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2019年09月11日

世界は何故「豊かな国」と「貧しい国」に分かれたのか?


 世界は何故「豊かな国」と「貧しい国」に分かれたのか?


           〜現代ビジネス 9/11(水) 14:01配信〜


 




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            故・社会学者ウォーラーステイン氏


 〜先日逝去したイマニュエル・ウォーラーステイン・・・ヘゲモニー・中核・周辺等のキーワードを駆使して、近代世界は一つのシステムであるとする世界システム論。世界システム論を日本に紹介した川北稔大阪大学名誉教授が解き明かす、ウォーラーステインの魅力とは? 『知の教科書 ウォーラーステイン』(講談社選書メチエ)の「はじめに」を公開する〜


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               川北稔大阪大学名誉教授
 

 ダイエットと飢餓の「南北問題」

 日本の若者の多くが、体型を気にしてダイエットに関心を持って居る。若者で無くても、健康上の理由から体重制限に苦慮して居る人も少なく無い。しかし、他方では、地球上の多くの地域、特にアフリカでは、今も毎日多くの子供達が餓死して居る。この事は「南北問題」として好く知られた事である。
 しかし、この問題はどの様にすれば解決出来るのか。アフリカの国々は経済開発が「遅れて」居る為に飢餓が蔓延して居るのであり、全ての国が日本の様に飽食に為れば好いのだろうか。と云うより、世界の全ての人々が日本人の様に飽食に為る事は可能なのか。

 そんな事が可能に為る為には、世界の食糧生産は右肩上がりに無限の「成長」を遂げ無ければ為ら無いであろう。しかし、地球上の資源の有限性や環境問題を考えると、この様な無限の成長は有り得無い。
 とすれば、そもそもアフリカの飢餓もアフリカ諸国の「遅れ」が原因とは言い切れ無い。問題は、食糧や所得の配分の世界的なアンバランスに有る。詰まり、日本人が「飽食」である事がアフリカの飢餓の少なくとも一部の原因なのである。現代の世界は一体化して居る上に、地球の資源は有限であり、人類は既にそれを極限まで利用し尽くして居る。

 それにしても、こう云う「南北問題」詰まり世界的なアンバランスはどうして発生したのか。どうすれば、解消され得るのか。長年、社会学の立場から、アフリカの開発問題に取り組んで来たウォーラーステインが、歴史に関心を持ち「近代世界システム」論と云うものの見方に到達したのはこの様な問題からである。


 



 産業革命を経過した国と、して居ない国

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              イギリス イーストエンド

 歴史を振り返って観ると、経済格差が最初に問題にされたのは、国と国との間と云うより、寧ろ産業革命の進展した時代のヨーロッパ各国の国内に於いてで在った。世界で最も繁栄して居る筈のイギリスの内部に、イーストエンドと呼ばれる巨大なスラムが発生し「もてる者」と「もたざる者」の差が際立つ様に為った。
 この時、人は社会主義や社会政策に救いを求め様とした。20世紀に入って、イギリスが一早く福祉国家への道を歩み始めるのはその為である。処が20世紀後半に為ると、格差は国内の階層間よりも国家と国家の間でコソ、より大きい事が認識される様に為った。

 最初に打ち出された答えは「南北問題」は、国民の努力に依って「産業革命」を経過した国では開発が進み工業国と為ったのに大して、それを未だ経験して居ない国が「低開発」に喘いで居る事から生じたと云う見方であった。
 この様な歴史の見方は、数十年前迄の常識で在った。「低開発」を「発展途上」等と言い換える事も多いが、それではこの見方の偏りを是正する事には為ら無い。近代のヨーロッパ人のものの見方や価値観が、世界中何処にでも普遍的に通用する様に思われて居た時代である。アジアの国であれアフリカのソレであれ、全ての国が何れはイギリスやフランスの様な「近代」国家に為って行くべきであり、現状がそうで無いのは、歴史的に「遅れて居る」からだと見做されて居た。

 この様な見方から、第二次世界大戦が終わった後、特に多くのアジア・アフリカ諸国が政治的に独立を達成した20世紀中頃以降は「低開発国」の開発が世界的な課題と為った。新たに独立した諸国の指導者達は、自国を工業化し「開発」する事に努めた。
 冷戦を展開した米ソ両大国も、第三世界への影響力を強化しようとして開発援助を勧めた。当時の考え方では「低開発国」の最大の問題は資本不足と考えられて居たので「資本」を注入する事が最も近道とも観られて居た。この様な考え方を、歴史理論として判り易く説明したのが、ヴェトナム戦争当時のアメリカ大統領の顧問でもあった経済史家で『経済成長の諸段階』を書いたW・ロストウであった。

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               ユージン・ロストウ氏

 ロストウの見方では、投資率が或る限度を超えて高く為った国は、理論的にも現実にも右肩上がりの「持続的成長」を続ける様に為る。この様な「持続的成長」が始まる時期が歴史学で云う産業革命である。だから、産業革命、詰まり工業化を経験した「先進国」は、ドンドン経済成長を遂げて行くのに、それを未だ経験して居無い国は「低開発」のママ停滞して居て格差は拡大する一方である。
 従って、ロストウの見方からすれば、アジアやアフリカの「低開発国」は、イギリスやアメリカの様な「先進国」の後を追って産業革命を起こす必要があり、その為には先進国が、資金援助をする事が必要だと云う事に為った。

 しかし、この様な見方に立ったアメリカの対外政策は一向に成功し無かった。ウォーラーステインが研究して居たアフリカ諸国でも「先進国」に追い着く様な気配は見え無かったのである。


 



 一国史観の限界

 そこで問題に為って来たのは、そもそもロストウの様な歴史の見方は正しいのだろうかと云う事である。全ての国や地域が「先進国」と為る訳にはいか無い事は「飽食」の例をみれば明白である。世界の諸国・諸地域は相互に影響を与える事も無く、セパレート・コースのトラックを共通のゴール(例えば「飽食社会」)を目指して競走して居る様なものでは無い。「先進国」の人間が「飽食」に為れば、別の地域では食糧難が発生する。
 アメリカ人が自動車を乗り回せば、地球上の他の場所で、石油資源は間違い無く減少し大気汚染や温暖化は確実に進む。日本人が大量に紙を使えば、インドネシアの森林は枯渇する。

 ソモソモ、世界の歴史をイギリスとか日本とかケニアとか云った「国民国家」単位で観て行く事(所謂「一国史観」)は、今の世界では通用し無い。
 16世紀に成立し、その後次第に拡大して遂に地球全体を飲み込む事に為った、近代の「世界」(一つのシステム、詰まりグローバルな分業体制を為して居たと云う意味で、世界システムと云う)では、或る国の経済開発は、別の何処かの地域を「低開発化」して居る事が多いのである。
 世界で最初の経験であったイギリスの産業革命でさえ、インド綿織物工業の消滅とその綿花輸出植民地化をもたらしたのであり、又、大西洋奴隷貿易とカリブ海域の奴隷制砂糖プランテーションやアメリカ南部の、これも奴隷制に基づく綿花プランテーションを生み出したのである。この様に考える事で、ウォーラーステインは「世界システム」論に到達した。


 



 世界システム論の魅力

 ウォーラーステインの議論が歴史学や社会科学の領域の壁を超えて多くの人々に影響を与えたのは、その議論が現代世界の抱えて居る多様な問題に新たな解釈を与える可能性があったからである。
 家族とは何か人種とは何か民族とは何か国民国家とは何か・・・男女の役割分担はどうして今日の様な形に為ったのか、学問に於ける真理とは何なのか・・・この様な問題に明確な答えが期待出来る点が、世界システム論の魅力と為った。

 最後に、この議論のもう一つの大きな魅力は、それが未来に付いても語るものだと云う事である。1450年頃から1620年頃まで続いた「長期の16世紀」に成立した近代世界システムは、その内部に時として「ヘゲモニー国家」と呼ばれる超大国を生み出した。
 17世紀のオランダ、19世紀のイギリスに次いで、第二次世界大戦後、ヴェトナム戦争迄のアメリカがそれで、生産・流通・金融の全ての次元に於いて「周辺」は元より他の「中核」諸国に対しても圧倒的な優位を確立した。

 今や、近代世界システムはアメリカのヘゲモニーの長期的衰退過程(ポスト・アメリカ)に在ると考えられる。とすれば、似た様な歴史状況は、以前にも見られた事に為る。19世紀末からイギリスのヘゲモニーが衰退し、アメリカとドイツが台頭した時代や、17世紀末、オランダのそれが衰退して、イギリスとフランスが第二次英仏百年戦争とも呼ばれる長期の覇権争いを演じる事に為った時代がそれである。

 同様に考えれば、アメリカのヘゲモニーの衰退過程に在る今、近未来はどの様に予測されるのか。暫くは日本を含む「中核」諸国の対抗が続いた後、第四のヘゲモニー国家が現れるのか。そうだとすると、それは中国なのか、アメリカと結んだ日本なのか。今は想像も出来無い何処かの国なのか。それとも、新たなヘゲモニー国家は最早出現せず、500年続いた近代世界システムは「死滅」するのだろうか。

 「国民国家」と云うものは、近代世界システムの中核地域に於ける統治形態として決定的な役割を果たして来た。しかし、EUの統合やインターネットの普及、世界金融の動向、NGOの活動等に典型的に観られる様に、今や国境の意味は薄れ、国民国家は溶融の気配を見せて居る。
 ここからすれば、世界システムと云う巨大な構造物が死滅する可能性も捨て切れ無い。世界システムが死滅した後には、EU的な緩やかな繋がりの「広域圏」が、新たな意味を与えられるであろう。


              川北 稔    以上


 



