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2019年05月10日

天皇のルーツとは?




 




 【管理人】


 「天皇って何時の時代から始まったの?」

 そう子供に聞かれて直ぐに答えられる親や祖父母が居るだろうか?私は、全く答える自信なぞ持たないのだが、私達は平気で「世界で一番に伝統ある天皇・皇室」と口にする。そして、世間でも多くのメディアも同じ。そこで、丁度好いレポートを目にしたので今回取り上げます。




 AERA dot 5/10(金) 11:30配信 記事より引用します 


 




 天皇のルーツとは? 歴史に翻弄され続けた「天皇の権威」を振り返る〈AERA〉




        5-10-1.jpg

         世界最大級の墓・大山古墳(大阪府)

 
 世界最大級の墓・大山古墳(大阪府)天皇のルーツである、大和政権の大王の墓と伝わる。世界遺産登録を目指している。
 平成時代から令和時代への転換期に、小中学生向けのニュース月刊誌「ジュニアエラ」2019年5月号では「天皇と日本の歴史」を大特集。日本の歴史の中でこれ迄天皇がどんな役割を果たして来たのかを調べました。


 





 権力者から実権の無い神様に 
 

 天皇のルーツは、古墳時代の大和政権の君主だ。ただし、当時は、「天皇」では無く「大王(おおきみ)」と名乗って居た。中国の「皇帝」より格下の名前だ。しかし、やがて中国に隋や唐と云う大帝国が生まれると、皇帝と対等な「天皇」を名乗り、隋や唐にならって天皇中心の律令国家を目指した。

 国家の中心と為った天皇は、最初は大きな権力を持って居て自ら政治にあたったが、神様の様に崇められるうちに、やがて実権を持た無い存在と為り、天皇の代わりに貴族の藤原氏が実権を握る摂関政治が始まった。藤原氏に代わって、天皇を退いた後の上皇や法皇が実権を握ったのが院政だ。


 




 天皇の権威が政治に利用された

 
 その後、政治の実権を握った武士は、天皇の権威を利用し、天皇から太政大臣や征夷大将軍に任命されることで権力を保った。実権を奪おうとする天皇も居たが何れも失敗した。この状態は、江戸時代まで長く続いた。

 江戸幕府を倒した人々は、天皇を中心とした強い国を創ろうと考えた。明治時代に出来た大日本帝国憲法では、天皇が日本の元首とされ、一般の国民は神様の様に崇めたが、立憲君主制の下、天皇の力は憲法で制限されて居た。
 やがて天皇の権威を利用し、軍部が実権を握って日中戦争に突入した。第2次世界大戦後、日本国憲法では、天皇は政治に関わることが禁じられ、日本国や日本国民統合の象徴と定められた。


 




 <律令国家> 律令(法律)に基づき、天皇をトップにした中央政府に権力を集中させた国家。 
 <摂関政治> 貴族が摂政や関白の地位に就き、天皇に代わって実権を握って行う政治。平安時代は藤原氏による摂関政治の全盛期だった。 
 <院政> 上皇や法皇が実権を握り、政治を行うこと。生前退位した天皇を上皇と言い、出家して仏門に入れば法皇と云う。
 <太政大臣> 律令国家での最高の役職。天皇から任命された。元々皇族の役職だが、後に貴族の役職と為り、平清盛が武士では初めて任命された。後に豊臣秀吉も任命された。
 <征夷大将軍> 元は、天皇から任命されて平安時代に東北地方の蝦夷の征伐にあたった最高司令官を云う。源頼朝の就任以来、武家政権のリーダーの役職と為った。略して「将軍」
 <立憲君主制> 国家を統治する最高位の君主(天皇など)が居るが、一方で君主は憲法の規制を受ける統治形態。

 ※月刊ジュニアエラ 2019年5月号より


                 以上



 






 もう一つのレポートを紹介する・・・



 天皇家の祖と為った人のルーツを想像する


 
  テーマ:古代史 2013-11-06 14:04:13 より引用します


 本当に夢想の段階ですが、私は天皇家の祖と為った人のルーツに大きく括ると3つの勢力が考えられると考えて居ます。全く考えが纏まって居ないと云うことですが・・・


 




