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2019年10月11日

関電スキャンダルに潜む 見過ごせ無い3つの問題




 関電スキャンダルに潜む 見過ごせ無い3つの問題


           〜ニューズウィーク日本版 10/11(金) 17:32配信〜







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     日本の原発は住民の「恐怖心」を避ける為に必然的に過疎地へ 関西電力高浜原発 

 〜原発を推進する上で「カネの問題」は必要悪として諦めて居るムードもあるが・・・関西電力の役員等に対する、高浜町元助役からの資金還流事件は、ココへ来て会長・社長が辞意を表明する事で局面が進んだ様に見えます。ですが、スキャンダルの真相も、そして今回の問題が炙り出した原発ビジネスの構造に付いても、本質的な議論は進んで居ません。そこで、今回はこの事件に潜んで居る3つの問題に付いて議論したいと思います〜


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             冷泉彰彦氏 在米作家・ジャーナリスト 


 1点目は資金還流の意味です。通常、工事等を請け負う業者の側としては、発注側である関西電力からの受注欲しさにワイロを渡す可能性はあるかも知れません。ですが、それは発注決定の前の問題であり、今回の事件の様に事後にカネを押し付ける様に渡すと云うのは非常に不自然です。
 事前に話が付いて居り、只バレ無い様に時間差を着けて資金還流させたと云う説明も成り立ちますが、余り説得力はありません。為らば、受注の為のワイロを時間差で渡したのでは「無い」シナリオも必要に為って来ます。

 「何らかの口封じだった」とか「反対に裏金が関電サイドから流れて居り、死期を悟って自分と家族の名誉を守る為に返却する必要があった」とか、何れにしてもカネの流れとタイミングに関する捜査が必要です。関電の経営陣は、そうした「カネの意味合い」に付いて、知らぬ存ぜぬでは無く、確りと捜査に協力すべきと思います。
 現在の報道は、こうした「カネの意味合い」に関するツッコミが全く不足して居ます。ここを外しては、刑事立件や民事係争に持ち込む事が出来無いし、そもそも社会的な批判にも為ら無いからです。

 2点目は、原発マネーと言われるコストの甘さに切り込んで行くと云う事です。原発に関係する工事は、好く言えば安全対策、悪く言えば風評懸念を口実に工事をヤタラに高品質として高額な請求がされる事が多い様です。確かに、原発に関して積極推進が国策だった時代には、それで全体が回って居たのかも知れません。
 ですが、福島第一の事故以降は、万が一の事故の場合における直接的な被害への補償だけで無く、風評被害への補償等を考えて、その準備金を積み立てる様に為る等、原発のコスト構造は激変して居ます。そうであるなら、今回の事件を契機として、工事や経費等の金額に「お手盛り」は無いか、全ての原発において総点検が必要と思われます。







 地元に流れ込む巨額の原発マネー

 3点目は原発立地です。通常、加圧水型原子炉と云うのは、河川の沿岸に立地して冷却水を取水し、冷却に伴って発生する温水は河川に戻し、水蒸気は空中放出すると云うのが世界の常識です。
 ですが、日本の場合は河川の水質への風評被害や、水蒸気放出への感情的な恐怖心等が「判断の大前提」と為る中で、立地は沿岸部の過疎地と云う事に為って居ます。

 そこで地元に対して、巨額なマネーを注入する事で立地への同意をさせると云う構造がある訳です。その結果として、コスト的に最も効率的で安全面で最も理想的な立地「では無い」場所に原発が建設され、それがコストを膨張させると云う構造が出来上がって居る様に思われます。
 こうした「原発とカネ」の問題ですが、原発反対派は「全面的な稼働反対・新設反対」の理由の一つとして、この「原発とカネ」の問題を取り上げる事が多い様です。一方で、エネルギー多様化の中で原発の部分稼働に賛成する立場からは、この「カネの問題」は必要悪として諦めて居る様なムードも伝わって来ます。

 当面は脱炭素と云う問題も含めて原発の「即時ゼロ」は出来無い中で、今回の事件を契機として「原発とカネの問題は切っても切れ無い」と云う賛成反対両派の「常識」にメスを入れて行か無くては為ら無いと考えます。


        冷泉彰彦 在米作家・ジャーナリスト 以上







 【管理人のひとこと】

 関電スキャンダル・・・と命名すべきだろうか。関西の電力会社が、原発を施設する現地の地方公共団体(役場)の元助役から数億円もの金品を贈られた・・・元助役が怖くて返すに返せなかった・・・とするものだ。
 このスキャンダルが実は何を語るのか・・・政府は国策として原発を推進した。電力会社はその政策に乗って、皆から嫌われる原発施設を「疲弊する地方、それも過疎地へと金を餌にして突き進んだ」現地の有力者と組みあの手この手で住民を説得する訳だ。住民は家族を巻き込み賛成・反対で対立する。大きな住民運動を繰り返し「町や村が生き延びる為に・・・」と最後には原発を誘致する。
 そして、色々な国の優遇予算を投入して立派な公共設備を次々と設置し、街の予算は黒字へと転換する。工事が始まると、次々と仕事が舞い込み現地は「原発マネー」に溢れ、多くの住民への雇用も生まれる。定期点検や常時の整備工事も行われ、工事は現地企業を優先される。
 此処に金と権力が絡む「原発ローテーション」が生まれる。その間に流れる金は、政府の原発関連予算(税金)⇒電力会社の工事発注(国家予算+電力料金)地元企業⇒発注した電力会社・役員
                     斡旋した政治家
 で完結される訳だ。何のことは無い。国民から集めた税金と消費者から集めた電力料金から、地元の企業や政治家や電力会社へのバックマージンとして一廻りする訳だ。この仕組みを考えたのは頭の好い誰かでは無く、当たり前の出来事なのだ。この様にして原発マネーは多くの人達を潤し、多くの人達に悲劇を生み、そして日陰者へと追い遣られた。
 正常な政治が為されるのであれば、これを点検しこのローテーションに鉄杭を叩く事が出来るのか・・・原発の最終工程は、この金の流れを一掃する事から始まる。







光回線なら【@nifty光】



トルコ軍のシリア侵攻 アメリカはクルド人を見捨てたのか?



