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2019年05月17日

実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国



 



 
 【ネットニュースより】



 実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国


 
  5-18-1.gif

             モンゴル帝国の最大判図



 5/17(金) 6:00配信 東洋経済オンラインより引用します


 




 モンゴル帝国は、どの様にして遊牧民族を統一し拡大して行ったのでしょうか。岡本隆司氏がアジア史を紐解(ひもと)きます

 現在、歴史学では旧来の各国史(ナショナル・ヒストリー)やそれを寄せ集めただけの「世界史」の限界を乗り越え様と「グローバル・ヒストリー」に注目が集まって居る。
 広域の交易活動や文化接触、或は言語の交錯や人々の移動等、国境を超えたダイナミズムから、ナショナル・ヒストリーの枠組みでは捉え切れ無い動きを歴史化しようとする機運が高まって居る事がその背景にある。だが「グローバル・ヒストリー」だけでは、世界史全体を捉え切れ無い。文明発祥以来のアジア史固有のダイナミズムを閑却して来たからである。

 『教養としての世界史の学び方』を上梓した東洋史家の岡本隆司氏が、アジア史から世界史を捉え直す意義に付いて解説する。



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         岡本 隆司氏 京都府立大学文学部教授


 




 『疫病と世界史』の意義と限界



 「グローバル・ヒストリー」を世に知らしめたのは、何と云ってもマクニールの『疫病と世界史』と云う名著です。
 国境等に関わらず人類に脅威を与えて来たものは、感染症無くしてはありません。目前にも当て嵌まる事であって、そこに着眼して世界史を書き改めた『疫病と世界史』は本当に興味深い著作でした。


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            疫病と世界史 上 (中公文庫)


 それでも、全く疑問が無い訳ではありません。疫病・感染症は確かに恐ろしいものです。ですが、その病症・病原体やウィルス等を考えるのは寧(むし)ろ医学の範疇(はんちゅう)に属します。日常に忙しく知見も乏しい一般の人が、ウィルスや免疫の事まで考えながら暮らせる筈はありません。
 我々が日々感じ思うのは、気候・気温や生活習慣の変化です。寒ければ病気を心配し暖かく為れば安心します。労働や食事が大きく健康を左右するのは言わずもがなでしょう。

 病気はウィルスの作用で起こるのだと言われます。確かに医学的な説明はそう為るに違いありません。しかしウィルスは大気中に何時も数知れず漂って居るのに、病気が流行る時期とそうで無い時期があります。寒く為ればインフルエンザが流行しますが、夏にそう為るのは珍しいでしょう。病気に罹り易い人も居ればそうで無い人も居ます。偏食や疲労、乃至(ないし)は体質によることが少なくありません。
 それなら、病原体・ウィルスは誰にでも当て嵌まる普遍的な条件であり、共通因数として捨象(しゃしょう)出来ます。病気の直接的な原因は、変化する気象や人夫々の生活・身体であると見る方が我々には判り易い常識的な考え方だと言えます。

 これを歴史に置き換えますと、問題は疫病そのものでは無く、それをもたらす自然条件であり、かつ罹患(りかん)する人の暮らし方に為ります。詰まり世界史を常識的に見るなら、人間の生活とそれを取り巻く環境条件の違いを先ず考え無ければ為ら無いと云う事です。


 




 生態環境でアジア史を捉える


 世界の一半を占めるのはアジアですから、世界史を考えるにはそこを無視することは出来ません。そのアジア史で先ず基本概念として注目すべきは生態環境です。
 広大な大陸なので、当然ながら多様な地勢・気候が存在して居ます。内陸には寒冷な乾燥地があり、南方の沿海には温暖な地域があって夫々全く違います。そして気候が異為れば、自然の生態も人々の暮らし方も同じでは無く為って来ます。それは人生観、世界観、組織の作り方等、全てに影響を及ぼしました。


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               チベット高原とモンゴル大草原


 そうしたアジアの生態環境は、突き詰めれば乾燥世界と湿潤世界に二分出来ます。前者は遊牧地域と言い換える事も可能です。人々は乾燥気候ながら草本(そうほん)植物の生育する草原を求めて移動し、牧畜を営んで生きて居ます。後者は農耕地域です。湿潤な気候の下で農地に作物を栽培しながら定住生活を営む人々に為ります。
 更に地理的に見ると、パミール高原から四方に伸びる嶮峻(けんしゅん)な山脈は、自然の障壁と為って来ましたので、アジアは大きく4つの世界に分類出来ます。梅棹忠夫はアジアを4分割した概念図を提示して居まして、これに手を入れたものを掲げます。


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                 梅棹忠夫氏 

 梅棹忠夫(故人)UMESAO Tadao 国立民族学博物館・顧問・名誉教授・初代館長 専門分野民族学・比較文明学
 〈略歴〉京都大学理学部卒業 大阪市立大学理工学部助教授 京都大学人文科学研究所助教授 京都大学人文科学研究所教授
 1974 民博初代館長 財団法人千里文化財団会長 民博顧問、同名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授
1996 京都大学名誉教授 学位・1961 理学博士 専門分野 民族学・比較文明学


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               アジアの4分割


 梅棹忠夫は「T東アジア」「U南アジア」「V北アジア」「W西アジア」に分類しました。「V」の北アジアには元々殆ど人が住んで居ないので、実質的には「T」「U」「W」の3つで考えられます。何れにも遊牧地域と農耕地域とが併存して居る事に注目したいと思います。就中(なかんずく)重要なのはその境界地帯です。
  生態環境と生活習慣が異なる以上、双方の産物も農産物と畜産品で異なって 、互いに持って無いものでもあり、そこで各々の産物を交換すれば 共に有益ですから、遊牧と農耕の境界地帯は交易が起こり易い条件にあります。
 そこでマーケットが誕生し集落が出来、ヤガテ都市国家に為って行きます。乾燥地帯のオアシス国家も、構造は同じでしょう。そこから古代文明が始まりました。


 




 【1】古代文明の地理的共通点


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 古代文明の基盤は文字文化です。東の黄河文明南のインダス文明西のオリエント文明が夫々に発祥・発達しましたが、地理的な共通点があります。何れも遊牧民と農耕民の近接する場所でした。

 文明文化それ自体は、富を蓄積出来た農耕定住民の手に成ったものでしょう。しかしそこで必要な条件は、移動交通の活発な遊牧民の存在・活動が傍らにある事です。近隣の農耕民は、彼等と接触・交流せざるを得ませんから、それに応じられる集団・組織を結成運営する必要が出て来ます。その為には、意思疎通・記録保存の手段が欠かせません。
 生業が遊牧のみ農耕のみで互いに没交渉なら、各々その集団内部で同じ生活パターンを繰り返して居れば好く、口伝・習慣で事足りますから文字記録は不要です。その代わり外からの刺激も希薄で、文化は停頓しかねません。
 太古の遊牧民は文字を持ちませんし、文字の無い農耕文明も少なくありません。文字を発明し文化を発達させ国家を生み出したのは、遊牧と農耕の境界だったからです。


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               オリエント美術


 そうした文明が更に発展・拡大することで、西アジア・南アジア・東アジア夫々の広大な世界を統一する古代帝国が出来上がりました。オリエントを覆ったアケメネス朝ペルシア、南アジア・インドを統一したマウリア朝、東アジアの秦・漢、更に地中海世界を包括したローマ帝国がその典型例です。


 




 【2】寒冷化と民族大移動


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              ゲルマン民族の大移動


 こうして進展した歴史に重大な転換をもたらしたのが、3世紀頃から顕著に為った気候変動、詰まり寒冷化です。温暖な地域が多少寒く為った程度なら未だ耐えられるでしょう。勿論冷害や不作と云う意味では、農耕地域へのダメージも甚大です。しかし寒冷地が更に寒冷化すれば生命が危ぶまれます。
 そこで厳しい環境に置かれたのが、北方の内陸地を移動する遊牧民です。寒冷化によって草原そのものの面積が縮小した事は想像に難くありません。牧畜が出来無くては生活生存出来無く為ることを意味しますので、彼等は移動・南下を始めました。

 元々機動力があり、軍事力も優れて居ましたから、周辺の人々を圧倒します。そこで言わば玉突き現象が起こって、多くの人々が武装難民化し近隣の都市国家や古代帝国に侵入して来ます。
 迎える側が著しく混乱した事は想像に難く無いでしょう。これを契機として、古代文明の発祥以来の統治システムが機能し無く為り、新しい統治体系や社会構造が模索される様に為りました。これが例えば「民族大移動」と西ローマの滅亡だった訳です。

