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2019年07月24日

MMT理論とその批判者がともに間違って居るのはドコか?



  

 小幡 績 転機の日本経済

 MMT理論とその批判者が共に間違っているのは何処か?

 
 〜2019年07月22日(月)18時40分〜



         7-24-2.jpg

                小幡 績 氏


 




 今の日本では、将来に生きる投資が妨げられて居る fatido-iStock.


 <MMT理論は、財政支出が常に有効かつ効率的と云う前提に立って居るが、それは間違って居る>


 MMT理論とその批判者が共に間違って居るのは何処か?今更だが整理しよう。真っ当な有識者ですら意外と判って居ない。MMT理論が間違って居るのは、財政支出が常に有効かつ効率的だと云う前提に立って居る事だ。
 ワイズスペンディング・・・意味の有る財政支出であれば、インフレに為ら無い限り幾らでも遣って好いと云う事には為らず、財政支出のコストはインフレだけで無く、他の有効な支出を機会を奪う事にあり、そちらのコストの方が重要だ・・・これが一番のポイントだ。

 即ち、財政支出で何を行うかが重要であり、それは政策同士の比較だけで無く、民間投資とドチラが社会・経済全体の為に望ましいか、と云う観点が全く抜け落ちて居る。
 財政に制約は無いが、そのコストはインフレでは無く資源の有効活用と云う点で、所謂クラウディングアウトを起こしてしまう、と云う問題である。金利が上がら無ければクラウディングアウトが起きて居ないと考えるのはナイーブで、低金利であっても経済における投資可能金融資本は限定的であるから、民間投資と政府支出とドチラが望ましいか考える必要がある。


 




 MMTは今さえ好ければ好い理論

 更に、この点で最も重要なのは、財政に制約は、従来言われて居る程は無いが、即ち、単年度の財政赤字自体はそれ程気にすることは無いが、制約が全く無いと云うことは有り得ないと云う点である。即ち、財政支出規模が100兆円程度である日本の場合、これを120兆円にする事は可能かも知れ無いが、矢張り1000兆円の支出は無理であることは間違い無い。
 この900兆円分を、今年支出するべきか、10年後から100年後に掛けて10兆円ずつ追加支出するべきかは、そう簡単には判断出来無い。追加900兆円財政支出の異時点間の比較は出来無いのである。

 MMTは今を生きる理論であり、今さえ凌げば好いと云う考え方なので、現在に強いバイアスが掛かって居るから、放って置くと過大に支出してしまうので歯止めが必要だ。
 それを保守的に見積もるのが、赤字を出さ無いと云う事であり、その時の事はその時の人々で責任を取る、現在のコストを将来に残さ無いと云う事である。
 何故今が大事かと云うと、1930年代の大恐慌を背景にMMTは1940年代に生まれて居るから、今の危機を凌ぐ事が最重要なのは、絶対に正しいと云う事は立証出来無いが、それ程間違って居ないと云う状況で生まれたものなのである。


               以上


 
 




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徴兵制 変わる韓国、復活するフランス、議論する日本・・・日本における徴兵制



 徴兵制 変わる韓国、復活するフランス 議論する日本・・・日本における徴兵制



 〜7/23(火) 18:39配信 ニューズウィーク日本版〜


 




 〜2018年、韓国では「良心的兵役拒否」を無罪とし、代替服務制を設ける事に為った。その一方で2017年、フランスでは徴兵制復活を公約に掲げたマクロン大統領が当選して居る。世界と日本における徴兵制の動きや議論について、尾原宏之・甲南大学准教授が論じる。
 論壇誌「アステイオン」90号は「国家の再定義――立憲制130年」特集。同特集の論考「『兵制論』の歴史体験」を4回に分けて全文転載する〜




 <徴兵制・・・東京・ソウル・パリ> 

 若い友人に、カン・スンジュン君(仮名)と云う日本在住の韓国人が居る。35歳に為るカン君は兎に角韓国社会に批判的で、酒を飲むと産経新聞顔負けの発言が飛び出す。
 10代の頃、カン君は韓国での体罰教育に耐えられずイギリスに渡りそこで長期滞留した。その後どうしたものか東京に流れ着き、私立大学の日本史学科に入学する。卒業論文のテーマは戦前日本の徴兵制である。日本の徴兵制は、韓国徴兵制の祖型と目される事がある。
 カン君は筋金入りの軍隊嫌いで、どうにかして兵役を免れ様と悪戦苦闘して居た。卒論テーマの選定はこの事に関係して居る。

 その後カン君は日本人女性と結婚し、そのママ日本で就職した。韓国語、日本語、英語のトリリンガルなので、外資系企業の東京拠点で重宝される。結果として、厳格な事で知られる韓国の徴兵制をスリ抜ける事に成功しつつある。
 注意深くカン君の周囲を見渡すと、兵役を忌避する韓国人青年が同じ様に日本人女性と結婚して軍隊に行か無かった事例が散見される。国境を超えた愛を疑う積りは全く無いし、愛情以外の動機がある結婚が悪いとも思わ無い。だが、もし韓国に徴兵制が無かったら、彼等の人生は現在と同じだったろうかと遂考えてしまうのも事実である。

 カン君は、兵役を拒否して投獄された経験を持つ人、反戦活動家、軍隊に行きたく無いので外国に居続けて居る青年等と緩やかなネットワークを作って居る。その中には、フランスへの亡命に成功した韓国人兵役拒否者も存在する。
 日本でも記者会見や講演会等を開いて居たからご存知の方も居るかも知れない。彼は2013年にフランス政府から難民認定され、手厚い保護を受けつつパリで暮らして居る。韓国の徴兵制は良心的兵役拒否を認めて居らず、代替服務制も無い事が難民認定の決め手に為った様だ。

 だが、最近に為って状況が大きく変わって来た。排泄物を食べさせる、性的虐待を加える等の陰惨な苛めが取り沙汰される韓国の徴兵制軍隊だが、文在寅政権下で軟化の気配を見せて居る。憲法裁判所は代替服務制が用意されて居ない兵役法を違憲とし、大法院(最高裁)では良心的兵役拒否を無罪とする判決が下された。
 これを受けて韓国政府は代替服務制を設ける事に為った。服役期間も陸軍だと21カ月から18カ月に段階的に短縮される。



