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2019年08月13日

枝野氏も豹変させた山本太郎の圧倒的な存在感


 

 枝野氏も豹変させた 山本太郎の圧倒的な存在感



         〜プレジデントオンライン 8/13(火) 18:15配信〜




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  参議院本会議を終え写真に納まる「れいわ新選組」木村英子議員・山本太郎代表・舩後靖彦議員


 〜野党再編の動きが活発化して居る。野党と云うと、今は山本太郎代表が率いる「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」と云った新興政党が注目されて居るが、秘かに立憲民主党を中心とした旧民主党勢力が、再結集に向けて動いて居るのだ。最大の要因は、参院選での「れいわ」旋風だと云う。野党結集の裏事情を解説しよう〜


 何故このタイミングで「超然主義」を捨てたのか

 「豹変」と表現しても、好いだろう。立民の枝野幸男代表はこれ迄、他党から合流や統一会派、比例区での統一名簿作成等のラブコールを繰り返し受けて来た。しかし、その都度「永田町の数合わせと見られたく無い」等と拒否。結局、参院選での選挙協力は、1人区で野党を1本化する等限定的なものに留まった。その、頑なな姿勢は「超然主義」等と揶揄されて来た。
 その枝野氏が8月5日、国民民主党の玉木雄一郎代表、衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」の野田佳彦代表と相次いで会談し、衆院で統一会派を組もうと提案したのだ。


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 提案後の記者会見では、当然の様に枝野氏の豹変に付いての質問が続いた。枝野氏の答えは「そうした事が必要なフェーズに入った」と云う歯切れの悪いものだった。
 ソモソモ枝野氏が国民民主等に手渡した文書も分かり難い。文書では、安倍政権が「数の力」を背景にした横暴を繰り返して居る事を強調した上で、それに対抗する為に「数の上でも、論戦力の上でもより強力な野党第1会派を作る」事が必要だとして居る。
 理屈は分かるが、安倍政権が数の力を背景にした政権を運営する状態は、もう何年も続いて居る。「何故今なのか」と云う疑問は残る。


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 旧民主を結集してから「れいわ」と協議する戦略

 枝野氏が変わった理由はハッキリして居る。7月の参院選挙で立民が思う様な議席を確保出来無かったからだ。初めての参院選を改選7議席で臨んだ立民は17議席獲得。躍進した様に見えるが、選挙前には20議席を超えるとの見方もあった。伸び悩んだのだ。

 2017年の衆院選で見せた「枝野人気」も、今回は明らかに陰りが見えた。今のままでは「安倍1強」を脅かす事は出来無いと総括せざるを得無い結果だった。特に枝野氏が危機感を持ったのは山本太郎氏の存在感だった。参院選での山本氏の人気は、2年前の衆院選で自分に寄せられた期待を遥かに上回るものがあった。
 立民と「れいわ」は、脱原発、弱者目線等、政策的に立ち位置が似て居る。しかも「れいわ」の方が、よりリベラルで、より歯切れが好い。詰まり「れいわ」は立民に取って強力なライバルと為る可能性がある。実際「れいわ」が参院選比例区で獲得した228万余りの票は、本来為らば立民に行く票が多く含まれて居た。


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 「数の力」を背景に参院でも共闘関係を作る

 仮に次の衆院選で「れいわ」と選挙協力が出来ず、競合する事に為ったら間違い無く沈んでしまう。「れいわ」も含む野党共闘を確立するのが唯一の生きる道。しかも自分が主導する形で野党共闘を築きたい。
 そう云う枝野氏の心理を読めば、旧民主党勢力の国民民主と「社会保障」で統一会派を組もうと声を掛けた理由が手に取る様に分かる。先ず、旧民主党勢力で大きな塊を作った後、山本氏との交渉に入る考えなのだろう。

 ソモソモ今回の枝野提案が衆院に限定した統一会派を念頭にして居る理由は何だろうか。「れいわ」は参院で2議席確保したが衆院はゼロ。衆参同時に統一会派を組むと云う事に為れば「れいわ」にも声を掛けるのが筋だ。しかし、枝野氏はその手は取ら無かった。先ず「れいわ」の居ない衆院で塊を作り、その後で「数の力」を背景に「れいわ」の居る参院でも共闘関係を作る。そう云った思惑が透けて見える。

 旧民主党勢力内で内輪揉めして居る暇は無い

 今の処、衆院統一会派構想は成就しそうな空気に為って来て居る。国民民主も、野田氏等「社会保障」も、枝野氏の声掛けを基本的には歓迎して居る。
 枝野氏の声掛けは、好く読むと「院内会派『立憲民主党・無所属フォーラム』に加わって、衆議院で共に戦って頂きたく」とある。国民民主や「社会保障」と新しい統一会派を組もうと云う呼び掛けでは無く、自分達の会派に入る様求めて居る。対等合併では無く吸収合併を呼び掛けて居るのだ。

 これは玉木氏や野田氏に取っては屈辱的な提案だ。実際、国民民主内には反対論も根強い。それでも玉木氏が前向きの姿勢を示して居るのは、玉木氏も枝野氏と同様に、嫌それ以上に自分達の党の将来に危機感を持って居るからだ。彼等も「れいわ」と競合する事の恐怖を感じて居る。旧民主党勢力内で内輪揉めして居る暇は無いのである。
 枝野氏が提起した「統一会派」構想は多少の曲折はあるだろうが、会派名を変えるとか、参院側の結集に付いても文書を交わす等の妥協を経て成就するのではないか。


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 「100人擁立」は取り下げへ 山本氏も共闘に乗る構え

 これ迄野党内では何度か結集の機運が出たが、その都度温度差が露呈し、それをマスコミが報道する事で成就し無い事が続いて来た。今は山本氏やN国に注目が集まり、旧民主党勢力は余り関心を持たれて居ない。ネガティブな報道が出ないお蔭で、結集もし易いかも知れ無い。だとしたら、これも「れいわ」現象の余波と云う事に為るのだろう。

 山本氏の方はどう考えて居るのか。参院選直後には、衆院選に候補者を独自に100人立てると云うアドバルーンを揚げた山本氏。この発言が、枝野氏等を「統一会派」に走らせたとも云えるのだが、山本氏は最近、時事通信社のインタビューに対し「(100人を立てると云うのは)単独でヤル場合だ。野党が共闘して行くなら協力する」と述べて居る。
 参院選期間中は、自分達の事を「最も厄介な抵抗勢力」と呼んで居た山本氏だが、野党共闘に向けては柔軟な様だ。

 衆院選は289ある1人区(小選挙区)が主戦場と為り、自民党候補との一騎打ちに勝た無ければ為ら無い。単独で戦うよりも野党結集に乗った方が成算があると云う計算が山本氏の頭の中にはある。山本氏は最近、政権交代の必須課題として「野党共闘の深化」を挙げて居る。

 天王山は10月27日の参院埼玉補選

 立憲・国民・「社会保障」の3会派が衆院で統一会派を組むと117人の勢力と為る。自民党は285議席なので「1強」を脅かす存在と迄は言え無いが、安定した支持を持つ立憲、労組の支持を受ける国民民主、首相経験者の野田氏等政治経験豊かで選挙にも強いメンバーが揃う「社会保障」が手を組めば、それ為りにインパクトがある。
 そこと山本氏の「れいわ」が手を組めば、有権者は「今度こそヤル気だ」と思うかも知れない。当面の天王山は10月27日に行われる運びの参院埼玉補選だ。そこで野党が統一候補を擁立し、街頭演説で枝野・玉木・野田の3氏と山本氏と並ぶ事が出来れば、ゲームは面白く為る。

 補選候補が山本氏なら更に盛り上がる

 この際、山本氏が補選の候補と為ると云うウルトラCも浮上して来るかも知れ無い。今、国会議員バッジを持た無い山本氏は、次期衆院選に出馬する意欲を見せて居る他、来夏の東京都知事選にも色気を見せて居る。しかし、衆院選や都知事選よりも早く行われる埼玉の参院補選で山本氏「野党共闘深化の象徴」として立ち振る舞えば、注目度も高まる。当選すれば国会での野党の戦力も上がるだろう。

 枝野氏は自身の地元でもある埼玉の補選で、何処までリーダーシップを発揮出来るか。真価が問われる処だ。そして、その推移は野党共闘の行方を左右するのは勿論の事、安倍晋三首相の衆院解散戦略にも影響を及ぼす事に為る。


      プレジデントオンライン編集部  以上



 【管理人のひとこと】


 衆院選挙に向けて野党の集合離散が始まる様だ。選挙目当ての数合わせ・・・無論そんな批判は覚悟の上だろうが、出来る事なら或る程度の政策上の擦り合わせを行った末の「統一会派では無く、もう少し次元の高い意志の統一された組織」と為る方が見栄えもするし対自民に対する影響力も違うだろう。一番に理想的なのが新たな党名の下に集まる組織だ。
 ここで問題なのが、この仲間から共産党を外してしまうのか、そして社民党も離れるのか・・・10月の消費増税の仕掛け人である野田氏が入る事で「消費税ゼロ」を唄う山本氏と折り合いが着くのか・・・の問題が残るのでは無かろうか。

 管理人としては、消費税に対する税思想が根本的に異なる野田氏と山本氏は、所謂、水と油では無かろうかと感じるのだが。野田氏が加入する事で不純な要素が混じり結集する力が削がれる様な気がする。それよりも、共産党との協調を強めた方が山本氏の政策がより鮮明に為り強化されると感じる。
 旧民主党からフラフラと宙に浮く動きで、結局は自民党二階派入りをした某氏の様に、新自由主義的な感覚が消費増税・プライマリーバランス重視を政策に押し上げた背景にある。言わば、ノン・リベラル臭が匂う人達だ。そこが、旧民主のアキレス腱であり松下政経塾生の限度だろう。

 彼等は、如何しても現実(自民の政治)を否定出来ず、それを肯定しつつ改革や変化で交わそうとするのだが、結局は全ての政策は自民に持って行かれてしまう。元々違いは無いのだから、単に自民の反主流派の一翼に過ぎ無い。それが限度であり、行く行くは自民に吸収される事に為る。
 無論、この手の政治家も大切であり、行く行くは二階氏の様に自民の幹部に為る人も出様が、山本氏とは相容れ無いだろう。彼は、初めから自民政治の否定から入る政治家なのだから。