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正社員「逆ギレ」も 非正規の待遇格差が招く荒れる職場


 
 正社員「逆ギレ」も 非正規の待遇格差が招く荒れる職場


            〜日経ビジネス 9/11(水) 9:00配信〜


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     文 河合薫(かわい かおる) 健康社会学者(Ph.D.,保健学)気象予報士  パートタイムだろうと、有期雇用だろうと派遣だろうと、正社員だろうと「働く」と云う事に全く違いは無い。にも関わらず、企業が非正規と正規と云う単なる雇用形態の違いで「働かせ方」を区別したのだ・・・ 







 「非正規と呼ぶな!」と指示したメールが厚生労働省内に出回ったらしい。先週アチコチで批判されて居たので、ご存じの方も多いと思うけれど簡単に振り返って置く。 
 問題のメールは今年4月に同省の雇用環境・均等局の担当者名で省内の全部局に「『非正規雇用労働者』の呼称について(周知)」と云う件名で通知されたもので、国会答弁等では「パートタイム労働者」「有期雇用労働者」「派遣労働者」等の呼称を使う事を指示。「非正規」のみや「非正規労働者」と云う言葉は用い無い様注意を促すものだった。
 又「『非正規雇用』のネーミングに付いては、これ等の働き方には前向きなものがあるにも関わらず、ネガティブなイメージがあるとの大臣の御指摘があった事も踏まえ、当局で検討して居た」と記載され「大臣了」と云う表現も有ったと云う。

 報道を受け根本匠厚生労働相はメールの指示や関与を否定。又、厚労省は内容が不正確だとし、文書やメールを撤回して居る。
 厚労省は、2010年版の「労働経済の分析」(労働経済白書)で、1997年と2007年の年収分布を比較し、10年間で年収が100万〜200万円台半ばの低所得者の割合が高まり、労働者の収入格差が広がったのは「労働者派遣事業の規制緩和が後押しした」と自ら国の責任を認めて居たのに・・・この期に及んで言葉狩りに加担するとは実に残念である。

 「非正規」の言葉を避ける空気が醸成されて居る

 一体何度、発覚、否定、撤回、が繰り返されて行くのだろうか。今回の問題を、役所の知人等複数名に確認した処、予てから永田町では「非正規と云う言葉はイメージが悪い」「希望して非正規に為って居る人も多い」と云う意見が有ったそうだ。
 「老後資金年金2000万円問題」が浮上し野党が行ったヒアリングでも(6月19日)、年金課長が「根本厚労相から『非正規と言うな』と言われて居る」と発言し、21日に根本厚労相が記者会見で課長の発言を否定した琴もあった。要するに、メールを撤回しようと何だろうと「非正規と云う言葉は無くそうぜ!」と云う空気が出来上がって居たのだろう。

 何れにせよ、大抵こう云った悪意無き無自覚の「言葉狩り」が起こる時は、決まって知識不足、認識不足、無知が存在する。実際、9月3日の記者会見で、根本厚労相は以下の様にコメントして居り、私はこのコメントの方が寧ろ問題だと考えて居る(抜粋要約)。

 「正社員に就けずにパート等の働き方を余儀無くされて居る方や、積極的にパート等の働き方を選択して居る方等、多様な働き方が進んで居る。単に『正規』『非正規』と云う切り分け方だけで好いのか、夫々の課題に応じた施策を講ずるべきではないか、と思って居る。
 パートタイム労働者・有期雇用労働者・派遣労働者に寄り添った政策を展開して、同一労働同一賃金の実現に向けて全力で取り組んで行く、これが私の姿勢であり、基本的な考え方です」


 ……フム「夫々の課題」「同一労働同一賃金」と云う言葉を大臣が使って居るので、一見問題があるとは思え無い発言だし、ご本人からは一切悪意は感じられ無い。だが「働き方」と「働かせ方」は全くの別物である。これを混同して居る事にコソ大きな問題がある。働き方の主語は「働く人」働かせ方の主語は「会社」だ。


 




 「非正規雇用」vs「正社員」と云う構造が生まれた

 パートタイムだろうと有期雇用だろうと、派遣だろうとハタマタ正社員だろうと「働く」と云う殊に全く違いは無い。にも関わらず、企業が非正規と正規と云う単なる雇用形態の違いで、

 ・賃金が低い
 ・残業代が出無い
 ・産休や育休、有休が取れ無い
 ・時短労働が出來無い
 ・社内教育の機会が無い
 ・昇進や昇給の機会が無い
 ・雇用保険に入れ無い
 ・簡単に「雇い止め」に遇う、etc.etc.…


 と「働かせ方」を区別したのだ。労働基準法や男女雇用均等法で禁止されて居る事を企業側が理解して居ない場合も多く、非正規雇用者は権利があるのに行使出来無い。しかも、非正規社員が雇用契約して居る相手は「企業」だ。処が企業に依る「待遇格差」が慣例化した事で、マルで「正社員さま」と契約して居るかの様な事態も発生して居る。
 「私達が、誰の為に働かされて居るか分かります? 正社員の為ですよ。何もし無い正社員の為に、契約社員は必死で働かされて居るんです」
 或る会社で非正規社員として働く女性が、こう漏らした事がある。彼女の職場は転勤が多かった為、出産を機に退職。その後は育児に専念して居たが、転勤問題が取り上げられる様に為り、人事部の過つての同僚から「もし働く気が有れば、契約社員として同じ部署で働けるけど?」と誘われ、昨年、会社に復帰した。正社員だった時と比べると、年収は4割程下がったと云う。

 「以前は自分の仕事が終わればサッサと帰ってしまう契約社員達を『楽で好いよナぁ』と、腹立たしく思った事も正直ありました。でも、イザ自分が逆の立場に為ってみると、契約社員の方が真面目に働いて居る事に気付きました。契約を更新して貰う為には、数字で成果を出さ無ければ為ら無い。残業代も出ませんし、限られた時間の中で効率好く仕事を熟さ無ければ為りません。
 正社員だった時の方が楽だった様にさえ思います。取り敢えずは毎月の給料は出るし、或る程度結果を出せば、昇給も昇進もありますから」

 「自分が契約社員に為ったら、正社員の怠慢と横柄な態度も目に付く様に為ってしまって。例えば、契約社員が事務書類の提出が遅れると『意識が低い』だの『モチベーションが低い』だのマイナスの評価を受けます。処が正社員だと『一寸忙しくて』と云う言い訳が通る。上司もそれを容認するんです。
 それにね。正社員って或る程度迄は横並びで昇進し、仕事も任される様に為るけど、契約社員は採用される時点で会社が求めるレベルに達して居るので、その意味では契約社員の方が仕事が出来ます。恐らくその事を正社員も肌で感じて居るのでしょう。特に私の様に出戻りだと、年下の正社員は舐められたく無いのか、物凄い上から目線で対応して来ます。
 20代の正社員が顧客に手古摺って居たのでアドバイスしたら『正社員を舐めるなよ!』と言われて驚きました。同期からは『非正規は気楽で好いよな?』と言われる事もあります。給料が下がっても仕事が好きで、仕事をしたくて復帰したのに・・・正社員ってそんなに偉いんでしょうか」



 




 バカにされたく無い正社員が契約社員を責める

 この女性はインタビューに協力して呉れた半年後に退職。メンタル不全に陥り「やめる」と云う選択肢しか無かったと云う。正社員から冒涜(ぼうとく)された経験を持つのは、この女性に限った事では無い。

 「『パート何て何時だってクビに出来るんだぞ』と何時も言われるんです」と嘆く30代のパート社員も居たし、上司に意見したら『契約の身分で偉そうなこと言うな!』と恫喝(どうかつ)された40代の契約社員も居た。人は自分が満たされ無い時、他人に刃(やいば)を向ける事がある。自分がバカにされたく無いから他人をバカにする。
 そんな時、非正規と云う会社との契約形態が恰好のターゲットに為る事だってある。会社が待遇格差を着けた事で、正社員が妙な優越感を持つ様に為り、本来の性格迄歪めてしまったのだ。揚げ句の果てに、何か事件が起こると「非正規」だの「契約社員」だのと云った雇用形態の違いに原因があるかの様に利用される様に為った。

 繰り返すが、その身分格差を生んだのは「非正規」と云う言葉では無く、企業に依る待遇格差だ。働かせ方の問題である。「夫々の課題に応じた施策を講ずるべきだ」(by 根本厚労相)等とマドロッコシイ事を言って居る場合では無いのでは無いか。
 これ迄、政府は基本的に「待遇格差」を禁じ「正社員化」を進める法律を制定して来たのだから、法の抜け穴を巧妙に利用し差別をして居る企業を根こそぎ罰すれば好い。それだけで或る程度非正規の問題は解決される筈だ。

 実はこの身分格差問題は、日本の労働史を振り返ると「男社会」に依り生まれた事が分かる。遡る事半世紀前。1960年代に増加した「臨時工」に関して、今の「非正規」と同様の問題が起き社会問題と為った。当時、企業は正規雇用である「本工(正社員)」とは異なる雇用形態で、賃金が安く不安定な臨時工を増やし生産性を向上させた。
 そこで政府は1966年に「不安定な雇用状態の是正を図る為に、雇用形態の改善等を推進する為に必要な施策を充実する事」を基本方針に掲げ、1967年に策定された雇用対策基本計画で「不安定な雇用者を減らす」「賃金等の処遇で差別を無くす」事をその後10年程度の政策目標に設定する。

 処が時代は高度成長期に突入し、日本中の企業が人手不足解消に臨時工を常用工として登用する様に為った。その結果、臨時工問題は自然消滅。その一方で、労働力を女性に求め、主婦を「パート」として安い賃金で雇う企業が増えた。
 実際には現場を支えて居たのは多くのパート従業員だったにも関わらず、パートの担い手が主婦だった事で「パート(非正規雇用)は補助的な存在」「男性正社員とは身分が違う」「賃金が低くて当たり前」「待遇が悪くても仕方が無い」と云う常識が定着してしまったのだ。


 