 




 <「徴兵制」と云う名の奉仕活動>

 韓国人兵役拒否者を難民として受け入れたフランスでも変化が見られる。現大統領のエマニュエル・マクロンは2017年の大統領選挙で徴兵制の復活を公約にした。但し、具現化しつつある政策は聊か拍子抜けする内容で、16歳に為った男女全員に一カ月間の奉仕活動を義務付けると云うものだ。BBCの報じた処では「市民文化」がその中心テーマで、警察や消防、軍隊での訓練や教育ボランティア、慈善活動等が選択肢に挙げられている。

 Service National Universel(普遍的国民役務)と名付けられたこのプログラムは、フランス政府のウェブサイトによれば1997年に停止された徴兵制とは別物で、社会的・地域的な結合、国防や安全保障の問題に関する認識の向上・発展等を企図して居る。
 元々マクロン大統領は一カ月間兵役そのものを体験させるプログラムを構想して居たので、可なり骨抜きにされた様だ。フランスが難民認定する程過酷だった韓国の徴兵制が緩和される一方、そのフランスでは奉仕活動と云う名目ながら新しい〈兵役〉が始まろうとして居る。スウェーデンでも昨年徴兵制が復活した。

 <徴兵論の現在と過去>

 実は日本の言論界でも、近年徴兵制が話題に為って居る。主な潮流はふたつある。ひとつは、安全保障法制を巡る議論の中で盛んに取り上げられた「経済的徴兵制」だ。先進諸国の志願兵制軍隊が、大学進学や医療保険等の特典で貧困層を誘引して囲い込んで居ると云う主張である。
 政府や軍は、社会的上昇を目指す貧困層が本人の意に反して入隊せざるを得無い様仕向けて居ると云う訳だ。日本では、憲法九条改正や集団的自衛権行使容認に批判的な勢力によってこの見解が唱えられて居る。
 今後自衛隊は、安保法制で戦争に巻き込まれる危険に晒されるだろう。危険地域への海外派遣も増加する。普通の人間は死にたく無いので、自衛隊に入りたがる訳が無い。よって、政府は社会的弱者をターゲットにする筈だ。(現にそうして居る)論者達はこの様に主張する。

 第二は、国際政治学者の三浦瑠麗等による、徴兵制的なものの効用を巡る議論である。現代の民主国家における戦争は、軍人の暴走によってでは無く、自分では戦争に行か無い統治者や国民が犠牲やコストを想像出来無く為る事によって起こる。
 多くの国民が兵役等を通して軍事に関与し、戦争で生じる「血のコスト」を実感出来る様に為れば、安易な開戦を防止出来る。おおまかに言えばこの様な議論である。

 「経済的徴兵制」論と「血のコスト」論が含意する防衛政策の在り方は異なるだろう。だが徴兵制ないし兵制一般の問題を通して国民(市民)と政治の関係を捉え直そうとして居る点では共通して居る。



 




 <政治と兵制を巡る議論は明治期の新聞・雑誌にも>

 処で、戦後殆ど忘れ去られて居るが、この視点に立つ議論は、明治期の新聞・雑誌論説にシバシバ見られるものである。例えば、福澤諭吉、中江兆民、小野梓と言った明治政治思想史上の重要人物は、夫々の政治構想と結び着いた独自の兵制論を用意して居た。
 但し同時代の政治思潮において、それ程兵制論がメジャーだったとは言え無い。例えば福澤に取っては、対外政策や経済政策の方が遥かに重要かつ喫緊の問題であり、徴兵制等はドチラかと云うとマイナーなテーマであった。

 だが、近代日本の政治思想において、政治と兵制を巡る問題がどの様に論じられて来たかをここで振り返る事は、今日の憲法改正を巡る問題を考える上でも多少の利益がある様に思われる。取り敢えず、徴兵令制定時に遡って議論を辿って行く事にしたい。



 明治初期の徴兵率は5%程度 95%が徴兵逃れ
 

 明治6年(1873年)徴兵令の制定で、全ての成人男子が兵役を担う義務があるとされた。しかし、実際には日清戦争期でも全体の5%程度しか徴集されず、兵役逃れが問題と為った。
 その背景と影響に付いて、尾原宏之・甲南大学准教授が論じる。論壇誌「アステイオン」90号は「国家の再定義――立憲制130年」特集。同特集の論考「『兵制論』の歴史体験」を4回に分けて全文転載する。



 




 <徴兵制はいかにして正当化されたか>

 明治6年1月10日、徴兵令が制定された。その中で、徴兵は次の様に規定されて居る。

 「徴兵ハ国民ノ年甫はじメテ二十歳ニ至ル者ヲ徴シ、以テ海陸両軍ニ充タシムル者ナリ」

 徴兵令とは、詰まる処国家権力が20歳に為った国民(男子)を徴発して兵員に充当する宣言である。維新後僅か数年にして徴兵令が制定されたのは多分に実利的な理由に基づく。明治5年に起草された山縣有朋の意見書「論主一賦兵」は、徴兵制を導入すべき理由のひとつに、志願兵制はコストが掛かる事を挙げて居る。志願兵は職業的兵士なので、給与や退職後の年金が必要に為るからである。

 一方、徴税と同じ感覚で国民を徴発出来る仕組みを作れば遥かに安上がりと為る。多くの研究者が指摘する様に、気性が荒くプライドが高い士族兵の統制が著しく困難だった事も背景にはあるだろう。志願兵制を採った場合、応募者の大半が士族である事は容易に想像出来た。
 だが、実際に徴集される民衆から見れば、徴兵制は単純に迷惑な制度である。徴兵制は「強迫兵制」「強迫法」とも呼ばれた。これは義務教育が「強迫教育」と呼ばれて居た事に似て居る。そして徴兵制と義務教育は、地租改正と共に民衆の激しい拒絶反応を引き起こし、血税一揆等と呼ばれる暴動の原因とも為った。