 埼玉参院補選・都知事候補と、山本氏には選択肢は多いのだが、出来れば、野党合同統一の指導者・シンボルとしてモットモット大きく育って欲しい。その為には、直ぐに職を得ずフリーな立場で広く深く研鑽を積み、出来れば海外の与野党とも懇意に為って、知識や人脈を広げて貰いたい・・・





韓国で日本ボイコットに反旗? 日本文化めぐり分断国家の世論割れる


  

 韓国で日本ボイコットに反旗? 日本文化巡り分断国家の世論割れる



      〜ニューズウィーク日本版 8/13(火) 18:17配信〜




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 「堤川国際音楽映画祭」を主催する堤川市長は、日本製品のボイコット行動を理解するとしつつ、純粋な芸術作品として日本映画を上映すると伝えた


 半導体材料の輸出規制から一気に拡がった日韓の対立は、アッと云う間に日本の文化や訪日旅行に対しボイコットする流れが出ているが......ここ最近、日韓両国政府の対立が慌ただしい。
 連日の様にニュースで報道され、ネットでも「韓国」の文字を見ない日は無い。それ迄も様々な摩擦はあったものの、日本側が輸出管理の「ホワイト国」から韓国を除外した事で、更に問題が深刻化して居る。

 韓国でもこの件に関する日本側の動きに付いて大きく報道され、政府同士の政治的な問題から始まった対立は、民間レベルにまで広がって来て居る。これも日本製品不買運動から「行か無い/買わ無い/売ら無い」をキャッチフレーズとした様々なボイコットに迄エスカレートしつつある。そして今、日本ボイコット「NO JAPAN」の波はエンターテインメントや芸術の分野にまで押し寄せて来た。


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     公開延期に為った『ドラえもん のび太の月面探査記』韓国版


 先日、元AKB48のメンバーだった竹内美宥さんが、7月末に韓国で発表する筈だった新曲のリリース延期を発表した。プロデューサーのユン・ジョンシンさんのインスタグラム投稿によると、日韓関係の悪化を考慮しての決断だと云う。
 竹内美宥さんは、日韓共同制作の女性アイドルオーディション番組『PRODUCE 48』に参加、最終選考まで残った実績があり、この番組終了後にAKBを卒業。その後、韓国の事務所の門を叩き研究生としてトレーニングからスタートし、ミニライブ等でデビューに向けた準備を進めて居た。実力派シンガーを抱える事務所からソロデビューを果たす直前での延期だけに竹内さんの落胆は如何ばかりだろう。

 他にも、Twice等韓国で活躍して居るK-POPアイドルグループの日本人メンバーに対して、ネットで連日の様に日本や日本人に対する批判が書き込まれたりして居る。又、7月には日本のタンゴバンド、クワトロシエントスが、韓国の芸術の殿堂ホールでコンサートを行った際に、曲間のMC中に韓国人の聴衆の一人が立ち上がり日本人批判を叫んだと云うトラブル迄起きて居る。

 一方、今年10月に日本で開催予定の「第59回ミス・インターナショナル」では、韓国のミスコリア大会で入賞した7人が参加予定だったが、今年はボイコットする旨を発表して居る。
 又、8月1日に愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」にて、慰安婦を象徴する少女像を含む展示が3日目で中止された。開幕から2日目で1400件を上る抗議が届き、放火予告の脅迫まであった為だ。
 この様な大きな事件以外にも様々な場所で日韓関係の悪化がエンターテインメントや芸術の分野に影を落として居る。

 映画界では日本映画自粛の動き

 そして筆者が個人的に恐れて居た映画界に迄その影響が出始めた。8月14日に韓国で公開予定だった『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の配給会社は「国民感情を考慮し、公開を無期限延期した」と発表した。現在も「年内に公開」と云う記載はあるものの、何時に為るか等の情報は無い。
 又ドラえもんよりもひと足先に公開された劇場版『名探偵コナン 紺青の拳』は、8月9日の時点で観客動員数が21万8千人と云う結果と為ってしまった。

 2016年公開された『名探偵コナン 純黒の悪夢』は約52万人。2017年公開の『名探偵コナン から紅の恋歌』45万人、去年公開の『名探偵コナン ゼロの執行人』42万人と云う動員累計数を見ても、今年の客足の落ち込みは明らかである。
 韓国でも人気の高いアニメシリーズ2作の劇場版だけに、ここ迄影響が出てしまうと日本映画を扱っている映画輸入会社は驚きを隠せない様子だ。
 又、8月29日から開催される「忠清北道国際武芸アクション映画祭」では、元々日本映画『座頭市』をモチーフにして居た公式ポスターを急きょ差し替え、映画祭期間中に行われる筈だった「座頭市オリジナルセクション」の上映中止を発表した。

 そして映画コンテンツの2次版権への影響をみると、公営放送局EBSは、7月27日オンエアの「世界の名画」で、日本映画『万引き家族』を放送予定だったが、直前でイタリア映画『夕陽のガンマン』(1965年)に差し替えた。
 映画輸入会社は、劇場での売り上げだけでは無く、その後展開される2次版権も見越して映画を購入する。放送局に放送権を売り、配信コンテンツ会社とインターネットやVODの版権を取り引きする事で利益を上げる作品もある。だからこそ、何百万人も動員出来るハリウッドの派手な超大作とは反対の、公開規模は小さくても素晴らしい作品を買い付けて公開する事が出来るのである。


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              映画『万引き家族』


  映画『万引き家族』の是枝裕和監督は、韓国でも人気が高い日本人監督のひとり。しかもカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した話題作である。そんな作品ですら放送を取り辞める様な状況に為ってしまったら、今後韓国の放送局は日本映画の放送権購入を渋りだし兼ね無い。そうすると、韓国の映画買い付けバイヤーは日本映画の購入から足が遠のいてしまうのは確実だ。

 この様な悲観的なニュースが目立つ一方で、日韓関係に前向きな決断をした映画祭も現れた。

 8月8日から開催されている「堤川国際音楽映画祭」だ。今年で15回目に為る堤川国際音楽映画祭は、今年上映される127本の映画の内7本が日本映画(アメリカ/フランス等との合作含む)だった。上映プログラムが発表されたのは、日韓関係がこれ程悪化する以前だったが、日韓両政府の対立が深刻に為って行くに連れ堤川市議会は7本の映画の上映中止を要請。
 しかし、今回の映画祭組織委員長を務めるイ・サンチョン堤川市長はそれに屈せず、開催4日前の8月4日にSNSを通じて「7本の内4本は、日本と外国との合作及び投資作品で、残りの3作も政治とは関係の無い映画だ。これ等の映画は政治と切り離した純粋な芸術作品である」と上映中止する考えの無い事を発表。
 日本政府批判や日本製品のボイコットをする行動に理解を示しつつも、映画を愛する観客として映画祭への日本作品参加を認めた。

 又、日中韓合作アニメ映画『あなたをずっとあいしてる』は、一時は公開が危ぶまれたが、合作であり韓国が企画・制作・投資も行った事を強調し、8月14日に無事公開が決定した。冒頭で書いた様に、奇しくも同日公開予定だった『劇場版ドラえもん のび太の月面探査記』は無期限延期と云う結果に為ってしまっただけに『あなたをずっとあいしてる』は興行的にも成功して欲しいものである。

 「映画の奇跡」を邪魔するな

 筆者自身は政治の専門家では無いので、現在の日韓関係に付いてドチラが悪い等アレコレ論じる積りも無い。しかし「映画」に携わって居る者のひとりとしてエンターテインメントや芸術についてだけは一言言わせて貰いたい。
 映画バイヤーとして様々な国の映画を国境を越えて配給して来た筆者は、今迄何度も映画に国境は無いと云う奇跡を目にして来た。自分が輸入した日本映画の試写会で感動したと涙目に為りながらワザワザお礼を言いに来た韓国人女性観客。
 韓国映画にハマり、輸入前の字幕の着いていない韓国映画迄全部見たいが為に必死で語学勉強した結果ペラペラに為った日本人。プサン映画祭で、何とか日本人監督にその監督の作品が素晴らしかった一言伝えたいが為にホテル前で何時間も待って居た映画学校に通う韓国人学生・・・

  筆者自身、映画の世界で生きて行くと決めたのは『JFK』と云うハリウッド映画を小学生の時に観たことが切っ掛けだった。もしも何等かの理由で規制が掛かる等してこの映画が日本で公開され無かったら、その後の人生は大きく変わって居ただろう。そう云う意味では自分自身、映画に国境は無いと云う奇跡の証人である。
 だから常に自分が輸入した映画はどんな作品であれ「もしかしたら観客のその後の人生を変えてしまうかも知れ無い」と云う気持ちで大切に公開して居た。だからこそ、政治的対立から特定の国の映画がこの様に排除されると云う事態に付いては決して黙っては居られ無い。

 勿論、観客が自身の好みと違うとか、主義主張と相容れ無いと云う事で日本映画や韓国映画を観に行か無いのは個人の自由である。しかし、文化やアートに政治が介入するとか、逆に政治的な対立に忖度して創り手が作品を見て貰え無い、観客が観る事を憚(はばか)れる、と云った事態は、絶対に許され無い。在っては為ら無い事なのである。


  ウォリックあずみ  以上

メディア不信と新聞離れの時代に、鋭い記事目立つ毎日新聞の「挑戦」



 

 メディア不信と新聞離れの時代に 鋭い記事目立つ毎日新聞の「挑戦」


     〜HARBOR BUSINESS Online kash  PIXTA(ピクスタ)8/13(火) 8:31配信〜


 




 光る記事目立ち始めた最近の毎日新聞

 映画『新聞記者』でも描かれて居たが、今新聞記者を巡る環境に注目が集まって居る。その一方で、デジタル化に押された部数の伸び悩み、或いは政権による圧力「中立公正」というお題目を勘違いした政権への忖度、記者の力量不足など、内外に「報道の信頼性」を阻害する問題を幾つも抱えて居るのもまた現実だ。

 そんな中、ここ最近際立ってエッジの利いた記事を連発している新聞がある。毎日新聞だ。例えば、三原じゅん子議員の「恥を知れ」演説で語られた「民主党政権の3年間、年金支給額は、何と引き下げられて居た。安倍内閣は全く違います」発言を一早くファクトチェックした「年金支給額は増えたのか 三原じゅん子議員の演説をファクトチェック」 (6月30日)
 或いは参院選投票日前日に行われた安倍首相の秋葉原演説をリポートした「『親安倍』『反安倍』の人達が罵り合い 騒乱の安倍首相『秋葉原演説』を見に行く」(7月20日)等である。どちらも「忖度」とは真逆の、鋭い視点に立ち尚且つ速報性にも富んだ記事だ。