 1 卑弥呼の弟とされる人


         5-10-2.jpg

           ニギハヤヒと物部氏  天下泰平より 


 一つは、卑弥呼の側近・重臣の一大卒の長官であった卑弥呼の弟とされる人が、現在の天皇家の祖と為ったのでは無いかと考えて居ます。倭国王の正嫡では無いが全く関連が無いとも言い切れ無いが故に、より倭国王の称号と権威を欲したことも考えられます。
 そうすると天照大神の弟であるスサノオ命の後裔であるニギハヤヒ命が王権を樹立したと云う私の持論には一番ピッタリと嵌ります。又、都市国家の芽栄えは北九州から起こったであろうことは考古学上の遺物からも証明されて居ます。中国・朝鮮半島との玄関口であり、文物が真っ先に入る土地であり、当時の最も栄えた地域であることは間違いがありません。

 そして多くの方が言う様に、北九州の土地名と奈良の地名には重為るものが多々あります。そもそも邪馬台国を「やまたいこく」と読みますが、これ自然に読めば「やまとこく」では無いでしょうか?今も九州にはヤマト地名が確りと残って居ます。
 又中国史書の邪馬台国は、倭国を中華思想で卑しめて「やまと」を邪馬台と書いて居ると考えるのがスッキリと来るのではないでしょうか?因みに卑弥呼と云うのも、中華思想で卑しめて「ひみこ」を卑弥呼と書いて居ることは間違いありません。本当は「日巫女」太陽神に奉仕する巫女さんと云うことでしょう。

(多くの学者さんがこんな簡単な推理を思いつか無い訳が無く、何だか無理矢理に邪馬台国論争を仕掛けることで真相を闇に葬ろうとして居るのでは?とさえ思えます)

 主体と為った人達は所謂「倭人」詰まり江南系の中国人と縄文系列島人の混血であると思われます。中国史書に云う分身をした人達です。


 




  2 求奈国(くなこく)の王の系譜 


  5-10-4.jpg


 二つ目は、若しくは邪馬台国の仇敵として描かれる求奈国(くなこく)の王が考えられます。この求奈国が何処なのかが確定されて居ないので定説に為ることは無いと思いますが、私は求奈国は現在の熊本県を中心とした地域ではと考えて居ります。
 コジツケに近いかもですが、古の天皇の別称は「日嗣御子」であり日を継ぐ方です。この日御子の国の名を連想しろと言われれば、真っ先に「日の国」と為るのではないでしょうか?

 そうすると思い付くのは「火の国(肥の国)」と為って不自然なことは何もありません。又この日御子ですが、多くの歴史ファンは自然と「ひのみこ」と読むと思いますが、何も知ら無い人が読んだら「ひみこ」ですよね。何やらここにも鍵がある様に思って居ます。
 又、記紀においても火の国と天皇家には深い繋がりを感じます。理由は火の国を治める火の君(阿蘇氏)は神武天皇のお兄さん神八耳井命の後裔であると云う事からも伺えるのです。で、又もやヒミコ様との関連も疑われる事もセットで残ります。阿蘇神宮に行くと分かりますが、ここには姫神様も奉られて居るのです。因みに塚もあります。こちらも主体と為った人達も「倭人」であると思います。ナ〜んだかね、匂いますでしょ?


 




 3 淀川水系〜琵琶湖〜若狭日本海の水運を支配した勢力が天皇家の祖


  5-10-5.jpg

              三輪大社 大神神社


 三つ目は、これは正直申し上げまして賛同される方ホボいないのでは?と云う説です。どんな説かと言うと・・・淀川水系〜琵琶湖〜若狭日本海の水運を支配した勢力が天皇家の祖と為ったのではと云うものです。

 何故そう思うように為ったのかと云うと、或る日近畿周辺にどの様な氏族が分布して居たのか?が気に為り地図上に新選姓氏録をもとにプロットしてみたのです。すると天皇家から分かれたとする皇別氏族の分布の多くが琵琶湖周辺から福井若狭三国に集中すること。又、自説で天皇家の祖と考えるニギハヤヒ大神が天孫降臨した地が淀川水系を見下ろす現在の大阪・京都・奈良の境に位置する大阪府交野市であること。
 また、諸説アリアリですが、もう一人の天下神話を持つ神である「天日矛命(ツヌガアラシト)」を奉る神社があるのもこの地域であること。一説にはこの方は新羅の王子であるとされ、神宝を持って天下ったとされる。播磨国風土記に多々登場するが、神話と云うよりも史実を神話として語り継いだ内容の様に思える。
 この方の持ち来たったと云う神宝と、ニギハヤヒ大神が天照から下賜された神宝は瓜二つなのである。ここから私には二人が同一人物ではないかと考えても居ます。