 抵抗の大小は兎も角、民衆の拒絶は予期されて居た事に違い無い。政府は徴兵令制定に先立って、制度を正当化する論理を用意して居た。それ等は、徴兵の詔(みことのり)、更には趣旨説明書である徴兵告諭と云う文書に記されて居る。
 徴兵の詔と徴兵告諭は、第一に、原則として成人男子が何等かの兵役に服する形態こそが日本本来の兵制なのだと云う擬制を前面に出した。明治維新は「王政復古」であり、明治四年の廃藩置県は江戸の封建制の崩壊と古代の郡県制への回帰を意味する。兵制も又「上古ノ制」に回帰するのが当然なのだ。そう云う理屈である。

 主たる根拠は律令兵制であった。例えば養老律令は、一戸の正丁(21歳〜60歳の男子)三人に付き一人を徴集すると定めて居る。明治憲法の公式注釈書と言われる伊藤博文の『憲法義解』(明治22年)が兵役義務条項の具体的根拠として選んだのも古代の律令兵制であった。但し、この歴史的遡及はシバシバ神武天皇の事績に迄延伸された。尾原宏之(甲南大学法学部准教授)



 




 <全国民に「国を守る義務」も実態は>

 第二の理屈は次の様なものである。明治維新は、軍事を独占的に担当して居た武士階級の解体をもたらした。兵農分離状態が解消されたので、今後は武士以外の国民も軍事を担わ無くては為ら無い。そこに、ヨーロッパの市民革命像が重ねられる。
 徴兵告諭は「世襲坐食ノ士ハ其禄ヲ減ジ刀剣ヲ脱スルヲ許シ、四民漸ク自由ノ権ヲ得セシメントス。是レ上下ヲ平均シ人権ヲ斉一ニスル道ニシテ、則チ兵農ヲ合一ニスル基ナリ」と説く。維新によって全ての国民が自由を得て平等に人権を得た。これは同時に、全ての国民に国を守る義務が発生した事を意味する。

 思想史家の宮村治雄は、過つて徴兵告諭を維新の「人権宣言」に位置付けた。そして、被差別部落民を「平民同様」とした明治四年の「解放令」にすら見られ無かった自由・人権と云う言葉が、国民徴発宣言である徴兵令の制定に際して使われた事に歴史の皮肉を見出した(『新訂 日本政治思想史』)

 <兵役義務と徴集の間>

 徴兵告諭は、全ての成年男子に兵役を担う義務がある事を説いた。「国民皆兵」「挙国皆兵」「全国(皆)兵」と言った言葉は、その事を表現するスローガンとして流布して行った。だが、政府或は軍の側から見れば、徴兵制を巡る問題は、如何に優良な下士官や兵を必要な数だけ調達するか、どの程度の予算を用意出来るか、そして軍隊建設の際に生じる抵抗をいかに少なくするかと云う問題に結局の処収斂する。

 国民皆兵と云う言葉は盛んに使われるものの、徴兵令そのものは長らくザル法でしか無かった。成人男子を徴集する事はどうしても「家」の存続と抵触する為、戸主と嗣子等は免役とされた。近代国家建設の為に必要な人材を奪われては困るので官員や学生も免役である。加えて、代人料(免役料)270円の納付によっても免役と為った。

 現実の徴兵制は、国民皆兵処では無い不平等な制度だったのである。免役対象に為ら無い次男以下は、分家や養子縁組、絶家再興、女戸主への入婿等の手段で戸主や嗣子に為ろうと狂奔した。
 その結果、明治12年には20歳男子人口32万1594人中、90九%近い28万7229人が免役該当と為る。事由の約96%が戸主・嗣子等の名義によるものだった。20歳男子の大半が一家の主人かその跡継ぎに為ったのである。実際に三年間の兵役を負担する者は「養子と為る事の出来無い貧農の二・三男」(藤村道生)が中心であった。


 




 <軍務を担うのは誰か>

 政府は徴兵令制定以降、法改正を通して分家や養子縁組を防ぐ対症療法を続けたが、戸籍操作による兵役逃れは、昭和以前の最後の徴兵令大改正と言われる明治22年の改正が「廃疾」「不具」を除き免役・猶予条項を全廃し、徴集延期を家族の生計が維持出来無い場合等に限定する迄続いた。

 だからと言って、勿論即全員が兵と為った訳では無い。政府の側から見ても、財政的制約等から見て大量の兵員を養える訳では無いし、又その必要性が希薄な場合もある。歴史学者の加藤陽子が指摘する様に、明治期の日本では20歳男子人口に比して実際の徴集人員の割合は非常に少なく、日清戦争の明治27年ですら5%に過ぎ無かった。(『徴兵制と近代日本』)
 根こそぎの動員が発生するのは昭和の戦争の時代に入ってからの事である。詰まり、誰が兵役義務を持つのかと云う問題と、誰が実際に軍務を担うのかと云う問題は、クロスしつつも別個に存在して居た。

 <立憲政体と徴兵制>

 兵役逃れが大きな問題として浮上して居た頃、ソモソモ兵役義務や国の為に戦う義務はどの様にして発生するのか、政府が国民にそれを押し着ける事は可能なのかと云う疑問が徐々に芽生えて来た。
 その発信源のひとつが自由民権運動である。高知の民権結社立志社は、明治一〇年の国会開設を求める建白書の中で、徴兵制を導入して国民に「血税」負担を求めるからには専制政治を辞めて「立憲ノ政体」を樹立すべきと説いた。

 彼等によれば、本来、徴兵制は「良制」である。だが、それは「立憲ノ政体」で施行されるからであって、専制政府の下ではそうでは無い。専制政府は一方的かつ強圧的に国民に負担を押し着けるだけなので、国民に取って国事は所詮他人事であり続ける。
 だが「立憲ノ政体」では、参政権を持つ国民が議会を通して政府と共に国是の確定を行い、定められた租税を負担し「護国ノ責」を自発的に負担する事に為る。自らが参画して作り上げた国の幸福と安全を守る為に国民は兵役義務を負うのであって、一方的な徴発は徴兵制の真の姿では無い。徴兵制を続けるの為らば、国会の開設が必要だ。彼等はそう訴えた。