 毎日新聞の何が変わったのか?ここ最近、当サイトでメディアへの苦言を呈して来た法政大学の上西充子教授が、これ等の記事を統括する毎日新聞統合デジタル取材センターのセンター長、齊藤信宏氏を直撃。その「変化」の背景を聞いた。



 一騎当千の記者が存分に書ける環境

 上西充子教授(以下、上西) 最近、私はHBOLでこういう記事を出したんですね。朝日新聞の参院選前の連載である「問う 2019参院選」の第一回「『嘲笑する政治』続けるのか」(7月7日)と云う記事に付いての記事なんですが。アノ記事は全体としては好いんだけど「笑われる野党にも責任がある」と云う一言があったんです。

 バランスを取って居るのかも知れないけど、流石に問題点は「嘲笑する側」の政権にある訳で、こう云う言い方は無いだろうと批判したんです。他にも、新元号の発表の時の報道を批判する記事や、小川淳也議員による根本匠厚生労働大臣の不信任決議案の趣旨弁明演説を悪意ある切り取りをして報じたNHKを批判する記事とか。
 そうした歪曲された報道だけで無く、高度プロフェショナル制度等は踏み込んだ報道が少無かった感もあり、国会が如何に異常な状態に為っているか、報じられる事が減って来ているんじゃないか、ものが言え無く為っているんじゃないかと云う危機感を抱いて居て。

 そんな中で、ここの処毎日新聞の記事に目が行く事が多く為ったんです。例えば、ご飯論法もインフォグラフィクスを入れて分り易く取り上げて頂いたり(参照:政府答弁は論点のスリ替え? ネットで話題「ご飯論法」|2018/5/27、おさらい「ご飯論法」って? 「パンは食べたが黙って置く」すり替え答弁を可視化|2018/11/19)、三原じゅん子議員演説のファクトチェックや安倍首相の選挙前秋葉原演説等、目立った記事が多く、それが統合デジタル取材センターによるものだと云うクレジットが多くて。
 踏み込んだ記事と云うのは文字数が要るけど、Webだからこそ可能なので、デジタルで遣っているのかなと。デジタルで踏み込んだ記事を書く事によって、それが読まれて評価されてって云う好循環が回る様な仕組みがあるんであれば、そう云う仕組みに今回一寸注目をしまして、お話を伺いたいと思ったんです。


 統合デジタル取材センター長・齊藤信宏氏(以下、齊藤) ありがとうございます。前提として統合デジタル取材センター(以下、統デジ)と云うのは今から2年、もう2年半近くに為りますけども、2017年の春に出来たんです。
 私自身はこの春、経済部長から異動して現職に為ったんですが、この春から大きく変わった点があるんですね。それは統合デジタル取材センターの記者の人数を倍増したことなんです。なので、先生が最近好く目につく様になったという一因は、単純にマンパワーが倍になったと云うこともあります。
 只、この部署は、2年半前から居る記者も含めて、政治部、経済部、社会部、外信部、それから大阪本社とか福岡本社といった各部署の、言わば一騎当千の記者を集めているんです。私は所属長として、他の3人のデスクと現場の記者の原稿を見る立場ですが、細かいことを言わなくてもじゃんじゃん原稿を上げて呉れるんですよ。


 上西 一カ月でどの位の記事量を配信しているんですか?

 齊藤 ざっくり言って、月に100本から120本ぐらいですね。単純に30で割ったとして1日4本位になりますけど、土日は少し少なくなります。だから1日4〜5本ですね。
 統デジの記事の特徴としては、第一に紙の新聞記事とは字数が大きく違うと云うことがあります。1本の行数が格段に長く、新聞的に言う30〜40行位のベタ記事が無いんですね。元々、紙の新聞って、スペースに制限があるので、削られることが大前提なんです。だから大きな事件があると、それまで一面のアタマにあった記事も全部削られてベタ記事に為ってしまうこともある。それが紙の新聞の宿命でした。
 処が今はデジタルなので、書けばどんな大事件が起ころうが選挙があろうが、4千字でも5千字でも幾らでも載せられる。そのため、記者は取材の成果を全部、字にする事ができる。そう云うところに、一騎当千の記者達も、遣り甲斐を感じてやってくれてるんじゃないかと思っています。


 上西 こういう記事を書きたいって云うのは、夫々の書き手が決めるんですか?

 齊藤 週に1回、全員集めて会議をヤッテいます。そこで、今週取材するネタを3本出してくださいと。
 例えば、参院選投票日前日に、安倍首相の演説を秋葉原に聞きに行くと云う企画をある記者が出しました。それは月曜日にネタを出して、7月20日土曜日に取材。でも翌日は投票日なので、取材したその日に出さないと意味がない原稿です。
 そのため、月曜日のネタだし後に、彼は安倍さんの過去の演説についての取材メモや記事などを読み直し、現場の取材以外のデータを全部揃えた状態で当日現場に行って、その後バーっと原稿を書いて夜中までに出しました。



 




 官邸や社内政治部からの「クレーム」は?

 上西 この記事が良いのは、配信されたのがホボ選挙の日じゃないですか。普通そう云う時って当たり障りのない、安倍首相はこう言いました、みたいなストレート記事だけで踏み込んだことを言わ無い様なものを出すと思うんですけど、これ可成り政権批判的なニュアンスもありますね。

 齊藤 これまで、確かに報道はバランスを凄く大事にして来たんです。特に選挙取材って物凄くセンシティブなものがあるので。
 これまでの政治部による報道がまさにそうですし、新聞社もテレビ局も、例えば自民党を取り上げたら、立憲民主も取り上げなきゃいけないし、共産党も取り上げなきゃっていうやり方をしていたんです。でも、それによって、選挙期間中の報道って、物凄く平板に為っているんです。今でも新聞で政策比較とかやっていますが、どうしても当たり障りの無い内容に為り勝ちなんですよ。
 ネットで読んでいる人っていうのは、新聞みたいに家に届く訳ではありませんから、読みたく無ければ読ま無いわけです。詰まらなければ読んで貰えないんです。だから、読者に読んで貰える様な記事を出さないといけないという気持ちが記者全員にあると思います。

 あと、ネットの好いところは、紙面は制約があるし、パっと見ると写真が並ぶので、各党の党首が揃っていないと何かバランスを欠いた感じになりますよね。でも、ネットであれば、その日は、山本太郎さん、次の日は安倍晋三さん、次は枝野幸男さんと、一日交代で誰か党首が出ていればそれでトータルで1週間見たら、バランス取れるんじゃないですかと。
 だから、安倍首相の演説を取材した同じ記者は、山本太郎さんも取り上げて、その次の日は別の記者が、秋葉原でコスプレやった玉木雄一郎さんを取り上げた記事も出しているんです。


 上西 政権批判的な記事を出すと、官邸からクレームが来たりしませんでしたか? テレビだと、街頭インタビューの取り上げ方などに偏りがあるとして、幹部あてに電話が来たなんて話がありましたけど……。

 齊藤 それは無かったですね。テレビは影響力が大きいからセンシティブになっているのかもしれませんね。ただ、もし私が政治部記者で、官邸詰めの記者だとしますよね。で、私が普段から首相官邸を取材して、安倍さんとか菅さんとか、官房副長官とか、そういった人たちを取材していて、そんな私が批判的な記事を書くと「ちょっと齊藤さん、何時もね、あれだけお付き合いして色々なことをザックバランに話しているのに、これは無いでしょう。貴方、一寸どう云うことですか?」って、言って来る可能性はあります。
 後は、社内で、政治部のデスクから「アノ表現は一寸品が無いんじゃないですかね」みたいなことを言われた事ありますが、クレームと云う程のものはありませんね。飽く迄感想レベルです。


 旧態依然とした新聞社の「改革」

 上西 いま、政治部・社会部という他部署の話が出ましたが、統合デジタル取材センターっていうのはそういう色んなところから、2017年春に人員が集められた訳ですか。デジタル記事を書く為に?

 齊藤 はい。新聞業界というのは、実はすごく硬直した組織になっていたんです。霞が関の官僚の人と話していると、よく言われるのは「霞が関のこと批判してくれるのはいいと思う。古いとか旧態依然としてるとかって。でも少なくとも霞が関は省庁再編もしてるし、なくなった官庁もあるし、大蔵省は二つに割れて財務省と金融庁になったりしてるんですよ。でも、新聞社はなんですか」と。
 確かにその通りで、明治時代からほぼ政治部・経済部・社会部・外信部・運動部って縦割りの組織は変わっていないらしいんです。

 更にその組織の中で、朝刊夕刊に原稿を出す、特ダネを出すというのも変わっていない。これが100年以上続いていたわけです。紙に出すことが最大の目的で、紙で特ダネを書くことと、紙に事件や事故の一報を載せるというのが最大の仕事なんです。
 例えば朝刊の締め切りが夜だとしますよね? そうするとですね、朝発生した事件、あるいは午前中に起こったような出来事でも、夕刊への一報の出稿が終われば、後は翌朝の朝刊に間に合えば好いなとなる。そうすると、ユッタリ昼ご飯食べて、お茶飲んで、ちょっと取材相手と連絡を取って、取材したりして。で、夕方5時6時ぐらいから「さてやるか」っていう感じで、原稿を書き始めるわけです。
 そうしたら、ネット上ではもうバンバンその話は流れているんですよ。で、翌朝にはもう古臭い話になってしまう。

 こうした習慣は染み付いたものなので、ナカナカ改められ無い。それならばゲリラ部隊を作ろうと。そういう目的で設置されたのが統合デジタル取材センターです。だから私も、最初の頃、記者たちにこう言ったんです。「我々は、政治部・経済部・社会部から記事をぶんどって来る、原稿をぶんどって来るのが仕事だから、もう彼らがモタモタして居る様だったら、こっちで書きますからと言って、ガーッとこっちでやっちゃえ」って。つまりこう、社内で変革していく為に突破口を作ろうという思いで設置されたんです。


 上西 突破口を作ろうっていうことは、どこが決断したんですか?