 取り分け混乱が激しかった地域は、西ローマの旧領と中国の華北です。ここでは、農奴制や均田制等が導入されました。労働力を土地に縛り着けて最大限に活用し、土地の生産力を出来る限り引き出そうとしたもので、急速に増える移民とその流動性に対応しつつ、生産力の減退を食い止める方法を目指した訳です。
 或は、オリエント・地中海世界を席巻したイスラームもその所産かも知れません。疲弊した社会で、新たな体制が望まれて居たのでしょう。中東はイスラームを中軸として、古代のペルシア・ギリシア・ローマの伝統も含め、政治社会体系の再編を遂げて行きました。

 東アジアでも時を同じくして仏教が広がって居ます。既存の信仰では救われ無いと皆が思ったのでしょう。漢語圏の人々ばかりではありません。インドからシルクロードを経て伝来した仏教は、隣接する武勇に優れたトルコ系の遊牧民も信奉しました。経済力に富むペルシア系のソグド商人がもたらしたゾロアスター教やキリスト教と並んで、唐の拡大に大きく寄与しました。


 




 【3】温暖化と唐宋変革


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              モンゴルの東欧侵略


 9世紀に為ると、アジアは一大転換期を迎えます。気候が温暖化に転じた為です。その恩恵を最も享受したのは、寒冷地にある草原地域に暮らす遊牧民でした。温暖化で縮小して居た草原が回復・拡大して、とみにその活動が活発に為ったのです。

 現在のモンゴル高原辺りで強盛を誇って居た遊牧国家のウイグルが、中央アジアへ移動を開始した事が皮切りでした。以後、東から西へ、取り分けウイグルと同じトルコ系の遊牧民が波状的に中央アジアから西アジアへ進出して、オリエント世界・イスラーム圏の在り様を大きく塗り替えて行きます。セルジューク朝の勃興や十字軍の遠征もその所産です。

 温暖化は、東アジアにも大きな変化をもたらしました。それ迄遊牧世界も農耕世界も包括して居た唐は、同じ時期に解体して自立した遊牧国家が優位に立って居ます。ウイグルの後、モンゴル高原を支配した契丹は、唐を後継した中国の諸王朝を圧倒しましたし、統一王朝の北宋共、殆ど対等の関係を結びました。
 遊牧世界だけではありません。気候が温暖に為れば、農産物の生産力も上がりますから、農耕世界も元気に為ります。

 そしてこの時期、東アジアで顕著だったのは、技術革新やエネルギー革命、それを通じた経済開発・経済発展です。中国の王朝名で言えば、唐と宋の間辺りに起こったので「唐宋変革」と呼んで居ます。北宋が契丹と対等な関係を保てたのもこの経済力のお蔭です。
 先ず農業生産が飛躍的に伸びた為人口が増加しました。大きく開発が進んだのは、長江デルタの米作地帯です。石炭が普及し始めたのもこの時期でした。多大な熱量を得た事で、金属器の生産量が飛躍的に増大し、銅銭が大量に鋳造され、中国は一挙に貨幣経済へ移行します。

 鉄も大幅に増産しましたから、農機具が沢山作れる様に為り、農業生産の拡大にも繋がって居ます。同時に、より鋭利で多量の武器も出来ますので、農耕民も遊牧民も以前より一層力を持つ様に為りました。
 温暖化の中で、過つての遊牧・農耕両世界の関係も変わって来ました。伸長した経済力と軍事力をどの様に組み合わせて共存させるのか。そうした模索の果てに登場するのが、モンゴル帝国だったのです。


 




 【4】集大成としてのモンゴル帝国


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               クビライ=ハン


 13世紀に出現したモンゴル帝国は、何より遊牧軍事国家として成立しました。トルコ系遊牧民を従え軍事力を拡大して、ユーラシアの草原世界を制覇したのが、チンギス・カンの事業です。

 その勢いは軍事に留まりません。草原から打って出て、シルクロード上のウイグル人やイラン系ムスリム商人も支配下に置きます。彼等は過つてのソグド商人がトルコ化・イスラーム化した人々で、ユーラシアの経済・財界を牛耳って居ました。モンゴル帝国は遊牧の軍事力と商業・金融の経済力を結び着け、改めて農耕世界の征服に乗り出したのです。
 チンギスの孫のクビライの南宋征服でその事業は完結します。その豊かな生産力を軍事・商業と組み合わせて、ユーラシア全域に及ぶ交通圏・経済圏を形づくったのです。銀を準備とする紙幣が流通した社会ですから、現代の我々から見ても余り違和感がありません。

 モンゴル帝国は又、海上への展開も開始して居まして、日本の「元寇」もどうやらその一環です。首都の北京に江南の糧食・物資を運び入れるのに海運を使いましたし、インド洋の海路を使った使節往来や民間交易も進めました。ムスリム商人が以前からそこで交易して居り、中国にも来て居たのですが、モンゴル帝国はその組織化を試みた訳です。
 こうしたモンゴル帝国の誕生と繁栄は、9世紀以来、温暖化に転じて居たアジア史の展開の集大成だった現象とも言えます。遊牧国家が活気付いて拡大したのと同時に、農耕世界も生産力を増大させて居たのですが、夫々の勢力が鬩(せめぎ)ぎ合って相下らず分立状況に在りました。そこで軍事力に優れたモンゴルが、シルクロードの商業資本を組み入れる事で、各地を結び着けて全体の統合を果たした訳です。

 言い換えるなら、夫々言語や生活習慣を持つ多様な種族・集団が、夫々軍事、経済、農業等を分業して居たのがアジア史の特徴でした。その全体がこの時期、政治的・社会的に、モンゴル帝国として1つにまとまり、温暖化での発展を一層推し進めたと云う事です。

 (後編につづく)

 岡本 隆司 :京都府立大学文学部教授







 【管理人のひとこと】


 「モンゴル帝国」・・・この文字を見るだけで管理人の心は躍ります。管理人は、世界史の中でこの帝国の事が大好き。かくも少数の民族、それも固有の民族では無くアノ地方のアノ時代の周辺の種族の寄せ集めの民族なのです。
 その中の支配階級は、ホンの少数の貴族的家族なので、一旦内部分裂すると果てし無くまとまりの無い抗争へと発展する。しかし、ヤガテ落ち着く様に分裂し、夫々の大地方を納める分裂的連結帝国へと進んで行くのです。将来的には、各地域と同化し吸収されて消滅する・・・固定の宗教に束縛され無い大らかな「大陸的鷹揚」さを感じます。岡本 隆司先生の「つづき」を早く見たいものです。必ず取り扱いますからお待ちください・・・








 

 

何故皇位継承が男系継承でなくては為ら無いか?



 




 天皇弥栄(すめらぎ いやさか)  慶應義塾大学講師 竹田 恒泰氏

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 作家。昭和50年生。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。平成18年『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で山本七平賞を受賞。その他近著に『日本は何故世界で一番人気があるのか』(PHP新書、平成23年)など。皇學館大学現代日本社会学部で「日本国家論」「現代人権論」を受け持つ 現、慶應義塾大学講師 明治天皇の玄孫


 





 何故男系継承で無くては為ら無いか?




 最早、理由などどうでも好い


 「天皇の皇位が何故男系によって継承されて来たか」これに答えるのは容易では無い。そもそも、人々の経験と英知に基づいて成長して来たものは、その存在理由を言語で説明することは出来ない。何故なら、特定の理論に基づいて成立したのでは無いからだ。天皇そのものが理屈で説明出来無い様に、その血統の原理も理屈で説明することは出来ないのである。
 だが、理論よりも前に存在する事実がある。男系継承の原理は古から変更されること無く、現在迄貫徹されて来た。これを重く捉えなくてはいけ無い。

 例えば、現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容に関わらず最古故にこれを簡単に建て替えてはいけ無い。同様に、天皇は男系により継承されて来た世界最古の血統であり、これを断絶させる事は出来ない。
 最早理由等どうでも好いのである。特定の目的の為に作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められて居ると考えなくてはいけ無い。


 




 男系継承とは家の領域の問題


 男系継承は男女の性別の問題と勘違いされるがそうでは無い。言うなれば家の領域の問題であり、男女は関係無い。男系継承とは「天皇家の方に天皇に為って貰う」ことに尽き、それは天皇家以外の人が天皇に為るのを拒否する事に他なら無い。

 民間であっても、息子の子に家を継がせるのが自然で、娘の子たる外孫に継がせるのは不自然である。愛子内親王殿下の即位迄は歴史が許すが、例えば田中さんとご結婚あそばしたなら、その子は田中君であって天皇家に属する人では無い。もし田中君が即位すれば、父系を辿っても歴代天皇に行き着く事の無い、原理の異なる天皇が成立する。
 民間ならば継承者不在でも、外孫を養子に執って家を継がせることもあるだろう。しかし、天皇はそれをやってはいけ無い。継承者が居なくなる度に養子を取る様なことがあれば、伝統的な血統の原理に基付かない天皇が成立することに為り、それは既に天皇では無いのである。