 




 <参政権と兵役義務の不可分性>

 参政権と兵役義務を関連付けて捉える思考は、政府の近辺にも浸透して行った。明治一二年の徴兵令改正は、政府の議法機関である元老院が政府原案の可否に付いて審議し、修正を行った。
 その中で、国民徴発宣言に過ぎ無い第一条の「徴兵ハ国民ノ年甫メテ二十歳ニ至ル者ヲ徴シ」と云う文言を根本的に改めて「徴兵ハ全国ノ男子護国ノ義務ヲ帯ル者ヲ徴集シ」とする動きが起こった。修正案の提出者は、津田出、山田顕義、佐野常民、細川潤次郎、中島信行と言った面々である。

 それは次の様な意図を持つ。第一に、徴兵は上からの一方的徴発では無く国民の「護国ノ義務」に基づくものであり、忌避は許され無い事を明らかにする。国民が兵役義務を持つ事を周知徹底すると云うのは、山縣有朋の方針でもあった。
 第二に「護国ノ義務ヲ帯ル者」を徴集すると明記する事で、義務を持た無い者が存在する事を明らかにする。現実に老人や子供、検査不合格者は兵役を免れて居り、徴兵令そのものがザル法であった。その事を明示して「血税」に怯える国民を安心させ様としたのである。

 処が、この修正案は賛成九反対一〇の一票差で葬り去られてしまう。有力な反対意見は、河野敏鎌、柳原前光らによって唱えられた。それは「護国ノ義務」は憲法制定によって初めて定まるので、憲法が無い状態で徴兵令にそれを明記するのは不適当と云うものである。
 この場合の憲法とは、当時元老院が天皇から命じられて起草した憲法草案がイメージされて居る。元老院憲法草案には、国民から選ばれた「代議士院」の存在が明記されて居り、天皇と立法権を分有し共に憲法を遵守する約を結ぶ機関として位置づけられて居た。
 と云う事は、元老院の河野や柳原に取って、憲法上の兵役義務は、国民から選ばれた「代議士院」があって初めて具体化すると云う事に為る。当時の元老院には民権派系の書記官も在籍して居り、河野、柳原は民権派に近い議官と目されて居た。

 この事は、立志社建白以来、民権派の中にあった立憲政体と徴兵制、若しくは参政権と兵役義務の不可分性と云う問題意識を、現実の憲法起草や徴兵令改正に反映させ様とする動きが微弱ながら存在して居た事を意味する。

 
 




 <国民の合意無しに定まった兵役>

 「代議士院」による憲法遵守の約を重視した元老院憲法草案は、幾つかの修正を経て最終的に政権中枢によって却下された。又現実の明治憲法は欽定憲法であり、民権家達の期待に反して国民から選ばれた者が制定に参画出来無かった。
 明治二三年の帝国議会開設の際に衆議院議員でもあった中江兆民が訴えた様に、衆議院で憲法条文を一条一条点検し修正を行う事で、欽定憲法を実質的に国民の憲法に転化しようとする試みも実現し無かった。

 明治二二年一月二二日の改正徴兵令は、次の様な条文に改まる。「第一条 日本帝国臣民ニシテ満十七歳ヨリ満四十歳迄ノ男子ハ、総テ兵役ニ服スルノ義務アルモノトス」
 徴兵令が制定されてから一五年が経って、兵役が義務である事が明文化された。これは、改正徴兵令から一月も経た無い二月一一日に発布された明治憲法の第二〇条「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」に対応する。
 兵役は最早一方的な徴発であることを辞めて、憲法に基づく義務として再定義された。だがそれは、国民の同意の無い義務であった。徴兵令改正の報に接した『朝野新聞』(一月二四日)は、「明年の帝国議会開場の時を待ち其議に付して国民多数の意見を問ふ」原則論を唱えたが、最早どうする事も出来無かった。

 この様に、兵役義務は国民の明示的合意無しに定まった。とは言え、その後暗黙の承認が無かったとは言え無いのも事実である。帝国議会が開設されて以降、徴兵令の細かな修正は審議の対象に為って居る。だから、兵役義務と徴兵制を巡る問題を本格的に問い直す事が出来ない訳では無かった。
 それが行われ無かったのは、徴兵制軍隊が日清・日露の両戦役における勝利と云う、容易に否定することの出来無い大実績を作ってしまった事にも関係するだろう。

 だが、国民の参画が無いまま兵役義務と徴兵制が定められ、大正デモクラシー期に幾つかの例外があるものの議論が継承され無かったことは、その後の歴史にも影を落として居る様に思われる。

 ※第3回は7月25日に掲載予定です。

 尾原宏之(甲南大学法学部准教授) 以上


 




 






松坂桃李、主演映画「新聞記者」が興行収入4億円超のヒット!「賛否あっての熱量」




 松坂桃李 主演映画「新聞記者」が興行収入4億円超のヒット!「賛否あっての熱量」




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        内閣情報調査室で働くエリート官僚を演じた松坂桃李


 〜「権力とメディア」を真正面から描く社会派エンタテインメント、映画「新聞記者」の大ヒット御礼舞台挨拶が23日、新宿ピカデリーで行われ、ダブル主演のシム・ウンギョンと松坂桃李が登壇した〜


 




 松坂桃李、映画に付いての熱量を実感

 本作は現在、興行収入4.1億円、33万人の観客動員を突破。毎週同じ動員数を維持するのが難しいと言われる映画業界において、前週比97.8%をキープし、主要都市部の劇場では連日満席が続く等、公開から3週間後も高い興行が続いて居る。
 舞台挨拶に出席したシムは冒頭「こんなに沢山の方に見て頂くと思わ無かったので、驚いています」と挨拶。松坂は「この拍手と空気感が、今まで味わった事の無い感覚。それが、この映画に付いての熱量なのかなと実感しています」と感想を語った。