 齊藤 それは上層部ですね。というのも、記者クラブ持ちだったり、遊軍だったり、様々な記者が1000人近くいますが、彼らは各々課題があって夫々の課題を追い掛けているわけです。そうして眼の前の仕事に追われていると、新聞の部数が年々減って居て、デジタルの時代に為ってますよって云うことはわかっていても、なかなか動けないわけです。だから、上の人間がこれジャ駄目だと声をかけないといけなかった。処が、一回声をかけてみたら「出来る奴」が出て来て、ダーッと動き始めるんです。

 上西 そういうスタッフはやはり若い世代になるんですか? とはいえ、こうした長い記事となると、1人で企画を立てて、アノ人に聞こうとかそういうアテもあって、取材して全部書いてだから、かなり力量がいりますよね。

 齊藤 大体10年目位ですね。新人は支局に必ず4〜5年行って、そこで事件取材とか選挙の取材とか、高校野球だとか社会人野球だとかの取材をして、その後、東京や大阪、福岡の各本社等に異動して、大きな組織に入ってそこでヤル。そこで5年ほど経験を積んだ記者を、よりすぐって引き抜いてきた感じです。


 




 縦割りを超えて起きたケミストリー

 上西 これまではその社会部と経済部と政治部ってのが縦割りだったわけですよね。それが各々が違うところから来ることによって、何かケミストリーと言うか、そういうのはあったんですか?

 齊藤 これが面白いことに、記者たちはすごくプレッシャーを感じていたようなんです。要は、出来る記者というのが集まっているので、彼はこんなのを書いた、彼女はこんなのを書いたというのをすごく気にしているらしくて。
 だから月曜日の企画会議がすごく嫌だとか言う声もありましたね。後は、他の人とネタが被ったらどうしようとか。ただ、みんな興味関心が微妙に違っていて、不思議と被らないんですよ。最も、選挙の取材とかは同じような話が出てきたんで、チームを組ませることもありましたが。
 夫々に得意のジャンルっていうのは矢張りあるんです。例えば政治部経験が長い記者は、アノ自民党の「ネトウヨ小冊子」として話題に為った冊子も、一早く何処かから入手して来て「これみてくださいよ」って言ってきた。


 上西 やはりそういう「得意分野」を作るためにも、10年くらいかかるんですね。で、そうした人はいたけど、書く場所がなかった。それが統デジができたことで書く場を得たと。

 齊藤 はい。そして今も、各部に書ける人間、書く場所を与えたら活躍する人間はいます。いるんですけど、例えば総理番やってねって言われたら、安倍首相にずっとくっつく。政調番といったら政調会長の動きをずっと追うとか、そういうそのルーティーンの仕事があるわけです。
 ただ、それは、ルーティーンの仕事かもしれないけど、実は彼らはものすごく一般の人はリーチできないような世界にリーチしてるんですよ。だから僕も常々政治部や経済部に言ってるんです。ルーティーンの仕事だとしても絶対読まれる記事になるネタがあるって。

 例えば、麻生太郎さんがいますよね。彼は火曜日と金曜日の閣議後に必ず記者会見やるんです。このとき、妙なことを言ったら記事にはなりますが、そうじゃないときも火曜日と金曜日は必ず麻生さんの話を記者は聞いているわけです。
 だったら、担当記者は、あの会見の一部始終を「麻生日記」とかいって、閣議から帰ってきたときの表情から、服装から、帽子かぶってたのかぶってないのとか、なんか足組んで座ってたとか、記者がこう言ったらそれに対して「お前勉強不足だな」と言ったとかね。そういう一部始終を全部原稿書いて、こっちにくれよと。そしたらそのまま出すからって。絶対読まれるよって。

 経済部で言うと日銀の黒田総裁が、必ずあの政策決定をやった後はみっちり1時間ぐらい会見やるんですよ。そこで、大したこと喋らないときもあるんですけど、それでも結構あーでもないこーでもないといろんな言い訳したりするんです。それなんかも、断片だけじゃなくて、ずらっと全部見せたらいいんじゃないかって。そんなことはたぶん、現場にいて紙の新聞だけを作ってきた記者は、思いがなかなか至らないんですよね。


 上西 紙幅を気にしなくていいデジタルだからできることですね。会見とかって、ギュッと圧縮するとまともなこと言っているように聞こえてしまいます。実際はウニャウニャ言っているだけであっても。それが、全文を見ることでわかっちゃうんですよね。

 齊藤 吉本興業の岡本昭彦社長の会見も5時間半でしたけど、全部文字起こしして、全文をネットに流せって、わーっとやったんです。生放送はやっていましたからそれ見てる人は好いでしょうけど、5時間半見てる人はナカナカいないんですよね。だから文字に起こすことによって、暇な時間にちょっと見て、ざーっと斜め読みしていったら、こんなことを言ってるんだってわかるんですよ。


 




 読者が「ジャーナリズム」を応援して支える時代

 HBOL編集部 先ほど記者の間で良い意味での競争心があるということをおっしゃいましたが、書いた記者にその書いた記事毎のPV(ページビュー)みたいなものっていうのは公開されているんですか?

 齊藤 それもですね、実はこれまではあんまりしてなかったんですけど、この春から前日にどんな記事がPV稼いだかっていう、1位から20位までのランク、それからユニークユーザー(一定期間内にサイトを訪問して記事を見て呉れた人)で、うちの有料会員に繋がる様な読み方をしてくれた読者の数が多かった1位から20位の記事を、メールで編集局の全員で共有するようにしています。
 それだけでも、だいぶ各部も3ヶ月で心持ちが変わってきました。例えば政治部はデジタル担当デスクを1人置いて、面白い政治ネタが政治部からも出てくるようになってきています。

 新聞で一面のアタマに為る記事と、ネットでPVを稼ぐ記事って全然違いますよね。それが、新聞だけ作っているとなかなか想像できないんです。で、何かというと、どうせネットって猫の話だとか、どこのタレントが結婚したとかそういうのが読まれるんだろうっていうぐらいの感覚でいる人たちも多いんですよ。いやそうじゃないですよと。安倍さんの話でも一番読まれていますよと。そういうことをまず伝えていくことから始めているんです。


 HBOL編集部 逆に言うと今年の春までそれができていなかったというのは、確かに組織的に旧態依然としていたんですね。でもそうなってくると、これからPV至上主義の弊害も出てくる可能性があるわけですね。

 齊藤 そのへんは色々研究しているところです。例えば、日経さんはデジタルでは新聞業界の最先端を行っているけど、敢えてPVを知らせてないって聞きました。逆に、もう全部自分のパソコンで自分の書いた記事から他の人の書いた記事までPVを見られるという社もあると聞きます。どちらがいいのか、研究しつつという感じです。
 ただ、各社共通しているのは、新聞社はもうPVの広告収入よりサブスクリプションというか有料会員をどう獲得して行くかに主眼を置いていると思います。なので、PVも指標としては参考にするけど、本当に必要な記事はどういう記事かというと、デジタル毎日を有料で購読して呉れる方がキチッと読んで呉れている記事ということになりますから、そこを重視しています。そして、有料会員も、昨年から見ると2倍、3倍と増えており、効果は出ていると思っています。


 HBOL編集部 ただ、有料になるとニュースを広めるという点ではデメリットがありますよね。

 齊藤 そこは確かに大きな課題です。ただ我々からするとですね、元々有料だったでしょうって云う気持ちもあるんですよ。新聞を取って頂いている方々は有料で取って頂いていたので、それが1990年代の後半位からネットで無料で読む流れになり、それが常識になってしまった。
 私は10年くらい前にアメリカにいたことがありますが、私がいた当時のアメリカが、今の日本の状況と同じような感じでした。それまで全部無料で見せていたのを、ウォールストリートジャーナルとか、ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストが最初に閉じて有料化し始めて、閉じると当然のことながら、今おっしゃったような議論がヤッパリ起きたわけです。
 でも、そもそもニュースが無料というのはおかしいだろうと。これだけ人件費かけて、手間かけて作っているのに、無料じゃないよという意識を、もう1回、読んでいる方々に持って貰わないと。この業界自体がジャーナリズムも含めて、成り立た無いよという原点に立ち返っているという感じです。


 上西 読者の側も、ジャーナリズムっていうのを支えるためにもサブスクしないとなっていう意識を持つ必要があるということですね。

 齊藤 あとは、今の最大の課題は、若い世代をどう取り込んでいくかです。生まれてこの方新聞を読んだことがないという人が多い30代ぐらいまでの方々をどうするかということですね。
 単に一報報じるだけだったら、ネットのニュースを見てねって話なんですけども、例えば話題になっているれいわ新選組の現象って何なの? 山本太郎さんってどうしてこんなに人気があるの? とかを読み解くような記事……つまり、視点というか、ものの見方みたいなものを提供できる記事を増やしていきたいなと思っているんですよね。
 そうすると、興味を持って貰える可能性は出て来る。で、それを読むためには、やっぱりあなたもちょっとお金払ってねと少しは言えるのかなと思っています。








 対談を終えて(上西)

 今回、取材の機会を頂き、私達が求める踏み込んだ記事はどうすれば生み出され得るのか、考える手掛かりを掴む事が出来た。

 1つは、組織的育成の重要性と、育成した記者に存分に書く場を与える事だ。

 私達は踏み込んだ記事が少ないことを、政権への忖度や政権からの圧力ではないかと考え勝ちだ。勿論それも考慮に入れる必要があるのだろうが、同時に、踏み込んだ記事が書ける記者は如何に育つのか、という視点も欠かす事は出来ない。
 記者は記者職を得たからと言って、最初から踏み込んだ記事が書ける訳では無い。番記者として張り付いてベタ記事を書き、経験を積み、人脈も形成し、そうして要約踏み込んだ記事が書ける様になる。そうやって育った記者に字数を気にせず、紙面バランスも気にせずに存分に書けるデジタル記事の場を提供したのが、統合デジタル取材センターと云う新たな部署の設置だったのだろう。

 政治部、経済部、社会部など、夫々の部署で育って来た一騎当千の記者が、夫々に書きたい記事を企画し提案し、一人の署名記事で存分に書き上げる。デジタル記事であるが故に単独の記事の評価がPVにも表れる。相互に刺激し合いながら活躍出来る場を組織として与えれば、これだけの結果が出せると云うことが、毎日新聞の組織再編によって示された訳だ。
 存分に書ける場だけなら、数多くのネットメディアがある。けれども、充実した記事を書くには、それが書けるに至るまでの経験の積み重ねが必要だ。ネットメディアはその経験を積むだけの環境を提供出来るだろうか。