 トルコ軍のシリア侵攻 アメリカはクルド人を見捨てたのか?


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      〜岡豊 公益財団法人中東調査会 主席研究員 10/11(金) 1:39〜







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 力は正義、正義は力

 予てから有る、在ると言われて居たトルコ軍のシリア北東部侵攻が現実のものと為った。これに付いて、当座の槍玉に上がって居るクルド民族勢力を、今迄庇護・育成して来たアメリカが見捨てた、と云う批判や論評がある。
 しかし、シリア紛争において何故アメリカがクルド民族主義勢力を支援する様に為ったかの経緯を少し考えるだけで、そうした論評が的外れな事は明白である。と云うのも、シリア紛争(或いは「イスラーム国」対策)においてアメリカがクルド民族主義勢力を支援する様に為ったのは、別にアメリカがクルド人の安寧や彼等の民族自決、その他諸々の政治・経済・社会的権利・権益を支持し、それ等を保護する為では無かったからだ。

 ソモソモ、アメリカは2011年にシリア紛争が勃発すると、早々にシリア政府の正統性を否定し、これに代わる「反体制派」を見出そうとして来た。その資格が有るのは自由で民主的で世俗的で、尚且つアメリカの外交・安全保障政策に従属する勢力で無くては為ら無いが、その様な勢力を育成しシリア政府打倒や「イスラーム国」を初めとするイスラーム過激派と現場で戦う戦力(=コマ)とするのが当座の目標と為った。
 処が、その様にして育成した「反体制派」は、悉くイスラーム過激派に敗北し、悪の独裁政権であるシリア政府による人民弾圧・虐殺と戦う前に消滅した。アメリカだけで無くEU諸国、アラブ諸国の一部も、そうした事実を知りながら「穏健で清く正しい反体制派がある」と云う幻想に縋って支援を続けたが、そうした支援は「イスラーム国」を初めとするイスラーム過激派に高性能の兵器を流出させただけだった。

 それでも自ら大兵力を動員してシリアにおける悪の独裁政権を打倒する事も、真面な統治体制を構築する事も「イスラーム国」と直接干戈を交える事もする積りが無いアメリカは「現地の提携勢力」を必要とし続けた。他の選択肢が悉く失敗に終わった末に、消去法で残ったのがシリアのクルド民族主義勢力だったに過ぎ無い。
 そう為ると、多少のリップサービスはあったとしてもアメリカがYPG(人民防衛隊)に代表されるクルド民族主義勢力に対し、独立の様な既存の国境の変更・事実上の独立国であるかの様な「自治」の付与、そして外部の圧迫からの保護を「身を切って」遣る訳が無い、と云うのは当初から明らかだった。
 
 詰まり、アメリカとシリアのクルド民族主義勢力との関係は、自らの出費と犠牲を厭う強者が、強者に阿って立場を固め様とした弱者を利用した関係に過ぎ無い。と為ると、両者の関係の焦点は、強者の側が「何時、どの様に弱者を切り捨てるか」ではあるが、アメリカが真剣にクルド民族主義勢力を保護するか否か、詰まり見捨て無いか否かでは無い事は明白である。
 結局の処、紛争では強者が弱者を利用し、それに付いての物語は声の大きい方(発信力の有る方)が無い方を圧倒し、都合の好いストーリーを視聴者に押し付けると云うだけの話に過ぎ無い。

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 弱者に寄り添うなんて、みーんなデッチ上げなのよ

 



 上記の様な事情に鑑みると、今般の侵攻で被害を被って居る(筈の)シリア人民に寄り添い彼等の利害に沿った振る舞いをする当事者が現れる事は期待出来そうに無い。勿論、広報戦略として紛争の当事者のどれかがトルコ軍の侵攻に伴う破壊と殺戮をSNS上で流暢な英語で実況中継する少女を起用するかも知れない。
 しかし、今のトルコにはそうした活動を報道の主流に載せ無いだけの政治・外交力がある。別の言い方をする為らば、事前に当事国に周到に根回しした結果、トルコは今般のシリア進行への「黙認」を得たのである。

 又、シリアには不正や弾圧に抗し、軍事攻撃の被害に遭う民間人をボランティアで救援する白いヘルメットの人々が要る。もし彼等の活動が真に民間人の救助を目的として居る為らば、今後多大な被害が予想されるトルコの侵攻地域でも活発な活動と情報発信がされるだろう。
 もし白いヘルメットの人々が、シリア紛争の当事者のどれかに与するだけ為らば、彼等はシリア北東部には決して現れ無いだろう。シリア紛争において、被害者・弱者に寄り添う事、ジャーナリズムや報道の自由を実践する事が、実はそうした活動のスポンサーや許認可権者への遠慮や、発信する情報の政治・社会・経済的な価値や「映え」に左右されて居ない事を切に願う。


 




 「イスラーム国」対策ナンて馬鹿気てると言ったろ

 視点や立場が異なるものの「アメリカがクルド人を見捨てた事」により、「イスラーム国」対策に深刻な悪影響が出るとの見通しは可なり強い。
 一説には「アメリカに見捨てられて」トルコの侵攻に晒されたクルド民族主義勢力が「イスラーム国」との戦いや「イスラーム国」構成員の収監者管理を放棄して逃亡したり、トルコとの戦線に動員されたりする為「イスラーム国」囚人の大量脱獄が起こる恐れが有るそうだ。

 又一説には、クルド民族主義勢力を放逐した後に「イスラーム国」囚人の管理を引き受けるべきトルコにそうする意志が無い所為で「イスラーム国」の構成員が多数野に放たれる恐れがあるそうだ。何れにせよ、アメリカ・クルド民族主義勢力・トルコのどれにトッテモ「イスラーム国」対策や「イスラーム国」囚人の管理の問題はまさに「二の次」であり、自らの利益を犠牲にしたり、資源を費やしたりして関わる問題では無い様だ。