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 本作の舞台は、霞ヶ関。シム扮する東都新聞の女性記者・吉岡の元に、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届く。日本人の父と韓国人の母の下アメリカで育ち、或る強い思いを秘めて日本の新聞社で働いて居る吉岡は、真相を究明すべく調査を始める。
 一方、松坂演じる内閣情報調査室の官僚・杉原は「国民に尽くす」と云う信念とは裏腹に、与えられた任務は、現政権に不都合なニュースのコントロール。真実に迫ろうとモガク若き新聞記者と「闇」の存在に気付き選択を迫られるエリート。現代社会にリンクする生々しいストーリー展開が話題の政治サスペンスだ。

 舞台挨拶では、全国の劇場支配人から届いた「新聞記者」現象が紹介された。「このジャンルでは珍しく若い観客が多い」「鑑賞後に拍手が起こった」「お客様から直接お電話で作品の感想を頂いた」等、劇場スタッフが目にした出来事やエピソードが語られた。
 大阪シネルーブルのエピソードが紹介された時にはシムが「おおきにです!」と突然の関西弁を披露。楽屋で練習したと云う関西弁で感謝を伝え会場を沸かせた。

 会場の観客には、物語とも深い関わりがある獣医学部出身の女性の姿も。「私も獣医学部だったので、医療について考えさせられました。日本が(こうした問題を)身近に考えられる国に為ったら好いなと思います。こんな気持ちに為るのは初めて」とコメントし、主演の二人も「確りと受け止めて下さって嬉しい。作った側として、何かの切っ掛けに為れば」と感慨深く聞き入った。

 最後は、主演の二人から観客へメッセージが送られた。シムは「この映画の熱量を感じて、感無量です。これからどんな選択、分かれ道でも、迷わ無い力が皆さんに届きます様に」とコメント。
 松坂は「公開してから約一ヶ月、こうして皆さんに会えると云う事はナカナカ無いです。映画は賛否があって、強い熱量に為るのかなと思います。チャンとこの作品が、皆さんに取って持ち帰れるものに為ったと思うと、嬉しく思います」と締めくくり舞台を後にした。

 映画「新聞記者」は新宿ピカデリー、イオンシネマほかで全国上映中。




 




 【関連報道1】


 現政権を批判した異例の映画『新聞記者』が大ヒットの理由



 〜7/22(月) 6:20配信  週プレNEWS〜



7-27-1.jpg

        東京の「新宿ピカデリー」には巨大な『新聞記者』の看板が



 「政治的な話題(を扱う事)でさえ敬遠され勝ちな日本の芸能文化、エンターテインメント界で、こんなに気骨のある作品が生まれたことに感動」
 「今、この国は、形だけの民主主義なのか?」
 「見終わった瞬間に感極まり、場内に自然と拍手が起きた。イベント初日でも無い平日の回なのに」

 これは東京新聞・望月衣塑子(いそこ)記者の著書を原案にした、現在公開中の映画『新聞記者』を見た人達がツイッターに書き込んだ感想だ。
 テレビCM等の大々的な宣伝は無いが、口コミで人気が広がり、6月28日に公開されると「初週から満席の回が出て、連日ホボ満席状態」(新宿の劇場副支配人)。しかも公開3週目に為っても好調は続き、7月12〜15日まで観客動員数、興行収入共に伸び続けた。

 公開から18日間の累計は観客動員数約27万3600人、興行収入は約3億3700万円。これは、『新聞記者』の前週に公開された『X-MEN:ダーク・ フェニックス』(約3億4000万円)と肩を並べる数字だ。その為、より集客出来る様に上映時間を変更したり、座席数の多い大型スクリーンに移す劇場も出て来て居ると云う。では、何がここまで観客を引き着けるのか?娯楽映画研究家の佐藤利明氏が解説する。

 「これ迄にも『新聞記者』の様な社会派映画は沢山ありました。九頭竜(くずりゅう)ダム汚職事件をモデルにした『金環蝕(きんかんしょく)』 (1975年公開)『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(81年公開)『BOX 袴田事件 命とは』(2010年公開)......など。
 只、これ等の映画は『アノ事件の真相はこうだった』『アノ事件を通して今を考えよう』等、或る程度、時間が経ってから振り返るものばかりです。一方、『新聞記者』は、森友・加計問題や官僚のスキャンダル、レイプもみ消し等、現在進行形の事件を扱って居る。それが最大の違いです。
 そして、映画は普通、起承転結があるが『新聞記者』には"結"が無い。それは、こうした問題が未だ終わった訳では無いと云う事を意味しています。見た人が自分で考えて欲しいと云う余白を残して居る作品なんです。
 しかも、公開のタイミングを参議院選挙にブツケテ来た。これは、作り手が或る意思を持って製作した映画で、それが異例の大ヒットをして居ると云う事は、今の世の中や現政権に対する不満や不信を持って居る人が予想以上に多いと云う事なんです」


 7月21日の参院選の結果は出て居るが、その勝敗とは別に動き始めて居るものがある様だ。映画『新聞記者』は、今後、全国の劇場に広がって行く予定だと云う。
 以上


 





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              主演 シム・ウンギョン氏


 韓国の演技派女優シム・ウンギョン「新聞記者」で実感した“難しい”芝居とは?