 そして一寸話が脇に逸れますが、天日矛がニギハヤヒ命だとすると、天日矛が国を求めて戦った相手である大国主命(伊和大神)とは、ニギハヤヒ命が入り婿したナガスネ彦のことなのでは?と云う推理も思い浮かぶのです。詰まり近畿を中心とする勢力の大王であった大国主命(三輪の神大物主神)に、半島(新羅)より海を南下し(あまくだった)若狭地方に拠点を築いた天孫が婿入りする事で出来た王統が天皇家なのではないかと。
 そして日本海と瀬戸内を繋ぐ水運を支配し、巨大な富を蓄えたこの王統が倭王の称号を奪うべく、度々九州を攻めたのでは?とも思えるのです。(神功皇后と仲哀天皇の熊襲征伐の伝承などなど・・・)別の視点では三輪山の信仰の要点である「太陽神」と「水の神」の合体が成ったとも考えられる。

 と云うのも、三輪大社に祭られる神を地元では「三輪さん」と気楽に呼ぶんですが、三輪さんは「巳さん」とも呼ばれます。要は「蛇さん」であり水の神様なのです。私は水の神をトーテムとする近畿を中心とした勢力の首領が三輪さんこと「大国主神」なのではないかと考えています。

 弥生時代を代表する祭祀の形態には2つの形がありました。1つは九州を代表する銅矛・銅剣を祭器とする勢力、もう一つは近畿〜東海を中心とした銅鐸を祭器とする文化です。この銅鐸こそは水の神を奉る勢力を現して居ると考えています。
 何故なら銅鐸は、トグロを巻く蛇を表しているという説や、またそのトグロを巻く蛇の姿こそが甘南備山の姿であり、詰まり三輪山は三輪さんであり蛇神が鎮座する姿そのものであると考えられます。事実、銅鐸には蛇の紋様を多く見ることが出来ます。
 そして、九州を中心とする銅矛・銅剣を祭器とする勢力とする神の姿とは?「天日矛」その名が思い浮かびませんか?詰まりこの方が太陽神であり、ニギハヤヒ命こと本当の天照大神なのではないかと思うのです。そしてこの方の周りには、様々な謎や示唆に富んだ伝承があり列島の歴史の謎の鍵を握る人なのではと云う思いが益々強く為っています。
 この主体と為った人達は、大国主を中心とする「倭人」と天の日矛を中心とする「倭人+朝鮮半島の倭人+北方民族(ツングース系)の混血」の人達では無かろうかと考えています。


                  以上


 






 【管理人のひとこと】


 至極簡単明瞭だ。この通り以上では説明に難しく、かと言って以下では何の説明にも為ら無い。だから、このまま答えたら好い。後は、学校の授業や自分で調べなさい・・・と云うのが大人としての理想的回答だと思う。
 色々な説明をしても、それが史実がどうかも確認出来ず子供達に間違った認識を与えてしまう結果と為る。神話の話と史実がゴッチャに為って居る現状ではそれで好い訳だ。そのうち新たな史実が見付かったりすると、正確な歴史も語られるのだから。

 先般、NHKが神話の話をあたかも史実の様に報道したと問題に為った。古い話では、卑弥呼の話は中国の文献に載って居るので、それは史実だと云えようが、天皇のことは何も出て来ないので、それ以降の4世紀から5世紀に掛けて「天皇」為る呼称も生まれたと予想されるが、飽くまでも推測の域を出ない。
 天皇が縄文時代からの系譜を持って居るのか、又や弥生時代からの渡来人の系譜を持って居るかも判ら無い現状では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は神話上の架空の女王だったとする以外は無い。神話は神話で史実では無い。それはハッキリと区分すべきであり混同しては為ら無い。
 だから、天皇の始まりだとされる神武天皇は、想像上の架空の天皇だとする以外無い。後の人々が便宜上拵えた天皇なのだと。

 天皇の血筋は何度か変わったのが真実だろうし、だから一統では決して無いし、初代からの数代は明治時代に作り上げられたもの。後々の為政者が政治を行う上で便宜上拵えたものだとするのが真実だ。だから説明も何も出来ないのが当たり前。
 古代の数居る王の中で、周囲から認められ大王(おおきみ)と為った家系が世襲して天皇と為ったと考えるのが自然だが、果たして都合好く世襲出来たかどうか・・・恐らく、色々な血統が入り混じった政治上の権謀の中で天皇の位が続いた。そう考えるしか無いだろう。

 そして、前記の様に天皇のルーツを色々と推測する楽しみも私達は知って居ます。実に色々な説があり物語として読むには大変興味深く面白いものです。



 









 


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