 非正規社員が正社員より給与が高い国も

 それだけでは無い。「何故、何年働いてもパートの賃金は上がら無いんだ!」と云う不満が出る度に、企業は「能力の違い」と云う常套句(じょうとうく)を用いた。正社員の賃金が職務給や年功制で上がって行く事を正当化する為に、パートで働いて居る人の学歴・労働経験等を用い、能力の無さを論証する事で賃金格差を問題視する視点そのものを消滅させたのである。
 私は今の非正規雇用の待遇の悪さは、こうしたパートさん誕生の歴史が根っこにあると考えて居る。それ故、取り分け女性の非正規の賃金は低い。更に「正社員を卒業」したシニア社員が非正規で雇われる様に為り、益々非正規雇用の全体の賃金も抑えられる様に為ってしまったのだ。(関連記事「他人ごとではない老後破綻、60過ぎたら最低賃金に」参照)

 大体雇用問題では、常に「世界と戦うには……」と云う枕詞が使われるけど、欧州諸国では「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」が常識である。
 フランスでは派遣労働者や有期労働者は「企業が必要な時だけ雇用出来る」と云うメリットを企業に与えて居るとの認識から、非正規雇用には不安定雇用手当があり正社員より1割程度高い賃金が支払われて居る。イタリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ等でも、非正規労働者の賃金の方が正社員よりも高い。「解雇によるリスク」を補う為に賃金にプラスαを加えるのだ。
 又、EU諸国の中には、原則的に有期雇用は禁止し、有期雇用に出来る場合の制約を詳細に決めて居るケースも多い。

 4割が非正規の今の日本社会では可なり極論には為るかも知れないけど、私は一貫して有期雇用のマイナス面を指摘して居るので、有期雇用は原則禁止した方が好いと考えて居る。人間の尊厳の為に仕事は必要だし、有期契約の様な不安定な仕事は、人間の尊厳を満たすには十分では無い。生きる力の土台をも奪うものだ。
 只、その一方で、非正規社員・正社員に関係無く企業との繋がりが不安定に為り、同時に企業と働く人との繋がりが重要では無く為って来て居る事も否定出来無い。その上で、改めて考えると、働く人が生きて行く上で、仕事が出来る事と、生活を送るのに十分な収入がある事を法律で担保する事が極めて重要に為る。

 奇(く)しくも、厚労省メール問題が浮上したのと時を同じくして、日本企業が持つ「内部留保(利益剰余金)」が7年連続で過去最大を更新したと財務省が発表した。2018年度の金融業・保険業を除く全産業の「利益剰余金」は463兆1308億円で、前年に比べ3.7%も増えて居たのだ。使わ無いで溜め込んで居る位なら、先ずは非正規の賃金を上げる様政府は通達メールでも出してはどうか。
 後数週間で消費税も上げられるのだ。政府は消費が一向に盛り上がら無いと嘆いて居るけれど、4割も非正規が居るのだから、使おうにも金が無い世帯が増えて居る訳で。徹底的に「労働者を保護する」と云う観点に立てば、出来る事は沢山ある。変えるべきは「非正規」のイメージでは無く、差別的な働かせ方だ。


           河合 薫     以上






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横浜 IR誘致で露呈した何とも厳しい「懐事情」



 
 横浜 IR誘致で露呈した何とも厳しい「懐事情」


           〜東洋経済オンライン 9/11(水) 6:20配信〜


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 IR誘致に名乗りを上げた横浜市。記者会見で林市長は、財政的な厳しさをIR誘致の理由の1つに挙げた(筆者撮影)


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                中川 寛子氏 東京情報堂代表

 横浜市の林文子市長が2019年8月の定例記者会見で行ったIR誘致の正式表明が話題を呼んで居る。これ迄白紙として来ただけに市民からは反発の声も上がって居るが、それ以上に注目したいのは一般会計だけで1兆7000億円(2019年度)を超える横浜市ですら財政が厳しいと公式に認めざるをえ無かった点である。
 記者会見で林市長は、華やかなイメージの裏側で「現状は毎年500億円程の収支不足から予算編成を進めて居ました」と語って居る。財政事情を持ち出さ無いとIR誘致を正当化出来無かったからとも言えるが、5年連続でプラスの予算を組む等イケイケな印象が在った中での「厳しい」宣言。
 だが、これは他人事では無い。ココでは横浜市ならではの危無い事情に加え、大都市程危険と云う推測に付いて見て行きたい。

 



 2度も壊滅状態に陥った
 
 歴史に詳しい方なら、横浜市が市の成立以降、2度も壊滅に近い状態に陥った事、その後も身動きが取れ無い状況が続いた事をご存じだろう。最初の苦難は1923年の関東大震災だ。関東大震災と聞くと東京都が被害の中心だった様に思われ勝ちだが実際は違う。
 震源地の直上に当たる神奈川県が中心で、横浜市では2万6000人強が亡く為って居る。4万人近くが亡く為ったとされる本所被服廠跡地(ほんじょひふくしょうあとち)の死者を除けば、東京市の死者が2万8000人程に為る事、当時の、中心部に集まって居た横浜市の人口が東京市の約5分の1程だった事を考えると壊滅と云う言葉は間違いでは無かろう。

 続いては1944年から始まった空襲。翌年の終戦迄に市街地の4割以上が焼失して居り、特に都心部の中区では半分程、西区では8割弱が罹災して居り、横浜市の都市機能は再度壊滅状態に陥ったのである。しかも、横浜市ではその後、アメリカ軍の接収が広範に長く続いた。横浜市内で接収された土地面積は全国の6割以上に及んで居り、特に港町横浜の生命線・港湾施設では約9割が接収されて居る。
 1952年からは接収解除が始まったが、中心部・関内地区の接収が解除されたのは1953年に為ってから。しかも、土地の境界や権利関係が判らず、道路も無く為った状態での返還の為、実際に建物が建つ迄には更に時間が掛かった。

 1960年には雑草が繁茂する空地「関内牧場」の草刈りを市民が陳情したと云う記録が有るそうだが、その時点で東京では既に前回の東京五輪が決まり、急速な変化が始まって居る。東京は勿論、他都市に比べても横浜の復興は大幅に出遅れたのである。
 市内には未だに4カ所のアメリカ軍施設が残されても居り、多くの人は忘れて居るかも知れないが、横浜でも戦後は未だ終わって居ないのである。

 



 人口増にインフラが追い着か無い状態

 サテ、長引く接収で何が起こったか。経済の空洞化である。戦災の為に横浜を離れた企業や住民達が戻るに戻れず、戦前の横浜経済を支えて居た企業の可なりの部分が東京等に流出してしまったのだ。
 しかも、そこに東京からの人口移動が始まる。先に発展を始めた東京では不足する住宅を求め、多くの人達が横浜に流入、丘陵を削って住宅が作られる時代が始まったのだ。稼いで呉れる企業は戻って来ないのに、ライフラインや学校等を整備する為に支出が必要な寝る人だけが入って来る訳で、これでは域内で経済が回ら無い。だとしたら公共事業に依存せざるを得無いと云うのが以降の横浜市の基本的な遣り方と為った。

 又、この急激な人口増加期に学校設置を優先させた為、横浜市では未だに中学校で給食が供されて居ないと言われる。給食センター迄は手が回ら無かったのだ。各区に1館しか無い図書館・地区センターが児童館を兼ねて居る状況等も同様の事情からだろう。急激な人口増に兎に角何とかして来たのが横浜の成長期だったのである。
 その後、2002年に初当選した前市長・中田宏氏は財政の危機を訴え、実際に多くの公共事業をストップし、経費削減等改革に努めたが、現在は市財政局のホームページ等で控え目に触れては居るものの、過つて程の危機感は感じさせ無い状況である。

 2019年度の市税収入の見込みは対前年比3.3%増の8395億円だが、大半が築40年を超える小中学校・市営住宅等の建て替え等が控えて居り、今後は大型出費が予想される。2020年の、可なり無駄も見受けられる市役所移転で、数千人単位で減る関内の昼間人口が同地区の不動産価格下落に結び着くのでは無いか、と云う懸念もある。
 観光が伸びると云う期待もあるが、横浜市の観光客の数は2014年から5年で1.3倍に膨らんで居るものの、国全体の訪日外国人は前年比2割、年に依っては同5割伸びて居る事を鑑みると大した事は無い。

 



 これまでの遣り方では立ち行か無く為る

 2020年完成を目指しパシフィコ横浜の隣で新たなMICE施設建設が進むが、2017年度の都市別国際会議開催状況で見ると横浜市は第6位と振るわ無い。神戸市、京都市、福岡市の様に2008年以降大幅に増加して居る都市に比べて伸びは無く、これで海外から人が呼べるかは微妙だ。
 ソモソモ日本でのMICE開催はアジア内でも韓国、シンガポールに大きく水を開けられて居るナドナド、懸念事項は挙げだすと切りが無い。

 財政だけで無く、広大な市域には高齢化や人口減少等「南北問題」も有り、問題は山積して居る。前を向く事は大事だが「危機感が共有され無いと次に行け無いのでは無いか」と、10年間市議会議員を務め、現在は行政と民間を繋ぐ事を事業として居るパブリックドッツ・アンド・カンパニーの伊藤大貴氏は警鐘を鳴らす。
 歴史的な困難が有りつつも、横浜市は比較的無駄無く賢明に経営されて居り、旧5大都市と比較しても1人当たりの市債残高や将来負担比率等の指標も悪くは無い。だが、今後更に高齢化・人口減少が進めば、これ迄の遣り方では立ち行か無く為る危険があると云うのだ。「大規模で財政事情の好い自治体程舵取り次第では大きな赤字を抱える可能性がある」と、日本総研の蜂屋勝弘氏は指摘する。

 2019年6月に発表された「人口動態から探る地方財政の将来像」と題した論考は、人口動態の変化で地方財政がどの様な影響を受けるかを試算して居る。具体的には人口動態の変化を総人口・若年人口・高齢人口の増加と減少に着目して4つの局面に分析。
 現在総人口・若年人口は減少して居る一方で、高齢人口が増加する局面に有る大半の自治体が今後、高齢人口も減る局面に移行した場合の変化を試算した。