  〜2019年6月27日 12:00〜


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[映画.com ニュース] 現役の新聞記者である望月衣塑子のベストセラーを原案に、官邸とメディアの攻防を描く「新聞記者」が6月28日から公開される。
 松坂桃李と共に主演を務めたのは、大ヒットした韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」「怪しい彼女」等で知られるシム・ウンギョン。2年前から日本の芸能事務所に所属し、本格的に日本進出を果たしたシムに、本作の話を聞いた。

 「青の帰り道」「デイアンドナイト」の藤井道人監督がメガホンを採った本作は、若き新聞記者とエリート官僚の対峙と葛藤を描く社会派サスペンス。大学新設の極秘情報を追う記者・吉岡エリカをシム、理想とは裏腹に現政権に不都合なニュースをコントロールすると云う職務を担う官僚・杉原拓海を松坂が演じて居る。
 劇中で流ちょうな日本語を話して居るシムは、インタビューの受け答えも日本語で行って居た。「今でも日本語のイントネーションは難しいです」と苦笑したが「話す事が大事だと思うので、為るべく日本語で話し掛けて頑張って居ます」と勉強熱心な一面を覗かせた。

 本作の出演の切っ掛けは、プロデューサーからオファーを受けた事だった。「台本を読んで、最初は高いハードルだなと思いました。今の私の日本語レベルで出来るのかと云う事と、演じる事自体も難しいキャラクターでした。私は、今の時代に生きて居る普通の人の姿を見せるお芝居が一番難しいと思って居ます。なので、吉岡と云う役を演じるのがトテモ難しかったです」

 それでも出演したいと思ったのは、脚本を読んで本作の持つ深いメッセージに心を打たれたからだと云う。 「この作品は“真実と選択”の話だと思って居ます。真実とはナンなのか、私達が信じて居る真実は本当なのか、真実を知った時にどう云う選択をするのか。そう云うメッセージを、吉岡と杉原の生き方を通して描く処に感動して出演したいと思いました。吉岡達の行動、生き方、2人の周りの登場人物の姿に、今の時代を生きて居る私達の群像がチャンと見えたんです」

 撮影期間は短かったそうだが「クランクインからクランクアップ迄、ズッとこの作品の事を考え居ました」と集中力を高めて臨めたと云う。「それ位集中し無いと撮れ無いと思って居たんです。日本での撮影は私に取ってとても貴重な経験に為って、お芝居に対しても自分の中では成長出来たかなと思って居ます」

 中学生時代から日本映画に親しんで来たと云うシムは「是枝裕和監督や岩井俊二監督の作品等、日本映画に影響を受けて来ました。私もこう云う映画を(自分で)撮りたいと思った事もあります。何時か日本で仕事が出来たら嬉しいとズッと思って居ましたが、今では現実に為りました」と笑顔を見せる。

 今年は5月に終演した舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」の出演や本作の他、10月には夏帆と共演した映画「ブルーアワーにぶっ飛ばす」の公開が控えて居る。「これからは未だ経験の無い悪役や、中島哲也監督の『告白』で松たか子さんが演じて居た様な役を演じてみたいです。日本でチャレンジしたい作品があれば、頑張ってヤリます」高いハードルだったと云う本作を経て、日本で更に活躍の場を広げそうだ。「新聞記者」は6月28日から全国公開。




 





 【関連報道2】


 賛否両論の映画>「新聞記者」が悪い意味で虚実ないまぜだった件



 〜7/21(日) 11:00配信 文春オンライン〜


 筆者のSNS上で、映画「新聞記者」が話題に為って居た。色々な意味で。Twitterを検索してみると、矢張り2つの世界が広がって居た。現政権と絡めて権力とメディアの葛藤を描いた作品として称賛する人、物語の根幹を成す設定に否定的な意見を出す人ナドナド、意見は真っ二つに割れて居た。

 【動画】映画「新聞記者」の予告編を見る

  



 




 これを見て筆者は「ア、これ絶対面白いヤツだ」と勝手に決め着けた。映画そのものより現象が。こう為ったら、映画も見て観るべきだろう。筆者は映画館に向かった。これはその一部始終、詰まり「新聞記者」の映画評に為る。
 なお、本稿においては、その性質上映画「新聞記者」の核心部分を含むネタバレが多数登場する。予めその点をご承知の上、この先を読むかどうかご判断頂きたい。

 賛否両論の映画「新聞記者」が悪い意味で虚実ないまぜだった件 主人公の新聞記者を演じたシム・ウンギョン コピーライトマークgetty


 物語が始まる前から驚かされる

 筆者は、特に映画の前情報も調べず映画館に向かった。上映されて居たのは比較的小さいスクリーンだったものの、座席の半数は中高年の男女で埋まって居て、平日上映の、それも社会派の映画としては可なり健闘して居る部類に入ると思う。予告の長さにブツブツ文句を言って居る隣の老齢男性を気にしつつ、映画が始まった。

 本編が始まる直前で行き成り驚かされた事がある。映画の配給としてイオンエンターテイメントがクレジットされたのだ。イオングループと言えば、言わずと知れた旧民主党・民進党代表で、現在は立憲民主党会派の岡田克也氏の実家の一族企業である。そう云う背景で政治や報道題材の映画を出されてもな……と云う気分は拭え無い。
 映画の内容と資金・配給は関係無いと云う反論もあるだろうが、仮に麻生グループが関与する政治エンターテイメント映画があったとしたら、自分だったら眉に唾を着けて観るし、皆さんはどうだろうか? それと同じことだ。そう云う訳で身構えて観る事にした。

 反政権的な人物にスキャンダルをデッチ上げる

 主人公の吉岡は、東都新聞の記者。優秀な新聞記者だった父親は、政治スキャンダルの誤報を切っ掛けに自殺した経緯を持つ。或る日、社内に送られて来た大学新設計画に関するFAXを切っ掛けに、この大学新設計画の背景を追って居る。
 もうひとりの主人公である杉原は、外務省から内閣官房の内閣情報調査室(内調)に出向している官僚だ。杉原の内調での主な仕事は、反政権的なメディアに対する批判・揶揄をTwitterに投稿したり、反政権的な人物をコジツケでスキャンダルをデッチ上げたりして信用を失墜させる仕事をして居るが、その仕事内容には疑問を抱いて居る。
 杉原の元上司である神崎の自殺を切っ掛けにして2人は出会い、大学新設計画を巡る政府の真の目的を探る事に為る。

 物語の大筋は上述の通りで「総理のお友達」が関与して居る大学新設計画は、明らかに加計学園の獣医学部新設問題を下敷きにして居る。この他にも、文部科学省の一連のスキャンダルや、ジャーナリスト・伊藤詩織氏への暴行事件と云った、実際に起きたものを連想させる様な事件が多数登場し、その背後には政権が関わって居る事が示唆されて居る。
 物語が始まってから最初に驚いたのは、劇中のテレビ番組に「新聞記者」原案の東京新聞記者・望月衣塑子氏と前川喜平元文部科学事務次官が出演して居た事だ。