 




 男系継承は男性を締め出す原理


 又、男系継承は女性蔑視の制度だと云う人が居る。これも大きな間違いだ。歴史的に天皇は民間から幾多の嫁を迎えて来た。近代以降でも明治天皇・大正天皇・今上天皇の后は何れも民間出身であらせられる。だが、皇室が民間の男性を皇族にした事は、過つて只の一度の例も無い。
 男系継承とは、女性を締め出す制度では無く、寧ろ男性を締め出す制度なのである。民間の女性は皇族との結婚で皇族と為る可能性があるが、民間の男性が皇族に為る可能性は無い。

 処で「愛子さまが天皇に為れ無いのは可哀そう」と云う主張もある。皇位の継承は、その星に生まれた者の責務なのであって、恰も甘い汁を吸うかの様な権利等では毛頭無い。皇后陛下が失語症に為られたこともあった。しかし、見事に克服あそばし立派に皇后としてのお役割を全うされていらっしゃるが、皇后だけでも大変なお役割であって、一人の女性が天皇と皇后の両方のお役割を担われるとしたら、それは無理と云うべきだろう。


 




 国体の継承は現代日本人の責務 


 男系継承の原理は簡単に言語で説明出来るものでは無いが、この原理を守って来た日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実だ。皇室は伊達に二千年以上も続いて来た訳では無い。
 歴史的な皇室制度の完成度は高く、その原理を変更するには余程慎重に為るべきである。今を生きる日本人は、先祖から国体を預かり子孫に受け継ぐ義務がある。何でも好き勝手に変えて好いと云うことは無い。

                   以上


 





 【管理人のひとこと】


 最早、理由等どうでも好い・・・と鼻から、言葉での説明を諦めた竹田先生だが、色々と説明にも議論にも為らぬ御託を並べられた。その中のドレか一つでも得心の行く言葉があったのかと何度も読み返したのだが・・・残念だが、前回のブログに掲載された以上のものは無かった様だ。

 皇統男系男子派の共通するものは、その理論が、既に理解を求め様とする誠意を無くし、半ば諦めに似た投げ槍で不親切な処に在る様だ。話の途中で「最早、理由などどうでも好い・・・これ以上説得出来無い」と自らも感じるのか、途中で議論を放棄してしまう。全てが尻切りトンボなのだ。真剣に聞いて居る方が「真意を知りたい」と強く願って居るのに、自ら口を閉ざしてしまう傾向も同じ。
 管理人の様に、何とか彼等の本音を知りたいと願う者には、とても不親切で中途半端な後味しか残さず、誠に残念なのだ。高尚な理論を下々の者に判り易く説明する必要等は無い・・・と切り捨てられる。しかし、現実の皇室典範には、皇統に付いては戦前の法律と同じく「男系男子」と為って居るので「愛子様天皇」は不可能だ。それを願うなら法律を変えなくては為らず国民の大きな声が必要と為る。アンケートのパーセンテージが高い程度では適うまい。

 変えるのであれば、それなりの理論と説得力が無ければ為るまい。男女機会均等・天皇のお子様が皇太子(娘)に為るのが自然・女王が存在するのに女性天皇が存在して当たり前・その他・・・女性天皇は、皇后以上に大変な仕事だから無理だ、と竹田氏は結論付けたが、そんなことは判ら無い。イギリスの女王は数人の子育てと女王を遣り遂げて居る。近くに先例や決まりも無いのだから、愛子様の遣り易い様に充分研究されてご負担を最大限減らす様な方法を執られたら好い。
 久し振りの女性天皇は、世界中から注目され暖かい目で歓迎されるだろう。管理人も、既にその姿は見られ無いだろうが、外遊された際には愛子様フィーバーが起きるのは必定だろうと、今から胸がワクワクしている。



 











「男系男子」の天皇に合理的根拠は無い




 





  「男系男子」の天皇に合理的根拠は無い



  池田 信夫 2019年05月05日 06:10より引用します



         5-17-3.jpg

                池田 信夫氏


 




 新天皇の即位で、皇室典範に定める「男系男子」の皇位継承者は3人に為り「皇室の危機」が論じられて居る。普通に考えれば皇室典範を改正して愛子様が継承出来る様にすれば好いのだが、それに反対する(安倍首相を含む)人々が居る。その顔触れは、過つて「生前退位」に反対した人々と重なって居る。


 アノニマス ポスト@anonymous201504

 八幡和郎氏「皇位継承が男系男子であるのは、権威と権力を分ける日本独特のシステム・・・だから平清盛も足利義満も徳川家康も皆、天皇に為る野望を遂げる事は出来無かった」〜ネットの反応「これは男系男子で無いとダメな説明の中で一番納得が行く」 https://anonymous-post.mobi/archives/7110


 




 7,530 20:58 - 2019年5月4日 Twitter広告の情報とプライバシー


 八幡和郎氏「皇位継承が男系男子であるのは権威と権力を分ける日本独特のシステム・・・だから平清盛も足利義満も徳川家康も皆、天皇に為る野望を遂げることは出来なかった」〜

 ネットの反応「これは男系男子で無い・・・※先ずはブログランキングにクリックのご支援何卒宜しくお願いします → → → take4@sumerokiiyasaka
 皇位継承が男系男子であるのは権威と権力を分ける日本独特のシステムが故に2千年も皇統が続いた歴史が実証して居る。だから蘇我入鹿も道鏡も藤原道長も平清盛も足利義満も徳川家康も皆、天皇に為る野望を遂げることは出来なかった。 皇位継承が男系男子であるのは権威と権力を分ける日本独特・・・


 




 anonymous-post.mobi 3,972人がこの話題に付いて話して居ます


 この話は論理が破綻して居る。男系男子は「権威と権力を分ける日本独特のシステム」では無く、権威と権力が一体化した中国から輸入したものだ。それは皇帝の血統を受け継が無い男子を後継者から排除し、王家の分裂抗争を防いで権威と権力の一体性を守る制度としてそれ為りの合理性があった。
 しかし皇室には、中世以降は実権が無く為ったので血統の純粋性を守る意味は無く、皇室にも本気で男系を守る気は無かった。それは日本に宦官が居なかった事でも明らかだ。現実にはDNAが天皇家の「男系」では無い天皇が可なり居たと思われるが、皇統譜では例外無く男系で継承して来た事に為って居る。それは神武天皇と同じく神話に過ぎ無いのだ。
 平清盛にも徳川家康にも「天皇に為る野望」は無かった。為ろうと思えば(中国の様に)天皇家を廃して自分が天皇に為れば好かったが、日本では天皇家の権威と将軍の権力が分離して居たので為る必要が無かったのだ。


 




 古代の家系は女系だった。それは天照大神が女神だった事でも明らかだ。山折哲雄氏によれば、雄略・欽明・皇極・天智・天武・持統天皇には性別の記述も無い。天皇はそう云う身体性を超える「記号」だったからだ。日本で大事なのは「血」では無く「家」の継承だから婿入りも多かった。平安時代の天皇は「藤原家の婿」として藤原家に住んで居た。藤原家は、外戚として実質的な権力を行使出来たので天皇に為る必要は無かった。
 江戸時代には天皇には権威も権力も無く為ったが、天皇家を世界に比類無き王家とする水戸学の自民族中心主義が長州藩士の「尊王攘夷」に受け継がれた。それが明治時代にプロイセンから輸入された絶対君主と融合したのが明治憲法の「万世一系」の天皇だった。

 天皇を男系男子と定める皇室典範は明治憲法と一体で制定され、天皇を権威と権力の一体化した主権者とするもので、古来のミカドの様に緩やかな「みこし」とは全く違う近代の制度だった。それは日本人の精神構造に根づか無かった為、意思決定は混乱し日本を破滅に導いた。
 安倍首相を初めとする保守派には、明治以降の制度を古来の伝統と取り違えるバイアスが強いが、男系男子は日本独自の伝統では無く合理性も無い。それは明治天皇迄は側室が居たので維持可能だったが、一夫一婦制では選択肢が狭まって行くばかりだ。


 訂正:八幡さんから抗議があったが「男系男子は権威と権力を分ける日本独特のシステム」と云うのは八幡さんの意見では無く、take4と云う人物のコメントをネット民が混同したものらしい。何れにせよこの話は破綻して居り、男系男子が「日本2000年の伝統」だと云うのは迷信である。