 そう見て行くと、記者クラブと云う場への評価も変わって来る。寄り添う経験を経たからこそ、本音を聞き出す事もでき、後に突き放した記事も書ける。そして、突き放した記事を書いても孤立し困窮しなくて済むように、新聞社と云う組織があり、有料購読の仕組みが支えて居る。
 そう考えていくと、もう1つ大切なことは、ネット記事を私達がサブスクリプション(有料購読)によって支える事だ。良質な情報は有料で入手するのが、過つては当たり前だったと云うことを、もう一度思い出したい。

 「これだけ大事な記事なのに、何故有料記事の扱いなのか」と云う声をツイッターでは好く聞く。けれども、ネット記事を支えるのが広告収入だけであれば、より扇動的な記事が跋扈し、悪貨が良貨を駆逐する状況にも為りかねない。
 組織が記者を育てるように、有料購読も記者を育てる。それによって私達が、踏み込んだ記事を読めるように為る。私たちがそれを読むことで、踏み込んだ記事が書き続けられるシステムが維持される。そんな好循環を回すことに、私たちも関わっていくことが必要だろう。



 【齊藤信宏氏】1991年早大卒、毎日新聞社入社。長野支局、社会部などを経て、2002年から経済部。証券、金融業界や財務省、金融庁などを担当し、07年秋から4年間、北米総局(ワシントン支局)特派員。12年春から経済部デスク、18年春から東京経済部長。19年春から現職。

  <対談構成/HBO編集部>

【上西充子】Twitter ID:@mu0283 うえにしみつこ●法政大学キャリアデザイン学部教授。共著に『就職活動から一人前の組織人まで』(同友館)、『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。働き方改革関連法案について活発な発言を行い、「国会パブリックビューイング」代表として、国会審議を可視化する活動を行っている。『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』の解説、脚注を執筆。新刊『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)が好評発売中


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南の島で家族奪われ苦しみ今も 南洋戦を生き抜いた人達の国に問う闘い



  【終戦日記念特集1】
 


  南の島で家族奪われ苦しみ今も 南洋戦を生き抜いた人達の国に問う闘い
  
    
          〜Yahoo!ニュース 特集  豊里友行8/13(火) 7:42 配信〜


 〜リゾート地として日本人等に人気が高いサイパンやパラオ等の南洋諸島。これ等常夏の島々は、明治期以降、沖縄県等から多くの人が移民政策の下で移り住んだ。
 戦前、日本の委任統治領だった時期もあるが、第2次世界大戦時、戦局の悪化で米軍に襲われた。生き残った人達も家族や家を失った。その戦争被害者が国に補償と謝罪を求める訴訟を起こして居る。原告等の多くは80歳以上。東京空襲等、これ迄続いて来た戦後補償裁判で最後の訴訟と見られて居る。南洋戦を生き抜いた人達の闘いを追った〜


 (文・毎日新聞記者・栗原俊雄 写真・豊里友行、塩田亮吾 編集 Yahoo!ニュース 特集編集部)


 



 
 今年3月7日、福岡高裁那覇支部。大久保正道裁判長が判決文を読み上げた。「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人等の負担とする」第2次世界大戦で被害を受けた民間人が、国に補償と謝罪を求めた裁判の控訴審。法の下の平等と人権回復を求めた原告達の訴えは10秒足らずで退けられた。

 「軍人は補償されたが、民間人は受忍しろと云う。差別だ。全ての戦争被害者が救われる法律を作って欲しい」沖縄県那覇市在住で原告団長の柳田虎一郎さん(81)はそう話した。

 訴えて居たのは、当時日本が統治して居た南洋諸島、即ちサイパンやパラオ、更に戦時下で日本が占領して居たフィリピン等で戦禍に遭った40人。沖縄出身者か両親が沖縄出身の人が多かった。
 第1次世界大戦で戦勝国と為った日本は、南洋諸島を国際連盟の委任統治と云う形で得た。当時の日本に取って南洋諸島は「海の生命線」安全保障上の重要地だった。明治以降、日本から海外への移民が進んだ。沖縄県からの移民は特に多く、5万人以上が南洋諸島とフィリピンに渡って居たとされる。事実上の植民地を強固なものにしようとする国策があった。

 南洋戦訴訟の原告の証言から、現地での生活振りを振り返ってみたい。沖縄県うるま市の祖堅秀子さん(81)の父は大正時代の終わり頃、勝連村(現うるま市)からサイパンに渡った。島最大の街、ガラパンで暮らした。家族を呼び寄せ妻と農業を営んだ。両親と3男4女の大家族。三女の祖堅さんはサイパンで生まれた。
 「常夏で過ごし易かったですよ。食料も豊富でした。家で作った野菜と現地の魚を物々交換して。『アア今日もお刺身が食べられる』と楽しみでした」

 同県恩納村在住の大城スミ子さん(84)もサイパンで生まれた。農業を営む両親と姉、弟3人の7人家族。
「生活は安定して居ました。夜、家で現地の国民学校(現在の小学校)で習った唱歌を歌うと、父が三線(さんしん)で伴奏して呉れるのが嬉しかった」

 原告団長の柳田さんは静岡市生まれ。父の転勤に伴い1940年頃パラオのガスパン州に渡った。「静岡は賑やかだったけれど、パラオは静かで、好い処に来たと思いました」と振り返る。3人の姉妹が居た。

 1941年12月8日、大日本帝国による真珠湾への奇襲で始まった米英等連合国軍との戦争は、当初こそ日本軍が戦果を上げた。しかし次第に劣勢と為り、米軍は南洋諸島にも迫った。

 開戦、移民達の苦難

 南洋諸島で戦時色が濃く為ったのは1943年夏頃だ。サイパンで暮らしていた祖堅さんは「警防団の人が『空襲警報発令!』と言って、訓練が始まりました」と言う。増員された日本軍の兵士を収容する為に、大城さんが通って居た国民学校も使われた。
 「山の中で勉強しました。空襲警報が頻繁に鳴る様に為り、その度に防空壕に避難して、勉強処では無く為って行きました」 

 1944年6月15日、米軍がサイパンに上陸。祖堅さん家族の逃避行が始まった。先ず家の近くの山に避難した。「アア、家が燃える」と母が叫んだ。父は飛行場建設に駆り出されて不在だった。母と子供達は、砲爆撃を避けるべく大きな自然壕(洞窟)に入った。祖堅さんが述懐する。
 「別の家族に居た3、4歳の男の子が泣きました。壕に居た日本兵が『この子の為に皆が犠牲に為る』と言って、その子の首を絞めようとしました。その子の父親が『自分でやる』と、子供を連れて行きました」

 祖堅さんは当時5歳、四女は2つ下だった。母は子供達を連れて外に出た。昼間は密林にジッと隠れ、夜は壕を求めて歩いた。山の中で父と再会した。三男の兄は友達から水のある場所を聞き、ヤカンを持って出て行ったが、水汲みの途中爆撃で死んだ。「見に行けば自分達も遣られるかも知れ無い」と、弔う事も出来無かった。
 更に密林の中で母に銃弾が当たり、長姉も足を負傷。母は「爆撃がある。逃げても好いよ。逃げる為らば何か掛けて」と話した。父が布袋を掛けた。
 「母が欲しがった水を挙げるのが精一杯でした。逃げ無いと自分達が遣られると思い、その場を離れました」

 生き残った父と4姉妹はサイパン島の北端、マッピ岬に追い詰められた。日本人の多くが投身自殺した事から「バンザイクリフ」として知られる。父はより安全そうな壕を見付け、四女の妹、次いで次女の姉をその壕に連れて好き、そのまま行方不明に為った。
 その後、祖堅さんと長姉は米軍に収容された。逸れて居た兄夫婦とは収容所で再会出来たが、海軍軍人と為って居た次兄は戦死して居た。平和で豊かだった暮らしは遠く為った。「戦争さえ無ければ、と思います」祖堅さんはそう振り返る。

 大城さんもサイパンで逃避行をして居た。最初に父が空襲で倒れ、家族はバラバラに為った。或る壕の入り口付近が爆撃され、母も死んだ。「怖くて何も出来ませんでした。只震えて居ました」 
 やがて米兵が来てトラックに乗せられた。だが姉と弟3人は収容所には来無かった。「皆亡く為ってしまったのだと知りました。楽しかった日々を思い出し、泣いてばかり居ました」
 
 原告団長の柳田さんの居たパラオ・ガスパン州では米軍の空襲が激化した為、母と姉、柳田さん(当時6歳)と妹2人は日本に引き揚げる事に為った。父は徴兵され島に残った。柳田さん達が乗った軍艦は米潜水艦の雷撃で沈没した。
 母はおしめの布を裂いて、軍用の浮袋に子供4人を括り付けた。母はこの時、臨月だった。その体で子供達をまとめて救助を待った。「母が助けて呉れ無ければ、今の私は居ません」と柳田さんは話す。家族は救命ボートに救助された。軍人と民間人が乗ったボートはフィリピンのミンダナオ島に辿り着いた。

「米軍は、動くものは何でも撃って来ました。食べ物? 木の根やカエル、ミミズ、昆虫、食べられるものは何でも食べました。泥まで食べました」

 母は米軍機の機銃掃射で負傷。それでも次女と三女の手を引き、更に荷物を背負い、子供達を励ました。そんな中で男児を出産した。母は「男の子ならば啄勇(たくお)」と紙に書いて持って居り「啄勇を頼むね……」と言うと永遠に目を瞑った。啄勇は一度も母乳を飲む事無く、その4日後に死亡した。
 敗戦後、投降の呼び掛けに応じて柳田さん達は助かった。しかし、三女は逃避行中に罹った病気が治らず、「アーベン(お母さん)の所に行く」と言い残し、日本への引き揚げ船の中で旅立った。3歳だった。


 




 戦後・沖縄での日々

 南洋諸島から引き揚げて来た人達の生活は苦しかった。柳田さんは、姉と妹と共に1945年10月、神奈川県の横須賀港に上陸。役人が検査をした際、母に託された布袋を没収された。「現金や預金通帳、印鑑、子供達のへその緒などが入っていました」1年程孤児院で暮らした。パラオで徴兵された父は、顔に火傷を負った状態で帰って来た。
 「どうしてそう為ったのか、父は話しませんでした。私も戦争での詳しい事は家族に殆ど話して居ません。難儀した事は言いたくありませんから」