 前述した様に、劇中に実際に起きたのを想起させる事件が多数登場して居るが、それ等は実際の事件そのものでは無い。だが、ここに来て実在の人物に解説役を遣らせるのは予想外だった。創作と現実をシャッフルする意図とは何だろうか? ここで抱いた違和感は終始付き纏う事になるが、それに付いては後に譲る。


 




 内調がネット工作の実行主体に為り得るか

 ネット上で批判が大きい内調のネット工作描写だが、筆者は政府や政治組織によるネット工作自体は可笑しな話では無いと思って居る。しかし、内調がその実行主体に為り得るかに付いては可なり疑わしい。内調は各省庁からの出向者が大半を占める組織で、やがて外部に戻る事が確定して居るスタッフに、こんな工作をさせるだろうか。そもそも、世論工作に付いて外部から出向して来た官僚達は素人だ。

 世界各国で明らかに為って居る世論工作に付いても、その実行主体は民間企業によるもので、企業が絡むことで工作がバレても真のクライアントは誰かを隠匿する事も出来る。劇中の討論番組で前川喜平元次官が「内調は何を遣って居るのか分から無い」と云う趣旨の事を語って居る。詰まり、内調のネット工作の部分は制作者の完全な想像によるもので、この辺りの描写に想像力の限界が見え隠れして居る。

 大学新設は生物兵器の為?

 物語の核心部分である大学新設問題は、結論から言うと、政府が生物兵器開発に転用し得る研究施設として構想して居た事が終盤明らかにされる。この点について、昔からある都市伝説レベルのネタを話の根幹に持って行くのはどうなのかと云う批判を多く見掛けた。
 「新聞記者」劇中では実際の政治事件に好く似た事件が登場すると言っても、この根幹の設定だけは加計学園問題のそれに明らかに盛ったものだ。ネット上では加計学園絡みの疑惑について、モリカケと揶揄してマスコミのデッチ上げの様に言う論調が一部に見られるが、筆者は政府が言って居る部分だけでも相当ヤバイと認識して居る。

 例えば、自民党が政権に返り咲いた後、民主党時代に首相官邸への入館パスが乱発される等、素性の怪しい人間迄出入り出来る様に為って居た事を飯島勲内閣官房参与がテレビで明らかにして民主党批判をして居たものだが、加計問題で官邸への出入りが問われると、政府は官邸への入館記録は存在しないと調査を拒んでいる。
 これが事実なら、入館者の素性を後年に検証する事が不能に為るレベル迄官邸のセキュリティが落ちたと云うことで、あれ程民主党時代の官邸セキュリティを批判して居たのは何だったのかと云う話に為り、俄かには信じ難い。


 




 陰謀論は、現実にも結構ある 

 だが、幾ら何でも加計問題をベースにして、生物兵器開発を突っ込んで来るのは無理筋だろう。又、その理由として「テロ、外圧」への対応が文書に明記されて居たと記憶して居る。外圧への対応と云うと、恫喝を受けた際の抑止力として使うのだろうか。
 生物兵器が抑止力としては不完全なものである事は、北朝鮮が核とその運搬手段である弾道ミサイル・弾道ミサイル潜水艦の開発に行き着いた事からも分かるだろうし、ソモソモ生物兵器を含む大量破壊兵器の保有疑惑(それも明らかに誤っていたもの)から国が一つ消滅したのは今世紀の話であり、正気の沙汰では無い。
 第一、テロに生物兵器でどう対抗出来るのか全く分から無い。これは単に「新聞記者」世界の政府が狂って居る事を表現したいのか、制作陣が現実味のある設定だと本気で考えたのかは定かでは無い。

 しかし、加計問題を生物兵器開発に絡める陰謀論は、創作の世界だけでは無く、現実にも結構あるものだと云う。ググって観ると「加計の獣医学部設置は生物兵器開発の為だ」と主張しているサイトが出て来たが、その他にも「予防接種は国民に有毒物質を注射する為だ」等と書いてある典型的な陰謀論サイトもあった。
 ここまで頭を抱えるレベルで無くても、著名人の論考では軍学共同研究に批判的な池内了名古屋大学名誉教授が「加計学園の獣医学部は生物兵器研究に使われるのではないか」と ハフィントンポスト に書いて居る。これは既に畜産大学とも行われて居る生物兵器対処研究の一環を批判的に見て居るもので、池内名誉教授自身も「マスコミも書いていない仮説」と但し書きを着けて居る。しかし「新聞記者」での描かれ方は、明らかにそれよりも踏み込んだものだ。

 「劇中で描かれたのは加計学園そのもので無く創作の大学に過ぎ無いのだから、それを批判するのは間違いだ」と云う意見も出て来るだろう。だが「新聞記者」劇中における現実と創作の境目は、恣意的に曖昧・混同されている。

 都合の良い実在・非実在の使い分け

 筆者が呆れたのは、都合の良い実在・非実在の使い分けだ。「新聞記者」劇中では政権リークを横並びで伝える新聞社や、政権の意を受け記者を攻撃する週刊誌、遺族に殺到する取材陣等、マスメディアの汚い面も描かれて居るが、登場するメディアは何処かで聞いた事が在る様な名前(週刊文春と週刊新潮を合体させたみたいな)をして居るが何れも非実在だ。
 だが、これ自体に何ら問題は無い。映画の話なのだし、非実在のメディアを登場させるのは極普通だ。創作常連の「毎朝新聞社」を見れば判るだろう。

 だが、終盤。吉岡達東都新聞がスクープを報じ、政権側の意を汲むカウンター報道も行われる中、東都新聞に追随して報道するメディアが現れた。東都新聞社内では喜びを持ってそのメディア名が伝えられる。「読売、朝日、毎日」と……。それ迄劇中に登場した覚えが無いのだが、行き成り実在メディアが出て来てズッコケた。メディアの悪い処は非実在メディアのもので、良い処は実在メディアと云う、余りに都合の良い使い分けが行われていたのだ。