                   以上


 




 皇位継承が男系男子で無ければ為ら無い理由



 今上天皇は125代目ですが、一度も男系を外れた事はありません。歴史上では天皇の娘が一時的に天皇に即位した事がありましたが、何れも緊急避難的な措置であって、必ず男系男子の継承者に即位させて居ます。この『女性天皇』は歴史上10代・8名が存在したと聞いて居ます。
 サテ、この『女性天皇』と『女系天皇』は全く違います。『都(みやこ)』である京都の府議会議員でも知ら無い人は多いですし、増してや国会議員なら当たり前の様に知って居て貰いたいものですが、実はそうでは無いと云う現実に呆れてしまいます。


 




 女系天皇とは、女性天皇と民間男性との間に出来た子が天皇に為った場合のことを言います


 サテ血筋において、男子は『種』女子は『畑』の役割を担って居ます。例えば競馬の世界ではオスが『種牡馬』と呼ばれてそのオスの血統を残して行く様に、一般的にもその様に認識されて居ると思います。種はどの様な畑に巻いてもその種類の植物が生えますが、逆を言えば、畑に生えて来る植物はどんな種が撒かれるかによって変わります。
 詰まり、もし将来日本に女性天皇が即位して民間男子と結婚し子供が生まれて皇位を継承すれば、その民間男子による新しい王朝が誕生したと云う事に為ります。恐ろしい事です。

 歴史上には時に強大な権力者が現れて、日本が乗っ取られる危機がありました。例えば、蘇我氏や藤原氏などの時代もそうでした。もし女系天皇を容認して居れば、女性皇族と蘇我氏や藤原氏の男子と結婚させ、生まれた子を天皇に即位させれば、マタタク間に蘇我王朝・藤原王朝が誕生する事に為るのです。
 又一方、今年のNHK大河ドラマの主人公・平清盛は、妻の妹を後白河上皇に嫁がせ、その子が天皇に即位する事に為り、そこに自分の娘を養女にさせました。天皇の権威を利用して政治を掌握しようとした手段だった訳ですが、しかし清盛は精々天皇の義理の『おじいちゃん』であって、自分が天皇に為ること等は天地がヒックリ返っても出来無かったのです。


 




 この様に『男系男子の皇位継承システム』は無用な権力闘争に歯止めを掛け、日本がズッと『和の国』である事の基盤をも継承して来ました。蘇我氏が藤原氏が平家であっても、どの様な野望を抱いて居たとしても出せるのは精々皇后迄で、自分の種による新しい王朝の誕生は阻止されて来た訳です。
 男系男子の皇位継承を続けることは、皇室が権力者・実力者からの支援は受けるものの取って代わらせることは出来無いと云う安全装置であって、日本のタテイトを繋いで来た重要な役割を果たしたのです。

 今、女系天皇を認めてしまったら、成り上がり者の野心を止める担保を失うことに為ります。地位や権力、財力を欲しいままに手に入れた者が最後に自分の種による天皇を誕生させ様と考えた時、その野望を完全に阻止することは出来無いのです。それがもし外国人だったら。戦争等必要無く、合法的に日本を乗っ取ることが出来ます。
 他民族の王朝が誕生する可能性等1%でもあっては為りません。日本は歴史と伝統の国『和をもって貴しと為す』と云う教えをズッと続けて来たタテイトの国です。

 だから東日本大震災等の天変地異が起こっても、暴動等起き無い、行列にキチンと並んで順番を待つ事が出来る、秩序正しい、誰にでも優しい、礼節を重んじる事が出来る、世界が日本人に感嘆し尊敬を集める根幹がここにあるのです。

 世界中で自動販売機を誰も居ない屋外に設置出来るのは日本だけです。日本以外であれば、必ず盗まれたり壊されたりして中のお金と商品が奪われてしまうのです。『クール・ジャパン』の根幹は『和』であり、それは男系男子に受け継がれて来た天皇を中心とした和の精神なのだと私は確信して居ます。

                 以上


 





 何故男系継承に拘ったか 「皇室が2000年続いた理由」


 2012年01月02日 19時37分54秒  歴史 サイタニのブログからの転載です。


 皇位の万世一系と云うのが、男系継承を指すものであるのは天皇の歴史を少し学んだ人ならば知っていることです。神話の時代から皇位は、一系の男系からのみ天皇を出して居るのです。ここで女系を認めたら、皇室以外の男系の家系からの男子が皇位を継ぐことに為り、万世一系は終りを告げます。
 竹田氏がおっしゃって居る様に、2000年続いたこの男系の伝統を簡単に変えることは、これを守り続けた先人を粗末にするものです。それは最早天皇では無いと言うのは正しい事だと思います。それは明らかに、別のもの、新しい王朝が始まったと云うべきです。

 神話によれば、天皇すなわち日嗣の皇子の始まりは、天照大御神と須佐之男命が子供を産み合って、須佐之男命に謀反の心が無い事を証しされた事から始まります。
 須佐之男命が腰に佩いておられた十握剣を天照大神にお渡しに為り、天照大御神が天の真名井でそれをすすいで噛み砕いて吹き棄てられた霧から生れたのが三柱の女神であり、これは須佐之男命の剣より生れた神なので、須佐之男命の子供であると云う事に為りました。


 




 天照大御神が御首に巻いた八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)の五百津の御統(みすまる)の珠を須佐之男命にお渡しに為り、須佐之男命が天の真名井ですすぎ、それを噛み砕いてふきすてられた霧に為りませる神が正勝吾勝勝速日天の忍穂耳尊(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)で、この方が第一代の天津日嗣の御子です。
 この方が地上に降臨する予定だった時に、御子が生れたので、その御子、天邇岐志国邇岐志 天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほににぎのみこと)が降臨される事に為ったのです。ニニギノミコトから数えて4代目が神武天皇です。以来ズッと男系で継承されて居ます。

 詰まり天照大御神の御統の珠(魂)を受けて須佐之男命がそれを噛み砕いて唾きと混ぜて吹き棄てられたと云うのは、魂は天照大御神から頂き、身体は男性である須佐之男命から頂いたと云えるのではないでしょうか。だから男の御子を天照太御神の御子と認められて、それ以来の男系一系がズッと続いて居るのです。
 この男系が途絶えた為らば、それは天照太御神の魂を受け継ぐと云う形が崩れることに為り、最早天皇という神事の世界の神話が崩れる事に為るのではと思います。日本の天皇は単なる遺伝的血統では無く、その継承も、神話から由来する神事であると思います。だから単に血筋ではいけ無いのであって、男系と云う事が絶対に必要なのだと思います。

               以上


 





 竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より


 何故男系継承に拘ったか


 男系継承による「万世一系」は口に言うのは容易(たやす)くとも、これを少なくとも1500年以上、場合によっては2000年以上と言った長きにわたって、一度も途切れさせること無く繋いで来たことは、困難の極みであり、これは先人達の並々ならぬ努力の賜物だと云える。
 我々の祖先がどれ程まで皇位の男系継承に拘り続けて来たか、お分かり頂けただろう。では、先人達は何故、皇位の男系継承に執念とも云うべき拘りを貫き通して来たのか、その理由について現在の皇室制度改革議論における視点を含めて述べることにする。


 




 世界最古の家柄

 何故、男系に拘らなければなら無いのか。その最たる理由は、皇統の男系継承は2000年の伝統があるからと云う事に尽きる。これだけ長い間育まれ、そして守られて来た伝統的慣習を簡単に変更すると云うのであれば、それは先祖に申し訳無い事であると考えなくてはならない。

 「皇統は何故男系により継承され無ければ為ら無いのか。女系ではいけないのか」と云う設問に出会うことがあるが、この設問は的を外したものであると言わざるを得無い。何故なら、男系により継承されて来たものを天皇家と云うのであり、皇統が女系により継承されたとしても、それは天皇家とは言え無いからだ。
 分かり易く言うと次の様に為る。例えば、世界最古の木造建築は法隆寺であるが、老朽化が著しいからと云って鉄筋コンクリートで立て替えたとしたら、それは最早法隆寺では無い。鉄筋コンクリートが悪いのでは無く、法隆寺に鉄筋コンクリートは相応しく無いと云う事である。
 これと同様に、天皇家は男系により継承される世界最古の家柄であるが、男系継承が困難だからと云って女系天皇が即位したとしたら、それは天皇では無く、皇統は断絶した事に為る。


 




 諸外国には女系の王を立てる国があるがこれを批判して居るのでは無い。女系が悪いのでは無く、天皇家に女系天皇は相応しく無いと云う事である。従って、皇位の男系継承は、それが既に2000年続く伝統的慣習と云うだけで、守ら無ければいけ無いことの十分な理由に為る。