 柳田さんは資格を取り、電気技師として身を立てた。祖堅さんは沖縄の長兄の家に身を寄せた。「姪を負ぶって学校に通いました」高校卒業後、米軍基地で働き、更に防衛施設庁(当時)職員と為った。結婚し、子供が生まれた。見た目には平穏な生活に為っても「戦争が頭から離れる事はありませんでした。或る時、子供にオッパイを挙げ乍らうたた寝して居たら、ラジオドラマで『空襲警報発令!』と聞こえて、家から飛び出しました」

 大城さんは沖縄の親戚に引き取られた。「慣れて来たな、と思ったら別の親戚に引き取られました」寂しかったが「今思えば、皆生活が苦しかったから。皆で育てて呉れたのでしょうね」と振り返る。米軍の弾薬工場で働いた。

 柳田さんと祖堅さん、大城さんの3人は、近年に為るまで補償運動に関わって居なかった。その3人が国を訴える裁判に加わったのは、瑞慶山(ずけやま)茂弁護士(76)の活動を知った事が切っ掛けだった。


 




 軍人・軍属は補償60兆円、民間人はゼロ円の差別

 第2次世界大戦では、日本人およそ310万人が死んだ(厚生労働省の推計)。内230万人が軍人・軍属(軍に雇用された民間人)であり、80万人が非軍属の民間人だ。日本政府はこれ迄、元軍人や軍属とその遺族に対し、恩給や遺族年金等計60兆円もの補償や援護をして来た。一方、民間人にはして居ない。国の言い分は「民間人は国と雇用関係が無かったから」だ。

 為政者達が始めた戦争で被害に遭った、と云う点では軍人も民間人も同じだ。「差別」と感じた民間人達は1960年代以降、国の補償を求める裁判を始めた。しかし、東京空襲、大阪空襲等の訴訟では、悉く敗訴と為った。大きな壁に為ったのが「戦争被害受忍論」即ち「戦争では国民全体が何等かの被害に遭った。だから国民全体で耐え無ければ為ら無い」と云う論理だ。
 だが、南洋戦訴訟の弁護団長、瑞慶山さんはこれ等の判決に付いて「元軍人・軍属は補償されて居り、『国民全体で受忍すべき』と云う理屈は破綻して居る。人権を救済すると云う司法の役割を放棄した」と批判する。

 東京空襲の弁護団に加わっていた瑞慶山さんは、自身も南洋戦の被害者である。両親は沖縄出身でパラオ諸島のコロールへ渡り、瑞慶山さんはそこで生まれた。1944年、米軍の空襲を避ける為船に乗った。だが米軍の攻撃で沈没、1歳の瑞慶山さんは母の胸に抱かれて海を漂いながら助かった。3歳の姉は水死した。
 戦後、一家は沖縄で暮らした。瑞慶山さんは地元の琉球大学を卒業し法曹界に。戦争被害者としての法廷闘争迄には時間が掛かった。切っ掛けは、2006年に東京空襲の訴訟で原告弁護団に加わった事だ。被害を調べる内にルーツである沖縄での戦い、そして、沖縄出身者が南洋で体験した戦争被害に目を向けた。
 体験者達の聞き取りを重ねた。2012年、瑞慶山さんが弁護団長と為り、先ず沖縄戦の被害者や遺族79人が、国に1人当たり1100万円と謝罪を求めて那覇地裁に提訴した。

 宙に浮いた戦争被害

 そして沖縄戦被害者による提訴の翌年、2013年8月15日には南洋戦の被害者45人が、国に損害賠償と謝罪を求めて那覇地裁に提訴した。瑞慶山さん等弁護団が前面に出して主張したのは、沖縄戦訴訟と同じく不法行為責任だ。
 民間人が多数犠牲に為った日本軍の戦闘行為や「集団自決」の強制等は国民保護義務に違反するものであり、軍の雇用者である政府に補償する責任があると云うものだ。瑞慶山さんによれば、南洋戦の訴訟は沖縄戦以上に困難だった。「先ず資料が少ない」又長い間、原告等は家族にさえ悲惨な体験を詳しく語って来なかった。

 祖堅さんは新聞記事で瑞慶山さんの活動を知った。「国に逆らう訳にはいか無い」と云う躊躇いを「あんなに恐ろしい事が二度と起きてはいけ無い。黙って居る訳にはいか無い」と思いで乗り越え、辛い体験を話した。

 大城さんも新聞記事で知った。それまで他人に戦争体験を話すことは無かったが「皆が『戦争は大変だよ』と思わないと」と、参加を決めた。瑞慶山さんは資料の掘り起こしと分析、更に被害者の聞き取りを進めた。裁判所に提出した膨大な証言は、それ自体歴史研究への貴重な資料と為った。提訴当時、原告等の平均年齢は80歳以上、最高齢者は102歳だった。

「無念の内に南海に散った人々の霊を弔い、自らの人間回復の為、人生“最後”の思いを込めてこの裁判を起こしました」瑞慶山さんはそう話す。

 弁護団の方針で、南洋戦原告団の内30人が精神科医・蟻塚亮二さんの診察を受けた。その結果、実に28人が南洋戦の戦時・戦場体験に起因する心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、証拠として裁判所に提出された。同種の診断書は南洋戦訴訟に先立つ沖縄戦訴訟でも提出された。戦後70年近く経っても戦争被害が続いて居る事を医学的に証明する為だ。

 原告団長の柳田さんは、今も戦争中の夢を見る。「ジャングルの様な山中でドンと云う砲撃の音。そんな夢で目を覚まし、妹や母の事を思い出します。飛行機の音を聞くと、急に動悸がします」 
 祖堅さんは「サイパンでの戦争中の事や沖縄に引き揚げて来てからの孤児として苦しく辛い生活の記憶が昼も夜も思い出されて、心臓がドキドキしたり咳き込んだりします」と話す。2人ともPTSDと診断された。


 




 戦争被害者に立法による救済を

 南洋戦国賠訴訟は2018年1月23日、那覇地裁で原告敗訴の判決が下された。判決で剱持淳子裁判長は、原告達の戦争被害、戦争によるPTSDも認定した。米軍の攻撃の他、日本軍による壕からの追い出し、自決の促し等、原告らの被害に関わる加害行為も認めた。
 その上で原告達が国に対して軍人・軍属達と同様に、民間人被害者も援護をすべき義務があると主張して居る事に付いて「心情的には理解出来、政策的観点からはその様な見解も十分に有り得る」等とした。にも関わらず、賠償の請求自体は棄却した。何故原告の訴えを認め無いのか。それは「国家無答責」の法理による。

 明治憲法下にあった戦時中の行為には、1947年施行の国家賠償法は適用され無いと云う理屈により「民法の不法行為を根拠に、現行憲法施行前の行為に付いて国に賠償や謝罪を求める事は出来無い」とした。前述の沖縄戦訴訟でもそうだったが、戦後補償裁判でシバシバ使われて来た法理だった。
 南洋戦訴訟の原告団のうち40人は福岡高裁那覇支部に控訴したが、冒頭で見た様に敗訴した。それも又「国家無答責」の法理だった。

 東京大空襲やシベリア抑留等、これ迄の戦後補償裁判は全て原告の敗訴だ。それでも、少なからぬ判決が「軍人・軍属と差別されて居る」と云う原告の心情に理解を示し、立法による解決を促した。しかし同支部の判決は、立法による救済を促さず、被害者の心情を思い遣る事も無かった。原告団22人は、最高裁に上告した。今秋にも判断が下される。柳田さんは言う。

 「戦争では一番弱い人が一番苦労する。その一番弱い人達で国は成り立って居る。その事を政府は知ら無い。我々の被害を認めながら、国が補償し無くても好い、と云うのは可笑しい。人間としての心が欲しい」

 瑞慶山さんも言う。

 「PTSDの様に、戦争体験者の被害は日本国憲法下の現代まで続いて居る。それを明治憲法下の理屈、国家無答責で退けるのは亡霊の様な判決。原告達の年齢からして、恐らくは当事者による最後の戦後補償裁判と為る。戦争被害は生命、財産、精神等に対する侵害。踏みにじられた人権を救済すると云う、司法の役割が問われている」

 栗原俊雄 1967年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同大学大学院政治学研究科修士課程修了(日本政治史)。1996年、毎日新聞社入社。横浜支局などを経て、現在、毎日新聞東京本社学芸部。2018年、第24回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。著書に『戦後補償裁判』『シベリア抑留 最後の帰還者』『特攻 戦争と日本人』など多数。


                 以上


 




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自衛隊PKO派遣 日本が重ねて来た国際社会への「詐欺」を明かそう


 


 自衛隊PKO派遣  日本が重ねて来た国際社会への「詐欺」を明かそう



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                 伊勢崎 賢治氏


           〜現代ビジネス 8/12(月) 8:01配信〜


 





 僕が「日本政府代表」?

 防衛省の統合幕僚学校で陸海空の精鋭達を教え始めて10年以上経つ。我が国が専守防衛に加え世界平和に資する為。その為の知識を貪欲に吸収しようと微動だにしない彼等の真摯な視線が、我が国の防衛政策や自衛隊の事を発言する度に、何時も僕の脳裏を掠(かす)める。それがあって、此処で認める事を世間に発表する事に、ズッと躊躇いがあった。

 僕は、2018年12月にソウルに呼ばれた。韓国政府が国連平和維持活動(以下PKO)のハイレベルの実務者会議を主催すると云うのだ。
 前国連事務総長を初め、既に数々のPKOミッションのトップである国連事務総長特別代表、そしてPKO部隊の最高司令官のポストを獲得して居る韓国。部隊そのものや司令部要員の派遣実績でも、既に日本を完全に上回る、名実共にPKOのリード国である。

 ニューヨークの国連本部には、PKO局(Department of Peacekeeping Operation)があり、更にその中に各国の現役の将軍レベルの幹部で構成される軍事部(Office of Military Affair)がある。今回の会議は、このPKO局軍事部門のトップ(ウルグアイ陸軍少将)が国連を代表し、それに対してPKOに兵力を提供する通称TCCs:Troop Contributing Countries(PKO兵力提供国)、先進国を含む20ヵ国の派兵を司る部局のトップ(日本で云うと内閣府国際平和協力本部事務局長のクラス)が向き合うものであった。
 現在、新しい国連事務総長アントニオ・グテーレスは、PKOに大きな改革を推し進めて居る。通称A4P:Action For Peacekeeping (PKOの為の行動計画)と呼ばれるものだ。

