプ大統領は、その「ネオコン」が米国政治の表舞台に登場した頃の2001年に党籍を民主党に変えて居る。その後2004にブッシュ(子)大統領が始めたイラク戦争にも反対して居た。その動機は明らかでは無いが「他人の為に犠牲に為るのは無意味」と云う考えが根底に有るのは間違い無い。
 大統領就任後も対外的に強硬な発言はするものの、現実に武力攻撃を命じたのは、2017年7月にシリアの化学兵器使用に対する懲罰的なミサイル攻撃だけだ。その後も政権内のボルトン氏等「ネオコン」の重なる進言にも関わらず、イランへの攻撃を中止させたり、矢張りボルトン氏が計画して居たとされるベネズエラの反米マドゥロ政権に対する武力介入も排除した。

 そのボルトン氏も政権から去って、トランプ大統領は「ペイリオコン」の「ハト派」的政策を更に強く打ち出す事が考えられるが、それは日本に執って歓迎すべきなのだろうか? 「日本の為に米国の青年の血が流される時代は終わった」とトランプ大統領がツィートする日が来るかも知れ無いからだ。


        執筆 ジャーナリスト 木村太郎      以上


 




 【関連記事1】アサド政権軍がシリア北部に 今後トルコ軍との衝突も・・・

        〜FNN.jpプライムオンライン 2019年10月15日 火曜 午前6:18〜

 シリアのアサド政権は、トルコ軍の北部侵攻に対抗する為、クルド人勢力と協力する事で合意し、地元メディアは、軍の部隊をトルコ国境近くに展開させて居ると伝えて居る。シリア国営通信は14日、クルド人勢力との協力合意を受け、アサド政権軍の部隊の一部が、トルコ国境に近いシリア北部に展開したと伝えて居る。今後、トルコ軍とアサド政権軍が衝突する恐れもあり、シリアを巡る構図が変わる可能性が出て来て居る。
 一方、クルド人勢力と協力して来たアメリカのトランプ大統領は、日本時間15日午前、ツイッターに「アサドに、自国の領土の為にトルコと戦って貰おう」と投稿し、シリアの状況に関与し無い考えを明らかにした。


                 以上


 




 【関連記事2】トルコに経済制裁の方針 トランプ政権

        〜FNN.jpプライムオンライン 2019年10月15日 火曜 午後0:38〜

 アメリカのトランプ大統領は、シリア北部に侵攻したトルコに対し、経済制裁を科す方針を明らかにした。
トランプ大統領は14日の声明で、エルドアン政権による軍事攻撃は、地域の安定を脅かして居る等として、トルコに対し、鉄鋼関税の大幅な引き上げ等の制裁を科す方針を明らかにした。
 又、シリア北部から撤収を指示したアメリカ軍に付いては、過激派組織「イスラム国」を監視する為、一部を残すとして居る。

 トランプ大統領としては、トルコに厳しい姿勢を示し、協力関係に在ったクルド人勢力への軍事作戦を黙認したとの批判を交わす狙いがあると観られる。一方、ペンス副大統領は14日、トランプ大統領がエルドアン大統領に、クルド人勢力と停戦する様求めた事等を明らかにした。


                 以上 


 



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