 現在でも既に全てが減少して居る小規模自治体は僅かに在るが、2015年から2030年迄を試算すると、こうした自治体は歳入だけで無く、歳出も減るので意外な事に財政事情は悪化して居ない。財政力指数0.6迄の自治体では財源不足が拡大し無い結果に為って居るのだ。
 これを非常に簡単に言ってしまうと、小規模自治体では殆どの場合自前の税収が少無く(財政事情が好く無い=財政力指数が低い)多くを地方交付税に頼って居る為、更に税収が減った処で大きな影響は無いと云う事に為る。

 処が、大規模で自前の税収が大きい・財政事情の好い自治体の場合、自前の財源に頼る割合が大きく、歳入減少は大きなダメージと為る。又若年人口の減少は事業所の減少や地価の低下等に繋がり、法人住民税、固定資産税のマイナスに繋がるが、地価が高い大都市程それ等が下がる影響は大きい。
 こうした様々な試算を積み上げて行くと、実は大都市程微妙なバランスで歳入をコントロールし無ければ大赤字を出す可能性がある訳だ。

 

 

 「稼ぐ公共」に為る努力が必要に

 実際のシミュレーションでは全てが減る局面に移行して居ないにも関わらず、横浜市や名古屋市、大阪市で大きな赤字が生じて居り、福岡市に至っては全てが増加して居るにも関わらずマイナスに為って居る。
 これ迄は大都市程スケールメリットが有り、お得だった筈だが、今後はそれが変化するかも知れ無い。「今後も大都市に稼ぎ続けて貰う為には、これ迄の、大都市が稼いだモノを小規模自治体にと云う流れを逆転させる必要すらあるかも知れません」と、蜂屋氏は話す。

 既に厳しい状況に在る上に、今後、人口減少が更に危機を招く可能性があるのであれば早目に手を打って行く必要があろう。蜂屋氏が挙げるのは地方交付税制度の見直しや、高齢者の就業促進、自治体業務のICTの導入、地域運営組織の活用等だ。
 ICTの導入では現在自治体毎にバラバラに行われて居るものを統一し、日本全体で効率化を図るのが賢明ではないかと指摘する。自治体の独自サービスには独自税で対処すべきと云う観点もある。

 伊藤氏は自治体の生産性向上を挙げる。在任期間後半は、パークPFIの提案等市有財産の価値最大化と収益化等に取り組んだ経験から「稼ぐ公共」を他に先駆けて遣って行く事が大事だと指摘する。
 欧米では都市が縮退期に入り始めた1990年代後半から2000年代初頭に仕組みを整えて居り、最近では稼ぐ公共として日本でも紹介されて居るアメリカのポートランドやドイツのハンブルグ等事例は多い。こうした例に倣い、日本流にカスタマイズして行けば生産性向上の余地は在る筈と云うのである。

 因みに海外事例で見るとエネルギー、交通、環境分野での取り組みが多く、何れも長期的な展望に基づいて行われて居る。何で稼ごうとするかは自治体に依って違うだろうが、長い目で見て市民は勿論、多くの人がハッピーに為れる選択で在って欲しい。


          中川 寛子 東京情報堂代表  以上


 




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消費税を廃止したマレーシアはどうなったか? マレーシア人に聞いてみた




 消費税を廃止したマレーシアはどう為ったか? マレーシア人に聞いてみた


          〜HARBOR BUSINESS Online 9/11(水) 8:32配信〜


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      マレーシアのマハティール首相 photo by Tasnim News Agency(CC BY 4.0)


 「消費税廃止」の前例のマレーシア

 参議院選挙で、二議席を獲得して大躍進を果たした「れいわ新選組」その公約の一つに「消費税廃止」があった。そして山本太郎党首が実例として挙げたのがマレーシアだった。実際に政見放送から引用する。

〈消費税は廃止・・・実際に、消費税を廃止した国ありますよ。マレーシアです。マレーシアは、法人税の次に税収の多かった消費税を廃止。高級なサービス等を利用する時に掛かる金持ち向けの税制を復活させました。何故マレーシアに出来た事が日本には出来無いって云うんでしょうか?〉(参照:れいわ新選組)

 丁度その頃、お誂(あつら)え向きにとでも云うべきか、筆者宅には二人のマレーシア人が滞在して居た。ムハンマド(34)とアミルディン(25)の二人である。ムハンマドは化学で博士号を持つ国家公務員で、アミルディンは大学院生で、因みにこの二人は従兄弟同士でもある。「消費税廃止」の実態を、二人に聞いて観る事にした。


 




 マレーシア人に聞いた「消費税廃止」

 「今の政権が成立したのが、去年の五月だった。先に説明して置くと、マレーシアは一院制で議席数は222、詰まり過半数を採るには112議席が必要と云う事だな」

 ムハンマドが切り出した。彼の職業は国家公務員、詰まり役人である。この選挙で特筆すべきは、92歳のマハティール元首相が復活した事である。自らに当て嵌めて考えても、筆者がソモソモ92歳まで生きて居るかどうかは甚だ怪しいものであり、仮に生きて居たとしても要介護状態だろう。
 筆者の友人に同年代の都議会議員が居るが「貴方は90歳を過ぎて今と同じ政治活動・選挙運動を続けられるか」と聞いたら「絶対無理」と答えた。当然である。92歳で生きて居るのみ為らず、選挙に出馬して選挙活動で毎日立ちっパナシの上に喉を嗄らして、しかも勝つ等想像すら着か無い。一体、何故にマレーシア国民はこの様な選択をしたのか。

 「前首相のナジブが外国との癒着や収賄問題で批判されて居たのは確かだな(筆者註:実際に、その後2018年7月に逮捕・起訴された)」(アミルディン)「それ迄野党の中心だったDAPと云うのは中華系の政党だから、普通ならマレー人は絶対に投票しないんだ。だが今回はマハティールがコチラに乗ったから、マレー人も投票した訳だ」(ムハンマド)

 少し敷衍(ふえん)して置くと、マレーシアと云う国は主にマレー系、中国系、インド系で構成される多民族国家である。タイの場合は、中華系の住民も居るが宗教的縛りが無く、百年以上前に全員タイ風の名前に変えさせられたので、元々のタイ人と完全に融合して居る。
 一方でマレーシアは、豚肉を食べ無いイスラム教徒のマレー人と豚が大好物の華僑では混ざり様が無く、未だに人種が綺麗に分かれて居る。名前もそのママだ。過つてボンドガールも務めたミシェル・ヨーが好い例だが、中国名を維持し乍ら高等教育を受けて英語を操(あやつ)り英語名も併用して居る。クアラルンプールは首都にも関わらず、マレー系住民より華僑の方が多いと云うネジレ現象もある。


 




 野党連合が掲げた「十の公約」

 そして野党連合は政権奪取の為に十の公約を掲げたと云う。「先ずは、高速道路の無料化な」(ムハンマド) 昔、日本でも聞いた事のある公約である。「それから、消費税の廃止」(アミルディン)マレーシアでの名称は「GST」(Goods and Service Tax)で、元々は6%だったと云う。「後は、反汚職もあった」(ムハンマド)
 筆者が「遂最近、日本の選挙でも消費税廃止と教育ローン徳政令を打ち出した政党があったぞ」と話すと、二人は腹を抱えて笑い出した。「そう云えば、教育ローン返済不要もマニフェストに入って居たな」(アミルディン)で、どう為ったのか?

 消費税は廃止されたが・・・

 「確かに、消費税は0%に為った。だけどな、ガソリンの値段が上がったんだ。元々はリッターあたり1.5リンギットだったのに、今は2リンギットを超えて居る」(ムハンマド) (筆者註 8月20日現在、1リンギットは約25.5円である)
 「政府は急に税収が減った訳だろ。6%だったものが0に為ったものの、これでは拙いと新しい税金SSTの徴収を始めた。それが去年の十月からだったかな。結果的に、国民の税負担は前より増えてしまったよ」(アミルディン)

 詰まり、0%の時期は数か月しか続か無かったと云う事だ。因みに、この0%の期間は「タックスホリデー」と呼ばれて居る。そしてそのタックスホリデーの期間は駆け込み需要もあった様だがその後、マレーシア経済はどう為ったのか?

 「逆に悪く為った*。それから下降は今も続いて居る。外国の投資家も、一斉に資金を引き揚げてしまった。経済も悪く為るのも当然だよな」(ムハンマド)

 <編集部注* 第1四半期マレーシアGDPは前年比+4.5%に鈍化 景気下振れリスク・・・ロイター に依れば「悪化」と云うよりは「減速」であり、その要因は米中貿易戦争の煽りを受けた事や、債務問題でマハティール政権が緊縮的な政策を取った事等が挙げられる>

 もう一つ今回のマレーシアで特筆すべきは、過つてマハティールが後継者として指名し乍ら、同性愛その他の容疑で解任し有罪判決迄追い込んだアンワル・イブラヒムが老マハティールと和解し連立政権に加わって居る事だ。90を過ぎた老人が長期間政権に居座れる筈も無く、今回は短期間の内にアンワルへの政権禅譲を約束して居る。サテ、どう為る事か。ナカナカ、世の中バラ色の話と云うのは無い様だ。



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               <取材・文 タカ大丸>

【タカ大丸】
 ジャーナリスト TVリポーター 英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。2010年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『ジョコビッチの生まれ変わる食事』は15万部を突破し、現在新装版が発売。最新の訳書に「ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。10月に初の単著『貧困脱出マニュアル』(飛鳥新社)を上梓。 雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。

 ハーバービジネスオンライン


 



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田原総一朗 『週刊ポスト』炎上でも〈嫌韓〉が支持される理由〈週刊朝日〉



 

 田原総一朗 『週刊ポスト』炎上でも〈嫌韓〉が支持される理由 〈週刊朝日〉


             〜AERA dot.9/11(水) 7:00配信〜



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    ジャーナリストの田原総一朗氏は「週刊ポスト」で嫌韓特集が組まれた背景を推察する