 僕への依頼は「国連地位協定」の事を話して欲しいと云うものであった。詰まりPKO局軍事部と兵力提供国の代表全員に向けての一講演者の役割である。しかし、会場で僕に用意されて居た席は、ナンと「日本政府代表」のものであった。この理由に付いては後述する。

 地位協定を結ば無いPKOは無い

 国連地位協定・・・そう、PKOは必ず地位協定を駐留先の現地政府と結ぶのだ。例えば、自衛隊も派遣された南スーダンでも、そこに派兵した全ての兵力提供国を代表して国連が南スーダン政府と地位協定を結んで居る。 
 地位協定を結ば無いPKOは無い。これが日本人にはピンと来無い。PKOは日本語では「国連平和維持活動」OはOperationだから「作戦」しかし何か「クラブ活動」の延長の様なホンワカとしたイメージ操作が日本では行われて来た。PKOは、国連が指揮権を執る多国籍軍を、国連の責任で紛争国に駐留させる「軍事作戦」である。当然の事であるが、その駐留先に主権国家があるなら、国連は兵力提供国を代表して地位協定を締結する。

 
 




 日本政府のデタラメ

 僕がそうで在った様に、国連職員は国際外交官であるから、現地法からの訴追免除の特権を得る。しかし、軍事要員は、その訴追免除を想定する事犯のスケールが違う。高度な殺傷能力のある兵器を伴い、兵士個人の意思が最大限に抑制され、厳格な「指揮命令」の下で起きる事犯である。
 個人が起こす一般過失と、軍隊が起こす軍事過失は、破壊と殺傷のスケールと、それを審理する法体系が違う。非軍事要員である国連職員であれば、訴追免除されるべき事犯は現地の刑法に準拠する筈だ。しかし、軍事組織による事犯は「戦争犯罪」を規定する国際人道法に準拠する。

 個人による一般事犯は結果的に不起訴でも補償を確り決着させる事で外交問題にさせ無い事が可能だろう。しかし、軍事による事犯は、その破壊と殺傷の規模に加え、その審理の根拠を国際法に準拠する事から、そう簡単には行か無い。「戦争犯罪」は激烈な外交問題に発展するのだ。
 特に、新しい国家の誕生への世界からの祝福と引き換えに、内心〈イヤイヤ〉PKOを受け入れざるを得無い南スーダンみたいな政府は、外交問題の誹(そし)りをPKOに向けるチャンスを狙って、ワザと若いモンをケシ掛ける様な状況がある。

 国連は、1999年に発行された国連事務総長告知により、PKOが国際人道法に於ける違反行為を犯した場合、国連地位協定によって現地法から訴追免除を得る代わりに、各PKO兵力提供国が夫々の国内法廷によって起訴する事が「責任」に為った。
 当然であるが、国際法上の「戦力」である自衛隊も、道路等を造る施設部隊であろうとPKO部隊の一部として、その国連地位協定の中に入って居た。此処も日本人にはナカナカ実感出来無いのだ。軍事作戦には指揮命令が不可欠である。PKOの司令部は、何を担保にその傘下の多国籍の部隊を服従させるのか。

 「お前等が単独では交渉出来無い地位協定上の特権を国連の信用が引き出し、それをもって国連が現地政府への責任を代表するのだから言う事を訊け」

 簡単な話、これなのだ。玉石混淆の多国籍軍の指揮命令の実態は、これ以上のものでもこれ以下のものでも無い。これだけである。だから「地位協定が命」なのだ。
 歴代のPKOに於いて日本が現地政府と単独の地位協定を結ば無い限り(結んだ事実は無い)その時点で自衛隊はPKOの一員では無く為るが・・・「自衛隊の指揮権は東京にある」と云う歴代日本政府の言説は、全くのデタラメである。

 繰り返す。歴代の陸上自衛隊施設部隊は「戦力」として国連の地位協定に入り、現地法からの訴追免除の特権を得て居た。
 しかし、日本では「自衛隊はPKF(Peacekeeping Forces:PKO部隊)では無くPKO(活動)である」と云う様な稚拙な印象操作がメディアを通じて為され、自衛隊が戦力として扱われる事も、地位協定上の訴追免除の特権を得るからこそ、それを国内法廷で起訴する「責任」を負う事も、歴代の政権(勿論旧民主党政権を含む)と外務省によって組織的にスルーされて来た。

  〔拙稿参照:日本は ズッと昔に自衛隊PKO派遣の「資格」を失って居た!
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51058



 




 激変したPKO

 話をPKOを取り巻く世界情勢に戻そう。元々PKOは、終戦直後の国連憲章の制定期には想定不可能だった国際情勢の変化に対応するべく誕生した。冷戦下で進行して居たのは宗主国の支配から解放される独立国の誕生であった。主人を追い出した後、誰がその権力を引き継ぐか、内戦の時代である。それが当初のPKOの現場であった。

 内政不干渉を原則とする国連憲章にあって、国連が主権国家たる一国連加盟国の内戦に介入するのは、飽く迄例外的措置である。そう云う「強制措置」国連憲章第7章に定められ、先ず第6章による当該国の同意の下の「平和的勧告」の万策が尽きた後に実施される。
 第6章では、問題の当該国にその問題を解決する主権が存在する。しかし、第7章ではそれが存在し無い。自等の問題解決の主権の不在を誰が何を基準に決めるのか。第7章の措置への合意形成は、当然ながらハードルが高く、シバシバ拒否権の発動で国連安全保障理事会が割れる。一方で、軍事的介入は、ここ第7章にしか存在し無いのだ。

 そこで、第6章(当該国主権の同意)の下の軍事的介入と云うオプションが生まれた。それが、PKOが第6章と第7章の間の「6章半措置」と呼ばれる所以である。
 多発する内戦と云う新たな国際情勢の変化に対応すべく、国連憲章の「解釈」と「運用」で創始されたPKOであるが、今でもPKOは大きな過渡期にある。PKOを取り巻く国際情勢が大変に悪化して居るのだ。

 現在、世界の紛争国で展開する殆どのPKOの主要任務は「住民の保護」である。100日間で100万人の住民が犠牲に為った1994年のルワンダの大虐殺等、該当国政府の同意の下にPKOが派遣されるも、その当該国政府自身が自らの国民を虐殺すると云う状況に「中立」な国連が何も出来ず住民を犠牲にした歴史的なトラウマが、現在のPKOの激変の契機に為って居る。
 その隣のコンゴ民主共和国でも、この20年間に640万人の住民が犠牲に為って居る。同時に、人権主義に基づく「人道介入」の要請が、ポリティカル・コレクトネスとして国連を中心とする国際社会を席巻して居る。住民の為にもっと戦えと

 詳しくは、このリンクを参照されたい(南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ〜誰が彼等を追い詰めたのか? https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49799 )


 




 3Kの実態

 今日のPKOを一言で云うと3K。詰まり、嫌われる・殺される・金が無いだ。

 先ず嫌われる。PKOに要請されるのは、その国家の国軍と警察に代わって、国民の安全を確保する事である。多くの場合、PKOの受け入れを「同意」した当該国の政権の、その当の国軍と警察又はそれ等が操る武装集団が、国民の直接の脅威に為って居る。
 この「捻れた」政治環境の中で、住民を守るべくそれ等に敵対すると為ると、当然どんな国にもある「ナショナリズム」を刺激してしまう。外国の軍隊が祖国に言い掛かりを着け我が物顔に振る舞って居ると云う、大変に分かり易い「愛国プロパガンダ」である。彼等からすれば、PKOは国家主権を脅かす外国の占領軍なのだ。

 こう云う敵意に満ちた現場の環境では、当然、PKO要員の心も荒(すさ)む。PKO部隊に取って、それが悪い政府や武装組織寄りの民兵なのか、それとも無辜な民衆なのか、そう簡単に判別出来るものでは無い。当然、婦女子にも銃口を向け無ければ為ら無く為る。不慮の事故も起こる。嫌われる。そして荒んだ心が、買春、犯罪に向かわせる。更に嫌われる。その結果、PKOは襲われ、PKO要員が殺されるのだ。
 最近の5年間では既に200名以上が敵対勢力との「交戦中」に死んで居り、これは国連が創設されて以来の5年間の区切りでは最大で、今この瞬間でも殉職者数は積み上がって居る。

 二つ目のKの、殺される。殺され無い為にはどうするか。短絡的には、先ず「より性能の良い兵器、武器、そして装備を」と為る。
 先進国はPKOに余り兵を出したがら無いので、提供する兵力に応じて国連から支払われる外貨を目当てにPKO部隊はどうしても発展途上国や周辺の貧しい国々が主体に構成される事に為ってしまう。当然、携帯する武器も装備も貧弱で、それを支給しようにも国連は慢性的な財政難。

 遂最近、ブルームバーグが、国連に批判的なトランプ政権と中国と云う国連拠出金の二大巨頭にロシアが加わり、国連予算の削減と自らの負担軽減で手打ちをして居ると報じたばかりだ。
 (U.S. and China quietly agree on UN cuts as they feud over trade https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-06-27/u-s-and-china-quietly-agree-on-un-cuts-as-they-feud-over-trade)

 詰まり三つ目のK・・・金が無い。これが、現代PKOの、堂々巡りの3Kの実態である。

 各国の「我儘」を許すな

 この袋小路の中で、唯一出来る事は「気を引き締め」「士気を高める」ことしか無い。大体PKOの兵士達は「ナンでヨソの国の国防を遣らされるんだ」と思って来て居るから、基本的にヤル気が無いのだ。では、どうヤッテ士気を高めるのか? それも、地位協定しか指揮命令の「担保」が無いPKO で。
 そこで出て来たのが「No caveats」詰まり「取り扱い説明書にノーを」と云うスローガンである。その立役者に為って居るのが、サントスクルズと云うブラジルの陸軍中将。前掲(ゼロから判るPKOの真実)のリンクの写真に僕と映っているPKO最高司令官で、現在は軍役を退官しているが、現在、PKO改革:A4Pの中心に居る。

 「取り扱い説明書にノーを」とは何か。PKOに派兵する国連加盟国には夫々の「事情」がある。余り危険な場所と任務を割り当て無いで呉れと云うのは、一つの「我儘」として特に先進国には普通にある。
 国内法で実射の前の威嚇射撃を認めて居ない国もある。僕が現場で一緒に働いたオーストラリアやニュージランドがそうだ。威嚇射撃の過失を装った故意の実射を封印する為だ。しかし、国連の標準ROE(武器の使用基準)は威嚇射撃を認めて居るから、異なる国籍の部隊が一緒に行動する場面では混乱が起きる。