 本来男系を守り抜く事は困難なことであるにも関わらず、これだけ長く繋げて来たと云う事は、それだけで男系継承には価値があるのだ。そして、伝統と云うのは、何か必ず忌みがあるから継承されて来ていることは既に述べた。先人達がこれ程長い間大切にして来たものであるなら、その理由に関わらず先祖に敬意を表して継承して行くべきだろう。
 しかし、だからと云って先祖が男系継承に拘った理由を全く述べ無いのは適切さに欠けるので、本書では男系継承の意義に付いて、重要と思われる点を幾つか述べることにする。


 




 血を受け継ぐ人、受け継がない人

 先人達が男系継承に拘った最大の理由は、男系こそが「皇祖の血を受け継ぐ人」であると観念して来たからである。これを理解する為には、先ず「血を受け継ぐ」ことの意味を知ら無くてはいけない。それは「何故 天皇は尊いのか」と云う問いに答える ことで明らかに為る。読者はこの問いにどの様に答えるだろうか。

 天皇は頭が好いから尊いのか、天皇は容姿が優れて居るから尊いのか、それとも天皇は人気があるから尊いのか・・・全て否である。
 勿論、歴代 天皇の中には大変優秀な方も多数いらっしゃった事は事実である。しかし優秀さ等は 天皇の本質では無い事も事実である。もし頭が好い人を天皇にするべきなら、東京大学を主席で卒業した人を天皇にすれば好いし、容姿が優れて居て人気がある人を天皇にすべきなら、一番売れて居る芸能人を天皇にすれば済む話である。しかし、その様に選ばれた天皇は決して尊くは無い。

 では、何故天皇は尊いのか。それは皇祖、詰まり初代天皇の血を受け継いで居るからである。歴代の天皇は、皇祖の血を受け継いで来ている。それ故に天皇は尊いのである。東京大学に入ろうと思ったら、試験をパスすれば好い。総理大臣に為ろうと思ったら選挙で当選し首班指名を受ければ好い。しかし、いかに才能があろうとも人気があろうとも聖人君子であろうとも、皇統に属する男系の子孫で無い限り決して天皇に為ることは出来無い。だから天皇は尊いのだ。


 




 この様に、日本では古来より天皇の男系の男子が皇祖の血を受け継ぐと観念されて来たことで、皇位の男系継承が伝統的慣習に為ったのである。そして、血を受け継いで来た期間が長ければ長い程、天皇は尊く為る。もし今が古代で、建国から数百年しか経過して居ないとしたら、その長さは他の王朝の長さと左程違いが無いので、唯一の存在では無かったかも知れない。
 しかし「初代天皇が誰であるか」と言った歴史学的な議論があるにせよ、 日本の天皇はおよそ2000年以上、又少なくとも1500年以上万世一系を保って来た。これだけの長きにわたって一っの血筋を保って来た君主を戴(いただ)くのは、世界広しといえども日本の天皇家だけである。

 次の理由として、日本の社会は男系社会であると云う点が挙げられる。男系社会と云うと、それは女性差別であると考える読者も居る事だろう。しかし「家が男系により継承される」と云うのは日本の伝統的な文化であり、決して女性差別では無い。
 これは過去の遺物では無く、又皇室独自の価値観でも無い。寧ろ男系継承は現代社会に深く根ざした価値観であり、現代人の生活習慣に溶け込んで居る。余りにも身近である為に返って意識することが無いのかも知れない。
 例えば、現代の日本では男女同権で、女性が結婚後も旧姓を名乗る事も法律的に認められて居る。しかし、九割以上の女性は結婚後に夫の姓を名乗って居る。この事実は、女性が結婚によって夫の家に入り、その姓を名乗ること、詰まり「家は男系によって継承される」と云う価値観は、多くの日本人に取って違和感が無い事を意味する。

 継承者がいなくて困って居るのは現在の皇室だけでは無い。伝統芸能の家、代々続く老舗等では男子がいなければ同じ苦悩を抱えて居る。そしてその悩む姿は日本社会では自然な姿である。男系継承と云う考え方は、現代とは縁も無い遠い昔の理論では無く、又皇室独自のものでも無い。まさしく長い間日本の社会に深く浸透した価値観である。


 




 平成17年11月24日に「皇室典範に関する有識者会議」は、皇位継承はこれ迄の男系継承に替わって第一子優先にすべきであると結論したが、男女の別無く第一子に家を継がせると云う価値観は、寧ろ現代日本には馴染みの無い価値観であり違和感があると私は思う。
 男系と女系を区別する事で、家の領域がハッキリし、誰がどの家に属して居るかが明確に為ることは既に述べたが、これを崩してしまうと本家も分家も、ハタマタ女系の他家迄もが同じ位置付けに為ってしまう。すると天皇の近親者の数が何倍にも膨れ上がる事に為る。

 時代が下るに従って天皇の家族が無限に増大してしまう事に為る。そう為ると皇室自体が一般の家と変わりが無い事に為る。そしてそれは男系により継承されて来た世界最古の家柄である天皇家の断絶を意味すると捉えるべきだ。
 
                以上


 





 【管理人のひとこと】


 男系男子が皇統を受け継いだ・・・とする過去の歴史は、それも1500年だ2000年の歴史だとするご意見と、それを真っ向から否定するレポートを参照しました。

 TVにも好く出られる竹田恒泰氏の語る通り「男系男子」には何一つもの根拠も無いそうです。単に「今までの歴史がそうであった。それが天皇なのだ・・・」との事です。私は「その歴史自体が作られたものだ」との思いがありますから、彼等の意図が殆ど理解出来ません。恐らく彼等自身も「言葉で説明出来無いが、天皇とはそうであったのだ」と話を打ち切ってしまうのです。

 更に問題なのは、新天皇が即位されたのに「皇太子」が不在なことを憂う人も多数居ます。皇室典範による皇位継承の第一位が弟宮の秋篠宮様なのですが、天皇と同じ世代の為、天皇がお元気で80歳まで続けられ、次の天皇への譲位は現実的には無理の様です。
 秋篠宮さまを「皇太弟」とお呼びすれば好いのでしょうが、法律的にはどうなのでしょう。法律では、第二位の秋篠宮家のご長男が次の天皇に為られる予定です。では、次に竹田恒泰氏のご高説を取り上げたいと存じます。



 











 




何故多くの日本人が「原発問題」に付いて思考停止に陥ってしまうのか?



 





 何故多くの日本人が「原発問題」に付いて思考停止に陥ってしまうのか



 現代ビジネス 5/16(木) 6:01配信より引用します




 何故多くの日本人が「原発問題」に付いて思考停止に陥ってしまうのか?


  精神科医師 堀 有伸氏署



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             精神科医師 堀 有伸氏


 堀 有伸氏 1972年東京都生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。大学病院勤務を経て、2012年から福島県南相馬市で精神医療に携わる。現在、ほりメンタルクリニック院長。うつ病や自殺等について精神分析学や社会病理から考察する論文を発表。著書に『日本的ナルシシズムの罪』がある。


 




 原発問題は面倒臭い? 進まぬ議論


 2019年4月8日、原発メーカーである日立製作所の会長で経団連会長でもある中西宏明氏が、原発の再稼働や新増設を提言する発言を行いました。その提言では原発の再稼働が遅れて居る事が問題視され、

 その為に電力の安定供給に疑問が生じコストも高く為って居る事、
 化石燃料を使う火力発電への依存度が現状で8割を超え環境への負荷が予想される事、
 再生可能エネルギーに付いては送電網の整備が遅れて居ること

 等が指摘されました。反原発を主張する動きに付いては、

 安全対策を尽くして居るのに、地元の自治体の理解が得られ無いと云った非難を行い、
 反原発を掲げる団体からの公開討論の申し込みについては「感情的な反対をする方と議論しても意味が無い」とそれを断った事

 が伝えられて居ます。正直、その中西会長の言葉を聞いた時には「福島での事故に付いての責任をどう考えて居るのか?」と私が感情的な反発を覚えてしまった事を白状して置きます。


 ソモソモ、東京電力福島第一原発の事故に付いての検証が終わって無いのに、長く原発推進の立場に在った当事者が日本経済に於ける重要な地位を占め続けて居る事、原発メーカーの当事者としての立場からの発言をその肩書きで行う事には違和感を覚えます。
 それと同時に、一部の反原発運動に関わる方の主張が感情的で「議論しても意味が無い」と感じさせてしまう点に付いては共感を覚え、自分の心が混乱をして居るのを感じました。