 田原総一朗(たはら・そういちろう)1934年生まれ ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数 (c)朝日新聞社


 


 

 「週刊ポスト」が打ち出した「韓国なんて要らない」と云う特集が、少無からぬジャーナリスト、学者、作家達から批判を浴びて居る。毎日新聞(9月4日付)は社説で
 <雑誌が「本音のメディア」である事は否定し無い。際どい手法を用い乍らも、ゲリラ的に権威や権力に挑む事でジャーナリズムを活性化させて来た歴史はある。しかし、今回の特集はそれ等と次元を異にする。
 日本社会の一部に蔓延(はびこ)る韓国人への偏見やヘイト感情に阿(おもね)り、留飲を下げる効果を狙ったのでは無いか。だとすれば、サモシイ姿勢と言わねば為ら無い>
と強く批判して居る。

 又、東京新聞(9月4日付)は「こちら特報部」の中で「分断を助長 メディアの役割か」と云う見出しを立て、先ず、ジャーナリストの青木理氏が
 「出版不況で雑誌が全体に売れ無く為って居る状況での『売らんかな』出版社が嫌韓のジャンルに食い込めば売れると踏んだ。完全に、貧すれば鈍するだ」と切り捨てたことを紹介し<思想家で神戸女学院大名誉教授の内田樹氏はツイッターに「僕は今後小学館の仕事はし無い事にしました。こんな日本では、これから先『仕事をし無い出版社』がドンドン増えると思いますけど、好いんです」と投稿。小学館との決別を宣言した>と伝えて居る。

 私も「ポスト」の特集を読んだ。ネットメディアに押されて雑誌が売れ無く為って居るので、偏向特集との批判を浴びる事も、或る程度覚悟して、敢えて挑んだのであろう。昨秋、休刊に追い込まれた「新潮45」のケースと似て居る。
 毎日新聞や東京新聞の激しい批判はその通りだと思うが、9月2日付の日本経済新聞の世論調査の数字を見て大きな衝撃を受けた。日本政府の韓国に対する輸出管理の強化を「支持する」が67%「支持しない」が僅か19%なのである。そして、日本政府は韓国に「譲歩する必要が無い」が67%「譲歩は止むを得無い」が21%である。


 




 この数字で判断すると、世論調査を受けた国民の70%近くが「ポスト」の特集に、余り違和感を覚え無い事に為るのではないか。そして「ポスト」はその70%の国民に向けて特集を組んだ。強いて言えば、政府の政策を強めに打ち出した積りだったのであろう。
 恐らく、今回の「ポスト」の売れ行きは好かった筈である。そして「ポスト」編集部は「配慮に欠毛て居た」と謝罪のコメントを出しては居るが、これは言わば形を付けただけではないか。

 この処のテレビのどの番組を見ても、安倍内閣の強硬な対韓政策を肯定して居て、批判らしい批判をして居る番組は殆ど無い。過つて高名な評論家、山本七平が「日本は空気を破るのが最も悪い事で、空気を破ると生きて行けない」と言ったが、この言葉が、その後どんどんリアリティーを増して居る。
 現在の安倍政権は一強多弱である。野党が分裂して居て弱く、自民党議員達が安倍首相のイエスマンに為って居るので、森友・加計疑惑等が起きても聞く耳を持たずにヤリ過ごしてしまう。すると、メディアでも同調圧力が強く為り、安倍政権批判をすると空気を破るような危険性を感じてしまうのだろうか。誠に情け無い限りである。何としても空気を破る番組を作ら無くては、と自分を恫喝し続けて居る。


 ※週刊朝日  2019年9月20日号

       AERA dot. 9/11(水) 7:00配信    以上


 




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悲壮な肉弾戦で惨敗「ノモンハン事件」の教訓とは




  【歴史・近代史】
 

   悲壮な肉弾戦で惨敗 「ノモンハン事件」の教訓とは


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     佐藤 けんいち氏 著述家・経営コンサルタント ケン・マネジメント代表


             〜JBpress 9/10(火) 6:00配信〜


   
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 今年2019年は「ノモンハン事件」から80年に当たる。「ノモンハン事件」は、1939(昭和14)年5月11日に始まり、同年の9月16日に停戦交渉が成立し終結した、国境線を巡る日ソ間の軍事衝突である。国境付近の大草原を舞台にした3次に渉る激戦で、双方共に1万人の戦死者、2万人以上の負傷者を出して居る。「事件」と云うよりも実質的に「戦争」であった。
 「昭和」が既に遠い時代と為りつつある現在だが、ノモンハン事件は依然としてネガティブな意味合いで使用されて居る。ロングセラー『失敗の本質』(野中郁次郎他)でも失敗事例として冒頭に取り上げられて居る位だ。

 ノモンハン事件は、その2年後に開戦した太平洋戦争に繋がるものであり、最終的に日本を破滅に導いた出発点にあると云う認識が、日本では一般的に共有されて居ると言って好いだろう。そして、当事者の「関東軍」は、中央の統制が効か無い、暴走する出先機関の代名詞として現在でも使用されて居る。
 村上春樹の長編『ねじまき鳥クロニクル』には、何故かノモンハン事件が登場するのだが、一方では司馬遼太郎の様にノモンハンを書け無かった作家も居る。司馬遼太郎は、ノモンハン事件を題材にした小説の執筆を考えて居たが、取材を続ければ続ける程書くのが嫌に為ってしまい最終的に断念したと云う。この事実は、比較的好く知られて居る事だろう。 

 だが、ノモンハン事件を全面的に取り上げた作品は他にもある。代表的なものは、五味川純平の原作に依る日本映画の大作『戦争と人間 第三部「完結編」』(1973年)であろう。この映画は、ノモンハン事件での日本の惨敗のシーンで終わって居る。
 左翼全盛時代の作品だが、視聴して居て溜め息を着か無い訳にはいか無い。国家と民族の命運が懸って居た日露戦争とは性格を全く異にする戦争であったからだ。末尾に「9」の着く年は災難が起こると言われる事が多いが、1939年の日本にトッテモ、それが当て嵌って居たのかも知れない。今回は、80年前のノモンハン事件を取り上げて、現在にも尚日本に存在する問題に付いて考えてみたい。ノモンハン事件は、現代に生きる日本人にトッテモ、未だ教訓に充ち満ちた教材である。







 朝鮮戦争との類似点

 ノモンハン事件は、日ソ間の軍事衝突ではあるが、そもそもはモンゴル人民共和国と満洲国の間で発生した国境紛争から始まって居る。
 1939年に入ってから、度々国境を巡って小競り合いが起こって居たのだが、満洲国の防衛に当たる関東軍が「国境侵犯」だと見做し、遂に堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。処が、軍事衝突の原因と為ったノモンハンが何処にあるのか、軍関係者は誰も知ら無かったと云う。現在でも、状況はそれ程変わら無いだろう。高校の「地理」で使用する地図帳にノモンハンの地名が記載されて居るのは、そこがノモンハン事件の発端に為ったからであるに過ぎ無い。

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 「ノモンハン事件」は日本での呼び名であるが、交戦国のソ連(ロシア)とモンゴルでは「ハルヒンゴール(ハルハ河)戦争」と呼ばれて居る。ハルハ河が国境線だと主張する満洲国(及び日本)と、国境線はハルハ河の右岸迄含まれるとしたモンゴル(及びソ連)との認識の違いが生み出し、ハルハ河の左右両岸で戦闘が行われたからだ。

 モンゴルと満洲国の国境紛争は、一早く「モンゴル独立」(1922年)を承認し、その「衛星国」化を進めつつあったソ連と、傀儡国家として満洲国(1932年建国)を牛耳って居た日本が激突する事に為った。「五族協和」を唄った満洲国だが、その「五族」にはモンゴルも含まれる。国境を挟んで、モンゴル人同士が戦った事にも為る訳だ。
 この点を前面に出して居るのが、安彦良和に依る長編歴史マンガ『虹色のトロツキー』(1990〜1996)である。日本の敗戦に依って満洲国は解体し、現在は中国の領土に為って居る。残念乍ら余り意識される事は無いが、モンゴルは現在でも「分断国家」のママなのである。

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 ノモンハン事件で対ソ戦を実質的に主導したのは関東軍参謀で少佐であった辻政信(1901〜1968年)であり、現在も悪名が高いがノモンハン事件から11年後に出版した著書『ノモンハン』(毎日新聞社、1950)では、基本構造は1950年に勃発した「朝鮮戦争」と似て居ると喝破して居る。この点は傾聴に値するものがある。
 攻守の立場はノモンハンとは逆に為るが、38度線の国境を侵犯して侵攻を開始した北朝鮮のバックにソ連が着いて居て、スターリンの命令で、前年の1949年に建国したバカリの中華人民共和国から「義勇軍」が投入された。侵攻された側の韓国には、軍政を敷いて居た米軍を中心に、英連邦を初めとする多国籍の国連軍が付いて居た。
 付属国を背後で操縦するソ連と、計画的侵略を受けた友邦を助けて起った米国の立場とは、ノモンハン事件に於けるソ連対日本の立場に彷彿(ほうふつ)たるものがある。(・・中略・・)

 著者は、当時の幕僚として、ノモンハン事件失敗の責任を痛感するものであるにも関わらず、臆面も無く敢えて当時の真相を公表する所以(ゆえん)は、朝鮮に巻き起こされた戦争の動向を判断する上に何等かの示唆を与え、又、眼前に迫りつつある第三次世界大戦に戦争放棄の憲法を護持し、民族の運命を国際信義のみに依存し得るや否やに付き、何等かの参考たらしめ様と意図するからである。

 (筆者注 引用は『ノモンハン秘史』(毎日ワンズ、2009)から行った。1950年の初版本では、この引用部分は「まえがき」から削除された事が明記されて居る。当時の日本は未だ占領下であり、米国の政策に不都合だとしてGHQにより検閲され削除されたのであろう)