 と為ると、彼等に取っては、本当は「イスラーム国」が流行する、イラクやシリアを初めとする世界の何処かで人民を虐げると云う問題は、自分に火の粉が掛から無い限り「どうだって好い」問題なのかも知れない。実際、アメリカの支援の下で「イスラーム国」囚人を管理して居たクルド民族主義勢力のヤリ方は、非常に問題が多かった。
 本当に求められる「イスラーム国」対策とは、同派に資源・正統性・広報の機会を提供し無い事であり、そうする対策の現場は実はイラクでもシリアでも西アフリカでも東南アジアでも無く、欧米諸国や日本の様な先進国とアラビア半島諸国である。
 「イスラーム国」囚人、特に外国人の構成員が野に放たれる事を恐れると云うの為らば、その責任は彼等を最初に送り出した国と、彼等の移動を放任した経由国が負うべきである。

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 それでも「安全地帯」が絶望的に筋悪な事業である理由

 最後に指摘して置きたいのは、今般の侵攻によってトルコが企画して居る「安全地帯」の設置は、色々な意味で非常に筋が悪い事業だと云う事である。恐らく、シリアの安定や紛争の収束、難民の帰還、シリアの主権と統一の尊重と云う目的には逆効果だろう。
 又、クルド民族主義勢力への対処がトルコに取っての安全保障上の問題だとしても、それはトルコ国内のクルド人をいかにして同国の政治や社会の一員として迎え入れるかと云う問題であり、その解決がシリア領への侵攻で無い事は明らかだ。

 トルコ在住シリア難民の「帰還」の対策だとしても、筋が悪い事には変わりが無い。何故なら、トルコ在住シリア難民の全てが「安全地帯」設置予定地域の出身者と云う訳では無く、少なくとも一部は「新規入植者」に過ぎ無いからだ。
 筆者も関与した調査の結果等を勘案すると、トルコ在住シリア人の少なくとも3分の1は「安全地帯」設置予定地と地縁も血縁も無い人々である。逆に、トルコ以外の地域に在住するシリア難民や国内避難民の、少なくとも2割弱は「安全地帯」設置予定地の関係者で、彼等はトルコが企画する「帰還」からは排除されるだろう。又、「安全地帯」設置予定地には数十万人から百万人強の住民が居る筈なのだが、そこにトルコ在住シリア人を百万人も「帰還」させると為ると、追放や土地の収用が起こる事も確実である。

 悪い事に「安全地帯」設置予定地の一部は、既に「アラブベルト」の設置事業と云う、追放・土地収用・新規入植を経験済みである。「アラブベルト」以外の場所でも、紛争に伴う追放や住民の移動が起きた事だろう。要するに、今般の侵攻の意図がシリア領の占領だろうが、クルドの「テロリスト」の制圧だろうが、トルコ在住シリア難民の「帰還」だろうが、そして諸当事者から「黙認」を得る為に根回しして居様が居まいが、これ迄幾重にも積み重為った住民追放・土地収用・新規入植の層に、新たな追放・収用・入植の層を積み重ねると云う性質からは逃れられ無いのである。


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 岡豊  公益財団法人中東調査会 主席研究員 新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)2014年5月より現職 著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店など


 


 【関連報道】

 「同盟は簡単」「第二次世界大戦で我々を助け無かった」

 トランプ大統領 クルド勢力を見捨てたとの批判に反論


         〜BUSINESS INSIDER JAPAN 10/10(木) 20:00配信〜

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          アメリカのトランプ大統領(2019年10月9日)

 アメリカのトランプ大統領は10月9日(現地時間)クルド人部隊を見捨て、シリア北東部に駐留する米兵を撤退させた自身の決断を改めて擁護した。クルド人は第二次世界大戦でアメリカを助け無かったからだと云う。
 アメリカが主導して来たISISとの戦いで、極めて重要な役割を果たして来たクルド人部隊に付いて、トランプ大統領は「彼等は第二次世界大戦で我々を助け無かった。ノルマンディーで我々を助け無かった」と発言した。報道陣にシリアからの撤退やクルド人部隊の扱いは、他の潜在的なアメリカの同盟国に対し負のメッセージを与えたのではないかと尋ねられたトランプ大統領は「同盟は物凄く簡単だ」と答えた。

 トルコはこの数時間前、シリアのクルド人部隊に対する軍事オペレーションを開始した。トランプ大統領は10月9日、クルド人部隊を見捨て、シリア北東部に駐留する米兵を撤退させた自身の決断を改めて擁護した。クルド人は第二次世界大戦でアメリカを助け無かったからだと云う。
 この少し前には、空爆に続きトルコの地上部隊が国境を越えてシリアへ侵攻したと報じられて居た。クルド人部隊に付いて、トランプ大統領は「彼等は第二次世界大戦で我々を助け無かった。ノルマンディーで我々を助け無かった」と述べ「それでも、我々はクルド人が好きだ」と付け加えた。
 この発言の前、トランプ大統領はホワイトハウスがリリースした声明文の中で、トルコの軍事オペレーションを支持しない「悪いアイデア」だと述べて居た。だが、クルド人部隊には一切触れず、トルコの行動を阻止する為の迅速な対応も示さ無かった。

 トランプ政権は10月6日、トルコの軍事行動の前に、シリア北東部に駐留する米兵を撤退させると突然発表した。この動きは、共和党の有力議員やトランプ政権の元高官を含め、アメリカ国内でも広く批判された。多くの人々が、トランプ大統領はトルコにアメリカの重要な同盟相手を攻撃する道を開いたと感じた為だ。
 クルド人を主体とするシリア民主軍(SDF)は、アメリカが主導するISISとの戦いの矢面に立ち、その過程で約1万1000人の戦闘員を失った。

 トランプ政権の発表に先駆けて、クルド人部隊は最近、アメリカのトルコの攻撃は許さ無いとの保証の下、国境沿いの防衛陣地を解体して居た。米兵の撤退と云うトランプ大統領の決断を、SDFは「背後から刺された」と表現し、アメリカに裏切られたとの思いを隠さ無かった。