 




 新聞メディアのプロパガンダではないか

 奇しくも7月9日、朝日新聞朝刊でハンセン病患者家族への賠償を命じた熊本地裁判決について、国が控訴する方針である事が一面スクープとして載ったが、その日の内に控訴断念が発表され、朝日新聞は誤報としてお詫びする事態に為ったばかりだ。これについて、SNS上では、朝日新聞が官邸にハメられたと云う趣旨の陰謀説がメディア関係者に見られた。
 朝日新聞が官邸に偽情報を掴まされたのは事実かも知れ無いが、それを声高に主張する事は、政府関係者のリークを鵜呑みにして報道したと喧伝するのと同じであり、調査・検証能力の欠如を宣言するに等しい。

 こう云うリーク頼りのメディアも「新聞記者」では描かれているが、何れも非実在メディアの報道として描かれて居る。実際はこう云う問題があるのに、キレイなとこだけ実在メディアの名を行き成り登場させるのは、新聞メディアのプロパガンダではないか。

 マイネームイズ東都新聞記者

 新聞メディアのプロパガンダと云う表現を用いたが、この映画の主人公たる吉岡は、新聞記者と云う職業に余りにノメリ込み過ぎて居るのもその理由だ。それが窺えるのが、劇中に登場する吉岡のTwitterアカウントだ。
 吉岡が自身のTwitterアカウントに登録してある名前は「東都新聞記者」これを見た時、最初は「東都新聞記者吉岡」が長過ぎて表示が省略されて居るのかと思ったが、後に登場したブラウザ上の画面にも「東都新聞記者」と云う名前が表示されて居るのを見た。
 筆者の見間違いかと思いTwitterで検索してみると、そこに突っ込んで居るアカウントが複数あり見間違いでは無い様だし、Twitterの仕様では50文字まで表示可能で省略の線も無さそうだ。

 Twitterアカウントを持つ記者は数あれど、所属組織の名だけを前面に押し出して来る記者アカウントは記憶に無い。仮に「週刊文春」の記者個人がTwitterアカウントを公開したとして、名前に「週刊文春記者」としか書いて無かったら、多くの人は「此奴ヤベェ」と思うだろう。SNS上のアイデンティティを、自身の属する組織と肩書に委ねる感覚は理解出来無かった。この表記が逆に「新聞記者」と云う題を表して居るのかも知れない。

 この新聞にしてこの政府あり

 映画が終わり、劇場から出て来た時、筆者は暗澹たる想いに囚われて居た。結局の処、政府の問題も新聞の問題も「この政府にしてこの新聞あり」に過ぎ無いのではないのかと。今の政府が大きな問題を抱えて居るのも分かるし、権力とマスコミの関係、そして映画の問題意識は分かる。だが、その結果として出力されたのがこの作品なのかと思うと、正直頭を抱えざるを得ない。
 この映画での役者達の演技は素晴らしい。松坂桃李は揺れ動く内心を好く表現して致し、シム・ウンギョンの嗚咽は一寸引く位鬼気迫って居た。演出やカメラワークも良く、素晴らしい仕事であるのは間違い無いのだが、現実と創作を都合好く混ぜ合わせる手法を多用した本作を、筆者は素直に称賛する事は出来無かった。

 尚、この原稿を書いて居る丁度今、CBCテレビ報道部公式Twitterアカウントが、与党候補者に対する暴力・妨害を肯定・揶揄する様なリプライをした事について謝罪した。「弊社報道部の意思に基づくものでは無い」として調査を行うそうだが、CBCテレビと言えば親会社の中部日本放送の筆頭株主は中日新聞で、東都新聞社のモデルと思われる東京新聞の発行元である。
 「新聞記者」と逆パターンであるが、これも内調によるハッキング工作とでも言うのだろうか? 何れにせよ調査報告を待ちたい。



  石動 竜仁  以上


 





 【管理人のひとこと】


 挙って安倍政権への忖度に励む国内の、政・菅・財・報道のあらゆる階層の中から、映画メディアからこの様な作品をこの時期に発表し、或る程度の話題性と興行実績を挙げた事に、心からのお祝いと感謝を申し上げたい。
 映画製作とは、一つのものを伝えたいとする大きな熱情と、緻密に計算された演出や多大な資金を必要とし、実際に演技する人達や沢山のスタッフの肉体的労力を消耗させる。これ等の一つも失えば完成され無い総合芸術だ。

 無論、今回は原作があり、それを読んだ監督・プロデューサー等が感銘を受け作品にしようとした事から始まり、資金の調達からスタッフや人間の手配が始まるのだろう。映画が完成し発表する際、関わった人達の感慨はいかばかりなのだろう・・・考えただけで込み上げるものがあるだろし、絶賛や批判をカイ混ぜた色々な反響に、心から受け止める満足感に浸って居る事だろう。
 例え褒められずボロカスに言われても好いのだし、話題性を呼び、観客が一人でも自分の心に持ち帰って考える人が居た事で、彼等は仕事の満足感を得られる。そして、次にまた映画製作への情熱を持ち続けられるのだろう。

 映画は、連続ドラマと異なり1時間半から長くても3時間程度の限られた時間に、ひとつの空間を共有する製作者と観客の共同作業でもある。観客を飽きさせず物語の芯奥に引き込み続け、或るものを訴えられるかを探る一対一の葛藤の空間でもある。
 何百人にも上る製作者の思いが、一つのスクリーンに映し出される・・・監督・助監督・・・出演者・スタッフ・・・大道具・小道具・メイキャップ・照明・撮影・・・全ての人達の思いが込められた画面・・・それを観る観客。批判しても好し褒めても好い、無視して通り過ぎる事だけはしないで欲しいだろう・・・
 それにしても、韓国人俳優の日本語の自然さと流暢な言葉や仕草は並大抵の努力では無かっただろう。日本映画への愛情を心から感謝申し上げたい。



 



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