 朝鮮戦争に於いては、北朝鮮が釜山迄攻め込んだ時期もあったものの、結局は国連軍が巻き返し、当初の38度線で国境が固定する事に為る。戦死傷者が300万人を超え、一般市民が巻き込まれて難民化した点は異なるが、基本構造はノモンハン事件と変わり無い。
 とは言え、朝鮮戦争が、辻政信が予見した様な「第3次世界大戦」には繋がら無かったのは不幸中の幸いであった。北朝鮮に隣接する中国東北部に対する原爆使用を主張したマッカーサー元帥が、シビリアンコントロールの原則に基づいてトルーマン大統領に依って解任されて居なければ、どう為って居たか判ら無い。


 




 第2次世界大戦の引き金に

 先の大戦(大東亜戦争)の最終盤「日ソ中立条約」を一方的に破棄したソ連が満洲に侵攻し、精強とされた関東軍が総崩れと為った。この事に付いては、前回のコラム「あの抵抗が無ければ日本は分断国家に為って居た」で取り上げた通りだ。
 第2次世界大戦に於いて、枢軸国のドイツは既に1945年5月に敗戦して居り残るのは日本だけだった。従って、大東亜戦争に於ける日本の敗戦は、同時に第2次世界大戦の終結と為ったのである。

 意識される事が少ないが、実はノモンハン事件は、第2次世界大戦の引き金の1つに為って居る事に注目したい。その代表的な論者は『ノモンハン1939-第二次世界大戦の知られざる始点』(みすず書房、2013)の著者スチュアート・ゴールドマンである。その背景を簡単に説明して行こう。

 ノモンハン事件で日本を惨敗に多い込んだソ連は、日本側の想定とは異なって満洲国への進撃は行わず、停戦交渉に持ち込む事にした。と云うのも、戦いの最中の1939年8月23日には「独ソ不可侵条約」が締結され、独ソ間ではポーランド分割が密約されて居り、9月1日にドイツによるポーランド侵攻が開始され、翌々日の9月3日には英仏がドイツに宣戦布告したからだ。
 大規模な戦争に為ると踏んで居たスターリンは、ソ連東部の日本との戦争は早めに片付け、兵力をヨーロッパ側に集中したかった。だから、日本との停戦交渉を急いで居たのである。実際に、ノモンハン事件の停戦交渉成立の僅か2日後、ソ連はポーランドに侵攻して居る。ノモンハンでの戦いが長引いて居たら、ソ連の行動は大きな制約を受ける事に為って居たのである。

 日本国内では、ノモンハン事件は太平洋戦争に繋がった事が強調され勝ちだが、世界史的に観れば以上の様な見方が必要に為る。複雑だとは言え、世界情勢を読み切れ無かった日本の指導層の視野の狭さを感じ無い訳にはいか無いだろう。
 これに対して、ソ連(=ロシア)が常に世界情勢を視野に入れて居るのは、ヨーロッパとアジアに跨る「ユーラシア国家」だからである。極東の島国・日本の大きな違いがソコにある。北方領土返還交渉に当たっても、状況は同じだと考え無くては為ら無い。


 




 帝国陸軍が喫した「初の敗戦」  

 ノモンハン事件は、帝国陸軍に取っては「初の敗戦」でも在った。日清戦争、日露戦争で勝利した経験は在っても、敗戦経験は無かったのだ。ノモンハン事件は、大きく分けて3次に渉る戦闘に分けられる。

 第1次(1939年5月11日〜31日)は日本側からの先制攻撃であり、ハルハ河を渡河して日本軍と満洲国軍がモンゴル側に侵攻。準備不足のソ連側は大きな犠牲を出して居る。
 第2次(6月27日〜7月25日)は、日本側はソ連側の反撃を予想せずに総攻撃を行った。日ソ間では航空戦と戦車戦も含めた激戦が行われ、双方に多くの犠牲者を出し乍らも日本は事実上の撤退。その後、膠着状態に陥った。この間、日本側は長期戦に備えて陣地構築に専念する。
 第3次(8月20日から31日まで)は、ソ連が満を持して挑んで来た決戦であり、日本の第23師団は壊滅し日本は惨敗するに至る。8月20日の大攻勢を決戦と定め、3カ月間の準備期間を当てたジューコフ将軍率いるソ連軍が実行した、完璧な迄の包囲戦であった。
 8月20日時点での日ソの兵力差は大きなものがあった。例えば、総人員は日本の2倍、火砲は8倍であり、日本側は戦車は使用し無かった。ジューコフ将軍はその後、独ソ戦で最終的にソ連の勝利を導いた英雄と為り、現在でもクレムリンに騎馬像が立って居る。

 その後も、日本側は長期戦に備える体制に入り、その後も散発的な小競り合いが続いた。だが、現地が直ぐに厳寒期に入るだけで無く、だが、泥沼化する日中戦争を抱え、これ以上の戦争継続に反対する大本営は、政治的決着に依る停戦に持ち込む事にする。日ソ双方に停戦に持ち込みたい強い理由があったのだ。
 ノモンハン事件は、ビジネス界のアナロジーで言えば、密かに損失を取り戻そうとして無理を重ね、返って傷を深くしてしまった為替ディーラーの様だ。関東軍も又、状況に応じて逐次投入を行い、敗戦と云う結果をモタラシタのであった。


 




 「工業力」に大きな差があったソ連と日本

 ノモンハン事件は又、帝国陸軍に取って「初の近代戦」で在った。それは「総力戦」と為った第1次世界大戦を本格的に体験して居無かったと云う事だ。
 第1次世界大戦(1914〜1918)には、連合国の一員として日本も参戦はして居るが、帝国陸軍は「青島攻略作戦」と云う限定された形でしか体験して居ない(参考「日本に住みつき『技術』を伝えたドイツ人捕虜たち」)。又大戦末期に始まったロシア革命の干渉戦争であった「シベリア出兵」は、対ゲリラ戦争が中心であり、欧州戦線の様な正規軍同士の本格戦争では無かった。(参考「知られざる戦争『シベリア出兵』の凄惨な真実」)

 総力戦と為った第1次世界大戦では、毒ガスを含めたアリトアラユル新兵器が実戦に導入され、悲惨な結果を招いた事は好く知られて居る。中でも陸上では戦車や航空機が本格的に登場した事の意味合いが大きい。大戦の前後では、戦争の様相が一変したからだ。戦場の花形であった騎兵と、輸送の主役であった馬が消え、「機械化」が大規模に進展する事に為る。
 帝国陸軍でも機械化の推進が急務である事は理解されて居たが、予算の制約もありナカナカ思う様に進ま無かったのが実態だ。帝国陸軍で戦車部隊に所属して居た加登川幸太郎氏(元陸軍中佐)が『帝国陸軍機甲部隊ー栄光少無く苦難多き生涯』(白金書房・1974)で無念さを込めて語って居るが、ソモソモ当時の日本は自力で自動車を生産する能力に乏しく、戦車処では無かったのだ。

 これに対して、ソ連はスターリンの指導の元「5カ年計画」に依って重工業化を急ピッチで推進して居た。「第1次5カ年計画」(1928〜1932年)「第2次5カ年計画」(1933〜1937年)の成果が、日ソ間の大きな格差としてノモンハン事件で顕在化したのだ。
 米国から始まった「世界大恐慌」(1929年)を尻目に、社会主義国のソ連は着々と実力を蓄えて居たのである。

 独裁者スターリンに依る「大粛清」はソビエト赤軍にも及んで居たが、工業力を基盤にした軍事力に関しては、ソ連と日本の格差は開く一方であった。端的に見える形で現れたのが、戦車の装甲の厚さであり、無尽蔵に見える程豊富に使用された砲弾の数量である。「火力万能主義」のソ連に対して、砲弾の絶対数が少ない日本。まさに太平洋戦争の結末を予感させるものがあった。
 勿論、日本にも特筆すべき戦法は在った。それは火炎瓶による攻撃である。サイダーの空き瓶に砂とガソリンを詰めて、歩兵が肉弾攻撃で戦車に投げ突けて炎上させたのだ。火炎瓶は、帝国陸軍から「スペイン市民戦争」(1936〜1939)に派遣された観戦将校が学んだ戦法らしい。モノ不足状態での創意工夫と云う面では特筆すべきものであり、実際に大きな成果を生み出した様だ。

 とは言え、ノモンハン事件の翌年に出版された山中峯太郎の軍事小説『鉄か肉かーノモンハン戦秘史』(1940年)と云うタイトルにも有る様に「鉄」即ちソ連軍の戦車部隊と、それに対して火炎瓶で立ち向かって行った「肉」即ち日本の歩兵による「肉弾戦」は、勇猛果敢であるとは言え、余りにも非対称的で悲壮感さえ感じさせるものがある。
 当初は大きな成果を挙げた火炎瓶に依る戦車攻撃は、その内効果があがら無く為ってしまう。即応能力の高いソ連軍が、直ちに戦車の「改善」を実行したからである。この点は、太平洋戦争末期の「特攻」と同じである。どうも日本人には「慣性の法則」が働き勝ちで、臨機応変さに欠ける嫌いがある様だ。

          9-11-13.jpg 戦車隊予備士官の司馬遼太郎氏

 「精神主義」のみがアドバンテージであった帝国陸軍。国力の無さ、工業力の弱さが機械化の遅れをもたらした悲哀。或る意味では機械化の啓蒙を意図した小説であった『鉄か肉か』には「財団法人機械化国防協会」の会長と副会長(夫々陸軍大将と陸軍中将)が序文を寄せて居るが、表向きの文章とは違って、行間から苦衷が滲み出て居るのを感じてしまう。結局の処、機械化は絵に描いた餅に終わってしまったからだ。
 ノモンハン関連の記録を読めば読む程、日本の将兵が置かれて居た状況に悲しく為って来るのを禁じ得無い。「先の大戦」で招集され、戦車隊予備士官であった司馬遼太郎が最終的に執筆を断念した気持ちも、判る様な気がする。