               以上


 【参考資料】 クルド人問題とは


 一般にクルディスタンと呼ばれるトルコ・イラン・イラク等に跨った山岳地帯に居住し、ペルシャ語系のクルド語を母語とする民族。

 イスラム以前からの言わば「先住民族」であるが、山間部に割拠して居る事から、民族規定の根幹であるクルド語には方言が多く、実際の意思の疎通には支障がある。代表的な方言である北部のクルマンジーと南部のソラーニーの2つのみが文語を有して居るが、両者は異なる文字を使用して居る。
 人口は推定に頼らざるを得ないが、その幅は大きく、1980年代初頭まで1000万前後で在ったものが、現在は2500〜3000万と言われる。

 試みに1991年湾岸戦争当時の諸推定の平均を挙げれば、総人口2100万、トルコ東部に850万(トルコ人口の14%)イラン北西部に600万(同9%)イラク北部に300万(同15%)と為って居る(その他は、シリア北東部やアゼルバイジャン等に居住)。スンナ派が多数を占めるが、シーア派諸派の信徒も居る。

 ペルシャ圏・アラブ圏・トルコ圏がブツかり合い、その分水嶺の様な山岳地帯に居住する事から、歴史的には各王朝から一定の集団と認定され、自治を認められる一方で、王朝間の攻防の舞台とも為った。特にオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシャとの戦場と為り、1639年の和議による境界線の設定が、民族分断の最初とされる。しかし、現在のクルド人問題は、近代のナショナリズムと国民国家体制の影響を受けて以後の事である。
 第一次大戦後のオスマン領分割において、イギリスはクルド民族国家構想を1920年セーブル条約に盛り込んだが、その後トルコのケマル・アタチュルクの拒絶により、1923年ローザンヌ条約では削除され、クルド人居住地域はトルコ共和国及び英仏委任統治領(イラク・シリア)に分断された。
 分断状態では、各国毎の国民統合の過程で少数派と為るが、民族そのものはイラクの総人口を上回る規模で有る事が、クルド人問題の最大の特質と言える。

 第二次大戦直後の1946年、ソ連占領下のイラン北西部マハーバードでクルディスタン人民共和国が独立したが、ソ連撤退により約1年で崩壊した。この時の大統領カーズィー・ムハンマドがイラン・クルド民主党(IKDP)の創設者であり、その軍事面の指導者ムスタファー・バルザーニーは、後にイラクのクルド民主党(KDP)の党首と為った。
 独立や自治を求める他のクルド人組織としては、トルコのクルド労働党(PKK・1978年設立。政府との武力闘争を続けた。1999年オジャラン議長が逮捕され、死刑判決を受けたが、2002年終身刑に減刑)イラクのクルド愛国同盟(PUK・1975年にジャラール・タラバーニーが左派インテリ層を率いてKDPより分離)等があるが、大小又は武装・非武装の様々な組織が多数存在し、相互の対抗関係から民族運動としての団結に極めて乏しい。

 更にトルコ・イラン・イラクの各政府は、国内のクルド人勢力を抑えながら、互いに隣国のクルド人組織を支援して来た。支援を受けたクルド人組織が、政府間の和解により孤立した事例も多い。この様な地域の覇権争いや情勢の変化に翻弄され続けた事も、組織間の対立を深めた。

 大半の組織が世俗左派の民族主義思想を標榜するが、近年イラクではクルド・イスラム運動(IMK)やクルド・イスラム連盟(ILK)と言ったイスラム系の組織が勢力を伸ばし、加えて小規模ながら、アルカーイダと密接な関係を持つアンサール・アルイスラムと云う組織も生まれて居る。
 湾岸戦争後、イラク北部のクルド人地域は実質的な自治を確保し、1992年に選挙を実施して自治議会及び政府を確立したが、1994年の内部対立以降は議会・政府が機能せず、KDPが西部をPUKが東部をその勢力下に置く状況が続いて居る。

 イラクのマルチ・エスニックな政治環境や、国内に兵力を有する反体制派がクルド人諸組織のみである事等から、現在のイラク問題において、これ等クルド人勢力の動向が注目されて居る。
 

     グローバル・イシューズ主任研究員 松本 弘   以上



 



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何故砂漠に「未来のユートピア」が続々と誕生して居るのか




 何故砂漠に「未来のユートピア」が続々と誕生して居るのか


            〜現代ビジネス 10/11(金) 8:01配信〜

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       サスティナブル・シティ〔PHOTO〕(C)The Sustainable City

 〜今、アブダビやドバイを初めとする中東の砂漠エリアで、最先端の技術を駆使した人工都市や未来的な施設の開発が盛んだ。オイルマネーを駆使して、砂漠の中にゼロからユートピアを生み出すのは何故か。建築史家の五十嵐太郎教授の話から、不毛の地と理想郷の両極を結ぶ線が見えて来た〜


 




 水も食べ物も無い・・・極限状況を生き抜く為の「3・3・3の法則」

 TRANSIT44号では、中東を始め世界のアラユル「砂漠」を特集。壮大な歴史ロマンを感じさせて呉れる彼の地は、今や未来を作る為に世界中のテクノロジーが結集する場所でもある。

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  取材協力 五十嵐太郎 (いがらし たろう) 建築史家 建築批評家 東北大学大学院研究科教授 著書に『モダニズム崩壊後の建築―1968年以降の転回と思想』共著に『ぼくらが夢見た未来都市』など

 新しい都市が生まれる時

 〜二酸化炭素排出量ゼロを掲げるアブダビの実験都市マスダール・シティ、省エネ性能の高い素材で建設されたドバイのサスティナブル・シティや、100年後の火星移住を目標に宇宙生活をシミュレーションしたドバイのマーズ・サイエンス・シティ等、中東のUAEでは次々と新しい街が計画されて居る。
 何故砂漠の国・UAEでは、人類の夢が詰め込まれた未来的な都市が生まれるのか。建築史家の五十嵐太郎教授に話を聞いた〜


 サスティナブル・シティ 2017年に出来たドバイのスマートコミュニティ。住宅やビル毎太陽パネルが設置され、小単位でエネルギーを産出・消費する設計に為って居る。街中には温室があり、住民は新鮮な野菜を手に入れる事が出来る。住宅・ホテル・モスク・学校等も建設して居て2000人の居住人口を目指す。 