 多くの人が「面倒臭い」と感じて、日本の原発、そしてこれからのエネルギーをどうするのかを考えることを諦めてしまって居るかの様です。その結果、2011年の事故が起きて8年以上の月日が経つのに、本格的な議論は進んで居ません。私はこの現状に強い危機感を覚えます。


 原発推進派と反対派が声高に自分達の主張を述べるだけで、それ等が噛み合った議論に為りません。いかに相手の主張を潰すかに夢中に為って居る様に思います。本来は同じ国に暮らし将来を一緒に作って行かねば為ら無い国民同士の筈です。
 それなのに、未来に向けたビジョンを共有しながらも、夫々の立場の違いを認めながら「日本の良い将来を作る為にどの様なエネルギー政策を選択するべきか」と云う主題を離れずに議論を続ける事が全く出来て居ません。

 直ぐに目の前の議論での勝ち負けに夢中に為ってしまい、その議論が何処を目指すべきかと云う事を忘れてしまいます。中西会長の言葉で共感するのは、感情的な発言に終始するのは望ましく無いと云う点です。それ為らば、中西会長ご自身も、反原発の立場の方々への感情的な反発を煽(あお)るのでは無く、原発を再稼働する事が望ましいと云う根拠を、数字を用いて示して頂きたいと考えます。


 




 東京電力福島第一原子力発電所事故でどれ程の損害が生じたのか、それが明確にされ無ければ議論を進める事が出来ません。勿論、事故で失われたものの中には、お金に換算出来無いものも多く含まれて居ます。それでも矢張り、経済の専門家であり日本経済に於ける主導的な立場から再稼働に付いて発言されるの為らば、事故によって生じたコストに付いての評価を示して頂きたいのです。

 私は東京都出身ですが、2012年4月から福島県南相馬市に暮らし、原発事故の影響に付いての見聞を広める機会がありました。地域のコミュニティが蓄積して居た富がどれ程失われたのか想像も着か無い程です。
 除染や廃炉や賠償にこれ迄どれ位の費用が生じてしまい、この先もどの程度の予算を計上する必要があるのか、明確にし無いままでは国の将来が危ういと感じます。コストに付いての妥当性のある数字が示された上で、原発再稼働に付いての感情的では無い議論が可能に為るでしょう。
 それを欠いたまま議論するのは、放射線の健康被害に付いての、実際の被ばく「量(数字)」に付いての考慮が行われて居無い議論と一緒で、感情的で無意味です。


 




 何故思考停止に陥ってしまうのか


 本来為らば、ここで原発に付いての現実的な議論に進みたい処です。しかし私にはそこを科学的に論じる為の専門的な知識や経験はありません。然るべき方々がその作業を行って下さることを切望します。その代わりに、他の部分では妥当性のある行動を取ることも出来る日本人が、何故ここで全くの思考停止に陥ってしまうのかを、深層心理に迄さかのぼって考察したいと思います。
 そうするのは、自分の持てる能力を用いて、日本社会が危機的な状況を乗り越える事に貢献したいと願って居るからです。


 原子力発電は国策として行われて来ました。そして、日本人に取っての「国」詰まり日本を巡る表象群は、他国以上に強烈な無意識のコンプレックスを形成して居ます。国策の是非を論じる事は、このコンプレックスが刺激される事であり、その際には意識的な統制を失った言動が現れ易く為ります。
 それを避ける為に、為るべくこの主題に触れ無い様にして自分の心を守ろうとする反応が出現する事も珍しくはありません。この無意識のコンプレックスに私は「日本的ナルシシズム」と名前を着け、考察を積み重ねて来ました。その根本は、重要な他者への「融合的な関わり方」です。

 
 日本の組織では、独立した個人が、夫々の個性や基本的人権を尊重しながら構築して行く関係性が組織運営の基盤には為って居ませんでした。その代わりに組織への心理的な融合が強く求められたのです。
 組織への批判的な発言を行うことは、組織の活動に「水を差す」行為であると忌避されます。明確に言葉で表現されたルールや契約はその価値を軽んじられ易く、その代わりに、全体の空気や相手の意向を忖度して行動する技術の洗練が求められる様に為って行きます。
 そしてヤガテ、組織内部の感情的な一体感を、理論的な考察よりも重視する人間で無ければ、組織における重要な地位を与えられ無い様に為ります。

 この様にして、殆どの日本の重要な組織が外部の世界の変化に対応出来無く為り、多くのものが失われたのが平成の日本社会だったのかも知れません。


 




 戦後と原発事故後の日本社会


 ここで戦後日本の民主主義の受容に迄さかのぼって、批判的な考察を簡単に行って置きます。

 私は、全体主義的な社会から民主主義的な社会への移行の為には、深層心理における「他者との融合的な関わり方」が解消されて、一貫した個人としての責任を担える、独立した主体としての意識の有り方が確立される事が不可欠だったと考えます。
 精神分析の用語を使う為らば、社会のメンバーの為に、自我機能を適切に機能させる為の仕組みが確立されて居る事が、民主主義的な社会を作る為の前提です。

 しかし、戦後の日本では、その様な心理構造の奥深くに達す様な改変が必要である事は多くの場合に理解されず、心理的な「他者との融合的な関わり方」を重視したままで、その融合的な場で「民主主義」や「基本的な人権」の題目が語られると云う奇妙な事態が生じました。
 語られる言葉は、反権威の様な内容でリベラル風の雰囲気であるものの、その内部運営の有り方は全く民主的では無く、権威主義的だったりカリスマ的な指導者への心理的な融合を求めたりする様な組織や集団が、戦後の日本には頻繁に出現しました。但しこれは日本に於いて深刻であるものの、所謂、先進的な西欧の諸国でも認められる状況の様です。
 この事態への不満が、近年の世界的な潮流に於ける保守派の勢力拡大の一因だと感じて居ます。更に心理の深層に潜ります。


 





 「他者との融合的な関わり方」を求める傾向が強い事は、乳幼児的な「母子一体感」の境地が成人に為っても色濃く残って居る事を意味して居ます。
 この境地から心理的な分離が行われ無い要因に付いて、私の考察が依拠して居るクライン派の精神分析理論では、分離を試みる事で二種類の乳幼児的な不安が刺激される事に耐えられ無く為ってしまう事を指摘して居ます。少し専門用語を使う事をお許し下さい。

 一つは、妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安です。大雑把には、加害や復讐と云ったテーマを巡る被害感情や強い敵意や攻撃性が刺激される様な心理状態です。

 自力で生存する力を持たず、生存を全面的に母親的な存在に依存する乳幼児は「母の不在」と云う事態に強烈な欲求不満を覚えます。そこで生じる強い母への怒りや攻撃性は乳幼児の心を圧倒する程に強まります。
 今度は、強まり過ぎた自分の敵対的な感情も不安の原因と為ります。無意識的な空想では「自分が誰かを攻撃する」のは容易に「自分が誰かに攻撃される」に反転します。
 これは、自分が抱えて居た強い攻撃性を他者に投影出来る事を意味するので(正確には投影同一視と云う心理機制が働きます)、少し気持ちは楽に為る部分もあるのですが、今度は敵意を帯びた他者に囲まれて迫害されるのではないかと云う不安に苛(さいな)まれる様に為ります。


 原発事故後の日本社会は或る側面で、無意識的なこの妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安が高まって居たとも言えます。そこでは、日本社会に付いての理想化と扱き下ろしの意識の分裂も生じました。
 集団がこの様な心理状態の中にある時に、そこに属するメンバーの緊張感と警戒心は高まり、交感神経優位の「戦うか逃げ出すか」と云った行動の選択が優勢に為ります。放射線に付いての議論が感情的なものに為って居る時には、この妄想分裂ポジションへの心理的退行が起きて居る事が多い様です。


 




 日本的ナルシシズム


 しかし震災後8年が経過し、関係者が様々な努力を積み重ねて来た甲斐があり、この妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安は可なり改善して来た印象も持って居ます。そこで、今回の論考で重視したいのは、クライン派の理論に於ける乳幼児的な二つの不安の残りの一つ、抑(よく)うつポジションに於ける抑うつ的な不安です。


 妄想分裂ポジションに於ける迫害的な不安に巻き込まれた乳幼児は、ヤガテ自分が破壊的な言動を行った事が母親に与えたダメージの大きさに気が付きます。その時には、自分が大切なものを失ってしまった事についての罪悪感や後悔・悲しみを経験します。
 同時に、自分が攻撃性を向けた母親が生き残って呉れた事の喜びと感謝、自分の攻撃性の影響に限度がある事への安堵が生じます。この段階を超えて先に進む事で、一貫した責任を負う事が出来る様な成人の心の成立に近づく事が出来ます。