 




 反省すれど、教訓は活かされず

 ノモンハン事件の敗戦に着いては、陸軍内部でも反省検討会が持たれて居る。だが、報告書が作成されたものの「厳秘」扱いにされて金庫に入れられた為、殆ど読まれる事も無く、従って教訓は殆ど活かされ無かった様だ。
 失敗要因としては、先にも触れた機械化の遅れの他、作戦を重視して情報を軽視した陸軍の体質等様々な問題点が指摘されて居る。作戦面でも、歩兵との連携が取れ無い戦車部隊や、歩兵との連携が取れ無い航空部隊等、陸軍内でも通信コミュニケーションに問題があった様だ。
 フェイク情報で攪乱するソ連の戦法に騙されても居る。そう云う処に、日本人の弱点が露呈して居る様に思われて為ら無い。この弱点は、現在でも余り変化は無いのでは無いか。

 一般に好く知られて居るのは、敗戦責任に関する処分に付いてだろう。『戦争と人間 第三部「完結編」』にも、そのシーンが登場するが、指揮して居た部隊が全滅したにも関わらず独断で撤退を決断して生還したり、戦場で負傷して捕虜と為った現場指揮官達が自決を強要されて居るのだ。
 上級指揮官は更迭に依る予備役編入か左遷人事と云う処分であった一方「初の敗戦」と為った為十分な先行事例が無いと云う理由で、中・下級指揮官達は、軍法会議に掛けられる事無く、陸軍刑法には無い自決を強要された。法治国家で有り乍ら、陸軍組織内部は既に機能不全状態に為って居たとしか言い様が無い。

       9-11-12.jpg 服部卓四郎氏

 上層部の大幅な人事刷新に依って、当事者であった関東軍そのものは統制が回復し本来の任務を果たす様に為った。だが、関東軍の暴走を招いた参謀の辻政信と上官の服部卓四郎のコンビは、1年も経たずに陸軍中央の参謀本部に返り咲き、無謀な太平洋戦争の指導に当たって居る。玉砕したガダルカナルも又、参謀として辻政信が関わって居るが、ノモンハンの繰り返しと言う他無いであろう。
 とは言え、辻政信只一人に全ての責任を帰すのはムリがある。彼の様なカリスマ的で特異なキャラクターの持ち主を甘やかし暴れさせた上官達、更には反対する事無く同調した者達にも、事無かれ主義や組織ぐるみの無責任体制が働いて居たと云うべきだ。

 この様な事例は、私自身もビジネス人生の中で目撃して来たので、感覚的に好く理解出来るのだが、同様の感想を抱いて居る方々も少無く無いだろう。こう云った事象が、日本の大企業で近年相次いで発生して居る事に危惧を覚えざるを得無い。

 国境紛争は全面戦争に繋がり易い
 
 ノモンハン事件に関わる問題は、様々な点に及んで居るが、ソモソモの根本原因は「国境紛争」に在ったと云うべきだろう。国境線を巡る紛争は本質的に領土問題である。領土に関わる問題はナショナリズムに直結する為、国民感情を炎上させ易い。
 満洲事変から大東亜戦争の敗戦に至る14年間は、日本史に於いて極めて特異な時代であった。満洲国の建国に依って、陸上の国境線が一気に拡大したからだ。ノモンハン事件が起こった1939年時点では、未だ国境線が未確定の部分が多く国境画定交渉が行われて居たのである。ノモンハン事件は、そんな状態で起こった戦争なのであった。

 ノモンハン事件に限らず、一般に国境紛争は軍事衝突に繋がる危険がある。しかも、武力に依る問題解決は、係争地だけに留まらず、全面戦争に繋がる危険がある。それは、北方領土も竹島も同様だろう。
 北方領土はヨーロッパ側にあるロシア中央部から遠いが、竹島は韓国の首都ソウルから近い。飽く迄も仮定だが、武力に依る竹島奪還作戦を実行した場合、日韓の全面戦争に為る可能性が極めて高い。何時の時代にも勇ましい事を主張する人間が居るが、発言するなら単なるレトリックでは無く、現実のシナリオ迄考えてからするべきだろう。軽々しく口には出来無く為る筈だ。

 この様に、反面教師としてのノモンハン事件は、教訓に充ち満ちて居る。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と云うのはドイツ帝国の宰相ビスマルクの至言だが、ノモンハン事件は「先の大戦」にも劣らず、今後も繰り返し繰り返し振り返り、細部に渉って検討を行うべき失敗事例なのである。


     佐藤 けんいち   以上



 



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週刊ポストの「嫌韓ヘイト」は何処が問題なのか




 週刊ポストの「嫌韓ヘイト」 何処が問題なのか


        〜プレジデントオンライン 9/10(火) 18:15配信〜


 




 「僕は今後小学館の仕事はし無い事にしました」
 
 「韓国なんて要らない」 『週刊ポスト』(9/13号)が、こうタイトルを付けた巻頭特集が激しい批判を浴びて居る。

      9-11-2.jpg 武田砂鉄氏


 武田砂鉄<「週刊ポスト」広告。これで好いのか、と疑問視する人は、編集部に居ないのだろうか>とツイート。
 柳美里<日本で暮らす韓国・朝鮮籍の子供達、日本国籍を有して居るが朝鮮半島にルーツを持つ人達が、この新聞広告を目にして何を感じるか、想像して観無かったのだろうか?想像出来ても、少数だから売れ行きには響か無いと考えたのか?売れれば好いのか、何をしても>と書いた。

       9-11-3.jpg 芥川賞作家・柳美里氏

         9-11-4.jpg 内田樹氏

 内田樹は小学館に対して断筆宣言した。<この雑誌に自分の名前を掲げて文章を寄せた人は、この雑誌が目指す未来の実現に賛同して居ると見做される事を覚悟した方が好いです。と云う訳で僕は今後小学館の仕事はし無い事にしました。幻冬舎に続いて二つ目。こんな日本では、これから先「仕事をしない出版社」がドンドン増えると思いますけど、好いんです。俗情に阿(こだわ)ら無いと、財政的に立ち行か無いと云う出版社ナンかとは縁が切れても>

 東京新聞と毎日新聞は9月4日付の社説で批判した。「この特集を受け、ネット上に韓国への過激な書き込みが広がって居る。ポスト誌は謝罪談話を出したが、真の謝罪とする為には、当該号の回収も検討すべきだ」(東京新聞)「日韓対立の時流に乗れば、何を書いても許されると考えたのだろうか」(毎日新聞)


 




 週刊ポストの「嫌韓ヘイト」は何処が問題なのか

          9-11-1.jpg

            『週刊ポスト』2019年9月13日号の表紙

 「謝罪に為って無い」「回収しろ」と云う声も

            9-11-5.jpg 杉田水脈(みお)衆院議員

 昨秋、自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性が無い」等と主張した文章を掲載して激しい批判を浴び廃刊に追い込まれた『新潮45』(新潮社)の二の舞かと思われる程の騒ぎに、恐れを為したのだろう。ポストは早速、こう云う文書を出した。

 <週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係に付いて様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判を頂きました。中でも『怒りを抑えられ無い「韓国人と云う病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとは言え、誤解を広め兼ねず配慮に欠けて居りました。お詫びすると共に、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります。(『週刊ポスト』編集部)>

 これに対しても「謝罪に為って無い」「回収しろ」と云う声が上がって居る。テレビでも『モーニングショー』(テレビ朝日系)等が、この問題を取り上げて居たから、騒ぎを知って居る人は多いと思うが、記事を読んで居ない人に向けて簡単にポストの特集内容を紹介したい。


 




 日本の優越性を徒に強調するだけのお粗末さ

 特集は2つに分かれて居る。第1特集の1本目は「軍事 GSOMIA破棄でソウルが占領される」確かに北朝鮮との軍事境界線からソウル迄の距離は、最短距離だと30km前後しか無い。だが、此処に出されている例は1950年の朝鮮戦争の時のものである。こんな古い事例を出して来てソウルが危ないとヤルのは、担当編集者のお頭の構造が単純過ぎるからだ。
 2本目は「経済 貿易規制でサムスン・LGは大打撃」次は、お互いが輸出規制を遣って居るが、損するのは韓国で、日本の工場を潤すと云うのだが、現在の様なグローバル経済では、二国間だけで有利不利が決まる訳では無い。

 3本目は「スポーツ」で、韓国が東京五輪をボイコットすれば、日本のメダルが増えると云うものだが、論評以前の内容である。
 4本目は「観光」で、韓国人旅行者が減って居るが、中国の観光客が増えて居るし、元々韓国人はカネを落とさ無いから日本は困ら無いと、子供が虚勢を張って居るとしか思え無いもの。この様な幼稚な論法で、日本の優越性を徒に強調するだけのお粗末な特集である。

 第2特集が<怒りを抑えられ無い「韓国人と云う病理」>で、韓国人の10人に1人は「憤怒調節障害」で、治療が必要と云う内容。要は直ぐカッと為る民族だから気を付けろ、これが「韓国人と云う病理」だとして居るのである。
 一応「韓国人の誰もがそうした言動を表に出す訳では無い事は断って置くが」としながらも「歪な社会構造に苦しめられる韓国国民の不幸があり、結果として抑えられ無い怒りの矛先が日本に向けられて居る可能性がある」と、現在の反日は韓国が抱えて居る社会構造にあり、そのハケ口として日本へ怒りが向けられて居るとして居る。


 




 ポストは『月刊Hanada』の記事をパクって居るだけ/span>

       9-11-6.jpg 嫌韓ライター・室谷克実氏

 確かに、このタイトルと内容は、嫌韓ヘイトに近いものがある。だが、この根拠と為って居るデータは、2015年に韓国の「大韓神経精神医学会」が発表したレポートだとあるから、ポストが捏造したものでは無い。更に言えば『月刊Hanada』(4月号)に、ポストでもコメントを出して居る嫌韓ライター・室谷克実「韓国成人の半分は憤怒調節障害」だと既に書いて居る。何の事は無い、この記事の殆ど丸写しなのである。
 売らんが為に、本家より過激に行こうと、杉田議員の差別的な一文を掲載した『新潮45』と動機は同じだろう。但し、ポストは本家の記事をそのママパクって居るだけで、編集者として言うなら、ポストの編集力は最低である。