 ・・・先ず新しい街が出来る切っ掛けは大きくは「戦争」「資金」に在ります。「戦争」と云う意味で言えば、例えば第二次世界大戦で被害の大きかった東京・ベルリン・平壌等は、街を新しく作り変える必要がありました。日本の場合、更に地震や大雨等の天災が多いので、街が壊滅的被害を受けた時にも街を作り直す事があります。
 「資金」と云う点で観ると、今あるパリの美しい街並みは19世紀のセーヌ県知事オスマンのパリ改造で出来たものです。この時代、フランスは植民地政策で富が集積されて居ましたから、その資金でロータリーから延びる目抜き通りを作ったり、下水道を整えて清潔な街にしたりと大工事を行った訳ですね。今でもパリに旅行者が絶え無い様子を見ると、大規模な都市改造は好い投資だったと言えるでしょう。

 UAEの場合は、後者に当て嵌ります。石油や天然ガスで得た資金を基に、新しい都市計画が進んで居ます。中でも既に運営が始まって居るマスダール・シティの設計を担当して居るのが、ノーマン・フォスター率いるFoster+Partnersです。
 ロンドンを拠点に1000人以上の従業員が居る国際的な設計事務所で、建築に限らずエネルギー部門・交通システム部門等の専門チームが在って、都市を丸毎設計出来る訳です。

 マスダール・シティ 再生可能エネルギーと持続可能な都市開発の世界的なリーダーと為るべく2006年からアブダビに建設された都市。マスダール科学技術研究所が設置され、最新テクノロジーを商業化する為の実験を行い二酸化炭素排出量ゼロ・廃棄物ゼロを目指す。将来的には5万人が生活出来る都市に為る予定。

 フォスター自身、1990年代からサスティナブルやエコロジーをテーマにしたビルを作って居るし、テクノロジーを使った建築に強いと云うのでUAEから依頼されて居ると思うんですけどね。
 現在、こうした新しい街をゼロから作る規模のプロジェクトが進行して居るのは、資金が有る中東と中国位でしょうね。資金が有るから未来の街作りに投資する。何時かオイルが枯渇しても、後世に残る様な都市を作れば街は生き続けるし、仮にこの街作りが世界のスタンダードに為れば、先駆者として利益を得られるかも知れません。


 




 砂漠の都市の成り立ち
 
 砂漠で街作り、と考えると、何も無い場所に街を作る事の困難さを想像してしまうが、五十嵐教授は砂漠と都市計画は相性が好い部分が多いと語る。

 ・・・単純に、砂漠の様な真っ新な白紙の様な無人の土地に街を作る方が、既存の街を作り変えるより簡単と云う理由があります。例えば東京で新たな街作りを計画した場合、既にある建物を壊さ無きゃいけない、住民にも配慮し無ければいけないと云う問題が起きます。
 道路や電車と云った交通システム一つ変えるにも、物凄く大掛かりな工事に為ります。それだったら最初から最適化したものを、何も無い状態から作る方が遥かに手間が少ない。

 例えば、車の自動運転が実現して今よりもっと運転が正確に為ったら、道路幅をギリギリ迄狭く出来る。そう云った技術革新が起きた時に、何も無い砂漠であれば根本の都市設計から自由自在に変える事が出来る訳です。

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 ドバイ・モール 2008年に開業した世界最大級のショッピングセンター。総面積は111.5万u。ハイブランドからファストファッション・スーパーマーケット迄揃う。世界一の高さを誇るブルジュ・アクアリウムがあったりと、娯楽もひと通り揃って居る。

 もうひとつ、砂漠は人工環境を前提に街を作って居る事も大きいと感じますね。ドバイで印象的なのは、殆どの駅とショッピングモールが接続して居る事。夏場は50度を超える様な環境ですから、地元の人達は出来るだけ外部の滞在時間を減らして、ショッピングモールと云う人工環境に避難したいと思う。ドームの様な内部空間で生活しようとする思考は、火星移住計画と近いものがありますよね。
 エネルギー確保やインフラ整備にしても、既存の街に寄生する様に広がって行こうと云うより、UAEの様な砂漠の国では街毎に自立したシステムで遣ろうと云う傾向が強い気がします。

 潜在的に未来都市が生まれ易い

 更に砂漠はデザイン面においても自由度が高く、新しい街並みが生まれ易い性質があるのではと五十嵐教授は考える。
 
 ・・・ドバイは強いランドマーク性を持つアイコン建築が多いですよね。世界一高いビルとして有名なブルジュ・ハリファだったり、建物が360度回転するダイナミックタワー・ドバイの建設案であったり。日本の様な無味乾燥な四角いビルとは違う。歴史を振り返って観ても、エジプトのピラミッドみたいな巨大な四角錐の建築物も、今見ても随分と大胆なデザインです。

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 ブルジュ・ハリファ 2010年に開業した、全高828mの世界一高い超高層ビル。206階建てで148階の展望台迄上る事が出来る。現在、サウジアラビアでは高さ1000m超のジッタ・タワー(2020年完成予定)を建設して居るが、ドバイは更にその高さを上回るザ・タワーを建設して居ると云う。

 これに付いては、ノルウェー生まれの建築学者のクリスチャン・ノルべルグ=シュルツが、砂漠と建築について面白い論を述べて居ますね。彼は、南方の地中海や北欧の様な森林が多い地域と砂漠の様な地域とでは原風景が違うから、そこに生まれる建築の姿も違って来る。
 砂漠と云う文脈の無い独特な土地だからコソ、非常に原初的で抽象的な形態の建築物を置いても映えるんだ、と云う様な事を言って居ます。

 ダイナミックタワー・ドバイ 80階建て、高さ約458mの回転する高層ビル。各フロア360度動かす事が出来て、景色を自由に楽しめると云うユニークな建物。ホテル・マンション・オフィスとして機能する予定。2008年に設計プランが発表されたが、未だに着工して居らず、2020年の完成を目指して居る。
 