 更に、PKO派遣自体の是非が国内で政治的に揉めた末の派遣であったらなら、当然、そう云う国の部隊は〈撃ち難く〉為る訳で、そんな事情をイチイチ認めて居たら、軍事作戦全体の士気に影響が出るのは当たり前だ。そう云う各国に固有な〈我儘〉の中で最たるものが「一番安全な時期に・一番安全な場所で・一番安全な任務」しか出来無い国の部隊である。日本の caveats である。


 




 日本の話をしたら、会場全体が凍り着いた

 ソウルでの国連PKOのハイレベル実務者会議で、僕が頼まれた講演の内容は、PKO部隊がその行動の中で戦争犯罪やその他の軍事的な過失を犯した場合、少なくともこれ以上「嫌われ無い」為に、国連地位協定を運用するPKO統合司令部は何に留意するべきか。国連PKOが果たすべき現地社会への法的なアカウンタビリティとは何かであった。
 事犯の被害者に金銭的な補償をすれば好いと云う話では無い。PKOの昔の救世主的なイメージは、最早存在しないのだ。PKOは嫌われる存在なのだ。

 当然、日本人の発言者として、日本の事を話題にし無ければ為ら無く為る。国際社会が「戦争犯罪」と呼称する国際人道法の重大違反に対する、日本に於ける国内法の整備は今の処皆無である。
 2004年、遅まきながら加入した国際人道法の一つであるジュネーブ諸条約追加議定書に対応する為、同年「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律( https://www.mod.go.jp/j/presiding/law/yujihousei/004a.html )」を成立させたが、その中身は、文化財の破壊や捕虜の輸送を妨害する等軽度な罪への処罰だけで、肝心の重大な殺傷と破壊詰まり「戦争犯罪」に関するものが一切無い。

 更に、自衛隊法の根幹は、自衛隊員が主語の「武器の使用」であり、首相を頂点とする国家の指揮命令系統を起訴する法体系が無い。自衛隊員個人の過失にするしか無い。しかも、日本の刑法は「国外犯規定」があり、自衛隊員に限らず日本人が海外で犯す業務上過失は管轄外である。
 最悪、自衛隊員個人が故意犯として国家の命令行動の責任を取らされる。詰まり「撃ったら自己責任」なのだ。(「安保法制」にも、国外犯処罰規定が無い事は、現安倍政権も認めている:http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/189/touh/t189198.htm )
 
 詰まり、日本は、戦争犯罪を起訴する法体系も、そして自衛隊員個人の海外での過失を起訴する法体系も、何も持ち合わせて居ない。この実務者会議での講演中に、僕がこれを言った時の、20ヵ国の政府代表団の反応って言ったら……会場全体が、凍り着いた。

 軍事組織が戦争犯罪を想定外にする。こんな事は、地球上に在っては為ら無い事なのだ。今でもこの瞬間を思い出す度に背筋が寒く為る。僕は、日本と云う国の名誉を貶めてしまったのではないかと。次に政府代表団の目は、対面に座る国連本部PKO局軍事部に向かった……彼等は一様に下を見て居た。
 会議の後、そのPKO局の幹部の一人が僕に寄って来て、静かに握手を求めて来た。残念ながら、PKOの軍事部門に関する限り、こう云う会議では日本政府と自衛隊関係者に発言出来る空間はもう無い。

 これが、この会議に、日本政府の関係者が、会場後方に用意された「末席」も含めて、人っ子一人居無かった状況の背景である。各国は、本国の代表者の他にも、在ソウル大使館員を含むチームで参加して居たのに。

 自衛隊の南スーダン撤退は「恥ずべき行為」

 付け加えるが、この会議では「南スーダンの事件」直後の自衛隊の部隊撤退は、国連PKO局の軍事部門の首脳によって、明確に「恥ずべき行為」と見為されて居た。

 *南スーダンの事件 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで、国連平和維持活動に派遣された自衛隊部隊の宿営地を挟んで、政府軍と反政府軍の戦闘が行われ、宿営地にも銃弾が飛び込んで居た。にも関わらず防衛省は当時の日報を隠蔽して居た事が発覚し大問題と為った。

 日本政府が「任務完了」と何と言おうとだ。「事件」による一番の被害者は現地住民なのだ。自衛隊が送られたPKOの主要任務は「住民の保護」なのだ。だから国連安保理は「事件」を受けて、PKO部隊の増兵と任務遂行に向けて更なる国連加盟国の結束を要請したのだ。自衛隊撤退は「恥ずべき足抜け」に決まって居る。
 しかし、国連の外交の「政治」は「軍事」の意思とは裏腹に、日本の足抜けに対して遺憾表明を出さず、シラーと流した。当たり前だ。国連の「政治」が、日本の為に何時も用意して、幸か不幸か今迄事無きに済んで来た「一番安全な時期に・一番安全な場所で・一番安全な任務」が「事件」によって一瞬に崩壊したのだ。

 自衛隊があのママ駐留を続け、もし自衛隊を巻き込んだ事件が起き、国連地位協定で国連が約束した「派兵国の国内法廷による責任ある事犯の起訴」を全く履行出来無い国の部隊が、PKOに紛れ込んで居た事を、もし南スーダン政府が知る事に為ったら……流石に国連の「政治」も、こんな外交リスクは獲れ無い。


 




 護憲派の欺瞞

 忘れて為ら無いのは、南スーダンPKOへの自衛隊派遣を決定し実行したのは、前掲の現代ビジネスの寄稿でも何度も書いた様に、旧民主党政権だったと云う事だ。既に述べた様に1999年の国連事務総長告知以来、日本は部隊派遣の資格を失って居る。
 だから止めろと、僕は当時の政権の中枢に居た護憲派議員に説いて回ったのだ。もう名前を公表したい位だが、その時彼等が僕に何を言ったか? 
 「伊勢崎さん。貴方は全く正しい。でも、護憲派の議員として、改憲に繋がる憲法論議を発議する事は出来無い」だった。

 全ては「軍事組織を持つのを辞めるから軍事犯罪を犯す心配も辞める」とする9条2項があるからなのだ。日本の法体系が軍事犯罪を裁く想定をする事に為ったら、それを犯すのは軍事組織詰まり戦力だから、戦力の不保持を謳う9条2項に、最早どんな解釈改憲の余地も許さ無い矛盾を呈してしまう。
 日本の「無法」は、9条2項に帰結する問題なのだ。護憲派が権力を握っても9条2項の解釈が国際法の遵守に引き起こす問題を自ら是正する事は無い。何故なら、それが護憲派だからだ。

 「その問題がハッキリしたお蔭で自衛隊を海外に出さ無くて済むから今のままでも好いじゃなか」こんな声が、護憲派から聞こえて来る。全く自覚が足り無い。本来、憲法は、権力を縛るものである筈だ。「戦争犯罪を犯す自覚の無い軍事組織を他国に、それも相手から裁判権を奪って、シャアシャアと派遣する蛮行」を、世界の誰も不謹慎過ぎて遣ら無い「詐欺」を、権力に護憲派のそれも含めて許して来たのだ。
 憲法9条は憲法の基本的な機能を、とうの昔に喪失して居る。9条の護憲は、国際人道法を基調とする国際正義の上で、有り得無い政治選択である。

 安倍政権が最もマシ!?

 最後に、このソウルの実務者会議での印象の限り、国連への最大拠出国の一つとしての日本のメンツへの配慮と自衛隊派遣に付随する日本の公的援助資金を巡る国連の「政治」は兎も角、少なくとも国連PKO局の「軍事」が、日本に部隊派遣を要請する事は、日本の改憲を含む法整備が進展し無い限り無いであろう。
 事実、PKOでの「駆け付け警護」等鳴り物入りで成立した安倍政権の安保法制であるが、南スーダン撤退以来、自衛隊の部隊派遣は、これも旧民主党政権から受け継いだジブチ駐留だけである。平成期において、現在の安倍政権は、国際法の違反度からすると最もマシな政権に為って居る。

 新たな派遣は、今年4月に決定された「シナイ半島多国籍軍」MFO(Multinational Force and Observers)だが、部隊撤退後に南スーダンPKOに置いて居るのと同じ「司令部要員」の派遣である。部隊では無い。
 部隊では無いので、戦争犯罪や大規模な軍事過失は起こし難いとの「政治」の判断であろう。流石に、防衛省の「軍事」の知性は、現状の法体系の限界を明確に意識して部隊派遣のブレーキに為って居る様である。OB達は相も変わらずであるが。

 しかし、このMFO、駐留地のエジプトとイスラエルと「地位協定」を結んで居り、当然、自衛隊の司令部要員もこの中に入り、引き起こされるであろう事犯の訴追免除を受けて居る。「国連地位協定」で無くても、派遣国に取って訴追免除が「特権」では無く「責任」で有る事は同じである。日本が逆の立場の「日米地位協定」を考えれば至極明確自明である。
 部隊で無くても、要員個人による過失は起きる。「国外犯処罰規定」の無い日本は、此処でも「詐欺」を働いて居る事に為る。

 日本人よ。もう一度「日米地位協定」で逆の立場に立って考えて欲しい。これは「詐欺」であると同時に、現地社会に対するトンデモナイ人権侵害である事を。権力は必ず間違いを犯す。それを正すのが野党であり、社会のリベラルの知性であるが、日本ではそれが存在し無い。9条護憲に絡め取られて居るからだ。日本の病理である。
 護憲か改憲かでは無く、どう改憲するかで与野党が対立する政局を1日も早く形成し無ければ為ら無い。もうこれ以上「政治」に「軍事」を蹂躙させ無い様に。



 伊勢崎 賢治氏 プロフィール 東京外国語大学 地域文化研究科 平和構築紛争予防学講座(PCS) 教授

 1957年生まれ。NGO・国連職員として現地での紛争処理等に当たった実務家。日本がアフガニスタンSSR(治安分野改革)のDDR(武装解除)事業のリード国(主導国)と鳴った際、国連アフガニスタン支援ミッションの支援を受け、DDRを指揮し、アフガン政府国防省傘下の旧国軍約6万名の武装解除を2年間で完了した。
 国連シエラレオネ派遣団、国連事務総長副特別代表上級顧問兼部長。国連東チモール暫定統治機構上級民政官。国際連合平和維持局ニューヨーク本部主催DDR特別運営委員会日本政府代表。



        伊勢崎 賢治 以上


 



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