 「小学館がこんなヘイト特集をヤル雑誌を出すのは可笑しい」と云う批判も有る様だ。しかし、小学館は遂最近まで『SAPIO』と云う雑誌を出し「日本人よ、気を付けろ北朝鮮と韓国はグルだ!」等と云う『月刊Hanada』や『月刊WiLL』と似た論調の記事を遣って居た事を忘れては行け無い。小学館は岩波書店では無いのだ。

 それなら講談社に対しても執筆拒否すべきだ

 40万部を超えるベストセラーに為ったケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(+α新書)を出した講談社も「講談社とも有ろうものが何故」と批判されて居る。だが、過つて私も在籍して居た講談社と云う出版社は、戦時中、陸軍や海軍と組んで膨大な戦争協力雑誌を出して大儲けした出版社である。
 付け加えれば「♪我が大君(おほきみ)に召されたる 命榮(は)えある朝ぼらけ」で始まる軍歌「出征兵士を送る歌」は、大日本雄辯會講談社(だいにっぽんゆうべんかいこうだんしゃ・当時の社名)が陸軍省と提携して居た九大雑誌で読者から公募したものである。 

 小学館に執筆拒否すると云う筆者達は、戦時中の反省も十分にして居ない講談社に対しても執筆拒否すべきだと私は思うのだが。
 今一つ、ポスト批判の中で気に為る事がある。9月5日付の朝日新聞が、ポストの問題で広告を載せた新聞の責任を問う声も上がって居るとして、朝日の広報部が「出版物の広告に付いては、表現の自由を最大限尊重しながら審査・掲載して居ます」と答え、広告の有り方を今後考えて行くとして居る。


 




 ポスト批判を切っ掛けに、新聞が「事前検閲」を強める恐れ

 私は週刊現代の編集長時代、新聞は事前検閲して居ると猛抗議をした事が何度かある。新聞広告は、発売の数日前に出さ無くてはいけ無い。それを見た朝日新聞が、性表現、自社の都合の悪い事を書かれた記事(これは他社も同じ)、皇室に関する記事では「表現を直せ」「直さ無いならそこだけ白地で出す」と言われた事が何度かある。
 今回、ポスト批判を切っ掛けに、新聞が事前検閲を強め、思想信条に付いての雑誌タイトルにもクレームを付けて来るかも知れ無い。要注意である。

 ポストは次の号(9/20・27)で「韓国の『反日』を膨らませた日本の『親韓政治家』たち」と云う巻頭特集を遣って来た。その中で、先の「お詫び」も掲載して居る。内容は、河野一郎、岸信介、佐藤栄作等、親韓と言われた政治家達は「その場限りの利権や贖罪の為の友好」(ポスト)だった為、政治家同士による真の友好関係が成り立って居なかったとし「安倍首相と文大統領の双方が彼我の外交政策を振り返り、両国の関係を見直す事に気付いてコソ、新たな外交が始まる」(同)と、至極真っ当な内容である。


 




 各局のワイドショーでは嫌韓暴言が乱発されて居る

 嫌韓ムードを、週刊誌や一部の雑誌が煽って居ると云う面は確かにあるが、ポスト、新潮、文春を全部合わせても、読者数は100万に届か無い。影響力で言えば、テレビが圧倒的である。そのテレビのワイドショーでも嫌韓発言が相次いで居る。
 韓国へ行った日本女性が、韓国の男に乱暴されて居る映像を見て「日本男子も韓国女性を暴行しナケりゃ」と『ゴゴスマ』(CBCテレビ)で発言した武田邦彦中部大学特任教授の発言は、人間として恥ずべきであるが、各局のワイドショーではそれに近い嫌韓暴言がバカなコメンテーター達から度々飛び出して居るのである。

         9-11-7.jpg 玉川徹氏

 そんな中で、今や『報道ステーション』よりも、テレ朝の報道の「顔」に為ったと持て囃されて居る『モーニングショー』(以下、『モーニング』)でも同様の事を遣って居る。世間ではテレ朝の社員であり乍ら、割合ズバズバとモノを云うと玉川徹の評価が高い様だが、私は懐疑的だ。

 「タマネギ男」の疑惑を1週間以上も繰り返して居る

 私は、毎朝、飯を8時過ぎに食べるので、フジの『とくダネ!』とテレ朝の『モーニング』を交互に見る事が多い。9月5日の『とくダネ!』は香港の民主派女性幹部・周庭(22)をインタビューして居たが、チャンネルを『モーニング』に回して、思わず「未だ遣ってんのかよ」と声が出た。「タマネギ男」こと、前・大統領府民情首席秘書官の゙国(チョ・グク・54)の疑惑を又遣って居るのだ。この原稿を書いて居る時点で1週間以上連続して遣って居た。
 日韓関係が戦後最悪と言われる中で、チョやその娘達の不正入学疑惑や、蓄財疑惑をこれだけヤル意味は何だろう。番組のCP(チーフプロデューサー)ならこう云うだろう「視聴率が好いんですよ」と。ワイドショーは「ナッツ姫騒動」や朴槿恵前大統領と友人の崔順実の収賄事件の時も、連日、面白可笑しく取り上げて居た。


 




 ムダに国民感情を煽って居るのは誰なのか

 今回のチョ・スキャンダルも、だから韓国と云う国は度し難いと云う論調である。これを見て居る視聴者が韓国好きに為る筈は無い。反韓とは言わ無い迄も、嫌韓人口を増やして居る事は間違い無い。9月5日(木曜日)は、チョの話題に続いて、ポストの嫌韓記事を取り上げ、玉川徹が司会を始めた。

 タイトルは「緊急特集 嫌韓感情とメディアの関係とは」コメンテーター達と玉川が「週刊誌を売る為に遣って居る」「アノ企画は小学館の上の方から遣れと言われたそうだ」「韓国を叩く事が愛国心」と口々に言った後、玉川がこう締めた。「メディアに関わって居る人間は、ムダに国民感情を煽っては行け無いと、僕は思う」
 オイオイ、それって天ツバじゃ無いのか。チョ・スキャンダルをヤルのは好い。だが、1週間以上、毎日1時間もヤルのは、嫌韓ムードを煽って居るのでは無いのか。私はポストと五十歩百歩だと思うのだが、玉川に聞いて観たいものである。

 国民は「好い加減にして呉れ」と怒り心頭

 北方領土は戦争で取り戻せと発言して顰蹙(ひんしゅく)を買った丸山穂高と云う衆院議員(大阪19区)が、今度は竹島を戦争で取り返すしか無いと云う問題発言をした。「ヤリたきゃ、お前が竹槍を持って戦争して来いや」
 私はそう思うが、怖いのは、そうした「ホンネ」に同調する層が僅かだが存在する事である。その僅かな人間達が、SNSで「好いね」を安売りし拡散して行くのだ。

 メディアやSNSに煽られた結果が、日本経済新聞の世論調査に現れて居る。8月30日〜9月1日の世論調査に依ると、韓国向けの半導体材料の輸出管理を強化した事は「支持」が67%で「支持しない」が19%だった。韓国との関係に付いて「日本が譲歩する位なら改善を急ぐ必要は無い」と答えた人も67%に上った。

 私は、これは安倍首相に対する国民の批判の声では無いかと考えて居るのだが。トランプ米大統領の靴でも舐めるが如き土下座外交、ロシアのプーチンには騙され続け、中国の習近平からは三等国扱いされて居る安倍首相に、国民は「好い加減にして呉れ」と怒り心頭なのだ。
 そこに、参議院選目当てに韓国強硬策を安倍が打ち出し、安倍首相御用達のメディアが煽ったものだから、欲求不満のハケ口として今回の様な韓国バッシングが起きたのである。


 




 日韓紛争は、トップ同士が話し合わ無いうちは解決し無い

 現在、メディアの多くは、権力の暴走をチェックする役割を果たさず、権力側のリークする情報を裏も取らず垂れ流す事だけに熱心だ。7割近くが韓国への強硬策を支持して居ると云うのは、その成果である。
 『週刊文春』(9/12号)も、「文在寅の自爆が始まった」『週刊新潮』(同)も「韓国大統領の『玉ねぎ男』大臣任命強行で検察が法曹を逮捕する日」と云う特集を遣って居る。だが、他国の事に過負けて居る場合出は無い。米中の経済戦争の影響で日本株は乱高下し円高が進んで居る。こんな中で10月には消費税が10%に増税されると云うのに、安倍首相は国会を開かず外遊と称して逃げ回って居る。

 景気後退、年金問題、消費の落ち込みに付いて、安倍首相は説明責任を果たそうともし無い。自民党には、そんなトップに物申す人間も居ない。このお粗末な政治状況を放置して於いて、韓国を難じるこの国のメディアはどう云う神経をして居るのだろう。
 民主化運動を闘って来た文大統領と、軍事独裁政権時の朴正煕から1965年の日韓国交樹立を裏で主導したと勲章を授与された岸信介を祖父に持つ安倍首相では水と油であろう。だが、嫌な相手だから会わ無いと云うのでは国のトップとしては失格である。徴用工問題に端を発した今回の日韓紛争は、トップ同士が話し合わ無い内は解決しない。それを後押しするのがメディアの役目である筈だ。戦後最悪と言われる日韓関係の中で、両国のメディアの力量も試されて居る。
(文中敬称略)


            9-11-8.jpg

 元木 昌彦(もとき・まさひこ)氏 ジャーナリスト 1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学等でマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)等がある。

          文 ジャーナリスト 元木 昌彦氏   以上


 




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