 新国立競技場のザハ・ハディド設計案への反対騒ぎじゃ無いですが、日本だと目立つ様な建築よりも、周囲の風景や歴史との調和を考えたデザインが求められ易い。ですが、ソモソモ砂漠では環境にデザインの根拠を求め難いし、調和を気に掛ける必要が少ない。
 それ故に、スタンドアローン的なデザインの建築物が生まれる。そう遣って、従来の街並みとは違った新しい都市が築かれ易い傾向を感じます。

 ユートピアって、この世界の未だ何処にも無いものですよね。既存のものに対して独立・自立した生態系を構想しようとして居る点で、ユートピアと砂漠は似て居る。既存の環境の影響を受け難い砂漠は、新しい都市の形を生む可能性を秘めて居るのかも知れませんね。


 ※本記事は「TRANSIT44 砂漠の惑星を旅しよう」を再編集したものです。

        TRANSIT編集部    以上


 





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「中国人多数・日本人少数」埼玉の団地生活で判った「分断の感覚」




 「中国人多数・日本人少数」埼玉の団地生活で判った 「分断の感覚」

           〜現代ビジネス 10/11(金) 8:01配信〜

 〜5000人弱の住民の半数以上が外国人と云う埼玉県川口市の芝園団地。この団地に住む朝日新聞記者が『芝園団地に住んで居ます』を上梓した。日々の生活の中で何が見えて来るのか? 「私達の団地」が変わって行く事への日本人住民の複雑な思いや、日本人と外国人住民の間の「見え無い壁」を乗り越え様とする試みに迫った〜







 「トランプの言葉を叫びたい」

 「未来はグローバリストのものでは無い。パトリオット(愛国者)のものだ――」

 トランプ米大統領は9月下旬、国連総会での演説でこう言い切った。ホワイトハウスのウェブサイトは、演説するトランプ氏の写真と一緒に、この言葉をトップページに据えた。これコソが最も訴えたかった、中核的なメッセージである事を物語って居る。米国だけで無く、世界の多くのメディアもこの言葉に注目してトランプ演説を報じた。

 世界の首脳が集まる国連総会と云う場で敢えて発した挑戦的なメッセージだが、米国内ではこうしたトランプ氏の言葉に喝采を送る人達が大勢居る。
 私は通算10年近く米国で暮らして来た。生活の拠点は何れも東部の都市部だったが、ティーパーティー運動や中間選挙・大統領選挙の取材で、南部や中西部の小さな町も訪れ人々の声を聞いた。こうした地域に住むトランプ支持者の怒りを湛えた目には、グローバル化した世界はこんな風に映る。

 ・製造拠点を海外に移したり、最初から海外で製造したりして「私達」の雇用を顧み無いグローバル企業
 ・外国から遣って来て「私達」の公的扶助に「只乗り」する移民
 ・キリスト教徒以外にも配慮して、メリークリスマスでは無くハッピーホリデーズと言い「私達」の伝統や文化を尊重し無い人々
 ・自分の国を守る為のコストを「私達」に払わせる同盟国


 底流に在るのは「私達」の国なのに「私達」の居場所が・文化が・税金が奪われ・壊されて居る・・・と云う「感覚」だ。トランプ氏が勝利した2016年秋の米大統領選挙で、私は移民国家の米国ですら、反移民感情が広がりつつ有るのを目の当たりにした。
 この時の取材結果を「朝日新聞GLOBE」に掲載した後、思う処があって埼玉県川口市の芝園団地に移り住んだ。

 ここは5000人弱の住民の半数強が外国人住民と云う、UR都市機構の賃貸住宅だ。外国人住民の大半は中国人で、IT技術者を派遣する会社に所属し、プログラミングの仕事をする若い世代が多いのが特徴だ。
 一方、日本人住民は高齢化が進み、人数も年々減って居る。私は自治会の活動にも参加させて貰いながら古くから住む日本人住民と接する中で、トランプ支持者達にも通じる思いに気付いた。

 「日本人は今や少数派。肩身の狭い思いをさせられて居る」
 「トランプの言葉を、芝園団地の広場で叫びたい位です」
 「昔からの住民は、乗っ取られた様な気持ちを抱いて居るんです」

 
 これ等は全て、団地や近隣に住む日本人住民から私が聞いたり、メールで受け取ったりした言葉だ。私は著書『芝園団地に住んでいます』で「ここに住んで居ると、何故米国でトランプ政権が誕生したか、何故欧州で反移民を掲げる政党が伸長したかが『見えてしまう』のだ」と書いた。
 古参の日本人住民達の言葉の底流に在るのは「此処は私達の団地だ」と云う思いだ。それは、「此処は私達の国だ」と云うトランプ支持者達の思いと重なる。







 「私達」とは誰か

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  団地内のゴミみ置き場 日本語と中国語と英語でゴミの分別方法が書かれて居る(筆者撮影)
 
 私が引っ越して来た2017年当時、芝園団地では素手に、ゴミや騒音と云った生活上の問題は過つてよりも減って居た。只、一見すると日本人と中国人は大きな問題も無く共存して居るものの、互いの交流は限定的で、両者の間には「見え無い壁」があった。
 古参の日本人住民は、中国人住民が増えて団地が急速に変わって行く中で「モヤモヤ感」と云うべき複雑な思いを抱えて居た。その一つが「私達の団地」だった筈なのに、自分達が脇に追い遣られて行くと云う思いだ。例えば、商店街の変化だ。

 団地の商店街ではここ数年、日本人経営の店が店主の高齢化もあって次々と閉店して行った。代わりにオープンするのは何れも中国系の飲食店で、商店街には既に日本人が経営する飲食店は無く為った。
 「日本人の店が無く為って寂しいネエ」と言う古参住民の人達に対して、排他的だと断罪する事は、同じ住民として自分には出来無い。一人の住民として暮らして居ると、彼等が戸惑い不安を抱く気持ちも判るからだ。だが、芝園団地が「私達」だけの団地では無く為って居る事も現実だ。

 過つては公団賃貸住宅に入居出来るのは日本人だけだったが、1990年代からは、収入等の条件を満たせば中長期の在留資格を持つ外国人住民も入居出来る様に為った。団地住民としては、日本人も外国人も同じ条件で入居し同じ権利を持って居る。
 「私達日本人の団地」と云う思いは、時代の急激な変化に意識が追いつか無い状態とも言える。それは、白人中心の社会では無く為りつつある米国社会の変化に、抵抗を覚える人々の心情にも似て居る。