 原発事故に於ける被害に付いて、先に述べた様な数字を用いての現実的な評価を行え無いのは、日本社会が無意識の心理に於いて、この抑うつ的な不安を乗り越える事が出来て居無いからでは無いでしょうか。
 抑うつ的な不安は、成人では、自分の失敗によって「貧乏に為ってしまった」「富を失ってしまった」と云う情緒的な感覚とも親和性が高いものです。20年程前為らば、日本が経済大国である事を疑う人は居なかったでしょう。
 しかしその後、原発事故等を通じて、その地位は大きく揺らがされる事に為りました。経済力が失われた事・失われつつある事を直視する事が引き起こす不安に耐えられず、その為に現実的な対応が出来無く為って居る心理状態として、近年の日本人の心理状況を解釈する事が出来るかも知れません。

 その様な不安を回避する為に弱い人間が縋(すが)ってしまう心理的なズルが「躁的防衛(そうてきぼうえい)」と呼ばれる心の動きです。

 自分が引き起こしてしまった損害に付いて、それを償え無い・治せ無いと云う絶望的な悲哀の感情を持ち堪(たえ)える事が出来無い時に起ります。自分が傷付けた対象に付いての価値下げが行われます。自分が相手より優位に立って居るかの様に思ったり、実際にその様に振る舞う事で、失敗を認めて落ち込んだり大事なものを失った悲しみに囚(とら)われる事から自分を守ろうとします。
 そしてこの躁的防衛ばかりを繰り返し、抑うつ的な不安を味わえ無く為って居る現代日本社会の心理状況の事を「日本的ナルシシズム」と名指して考察の対象と致しました。

 躁的防衛にはポジティブな意味も有るのですが、矢張りそればかりを長期に使い続ける場合には弊害が目立って来ます。先に進む為には、「日本的ナルシシズム」に耽溺して居たい誘惑を超え、抑うつ不安を自分の心の中に抱えて味わい、それを一つの個としての心の全体性の中に統合して行くプロセスが必要なのです。


 





 日本人の道徳と共同体


 何故日本人に取っての自我の確立は難しく、周囲との融合的な関わり方ばかりが維持・継続されてしまうのでしょうか。それは日本社会に生きる上で、近しい人々とのズルズルベッタリした関係を断ち切って自己主張をする事は理解され難く、それとは反対に、融合的な関わりに留まる事で周囲からの報酬を何らかの形で与えられる可能性が高かったからだと考えます。
 前者は激しく価値下げされますが、後者は理想化されます。精神分析だけでは無く行動療法の話が混ざります。

 私は「問題行動を繰り返す人の治療に役立つ『シンプルな方法』」と云う小論を発表した時に「人間は、他の人から注目される(褒められる)行為は増えて行く」「逆に、他の人から無視される行為は減って行く」と云う原則があることを説明しました。
 それを踏まえて、現在の日本人は全体として「自己主張を行う人間は無視し、報酬を与え無い様に気を付ける」「自分を抑えて空気を読んで黙々と行動する人間を丁重に扱う」と云う道徳を共有し、それをお互いに強化する様な共同体に為って居るのでは無いかと考える様に為りました。


 精神科医の仕事をして居ると、先に述べた様な抑うつ的な不安・・・詰まり重要な存在を失った事による悲しみや怒り罪悪感を受け止めて呉れる場が失われて居る事を痛感します。
 詰まり、そう云う心情を吐露しようとしても多くの場合に無視される訳です。情緒的な一体感に水を差すものは忌避されます。それとは逆に、明るく前向きな姿勢を示すことが好まれ注目を集めます。これが「日本的ナルシシズム」が存続し、次第に強化されて行くメカニズムです。
 「明るく華やかで前向きに」して居る限りでは人が集まって来ますが、一寸でも弱みを見せれば、孤立しかねません。


 





 「1940年体制」と「タテ社会」の論理



 この様な日本的ナルシシズムの心性と不即不離の関係があるのが「1940年体制」です。これは経済学者の野口が主張したもので、太平洋戦争に向かう時代の日本に於いて成立した
 「国中の富が一度は中央に集約され、その後〈タテ社会〉のルールに則って、序列の中で中央に近い所から有利な条件の仕事や報酬が割り振られて行く様な社会体制」

 の事です。この事に付いては「原発事故から7年、不都合な現実を認め無い人々の『根深い病理』」と云う小論で詳しく紹介しました。


 このシステムの内部に生きる者に取っては、全体の雰囲気に合わせて行動する事で注目され報酬を与えられますが、それにソグワ無いものは無視され孤立して行きます。そして日本での原発は国策としてこのシステムを駆動する形で運営されて来ました。
 2011年の原発事故と関連して、事故前に津波による事故の危険性が指摘されて居たのにも関わらず、それが適切に取り上げられること無く無視されたのは、まさに「日本的ナルシシズム」が現実化した事態だったと考えます。

 私は原発事故が起きた事を切っ掛けに、この「日本的ナルシシズム」に付いての見直しと反省が為されるべきだと考えました。しかし、2012年から福島県南相馬市に暮らして見聞したのは「日本的ナルシシズム」が強化して再生産される事態です。
 原発事故による喪失の否認に貢献する内容為らば賞賛し、それを顕在化させる内容為らば軽視し、場合によっては非難すると云う日本社会全体が示した傾向は明確でした。被災者達の間でも「後ろ向きな事を口にするべきでは無い」と云う自己規制・相互監視が在りました。他に印象的なのは「自主避難者」達への冷徹な取り扱いでしょう。

 しかしこの事態を受けて、反原発派の一部が放射線の直接的な被害を強調し、上述したのとは反対の、原発の再稼働に貢献する内容為らば攻撃や無視を行い、その問題点を明らかにする内容為らば賞賛する・・・と云う逆方向のナルシシズムに振れてしまったのは残念なことでした。


 




 私の立場からは、もし原発の再稼働に本気で反対したいの為らば、強調するべきなのは放射線の直接的な健康被害では無く、膨大する賠償や廃炉の費用を送電の費用に上乗せし電気料金として国民に大きく負担させる制度を準備し、本格的に運用しようとして居る事のアンフエアさだと考えます。
 電力事業の中で、発電は自由化されて居ますが送電は自由化されて居ません。従って、送電の為の費用を支払うと云う形で、新電力の事業者も利用者も原発事故の賠償や廃炉の費用を負担する事に為ります。広く浅く国民から電気料金として費用を徴収し、タテ社会の上位に位置する電力会社は保護的な扱いを受ける様に為って居ます。

 震災の復興が進む中で、目立た無い様に着実に「タテ社会」の論理が復活し強化されて来ました。印象的なのは除染や復興の事業費の使われ方です。その予算は、大手ゼネコンに先ず分配され、そこから系列の協力企業(下請け)に更に分配されるお馴染みの風景が再現されました。
 そのこと自体を必ずしも悪い事だとは思いません。因みに、詳細は書けませんが、私が担当して居る震災のトラウマの影響が大きい患者さんで、福島第一原発近くの仕事に生活の為に関わって居る人が複数居られます。そう云った人々が「メンタルが病んで居ると元請けに知られ無い様に」等と気を使い乍ら、時にパワハラ的な状況にも対応しつつ働いて居る様子を聞く事があります。


 




 問題は何処にあるのか


 しかし問題としたいのは、他の大きな後ろ立て無く事業を誠実に行って居る地元の事業者への保護の為に使われて居る金額との差の大きさです。

 先日、南相馬市の企業で「凍天(しみてん)」と云う商品が愛されて居た「もち処木乃幡」が事業停止と為り自己破産を申請した事が報じられました。
 本店工場が原発事故による避難指示が出た地域に在った為に移転を余儀無くされ、様々な経営努力を行ったのにも関わらず、東京電力から賠償に付いても不十分な条件しか提示され無かった事情もあり、前述した様な結果に為った様です。

 昨年位から、住民の申し立てを受けた原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の和解案を東京電力が拒否する事例が増えて居ると報じられて居ます。2014年末には、東京電力が自ら「3つの誓い」と称して、

 @)最後の一人迄賠償貫徹
 A)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底
 B)和解仲介案の尊重」

 と掲げて居た事との一貫性の無さを、どの様に理解すれば好いのでしょうか。原発への反発の空気が強い期間だけは身を低くして耐え、その空気が退潮して来たと見極めた上で震災前から占めて居た「タテ社会の上位」の立場を自覚した言動が増えて来たと云う事かも知れません。
 原発事故を巡る東京電力と云う存在の在り方は、この数十年の日本社会に於いては、自主独立の精神等涵養(かんよう)しようとせず、日本社会の空気に融合してその上位に居る事を保つ事が、どれ位社会的・経済的に報われるものであったのかを示して居ます。