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          ふるさと祭りでの「芝園太皷」の演奏(2017年8月筆者撮影)

「見え無い壁」をどう乗り越えるか

 芝園団地の「見え無い壁」をどう乗り越えるのか。「私達の団地」と云う思いは「私達(日本人)」対「彼等(中国人)」と云う対立的な構図を頭の中に作り上げる。そして生まれるのが「中国人は……」と云うステレオタイプだ。
 こうした状況を変え様と、芝園団地では学生のボランティアグループ「芝園かけはしプロジェクト」や自治会が様々なイベントを開く等、地道な活動を続けて居る。先ずは知り合いを作り「中国人」と一括りにするのでは無く、顔の見える関係を作って行ければと云う狙いだ。

 「見え無い壁」を壊す事は、決して簡単では無い。芝園団地に住む日本人住民と中国人住民は、言葉や習慣だけで無く、生活スタイルも世代も違うので接点が少ない。芝園団地は分譲では無く賃貸住宅なので、人の入れ替わりが激しいのも、地域の繋がり作りを難しくさせて居る。
 それでも、一緒に何かをする事によって、これ迄の「私達」に代わる、日本人も中国人も共有する、新しい「私達」と云うアイデンティティが芝園団地に芽生える事を期待して居る。







 グローバル化と国民国家
 
 芝園団地の日本人住民と米国のトランプ支持者の言葉に共通する「私達」と云う思い。それは、一国に留まら無い世界中で構造変化が起きて居る事を意味して居る。我々が今直面して居るのは、グローバル化やテクノロジーの進歩に伴う急激な変化と、国民国家と云うシステムの間で生じる摩擦と言って好い。
 近代の国民国家は、共通の文化を持つ共同体を基礎として作られて来た歴史的な経緯がある。国民国家の下での「国民」と云う概念は、民族や文化的な共通性を前提として来た。だが、現代の国家の多くはより複雑で多様だ。国籍を持たずに定住する人々も居れば、本人や親が外国出身で、元々居た民族とは異なる国民も居る。それは日本においても例外では無い。

 芝園団地にIT技術者の中国人住民が多いのは、最早日本人だけではIT業界に必要な労働力を賄え無いと云う現実があるからだ。又、芝園団地の自治会には数年前から中国人役員が居るが、今年からは西アフリカのガーナ出身で日本に帰化した住民も役員に加わった。
 処が、国民国家と云うシステムは変わら無いままグローバル化で国境の垣根が低く為る現状では、国家と国民が、自国や「私達国民」の利益を守ろうとする意識が強まる。

 更に、先進国の低成長と格差の拡大と云う要因も重なる。経済的なパイの拡大が止まりつつ在る中で、現状に不満を抱く人々は、何故「私達国民」よりも、後から遣って来た人々や外国の為に、限られたパイが分配されるのかと憤る。
 こうした複合的な要因の結果が、先進国に広がる反移民感情と言える。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ氏は、グローバル化と国民国家の「ズレ」が生んだ、今の時代を象徴する存在でもある。

 第二次世界大戦後の世界は、紆余曲折が在ったとは言え、自由で開かれた国際秩序を志向して来た。自由貿易の推進はその代表例だ。今世界で起きて居る事は、グローバル化と共に、国民国家と云うシステムやその下でのアイデンティティも新しい形に為ろうとする「産みの苦しみ」なのか。
 それとも世界は再び、国家や勢力圏毎に、壁で隔てられた時代に戻って行くのか。東京郊外の一団地である芝園団地も又、その岐路の最前線に立って居る。


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               大島 隆     以上







 【管理人のひとこと】

 この様な或る意味気楽なレポートは、時には暇つぶしには持って来いの話題でもある。政治・経済のドギツイものとは異なり、普通に観られる日常的な風景なのだ。それにしても、川口と云う都に近接したブロックでの「中国人・外国人」の生活がこれ程までに身近に浸透している現実を知ると、新たな時代へと急激に動いているのを感じない訳には行かない。
 管理人も若い時には、千葉県の松戸を除くと蕨(わらび)・南浦和・北浦和・・・と京浜東北線を利用するエリアに居住し働いた。通勤のラッシュには悩まされたが、地方出の者に取って、都内で働くには当時は便利でもあったのだ。

 何とかして彼等が日本の生活を満喫して欲しいと願うのだが、如何せん我が国はデフレのど真ん中で喘いでいる。彼等が満足する環境には無いと思うのだが・・・何せ日本は全く成長する処が、年々疲弊している最中なのだ。先ずは最低2パーセントのインフレを達成する経済策を早急に取ら無くては、我が国民は生き残れないのだ。
 全ては、政治に懸って居る。今回の国会で野党が何処に照準を当てるのか・・・山本太郎氏が言われる通り、そこに政治に対する本気度が現れるだろう。








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ヒンドゥー教徒と仕事をする時 カーストは話題にして好いのか?




 ヒンドゥー教徒と仕事をする時 カーストは話題にして好いのか?


            〜ダイヤモンド・オンライン 10/10(木) 6:01配信〜


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 〜アメリカ・ヨーロッパ・中東・インド等世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションする為の「宗教の知識」が必要だ。
 しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持って居るとは言えず、自分では知ら無いうちに失敗を重ねて居る事も多いと云う。本連載では、世界94カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦う為に欠かせ無い宗教の知識をお伝えして行く〜



 




 「ヴァルナ」と「ジャーティ」
 
 「カースト」とは、階層を意味するポルトガル語。インドのサンスクリット語にカーストと云う言葉はありません。「ヴァルナ」と云う四つの身分と「ジャーティ」と云う細かい身分の区別があり、その二つを合わせて西欧の人々が「カースト制度」と呼んで居るのです。

 好く知られている四つのヴァルナは、バラモン(司祭)・クシャトリア(王族・軍人)・ヴァイシャ(平民)・シュードラ(隷属民)です。更にシュードラの下には「ダリット」と云うカーストを持た無いカースト制度の外に位置付けられる最下層身分の人々が居ます、所謂昔で云う不可触民。
 アウトカースト・アンタッチャブル等多様な言い方がありますが、ダリットという言い方が一番差別的な響きが無い様で、最近の英語メディア等ではダリットと云う表現が増えて居ます。バラモンがトップですが、クシャトリアが事実上の実権を握った歴史があり、今もエリートや富裕層等にクシャトリアは多く居ます。

 「ジャーティ」には細かな分類があり、その人がどんな職業に就くべきかが定められて居ます。何と二〇〇〇から三〇〇〇種類あると云うのですから驚くべき細かさです。ヒンドゥー教徒の人間関係はジャーティの中にあり、人付き合いも婚姻も原則としてこの中で行われて来たのです。

 




 ヒンドゥー教徒と仕事をする時、カーストは話題にして好いのか?

 一般論としてカーストの問題に付いてインド人に聞くと「嫌、今はそれ程問題ではありません」と大体は答えます。カーストによる差別はインド憲法で禁止されて居ます。カースト差別禁止の歴史で大きな貢献をしたのがダリット出身のアンベードカル。インド独立後にガンディー首相の下で法務大臣を務め、インド憲法の制定に尽力した人物で、カースト差別禁止を憲法の条項に入れました。

 又「インドの人口の何%がバラモンで……」と云う割合は明確には判って居ません。しかし、日本のビジネスパーソンが忘れてはいけ無いのは、大半のインド人の中では「自分はこのカーストに属して居る。だからこの人は上で、この人は下だ」と云う心理が決して消えて居ないと云う事です。
 例えば、私のヒンドゥー教の友人は、折に触れ「嫌、僕はクシャトリアだから」と若干の誇りを込めて口にします。これは彼が特殊なのでは無く、ヒンドゥー教徒が持つ一つの感覚。インドでは「アノ人はこのカーストだ」と云うのはお互い判って居て、カーストに応じてそれ為りに距離を取って居る様です。憲法上は禁止されて居ても、実際には結婚等多方面にわたって今もカーストの影響が及んで居るのです。

 もしも貴方がヒンドゥー教徒と仕事をする事に為ったら、相手に「貴方のカーストは何ですか?」と尋ねるのは余りにも失礼で危険です。しかし、全く知らずに居ても何かの拍子でトラブルの元に為るかも知れません。もし可能であれば、同僚のヒンドゥー教徒の信頼出来る人に、他の人達のカーストに付いて、それと無く注意すべき事項を確認すると好いでしょう。

 数学科からIT企業が脱カーストへの道?  

 カースト制度も変わりつつ有ると知って置く事も大切です。近代以降はダリットで在っても、頭角を現すチャンスがあります。ダリット出身の大統領(1997年から2002年迄大統領を務めたナラヤナン)も居ますし、モディ首相も下の方のカーストの出身だと言われて居ます。
 東京裁判のパール判事も、低いカーストの出身で可なり貧しい家に育ちました。しかし、余りにも優秀なので「この子を学校に行かせよう!」と呼び掛けたカルカッタの大金持ちの資金で勉強し、裁判官に為ったそうです。インドの良い意味での人材の流動性を感じる話です。現在は、ダリットの子供への奨学金制度を設けて居る州もあります。

 ヒンドゥー教徒は公的な制度以外に色々な形で機会と資金援助を得る事が出来ます。何故ならヒンドゥー教には「大いに稼いで盛大にお布施をする」と云う考え方があるからです。5大宗教全てが、貧しい人や恵まれ無い人への援助を説いて居ますが、ヒンドゥー教は特に「沢山稼げば沢山寄付出来る」と云う点を重視して居ます。
 こうして優秀な若者はインド工科大学に行ったり、アメリカの大学に留学してグーグルに入ったりして、事実上の脱カーストを果たして居ます。

 更に、ジャーティは現代の職業とは若干ズレがあります。例えばIT企業は存在すら無かったので、ジャーティでの区分はありません。だからコソ、インフォシス、ウィプロ、タタ・コンサルタンシー・サービシズと言った企業が、カーストに関係の無い実力本位の雇用を実現して居ます。
 今はダリットが政治・経済の要職に就く事も珍しくは無く為りました。又、ダリット(指定カースト)と先住民族(指定部族)に付いては、教育、公務員としての雇用、議会の議席において一定枠が確保される制度もあります。ダリットの権利向上を掲げる政党もある位ですから、今後もカーストの下の方の人の権利は拡大して行くでしょう。

 差別や偏見も根強いですが、それで全てが決まる訳では無く流動性もあり、優秀な人は活躍し得る――これが21世紀のカースト制度のリアルだと思います。


 




 ヒンドゥー教徒の結婚と女性の活躍

 イスラム教徒の男性は家の購入等経済的な面で結婚するのが大変なのですが、インドは逆で、女性側に持参金を準備する事が求められます。ヒンドゥー教徒の結婚式は時間もお金も掛けて入念に準備されるのが一般的で、年収の何倍も掛けた式を行います。日本と比べると可なり派手で、何日も続く事がありますので、招待された場合は覚悟が必要です。
 また、ヒンドゥー教はヴィシュヌ神の妻に当たるラクシュミー等、女神も沢山居るのですが、実際には性暴力も多く、女性差別が今も根強く残って居ます。その為インドと取引がある日本企業の方に「女性社員がインドに赴任するのはどうでしょうか」と云う質問を受けますがこれは事情が異なります。

 インドにも女性経営者は大勢居ますし、女性の総理大臣も居た訳ですから、女性であるが故に社会に関われ無いと云う事ではありません。インドの女性とビジネス上の取引があった場合、特に「女性だから」と意識し過ぎ無い事が大切でしょう。
 イスラム教と同じくヒンドゥー教でも、日本人男性は相手が女性である事を意識し過ぎて上手く関係を構築出来無い事がある様に感じます。日本人女性もインドは男性社会だからと考え過ぎず、ドンドン赴任して成果を上げて貰いたいものです。



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              山中俊之    以上


 



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