 私の問題意識に引き付けるの為らば、一貫した責任を担える主体であろうとする自我の機能は育たず、全体の空気への融合的な在り方から万能感が保障される日本的ナルシシズムばかりが肥大する社会の風潮が続いて来たのだと考えて居ます。
 只この場合にも、現実に好く目を配って、過度に東京電力に付いて価値下げし無い事も大切です。私は、特に現地の東京電力の職員達が、命懸けで2011年の事故とその後の対応を行って呉れた事への恩を忘れ無い様にしたいと思います。
 現在も続く、廃炉の作業もそうです。そして今後に付いて最低限の技術水準を維持する意図からも、東京電力の持つ原子力発電に付いての知識と経験の蓄積は貴重なもので在り続けます。

 「日本的ナルシシズム」と呼ぶ社会システムも、そのタテ社会の系列の上位を占める人々が、高い理念を持って外部の現実を好く観察し、それに対応する為の施策を打ち出して行く為らば、その内容が効率良く実施される事が期待出来る等利点も多いシステムです。


 出る杭が打たれ易い社会


 しかし問題は、融合的な一体感の中だけに引き籠(こも)って外部や他者との出会いに耐えられ無く為り、他者を尊重出来ず慇懃(いんぎん)に自分達が作って居る一体感が醸成する空気に融合する様に強(し)いたり、それを拒否する対象を排除したりする傾向が、特に影響力の大きいタテ社会の系列上位の人々の間で強まった場合に、社会の硬直性が著しく高まってしまうことです。
 経験出来る情緒(じょうちょ)の幅がとても狭く為り、自分が慣れ親しんだ空気と融合する事によるナルシシズムの満足ばかりを求め、それを超える驚きをもたらす他者や外部との出会いに耐えられ無いので、それ等を回避する様に為ります。
 当然、刹那的(せつなてき)で内向きの傾向が強まり、長期的な大きな視野からの見解は敬遠される様に為ります。

 この状況が更に進むと、自分が融合して居る空気の影響力が大きい事が、詰まりそれを信奉する人の数が増える等して勢力が拡大する事が、自らのナルシシズムの満足と社会的な成功に繋がり易く為り、それ以上の思考を放棄して、融合して居る一体感を強める事だけに邁進する心性が出来上がります。
 この様な心性の持ち主が、往々にして非常に立派な理念を語る事がありますが、それに相応(ふさわ)しい情緒の成熟が伴(ともな)って居無い事が普通です。


 




 日本的ナルシシズムが優勢な状況では、「出る杭は打たれる」と云う様な状況が生まれ易く為ります。「出る杭」と見做(みな)される人物は、融合的な一体感を何等かの意味で破る存在です。
 適切な思考が存在する場為らば、自集団の外部を意識した上で長期的な視点も踏まえて、その「出る杭」の示して居るものの妥当性に付いて判断し対応を決める事でしょう。しかし短期的な視点からの融合的な一体感を破られた事による不快な情緒だけが行動の駆動力に為る場合は、その「出る杭」は自動的に攻撃されるでしょう。
 そして攻撃を通じて再び一体感の中に飲み込む事が出来無い場合には、その対象の事を無視したり、敢えて似た別の存在を優遇する等してその存在を排除しようと試みる様に為ります。ここには、全体に一致することばかりを続けて「自分」を失って居る人からの、主体的な言動を示す人への羨望の念も働いて居ます。

 例えば「感謝の思い無く仕事を押し付ける」ことも羨望の現れと解釈される事があります。集団において何等かの美徳を示すものは、全体が許容出来る狭い情緒の幅に一致し無い限り、反対に攻撃や批判の対象と為ります。
 しかしこのことは、長期的なビジョンからの改革が不可能に為る事を意味し、過去の遺産を食い潰しつつ現状を変えられ無い状況を作り出します。名目は様々でしょうが、その目的は全体に融合する事でナルシシズムを満たして居る多数のメンバーの情緒的な満足を維持する事だけですから、その結果は不毛なものと為ります。


 





 平成は不毛な時間だったのか?


 しかし、この「日本的ナルシシズム」も、今後何時迄維持されるか分かりません。何故なら、日本の富が減少して行くのに連れて「全体と一致して居れば報われる」と云う期待が次第に維持され無く為って行くと予想されるからです。
 今までは潜在的だった「タテ社会」の上位に居れば優遇され保護されるが、下位に居る場合には切り捨てられると云った不信感が強まりつつあります。全体の空気への融合が、一部の層の利益だけを確保して居るのでは無いかと云う疑念です。

 その時に、より徹底した無秩序な状態が社会の中に出現する事を防がねば為りません。その問題意識からと思われますが、保守的な立場の人の一部が、日本的な道徳教育を強化して日本的ナルシシズムを維持しようとする動きがあります。しかし私は、この遣り方だけに頼る事は現実的な裏付けを欠いて居ると考えます。
 道徳を強調するよりも、例えば原発の再稼働を行いたいの為らば、本論の冒頭で求めた様な原発の収支に付いて根拠のある数字を用いて説得を試みる等、タテ社会の上位の位置を示して居る人々が、その場を占めるのに相応しい貢献を行って居る事を示す方が大切です。ソモソモ信頼出来る統計情報が記録・保存されて居ない等は論外でしょう。


 




 遠回りに思われるかも知れませんが、私が提唱する解決策は、抑うつ不安に繋がる情緒(喪失の痛みがもたらす悲しみや怒り等)を確りと味わう事を重んじる文化の醸成です。この事こそが重要であり、それを軽視してナルシシズムばかりを強化する風潮に抵抗する事が求められて居ます。
 何故なら、抑うつポジションの情緒的な課題を通り抜ける事で人間は、ナルシシズムの傷付きをもたらす体験の価値下げや切り捨てで自分を守ろうとするだけでは無く、自らの有限性を自覚した上で、自分が傷つけてしまった対象への配慮を示し、自分を支えて呉れた存在への感謝や、適切な罪悪感によって駆動される一貫した償いの行為が可能に為るからです。


 その様な情緒的な成熟を果たしたメンバーが社会の中で増えた時に、外部や他者に適切に関わることが出来る様に為ります。その上で、将来に向けたビジョンや長期的な展望が可能に為るでしょう。その先に真の日本の誇りが取り戻されます。
 残念ながら平成の日本は、自らが喪失したものを直視すること無く、自らのナルシシズムの傷付きを回避するばかりで不毛な時間を過ごしてしまった印象があります。

 令和の時代が、情緒的な成熟の重要性が認識され、喪失したものを「見る」事による痛みを通り抜け、外部や他者の有り様を正確に認識した上で、自らの有り様や行動を適切に考える事が出来る様な時に為ることを祈念して居ます。

   堀 有伸氏     以上



 






 【管理人のひとこと】


 本ブログでは、時折原発の状況を取り上げます。今回は、精神医的原発への関わり方への日本人の反応・・・とも呼ぶべき思考です。福島原発事故にソモソモ日本が原発に対応した精神的特徴を「日本人的ナルシシズム」「タテ社会」等の典型的症例だと述べられています。
 お上が考えた事だから敢えて反発しない、皆の考える様に沿って行こう・・・集団の思うままに同調することで、虐められる事も無く高く評価して貰える・・・それが、原発安全論を確立させ為すがままに全国に50以上の原発を作らせてしまったのだと。

 原発を再稼働させたいのであれば、正直にその利点を訴えて堂々と主張すべきだ。例えば経済性の利点であれば、正確な計算を行い、それに疑問を持たれ無い様な確固たる根拠を示せば好い。現在の様な計算は、不確かな上に根拠も不明確。
 例えば、原発の電力の原価計算で一番低く見積もられて居るが、他との比較が誠に否合理的で不正確だ等の批判が強い。単にランニングコストの低さを強調するだけで、放射能のゴミの処理・使用済み燃料棒の処理・青森六ヶ所村の経営費等全てがカットされています。更に一番重要なのが「核のゴミの最終処理」の問題です。

 ハッキリ言って、何処の国でもこの問題が原発問題の一番のネックに為って居ます。それでも。これを無視して原発を進めて居る国は、その問題を置き去りにして「問題を未来に放り投げて」居るからで、見切り発車をして居るだけ。
 経済的には現在考えられる安全対策を全て行うと莫大な経費を必要とし、既に計画段階で先には進め無い状況で、東芝も日立も海外輸出を諦めて居ます。幾ら努力しても原発は採算に合わ無いのです。それを国内での再稼働を望むのが経団連会長であり、国民を叱咤する言葉・・・これを素直に受け取れ無いのは致し方無いのです。



 






 
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